6月30日(水)快晴

 9.00起床。部屋掃除、午後、郵便局で子供たちの教育簡保の支払い。あまりにも暑いので風呂掃除。DVDレコーダーに溜め込んだ映画やドラマをDVD化。で、一日はあっという間に終了。林美雄が深水龍作と、ミュージカル「ヘアー」について話しているカセットをCD化。「日本版ヘアー」から約10年後の時点、1980年当時でもまだ舞台での裸体が話題になっている。舞台で脱ぐことは珍しいことでもなんでもない今、まさに隔世の感。20年の隔たりは大きい。

 改正都青少年健全育成条例が4月から施行されたため、業界の自主規制で、シール貼りが行われているという報道。「不健全」と指定された図書は、コンビニ店や取次店によって、規制される可能性が高い。そのための自主規制。しかし、指定の基準があいまいでは、濫用されないか心配。狙いをつけた雑誌を廃刊に追い込むための濫用にならないか……。


6月29日(火)快晴

 PM4.30、六本木。カフェ・イルソーレでネット配信映画「ドルフィン・スイム」の製作発表会。日本で初めて御蔵島でのイルカのハイビジョン撮影を敢行した作品とか。小川範子が出演するということで、事務所社長のA生さんから案内をいただいていたのだった。ちょうど時間があったのでのぞいてみた。

 余貴美子、小川範子、細山田隆人、新潮「nicola」のモデル森脇ゆか、関千紘、ミュージシャンの入日茜が出席。取材者20数人。アイドル探偵団のK川氏が最前列に陣取っていたので声をかける。彼とも十数年来のつきあい。ペンネームが定着すると、なかなか本名を思い出せなくなってしまうが。

 会見後、A生さんに挨拶。若い頃、浅川マキさんのマネジャーをしていたA生さん、「マキさんにはいろんなことを教わりました」と遠い目。「23から27歳頃までマネジャーをやりましてね」
 マキさんの近況などを報告。ちょうど、昨日からピットインでライブを行っているが今回は行かれそうもない。

  小川範子とも久しぶり。暮れに恒例の一人芝居を予定しているとか。

 帰りしな、入日茜にサントラ盤発売はないのか聞いてみると、「9月頃に出す予定なんです。今回の映画の主題歌も含めたアルバムになると思います」
 初めてナマの入日茜と対面したが、歌のイメージ通り、きゃしゃで楚々とした女性。

 PM7、三軒茶屋。世田谷パブリックシアター。「エレファント・バニッシュ」。昨年の再演。

 村上春樹の短編「象の消滅」「パン屋再襲撃」「眠り」をモチーフにし、オムニバス風に構成した作品。

 映像、音楽、俳優の肉体、舞台美術ーーそれらのコラボレーションが素晴らしい。めくるめくイメージの饗宴。舞台と垂直に歩行し、空中からもう一人の自分を見つめる男の浮遊シーンは何度見てもゾクゾクする。不眠症の女が突然、過去・現在・未来の3体に分裂し、4人の女が同時に舞台上に出現する悪夢のようなパフォーマンス。すべてのシーンがシュールで幻想的でエロティック。吹越満、高泉淳子、宮本裕子、高田恵篤、立石凉子、望月康代は前回と同じメンバー。浮遊男を演じた東京オレンジの堺雅人が大河出演のため、世界ツアーに参加できず、演劇集団円の瑞木健太郎にバトンタッチ。空中浮遊は簡単そうに見えて、かなりきついパフォーマンスのようだ。

 今回、観客全員がだまされたのが、演出のサイモン・マクバーニーの「演技」。開演5分後、客席から突然舞台に駆け上り、開演遅れについて、「ソーリー」を連発。一体何が起こったのか。照明を指して、「問題が」。英語交じりの日本語の説明がもどかしそうに、「通訳」を呼び、状況説明。「舞台は家庭用電力の千倍の電力を消費しており……」 その通訳も、サイモンの専門用語がわからないようでオロオロ。「開演前に地震があって……」に、客席はみんな大きくうなずき、「そうか、電気系統で何か重大なトラブルが発生したのか」とそれぞれが納得。本当は地震などなかったのに、みんなが「そういえば、地震があったなぁ」と情報を鵜呑みにするのがちょっと怖い。集団心理。
 開演前のトラブル。こんなことは初めて。客席は思わぬハプニングを喜んでいる雰囲気。実は、私も「こんな日に見に来てよかった」なんて思ってるのだから、笑ってしまう。

 ……ところが、これはすべて演出。通訳が実に歯切れのいい女性だと思ったら、女優の立石凉子だった。彼女がインクを水に落とし「溶解した二種類の液体の可逆性は消える。時間は引き戻すことができない……」のセリフで、舞台がスタート。初演でこんな演出あったかな? 途中で、おかしいなとは思ったが。

 8.50終演。
 地下の防災センターへ。落とした定期入れを引き取りに。公共施設だからか、落し物を返してもらうだけなのに、やたらと厳しい。本人確認の免許証のコピーまで取って、ようやく返却。

PM11帰宅。

 中村敦夫氏の「みどりの会議」HPにパロディー作家、マッド・アマノ氏の作品を転載したということで、自民党・安倍幹事長と弁護士が「みどりの会議」に対し、リンクの削除を申し入れた。「虚偽の事実によって、小泉総裁と自民党の社会的評価を低下させた」というもの。これがそのパロディー。

「この国を想い この国を創る」→「あの米国を想い この属国を創る」

 このどこが問題なのだろう。パロディーとして、上等のデキではないか。
  それを「通告書」送りつけて恫喝する。

 唖然呆然。そこまでやり始めたか。ニュース番組の年金批判報道に対して、同じように「通告書」を送ったばかりの自民党。今度はパロディーにいちゃもんつけるなんて、トチ狂ったとしか思えない。
 パロディーは立派な批判芸術。そもそも、日本には古今集の時代から「本歌取り」という、「パロディー」文化がある。欧米では政党ポスターや政策をパロディーにすることは普通のこと。
 それを、自分たちが俎上に乗せられたからといって、介入するなんて、笑うというよりも、空恐ろしい。権力者というのは、常に国民を監視・規制したいと思っていることがこれでバレバレ。
 しかも、著作者のマッド・アマノ氏にまで通告書を送ってきた。
「あなたのパロディーは自民党の社会的評価を低下させる」

 ナチスも真っ青な言いがかり。いやはや恐ろしい世の中。
 これをリンクしたら、やはり通告書が来るのでしょうか?

 
6月28日(月)晴れ

 PM6、会社の近くのCホテルで退職する2人の顧問のお別れ会。それぞれの部署のトップということもあって約3分の1の社員が参加。人柄のためか、和やかな、いい雰囲気の送別会となる。PM8.00解散。9.00帰宅。

 9.15、北海道の叔母から電話。「メロン送るからね。4個を1パックにしたほうがいいか、それとも2個入りを2パックで送った方が、使い道に便利か聞こうと思って」と。父が亡くなってから特に気遣ってくれる叔母。「私もダンナを亡くしたとき、しばらくは体調崩して大変だったからね。大丈夫なの。家族がいるんだから気をつけるんだよ」
 昨日は娘夫婦と岩見沢の健康ランドに行ってきたとか。
 こうして、甥っ子を気にして電話してくれる叔母がいることに心から感謝。
 
 通勤の行き帰り、ZUZU(安井かずみ)のCDを聴く。ウーン……。たった1枚しかLPを出さなかった理由がわかるような気がする。名作詞家、必ずしも名歌手ならず。かまやつひろし作曲の「プール・コワ」がジェーン・バーキンの「ジュ・テーム」風で、聴かせるが……。沢田研二作曲の「ビアフラの戦い」は1970年という時代背景がくっきりの作品。「血も涙も平和のためと人は言うけれど……その村は焼かれ ……あの人の命は若すぎたビアフラ」。

 昨日の稽古で腿が筋肉痛。階段の上り下りがツラい。帰宅したら、小5生も「足が筋肉痛」とか。思わず顔を見合わせて笑ってしまう。親に反発することの多い子供だが、同じ躰道をやり始めたら、急に同志的な感情が芽生えたようで。……てなことを書いてたら、高2娘も体育のテニス授業で筋肉痛とか。なんとはなしに笑える。

 
6月27日(日)快晴

 7.00起床。子供と2人で電車でS市まで。9.00から躰道稽古。いつもの半分の人数。道場仲間のYさんの父親が亡くなったということで、予定していた祝勝会は自粛・延期。

 12.00までたっぷり汗を流し、終わった時にはまたしても足腰がガタガタ。特にひざ関節に痛み。来月から正式に入門、9月には武道館で審査があるという。それまでにきっちり型を覚え、修練しなくては。

 祝勝会が延期になったため、子供を迎えに来た家人と3人で家路に。PM1.30着。途中で昼食。

 2.15帰宅。やや頭痛がするため、横になり、土屋隆夫「物狂い」残り数十ページを読了。87歳の土屋氏。その第一作に還流する作品。舞台を現代にしながら、作者の生まれ育った「昭和」の匂いが色濃く反映する。どのような時代になっても、作家の中に流れる時代感覚が作品の通奏低音となるものだ。
 
6月26日(土)晴れ

 マチネで紅王国を見に行こうと思ったが、仕事がたてこみ断念。沢村小春を十数年ぶりに見たかったのだが……。
 
 PM4、退社。

 PM6・30、下北沢。ディスクユニオンで安井かずみが1970年に出した唯一のレコード「ZUZU」の初CD化を購入。村井邦彦、かまやつひろし、沢田研二らが彼女に曲を提供した「幻の名盤」。


 PM7.30、駅前劇場で劇団ポツドール「激情」。劇団初見。

 「リアル」を追求する劇団ということで、その方法論が公演のたびに物議を醸していた。これまでの舞台を収録したDVDを見ると、「本気で殴る・蹴る」「オールヌードになりセクシャルな行為をする」「劇団員の日常を舞台に持ち込み、プライベートなことで女優を責め、泣かせる」「ラブホテルを舞台にした公演では本気の男女の絡みを見せる」etc。

 演劇で「リアル」を追求すれば、一方で青年団のような演劇的セリフ術を排した「日常的セリフ回し」というメソッドが生まれ、一方で、このポツドールのような「肉体のリアル」が喧伝されることになる。

 小学生の頃に読んだ貸本マンガの中で、腹切りショーを得意とする珠儒(こびと)がサーカスの綱渡り少女に恋したが、少女の心ない一言「ウソの腹切り……」を聞いて、舞台で本当に腹を切ってしまうシーンが強烈に残っている。子供心に、珠儒と美少女という取り合わせに異様なエロチシズムを感じたこともあるのだろうが、虚構と現実の境界とは何かと考えた最初の記憶かもしれない。

 で、ポツドール。今回は(その方言から)どこか東北の田舎町が舞台らしい。両親が亡くなり、借金を背負った息子。中学時代の友人の助けでその借金返済をしているが、役場の女子事務員と不倫関係にあり、いつの間にか同棲することに。その家を舞台にしたさまざまな人間関係が「リアル」に描かれる。冒頭からして、不倫関係の二人のベッドでの濃厚なカラみ。

 前半は青年団ばりの「静かな演劇」。後半はリアルな性描写あり、本気の殴り合いありのポツドール芝居。
 今回は割合「ドラマ」っぽい作りにしており、ウソを排した「リアルな演劇」「セミドキュメント」の方向性がいまひとつ不明確。
 虚構の力で現実原則を転覆させようとした初期天井桟敷は、市外劇などを通して、虚構を武器に平穏なる市民生活を脅かし、その平穏な日常の裏の虚妄を暴こうとしたが、舞台で「リアルさ」を追求するポツドールは何を目指すのか。他人の私生活=日常を「覗き見」しているかのような舞台作り。観客席という安全圏に住む客を「現実」に引きずり出そうというのか。その「リアルの追求」の意味は、この舞台を見た限りではよくわからない。演劇に手を染めた人間が、「演劇的リアル」に「日常のリアル」を持ち込もうとする衝動はわからないでもない。しかし、そこにあるのは「演劇」なのか……。


 9.20終演。カーテンコールもなく、即座に観客に退出の指示。立ち見も出る盛況で、確かに退出に時間がかかるのだが。

 11.30帰宅。
6月25日(金)雨

PM4.00、銀座マリオン。ピカデリー2で「21グラム」。前売券を買いながら、ここでの上映は今日まで。見逃すところだった。客席まばら。30人ほど。

 夫、娘2人と幸せな生活を送っている女性(ナオミ・ワッツ)。刑務所とシャバを行ったり来たりし、今では信仰に救いを求める男(ベニチオ・デル・トロ)。妻と2人の幼い子供がいる。そして、心臓移植をしなければ、余命1カ月の大学教授(ショーン・ペン)。妻は人工授精で彼の子供を宿そうとしている。その3人の運命が、ある交通死亡事故をきっかけに交差する。
 21グラムとは人の命が消えるときに誰でもが等しく失う重さなのだとか。
 時間と空間をバラバラに分解し、過去と現在を交錯させる手法は観客を惑乱させるが、ジグソーパズルの最後のピースがピッタリと納まるように、次第に終幕へ向かって収束していく編集は見事。家族の死の知らせを電話で受けるナオミ・ワッツの表情の変化の素晴らしさ。3人の演技を見る映画でもあるが、子役の演技がまた素晴らしい。特に男の息子の演技はアカデミー賞もの。

 PM7、代々木八幡。白寿ホールでパトリック・ズュースキント作「コントラバス」(演出=西川信廣)。キャラメルボックスの西川浩幸の一人芝居。

 1981年に西ドイツで初演された人気戯曲とか。
 オーケストラの一員としてのコントラバス奏者が、指揮者への嫉妬やプリマドンナへの恋心など、胸に秘めた心情を告白していくモノローグドラマ。

 オーケストラの中でも、地味でなかなかやりたがる人がいないというコントラバス奏者に、社会の階級や、人間関係の縮図を投影したもの‥‥とはいうが、単なるひがみ根性男の愚痴にしか聞こえないのはなぜ? 恋するプリマに声もかけられず、わが身の不運を嘆き、コントラバスを彼女に見立て、愛撫する男‥‥。ウーム。

 8.50終演。雨の中、家路を急ぐ。10.00着。


6月24日(木)晴れ

 PM7、新宿。厚生年金会館で三上博史主演のロックミュージカル「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」

 いつにもまして女性比重が高い客席。男の姿を探すのが困難なほど。

 開演予定5分後に、客電が落ち、舞台にミュージシャンがぽつりぽつりと登場。
フードをかぶったきゃしゃな人影が上手舞台から現れ、ハスキーな声でMC。これが三上?‥‥と思いきや、次の瞬間、客席下手側扉が開き、逆光の中に異形のコスチュームに身を包んだ人物が滑り出る。客席は一挙にヒートアップ。三上博史だ。

 ブロンドのウィッグ、背中に巨大な角、ミツバチのように膨らんだ腰周り、顔には薄いベールーー見事なドラァグクイーンぶり。ステージに駆け上がると、ベールを取り去り、いきなり激しいロックナンバー。客席総立ち。まるでロックコンサート。

 舞台はヘドウィグが住むロフト。後方に大きな扉があり、そこに歌詞やヘドウィグの生い立ちを投影する。時々、ヘドウィグがその扉を開けると、まぶしいライトが射し込む。彼の元恋人のライブの幻影。

 1960年代、東ドイツの少年がロックシンガーになることを夢見て、西側に渡るため、アメリカ兵との結婚を決意。性転換手術を受けるが、手術ミスのため、股間には「怒りの1インチ(アングリーインチ)」が残ってしまう。それでも、母の名前“ヘドウィグ”を貰って渡米。音楽活動をするが、米兵とは離婚、17歳の少年との出会いに心ときめかすが、彼にも裏切られ‥‥という波乱万丈の半生。

 これを、三上博史がアドリブ交じりのMCと歌で演じていくのだが、半端なロックミュージカルが裸足で逃げ出す猥雑さと美しさ。三上博史の独壇場。いつぞや「またライブをやりたいんですけどね」と語っていたが、これこそまさにロックと芝居の幸福なる融合。2時間10分、ノンストップで走り続ける三上博史のMCとボーカルに陶然。こんなロックミュージカル今まであっただろうか。
 三上博史のステージングを手放しで讃えたい。とてつもない鉱脈を発見したものだ。

 「ウィッグ」を禁止されていたバンドメンバーのイツァークが最後に目もくらむドラァグクイーンとして登場、この蝶への変身もお楽しみ。演じるのはエミ・エレオノーラ。ロックバンド「デミセミクエーバー」のボーカルで、女優、モデルとしても活躍する美形。その存在感に、冒頭から釘付け。

 煙草片手にカーテンコールに登場する三上。二度目のカーテンコールで演出の青井陽治も登場。三回目のアンコール要請で、ようやくバンドを従えて一曲。パルコ劇場ではできなかったであろう、バンドの音量も最大。PAの衝撃波が体にまともに当たる。つんざく音がもろに耳を突き刺す。案の定、帰り道は耳の中がミツバチ状態。耳鳴り悪化。
 11.00帰宅。

 ヒトクローン胚容認。「倫理か科学の発展か」ーー現代医学では困難な難病治療に道を開くことができるとすれば‥‥。倫理的には反対しなくてはいけないのだろうが……。

 参院選公示。毎日新聞夕刊は、「小泉政治の信任問う」の大見出し。そして、小泉政権発足からこの3年間の推移をグラフに。

東証株価=1万3973円→1万1580円。
重要犯罪=2万1530件→2万3971件。
倒産件数=1万8926件→1万5790件。
国・地方の借金=646兆円→695兆円。

 この数字を見れば、「小泉改革」の実態がわかろうというもの。それでも、「政治の形が変わりそうだから」と支持する人たちがいるのだから……。
 
6月23日(水)晴れ

 終日蟄居。カセット&ビデオのデジタル化に専心。
 渋谷で発砲事件。イラクで拉致韓国人の斬首、小6生の男児突き落とし‥‥暗いニュースばかり。

6月22日(火)晴れ

 PM5、銀座。書店で土屋隆夫「物狂い」(光文社)、鶴見俊輔「夢野久作 迷宮の住人」(双葉文庫)購入。土屋隆夫87歳、日本ミステリー大賞受賞後の初書き下ろし。現代を舞台にし、携帯電話やら今時の風俗が登場しながらも、文章の肌触りは、のどかな1950年代の人情・風景を彷彿とさせる。血なまぐさい事件が描かれようとも、旧き良き時代のミステリー。心が安らぐ。

 鶴見俊輔の著書は1990年に出版されたもの。62年に「思想の科学」で、夢野久作再評価のきっかけになった「ドグラマグラの世界」を著した鶴見ならではの鋭い洞察力で、久作とその父、右翼の頭目・杉山茂丸の思想の系譜を解き明かす。

 久作の息子・龍丸が中学生の時、父・久作に連れられて大宰府天満宮そばの観世音寺を訪れた際、目の前に大黒様の木像があった。それは貧しい百姓の姿で、大地をうつむき加減に見て、悲しそうにしている。久作は息子・龍丸に「これが大黒様の本当の姿だ。しかし、これは単に大黒天のみではない。これは日本の昔の天皇の本当の姿だ。日本の天皇は、本来百姓農夫だったのだ。これをよくおぼえておけ」
 と、いつになく厳しい態度で言った。

 当時、天皇は軍装をした大元帥のイメージが世の流布されていたから、龍丸は非常に驚いたという。

 右翼の巨魁・頭山満と刎頚の契りを結んでいた茂丸にしてから、「古事記の中の天御中主命(あめのなかぬしのみこと)は猿群の中のボス猿のようなもの」と公言していた。つまり、天御中主命の子孫である天皇も「猿」だと言ったわけで、美濃部達吉博士の「天皇機関説」に対しても、「天皇制を学問、機構政治学的に見れば、それは正しい」と語ったという。夢野久作の中にはこうした父祖の破天荒な思想が脈々と受け継がれていたのだろう。

 電車の中で寺山修司「思想への望郷」(講談社文芸文庫)を読む。
三島由紀夫、鶴見俊輔、吉本隆明ら文学、思想界の巨人との対談集。やや控えめな口調ながら、若き寺山の才気が相手を圧倒する。

 三島が新左翼、とりわけ赤軍派を、「政治的な言葉と文学的な言葉を混同している。彼らは政治的な言葉を文学にすりかえてしまう。それは破綻だ」との発言をしていることについて、「しかし政治的言語と文学的言語の波打ち際をなくしてゆくという、わけのわからない乱世のなかにおもしろ味があるんですよ」と寺山が反論。
 三島が「それでは文学も駄目になるし、政治も駄目になると思うんだよ」といえば、寺山は「両方だめになってもいいんじゃないかって感じがあるんですよ」と笑いながら答えている。

 偶然性が嫌いという三島が「芝居は必然性のワナ」と言い、「必然性というのも、偶然性の一つです」と寺山が切り返す。丁々発止の対論の醍醐味。

寺山「三島さんは”おれは江戸っ子だから電車なんて認めないんだ”と言って、電車に正面衝突して轢かれながら”電車はない!”と言って死んでった人のエピソードを知っていますか?」

 この数ヵ月後の三島の死を予言したかのような問いかけ。


 PM7、千石・三百人劇場で昴「コリオレイナス」。

 紀元前5世紀の古代ローマ。食糧危機を契機に貴族に対する民衆の暴動が多発。それを押さえつけ、隣国の侵略に立ち向かい孤軍奮闘、これを撃破する武将ケイアス・マーシャス。凱旋後、コリオレイナスの称号を与えられるが、持って生まれた傲慢で残忍な性格のため、人々から恐れられ、執政官に推挙されるも、護民官の策謀により国外追放となる。しかし、好敵手オーフィディアスのもとに身を寄せ、復讐を誓い共にローマに攻め入る。だが、彼の愚直で直情径行な姿勢はオーフィディアスの疑念を呼び、やがて身を滅ぼすことになる。

 33年ぶりの上演ということは前回は1971年。70年安保の余燼くすぶる時代。もちろん、訳者・福田恆存もバリバリの右派文化人として活躍中。シェイクスピアの作品の中でもマイナーな作品がなぜ福田によって上演され、以降、33年も封印されてきたかの理由がわかるような気がする。
 つまるところ、この舞台は単純な衆愚政治=大衆批判としか見えないのだ。

 コリオレイナスを敵視する民衆たち、その代弁者・護民官は高邁な理想を持つことなく、自分の生活と保身に汲々とする生活保守主義者にほかならない。しかし、それに対抗するコリオレイナス自身も短気な武闘派にしか見えず、母親の涙によって、ローマと和睦する線の細さと思慮のなさはもう救いようがない。

 大衆批判の道具として上演したものの、コリオレイナス自身にもさしたる魅力があるわけじゃない。その中途半端が33年間のブランクを生んだのだろう。

 で、今の時代に上演される意味はなにかといえば、やはり「衆愚批判」なのだろうが、粗暴で単純な男・コリオレイナスがどこかの首相に見えてしまうのも皮肉な話。
 ビジュアル、俳優の演技を楽しむだけの舞台か。9.50終演。11.30帰宅。

 自民党の選挙スローガン「この国を想い この国を創る」もマッド・アマノ氏の手にかかればこう変わる。「あの米国を想い この属国を創る」

6月21日(月)雨後晴れ

 台風が九州方面上陸。朝から午後にかけて強い雨。夕方には晴れ間。

 PM7、渋谷「クラブ・クアトロ」でイベント「極彩色美人ノ宴」。奥村愛子、ミス・ゴブリン、ドーリス、ジムノペディの4組が出演。この顔合わせはかなりスリリング。

 開演15分前、受付を済ませ、ロビーにいたレコード会社Mフォースのk泉さんと立話。ドーリスの事務所のT氏と半年ぶりの邂逅。

 ライブが始まったのでホールに行くと、立錐の余地もないほど若い観客でびっしり。

 まずは奥村愛子。上り調子とあって、ホーンセクションを従え、豪華な音作り。23日発売の新譜から数曲。最後は「いっさいがっさい」で締め。歌唱力は抜群。ただ、まだ認知度が低いのか、客の体が暖まらないためか、会場のノリはイマイチ。

 次いで、ミス・ゴブリン。初期の神田川風フォークソングのイメージしかなかったので、ギンギラのコスチュームとドハデな演出にびっくり仰天。MCの構成、選曲、アレンジ、衣裳ーーすべてに計算され尽くした舞台。DJは高浪敬太郎。「哀愁列車」「さよならはダンスの後で」「憧れのハワイ航路」など懐メロを大胆にアレンジし、ブルース・リーやらハワイアンダンサーが脇を固め、まるでワンマンショー。会場はそのド迫力に唖然呆然大爆笑。もともと演劇畑の人たちなので、エンターテインメントなステージングはお手のもの。これだけやられると次の出演者がやりにくいのでは……と思ったが、3番手のドーリスは粋な浴衣姿で登場。イロモノの後だけに、正統派のライブがかえって際立ったようだ。会場の暖かい拍手にニッコリ笑顔。バックのサポートメンバーも全員浴衣姿。ドーリスのジャズギターを初めてナマで鑑賞。

 後方でスーツ姿のオタク風若い男2人が「声が細いんだよな」「惜しいなぁ」「奥村、案外人気ないじゃん」と聞こえよがしにブツブツ。さらに、「ここの連中、マナーが悪いよ。自分の贔屓じゃないバンドの演奏の時におしゃべりしてるんだから」「ライブ慣れしてないんじゃないの」と、エラソーな物言い。おいおい、君たち、「マナーが悪い」のは君たちじゃないの。……ったく自分のことを棚に上げる連中はどこにでもいる。

 トリはジムノペディ。始まる前に、観客がどっとステージ前に押し寄せ、ノリノリ状態。ナオミのMCも余裕が出てきたようで、ヒメゴト花火、ジェリー、サリエリといった聴かせどころで観客の心をガッチリつかみ、最後はアンコールで一番人気の「13」を。
 アンコールの声が会場にこだましたときには、我が事のように感動。

 終演10.15。楽屋に行って小林氏とナオミに挨拶。新譜は9月予定とか。「まだ、全然曲ができていないんですけど」と小林。ライブの予定も当面はないというが、そろそろワンマンライブができるのでは。同じ部屋にドーリスが居合わせたので、彼女に挨拶。去年の暮れ以来。明日から仙台、青森など東北へのプロモーションツアーが始まるとか。
 ドーリス、誰かに似ていると思ったら、若い頃の内田あかり(大形久仁子)だ。

 K泉さんに別れを告げて外に出ると雨も上がり、生暖かい風。ライブの熱気さめやらぬまま、家路へ急ぐ。11.50着。

6月20日(日)快晴

 7.00起床。電車でK越市まで。駅からタクシーで10分。運動公園の中にある総合体育館へ。躰道の県優勝大会の応援。10.00到着。すでに予選が始まっており、高校生を含む一般出場者が2つの体育館で「型」と「実戦」の競技を繰り広げている。
 S市支部の先生方も審判や役員として活躍中。顔見知りの道場仲間に挨拶。会場を移動しながら支部の出場者の観戦。

 昔、大相撲に熱中していた頃は、土俵下で出番を待つ力士のその日の表情とちょっとした体の動きで勝敗が見えたものだ。躰道も、門外漢ながら2年ほど稽古を見ていれば、自ずと選手の実力がわかるようになる。控えの席で競技を見つめている選手の目、座り方、落ち着きぶりを見ると、その人の実力の程度がよくわかる。審判の判定も自分と同じ。気づかぬうちに目が養われていたようで…。

 今日は「父の日」。家族がイベントを楽しみにしているので、お昼過ぎには帰ろうかと思っていたが、S市支部の仲間が次々と勝ち進み、午後の優勝決定戦まで持ち越したこともあって、今しばらく観戦。そのうちカメラマン役を頼まれ、帰るに帰れず。結局午後5時の閉会まで観戦することに。大会の結果は新人、個人、団体とも種目別で支部が優勝。なるほど、実力のある支部だったんだ。
 ただ、壮年の部の「型」は出場選手4人だけ。それも同じ支部の人たち。人数が少ないのはちょっと淋しい。

 学生主流の一般実戦試合では試合着の下に薄い防具をつけただけで、面も下腹部もプロテクターなし。そのため、突きが下腹部に入ったり、蹴りが首筋にあたったりの場面も。支部最強の大学生I黒さんが突きを下腹部に食らって苦悶。勝気なI黒さんがしばらく立ち上がれないのだから相当な衝撃だろう。もちろん、「目標不正確」で相手は失格。

 しかし、躰道の試合は見ているだけで面白い。野球とかサッカーなどの集団競技はすぐに飽きてしまうけど、個対個、個対集団の格闘技、テニス、卓球などの個人競技は見ていて飽きない。特に、躰道は常に特有の脚運びをしなければ減点になるし、ジャンプ、側転、宙転と、スピ−ディーな動きを伴うため、まったく飽きがこない。

 PM5.15、最終試合が終了。閉会式を失礼して、一足先に家路に。運動公園前の軽食屋さんでタクシーを呼んでもらう。バスが1時間に1本通るだけ。市内から離れすぎて寂しい場所。
 玄関前で、白髪の店の主人が、友人らしき男性に「このままじゃ、もうどうしようもないっての。今度は小泉に思い知らせてやらないと……」と、吐きすてるようなセリフ。参院選の投票のことらしい。こんな所で小泉内閣批判を聞くとは思わなかった。もしかしたら、支持率に現われない、小泉内閣への怨嗟の声が国民の間にマグマのように沸々とたぎりつつあるのでは。本当にそうなら、参院選の結果が楽しみだが。

 7.00帰宅。食卓は「父の日」用にお寿司。3人からそれぞれプレゼントをもらい、なんとなくこそばゆい。ただ、今年はもらうだけで、贈る人がいなくなったのが淋しい。毎年、何を贈るか悩んだものだが、その悩みも思い出になってしまう。

 夕食後、心地よい酔いに身を任せ、早めに就寝。しかし、蒸し暑い夜。輾転反側、何度も目が覚め、熟睡感なし。寝不足のまま朝を迎える。

6月19日(土)快晴

 土曜日なので、いつものように6.00の直通電車で会社へ。ほとんど乗客なくラクラク座って行けるのがうれしい。

6.50着。仕事。PM2.15まで。PM3、中野。ザ・ポケットで劇団離風霊船「渚家にて」。

 開演前に隣席の写真家・M内さんと雑談。「今は劇団の舞台写真は月一くらい。舞台に足を運ぶのは週3」とか。

 さて、本編。舞台は中東の某国。砂漠の中に建つ一軒の家に暮らす日本人家族たち。その家を窺うのは迷彩服のグループ2組。一方は北海道警の男性警官、一方は警視庁の女性警察官たち。彼らの目的は人質奪還。しかし、「人質」になっているはずの彼らは犯行グループが逃走したにも関わらず、そこに止まり、擬似家族を形成している。彼らは「NGO体験ツアー」のメンバー。添乗員は「日本はすでに核戦争で滅んだ」と流言して、一行をこの地に止まらせている。なぜ彼らは日本への帰国に怯えているのか。

 タイトルは核戦争後の世界を描いたスタンリー・クレイマーの名作「渚にて」のパロディーだが、仕上がった作品はイラク戦争での日本人人質事件がモチーフ。人質バッシングへの大橋泰彦(作・演出)の義憤をそのままストレートに作品化したものといえる。家族からも社会からも疎外され、唯一「NGO活動」の擬似体験に一縷の希望を託した主婦や学生たちが、先に帰国した人たちへの「総バッシング」を知り、帰国に恐怖する。派遣された警官たちに課せられた秘密の命令は彼らを抹殺すること。海外で一般の日本人がゲリラに殺されたことにして、国民に憲法改正の機運を醸成しようというもの。

 ……と、舞台としてはいたってベタな展開。最後のヒネリも定形通り。作者の怒りと悲しみは痛いほど伝わるが、それをダイレクトに戯曲にしても作品として成立させるのは難しい。このところ、若手の女優陣が充実しているが、高橋克実の抜けた穴は大きい。

 PM4.40終演。新宿へ。
 タワーレコードで1時間ほどCD物色。プシンのシングル「ソルジャー」、AIの新アルバム「2004AI」を購入。

 PM7、紀伊國屋ホール。扉座「新浄瑠璃 百鬼丸」。手塚治虫の原作「どろろ」をどのように舞台化するのか興味津々だったが、横内謙介は能、浄瑠璃、説教節の要素を舞台の主旋律とし、それに小劇場的な笑いの味付けをする。舞台の袖にはガムランのような東南アジアっぽい打楽器を配し、役者が交代で演奏する。舞台は幽玄を表現するため、セットがほとんどなく、素の舞台。

 語りと演技、パフォーマンスがバランスよく絶妙に配され、思いがけない収穫。

 単純な「魔物退治の冒険」ではなく、百鬼丸の自己回復の物語と位置付け、肉体を取り戻しつつある百鬼丸を、物語中盤まで「おくるみ」のままとしたのがいい。そのため、百鬼丸の心の声、剣を操る影というニ体の分身が登場するが、このアイディアもなかなか。
 肉体、精神、心ーー三者の分離と統合を的確に表現できる。

 さらに「どろろ」を原作の「女の子」にせず、戦乱で妻子を亡くした百姓男にしたのもよく練られた設定。母の涙で生命を救われたものの、その母に裏切られる百鬼丸の苦悩と葛藤。まさしく、「身徳丸」など説教節につながる新浄瑠璃。構成・演出・役者ともに抜群の出来。どろろを演じた山中たかシがまるで手塚マンガの中から抜け出たような百姓男を好演。

 9.10終演。10.30帰宅。
6月18日(金)晴れ

 松下竜一氏の訃報。常に身を市民の側に置き、個人の尊厳のために権力や権威と闘った作家であり、市民運動家であり、真の意味のジャーナリストだった。反原発の市民運動家としても有名だった。まだ67歳。早過ぎる。三紙の中では毎日が一番大きくスペースを割いている。「豆腐屋の四季」の主演、緒方拳は「家にお邪魔して、一緒にビデオを見た想い出がある。顔が似てると言われた」。佐高信氏は「希望の星だった」とのコメント。

 木で鼻をくくったように経歴を連ねているだけの朝日、読売の冷淡さ。小泉首相の「人生いろいろ」発言の時も、毎日は大きく見出しに取り、そのふざけた対応を批判していた。それに比べて、朝日は無批判に首相の発言をたれ流しただけの記事。右傾化する朝日新聞を象徴する「扱い」だった。翻って、小泉政権批判の論陣が目立つ毎日新聞の気骨ぶりは際立っている。ジャーナリズムの原点は時の政府の監視。毎日新聞の頑張りにエールを送りたい。ただ、今朝の中面は皮肉にも核燃料サイクル計画を推進する「日本原子力文化振興財団」の全面記事広告。「経営」と「ジャーナリズム」の葛藤。「経営」は時としてジャーナリズムのアキレス腱となる。

 PM4.50、Sシネマで「シルミド」を観る。金日成暗殺のために、養成された特殊部隊「684部隊」。死刑囚や重罪犯31人がシルミ島で猛訓練を受けるが、決行の直前、中止命令。韓国政府の外交政策の変更により、金日成暗殺計画はひそかに葬られる。「684部隊」の存在は政府にとって邪魔な存在となる。684部隊訓練兵の抹殺、それが指揮官に下った政府からの指令。3年間の過酷な訓練で、訓練兵と指揮隊員には互いに「友情」めいたものが芽生えていたが、両者は互いに存亡をかけて戦うことになる。祖国に見捨てられた「684部隊」は島を抜け、大統領に直訴するため青瓦台へと向かう……。

 最近の韓国映画はなんとすばらしい作品を生み出してることか。ハリウッド映画にも負けないスペクタクルと緻密な人間描写。こんなのを見せられたら、ステロタイプな日本映画など恥ずかしくて見られたもんじゃない。父親が北に亡命したため、子供の頃から辛酸をなめつくし、ヤクザとなった男=684部隊第三班長を演じたソル・ギョンク、そのライバルで最後は無二の同志となるチョン・ジョエン、空軍准尉で訓練兵を統率する指令官アン・ソンギ、その部下で冷徹な顔を見せながら、684部隊抹殺に反対するホ・ジュノ。役者が皆精悍で、いい顔している。リアリティが違う。

 国家によって名前を奪われた男たちが、最後に血のりでバスの壁に自分の名前を刻むシーンで、たまらず滂沱の涙。71年に韓国・仁川で起こったバスジャック事件は記憶にあるが、それが歴史から抹殺された「684部隊」の悲劇だったとは。歴史の闇を白日の元に引き出し、国家により抹殺された31人の囚人たちの名誉を回復させたのは、金大中政権になってから。一党独裁が続く日本で同じことが起こったとしても、真相が明らかになるのは夢のまた夢。
 
 コイズミ首相は閣議で多国籍軍への自衛隊の参加を決定。国の将来に関わる重大事を閣議決定で済ませる政府も政府だが、他人事のような大マスコミの論調はもっとひどい。

 福島・矢祭町の小学生たちが衆院見学。「議員の紹介がないと見学させない」と国にイジワルされていたが、衆院事務局が例外を認めたため実現したもの。国の町村合併推進に反対し、「合併しない宣言」を出し、住基ネットにも不参加を表明していた矢祭町。それが気に入らないため、小学生の国会見学まで拒否した自民党。おとなげないというより、究極の幼稚さ。

 そんな人たちが決めた年金法が施行されれば、企業の年金負担が増加し、さらにリストラが加速する。年金負担しなくていいように、正社員でなくアルバイト、パートを採用する企業が増えるだろう。となれば、年金を払う人が少なくなるわけで、年金制度なんぞ、根底から崩れてしまう。ヤな世の中。


 早風美里の「グッド・ナイト」。松尾和子を髣髴とさせるボーカル。昭和歌謡の名作だとか。
 
6月17日(木)晴れ

 PM3.00、K記念病院。診察と鍼。

 7.00帰宅。お世話になった田舎の友人に手紙と宅配便。

 夕食前に飲んだビール&焼酎割りが効いたのか、ホロ酔い気分。パソコンでカセットをデジタル化。長谷川きよしの深夜放送が入っているカセットテープ。20歳の頃か。たまたま自分の投稿が読まれたので、あわてて録音ボタンを押したため、途中からだが、唯一残っている深夜放送投稿の記録。思わず子供たちに聴かせてしまう。こんなことをしたのは初めて。
 家人と、自分たちのお墓の話になったり、気になっていた友人へ手紙を書いたり、今夜はやけにノスタルジック。もしも、明日自分に何かあったら、「やっぱり虫が知らせたのかしら」とでも言われるのだろうか。

 16日、メリルリンチ日本証券が個人資産家報告書を発表。

 不況で職のない人があふれているというのに、日本で個人資産1億1000万円以上の富裕層は前年比5・8パーセント増の131万2000人。なんと7万2000人も増えたという。これは全世界の17パーセントとか。全世界人口を100人とすれば17人が日本の億万長者?
「あるところにはあるもんだ」とはいうけど……。しかも、これは不動産を除いた資産だというから、もうビックリ仰天。貧富の差はますます広がる。

 アメリカの元外交官、退役軍人ら27人がワシントンで記者会見。ブッシュ大統領の再選阻止を訴える声明を発表した。「大量破壊兵器についての不確かな情報をごまかして、イラク侵攻を正当化した」「ブッシュは世界の指導者の責任を負えない」
 メンバーは民主党・共和党を横断し、レーガン時代に任命された元外交官も含まれるという。アメリカ民主主義の懐は深いというわけか。日本では時の政府に歯向かう気概のある外交官は天木直人氏しかいないわけで……。

6月16日(水)快晴

 8.30起床。10.00、家人の付き添いでK市立病院へ。病院に行くといつも暗澹たる気分になる。できることなら、二度と足を踏み入れたくない場所。

 待合室で5時間待って診察15分。帰宅は4.30。半日、病院の待合室の椅子に座り続けたので、持って行った香納諒一の「幻の女」を読み終えてしまう。どうも、この小説、とっつきが悪い。「幻の女」の過去に関わっていく主人公の内的必然性が弱過ぎるのだ。

 暑い一日。部屋に入ると熱気でムッとする。今夜は寝苦しい一夜になりそう。
6月15日(火)快晴

 PM4.30、渋谷。HMVでCDチェック。パルコ地下のロゴスギャラリーで開催中の「アングラポスター展」。黒テントの「翼を燃やす天使たちの舞踏」ポスターを眺めていたら、出演者に安田南の名前が。彼女のアルバム「サム・フィーリング」の作詞が佐藤信ら黒テント陣だった理由がわかった。彼女自身、黒テントに女優として出ていたのか。知らなかった。調べたら、西岡も「翼を燃やす天使たちの舞踏」にミュージシャンとして関わっている。「プカプカ」は彼女をモデルに作ったものという説は知っていたが……。原田芳雄と安田南は養成所仲間。原田芳雄が「プカプカ」を持ち歌にしていた理由もそれで繋がる。「サム・フィーリング」は7月に再発されるとか。

 天井桟敷の実況レコードに10万円の値札がついているのにびっくり。80年代上演芝居のチケットの半券47枚セットで9万円! 買う人がいるのか?

 タワーレコードに行ってラヴ・タンバリンズの初期EPを収録した「ラヴ・パレード」購入。エリの圧倒的なボーカルは時代を超えて輝やきを放つ。エゴ・ラッピンの中納良恵が賛辞を寄せるわけだ。

 PM5.30、下北沢へ。回転寿司で食事。ヴィレッジ・ヴァンガードを探検。欲しいものだらけで、逆に購買意欲が失せる。

 PM7.00、本多劇場で流山児★事務所「続・殺人狂時代」(鐘下辰男・作、流山児祥・演出)。

 客席に向かって張り出し、傾斜のあるいわゆる「八百屋」舞台。後方に人が通れる小さな「穴」。東京地下にある秘密部屋と外部をつなぐ出入り口という設定。その上方にシャワーが並んでいる。

 ナゾの組織「戦場委員会」の「あなたも人を殺してみませんか」という募集に釣られて集まった10人の男たちが、ここで武闘訓練を行っている。元傭兵、教師、高校生、自衛官、ジャーナリスト……。「かったるい平和」「平等というウソ」ーー偽善に満ちた世界に飽き飽きした男たち。

 命令を受けて、4月28日、占領軍による日本統治からの「独立記念日」に、GWで賑わうデパートを占拠し、ある要求を政府に突きつけようとする。しかし、何者かの内通により、「敵」に決起情報は漏れていた。

 初演の際は、クーデター・革命を成功させるためのディスカッション・ドラマとして、実に見ごたえのある舞台に仕上がっていたが、今回はアクション劇といってもいい、まったく別な作品。イラク戦争を織り込んで、最終的な「決戦」を目指そうとする「戦場委員会」と、その思惑に踊らされる10人の男たちという、いささか図式的な構図ではあるが。

「多数決を認めない」「国粋主義を認めない」「マインドコントロールを認めない」「平和を認めない」「反戦を認めない」「グローバリズムを認めない」「日の丸を認めない」そしてなによりも「命を認めない」ーー生命至上主義こそ現代社会の怠惰のすべてと言い切る戦場委員会。この右も左も切り捨てたスローガンに説得力があるかどうかなわけだが、正直言ってこの肉体至上主義には違和感がつきまとう。

 力の弱った王を殺すことによって共同体を再生させる金枝篇の「王殺し」の儀式を日本再生の要にするという、いささか刺激的な台詞の応酬が今回の舞台のハイライトだろうが、果たして、若い観客がどう受け止めているか。

 「戦争に反対しない人はいない」と、どこかのパンフで鐘下辰男が語っていたが、それはあまりにもナイーブ。今や、「必然性のある戦争には賛成」が国民の多数を占めているわけだから。

 8.40終演。ロビーで流山児氏に挨拶。
 「カッターナイフ」はあの事件の後で取り入れたとか。
 その後、「ふるさと」3階で飲み会。
 松本祐子、伴美奈子、大谷亮介、観世栄夫ら。流山児の稽古場エピソードを身ぶり手ぶりで熱演の大谷氏に大爆笑。サービス精神旺盛な方。
 この前の新国立演出で使った1円玉が9万枚だったと松本さん。

 伴さんに積年の疑問を。
「江利チエミに似てると言われません?」
「その世代の方には、いつも言われるんです。自分でも日本髪にしたらもう瓜二つで」
 やはり、そうだったか。この話題を演劇誌などで見た記憶がないのは世代の違いか。
「そっくりさん」は数あれど、これほどそっくりな人は見たことない。声までソックリなのだから。

「でも、私が高校生のときに亡くなったので、あまり記憶にないんですよ」
「江利チエミ物語をやれば、って言われるんですけど」(笑)

 11.00、宴席を辞して店を出ると、塩野谷正幸とばったり。鈴木省吾らと別口からの帰還か。「もう、帰っちゃいます?」と塩野谷氏。ガッチリ握手して駅へ。

 なんとか終電セーフで0.15帰宅。

6月14日(月)晴れ

 PM4.30、仕事を終えて六本木へ。A川マキさんと待ち合わせ。マキさんのお気に入りの喫茶店「貴奈」。京都・精華大学でのミニライブを終えて帰京したばかりということで、ややお疲れの様子。それでも、7.00まで、あれこれよもやま話。60年代のポートレートを何枚か預かるが、当時のマキさんのなんとフォトジェニックなこと。「捨ててもいい写真ばかり」というが、もったいない。

 8.00。東武ストアでボイルイカとキムチを買って帰宅。イカをつまみに発泡酒を一本。キムチでご飯を一杯。無性にキムチが食べたくなったのは帰りの電車の中で昨夜のFMシアター「アリラン」(林海象・作)を聴いたためか。サブリミナル?

 10.00前に家族全員就寝。珍しい。

 花柳幻舟の著書読了。司法試験の勉強を挟んで復学した放送大学の卒業論文はマスコミ・ジャーナリズム論。自らの「刃傷事件」を詳細に検証し、人権とジャーナリズムの問題を鋭く総括している。彼女のプロフィールがいかに多くの予断と偏見で歪曲されたかがよくわかる。この本を読むまで、自分自身が同じ予断を持っていたことの不明を恥じる。70〜80年代、テレビ、舞台を通じて彼女の発言や振る舞いを見聞しながら、それは表層だけ。人間性の深奥までは理解していなかったのだ。故・羽仁五郎との同志関係のエピソードも興味深い。
6月13日(日)雨のち晴れ

 6.30起床。9.00〜11.30、躰道稽古。終わると足腰ガタガタ。PM1.30最寄駅着。家に帰る途中、Dイエーで子供と食事、ゾンビゲームを1回というパターン。帰宅後、頭痛がするので、イブを飲んで小一時間休息。

 久しぶりに「唐十郎・四角いジャングルで唄う」を聴いてみる。1974年に後楽園ホールで行った状況劇場のライブコンサート。唐、李、四谷シモンの歌声。ネットで検索したら、意外にこの実況盤の資料がない。T取さんが再発を企てたという情報があったので電話すると「あれはポシャっちゃいました」。原盤の権利関係が複雑らしい。ということは、幻のレコードか。
 次いで林美雄のパック・イン・ミュージックをデジタル化。1980年の録音。この日は60年安保特集。今まで気づかなかったがこの日、木下順二の放送劇「雨と血と花と」を放送していたのだった。60年安保の記録をもとにした作品。奇しくも放送されたのは第一次池田内閣発足の1960年7月19日だったという。滝沢修、山本安英、北村和夫など錚々たる顔ぶれが出演している。この中でも使われているラジオ関東の島アナウンサーの実況中継を毎年6月15日の安保の日に林さんはパックイン・ミュージックで必ず流していた。亡き林さんに代わって、ここでその実況放送を紹介したい。

6月12日(土)晴れ時々雨

 PM2、ル テアトル銀座で「暗い日曜日」。ハンガリー・ドイツ合作映画をもとにした作品。第二次大戦下のハンガリー・ブダペストを舞台に、一人の女性と二人の男の危うく微妙な三角関係を、自殺の聖歌「暗い日曜日」をモチーフに描いたもの。近藤正臣、吉野圭吾、元宝塚の星奈優里。近藤正臣も”老い”が目立つ年齢になったが、それでも若い二人に伍して清々しい演技。演出がテレビ朝日の松本健。舞台は初演出ということで、勝手が違うみたい。レストランを舞台に固定したために、暗転で場面転換するしかなく、集中力が途切れるのが難点。ナチス将校役の増沢望がいい。
 PM4.50終演。

 会社経由で三軒茶屋へ。パブリックシアタープロデュース「時の物置」。永井愛の作品を江守徹が演出。背尾河童の美術は昭和30年代の練馬の一軒家を忠実に再現。セットの豪華さに驚嘆。江守徹は原作の風味を損うことなくていねいに演出。安保翌年の庶民の生活の匂いが伝わってくる好舞台。テレビから流れる当時の番組の音がCMが多いのは、番組本編が残っていないせいもあるのだろう。夕方のシーンで「ホームラン教室の」音が流れたが、確か午前中の放送だったはず。
 PM9.00終演。三好氏と立ち話。11.00帰宅。

 電車の中で花柳幻舟著「小学校中退、大学卒業」(明石書店)を読む。幻舟さんといえば、家元制度に反対し、花柳流家元に斬りつけたことで有名。その罪で服役したのが1980年。出所後は、メディアで結構活躍していたはずなのに最近はほとんど消息を聞かなかった。最近のテレビ界の総保守化は彼女の居場所を完全に奪い去ったのだろう。

 この本は、幻舟さんが父を亡くした1994年、自殺を考えるところから説き起こされる。子供の頃から彼女の唯一の味方だった父の死は彼女にとってなによりも辛い出来事だった。旅役者の子として差別され、小学校を中退した彼女には常に学歴コンプレックスがつきまとった。それはまさしくトラウマであり、サインを求められるたびに、顔が紅潮し、手が震えた。弔問の時の記帳もまた苦痛だった。文字を間違えたらどうしよう。

 自分の名前を書くときでさえ、そんなパニックに襲われるのだから、日ごろの「勉強」「学校」への恐怖は察するに余りある。待ち合わせの喫茶店が英字の名前のため、それが読めずに探し回り、取材に遅刻したこともある。自殺を考えた幻舟さんは、「このまま死んだのでは世の中に負けたことになる。あの世で父親に顔向けができない」と思う。そして、そのトラウマを克服するために、放送大学に入学する。2、3年はかかるでしょうといわれたが、1年で卒業。今度は司法試験の勉強を始める。服役歴のある彼女は弁護士になることはできない。しかし、彼女は勉強する。気がつけば一日20時間机に向かっていたこともあるという。その努力のかいあって、司法試験の受験専門学校では名だたる大学の学生を押さえ、合格圏上位に入ったこともある。 
 
 いまだに英語は苦手で、単語を理解したり英文を解釈することはできないというが、社会学や法律への興味と理解は尽きることがない。「新・学問のすすめ」の副題通り、この幻舟さんの「知」へのすさまじい行脚は読む人の心を打つ。自殺を思いとどまり、学問への「復讐」を成し遂げた幻舟さん、エキセントリックだと思われがちだが、その表情は優しく、凛々しい。

 昔と比べ、勉強の環境ははるかに整っているのに学力低下が進む学生たち。幻舟さんの本を読むと、学問とはなんだろう、と改めて考えさせられる。

 
6月11日(金)雨

 PM2。「タルチュフ」の件で、退職したFさんから電話。俳優座の中野誠也氏とは荻窪の名曲喫茶「M」でよく会うご近所仲間とか。「今度、一緒に飲もうや」と。
 
 PM4、仕事を終えて会社の後輩たちと近くのボウリング場へ。3ゲームやってアベレージ131。4人が拮抗し、3ゲームトータルわずか3ピン差で、首位を奪われる。なかなか好ゲーム。

 PM6.00。六本木。松屋で牛焼肉定食。牛肉を食べるのは久しぶり。

 6.30、俳優座劇場で俳優座「タルチュフ」。周囲の反対を押し切って、偽善者タルチュフを聖人とあがめる一家の家長を襲う悲喜劇。最後は国王の使者が現れハッピーな大団円。周囲が皆、タルチュフを偽善者だと指弾しているのに、夫と祖母だけは最後までそれを認めようとしない。偽善者の一挙手一投足を逆読みする彼らは、まるでコイズミを改革者と崇める国民。中野誠也がタイトルロールを軽妙に演じる。わざと舌足らずな発声をするのは、最後に偽善の仮面を脱ぎ去るときの伝法な口調を際立たせるためか。立て込みなしの素舞台。しかし……俳優座は文学座に比べ、演出家の層が薄いのでは。9.00終演。10.20帰宅。

 
6月10日(木)晴れ

 PM2.30、劇団THBの制作Yさんとお茶。次回公演の情宣。
 
 朝、「バーゲン」で手に入れた大西ユカリ著「私のエッフェル塔」、家に帰るまでに読み終える。大西ユカリに限らず、女性に衣食住を語らせたら底なし沼。そこをセーブしてやるのが編集者。男にはあまり関心のない饒舌で終わっているのが惜しい。もっと角度を変えて森羅万象を語らせれば面白いのに。9割が「食べること」だから……。

 P4.10.K記念病院。6.00帰宅。

 今日のカセット・アーカイブス。岸田戯曲賞を受賞した直後の北村想のインタビュー。久米宏1975年頃のラジオ番組。いしだあゆみ「あの人は風の中」を繰り返しかける林美雄パック。早大雄弁会の「原子力発電を考える」街頭演説を紹介するこれまた林美雄パック。
 

6月9日(水)晴れ

 8.30起床。家人の付き添いで、K市立病院へ。夜間救急で来たことはあるが、昼は初めて。意外に大きな施設。会計も機械で自動会計。できることなら病院など二度と訪れたくない場所。しかし……。2.00帰宅。

 東京新聞の「筆洗」は、昨日公表された毎日新聞記者・御手洗氏の手記の結び「さっちゃん、ごめんな。もう家のことはしなくていいから……」を受けて、御手洗氏に「もう無理しなくていいよ、と言ってあげたい」と。

 ジャーナリストとしての責任感から、娘の死の直後に記者会見を行い、手記を公表するーーどれほど辛いことか。その心が今どこを彷徨っているかが痛いほど伝わってくる御手洗氏の文。
「ポジティブじゃなきゃだめだよ、父さん」
 同じことを、ついこの前、娘に言われたことを思い出す。

 真面目で責任感の強い方なのだろう。しかし、一人の父親として、心の限界がある。無理しなくていいですよ……。

 その遺族の心を逆なでするような暴言がなぜ頻発するかを同じ東京新聞が検証する。
 最近の暴言の数々。

1、「集団レイプする人は元気があるからいい」(スーパーフリー集団暴行事件で太田誠一・自民党行政改革推進本部長)

2、同じく集団暴行事件で、「酒席に来る女性も女性。夜の2時、3時だってどういうことになるか分かるはず」(森喜朗前首相)

3、長崎市男児誘拐事件で
「親は市中引き回しの上、打ち首にすればいい」(鴻池祥肇・防災担当相)

4、佐世保小6女児事件で、
「女の子がやったという、こういうのは初めてじゃないですか。男、女の差がなくなってきたんだね。ま、元気な女性が多くなってきたということですかね、総じて」(井上喜一防災担当相)
5、「カッターナイフで頚動脈を切るというような犯罪は昔は男の犯罪だった。私が若い頃は男の犯罪と女の犯罪はかなり違ったところがあった。放火なんていうのは、どちらかといえば女の犯罪なんですね」(谷垣禎一財務相)

 これらの暴言・放言はコイズミ内閣が安定政権になってから顕著になったという。

 コイズミ首相は井上発言に対しても「あまり言葉尻をとらえないほうがいいですよ」と答えている。軽率な発言に一応注意したものの、その真意は「未成立の法案がいっぱいあるんだから」と審議への影響を心配したもので、発言そのものへの苦言ではない。

 自ら、「人生いろいろ会社もいろいろ」と悪ふざけ答弁をしてぬけぬけと居直っているコイズミに最初からほかの閣僚に注意する資格もその気もないわけだ。ここまで国民をナメ切っている内閣が今まであっただろうか。「バカヤロー」の一言で国会解散した吉田茂の時代から見たら、議員の質の低下は目を覆うばかり。「人生いろいろ」発言に、自民党席から「いろ いろ♪」と節をつけて後押しした連中が大勢いたと聞いては開いた口がふさがらない。最低最悪な議員たち。

 東京新聞は「放火は女の犯罪」について、法務省法務総合研究所に問い合わせ、「2002年の放火受刑者は男性272人、女性38人」、谷垣財務相の”若い頃”(19歳当時)の1964年の放火受刑者も「男性333人、女性34人」という数字を引き出し、「放火が女性の犯罪という偏見」に一矢を報いている。

 「女性が強くなったから犯罪が増えた」という論理は「女性はおとなしく我慢し、裏に引っ込んでいろ」という自民閣僚の本音が透けて見える。
 もちろん、そんな発言を受け入れる国民が一番責任が大きいのは当然。一昔前なら、そんな暴言を吐いた議員のクビは翌日にはすっ飛んだものだ。

 PM4。家を抜けて、Mシネマへ。「下妻物語」。傑作の予感はあったが、これほどとは思わなかった。ロリータファッションの深田恭子と特攻服の土屋アンナ、二人のぶっ飛び友情・青春ストーリー。映像美、役者、展開とも完璧。こんなに愛しく思える日本映画は久しぶり。最後の見せ場で毛皮族の江本純子がちらちらと見え隠れ。結構おいしい役。
 今年の邦画ベストワンは確実。というか、これこそマイ・ベストワン。

 カセットテープデジタル化。今日は深作欣二監督が”田舎のダチ公の詩”を赤とんぼのメロディーにのせて朗読。その後、赤とんぼを歌う。伴奏とズレるとすかさず助け舟を出して、一緒に歌う菅原文太。これは、「歌う銀幕スター夢の狂宴」の一場面だったか。あがた森魚の「昭和柔侠伝の唄」を緑魔子に代わり、桃井かおりがデュエット。「あがたさんは桃井かおりよりも魔子さんが好きなんでしょう」と林美雄。同じテープに「ザット・ラッキー・オールド・サン」を歌う外国人(?)女性ボーカル。誰だったか。
6月8日(火)晴れ

 明け方、妙にリアルな夢を見ていた。

 道を歩いていると、白い乗用車が追い抜き、細い小路で左折したかと思うと、Uターンしてくる。危ないなぁと思って運転席を見ると見知らぬ中年女性。助手席にはこれまた見知らぬ男性。たまたま参道があり、そこを入ると、正面にお堂が見える。近づくと、大仏様と観音さまとお釈迦様が所在なげな様子。自分を見てなにやらヒソヒソ。人間よりやや大きめの仏さまたちが灰色のフィギュアのように、境内で歩いている様子は非常にシュール。もう一体、いたのだが、それが何だったのかは忘れてしまった。実に鮮明な夢。
 ……後から考えたら、昨日の映画で自由の女神が氷結したシーンが強く印象に残っておち、それが夢に現れたのだろう。

 PM4、退社。家路に。「シルミド」を見ようと思ったが、またしても眼鏡を家に忘れてしまった。仕方なしに帰宅。火曜日に予定なし。たまにはいいか。と思ったら、家人にMD録音を頼まれたり、用事多し。早く帰るんじゃなかった。

 小5の宿題。「人権について800字で考えをまとめよ」。頻発する殺傷事件を念頭に置いたものだろうけど、小学生にはちょっと難しくないか?

6月7日(月)雨

 PM3、MフォースのK泉さん来社。喫茶店でお茶。21日の昭和歌謡イベントの件。9月にGノペディの新譜が出るとか。

 PM4.30、Sシネマでデニス・クエイド主演の「デイ・アフター・トゥモロー」。切符を買ってから眼鏡を忘れたことに気づく。仕方なく、字幕が見えるように前列の席へ。地球温暖化によって北半球に氷河期が訪れるというパニックものではあるが、竜巻、大津波、寒波襲来ーーCGとわかっていても、その迫力に圧倒される。やはりこんな大掛かりなSFXは映画館で見てこそ。

 父子の絆を軸に、環境問題よりも経済を優先させるガチガチの保守派・副大統領が最後に「理解あるリーダーとして生まれ変わる」というサブストーリーを絡めたお約束のアメリカ流「民主主義映画」。しかし、メキシコの国境を越えてアメリカ難民が押し寄せ、それをメキシコが封鎖するというシーンや、巨大先進国が途上国の温情によって救われるという皮肉な展開は、ハリウッドの看板が竜巻で剥落するシーンが象徴するように、9・11以降のアメリカ保守派へのカウンターという気も。それにしても、このようなスペクタクル映画を観ると、CGも捨てたもんじゃない。やっぱり最後は監督のセンス次第だという気がする。

PM7.30帰宅。
 
6月6日(日)雨

 6.30起床。躰道稽古へ。3日目。主だった先生方がそろってお休み。大会が近いので、黒帯組は集中稽古。自分はNさんを相手に個人レッスンの趣き。3時間、たっぷり汗をかき、正午、稽古終了。

 隣の体育館では空手の団体の大会。躰道に比べて動きが直線的で無骨。躰道の優美さを見慣れると空手の動きはイマイチ。高校時代に、友人のTと一緒に近所の空手道場に通った経験があるので、最初は空手に比べて躰道は飛んだり跳ねたり、「軽い」という第一印象。しかし、長いこと稽古を見ていると、「円」を基本にした躰道の優美さに肩入れしてしまう。

 2時帰宅。過去のカセットテープのアーカイブス化。NHK銀河連続ドラマ「望郷の街」最終回が出てきたのでびっくり。1977年のドラマ。大学浪人中の風間杜夫が万年最下位の町のラグビーチームに入るが、ちょっとしたウソをついたために、騒動が起こる。ほとんど内容を覚えていないが、ラストの別れのシ−ンで甘酸っぱい思い出。わざわざテレビを録音して保存していたのには理由があったのだ。うっすらと当時の記憶がよみがえる。脚本は笠原和夫。「仁義なき戦い」の後か。

 そのテープの裏には大正デモクラシーを体現する社会主義者・荒畑寒村の肉声。東大・公開自主講座での記録ではない。どこかの公民館で行われた市民集会で録音したテープに違いない。「菅野スガは美人じゃなかったけど、魅力的な女性で、色白でしてね……」と、後に幸徳秋水と内縁関係になる妻・菅野スガの話をしている。この頃、寒村翁すでに90歳。今となっては貴重な肉声テープか。

 躰道稽古で体がガタガタ。夕方、早めに風呂に入り、早めに就寝。

6月5日(土)快晴

 今月号の「ミュージックマガジン」ではパティ・スミスのインタビュー。

 4年ぶりの新作「トランピン」には2つのモチーフがあり、ひとつはブッシュ政権への怒り、ひとつは母の死だという。
「アメリカ人として、アメリカ政府が起こす大きな間違いや欲深い決断、残虐な行為。それらの重荷がどんどん肩にのしかかってくるの。私は原爆を落とした日本にも、ベトナム戦争にも、ルワンダにも、もちろんイラクの人々にも申し訳ないと思っている」

 積極的に行ったイラク攻撃反対運動もメディアは無視。ラジオでは彼女の曲がパージされた。

「アメリカ政府は大企業との結びつきがとても強いから、何度も同じ過ちを繰り返す」
 「企業国家」であるアメリカは企業=国家の利益がすべて。
「その過ちを正すには次の世代に希望を持つしかないのかもしれない。母親は”誕生””新生”の象徴。破壊と絶望ではなく、”生きること”への希望を歌いたい」

 57歳のパティ・スミス。いまも未来を信じて、行動し、世界を変えたいとのメッセージを送りつづけるロック・マザー。


 毎日新聞コラムで5月11日に88歳で死去した「平和の火」運動のシンボル・山本達雄氏の追悼。

 66年に新聞報道で「火」の存在が知られた当時、山本氏は取材記者に対し「原爆を落とした米国は許せん。ワシントンからサンフランシスコまで焼き払うための火種ば持っとる」と語気鋭く言ったという。

 原爆投下時に陸軍駐屯地から広島に移動中だった山本氏は叔父の安否を求めて市内に入り、惨状を目にする。その地下壕でくすぶっていた火を遺品代わりにカイロに移し、郷里・福岡県星野村に持ち帰る。それを23年間、仏壇のろうそくや、ご飯炊きのかまどの火として灯し続け、68年からは星野村が「平和の火」として、管理を引き継いだ。

 その山本氏にとって、当初は「平和の火」が「恨みの火」だったとは。

 山本氏の口癖は「復讐合戦を続けていては戦争は終わらない。自分が断ち切らなければ」だったという。

 長い時をかけて、恨みを赦しに変えた山本氏が晩年、その恨みの封印を怒りに変えたことがあった。
 それは03年夏の自衛隊のイラク派遣決定の時。小泉首相を「ジュン」と呼び捨てにし、「鉄砲を人に向けた経験もないのに、安易に戦争を考えている。情けなか」と怒りを口にした。
 山本氏の残した「平和の火」が風前のともしびとなっている今、その「怒り」こそが、平和の火を守る唯一の手段なのかもしれない。


 PM3、銀座。ル テアトル銀座で創作舞踊劇場「火の鳥」。手塚治虫の「火の鳥 鳳凰編」を舞踊にしたもので、仏師・茜丸と盗賊・我王の闘争・確執を軸に、永遠の生命「火の鳥」を追い求める人々の煩悩と希望が描かれる。

 創作舞踊を見るのは初めて。オープニング、数十人の舞踊手が大階段の舞台で華麗に踊るスペクタクルに目を見張る。奈良時代の民衆・貴族をイメージした衣裳は手塚漫画から抜け出てきたように華麗。ステージ全面が大階段という美術にも度肝を抜かれる。残念なことに、終演が5.35。次の予定に間に合わない。仕方なく、一部が終わった4.10で劇場を後にする。圧倒的なスペクタクル舞踊。最後まで見たかったが。

 5.00、下北沢。長年使っていた「いまどきのこども」マグカップが壊れてしまったので、「KIKUYA」で代わりのマグカップを物色。どれにするか15分も迷ってしまう。840円。ついでに、ご飯茶碗を2つ(計2940円)。

 「NEWS」でTシャツ2940円。ディスクユニオンで秋吉久美子の75年のアルバムの再リリースCD2500円。高円寺の「唐変木」でよくかけていたっけ。突然のノスタルジーで衝動買い。元祖・不思議系のポスター付。高校時代、寮のテレビで見たドラマ「アルキメデスは手を汚さない」で殺された少女役をやった秋吉久美子を見たときは、やや線の細い美少女という印象で、マスコミの寵児になるとは思ってもみなかった。その秋吉久美子ももう50代か。


 PM6、スズナリでハートランド「プカプカ漂流記」。高橋亜矢子が主宰する女性だけの劇団。1年4カ月ぶりの新作。作・演出は中島淳彦。今回は「イエスの方舟」事件をモチーフに、、マスコミの目を逃れ、ある島に漂着した女性信者たちの人間模様を描いたもの。

 空き家となったスナックを仮の住処にした彼女たち。東京ではおっちゃん先生がマスコミと警察によって「エセ・ピンク宗教団体」の首謀者として、攻撃されている。彼女たちも土地の人たちに好奇のまなざしで見られ、仲間同士もさまざまな要因が絡んで、ぎくしゃく。そんな彼女たちの日常が描かれるわけだが、中島淳彦のまなざしは女性たちにあくまでも優しい。聖書の言葉を引用しながら、未らへの希望をつないでいく。そこはかとないユーモアと温かな笑いがステージを包み、客席もまたそのぬくもりに身を委ねる。人間を信じたくなる、まさにハートウォームコメディー。2時間ジャスト。

 8.00終演。電車の中で左隣の若い女のコが居眠りしてもたれかかってくる。楚々とした雰囲気のコなので、そのままにしておいたが、今度は左に体が傾き、その隣の足を組んでメール中の若い女のコに……。すると、そのメール女、思い切りそのコを払いのける。シートが揺れるほど。よほど眠かったのか、それでも、また左にもたれかかるコ。すると、前よりも激しく肩を払いのけるメール女。なにもそこまでしなくても。殺伐とした空気に周囲はシーン。自分だったら、いつでも肩ぐらい貸してあげるのに。一応選考はするけど……。9.30帰宅。
6月4日(金)晴れ

 PM4.30。新宿。久しぶりに紀伊國屋向かいの「ISEYA」をのぞいてみる。B1のジーンズ売り場が2階に移動、元の売り場は女性向けのジーンズショップになっている。ショック。上京以来、ジーンズはこの店が定番。理髪店と一緒で、なかなか変えられない。前から比べたらジーンズの点数が減ったのも気になっていたが、遂に売り場移動か。

 新装売り場でブラック・デニム1本購入。1万3440円。20歳くらいの店員が「母親も昔ここでジーンズを買ったって言ってました」。30年前ーー当然彼は生まれていない。

 南口のタワーレコードでCDチェック。東川亜希子「ナミナミ」を買う。ジャケットイラストは、つじあやの風。ピアノ弾き語りという流行のスタイルだが、しっかりしたボーカル。
 インディーズコーナーで森田童子の「僕たちの失敗」をフランス語で歌っているウイスパー系のボーカル「モンディアリート」を発見。森田童子の歌はフレンチポップスでカバーしても違和感がない。

 PM7、紀伊國屋ホールで文学座「パレードを待ちながら」(ジョン・マレル=作、鵜山仁=演出)。初日。並びの席に倉本聰氏。

 第2次世界大戦下のカナダを舞台に、夫を戦地に送り出し、「銃後」を守る女たち5人の友情と反発を描いたもの。

 体が弱く、アナウンサーとしてラジオ局に勤め、兵役を免れた夫の妻は、その負い目のためか、国防婦人会のリーダーとして、国家への協力に骨身を削っている。

 自ら志願し、戦地に行った夫の妻は夫の名誉欲のために自分の存在が軽んじられたと思い、その淋しさからほかの男性と不倫に陥る。
 
 息子を戦場に送り出した母親、狂信的な戦争賛美者の夫を毛嫌いする教師、ドイツ移民であるがゆえに、周囲から孤立しないよう、戦争に協力する女性。それぞれに事情を抱えた5人の女たちの銃後の物語。

 「パレード」とは、戦勝しての凱旋パレードのこと。ラストシーンでパレードを見つめる女たちのそれぞれの表情の変化が主題と重なる。

 国は変わっても、男を戦場に送り出した女たちの置かれた立場は同じ。ただ、日本と違うのは、カナダの「銃後」には自由なおしゃべりという言論があったこと。相互監視の「隣組制」によってささいな批判も封じられた日本とは大違い。ニ幕冒頭で、女教師が客席に向かってこう言う。
「政治家っていうのは寄生虫にも劣る生き物だってのが私の持論です。でも、一国の総理大臣たるものが、こうも簡単に国民との約束を反古にするなんて……」

 客席に笑いがさざなみのように広がる。誰もが思い浮かべるのはあの人の顔。元々脚本通りなのだが、いつの時代も真理はひとつのようで。

「……そうカナダでも、徴兵制度が始まったんです。いつでも、好きなときに誰でも好きな若者を戦場に駆り出せるようになったのですよ。農村の青年だろうと、法律事務所の書記だろうと、学生だろうと、みんなです」

 客席の笑いが静まっていく。

 休憩10分を挟んで2時間15分。合間にM紙のT氏と立話。9.15.終演。10.30帰宅。

 井上防災担当相が佐世保女児殺害事件に関連して、「元気な女性が多くなってきたということですかな、総じてどこの社会も」と発言。事件の被害者・加害者両方の神経を逆撫でする無神経さ。スーパーフリー・レイプ事件の時も、「近頃の学生は元気があっていい」と言った自民閣僚がいたが、この人たちの頭の中はどうなっているのか。こういう連中に限って、徳育教育を持ち出し、「道徳心が足りない」などと国民に説教を垂れる。マンガだ。
6月3日(木)晴れ

 昨日の衆院決算行政監視委で岡田・民主党代表から「厚生年金」問題を追及されたコイズミ首相がこう言った。

「やましいことは何もない。なんで謝らなきゃならないのか! なぜ35年前のことを今の国会で議論しなきゃいけないのか。問題にする方がおかしい」

 「社員はこうだと決めることがおかしい。人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろだ」
「家にいてもいいよ、海外旅行に行ってもいいよという会社もある」

 飲み屋でオダを上げているオヤジの寝言じゃない、これがれっきとした首相の言葉、しかも国会での発言とは。国民をナメきっているとしか思えない。「何をやっても支持率は下がらない。わが世の春は永遠だ」と。

 小林信彦氏が今週号の文春で「戦後59年見てきた総理大臣の中で、無能・最低・最悪の人物。そうでないと思う人は、保守政党人らしからぬ彼の外見にだまされているのだ」と書いているが、まったくその通り。「外見」にだまされているだけ。X−JAPANだの歌舞伎、オペラ……だのの文化宰相の仮面に。

 野党議員が同じことをやったら、マスコミの総バッシングに遭うことは目に見えている。

 現に、勤務実態もないのに、91年2月から義弟が勤める建設会社の「社員」になり、厚生年金と健康保険に加入していた民主党の鹿野道彦議員の「厚生年金違法加入事件」がいい例。02年2月に発覚し、鹿野議員の被保険者の資格は取り消し、年金加入歴も抹消されている。

 東大阪市長も同じ。勤務実態がない後援会企業に厚生年金保険料を支払わせ、60歳から年金を受給していたことで、98年に逮捕され、大阪地裁で懲役2年6カ月の有罪判決が下されている。法の下の平等を言うなら、「社会保険庁」はコイズミの年金問題を調査し、司直にまかせるべきだろう。

 しかし……「家にいてもいいよ、海外旅行に行ってもいいよという会社もある」って、いったいどういう会社なのか。さすがに政治家三世のお坊ちゃんが想像する会社員はシュールだ。自分たちの生活ぶりを映しているというべきか。

 PM4、K記念病院。6.00帰宅。

 郵便受けに、転送されてきた父への郵便物一通。共済組合からオーストリア海外ツアーの参加案内。一度も海外へ行ったことがなかった父。せめてもう一度、どこでもいいから一緒に旅行に行きたかった。

 きょうの小5の家庭科宿題は布団を敷くこと。……いまの学校って……。
6月2日(水)晴れ

 8.30起床。家人に付き添い保健所へ。お昼過ぎ帰宅。

 田舎の漁協に電話。父の所有している船(とはいっても1トンに満たない昆布漁用の小型船、いわゆる磯舟)の検認の通知が来ていたため。もう自分も船に乗ることはないだろう。「廃船届けを出しておけば、なにかあったときに、また船の新規登録ができます」と電話l口のTさん。中学の後輩。「登録票もなければこちらで紛失届けを出して手続きしておきますから。申請料もいいですよ」。お世話になりっぱなしの幼ななじみたち。父の船の名前は「平成丸」。16年前に作った船か……。

 古いカセットをCDに。70年代半ばに九段会館で行われた市民集会「この日本をどうするのか」の録音テープ。吉武輝子、古宮杜司男、小中陽太郎、鈴木武樹、高橋悠治、山川暁夫、小沢遼子、青地晨、金沢嘉市氏ら錚々たる論客が舌鋒鋭く日本の政治状況を指弾している。

 もう一本は、東中野の新日文で行われた、いいだもも氏の講演「天皇ファミリーと戦犯人脈」。78年頃の録音か。この時期、新日文では「天皇制連続講義」が開かれ、その中である学者が「天皇の最大の仕事は子作りである」と喝破していた。当時はピンと来なかったが、今、騒がれている皇太子・浩宮の「人格否定発言」こそ、まさに「天皇の最大の仕事」が焦点となる「事件」。この件に関しては、深い同情を禁じえない。

 最近買った本。柄刀一「ifの迷宮」、香納諒一「幻の女」。しかし、どちらも読み進めず。自分の生理に合わないのか。

 小学5年生の息子の今日の宿題は「家でお湯を沸かしてみよう」だとか。やかんに水を入れ、ガス栓をひねるだけ。沸いたお湯でお茶をいれてくれたけど、それが家庭科の宿題なんだって。ようわからん。
 
 さて、今夜も寝苦しい一夜となりそう。アイスノンでも貼りたいくらい。

 
6月1日(火)晴れ

 PM3、元岸田事務所の宗方氏が岸田理生さんの「水妖忌」の件で訪問。参加4劇団のうちの3劇団の主宰者も一緒。ルームルーデンス・田辺久弥、紅王国・野中友博、そして指輪ホテルの羊屋白玉。羊屋さんとはこの前の大宮公演で会ったばかり。5人で1時間ほどお茶しながらあれこれ雑談。3方とも、長野の理生さんの実家に行ったことがあるという。「資料をダンボールいっぱいもらってきた」とか。「使わなければただのゴミになってしまうからね」「理生さんのことを忘れてほしくないから、命日のイベントもあと3年は続けたい」と宗方氏。

 PM6、新宿厚生年金会館大ホールで劇団☆新感線「髑髏城の七人」。開演前にロビーでいのうえひでのり氏に挨拶。客席には小田島先生や朝日の今村氏の顔。先生は上演途中で白河夜船。見に来るだけでもよし……か。

 久しぶりの新感線、舞台は十年一日のごとく変わらないアクションと笑いの波状攻撃。

 この作品は再演を繰り返してきた作品。だからなのか、配役が過去のキャストとダブッて見えてしまう。佐藤”沙霧”仁美は高田聖子、坂井”極楽太夫”真紀は羽野亜紀。もともとはあて書きだからそれもむべなるかな。遊び心を体にいっぱいはらんだ古田”天魔王”新太は新感線の顔として、いつものように所狭しと暴れ回り、殺陣も一頭地を抜く迫力。

 水野”森蘭丸”美紀のアクションはさすが。立ち姿、殺陣、体のキレの素晴らしさ。佐藤仁美も準主役の重責をよく果たした。
 元ハイレグジーザスの中坪由起子は才賀集・無界の女たちの一員。もう少し役が重くてもいいと思うが……。
 休憩20分を挟み3時間。橋本じゅんを主演にしたおバカな「ドラゴンロックシリーズ」の方が好みではあるがこれもまたよし。
 三度目のカーテンコールで総スタンディング。かつては評論家に無視され、観客に冷笑された新感線の芝居が……。隔世の感。

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