9月30日(木)晴れ イチローの大リーグ記録カウントダウンで大忙し。PM3.30、エコーのA氏さんらに予定をずらしてもらって近所でお茶。 PM5。上野でマッサージ。モダンダンスをやってるT橋さんは「水と油」のすがぽんと知り合いとか。 PM7、世田谷パブリックシアターで「リア王の悲劇」。長いとか、セリフが聞きとれないとか、ネット掲示板での評判はあまり芳しくないので、覚悟して行ったら、なんとどこからそんな悪評が出るのか、まったく理解できないくらいの素晴らしいデキ。 驚かされたのが、階段舞台。45度の傾斜で30段ほどが舞台後方に伸びている。その背景の空間(と舞台全体)に映像が投影される。ひな壇舞台ということで、俳優と観客に絶えず目に見えない緊張感。「意匠」は山口小夜子。打ち掛けのようなエキゾシズムあふれる衣裳が素晴らしい。石橋蓮司のリアの圧倒的な存在感。蜷川幸雄も裸足で逃げ出す、佐藤信の緊密でスペクタクルな演出。これは今年のベストワン。3時間半という上演時間もまるで気にならない。それどころか、その舞台の時間が永遠に続いてほしいと思うほど。ネットの評判と実見がこれほど隔たりがあるとは。他人の、特に世代の違う観客の評価ほどアテにならないものはない。 終幕、リアの亡骸を移動するシーンに石橋蓮司の役者魂を見る思い。あれはあまりにも恐ろしい。よくぞ、そこまで演出できるものだ。第七病棟の「ビニールの城」のラストシーンと双璧。この舞台を見ずして2004年の演劇は語れない。 10.35終演。急いで電車に。0.00帰宅。 9月29日(水)雨 8.00起床。10.00、銀行へ。住宅ローンの返済変更の手続き。意外と時間がかかり、午後まで。帰り、ヴィレッジヴァンガードで小物入れのトランク(4500円)購入。PM3,歯医者。 PM6~9・30、躰道稽古。日曜日の試験にはなんとか間に合いそう。I師範の指導のおかげ。10.00帰宅。セブンーイレブンで伊右衛門3本。興味のなかったフィギュアだが、つい集め出すとキリがなく……。 今日も一日気の休まる暇なし。今週末を乗り切ればなんとか……。 9月28日(火)晴れ PM6、渋谷。東急ハンズで「ホロホロ」なる鑑賞エビを買う。3129円。前から興味があったのだが、エサもいらない、生態系の保持で最長8年は生きるというシュリンプ。透明アクリルの中で動き回る様子はミジンコのよう。それを見て癒されるというのは疲れている証拠か。 PM6.30、パルコ劇場で「美輪明宏音楽会 愛2004」。満員御礼。女性客9割。第一部は抒情歌特集。「冬景色」など日本の四季を。第二部はシャンソン。二部が終わり、花束を渡すお客さんたちが舞台前に列をなす。美輪人気は不滅。アンコールは「愛の讃歌」という恒例の構成。 9.00。終演後、事務所のK氏の案内で楽屋へ。今日は一番乗り。化粧台前に座る美輪さん。今日歌った抒情歌にちなんで、故郷のことなどをおしゃべり。「そうですか……。”故郷の廃屋”は中学のとき、いつも歌っていたのよ」と美輪さん。相手をやさしく包み込むような、美輪さんの目。癒される。楽屋の外に出ると、面会の人たちが10人ほど列。 PM10.30、G駅で下車し、「S」へ。カウンターは酔っ払いの大音声。居心地悪いので早々に退散。0.00帰宅。 9月27日(月)雨 午後、小泉組閣でバタバタ。約束していたK企画のKさん、俳優のSさんとの待ち合わせをずらしてもらう。PM3.30、近所のファミレスでKさんたちとお茶。井上ひさしの「父と暮らせば」を一人語りするS氏は民藝の俳優さん。 PM6帰宅。 新幹事長・武部の起用が不可解といわれるが、ただのサンドバック役? 早々に自滅させて幹事長代理の安倍にバトンタッチさせるつもりなのか。深謀遠慮というよりも、ただの思いつきか。 9月26日(日)雨 9.00~11.45、躰道稽古。来週行われる昇級試験に出ることになってしまう。稽古不足なので次回にしようと思ったのに。大変だ。 稽古終了後、けんちん汁と新米で食事会。天気がよかったら公園で開くはずだったが、雨で屋内会議室に変更。1時間ほど、子供たちや父兄と一緒に歓談。 Y師範の家に寄り、H師範の車で駅まで送ってもらう。2.30帰宅途中で、セブンーイレブンに寄って伊右衛門2本買う。某サイトで話題になっているおまけのキャンディーズフィギュアがどんなものか見たかったので。キャンディーズ自体は思い入れなし。垢抜けない3人娘がいつの間にか人気になっていたという印象。友人が蘭ちゃんの実家近くに住んでいて、その家の前を通ったことがあるけど。 それにしても飲料に伊右衛門というネーミングはすごすぎる。どうしてもあの伊右衛門しか思い浮かばない。こんなオマケでもないと怖くて買えない。 家族は外出中。テレビで映画を見ているうちに睡魔に襲われ5.00までうつらうつら。Y師範から筆記試験の問題と解答がメールで送られてくる。いまさら筆記試験を受けることになるとは。 夜、高校同窓会のT橋さんから原稿のリライトがメールで届く。毎年の事ながら、テキスト打ちが大変。手伝ってくれるT橋さんに感謝。会報編集、そろそろ、腰を上げないと。 都立の深川高と新設の千早高の校長が教職員に対し、日の丸に向かって起立、君が代斉唱を生徒指導するよう職務命令を出していることが判明した。 生徒たちが自主的に起立を拒み、君が代斉唱に従わなかった場合、教職員が地方公務員法で処罰されることになる。生徒に対して教師の処罰をちらつかせて国家の命令に従わせる。なんという卑劣極まりないやり方。思想・信条の自由などこの国にはもはやない。すべてはイシハラが都知事になってから始まった恐怖政治。 9月25日(土)晴れ時々小雨 PM3、中野ザ・ポケットで三田村組「イヌよさらば」。寝たきりになっているヤクザの二代目総長の家で開かれた幹部会。二代目の楽しみである「頭の体操」クイズを出され、懸命に答えを見つけようと考える幹部たち。一方、幹部の一人は、年下の浅田が組長となり、自分と五分の杯を交わしたことでいらだっている……。さまざまな思いを抱えた幹部たちの会話から仄見える人間模様。 注目の若手劇団モダンスイマーズの蓬莱竜太の作・演出。若い作家なのに安定感のある台詞・台本、笑いの間の良さ。演劇センス抜群。福本伸一、松金よね子、三田村周三ら磐石の演技。古山憲太郎、津村知与支の若手(ともにモダンスイマーズ)の個性が面白い。 1時間30分。終演後、制作の有本さんに蓬莱氏を紹介される。蓬莱という苗字で想起するのは脚本家の蓬莱泰三氏。聞いてみたが、無関係とのこと。 PM5.00、新宿。西口のヨドバシカメラでMDラベル購入。 PM6.00、三軒茶屋。「はとぽっぽ」でサンマ定食+目玉焼き830円。キャロットタワー2階のTSUTAYAでCD物色。ここはいつ来てもCDの配置・試聴にセンスがない。 PM7、スタジオスパーク1でTOMOTAKAプロデュース「星座泥棒」。脚本の小林雄次は「ウルトラQ Dark Fantasy」の最終話「虚無の扉」の脚本を担当している。今回の舞台も、「ウルトラセブン」の一挿話から想を得たものとか。地球を侵略するために送り込まれた宇宙人が少女に姿を変え、セブンの変身を封じ込めるが、自らも「故国」に裏切られるという悲しみに彩られた物語。 舞台は、閉館が決まったあるプラネタリウム。館主の若い女性は、変身特撮番組のヒーロー俳優を呼び、「宇宙人の存在を信じ込んでいる科学者」を相手に、宇宙人を演じてほしいとの依頼をする。一方、科学者には、「自分を宇宙人だと思い込んでいる男相手に一芝居打ってくれ」の依頼。彼女の狙いはいったい何か。 宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」を引用しながら、劇中劇として演じられる奇妙なドタバタコメディー。最初はその違和感ある設定に入り込むことができなかったが、役者たちが達者なので、次第に引き込まれ、最後は納得。演劇祭3本目にしてようやく、演劇らしい演劇の登場。1時間20分。 8.45、直通電車で帰宅。 合田一道著「龍馬、蝦夷地を開きたく」(寿郎社 2200円)読了。 坂本龍馬が北海道に関心を持っていたことなどまったく知らなかった。著者によれば、龍馬は蝦夷地に並々ならぬ関心を持ち、維新前夜に斃れている若者たちの命を惜しみ、その人材を蝦夷地開拓に振り向けようと計画しながら、ついに果たせぬまま逝ったのだという。 実際に龍馬が蝦夷地行きを計画し、断念した回数は4回。 第一回は1864年(元治元年)6月。幕船「黒竜丸」に浪士50人を乗せて神戸を出航し、途中江戸で下船し師の勝海舟に壮挙を報告しようとするが、折悪しく、京都の池田屋事件発生を伝えられ、渡航を中止する。なぜなら、襲撃され死んだ勤皇の志士の中に海舟が責任者である神戸海軍操練所の生徒が含まれていたため、海舟に迷惑がかかると判断したのだ。龍馬の懸念通り、海舟は罷免。操練所は閉鎖になる。 二度目は1866年(慶応2年)5月。龍馬の亀山社中(後の海援隊)が購入したワイルウェフ号が龍馬のいる薩摩に行く途中、五島塩屋崎沖で沈没。この船で蝦夷地に向かうつもりの龍馬の夢はつぶれる。 三度目は翌1867年4月。宇和島藩から借りた「いろは丸」が紀州藩船「明光丸」に衝突され、沈没してしまう。いろは丸には武器・弾薬・物資が満載され、龍馬はそれを蝦夷地行きの資金にしようとしていたという。 そして四度目。1866年10月に薩摩藩の保証でプロシア商人から買い求めた洋帆船「大極丸」が思わぬトラブルに巻き込まれ、最後まで自分の自由にならなかったということ。龍馬の死の5日前に、同志・林謙三に出した手紙で、この大極丸のことを悔し紛れに「大極丸のヘチャモクレ」と書いている。 「新政府綱領八策」に基づく「新官制擬定書」の中に自分の名前を入れなかった龍馬。 西郷隆盛に「なぜでごわすか」と問われると、 「こんな仕事は性に合わんきに」 「それなら何ばやるつもりでごわすか」 「そうよなあ。世界の海援隊でもやりますかいのう」と答えたというエピソードは後世の作り話かもしれないが、妻・お龍の聞き書き「千里駒後日譚」でも、 「一戦争済めば山中へ這入って安楽に暮らす積もり、役人になるのはおれは否ぢや。退屈な時聞きたいから月琴でも習って置け」 と語ったというから本当なのかもしれない。 龍馬という男はまさに茫洋とした大人物。それは、もしかしたら龍馬一族のDNAなのか。 龍馬亡き後、姉千鶴の子供二人がそれぞれ坂本本家と龍馬家を継いだ。その龍馬の甥たちが後に北海道に渡っている。 後年、龍馬家を継ぎ、坂本直を名乗る太郎は蝦夷地開拓に意欲を持ち、函館に渡った折、新政府の官令徹底していない周辺を巡視し、アイヌ民族に対する目を覆うほどの差別に憤激、蝦夷地開拓に関わる建白書を怒りを込めて提出している。 その坂本直は東京に戻り東京府典事などを歴任するも、キリスト教に傾倒し、「人間は平等でなくてはならぬ」と説くが、宮内省に知れることなり、1889年(明治2年)に免職。帰郷しキリスト教布教に務めるも不遇のうちに57歳で病没。 その直の実弟は坂本本家を継ぎ、直寛を名乗る。直寛もまた、北海道に渡ることになる。 彼はスペンサーに傾倒し、社会平等論や代議制体論の原書を愛読、自由民権運動に関わっていく。明治17年に、高知県議会に当選。翌年高知教会が設立されると同志らとともに洗礼を受け、自由民権とキリスト教の伝道に乗り出す。伊藤博文の作った保安条例の罪で逮捕。東京地裁で軽禁固2年6月、監視2年の判決を受け、石川島監獄に収監されるも、憲法発布の恩赦で出獄。その後に、同志と共に訪れた北海道・石狩平野の広大さに衝撃を受け、「ここに、乳と蜜の流れる地、カナンの地を作ろう」と決意。叔父の龍馬が夢見た北のユートピア作りに意欲を燃やす。時に1897年(明治30年)。龍馬が死んでから30年後のこと。 入植した直寛が同志に出した手紙には「将来日本社会に一つの潔き義に生きる神の国を作り度く候」と記している。 高潔な理想に燃えたキリスト教の聖なる村、人間平等の村を作ろうとしたのだ。 後に、直寛はキリスト教系新聞の主筆、旭川教会の伝道師などを経て、1911年、札幌で亡くなる。ちなみに直寛の孫は山岳画家として名高い坂本直行。六花亭の包装紙は直行の絵である。 龍馬の北海道に対する熱い思いと夢はこうして、親族に受け継がれ、脈々と息づいている。 池田屋事件がなかったら、龍馬は北海道に渡っていたかもしれない。薩長の武力制覇に対してどう相対したか。歴史に「もしも」は厳禁だが、想像の翼をはためかせるとさまざまな妄念が浮かび上がる。 薩長の倒幕軍に対し、奥羽越列藩同盟とともに、北海道の坂本龍馬が挙兵したとしたら……。明治維新はどうなっていたか。 それにしても、龍馬の一族が後に、自由・平等を目指し、龍馬の遺志を継ぎ北海道に渡り、キリスト教布教に努めていたとは、まったく知らなかった。官を嫌い自由に飛翔した龍馬の体に流れる血。その甥たちの生涯。人間は面白い。 9月24日(金)快晴 PM3.30、T取氏と一ノ瀬M嬢来社。近くの喫茶店でお茶。新作公演の情宣。チェーンソーを使うとかで、Y崎哲氏に電話するT氏。スプラッタ芝居になりそう。 先日、秋葉原で見つけたミカエラ学園アダルト版は作者の了解を取らないで発売された不法ビデオとか。米国版もあるという。海外のオタク向けか。 PM5.30、Sシネマで「ヴィレッジ」を観る。予告編では単なるホラー映画だと思ったが、こんなせつない映画だったとは。国家から逸脱し、共同体に希望を託す、悲しみを抱えた人たち……。 7.30、帰宅するとネットで注文した本が届いている。須田諭一著「頭脳警察」、「パンタとレイニンの反戦放浪記」(2003年)、塚本邦雄「麒麟旗手 寺山修司論」、宇野亜喜良「上海異人娼館」。 10,00.寝ようと思って布団の中で「反戦放浪記」を開いたら、その面白さにくいくい引き込まれ、気がついたら0.00。最後まで読み終えて就寝。 9月23日(木)快晴 9.00起床。午後、ラジオドラマを録音したMDの整理。最近は録りっぱなしで、じっくり聴くことが減ってしまった。若い作家の作品が安直で軽くなったせいもある。その点、今放送中の現代ベトナム文学シリーズはさすがに聴きごたえ十分。 変則休日で体調が崩れ気味。 知人から「マグTなんとか手に入らない?」のメール。全国で偽マグTが流通して(それも高い値段で)、現地・あおぞら組は対応にてんてこ舞い。当たると出てくるバッタもん、そしてネットオークションでの高値取引。「流行」にされてしまえば、急落も早い。せっかくの町興しグッズも資本の論理の前になすすべなし……か。 9月22日(水)快晴 9.00起床。深夜に放送した「Mの黙示録」を見る。PANTA出演。「きな臭い世の中だからこそ頭脳警察が求められている」のタイトル。 「回顧趣味でやってるわけじゃない。常に現在進行形。純粋化して進化した頭脳警察を見てほしい。Toshiと死ぬまで続けたい」とPANTA。 「これからは演歌、常磐津、小唄、長唄など日本的な音楽も取り入れていきたい」とも。「万葉歌とレゲエの融合」など、先鋭的な試みを行ってきたPANTAの「本歌取り」がどのようなものになるか楽しみ。 ただ、70年代初頭、岡林信康が演歌に傾倒し、次いで日本的な「エンヤトット」を基盤にした音楽を志向し自己耽溺に埋没していったことがあったが、「永遠の悪たれ小僧」PANTAの志向する「日本的」の意味は……。10月1日、新譜アルバム「music for 不連続線」発売予定。 毎日新聞夕刊コラム「渡辺裕の考える耳」が面白い。 15日付ではマーティン・バナールという学者の書いた「黒いアテナ」なる翻訳書について語っている。 「この本によれば、古代ギリシャは実はエジプトの植民地であり、黒人文化が支配的だった。極端に言えばソクラテスだって実は黒人だったかもしれないのだ」 「それがあたかもヨーロッパの白人文化のルーツであるかのような言説が支配的になったのは白人中心主義の考えが強まった19世紀になってからのことだ」 本の真偽はわからないが、ありそうな話ではあると渡辺氏。 例えば、水谷彰良著「サリエーリ」によれば、モーツァルト毒殺説でサリエリの名前が出たのはモーツァルト死後30年後であり、ちょうどウィーンにやってきたロッシーニのオペラの評価をめぐる論争をきっかけに、ドイツ国粋主義者たちによるイタリア音楽排除の空気が広がった時期と符合するという。 つまり、モーツァルトをドイツ音楽史の英雄に仕立て上げ、サリエリを悪人に仕立てたのは「時代」の空気が色濃く反映しているからだという。 常識や真実は歴史の流れの中で変化していく。つまり「常識や真実」ほどうつろいやすいものはないということ。 日本はどうか。 明治以降の近代国家形成の過程で「日本」という名の歴史や文化の像が「作り上げられてきた」ことは明らか。 「日本音楽」「日本文化」「日本らしさ」は明治以降の国家が作った「幻影」に過ぎない。 歴史は偽造される。卑近な例でいえば、今日見る明治天皇の肖像や西郷隆盛の肖像は本人とはまったく似もつかぬ英雄的な肖像に仕立て上げられたし、明治以前の民衆に国家意識はなく、村、藩に帰属する意識が仄見えるだけ。むろん、天皇の存在を知っている民衆は江戸期を通じてほとんどいなかったといっても過言ではない。それが明治以降、皇国史観が形成され、「日本文化」なるものが捏造されていった。いわば「日本文化」など、たかだか100年の歴史しかないわけで、「日本的」という場合、明治以前の千数百年の歴史を見据えなければ「伝統」と「文化」は語れない。 ところが、憲法改正論者や教育基本法改正論者に共通するのは、「諸悪の根源は、”日本的”なものが失われつつあるから」という素朴すぎる暴論。幻想の「日本的」なるものにかこつけて、国家の強権を図るあさましさ。 「日本的」なるものへの回帰が声高に叫ばれる時代は、国家が暴走を始める前兆といえる。 正午、高架下の自転車集積場へ。何千台もある自転車。すべてが放置自転車。係員と一緒に探すも見当たらず。やはり盗難だった模様。 帰り道。干しワラの匂いに誘われ、刈り取りが終わった田んぼに足を踏み入れる。30年前には田畑が広がっていたという住宅地のそこここに、ポツンと残る田んぼ。ワラの匂いに郷愁を感じる。田んぼの匂い、畑で枯れ草を焼く匂い。子供の頃、祖母の引くリヤカーを押して坂道を上り、畑についていったものだ。一升瓶に詰めた粉ジュース。菜種を刈り取った後、シートの上で菜種踏み。こぼれる菜種を袋に詰める。あれはまだ小学1年生の頃か。 稲刈りの終わった田んぼでは、長い棒を槍代わりに「少年ケニヤ」ごっこ。積み上げた干しワラに子供たちが出入りする秘密基地。ワラの中の空間は秘密の匂いでいっぱいだった。住宅地の真ん中でふいに、時空を飛び超えて、半世紀近く前の田舎の田んぼに意識がタイムスリップする。 午後、「DOIT」へ。壁のコンセントがグラグラし、すぐにプラグが外れてくるのでその修理。足りない部品を買うため、二回も往復。修理の後は部屋と台所掃除。夕方まで汗みずくになりながら徹底清掃。 夕方、TSUTAYAへ。 今日のスポーツ紙で井上陽水と持田香織がユニットを組んで「いつのまにか少女は」をリリースするという記事を見て、ふいに「いつのまにか少女は」を聴きたくなったのだ。この曲を聴くと、制服姿の栗田ひろみが目に浮かぶ。確か森谷司郎監督の「放課後」で使われていたはず。この映画も久しく見ない。DVD化もされていないようだし。隠れた名画がいっぱいあるのに……。塾帰りの娘と落ち合い、一緒に帰宅。時折り雨粒。自転車置き場にたどりついたとたん大粒の雨。 躰道稽古は休み。まだ右足に違和感。結構長くかかるものだ。 PM9。家族で「Jホラー 日本の怖い話」を見るも、途中で睡魔に襲われ、あえなくダウン。そのまま就寝。疲れがたまっているのか。 9月21日(火)快晴 読売新聞を除く一般朝刊紙、スポーツ紙で一斉に久米宏「復帰」が大きく取り上げられるも、その中身は記者会見での「ナベツネはこのまま引っ込んだ方がいい」「勝算のないストはやらない方がいい」といったたわいもない時事ネタ発言。 「僕は昔からオリンピックが嫌いでね。日の丸が揚がってそれに向かって選手が直立不動で最敬礼するようなことに抵抗がある。国家を背負って、国家のためにたたかうのではなく、選手は自分のためにたたかうのが本当のスポーツの姿じゃないかと思う。日の丸ではなく、北島選手なら北島家の旗を揚げてね。国家の旗ではなく、それぞれが”自分の旗”を持つべきだと思う」 このような発言は決して報じられることはない。 60年安保の年に高校生。「ウエストサイド・ストーリー」で出てくるジョージ・チャキリスのジャケットが欲しくて、独居アメリカ人の家庭でバイトしたという久米宏。早稲田時代は芝居に熱中し、4年時にはまだ単位がほとんど残っていた。林美雄と同じく、彼の「国家観」に大きな影響を与えたのは60年安保であるのは確か。そしてシニカルな笑いの裏にあるのは70年安保の敗北。 PM5、池袋。 PM7、信濃町。文学座「テラ・ノヴァ」。 1910年、イギリスのスコット大佐はテラ・ノヴァ(新天地)号に乗って南極探検に出発する。 5人の英国隊は重いソリを引き、1年半後、苦難の末に南極点に到達。しかし、そこにはすでにノルウェー国旗が立っていた……。ノルウェーの冒険家アムンゼンとの南極点初到達競争に破れ、極寒の大地に散ったスコット隊の悲劇を通して、極限下での人間の誇りと苦悩を描いた作品。 南極の大地を思わせる白いフラットな舞台を客席は3方から取り囲む。 冒頭は、スコットのモノローグ。「なぜ、我々は失敗を犯したのか……。アムンゼンは犬ゾリを使い、犬が斃れるまで酷使し、斃れた犬の新鮮な肉を食らって前進した。しかし、私たちにはそんなことはできない。だから徒歩で到達することが英国人の使命だった」 闇から浮かび上がるアムンゼンの幻影が唇を歪める。 「イギリス紳士には冒険が何たるかがわかっていない。冒険は科学だ。綿密に計算し、その上に成り立った冒険でなければ必ず失敗する」 舞台はスコットの手紙と日記を元に再現される行軍の様子と、スコットの幻想、そして妄想が生み出す過去と現在が交錯しながら進んで行く。 大英帝国の威信と新興国家ノルウェーの愛国心ーー国家を背負った二人。物語の中心にあるのは「国家」。夫の帰りを待つ妻・キャスリーンはスコットの冒険に理解を示しながらも、英雄や愛国心の美化に懐疑的な考えを持っている。 辛辣なアムンゼンと、貞淑な妻・キャスリーンの幻影がスコットを脅かす。 1幕は南極点到達まで。休憩10分を挟んだ2幕は帰路、隊員たちが病で一人、二人と倒れ、安全圏まで64キロと迫りながら、食糧・気力とも尽き果て、最後の日記を書き記し、崇高な死を選ぶまで。 「南極」だからか、劇場内の気温を幾分低めにし、そのためひざ掛けを配っていたが、まだまだ暑いくらい。 今井朋彦をはじめ、菅生隆之、大滝寛、古川悦史、横田栄司、助川嘉隆、高橋礼恵ーー役者陣の演技の素晴らしさ。特に今井朋彦はいまや文学座のエース。隊長としてさまざまな判断ミスをおかしながらも、最後まで毅然と苦難に立ち向かい、部下を思い、冷静に日誌や手紙を書き続けたスコットをよく造形していた。 「羊たちの沈黙」の脚本家テッド・タリーが書き、76年に初演した作品というが、まったく古さを感じさせない。休憩込みで3時間がまるで一瞬のことのよう。端正で堅実な演出・高橋正徳の手腕に負うことが大きい。 11.30帰宅。録画しておいた大友みなみの「旅美人 大間」を見て就寝。 9月20日(月)快晴 9.00起床。12時間近く眠っていたわけか。 起床後、すぐにAMラジオ、ニッポン放送に周波数を合わせる。今日は朝6時からニッポン放送に久米宏が出演し、午後5時までほぼ一日、出ずっぱりの予定。普段聞かない中波放送。雑音が気になるが、聴きながら、手書きの同窓会報原稿をテキストに打ち直す作業を進める。半日仕事。 考えてみたら、毎年この時期、連休を利用して同窓会報の作業をしているわけで、家族に申し訳ない。 午後4時、退屈そうな子供を見ると気がさすので、一緒に外出。6時に帰宅したら録音したはずの久米放送が録音されていない。ショック。4.00~5.00、この間に何が放送されたか気になる。記者会見も行われたようだし……。普段使わないものだから、うっかり録音ボタン操作を間違えたわけで、自分のソコツさに腹が立つやら情けないやら。4時から5時までの間に果たして久米宏が何を喋ったか。気になって気になって……。 それにしても2日間も休みがあったのに、何もできないまま今日も一日が終わる。この頃、体感する時間は加速度を増すばかり。 9月19日(日)快晴 9.00~12.00、躰道稽古。基本技から。10月の審査は早過ぎるのでパス。 2.00、O宮。娘の高校の文化祭。門をくぐった瞬間、若やいだ雰囲気に圧倒される。駆け寄ってスリッパを手渡してくれる受付の女の子。クラスごとにデザインを工夫したおそろいのTシャツ姿で、模擬店やら演奏会。その熱気とはじけるような笑顔。高校生ーー人生で一番楽しい時期。模擬店をやってる娘のところに行くとすでに閉店。それでも店の中を案内してくれる。お返しに売れ残りの駄菓子を買ってあげる。まぶしいばかりの高校生たちにただただ圧倒。 帰りのバス停車場で偶然家族とばったり。一緒に来ていたYさん親娘と家路に。 4.00帰宅。睡魔に襲われ横になるも浅い眠り。夕飯時に軽くお酒。疲労のせいか、9時過ぎには就寝。 9月18日(土)快晴 PM2、三軒茶屋。スパーク1で劇団sold out sorry「銭湯一家の”素裸(ずら)隠し」。 時代の流れに抗して、町の人々のために銭湯を続けるある一家。ボケたおじいさんの頭に時折り去来するのは戦時中のつらい思い出。それは大事な友人の出征と、自分が思いを寄せる女性との悲しい別れ。 一方、両親のいない一家の要は長男と彼を支える長女。ある日、長男の幼なじみの女性が訪ねて来る。長女の恋人はフォークシンガーを目指すフリーターの男で、すでに彼女は妊娠……。と、一家の人間模様が描かれる人情コメディー。居間の舞台セットはびっくりするほどしっかりした作り。 ただし、風呂釜のある裏手とその居間の空間には壁があるはずなのに、客席からの見通しと同じ視点で役者が自由に行き来するのはあまりにも杜撰。舞台の約束事を無視するのはご都合主義だろう。出征する兵隊の服装も今風で、モンペ姿の恋人と釣り合わない。一生懸命なのはわかるが、「仲間内芝居」の域を出ず。 3.45終演。向かいのビルのI田信之氏の事務所でお茶。演劇祭のことや、12月のクリスマスコンサートの件。 PM5.00、市ヶ谷へ。高校同窓会の幹事会。長い坂道を上って財務省印刷局。ところが、受付に聞くと「今日は予定が入っていませんが……」 迂闊! ハガキをよく確認しなかった。もしや、と思って同窓生が経営する割烹「代々木庵」に電話すると、「みなさん集まってますよ」 市ヶ谷以外で幹事会をやるのは初めて。代々木に急行すると総勢27人。これでも十分同窓会が成立しそうな人数。ほとんどが60歳以降ではあるが……。 「一期生は75歳。1期から現役生まで集まる高校同窓会っていうのはあまりないんじゃないかな」と会長が言う。確かにそうか。 9.00まで歓談。 10.30帰宅。 9月17日(金)快晴 PM3。恵比寿ガーデンプレイスでお茶。 有楽町駅前で「○○さん」と声を掛けられたので顔をあげると、4年前に会社でバイトしていたH君。いまはS新聞という業界紙で働いているとか。元気そうな顔。 PM7.00、東京国際フォーラムAで来日ダンス公演「バーン・ザ・フロア」。キャパ5000の客席が満席。それもほとんどが中高年。ソシアルダンス教室の生徒たちが多いのかも。シックスティーズからヒップホップまで迫力あるダンスシーンに固唾を呑むも、意外とソシアル系ダンスの比重が大きい。50分+休憩20分+50分。9.25終演。 11.00帰宅。 「客人」待遇のジェンキンス氏(軍曹)が下士官宿舎に移動。 おおまかに言えば、米陸軍は少尉以上が将校。曹長以下、軍曹(一等~三等)、伍長までが下士官。その下が、Private First Class (上等兵) 、Private(二等兵)となるわけで、 「賓客扱い」に世論の風当たりが強いため、当時の階級宿舎に戻ったのだろうが、在日米軍の下士官クラスの宿舎が約110平方㍍と聞いてびっくり。おいおい、日本の永住型首都圏マンションの平均は50平方㍍だ。それでも2000~5000万円。バブル時にはその倍以上の値段がついていた。一生汗水たらして働いて、ようやくそんなウサギ小屋しか手に入れられないのが日本のサラリーマン。それなのに、日本の中のアメリカ。在日米軍は下士官でさえ30坪の豪邸暮らし。これが将校クラスならどんな「豪邸」なのか。 ジェンキンス氏が出頭したキャンプ座間は235ヘクタール、東京ドーム50個分。そこには学校、教会、博物館、図書館などが設置され、18ホールのゴルフ場やボウリング場まである。 それらはほとんどすべて日本の税金で作られ、運営されているのだ。 司令官用住宅は、寝室4、浴室3、リビング32畳、ダイニング18畳‥‥。目まいがしてくる。 横須賀基地の艦隊レクレーション施設は総工費62億円。「こんな施設は米本土の基地にもない」と米軍館長が自慢する施設だ。基地内で働く日本人の人件費ーースロットマシン修理工、爪の手入れをするネイリストまで、すべて日本の税金が使われている。 その費用はすべて日本から提供される「思いやり予算」(ふざけた名前!)という名の税金でまかなわれている。 日米安保条約に基づく地位協定第24条では、「合衆国軍隊を維持する経費は日本国に負担をかけない」と明記しているにもかかわらず、この莫大な献上金! 円高・ドル安が問題になった77年に、「基地労働者の人件費を負担せよ」と迫られた日本政府が「日本を守ってくれる米軍への思いやり」だからと始めた経費肩代わりが端緒。 これに味をしめた米軍が「思いやりとは不快な表現。もともと経費負担は日本の当然の責任」と、翌年から施設の設備費も計上され、最初62億円だった予算が87年には1000億円を突破。91年の湾岸戦争では「電気・ガス・水道代も払え」と要求はエスカレート。95年以降は2600~2700億円と、まさに米軍はカネを使い放題になった。 まるで、「百姓を守ってやる」と村にやってきたヤクザたちが、次第に居丈高になって村人を食い物にしているようなもの。百姓が粟、ヒエを食っているときに、米軍、もとい、ヤクザはビーフステーキ。 この日本の米軍への「思いやり」は世界でも特殊なようで、米軍基地がある世界24カ国の駐留負担日費全体の8割にも上るという。ほかの23カ国の駐留負担費総額の1・6倍。‥‥フーッ。 このほかに、国有地の地代などを合わせると年間6500億円を米軍に援助。陸海空約5万人の在日駐留米兵1人に年間1650万円の給料を払っているようなものだ。 こんな日本の「思いやり」に米国はどう応えたか。「われわれは自らの利益のために日本に駐留している。チャリティーをやってるわけではない」(91年、チェイニー国防長官=当時) 「日本に米軍を駐留させることは、米国内に置くよりもはるかに安上がりだ」(93年、パウエル統合参謀議=当時) ここまでナメられるとは。日本を貯金箱としか思っていないアメリカ。共和党だけでなく米民主党であっても、日本という格好の「献上国」の手綱を緩めて在日米軍の縮小を考えることはまずないだろう。そんなことをしたら選挙に勝てないわけで‥‥。 沖縄がイラク戦争の出撃拠点として米軍にとって重要な役割を果たしているように、米軍は日本を自国の戦争の基地としか見ていないのは明らか。 口を開けば戦後民主主義を「自虐史観」と声高にののしる日の丸万歳の人たち。彼らがこのような屈辱的な安保条約を取り結ぶ日本を「自虐国家」となぜ言わないのか……不思議。 9月16日(木)快晴 PM4.20、K記念病院で鍼。5.30、上野でマッサージ。PM7.30帰宅。 BBCとのインタビューでアナン国連事務総長が「イラク戦争は国連憲章の観点からも違法」と断言。国連安全保障理事会の重要性を強調した。すかさず、川口外相が「日本は違法と考えていない」と表明。忠犬ポチ。 イスラエルの核開発を暴露して国家反逆罪に問われ、今年4月に18年間の刑期を終えた元技術者のモルデハイ・バヌヌ氏(49)がイスラエル国籍の放棄を検討しているという。イスラエルのチャンネル2テレビに「普通の生活がしたい」と語った。イスラエルでは裏切り者のレッテルを張られ、母国モロッコやイギリスに市民権を申請しても色よい返事がもらえず、この発言になった模様。「なれるものならパレスチナ人になりたい」とも。 国家機密を告発したことで一生つきまとう「裏切り者」のレッテル。日本の「内部告発者保護法」はどう機能するか……。 OECD(経済協力開発機構)の調査によれば、大学など高等教育卒業者に占める女性の割合は加盟国中最低だったことが判明した。なんと98年以降5年連続で最低記録を更新したという。 日本の場合、学士39%(各国平均55%)、修士26%(同51%)、博士23%(同40%)でいずれも加盟国中最低。 また、GDP(国内総生産)に対する公的財政教育支出の割合も3・5%で各国平均の5%を下回った。 「OECDの定義では短大卒業が高等教育卒業者に含まれないため」と文部科学省は反論するが、「女に学問はいらない」の風潮が背景にあることは確か。問題なのは、日本がいかに「教育」に税金を投入していないかだろう。こんな「最低」の国の政府が、「義務教育費国庫負担金を削減対象とする改革案」を提出、義務教育費を「末端」の国民に負担させようとしているのだから笑止千万。 9月15日(水)快晴 10.00起床。疲労がたまっているのか、目覚めが悪い。 PM3.30、歯医者へ。定期検診。 6.00~9.00、躰道稽古。中堅クラスがほとんど休み。大会疲れか。 今日は基本技から。まだ初心者であり、大会出場で勝ったのは、筆算もできないのに、電卓で計算して勝ったようなもの。基本を覚えないと昇段は難しい。 9月14日(火)快晴 PM7、恵比寿。テアトル・エコー「半変化束恋道中(はんばけたばこいのみちゆき)」。 ベテラン作家・岡本蛍の29年前の処女作。嫁入りの途中で雷様に犯され、身ごもったキツネの娘のおかしくも波乱に満ちた人生道中。村の青年団の祭りで行われる村芝居という設定。キツネのお面をつけた青年団の男女が、劇中劇を演じる二重構造。稲荷神社の境内をセットに、両脇に和太鼓を配置。マイク片手に歌と踊りのお江戸ミュージカル。若手役者の中に太田淑子、沢りつおの良ベテラン。主役のお束に、ぼっちゃり演技派・吉川亜紀子。相手役の染五郎にイケメン川本克彦。休憩15分挟んでの2時間15分。セリフも名調子、音楽も今風のアレンジで躍動感あり。言葉、歌、踊り、音楽ーーすべてのアンサンブルよく、客席は程よい熱気。さすがに歴史のあるエコーの底力。役者ではスレンダーなきっかわ佳代に着目。 9.15終演。 途中下車して「S」で飲んでいこういかと思ったが、地下鉄に乗ったら睡魔に襲われ、ウトウト。気がつけば自分の降車駅。日曜以来の疲れがたまっているのだろう。帰宅して軽くビールを飲んでそのまま横になり、朝まで。 9月13日(月)快晴 PM3、SMAのW辺氏とお茶。来月、スフィアで行われるタップ公演の件。聞けば、W氏の父親が亡くなったのは先日のジムノのクアトロ・ライブの前日。「雨の日でしたから、弔問客も大変だったと思います」 同世代、思いは共通する。 PM7、新宿。紀伊國屋ホールでG2プロデュース「痛くなるまで目に入れろ」。長塚圭史を意識したような”いやな感じの芝居”。ヤクザの裏前をハネて逃亡した男が5年ぶりに現れるが、彼には記憶障害があり、所々、過去の記憶が曖昧で……。生まれてからずっと父親に人生の軌道を敷かれ続ける男の陰惨な物語。ギャグ、ホラー、サスペンスーー相変わらず、B級狙いの舞台で、今回は特にブラックな味付け。ホン自体にはさして面白みはない。これは役者の「遊び」を見る舞台。山内圭哉、中山祐一郎、曽世海児、久保田浩、岩橋道子、松下好、シルビア・グラブ、陰山泰ら旬の役者が勢ぞろい。彼らの演技を見るだけでよしとしたい。 ギャグ系の中でやや浮き気味の陰山、岩橋、松下のキュート系は若さで松下。 安定感あるG2の演出は悪くない。 9.10終演。家に直行。宮部みゆき「理由」読了。 9月12日(日)快晴 6.00起床。8.00、綾瀬の東京武道館へ。早く着きすぎたため、しばらく開館待ち。8.30、Y師範らと合流、入館。 すぐに着替えて準備体操。第14回社会人大会。参加選手は全国から約150人。 9.30、予選大会スタート。3つのコートに分かれて、団体、個人の「法形」(型)と「実戦」予選が同時進行。10.40、個人法形(新人・級位の部)で第一次予選。相手は色帯(紫)、こっちは3カ月の白帯。さすがに初めての試合に緊張。体の動きがぎごちなく感じる。対戦を終えて、審判の旗が上がるのを待つ時間の長さ。2・1で自分に旗が上がったのを見た瞬間、内心「ヤッタ」と快哉。 新人・級位(茶帯以下)の参加者が少ないので、次が優勝決定戦。相手は同じ支部のSさん。年下だが3年先輩。「団体戦」予選は息が合わず、9位と惨敗。午後からは優勝大会に切り替え。開会式後、すぐに試合開始。 同じ支部のI氏が個人実戦で足を負傷、優勝決定戦で不戦勝負け。 S氏との優勝決定戦。やっぱり緊張。体がガチガチなのがわかる。3年対3カ月ではやはり分が悪かったか。旗3本S氏に上がり、ストレート負け。勝つ気でいたのに、ガックリ。勝負は厳しい。 試合が終わったので、応援に来ていた家族は早めに引き上げ。 4.00、閉会式。賞状とメダル授与。 ![]() 終了後、近くのホテルの宴会場に移り、懇親会。一参加者なのに、Y師範がわざわざ幹部用バスに乗せてくれて、ホテルに先着。協会幹部らを紹介してくれる。 しばらくしてから徒歩で三々五々、大会参加者が集合。沖縄・琉球大のT教授の司会で懇親会。青森の支部から参加したグループに挨拶。師範は黒石のりんご園の経営者とか。北里大の躰道部の指導者ということで、フランスからの留学生も参加している。 一般的に武道は上下関係が厳しくて、こんななごやかに先輩、後輩、幹部らが懇親することはないらしいが、「躰道は民主的だからね。上も下もないんだ」とY師範。 「創始者の祝嶺正献先生は躰道は85パーセント完成された。あとの15パーセントは皆がそれぞれ創意工夫し完成させるべきとおっしゃった。つまり躰道はこれからみんなで作っていくもの」との幹部挨拶が躰道の民主性を象徴している。流派もなく、華道や舞踊のようにトップが収益を吸い上げる「家元制度」もない。来年は4年に一度の国際大会が東欧で開催される。 ステージで紹介される各支部の会員たちは「バック転」でサービス。アクロバティックな体技を多用する躰道にバック転、捻転は欠かせない。 笑いと和やかな交歓のうちに7.40、解散。8.15帰宅。 ![]() 母が亡くなった9年前、初めて小劇場の舞台に立ち、「役者」を経験した。今年、父が亡くなり、初めて「武道」に挑戦してみた。9年前は「そんなバカみたいなマネして‥‥」と苦笑していた父。しかし、今年は「何、そんな年になってわけのわからないこと始めて‥‥」と笑いながら言ってくれる人がいない。 9年前は歌や踊りが好きだった母への供養、今年は父への供養……になるのか。 10.00、お酒と疲労でクタクタ。早めに就寝。 9月11日(土)晴れ 仕事を終えてPM2、ル テアトル銀座で「ウェストサイドワルツ」。若尾文子が初の翻訳劇に挑戦するということで話題のアーネスト・トンプソン作品。 ニューヨークのアパートで暮らす元ピアノ教師と、別の階に住む、おせっかい焼きのヴァイオリニスト(寿ひずる)。2人でピアノとヴァイオリンを演奏しながら語り合うのが彼女たちの日常の楽しみ。ある日、「同居人募集」の告知を見たという女優志願の若い女性(浅野温子)が飛び込んで来る。世代の異なる3人は、次第にぶつかり合うことも多くなっていく‥‥。 3女優がそれぞれの世代の女性を好演。役とはいえ、クルマ椅子に乗る若尾文子。彼女のファンから見れば「なにもそんな役を‥‥」と思うだろうが、肉体の衰えにも関わらず、精神の気高さを感じさせる演技は風格を漂わせ、さすがは大ベテラン。翻訳劇でも違和感はない。 4.45終演。5・20、上野。癒処でマッサージ。 7.20、三軒茶屋。スタジオスパーク1で第1回「スパーク1演劇祭」。劇団「全力!クランク」の「タイガー」。ジャングルの中をさ迷うトラ(と信じている男)、ライオン(だと思っている男)、探検隊員ら。彼らが向かう先には何があるのか。近未来、すでに戦争一色の日本を遠景にしたハーフシリアスコメディー。 テーマは理解できるが、間延びした演出、セリフをなぞるだけの役者。クスリとも笑えず。 8.50、石田氏の奥さんに挨拶して家路に。 10.00。早めに就寝。 9月10日(金)雨 PM7、小雨降る六本木。旧防衛庁跡を通り過ぎ、乃木坂方面へ下ったすぐの所にシアター&バー「COREDO」がある。桃井かおりの兄で、日活ロマンポルノの脚本を手がけたこともある桃井章氏の店。高谷信之氏の劇団「ギルド」が最近、ここを使っている。 今日はホモフィクタス公演「火ここになき灰」。主宰者の芥正彦氏と元黒テントの名花・新井純によるリーディング。テキストはフランスの哲学者ジャック・デリダの作品。 椅子を四方の壁に配置し、真ん中に空間を作り、そこを舞台に。客席の間に一脚ずつ置かれた椅子に2人が腰掛け(といっても、芥氏は絶えず動き回り、時に舞踏さながら床に沈む)、テキストを朗読する。 灰をテーマにしたテキストは難解であり、さながら現代詩。デリダと女優キャロル・ブーケによる朗読のカセット版もあるということで、上演前に芥氏が紹介。「灰」「火」「ホロコースト」--フランス語の「言葉遊び」を日本語に翻訳するのはなかなか困難。「フランス訛りで‥‥」という箇所を東北訛りで発音し、「おっとこれはテラヤマだ」と笑いを誘う芥。 耳で聞くには難解すぎるので、スライドでテキストを投影。芥氏が説明する。黒衣に面紗のベール姿の新井純、芥氏に「お互い60年代から芝居やってて、同級生みたいなもの」と紹介されるとはにかんだような表情。実際「同い歳」とのこと。かつてのアングラの名花の気風と艶やかさを失わない新井純の凛とした姿。 1時間20分。コックリ居眠りする客も何人かいたが、朗読、スライド、演技による舞台の立体感が効果的で退屈する暇を与えない。 隣席の西堂氏と開演前におしゃべり。彼も77年の右翼乱入で大混乱となった俳優座劇場公演を見ているという。 8.40終演。万代氏、高見沢さんに「残って飲んでいきませんか」と誘われるが、翌日の仕事を考えると躊躇、残念だが、早々に引き上げる。 それにしても、芥正彦氏は長身痩躯、長髪にラフなジャケットがよく似合い、端正な面立ちはアングラ貴公子の面影を残し、まったく年齢を感じさせない。その雰囲気はシーザーと似ている。このように年齢を重ねたいもの。 9月9日(木)快晴 PM3~5.40。原宿・新ビッグトップで「HEART of GOLD」のゲネプロ。ダンスユニット「EXILE」、松本莉緒を主演にしたヒップホップ・エンターテインメント。惑星ケラシオンで全滅した先遣隊。その20年後に再び、惑星を訪れた人間と、惑星で生まれた美少女、不老不死のクスリの元となる赤い花の争奪戦が描かれる。 物語をリードする「EXILE」のATSUSHI、SHUNのツイン・ボーカルが素晴らしい。松本莉緒の放つ美少女オーラにクラクラ。三咲レアがワイヤーで華麗な空中戦。客席に届く「愛と平和」のメッセージ。何度でも足を運びたい、そんな気にさせる文句なしのエンターテインメント。カーテンコールで三咲レアの目に感動の涙が光る。相島、春海儲け役。 8.30、理髪店に寄ってから帰宅。 9月8日(水)快晴 ピーカン照りの一日。夏に戻ったような暑さ。 7.00起床。日記書き。正午、頼んでおいたソファが届く。でかい! 狭い家がますます狭くなる。 PM2.30。T川駅。中学の同級生Eと待ち合わせ。30年ぶり。10代からいきなり時空をひとっ飛び。待ち合わせの時間が近づくにつれ不安に。変わってるかなぁ。 5分遅れで改札を抜けると、壁際に立っている女性と目が合う。昔からスレンダーだったが、今も変わらず細身で、しかもメチャ綺麗になって……。 近くの喫茶店でおしゃべり。さっぱりとした気性、べたつかない性格は相変わらず。高校時代のほんのわずかな期間、今の高校生から見ればままごとのような淡い恋。「家に遊びに行ったとき、○○のお母さんがカルピスを作ってくれたことおぼえてるよ。何年かして帰省した時、”E子ちゃんがお嫁に来てくれたらね……”って言われたの。でも、その頃、もう○○とは音信不通だったからね」 あれから長い時間がたったのに、まるでつい昨日のことのように思える出会いと別れ。 「えーっ、○○にマフラー編んで送ったの? 編み物なんてそのとき以来してないんじゃないかな。頑張ったんだ、当時のわたし、フフフ」 思い出話が次々と。 家族に恵まれ、幸せを絵に描いたような現在のEの生活。 こういう再会があるから人生は捨てたもんじゃない。5.00、またの再会を約して別れ。駅でサヨナラをするしぐさなど、まるで高校時代そのまま。 帰りの電車の中で聴きたくなった音楽は……大瀧詠一の「スピーチバルーン」。この歌を聴くといつも林静一のイラストが目に浮かぶ。海を見つめる少女。「ほっ」という明朝体の言葉がまるっこい「吹きだし」の中にあり……。今の気分は「ロングバケーション」。 6.30、躰道稽古。今日が試合前の最後の稽古とあって、熱が入る。8時終了だが、9時まで居残り稽古。10.00帰宅。 9月7日(火)晴れ時々雨 台風18号接近。 PM5、秋葉原経由で新宿。PM7、シアタートップスでウォーキング・スタッフ「ハレルヤ」。受付で石井K美子さんに挨拶。 ロビーにいたRUPのI間さんとヴィレッジのH川氏に挨拶。「ご無沙汰しています。今開店休業中で……」と笑顔のI間さん。 和田憲明の新作は、ITバブルがはじけて莫大な借金を背負った若い経営者が、債権者から逃れるため、妻、母とともに、地方に住む義兄の離れ家に匿われるが、その前に現れたヤクザらしい男とその舎弟によって、母親は次第に精神の均衡を失っていき、妻はヤクザを愛するようになり……というお決まりの極限下芝居。 今回のヒロインは田中美里。母親にベテラン・田島令子。狡猾なヤクザ・鈴木省吾がなんといっても存在感のある演技。 「ワークショップ」から立ち上げる和田憲明の舞台は俳優を既成の演技論の縛りから解放させることが主目的。多少物語のつじつまが合わなくても関係ない。情念の演劇。 自己破産したバブル社長が、香港に高飛び、現地で働きながら才能を見込まれ、新しいプロジェクトを任されていた……なんていうサイドストーリーは、自己破産した時点で免責が出るまで居住地の制限を受けるわけだから、不可能。ヤミの手引きであったとしても、その時点で自己破産が取り消されるわけで、破綻している。 そんな矛盾を差し引いても、タレント俳優にとっては和田式はワンステップ向上の駆け込み寺。 今回は田中美里の女優としての新生面に注目したが、貞淑な妻、元アルコール中毒のキャバクラ嬢、危険な匂いのする男にひかれていく女の失墜感ーーさまざまな顔を見せられるはずなのに、表層的にしか伝わってこない。テレビの清純派のイメージから脱し切れていないのが残念。 9.20終演。北村○起哉が階段のそばにいたので、ひじを突っつくと、バネ仕掛けのようにクルリと向き直り「ご無沙汰してます!」。売れっ子になっても相変わらず礼儀正しい好青年。 10.30帰宅。 ロシア学校占拠事件で、犯人側と交渉に当たったアウシェフ前イングーシ共和国大統領が、「市民が放った銃撃が悲劇を呼んだ」と、ロシア紙「ノバヤ・ガゼータ」に語った。 同氏によれば、銃撃発生時、同氏は武装集団のリーダーと電話で交渉中。突然銃声が聞こえたので、「撃つな!」と相手に要求した。しかし、犯人側は「こちらは銃撃をやめている。そちらが撃っているのだ。これは攻撃だ」と叫んだ。 「違う。部隊は動いていない」 「お前たちが撃っている。すべて爆破してやる」 その直後、犯人が爆弾を起爆させたという。 「愚かな市民のためにすべてが暗転した」 アウシェフ氏は市民突入を非難した。 同氏は、犯人との交渉で人質解放を実現、再度の交渉を確約していたという。 昨日の報道でも、武装した「父兄義勇隊」の市民が警備網をかいくぐって学校に突進したことが目撃されている。警備網の甘さは、犯人側の数人がどさくさにまぎれて逃亡したことでも明らかだが、わが子を救おうと武装し、突入した市民が結果的に多大な犠牲を引き起こしたのだとしたら、あまりにも悲劇的だ。 9月6日(月)快晴 仕事の帰りに、Sシネマでチャン・イーモウ監督の「LOVERS」。金城武、アンディ・ラウの間で揺れるヒロインのチャン・ツィイーの可憐さ&妖艶さ。竹林のシーンはワイヤーアクションの極致。その様式美に陶然。豆礫が飛ぶシーンに鈴木清順監督の「けんかえれじい」を想起。 7.30帰宅。夕飯は味噌仕立ての鍋。 ロシアの学校人質事件。人質1270人のうち、死者は700人以上にも拡大する見通し。少年少女たちのむごたらしい遺体写真は正視できない。わが子がこの中にいると考えるならその親は正気ではいられないだろう。 なぜ、これだけの死者が出たのか。 ロシア警察当局の発表では放置された遺体を「回収」するために犯人側と合意、連邦非常事態省の車が校舎に近づいた時、建物内で2度の爆発が起こり、それがきっかけとなり銃撃戦となったという。 しかし、生還した人質の証言では、ロシア当局の車の中から数人の工作員が飛び出し壁を爆破、突破口を開けた。そこに人質生徒のたちの家族で作られた「父親義勇部隊」が突入。銃撃戦になったという。どちらが本当なのかは藪の中だが、1270人という人質の大部分が死傷する大惨事になったのは事実。 一般市民が建物を取り囲み、義勇隊を募って学校に突入するのを警察がそのまま放置するなど、考えられないこと。中も無秩序、外も無秩序では、偶発的な銃撃戦が始まれば多数の犠牲者が出るのは当たり前のことで、ロシア当局の警備の不手際が指弾されても仕方ない。 9月5日(日)雨 6.30起床。子供と一緒にS木市へ。 9~12、躰道稽古。1週間ぶり。それも、まだ痛みが消えず違和感のある右足。どうなるかと心配したが、どうにか団体競技の稽古もつつがなく終え、個人競技の稽古ではうるさ型のI川師範が「びっくりしました。○○さん、2、3カ月でこんなに巧くなるとは」と声を掛けてくれる。ほめられれば……のB型にこれ以上の妙薬はない。 12.30、最寄り駅までY先生が送ってくれる。2.00帰宅。部屋の片付け。 9月4日(土)雨夕方雷雨 PM2、青山スパイラルホールで青い鳥「シンデレラ・ファイナル」。82年初演の青い鳥の転機になった作品。アパートからコつ然と姿を消した友人を探す考子が迷い込んだのはシンデレラの世界。現実と幻想世界が通底する孤独なファンタジー。 シンデレラが本当にほしかったものはなんだったのだろう。馬車やドレスが12時になると元に戻るのに、どうしてガラスの靴だけはそのままなんだろう?」 その問いかけに答えようとする青い鳥の真摯な舞台。 80年代小劇場の香りを残す「四畳半演劇」の演出に、衣裳、音楽の重厚さが加味。 オリジナルメンバーは天光眞弓、芹川藍、葛西佐紀のみ。天衣織女、伊沢磨紀はお休み。 パンフを読んだら、メンバーのうち3人までも携帯電話を持っていないという事実に感動してしまう。青い鳥の原理主義? 毎日新聞のT橋さんと駅まで。「これから歌舞伎座なんですよ」と急ぎ足。 PM5、秋葉原で夕食。ソワレに時間があるので、暇つぶしに駅前の家電量販店「R」の1階で、セコハンビデオを物色。高取さんの「聖ミカエラ学園漂流記」の続編アニメがあったので購入。いつの間にこんなのが出ていたのか。表紙を見るとオタク系アニメっぽいが‥‥。 そのまま、店内を5階まで巡るが、店員が所在なさそうに立っているだけで客の影がまったくない。あの広い店内に客は一人だけ。ウーン、これは深刻。1階で古本やら古ビデオを売らざるを得ないわけだ。店を出ると土砂降りの雨。 PM7、両国。シアターXで「泥棒論語」。土砂降りのため、出口でしばらく足止め。しかし、いっこうに止む気配なく、劇場まで駆け足。 傘をさしても肩口が濡れ、足元から水が吸いあがるほどのザンザン降り。 ロビーにいた大澤さんと立ち話。田之倉氏、山口昌男先生、九條さんと一緒。白石さん「去年も初日はこんな大雨でした」 さて、「泥棒論語」。花田清輝1957年の戯曲で、初演は土方与志演出、音楽は、いずみたくだったとか。 物語は平安末期、土佐から任を終えて帰京する紀貫之。「京に戻ったら発表する」と漏らしたため、「男がすなる‥‥」の「土佐日記」を任地での政治的記録と勘違いした連中が、その文書を葬り去ろうとつけ狙う様子を描いたナンセンス活劇。 一行とは紀貫之と娘の紅梅姫、息子の時文、そして「拾い屋」から託された「霧」という名の娘。彼女の目的は陰陽道を究めるために、京で安倍幽明(晴明)に師事したいということ。 しかし、海路では、忠実な従者、実は橘の季衝の手先の縄掛けの地蔵に襲われ、万事休す。そこに、藤原純友が率いる新宮の滝夜叉、マサカリ太郎ら「解放軍」が現れ、地蔵を縛り上げ、人民裁判にかける。地蔵をどうするか。「反革命」を断罪する純友と、それに否を唱える貫之の問答が面白い。 名前が「一をもって之を貫く」に拠るなら、「きのつらゆき」ではなく「きのつらぬき」と読むべきだと、古の書物を引いて貫之に迫る純友は理想主義者であり、ラジカリスト=原理主義者。この純友との問答や、後に登場する平将門と純友を共闘させるなど、貫之の「左右」弁別しないスタンスが、作者・花田清輝の思想を体現しているのだろう。 冒頭、乞食の「賽の河原早発」と武者のマサカリ太郎が「泥棒をするのか乞食になるか」という二者選択を言い募るシーンがこの戯曲のテーマとなる。 「泥棒をするか乞食になるか」、「戦争か平和か」「泥棒するくらいなら乞食になったほうがマシ」「乞食をするなら泥棒になったほうがマシ」ーーまさに今の時代にこそ切実なテーマだろう。 それは「平和」を選ぶか「戦争」を選ぶかという単純な二者選択ではない。今我々が目にしているのは「世界平和と民主的な秩序の回復」のために戦争をしている国家であり、「平和」のために戦争ができる国家を目指しているこの国の姿だ。 「たおやめぶり」=優美さ武器に、非暴力を貫く貫之に仮託されるのは「泥棒と乞食」=「侵略と隷従」に陥らない「第三の道」は我々にはないものか、との問いかけ。「1000年先か、もっと先か……」と貫之が慨嘆する「第三の道」は、21世紀の今こそ切実な問題。 果たして「第三の道」は……。 舞台は、そんな難しい形而上的なテーマを「大衆性」に置き換え、唄あり、踊りあり、そして派手な立ち回りありの大娯楽作に仕上げている。韜晦趣味の演出に走らず、シンプルにセリフを重視した構成が、作品のテーマを際立たせる。貫之役の知念正文のひょうひょうとした演技が舞台の空気を和ませる。儲け役は吉野俊則。出ずっぱりで縄掛け地蔵役を好演。肩の力が抜けた芝居がいい。井内俊一もコメディーリリーフとして相変わらず練熟の芝居。紅梅姫役は北区つかこうへい劇団出身の中村真知子もこなれた演技。青江薫の重厚さ、磯見藩の軽妙さ、大川亜里沙の清純さ……役者陣がいつにもまして好調。 「わかりやすくて奥の深い」花田清輝の戯曲をよく体現していた。 終演後、知念さんと立ち話。「いやー、今日いらしてたんですか」と苦笑いの知念さん。途中、セリフが出ずに立ち往生……の場面があったので、ちょっぴり気にしていたみたい。さすがにベテランなので、その場の切り抜けはうまかったが。 10.30まで、四方山話。楽日の翌日が戯画の本番だそうで、多忙の様子。舞台を優先させるため、「国民的テレビドラマ」の出演を断ってしまったとか。「やっぱり舞台が好きなんですよ」 白石さんに「ちょっと飲みに行きませんか」と誘われるも、明日の朝、躰道稽古があるので、残念ながら次の機会に。0.00帰宅。 9月3日(金)晴れ PM5、下北沢。喫茶店ZACでK・A氏への手紙清書。途中で佐○○昭一郎氏から電話。外に出て10数分会話。最近の放送局時事ニュースの件。 PM7、スズナリで演劇集団THE・ガジラ「八月の狩り」。 井上光晴の戯曲「八月の狩り」と小説「他国の死」を元に、「戦争と人間」の本質に迫る密室劇。 朝鮮戦争で米軍の使役夫として「従軍」した日本人労働者たちが存在する。「非戦闘地域であるから危険はない。絶対に戦闘行為はしない」ーー通常の3倍の賃金をもらい、戦場で働いた彼ら。その主な任務は米兵の遺体を掘り出し、洗浄すること。時には、別々の遺体をつなぎ合わせて一体の遺体を作ることもある。米軍にとって、戦死者をきれいな姿で遺族に送り届けることは、戦争遂行の上で重要な任務。 しかし、彼らに課せられたのは必ずしも、遺体洗浄だけではない。撤退する際に、占領地に米軍が何かをばら撒く手伝いもしている。井上光晴の戯曲では、それが帰村する住民を狙った細菌兵器であるという告発劇の形をとっている。 しかし、鐘下辰男は、細菌戦の実態を描くよりも、朝鮮戦争に関与した日本人=非戦闘員の姿を描くことに主眼を置く。 他国の戦争に「非戦闘員」として参加し、「非戦闘地域で安全に」支援することの意味。つまり、現在のイラク戦争と自衛隊=日本人を描こうとしたのだ。 「”非戦闘員である””戦争行為はしない”から我々は米軍の作戦と無関係だ」そう反駁しながらも、女性GIたちの尋問により、「戦争」の本質に向き合うことを余儀なくされる、「無辜なる」労働者たち。 繰り返される米軍による尋問、除隊後の精神病院での医者の尋問、過去と現在、空間と時間がめまぐるしく往還する舞台はスリリングで濃密。4人の作業員、3人の女性GI、医師、理事長などを俳優たちが一人数役を演じる。綿密に計算され、凝縮された舞台は、世界の演劇レベルをはるかに超えている。 労働者を演じた吉田朝、若杉宏二、白井圭太、加地竜也。理事役の福士惠二、医師役KONTA、そして円城寺あや、小林愛、征矢かおる。どれもがすばらしい演技。特に白井、小林愛◎。小林愛はそろそろ一人立ちしてもいいのでは……。 9.00。終演後、ロビーで流山児、山中聡らと雑談。声の出演が塩野谷と宮島健だったとは気がつかなかった。朝鮮人のモノローグは流山児★事務所にいる留学生とか。「あのシーン、泣いたよ」と流山児。確かに訥々としたモノローグには真情あふれていた。 「昨日、ドラマが終わったばかりで……。高橋伴明監督の映画の撮影が終わったばかり」という山中聡。テレビを見ないのでわからないが、今や売れっ子なのだろう。 楽屋から出てきた福士、KONTAに挨拶。「ブラジルから帰ってきたばかりで、体ができていなかったから、足をケガしちゃって。でも、もう大丈夫だけど」と福士。この前の「国粋主義者のための戦争寓話」での若松武史もそうだが、天井桟敷出身俳優は鐘下辰男の要望で、「大滅亡」をやらされる傾向にあるようで、今日も、机の上での痙攣から、のたうちまわって床に落下、そこでも発作……というシーンが福士に与えられた。さすがに体のキレはあり、まだまだいけるが、天井桟敷というだけで、「大滅亡」もなぁ……。 日野氏と一緒に、芝居を見に来ていた偏陸氏に挨拶して家路に。偏陸は宇野亜喜良演出の「上海異人娼館」の演出助手を務めている。「稽古場にも来て」と笑顔。 10.30。駅に着いてからTGCの宮○さんに電話。ふるさとCMの絵コンテの説明。月曜日には仕上げてくれるとのことで、心強い。 沖縄の墜落米軍ヘリに「微量放射性物質」。沖縄の環境調査協議会に対し、米海兵隊環境保全課が「ヘリの器具にベータ波を出す微量の放射性物質が使われていた」と答えていたことが3日明らかに。具体的なデータは相変わらず出していない米軍。 墜落後のすばやい「隠ぺい工作」に、当初から「劣化ウラン弾を積んでいたのでは」とか「核物質を搭載していたのでは」という疑惑が持たれていたが、県の調査で放射性物質が検出されると、「部品に使っていた」と言いはじめる。これはまだウラがある。 今回のヘリ墜落で思い出すのが1968年公開の映画「魚が出てきた日」。マイケル・カコヤニス監督のブラックでシュールなコメディーだ。核を積載した米軍機がギリシャの小島上空で墜落。積載された核を探す2人の米兵、拾った羊飼いの老人、遺跡調査に訪れた考古学者(キャンデス・バーゲン)らの人間模様が狂熱のサイケ・ダンス音楽にのせて描かれていた。 70年代には「ぴあ」の「もあテン」で上位に入っていたのに、DVD化もされていないらしい。確か、実家にテレビ録画版があったはずだが……。 9月2日(木)快晴 先日買ったガールズバンド「つしまみれ」の「創造妊娠」を聴く。演奏もいいし、歌の遊び心がいい。椎名林檎以来の逸材……とは言いすぎか。 PM4.20 、2週間ぶりの鍼治療。2週間、間を置いても症状に変化がないというのは鍼の効果は? 5.30、肩がつらいので上野のマッサージ。終わったら7時。横浜に行くつもりが、時間押し。やむなくそのまま帰宅。 11月発売予定のジムノの新曲試聴。3曲とも素晴らしいデキ。 9月1日(水)快晴 ピーカン照りの一日。休暇とあって朝のまどろみタイムが心地よい。その夢うつつの時間が人間のカンを冴えさせるのか、ふるさとCMのアイデアがピカッとひらめいてしまう。これは2年連続大賞間違いない。「小学生28人とのコラボレーション」がネックだったが、難なくクリアするアイデアに自画自賛。 郵便局、銀行と雑用で一日が過ぎ、気がつくと夕方。躰道稽古をどうしようかと悩んだが、まだ本調子じゃないのに行って悪化させたら元も子もないので、やむなく稽古休み。大会まであと10日、大丈夫かな。 |