11月30日(火)晴れ PM7.00。新宿。和幸でヒレロースご飯1186円。ABCマートでROCKPORTの黒のカジュアルシューズ1万6485円。 PM7.30、シアタートップスで道学先生「酒坊ちゃん」。中島淳彦と道学先生の役者たちのコンビネーションは史上最強。今回は郷田ほづみが演出。ボランティアで、アル中の男たちを自立させるための断酒会を主宰、彼らを雇い、改造アパートに住まわせている酒屋の社長。ある日、賄いをしているおばさんを頼って、彼女が昔家政婦をしていた家の「坊ちゃん」が転がり込んでくる。向こうッ気の強い「坊ちゃん」は大学生の時に教育実習先の学校で暴力事件を起こし、それ以来ドロップアウトしてバンド活動にのめりこんでいたらしい。物語は、坊ちゃんの隠された恋愛問題を軸に、酒屋に集う風変わりなアル中男たちやイヤ味な番頭、タクシー運転手、スナックのアルバイト女性など、さまざまな人間模様をコミカルに、時にシリアスに描いたもの。 「道学先生に外れなし」。まさに集団喜劇を描かせたら日本一。中島淳彦の手腕が冴える一編。人物描写のうまさはダントツ。集団喜劇は三谷幸喜よりも上手と見た。この劇団の笑いのツボは自分にとって完璧。青山勝ほか、役者が素晴らしい。エンディングも味な構成。割れるような観客の拍手が満足度を物語ってる。アル中の手品師役の辻親八が儲け役。9.50終演。11.30帰宅。 11月29日(月)晴れ PM4〜5.30、上野でマッサージ。PM7、原宿。ジムノペディの初ワンマンライブ。差し入れのワインを探しているうちに30分遅刻。原宿でリカーショップを探すのは大変。 遅れて行ったため、超満員の会場は前方席までたどりつけず。仕方なしに、後方でスタンディング。アンコール2回で9.00まで。トータルなバンドの力量も大きいが、やはりナオミのボーカルはずば抜けて素晴らしい。途中、モニターの音が取れずに、珍しくハズしてしまう場面があったが、フォローのMCも堂々としたもの。場数を踏んでMCもうまくなった。 終演後、SMAのM氏、K泉さんに挨拶。居残って打ち上げに軽く参加。着実にファンを増やしているジムノ、これからの展開が楽しみ。小林、ナオミらメンバーに挨拶して引き上げる。 PM11.00帰宅。途中、電車の中でうとうとしていると、突然、子供の頃の夕餉の風景が目の前に浮かぶ。まだ人生の端緒にもつかず、もっとも心安らかだった幼稚園時代。明日は今日の続きではなく、常に「新しい日」だったあの頃。祖父と祖母がいる夕餉の風景。しかし、その中に母の姿はない。病気がちだった母は入退院を繰り返していた。父も週末でなければ家に帰ってこない。土曜の夕方、営林署のディーゼル機関車、丸太を満載した森林鉄道に乗って帰ってくる父の姿を家の前から眺めている。子供の頃を幻視すると、父と母の姿が夕餉の風景に見えないのは、そのためだろうか……。 11月28日(日)晴れ 楽器店に行ってギター弦を買ってきて張り直すも、押さえた指の痛さよ。コードもおぼつかないようで。ま、ぼちぼち……。 タワーレコードでPHAT PHUNKTIONの「you and me」購入。9人編成のジャズ・ファンクアーティスト。これは聴きもの。 中山成彬文部科学相が27日、大分県別府市内で行われたタウンミーティングで「やっと最近になって従軍慰安婦とか、強制連行とか、そういう言葉が減ってきて本当によかった」と言ったとか。 歴史教科書の検定問題に関して述べたもので、「日本は悪いことばかりしてきたというのに、満ち満ちていたときがあった」と過去の歴史教科書を批判、「自虐史観だけはしてはいけない」との認識を示したという。 まったく懲りない国粋主義者たち。06年度から使用する中学教科書の検定作業中で、それを狙った恫喝発言といえる。こんな輩が文部科学相とは。過去の過ちをきちんと認識するのを「自虐」という連中の頭の中身はどうなってるのか。人殺しをした服役囚が出所後に居直って「殺された方に落ち度があった」と吹聴しているようなもの。こんな連中の発言が海外で紹介されるとしたらそれこそ「国辱」ものだろう。 11月27日(土)晴れ PM3.00、池袋で開催中のふるさと自慢市を覗くも、時間がなくて駆け抜けただけ終わる。片手にギターケース抱えては人ごみを歩くのが大変。もらい物のフォークギター。明日は弦を張り替えないと。 4.30、スズナリで青年座「深川安楽亭」。映画「いのちぼうにふろう」のイメージが強すぎるのだが、今回は原作に忠実なのだろうか、安楽亭に集う人々の人情の機微に焦点を当てた舞台。山路和弘の入魂の演技に客席からすすり泣きの声。そして万雷の拍手。山本龍二、壇臣幸らキャスティングに迷うであろうほどの役者陣の充実ぶり。6.35まで。森さんに挨拶して引き上げる。ギターケースを抱えて新宿へ。 住友ビル50階の「ごだいご」で大学時代の語学のクラス会。10人ほど。すでに6.30からスタート。このところ開催間隔があったので、久しぶりの顔あわせ。来年は「全国大会」。今回はその前哨戦。10.00まで。銀行員やテレビ局、弁護士、広告代理店、出版社、公務員、電力会社etc。肩書きは変わっても、中身は昔のまま。糖尿で20キロもやせたというK君と病気談義。話す中身はそれなりに……。ここでもギターケースが注目の的。「下北沢で路上ライブを……」と冗談言っても、本気にするヤツもいたりして。 11.30帰宅。 11月26日(金)晴れ PM4.00、上野でマッサージ。 PM6.30、下北沢。駅前劇場で青年座「諸国を遍歴する二人の騎士の物語」。湯浅実と森塚敏。二人の顔合わせはこの先二度とないかもしれない。今のうちに見ておかないと。下北沢の5劇場を借り切って同時公演する青年座。この劇団は新劇団にありがちな官僚主義がなく実に風通しのいい劇団。組織とはすべからくこうあるべきという見本のような劇団。8.00終演。9.30帰宅。 11月25日(木)晴れ PM3.00、TエコーのA氏と、新人のMさん来社。12月公演の件。 PM5.00、六本木。喫茶店「貴奈」。A・マキさんとお茶。四方山話で6.40まで。マキさんが俳優座劇場で「ワーグナー家の女」を見たということで、びっくり。「何年かぶりで芝居を見たけど、いいわね、舞台は」。 PM7。俳優座劇場で木山事務所「田宮のイメエジ」「この道はいつか来た道」二本立て。新村礼子練熟の演技。 9.10終演。10.30帰宅。 某日、演劇評論家の某氏、某作品について、自信たっぷりに「ウーン、今の時代にぴったりというけど、オレは古さを感じたね」 ……その作品の観劇日に、某氏が最初から最後まで客席で船を漕いでいたのを、まさか後方の席から見られていたとは、気がついていないわけで……。 11月24日(水)晴れ 9.00起床。HPの更新。根を詰めてもなかなか進まず。午後、ネットで取り寄せたDVD「レボルーション6」を見る。映画館で見るのとは趣が違うが、泣けるシーンは同じ。これが2000円で買えるんだから安いもの。夕方、DVD、CDのダビング。このペースだと、ラジオドラマのCD化や、ビデオテープのDVD化なんて、あと何十年かかることか。休みの日はのんびりしたいものだが、逆に疲れるばかり……。 11月23日(火)晴れ 祝日なので起床は10.00。休みといっても、雑事に追われ、一日気の休まる暇なし。午後から、駅の向こうにできた大型スーパーへ。 夕方、帰宅してラジオドラマのダビング。 AM2就寝。 11月22日(月)晴れ PM7.00、天王洲アイル。アートスフィアで「8人の女たち」。ロベール・トマの作品を江守徹が演出。クリスマス・イブの朝、雪に閉ざされた大邸宅で一家の主が殺される。主人の妻、妹、娘たち、義母、家政婦ーー集まっていた家族は一転、全員が容疑者に……。次第に暴かれる、主人と彼女たちの秘密。そして真犯人は誰? 木の実ナナ、山本陽子、安寿ミラ、毬谷友子、佐藤江梨子、ソニン、岡本麗、喜多道枝(加藤治子病気降板で代役)の演技の火花が散るミステリー・コメディー。 よくぞこんな魅力的な女優陣が一堂に会したと思うほど、それぞれ個性と美貌が光る女優たち。 木の実ナナと山本陽子のつばぜり合い、オールドミス役の安寿ミラの大変身、初舞台のソニンの意外な健闘など見どころはたっぷり。 しかし、女優として一番の魅力はやはり毬谷友子の演技。美しくセクシーなメイドという原作の設定に違わず、立ち居振る舞いに目を引く自然な色香。まさに天性の女優。 1950年代という原作の設定を現代にしたため、携帯電話をどのように「不能」にするか、工夫がなされているが、現代劇といっても「今」にこだわらず、10年前あたりに設定すればバタバタせずに済むわけで、芝居の流れをせき止めるだけのあまり意味のない翻案。ソニンの言葉遣いも、「○○じゃん」と、ハスッパな現代ッ子の物言い。極上のミステリーのムードがテレビのコントに見えかねない。江守徹のサービス演出は控えめのほうがいい。 休憩20分挟んで9.40まで。休憩時間に宣伝のY田由紀子さん、沢美也子さんと立ち話。加藤治子さんの病状のことなど。S井英介さんに挨拶。 終演後、沢さんと劇場前の店で軽くビールを。この頃、「芝居探検隊」のメンバーとはめったに会うことがない。K森くんはフットサルをやってるとか。T村さんが半年近く入院していたというのも初耳。11.00、浜松町で沢さんと別れて家路に。 11月21日(日)晴れ 7.00起床。子供と一緒に躰道稽古へ。全日本大会が近いため、出場選手の稽古が主体。 0.30、S木駅の駅ビルで家人と待ち合わせ。食事をして、3時からミニシアターで映画鑑賞。娘は「あなたに、会いにゆきます」、ほかは「ハウルの動く城」へ。封切り直後とあって超満席。 6.00帰宅。 11月20日(土)晴れ 土曜日の午後はゆったり……ともいかず、結局根を詰めて仕事。 PM4.00。博品館劇場で「春にして君を離れ」。アガサ・クリスティーが「自分が百パーセント満足している唯一の本と自認する作品」とか。脚本=高橋知伽江、脚本・演出=大和田伸也。 弁護士の夫と3人の子供に恵まれ、幸せな人生を送っているジョーン。 ある日、バグダットに暮らす末娘を見舞った帰り、悪天候で宿に足止めを食った彼女は、砂漠の砂嵐の中に自分がそれまで気付かずにいた人生の断片を幻視する。使用人の女性と連れ立って丘の上に立ち、何事かささやく夫。夫とあの女の関係は……。末娘は病気というが、本当は自殺を図ったのでは……。押し寄せる疑惑に足元の砂が崩れ落ちるような不安に襲われる。 不安の象徴として、仮面を使うなど、やや古典的幻想シーンの演出もあるのだが、いかんせん主演の多岐川裕美が一本調子なセリフ回し。妄想の中という設定ゆえに、意図的に起伏のない演技しているといえなくもないが、最初から最後までメリハリないのは、やはり演技力の問題か。殺人事件は起こらないが、家族同士がいわば心理的「殺し合い」をするサイコドラマなわけで、役者の力量が試される芝居だけに残念。 愛人役の東てる美は久々に見たが、すっかり貫禄がついて……。10代の頃、彼女のデビューである東京12チャンネルで「あなた眠っちゃいや」という5分間のお色気ショート番組をよく見ていたが、あの頃のスレンダーな面影はなし。ウーム。 勝野雅奈恵はキャッシー中島・勝野洋の娘。ロビーでキャッシーの姿を見るも、やはり歳月の流れを感じさせる。佐野圭亮は里見浩太朗の息子。大和田悠太は大和田伸也の息子と、この舞台は二世タレントぞろい。演技力は引き継いでいるようだが……。 後方席はガラガラ。このところ、どこに行っても客の入ってる舞台を見ない。 PM6.20終演。 駅に急ぎ、回転寿司で腹ごしらえ。回転寿司といってもこの頃は高い。ちょっと油断すると2000円だから、定食の方が安上がり。 PM7.00。六本木に移動し、俳優座劇場で木山事務所「雲の涯(はたて)」。田中千禾夫の一幕劇。同事務所の初演を見ているが、このような傑作とは……。やはり、舞台は演出と俳優に負うところが大きい。 敗戦後のある個人病院。男たちを惑わす不思議な色香を漂わせる看護婦。引退した「大先生」となにやら関係のありそうな麻薬中毒の中年女、戦争で受けた頭の傷が元で、心を病んでいる若い医師。そして、その上に君臨する大先生。 古沼のような、この病院で繰り広げられる、傷ついた獣たちの咆哮。戦争がもたらした狂気と、人間の原罪に迫る告発。俳優たちの演技が素晴らしい。特に、麻薬中毒女を演じた鶉野樹理の演技は特筆もの。終幕、「神が降臨する」場面は身震いするほどの美しさ。木山事務所の連続上演はもっと評価されてしかるべきだろう。 8.45。終演後、木山さんと立ち話。「いやぁ、そんなふうに評価してくれる人はあまりいないですからね」と謙遜とも自嘲ともつかない言葉。この木山事務所の試みが評価されないとすれば、それは日本の演劇界が堕落している証拠。 10.00帰宅。 11月19日(金)雨 PM2.30、劇団TのY村さん来社。1月公演の件。 PM4.30、銀座。喫茶店「K」で佐々木昭一郎&寺山修司ファンのN君、S君とお茶。現役の大学生、それも今時の学生には珍しく硬派で実直。次代を切り開いてくれるであろう彼らの真摯なまなざしに心動かされる。PM8、帰宅。 11月18日(木)雨 自民党憲法調査会が憲法改正素案を発表。 毎日新聞の早版(地方版)は大見出しに「女性天皇を容認」。これだけを見れば”開明的な改正案”と読者は勘違いするかもしれない。見出しの付け方次第で読者の認識は左右される。さすがに、気がさしたのだろう、都内版では、その大見出しを「集団的自衛権行使を明記」と差し変えている。 自民党の素案骨子は次の通り。 1、基本三原理に新たな「平和主義」を明記 2、天皇を国家元首とする 3、国民に国防の責務を課す。(ただし)徴兵制は禁止 4、自衛軍を創設。集団的自衛権の行使と国際貢献のための武力行使を容認 5、国会は二院制を堅持。(ただし)衆院の優越性を強化 6、改憲手続きを現行より簡素化 明治憲法には「天皇は国の元首にして統治権を総攬(そうらん)し」と定められ、外交関係でも条約締結権を持つ天皇が名実共に元首だったが、「象徴」から「元首」への”格上げ”は明治憲法回帰の地ならし。天皇を政治利用する輩こそ、「君側の奸」と呼ぶべきだろう。 「国防の責務」を明記しながら「徴兵制は禁止」というのもマユツバもの。現在の自衛隊では「有事」の際、兵力が足りなくなるのは自明のこと。早晩、徴兵制に向けた地均しがマスコミを使って行われることになるだろう。 「自衛軍」とは、すなわち名実共に自衛隊が「日本軍」になること。 「集団的自衛権の行使」の意味を新聞は既習のものとして解説せず。大方の読者は、「自衛」が入ってるから、わけもわからず、「まあいいんじゃないの」と思うだろうが、「集団的自衛権の行使」とは、同盟関係にある他国に対する攻撃を自国に対する攻撃と同一視して、自国が攻撃を受けていないにもかかわらず、反撃を行うこと。日本が外国から侵略や攻撃を受けたときの「自衛」の意味ではない。 現在の状況下なら、大手を振ってイラク戦争に参戦できるということ。言い換えれば、米国の交戦国から日本も攻撃されるということで、日本が戦場になることを意味する。 二院制を堅持しながら、「衆院の優越性を強化」というのもバカにした話。 で、いくらなんでも、これじゃ国民の同意は得られないだろうというので、「改憲の簡素化」にたどり着く。 国民投票という面倒な手続きを経ず、「各議院の総議員の3分の2以上の賛成で憲法改正案を可決することができる」(改正案の2項目)。 しかも、調査会は定足数にも言及する。 「‥‥各省庁と内閣・政党との関係、一律の国務大臣の出席義務、会議の定足数など、最終的に議会の同意を得るに至るまでの間にあまりにも多くの時間を要するシステムになっているのではないかと‥‥」 この文言が何を意味するかというと、議事の定足数(現憲法56条1項)は、削除すべきであるという意見なのだ。そして、第2項「両議院の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる」は残すという。 簡単に言えば、たとえ何人であろうが、出席議員の過半数さえあれば、どんなことも国会で決められるということ。会社の社員総会だろうが、組合総会だろうが、必ず「定足」を確認してから会議を開く。それを、国会の定足条項を外した方が審議の簡素化になるというのは、もう独裁国家以外の何ものでもない。そうなれば多数党の思いのままの法律が作られる。 まさかそんなバカなこと……と思う人もいるだろうが、「まだまだ」とタカをくくっているうちに気がついたときにモノ言う自由さえ奪われているだろう。 今回の自民憲法調査会の素案は、あくまでもアドバルーンに過ぎない。先の1項から4項までを見て、「こんなバカなこと……」の声が上がるのを見越した上でのこと。真の狙いは5項目の「憲法改正の簡略化」にある。突出した素案を修正に修正を重ねれば国民はコロリとだまされる。「まあ、いいか、この辺で手を打って」で憲法改正GO。 改憲簡素化という自民党にとっての「打出の小槌」さえ手に入れば、あとは、改憲を重ねて、徴兵制だろうが、言論・表現の規制だろうが結社の禁止だろうが思いのまま。 今の憲法改正素案は「次の」憲法改正に向けた「地均し」に過ぎない。 PM5、銀座。ビックパソコン館、山野楽器を覗き、山下書店で野沢尚「呼人」を買う。 PM7。ル テアトル銀座で「ナイル殺人事件」(演出=山田和也)。ロビーで松田政男さんと立話。 自分を捨てて、友人であるブルジョワの娘と結婚した青年をストーカーする若い女性。彼らが乗り込んだ豪華客船の乗客たちのさまざまな人間模様。そして殺人事件のナゾ……。アガサ・クリスティーの同名ミステリーをアガサ自身が舞台化したもので、本来3幕あるものを削って2幕にしたという。そのせいでもないだろうが、正味1時間50分の舞台は中味がスカスカ。じっくりと練り上げて作る舞台ではなく、商業演劇風にさらっと流しているので、ミステリーの醍醐味はまったくなし。トリック自体も、あまりにもチャチで、偶然性に負った殺人とは安易過ぎる。せっかく北大路欣也、淡島千景が出ているのに、可哀想。まるで、オトナの学芸会。見所は森ほさちの艶っぽい姿、小林高鹿の色悪ぶり。岩崎良美はうまいが華がない。松田かほりは勘違い演技。安原義人も場違いな演技。まあ、北大路欣也の芝居を生で見たのだけが救い。昔から好きなんだよなあ、北大路欣也。カーテンコールで花束を渡そうとする中年のおばさんたちへの気遣いに人柄が出ていて好感。 10.30帰宅。 11月17日(水)晴れ 朝から雑用に追われ、気がつくと夕刻。4時半を回るともう街は暮色に包まれる。 東西ドイツ統一以降、東はさらに貧しく、西はさらに富んでいるという状況を見るにつけ、つい、理科の浸透圧実験を思い浮かべてしまう。半透膜を通して、濃度の薄い溶液から濃い溶液に、溶媒が移動する。経済の不均衡は貧者から富者に富が移行して均質化する。物理と経済は同構造? 11月16日(火)晴れ PM7、六本木。俳優座劇場で木山事務所「死者を埋葬れ」。アーウィン・ショーの戯曲を高瀬一樹が演出。当時23歳のアーウィン・ショーのデビュー作。1936年の好戦的なアメリカの状況の中でこのような「反戦劇」が上演されのは、まったく驚嘆するばかり。高瀬一樹は「911」以降のアメリカ社会を見据え、この作品上演にあたったという。それだけに、舞台から立ち上る俳優たちの気迫はすさまじい。いつもの木山事務所のプロデュース作品とは趣を異にするストレートな台詞劇の大傑作。 軍の埋葬特務班が死んだ兵卒6人を埋葬するため、大きな穴を掘っている。死後48時間。死臭にたまらず、口々に不平を訴える兵隊たち。ところが、死体に土をかけようとするとどこからともなくうめき声。見ると、一人、また一人と死者が立ち上がる。驚愕する兵士たち。軍曹は大尉に、大尉は将校に、事の次第を伝える。医師が死亡を宣言しても、牧師が祈りをささげようとしても、死者は立ったまま。「埋めてくれるな」「元の生活に戻りたい」と無表情に懇願する。この反逆的な死者の言動は国家の根幹を揺るがすものとして、報道関係にも瞬く間に広まるが、報道管制の下、軍に握りつぶされてしまう。やがて、死者を慰撫するため、それぞれの愛する女性ーー妻、姉、恋人たちが召集される。彼女たちと向かい合い、永遠に失われてしまった日々について語る死者たち……。 引き締まった演出、俳優の無駄のない演技、そしてきらめくような、詩情あふれる台詞。点数をつけるなら百点満点。70年たっても、「戦争と人間」に対するアクチュアルなアプローチはいささかも色あせない。それどころか、今の時代にこそ痛烈なメッセージ性を帯びる。 PM8.30終演。温泉仲間である伊藤公一さん(巷談舎)とロビーで立話。昔、劇団三期会(?)で上演したことがあるという。 大江戸線で新宿。乗り換えて初台へ。ドアーズで「桃梨」のライブ。ドアーズのF田さん、K出さんに「是非」と誘われていたので駆けつける。入口で高橋さんに挨拶。 アコーデョン奏者のcobaもゲスト出演するためか満員のスタンディング。第三部まであるということで、9.20から三部目。「桃梨」はベーシストのJIGEN、ボーカルの上村美保子のユニット。郡上踊りを取り入れたり、和太鼓、キツネ面をつけてのパフォーマンスなど、アングラっぽい志向も。 10.30終演。JIGENに挨拶して家路に。 12.00帰宅。amazonで買ったCDが届く。「銀幕演歌(ロック)」「続・銀幕演歌(ロック)」。缶チューハイを飲みながら、ヘッドフォンで渡哲也や梶芽衣子の歌を聴いてると1973年、上京した年にタイムスリップしていく。十条銀杏座、赤羽東映。 「かつて、男には行き着くべき魂の喫茶店があった」で始まる藤本TDCのライナーノーツが読ませる。町の盛り場の裏通りにあった名画座。そこで何を見た。 「どしゃ降りの裏路地を匕首を片手に駆け抜ける血まみれの愚連隊。革ジャンを泥で汚しながらオートバイで敵のアジトへ失踪する不敵な番長。裾の乱れも艶やかに、賽の目勝負に柔肌を賭ける女壷振り師。あるいは粋な着流しに身を包み、無表情で死地へ赴く無骨な侠客。男、漢、侠、時に女、おんな……」 「たった十数人の観客の夢と未来が託された主人公が、血泥にまみれながら、手にするちっぽけな栄光。それは観客にとって、数時間後に待ち受ける屈辱的な現実をほんの数分だけでも忘れさせてくれる一縷の希望の光だった」 権力と斬り結び、自滅していったアナーキーな男と女。やくざ映画はどこに行った。 11月15日(月)雨 PM3.30、銀座。山野楽器で入日茜の初アルバム「魂の歌」購入。その後、ビックパソコン館でMDデッキ下見。今持っているデッキには外部出力端子がヘッドフォン端子しかないため、パソコンに取り込むとき出力が安定しない。ネットオークションで見ると、結構安い値段でMDデッキが取引されているようだが。 PM4.30〜6.00、上野でマッサージ。アメ横でシャケトバ買って7.00帰宅。 米軍によるファルージャの大虐殺続く。イラク武装組織各会派が「米軍への抵抗運動を全土に拡大する」と発表。まさにベトナム化。これで、噂されるようにパウエル長官が辞任したら、ブッシュの歯止めがなくなる。反撃の「テロ」は日本国内にも飛び火するだろう。 11月14日(日)晴れ 昨夜のお酒が少し残っているので、のんびり朝風呂。 11.30、身支度を整えて、三軒茶屋へ。途中、駅前のセブンーイレブンで宅急便発送。 PM1.20、三軒茶屋。楽屋入りしていた石田信之さんに挨拶。開演まで事務所で武智大輔さんの漫談に大笑い。ヤクザ映画の俳優さん。目の前でさらさらと筆を滑らせるその書の腕前にびっくり。 PM2〜3.20、スパーク1で喜劇ユニットR・I・B「ミラーマンになりたくて」。昔、森田健作の付き人だったブッチャーブラザースのぶっちゃあとリッキーが、石田信之さんと組んだ、スパーク1演劇祭特別公演。さびれた商店会を舞台に、笑いと涙が交差する人情喜劇。1時間15分と適度な長さ。終演後のトークに大笑い。 6.00。第一回スパーク1演劇祭の授賞式。メインの審査員が欠席のため、プレゼンター役を。 無事に終えて、懇談。ぶっちゃあ、リッキー、泉珠恵らと。8.00、まだ打ち上げは続くも、お先に失礼。 帰りの電車で野沢尚「深紅」読了。緊密で骨太な第一章に比べて、後半の展開がやや安易なのが残念。それにしても、これほど「心の闇」を見事に活写できる作家はいない。 9.30帰宅。疲労困憊で、早めの就寝。 11月13日(土)晴れ PM2〜4.00、六本木・俳優座劇場で木山事務所「新・ワーグナー家の女」(福田善之=作・演出)。 99年初演の作品の改訂版。ワーグナーの息子の嫁、ヴィニフレッドと、その娘・フリーデントの確執を描きながら、「いかなる犠牲を払ってでも、偉大な芸術は守られなければならないのか?」という芸術と政治の問題を主題にした作品。 舞台は、1946年、アメリカに亡命していたフリーデントが帰国する。非ナチ委員会に召喚され、ナチ協力者として裁判にかけられる母親、ヴィニフレッドの危機を救うためであり、裁判のリハーサルを行うというシーンから始まる。 ワーグナーの偉大な業績と芸術を守るため、ヒトラーをパトロンとし、ナチス政権下で栄耀栄華をほしいままにしたヴィニフレッド。「それはナチスと同罪だ」と詰問する娘に対し、「ヒトラーの政治がどうであろうとも、私にとっては、芸術を愛するパトロンだった」と答える。 果たして芸術は純粋に独立存在するものなのかーーこの重い主題は劇中で交わされる偉大な指揮者・トスカニーニとフルトヴェングラーの論争とも交差する。 トスカニーニは言う。 「今日の状況下で、奴隷化された国と自由な国の双方で同時に指揮棒をとることは、芸術家にとって許されることではない。第三帝国で指揮する者はすべてナチである」 これに対し、フルトヴェングラーはこう答える。 「音楽家にとっては自由な国も奴隷化された国もない。音楽はゲシュタポも手だしのできない空間へと人間を連れ出してくれる。私の演奏がたまたまヒトラーの支配する国で行われたからといって、私がヒトラーの代弁者だということになるのだろうか。偉大な音楽はナチスの無分別と非情とに真っ向から対立するのだ。むしろ私はヒトラーの敵になるのではないか」 あくまでも、「政治と音楽は無関係」と言い張るフルトヴェングラーに決別宣言をするトスカニーニ。 リハーサルの終わりに、それまで一言も発せず、じっと聞き入っていた老婆が、重い口を開き、フリーデントにこう言う。 「あなたは二人きりでヒトラーと食事をしたことがあるとか。‥‥ではなぜ、そのとき、ナイフか、もしそれがなかったらフォークで彼を刺し殺さなかったのか。あなたが彼を殺していれば、私の息子たちも、何百万人のユダヤ人も死なずに済んだのに‥‥」 母のナチ協力を責める娘への不条理な一矢。 終幕近く、ヴィニフレッドがなぜ、ワーグナー家に残り、娘を出奔させたか、について「どちらに転んでもワーグナーの音楽が守られると踏んだから」との福田史観が垣間見えるが、戦国時代に大阪が勝っても徳川が勝っても真田家が続くように、幸村と信之に保険をかけた昌幸の深慮遠謀と似ていなくもない‥‥? 椅子と机だけのシンプルな舞台。物語の進行に合わせて、背景に収容所の虐殺死体の写真が投影される。たかべしげこの気高く強い母役はまさに迫真の演技。水野ゆふも偉大な母親を糾弾する”強い”精神の女性を好演。福田善之らしく、音楽の使い方もうまい。編曲・林光。ピアノ演奏は安藤由布樹。「トリスタンとイゾルデ」「ジークフリート」「タンホイザー」「マイスタージンガー」などを、ピアノ生演奏。 芝居の主題とはまた違うが、「音楽は中立であり得るか」との命題は今なお有効だろう。 ナチスの空軍突撃出発の精神高揚に使われたワーグナーの「ワルキューレの騎行」はそのまま、米軍のベトナム空爆の兵士の士気を鼓舞する音楽として使われ、今イラクではクリスチャン・ロック、ヘビメタロックの轟音が虐殺に向かう兵士の脳髄を鼓舞する。 「包丁も使いようでは凶器になる」が、音楽も同じ。しかし、包丁と違って、最初から凶器を目指す音楽もある。 「ロック・ミュージックで人々に催眠術をかけることができる。そして、彼らがもっとも弱いところに来たとき、彼らの潜在意識の中に言いたいことを説くことができる」 ジミー・ヘンドリックスがこう言ったというが、意識の奥底に直接入り込む音楽は、CM、駅のチャイム、ショッピングセンターのBGMなどからわかるように人間の意識を左右する。それゆえの非中立性を説く学者も多いのだが……。 PM4.10、帰社し仕事の続き。PM5.30、銀座。山野楽器をのぞくと、川部しのぶがCi(シー)名義で出したCDが平積みに。山野が独占販売しているのだとか。専用視聴機もあり、特待生扱い。さっそく1枚購入。ついでにUMEKICHIのミニアルバムも。 PM7、笹塚ファクトリー。万有引力「犬を盗る男」。受付でS石さん、M田政男さんと立話。天舞館の市川さん、ナカタケイコさんの顔も。 タイトルから、アルトーの「残酷演劇」系かと思いきや、「くるみ割り人形」から想を得た作品ということで、いつもの万有芝居とは趣の違う「メルヘンタッチ」の芝居。蝶の展翅板のような「箱」が舞台に並び、その移動で役者の出し入れをする。 「不在」をめぐる幻想譚だが、DJと探偵(?)の二人を狂言回しにしたため、いまひとつ全体像がはっきりしない。金粉に包まれた山本由美子が皮膚呼吸の限界まで挑戦。 終演後、白木屋で飲み会。一角でシーザー、M田さん、S石さん、外国人女性らと。恵篤は稽古場からかけつけたとか。 M田さんの北朝鮮による日本人拉致事件への発言にわが意を得たりと内心ニヤリ。さすがはM田さん。「だけど、こういうことを集会で言うと、みんなシーンとなるんだな。しかし……の後は言わないほうがいい、と」 日本人拉致事件が「左」の間にも大きな影を落としているということだ。「左派」の中でさえ、「物言えば唇寒し」の時代。こうして、時代はとめどなく右傾化していく。 後半はA部由輝子と歓談。 11.00、S石、M田さんと電車。M田さんとT中未知さんとのエピソードは初耳。 11月12日(金)曇り時々雨 PM4、仕事を終えて新宿へ。西新宿のケーキ屋「ジョルジュ・サンク」で一条さゆりさんと待ち合わせ。ストリップ界から演劇界の話まで1時間ほど雑談。帰りの電車で彼女の新著「中国的驚愕世界」を読了。PM7.30帰宅。 11月11日(木)晴れ 1週間で一番忙しい木曜日。今日もハードな一日。 PM4.20、御茶ノ水、K記念病院で鍼。その後、上野でマッサージ。PM7、開演ぎりぎりに北千住の新劇場「シアター1010」へ。「エリザベス・レックス」。晩年のシェイクスピアによる、過ぎ去ったある夜の回想ーー。「から騒ぎ」終演後、夜間外出禁止令のため、帰りそびれた役者たちが納屋に集まってくる。そこに現れたのが女王エリザベス1世。女形俳優ネッドや一座の役者たちとのスリリングな会話ゲームの始まり。果たして女王の目的は何か。演劇的な企みに満ちた知的な舞台だが、開演前の前口上で概要を知らされても、人間関係など、いまひとつ分かりづらい。休憩15分挟んで3時間の長丁場。麻実れい相変わらずうまい。奥田瑛二も巧妙な演技。モーリス・ベジャール・バレエ団の中心的ダンサーだった小林十市はこれがデビュー舞台。さすがに色気のある俳優。 10.00終演。電車で家まで20分。長い芝居の割には疲労感まったくなし。なるほど、今まで長い芝居の疲労感は、その芝居の長さではなく、プラス、帰宅にかかる時間の長さ故の疲労感だと改めて気付く。いくら芝居が長くても、劇場から家までの距離が短ければ疲労感はない。なんのことはない、そういうわけか。芝居を見続けるには、宝くじに当たって都内に家を買うしかないか。 PLO議長、ヤセル・アラファト死去。人なつっこい笑顔とアラファト・スカーフ(カフィーア)が似合う稀代の闘争者。同じ、土地を奪われた者として、パレスチナを訪れた三里塚空港反対同盟の戸村一作氏が晩年、アラファトから贈られたというカフィーアを巻いて集会に現れたっけ。アラファト死してもパレスチナの大義は死なず。 11月10日(水)晴れ 午後2、歯医者へ定期健診。帰りに、タワーレコードで「ハウス・ロッキング・ブルース・クリスマス」購入。ココ・テイラー、キャリー・ベルほかのブルースシンガーがブルースでクリスマスを祝う。ボーナストラックはエルヴィン・ビショップほか。解説は小出斉。ブルースプレイヤー兼評論家の彼は学生時代の同級生。もう10数年は会ってないか。 アメリカによるファルージャの大殺戮が続く。大統領選の結果がこんなにもすぐに反映されるとは。武装勢力掃討を掲げてはいるが、そのあおりで罪もない子供や女性が死んで行く。 一方、9日、ロスで開催された反戦集会に2台の戦車が現れ、市民たちを挑発したという。「自由の国」アメリカが狂い始めている。海兵隊所属の戦車というが、不気味。 11月9日(火)晴れ たまたまのぞいたヤフーオークションで佐々木昭一郎氏の著書「創るということ」が出品されており、締め切り前には6千円近くまで値が吊り上がっていた。最終的にはいくらの値がついたかはわからないが、ちょっと手が出ない。あの本を手がけたのはJICC出版(現・宝島社)のO西さんだった。ずいぶん会っていないけど、どうしているんだろう。 そんなことをつらつら考えているとき、当の佐々木さんからメール。返信でオークションのことを書いたら、「昨日、片付けようとした荷物のダンボールの中から新品の本が1冊みつかったんです。偶然に敬意を表して、よかったら差し上げますよ」との言葉。ありがたい。 PM4.30。銀座。山下書店で浅利慶太著「時の光の中で」を買う。「劇団四季の主宰者の戦後史」の副題。普通なら手にも取らない本だが、昨日の毎日新聞の書評で高橋豊さんが紹介しており、「寺山修司との交流についても、大きくスペースを割いて言及している」とあったので、つい……。 7.00からの芝居の前にちょうど一本映画が観る時間があるので、スバル座へ「オールド・ボーイ」を観に行く。ところが、劇場前で眼鏡を取り出そうとしたら、見つからない。もしや……と家に電話すると、やはり躰道稽古着のバッグの中。普段は眼鏡を使用しないので、たまたま出かけるときに、バッグに移したのだろう。 仕方なく、電車で片道1時間かけて眼鏡を取りに家に戻る。往復2時間。その間に「時のーー」を3分の2まで読み進む。 政商という言葉があるが、浅利慶太は「芸商」と呼ぶべきか。四季がここまで膨張したのは政界とのコネクションを利用した浅利慶太独自の工作があるわけだが、そのことについても悪びれることなく触れている。 きっかけは学生時代、当時の首相・佐藤栄作の長州訛りを直すための家庭教師役を佐藤夫人を通して頼まれたこと。それをを足がかりに、自ら保守党の中枢に入り込んでいく。 20代で石原慎太郎とともに日生劇場の重役になるも、その後解任された時のエピソード、元警視総監・秦野章や石原慎太郎の都知事選出馬に際しての暗躍、「ウエストサイドストトーリー」の外国人スタッフに支払う外貨が確保できず、田中角栄に裏工作を頼んだこと。そして、佐藤栄作のテレビ会見の真相……演劇人というよりも、政財界の裏仕掛け人といったほうがいい浅利慶太の「仕事」があますとこなく描写される。 白眉は新国立劇場建設に関して、佐藤栄作にこう頼み込んだシーン。 「保守政権が文化のための予算を少ししか計上しないため、演劇人をふくめた舞台人のほとんどが反政府的で左翼勢力はそこに浸透しています。極端に言えば、共産国家の影響下にあります。新しい国立劇場を建て、芸術家を助けて下されば、かれらはバランス感覚を取り戻します。その費用はファントム二機分です」 「演劇人が左翼的なのはカネがないから。彼らはカネさえ与えれば、転向します」と言っているようなもので、ミもフタもない言い方だが、この陳情が功を奏したのか、71年に新国立劇場の建設計画はスタートを切る。開場にあたってのゴタゴタはこの「井戸を掘った」という自意識が引き起こしたといえる。 ことほどさように、いかに自分が政財界の中枢の局面で活躍したのかという「自慢話」の類がページの多くを占めているのだが、寺山修司に関する章では、一転、感傷的になる。 それはおそらく寺山修司の処女戯曲「血は立ったまま眠っている」を四季で初演したのは自分、寺山の発見者は自分だ、という自負による感慨なのだろう。 四季旗揚げの翌年、寺山修司なる未知の若者から「入団希望」のハガキを受け取ったというエピソードが披露される。そのハガキは舞台装置家の金森馨に託されるが、金森はそのハガキを失念してしまう。こうして、寺山の四季入団は幻となるが、その後、金森とのコンビでいくつもの作品を作り、金森が80年に47歳で亡くなるまで生涯の友となる。 浅利慶太はこう書く。 「50年近くたった今、後悔する事がある。この時期、19歳の寺山修司と22歳の私が結びついていたら……四季も寺山も、いや日本の演劇にも何かの新しい潮流が生まれたかも知れない」 「血は立ったまま眠っている」の初演の後、浅利は寺山に「今度はコラージュではなく、骨格のあるドラマを作ろう。たとえば、ギリシャ悲劇をもとにすれば……」と持ちかけるが、その頃、寺山は映画の脚本の仕事が忙しくなり、その提案は実現しなかった。 「この(映画)の波濤が1年遅れてきてくれたら、もう一つ幅の広い作風を持つ大劇作家寺山修司が存在していたかも知れない。消えてしまった夢と知りつつ、それが残念でならない」 この後、寺山の東北弁に触れ、浅利の師・加藤道夫の「日本で一番美しい言葉は東北弁だと思う。あのやわらかな響が標準語だったら、日本におけるオペラと詩劇の完成は1世紀早まっただろう」という言葉を引き、東北弁、そして太宰治、石川啄木、宮澤賢治、井上ひさしを語り、99パーセントが南部弁であるという「ユタと不思議な仲間たち」の成功を「寺山が見たら何と言ってくれただろう」と結ぶ。 この浅利慶太の寺山修司に対する愛情あふれる言葉の数々にはついホロリとしてしまう。 政財界とのつながり、裏工作のエピソードまで自慢げに書いてしまう浅利慶太という人。陰湿な政治屋タイプでもあるかもしれないが、ボンボン育ちにありがちが、裏表のない「陽性の人」なのかもしれない。もっとも、浅利の言葉の端々に「寺山も自分と組んでいれば、ただの前衛作家で終わらなかっただろうに」の底意が透けて見えなくもない。やっぱり自意識過剰の人? PM7、ル テアトル銀座でフィリップ・ジャンティカンパニーの「バニッシング・ポイント」。2003年にスイス、ローザンヌで発表された新作。今回も人形や、ダンス、マイム、マジックを駆使し、フランスらしいユーモアとエスプリを感じさせてくれる。 人形と人間の入れ替わり、巨大な空気人形の動き……。もう、どう操作しているのか、どこに仕掛けがあるのか、目を凝らしてもわからないジャンティ・マジック。1時間半、ジャンティの魔法に幻惑され続ける。 終演後、並びの席にいた毎日新聞・高橋さんが「ちょっと飲んでいきません?」というので、近くの店へ。 高橋さんも維新派の舞台を観に大阪まで行ったそうで、「ボクらは70年安保世代だから、キートンが再評価された時代に、キートン映画をたくさん見ているんですよ。当時はチャプリンよりもキートンのアナーキーなところが学生に受けていたんです。舞台を見ていても、あのシーンはあの映画のあのシーンだ、なんてそれだけでうれしくなってね」と。 浅利慶太の本を買ったと告げると「ボクの書評で少なくとも一人、本を買った人がいるわけですね。うれしいなあ」とニッコリ。自分の書いた活字が具体的な行為に結びつくことが実は編集者には嬉しいことなのだ。 芝居や映画の話に花が咲き、気がついたら11.00。駅で高橋さんと別れて家路に。 0.10帰宅。 11月8日(月)晴れ 朝起きると、足の筋肉が痛い。久しぶりの稽古だったからか。おまけに右ひざに痛み。関節が痛むのは年齢的なものなのだろう。花粉症の薬を飲んでいるためか疲労感あり。朝の目覚めも悪い。布団に手足が沈んでしまったよう……。 毎日新聞朝刊の片隅に、ロス特派員発の興味深い記事が載っている。 「電子投票の怪」と題した記事の概略は以下の通り。 米大統領選で電子投票を使った地区の中に、民主党員が圧倒的に多いのにも関わらず、ブッシュが勝利したり、投票総数の6倍以上をブッシュが得票するという、奇妙な現象が起きていることが判明した。 市民団体「ブラック・ボックス投票」によれば、光学読み取り式投票機を使ったフロリダ州カルホーン郡では、登録有権者数8350人中、82.4%が民主党員。共和党員はわずか11.9%。投票率71.4%での推計では、ブッシュ709票、ケリー4911票だったが、結果はブッシュ3780票、ケリー2116票。つまり推計よりもブッシュの最終票が433.2%。4倍以上も増えたという。 一方、オハイヨ州フランクリン郡ガハナ地区では、638人しか投票しなかったのに、タッチスクリーン式の投票機はブッシュ4258票、ケリー260票とはじき出した。投票総数の6倍の票がブッシュ票になっていたわけだ。実に面妖。 米ジャーナリストは「出口調査ではケリー優勢だった。出口調査と結果が乖離するようになったのは電子投票が導入されてからだ」と指摘した。 以上が記事の概略だが、タッチパネル投票の不正疑惑、危険性については以前から各方面から指摘されていた。 電子投票機最大手のディボールド社はブッシュ一族の支援者であり、地元オハイヨ州で「ブッシュ再選のためなら全力をあげる」と公言していた。 電子投票機は投票者が誰に入れたか、投票者自身が確認できない、まさに「ブラックボックス」だ。 2002年10月の大統領選において、フロリダ州で起きた投票トラブルを教訓として作られたHAVA(投票支援法the Help America Vote Act)なる法律にも、後日の確認可能な紙の記録を残すようにとの条項があるが、共和党は「画面で投票を確認できるし、紙の記録が必要ならあとで印刷すればいいから」と、紙の記録保持に消極的だという。 「紙よりも不正が行われにくい。電子投票は正確無比」という科学信仰に凝り固まった人たちもいるが、自分の投票行為が正確に反映されているかは、今回の大統領選での「怪現象」を見ればよくわかる。不正が行われようとも、誰もそれに異議が唱えられないシステムは民主主義の根幹を破壊する。 パソコンを使っている人なら、ハードやソフトがいかに容易にパソコンの不安定を引き起こすか身をもって知っているはず。「日本でも電子投票を」の声もあるが、そのとき、政権政党の有利に操作されないと誰が言い切れるだろう。 今は一部の地方選挙に導入されているが、これが国政選挙に導入されたとき、何が起こるか。民意が反映されない選挙ーーまさに悪夢。それは合法的な独裁国家への第一歩となるだろう。 グラウンド・ゼローーかつては長崎、広島の爆心地を指した言葉を、911以降、悲劇の象徴として自国で使い出したアメリカの身勝手さには呆れるばかり。 そのグラウンドゼロで一人の青年が銃で自らの命を絶った。友人、会社の上司は「ブッシュ再選への抗議の自殺」と見ている。政治的な義憤から自らの命を投げ出す。ベトナム戦争では多くの僧侶が抗議の焼身自殺をした。 日本でも佐藤首相の南ベトナム訪問に抗議して焼身自殺したエスペランティスト・由比忠之進氏がいたが、この若者の自殺報道を聞いて、まだ「義憤」という言葉が世の中にあるということがわかり、なぜかホッとする 由比忠之進氏の遺書要旨は次の通り。 「佐藤首相に死をもって抗議する。首相の訪米の日が迫るにつれ、沖縄、小笠原返還の要求の声が小さくなってきた。米国のカベが厚く、はじめから拒否を予期する交渉なんてナンセンスである。首相は南ベトナム訪問を強行、オーストラリアで北爆支持を世界に広言した。南ベトナム民衆の悲惨を救うのは、米国が無条件に停止するしかない。ジョンソンや米国に圧力をかける力を持っているのはアジアで日本だけだが、その日本の首相が北爆を支持するにいたっては深い憤りを覚える。私は本日、焼身自殺をもって佐藤首相に抗議する。当事者でない私が焼身自殺するのは物笑いのタネかも知れないが、真の世界平和とベトナム問題の早期解決を念願する人々が私の死をムダにしないことを確信する」 15日ぶりの真優ちゃんの遺体搬出も、機動隊員による慎重な手作業によるものだった。人間のものとは思えないひどい言葉が世界中を飛び交っている今、悲しみの報道にも、つかの間、人間らしさを感じてしまう、この悲喜劇。 PM2、同窓会事務局のS畑さんが会報印刷費を持って会社を訪れる。 PM5.30、駅の本屋で、子供に読ませようと思って、浦沢直樹版と手塚治虫版「地上最大のロボット」を購入。野沢尚「深紅」も。 PM6帰宅。郵便受けに「宛先不明」で戻ってきた同窓会会報の封書2通。何度か同窓会で会っているH中さんは引越ししたら連絡をくれるはずなのに、どうしたのだろうか。気にかかる。 今日も早めの就寝。 11月7日(日)晴れ 9〜12.躰道稽古。朝からイヤな予感がしたが、案の定、途中でクシャミ連発。秋の花粉症だ。 稽古も集中できず。ひどい状態。先日の審査結果が出る。無級から二階級特進で5級に。よかった。躰道ってどんなものか興味のある方は、ここの「躰道とは」を開き、一番下の「団体展開競技の画像」をクリックしてください。 PM2、帰宅して、娘の進路相談のため、家人共々、U市のピアノ教師のお宅へ。鼻炎用クスリを飲んだらこんどは倦怠感。駅のホームでもどこでも寝転んでしまいたいほどの脱力・倦怠感。話し合いを終えて、5.00帰宅するも、だるさ取れず、またクシャミも再発。何をする気にもなれず、全身倦怠感。花粉症はもう立派な病気だ。夕方、少しラクになったので、日記書き。 PM10就寝。 11月6日(土)晴れ PM1.30、会社からてくてく歩き、ル テアトル銀座へ。2、00からシルバーライニングプロデュース「セメタリー倶楽部」。丘みつ子(56)、新藤恵美(55)、汀夏子(59)、仲本工事(63)が出演するハートフルなコメディー。仲のいい3人の未亡人。彼女たちは、毎月、自分たちの夫のお墓参りをする「セメタリー(お墓)倶楽部」に入り、墓参りを欠かさない。ある日、男やもめの気のいいサムに出会ったことから、3人の関係が微妙に変化していく。 亡き夫に貞淑であろうとする汀、次から次へと男をとっかえひっかえ。その実、夫のことが忘れられないでいる新藤。そして、新しい希望を見つける丘。3人の掛け合いが絶妙。まるで、骨董屋のように家具が積まれた丘のアパート。そのセットが割れると、自由の女神を遠望するマンハッタンの共同墓地に舞台が転換。2人の天使が舞台の進行役。その天使の一人、真織由季の歌うテーマ曲「この世の果てまで」が心に響く。 まったく期待していなかったのだが、台本、役者、演出の三位一体が絶妙で、思わぬ拾い物にニンマリ。 特に主演三人のすばらしさ。新藤恵美は子供の頃、テレビで好きだった女優さん。確か姿三四郎の恋人役を演じていたのではなかったか。その新藤恵美が55歳!の中年女性となって舞台で芝居をしている。しかも、伝法な口調がぴったり合うアネゴ肌。翻訳モノは初めてということで、そのセリフ回しがやや時代劇ふうになるのはご愛嬌。丘、汀に伍して、最後はしっかりおいしいところをさらっていく。歳をとるのも案外いいもんじゃないの、と思わせる中年三女性。 演出はスーパーカムパニイの竹邑類。練熟の演出。 これほどの水準の舞台はめったにないのに、客席がさびしい。これはもったいない。 PM4.30終演(休憩15分)。 いったん会社に帰り、再び出動。PM6.30、天王洲アイル。アートスフィアでtpt「ナイン」。フェリーニの映画「8 1/2」を元にしたミュージカルで、デヴィッド・ルヴォー演出。映画ではM・マストロヤンニが演じた映画監督役は福井貴一。 舞台下手に天井まで伸びる螺旋の階段。途中からは水平なイントレの歩道につながる。二部では舞台中央から水があふれ出し、一面の「プール状態」に。 衣装は60年代サイケデリック風。男をめぐる16人の女たちは大浦みずき、純名りさ、田中利花など、実力派女優。なかでも傑出しているのは池田有希子のうまさ。アイシャドーを濃くした60年代メイクのため、これが池田有希子?と思ったほど。しかし、歌い出だしたら、その天性の歌声、並みいる実力派の中でも抜きん出ている。 天井から布に包まれ降りてくるシーンに仰天したが、逆さ吊りで歌いながら天井に消えて行くシーンにはもう心臓が飛び出る驚き。スフィアの舞台の高さはハンパじゃない。山海塾もびっくり、サルティンバンコも裸足で逃げ出す演出。しかも、逆さ吊りにされても歌にブレがない。正確な歌唱。 いわゆる「歌い語り」式のミュージカルだから、後半になると、俳優の声に疲れが見えてくる。福井貴一も高橋桂も、二部の終わりにはヘロヘロなのが「一聴瞭然」。それなのに、池田有希子だけは、声帯に疲れが見えず、歌唱は最後までしっかりしている。これはすごい。 今回は子役の歌唱も特筆もの。 8.20終演。 門井Eさんに挨拶して、楽屋へ。池田有希子の陣中見舞い。「あのシーンは全然怖くないんですよ。スタッフを信頼しているし」「ひとりサルティンバンコって言われてます」と笑顔の彼女。訪問客でごったかえししているので早々に引き上げ。 9.30、G駅下車。久しぶりに「M」へ。相変わらずカウンター席では常連さんがオダをあげている。その中の一組の夫婦。なんと、旦那の方が高校時代の体育教師・K瀬先生のいとこだと判明。「世間は狭いですね」と。 11.00帰宅。 11月5日(金)晴れ あおぞら組・Y子さんから、まぐろTシャツ到着。ラサール石井にあげる分と自分用。いつ寝ているのかわからない超多忙なラサールには事務所のKさんから渡して貰うことにする。 PM7、入谷。「東京キネマ倶楽部」でダンス・エレマンの「上海異人娼館」。寺山修司の同名和製ポルノを舞台化したもの。1926年、魔都・上海の娼館を舞台に展開する愛と官能の物語。 エゴ・ラッピンのライブ以来のキネマ倶楽部。昔のグランドキャバレーの雰囲気たっぷり。吉祥寺スターパインズカフェはこのキネマ倶楽部を模したもの? 入口で客整理している秋元K子さんに「○○さん!」と声をかけられ、びっくり。宇野亜喜良氏の本を出版している「アートン」が全面協力しているためとか。 場内満席。立ち見も出る盛況。2階席に行くと偏陸氏がいたので挨拶。今回は初演出。舞台にバスタブが置かれているので「マリー?」と聞くと、「そう、最初は毛皮のマリーのシーンから」と偏陸。 1階で舞台を見つめている宇野亜喜良氏に挨拶。「草月ホールよりも入りがいいんですよ。この場所がお目当てのお客さんも多いようですね」と宇野氏。確かに、この小屋のムードは「上海異人娼館」にピッタリ。 しかし、舞台演出からすれば使いにくい場所ではある。二階席の端席からは舞台裏が丸見え。バスタブの中のワニの見えてしまう。まるで舞台袖からステージを見ているようなもの。ダンス公演をサイド席からみるほどつまらないものはない。途中から正面に移り、立ち席で見ることにする。隣は宇野氏。緒川たまきの黒とかげも妖艶だが、ヴァイオリニストの川井郁子の美少女「桜」がいい。初々しい演技はまさに聖娼婦。途中でヴァイオリンを弾くが、生ではなく、テープだったと思われる。それでも、その迫力に圧倒される。つい、帰りにCDを買おうかなと思ったほど。 9.00、終演。宇野氏の「どうです、よかったでしょう。川井さんもいいし、今回はアンサンブルがうまくいきました」と満足そうな微笑。 10.00帰宅。 11月4日(木)晴れ ブッシュ再選。これでネオコンの石油利権安泰。エミネムや”アメリカの良心”ブルース・スプリングスティーンの反ブッシュキャンペーンも若者には届かなかったということか。 低所得の「プア・ホワイト」がインテリを憎み、法の恩恵を受ける有色人種を排撃するというねじれた構造。貧しい者が権力の頂点を憎むのではなく、同じマイノリティーを憎み、排撃し、権力に迎合するという構図。 自民党が農・漁民票で生き延びてきた構造とよく似ている。農地を荒廃させ、沿岸漁業を食いつぶしてきた自民党政治にそれでも票を入れ続ける農漁民。不思議な構図。 カリフォルニア在住の映画評論家・町山智浩によれば、ケリーの敗因はこの調査によってあらかじめ予測されていたという。それはメリーランド大学の学生調査。 それによれば、 1、ブッシュ政権が「間違いだった」と公式に認めた現在でも、ブッシュ支持者の72%が「イラクには大量破壊兵器が存在した」と誤解している。 2、アメリカ政府の国家調査委員会が公式に「イラクとテロは無関係」と認定した現在でも、ブッシュ支持者の75%が「イラクがアルカイダのテロに関わっていた」と考えている。 そればかりか、ブッシュ支持者の55%が「調査委員会はイラクとアルカイダの関係を認めた」と逆に信じている。 これでは、ムーア監督が「華氏911」でブッシュの欺瞞を告発しようとも、馬の耳に念仏。もともと、聞く耳、理解する脳みそを持っていないのだから。 もっとも、中絶問題とそれに伴う幹細胞研究、およびゲイ結婚への反対が投票理由の最多要因だったというから、アメリカ人は自国が置かれた国際的な位置や他国からの視線よりも、モラル政策、信仰といった内的な問題で大統領を選んだことになる。 米国の財政・貿易両面の赤字、いわゆる「双子の赤字」で米経済は破綻寸前。しかも、イラク戦争に2000億ドルも注ぎ込んでいる。 このツケは米国内では音楽・美術・体育が廃止されるなど、公立教育の荒廃となって現れているという。 そして、隷従国・日本にもツケは回される。ドル切り下げだ。ドル切り下げ=円高になれば、輸出産業は壊滅的になり、企業のリストラは加速する。ブッシュ再選は日本国民を徹底的に痛めつける結果になる。やけになって徴兵制復活を言い出す輩も出るだろうし、まさに戦争前夜。 世界の動向に無関心なアメリカ人の投票結果が世界をさらに混乱させる。うまい汁を吸うのは常に権力者。 「ケリーが負けたら革命を起こすしかない」とインタビューに答えていたブラジル系アメリカンがいたが‥‥。 あまりにも忙しい一日。 疲れすぎたので三軒茶屋のスパーク1にも行けず。途中下車してSシネマで「キャット・ウーマン」を見る。まるで、ミュージック・プロモーション・ビデオを見ているようで、映画としての面白みに欠ける。 土屋隆夫「聖悪女」読了。初出は2002年。珍しくエロティックな描写もあり、事件の仕掛けもさすがに巧み。これが85歳の時の書き下ろし作品とは。78歳で「悪霊島」を書いた横溝正史を超えた。 帰宅すると、紀伊國屋bookwebから、寺山修司の「ひとりぼっちのあなたに・さよならの城・はだしの恋唄」、永井愛さんの「中年まっさかり」が届いている。 寝しなに愛さんのエッセイを読んだら目がさえてしまい、2時間も布団の中で読書。パソコンを導入する前後のエッセイだから、今の永井さんならどんな文章を書くか、読んでみたいもの。 「こんにちは、母さん」上演時に見せた加藤治子さんの「女優魂」のエピソードが心にしみる。今月1日に狭心症のため「8人の女たち」を降板した加藤さん。早く回復してほしい。 11月3日(水)晴れ 文化の日。祝日。祭日と表記する人もいるが、「祭日」とは大日本帝国憲法下における「皇室の祭典を行なう日」のこと。国家の祝日と天皇家の祭日を合わせた総称であり、戦前の天皇制の残滓。戦後民主主義国家ではあくまでも祝日と呼ぶべきだろう。ただし、その余命はいくばくもないかもしれないが。 水族館に行きたい、それも水槽を潜り抜けることができる水族館に‥‥とは以前からの豚児のリクエスト。しかし、葛西臨海公園は食傷気味だし、八景島まで行かないと、その願いは叶えられそうもない。が、起床は10時。それから外出するのは困難。というわけで、結局終日家の中。 先日来られなかった人、それに恩師のために高校同窓会の会報を送ろうと、宛名書き。一言メモ的に挨拶文を書いていると時間は瞬く間に過ぎて、アッという間に夕方。 夕食はお寿司を出前。 同窓会報のバックナンバーを見ていたら、なんと川部しのぶを発見。5年前のお盆休みに、帰省しがてら母校の放送部の後輩を取材したことがあり、そのとき、ドラマの録音中。演劇部から助っ人に来ていたのが川部しのぶだった。確かにあのとき、紅一点、明るい女のコがいた。まさか、それが川部とは、不思議な縁。 夜、ラジオドラマをCDにダビング。WOWOWで放映した日活ロマンポルノ「八月はエロスの匂い」を見ようと思ったが、時間がなく断念。藤田敏八監督のロマンポルノ第一作。劇場で見逃していた作品。今の映画からみれば性描写も穏健なんだろうけど。 9.30就寝。 11月2日(火)晴れ 仕事を終えて三軒茶屋へ。シアタートラムで「見よ、飛行機の高く飛べるを」。フランス人演出家、アントワーヌ・コーベが永井愛作品を演出。舞台は天井から壁、床までベージュ系のモノカラー。幾何学的なパイプ椅子セットが上手奥にあり、これが教師の部屋。上手舞台から客席の通路に渡り廊下。 女学生たちはやはりベージュ色のノースリーブにヒザまでのスカート。抽象的なセットと抽象的な衣装。戯曲は明治期の女子師範学校を舞台に、時代の流れに抗する二人の女学生の友情を主軸にした物語。新劇的に演出するならば、時代の精神と周辺を描くためには、細部に至るまで時代考証を問い詰めなければ成立しない舞台だと思うのだが、それを大胆に「翻案」、一人の女生徒を救うためにストライキを首謀する展開もまるで、60年代のカルチェラタン闘争の趣き。セリフがそのままで、明治時代の会話だから、最初は違和感だらけ。しかし、舞台が終わる頃には自立する女性の物語として、受け入れている。ただ、演出法には最後まで微妙な違和感がつきまとう。 井川遥と魏涼子が主演。魏涼子が客席の間を、空の高みに「飛翔」していく最後のシーンが印象的。9.35終演。 途中下車して軽く飲もうかと思ったが、疲れていたためか電車で居眠り。疲労感があるのでそのまま帰宅。 11月1日(月)晴れ PM5.00、上野でマッサージ。7.00帰宅。 ネット販売された今年のハロウィン衣装にこんなのがあったという。アブグレイブ刑務所で拷問を受けた収容者、斬首寸前の被害者、収容者に犬の鎖を付けた女性兵士の衣装。こんな悪趣味な衣装をモデルの子供に着せる、その破廉恥で悪魔的な商売。 「(新潟の皆川真優ちゃんは)どうせ死んでいるんだから、傷つけないようにクルマから収容するのはカネと時間と労力の無駄。クルマを瓦礫ごとブルドーザーで引きずり落とせばいい」 「(香田さんは)自分で勝手に行ったんだから殺されて当然。税金使って死体を運んでくる必要なんかない。国に迷惑掛けた子供を育てた親も同罪だ」 あまりにもひどすぎて引き写すことのできない悪意に満ちた罵詈雑言がネット上に氾濫している。これが人間の言葉か。このような言葉をためらいもなく吐く人間と同じ空気を吸っていると思うと吐き気がする。 香田さんを軽率と罵る人たちはさぞやご立派な人生を送っているのだろう。しかし、この世の中に、「軽率で、おっちょこちょいで、無鉄砲でない若者」などいるだろうか。 星条旗に包まれた香田さんの遺体が象徴するのは、もちろん米国追従の日本への警告であり、これからは、日本人に安全地帯はなくなるということ。危険地帯に近づかない「権力に従順な若者」であろうとも、イスラム原理主義者の標的になるということだ。 「そこにいたお前が悪い」ーー国民すべてがこの言葉の対象になる。 |