1月31日(月)晴れ

 PM4退社。PM6、不動産会社の担当者と打ち合わせ。娘からメールが入り、駅で待ち合わせて一緒に帰宅。

 夕食後、小5豚児の宿題に付き合うも、やる気も根気もないし……。

 今の子供は勉強しようと思えばいくらでもできる環境にあるのに、年々学力が低下しているのはどうしてだ。

 オトーさんの時代は、勉強したくたって「材料」が手に入らなかった。
 実験に使う試験管が欲しくて欲しくて、学校の裏のゴミ捨て場から焼けてこげ茶色になった試験管や割れたビーカーを拾ってきてきれいに磨いて使ったり、アルコールランプ代わりに灯油ランプを作って試験管を焦がしたり……ああ、石綿金網が欲しかった。メスシリンダーが欲しかった。天体望遠鏡が欲しかった。顕微鏡が欲しかった。

 本屋にだって専門書があるわけじゃなし、東京に行った叔母さんが送ってくれた学習雑誌の古本をそれこそ何年にもわたって大切に読んだし、マンガ雑誌だって、一度買えば、何回何十回も読み直した。

 雑誌の裏に載ってる通信販売の電子ブロックが欲しかった。ラジコン、Uコンが欲しかった。

 ラジオの組み立てをしたくても材料を売ってる店などあるじゃなし。コンデンサー、抵抗、真空管……都会のデパートに行けば何でも手に入るのになぁ……。小学生の時は「科学」、中学生の時は「コース」を取っていて、毎月、教室で先生が配るときの嬉しかったこと。付録で厚みのある「科学」を何冊か先生が両手に載せて運んでくる光景は月に一度の無上の喜び。もちろん、そんな学習誌を取ってもらえる家庭はほんのわずかだった。

「子供の科学」「天文年鑑」「天文ガイド」ーー発行元の誠文堂新光社の名前を本屋で見ると今でも、初恋の人に会ったように胸がキュッと締め付けられる。

 東京に生まれていたら……。
 考えても詮無いことだけど、ちっとも勉強しないでゲームばかりやってる豚児を見ていると、せっかく何でも揃う時代なのに、もったいないというか、腹が立つというか……。

 ま、江戸時代の子供から見れば、1950年代だって、十分贅沢な学習環境だったわけで……と思うしかないか。
1月30日(日)晴れ

 きれいな小川を通りかかると、手のひらに乗るような小さなイルカがいて、川面に立ち上がり、こっちを向いて笑顔で話しかける。かわいいイルカ。家に連れ帰ると3頭に増えている。水筒の中に入れると2頭はぐったりと死んだように動かない……という夢を見ていた。いったい何の暗示?

 相変わらず右ヒザ不調で躰道は休み。代わりに家人が子供を送ってS市の稽古場へ。9.00起床。wowowで「半落ち」。どうせ、お涙頂戴の安い映画だろう……と思いながら見たら……泣いた。「妻が”息子を二度亡くす”姿を見ることは忍びなかった」という被告の言葉は動機として十分納得できる。
 原作者の横山氏は今通っている躰道道場のOB。学生時代から相当な傑物だったらしいが。

 母の命日。もう10年たったのか。
 
最近行われた長崎県県教委の意識調査で、「死んだ人は生き返る」と答えた小中学生が15・4%あったというが、「生き返る」と思う理由では、「テレビや映画などで見たことがあるから」が29・2%、「ゲームでリセットできるから」が7・2%だったという。
 もちろん、「人は死んでも心の中で生きている」との回答もあったが、今の子供は本当に人間は生き返ると信じているのだろうか。と思いつつ、豚児らに問うと、「この先、医学が進歩すれば生き返らせることもできるんじゃない」との回答。フーム……。

 核家族化で祖父母や肉親の死に出遭うことが極端に少ないことが死を実感できない理由とはよく言われることだが……。

 まあ、死の実感に関して言えば、自分とて同じ。両親の死を見届け、この手でその遺灰をお墓に納めたというのに、いまだに「死」を受け入れることができない。永遠に会えないことが「死」のひとつの側面だとすれば、「死」は日常に満ちあふれている。会いたくても会えない人は死んだことと同じだろうし。……ってなことをつらつら思っているうちに、うとうとし、夕方まで眠りの中。

 夜、不動産会社のO川さんから電話。金利設定の件。
1月29日(土)晴れ時々小雨

 PM2.00、仕事を終えて表参道へ。I病院で検査。カードを差し込むだけで、受診の待ち人数が確認できるというハイテクサービス。しかし、順番がわかっても、待つ時間は同じ。3時間半、待合室で時間つぶし。年末から読み止しになっていたP・コーンウェルの「痕跡」を読み進める。
 6・00、約5分の受診。問題なし。

 「パッチギ!」を見ようと思ったのに、4時の回には間に合わず。7時だと、いつもと変わらぬ帰宅時間になってしまう。諦めて、家路に。
PM7。途中下車し「S」に寄り道。2カ月ぶりか。途中から入ってきた顔なじみのAさんとおしゃべり。8.30、帰宅。

1月28日(金)晴れ

 PM5、池袋。サンシャインを散策。古書市があったので、山田風太郎のハードカバー「帰去来殺人事件」を500円で。文庫に収録されている作品ばかりだが、ハードカバーは珍しい。
3階のレストラン街で食事。けんちんうどん680円。サンシャイン劇場前の喫茶店で時間つぶし。一時閉鎖した喫茶店は今風のセルフサービスの店に衣替え。

PM7。サンシャイン劇場で福澤朗一座+キャラメルボックス「「Dr.TV 汐留テレビ緊急救命室」。

 日テレ主催ということで、周辺席は新人アナとおぼしき女性グループ、日テレ幹部とおぼしきオジサンたちの姿が目立ち、業界人も多数。

 開演10分前にキャラメルの加藤昌史と上重聡アナが前説。上重アナは甲子園で松坂投手と投げ合った元甲子園球児。今も松坂とは仲がいいという。「結婚の仕掛け人?」と突っ込まれると、「松坂・柴田倫世元アナと3人で食事することもあるけど、違いますよ」と笑いながら否定。加藤の求めに応じて投球フォームなどを披露。

 古市幸子、森富美、菅谷大介、馬場典子、延友陽子、阿部哲子、森圭介、森麻季ーー出演者の多くはアナウンサーだが、テレビを見ないから、だれがだれだか見当つかず。

 物語は福澤がテレビ局内の「救急診断室」の医師に扮し、局内で起こるさまざまな事件・症例に対処するというもの。

 おかまチックな物腰で登場の福澤に場内シーン。慌てて取り繕う福澤。主役にもかかわらず、なぜか客席が冷えている。

 舞台は、仕事に自信を失くし、本番中に失語症になった女性アナウンサー、放送中の感動番組の最中にCMの切り替えスイッチを押すことができず、以来、手が震えて仕事ができなくなったタイムキーパー、視聴率を気にするあまり、悪夢を見るようになったディレクターら、放送人の「病気」のエピソードをスケッチ風に描写する。これがいかにも”ありそうな”業界話であり、笑うに笑えない。

 一方、放送局には、怪電波や心霊現象など、奇怪な出来事が発生している。福澤を取材するために訪れたかつての大学放送研究会の仲間は一人息子を社会見学のために連れてきている。離婚した妻は元アナウンサー。物語は、この一組の家族にまつわるある秘密をめぐって「踊る 大捜査線」ばりのミステリー・パニックが展開。親子の情愛や現代におけるテレビ局の使命とは何かという問題に斬り込んで行く。

 3人のエピソードも、物語に必要な伏線になるわけで、この点は脚本はうまくまとめられている。アクションあり、フライングあり。アナウンサーたちの「余興」も、キャラメル・ボックスの助太刀でなかなかのエンターテインメントに。

「愛するがゆえに厳しく批判する」という福澤。たとえ虚構とわかっていても、局のお偉いサンの前で、今のテレビ局の姿勢を辛らつに批判するのはサラリーマンとしては勇気がいるだろう。しかし、局にとってはガス抜きになるともいえる。「日テレを辞める」前の最後っ屁というウワサがあったが、この舞台を見た限りにおいては辞めるつもりはないと見たが。さて、どうだろう。
1時間45分。ゲスト紹介で15分。計ったように9.00ぴったり終演。さすがはテレビ人?
1月27日(木)晴れ

 PM7。銀座・博品館劇場でTSミュージカルファンデーション「タック」(原案・演出・振付=謝珠栄)。
 珍しく、劇場に行くエレベーターが大混雑。お客さんが多いということか。乗り口でD井美和子さんとバッタリ。「12月から入院して、退院間もないので長い芝居はムリ。”城”も見たかったけどパスした」とのこと。

 劇場に入ると、やはり満席。ふだんサンシャイン劇場や芸術劇場の中ホールを使うTSにとっては当然か。

「タック」は第20同菊田一夫演劇賞を受賞した「Yesterday is……here」(1994年初演)を改定・再構成したもの。
 舞台はニューヨークのダウンタウンとおぼしき町。銃撃された一人の若者が、貧しい老人の部屋に逃げ込んでくる。傷が癒える間、老人は若者に昔、この街で起こった物語を聞かせる。

 主人公はタックという名前の男。彼はある日、天から降ってきたように、ふらりと町へ現れる。不良少年グループや言葉を失くした少女ミューと出会い、次第に彼らと心を通わせる。やがて、ミューの言葉を取り戻すのに必要なお金を稼ぐため、ストリートボクサーに挑戦していく。不良少年たちも、そんなタックの姿に心を開いていく。しかし……。

 初演も再演も見ているはずなのに、実は「yesterday is……」はほとんど印象に残っていない。そんなわけで、あまり期待もせず、どちらかといえば「だるい舞台かも……」と思って見たのだが、これが予想に反してすばらしいデキ。

 見ているうちに湧き上がってくる懐かしくせつない感情。まるで「東京キッドブラザース」をほうふつとさせる舞台。いまどき、愛と友情、夢、希望ーーそんな青臭いテーマをこれほど誇らしく、ストレートに上演する劇団がほかにあるだろうか。

 よく考えれば、これは謝珠栄の初のオリジナルミュージカル。キッドの振り付けをしていた彼女にキッド・ミュージカルの影響が大きいのは当然のこと。いわば、この「タック」は謝珠栄のキッド=東由多加へのオマージュといえるのでは。

 知らず知らずのうちに配役も、キッドの面々が「当て書き」のように浮かんでくる。
 老人の家に逃げ込んでくる男・川本昭彦、これは三浦浩一、老人(駒田一)は峰のぼる、主人公タック(坂元健児)は当然、柴田恭兵。ミュー(堀内敬子)は坪田直子、不良少年(立樹遥)は純アリス、飯山弘章……。

 四季や宝塚出身のメンバーの歌のレベルの高さは、キッドの素朴さとは一味違うが、チームワークのよさは抜群。さすがに、客席に向かってこぶしを突き上げ、全身で訴えかける「キッド・スタイル」はなかったが、全員一丸になっての熱い舞台はまさにキッドそのもの。

 主役の坂元健児のソロの見事さ。中川晃教のように神業的に「うまい」ミュージカルスターはいるが、坂元健児の歌唱は、その「熱さ」において中川晃教を凌駕していた。

 これほど胸が震え、涙が出たのは久しぶり。ミュージカルは劇場の大きさでも、装置の豪華さでも、歌唱のすばらしさでもない。観客に訴える心とそれを生かす俳優の心。それに尽きる。
 「タック」と比べれば、この前の新感線「SHIRO」は……。

 休憩時間にD井さん、TSの制作Aさんと立ち話。キッド相似説を話すとD井さんも「私もそう思った」と同意。彼女もキッドブラザースのスタッフだったわけで、感じることは同じか。Aさんは「初めて言われました」と驚いていたが。

 9.40終演。いい舞台を見た後は誰かと話したい気分だが翌日も仕事。仕方なく家に直行。
1月26日(水)晴れ

 午後、書類を取りに市役所へ。帰宅し、雑時にかまけているうちに一日は終わり。
1月25日(火)晴れ


 PM4退社。
 PM7.00、池袋。東京芸術劇場小ホール1で劇団昴「ゴンザーゴ殺し」

 ブルガリアの劇作家ネジャルコ・ヨルダノフの作品を菊池准が演出したもので、2003年初演。第三回朝日舞台芸術賞受賞作品。初演時に見逃したので、期待半分で劇場へ。
 
 デンマークの首都で活躍していた劇団。しかし、今は落ちぶれてドサ回りの一座に。

 ところがある日、天から降って湧いたように、大きな儲け話が舞い込む。それは、狂人とウワサされるデンマーク王子・ハムレットの依頼で、エルシノア城内で「ゴンザーゴ殺し」なる演目を上演するということ。一部のセリフやパントマイムはハムレットが書き足すという。

 しかし、城内に入った一座は、ハムレットの指示通り、クローディアス王の前で、「ゴンザーゴ殺し」を演じるが、その直後に国家反逆罪で逮捕、拷問を受けることになる。その裏には宰相・ポローニアス(内田稔)とホレイショー(水野龍司)、それぞれの思惑があり……。

「ハムレット」の中に登場する旅回りの一座を主役に据えて、「芸術と政治」を描いた重喜劇。

 ポローニアスは、国王の怒りを買うように、意図的に芝居の上演を画策するし、ホレイショーもハムレットの友人という”清廉な”役回りではなく、腹に一物ある策略家として描かれる。

 戯曲の主眼は、芸術と権力との関係。
 囚われた座長に向かって、ポローニアスがいみじくもこう言う。
「芸術は盲腸のようなもの。おとなしくしていれば、見逃すが、一度痛みだしたら切り捨てるだけ」
 2幕に重要な役割で登場するのが一人の刑吏。反逆罪で囚われた一座の面々を拷問によって自白させようとするのだが、調書を取るときに、徹底して相手を辱め、人格を否定するシーンがすさまじい。

「名前は?職業は?」
「名前はチャールズ、職業は劇団の座長」
「違うだろ、名前は?職業は?」
「チャールズ、劇団の座長」
「違うだろ。お前の名前はクソブタ。肥溜め担ぎだ」
 何度も繰り返される尋問。
「名前は?職業は?……」

 相手の抵抗力を奪い、屈服させるには、アイディンティティーを否定するのが一番という国家警察の常套手段。

 妻の身を案じた末に、ついには刑吏の言うままに罪を認めるのだが、この刑吏を演じた金子由之の演技の迫真力。薄笑いを浮かべ、座員たちをいたぶる残忍な様はまさに鬼畜そのもの。思わず怒りがこみ上げてくる。舞台で演じている俳優に対して「殺意」を抱いたの生まれてこの方初めて。虚構と現実を混同させる、それほど迫真の演技をした金子由之。……すごい。

 

 物語は最後に思わぬ(予期される?)どんでん返しを迎えるのだが、ラストシーンで「その……後は」との座長の問いかけに、「……あとは……沈黙」とつぶやくホレイショー。言わずもがな、ハムレットのセリフの皮肉な引用に思わずニヤリ。

 西本裕行が練熟の演技。アマリア役の米倉紀之子も国王に取り入る妖艶な一座の花形女優を好演。

 ブルガリアで共産党政権が崩壊する2年前に初演された作品というが、「ハムレット」という普遍的な作品を通して国家と対峙したブルガリアの演劇人のしたたかさと強靭な精神に感服。

 休憩15分を挟んで約3時間。22.00まで。
 11.10帰宅。

1月24日(月)晴れ

 お昼、銀座・ビックカメラでSDメモリーカードを買ってくる。512メガで1万円。今まで使っているデジカメのメモリが8メガ。値段も容量も格段の差。
 さっそく、スチール、動画を試し撮り。手のひらサイズでこの性能はまずまず。
 PM4.00、早めに会社を上がり、市役所へ書類を取りに。帰り、子供に付き合いダイエーへ。

 帰宅し、DーSNAPにMP3を入れてみる。心なしかiPodよりも音がよく聴こえる。ヘッドホンの差か。
 夜は家族と一緒に、ぼんやりとテレビ三昧。夜も早めに就寝。このところ、気が抜けたような……。
 最近、ブラウザとメールをfirefoxとthunderbirdに変えた。1日数百件届くスパムメールにお手上げだったが、thunderbirdはほとんどのスパムを選り分け、駆除してくれるので大助かり。IEより使い勝手がいい。
1月23日(日)晴れ

 右足保護のため、躰道稽古休み。出席予定だった劇団BのK氏とO嬢の結婚式だが、喪が明けていないため、自粛。夜中に頭痛で覚めたこともあって、半日パジャマでウロウロ。小人閑居してなんとやら……本を読むでもなく、ビデオを見るでもなく、ただ時間が過ぎるばかり。夜、「大間」という単語が聞こえてきたので居間に行くと、「鉄腕ダッシュ」。長瀬智也が「つれたか丸」なる船でまぐろ漁に挑戦。しかし、シーズンオフまでに釣果ゼロ。「タレンとが行って簡単に釣れるわけないよね」と家人たち。10.00就寝。
1月22日(土)晴れ

 2.30退社。PM4〜6.30、不動産屋で手続き。先日の賞品であるパナソニックのデジカメ「D−snap」が届く。手のひらにすっぽり納まるマルチメディア。スチールだけでなく、動画はもちろん、MP3が聴けて、なおかつボイスレコーダーにもなるすぐれもの。自分では決して買わないだろうけど、これはこれで便利そう。

 帰宅し、ビールを飲みながら、テレビのスペシャル番組「ドスペ!マグロに賭けた男たち」を見る。大間の漁師たちのまぐろにかける姿を描いた総集編。

 マグロ漁をしている叔父も「今はソナーがないと漁にならない」とぼやいていたが、最後に登場したのは、ソナーを活用する今風のマグロ漁についていけない昔気質の漁師たち。

 荒れた海に出漁するマグロ漁船を見ていると、酔いも手伝ってか、つい不覚の涙がこぼれる。

 母方の祖父は漁業組合長も務めた、人望厚い漁師だった。遊びに行くと、ジョイ(板の間)に、漁の網や延縄が広げられ、ツーンと磯の匂い。母は「漁師が嫌い」で、「山の男」に嫁いできたわけで、自分も子供の頃は、漁師がイヤだった。

 しかし、小学校高学年になると夏には昆布漁が始まる。父と、母方の祖父と3人で磯船(小型の舟)に乗り、けやせ(櫂かき)として、漁に出た。朝4時に起きて、浜に行き、5時から出漁。沖から見る町は遠くにかすみ、学校の建物が小さく見えた。波があると、船酔いし、ゲーゲー吐く。吐きながらも懸命に櫂を操る私に「根性あるな」と祖父が言ってたという。


 8時半頃、漁の終わりを告げる黒色の旗を掲げた船が船の間を縫って進んでくるときの嬉しかったこと。昆布の重みで喫水が下がった舟は大漁の証。浜に上がって、昆布の頭をマキリ(包丁)で切り、カキが付いたコンブはマキリの背でハダケル(削ぎ落とす)。それからコンブ干し。一枚一枚丁寧にジャリ石の上に延ばしていく。それが終わると、牛乳にパンを食べていったん家に帰り、水を浴びて学校へ。一時限目の眠いこと。

 雨の気配がすると、どこにいても急いで浜に行き、干しているコンブを取り込む。乾燥したコンブは今度は赤葉切り(周辺の赤い部分を鋏で切り落とす)。出荷まで延々とこの作業が続く。

 漁繁期の子供の家業の手伝いは県の教育委員会でもたびたび問題になったというが、おそらく、1960年代、当時の全国の農家や漁師には同じ風景が展開されたに違いない。

 夏の間のコンブ漁出漁は中学を卒業するまで続いたが、今でもあの夏の早朝のひんやりした空気、磯の匂い、船から見た海岸風景、朝夕のコンブ干し、取り入れの労力は懐かしさと同時に、胃の腑に重い圧迫感をもたらす。

 翻って、朝から晩までゲーム漬けのわが豚児を見ると、あの自分の時代は本当にあった時代なのかと愕然とした気持ちになってしまう。都会に生まれ、海の匂いも知らないまま育ち、バーチャルの世界で遊ぶことが主流の世代。電脳時代の不幸は「手触り」の実感覚が損われていくこと。

 ゲーム悪玉説に与するつもりはないが、自分自身、20年前に当時画期的と喧伝された任天堂のファミコン、ディスク・システムにはまり、朝から晩まで「ゼルダの伝説」。寝る間も惜しんでゲーム三昧、仕事中もゲームのヒント探しが頭の中を飛び交い、ゲーム漬けの日々を送った体験からすれば、子供よりは自制心があるはずのオトナでさえ、まっとうな生活を狂わせる電脳ゲームを無制限に子供に提供するのは、他殺行為と思えるわけで……。

 といいつつ、家人と子供が並んでゲームに熱中している光景に口をさしはさむ勇気もなく……。子供への節度のあるゲーム提供は難しい。

 「仕事もせず一日16時間パソコンに向かう35歳の独身男性。薄暗い部屋で画面に向かい独り言をつぶやく。専門家は『バーチャルとリアルの区別がつかなくなっている』と指摘する。一方A子さんは夫が家庭も顧みずにゲームにのめり込んでいった。ゲームの邪魔になると妻に手を挙げる夫。A子さんはそんな生活に耐えかね、離婚した」ーー今夜0.25からの「NNNドキュメント05 急増!ネット依存の恐怖 」の惹句。 この人たちを「特殊」と片付けるのは簡単だが、本格ファミコンから20年、ネットはまだ数年。症例はこれから無限に出てくる可能性もある。

 かといって、すべての責任を電脳社会に押し付けるのも危険だし。ウーン……。
1月21日(金)晴れ


 PM4、下北沢。駅前劇場で東京タンバリン「狐の牡丹」。前回見た「ヒトリシズカ」から時間が遡り、舞台となるマンションに、ある家族が住んでいる時代のお話。

 新婚(といってもまだ未入籍)の夫婦が新居のリフォームの間だけ、義母(父親は故人)と義妹、義兄の住むマンションに1週間だけ同居することになる……という設定。気の強い義妹、引きこもりの義兄、ファザコン気味の夫の間で、次第に追い詰められ、ある「事件」をきっかけに、大人しく従順だった妻の内面が崩壊して行く。きゃしゃで楚々とした新妻役がよく似合う後藤飛鳥の、暗い抒情をたたえた演技がスリリング。

 5.45終演。げんこつラーメン730円を食べてから新宿へ。

 PM7。紀伊國屋サザンシター。フジテレビジョン主催「歩兵の本領」。早く着いたので書店散策。清原なつの「千利休」、吉田光彦「こま綴り二重星」など、読みたいマンガはあるが、引っ越し前に荷物を増やしてもいけないと思い、購入延期。

「歩兵の本領」は今日が初日。窪塚俊介、的場浩司ら人気役者が出演しているとあって、ロビーには大量の花輪。並びの席に片岡鶴太郎らタレントの顔。

 浅田次郎の原作を和田憲明が脚色し、杉田成道が演出。1970年代の自衛隊を舞台にした青春グラフィティーであり、自衛隊上がりの浅田次郎の個人的体験を反映した自叙伝的な物語。


 浅田次郎が入隊した1971年といえば、まだ70年安保の余燼がくすぶり、自衛隊はその存在そのものが違憲として社会から糾弾されている時代。隊員は「税金ドロボウ」の罵声を浴びせられていたわけで、そんな時代に自衛隊入隊した男がバリバリの保守反動なことは言を待たない。
 だから、その時代の自分の青春を書くということはもちろんのこと、自己正当化であり、舞台も自衛隊を美化する物語の側面を持つ。

 主人公・佐々木(高橋一生)は高村光太郎の「道程」を静かに暗唱するような文学青年。国立大学の受験に失敗し、その翌日に自衛隊に入隊する。同期には家族に恵まれず、志願して自衛隊に入った渡辺(窪塚俊介)、チンピラ上がりで、地連(地方連絡部)の勧誘で入隊した今野(森本亮二)、知人の借金の連帯保証人になったため、借金返済のために自衛隊に入った妻子持ちの石川(友部康志)らがいる。

 鬼のような先輩たちのシゴキに耐え、厳しい訓練を通じて、一人前の自衛隊員に成長していく様子を描くと同時に、予科練出身で特攻隊の生き残り川原准陸尉(花王おさむ)の、国家に翻弄された人生を対極に置くことによって、「国家」への疑義も挟み込む。

 初舞台の紅一点・水川あさみが、佐々木の元恋人、渡辺の憧れの風俗嬢、今野の恋人の3役を演じ、初々しい演技。鬼の陸士長を演じた的場浩司もいかにもな自衛隊員の役。
 原作を2時間20分の青春群像劇としてまとめ上げた和田憲明の脚本、杉田成道の演出も手堅い。

 しかし、舞台成果がどうであれ、自衛隊を美化する作品であることに変わりはない。幕開け、舞台中央に巨大な日の丸が掲げられ、自衛官が「君が代」を高らかに歌い上げる。この朗々とした歌い手は韓国スターのパク・ヨンハ。韓国・朝鮮人に「君が代」を歌わせることに悪趣味以外のどんな意味付けがあるのだろう。和田憲明は「君が代」を歌えるのか……。
 隣の席に座っていた老婦人は、君が代が始まるや耳を覆い「聞きたくない」とつぶやいていた。終演後もカーテンコールの拍手を拒否し、役者紹介でも一切拍手しなかった。この毅然とした態度。


 劇中、自衛隊員たちは学生運動を「苦学しなくてもいい時代が生んだ甘えた連中」とこき下ろし、「貧しい」自分たちと比較するが、70年代、貧しくない学生がいたか。自衛隊を「いつまでも認知されない日陰の軍隊」であるとして、憤りをもって、「軍隊は国家に必要なのだ」と叫ばせるのは原作者の代弁だろう。

 センチメンタリズムで自衛隊賛美のコンセプトを覆い隠した反動的な舞台……と結論付けるのは、紋切り型になってしまうが、若い観客の感動の涙を見ると、それは的外れとも思えない。プロデュースはO村俊一。彼に思想があるとは思えないし。

 それにしても、開演前に後方の席で文学賞受賞作家たちをエラソーにこき下ろしていた大手出版社の編集者たちのうざったいこと。浅田次郎担当者なのだろうが、横柄な態度、不遜な物言いに大手の傲慢さが見え隠れし実に不快。ふだん付き合う芝居関係の人たちが謙虚なだけに、こういった高い禄を食む連中の傲慢さには腹が立つ。

 9.20終演。

1月20日(木)晴れ


 PM4.20、K記念病院で鍼。どこかの健康雑誌のライターが来ていて、治療現場を取材。ベッドにうつぶせのまま受け答え。ウーン、あまり気分のいいものではないな。「患者」として取材されるのは。

 PM7.00、六行会ホールでシアター・バロック「踊るやくざシリーズ 極道人生いばら道」(脚本=武田直樹)。

 昔は、小松杏里なども参加し、バリバリのアングラをやってた飛野悟志(演出)の劇団。ここ数年、このやくざミュージカルで観客動員を伸ばしているとか。いわゆる「寺山修司つながりの劇団」なのだが、これまでなぜか見る機会がなく、今回初見。

 タイトル通り、東映Vシネマを舞台にしたような、やくざ顔の役者が大挙して出演する音楽・ダンス入り任侠ドラマ。

 冒頭から出演者30人余が登場するにぎやかなダンスシーン。パンチパーマのいかつい顔の役者たちは、そのへんを歩いていたら確実にホンモノと間違われるほどの迫力。

 組長の掟に背いて、シャブを売り、組を乗っ取ろうとする石塚組若頭。一方、主人公・大和組若頭・小林は上部組織を破門され、代紋なしの身。石塚 組の組長はそんな小林に自分と同じ古い任侠の匂いを感じ取り、手を貸そうとしていた。梅沢組の組長もまた古いタイプのやくざ。この三組と偽ブランド品売 買事件を内定する刑事、足を洗って探偵になった元やくざらがくんづほぐれつの大騒動。

 もしかしたらオチャラケのパロディーになるのでは、と思いきや、きっちりとした物語性のある、まさに東映やくざ映画の世界。全力投球の真剣勝負がうれしい。チャンバラJrの駿河幸太郎、仲村浩、それに海津義孝がゲスト。
 9.00終演。楽屋から出てきた海津氏と立ち話。飲み会に誘われるが、明日も仕事。こんなとき、家が近ければ毎晩でも飲めるのに……。

 PM10・45帰宅。
1月19日(水)晴れ

 正午、歯医者で定期健診。タワーレコードに寄ってアート・ペッパーの「ミーツ・ザ・リズムセクション」、キャノンボール・アダレイ「サムシング・エルス」。


 帰宅して部屋の片付け。

 先日読み終えたジリアン・ホフマンのデビュー作「報復」がかなり面白かった。

 フロリダ中を震撼させた連続猟奇殺人鬼キューピッド(被害者の心臓を抉り出して持ち去るためこう呼ばれた)が、ある偶然から逮捕される。その裁判を担当することになったのは女性検事補C・J・タウンゼント。裁判所で彼の声を聴いた彼女は、12年前にニューヨークで彼女をレイプした道化師マスクの男こそキューピッドだと気づく。しかし、レイプ事件は出訴期限を過ぎており、今回の事件も、自分が担当すれば、被告と法的利害関係=利益相反があるため、訴訟法により、被告が無罪になる可能性が大きい。”明白な犯人”を起訴・有罪にするために、女性検事補は道義的に許されない手段を使い、裁判を継続していく。しかし、真犯人は本当にキューピッドなのか……。

 最近のNHKドキュメンタリー番組に関するNHK・朝日新聞の泥仕合を見ていると、この小説のことを思い浮かべてしまう。
 自分をレイプした凶悪犯はあらゆる状況証拠から見て”キューピッド”という男なのは明々白々。しかし、正当な法的手続きを踏襲すれば、被害者は法的責任を問われ、逆に容疑者は無罪になる。


1、女性国際戦犯法廷に関する番組「NHK教育テレビ・ETV2001 シリーズ”戦争をどう裁くか”」について2001年、制作担当者に対して右翼からかなり激しい攻撃がなされていた。何台もの街宣車がNHKに繰り出し、進行役の高橋哲哉氏も身の危険を感じていた。

2、国会の予算委員会で自民党議員が「公共の放送局であるNHKがこのような偏向番組を流すのはいかがなものか」と質問、NHKの予算削減を示唆した。

3、その流れの中で、自民党の安倍晋三議員と中川昭一議員がNHK幹部に対し面会を求めた。

 これだけで十分、NHKドキュメント番組に「圧力があった」のは明らか。それを「言った」「言わない」、「日付が違う」なんてのは瑣末なすり替え。部分否定で押し切り、全体像まで否定してしまうのはチンピラ右翼の常套手段。予算や許認可の生殺与奪権を握る国会議員が「弱い立場」に面会を求めること自体が圧力でなくてなんだというのか。

 肝心なのは、その圧力がなぜ当該のNHK番組に向けられたかということ。それは権力が恐怖するような番組だったということだ。アジアの民衆が天皇の戦争責任を問うなどというのは、この国の支配者層にとってあってはならないこと。

 コイズミの靖国参拝中止要請をした富士ゼロックス会長・小林陽太郎氏の自宅に火炎瓶を投げつけ、実弾を送りつけるーーNHK・ドキュメンタリー番組攻撃と同じ勢力の「圧力」。暴力が言葉を封じ込める暗い時代の前兆だ。

1月18日(火)晴れ

 PM6.45。新国立劇場ザ・ピットで「城」(松本修・演出)。開演時間を間違えて15分遅刻。

 すでに酒場のシーン。主人公は測量技師K。彼は、城の伯爵に招かれたはずなのだが、なかなか城にたどりつけない。しかも、途中の雪深い村で娘に 誘惑され、足止めを食らう。奇妙な村人たちと暮らす日々。近づこうとすると遠ざかる「城」が何の隠喩なのかは解釈によって違うだろうが……。舞台はKと村 人の不思議な生活を主軸にスピーディーな舞台転換と井手茂太のダンスでKの奇妙な体験を描いていく。カフカの悪夢世界。衣裳、セットなど、まるで後期の天 井桟敷の舞台を見ているようなシュールでスタイリッシュな様式美。そこに高田恵篤、福士恵二の顔があるのだから、なおさらのこと、天井桟敷を想起してしま う。

 休憩15分挟み正味3時間30分。さすがにピットの固い座席では、たびたびおしりの位置を変えないと痛くて舞台に集中できない。10.15終 演。出口で松本氏に挨拶。M好氏と駅まで。ホームで電車を待っていたらK山事務所のK山氏とバッタリ。3人で立ち話。韓国で初演が行われる堤春恵の新作 「最終目的地は日本」の話など。
 11.45帰宅。

1月17日(月)晴れ

 PM4、下北沢。駅前劇場で東京タンバリン「ヒトリシズカ」。

 平日のこんな時間に客は入るのかと思ったが、以外やほぼ満席。アゴラ系の劇団ということで、これまでは積極的に見ようという気にはなれなかったのだが、去年の青年座自主公演に出ていた瓜生和成という役者がタンバリンの役者だとわかって、それなら本公演を見てみようか……と思った次第。瓜生の個性には惹かれるものがある。調べたら、今までの出演舞台は自分の予定と見事にすれ違っていた。マルセ太郎の舞台にも出ていたが、結局行けなかったし……。

 で、タンバリン。冒頭からグイグイと引きこまれ、1時間45分はあっという間。舞台となるのは住人のいない荒れ果てたマンションの一室。登場するのは、昼休みにここでサボるのを日課にしている酒屋の店員たち(瓜生和成、本間剛)、若い男を連れ込む主婦(横畠愛希子)、登校拒否気味の女子高生、(島野温枝)、出会い系サイトで知り合ったらしい男と女(柿丸美智恵)、そして、時々現れ、「妹を探し続ける」奇妙な女(新井友香)ら。

 彼らの人間関係が日常会話から浮かび上がり、やがて不思議な女の正体もそこはかとなく見当がつく。しかし、ナゾはナゾのまま、日常の中にフェイドアウトしていく。役者たちは個性的であり演技も上々。演出も破綻がない。この劇団の芝居作りに好感。今まで食わず嫌いできたのが残念。もう少し早く見ておけばよかった。

 冒頭で、女子高生がケイタイ相手に東北弁で話しているシーン。
「どこ出身なの」
「しもきた。ていっても下北沢じゃないよ」
 という会話があるけど、実にうまい下北弁。島野温枝は本当に下北出身?

 4.45終演。前の席にいたE森さんと出口まで。
「個性的過ぎて、この劇団の役者とは友達になりたくないよな」とE森氏。

 げんこつラーメンで腹ごしらえしてから電車に。
PM7.00。不動産屋に寄って打ち合わせ。PM8.00帰宅。

1月16日(日)雨

 PM0.30、六本木へ。アークヒルズで不動産オークション。40階の会場はオークション参加者数百人に加えて、マスコミのカメラ放列。いくら100回記念イベントといっても、なぜ大手マスコミがこんなに? と思ったら、抽選会にゲスト出演する企業キャラクターのM野真紀狙いだったのだ。司会はO野やすし。最近、テレビに出ていないためか、家人も「だれ?あの人」。一世を風靡したのに……。芸人はつらい。

 2.10入札、20分後に発表。人気物件のため、4組が競ることになり最後まで値段設定に迷い。
 3.30、ドキドキ・ハラハラのオークション終了。なんとか勝利。ほかの3組がどれくらいの値をつけたか知らないが、一発入札のオークションの怖さはどこで折り合いをつけるかということ。1万、2万の差であとでホゾをかむことになるのもシャクだから、つい値を吊り上げてしまう。ウーン、適正価格周辺だとは思うが、こればかりはわからん。しかし、政治家が住むような門構えの千葉の豪邸一戸建てを8000万円で落札した人がいたが、世の中にはカネが余っている人もいる。

 メインイベントを終えて、お楽しみの抽選会。M野真紀が後方入り口から係員に先導されて登場すると、一斉にフラッシュ。この営業でしばらく産休にはいるというので、マスコミ各社が妊婦姿のショット狙い。

 舞台の目の前の席という最上の位置からデジカメでパチリ。カメラ付ケイタイはNGで普通のカメラだったらいいそうな。

 で、抽選会。10等は5000円商品券。1等はグアムペア旅行。下等から徐々に盛り上げて会場はなごやかな中にも熱い雰囲気。

「6等のデジカメは……○番の方!」
 なんと、当たってしまった。壇上に上がり、M野真紀と笑顔で握手。なんのこっちゃ……。
 1等を当てた人たちはオークションで落札できなかった家族とか。運がいいのか悪いのか。

 すべての日程を終えて、帰りはアークヒルズの一角で蕎麦を食べて家路に。
 帰宅は7.00。
1月15日(土)氷雨

 PM2。土曜の午後は社内も閑散。F氏が机の下の空間に作った本棚の整理中。

 話題のマンガ「夕凪の街 桜の国」(こうの史代著 双葉社 800円)を会社で立ち読み。

「夕凪の街」は広島の原爆投下から10年後の広島のある町を舞台に、被爆者の女性のさりげない日常とその終わりを描いた作品。「桜の国」はそれから十数年後の物語。

 周囲に人がいなくてよかった。読みながら思わず滂沱の涙。作者自ら「オチない作品」というように、物語としての起承転結にはこだわっていない。主人公たちは差別や被爆を抱えながら解決できないまま、生き、そして死んでいく。しかし、それだけに余韻は深い。

 ただ、この本を評するあまり「声高に反戦や原爆の恐ろしさを言い募る」ことがヤボったいこと……に傾くのはちょっと……。「はだしのゲン」や「黒い雨」などの激しい告発があってこそ「夕凪の街」の静謐さが際立つのであろうし……。

 PM3.00、大塚。PM7.20から萬スタジオで月蝕歌劇団公演「家畜人ヤプー」。本公演前に5.15から詩劇コンサート「綺譚少年の詩」。早く到着したので、駅前の本屋で時間潰し。中山康樹著「ジャズ名盤を聴け!」(双葉文庫)を買う。元スイングジャーナル編集長によるジャズ・名盤ガイド。ジャズの巨人たちを俎上に乗せ、料理する手つきが実に鮮やか。


 4.30過ぎに劇場に戻ると雨の中、大勢の客が玄関前で開場待ち。
 間をすり抜けて劇場へ。PANTAがリハーサル中。「お久しぶりです」と声をかけられたので振り返ると月蝕元トップのN口員代。「誰かわからなかったでしょう。10キロ増量しちゃったから」とニッコリ。昨年暮れに結婚したばかりで旦那様と一緒。 

 ライブは6.30まで。黒のゴスロリ衣装に身を包んだヴァイオリン+ピアノユニット「黒色すみれ」、ブルースの近藤房太郎をフィーチャーしたドラマ仕立てのコンサート。その後にPANTAと藤井一彦登場。エレクトリック・アコースティックギターで「時代はサーカスの象にのって」「万物流転 panta rhei」の2曲。「結局、世の中何にも変わりゃしねえじゃないか」と反語的に作ったという「万物流転」。世の中の座標軸はどんどん右に移動して、革命どころか、右への振り切りを阻止するだけで手一杯。こんな時代にはやはり、「有限の未来をおまえと見たい」と歌う、本来の意味の「万物流転」に希望を託したいものだ。

 ライブ終了後、高取氏、大野さん、そしてPANTAと近所の蕎麦屋で軽く食事。PANTAの「翡翠物語」に一同爆笑。7.20、初台・ドアーズに向かうPANTAと別れて再び劇場へ。

 沼正三(いまだ”本当の”正体は不明)の原作に高取史観を加味して暗黒の少女歌劇で味付けした耽美SM劇。

 1967年(発表年)、日本人留学生・麟一郎と婚約者のドイツ人女性クララはドイツの山奥で、不時着したナゾのUFOの指揮官ポーリーンを助けるが、彼女によって40世紀の超未来世界イース国に連れて行かれる。その世界では白人だけが人間であり、黒人は奴隷として「半人間」扱い。日本人は家畜として肉体を改造され白人に奉仕する奴隷以下の存在に貶められていた。家畜人ヤプーとして肉体を改造された麟一郎、白人としての特権に目覚めたクララの被虐と加虐の相克の先にあるものは……。


 初演の際には人間便器、人間快楽器といったヤプーたちをどのように具現化するのか、興味津々だったが、再演となれば、その衝撃は薄まるものの、ボンデージ・ファッションに身を包んだ美少女たちが繰り広げるSM純愛劇は変わらず新鮮。


 作品のモチーフになったであろう戦前の日本人の中国人蔑視=差別を挿入し、原作の構造をわかりやすく提示。天皇制の虚妄にも鋭く迫る。アングラ少女歌劇の体裁をとりつつ軽やかに権力と制度を撃つ。これこそ高取流の過激術。初演では森首相の神の国発言があり、期せずして痛烈な一矢を報いる舞台となったが、4年後の日本はネット右翼を中心に「神の国」信者が増大しているようで不気味……。

 クララの一ノ瀬めぐみは初演よりも演技が安定。麟一郎の阿当真子は細身のため、男役の荷が重そう。ジャーゲン役の保鳴美凛はいつにもまして役作りに気合いが入っている。引退した宇井千佳の線が狙い?
 意外に健闘したのがドリス役の愛葉るび。ピンク映画やVシネで人気らしいが、存在感のある演技。途中で胸ポロリのシーンがあるが、あのタイミングはミカエラ学園で背中の羽の跡を見せるシーンと同じタイミングか。

 9.30終演。ダメ出しを待たずに、M田政男さん、大野さんの3人でいつもの飲み屋「花の木」へ。ビール飲みつつ、埴谷雄高忌の準備に余念のないM田さん。ほどなく高取、スギウラユカ、照明さん、衣裳さん、それに愛葉るびの4女性を交えて11.00まで。駅でM田、大野さんと別れて家路に。
0.30帰宅。
1月14日(金)晴れ


 PM2。劇団KのS崎さん来社。2月公演の件。いつもながらアグレッシブな方。

 最近、気になる言葉。「がっつり」「真逆」。「がっつり」の言葉の響きが耳障り。「しっかり」とか「思いっきり」の意味で使われているようだが、流行語なのだろうか。

 ネットで調べたら「北海道弁から派生した」という説が濃厚。確かに「がっつり」という音は東北・北海道言葉に似ている。同じ意味で生まれ故郷では「がっぱり」とか「がっぱし」という方言が使われていた。そうか、北海道弁か。語感に抵抗あったが、急に親近感。ゲンキンな男……。

「真逆」もヘンな言葉。わざわざ「まぎゃく」とルビを振って使っている人もいるらしい。
 今日、会ったS崎さんも滔々と演劇論を展開しているうち、「〜と真逆で」と言ったのでオヤッと思ったのだが。
 しかし、この「真逆」、広辞苑はじめ主だった辞書には載っていない。つまり造語。「真逆様(まっさかさま)」を読み間違えたのが広まったのか。「対極にある」という意味で使われているようだが、「真逆」と書くとなんとなく哲学的で高尚な香りがする。こうして、新しい言葉が独り歩きしていくのだろうか。

 PM6。新宿・歌舞伎町。時間がないのでハンバーガーショップに飛び込み、チーズバーガーをコーラで流し込む。

 奥の席では女子中学生二人がケイタイ片手に嬌声を上げている。16、17歳の男がフラリと入ってきて店内を見回す。視点の定まらない目。クスリでもやっているのか、紙ナプキンの束をわしづかみにすると、ニタリと笑い、「これ、いいですか」と店の女の子に話しかける。何と言っていいのか、口ごもる店員。男はそのまま、ナプキンを手に店外へ。男は映画館の前で道行く人に視線を投げながらうろついている。

 上京した頃、新宿東口の植え込みの周辺はビニール袋片手にシンナーでラリった若者達でいっぱいだった。70年安保の騒乱の記憶もまだ新しい頃。「反時代のロマンチシズム」の香りがある猥雑さが地方出身者にとっては心地よい町だったのだ。しかし、今の新宿、特に歌舞伎町の、目を背けたくなるようなすさんだ光景は、ロマチシズムの片鱗も感じられない。

 かつて、早慶戦の度に、学生たちの狂態が繰り広げられた「噴水」跡を横目に、シアター・アプルへ。

 野川由美子が主宰・出演するロマン舎公演「愛・してる人達」。客席の平均年齢は60歳? 後方の客席はガラ空き。なんとはなしにわびしさが漂う。出演者も芦屋小雁、櫻木健一、逢坂じゅん(元レッツゴー三匹)と、「あの人は今」な役者たち。人気の若手落語家・柳家花緑をメインキャストにし、若い客を呼ぼうとしたのかもしれないが、その効果はイマイチなようで……。

 35年前に人気力士の若虎を事故で失ったお花(野川由美子)。まもなく古希を迎えようとしているが、懐旧の念にかられ、若虎の昔の仲間4人を呼び出す。一方、ハワイからは、日系米人のタイガー・ブウム(花緑)なる若者が訪ねてくる。彼の顔は若虎と瓜二つ。お花の蓄えた貯金のウワサをめぐって、てんやわんやの大騒動が始まり……。
 三味線、都都逸、木遣り崩しに相撲甚句……芸達者たちの伝統芸の披露が楽しい人情喜劇。
 しかし、まるで1950年代のお昼のバラエティー舞台の中継を見ているようでテンポがノンビリ。お目当ての野川由美子も白髪のカツラに和服姿の老人役。セクシーな悪女をやらせたら右に出るものがいない、颯爽とした美人女優のイメージがいまだにあるので、ちょっと残念。

 PM8.15終演。出演者が全員通路に並び、客を送り出す光景は大衆演劇風。
 外に出ると、不夜城・新宿の週末はこれから。人ごみをすり抜け、駅へ。西日暮里経由で家路。9.30帰宅。
1月13日(木)晴れ

 昨夜は布団に入ってから2時間余り、なかなか眠れず睡眠不足気味。

 午後、最近の「仕事の流れ」について部会。厳しい時代の到来。

 PM5。駅前の不動産屋に寄って担当のO川さんの説明を受ける。
 PM6.30、鍼灸院に寄ってから帰宅。

 高校時代の教頭で、95歳の今もお元気なT先生から長文の手紙。最近、新任教員時代の教え子(84歳!)が遠方から訪ねてきたという。嬉しそうなT先生。

 若い頃から歴史に興味を持ち続けたというT先生。先生が著した「東北太平記」の口語訳を読ませてほしいと思ってそのことをハガキに書いたら、さっそくの返事。

 今は菅江真澄全集の中の漢詩に興味を持ち、下北を詠んだ漢詩に取り組んでいるという。「老後の楽しみにしています」というT先生の手紙の文字。95歳になってなお、漢詩研究に「老後の楽しみとして」取り組んでいる! ガツンと頭を殴られたような気がした。すごい。「天命を知る」なんてまだまだ洟ッたれのトシじゃないか。鬱々としてなんかいられない。
1月12日(水)晴れ

 今冬一番の冷え込みか。

 寒さが人間の脳深部を刺激するのか、冬になると、ふとした瞬間に子供の頃の記憶が目の前のスクリーンにクッキリと映し出される。

 生家の居間のタンスの中。上の左の引き出しには板チョコレートが半分。チョコレートは貴重品。もったいなくて、1コを数日に分けて食べたものだ。

 最下段には田植えの時のアンコ饅頭を作る木型が入っていた。その上の引き出しにはには朱鞘のおもちゃの刀。ラジオからは赤胴鈴之助の歌。引き出しの取っての形も鮮明に覚えている。
 祖父が金庫代わりにしていた桑折(こおり)、台所の水甕、木の水樋。午睡をしている祖母の寝息、ストーブの上のやかんの下にコテを挟んで温めている母。はぎれのシワをコテでのばしている。キリンのように首の長い裁縫道具。あれは何というのだろう。

 囲炉裏にタイルを貼るためにストーブを外している父と叔父。それまでは囲炉裏に敷き詰められたのは珠ジャリだったっけ。それが綺麗なタイルになったのは驚きだった。
家の前の防風用の材木集積がコンクリート塀になったのも小学2年の頃。
 水道がひかれ、初めて蛇口から水がほとばしり出てきたときの嬉しさ。もう、川まで水を汲みにいかなくてもいい。砂が出てくるポンプの水を飲まなくてもいい。大人たちにとっては革命的な出来事だっただろう。

 襖の松の模様。玄関の板戸に鉛筆で落書き。「じじいね ○○いね」。この落書をなぜ書いたのか。「祖父は不在、自分も不在」という意味。訪問者がいやだったのか?

 秋になるとやかましく鳴いたクツワムシ、そう、キリギリスと呼んでいたが、あれは今思えばクツワムシだった。

 囲炉裏の上にぶら下がっているタコのフクロバ(風船)。タコの内臓の一部を風船のように膨らませたものを、子供の遊び道具にしていた。いくらなんでも、この記憶は時代がかりすぎ。たぶん幼稚園以前、3歳くらいの記憶。蛍光灯ではなく、まだ裸電球だ。夜ともなれば薄暗い室内。神棚の下のバスの時刻表。小学4年で生家を離れ、祖父母と別居したが、今でも生家の家の中の光景は障子の破れから、木の精の老人のような顔が無数に見える天井の木目模様まではっきりと目に浮かぶ。

 ストーブの上には大きな鍋。ジャガイモをグツグツ煮ている。ブタのえさにするため。家の裏手には豚小屋があった。成長して金網に包まれ運ばれていく豚の鳴き声。悲しかった。

 隣にはヤギ小屋。生まれたばかりの子ヤギの羊水に濡れた体。子ヤギにエサの葉っぱを与えるために、野山に連れて行ったっけ。カゴいっぱいに摘んできた桑の葉。病弱な母は乳が出なかったため、自分はヤギの乳で育てられたのだった。ニワトリ小屋もあった。朝、網戸をくぐって入り、産みたてのタマゴをそっと持ってくる。白い卵。親戚の家のニワトリは茶色の卵を産んでいた。なぜかうらやましかった。豚小屋もヤギ小屋も小学3年の頃にはなくなったはずだから、ヤギを連れて山に行ったのも、せいぜい小学1年頃までの記憶だろう。取りとめもない想い出の洪水……。

 

 午後、郵便局、クリーニング店、次いで盗難自転車を引き取りに集積場へ。帰りに鍼灸院。
 ウーン、なんだかここ数日、欝。気分が晴れない。

1月11日(火)晴れ

 休日が変則な「カスタネット出勤」なためか、体調がすぐれず、鬱々とした気分。仕事なんかしないでのーんびりと毎日を過ごしたい。「宝くじが当たったら会社辞めるぞ〜」と毎度の繰言。

 PM4.00。5.30から会社の新年会だが、パスして上野でマッサージ。

PM7.00。三軒茶屋。「はとぽっぽ」でさば焼き定食+目玉焼き=830円。
 隣のテーブルで坂手洋二と似た人が黙々と食事中……と思ったら本人だった。芝居を見る前の腹ごしらえとか。「上演時間が3時間っていうから事前に食べておこうと思って」と。同じくトラムに行くところ。

 食事しながら雑談。「天皇と接吻」初演の際に、大阪のSケイ新聞に告知掲載を拒否されたという話は初耳。タイトルに”呼び捨て”じゃなく、陛下という尊称を付けないと……ということらしい。ナベツネの激怒よりはかわいい事例か。

PM7.30〜10.20、シアタートラムで遊園地再生事業団+ニブロール「トーキョー/不在/ハムレット」(美術・作・演出=宮沢章夫)。北関東の実在の町・北川辺町を舞台に、一人の少女の自死と”不在の青年”をめぐるもう一つのハムレット劇。映像、ダンス、言葉と肉体のせめぎあいが刺激的。スリットの向こう側で展開する芝居をモニターで見せるという手法ーー現実よりもバーチャルな映像の方にリアリティーがあるという奇妙なねじれが面白い。ハムレットと皇室を重ね合わせ、「中心の不在」を問うも、現実の皇室は、ハムレットと弟君の暗闘という予見不能な局面を迎えている。それを盛り込んだほうがアクチュアル?

 約2時間45分。休憩は不要だが、やはり人間の集中度は1時間半が限度。固い座席に、おしりの痛さも加わり、時々集中が途切れるのが難。それでもこの長丁場を飽きさせずに演出する手腕はさすが。

 ただ、最後の「書を捨てよ、町へ出よう」方式の役者紹介(円陣の中心から役者の野顔をアップでゆっくり旋回撮影)は、リズムが悪いし、バーチャルだから、客席の反応が良くない。やはりカーテンコールはナマの役者に対して盛大に拍手したいもの。

 11.50帰宅。
1月10日(月)晴れ

 看護士姿の剣幸が出てきて大騒動……というおかしな夢。この頃、こんな夢ばかり。

 10.30起床。
 同世代には休日でも朝早く目が覚めてしまうという人が多いが、なぜか、いつまででも寝ていられる。すぐに夜型に順応してしまうし、朝は苦手。それが毎朝5時起き生活を20年以上続けているのだから皮肉な話。

 お昼は華屋与兵衛で食事。帰りに近所の中古マンションのオープンルームを見学。値段の割には広い間取り。駅歩5分で98平米というのは掘り出し物かも。子供たちのはしゃぐこと。引っ越しもラクだし。すっかりその気に……。ただし、オークション方式。値が吊り上がる可能性大。

 夜、家族で「ヴァン・ヘルシング」鑑賞会。予告編だけは面白かったが……。

 0・30就寝。
1月9日(日)晴れ

 6.30起床。子供と一緒に躰道稽古へ。8.35着。一番乗り。「鏡開きがあるから早く集合」と言われていたのに、道場にはカギがかかったまま。「時間を間違えたかな」とケイタイを取り出した瞬間、指導員のK氏が階段を上ってくる。
 なんだ、みんな遅刻なんじゃない?

 結局、いつもと同じ時間に三々五々集合。朝早く起きたのに意味がない……。

 9.30、1階の道場で新年恒例の鏡開き。市長やら教育長が来賓で挨拶。剣道、合気道、弓道、少林寺拳法など、同じ館内の武道関係者が一同に参集。簡潔な挨拶で、サクサクと進む。
 30分ほどで式次第は終了。裸足の裏から床の冷たさが伝わってきて、寒いこと。

 道場に戻って稽古開始。しかし、右足のふくらはぎ、ひざが痛むので走ることもままならず、片隅で一人見学。胴着に着替えているので動かないでいると寒さが身にしみる。
 道場の半分を合気道関係者が使用しているので、今日の参加者31人が同時に稽古するわけにはいかず、全員でウォーミングアップと軽い突き蹴りの稽古。

 しかし、見ているだけというのはつらい。動きたいのに動けない。見学がこんなにつらいものとは。

 ふと昔のことを思い出す。高校に入学したとき、Yクンという同級生がいた。彼は足が不自由なため、入学当初から体育の時間は見学ばかり。

 新学期が始まって間のない5月だったろうか、彼が自死したのは。同級生と口論になったとき、かばってくれたYクン。死の何日か前、街ですれ違ったとき、笑顔を見せていたYくん。確か、母親が早くに亡くなったのではなかったか。

 せっかく入った高校で、体育の見学がずっと続くと思ったら、つらかったんだろうなぁ。それもひとつの引き金だったのかもしれないと、ふと思う。

 PM2、帰宅。暖かな室内に戻ったら、急に眠気に襲われ、夕方5時まで熟睡。

 夜、眠れなくなるのではと心配したが、11.00いつもどおり就寝。疲れているのか。
1月8日(土)晴れ

 久米宏と裕木奈江の3人で汽車とバスを乗り継ぎながら、スリルとサスペンスの珍道中をしている夢を見ていた。目覚めた後、ホンワカと楽しい気分に。

 「新システム」導入に伴う研修など、ピリピリとした雰囲気が漂う我が部署。不況の時代、会社も「貧すれば鈍する」。

 PM2、仕事を終えて下北沢へ。TEAM発砲・B・ZIN「ツカエナイト」。研究者の発明した人工頭脳「ナイト」をめぐって繰り広げられる企業スパイ、公安、ナゾの女、それを追う男たち……三つ巴、四つ巴の争奪戦。例によって物語りに起伏なし。7割が役者が舞台を駆け回っているシーン。ラストの「ライダー・キック」シーンは伏線が効いていて、なかなか見せるものの、ウーン……。

 ヴィレッジ・ヴァンガードでジャネット・クラインの「プット・ア・フレイバー・トゥ・ラブ」を買う。「ノスタルジック・キュートボイス」の惹句につられて。

 PM5.35。Sシネマで「エイリアンVSプレデター」。少しは刺激的な映画かと思ったが、見るべき所ほとんどなし。もう、この手の映画のVFXは飽きた。

 PM7.30帰宅。
1月7日(金)晴れ

 仕事の帰りに、鍼灸院に寄って足に鍼。翌日には痛みが消えているのは、やはり鍼の効果だろう。

 6.00帰宅。
 ウニ氏のブログで紹介されたboston.comnewsの写真が頭から離れない。

 スマトラ地震による津波発生から2日後にインド領アンダマン諸島のセンチネル島で撮影されたもので、「古代の知識が部族を救ったのかもしれない」とのタイトル。孤島では助かった部族が多いという。

 上空に飛来した救援ヘリに対し、弓をとり、矢を放っている。「それ以上自分たちの領内に立ち入るな」と威嚇している部族の男。アチェとビルマの間にあるニコバル諸島とアンダマン諸島には「旧石器時代そのままの部族が依然として文明を拒否して生活している」というが、一枚の写真がその事実を如実に示している。

 文明を拒絶することが彼らの誇りであり、古代からの戒めなのだろう。文明の災厄から隔絶した生活を送る人々。文明に浴させることが幸せとは限らない……。
 

 小泉首相が地震被害復興支援に5億ドル拠出。1500人超の自衛隊員派遣。米太平洋軍1万2600人と共同行動する方針とか。タイのウパタオ基地に司令部を置くというが、半島有事に向けた日米軍事演習が狙いなのは明らか。救援活動を隠れ蓑にして軍事演習。自衛隊もすっかり「国際救援組織」として認知され、軍拡主義者は万々歳。

 故・橋田信介氏夫人がAIU保険・日本法人を提訴している。AIUが橋田氏の死亡保険金の支払いを拒否したことが訴訟理由。

「イラクは戦闘地域だから免責事項にあたる」がAIUの言い分。

 しかし、小泉首相は「自衛隊が活動する場所が非戦闘地域だ」と言明。派遣延長を決めている。自衛隊員はサマワとバグダッドを往復している。つまり、橋田氏が襲われたマフムディも自衛隊の活動地域。それなら、橋田氏は非戦闘地域で死んだことになる。「保険金が下りないのは不合理」なわけだ。
 日本の保険会社は昨年、イラクで起こった強盗事件では保険金を支払っている。
 つまり日本の保険会社は「イラクは非戦闘地域」とみなしているわけだ。AIUが海外資本でも、契約したのは日本法人。「日本の政情」に従うのが筋というもの。

 司法が橋田氏の保険金支払い拒否を認めれば、イラクは戦闘地域と認めたわけで、小泉首相はウソつきだと裁判所が判断したことになる。逆に勝訴して保険金が下りれば、夫人はフリーランスの人たちのための基金を作るという。

 さすが、戦場カメラマンの妻、判決がどう出ても「敵」に一矢報いることになる。


1月6日(木)晴れ

 PM7。ベニサン・ピット。流山児★事務所「桜姫表裏大綺譚」(作・佃典彦、演出=流山児祥)。

 7時間を超す南北の歌舞伎を1時間45分の現代劇にまとめ、なおかつ原作のエッセンスを余すところなく盛り込んだ佃典彦の手腕。一人数役の早代わりによるスピーディーな展開、音楽の使いどころなど、ツボを押さえた流山児祥の演出に感服。久しぶりに心地よいアングラ・エンターテインメント芝居を堪能した。

 物語は南北の「桜姫東文章」の登場人物を善悪ひっくり返し、タランティーノの「キル・ビル」で味付けしたもの。

 桜姫(中村音子)は長浦(風間水希)が頭目の日本暗殺者協会のナンバーワン殺し屋。宗教法人蒼虫教団のドン・清玄(栗原茂)の依頼で、仇敵のS学会会長の命を狙うが、清玄こそ、桜姫が前世で契りを交わした相手。一方、警視庁特別捜査本部が教団に送り込んだスパイ・釣鐘権助(大内厚雄)は、姉が嫁いだ弁護士一家が皆殺しにあった事件を捜査。手を下したのが、桜姫と判明するが、いつしか彼女にひかれていく。警察、暗殺者、教団入り乱れての争闘に暗殺団の元締め・大友頼国(若杉宏二)が加わり、舞台は死屍累々の殺戮の場に……。

 後半は長ドス片手の桜姫が梶芽衣子の「修羅の華」「うらみ節」をBGMに白の着流しで華麗な立ち回り。まさにキル・ビル様式美。演出のキレ味もいい。1時間45分飽きさせず。

 開演前に七字英輔氏と雑談。昨年秋からはブラジルの1980公演に同行して海外生活だったとか。北川登園氏と一緒。サンパウロ公演のカーテンコールは北川氏によれば、「寺山修司の奴婢訓で経験したカーテンコールの熱狂に匹敵するほど」とか。

1月5日(水)晴れ

 阿佐ヶ谷のF荘を訪ねた夢を見ていた。Sさんの名前を呼ぶと、中から「おぅ!」という声。ドアを開けると、崩れ落ちそうな本の山。運送員が二人いて、ちょうど引っ越しの最中。

「実家に帰ることにしたんだ」とSさん。日大全共闘のSさんは警官隊導入時に起きた警官死亡事件で起訴され、長期裁判を闘ってきた。裁判そのものはとっくに結審したはずだが、Sさんは今もF荘に住み続けていた。70年代に自分がF荘に引っ越したとき、斜め向いの4畳半に住んでいたのがSさん。長身で太い眉毛、人なつっこい笑顔。どこか秋田明大と似た風貌。

「何度か訪ねてきたんですよ」とSさんに言うと、「知ってたよ」と笑顔で答える。部屋の裏手に回ると、広い庭に花と植物。「へぇ、こんな庭があったんだ」と驚く。土と緑の懐かしい風景。

 なぜ今頃、Sさんの夢を見たんだろう。

 40代に入った頃から加速度的に時間の流れが速くなって、今では1年間は1カ月くらいに換算される感覚。

 いろんな説があるが、加齢が進むと、ルーティンワークや日常の些事は経験値として認識しないのでは。新しい経験なら記憶に残るが、ルーティンワークは記憶に残らない。たった1日の旅行でも、初めての土地の場合は、経験容量が大きいから、一日が長く感じるが、通勤時間などは、どんなに長く電車に乗っていても感覚としてはゼロ。日常の仕事も同じ。

 WAVEファイルのデータをMP3に変換する際、データの間引きをして容量を軽くするように、日常のムダな時間は記憶から間引きされているのかもしれない。つまり、ムダな時間を過ごしているだけ、時間の流れは速く感じる? ということは、加齢が進めば、いかにムダな時間が増えているかということなのか?ウーム……。

 午後から運転免許証の更新のため、警察署へ。ゴールドから「一般」に転落したため、1時間(優良者は30分)のビデオ教習。後半の「交通事故で家族を亡くした遺族のその後の生活」のビデオがよく構成された映像。思わず涙。夫を亡くし一人で娘を育てる妻に「保険金が下りたんだろう。息子の金は親の金」と迫る義父母がいるとは。確かに、「不幸に見舞われたとき、その不幸に付けこむ輩が現れる。それも身内に……」

 帰宅して、近所の鍼灸へ。9月に痛めたふくらはぎが走ったりするとまだ痛む。気になるので診て貰ったら、「肉離れを起こした部分を養生しなかったため、そこが完治しないまましこりになっている」とのこと。鍼と湿布。夕方、暗くなってから子供と自転車に乗って買い物。6.30帰宅。
ビデオのフジ・ロックフェスティバル2002を観ながら夕食。
1月4日(火)晴れ

 フッと目が覚めたので枕もとの時計を見るとまだ4時。やはり仕事初めで緊張しているのか。そのまま再び眠りに入り1時間後に起床。外は真っ暗。正月の間にたまったゴミ袋をゴミ置き場に運んでから駅へ。

 6.50会社着。自分の仕事を終えてしまっているので、手持ち無沙汰なまま午後まで。


 スマトラ大地震の被害は拡大する一方だ。このままでは死者15万人を超える。町村外相によれば、外務省に安否照会のあった日本人3129人のうち680人余と連絡が取れていないという。ほとんどが個人旅行者であると見られている。

 一方、インドでの死者、行方不明者の多くは、アチェとビルマの間にあるニコバル諸島とアンダマン諸島の人たちだという。ウニ氏のブログ「壊れる前に……」によれば、アンダマン諸島にはインドからの入植者グループ(Car Nicobar 島にはインド空軍の基地があり、そこでは三千人以上の軍関係者が犠牲になった)と、アンダマン、ニコバルの先住民たちの2つのグループがあるという。
 先住民グループは、長い間、「文明」から隔離され、「石器時代」に近い生活を続けてきた民族だとのこと。

 現地のジャーナリストによれば、「インド連邦は1947年にイギリスの植民地支配を脱したが、同時にアンダマンを自らの植民地にしたことから、現在も、アンダマンの統治は非常に植民地的である」という。
 この先住民族は漁業を中心に生計を立て、外界との接触を絶っている集団も多いという。
 津波の襲来によって失われた民族・文化。

 大国から独立したインドが自らの内部に「植民地」を抱えるという差別構造のスパイラルにも驚かされたが、「単一民族」を謳う日本とて、アイヌ民族、沖縄民族など、「少数民族」を内包しているわけで、そのことを糊塗し続ける厚顔さに変わりはない。

 その一方で、スリランカでは、南部海岸沿いのガールという町で子供や女性へのレイプ事件が続発しているという(記事=PRI特約)。ユニセフ(国連児童基金)からの情報では、生き残った男6人が同じ避難所の17歳の少女を集団暴行した事件があったという。

 そのほかにも、親と別れ別れになり、無防備になった子供たちが収容所内で集団暴行を受けているという。

 海岸沿いの地域は「タミル・イーラク解放の虎(LTTE)」の支配地域。多数派で仏教徒中心のシンハラ人と少数派ヒンズー教徒中心のタミル人との20年にわたる内戦が影を落としている。

 スリランカの女性活動家によれば、「これまでも政府軍シンハラ人兵士たちはタミル人女性や子供に性的暴行を加えてきたが、今回もその延長線上の出来事に違いない」とのこと。
 差別されるものがより弱い立場の者をさらに差別する「差別のスパイラル構造」。人間って……。

 PM7、銀座・博品館劇場で「シューズ・オン!6」。初日の客席は満杯。シリーズ化して6年目。ようやく固定ファンが付き始めたということか。歌とタップだけでつなぎ、余計な挟雑物を入れないで1時間40分をノンストップで走り続けた初演のタイトなスタイルが最も魅力的だったが、その後、2時間に拡大され、「笑い」の箸休めも取り入れた分、いまひとつ軽さが気になるものの、タップシーンは見ごたえ十分。本間憲一、川平慈英、玉野和紀、平沢智、藤浦功一、北村岳子、麻生かほ里、岡千絵のコンビネーションが最高。北村岳子の歌はスゴイ。オシャレな構成・演出は元祖・トレンディドラマのディレクター・福田陽一郎。仕事始めは肩の凝らない、エンターテインメントでウォーミングアップ。アンコールの拍手が鳴り止まず、感激の面持ちの出演者。

 10.30帰宅。


1月3日(月)晴れ

 10.30起床。家に帰りたいと父が言うので、廃屋となった田舎の実家に連れて行くと父が実に嬉しそうな笑顔を見せる。しかし、周りには父の姿が見えない。そうだ、父は死んだのだった。この家はどうなるのだろうか……と思っている夢を見ていた。亡くなってから初めて見る笑顔の父。
 たぶん、昨日、義母たちと、お墓の話をしていたのが夢に現れたのだろう。

 寒中見舞いのハガキを投函し、午後から子供と二人でM原シネマへ。「古本市場」でゲームソフトを買い取ってもらうが、査定に時間がかかり、先に映画館へ。「ゴジラ ファイナル・ウォーズ」。

 家族で映画館に行って、眠ることなく最後まで鑑賞したのは初めて。マトリックス+スターウォーズ+ゴジラ? ゴジラ映画に思い入れはないが、「ファイナル」に臆する意ことなく、ここまで大胆に撮った北村龍平監督、実に胆力のある人なのだろう。

 X星人(ベタなネーミング!)・北村一輝のギャグや松岡昌宏と菊川怜のステロタイプな会話は寒すぎるが、テレビのバラエティーショーとしてみれば許せるか。後半のキングシーサー、アンギラス、エビラ、カマキラス、モスラ、ミニラ、ラドン、ヘドラ、クモンガ、マンダなど怪獣の顔見世興行もファイナルならではのサービス。ゴジラに敗れたジラ(アメリカ製ゴジラ?)を見て、X星人が「やっぱり、マグロ食ってるヤツはダメだナ」と皮肉なジョーク。
 ラスト近く、「憎悪の連鎖」に立ちはだかるミニラと少年の姿。これが「911」以降のゴジラ映画か。 5.30終映。古本市場に寄ってから帰宅の途。

 夜、91年に録画しておきながら、そのまま放置していたNHKスペシャル「ニューウェーブドラマ 秋桜ーCOSMOS」を見る。

 交通事故で死んだ父親(柴田恭兵)が24時間だけ、猶予を与えられ、自分の娘(安達祐実)と残りの時間を過ごす。最後に行った場所は、いつも、「今度連れて行くからね」と仕事の忙しさにかまけてそのままになっていた遊園地。自殺未遂の若い女のコ(牧瀬里穂)と三人で過ごす夢のような時間。佐藤慶が、病気で死んだ最愛の孫を探し回り、成仏できない幽霊役。安達祐実、当時7歳。まだおぼつかない芝居とあどけない表情。

 最後の二人の別れのシーンに思わず涙。今年は芝居を見る時間を減らして家族との時間を作ろうか……。などと殊勝なことを考えてしまうのだが、さて……。

 10.30就寝。花粉症状態がひどいので鼻炎用カプセルを服用。休み明けの仕事はすでに終えているので気が楽。

1月2日(日)晴れ

 9.30起床。田舎の郵便局から、父宛の年賀状が転送されてくる。通知が行ってなかったのだろうか、一通は父の知人らしい文面。一通は津軽の温泉旅館から。たぶん、以前行った湯治場なのだろう。「お健やかに……」の文面に胸が痛む。

 午後、義母たちを駅まで見送り。帰りにダイエーのゲームコーナーで子供とバスケットゲーム。

 帰宅し、HPの更新。まとまった休みだから何かできると思いきや、意外と時間は無為に過ぎるだけ。見よう見ようと思っていた内田吐夢監督の「大菩薩峠」を見ている途中で「戦後日本の謀略」なる番組に興味が移り、またしても映画は延期。「もくせい号墜落」も「角栄逮捕」も「ビートルズ来日」もすべてアメリカの謀略ではないかという、日本戦後史を謀略史観でたどる番組。こんな「反米番組」(?)、ビートたけしという緩衝材がなければオンエアーできない?

 1.00、ミステリー片手に布団にもぐりこむ。朝寝ができるのも明日だけ。学生時代のような宵っ張りの生活はなんと自由でいいものか。


1月1日(土)晴れ

 元日なのに起床は9時過ぎ。昨年のうちに終わらせようとしたHPの一部の更新に着手。その後、DVDプレーヤーのハードディスクがいっぱいになったので、データをDVDに移動する作業。お正月なのに、そんなことばかり。

 午後から義母と義妹が訪問。夜、ダビング中の「6羽のかもめ」第9回「大問題」を見る。

 大学時代の同期がロマンポルノの巨匠として売れ出しているのに、自分はしがないテレビの台本作家(長門裕之)。その映画の端役に若手女優(栗田ひろみ)が選ばれ、出演するかどうかで、喫茶店の常連は侃々諤々の論争に。みんなが反対する中、「これは素晴らしい脚本。これに出ないなんて」とロマンポルノを擁護するも、自分の妻(夏純子)が主役に抜擢されると、とたんに腰砕け。自分の妻の裸は見せたくないと、西田佐知子の「アカシヤの雨に打たれて」を歌いながら、はしご酒……。売れないテレビ作家の悲哀。 

 喫茶店のシーンに木下清の顔。パチンコ屋では、「出ないよ!」とパチンコ台を叩く場面も。70年代初頭はまだパチンコ屋も人海戦術だったか。2005年の初っぱなに、1970年代のテレビドラマを見るのも、またオツなもの。今から見ればのどか過ぎる時代……。

 寝しなにジリアン・ホフマンのミステリー「報復」を読む。「P・コーンウェルも裸足で逃げ出す」の惹句はあながち誇大ではない。冒頭からクイクイ読ませる。これは期待大。

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