2月28日(金)

 PM1.30。初期天井桟敷のメンバーで、映画「書を捨てよ町へ出よう」の挿入歌「東京巡礼歌」を作詞したT永茂生氏と喫茶店でお茶。モルドバから来日中のロマ・ダンスの件。30分ほど歓談。伊豆から横浜に越してきたばかりとか。

 PM6帰宅。

「1954年年3月1日、太平洋のビキニ環礁で行われた米国の水爆実験の後、”死の灰”を浴びた日本のマグロ漁船・第五福竜丸乗組員の生殖機能が一時的に低下し(精子数減少)、放射能との関連が強く疑われるとの情報を日米両国の関係機関が共有しながら「機密扱い」とし、患者の乗組員にも知らせていなかったことが27日までに、米公文書や当事者の証言から明らかになった」と毎日新聞夕刊。


「第五福竜丸事件を機に原水爆禁止運動が全国的な盛り上がりを見せていたため、こうした情報が明るみに出れば、日本人の反米・反核感情に火を付け、東西冷戦の真っただ中で核軍拡を進める米国の軍事政策や日米の補償交渉に影響を与える可能性があった」というが、「東京の病院の医師3人」が9月に「検査の重大な結果」を機密扱いにするよう在日米大使館に打診、米側も了解した」というのだから、日米連携の情報操作であることは間違いない。

 BSE問題にしても、横田めぐみさんの遺骨鑑定にしても、この手の情報規制・操作が行われていることは今も同じ。原発施設の耐震性もしかり。要は国家など信用しないほうがいいということだろう。

 ぬりえ作家の蔦谷喜一氏死去。91歳。十数年前、電話でお話をして、その後、作品をいただいたことがあった。好々爺で、著作権にも無頓着。そこにつけこんだ輩も多かったと聞く。

2月27日(日)晴れ

 10.00〜11.40、S不動産へ。仮契約。

 その足で、TOTOショールームへ。K駅からタクシーで10分。夕刻までショールームで製品見積もり。帰りに、新幹線の切符手配。家族で外食。帰宅は7.00。躰道稽古にも行けず、丸一日つぶれてしまう。疲れが無気力を呼び寄せる。何もする気が起こらず、早目の就寝。
2月26日(土)晴れ

 夕刻まで会社。時間があると、つい机回りを片付け、掃除してしまう。「期限切れ」の郵便物などを整理整頓。

 PM7、渋谷。シアターコクーンで「幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門」。桜社解散のため、蜷川幸雄が演出できなかった75年の清水邦夫作品。80年頃、シアターモリエールあたりで、どこかの劇団の公演を見たことがあるが、あれはどこの劇団だったか。

「新皇」を名乗って朝廷に反旗を翻し、関東に独立王国を打ち立てようとしながら、敗残した平将門。清水邦夫は反逆者・将門の姿に70年代初期の政治闘争ーー内ゲバの隘路に陥ったセクト間戦争、とりわけ同志殺しで自壊していった連合赤軍の末路を重ね合わせる。


 将門(堤真一)は、頭の負傷が元で狂気に陥り、自分を、将門の命をつけ狙う追跡者であると思い込んでいる。
 将門の妻・桔梗の前(木村佳乃)と参謀・豊田郷ノ三郎(段田安則)は、将門の狂気を隠そうと画策するが、影武者である五郎(高橋洋)が将門に取って代わろうと野心を抱くなど、集団自体が狂気を帯びていく。

 三郎を追う妹・ゆき女(中嶋朋子)の情念、桔梗と三郎、将門の三者の愛憎、影武者として生き続けなくてはならない下郎たちの哀しみ……さまざまな思いが交差しながら、将門軍の逃避行は続く。
 やがて、集団が瓦解し、主従2人になったとき、三郎は将門を「生かす」べく最後の奇手を繰り出す。それは……。

 冒頭、紗幕後方で、巨大な鉄球が宙に舞い、投降を呼びかける機動隊の拡声器の声、ガス銃の発射音、ヘリの爆音……と、あさま山荘の銃撃戦がそのままコラージュされるのは、若い観客向けの「解説」なのかもしれないが、普遍性ある清水戯曲を「わかりやすさ」で、解題するのはいかがなものか。将門の狂気が「軽さ」と「笑い」で表出されるのも「重さ」を嫌う若い観客向けの方便としか思えない。堤真一の演技プランを受け入れた(?)蜷川幸雄の演出には疑問が残る。段田安則、木村佳乃の真摯な演技との対比を際立たせようとしたわけではないのだろうが……。

 閉塞感を強める70年代初期の時代状況と、その時代以上に不気味な閉塞感がつのる現在を通底させるために、「軽さ」を媒介としなくてはならないのは皮肉な話。

 三郎の身を捨てた秘策で将門は「永遠の反逆者」として民衆の伝説となるが、連合赤軍は無残な結末により、若者の時代の終焉を呼び寄せてしまった。清水邦夫の「反逆の時代」への悲壮な挽歌。
 急勾配の階段舞台セットは佐藤信の「リア王」の二番煎じといえなくもないが、それにしても、よく役者たちが階段セットを上に下にと動けるもの。しかも、沢竜二、田山涼成といったロートルの軽やかな動き。これには驚嘆。
 9.50終演。
3月25日(金)晴れ

 朝、玄関を開けると昨夜の雪がうっすらと積もっている。しかし、朝日と共に溶け出し、駅に向かう道は冠水状態。

 21日、品川プリンスホテル内で映画「オペラ座の怪人」を見た小泉首相がオフレコでこう言ったという。

「好きな新聞? 新聞は読まないことにしている。なぜって、それが政権維持のコツだからさ。新聞は見出ししか見ない。中身は読まない。どの新聞がいいって? 朝日と東京はダメだ」

 さすが、2枚以上の文書は読めないというウワサのコイズミ。新聞も見出ししか読めないようで……。

 世界的に権威のあるイギリスの科学雑誌「ネイチャー」が、横田めぐみさんの遺骨を「偽物」と断定したDNA鑑定に疑問を投げかけているという。

 日本政府に依頼され、遺骨のDNA鑑定をしたのは、「科学警察研究所」と帝京大の吉井富夫講師。科警研は「遺骨が高温で焼かれていたため、DNAを検出できなかった」としたが、帝京大は「横田めぐみさん以外の人のDNAを複数発見した」と報告。政府はその報告を受けて「遺骨は偽物」と断定した。

 2月2日付の電子版ネイチャーは、「DNAは日本と朝鮮が拉致問題をめぐって衝突する焦眉の問題」という表題で、東京駐在のデービッド・シラノスキー記者が吉井講師を取材し、こうレポートしている。

<吉井講師は火葬された標本を鑑定した経験はまったくない。また、彼は自分が行った鑑定が断定的なものではなく、また、サンプルが汚染されていた可能性があることを認めている>

 吉井氏はインタビューにこう答えている。
「遺骨は何でも吸い取る硬いスポンジのようなものだ。もし、遺骨にそれを扱った誰かの汗や油がしみ込んでいたら、どんなにうまく処理しても、それらを取り出すことは不可能だろう」

 つまり、DNA鑑定した吉井講師が「自分が行った鑑定は断定的なものではない」「サンプルが汚染されていた可能性もある」と言っているわけだ。日本政府が世論を誘導するために、吉井鑑定を牽強付会、「ニセ遺骨」とした疑いはある。

 P・コーンウェルの最新刊「痕跡」にも、「高熱で焼却された人間の骨からはDNA鑑定できない」との記述があったが、最新の鑑定技術を取り入れるであろう、コーンウェルの著作にして、こうなのだから。

 PM6帰宅。
 2月24日(木)雨のちみぞれ

 PM4.00、江戸東京博物館で「第17回歌舞伎フォーラム」。歌舞伎に親しんでもらおうと開催されてきた公演。

 両国駅を降りて、5分。江戸東京博物館に入ったのは初めて。ずいぶん立派なハコ。会場に入ると、右も左も60〜70代の高齢者で満席。まずは、「女形」の化粧の様子を公開。次いで、観客に芸者姿をの着付けを体験してもらうという趣向で、客席からロシア人男性が舞台に上がり、公開着付け。外国人スタッフのテレビカメラが回っていたのは、もしかしたら取材か。

 その着付け体験が終わり、20分の休憩。その後は「傾城阿波の鳴門〜どんどろ大師門前の場」。9歳の巡礼少女が母親と奇跡的な再会をするが、再び引き離されてしまうという哀しい母娘の物語。約1時間。30分の休憩を挟んで狂言を下敷きにした「棒しばり」。しかし、休憩の長いこと。さすがに二回目の休憩時間を待てずにリタイア。上野「癒処」でマッサージ。9時帰宅。

 駅に着くと、雨からみぞれに変わっている。

 このところ、地震が頻発しているが、いつも不安になるのは果たして原発は大丈夫かということ。

 29年前に東海地震説を最初に唱えた石橋克彦・神戸大教授(地震学)が、23日、衆院予算委員会の公聴会に公述人として出席。中部電力浜岡原発について、「東海大地震で大事故が起これば、首都圏まで放射能が達する”原発震災”となる恐れがある」と訴えた。

 石橋氏は日本列島全体が地震の活動期に入りつつあると指摘、「複雑高度に文明化された国土と社会が人類史上、初めて大地震に直撃される」と述べたという。

 浜岡原発については、「中部電力は耐震構造があると言うが、地震学者としての見地では、電力会社の想定している揺れは不十分だと思う。万一、原発内の核生成物質が外部に放出されると、東海地方から首都圏に至る広範な地域に被害が及ぶ。死者は10万人に達する恐れもある」と警告した。

 そして、「全国の原発の大地震によるリスクを評価し、危険度の高い順番に、段階的に原発を縮小していくことが不可欠だ」と述べた。

 現在、原発の耐震性については、国の原子力安全委員会が分科会で耐震指針の見直しを進めており、石橋氏は分科会の委員。

 独立行政法人・原子力安全基盤機構の試算(浜岡原発など3原発をモデルにして算出)によれば、浜岡原発で地震による事故が起こる危険性は「40年で2%程度」。これは他の原発より、はるかに高い数字だという。(毎日新聞抜粋)

 これだけの重要なニュースを伝えるメディアが毎日一紙だけとは。

 一方、青森県の大間原発建設工事に絡み、地権者の同意なく、原発を予定して共有地を造成したのは違法だとして、大間町の女性地権者(67)が22日までに、事業者の電源開発(東京都)を相手に、工事の差し止めを求める訴訟を青森地裁に起こした。

 同町奥戸地区の原発建設予定地をめぐっては、電源開発が2003年6月、地権者との持ち分を分割して確定しなければ、共有地が建設の支障になるとして、地権者64人を相手に、共有地の分割を求めて提訴。このうち女性地権者ら2人が「大間原発は極めて危険。施設設置のために共有地の分割を請求するのは職権の乱用に当たる」と争っている。
 以上「東奥web」より。

 激しい反対闘争が起こる素地はないかもしれないが、静かに、原発に対し「ノン」を突きつける人たちがいることを誇りに思う。

2月23日(水)快晴

 9時起床。
 ぽかぽか陽気。「春まだ早い頃のこと 小川は流れ陽は弱く……」という、冬から春に差し掛かる今の季節が一番好き。

 正午、家人と錦糸町にある「トステム」ショールームへ。バス、キッチンなどの見積もり。小一時間で終わるのかと思い、その後、映画でも見ようと目論んでいたのだが、とんでもない。なんとショールームの案内担当者の説明と見積もりで半日も費やしてしまう。ようやく終わったのがPM5.30.立ちっぱなしで腰は痛いわ、花粉症の症状が出るわで最悪の体調に。

 6.30帰宅。夜、小5の子供が「今、学校で流行ってるんだ」と、毛糸を輪にした「綾取り」を実演。「何かできる?」と問われたので、得意の「東京タワー」「朝顔」、それに「指切りマジック」をやって見せたら、素直に感心していた。「教えて」というので、「東京タワー」を伝授。一生懸命覚えていたが、まだ素直、。高校生の娘も加わり、3人で綾取り。クタクタに疲れ果てた一日だったが、最後は平穏な終わりに……。
2月22日(火)晴れ

「パッチギ!症候群」とでもいうのだろうか、ネットで映画の感想を記しているブログを読むだけで、涙がこみ上げてしまう。まるで涙腺が壊れてしまったかのよう。会社の20代後輩も、「映画が上映されているうちに、もう一回見たいですね」と言っていたが、若い世代にも評判がいいのはうれしい。電車の中で塩谷瞬の歌う「イムジン河」を聴き、また涙。上映期間中に、大きなスクリーンでもう一度見たいもの。

 PM7・30、下北沢。「劇」小劇場でクラクラプロデュース「君恋し ハナの咲かなかった男」。
 今もっともお気に入りの作家・中島淳彦の作品。

 今回は戦前の大スター・二村定一にスポットを当てたハートフル・コメディー。

 「アラビアの歌」「洒落男」「私の青空」そして「君恋し」をレコードに吹き込み、日本初の流行歌手といわれる二村定一。エノケンという偉大な喜劇役者と同時代に生まれたために、エノケンに人気を奪われ、次第に落魄し、最後は孤独な死を迎えるのだが、物語はベイちゃんこと二村定一が、行方不明をウワサされるほど落ちぶれ、敗戦後、知己の興行師に誘われて、とある芝居の一座に出演することになったとの設定。

 初日に向けて稽古する一座の楽屋。登場するのは借金を抱えた小屋主(湯浅実)、女座長(大西多摩恵)、座長のヒモ(葛西健司)、作家志望の警察官、喜劇役者志望の男、一座の役者たち。そこに、二村定一(中島淳彦)が酩酊状態で現れる。果たして、初日の幕は無事に開くのか……。

 中島の脚本でヘタを打った演出家を今まで見たことがないが、それだけ脚本の完成度が高いという証拠だろう。今回は、東京ボードヴィルショーの石井愃一の演出だが、これまた破綻のない、細部まで行き届いた演出。登場人物の個性の描き分けが絶妙。特に目を瞠らされたのが、中島本人の役者としての技量。二村役といっても、本筋に関係のない、ほんのチョイ役なのかと思ったら、終始出ずっ張りの堂々たる主演。酩酊した二村が登場する初シーンで、この先どうなることかと心配したが、そんなことはまったくの杞憂。セリフ明瞭、間の取り方絶妙、目配り、気配りがよくきいた役者っぷり。ホンキートンクシアター時代には役者出演していたとのことで、なるほど素人芝居ではない。というよりも本業の役者が逆立ちしても出せない、生まれついての個性がにじみ出ていて、そのふんわりした演技にすっかり魅了されてしまった。

 イノウエという作家志望の青年、タドコロという名の喜劇役者志望の青年が後に浅草に場を移し、それぞれ名を成して行くであろうサイドストーリーの伏線もイヤ味がなくていい。
 今回もまた「中島作品にはずれなし」の2時間の幸福感。
 客席にいたカトケン事務所のA部さんに挨拶。帰りしな、プロデューサーの上谷氏と立話。11.00帰宅。

2月21日(月)晴れ

 電車の中で読む本がなかったので、「積ん読」になっていた「鉄腕アトムを救った男」(巽尚之著 実業之日本社刊 1575円)を手に取る。くいくい引き込まれ、家に帰るまでに読み終えてしまう。

 手塚治虫の「どついたれ」は戦後の混乱期を背景に、どん底からはい上がり、力強く生き抜いた大阪商人たちの姿を描いたもので、未完に終わったものの、手塚マンガの中でも異色作として知られている。
 しかし、主人公・葛西健二、河内のトモやん、八尾のヒロやんに、それぞれモデルとなった実在の人物がいたというのは、本書を読んで初めて知った。

 葛西健二のモデルとなった葛西健蔵(本名・健造)氏は育児用品のトップメーカー・アップリカ葛西の創業者であり、手塚と同世代。手塚との交流は1950年代に、アップリカの育児用品にアトムのキャラクターをあしらったことから始まる。今ではキャラクター商品は当たり前だが、同時としては画期的なことだったという。

 後に、手塚治虫の虫プロが倒産したとき、窮地の手塚を精神的に、そして金銭的に救う最大の庇護者になるのだが、この葛西氏の破天荒な人生が本書の眼目。

 家庭用品の製造会社を経営する父親と事あるごとに対立し、ついには出奔するが、潰れかけた工場を再建するために家に戻り建て直し。しかし、やはり父とソリが合わず、一から出直す。父との対立点は、封建的で国粋主義的な父に対し、「人間に生まれた以上、みんな公平、平等にしたらええやないか」との思想信条の違いというもの。


 しかし、葛西健蔵のすごいところは、実践を伴わない単なる理想主義ではないということ。
 商売と平行して、非行や犯罪の更正活動に全力を投入するのだ。ヤクザ、チンピラを相手に一歩も引かぬ度胸と胆力、やがてヤクザはもとより、警察にも崇敬されるようになる。

 手塚が虫プロ倒産に際し、ウラ社会の債権者たちから逃げ回り、国外逃亡さえ考えたというのも初めて知った。
 その手塚を葛西が救うシーンが最大の山場。


 まず、葛西は手塚の持つ版権がウラ社会に流れ、手塚マンガのキャラクターが裏ビジネスに食いつぶされることを危惧し、自分の名義に書き換えることを提案する。
 600にも及ぶ商標の名義変更を一晩でやり遂げたという葛西。その商標はその後すべて手塚に返還される。

 焼け跡が原点である葛西と手塚ーーともに戦後民主主義の中で、一方は漫画に、一方は経営と社会運動に人生をささげた二人。この本を読むと、葛西健蔵という人物がいかに偉大で魅力的かがよくわかる。そして手塚との終生変わらない友情に大きな興味をひかれる。

 手塚の死の2年前に、葛西が主催する日中育児交流の際、手塚が頑なに経済団体の関係者が同行することに反対したというエピソードにも驚かされる。

「企業の方たちは結局、金儲けのような話がついて回るでしょう。純粋に育児について研究するならともかく、経済や経営の話が出てくるのは勘弁してください」

 結局、葛西が手塚を説き伏せることになるのだが、手塚がここまで「実利集団」に対して嫌悪感があったとは。

「どついたれ」のほかの2人、廣瀬と津田の破天荒な人生にも驚嘆させられる。時をおかず、相次いで2人はこの世を去るのだが、その濃密な友情にはただ驚くばかり。今の時代に、この3人のような生き方ができるか。

 
 PM5帰宅。

2月20日(日)雨

 6.30起床。子供と一緒に躰道稽古へ。みっちり3時間、基本技から新しい型まで稽古に集中。

 1.00、リフォーム見積もりに来てくれている義母の友人・H山さんを交えて昼食。その後、8時までリフォームの打ち合わせ。疲労困憊。
2月19日(土)雨

 
 4時まで会社で仕事。新システムが稼動し、社外に出ることがめっきり減ってしまった。まるで社内SOHO。気がつけば、午後まで机にベッタリということも。運動不足になりがちなので、気をつけなくては。

 PM5。地下鉄早稲田駅。iPodのBGMを何にしようかと迷ったが、ここはやはり塩谷瞬の歌う「イムジン河」に。時代的には大瀧詠一の「夜明け前の浜辺」が一番似合う街なのだが。

 やけに学生が多い。入試帰りの受験生たちか。傘の列をすり抜けてリーガロイヤルホテルへ。大隈講堂前ではイラク反戦を訴えるグループが受験生たちに反戦アピール。

 3階ローズの間で大学の同窓会。1、2年の語学クラスの仲間が卒業まで交流を持ち、卒業後も変わらず定期的に同窓会を開いているというのは稀なこと。ずっと幹事役を引き受けてくれているE君のおかげ。

 今回は女性3人を含め、23人が参加。地方在住者が多いにも関わらず約半数と抜群の出席率。卒業以来初めて顔を合わせる仲間も。

 公務員、放送局、銀行、広告代理店、編集者、メーカー、コピーライター、デザイナー、弁護士……。多士済々。
 卒業後20数年経ち、それぞれ「外見」には多少の変化があるが、気持ちは学生時代とまったく変わっていない。

 8時で一旦お開きにして、二次会へ。20人が残り、高田馬場の居酒屋へ。
 すっかり打ち解け、思い出話に花が咲き、あちらこちらのテーブルで笑い声。今日は欠席だったが、女子学生はクラスで5人しかいないのに、語学の授業の時、1人で5人分の「代返」をしたYさんの話題が出て一同爆笑。「でも、娘に聞いたら、今は昔みたいに代返がきかないらしいよ」とMさん。

 最後はやっぱりお互いの「病気自慢」になってしまうのはお約束。それぞれ、年齢に見合った病気を抱えていたり、老親の心配事があったり……。最後まで残った15人のうち10人が「救急車で運ばれた経験がある」にビックリ。なんという高率。かく言う自分も学生時代にお酒の飲みすぎで救急車で運ばれた経験があるが……。仲間内では有名な話なので、この話題が出ると、「そういえば」と持ち出されてしまうのだ。


 10時解散。弁護士のT君と駅までの道すがら司法の現場の話を。裁判員制度など、日弁連の一連の司法改革に反対しているT君。反執行部追及の激越さは学生時代の彼からは想像できない。
「三権のうち、司法までもが市民参加の名のもとに虚妄の多数決原理に陥ったら、権力に迎合する司法の恣意的な判決が多発するのは目に見えている」とT君。まったく同感。

PM11.30帰宅。

2月18日(金)晴れ

 PM7、恵比寿。リキッドルーム恵比寿で「極彩色美人ノ宴 弐」。倉橋ヨエコ、「モダーン今夜」、「ジムノペディ」3組の出演。観客約600人。広めのリキッドルームがほぼ埋まる人数。

 10分押しで倉橋ヨエコ。ナマで見るのは初めて。高音域は音程の合ってる松任谷由実。キーボードの前でシャバダバ・シャウトする歌い方は椎名林檎。意外に美形。約30分と短め。
 15分のインタバルの後は「モダーン今夜」。11人編成のジャズ・ラテンバンド。しょっぱな、ボーカルの音が出ないわ、バッキングの音量バラバ ラ。PAのせいだろうが、愕然。最後はなんとか盛り上がったものの、PAの不手際を最後まで引きずってしまい、ちょっとかわいそう。

 8.45、ジムノペディ登場。キーボードの畔上加菜子が急病のため、急遽、助っ人を入れての演奏。小林が上手に位置し、キーボードが下手に。い つものメンバーの定位置と逆の配置。これまたPAの不手際でボーカルマイクが入らず。戸惑うナオミ。が、「どうやら、きょうはいつもと違うらしい……」と、畔上不在のため に用意したMCがハプニングにピッタリで、場内やんやの喝采。これで、リラックスしたのか、ナオミのボーカルはいつにもましてのびやか。やはり10年に一 人のボーカリストだ。3月2日リリースの「8つの小品」から「スタッカート」を。旧譜から「ウタカタ」「ひめごと花火」など。いわゆる「タテノリ」世代に はジャジーなヨコノリ=スウィングは「踊る」ためにはいまひとつ物足りないのかもしれないが、フロア中央に陣取ったほろ酔い中年男性のグループが心地 よさそうに「ヨコノリ」している姿がほほえましかった。

 9.30終演。人がはけるのを待って、楽屋へ。小林、ナオミに挨拶。畔上加菜子が倒れたときにはライブができるか不安だったという。「譜面がな いバンドですから(笑)」(ナオミ)。キーボード奏者・板倉氏には耳コピでおぼえてもらったとか。綱渡りだったわけで、まずは一安心。あとは加菜子が復帰して5月 のワンマンが成功すれば万事OK。

 10.00、SMAのW辺氏に挨拶。メガフォースのK泉さんに見送られ家路に。
 11.20帰宅。


2月17日(木)晴れ

 いよいよ本格的にシステム改革が始動。これからは一人で二人分の仕事量をこなすことになるわけで、先行きを考えると気が重い。昨今はどんな企業・会社でも「減量改革」が行われているようで、緊縮財政のシワ寄せは社員に降りかかる。リストラされないだけマシというものか。しかし、まさかこんな時代になるとは……。

 PM4.20、K記念病院で鍼。PM6帰宅。家族で外食。8.30帰宅。
2月16日(水)雨

 明け方、大きな地震。慌てて飛び起き、グラグラと揺れる本棚を両手で押さえる。家中大騒ぎなのに、只一人、高校生だけは布団の中で熟睡。目をさまさず。朝、そのことを問うも「地震があったんだって?」……。

9.30。M銀行で決済。
家人はPTAの「性同一障害に関する講演」に動員され、お出かけ。
正午、帰宅して「新居」探訪。これがまあ終の棲家か雪もなし……。なんとも不思議な気分。火災保険の手続き等雑用に追われ、PM3帰宅。音楽データを更新しようと思ったが時間なく断念。

 空室だった隣の部屋に朝から引っ越し屋さんが出入り。今日から新しい隣人が住み始めた模様。部屋に灯りがともるのを見てホッとする。


2月15日(火)晴れ

 仕事を終えて有楽町へ。シネカノンで「パッチギ!」再見。どんなに面白い映画でも同じ映画を二度続けて見るのはちょっぴり気が重いものだが、この作品だけは別。懐かしい友人に会いに行くような気の高ぶりをおぼえる。ヤンソンもキョンジャも康介も桃子もチェドキもガンジャもパンポーも紀男も……みんな久しぶりに会う旧友のよう。

 観客は若年層から高齢者まで30人ほど。

 わかっていても、やはり同じシーンで笑い、同じシーンで泣いてしまう。猥雑で暴力的で、惨めで、悲しくて、ポップで純情で……。これほど愛しく思える映画はない。

 1968年。この映画の背景の時代、私は中学生だった。深夜放送で「イムジン河」の放送禁止事件を知ったのはこの頃だろうか。HBCラジオではDJの白馬康二が司会を務める「君はどう考える」(だったかな?)が夕方から放送され、三里塚問題や70年安保を中学生や高校生が一生懸命話し合っていた。

 テーマソングはこうだった。
「若者なら 一緒に悩もう 悩み苦しみ あるならば 共に歌おう 考えよう ヤングは僕らの合言葉♪」

 深夜放送が始まった時代、当時の若者向けラジオ番組全体が今の「しゃべり場」だったのだ。

 まだ若者に「理想」や「夢」があった時代。歌の力で世の中が変えられると真剣に思っていた。今の若い世代にとっては「歌で世界を変える」なんて、ギャグとしか思えないだろうが、当時は田舎の中学生でさえ、真剣にそう思っていたのだ。

「We shall overcome someday」
 いつに日にか勝利をーージョーン・バエズの歌った「勝利を我らに」はまさしくあの時代の若者の合言葉だった。

 冗談ではなく、「歌」が世の中を変えようとしたのは間違いのない事実だ。それは「歌」を権力が恐怖したことからもハッキリしている。この翌69年、新宿西口の反戦フォーク集会が警官隊によって蹂躙、西口は「通路」であると宣言され、フォークゲリラは壊滅する。「たかが歌」を権力が恐怖した時代。歌に力があった時代。

 1968年は全国の大学で「理想」を掲げた若者が国家と対峙した時代。日本の青春期ともいえる。それは同時に自分の多感な思春期と重なる。「パッチギ!」には、当時の自分の憧憬が重なり合うのだ。歌で世界が変えられると信じていた中学生の自分。そして、新たな戦争の時代に生きる30数年後の自分。その時代に、政治によって無残に抹殺された「イムジン河」が時を経て甦るという奇跡。

 自分の世代は微妙な位置にあるようで、全共闘世代には遅れ、「しらけ世代」には早過ぎる。ほんの1、2年違うだけで、肌合いが大きく違う。下の世代には全共闘世代への嫌悪感を露わにする人たちがいるが、彼らのようにドライにはなれない。まだしも、理想を高く掲げた全共闘世代にシンパシーを感じる。

「パッチギ!」にはシラケている人間は一人も登場しない。みんな全身で闘い、傷つき、怒り、笑い、涙する。それは当時の若者の特徴だろう。敵の前でシラケている暇なんぞない。

 エンドロールで登場人物のその後の姿が紹介されるが、これは「アメリカン・グラフィティ」ならぬ「ジャパニーズ・グラフィティ」。

 マッシュルームカットにして女のコをナンパしようとした紀男は大学生になり、赤ヘル被り、ゲバ棒で他セクトと渡り合っている。映画館で北爆のニュースフィルムを見て憤っていた紀男の伏線がここに現れる。

 68年が日本の若者の夏であるとするなら、この後の冬の時代を紀男はどう生きただろう。内ゲバで死んだか、はたまた、よど号をハイジャックして北に飛んだか……。

「68年の青春」のままで映画を終わらせた井筒監督。帰りに買ったサウンドトラックCDの「帯」に「We shall overcome someday」の文字。

 そう、井筒監督とエグゼクティブ・プロデューサーの李鳳宇氏の思いがこの文字に込められているのだ。「我々はいつか勝利する」。センチメンタリズムと笑わば笑え、夢を見なくなったら人間はオシマイ。

 PM6.20終映。パンフ、CDを買う人多し。
 原案である松山猛著「少年Mのイムジン河」(1000円)とCD購入。

 北山修がコンサートで必ずこうMCしたという。「みなさん、これから歌う曲にじっくりと耳を傾けてください。今、世界のどこかで同じ民族が二つに分けられていることを。それが、僕たちの町、京都の現実にも関わりがあるということを想像して聴いて下さい」

「日本も戦後、戦勝国によって分割支配される可能性があったそうです。それが現実になっていたら、日本人もまた民族同士が争う悲劇になっていたかもしれません」


 北山修がパックインミュージックの最終回でこう言ったことをおぼえている。

「もしも少年ジェットの武史少年が三里塚に行ったら彼は農民の側に立って闘うのか、それとも警察の側に立って農民を弾圧するのかーー。我々の時代にヒーローがいなくなったのは、ヒーローに苦悩を強いる時代のせいかもしれませんね」

 PM7.00。博品館劇場でMr.マリック超魔術団旗揚げ公演「ミラクル・ドリーム Vol1」。
 マリックを団長に、若手のマジシャンたちが結集し、2時間に及ぶパフォ−マンスを繰り広げる。定番のトランプマジックあり、美女の空中浮揚あり、宴会マジックあり、お題拝借(観客から出題された品物を使い、臨機応変にマジックに仕上げる)ありのマジックショー。内田貴光、高橋ヒロキ、ルー・チェン、RYOTA、ケン正木、カズ・カタヤマ。ストーリー・テラーは小松政夫。

 5列目で、ほとんど間近にも関わらず、まったく仕掛けがわからないし見えない。客席に下りて目の前で見てさえわからないのだからさすがに腕自慢のマジシャンたち。

 ただし、本家のマリックの鏡抜けやCD抜けなどのトリックは見え見え。イキのいい若手のオーソドックスなマジックの方が数段楽しめた。[VOl2]の時には再考を。

9.10終演。

 不動産売却で思わぬ落とし穴。ウーム。
2月14日(月)晴れ

 月曜日の憂鬱を乗り切って早めの帰宅。

 時々、電車の中で夢想する。目の前に座ったスーツ姿のエリート風サラリーマンが地方の村落に生まれていたら……と。肌もあらわな華やいだ衣装のOL、女子大生たちが1950年代の地方に生まれていたら……と。サラリーマン氏には北の漁場で船に乗っている漁師の格好をさせてみる。女子大生には、田舎のおばさんの定番・割烹着を着せてみる。

 一瞬の間に彼らは、遠洋漁業で船に乗っている中学の同級生や、都会に出ることなく、田舎で結婚し、子育てに追われている幼なじみに変身する。

 逆に、マグロ漁師の叔父にアークヒルズのビジネスマンのスーツを着せてみる。ほつれ髪をかき上げる田舎のオバサンに高級ブランドのドレスを着せてみる。……違和感ない。人間はみな同じ。……電車の中でこんな夢想をする自分。ヘン?
2月13日(日)晴れ

 6.30起床。躰道稽古へ。
 まだ、足に痛みが残るし、2カ月以上もきちんと稽古をしていないので気が重い。「このまま引き返そうか」とグズグズ思い悩んでいたのだが、いざ、稽古着に着替えたら、久しぶりの稽古のなんと楽しいこと。3時間、ほとんど休憩もとらずに稽古に熱中。足の痛みも気にならず。ようやく復帰できそう。4月には昇級試験もあるし、頑張らなくては。

 2.00帰宅。
 昨日放送のNHKスペシャル「あなたは人を裁けますか」を見る。4年後に始まる裁判員制度を見据えたシミュレーションドラマ。若松武史が加害者役で出演。

 以前はまったく興味の対象外だった三浦友和が実に味のある俳優になっていたことに驚かされる。地味だが、一歩一歩着実に階段を上ってきた者だけが持つ誠実な演技。こういう人にはかなわない。

 劇的な展開と余韻の残る結末。
 しかし……実際に裁判員制度がスタートしたらどうなるか。日本に西欧的な「自立する市民」の土壌はあるとは思えない。まだまだ「ムラ社会」の日本。裁判員制度の意図する開かれた裁判は成立するのか……。

 色々な画像管理ソフトを使ったが、この「PACASA2」には心底驚いた。「蔵○門」や「Ro○○」などと比較したら月とスッポン。その快適さは目からウロコ。まだ日本版はリリースされていないが、英語版でさえ、あまたあるソフトより数段使い勝手がいい。これでフリーソフトというのだからびっくり。今まで使ってきたバカ高いだけの画像管理ソフトは一体なんだったのか。
2月12日(土)晴れ

 5.00起床。連休の谷間、憂鬱な出社。サクサクと仕事をこなし、PM1.30まで。

 PM2.00、六本木。俳優座劇場で木山事務所「コント・ア・ラ・カルト 当世殺人考」。劇作家・別役実の新作不条理劇。衝動殺人、家庭内殺人、果てはインターネット集団自殺……と、世の中の殺人事件が不条理劇よりも不条理になってしまった現代。一軒の家と、その周辺で発生する、数個の殺人事件をアムニバス風につないでいく。死ぬ気のない人間が死に、死にたい人間が生き残るという不条理な結末。三谷昇、楠侑子ら別役戯曲の常連と木山事務所の若手のコラボレーション。現実の不条理を見慣れたせいか、笑うに笑えず……のシーンも。

 M紙・T橋さんと日比谷駅まで一緒。宮本研の「新編 我輩は猫である」の件はT橋さんも知らなかったとか。

 PM7.00。中野ザ・ポケット。モダンスイマーズ「デンキ島 松田リカ編」。8月に上演される舞台版「世界の中心で、愛をさけぶ」の脚本を担当、今売り出し中の蓬莱竜太の新作。

 北陸のある島を舞台に、若者たちのやりきれない日常を描いた「ハードボイルド青春劇」。

 主人公リカ(中島佳子=無機王)は高校生。母は小さい頃に家出し、農業を営む父親(菅原大吉)は博打に手を出し借金まみれ。ついには農作業に必要な機械まで本土から来たヤクザに持ち去られてしまう。兄(津村知与支)は年上の恋人にかまけて、父親同様、情けなくも頼りない。そんな家族に背を向け、ひたすら島を出ることだけを夢見るリカ。誰にも心開かないリカの存在はヤクザにも一目置かれている。

 ある日、島を出るために、アルバイトで貯めていたカネを父が使い込んでしまったために、リカはヤクザの債権取り立ての手伝いをすることに。

 一方、高校の番長はそんなリカにひそかに思いを寄せている。しかし、「舎弟」2人は報酬に釣られ、海上密輸らしきヤクザの仕事に引き込まれていく。一緒に東京に行こうと言っていた唯一の友人(加藤亜矢子)も悲劇的な最期を……。

 ……とまぁ、なんとも60年代の日活青春悲劇映画のような展開。ネオリアリズム・シリアス・コメディーと呼ぶべきか。
 緻密なセリフと大胆な構成。荒削りだが風格さえ漂わせるその戯曲。蓬莱竜太の物語作家としての才能は目を見張るものがある。

 客席に和田憲明、加納幸和、鈴木裕美、「イヌよさらば」の出演者・松金よね子、岡本麗ほか舞台人多数。
 客入れに時間がかかり約15分押しで始まったので9.30終演。
2月11日(金)晴れ

 朝、不動産屋から、「家を見たい人がいるので……」との電話。結局キャンセルされたのだが、一日中振り回されてしまい、疲労困憊。

 P・コーンウェル「痕跡」読了。ジリアン・ホフマンのデビュー作「報復」もそうだったが、主人公が正義の名の元に「法」を犯すという展開は、今までのミステリーではダブーだったはず。ところが、期せずしてこの2作品とも、「正義」のために「不法」な証拠収集を行っている。この符合は、「911」以降のアメリカ社会の病理を端的に表しているともいえる。自国の「正義」のためなら国際法など無視する、という。

 PM5。「華屋与兵衛」で食事。6時にはお風呂に入り、のんびりモード。たまにはこんな日があってもいい。

2月10日(木)晴れ


 PM5、下北沢。ヴィレッジヴァンガードで1時間以上試聴三昧。大阪のクラブシーンのヒットコンピレーションアルバム「Love sofa」 No2」購入。

PM7、本多劇場で宇宙堂「花粉の夜に眠れる恋」。尾崎翠の「第七官界彷徨」にインスパイアされた渡辺えり子18年前の作品。「えり子門下生」の宇梶剛士も今や人気タレントの仲間入り。ロビーには芸能人やプロダクション、テレビ局からの花輪が所狭しと置かれ、またしても秘密の花園状態。

 椅子にもたれる老女。それに寄り添う骸骨たち……幻想と狂騒の幕開けからして、いかにも80年代小劇場らしい匂いを撒き散らし、渡辺えり子らしいペダンチックな内面宇宙の物語が展開する。宇梶剛士は脇に回り、山崎清介がメインキャスト。これは妥当な判断。
 休憩なしの2時間20分。後方の席に白水社のU本氏。今回の岸田賞選考は「すんなり決まりました」と。

 11.00帰宅。


2月9日(水)晴れ

 PM2〜4、M銀行で契約。
帰りにタワーレコードに寄ってブルースのKEB’MO「バック・バイ・ポピュラー・デマンド」、テン・イヤーズ・アフター「夜明けのない朝」を購入。

PM5帰宅。
 今夜はたぶん国中がナショナリズムに酔いしれ、狂熱の嵐に飲み込まれるだろうが、こんな夜は静かにブルースでも聴いていたいものだ。

 開会のセレモニーの君が代は音を消し、試合に集中。競技場に日の丸と並んで旧日本海軍の旭日旗が翻っているのを見たらゲンナリ。 
2−1で試合が終わった後、「トリビア」にチャンネルを回し、「カブトムシ世界王者決定戦」を見る。意外な展開に、家族から驚きの声。
2月8日(火)雨

 いつの頃からだろう、「メディア・リテラシー」という言葉が一般的に使われ始めたのは。その意味するところは「さまざまなメディアが伝えるメッセージや情報を批判的に読み解き、コミュニケートする能力のこと」というが……。

 2月3日に、各紙に載った「人を撃つのは楽しみ」と題された、アメリカ海兵隊将校の発言」を報じるメディアの記事を見ればメディア・リテラシーの何たるかがよくわかる。


 毎日新聞の記事では、

「アフガニスタン攻撃やイラク戦争で戦闘部隊を指揮した米海兵隊の中将が「人間を撃つのは楽しみだ」などと発言していたことが3日分かった。ペース米統合参謀本部副議長(海兵隊)は同日の会見で「(軍)幹部は模範となる言動を行う責任がある」と語り、発言を批判した」
と前振りし、

「問題の発言をしたのは、ジェームズ・マチス中将。1日、米カリフォルニア州サンディエゴで行われた軍事通信関係の会議で『アフガニスタンに行けば、ベールをかぶらないという理由で女性を殴るような男たちがいる。そういう連中は男らしくない。やつらを撃つのは非常な楽しみだ』などと語った。聴衆からは、笑いと拍手が上がった。
 米海兵隊のヘジー司令官は3日の声明で、同中将に対し問題の発言について助言したところ、同中将は「今後気をつける」と述べたと説明した。

 とある。

 これだけ読めば、ヘジー司令官はマチス中将の発言にやや批判的と受け取れる。
 しかも、その前段の、「Actually, it's a lot of fun to fight. You know, it's a hell of a hoot. ... It's fun to shoot some people. I'll be right up front with you, I like brawling." 」(実際、戦うのはとても楽しい。人を撃ち殺すのは愉快なことです。はっきりいって、私は人とケンカするのが大好きなのです」 が欠落している。この部分に、マチス中将の本質が現れていると思うのに。

 だが、米軍機関紙「スターズ・アンド・ストライプス」によれば、ヘジー司令官は、

「自分の発言にもう少し注意を払うべきだと助言し、彼も納得していた。一部の人間は彼の発言を問題にすると思う。しかし、彼が戦争の悲惨な現実を反映させるつもりで語ったと私は受け止める。彼は戦争のエキスパートであり、青銅星章(直訳)を受けた勇猛果敢な指揮官である。私は彼が献身的にこの国家に尽くしてくれると確信している」
 と発言している。

 これでは、ヘジー司令官は部下のご機嫌取りをし、マチス中将に異を唱える人々を非難していることになる。


 逆に、アルジャジーラのウェブ版では、

「He added, "You go into Afghanistan, you got guys who slap women around for five years because they didn't wear a veil.」

 この発言の「because」以下が削除されている。これでは単に5年間にわたって暴力をふるった男であり、「妻がベールかぶらなかったから」という理由がわからない。イスラム社会への遠慮なのか。

 ことほどさように、メディアが伝える情報は必ずバイアスがかかるもの。

 週刊文春や週刊新潮などの右派メディアで展開される愚にも付かない、日教組批判、朝日新聞批判もメディア・リテラシーのフィルターを通せば、底意が透けて見える。ま、逆も真なりだが。

 PM4退社。昨日に続いて、「パッチギ!」を見ようと思ったが、時間がない。残念。今まで同じ映画を二日続けて見たのは高校時代に見た藤純子「鉄火芸者」、上京した年に新宿ピカデリーで見た「燃えよドラゴン」の二本だけ。ウーン……ちょっと傾向が違うけど。

 「パッチギ!」に関するブログを読んでいたら、ほとんどが好意的だが、中にはこんなコメントも紛れ込む。

「日本が朝鮮を経営するのにどれだけの経済的負担を強いられたか朝鮮人はわかってるのか」
「日本が朝鮮を支配したというが、どこに証拠がある。朝鮮人を強制連行したという証拠を出せ」
「これは反日映画だ」

 前者は、人の家に押し入り、家人を監禁したあげく、”その間に飲ませた水や食い物にオレのカネがかかってるんだ”と凄んでみせる強盗の類。
 後者は、NHKドキュメンタリーへの圧力問題で、自民党の安倍某が「証拠はあるのか」と凄んだのをマネしただけ。


 ウジ虫以下のネットウヨク。アンソンならすぐに「パッチギ」を食らわせるだろうが、この手の連中は現実世界には顔出しできない。姿を見せず、もの陰から汚物を投げるウジ虫たちの陰湿さ。

 PM7。下北沢。スズナリでTファクトリー「クリオネ」(川村毅 作・演出)。ルー大柴、手塚とおる、宮本裕子らの出演。

「…かつて同級生だった、放浪癖のある映画監督・国仲(ルー大柴)に、発覚しなかった自分の過去の殺人事件を映画にしないかと持ちかける首塔(手塚とおる)。本当にその犯罪は行われたのか? 死体は一体どこにあるのか? 二人に翻弄される、神経症のシナリオライター・真城(外村史郎)、謎のプロデューサー・安西(笠木誠)、帰国子女で日本に馴染めない国仲の恋人・白崎(宮本裕子)、かつて映画のモデルにされた犯罪者の男(伊澤勉)。それぞれの意識、感情、記憶が交錯し、ストーリーは二転三転、思わぬ結末へと向かっていく」(HPの惹句)

 物語の骨格はこの通り。

 椅子があるだけのシンプルな舞台で、正面、下手・上手に出入り口。時に、客席後方の出入り口も使う。
 首塔役の手塚独自の奇矯な演技に対峙するのは至難の技だが、ルー大柴がなんとか、これを受け止める。見沢知廉をモデルにしたとおぼしき男を演じる伊澤が不気味な雰囲気を醸しだす。戦争の時代を背景に、人間の狂気にスポットを当てる心理ミステリー。「川村文学」の新しい展開か。
 休憩10分をはさみ2時間20分。
 終演後、川村、横浜のI宮氏、楠野氏らと立話。
 駅までI宮氏とそのパートナーのSさんと話しながら。先日の少年王者館公演の際の「事故」の話などを聞くも、ウーンとうなるだけ。

 ヴィレッジヴァンガードで服部正太郎と彼のオーケストラ「青い影のスキャット」を買う。劇画サウンド? マキ凛花もボーカルで参加。
 11.00帰宅。
2月7日(月)晴れ

 PM2.30、K藤健一事務所のN島さんとK藤忍が来社。近くの喫茶店でお茶。紀伊國屋演劇賞授賞式のエピソードや、N島さんの友人つながりの話などで盛り上がる。

 PM4.10。有楽町。シネカノンで井筒和幸監督の「パッチギ!」。
 傑作の予感はしたのだが、これほどとは。井筒映画のベスト作品「ガキ帝国」をはるかに上回る大傑作。比喩ではなく、体が震えた。思わず嗚咽しそうになった。映画を観て、そんな衝動に突き動かされたのは絶えてないこと。

 1968年の京都。朝鮮高校と府立高校空手部の抗争を背景に、「恋と革命の季節」を真正面から描いた痛快青春映画。その主題であり、通奏低音となるのが、フォーク・クルセダースの「イムジン河」。終映後、パンフを見て、オダギリ・ジョーが歌っていたことに初めて気がついたのだが、まったく違和感がない。

 井筒流のケンカ描写は時として目をそむけたくなるほど凄まじいが、決して残虐にならず、爽快感さえあるのは、井筒いわく「殴り合え、でも、殺しはするな」という暗黙のケンカルールがあるからだろう。

 60年代を体験している世代にとっては、細部にまで行き届いた時代考証がうれしい。冒頭のジャズ喫茶での「オックス」の失神シーンからして、もうこらえきれずにクックと忍び笑い。ライオンとヒョウを掛け合せた珍獣「レオポン」が話題になったのもあの頃だったか。「女体の神秘」に「世界残酷物語」……懐かし映像もたっぷり。

 主演のナイーブな高校生・松山康介を演じる塩谷瞬、彼が恋する朝鮮高校の美少女キョンジャ役の沢尻エリカ、その兄でケンカに明け暮れるアンソン役・高岡蒼佑、その恋人・桃子役の楊原京子、中退して看護婦になるガンジャ役の真木よう子。そのほか尾上寛之、小出恵介、浪岡一喜……もう、出演者全員がすばらしい演技。

 北朝鮮に帰ろうとするアンソンの送別会が行われる公園で、康介とキョンジャが、フルートとギターで「イムジン河」を演奏するシーンで、たまらず滂沱の涙。
 あとは、映画が終わるまで涙の乾く暇なし。
 
 終幕、「イムジン河」といくつかのエピソ−ド映像がシンクロするシーンは、まさに映画のお手本のような巧みな構成。

 これは間違いなく今年の日本映画のベスト作品。10年に1本、いや半世紀に1本の奇跡だ。

 映画が終わり、客席を見渡すと、年配客が過半数。パンフレット、CDを買って帰る中高年が多い。
 帰りの電車でパンフを見ながら、また映画のワンシーン、ワンシーンが目に浮かび、涙腺が緩んでしまう。
 結局、帰宅するまで今見た映画を反芻してはじんわりと涙。お風呂につかりながら「イムジン河」を口ずさむ。……こんなに心を動かされた映画は久しぶり。

 映画のラストシーンのさわやかな「ハッピーエンド」は「世の中、まだまだ捨てたもんじゃないぜ」というメッセージ。「世界は愛で変えられるか」「横たわる深い河は渡れるか」ーー過去へのノスタルジーではなく、未来への希望を託した井筒監督の豪腕に敬服。

 7.30帰宅。サケトバでビール。11・00就寝。
2月6日(日)晴れ

 6.00起床。
 家人は子供の縄跳び大会に付き添い、市民体育館へ。

 オープンルーム第二日。PM1、不動産会社のO川さん来訪。見学の人が2組。居住者がうろうろしていては目障りだろうと思って、外出。喫茶店→タワーレコード。昨年公開のマーチン・スコセッシ監督「ザ・ブルース」、8月公開のヴィム・ヴェンダース監督「ソウル・オブ・マン」で、ブルース・ファン狙いの業界キャンペーン中。

 ロバート・ジョンソンの紙ジャケ版「キング・オブ・ザ・デルタ・ブルース・シンガーズVOL.2」と、ポール・バターフィールドの「ベター・デイズ+1」を買う。

 「便りのないのはいい知らせ」というが、必ずしもそうとは限らないようで。

 しばらく更新が滞っていた元演劇団のますだいっこう氏の再開した日記を読んだら、事故に遭って入院中だったとわかってビックリ。毎日几帳面に更新していた人の日記が更新されなくなるのは、やはり何かあったと考えるべきか。

 午後、俳優・I田信之氏から電話。暮れに会って以来。電話しようと思いつつ今日まで来てしまった。
「ようやく退院しました」というのでどうしたのか思いきや、「アキレス腱が切れていたのに気付かずにいたため、正月明けから入院していたんです」とのこと。まだ完全に回復するまで半年はかかるという。便りのないのは元気な証拠どころか、二人とも事故・ケガに泣いていたわけで……。
 やはり、便りは小まめにしたほうがいいのかも。

 4.00、オープンハウス終了。二日間で7組の訪問は手ごたえがいいとか。
「お隣のマンションは2組でしたから」とO川さん。これで、オークション参加者が何組か来てくれれば、言うことなしなのだが。

 帰宅した子供が気落ちしたような顔。なんでも、縄跳びのとき、ほかの人の縄が接触して、途中で止まってしまったとのこと。来年があるさ。

 夕食時、サケトバをツマミにビール。やはり、上野アメ横やスーパーで売ってるのとは段違いのおいしさ。
 
2月5日(土)晴れ

 3.00、新宿。紀伊國屋ホールでこまつ座「円生と志ん生」(演出=鵜山仁)。井上ひさしの新作。新作上演の場合、初日の幕が開くかどうか、当の役者だけでなく、関係者まで気をもませる井上遅筆堂、今回は1月27日に脱稿。なんと初日まで1週間というギリギリ駆け込み。でも、初日が開いてよかった。劇場で会ったM紙のT橋さんなど、「どうなるかわからないので、夜公演は予定に入れませんでした」とか。

 物語は1945年夏から47年秋までの600日間の円生と志ん生の人生にスポット当てたもの。

 ソ連侵攻、原爆投下、そして8月15日の敗戦。満州南端の大連は封鎖され、28万人もの日本人が閉じ込められる。その中には落語家の円生(角野卓造)と志ん生(辻萬長)もいた。狂乱物価に逆上する旅館の女将、占領軍に脅える遊女、乳飲み子と離ればなれになった母親たち・・・・・・。2人は住むところを追われ、食うにも困り、行く先々で、戦争惨禍の地獄を経巡ることになる。

 離れ離れになった二人が何度目かの再会を果たしたのは、カトリック系女子修道院の屋上物干し。寄席に復帰した志ん生が訪ねると、乞食姿に身を落とした円生が現れる。円生と志ん生が交わす落語の新ネタを勘違いした修道女たちは、円生を、聖者降臨と勘違いし……という趣向は言葉の錬金術師・井上ひさしならではの遊び心あふれる脚本。

 宮地雅子、神野三鈴、ひらたよーこ、久世星佳が旅館の女将からシスターまで数役に変身して登場。劇中歌も楽しい。
 青年団のひらたよーこの歌は相当歌いなれたものだろうと思ったら、彼女、自分でバンドもやってるそうな。なるほど声の伸びがいい。

 ただ、井上戯曲にしては終幕があっさり味。楽日には変わっているのかもしれないが。

 客席補助席に木場勝己、小林勝也の顔。麻美れいの姿も。客席も舞台も豪華版。

 5.40終演。

 終演後は初日乾杯。会場に残っていた福島三郎氏に挨拶。トリビア・コンビの高橋克実、八嶋智人と立話。高橋はこの夏、パブリックシアターで宮本研の「新編 吾輩は猫である」に出演するという。やはり舞台が一番似合っている。

 今日の出演者がそろい、初日乾杯の音頭は小田島雄志先生。いつものダジャレにロビーが爆笑に包まれる。演出の鵜山氏の挨拶、紀伊國屋ホール・金子支配人の挨拶で歓談へ。
 歓談もそこそこに、ウーロン茶を飲み干して、大急ぎで駅へ。


 PM6・50、渋谷。食事の時間がなく、5分でハンバーガーを飲み込み、PM7、青山円形劇場で30ーdelux「イエロー」。

 元MOTHERの清水順二がプロデュース&出演。劇場に入るまで、そんな予備知識もまったくなし。チラシを見てもどんな劇団なのかイメージがわかず、主宰者の情熱に惹かれて行ったわけだが……。

 物語は世界を旅する若き日の水戸黄門(佐藤仁志)が、モンゴルに足をのばす。目的は日本人のルーツを探るため。ところが、モンゴルでは一度死んだヌルハチ(富永研司)が甦り、死人たちを操り、失われた権力を奪回しようとしていた。ヌルハチの転生には「イエロー」なる、モンゴロイドの祖先の力が宿ったドクロが関係しているらしい。そのドクロをめぐって、キリンという名の少女=ヌルハチの恋人が狙われる……。ジーンズに髷、江戸の職人のような格好をした黄門。家来は、フラメンコダンサー姿のお銀、丸メガネに少年探偵団ふうのお格、孔雀のようなヒラヒラ衣装の弥七……と奇天烈なファッションの主従。「イエロー」をめぐる争奪戦と、キリンを間に、ヌルハチ、黄門の恋の争闘が……。

 なるほど、勢いと情熱と若さはある。しかし……。

 これって劇団☆新感線の単なる亜流じゃないの? 円形ステージの四方扉から出入りする「追っかけ」は新感線の「スサノオ」そのまま。音の入れ方、選曲、スピード、アクションーーどれをとっても、初期の新感線。ただし、物語構成と役者とギャグが弱く、30分と持たずに飽きてしまう。忍者村のアクションなら15分で終わるが、それを延々2時間もやられた日には、観客はたまらない。作・演出は「少年社中」の毛利亘宏。柳生十兵衛役で清水順二も出演しているが、彼が一番、役者らしい華がある。リターンマッチに期待したい。

 9.00終演。10.30帰宅。オープンルーム第一日。4組の来訪があったとか。まずまずの数。
2月4日(金)晴れ

 T取氏から、今夕、銀座で長尾三郎氏の出版記念パーティーありとのメール。その後、KB社長と親しく歓談した由。

 PM7。渋谷パルコ劇場で「R&J」(脚色・演出 ジョー・カラルコ、出演=首藤康之・佐藤隆太・小林高鹿・浦井健治)

「厳格なカソリックの全寮制男子校で学校生活を送っている4人の学生たちが、読むことを禁止されているシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」のリーディングを始める。さまざまな登場人物を4人だけで真剣に演じ分けるうちに、彼らは忘れかけていた自由と愛に目覚めていく……」との惹句。

 世界的バレエダンサー・首藤康之がストレートプレイに初挑戦、オフ・ブロードウェイのオリジナル演出家の演出、などと話題性には事欠かない。が……この舞台がただのリーディングとどこが違うのかよくわからない。

 確かに、赤い布を血や剣に見立てた演出など、面白い試みはあるものの、それは瑣末なこと。舞台に作られた低い壇の上で、4人の男優がロミ・ジュリのセリフをそのまま口にのぼせていくだけ。絶えず動き回るものの、ダイナミックな印象は受けない。徹頭徹尾、リーディングであり、「地の文」というものがない。ということは、相対化できない、主観だけの舞台になる。しかも、役者の技量が足りないため、ほとんど棒読みセリフ。
 最後まで舞台の意図がつかめず。休憩15分挟み2時間15分。10.30帰宅。

2月3日(木)晴れ

 昨夜の残りのあんこうの肝和えで朝食。

 PM4.20、K記念病院で鍼。6.00帰宅。節分の豆まき。今年は、家を汚してはいけないということで、小袋に豆を分けて詰め、それをぶつけることに。全員が順番に鬼役。玄関から入ったり出たり。小分けした豆袋だけに、当たると痛い。ワーワーキャーキャー、うるさいこと。何事かとドアを開けてこちらをのぞく家も。豆まきだけでこんなに大騒ぎする家族もないだろう……。
 夜、早めに就寝。
2月2日(水)晴れ

 9.00起床。
 テレビで三宅島に帰島する村民たちのニュースを見る。今日から帰島が始まったのだ。昨夜の舞台を見た後だけに感慨深いものがある。

 市役所へ課税証明書を取りに行き、その足で銀行へ。

 帰宅して終日、部屋の片付け。レンタル納戸と往復。

 夕食はサケトバをつまみにビール。ご飯に、あんこうの肝和え。田舎の味。なんとも至福の時。あんこうは「身」よりも「皮」がおいしい。できるならば、肝和えも皮の部分が多ければいいのだが、調理者は「身」が多い方がサービスだと思ってるのかな。そのへんがいまいち。

 寝る前に、ウニ氏のブログで紹介されていた1945年に作られたアメリカの戦争宣伝短編映画「MY JAPAN」を見る。

 美しい自然、勤勉な国民、識字率9割を誇る兵士たち、敵の攻撃にも最後の一兵まで戦う勇猛さ……。戦時中の日本人の姿。しかし、この映画はアメリカ人の戦意高揚のために作られたもの。つまり、「こんな日本人を相手に戦うのだから、我々はもっと政府に協力しなければ、戦争を戦えないゾ」というわけだ。映画の最後に「戦争のための国債を買いましょう」と市民に呼びかける。

 米政府の作った戦争宣伝映画ではあるが、そこに登場する日本人の姿は、よくある「おかしな国のおかしな国民」ではない。ドキュメンタリーフィルムであるから当然ともいえる。しかし、「反・日本」のバイアスがかかった映像であることはハッキリしている。映像はホンモノだが、そこにバイアスがかかれば、描かれる国民性もまだ変質する。

 これは、テレビで流される北朝鮮の映像にもいえることだろう。映像は必ずしも真実を伝えるとは限らない。しかし……ネットでこのような過去の映像が見られるなんて、ダイヤルアップの時代には考えられなかったこと。
2月1日(火)晴れ


 PM2.00、T・エコ−のA石氏来社。来月の公演の件。昨日の受賞記念パーティーが朝日芸術賞と重なってしまったとか。

PM3.30。メガフォースのK泉さんと喫茶店でお茶。18日の「極彩色の宴2」の件。一足先にジムノの新譜を試聴。

 PM6.30。俳優座劇場で文学座「最果ての地より さらに遠く Further Than the Furthest Thing 」(作=ズィニー・ハリス、演出=西川信廣)。

 舞台はトリスタン・ダ・クーニャ島なる小さな火山島。イギリス領だが、本土からはるか離れた南アフリカの喜望峰、そこからさらに3000キロ彼方に位置する。

 登場人物は5人。
 ケープタウンへ働きに出かけていた若者フランシス(粟野史浩)、元恋人のレベッカ(鬼頭典子)、育ての親でもある伯父のビル(三木敏彦)、伯母ミル(本山可久子 )、そして実業家ハンセン(原康義)。

 物語は、フランシスが1年ぶりに島に戻ってくるシーンから始まる。彼が伴ってきたのは、ケープタウンでビン工場を経営するハンセン。この島に、クレイフィッシュ(ザリガニ)の瓶詰め工場を建設する計画があるという。
 当惑するビル。計画は島の集会で否決され、故郷に居場所がなくなったと感じたフイランシスはハンセンとともに、島を離れようとする。船が出る日、身重のレベッカが急に産気づく。そして、不気味な地鳴りとともに、火山が爆発する……。

 二幕目は、イギリス本土の港町・サウザンプトンに渡ったビルら避難民の生活が描かれていくのだが、そこで、島にまつわるある秘密が暴露される。

 19世紀になってアメリカ人船員が移住し、わずか7組の家族から出発した島の歴史は外界から隔絶され、島民の言葉、習慣も本土とは大きく異なる。

 冒頭、甥を迎える準備をするため、禁忌であるペンギンの卵料理をしようとする伯母と伯父の言葉遣いや奇矯とも思える態度を見ていて、終始微妙な違和感をおぼえたのは、そんな理由からだったわけで、なるほど細かやな演出。

 ゆるやかな八百屋舞台で、客席との境界に水槽=波打ち際となっている。

 神話的な物語と思いきや、二幕で明らかになる、ビルたち島民の悲惨な過去の事件。爆発後、島民たちがなぜ島に帰れないのかという「政治問題」も絡み、神話はアクチュアルな要素をはらむ。
 望郷の念に身を焦がすミルやビルたちの姿。つい、火山爆発による避難生活を余儀なくされる三宅島の人々と重なって見える。

 役者の演技力と巧みな構成で2時間50分(休憩15分)飽きさせず。
 9.20終演。

 帰宅すると、ネットで注文した下北の味が届いている。サケトバ(1000円)とあんこうの肝和え(1800円)。便利な時代になったものだ。

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