| 3月31日(木)晴れ 3.30、御茶ノ水。K記念病院。本院は待ち時間がふだんよりも長い。花粉症の受診者が多く耳鼻科は大混雑。PM5.30。上野。「癒処」でマッサージ。「配置転換」騒動でT橋さん以下何人かが辞めるという。せっかく、「トレーナー」として健康管理を委ねていたのに残念。 7.30、新居に寄ってから帰宅。ユニットバスが搬入され、いよいよラストスパート。 3月30日(水)晴れ 正午、タクシーで「ニトリ」に。家族分のベッドを買うため。帰りにコジマ電器に寄って冷蔵庫。総額ウン十万円。お昼に480円の仕出し弁当を食べているのに、家具となれば、なんと気前のいい出費。 3月29日(火)晴れ 毎日新聞朝刊の1面。大見出で「9条改正『否定せず』」 起き抜けの頭では一瞬、意味が分からず、「???」 衆院憲法調査会・最終報告案の要旨を見出しにしたものだが、憲法9条に関して「”自衛権及び自衛隊について何らかの憲法上の措置を取ることを否定しない意見が多数”としたが、”改正意見が多数”とまでは明記しなかった」ことを指すとのだいう。 「9条改正を目指す」と表現すれば、世論の反発を招きかねないので(とはいっても、いまや憲法改正し、不戦条項を破棄すべしという意見が半数近くあるというのだから、”反発”は杞憂だろうけど)、曖昧な表現にしたのだと思うが、曖昧にしなければならない政府・自民・公明の後ろ暗さを象徴しているような見出し。 「嫌い」と言いたいのに、「嫌いじゃなくはないんだけど……」と二重三重否定で、ごまかしているようなもの。最初から衆院のまとめる憲法改正報告書の眼目は「9条=戦争放棄」の廃棄なのは明らか。「9条改正を目指す」と言いたいのを、「9条改正を否定しない」と言い換える姑息さ。それを伝える新聞も、文言を正確に流用しなければ、政府に恫喝されるからか、こんな意味の取れない見出しになる。 PM7.00。北千住。シアター1010でミュージカル「OH ダディー!」。福田陽一郎の作・作詞・演出。音楽は三木たかし。出演者は川平慈英、春風ひとみ、堀内敬子、シルビア・グラブ、石鍋多加史、平澤 智、藤浦功ーー今最も輝いている素敵なメンツ。 恋人に振られ、一人淋しいクリスマスイブを過ごすことになった青年・誘一。肉親は8年前に会ったのが最後の、世界を旅する放蕩の父親だけ。毎年クリスマスに手紙を届けてくれるのだが、今年の手紙は父の遺言状。 女弁護士キャサリンから渡された小切手と航空券、そして誘一が尋ねる人々の名前。行くも行かないも自由とはいうが、行かなければ何も変わらない……。天涯孤独なフリーター・誘一の「自分探し」の旅が始まる。 まずは、酒場の女、父親と関係があったらしい。次いで、マフィアのボス。父から「大きな借金」があるらしいが、「それは返せない」と脅される。 次に訪ねた田舎町のバス停で見かけた美少女に一目ぼれした誘一。ところが、彼女が自分の腹違いの妹とわかり大ショック。すべての旅を終えて、帰国した誘一を待っていたのは、父の遺した驚くべき真実……。 福田陽一郎といえば、「離婚ともだち」など、シャレた大人のドラマが懐かしい。藤竜也、大原麗子、田村正和……。年上の世代のドラマに憧れていて、いつか自分たちの世代のオトナの恋愛ドラマを見たいもの……と思っているうちに、トレンディードラマなる軽薄な年下世代のドラマがはやるようになり、ついに、自分たちの世代のオトナのテレビドラマを見ることなく終わってしまったわけで……。 ま、それは置いといて、「OH ダディー!」は福田陽一郎のシャレたセンスを堪能できる傑作。 「なんだ、これで終わったら酒場の女もマフィアもどんな意味があったの?」と思っていたら、終幕での思いもかけないどんでん返し。 このセンスは大好き。よく見ていれば、細かな伏線が張ってあったことに気がつく。「鼻の下をこするクセ」とか……。 「アイ・アム・ロイヤー」など、三木たかしの曲も素晴らしい。この前の「タック」では口のきけない少女という設定のため、その美声を聴くシーンが少なかった堀内敬子だが、今回は圧倒的な歌の表現力を堪能。そのうまさはシルビア・グラブと双璧。春風ひとみもパンク女からしっとりとしたオトナの女まで千変万化。川平慈英のコメディーセンスも抜群。細部にまで行き届いた演技。ラストの展開をバカバカしいと感じるか、面白いと受け止めるかで評価は変わってくるだろうけど、これは「オトナの童話」。私は大好き。約2時間と上演時間もちょうどいい感じ。 隣の席は謝T栄さん。昨日の今日で偶然。終演後にご挨拶。 10.00帰宅。 3月28日(月)雨 雨のためか、花粉症は小康状態。 PM2、TSMFのE塚さん来社。6月公演の件。にこやかな笑顔とおだやかな話し方。誰かに似ていると思ったら、かつてお世話になったA佐ヶ谷教会の慈母・K藤先生だ。 大手プロダクションからの提携話があったそうだが、「自分たちがこだわってきた舞台ではなくなる」と、最終的に断ったとのこと。大手プロがカネを出せば、当然、「キャストもメジャーで」と口出ししてくる。 金銭的にも集客的にもオイシイ話を、オリジナルスタッフ・キャストを大事にしたいからと断る勇気と気概。演劇界も世間並に、お金のある方へなびくのが昨今の風潮。その流れに抗し、あくまでも「自分たちの目指す演劇」を大事にしようとするTS。近頃、珍しく気骨のあるリーダーと集団ではないか。ライブドア・フジサンケイ抗争に代表されるカネ・カネの風潮の中で、この話は一服の清涼剤。 米軍が来月にもイラク戦争に武装ロボット「SWORDS」を投入するとのこと。米フォスターミラー社が200万ドル(2億1200万円)かけて製造したもので、身長76センチのキャラタピラー駆動の小型ロボットながら、その戦闘能力はすさまじい。 7.62ミリ弾を1分間に1000発近く連射し、66ミリロケット弾4発、40ミリ手榴弾6発を搭載。暗視ズームカメラで800メートル先の敵を攻撃することができる。さらに、空気中の微細な化学物質を嗅ぎ分け、爆発物の位置を確認できるという。このロボットを1・6キロ離れて遠隔操作することができるというのだから、まるでコンピューターゲーム感覚で人殺しができる。 武装したロボットがイラクのゲリラと戦うーーまさにSFマンガの世界。1台23万ドル(2438万円)。 現在、死亡した米兵士の遺族に支払われる弔慰金は約1万2000ドル(約125万円)。ロボットの方がはるかに割高になるが、現行の死亡弔慰金は1月31日に、米国防総省のデビッド・チュー国防次官が「25万ドル(約2590万円)に大幅に増やす措置を、来週議会に提出する06会計年度(05年10月〜06年9月)予算案に盛り込むと表明した」(AP通信)ため、一気に25万ドルにハネ上がる可能性がある。そう考えれば、ロボットの方が「割安」になるのか。 「鉄腕アトム」の「ロボット憲章」には「ロボットは人を傷つけてはならない」とあったが、人を殺傷するためだけに製造されるロボット……。日本のロボット技術が世界の軍事産業から注目されているというが、今こそ、手塚治虫=「鉄腕アトム」のロボットの哲学が必要な時代なのでは。 PM5。帰宅。 PM7〜10、東京12チャンネルの懐メロ番組に見入ってしまう。どうしたんだろ。以前はこの手の番組はパスしていたのに。1960年代、当時は小学生だったわけで、懐メロといっても、親の世代の懐メロ。それがこんなにも懐かしく思われるのは。 スリー・グレイセス、三沢あけみ、マヒナスターズ、湯原昌幸……。自分の記憶の中の容姿とだいぶ変わっているので驚く。 10数年前、自分たちが写ったホームビデオを見ていた両親が「こんなにトシとってしまったんだ……」としみじみ言っていた。あの頃、両親はまだ50代。まだ30代の自分には「年齢を重ねていく=老い」ということへの恐れや不安はまったくなかったわけで、両親の言葉を聞き流していたが……。 このごろ、「あの人は今」の芸能人を見て、その変貌ぶりに、つい自分の「老い」の先を見てしまう。「老いと死」……そんな「現実」を感じる自分。 しかし……若い頃、美人だった女性歌手ほど年取ってからの変化が大きい。ボーイッシュでどちらかといえば「不美人」な女性ほど変化がなく、若々しい。これで人生の帳尻が合ってるんだろうなぁ……などと言うと誰かに怒られそう。 3月27日(日)快晴 8.40、北朝霞駅前からクルマに便乗し、志木市の武道場へ。今日の躰道稽古はいつもの稽古場ではなく、神社のそばの小さな武道場。 9.00〜12.00、10日の審査に向けて集中稽古。 1.30帰宅。 引っ越し前にスライド書棚の本・CDを新居に移そうと、ダンボールに詰めたら30箱。スライド書棚がこんなに本を収納していたとは。3往復したが、結局、リフォーム作業の邪魔になるからと、途中で中止。部屋の中に山積みになるダンボール。 7.45、NHK教育の「あの人に会いたい」で寺山修司特集。「政治では変革できない日常の隅々に及ぶ変革こそ演劇によってなされるべき」「天井桟敷は綱領なき革命集団だった」「現実と幻想の限りない葛藤」「スキャンダルになりえない演劇が本当に現実変革をなしうるのか」 南部訛りの朴訥な寺山の語り口調。その言葉は時代を超えて今も輝きを失わない。寺山修司の映像を見ていると、つい目頭が熱くなってしまう。生きていれば70歳。没後20年以上たっても、いまだに「寺山さんが……」と、元天井桟敷の劇団員はじめ、みんなが「寺山さん、寺山さん……」と、まるで生きているかのように親しげに語られるなんて、ほかに誰がいるだろう。若い世代にとってはすでに「歴史上の人物」なのかもしれないが、「寺山さん」と呼びかける人がいる限り、寺山修司は決して死なない。 「演劇って、見に行く前の日は気分が重いものじゃない……」 そう、確かにどんなに素晴らしい演劇作品だとしても、観客にとっては気が重いもの。70年代、見に行く前の日からワクワクと気持ちが浮き立つ思いをしたのは、天井桟敷の芝居以外なかった。この先もないだろう……。 3月26日(土)晴れ PM2、高円寺。明石スタジオでピンクアメーバ実験公演「タイナイドケイ」。明石スタジオに来たのは何年ぶりだろう。80年代から90年代にかけては小劇場演劇のメッカだったが、劇場が増えた今は明石スタジオで公演する中堅劇団はあまりないようで、自然に足が遠のいてしまった。 永元絵里子の作・演出。実験公演と銘打っているためか、全編ストイックな演出でいつものエンターテインメント性がやや薄い。心にトラウマを負った青年が長じて科学者になり、自分の「神」を作ろうとする物語。京本千恵美のパントマイムはいつ見ても絶妙。宮本理英は再び改名。手術台の上に横たわる美貌の理英の胸部にメスが入り、内臓をつかみ取るシーンの残酷美。 終演後、永元と立話。鐘下辰男の演出助手を務めたり、アンパンマンの脚本を書いたり、多方面で活躍中のよう。 久しぶりの高円寺。やはり学生の街は活気があり、清新。死ぬまでにもう一度、この町に住みたい、などと感傷的に。駅前の「ぽえむ」でコーヒーを飲みたかったが、そのまま直帰。 東西線に乗ったつもりが、気がついたら四谷。仕方なく、有楽町で降りてビックカメラで買い物(IPodミニの保護樹脂 2700円)。 いったん会社に戻ってから、家路に。PM7着。 8.30就寝。 3月25日(金)晴れ 引っ越しの準備で気もそぞろ。東北沢→十条→鶴見→阿佐ヶ谷→荻窪→K市と何度も引っ越しているが、所帯を持ってからの引っ越しは大変。荷物だけでなく、住所変更やらもろもろ、うんざりするほど煩雑。 PM1.30、たまたま近くに出て来ているという中学の同級生Eさんと銀座でお茶。5月になったら同窓会でもやりたいね、などと盛り上がる。定期券が切れたので帰りに購入。今月から定期代は銀行振り込みに。 2.30、帰社。 4.00退社。6,00帰宅。 花粉が舞う日々は観劇の予定も立たない。 パルコ出版から出るという「コメット・イケヤ」、果たして音源が 完全盤なのかどうか気になるところ。 3月24日(木)晴れ PM4.20、K記念病院で鍼。2週間ぶり。やはり、鍼の効果はあるのか、間があくと耳鳴りがきつい。 「あんなことをした後に、別の店に逃げ込んだら駄目だよ。タクシーでそのまま逃げてしまわないとね。(そうすれば)現行犯逮捕は免れただろうに。今の麻布署には、捜査本部を置く余裕なんてないんだからさ」 自民党の与謝野馨政調会長が、中西一善前衆院議員の泥酔わいせつ事件に関して、こう記者団に言い放ったと週刊文春。中西現行犯逮捕の翌未明のことで、もちろんオフレコ懇談会での発言。オフレコをバラした記者探しをしているらしいが、オフレコであろうがなかろうが、言っていいことと悪いことがある。 泉下の与謝野晶子も泣いることだろう。 「ああ、我が孫よ 君死にたまひてよ 家名を汚す君なれば 親の情けはまさりしも 親は涙をこらえつつ 君や死ねよと 教えしや ふたたび世間に恥をさらすより」 国会に提出されている「人権擁護法」に盛り込まれたメディア規制が通れば、週刊誌の公人醜聞は取材・掲載不可能になる。人権擁護法といよりも政治家・権力者擁護法。今回の与謝野馨発言も闇やら闇に葬られることになるだろう……。 3月23日(水)雨 銀行、警察署で免許証の住所変更、大型電器店で居間用の照明、再び銀行で管理費引き落としの口座開設……雨の中、一日中歩き詰め。夕方、雨で花粉があまり飛んでいないようだから、今のうちにと思って理髪店へ。 夜も早めに就寝。夜中、鼻詰まりで何度も目がさめ、そのたびに枕もとの時計を見るが、10時、1時、2時、3時……ほぼ1時間おき? 昼間、疲労感があるのも当然か。 3月22日(火)晴れ 今年の花粉症は最悪。例年ならクスリでごまかすことができるのに、そのクスリさえ効かない。全身の倦怠感、無気力。風邪の方が何倍もラク。 仕事をしていても、微熱の海をさまよっているようなもの。PM3、仮眠室で横になったらそのままダウン。5時過ぎにようやく起きるも、完全に体力・気力ゼロ状態。 自転車キンクリートSTORE公演をキャンセルして帰宅。 夕食後、やや持ち直し、その後、7割まで回復。花粉地獄からの生還。この数日がまるで夢の出来事のよう。 3月21日(月)晴れ 花粉症悪化。朝から最悪の体調。微熱、鼻水、鼻詰まり、目のかゆみ、全身倦怠感。食欲不振。 一日中、寝たり起きたり。思考力ゼロ。 3月20日(日)晴れ 7.00起床。お墓の掃除。 11.30、信願寺。本堂で1周忌法要。親戚が大勢来てくれる。感謝の念でいっぱい。 早々に帰京しなければならないので、昼食は折り詰め。PM2まで従姉らとにぎやかに談笑。彼らの心遣いに深く感謝。 PM2.30、戸締りをして、帰京の途。振り返ると、ぽつねんとした無住の我が家。かわいそうに……。住む人のいない家ほど悲しいものはない。 PM11。マンションに帰宅。無事に法要を終えた安堵感からか、体調すこぶる悪く、花粉症も最悪。 3月19日(土)晴れ 急ピッチで仕事を終えて、PM2.02、上野発の新幹線で帰郷の途。大宮から家族が乗り込み、大湊駅に到着はPM7.15。在来線の車窓に映る雪景色に驚く子供ら。レンタカーで夜の道を走り抜け、自宅到着PM8.30。気温1度。東京はポカポカ陽気で暑いくらいだったが、青森は雪が残り、震えるほどの寒さ。 家の前にクルマを止めると、居間から灯りが漏れてくる。玄関の戸を開けると、人影ふたつ。思わず、父と母が待っていてくれたのかとの錯覚に陥るが、「浅茅が宿」でもあるまいに、そんなはずはない。叔父夫婦がストーブをつけて部屋を暖めて待っていてくれたのだった。 部屋の掃除をしてくれて……ありがたいこと。 ガスが使えないため、従姉のKさんの家でお風呂をもらい、食事をいただく。いつもお世話になりっぱなしで、Kさん一家には足を向けて寝られない。 PM11。家に戻り、仏間に位牌を安置する。やはり生家が一番。心なしか遺影の父と母の顔がうれしそう。 床暖房の居間に布団を敷いて寝るも、夏以来、湿った布団とカビ臭い匂い。寒さも手伝ってか、寝付くのに時間がかかる。 冬の帰郷の時、母はいつも、布団乾燥機で暖めた布団を敷いて待っていてくれた。風呂上りに父とビールを飲んだ。 その二人がこの世からいなくなる日がくるなど、思いもしなかった。いや、考えたくなかった……というのが正確か。母と父の病気のことを思えば、いつかはこうなるとは想像していたが……。 T取さんから何度か電話。京都に行ってるとか。祇園の串揚げ屋「H」の件。 3月18日(金)晴れ PM7.00、新宿。スペース107。池の下「邪宗門」。72年に天井桟敷が渋谷公会堂で上演した伝説的舞台。黒子によって挑発された観客と劇団員が小競り合いを繰り広げ、二階席からは劇団日本の三原四郎らがドラム缶(実際はビールの樽缶)を投げ下ろし、寺山の挑発に応えたという。一説によれば、寺山修司は不測の事態に備え、懐にドスを飲んでいた……とか。その三原四郎も今はなく、演劇が「演劇内演劇」に収束され、寺山の死によって、演劇はただの文学の一ジャンルとなってしまったわけで……。1972年、演劇と革命ははるか彼方のオホーツク。 池の下の「邪宗門」は寺山の戯曲を忠実に再現したもの。巨大な黒数珠が形作る結界の内側で、縄で縛られ、責め苦にあえぐ美少女。黒子の跳梁。オープニングのビジュアルはなかなか刺激的。「東京巡礼歌」など、劇中歌もシーザーの旋律を模したように天井桟敷風。余計な狭雑物を入れず、戯曲に忠実であるため、寺山演劇の構造がよく分かる。昔、初めて天井桟敷の芝居を見た時の「わかりやすさ」を思い出す。天井桟敷は難解ではなく、エンターテインメントだった。そんな懐かしさを感じさせる池の下・邪宗門。楷書で書かれた寺山演劇とでもいうべきか。 1時間10分。朝倉摂の舞台美術。最後の屋台崩しも見もの。 前列にいた万有のY本さん。「シーザーは今、愛知万博に行ってます」とのこと。 3月17日(木)晴れ PM7.00、新宿。紀伊國屋ホールで「暴君マクベス」。上杉祥三・長野里美コンビによるプロデュースユニット「トレランス」公演。マクベスの物語を飛鳥時代の日本に設定。大海人皇子(おおあまのみこ)と讃良姫(さららひめ)が魔女にたぶらかされ、天智天皇を殺害し、天武天皇に……!?という物語。 次回公演で上杉祥三と組むためだろう、客席に加藤健一、忍、有馬自由らカトケン組の面々。 舞台に氾濫する野田秀樹仕込みの言葉遊び……といいたいのだが、残念ながら文学的「言葉遊び」とオヤジギャグの判別つかず……。「向こう岸に靴を投げ返す」→「時代をクツがえす」とは……。井沢希旨子が魔女役 で頑張っているが……。9.00終演。楽屋に寄る時間がなく、急いで帰宅。「新居」に立ち寄り、後片付け。10.30帰宅。 3月16日(水)晴れ 9.00起床。明日から始まるリフォームの件で管理人に挨拶。 お昼過ぎ、会社からの電話に何事かと思ったら、学生時代の同級生Mからの急用とか。20数年ぶり。便りがないのが元気な証拠。突然の連絡は……絶句。 PM3、O袋駅からタクシーで「カーテン王国」へ。家人のカーテン選びに付き合い2時間。帰宅して採寸。休日のたびにこんなことばかり。疲れ果ててしまい、パソコンの前に座る気力なし。 夜も早めに就寝。 セントの後を追うように、星ルイス死去。コンビ解散でけんか別れになった最期を悔やんでいたというが、やはり絆は強かったのか……。 島根県議会が竹島の領有権をPRするために「竹島の日」条例可決。当然、自国領土を主張している韓国は猛反発。中国の反日感情が高まる中、韓国の反日感情にも一気に火がつく可能性がある。地方自治を隠れ蓑に、地方議会から中央にゆさぶりをかける最近の「右」勢力のやり口。国とも当然ツーカー。「双方とも冷静に」なんて小泉もよく言うよ。 3月15日(火)晴れ PM6、早稲田界隈を徘徊。PM7.30、スペース早稲田で流山児★事務所「夢の肉弾三勇士」。 「演劇団」時代の流山児祥が72年に上演したアングラ革命オペレッタ。上海事件の際にデッチあげられた「肉弾三勇士」の軍事美談をモチーフに、家康の命を狙う真田十勇士、安田財閥の総帥・安田善次郎を暗殺した壮士・朝日平吾、パレスチナ革命に身を投じる日本赤軍兵士・岡本公三、奥平剛士、安田安之の「オリオンの3つ星」、そして、朝鮮人革命家アンジェリータらが時空を超えて争闘するテロルと妄想の革命劇。流山児祥の原作に、高取英が新たに書き足し、少年王者館の天野天街が演出する。 50人も入ればぎゅうぎゅうの小劇場で20数人の役者が所狭しと動き回り(時に、地下室から這い上がる)、歌い踊る(天街振付の王者館ダンス)、冒頭からなんとも懐かしい匂いがプンプン。こぎれいに消毒殺菌された芝居ばかり見ていると、このアングラの匂いがたまらなく懐かしくなる。猥雑で暴力的でエロスの香り漂うアングラ活劇。 流山児の肉体と「高取史観」が天野天街のポップな演出によって見事に昇華。胸高鳴るアングラ・アジテーション歌劇に仕上がった。 関が原の時代から「9.11」まで、連綿と持続する変革の志。思わず「空気が入ってしまう」ほど。演劇が学生運動と呼号していた時代。この作品に出演した俳優の一人が後に浅草橋放火事件に関与して指名手配を受け、今も潜行中だというのも当然か。 劇中歌「面影橋から」は、「六文銭」の及川恒平の曲。正確にはこの作品の前作で最初に使われたオリジナルとのこと。及川恒平が演劇団の音楽担当していたとは知らなかった。 9.20終演。片づけをしてすぐにアフタートーク兼飲み会。T橋恵子の姿も。変わらぬ美しさ。「子午線の祀り」で塩野谷正幸と共演した縁もあるが、もともと流山児とはT橋伴明を通じた友人。 宴席途中で抜け出し、I藤裕作、高取、天街、流山児の5人で二次会へ。 2時近くまで飲みながらあれやこれやの談話会。 宮台真司がパッチギ!を絶賛していたとか。高取氏も「よかったよ」と。見ていない3人に、ひとしきり「パッチギ!」の話を。天街が翠羅臼に傾倒していたとは初耳。 2.30、久しぶりのタクシー帰宅。 3月14日(月)晴れ 花粉の猛威相変わらず。目覚めた瞬間、交感神経が活動し始め、大きなクシャミ。夜のうちに両目が晴れ上がり、かきむしりたいほどのかゆみ。 PM5、久しぶりに上野「癒処」でマッサージ。花粉症の時期はできるだけ、うつぶせになりたくないのだが。 フジテレビ=ニッポン放送がついに、焦土作戦に出る気配。ニッポン放送傘下の稼ぎ手・ポニーキャニオンをフジに売却?強盗が家に押し入ったとき、金目の物はすでに売り払われ、もぬけの空……なりふりかまわぬフジサンケイグループ。 ホリエモンを改革者=清新なイメージで捉えるミーハーが多いが、所詮はメディアをマネーゲームの道具としてしか捕らえない「資本家」。ライブドアなど、株式分割で膨れ上がっただけの、投機会社のようなもの。支持層は「なんだかよくわからないけど何かやってくれそう」と、小泉に期待した層と重なっているのだろう。ジャーナリズムの視点から買収劇の攻防を見据える論調が希薄なのは奇妙なこと。 3月13日(日)快晴 7.00起床。躰道稽古へ。4月10日の試験に向けてそろそろ筆記問題も覚えなくては。 1.00帰宅。昼食後、TOTOショールームへ。 PM5帰宅。 今日も半日、引越し準備に追われ、ぐったり。 3月12日(土)晴れ PM2、三百人劇場で劇団昴「長男」。酒場で引っ掛けた女の子に振られ、終電にも乗り遅れた2人の若者。一夜の宿を乞うために、その家の父親に「自分はあなたの息子です」とウソをつくが、そのウソが思わぬ方向に転がり……という60年代のソ連を舞台にしたコメディー。劇作家A・ヴァムピーロフの作品で、91年に「息子です、こんにちは」のタイトルで文学座が上演している(渡辺徹、角野卓造主演)。 相手が信じ込んでしまったために、ウソの上塗りをすることになり、そのうち一家と抜き差しならない関係になるが、最後は大団円の人情味あふれる物語。中西陽介ほかフレッシュな俳優陣をベテランがサポート。しみじみと味わいのある舞台になった。 PM5、市谷。「お札と切手の博物館」で高校同窓会の幹事会。たまには曙橋から歩こうと思ったのが大間違い。道を間違え、ウロウロ。結局40分も遅刻。 出席20数人。議題を討議した後は、ビールで乾杯。お国言葉が飛び交う楽しい語らいの場に。 PM8.00終了。 9.30帰宅。 3月11日(金)快晴 引き続き、花粉症で絶不調。楽しみにしていたPA○TAさんの赤坂ライブにも行けず、早期帰宅。 一昨日、本屋で偶然手に取った雫井脩介「火の粉」をさくさくと読了。 一家殺害事件の容疑者・竹内真伍に無罪判決を下した裁判官・梶間勲。「プレゼントしたネクタイを使ってもらえなかった」という動機の薄弱さと、真犯人に襲われたという竹内の背中に残った打撲跡が、偽装では不可能だと判断したのだ。裁判から2年後、梶間は裁判官を辞し、大学教授として再出発するため、地方都市の閑静な住宅地に居を構える。物語は、大学の公開講座に竹内が姿を現わした時点から、徐々に不気味な様相を見せて行く。 寝たきりの梶間の母の不審死、孫の異常行動……。 さまざまな変事の裏に見え隠れする人物の正体に気づいた息子の妻・雪見にしのび寄る魔手……。 海外ミステリーではよくある追い詰められ型のサスペンスだが、語り口が実に巧みで、ぐいぐい引き込まれてしまう。 特筆すべきは女性心理描写のうまさ。 一生懸命、義母を介護してきた「嫁」に対して、他家に嫁いでいる実の娘があれこれと難癖をつける場面の迫真性。「いるよなぁ、こんな人。自分の母かわいさに、他人の気持ちを傷つけ、踏みにじっていることに気がつかない人が」と思わず嘆息。このシーンの心理描写の巧妙さだけで、雫井脩を買う。 反対に、男二人、梶間と、司法試験浪人の息子の描き方は類型的。女性の活躍と対比させようとしたからかもしれないが、特に雪見の夫など、軽薄で頼りないモラトリアム人間そのもの。 気になったのは、途中で、物語の話者が変わること。梶間勲、その妻、そして雪見。一つの物語の中で視点が3つになるのは、恐怖の引き受け手が分散するわけで、せっかくのサスペンスが弱くなる。やはり、全体を俯瞰する主人公を一人にした方が、「追い詰められ型」のサスペンスは盛り上がる。とはいっても、海外ものに遜色ない秀逸なミステリー。雫井脩介の別の作品も読んでみたい。 3月10日(木)晴れ 今年の花粉症はひどいひどいと聞いていたが、これほどとは。朝からクシャミが止まらないので、仕方なく市販薬でごまかそうと思ったが、まったく効かない。熱とクシャミ、鼻水で頭は朦朧。それでもなんとか、仕事をこなし、昼食後にもう一錠。それで「ようやく効いてきたな」という程度。恐ろしいほどの花粉症。 夕方、這うように家にたどり着き、早めの就寝。花粉症もここまで重症だと、立派な病気。 麻生総務相が9日の参院予算委員会で、NHK受信料の不払いに関して、「今後は徴収法を考えないといけない」と述べた。 やっぱり出てきたか。ここまでNHK受信料不払いが広がると、「罰則が必要」と「ヤブヘビになることを懸念していたが、やっぱりタダでは起きない連中。「罰則規定」が設けられれば、事実上、国民に支払い義務が生じる。「保守偏向報道のNHKに受信料なんか払えるか」「日の丸・君が代やめない限り受信料は払いません」と言えなくなる。 もしかしたら、エビジョンイル騒動も、NHK皆支払い義務化に向けた壮大な陰謀ではないかとは、うがちすぎ……。 東京高裁が横浜事件の再審を支持。再審開始を認めた横浜地裁に対する検察側の即時抗告を棄却したもので、しかも、地裁の「法令適用の誤り」という、「逃げ」は採用せず、「当時の判決に事実誤認がある」と、冤罪確認へ一歩踏み込んだ判決を出した。 横浜事件は1942年、雑誌「改造」に掲載された細川嘉六氏の論文「世界史の動向と日本」が共産主義の宣伝だとして、細川氏が治安維持法違反で逮捕、これを皮切りに、神奈川県特高が改造社や中央公論社などの出版人ら約60人を逮捕した事件。4人が拷問によって獄死しているのだから、凄まじい。 同事件で逮捕され、拷問を受けたジャーナリスト・青地晨氏が生前、「横浜事件の冤罪を晴らすまでは死ねない……」と語っていたが、泉下の青地氏もひとまず胸をなでおろしていることだろう。 中西一善・自民党代議士が強制わいせつ容疑で逮捕され、辞職へ。類は友を呼ぶ。クズはクズの党に集まる。国会議員の逮捕は1964年に米原潜入港反対デモの際、公務執行妨害で逮捕された楢崎弥之助・社会党代議士(当時)以来とか。「名誉の逮捕」なら男も上がるが、ハレンチ事件で逮捕とは情けないというか、セコイというか、アホらしい。こんな連中に税金が使われているんだから……。 東京大空襲から60年。死者10万人、罹災者300万人。ほとんどが民間人であり、無差別虐殺だ。イラクでのファルージャ虐殺もそうだが、アメリカという国は非戦闘員の無差別殺戮が昔から得意らしい。 東京大空襲を立案指揮したC・ルメイ米空軍少将は、戦後、航空自衛隊創設にかかわったことで勲章勲一等旭日大綬章をもらった。焦熱地獄の中で、もがき苦しみ死んでいった人たちはそれを見てどう思っただろう。いつの時代も戦争で死んだ人間は殺され損。国家はいつでも「”失礼しました”で終わるだけ」by加川良。 3月9日(水)晴れ 昨日から花粉症がひどい。 8.00起床。正午に歯科医で定期的な診療。 その後、家人とともに、家具の「ニトリ」へ。夕刻までカーテンやらベッドやらを見て回る。今日も一日、休めず。疲れと花粉症でクタクタ。花粉の飛散量はおとといの数百倍とか。朝から、目が真っ赤、鼻水グシュグシュ。 6.00帰宅。とにかく疲れた。 3月8日(火)晴れ PM7、恵比寿。エコー劇場でテアトル・エコー「エスケープ・フロム・ハピネス」。 舞台はカナダ・トロントの下町のある家。女手ひとつで三人の娘を育て上げた母親がこの家の主。警察の不正を追及する正義派弁護士である長女、ときどき、嫁ぎ先からプチ家出をしてくる次女、そして、赤ん坊が生まれたばかりの三女がこの家に集っている。ある日、三女の夫が何者かに殴られ大怪我をする。警察が捜索すると、地下室で大量の覚せい剤を発見。しかし、暴力団担当という二人組の警官も挙動不審。ポルノ売買を生業にするチンピラ親子も登場。さらには、長年行方不明だったやさぐれの父親まで現れて……。 犯罪、暴力、ドラッグ、ホームレス、警察組織の腐敗、家族の崩壊といった、現代社会の抱える問題をモチーフに、家族の絆を描いたミステリアス・コメディー。カナダ産のドラマといえば、「イエロー・フィーバー」「ハイ・ライフ」といった、暴力的でヒリヒリする皮膚感覚の舞台が多いが、これも、麻薬密売や警官の不正などが前面に出てくるハイテンションなクライム・コメディー。 いつものテアトル・エコーの喜劇とは180度趣の異なった作品で、どうなることかと思ったが、なんなくクリア。役者では次女役の華村りこが抜群にうまい。 休憩時間にT村氏に断りの電話。 9.20終演。11.00帰宅。 3月7日(月)晴れ 解放されたイタリア人女性記者ジュリアーナ・スグレナ氏を引き取ってきた車両を米軍が射撃。同乗していたイタリア政府諜報局員カリパリ氏が殺され、記者も負傷した事件。あまりにも不可解だ。 「誤射」を強調する報道が飛び交ったが、スグレナ氏は「イタリア政府が自分の解放に身代金を支払ったことに米政府が強く反対したため、「私の解放を食い止めようとしたのかもしれない」と語ったという。それを受けて、ローマ地検は6日までに、第2級殺人(計画的でない殺人)の疑いで捜査を始めたという。 米軍の意図的射殺であるとの理由は、 1、スグレナ氏は非共産党左派系新聞の記者でありイラク戦争に強く異を唱えていた。 2、米国には人質を解放するための交渉に強硬に反対する人々がいた。 3、拉致組織から解放すると告げられた際、「アメリカはあなたを帰国させたくないのだから、気をつけるように。帰国のとき、アメリカは介入してくるだろう」と警告された 駐留多国籍軍の言い分はこうだ。 「スグレナさんたちの車がスピードをあげて検問所に近づいてきたため、米兵らが発砲した。米兵たちは、運転手に、身振り手振りやライトの点滅、警告射撃などを繰り返して、停止するよう警告した。それでも運転手が停らなかったため、兵士らは停車させるためエンジン部分を狙って撃った」 一方、スグレナさんはこう証言する。 「発砲されたのは検問所ではなく道路。泥道だったためゆっくりと進んでおり、警告のライトも合図も何もなかった。何の警告もないまま、至近距離から雪崩のように撃たれた。 両者の説明は真っ向から食い違っている。 しかし、情報局員への銃撃が頭部への1発の銃弾による死亡だったことを見れば、どっちがウソをついているのかは明らか。高速で近づいてきた車両に「とっさに銃撃した」銃弾が”運良く”頭に正確に当たるなんて、都合良すぎる。 米軍が意図的にイタリア人解放記者と諜報局員を抹殺しようとしたのは明らか。もし、殺害が「成功」していていれば、「強盗」あるいは「ゲリラ」のしわざとして隠蔽工作されたに違いない。 2003年暮れに「ゲリラによって」殺された日本外交官、奥克彦さんと井ノ上正盛さんの死亡状況も疑惑だらけだった。 今回のイタリア人女性記者銃撃事件、もし記者が死んでいれば死人に口なし。米軍の偽装はたやすく成功しただろう。諜報局員が身を挺して記者をかばったために、その目論見は水泡に帰した。 スグレナさんは、ファルージャで、生き残りからの証言を聞き取り、帰国すればそれが発表されることになっていたという。ファルージャの虐殺の実態を公表されたくない米軍。ここまでやるか。まあ、今のネオコン政府ならやりかねないが……。 しかし、日本の新聞が真っ先に伝えたのは、「誤射」との米軍情報。 メディアリテラシー(情報の理解・活用能力)も情報のプライオリティー(優先順位)も未熟で恣意的な日本。ホリエモンのいうように、「ニュースなんか、情報として流せば受け手が適当に取捨選択する」などとジャーナリズムの何たるかを理解せず、メディアを金儲けの手段としか考えないITファシストがバッコし、のっとられる側も、「面白くなければテレビじゃない」などと、一億総骨抜き化を推進したフジテレビ。 どっちもどっち。新旧対立なんてものじゃなく、旧・旧の縄張り争いのようなもの。 もし、ホリエモンのいうように活字媒体が無用の長物になり、ネットがその代用になったとき、ジャーナリズムも死滅へと向かうのは間違いない。ジャーナリズムとは権力を監視することにあり、常に「反権力」であるのが最低限の矜持。ホリエモンの狙うメディア支配は、金儲けのために、それを国家に売り渡すのが主目的。日本の報道機関が米ネオコンを支えるFOXだらけになるのは時間の問題だろう。 2日、05年度予算が衆院を通過したが、それを伝える新聞各紙はベタ扱い。「まだ参院を通っていないから」と言い訳するかもしれないが、参院が可決しなくても、30日以内に自然成立するのだから、事実上、予算案が通過したのは確定事項。一般会計総額82兆1829億円。このうち税収が44兆円。国債発行額は34兆4000億円。約半分が借金で賄うという驚くべき予算案。借金でクビが回らなくなった一家の主が、あちこちからカネを借りまくり、サラ金に利子を返しているようなもの。そもそも、人からの借金を前提に一年の生活予算を立てる人がどこにいるのか。 だから、国の借金は雪だるま式に増え、地方の長期債務と合わせれば今年末には774兆円という膨大な借金残高になる。国民一人当たり606万円。 税収が減っているのに、支出を減らさないのだから当然のこと。給料が減っているのに、浪費癖が直らないサラリーマンのようなもの。郵政民営化という不要不急の公約にこだわっているコイズミ。財政再建とは名ばかりなのは、この予算案を見れば一目瞭然。 国民一人頭606万円を国に供出すれば国の借金はゼロになる。政治家や官僚が考えているのは、財政を健全化するのではなく、いかに国民から税金を絞り取って、借金の埋め合わせをするかだけ。こんな予算案をすんなり通して、しかも、それを報じるマスコミの情報プライオリティーがかくも貧弱では、政治家は常に高笑い。 今でさえ、こんなお寒いマスコミ・ジャーナリズム。これで、もしホリエモン流の金儲けメディア買収が横行したら、権力の思うまま。国民はナイフで身を削られ、食される「暗澹たるあんこう」だ。 PM5帰宅。朝、風邪気味だったが、夕刻にはすっかり元気に。 3月6日(日)晴れ 9〜12時、息子と一緒に躰道稽古。自分の稽古の合間に息子の稽古の様子を観察。帰りにダメ出しを。これって、昨夜のカトケンさんと同じか。 PM2.30〜5.00、リフォーム業者と見積もり打ち合わせ。 ドッと疲れが出て、夕食後早めに就寝。 3月5日(土)晴れ PM1。銀座・博品館劇場で「ギルダ 愛の設計」(演出=竹邑類)。 劇作家ノエル・カワードの日本初演作。インテリア・コーディネーターである魅力的な女性ギルダ(絵麻緒ゆう)。かつて彼女を愛した3人の男友だちのうちの一人、画家のオットー(蓉崇)とパリで暮らしているが、ある日、オットーの留守中に、劇作家として成功したレオ(瀬下尚人)が訪れ、愛を告白する。ギルダはそれを受け入れ、一夜を共にする。その18カ月後、ロンドンでレオと暮らすギルダの元へオットーが現れる。レオは留守中。ギルダは、こんどはオットーとヨリを戻してしまう。奔放な女性ギルダを中心にした恋の円舞曲の行方は……。 反道徳的な「愛の階級闘争」を通して、英国上流社会を批判するカワード風俗喜劇の傑作というが、やはり旧さは否めない。 それ以前に、歌って踊れる役者を揃えた割には、フィナーレのタップダンスまで会話劇が延々と続くだけで、サービス精神に欠ける。休憩2回の3時間上演も長すぎ。 PM6。下北沢。食事しながらT村氏と打ち合わせ。 PM7。本多劇場で加藤健一事務所「煙が目にしみる」。今回で3演目。斎場で居合わせた二組の家族。それぞれ、大切な父親を亡くし、悲しみにくれている。一方は、40代。妻と祖母、娘と息子、従妹らが参列。一方は60代。最期の様子がワケありのため、参列しているのは、娘とレンタルビデオ屋の店員のみ。 半分ボケた祖母(加藤健一)に死んだ二人の姿が見えることから、ひと騒動巻き起こり……という、笑って泣けるハートウオーム喜劇。 いかにもそのへんにいそうな老女をユーモラスに演じるカトケン、呆れるほどうまい。父親役で初参加の青山勝もカンパニーにすんなり溶け込み芸達者ぶりを発揮。紀伊國屋演劇賞個人賞の加藤忍も3演目のあずさ役を好演。カトケンの長男・加藤義宗は役と同世代ということで、違和感のない役作り。父を偲んで絶句するシーンの間がいい。何度見ても、父親への思いを表出する家族一人ひとりのシーンは胸が熱くなる。こらえきれずに涙。ハナをすすり上げる声が客席のあちらこちらから聞こえてくる。 8.30終演。中身が充実していればこれくらいの時間がちょうどいい。 「古里」で初日乾杯。松本きょうじ氏に先日の地方公演の時の電話のお礼を。 青山勝氏と道学先生の話を。「兄妹どんぶり」を秋に上演するという。「兄妹どんぶり」の話題に身を乗り出し、ひとしきり初演のすばらしさを語ると、「もしかしたら、○○さんは、以前、あの作品をほめてくれた○○と同じ人では……。あんなにほめられたことがなかったので、みんな感激してました」 これには、こっちがびっくり。 「今日は緊張で缶コーヒーを持つ手が震えた」という加藤忍。聞けば、ほかの女優さんたちも、同様に手がぶるぶる震えていたそうで、ベテランの役者でさえ、舞台でそんなに緊張するのだということにびっくり。役者でさえそうなのだから、素人がパーティーなどで上がるのは当たり前か……と妙に安心。 宴席で義宗と笑顔でおしゃべりをしているカトケン氏。その慈愛に満ちたまなざし。「珍しく、自分の出番がないときでも、舞台袖に立ってじっと息子の芝居を見ていた」(出演者)というカトケン氏。挨拶に行くと、「息子をよろしくお願いします」ーーカトケン氏からそんな言葉を聞くとは……。厳しい「芝居の虫」も息子の前では「普通の父親」の顔。傍から見てもうらやましいくらい仲のよい親子関係。自分と同じ道を進むのが嬉しいんだろうなぁ。 I東由美子さんの娘さんももう中学生とか。中目黒の事務所に行ったとき、赤ん坊を抱いていたI東さんを見たが、あれから十数年。時の流れは早い。開幕の桜(蝶)の操作について熱っぽく語るA馬自由氏。カトケン事務所の宴席はなごやかであたたかい。心地よい酔いに、つい、時間のたつのを忘れ、PM11.00、カトケンさん、忍、義宗、N島さんに見送られ家路につく。 0.30帰宅。 3月4日(金)雪 大雪予報のため、交通網混乱を想定して朝から特別態勢。お昼までしんしんと降り積もるが、午後にはやみ、大きな影響なし。 PM7。代々木競技場で「スペクタクル 十戒」の初日。 2000年にフランスで初演され、フランス演劇史上最高の観客動員を記録したという作品。幅40メートル、高さ12メートルという巨大なエジプト遺跡風セット。その背景をスクリーンに見立て映像を投射、セットの転換に合わせてスペクタクルなシーンが観客に迫る。……という触れ込みなのだが、センター客席に合わせた演出は、左右袖の客席には届かず。売りの群舞も、サイドからの遠景では迫力伝わらず。映画の「十戒」をダイジェストにしたストーリーもベタな展開。期待した「海が割れるシーン」もしょぼい……。これが、スペクタクルとは……。 これだけの予算を組んだなら、寺山修司や、J・A・シーザーなら、想像を絶するスペクタクルを作ることができただろうと詮無いことをつい思ってしまう。 どこかの奇特な企業や代理店がカネを出して、日本発の「クレオパトラ」なんぞを作らないものか。もちろん、演出はシーザー。シーザーの演出能力を使いこなせない日本の演劇界……もったいない。 歌唱はすばらしいものの、舞台は最後まで盛り上がらず9.20終演。カーテンコールの後、サプライズゲストである平原綾香の登場が一番の盛り上がりとは皮肉。 3月1日に、ラムセス役のアメッド・ムイシとモーゼ役のセルジオ・モスケットが赤坂のライブハウスに飛び入り、アメッドが「カンザス・シティ」を、セルジオが「ルック・アウト・リトル・シスター」(スティーヴィ・レイ・ヴォーン)を歌って、ご機嫌で帰っていったそうな。彼らとブルース談義をしたというK出氏いわく「”十戒”のことも知らなかったから、俺らには猫に小判」とか(=ローラーコースターHPから) 後方席にいた同僚のI瀬くんと軽く一杯。11.30帰宅。 3月2日(水)晴れ 10.00、リフォーム見積もりの立会い。午後、管理人に挨拶、家電量販店へ。帰宅は午後7時。一日中、立ちっぱなしで疲労困憊。 サケトバをツマミにビール。 ウニ氏経由でドイツ在住の梶村氏が「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」のMLへ投稿した「韓国の盧武鉉大統領が3月1日に行なった演説」の日本語訳、転載歓迎ということなので、そのまま転載する。 第86周年 3.1節記念の辞 2005年3月1日 尊敬する国民の皆さん、独立運動功労者と来賓の皆さん、 86回目の3.1節記念式典を、ここ柳寛順(ユ・グァンスン)記念館にて行えることを嬉しく思います。あの日の感動が、より生き生きと感じられるようです。 3.1運動とは、実に誇らしい歴史です。人間の自由と平等、国の自主と独立の権利を明らかにした3.1精神は、今も人類社会と国際秩序の普遍的原理として尊重されています。また、上海臨時政府から今日の我が政府に至る大韓民国の正統性の根本となりました。 このような3.1運動の偉大な精神を引き継ぎ、二度と百年前のような過ちを繰り返さないことが、愛国先烈に対する道理であり、3.1節に新たにする我々の誓いです。 国のために犠牲となり、民主主義と繁栄の礎石となってくださった愛国先烈の方々に、こうべを垂れて敬意を表します。独立運動功労者と家族の皆様に、深い尊敬と感謝の言葉を申し上げます。 国民の皆さん。 わたしは去る日曜日、独立記念館に行ってまいりました。 旧韓末、開化をめぐる意見の違いが論争を越えて分裂にまで走り、指導者たち自身が国と国民を裏切った歴史を見ながら、今日我々が何をするべきかを、深く考えました。そして、我々の地をめぐって日本と清、日本とロシアが戦争を起こした状況で、無力だった我々がどちらの側に立ったとしても、何が違っただろうかと思い、国力の意味を改めて考えさせられました。そして今日の大韓民国が本当に誇らしくなりました。 今、我々は百年前の、列強の狭間でまったく変数になれなかった、そんな国ではありません。世界にひけをとらない民主主義と経済発展を遂げ、自らを守れるだけの十分な力を持っています。北東アジアのバランサー(均衡者)の役割を果たせる国防力を育てつつあります。今日の我々の姿を、先烈たちも頼もしく思ってくださることでしょう。 国民の皆さん。 今年は韓国と日本の国交正常化40周年となる特別な年です。一方では、韓日基本条約に関する文書が公開されて、いまだに解決できない過去の問題がよみがえったり、また別の問題が提起されてもいます。 これまで韓日関係は、法的にも政治的にも相当な進展を遂げてきました。1995年に日本の村山首相が「痛切な反省と謝罪」をし、98年には金大中大統領と小渕首相が新韓日関係パートナーシップを宣言しました。2003年には、わたしと小泉首相が「平和と繁栄の北東アジア時代のための共同宣言」を発表しました。 韓日二つの国は、北東アジアの未来を共に開くべき運命共同体です。お互いが協力して平和政策と共同繁栄の道を歩まずには、国民の安全と幸福を保障できない、という条件の上に立っています。法的、政治的関係の進展だけで両国の未来を保障することはできません。もしそういう考え方を取るとすれば、やるべきことをやり尽くしたとは言えません。もっと実質的な和解と協力の努力が必要なのです。 真実と正義によって、両国国民を隔てている心の障壁を崩し、本当の隣人として生まれ変わらなければなりません。 フランスは反国家的行為を犯した自国民に対しては峻厳たる審判を下しましたが、ドイツに対しては寛大に握手し、欧州連合(EU)の秩序を作って来ました。昨年、シラク大統領はノルマンディー上陸作戦60周年記念式典にドイツ首相を初めて招待し「フランスの人々はあなたを友達として歓迎する」と友情を表現しました。 われわれ韓国国民もフランスのように寛大な隣人として、日本と一緒にやっていきたいという願いを持っています。 これまで、わが政府は国民の憤怒と憎悪をあおらないよう節制し、日本との和解・協力のために積極的な努力を払ってきました。実際、韓国国民はよく自制し、理性的に考え、分別を持って対応していると思います。 わたしはこれまでの両国関係の進展を尊重するので、過去の歴史問題を外交的な争点にしない、と公言したことがあります。そして今もその考えは変わっていません。過去の歴史問題が提起されるたびに交流と協力の関係がまた止まって両国間の葛藤(かっとう)が高まることは、未来のために助けにならないと考えたからです。 しかし、われわれの一方的な努力だけで解決されることではありません。2つの国の関係発展には、日本政府と国民の真摯(しんし)な努力が必要です。過去の真実を究明して心から謝罪し、賠償することがあれば賠償し、そして和解しなければなりません。それが全世界が行っている、過去の歴史清算の普遍的なやり方です。 わたしは拉致問題による日本国民の憤怒を十分に理解します。同様に日本も立場を替えて考えてみなければなりません。日本の植民地支配(原語:日帝)36年間、強制徴用から従軍慰安婦問題に至るまで、数千、数万倍の苦痛を受けたわれわれ国民の憤怒を理解しなければならないのです。 日本の知性にもう一度訴えます。真実なる自己反省の土台の上に韓日間の感情的なしこりを取りのけ、傷口が癒えるようにするため、先立ってくれなければなりません。それこそが、先進国であると自負する日本の知性的な姿です。そうしなければ、過去の束縛から抜け出すことはできません。いくら経済力が強く、軍備を強化したとしても、隣人の信頼を得て、国際社会の指導的国家となるのは難しいことです。 ドイツはそれをしました。そして、それだけの待遇を受けています。彼らは自ら真実を明らかにして謝罪し補償するという道徳的な決断を通じて、EUの主役に乗り出すことができたのです。 尊敬する国民の皆さん。 韓日基本条約と被害補償問題については、(韓国)政府も不足があったと思います。 国交正常化自体はやむを得ないことだったと思います。いつまでも国交を断絶したままでいるわけにもいかず、われわれの要求をすべて貫徹させられなかった事情もあったのでしょう。しかし、被害者の人々にとっては、国家が国民個々人の請求権を一方的に処分したことは納得しがたいことです。 遅きに失しましたが、今からでも、政府はこの問題を解決するために積極的に努力します。国民皆さんの意見を集め、国会と協議して、適切な解決策を模索していくつもりです。首相室ではすでに官民共同の委員会を設置して様々な方策を検討していますし、より包括的な解決のために国民諮問委員会の設置を準備しています。 そして請求権問題以外にも、いまだに埋もれている真実を明らかにし、遺骨を返還してもらう等の問題に、積極的に対応していくつもりです。日本も、法的問題以前に、人類社会の普遍的な倫理、そして隣人同士の信頼の問題であるという認識を持って、積極的な姿勢を見せてくれなければならないでしょう。 国民の皆さん。 3.1運動の精神を反芻しながら、先烈たちが夢見た先進韓国の未来に向かって精一杯がんばりましょう。日帝の銃剣に立ち向かった先烈たちの勇気と、すべてを越えてひとつになった大同団結の精神が、われわれの未来を導いてくれるのです。 ありがとうございました。 この演説をとらえて、日本の新聞各社は、「韓国大統領が日本を批判」と1面片隅で報じるのだが、盧武鉉大統領のいう「日本の知性」はこの程度。 盧武鉉大統領が、第二次世界大戦後のフランスのドイツに対する戦後処理に言及しつつ、日本の「いつまでも”終えようとしない”戦後処理問題」に異を唱えるのは当然のこと。 「フランスは反国家的行為を犯した自国民に対しては峻厳たる審判を下しましたが、ドイツに対しては寛大に握手し、欧州連合(EU)の秩序を作って来まし た」 このくだりは、反国家的行為を行った自国民=戦犯を神として祀り、首相が参拝する日本に対する苦言であり、「これまで、わが政府は国民の憤怒と憎悪をあおらないよう節制し、日本との和解・協力のために積極的な努力を払ってきました。実際、韓国国民はよく自制 し、理性的に考え、分別を持って対応していると思います」といらだちを隠さない。 北朝鮮の日本人拉致事件での、対北強硬論に対しては「日帝36 年間の支配下、強制徴用から従軍慰安婦問題に至るまで、数千、数万倍の苦痛を受けたわれわれ国民の憤怒を理解しなければならないのです」と、述べ、「真実なる自己反省の土台の上に韓日間の感情的なしこりを取りのけ、傷口が癒えるようにするため、先立ってくれなければな りません。それこそが、先進国であると自負する日本の知性的な姿です。そうしなければ、過去の束縛から抜け出すことはできません。いくら経済力が強く、 軍備を強化したとしても、隣人の信頼を得て、国際社会の指導的国家となるのは難しいことです」と続ける。 拉致問題で、おそらく多くの韓国・朝鮮人がわだかまりを持っているであろう日本の「強制連行、従軍慰安婦」への言及は韓国大統領として、当然のこと。 米国を仲立ちにした、日本の反動勢力と韓国の軍事政権の、国民の頭越しの手打ちである「日韓条約」への否定的な言及、補償問題への言及も傾聴に値する。これをネグレクトする日本政府とマスコミの度し難さよ……。 3月1日(火)晴れ PM6.30、新宿。紀伊國屋サザンシターで文化座「二人の老女の伝説」。 アラスカ先住民に語り継がれる伝説を小説化した作家ヴェルマ・ウォーリスの作品を、福田善之が音楽劇として脚色・演出したもの。 ある寒さの厳しい冬、激しい飢えに見舞われたアラスカ先住民の集団は苦境を乗り切るために、「お荷物」である2人の老女を置き去りにする。老女たちは運命を受け入れ、生き延びるために英知を寄せ合い、過酷な大自然に挑んでいく……。 冒頭、舞台はニューヨークのダウンタウン。どこからともなく現れた一人の不思議な少女=アラスカ先住民最後の一人が旅行で訪れた日本人青年と町の不良少年たちに自分たちの先祖の伝説を物語るという構成。場面はニューヨークとアラスカの氷原を往還する。 二人の老女は佐々木愛と新井純。老舗の新劇女優と元黒テントのアングラ女優ーーまったく接点がなかったはずの二人が、息もピッタリに嬉々として老婆を演じる。 時に歌い、踊る二人。新井純の本格的な歌は久しぶり。華やいだ姿は黒テント時代をホウフツとさせる。二人の女優は、まさに役名通り「星」と「ひばり」。 峰岸徹は「クマ」という凶暴な男役。二人から食糧を巻き上げようとして、文字通りワナに陥るのだが……。 峰岸徹といえば、どうしても60年代スクリーンのイメージがある。クール&ワイルドな青年役ばかり。それが、今舞台で老獪な老人を演じている。ウーム、なんだか複雑。 冒頭に登場する日本人青年にアラスカを愛し続けた写真家・星野道夫を重ね合わせ、ダウンタウンの警官をカナダ少数民族出身に設定。彼に「ベトナム戦争で日本に行った」と語らせる。「ベトナムで死んだ米軍兵士の数よりも帰国して自殺した兵士の方が倍以上もあるんだ」 単なる老女のサバイバル伝説に終わらせることなく、米国社会のマイノリティー問題、パレスチナ問題を織り込み、まさに「今」を描こうとしたのはいかにも福田善之らしい。 休憩15分をはさみ2時間20分。これが文化座か、と思うほど、群舞と歌が華やか。「青春デンデケデケデケ」で切り拓いた音楽劇という「新しい芽」が実を結びつつあるようだ。 開演前に紀伊國屋書店で平田弘史「血だるま剣法」(青林工藝舎 1470円)、近藤ようこ「移り気本気」(青林工藝舎 1470円)を購入。 前者は1960年代の貸本劇画の名作といわれながら、被差別部落問題をテーマにしていたため、部落解放同盟の抗議によって回収・焼却された幻の作品。 今読んでもその描線の激しさ、構成の巧みさには目を見張るものがある。 被差別部落に生まれた主人公は部落差別をなくすには自分が剣の達人になってお城の剣法指南役になること。それが「部落解放」への唯一の道と、激しい剣の修行を積み、道場一の使い手になるが、出自を暴露される。しかも、唯一心を許してした道場主にも裏切られたと勘違いし、主を惨殺、道場の剣士たちを一人ひとり血祭りにあげていく。 しかし、自らも傷つき、腕を失い、足を失い、ついには「だるま」姿となり、奇怪千万な必殺の剣法を編み出すが……という、江戸川乱歩「芋虫」にも通じる、残虐描写てんこ盛りの劇画。 子供の頃、この劇画を見ていたら、絶対トラウマになっただろう。実際、子供の頃、年上の従兄の家で読んだ貸本マンガの残酷描写は長いこと、子供心に闇として残ったものだ。 で、この「血だるま剣法」、今のホラー映画の、残酷描写からすれば、そんなには「残酷」とも見えないものの、その気迫、と訴えかける意思の迫力において、はるかにホラームービーを凌駕している。40年以上も封印され、誤解に基づく差別表現を訂正、あるいは削除しての出版は意義がある。呉智英には好感が持てないが、氏の解説による作品の変遷はなかなか読ませる。 後者は平凡な日常の中の女性の心の機微を11の物語にし、ロンド形式で描いた連作短編集。 キャリアウーマンとして夫の会社で仕事するかつての同僚。夫が彼女を家に連れてきたことから、かすかな胸のざわめきを感じる専業主婦の主人公の複雑な心の動きを追う第1話から、そのキャリアウーマンの恋と破局を描く第2話、そしてかつての恋人との”不倫な”関係を清算するOLの第11話まで、登場する一人ひとりが実にいとおしい。近藤ようこのマンガを読むと胸が締め付けられるような、懐かしいぬくもりを感じる。 |