| 8月31日(水)快晴 10.00起床。子供の夏休み最終日。工作、算数……小学1年のとき、図画の宿題で親に手伝ってもらったことはあったが、今の小学生のように高学年になっても親掛かりというのは……。 井上靖の「しろばんば」を読んでいたら、「70歳に近い老婆が生きて口をきいていることに不思議な思いがする」という個所が出てきた。明治時代は70歳はすでに棺桶に片足を突っ込んだ年齢なのだ。それから100年で平均年齢が格段に上がり、今の時代、70歳など、まだまだ老け込むには早い年齢。そのように寿命が延びた分だけ年齢のカーソル幅が移動し、各年代の低年齢化が進んでいるのだろう。今の小学6年は40年前の小学3年くらいの精神年齢か。50代は35歳くらい? 4時過ぎ、駅前の旅行代理店に行き、明日の帰省切符の手配。 あっちこっちと足をのばしているうちに夏休みは過ぎて行く……。 8月30日(火)名古屋雨 6.30、ゴミ出しのために起床。眠い。 休みが続くと、以前の自分の日常生活がまったく想像できなくなる。5時前に起きて会社に? それも、秒単位・分単位の、時間との競争で早朝からシャカリキになって仕事を……? 信じられない。今この瞬間、同僚は、そんな時間を過ごしているのか……。 休暇に入り、「他者の目」で自分を見ると、そんな日常生活が自分のこととは思えなくなる。 定年後、果たして自分は会社を離れてどんな生活ができるのだろうと、遠い先の心配をすることがあるが、会社を辞めたところでおそらくなんの変化もないのだろう。 PM8.30、家を出て東京駅へ。通勤客でいっぱいの電車。ここでも、自分とは無縁の世界に見えてしまう。 10.06の新幹線で名古屋へ。平日とあって車内は閑散。 正午過ぎに名古屋駅着。まずは駅地下のレストラン街で昼食。どの店も長蛇の列。看板に墨字が躍る今はやりの和風ラーメン店でしょうゆ味ラーメンを。固い麺、味の濃いスープ。最近の流行なのか、この手の店のラーメンはいまひとつ舌に合わない。 PM1、JRで万博会場へ。38分の道のり。万博八草駅から二つの会場に分かれるので、瀬戸会場方面のバスに乗り込む。目的は万有引力の野外パフォーマンス「宮沢賢治の知恵の夢」。 車内からシーザーにメールすると、「そっちじゃなく、長久手の日本広場ですよ」。 失敗。会場を間違えた。 それじゃ、瀬戸会場で「一粒の種」を見てから、長久手に行こうと考え、そのまま瀬戸へ。 ところが、会場に行く途中から大粒の雨。バスを降りて、瀬戸日本館に行くと、整理券なるものが必要とか。しかもすでに満席。最終の5.30の回の整理券を配布中。それをもらい、長久手会場に戻ろうとしたら、バスもゴンドラも40分待ち。移動もままならない。なんとかゴンドラに乗り込み、瀬戸会場に行くと、こちらも人の波。パビリオンによっては240分待ち! TDLも真っ青。 広い会場はレインコートと傘の花。広い会場は目的地まで移動するだけで大変。 2.30、なんとか日本広場に到着。しかし、雨は降り続く。チュリトスとホットコーヒーで空腹を満たしていると、後ろのテーブルから聞き覚えのある声。 カメラマンの楠野氏。一緒にいるのはK文社のH岩さん。 「朝2時に東京を出たら5時に着いちゃってさ。こりゃあ楽勝だと思って開場を待ってたら、あっという間に駐車場がいっぱい。まいったよ」 なんでも、K條さんを乗せてくる予定だったが、都合が悪くなったとかで、K條さんは来ないのだとか。 ![]() 「一粒の種を見に行ったら、もういっぱいで入れないというんだよ。『こっちは見に来てくれって言われて来たんだ』って文句言ったら、どうぞどうぞって通してくれた」とか。 そうこうしているうちに、広場がざわついたので、行ってみると、雨が小降りになり、パフォーマンス開始。緋毛氈を敷いてる万有の役者たち。広場の一角で「奴婢訓」の一部を再現。タリ、蘭さんの顔も。劇団員総出による公演。「一粒の種」の成功による副次的な露出は素直に喜びたい。税金が政治家の懐にではなく、劇団と劇団員にささやかにでも還流されるのはいいこと。 15分ほどのパフォーマンスに観客から拍手。「なんだかよくわからなかったけど、面白〜い」と女子高生。一人のおばあさんは「私、宮澤賢治が好きなの。もう少し、分かりやすいとよかったわねえ」とスタッフに笑顔で話しかけている。一人の女性に、芝居のオブジェの前で記念撮影を頼まれる。「寺山ファンなんです」という彼女。いかにも耽美派的……な雰囲気。話してみると、テラヤマ新聞掲示板の「桔梗さん」とのこと。世の中狭い。 撤収作業を見ているうちに、いつの間にかシーザーたちは日本館の中に。 再び雨がぱらつき始め、次第に雨脚は強まる。シーザーたちと合流するのを後回しにし、瀬戸会場の「一粒の種」を見るために再び瀬戸会場へ。ゴンドラまで歩くのに十数分、途中、みやげもの店で買い物を、と思ったら、なんと1時間待ち。 ゴンドラ待ち40分。瀬戸会場は大雨で閑散。5.25、日本館開場。「日本人の知恵・技・心」をコンセプトにしたという日本館。1階では和紙のスクリーンいっぱいに、家紋、蛇の目など日本古来の紋様をモチーフにした映像が映し出される。 続いて2階の「一粒の種」。民話、わらべ歌をモチーフにした33人の演者による群読群舞。謝珠栄の振付、シーザーの作・演出・音楽。オーディションで選ばれた俳優たちのパフォーマンスが新鮮。最後の巨大独楽には吃驚。さすが小竹信節の美術。 インターナショナルでありながら、「日本的」なシーザーの演出。万博イベントの中で人気があるというのも当然か。 6.00終了。瀬戸会場に戻るのにまた1時間。シーザーたちは360度パノラマを見ているとか。雨も強く、すでに暮色。一泊する気力は萎え、瀬戸に戻るのを断念し、名古屋へ。 8.30の新幹線で帰京。シーザーに電話すると、宿泊場所である瀬戸で飲み会中。せっかく名古屋まで来たのに、結局万有組とはすれ違い。残念。 帰宅は深夜0.30。 8月29日(月)快晴 10.00起床。 毎年、この時期は子供の夏休み宿題の追い込みで親も子もピリピリ。こんなことなら、早くにやればいいのに、ぎりぎりにならないと宿題に手がつかないのは、いずこの家庭も同じか。 お昼、工作のキットを買いに新宿・東急ハンズに。ついでに大人用の「エジソン式コップ蓄音機」を買ってくる。子供の頃に東急ハンズのような店が近くにあったら人生変わっていただろうなぁ。 1950〜60年代の田舎。竹ヒゴ1本売ってる店はなく、コンデンサーも抵抗もはるか彼方の別世界のモノ。欲しいものは何でも手に入る今の子供がうらやましい。 PM3、帰宅。DVDレコーダーのデータが目一杯なので、こつこつとディスクにダビングしてはデータを印字。……ったく、休みの初日に何やってんだか。 風邪のせいか、積極的に何かをしようとする意欲ほとんどなし。日記も夜になって、ようやく書く気に……。 8月28日(日)快晴 夜中に何度も目が覚める。ノドの痛み。こりゃ風邪が悪化したか。躰道の稽古に行こうと早めに寝たのだが、これではこじらせてしまう。 やむなくY先生に休みの電話を。 9.00起床。午後、少し体調がいいので、秋葉原へ画像安定装置を買いに。休日のアキバはつくばエキスプレスが開通したせいもあってか、大混雑。流行のメイド姿の女の子がティッシュ配り。一緒にケイタイカメラで記念撮影する若い男の子たち。 雑居ビルの4階のガレージ店で画像安定装置1万8000円。これで、古いVHSもきれいにダビングできるか? 帰宅して、装置を作動させるが、思ったほどの効果はなし。というか、ほとんど変化は見られない。劣化したアナログ・ビデオをデジタルにダビングしようとしても、ブラックアウトや画像の乱れは補正されない。 この手の画像安定装置の本当の目的は、コピーガードの解除にあるのだろう。残念ながら、「MISIMA」の古いテープを安定したデジタルには変換できず。 「MISHIMA」の中で白眉はやはり、市ヶ谷の自衛隊本部でロケした演説シーンか。 休みというのに、体調が悪く、気力も衰え、「休みになったらやろう」と思っていたことが何もできない。PM9就寝。 8月27日(土)快晴 仕事を終えて、PM3、ベニサン・ピットへ。ドイツ人演出家、トーマス・オリヴァー・ニーハウスによる三島由紀夫「近代能楽集 道成寺 一幕」。 「ファッションショー」での幕開けという奇抜な演出。ファッションの意匠は日本の中世武士社会から近代まで。 セリフは原作通り。内側が鏡張りの巨大な衣装ダンスがオークションにかけられており、進行役(塩野谷正幸)によって、次第に値が吊り上げられる。そのとき、一人の女性(中島朋子)が現れ、そのタンスの由来を語り始める。そのタンスの中で、一人の男がピストルで撃たれ、死んだという……。 ドイツ人演出家の手によるスタイリッシュでアクティブな現代劇。tpt常連の中島朋子はテレビの子役から脱皮し、いい女優になった。塩野谷正幸はヒトラーを意識した造形? お約束の「額叩き」に微苦笑。 PM4.15、終演後、居合わせた山口の銀行員M氏と一緒に楽屋へ。塩野谷氏はすでにピット・インで食事中。しばし談笑。つい最近「憂国」の元ネガが発見されたというニュースがあったが、塩野谷といえば、森田必勝役で出演した、ポール・シュレイダー監督の「MISHIMA」を想起する。未見なのだが……。その話をすると、「今、ビデオ持って来てますよ。トーマスに見せようと思って持ってきていたんです。よかったらお貸しします」 というわけで、塩野谷氏から「MISHIMA」のビデオを借りることに。日本では一般公開していないはず。ビデオも海外版があるだけとか。 M氏は新宿ワシントンに宿泊。いつもながら、芝居を見るためだけに上京するその熱意には感心する。今日は夜も同じ芝居を見るとか。 PM6帰宅。 マンション自治会の夏祭り。駐車場の一角にやぐらを組み、テーブル・椅子席が並び、即席のビアガーデン。歌と踊りのパフォーマンスが9時過ぎまで。 体調が悪いので早めに退散。10時就寝。 8月26日(金)晴れ ノドに違和感。夕方になるにつれ声がかすれる。風邪か。仕事を終えて速攻で近所の病院に行き薬をもらってくる。体がだるく、一旦会社に戻ってから渋谷へ。 PM7、パルコ劇場で「ドレッサー」。西村雅彦のオーバーアクトの意味が最後までわからない。まるで劇中劇のような芝居をする必然性があるのか? それとも風邪薬の副作用で時折り、睡魔に襲われた当方がどこか芝居の流れを見落としているのか? 体調すこぶる悪く、並びの席の七字、高橋両氏に挨拶しただけで、帰りは急ぎ足。高橋さんに、今日の芝居の感想を聞きたかったのだが。 8月25日(木)雨 台風接近。朝から大雨。PM3、晴れ間を見て、K記念病院へ。定期検診と鍼治療。 秋葉原に寄って光学式マウスを購入(2289円)。今使っているマウスが使いにくいため。 PM6帰宅。 子供の夏休みもあとわずか。宿題のやり残しの多さに慌てているが、さて……。 地方紙のweb版をのぞくと、高校時代の現国の教師で、映画研究会の顧問だったY先生(定年退職)が共産党候補として、市長選に出馬するとの報。反戦映画「ひとりっ子」や「若者たち」を上演したのも、Y先生だったか。党派の人とは知らなかったが、以前から核燃問題に取り組んでいた。教組活動家だったため、最後は定時制高校の教師で終わったが、今回も勝ち目のない戦い。しかし、核燃を争点に、善戦してほしいものだ。 8月24日(水)晴れ 9.00起床。11.30、歯科医院で定期健診。1.30、タワーレコードでジムノペディの新譜「夢ならクリムゾン」購入。 帰宅して、夕方までDVDの整理。中身を確認してタイトル・ラベルを印刷する。これが結構時間がかかる。 寝る前に、桑田次郎の「悪夢の使者」を読む。ほとんどが1969年頃の作品。「まぼろし探偵」「月光仮面」の桑田次郎だが、その絵のうまさ、デッサン力の素晴らしさは子供の頃には気がつかなかった。桑田次郎の描く女性の美しさよ。今なら「萌え」というんだろうなぁ。「超犬リープ」の連載が始まったのが10歳の頃。小学4年か。あの頃は、マンガの模写ばかりしていた。「超犬リープ」もノートに何度も模写したものだ。貝塚ひろしの「ゼロ戦レッド」は、丸々、ページごと模写して綴じ込みにしたっけ。 子供の頃、アトムのようなロボットを作る科学者になるのが夢だったが、マンガを書く人になりたかった時期もあった。 桑田次郎のマンガを見るとその頃の記憶がふつふつとよみがえってくる。 あの頃の自分は今どうしているのだろうか……。 8月23日(火)雨 雨模様。 PM3.30、仕事を終えて新宿へ。 3.55、新宿武蔵野館で映画「ヒトラー 最期の12日間」。紀伊國屋裏のチケットセンターではすでにチケット完売。映画館に電話すると「今の回、座席はあと10個くらいしか残っていませんからお早めに」の答え。 キャパ133とはいっても、平日昼の映画館は大劇場でもせいぜい20数人。それが大入り満員とは。 あわてて駆けつけると、確かに満席。残席は10席余り。それも、前列と2列目の見えにくい席。なんとか2列目の端から3つ目を確保。その後、続々と入場者が座り、見る間に完全満席。客席を見渡すと半分は中高年。それも、夫婦が多い。 2時間25分と聞いてやや怖気づいていたが、とんでもない。映画の求心力の強さに、エンドロールが出るまであっという間。 物語は、ヒトラーの秘書に採用され、最期までヒトラーと行動を共にしたユンゲ(ナチ旗揚げの地・ミュンヘン出身なのが気に入られたらしい)の証言を元に、ヒトラーと側近、高官、SSらの最期の12日間を描いたもの。 ヒトラーが籠った地下要塞は、ベルリンの首相官邸地下の要塞。それは、地下20メートル、コンクリート壁の厚さ1メートルという天皇の宮中防空壕に匹敵する完璧な要塞。 激戦が続き、何十万もの市民が死んでいく地上の阿鼻叫喚とは別世界といえる。 そこから指令を出すヒトラー。もはや敗色は濃厚で、ヒトラー自身もそのことに気付いていながら、無謀かつ妄想の作戦指令を出し続ける。 その間に、ソ連軍の侵攻によって軍・市民の犠牲はさらに増えて行く。 ヒトラーに市民の防衛を諫言しようとする軍高官に対し、ヒトラーはこう言う。 「戦時に市民など存在しない!」 「ウソも百回言えば真実になる」と豪語した宣伝相ゲッペルスとヒトラーがいみじくも同じセリフを吐く。 「我々は強制したおぼえはない。国民が我々を選んだのだ。この結果は彼らの責任だ」 それにしても、ゲッペルスの妻の鬼気迫る演技。 「ナチズムのない世界に生きる希望はない」と、幼い自分の子供たち(息子1人娘4人)を次々と毒殺する。まず、睡眠薬を飲ませ、寝入ったところを、一人ひとり、口をこじ開け、毒カプセルを飲ませるのだ。カプセルの割れるカチッという音が凄惨。 まさに、ヒトラーに忠誠を尽くしたナチズムの母。この子殺しにはさすがのゲッペルスも毒気を抜かれたような表情。 明治天皇に殉じて死を選んだ乃木大将が自分の妻を道連れにした事件(覚悟の自決と発表されたが、実際は死にたくないと逃げまどう妻を無理やり惨殺した無理心中だったとは山田風太郎)と同じメンタリティー。 異論はあろうが、やはりPANTAの言うように見るべき映画ではあった。 ただし、映画の陥穽は、観客の視点を主人公(ヒトラーとドイツ軍)に同期させてしまうことにある。それゆえ、命を賭して医療活動に従事する軍医や、ヒトラーの意思に反して、無謀な軍の移動を止めた軍人がヒロイックに描かれることは一面で危険。また、ドイツの視点で見ているので、侵攻してくるソ連兵があたかも「悪者」であるかのように見えるのは映画のトリック。 見るものは常に映画の「主役」の視点から「映画を感じる」。卑近な例だが、ヤクザが刑事ドラマを見ながら、つい警察を応援する心理と同じ。 それにしても、ヒトラーを演じたブルーノ・ガンツの素晴らしさ。いつも同じ役どころしかオファーがこない日本の役者はかわいそう。 映画の最後に、ユンゲ自身(故人)がインタビューフィルムで登場し、こう語る。 「当時は何百万人ものユダヤ人が殺されたことも知らなかった。私はただヒトラーに仕えただけと思っていた。でも、あるとき、一人の女性の墓碑銘を見ました。彼女は私がヒトラーの秘書になった年齢で殺されたのです。彼女の人生を思い、私が間違っていたことを知りました。若かったから、知らなかったからと許されることではない。もう少し、目を見開けば自分たちが何をしたのか、気付くはずなのです」 この言葉を、果たしてこれから先、我々が再び口にする日がないと断言できるだろうか。 PM6.45終映。大急ぎでハンバーガーをほおばり、PM7、紀伊國屋ホールで「赤い月」。 初日とあって、客席に作者のなかにし礼氏の顔。 第一幕は主人公・波子の子供である美咲と公平が60年前の波子の波乱の人生を回想する、という構成。 しかし、これが鵜山仁の演出かと思うほど雑駁。満州帝国が崩壊し、関東軍がいち早く逃げた後、取り残された民間人である波子ら満州の一大酒造店の一家が、軍事列車で逃避行するわけだが、この逃避行がまるで遊園地のアトラクションに乗っているような軽さ。軍人一家の妻娘はあでやかな和服姿で乗り込んでいるが、戦時中にこんなのあり? ソ連兵の略奪・レイプシーンには「インターナショナル」がBGM。なんという安直な音楽使い。 戦争を描くには普遍性がなければただの「自慢史」にしかならないが、ほかの民間人が、食うや食わずで命からがら、逃げ惑っているとき、諜報機関員の手引きで、軍事列車に乗って脱出とは。満州に渡り、酒造店として大成功したのも、関東軍参謀の大杉なる人物と波子がただならぬ関係だったから。長編小説を3時間弱の舞台にまとめるのは大変な作業。それを原作者に委ねたのが大きな間違いではないか。一幕はその欠点がモロに出たようで、まるで、2時間ドラマのダイジェストを見ているような展開。あまりの陳腐さに苦笑するばかり。 ところが一転してニ幕は、波子の「生」へのエゴイズムに焦点を当て、諜報機関員・氷室との愛、夫との愛憎、子供たち、ことに上の娘との対立、そして、戦争がもたらす惨禍への告発……と転調する。一幕は、状況説明、ニ幕は肉付け……か。ちょっと不均衡すぎないか。ともあれ、ニ幕は役者も芝居の見せ所。氷室役の若手・長谷川博己の芝居も締まって、舞台は破綻なく大詰めを迎える。休憩15分を挟み、10時まで。 公演を企画・立案した平淑恵はカーテンコールで大泣き。ロビーに山田吾一、加藤武らの顔。 幕間に、評論家のA氏とおしゃべり。A氏の姉一家となかにし礼の家族との60年前の秘話(というほどのことでもないが)をいくつか聞く。 小学生の礼氏、満州に帰りたくて家出をしたこともあるとか。 PM11・30帰宅。 8月6日、小泉首相に解散回避を直談判するため公邸を訪れた森喜朗。小泉首相に断られ、潰したビール缶片手に報道陣にボヤく姿がテレビで放映されたが、「あれは全部、首相発案の芝居だった」と森本人が週刊朝日の田原総一朗対談で暴露した。 「『外に出てマスコミになんて言うかな』と言うと、(小泉首相は)『怒って出てくれ』と」「反対派のみなさんに、総理は『否決なら解散』という警鐘を打ち鳴らすというポーズが必要だったのです。だから握りつぶしたビール缶を持っていくよ、と」 こんな猿芝居しか書けない小泉。それに乗せられる大マスコミ……。 8月22日(月)快晴 田中康夫知事が新党「日本」の代表に就任。参加議員は小林興起、滝実、青山丘の各前衆院議員と荒井広幸参院議員の計4人。 「日本」などという大時代な党名はあまり感心しないが、康夫知事一流の戦略だろう。先週の火曜日、某所で姿を見かけたが、1人で連れもなし。そのフットワークの軽さやよし。 しかし、一般紙はどれも「なんとなく旗揚げ」「選挙対策党」と、反応は冷ややか。毎日新聞夕刊では「知事との兼務に疑問」との小特集。しかし、欧州では地方政党の党首と首長が兼務しているのは普通のこととか。 それよりも、石原・東京都知事が1週間にたった2日しか登庁しないことの方を追及したほうがいい。週休5日でも都知事を勤めていられるのだから、ヤッシーが県知事と兼務することのどこが問題か。ひきこもりの都知事よりも、フットワークの軽いヤッシーの方がキチンと仕事している。 PM5.30、石D信之氏から着歴。電話すると「今日、赤プリで新ミラーマンの制作発表があったんですよ。○○さんに来てもらおうと思っていたのに、ばたばたして、失念しました。来年、映画版で公開されるんですって。DVDも出るとかで、そのインタビューこれから撮るんです」とのこと。 PM6帰宅。 8月21日(土)快晴 7.00起床。躰道稽古へ。真夏の稽古のきついこと。最初の10分で体力消耗。正午までやったらヘトヘト。 いったん帰宅し、シャワーを浴びてから鶴見のライブに……と思ったのだが、家に戻ると、頭痛。小一時間少し横になり、さて、出かけようととしたら子供が「夏休みの宿題を教えて」。そんなこんなで午後3.30。駅に向かうも、着いた頃にはライブも終わっている。途中で断念。 頭痛がひどくなったので、ベッドで仮眠。そのまま夕食時まで半睡状態。 7時に起きて夕食。Qさんから録画してもらった「田原総一朗スペシャル 敗戦後60年 私たちは間違っていたのか」を見る。 番組は「アメリカに押しつけられたといわれる憲法」の「平和主義」が実は日本側からのアメリカへの陳情によるものであったという衝撃的な事実を明らかにする。 それは、国会図書館の憲政資料室から見つかった1954年から1955年にかけての30時間に及ぶ関係者の録音テープによる。 その中で、第一次吉田内閣の憲法担当国務大臣・金森徳次郎が、「巣鴨プリズンから白鳥敏夫元イタリア大使が出した手紙が憲法の戦争放棄を明確に陳情していた」と証言している。 白鳥敏夫元イタリア大使は日独伊三国同盟を推進、「皇道外交論」を唱えた枢軸派外交官として知られる。 手紙は幣原総理ではなく、吉田茂宛に出されたもので、極東軍事裁判の証拠として出された。 巣鴨に入所する前に白鳥と吉田が新憲法について意見を取り交わし、その後、白鳥が巣鴨から出した「意見書」を吉田が幣原に取り次いだという。 手紙の原文は英文で日付は12月10日。長文の手紙の後半に「戦争放棄」(renouncing war)の表記が見える。 GHQの検閲により、手紙は1月20日まで、留め置かれ、20日に解除。24日の幣原・マッカーサー会談の前に幣原の元に届けられた。 英文で書き、GHQの目をひく白鳥の深慮遠謀が功を奏したというわけだ。 なぜ、天皇主義者の白鳥が「戦争放棄による恒久平和」を憲法の主軸にしようとしたか。 雑駁な言い方をすれば、「戦争放棄」を盛り込むことによって、「天皇制」を守ろうとしたと思われる。 極東軍事裁判において、天皇を戦犯として訴追することを主張するソ連、オーストラリアを押さえ込むために、アメリカは「日本はすべての軍備を放棄し、恒久平和の道を歩む」ことになった、と宣言しなければならなかった。 つまり、マッカーサーにとって「天皇は100万の軍隊に匹敵する。戦後の日本統治を円滑にするには天皇制を遺すことがアメリカにとって必要だった」わけだ。 憲法第1条と9条は密接不可分な関係にあったといえる。 ありていに言えば「天皇制護持」と憲法9条はバーター関係にあった。天皇は「9条」によって訴追されることなく救われたといえる。 9条第一項と第2項を入れ替える草案もあったという。これは、自民党が解釈する「自衛のための軍備」も認めない「完全なる非武装」が憲法の精神であることの証拠。 アメリカが認めた平和構想は朝鮮戦争勃発によって日本の「再軍備」となって変質していくわけだが、憲法制定時には少なくとも、日本自ら「戦争放棄」を憲法の精神に盛り込んだことは確か。アメリカからの押し付け論は破綻する。 番組にはアメリカの前国務副長官アーミテージが中継で出演。 西部邁のアーミテージに対する質問「日本が平和を希求する国家であることが国際的に認められたとき、自国を防衛するために、戦争抑止の手段として、核武装する資格はあると思うがいかが」に対し、「ちゃんとした国なら核兵器を持つことを避けてきた。それは核を持つことによるトラブルを呼び込むから。自らを標的にしてしまう。それよりも、アメリカの庇護の下にあったほうが、日本にとっていいこと」には笑ってしまった。 親米ウヨが、いくらアメリカに追随しても、日本の核武装を許さないよと、いうわけ。 関東では午後2時から、関西では深夜放送された番組。こういう番組がプライムタイムに放送されないというのが日本人の不幸ではある。 PM10就寝。 8月20日(土)快晴 午後4時まで会社。PM5.氷川台のKさん宅にお邪魔する。大阪からQさんが来ているため。PM6、Hさんと一緒に焼肉屋へ。4人で焼肉オフ。PM9まで。 8月19日(金)快晴 PM4.30、銀座、山下書店で松本清張「昭和史発掘6 二・二六事件」。 PM5、新宿。肩こりがひどいので「癒処」でマッサージ。ヘタな担当者に当たってしまい、銭失い。 PM7。下北沢。「劇」小劇場で三田村組「分署物語4 かしらー なかっ!!」。シリーズ最終作。 隣席のG・エルディのS戸さんと開演前におしゃべり。帰りにピンクアメーバのN元絵里子さんがいたので挨拶。次回公演は11月とか。 ヴィレッジヴァンガードに寄ってケイト・ブロウ「ファイヴ」購入。 小泉首相の「ブレのなさ」はどこから来ているのか。普通の人間は、自分の行為がもたらす結果について多少なりとも想像をめぐらし、躊躇・逡巡するものだが、就任以来の小泉にそんな人間らしい感情は皆無。自分の行為にまったくブレがない人間というのは、病んでいるか、あるいは、自分の行為に主体的でないのかのどっちか。つまり、小泉は誰かの操り人形だと考えると一番納得できる。常に誰かの指示に従っていればいいのだから、ためらいなどない。どっちにしても一国の首相たる資質など持ち合わせていない人間であることは確か。 PM10.20帰宅。 8月18日(木)快晴 猪口邦子まで引っ張り出して、ますます加熱する小泉・女刺客攻勢。対する「反郵政派」は新党「国民新党」結成。いかにもドロ縄。悪代官顔の綿貫が水戸黄門の印籠を掲げても、逆効果だろう。 しかし、こんな愚劣なバカ騒ぎに熱狂する国民が多いというのがさらに不思議。「改革」VS「守旧」という対立を生み出して、「人気投票」的な選挙にするのは小泉のいつものやり口。仮想敵国を作り出して国内の不満を抑え込む国家の手法と同じ。 結局、得をするのは、対立軸上にある二大勢力。このままでは、自民と元自民の旧保守陣営が民主を蹴散らして大幅議席増になるのは確実。大衆は水戸黄門に代表される単純な二項対立が大好き。善か悪か、改革か守旧か。 普通なら、「女」を武器にする「刺客策」など、女性蔑視と大反発を受けかねない。それが、小泉がやると、大衆は押し黙ってしまう。「カッコ」だけで大衆を扇動する典型的なポピュリズム政治家。こんな仕掛けが成功するということは、国民がいかに低レベルになってきているかという証拠。以前、「疑似餌に食いつく国民」と言い放った政治家がいたが、「郵政民営化」という疑似餌に食いついて、あげくは生殺しにあうのは目に見えている。 選挙後の勢力地図は改憲勢力が絶対多数を占めているはず。この騒動、小泉と亀井らが手を組んで打った大芝居だとしたら……。小泉にこんな脚本が書けるか、あるいは……。 しかし、連日この騒動が続くと、いい加減、反動がきてもよさそうなもの。ホリエモン出馬がそのターニングポイントになると見るのは甘いか。「いくらなんでもやりすぎ」と人心離反に……。 PM4.20、K記念病院で鍼。6.00帰宅。 夜中まで蝉時雨。 8月17日(水)快晴 10.00起床。家族で三郷の三郷MOVIXへ。近場で「妖怪大戦争」をやってる映画館がないため、少し遠出。 駅からタクシーで10分。郊外にできた複合映画館。「田んぼの中に立つ小さな映画館」を想像していたのだが、巨大なショッピングモールの中の一角。12のスクリーンが並び、それぞれキャパ300弱。スクリーンも銀座の大劇場並み。緋色の絨毯、ピカピカの椅子。なんとも豪華。チケットを買うだけで長蛇の列。開映25分前に着いたのだが、チケットを買うだけで25分経過。ぎりぎり滑り込み。 毎回、子供と一緒に行く映画は半分眠り込んでしまうのだが、今回は言い出しっぺであり、興味を引かれていたので最後まで寝ることなく楽しむ。 三池崇史監督の正攻法少年成長ドラマ。昔はこういう映画がたくさんあったのに、今はやたら変にヒネこびた映画が多く、素直に楽しめる映画が少ない。その点、この映画は「昔の少年」でもワクワクドキドキできる正統派特撮映画。 水木しげる、荒俣宏、京極夏彦、宮部みゆきのチーム「怪」が脚本に参加したことがまず勝因のひとつ。 今回の妖怪戦争で相対するのは、人間に棄てられた廃棄物の怨霊が宿る「機怪」なる妖怪を操る加藤保憲。なんと、「帝都物語」の魔人・加藤が水木しげるの妖怪戦争に登場するというメディア・コンプレックスの妙。豊川悦司がいい味出してる。 日本妖怪の総大将・猩猩役の近藤正臣、河童の川太郎役の阿部サダヲがまた素晴らしい。加えて、加藤を慕うあまり、妖怪を裏切り、加藤の手下になっているアギ役の栗山千明、加藤の使う人形が前身だった川姫役の高橋真唯の色っぽさ。個々のキャラクターを見ているだけでも飽きさせない。 ぬらりひょん役の忌野清志郎は素人芝居だから、まあいいとして、油すましの竹中直人と佐野史郎の芝居は毎度の事ながらクサすぎて浮いてしまう。それに比べて、あずき洗いの岡村隆史、編集者役の宮迫博之の演技の確かなこと。演技系よりもお笑い系の方が格段に映画に溶け込んでいる。 後でキャスト表を見て気がついたのだが、学校の先生役が宮部みゆき。これは驚き。映画を観ているとき、「この女優は誰だっけ? どこぞの中堅女優か」と思っていたのだった。それが宮部みゆきとは。あの演技なら作家やめて役者でも食える。 ……とまぁ、役者を見るだけでもうれしい映画だが、なんといっても主役の神木隆之介につきる。まさしく天才。田舎に引っ越してきた都会のいじめられっ子の表情から、次第に妖怪と共に日本を救う「麒麟送子」として成長していく過程をその表情ひとつで表現する。シーン毎にクルクル変わる豊かな表情が素晴らしい。見事の一言。 ストレートに主張するのではなく、物語の端々に、静かな願いを織り込んだエンターテインメント。 「過去を忘れた人間に未来はない」 限りない欲望の果てに、愚かしく誤った過去を美化する人間に対して妖怪が言い放つセリフ。「新しい教科書」を信奉する人々にはぜひ見てほしいもの。 映画のクライマックスで、水木しげる御大が、「戦争はやっちゃいかん。腹が減るだけだ」と喝破するのが、この映画の要諦。 全国の妖怪たちが東京に結集するのも「お祭りがあるらしいゾ」との情報が伝播したことにによる。決して、「戦争」するために、妖怪たちが結集したわけではないとのヒューマニズムの徹底が好ましい。 それにしても、菅原文太が恍惚の老人を演じる日がやってこようとは……。かすかに胸が痛い。 終映後、ガーデニングなどを見て帰宅。松の盆栽1万数千円。 6.30帰宅。 英でテロ捜査中に起こった誤射殺のブラジル人、ジェアンシェルレス・ジメネデスさんは「厚手のコート姿で不審な行動をした」ことから誤射されたと報じられていたが、実際は薄手のデニムの上下を着ていて、爆弾を隠す余地があったとは見えなかったと、16日の英民放ITVが報じた。 目撃者によれば、ジメネデスさんは地下鉄の改札を定期で通過、ちょうど列車が入ってきたため、走って電車に乗り込んだという。そして着席して間もなく、追いかけてきた警官に至近距離から射殺された。 警視庁の発表では「職務質問をしたら、改札口を飛び越えて逃げ出した」としていたが、ITVの放映した現場写真などから、警察のウソが暴かれた。権力の発表を鵜呑みにするのは洋の東西を問わずだが、きちんと検証し、当局を問い詰めるのはさすがに英国マスコミ。権力とマスコミが癒着したとき、国民は真実から永遠に遠ざけられる。マスコミ報道を規制しようとするのは、その一歩。報道殺しに加担するのは自分の首を絞めるのと同じと考えたほうがいい。 8月16日(火)晴れ お昼近くに地震。社内で誰よりも最初に気づく。揺れは大きくなり、しかも長時間。東京震度4。宮城では震度6。マグニチュード7.2。大きな被害が出ている模様。 女川原発も停止。大きな地震があると、真っ先に原発事故を心配してしまう。地震大国の日本。こんな狭い国土にひしめき合う原発。一基でも重大な放射能漏れ事故を起こしたら、日本は壊滅する。 放射能は目に見えない。しかし、目に見えなくたって、花粉症を考えれば、放射能漏れ事故が起こったら、程度の差こそあれ、どこに逃げても同じということがわかる。 この狭い国土に原発を作ること自体が間違っている。 S氏が首相、皇太子の万博訪問の際、撮ったツーショット記念写真を、田舎の父親に送ったところ、大喜びされたとか。「親孝行」なS氏。 親孝行……賞や顕彰の類とはまったく無縁だったから、そういったもので親孝行したことはなかった。なにか親を喜ばせるような顕彰でもあればよかったか。 しかし……自分の子供のことを考えると、そんな「賞」だの「名誉」だのに期待する気はまったくないし、子供は健康に育ち、普通の生活をしてくれれば、それに勝るものはないと思う。 両親もそう思っていたんだろうが、でも、やはり何かで喜ばしてやりたかった……。 ホリエモンが自民党から出馬するという。午後にも正式発表予定だったが、宮城地震のあおりで延期。狂わされたタイミング。悪いことはできない? PM7、新宿。紀伊國屋サザンシアターでG2プロデュース「おじいちゃんの夏」。 お父さんは会社をリストラされ、お母さんはサラ金に手を出し1000万円の借金。家族の窮状を救おうと、小学生のあゆみチャンは賞金1000万円のクイズ番組に出場しようと猛勉強。パートナーはおじいちゃん。少々ボケ気味だったが、ある日、ふとしたはずみで、大学教授時代に逆戻り。これで百人力。しかし、やくざの娘で、イジワルな同級生が二人をワナに……。果たして、2人の運命は? ファミリー劇場とあって、客席には夏休みの小学生たちの歓声も。小須田康人がおじいちゃん役。武藤晃子が主役の小学生。イジワル少女に小沢真珠。子供も大人も楽しめるアットホームな物語展開。小沢真珠はあまりにもヘタ。 書店で近藤ようこのエッセイ「後には脱兎の如し」、桑田次郎「悪夢の使者」。 PM9終演。PM10.30帰宅。 8月15日(月)晴れ 敗戦記念日。やはり、終戦記念日とは言い換えたくない。例えば、イラクの人たちが米・イ戦争終結時に、「終戦記念日」と言ったら、我々は奇妙な印象を受けないだろうか。イラクは負けたのであり、自然に戦争が終わったのではない。日本も負けたのであって、戦争がなんとなく終わったわけではない。敗戦を終戦と言い換える国民性は、またぞろ戦争の準備をすることになる。 小泉内閣の支持率がさらにアップしたと、朝刊紙。 「郵政民営化は必要だけど……」と枕詞にする人たちは、「青空は赤くないね」と言ってるのと同じ。その言葉に意味がないことに気がついてない。まるで民営化がアプリオリなものと考えている。 この「改革」という言葉に無批判に同調する人たちが小泉人気を支えていることの不思議。「改革」の中身が「改悪」であっても、彼らは「変わればいい」と思っている。 「政治の仕組みが変わること」が小泉内閣の支持理由というが、その「変わること」が弱者切り捨て、優勝劣敗、個人の自由と尊厳を規制されるファシズム体制でも「変わった、よかった」と喜ぶのだろうか。 年収2000万円以上を勝ち組と呼ぶらしいが、小泉「改革」の恩恵を受けているのは国民全体のほんのわずか。200万円以下は17lもいる。それなのに、「その他大勢組」が小泉「改革」を支持する。世の中、まったくわからないことだらけ。 PM5帰宅。夜、子供と虫捕り。去年まではまだ空き地が残っていた「虫捕り場」は舗装され、広い道路が通り、信号までついている。トノサマバッタの生息地は新築住宅が立ち並び、樹木は切られ、駐車場が広がっている。来る度に景観が変わり、もはや昔の面影はない。わずかに残った草地に足を踏み入れ、懐中電灯で虫探し。小さなショウリョウバッタとカエルの子供が顔をのぞかせる。町灯りの中の小さな空き地。 遠雷の音に、腰を上げ、家路に。子供は自転車の荷台に立ち乗り。いつまでこうして子供と遊べるのだろう……などと少しだけ感傷的に。PM9帰宅。 今日でお盆は終わり。この頃、やけに田舎の家が気にかかる。10年後、20年後、どうなっているのか。 そういえば、先日会った宇宙工学のTさんが言ってた。「30億年後には地球は銀河系と衝突して消滅します」「その前に直径400`級の彗星が衝突して地球が融けてしまう確率のほうが高いです。今、それを回避するために、火星移住などの選択肢が真剣に考えられているんです」 30億年後の地球。火星への移住。しかし、それよりも今は……。 たまたまNHKにチャンネルを合わせたら、「戦後」をめぐる一般市民の討論会が行われている。1人の20代女が「(1910年の日韓併合=朝鮮侵略、について)貧しく、遅れていた国を助けただけ。朝鮮人に教育を施すために日本は大きな出費を強いられた。朝鮮人は日本に感謝すべきだ」と言っている。女の発言に拍手が沸き起こる。日韓併合を正当化するオタク・ウヨの決まり文句。おそらくこの女も宗教ウヨクの片割れなのだろう。 ニ昔前なら、こんな発言をしたら木っ端微塵に粉砕されていただろうが、物分りのいいNHKはこんな輩の発言も公平に扱う。 「彼らは魂が穢れている。その不浄な魂を浄化するために、ポア(殺人)した。どこが悪い」とは坂本一家皆殺しのオウムの言い分だったが、先の20代女の言い分とソックリ。 難詰しようにもテレビの向こう側。イラダチのみが募るので、テレビのスイッチを切る。あんな発言が、テレビを通して堂々と行われる時代。すでに不気味さを通り越している。 8月14日(日)快晴 暗いうちから蝉時雨。 昨夜は10時前にシャワーも浴びずに寝てしまう。躰道稽古も休みなので十分に朝寝坊。 田舎の従妹に電話。お墓参りをしてくれたそうで、感謝。しかし、父が大事にしていた花壇の小ぶりの松の木が切られて放置されていたとのこと。一気に憂鬱に。 ただでさえ、1年に1度の帰省という非日常への逃走ができずに悶々としている身にはこたえる。 田舎の太陽と水と空気。ゆったりとした時間の流れに浸りたい……。 午後、家人と買い物。荷物が重いので子供たちに電話すると口では「宿題やってるからイヤだよ」と言いながら、5分後には2人で、こっそり自転車でかけつけてくる。ささやかな幸福感。 田舎にいるのと同じように、昼からビール。帰省のない夏のなんと味気ないこと。 8月13日(土)雨のち晴れ 5時起床。2時間の仮眠で、頭朦朧、体ボロボロ。 それでも、会社に行くと、過労ゆえのハイ状態か意外と仕事さくさく。 PM3、日比谷野音へ。朝から雨で、どうなるかと思ったが、午後にはすっかり雨もやみ、セミの鳴き声が会場に響き渡る。 「戦後60年記念集会・いぎナシッ!?〜“ 日本を元気にした詩 ”」。 頭脳警察、遠藤賢司、中川五郎、町田康グループ、セ・シアン(早川義夫・佐久間正英)、制服向上委員会、PANTA&中川五郎 with SKiというミュージシャンに加えて、福島みずほ、宮台真司、ピーター・バラカン、小西克哉、藤井誠二、高取英らがトークを。 こんなに刺激的なメンバーが一堂に会するのはめったにないこと。 3時に会場入り。3.50、SKiのメンバーによる前口上。ちょっと客席はさびしい。お盆、帰省、東京湾花火……諸々の悪条件が重なっているのだろうが、それにしても……。若い連中は硬派なテーマのイベントを敬遠するのか。 最初は、PANTA、中川五郎、SKiの「理想と現実」。続いて社民党の代表・福島みずほとSKiメンバーのトーク。ピンク色のスーツ姿の福島さん、SKiとは10年来の知己とか。「戦後60年が憲法改正の年にならないように、一緒に頑張りましょう」とエール。 中川五郎は、いつもは議員の影に隠れて、頭を下げている妻が、今回の選挙で主役になっていることへの皮肉をひとくさり。 「女性が前に出ることはいいことだけど、自民党が本当に女性の地位を上げることを考えているとは思えない」と。 曲は「男の影に女あり」「死んだ息子が帰って来たから」「30歳の子供」。 戦争から死体となって帰ってきた息子の姿を歌う「死んだ息子がーー」は「腰まで泥まみれ」と並ぶ反戦歌の名作。 定職につかず、自分のやりたいことを追及し、自由を夢見る男を歌った「30歳の子供」は中川五郎自身を投影したもの。叩きつけるような激しいギターワーク。飛び跳ねる中川五郎。56歳。 考えてみれば、中学、高校時代に聴いたフォーク、ロックの先駆者たちが今目の前に現役でいるわけで、よくよく思えばこれはすごいこと。しかも、さほど自分と年齢は変わらないのだ。この世代はやはり、性根が違う。 さて、続いてのトークは高取英。相手はSKiの松尾真冬。「最近マナーが悪い人が増えてますけど、道路にゴミ捨てるのはよくないですよね」に対して「ゴミはよくないけど、ゴミが落ちてないのはもっとよくない。嫌煙運動もナチスが始めたんです。日本も危ないですね」 かみ合わない二人のトークに場内大ウケ。 20年前のJAL機墜落の話をふられた高取氏、「あれは自衛隊の誤射ですよ。だから米軍機が引き返したんです」 後で、「なんでみんな笑ったんでしょうね」と高取氏。会場の人は冗談だと思ったらしい。 高取氏のトークの後、楽屋に行って、PANTA、高取氏と歓談。 映画「ヒトラー 最期の12日間」にいたく興味をそそられたというPANTA。「あんな映画見る価値ないです」という高取。今度見に行って確かめてみよう。 高取氏は脚本家の山田正弘氏が11日に亡くなったことでショックを受けているとのこと。ザムザ阿佐ヶ谷で月蝕歌劇団の芝居を見た後で紹介されたのが、今年初めだったか。74歳、肺がん。映画「エロス+虐殺」「告白的女優論」、テレビ「ウルトラQ」の脚本。 隣りのテーブルでは町田康がメイク中。遠藤賢司は腕組みして黙想。 ![]() 外はピーカン照りから黒い曇が広がり、やがてポツリポツリと雨粒。 舞台ではセ・シアン(早川義夫・佐久間正英)が演奏中。早川義夫のハスキー&ビブラートのきいた鬼気迫るボーカルが日比谷にこだまする。次いで、ピーター・バラカン氏とPANTAのトーク。雨足は強まるばかり。 町田康グループのライブ。熱狂的なファンがステージを取り囲み、雨に濡れながら「町蔵!」の声援。パンキッシュなボーカル&演奏はさすが。 会場は一気にヒートアップ。 次のトークの宮台真司、藤井誠二コンビは「僕らは場違いですね。お客さんはドン引きでしょう」と気後れした様子。「社・共も昔は憲法改正をうたっていた。護憲はごまかし。……憲法改正は正しい……」 ちょっと意味不明の結び。拍手が起こったので、首をひねったが、これは遠藤賢司がステージにスタンバイしたため、エンケンに向けての拍手。なんとなく「場違い」のまま宮台・藤井組は袖へ。挑発なのか、ひねった言い方なのか、判別つかない宮台発言。 遠藤賢司は楽屋での寡黙な修行僧から一転、エネルギッシュなステージング。アコースティックをかき鳴らし、昔懐かしい「歓喜の歌」。エレキに持ち替え、思い切りノイズをきかせたフィードバックギターからドラムセットに腰を据え、バス・ドラミング。パンク・ロック全開。 MCでは、手にしたメモを読み上げる。「歌いたくもない歌を歌わされる世の中なんてまっぴらだ。誰が”君が代”なんて歌えるか、オレが歌うのは”我が代”なんだ!」 遠藤賢司といえば、中学時代にテレビの生放送で「カレーライス」を歌っているステージを見た印象が強い。異常なくらい恥ずかしがり屋の線の細い青年」という印象が強く、その後の「東京ワッショイ」の切れっぷりも、自己演出なんだろうなぁと思っていたが、自己演出も継続すればホンモノになる。おそらく本質は「気の弱い青年」なんだろうけど、その反骨のパンク精神はアッパレ。サッカー試合前に朗々と君が代を歌い上げるどこぞのフォーク歌手とは大違い。 PM7、エンケンの歌を聴きながら会場を後にする。最後まで見届けたかったのだが、終演までいると帰宅は9時過ぎ。お盆の初日に間に合わない。やむなく家路に。 PM8帰宅。小さな仏壇に線香とろうそくを立てる。両親が遺影におさまってしまうなんて、悪い冗談のような気がする。自分だけは「時には母のない子のように」はならないと思っていたのに。 8月12日(金)晴れのち雨 早めに仕事を終わらせ、PM3.05の新幹線で名古屋へ。途中で大粒の雨。5.04着。名古屋は晴れ。 名古屋在住のHさんが迎えにきてくれたので、クルマに同乗。Hさんの伯母とアメリカから来ている大学生のMちゃんと一緒に食事。「どんな芝居か見てみたい」とのことで、そのまま4人で勤労会館へ。 7.08、KUDAN Project「真夜中の弥次さん喜多さん」スタート。もともと二人芝居だったものを、出演者が172人という大人数芝居にしたもので、スペクタクルな演出が得意の天野天街、ツボを押さえた演出で飽きさせず。「リアル」を求めて求めてお伊勢参りに向かう二人に襲いかかる道中の悪夢と不条理な幻想。毎度のことながら、脚本が上がったのが初日。今日あたりから本格始動か。 奇妙なノスタルジック・ワールドは天野天街の独壇場。100人以上の「夕沈ダンス」はさすがの大迫力。10年以上前に白川公園で行った「高丘親王航海記」を思い出す。この公演も野外の方がより効果的に違いない。 9.20終演。天野氏の姿を探すが見つからず。声をかけられたので振り返ると、横浜の一宮夫妻。一泊して帰るとか。挨拶もそこそこに外へ。 Hさんに送られて名古屋駅へ。22.05発の新幹線に乗車。電車の中で「梶原一騎伝」。 23.40東京着。山手線に乗り換えて上野。そこから地下鉄日比谷線。0.05。 ところが、北千住に着くまでの間にも何度か徐行運転。東武線の先で落雷事故があり、信号故障とのこと。 ほぼ満員状態の電車。北千住でもホームは大混乱。ノロノロ運転でもいいから、なんとか最寄の駅までたどり着ければ、と思いそのまま各駅停車に乗ったまま発進。 しかし、小菅駅の手前、荒川鉄橋の上でついにストップ。前に発車した電車が立ち往生しているので進めないとのこと。 「すぐに動き出すだろう。せめて1時までに帰れれば、睡眠時間が取れる」との楽観をよそに、時間は刻々と過ぎ、電車はいっこうに動かない。車内放送の車掌の声も、乗客の無言のプレッシャーに、次第に語尾が震えてくる。「お急ぎのところご迷惑様ですが……ただ今会社と連絡を取って……」 1時間経過、2時間経過……時計は2時30分。すでに2時間半も電車に閉じ込められている。意外なことに、乗客は怒り出す人もなく皆、無言の行。疲労と諦め。外に出ようにも、電車の下は濁流渦巻く荒川。線路伝いに逃げるなんてムリ。黙々と「梶原一騎伝」を読み続ける。 しかも、立ち往生している各駅停車のそばを準急電車が走り抜けている。駅のアナウンスでは「準急もいつ再開するかわからないので、各駅停車に乗ったほうがいい」といっていたのに、準急は復旧か。 2.30、たった一駅を2時間半かけてたどり着いたものの、駅のアナウンスは「この先、各駅電車はどうなるかわからないので、北千住に戻って、準急・急行電車に乗り換えてください」 怒りよりも、なんとか早く家に帰らないと、眠る時間がなくなる……の恐怖が強く、隣のホームに止まっていた上り電車に乗り込み、北千住へ。なだれ込むように、準急ホームに殺到する乗客。止まっていた電車の中は疲労で床に倒れこむ人、いぎたなく眠り込む子供たち……避難民の群れのよう。 なんとか命綱の電車が動き出し、最寄り駅到着は午前3時。ケイタイメールで連絡を取り続けていた家族もさすがに全員就寝。 シャワーを浴びて、倒れこむようにベッドへ。怒涛の一日……。 8月11日(木)快晴 名古屋での天野天街演出「真夜中の弥次さん喜多さん」公演に行く予定だったが、都合で一日延期。流山児氏の日記によれば、初日は40分遅れの2時間半とか。1週間前に小熊氏に電話したら「まだ台本が上がってないんです」と言っていたが、初日はゲネプロなしのぶっつけ本番。金曜日までには時間短縮しているだろうが、最悪は、帰りの新幹線に間に合わせるために途中退席の可能性も。なんとか2時間以内に収めて欲しい。 9・11投票に向けて、いよいよ小泉の造反議員への粛清始まる。欠席・棄権組にはおとがめなしの公認、造反組には、弁明書を提出させ、郵政民営化への再度の踏み絵を踏ませる。造反派の分断。対立候補の投下といういやがらせ……。造反派に対する粛清はかつて例を見ないほど凄まじい。やはり小泉という人は「変人以上の人」だったと、造反議員も頭を抱えていることだろう。それにしても、権力の中心にいる人間の非情なこと。しかし、民主党がもう少し、「場」の空気を読めたら、「コップの中の嵐」と静観を決めずに、造反派への「情」に訴える作戦ができるものを。岡田も芸がない。 37人の造反派がどこまで切り崩されるか。もともと自民党議員など、理念ではなく権益で動く議員ばかり。最終的には、綿貫、亀井らを除いて小泉に投降となる可能性もなきにしもあらず。 PM5帰宅。駅の書店で斎藤貴男著「梶原一騎伝」購入。 PM9、NHK「そして日本は焦土となった〜都市爆撃の真実〜」を見る。 第二次世界大戦の特徴は、空からの爆撃で、都市そのものが戦場となり、一般市民が目標となる人類史上例のない凄惨な戦争であること。この戦略爆撃による市民の犠牲者は日本、ドイツ、イギリス、中国などを合せて百万人近くに達するという。 国際ルールで禁じられていた都市、および住民への攻撃が、なぜ実行されたのか。軍需産業都市のみならず、日本の主要都市が、なぜ焼夷弾の目標となったのか。機密解除された膨大な米英の空軍資料を元に、日本をはじめ世界の爆撃を受けた地を訪ねて、爆撃の実態を検証する。 丹念な取材の積み重ねから浮かび上がってきたのは、アメリカでは当初「無差別爆撃」への反対派が空軍司令部を中心に多数派を占めていたが、抵抗を続ける日本への空爆威嚇によって戦争終結を早めようという「空爆派」が台頭してきたということ。中国戦線での日本軍の残虐行為も「人道主義」のアメリカの癇にさわったという。 最後まで一般市民への無差別空爆に反対した将校は自ら主張する軍需施設へのピンポイント爆撃の失敗により職を解かれる。 こうして、市民に恐怖を与え、戦争遂行の意図を失わせるという意図のもと、日本全土への焼夷弾空襲が始まる。自分が殺す相手が見えていたそれまでの戦闘に代わって、初めて殺す相手が見えない空爆という戦争行為。いわば、バーチャルな近代戦争がこの日本空爆から始まったといってもいい。 だが、愚かしいことに、アメリカが無差別空爆に手を染めるきっかけになったのは、ドイツのゲルニカへの無差別爆撃、そして日本の重慶への無差別爆撃だった。それまでの「一般市民への空爆はしてはならない」という国際ルールを破ったのはこのファシズム2国であり、自らそのルール破りで犠牲となったという皮肉。 見ごたえのある番組だった。 8月10日(水)快晴 夜中までセミの大合唱が続いていたかと思えば、まだ夜も明けない午前3時にミンミンゼミの合唱。今年はセミの行動もヘン。 朝、玄関を出ると、足元でジージー、バタバタ。まるでゴキブリ並み。子供の頃は、セミなんて山奥にしかいなくて、ミンミンゼミなんて高嶺の花。生きてるセミを捕まえたことは一度もなかったのでは。それが、この町では、手を伸ばせば届く樹の幹で何十匹も鳴いている。セミのありがたみが少ないためか、子供たちもあまりセミ採りに興味を示さない。バナナもセミも希少価値がなくなってかわいそう。なくなって知る親の恩。今の「平和」も同じか。 毎日新聞朝刊の緊急世論調査によれば、小泉内閣の支持率が大幅アップとのこと。期待する政党も「自民党」がトップという。何をどう考えて、そう思うのか。まったく理解不能。この国のドナドナたちは、自分たちがどこに運ばれているのかわかっていないらしい。まして、奴隷商人を救世主と崇めているのだから処置なし。 10.00、息子と、その友達を連れて、S水上公園へ。雨がぱらついたものの、午後にはピーカン照り。流れるプール、波のプールなどで遊泳。寝不足なのか頭痛がするので、甲羅干しついでに、仮眠。 PM4帰宅。家族でかっぱ寿司へ。 北村想の日記に、「今は山田風太郎のモノマネ全盛時代」との記述があったが、激しく同感。本屋の一角を占める伝綺時代小説はその100%が山田風太郎の亜流、パクリの類。今の漫画家のほとんどが手塚治虫の遺産で「仕事」しているのと同様、時代小説は山田風太郎の作った奇想小説をマネしているだけ。手塚、山田がいかに空前絶後のオリジネーターかということの証明。 高橋留美子「赤い花束」「Oの悲劇 Oの喜劇」購入。高橋留美子こそ、手塚治虫の正当な後継者……。 お盆が近い。毎年、この時期、母の仏壇を飾るため、父が押入れから灯籠や鐘を出し、飾り付けをしていたっけ。「飾りつけの手順をちゃんとおぼえておけよ」と亡くなる数年前から言っていた父。 今年は初めて田舎から遠く離れた地でのお盆を迎える。提灯も五色の飾りもない。あまりにも殺風景で可哀想なので、ダイエーで小さな回り灯籠を買ってくる。喜んでくれるだろうか、父と母は。 8月9日(火)快晴 郵政法案否決、衆院解散から一夜明け、マスコミの関心は総選挙の帰趨。 新聞紙上では「解散するな」とコイズミ首相に直談判した森喜朗が、拒否され、小泉を評して「変人以上だ」と言ったというが、森にそんな文学的な表現ができるわけばない。実際の2人の話し合いでは、 森「あんたはキ○○○だ」 小泉「それで結構」 というやり取りがあったという。 同じような頭の構造の二人。どっちもどっちだ。 自分の思い通りにならないと、衆院解散という強権行使に走り、欲しいものを手に入れようとする。まるでダダっ子そのもの。 かつて妊娠中の妻を追い出し離婚。その子が大きくなって会いにきても門前払いしたというコイズミ。この人に「情」という字はない。 PM5、肩こりがひどいので、耐え切れず、渋谷「癒処」でマッサージ。このチェーン店は全体的に縮小経営方針なのか。渋谷店もまた店舗が狭くなっている。 PM7、青山スパイラルホール。フキコシ・ソロ・アクト・ライブ「mr.モーション・ピクチャー」。吹越満によるソロ・パフォーマンス。前回公演から2年ぶりだが、その間に充電たっぷり。今回は映画ネタが中心。「ソフィスティケイテド・アンダーグラウンド・コメディー」と銘打っているように、テレビのお笑い芸人あたりの笑いとは天と地ほどの違い。こんな洗練され、ユニークでほかに類のないパフォーマンスは見たことがない。 スクリーンに投影された実写と目の前の人物の行動が、シンクロしていく絶妙なパフォーマンスは寺山修司の「ローラ」の進化形。 次のネタ「4人の会議」は、1人で4人(最後に5人)を演じ分ける、空前絶後の分身パフォーマンス。スポットライトの点滅の一瞬の暗転の間に人物を切り替えるわけで、こんなに独創的なパフォーマンスを見たのは初めて。少しタイミングがずれれば目も当てられない綱渡りのような「芸」。これは手放しで賞賛したい。このパフォーマンスを見るだけで、もとは取れる。 「TITLES」なるネタもまたユニークなネタ。映画のタイトルをモチーフに言葉と身体でパフォーマンス。スピード、悪い奴ほどよく眠る、スタア誕生、狂った果実、不機嫌な果実(これが一番好き)、復讐するは我にあり、はいからさんが通る、ミクロの決死圏、モダンタイムズ、21g、アンネの日記、ツインズ、E.T.、夢千代日記、気分を出してもう一度、スピード2……。 「擬音」なるネタもさらにユニーク。 「カチカチ」「ズパッ」「ポロン」「ガシャーン」「ガシャ〜〜〜〜ン」をお題に、「正しい身体パフォーマンスをしようというもので、この正解はもうこれは予測不可能。「カチカチ」の「正解」には思わず苦笑爆笑。 今まで見た「フキコシ・ソロ・アクト・ライブ」の中で、笑いの質の高さは最高。こんな高度な「笑い」を見られるなんて、吹越満はほぼ天才。 そういえばネタの中で「水飴」の話が出てきたら、「水飴は南部せんべいで挟んで食べると、おいしいんですよ」のセリフ。さすが青森出身。「せんべい水飴」はほかの地域ではわからないだろうなぁ。 カーテンコールは「ディレクターズ・カット」ネタ。 すべて終了はジャスト9時。 10.30帰宅。 8月8日(月)快晴 目覚ましの音にいったん目が覚めるが、頭も体も重い。睡眠不足が続き、疲労が取れていない。 会社に行ってもまだ頭の芯に疲労感。 PM1.30、参院で郵政法案否決。自民に22人の反対票、8人の棄権・欠席。青ざめる竹中。誰も望んでいない郵政民営化にこだわり続ける偏執狂コイズミの頭の中には、法案否決=解散・総選挙しかない。まるでだだっこ。こんな幼児性丸出しの首相どこにいるのか。 しかし、コイズミには勝算があるのだろう。40パーセントを越す支持率。マスコミが争点ぼかしに協力すれば、コイズミ自民党が圧勝する可能性もある。まずは8月15日に注目。この日、コイズミが靖国神社に参拝すれば、偏狭なナショナリストたちが一気に活気づく。極右の「一点突破全面展開」でコイズミへの風が大きく吹くだろう。あるいは、拉致問題で新たな展開。そうなれば、「鳩」を追い出したコイズミ極右自民党の再生なる。恐ろしい筋書き。 問題はマスコミの報道次第。週刊誌はサンデー毎日はじめ、コイズミ内閣批判で論陣を張ってるが、新聞はどうか。コイズミがこれまでやってきたことをきちんと検証するいい機会だと思うが。 PM7帰宅。今日こそ早く寝ないと。 8月7日(日)快晴 6時起床。電車で中野へ。8.00到着。今日はサンプラザ裏手の中野体育館で城西地区躰道優勝大会。壮年(40歳以上)の参加者が少ないので、S木道場からN、T橋さんと3人で参加。二松学舎、法政、大東文化、早稲田などの学生が主体。9.30から予選が始まるも、壮年は午後の部。広い体育館、クーラーなどあるわけもなし。カンカン照りの暑さがこたえる。 さすがに学生の試合をずっと見ているのも疲れてくるので、地下の柔道場で軽くウォーミングアップ。 今日の参加者は色帯二人。ほかは黒の高段者。ハナから勝負は決まっている。 時間が押して、PM1・20から開会式。40分から壮年の試合。一人欠場で組み合わせが変更。相手は横浜の黒帯A氏。自分では意外に落ち着いてできたのだが、やはり旗3本は相手側に。 時計を見ると2.10。 今から行けば新宿に間に合う。Tさんに閉会式に出られない非礼を詫びて新宿へ。従姉の娘のSちゃん、Mちゃんに万有引力の芝居を見せてあげようと思ったのだ。 開演にギリギリセーフ。受付の列に旺なつきさん。 楠野氏は今日はビデオ撮影。 PM5、観劇を終え、3人で近くの喫茶店に入り、お茶。 PM7帰宅。日記をまとめ書きしているうちに11時。寝不足。 原爆投下から60年。新聞各紙は節目ということで原爆特集に力を入れているが、毎日新聞では原爆の悲惨さを伝えるために、あえて、一般紙では避けてきた焼死体や被爆で眼球が飛び出した死体の写真を掲載している。朝日はそれに比べ、街の遠景や、遺体を焼く炎など、おとなしめ写真ばかり。 戦争の惨禍を直視させるには「死体」は避けて通れない。顔が半分もぎ取られた遺体、下半身がない遺体、炎で焼き尽くされたボロボロの遺体……「正しい戦争はある」という人は、これらを直視し、自分や家族もこのような死体になるのを覚悟した上で、「憲法9条は時代遅れ。戦争しようぜ」と言って欲しいものだ。 8月6日(土)快晴 マチネ予定なく、午後まで会社でのんびりと仕事。 PM5、新宿。スペース・ゼロで万有引力「アヴェロンの野生児」(作・演出=J・A・シーザー)。 19世紀初頭、フランス、アヴェロンの森で発見された一人の少年。生後すぐに野に放置されたため、高名な教育学者の努力にもかかわらず、ついに言語を習得することはできなかったという。この「アヴェロンの野生児」をモチーフに、シェイクスピアの「マクベス」を介して、「言葉と演劇」の関係を探っていこうという「シーザー演劇論」。 古今東西、さまざまなアフォリズムが引用され、演劇による人間性の回復が試みられる。 中央後方にイントレを組み、左右に2つの舞台を設えたシンメトリカルな舞台セット。楕円の鏡面に当てた照明の放射曲線の美しさ。マクベスの衣装の表面も鏡の小片。劇中で演じられる真似る(学び)、習う(倣う)といった「人間の学習=知恵の獲得」を象徴するかのような鏡面小道具の数々。 音楽はいつものシーザー音楽に加えて、アフリカン・リズムを多用。ビートのきいたベース音など、原始の息吹がくっきり。闇と光の饗宴。いつ見てもマッチ摺りのシーンは身震いするほど官能的。客席に流れてくるイオウの匂いがその官能を増幅させる。 寺山修司の残した、この「マッチ摺るつかの間 闇に 魑魅魍魎」を見られるだけで至福の時間。 いつになくセリフも饒舌・明快で、舞踏と芝居のメリハリもすっきり。飽きさせずに1時間50分。 客席に北川登園氏、SIMIZZY氏らおなじみの顔ぶれ。終演後、近くの居酒屋で飲み会。市川さん、林檎さんら元天井桟敷の人々に加えて、楠野氏の友人で昔から天井桟敷のファンだったというTさんなど。 Tさんは航空宇宙研究センターに勤務する航空技術開発者。宇宙船の船体素材を開発しているとのこと。「天井桟敷時代の青ひげ公の城から見ているんです。奴婢訓や身毒丸は残念ながら見逃しましたが……。寺山さんの芝居を闇に潜んでじっとのぞいていたんですね」 「我々が研究する宇宙工学のオブジェは、寺山さんの芝居に出てくるオブジェや小道具などと同じ。論文や科学誌の寄稿に寺山修司の言葉を援用したり……。身にしみついているんですね。寺山修司の言葉は」 ポリエステル素材などを使い、宇宙空間で太陽風を受けて飛行する「宇宙帆船」は超音速ジェットよりもはるかに早いスピードで飛行するのだという。壮大な宇宙工学と寺山修司の意外な取り合わせ。 寺山修司が与えた影響は宇宙空間にまで広がっている。 13日の日比谷野音ライブに市川さんの奥さんが行くとか。意外なつながりがあるもの。 明日は躰道の大会。早めに引き上げようと思っていたが、楽しさについつい長居。10時15分、意を決して腰を上げる。 11.30帰宅。 雫井脩介の「虚貌」読了。「火の粉」を読んだときに、その人物描写、ことに女性の心理描写の巧みさに、舌を巻いたが、この作品も人間描写が見事。21年前に起こった一家惨殺事件。その事件の犯人たちが、出所後次々と何者かによって殺されていく。平穏な一家を襲う悲劇。その悲劇を仕組んだ男たちの殺意の行動のリアルさに慄然としてしまう。上下二巻を息つくまもなく読ませるそのストーリーテリングの見事さ。癌におかされながらも事件の真相を追う老刑事の執念、その娘で、売れないタレントがはまった陥穽……こんなにもワクワクと最後まで引っ張っていく作家の力量。 ただ、最後の最後で「それはないんじゃない?」のトリック。ミステリーとして、この剰余は大きい。が、そんな瑕疵が気にならないほど、小説としての味わいは大きい。 4日の英BBC放送によると、広島に原爆を投下した米爆撃機エノラ・ゲイの乗組員がこのほど、6日の原爆投下60年を前に、「他に道はなかった。後悔していない」とする声明を出した。 同機の乗組員12人のうち、現在生存しているのはティベッツ機長ら3人。3人の連名による声明は、原爆投下によって本土上陸作戦が必要なくなり、連合国軍だけでなく、多くの日本人の生命が救われたと強調。「核兵器に再び訴える必要がないよう祈るが、後悔の念はない」と述べている。 BBC放送はまた、乗組員2人の証言を伝え、バンカーク航法士は「原爆投下後、戦争にどう影響するかを話した。これで(戦争は)終わりだ。たとえどれほど強情、冷酷な指導者でも、こうなれば降伏せざるを得ないだろうというのがわれわれの結論だった」などと語った。 一方、ギャラップ社の世論調査によれば回答者の57%が原爆投下を支持している。80%は原爆投下が戦争を早く終わらせ、結果として米兵の命を救ったと考えている。一方で、41%が原爆投下は結果として日本人の命も救ったと回答している。 一般市民への無差別攻撃。原爆といい、焼夷弾による東京大空襲といい、アメリカの異教徒への戦術はイラク・ファルージャ大虐殺を見る限り、今も変わっていない。 8月5日(金)快晴 早めに仕事を切り上げ、早稲田の演劇博物館(演博)へ。今日が現代演劇シリーズ企画展「演劇団〜流山児★事務所 1970〜2005」の最終日。夏休みとあって、構内は閑散。途中で流山児氏とばったり。ベラルーシから来ているルチェンコ氏らが一緒。「早く行かないと終わっちゃいますよ」と流山児。5時までと思ったが、閉館は4時とか。慌てて走るも、すでに展示室には入れず。廊下の展示を見ただけ。残念。 せっかく来たのだからと、構内をぶらり。コープでオリジナル・キティちゃんストラップを購入。収集している家人へのおみやげ。コープの位置もウン十年前とは変わって高台に。当時はレコードの売り場面積がかなり大きかった。町のレコード屋で買うより安かったから、コープではのレコードをよく買ったものだ。リンダ・ロンシュタットや大瀧詠一、山下達郎、コルトレーンetc。しかし今はCD売り場が申し訳なさそうに片隅にあり、食品中心の品揃えはまるでそのへんのコンビニのよう。 法学部8号館に入ると、クーラーが効いてひんやり涼しい。黒檀のようなフローリング、広い階段、整然としたロビー……なんだかホテルのよう。チラシや壁のビラ、煙草の灰皿などで雑然とした8号館の面影はどこにもない。 大学も大きく様変わり。しかし、商学部の建物はいまだに旧いまま。K派拠点の地下部室はどうなったのか。 あまりにも静かな構内。何か違和感があると思ったら、大隈銅像の周りに乱立していたタテ看がまったくない。こんな時代にタテ看の一枚もない大学なんて。炭鉱坑内の危険を感知するカナリアたるべき学生。カナリアの役目を忘れた学生の存在意義は……。 ![]() わずかに社学の前にこんな看板。極少数派なんだろうなぁ。 構内を出て、周辺をぶらつくも、昔入り浸った雀荘「ノースウエスト」も廃業。いまどきの学生は麻雀などしないのだろう。大学もその周辺の町も、こぎれいに殺菌消毒されたかのよう。そんな漂白されてしまった大学のどこが面白いのか……。 PM6.30。ル テアトル銀座で「赤い夕陽のサイゴンホテル」。水谷龍二の作・演出。このところ、オーバーワークなのか、薄味でイージーな芝居が多い……との印象が強い水谷。あまり期待していなかったのだが、これは面白い。 還暦を迎えたマネジャー(尾藤イサオ)を伴い、ベトナムを訪れたかつての売れっ子作詞家(藤山直美)。表向きは腕のいい整体治療師に見てもらうための訪ベトだが、彼女の目的は別にあった。それは離婚した夫(今井清隆)に会うこと。友人の借金の保証人になり、多額の負債を抱えた夫は、妻に迷惑がかからないよう身を引き、今ではベトナムでナイトクラブの支配人をしているという。なんとかヨリを戻したい妻。しかし、再会した夫は若い女(山田まりや)と暮らしているという……。 まるで2時間ドラマのような通俗的な展開なのだが、藤山直美がその豪腕で物語を引っ張り、ほかの役者をまとめあげる。いやはや、すごい女優だ。「藤山寛美の三女」というよりも、いまや、「藤山寛美は直美の父」という方が通りがいい。 商業演劇では、その「全身女優」が時に臭すぎて見てられない……と思う場合もあるが、今回は直美のワンウ−マンショーも適度。他の役者とのバランスが絶妙な舞台に仕上がった。 「北国行きで」の熱唱あり、「愛の奇跡」のチェーン・デュエットあり、歌もダンスも絶好調。「北国行きで」は大西ユカリのカバーよりもいい。思いもよらず尾藤イサオの「悲しき願い」が聴けたのも僥倖。不器用な今井清隆のキャラクターにあて書した水谷龍二の脚本も効果的。 直美との絡みで、その「くすぐり」に思わず「吹いてしまう」今井、尾藤ら。しかし、1人、山田まりやだけは毅然と芝居を続行。エライ。山田まりやの役どころは「吹いたらおしまい」の微妙な役。自分の役どころをきっちり押さえて、素の芝居に陥らない山田まりやの女優魂に感服。小柄なのに、舞台では迫力がある。「舞台で大きく見える」というのは、それだけ存在感があるということ。今日の舞台で山田まりやを改めて見直した。 笑いも涙もてんこ盛り。シリアスとコメディーの間を瞬時に切り替え、場面をビシッと締める藤山直美。ほんと、この人はすごい。男なら勘三郎、女なら藤山直美……だな。 9.00終演。休憩15分挟んで2時間30分。 劇場を出てもなお、自然と笑みがこぼれる。そんな芝居は久しぶり。 10.30帰宅。 8月4日(木)快晴 PM4.20。新宿。 上海の大学に留学し、この7月に無事、卒業したSちゃんが就職面接のため田舎から出てきているので、「激励」のため面会。駅で待ち合わせ。高校生の妹・Mちゃんも一緒に東京見物。従姉の娘さんたちだが、きょうだいのない自分にとって、従姉は姉妹、その娘は姪っ子のようなもの。喫茶店に入り、しばし談笑。赤ん坊のときから知ってる二人が、まぶしい年ごろの女の子に……。「自分が年取るはずだよなぁ」と、ついひとりごち。 PM7、品川プリンスホテル。ステラボールで「STOMP」。デッキブラシから始まって、バケツ、シンク、マッチ箱……あらゆる廃品・日用品を打楽器にして、聴かせる・魅せる。ともすれば単純になりがちなパフォーマンスを徐々に盛り上げ、最後は観客熱狂の総立ち。 日本人パフォーマー・宮本やこが2年前に続いて正式メンバーとして来日。身びいき心理で、つい「大丈夫かな。失敗しないかな」とハラハラするも、度胸のよさは満点。 一見、単調なパフォーマンスをこれほどの極上ショーに仕上げるのだから、さすが欧米のエンターテインメント業界は違う。 昔、あきれたボーイズの坊屋三郎も洗濯板や金たらい、壊れたラッパなどを背負って一人で演奏してたっけ。ジャグ・ミュージックというのか。アメリカが源流らしいけど、「STOMP」の元ネタはこのジャグ・ミュージックだろう。 PM9ぴったり終演。さすがに欧米流、カーテンコールでの余計なサービスは極力なし。「見たかったら、また明日おいで」ということ。 PM10.30帰宅。 8月3日(水)快晴 7.00起床。 8.00。駅でNさん母子と落ち合い、2家族で後楽園へ。子供に人気の「ナルト」の体験イベントが東京ドーム・シティプリズムホールで。まだ通勤ラッシュの続く電車。立ちっぱなしで1時間。 9.15、早めに到着。開場前に当日券を買う列が30人ほど。10時開場と同時になだれ込み、クナイ投げ、分身の術見破りなどアトラクションを次々と体験。各アトラクションは1〜3チャクラ必要。1チャクラ=200円。入場料500円でも、アトラクションチケットで千円札が懐から出ていくこと。TDL並み? まだラーメン店「一楽」が空いていたので、3チャクラ(600円)で味噌味ラーメンに挑戦。……まずい。これが「テレビチャンピオン」の味? 「こんなまずいラーメン食べたのは初めて」と大人3人。午後にはこの「一楽」目当てに2時間半待ちの行列。そんなに並ぶ価値ないってばよ。 子供たちはアトラクション、母親たちは空いている椅子に座ってダベリング。PM2まで。物販コーナーで物色する母と子。買い物が長い。外に出ると、「少年ジャンプ物販店」。ここでまた足止め。炎天下、噴水脇で待つ間、ついウトウト。 PM3、マクドナルドで軽く飲食した後、ようやく家路に。 4.00、スーパーで買い物して帰宅。 もう、疲れたってばよ。 8月2日(火)快晴 PM3、演劇集団KのS崎さん来社。20日からの演劇祭の情宣。 きょうは、中野で「非戦を選ぶ演劇人の会」のピース・リーディングがあるので、行きたかったのだが、前から予定していたRカンパニー公演「音楽座ミュージカル 21C:マドモアゼル・モーツァルト」をキャンセルするわけにはいかず、後ろ髪引かれる思いで渋谷へ。 イラク人自身による民主的な再建のために活動するイラク人レジスタンスの講演やファルージャの現地リポートを聴きたかったのだが、残念。 HMVで新着CDを試聴。夏らしく、レゲエ、R&Bのディーバたちが目白押し。birdの歌う「童神」やラブ・タンバリンズ、向井滋春、ナベサダのコンピアルバム「RELAXIN’JAPANESE LOVERS Vol4」、DJ HASEBEのプロデュースによる女性3人のコラボレーション・チーム「SIS-linc」の初リリース「eye candy」、大沢伸一お気に入りの女性ボーカリストMINKの初アルバム「MINK」、青森出身のR&Bディーバ、SONOMIの「S.O.N」。そして、チャート入りしててもやはりこれは押さえておきたい、M−flo 、EMYLI 、YOSHIKAのコラボレーション「Loop In My Heart」。 これで当分、夏のIpodが楽しめる。 PM7、パルコ劇場。受付で制作のI川さんと久しぶりの再会。「なんだか印象が変わったので、一瞬、○○さんだと気がつきませんでした」と笑顔。 客席はほぼ満席。9年前の解散公演の作品を21世紀版として新たに再構成したもので、ほとんど新作と同じ。 「モーツァルトは女性だった」という福山庸治のマンガを原作に、女性でありながら、その天性の才能ゆえに、男として育てられたモーツァルトの生涯を描いたもの。 彼と結婚することになる下宿屋の娘コンスタンツェ、モーツァルトの才能に嫉妬しながら、次第に惹かれて行くいく宮廷音楽家サリエリーー3人の人間関係を軸に、波乱と激動の「モーツァルトの時代」が、その四大オペラ「ドン・ジョバンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」「魔笛」「フィガロの結婚」を織り込みながら、秀逸に描かれる。 開幕は機銃掃射とヘリの爆音。泣き叫ぶ小さな子供。 モーツァルトの生まれた1756年が人類初の世界戦争「7年戦争」の勃発であり、21世紀の幕開けが9.11、イラク戦争……と憎悪の連鎖の戦争の世紀であることを背景にしたもので、混乱と不安の時代への「愛と希望」の物語にしたいとの新生音楽座の祈りが感じられる。 主演の新妻聖子は天真爛漫、軽やかでいながら、その心の底に見えない不安を抱える晩年のモーツァルトを完璧に演じている。歌唱も完璧。舞台で、これほど安心して聴ける女優はなかなかいない。サリエリ役の広田勇二、コンスタンツェの中村桃花、レオポルドの園岡新太郎ほか、どれもが素晴らしい歌唱とダンス。 解散後に何回か行われたプロデュース公演にはどこか違和感がつきまとったが、今回は違う。音楽座が持っていたカンパニーのあたたかさ、俳優同士の絆の強さが舞台から直接伝わってくる。 終幕の余韻はまさしく音楽座の完全復活を予感させるもの。カーテンコールで役者たちの笑顔を見ているうちに、不覚の涙がこみ上げてくる。雌伏の9年、音楽座の復活を心から喜びたい。 終演後、ロビーでI川さんに挨拶。10.00、家路に。 8月1日(月)快晴 あくせくと一日仕事漬け。PM4、幼なじみのEさんと銀座で待ち合わせ。仕事で、銀座まで出てきているので、お茶でも一緒に、と電話。待ち合わせ場所に現れたEさん、涼やかな和服姿。「そのまま銀座のクラブに出勤できるよ」と軽口。お得意さんとの会合が長引いたため、すぐに帰らなければいけないというので、立話。「来年の夏はお墓参りに、帰ろうと思ってる」とか。 PM7帰宅。ホタテの刺身、アンコウの肝和えが並ぶ食卓。ビールが進む。 自民党亀井派の永岡洋治衆院議員が自殺。郵政反対派にありながら、郵政法案の衆院決議で賛成に回ったため、派内で批判の声があがっていたとか。これで小泉郵政法案の参院議決はほぼ確定的だろう。 1999年2月28日、広島県立世羅高校の校長が卒業式の前日に自殺した事件があった。日の丸・君が代法制化をめぐる文部省・県教委・自民党と、教組・市民運動の板ばさみになり、苦悩した挙句の自死といわれるが、文部省は、この事件を「だから君が代・日の丸法制化が必要なのだ」と論点をすり替え、法制化キャンペーンに利用した。 権力は人の死を最大限に利用する。 永岡議員の自殺によって郵政法案の正否がウヤムヤにされる恐れは十分にある。 議員の死が小泉にとって有利に働くと考えるのは穿ちすぎか。 世界で初めて「原爆症」と診断された女優の仲みどりさんのカルテ英訳報告書が広島大原爆放射線医科学研究所に保管されていることが31日、わかった(毎日新聞朝刊)。 仲みどりさんのことは移動劇団桜隊の被爆をモチーフにした井上ひさしの「桜町紙屋ホテル」などでも描かれている。仲さんのカルテは保管場所の東大病院から忽然と消え、「幻のカルテ」として今も所在が不明だという。今回の報告書は日米合同調査団がまとめた文書で、73年にアメリカから返還された資料。仲さんのカルテの大半が盛り込まれているという。カルテの行方は依然として不明。誰が何の目的で持ち去ったのか。歴史の闇。 |