11月30日(水)晴れ

 天気予報によれば、夕方からようやく冬らしい冷え込みが……というがまだまだ遅い秋景色。
 10.00起床。
 午後までパジャマ姿で、「ローハイド」を見たりするも、せっかくの休日、着替えてタワーレコードへ。CDの後は、隣りの楽器店でアコースティックギターを物色。Dエーに寄って、セーターを買って帰宅。
 夕方から、撮りためたDVDのラベル作り。
……で、PM10就寝。
11月29日(火)晴れ

 PM7、世田谷パブリックシアター、シアタートラムで燐光群「パーマネント・ウェイ」。デビッド・ヘアーの新作を坂手洋二が演出。

 イギリスでは94年の民営化以降、4件の重大な鉄道事故が起こっている。97年、ロンドン西部サウソール駅付近で、急行列車と貨物列車が衝突し脱線。99年にはラドブローク・グローブで列車が急行列車に衝突。さらに00年には、ハット・フィールドの列車脱線事故が起こる。この事故によって、英国内に再国営化の要求が高まったという。事故の11カ月も前にレールの亀裂を発見していたにも関わらず、材料の取り違えなど、さまざまな事由で線路を交換しなかったことが原因。02年にも、ポターズ・バーで列車が脱線し、駅のホームに衝突するという事故が起きている。


 これら4件の事故を題材に、生存者、遺族、技術者、鉄道警察官、組合、経営者ら、それぞれの発言から、事故の真因に迫った作品。


 ドキュメンタリー演劇とも呼ぶべき硬質なタッチは、墜落航空機のコクピットを再現した「CVR チャーリー・ビクター・ロミオ」と同じ。しかし、CVRがまさに、事故直前の密室の緊迫したリアルな時間の再現だったのに比べ、膨大な記録から立ち上げた今回の舞台は、「証言」という言葉の洪水だけに、いかに演劇化するか、腕の見せ所。その点、坂手洋二の演出は、緩急自在、時系列に沿った展開ながら、4つの事故の間に「つなぎ目」を入れない、なめらかな展開。渡辺美佐子の熱演もあって、見ごたえのある舞台に仕上がった。

 トラムの客席は2枚のフェンスを挟んで左右に向かい合わせに位置。客席に挟まれた中央に、砕石が敷かれ、ホンモノ(?)の鉄道の線路が二本交差する。観客はちょうど、目の前に線路を眺める格好。この奇抜な美術は加藤ちか。役者がトンネルの方向から線路をつたって走って登場。第一の事故の模様からスタートする。

 最初はとっつきにくい展開で、少々退屈するが、その後、被害者の中でも、遺族と生存者の、事故後の対応と、事故への意識に隔たりが露呈するあたりから加速度的に面白くなる。

 事故の被害者、その中でも家族を亡くした遺族と、自分自身が犠牲になりながらも、生き残った生存者では、天と地ほども、事故への問題意識が変わってくる。あくまでも事故原因を追及し、国の責任を問う遺族。一方で、フラッシュバックに悩まされながらも「前向き」に事故後の国の謝罪に応じようとする生存者。
 この違いは、どのような事故においても派生しただろうが、ここまで歴然と違いを見せ付けられると、驚愕してしまう。
 いずれにしても、効率化という民営化の招いた事故であることは確か。人命よりも経済効率が優先される資本主義社会の犯罪といえる。
 2時間15分。上演時間がまるで気にならない、スピーディーでメリハリのきいた舞台。

 終演後、ロビーで坂手洋二と立ち話。来年には、同じ作家の作品を上演。「ブッシュやブレア、パウエル、ラムズフェルドも出てくる、面白い芝居です」と。

 電車に乗る前に電話でI藤氏と打ち合わせ。
11月28日(月)晴れ

 昨日、映画の帰りに突然吐き気に襲われ、夕食はパスしてしまったが、今日も朝から、吐き気と頭痛。風邪か? 直ったと思っていたのに……。

 午後、耐え切れず、近場の内科医に。腹部を触診し「風邪からきた腸炎でしょう」とのご託宣。

 クスリをもらい会社に戻ると社内報が刷り上がってる。
 こんな日は早引けしたいが、PM5から社員総会がある。次期スタッフとしては抜けられない。PM5.30、総会の後のスタッフ会議。
 PM7帰宅。
11月27日(日)晴れ


 9.00起床。まずは録画しておいた「花より男子」第6回を見る。やはり面白い。

 華屋与平衛で昼食後、家人と二人で電車に乗って近場の映画館へ「三丁目の夕日」を見に。子供たちも誘ったが断られてしまった。ウーム。

 20数人の観客。やはり年配者が多い。途中で、パリパリボリボリとせんべいを食べる中年オヤジ、ガサゴソと紙袋を開け閉めするオバサンに殺意。

 1958年の東京タワー建設から完成までの間に、夕日町三丁目の鈴木オートと駄菓子屋で起こったささやかな人生模様と星のような奇跡。

 CGとわかっていても、50年代の東京の風景の再現には目を見張らされる。ビルもまばらな低い家並み、車、都電、駄菓子屋、舗装されていない路地、空き地……どれもが懐かしい風景。もちろん、当時の東京の風景など知る由もないが、マンガ本や、テレビの連続少年活劇を通した風景には既視感がある。

 わずか40年前なのに、まるで別の国を見ているよう。街の看板には横文字は少なく、広告も医院の看板もほとんどが漢字。もしかしたら、日本人の心がすさんでいくのは、あの無機質で直線的な英語とカタカナが氾濫していったせいではないのか、と思ってしまう。

 この時代だって汚職はあったし、殺人やイジメや自殺はあった。しかし、今ほど企業モラルが崩壊してはいなかっただろう。
 皆、明日という日を信じて生きていた。

 鈴木と茶川が取っ組み合いのケンカをするシーンで「お前は戦争に行かなかっただろう」「だからどうしたってんだ」
 というセリフがある。戦後13年、まだまだ戦争の影を人々が引きずっていたのだ。医者の宅間が、飲み屋からの帰りに娘の好物の焼き鳥を買い、家路をたどるシーンの哀しみ。爆撃で逃げ遅れた妻と娘はすでにこの世にいないのに……。

 鈴木オートのオヤジだって、「今に自動車の時代がやってくる。そのうち大きな修理工場になるさ」と希望に胸をふくらませている。

 しかし、40年後の日本社会のなんという道徳崩壊。
 震度5で倒壊するビルの設計をして、テンとして恥じない建築士、圧力をかけて建設費を浮かせようとした発注者、それを知っていながら骨抜きビルを作る建設会社。さらに、偽装の構造計算書を見逃してしまう民間検査会社。便宜を図った政治家。

 人命よりもお金がすべての拝金思想の終着点のようなもの。

 その原因の一端は小泉流民営化=合理化にあるのは間違いない。
 口先だけの「改革」路線で、勝てば官軍、後は野となれ山となれ、カネがすべての世の中の風潮を推し進めたのが小泉だ。ウソもゴマカシも、権力の座にあれば、すべて許される。
 悪いヤツらが手を組んで庶民を食い物にする。欠陥マンションを作って、ウソがバレれば、破産・倒産で幕引き。あとは公的資金でなんとかしてくれ……とは。国民もここまでバカにされるとは。

 詐欺団の犯罪の尻拭いを国民の税金で補てんしようとは世も末。そんなことがまかり通るなら、バブルの時に家を買い、バブル崩壊で、何千万ものムダな借金を抱えた人たちはどうなるのか。国が補てんしてくれたか。みんな、その借金漬けの中でなんとか返そうと働いているではないか。

 その上、公約にない増税路線。定率減税が廃止されたら、サラリーマン家庭は莫大な増税になる。100万円銀行に預けても1年で8円の利息しかつかないゼロ金利時代。それなのに、税金だけはどんどん上がる。
 こんな世の中、フツーなら暴動や革命が起こってもおかしくない。

 まだしも、世の中に希望と夢があった1950年代。33万人が国会を取り囲んだ60年安保の盛り上がりが戦後民主主義の転換点だったのかもしれない。

 それにしても、古行淳之介役の須賀健太のうまいこと。あの顔はまさしく1950年代の少年の顔だ。彼の演技がこの映画のすべてといっても過言ではない。後半は涙ボロボロ。

 もしかしたら、今年の映画賞はこの映画になるかもしれない。映画としては「パッチギ!」に軍配を上げたいが、たぶん、ファミリーで安心して見られる映画ということもあり、お茶の間劇場向けの映画賞はこの映画に独占される可能性も。それも、どうかと思うが……。

PM6帰宅。
11月26日(土)晴れ

 PM3、仕事を終えて綾瀬の東京武道館へ。躰道選手権大会の予選。家人が朝から子供を連れて行ってるので、応援に。さすがに選手権大会。全国から集まった選手たちで場内の熱気がすごい。少年の展開競技はやはり、練習不足で点数が低い。壮年の部の法形競技の傍では、華の一般展開競技。声援はそっちに集中してしまう。

 6.30の文学座「毒の香り」に間に合うように、と祈ったが、競技終了は6.30。残念ながらキャンセル。見たかったのだが……。

 PM8帰宅。パソコンは娘に占領されているので、そのまま就寝。布団の中で、パソコン前の娘と四方山話。娘のおしゃべりを聞いているうちに深い眠りに……。

11月25日(金)晴れ

 朝から花粉症で絶不調。クスリを飲んでも昼過ぎまで鼻水止まらず。
PM2.30、仕事を早めに切り上げ、阿佐ヶ谷へ。

 ラピュタ阿佐ヶ谷で開催中の映画祭「ミステリ劇場へようこそ」の中の一本「ある脅迫」(蔵原惟繕監督)を見るため。
 チケットを買って、開場前に唐さんの件でA元さんに電話。ケイタイを家に忘れてきたため、駅前の公衆電話から。ケイタイがないと不便。配給会社のO倉さんという人を紹介され、連絡。

 3.25、ラピュタに戻り、映画。

 地方銀行で次長を務めるエリート行員・滝田(金子信雄)と、幼なじみで、同じ銀行の万年ヒラ行員の中池(西村晃)。滝田はヤリ手で支店長の信任も厚く、頭取の娘を妻にし、本店への栄転も決まり前途洋洋。一方、その裏で、中池の恋人を横取りし、妹を自分の愛人として長い間囲っていた。
 しかし、栄転の祝賀会の最中に、一人のチンピラ熊木(草薙幸二郎)が滝田を訪ねてくる。滝田の不正融資や架空の印鑑証明の証拠を見せながら、「明後日までに300万用意しろ」と脅迫をする。そして拳銃を渡して金庫破りを教唆する。 驚愕する滝田だが、偶然、その夜が中池の宿直当番になったことを知り、銀行に押し入るのだが……。

 多岐川恭の原作をもとにしたサスペンス。映画全盛期、二本立て映画の添え物として作られた65分の中篇だが、映画の面白さが凝縮された、サスペンス映画のお手本のような作品。
 こずるく立ち回ってきた銀行次長の金子信雄の自虐的な懇願シーンなどは、その後の「仁義なき戦い」の山守組長の原型か。一方、同僚や妹から無能と嘲笑され、意気地なしとののしられる西村晃の茫洋とした演技から一転しての凄みのある演技への変化は見事。

 ストーリーも二転三転、最後まで息を抜けない。そして、最後の瞬間の2人の表情の対比の絶妙さ。日本のフィルム・ノワールの傑作。いやあ、この時代の映画って、ホントに面白かったんですね。


 PM4.35。終映後、パールセンターを散策。ソニー販売店でDVDメディアを買う。おさかな食堂で地魚刺身定食1575円。分量は少ないが、金目鯛など、こりっとした歯ごたえの刺身が旨い。

 PM7、初台。
 ドアーズで、るりのライブ「幻影の館」。二年ぶりのライブということで、ちょっぴり緊張気味のるり。ライオンメリイらのサポートで約1時間半。映像と音楽のコラボレーションを展開。後半は持ち直したが、前半は音程が微妙。
 終演後は、早めに家路に。久しぶりに話をしたかったのだが……。


 唐十郎、紫綬褒章を辞退。先日「夕刊フジの記者が取材に来て……」と言ってたのはこのことか。
先輩の演出家も受章しており、僕もいただきたいとは思った。でもこれまで僕は、高いところから賞をもらったことはない。正座してもらうような賞で、かしこまってしまう。2週間ほど考えさせてもらって、お断りすることに決めた」
「紅テントで泥臭い活動を続けてきた。国から賞を与えられると、国がバックグラウンドというか、国にアイデンティティーを与えられたようで、芝居の作り方が変わってしまう」
「僕は紅テントでも、お客さんにワイルドスピリッツを求めている。受章のために尽力してくださった関係者の方々にはじゅうじゅう謝ったが、今回の辞退はお客さんに対する礼儀です」
(以上、夕刊フジ)

 さすがは唐十郎。反権力を気取っていても、国家(天皇)からの叙勲、褒章を唯々諾々と受け取る輩が多いが、どんな詭弁を弄そうとも、国家の前にひれ伏したことに変わりはない。叙勲、褒章は国家が飼い犬に付ける首輪のようなもの。ダイヤであろうと、プラチナであろうと首輪に変わりはない。その首輪を拒否した唐十郎の反骨はホンモノだ。年をとれば誰しも「まあ、いいか」となるものだ。しかし、あくまでもアングラ川原乞食の意地を貫こうとする唐十郎。久しぶりの爽快・痛快事。

11月24日(木)晴れ

 PM4.20、お茶の水。K記念病院で鍼。

 PM5、中央線に乗り、新宿方面へ。新宿下車も面倒なので、そのままスルー。阿佐ヶ谷で降りて魚竹の刺身定食でも、と思ったが、あいにく店は休み。パールセンターの回転寿司で夕食。

 PM7、新大久保。グローブ座で「60歳のラブレター」。鄭義信の脚本を平山秀幸が演出。長塚京三と風吹ジュンの2人芝居。 

 閉館が決まった小さな映画館「新星劇場」の楽屋裏を舞台に、経営者である60男・武彦と、義妹・福子の心象風景を追った作品。

 父から事業を継いだものの、映画産業はすでに斜陽。ご多分に漏れず経営難に苦しんでいる。父も年老いて認知症を患い、介護サービスを受けている。武彦には長年連れ添った妻・幸子が居たが、1年前、交通事故でこの世を去ってしまった。

 幸子には、福子という双子の妹がおり、武彦と彼女達は近所の幼なじみ。幸子の一周忌を前に、武彦のもとに、突然福子がやってくる……。
 妻は事故死なのか自殺なのか、いまだにかすかな疑念が澱のように残る武彦。若い女と浮気をし、子供まで作った夫と離婚調停の真っ最中の福子。それぞれに、心の奥底に人生の翳りを抱えた二人。福子にとっては、子供の頃からの憧れだった武彦、武彦にとっても、気にかかる存在だった義妹。人生の終盤を迎えた二人のおかしくもホロ苦い会話。

 閉館間際の映画館という設定はいかにも、鄭義信の作品。「ラストショー」では最後の映画は「赤い河」だったが、「新星劇場」のラストピクチャーショーは子供向けアニメとうのが痛々しい。

 平山監督の演出はオーソドックス。奇をてらったり、余計な狭雑物で飾ることなく、淡々とした2人の中年男女の会話劇が静かに心にしみこんでくる。長塚京三の演技は言うに及ばず、風吹ジュンの演技も実に自然体。

 思えば、1973年、週刊プレイボーイの表紙を飾った風吹ジュンの登場は衝撃的だった。世の中にこんなにミステリアスで可愛い、妖精のような女の子がいるなんて……と思ったものだ。その表紙だけはいまだに保存してある。まだブレークする前、偶然、TBSの前でホンモノの風吹ジュンとすれ違ったことがあったが、上京したての浪人生にとって、なんとまぶしかったことか。
 その風吹ジュンが30数年の時を経て、今、「中年女」として舞台の役を演じている。時の流れ……。

 8.45終演。楽屋に向かう一団の中にY崎拓に似た男。劇場の外には黒塗りのハイヤーが数台。やはり、ホンモノか?


 10.00帰宅。11月23日(水)晴れ

 10.00起床。家人の風邪がひどくなったため、タクシーで病院へ。待ち時間2時間。診察券を出して帰宅。PM2、再度病院へ。それから待つこと1時間。4時近くなってようやく診察。薬局もまた待ち時間1時間。5時過ぎに帰宅。それから夕飯の買い物。で、部屋に落ち着いたのが6時過ぎ。疲れた……。

PM5、I田信之氏から電話。ミラーマンのリメイク映画の話題で最近は取材が多いとか。12月公演の稽古中。「週末あたり、稽古場に遊びに来てください」というお誘い。

 「ガラスの使徒」の主演・佐藤めぐみが出ているというので、娘が録画した「花より男子」を見てみる。1回目、ちょっと陰惨だな。2回目、おぉ、なんかいい感じ。3回目、次回が楽しみ。この笑いのセンスは好き。というわけで、5回まで見終わったときは深夜0時15分。すっかりハマってしまった。小栗旬、松潤がいい。そしてなにより井上真央がいい。


11月22日(火)晴れ

 一級建築士のマンション構造計算書偽造事件。発覚当初から、まるで悪びれた様子のない姉歯建築士の態度。これほどの大騒動、いわば「未必の故意」による「大量殺人未遂事件」の当事者にしてはあまりにも奇妙な態度だったが、「悪いのは自分だけじゃない。頼まれたからやったまでのこと。もっと悪いヤツらがいる」という犯罪者心理によるものと考えれば納得が行く。

 建築主、施工者、そして監査の三者が結託すれば、どんな違法もまかり通るという恐怖。
 その元凶が、「民営化」というのは皮肉な話。

 98年までは大規模建物の構造計画審査は自治体の建築主事が審査してきた。しかし、建築基準法の改正により、建築確認・検査が民間に開放され、民間の検査機関が次々に開設された。その中の一つが今回、姉歯事務所の偽造を見逃したイーホームズ。業界では「審査なんでもスルー」の会社として有名だったとか。

 国会審議でこの規制緩和に関し、「最も期待されるのは確認期間の短縮」と質問した自民・高市議員に対し、建設省の住宅局長は「行政の審査よりも格段にスピードアップする」と答えている。

 人命・財産に多大な影響を及ぼすマンション建築の審査を「スピード」だけでよしとする発想。JR尼崎列車脱線事故の背景にあった効率主義とまったく同じ。尼崎事故同様、今回の「大量殺戮未遂事件」は民営化によるひずみの結果であると考えた方がいい。

 民営化といえば聞こえがいいが、官公労働者を大量に首切りし、その分、民間会社に役人を天下りさせ、うまい汁を吸わせる。小泉流の民営化は、行政のスリム化などではなく、役人の天下り先を大量に作り、新たなムダ遣いをさせることにある。その結果が、国民の財産・生命の危機では国民は泣くに泣けない。

 郵政民営化も根は同じ。郵便事業を「民」に任せた場合、合理化による郵便局廃棄だけでなく、郵便物の盗難、個人情報漏洩、特定個人の情報盗み見など、権力の恣意による郵便業務濫用は必ず事件化する。安心して手紙も出せない時代が必ずやってくる。

 PM4、社内報降版。胸のつかえがスーッと降りる。爽快感。スクープ狂騒も相まって、社内は華やいだ雰囲気。

 PM5、東西線経由で阿佐ヶ谷へ。定食屋で刺身3点盛り合わせ900円。
 年内に取り壊しになると言ってたが、F荘はまだあるだろうか……と、昔住んでいたアパートへ。……まだあった。ほとんど変わらない景色。ここに来ると時間が30年遡る。

 PM6.30、東中野。

 新宿梁山泊アトリエ「芝居砦満天星」(芝居砦は唐十郎、満天星は小田島雄志命名)で、金守珍の第2作監督作品「ガラスの使徒(つかい)」公開成功祈念会。17日から恵比寿・東京写真美術館でロードショー公開される「ガラスの使徒」の前祝い。

 前作「夜を賭けて」は三木元首相夫人らも駆けつけてのホテルでの大パーティーだったが、今回はささやかにアトリエで酒を酌み交わす内輪の宴。
 メイキング映像、予告編上映と関係者挨拶。

 韓国での上映の際、「これは世界で一つしかない映画だ、今の韓国映画はどれもがどこかで見たことのある作品ばかり、ハリウッド映画を追いかけているうちに、韓国は独自の映画を失った」
 と関係者に言われたという金守珍。原作の唐十郎も出演者の一人として大奮闘。若い役者相手のアクションシーンは、年齢を感じさせない体の切れ。

 出演者の稲荷卓央、鳥山昌克、アートンの社長の挨拶、そして松田政男さんのピリリと辛い挨拶。「エチカ」=地下演劇というダシャレで締めるのはさすが。

 その後、新宿梁山泊の新作、唐十郎作「風のほこり」の一部を抜粋上演。朴保(パク・ポー)の歌(夜を賭けて、くじら狩り)の後は、唐さんのリクエストで稲荷による、風の又三郎劇中歌。最後は唐十郎自ら、少女仮面の劇中歌&語り。へべれけに酔っていた唐さんが舞台に立ち、歌いだした瞬間、キッと引き締まった役者の顔に。さすがに、アングラ40年、どんなに酔っても唐十郎だ。

 アトラクションの合間に唐さん、松田さん、M新聞・T橋さん、A新聞I村さんらと歓談。
 唐さんの酒のピッチの早いこと。最近は酔いも早く、涙もろくなっている。

「オレの戯曲にカビが生えたんじゃないかと思った時期に、支えてくれたのが、金ちゃんの、この新宿梁山泊だった」とうっすら涙。

 T橋さんによれば、鶴屋南北賞選考の際、唐組の作品を見ていたのはT橋さんだけだったとか。唐十郎のテント芝居にかつてのような勢いがなくなり、評論家と呼ばれる人たちが遠ざかった時期。傍から見れば、唐十郎のアングラ演劇は、一貫して根強い人気を博してきたと思っていたが、その時期の「世間の風」は唐十郎自身が鋭く感じていたのだろう。唐十郎にして、自分の演劇に自信が持てなくなった時期があったとは。表現者の孤独……。

 先のT橋さんなど、「12人の怒れる男」よろしく、孤軍奮闘、唐十郎再生の道をつけたわけで、今年の「唐コンプレックス」の隆盛は、人知れず唐十郎を敬愛してきた無名の黒子に支えられている。

「夜の隅田川は怖かった。底が真っ暗で、スタートの声もかすかに聞こえるだけだからね」
 スタントなしで、夜の隅田川に飛び込み、泳ぐ唐さん、スゴイ人だ。
「子供の頃、学校の25bプールで鍛えたからね」とニッコリ。

「僕はまだ自分を状況劇場の役者だと思っている。映画が終わったら、もう一度唐さんの演出で舞台に立ちたい」と金。唐十郎はいい教え子を持った。

 偶然、寺山修司のラジオドラマ「コメット・イケヤ」のCD復刻と、望遠鏡のレンズをモチーフにした唐十郎の「ガラスの使徒」の上映が重なったという符合。「さっきも同じことを言われた」と唐さん。アエラのライター・村尾さんが言ったのだとか。

「学生の時、寺山修司作、和田勉演出のドラマ『一匹』に出演したんです。それが寺山さんとの出会いでしたね……」
 遠い目の唐さん。寺山さんが生きていれば、唐さんとの親交も深く強くなっていただろう。

 PM10、会はいったんお開きに。会社に荷物を置いてきたというT橋さんと東西線に。
0.00帰宅。

 
11月22日(月)晴れ

 SS氏よりメールアドレス変更のお知らせ。

 午後、社内報も残すところあと2ページ。明日でケリがつく。特別B支給日。額は少ないが、その誠意がいい。

 PM5.15、久しぶりに上野でマッサージ。このところ、連日の疲労蓄積で体がボロボロ。「この凝りは相当ひどいですね」と施術者。

 帰りにアメ横でサケトバを買ってくる。上京する度に、アメ横に寄ってスジコや干物を買ってきてくれた父。父が亡くなるまではアメ横に寄ることもほとんどなかったのだが、今、その父と同じ景色を見ている。師走近づく夕暮れ。

PM7.30帰宅。
NSさんから喪中の挨拶。両親を相次いで亡くしたとのこと。心中察するに余りある。

 HPの掲示板を見ようとしたら開けない。夕方までは大丈夫だったのに。どうも、この頃掲示板不調が頻発する。有料なのに。変え時か。

 
11月20日(日)晴れ

 7.00起床。躰道稽古へ。
全日本大会1週間前とあって、選手の稽古優先。見学時間が多く、ほとんど汗をかかず。

 2.00帰宅。

 録画してあった「コンバット」を見る。「脱出の道なし」。ドイツ軍に捕まったヘンリー少佐が、ヒトラー暗殺事件に巻き込まれるという異色作。テレビドラマなのに、映画並みの予算で作られたのではないかと思われるロケとセット。退廃のドイツ軍将校たちの饗宴シーンは、「ヒトラー最後の12日間」とそっくりなセット。

 監督は、その後、戦争映画の傑作「M★A★S★H」を撮るロバート・アルトマン。さすが、テレビでもその手腕は冴えている。

 山田風太郎のエッセイを拾い読み。

 佐川急便事件の頃のエッセイだろうか、こんな個所がある。

「時々、徳川時代のほうが今よりマシだったと感ずることがあるが、その一つに「権力の座にある者(幕府中枢)には金力(大禄)を与えない、金力のある者には権力を与えない、ということがあった、おそらく家康の意図した不文律であろう」
「元禄忠臣蔵にも、刃傷直後、五万石の大名浅野内匠頭を取り調べるお目付け役当番の多門伝八郎は七百石の旗本なのに「ご定法によって言葉を改めると、きっとして言葉を変える場面がある」

 なるほど、徳川時代の、権力と金力が同時に集中しないよう、両者を分かつ不文律か。

 現代では権力を握るものが金力を握り、金力のある者が権力の座につく。これでは、いつまでたっても、カネと無縁の庶民が立つ瀬はない。いよいよ始まる小泉大増税。しかし、権力にとっては痛くも痒くもないわけだ。権力にはカネが集中するわけだし。
 

 しっかしなぁ、年間何十万円もの大増税。小泉に投票し、フリーハンドを与えた選挙民がかぶってくれよと言いたくなる。こんな結果になるのはわかっていたのだから。

 

11月19日(土)晴れ

 お昼までに仕事を終えて午後から社内報。ようやく週末。長い一週間だった。
PM5、銀座、山下書店で山田風太郎「死言状」、松本清張「失踪」。

PM6、天王洲アイル。アートスフィアで「42丁目のキングダム」

 かつてのヒット歌手緑川(布施明)と、元妻のマネジャー響子(絵麻緒ゆう)、付き人(岩崎良美)、バンドマン(井之上隆志)、専属司会者(清水明彦)の「営業」の一行が、北陸のキャバレーを訪れる。しかし、そのキャバレーの支配人(有福正志)はどこか風変わり。
 地方公演中の人気タレントが突然訪ねてきたり、極め付けは、アメリカ人プロデューサーが緑川のブロードウェー公演を実現したいと申し出て…。

「呼ぶもの・呼ばれるもの」がテーマ。つまり、「見果てた夢」を忘れられない人々が、「何か」を呼んでしまう物語。ホンは面白いのだから、うまくやれば、せつなく、泣かせる芝居になるのだが……。

 作・演出は吉田秀穂。東京壱組時代に傑作「大漫才」の作・演出をしているが、今回の演出はちょっとペケ。
 どうにも「間」の取り方が悪い。壱組の時には、余貴美子、大谷亮介ら一騎当千の役者たちが、その「間」を絶妙に演じていたのだが、今回は有福正志がその芝居の微妙さを体現しているだけ。
 プロデュース公演の役者では吉田秀穂の芝居はムリ。
 演出は別の人に任せたほうがいい。佐野瑞樹、古今亭志ん彌、仲代奈緒ら役者のメンツはいいのだし。

 休憩15分はさんで、8.30まで。隣に座った若い男がやたらと大きな声でバカ笑いするので、この自己顕示的な態度はどうせ、どこぞのテレビ屋さんだろうと思ったら、K平慈英だった。つまらないシーンでよく笑うこと。

 10.00帰宅。
11月18日(金)晴れ

 睡眠時間たっぷり。気力体力充実で朝から仕事も快調。

 午後、仕事を終えて社内報製作。5ページ完成。なんとか休日出勤しないで済みそう。


 PM6、新宿・歌舞伎町。30数年前、上京したての頃は東口にシンナー袋を持ったヒッピー、フーテンがまだたむろしていたものだ。渋谷の取り澄ました町並みよりも歌舞伎町の猥雑感が妙に肌になじんだものだが、今の歌舞伎町の風景はまがまがしすぎる。

 昔は暮れになれば花園神社の酉の市でテキヤのおじいさんについて、イカ売り、熊手売りのアルバイト。当時の歌舞伎町にはまだ人間的な温もりがあったように思うが、それは過ぎた時代への単なる感傷なのか。
 若者たちの活力がまぶしいだけなのかのかもしれないし……。

 というわけで、PM7.30から、コマ劇場前のビル7階にあるライブハウス「新宿FACE」で毛皮族のギグ「ジュンリー!開放!」。DVD「銭は君」&CD「すりガラスの20代」同時発売記念と銘打ってのパフォーマンス・ライブ。

 12月に東京キネマ倶楽部で予定されていた毛皮族公演「さらば大地、おはよう夕陽」が中止になったため、「ウン十万円かけて作ったフライヤー代わりのゴミ袋が大量に余ってしまったため、その救済コンサート」(江本純子のMC)というのが真相とのことだが、さて……。

 会場は300〜350人の観客で大盛況。休憩時間に、偶然会った元月蝕制作・Aさんと立話。
「なんかノリが悪いですね。みんなもっと騒げばいいのに」


 ライブは途中休憩を入れて9.40まで。
「すりガラスの20代」や「DEEPキリスト狂」、ジュンリーリスペクトの竹宏治(清水宏次朗 )の幻の名曲(?)「舞・舞・舞」のカヴァー曲など、持ち歌はさすがにイイ。しかし、壁の大スクリーンに映し出されたカラオケ映像に合わせての一人カラオケの熱唱は……。
 その昔、劇団☆新感線も生バンドを入れるまでは、「カラオケ」でしょぼいパフォーマンスをしていたが、やはり生バンドがなければツライ。

 そのうち、江本純子も、おカネをかけて生バンドで歌えるようになるのだろうが。

 11.00帰宅。

 ジリアン・ホフマン「報復ふたたび」読了。

 いやぁ、びっくり。今までミステリは数読めど、これほど驚かされた小説は初めて。前作「報復」のスピード感、ストリーテリングはパトリシア・コーンウェルも裸足で逃げ出すうまさ。だが被害者であり、検察官である主人公が、終盤になって、「正義」のために、重大な「過誤」に目をつぶるというルール違反を行い、大団円ではあるが、苦い読後感が残ったのだが、実はその「ルール違反」こそ、続編につながる布石だったわけだ。
 単独で成立する小説ではあるが、続編と密接不可分。続編というよりも一部、二部といった方がいい。
 こんな小説構成は見たことがない。とにかく一気呵成に読ませるサスペンス。ミステリーでは今年のベスト。
11月17日(木)晴れ

 朝6時、なんとか無事、修学旅行に出発した模様。

 午後、R山児氏より電話。「日曜日に追加公演が決まりました」と。

 正規の仕事よりも力が入ってしまう社内報。午後から腰を上げ、数ページ作成。そこで力尽き、帰宅。

 父名義の漁協の定期預金の期日案内が転送されてくる。宛名に父と母の名前。ふと、2人ともまだどこかで生きているのでは、という悲しい錯覚に……。


 PM7、豚児の不在で、気の抜けたような家人。家の中も静か。
 9.30、布団の中で「報復ふたたび」を読もうと思ったが、すぐに睡魔に襲われ、そのまま朝まで。夢の中に深田恭子とR山児氏が出てきて、なにやら奇想天外なストーリーが展開。
11月16日(水)晴れ

 9.30起床。同窓会報の発送をしようと、宛名書き。会報が足りなくなったので、後日に延期。夕方、理髪店に。5.30、帰宅する頃にはもう真っ暗。
 明日から修学旅行の豚児は早めの就寝。つられて、自分も10.30就寝。

11月15日(火)朝小雨後晴れ

 PM4、ようやく仕事にケリ。その後に社内報を作らなければならないのだが、その頃には疲労困憊。とてもじゃないが、頭も体も働かない。休み明けに持ち越し。

 PM6、下北沢。定食屋で「子持ちカレイ定食」950円。ヴィレッジヴァンガードでCD「狐の会 抵抗と笑いとその後にくる空しさ」購入。試聴できなかったが、「短編小説付きマキシシングル」に釣られて。

PM6.30、本多劇場で青年座「パートタイマー・秋子」初日。満席で補助席も出る盛況。

 中堅企業の部長夫人として、恵まれた生活をしていた秋子(高畑淳子)。しかし、夫の会社が倒産したため食品スーパーのパートタイマーとして働き始める。そこで彼女が目にした、驚くべきスーパーの裏側とは……。

 初演は2003年。不況、倒産、リストラ、そして食品業界の産地偽装、製造日付偽装などが戯曲のモチーフになっていたが、2年たっても、物語が古びないどころか、さらにリアリティーを増しているというのは、この国の庶民の不幸がなお苛烈になっているという証明。最近、近所のスーパーで顧客サービスとして行ってきたポイントサービスが廃止されたが、そこまで深刻化しているということだろう。

 最初は社員の不正に対し、批判的だった秋子が、次第にその不正に鈍感になり、自ら手を染めるようになっていく。暗然と立ちすくむラストシーンの秋子の姿はまさに、明日のわが身。
 高畑淳子、山本龍二コンビが絶妙。場内大爆笑……だが、そのウラの現実の薄ら寒さに、つい身を固くして見入るのは「歌わせたい男たち」と同じ。立ちすくむ秋子は、「抵抗」の歌を歌うミチルの姿と重なる。

 PM9.15終演。
 隣の席の若い演劇記者(?)は、劇評を書くためか、開演前にリポート用紙を広げ、メモの準備をしていたが、開幕早々に撃沈。深い眠りの中に。ニ幕の終わりでようやくペンが紙の上を走っていたが、さて、どんな劇評になるのか。

 9.30、制作のS雲氏に誘われ、近くの居酒屋に。N井さん、二兎社のT原さん、Y本龍二氏、TBSのM氏、読売のT氏、そしてM谷内氏。N井さんの語る「パートタイマー」初演時の制作進行秘話など、裏話に大笑い。楽しい宴は時間がたつのが早い。0.15、H島三郎氏が席に加わったが、入れ代わるようにN井さんらと帰宅の途。

 新宿の反対ホームに入ってきた電車に駆け込むN井、M氏に手を振り、山手線に。池袋止まり。1.00、タクシーで家路に。
 乗り場に並ぶこと10分。ホームレス風の男が、赤い懐中電灯でタクシーを誘導している。

 近づいたタクシーに乗り、
「道順わかりますか?」と聞くと、
「最近、お客さんによく言われるんですよ。この業界、リストラ組がどっと入ってきたでしょう。道がわからない連中がいっぱいいるんだもの。お客さんだって心配だよね。カーナビがついてても、都内だと逆に遠回りになる場合があるから」

「タクシー乗り場で誘導していた男、あれはあの近所のホームレスなんですよ。一銭も出ないのに、一日中、ああやって誘導してる。流しのタクシーが割り込まないように見張ってるからこっちは助かることもあるけど、自分ですっかり役目だと思ってるから、ほかの運転手に文句言ったり、お客に早く乗るようせっついたり、評判がよくないんです。なんでも、昔、道路工事の誘導をやってたから、それが忘れられなくて、そのまねごとをしてるっていう話だけど。ちゃんとした仕事につけば、お金が稼げるのにね」

 話好きの運転手に相槌を打っているうちに自宅前。

「バブルがはじけた頃はまだいいお客さんがいてね。銀座から女のコと一緒に大宮まで乗って、大宮に着いたら、そのコに振られたらしく、今度は横浜まで運んだり……ゼネコン関係のお客さんの羽振りはすごかったからね。こっちも一日6万だ7万だと稼がしてもらいましたよ。今? 4万がいいところ。12日仕事して48万、6割が給料だから29万。上にも下にも気を使わない、気楽な商売だから、それで満足ですよ」

 池袋から自宅まで8700円余。1.40帰宅。
11月14日(月)晴れ

 午後から、社内報のアタリをつけ、進行の見通しを立てる。同窓会報が終わったと思ったら今度は社内報。気が休まる暇がない。
 正午、S畑氏が印刷費支払い。

 PM5帰宅。同期、恩師に先日の同窓会報を送ろうと宛名書き。……で、あっという間に就寝時間。時間が足りない。
11月13日(日)晴れ

 5.00起床。おさまったかに思えたお腹の調子がまだよくない。やはり風邪なのか。

 6.00、躰道の審査会&全日本選手権大会決起集会。 稽古場前に集合し、3台のクルマに分乗し、狭山の武道館へ。8.00着。
 ほかのフロアでは綱引き大会。のぞいてみたら、これが本格的。今、綱引きがブームとか。

9.00から審査。今回はPTAとしての参加なので、気が楽。

 PM1.30から選手権出場者の選定。4.45まで。
帰宅は7.00。一日を体育館で過ごし、ぐったり。疲れた……。


11月12日(土)晴れ

 昨夜、寝る前に食べたものが原因なのか、眼が覚めたとたん、お腹の調子が良くない。薬を飲んでもおさまらず、会社に行ってからも不調。いつもなら、薬でピタリとおさまるのに、どうしたことか。睡眠不足で免疫が低下してる? 今のヘンな風邪に伴った腹痛か?

 こんなことは初めて。

 社内報の原稿が揃うが、割付する気力なし。翌週に持ち越し。

PM3.50、新宿。地下鉄から西口方面に出て、二次会の場所を確かめておこうとウロウロしていたら、自分の名前を呼ぶ声。振り向くとM。彼も早く着いたので、店にアタリをつけていたのだとか。

 今日は、中学の同窓会。去年、E子と会ったときから、「そのうち集まろうよ」と言っていたのだが、それぞれ仕事の関係もあり、なかなか日にち設定が決まらなかった。年内に一度は集まりたいと思っていたので、少人数ながらようやくすり合わせ。その日が今日というわけ。

 南口改札で、Mと一緒にE子を待つ間、Sも合流。店ではKが先乗り。
 中学の同級生と東京で同窓会をやるなんて、初めてのこと。上京したての頃は、友人同士集まったりはしたものの、それも疎遠になり、その後、帰郷した人も多く、関東近県にいるのはほんの十数人。

 最近では、年齢のせいか、お盆の帰省の際、同級会を開くこともほとんどない。
 だから、きょう集まった5人の中でも、互いに卒業以来の顔合わせという人も。
 小さい町だから、子供の頃から中学を卒業するまでずっと一緒。35年ぶりといっても、すぐに共通の想い出がよみがえる。

 一次会は6.30まで。二次会は10.30まで。飲むほどに、酔うほどに、会話は弾み、盛り上がる。
 集まってよかった。
 名字じゃなく、名前で呼び合うのは幼なじみならでは。
 ときに故郷への愛憎半ばする思いがぶつかったりするが、楽しい語らい。

 2クラス合わせてわずか72人の同級生。そのほとんどが今、田舎で生活している。亡くなったのが4人。その中の一人、Y子のことは寝耳に水で、愕然。小柄で八重歯が可愛かったY子とは、よく話をしたし、「テスト勉強」のために、夜、何人かで、S田の家に集まったものだ。
 函館在住の人に嫁いだと聞いていたが、その後、まさか亡くなっていたとは。同級生の死ほど、身近で悲しいものはない。まだ、中学の顔しか思い浮かばないY子……。

 しかし、Mの記憶力の良さには脱帽。
「子供の頃、○○(私のこと)の家に遊びに行くと、機関車のおもちゃがあって、畳何畳分の大きさのレールを丸くつなげて走らせるんだ。夜まで遊んでいたとき、その機関車のランプが点灯するんで、びっくりしたことをおぼえてるよ」

 そう、まだ小学校に上がる前、幼稚園の頃か、父親が買ってくれた鉄道模型(ブリキ製)があった。バラバラになったレールを一つずつ、つなげていく、あの手触り、レールの形を今でも覚えている。機関車の前部に単一電池を入れ、豆電球のランプが点灯した。
 それを覚えている人がいるなんて。

「○○が持っていた灰の二引(ハトの種類)が欲しくてね、頼んだら、そんなに欲しいんだったらお金はいらないからって、くれたんだよ。でも、その後、人にあげちゃって、しかもすぐに猫に殺されたんだ、そのハト。このことは、今でも○○にすまないと思ってるんだ」

「灰のニ引」か……。そういえば、当時は黒ゴマのつがいを飼っていたが、その前に、二引を飼っていて、それが優れたハトだった……。しかし、いつの間にかそのハトの記憶はすっぽり抜け落ちている。そうか、請われるまま、人にあげてしまい、しかもすぐに死んだのだという、自分にとって思い出したくないことだから、記憶から抹消したのか。

 自分で事実と信じている記憶は自分で操作している部分がかなりあるということ。

 例の白砂浜決闘事件でも、新しい事実が……。

「あの時、大間から出張ってきた中学生の一人が”だいぞう”という名前だったんだ。それを、”えっ? ここで体操するの?”って茶化したものだから、連中が怒って”決闘しよう”となったのさ」
「当日は、こっちから小学生が十人ちょっと。O間からは大人も含めて100人くらい来た。白砂の海岸に黒山の人だかり。それを沖でコンブ採りしている漁師が見て、無線で警察に通報した……というのが真相」

……なるほど、40年前の事件にまたひとつ真実の証言が。
 てなことや、今のこと、将来のことなどを話すうちに、時間は過ぎる。

「明日はゴルフなんだ」
「俺も約束があってね」
「えっ?もうこんな時間……家で心配してるかな」

 それぞれの人生。

 PM10.30、再会を約束して解散。同じ方向のKと家路に。
11.50帰宅。


11月11日(金)晴れ

PM7〜9.15、渋谷。パルコ劇場で宮本亜門演出の「メアリー・ステュアート」。 

 美貌・才芸に恵まれながら、宗教がらみの政争に巻き込まれ、エリザベス女王によって19年間を軟禁状態に置かれたスコットランド女王、メアリー・ステュアート。一方、国のために女であることを捨て、その地位を築き上げるイングランド女王、エリザベス1世。

 2人の女王の生き方を現代的な「性差別」の視点を入れて描いた作品。

 史実では2人が実際に会うことはなかったが、舞台では2人が夢の中でで出合うシーンも。


 エリザベス女王に原田美枝子、メアリー・ステュアートに南果歩。それぞれが、乳母、侍女と、互いに交代で演じ分ける2人芝居。

 ことさら「映像出身」とは言いたくないが、やはり舞台女優との違いは大きい。一瞬の間に、女王と乳母、あるいは侍女の役を転換するのは至難の技。映像では名優ではあっても、この舞台は2人には荷が重すぎた。セリフを入れるのだけで精一杯というのがアリアリ……。

10.30帰宅。
11月10日(木)晴れ

 3.40、築地から日比谷線。隣に座った60がらみの男性2人の会話が耳に入ってくる。

「カニ篇にキバって書いて、どう読むか知ってます?」
「……カニにキバ。何だろう」

 今はやりの漢字問題か。蟹に牙ねぇ。ウーン。

 このまま答が聞けないと、気になって眠れない。下車駅の日比谷まで3駅。答が出るまで、2人についていこうか……と思ったが、日比谷に着いたらその男たちも腰を上げる。ドアが開いて降りる瞬間、「コダマですよ」の声。

 えっ、こだま? それなら、蟹じゃなく谷だ。「谷に牙」なら、一字で「こだま」。聞き間違えのままだったらずっと悩むところ。
 よかった。

 で、4.20、お茶の水。K記念病院で鍼。

 5.00外に出ると、町は暮色に包まれ、日の入りの早さだけは冬模様。

 PM5.30、上野。ガード下のうどん屋でカキ鍋うどん1300円。電車が通るたびに、震度5並みの揺れ。よく、こんな所で食事ができるものだ。

 上野公園を抜けて国立博物館へ。街灯もほとんどない公園の隅に、目立たないようにひっそりとブルーシート。これから寒くなるにつれ、ホームレスたちも大変だろう。

 国立博物館前では、「光と音のインスタレーション」が展開中。博物館の外壁に、能面や金閣寺など、三島由紀夫に関連する映像が映し出され、三枝成彰の音楽が流れる。荘厳な博物館、その前庭に立つ巨木もライトアップされ、暗闇に浮き上がる幽玄美にしばし佇む。

 PM6.30、博物館本館特別室で、婦人画報創刊100周年記念、《三島由紀夫全戯曲上演プロジェクト》第一回公演「サド公爵夫人」(岸田良二演出)。

 澁澤龍彦の「サド侯爵の生涯」をもとにした三島由紀夫の戯曲。


 場所と作品によるものか、比較的年齢層の高い観客。

 受付を済ませてから、いただいたシャンペンを片手に館内を散策。「劇場」となった特別室は博物館らしく天井の高い空間。幅16b、高さ6bの幕にセットの書き割りを書いた美術が目をひく。17世紀の公爵亭サロンの豪奢な雰囲気。

 背徳の罪で捕らわれたサド侯爵について語る6人の女性たちを描いた会話劇。

 夫への貞節を貫き、その自由を願いながらも、釈放され、帰還したサドに無慈悲な別れを告げる妻ルネ(新妻聖子)、サドを嫌い、国王に拘引の嘆願書を出すルネの母モントルイユ(剣幸)、サドと不義の関係を結ぶルネの妹(佐古真弓)、サドと同じ性行を持つサン・フォン伯爵夫人(椿真由美)、シミアーヌ男爵夫人(福井裕子)、家政婦シャルロット(米山奈穂)。

 流麗な会話劇であり、高度なセリフ術が必要とされる。6人の女優の華麗な競演。
 主人公ルネの新妻聖子は音楽座ミュージカル・Rカンパニーの「21C:マドモアゼル・モーツァルト」で主役に抜擢された新星。物怖じしない度胸のよさは女優の必要条件。ミュージカルではない、会話劇でも、その実力はいかんなく発揮されていた。口跡鮮やかな椿真由美、剣幸もいい。

 ただ、博物館であり、音のはね返りが大きいのが難点。声が反響して聞き取り難いという、セリフ劇としては致命的な欠陥ではあるが、博物館という非日常空間、その欠点にも目をつぶらざるをえない。

 並びの席にK川登園氏。「トットちゃん」のことなど話す。

 9.45終演。公園を突っ切り、急いで電車に飛び乗っても帰宅は11時。疲労感と空腹でせっかくの芝居も余韻などあるもんじゃない。長い芝居はそれだけでソンをしている。

 今日もまた睡眠時間5時間を切る……か。
11月9日(水)晴れ
  9.30起床。
今日見たビデオ「ローハイド」(法にそむいた女、神の裁き)。「コンバット」といい、「ローハイド」といい、子どもの頃に、こんな優れたドラマが見られたのは人生の幸運。ロディ役のクリント・イーストウッドが好きだったなぁ。
 フェイバー役のエリック・フレミングは、「ローハイド」が日本であんなに人気を呼んでいるとは思わず、初来日の際、歓迎フィーバーに感激し、大泣きしたとか。

 午後、家人の買い物に付き合い、PM5〜9、子どもの大会が近いので躰道稽古へ。毎日、宿題がたっぷり出される豚児のクラス。帰ってきてから宿題というのも可哀想だが仕方ない。
 9.30帰宅。

 休日なのに、休む暇がない。寝る前に映画「彼女だけが知っている」を見る。1960年の松竹作品。後に直木賞作家となる高橋治が監督。

 暮れも押し詰まった東京の街。人々は4日目ごとに出没する強姦殺人魔の恐怖におののいていた。夏山警部補(笠智衆)と、杉刑事(渡辺文雄)は捜 査本部の一員だった。杉は夏山の娘・綾子(小山明子)と結婚の約束をした仲だった。しかし、クリスマスの夜、多忙の杉との食事の約束をキャンセルされた綾 子は、ひとりで映画を見た後、郊外の駅に降り立つ。そこで暴行魔に襲われ、第四の犠牲者になってしまう。幸い、命は助かったものの、心に受けた傷は大き い。夏山の気持ちを汲み、第四の事件は捜査は秘密捜査となる。

 この映画の小山明子の美しいこと。小山明子を初めてきれいだと思った。恋人・渡辺文雄も若々しい美青年。
 中村八大のジャジーな音楽もスタイリッシュな映像に効果的。
 1時間余りの短い映画だが、サスペンス映画として秀逸。 昔のスリラー映画は面白かった……。
11月8日(火)晴れ

 3.30から金守珍監督の「ガラスの使徒」最終試写だったが、仕事に追われ、間に合わず。一般公開までお預け。残念。

PM5、銀座。山下書店でジリアン・ホフマンの「報復ふたたび」。あの「報復」の続編。これは読むのが楽しみ。

5.30、新宿。「和幸」でヒレカツ1300円。
 タワーレコードでCD物色。

 南口の紀伊國屋書店で「ALWAYS 三丁目の夕日」フェア開催中。1950年代の月刊少年誌を模した「冒険少年」につい手が伸びる。付録は東京タワーの組み立て紙模型や紙相撲。中身は「三丁目の夕日」特集。

「冒険王」「少年」「少年画報」「漫画王」……正月になると二十大付録が付いて分厚かったあの頃の漫画誌。

 今でも覚えているのは、組み立て式の飛行機発射台「カタパルト」。ボールの型紙が輪ゴムで三重に止められ、投げるとボールが二重、三重に見えるという「誓いの魔球」だったかな?野球マンガの魔球を付録にしたもの。

 あの頃は、付録もそうだけど、厚紙さえあれば何でも作ったものだ。

 一枚5円の方眼紙を買いに、よく雑貨屋に行った。方眼紙さえあれば、自動車でも飛行機でも、立体模型を作ることができた。マンガをせっせと模写する一方、方眼紙で毎日のように工作をしていた。立体模型の設計図が科学雑誌によく載っていたっけ。それを見て、飽きずに模型作り。

 売っているプラモデルを作るようになったのは小学校4年生以降だろうか。高くてなかなか買えなかったもの。

 初めてのプラモは体験は小学校1年(?)の時。雑貨店のショーウインドーに並べてある飛行機の模型が欲しくて、ダダをこねて買ってもらった。ダメだと言われても、泣いて親にモノを買ってもらったのはあの時が初めてで最後だった。しかし、家に帰ると、案の定、作り方がわからない。結局、伯父に作ってもらったのだったが、あれはゼロ戦だったか。組み立て終わってから、台に据え付けるための丸いバネがないことに気付いた。うっかり捨ててしまったのだ。悔しくて泣いたっけ。

 プラモデルはパーツが多いほど楽しみが増す。今のプラモデルはほとんど半完成品のようなものが多いように見える。プラモデルのように細かな工作をする子どもたちも減っているのだろう。
 小学生の頃は、「オトナになったら、好きなだけプラモデルを作るぞ」と思っていたのだが……。

 諸星大二郎「魔障ヶ岳」、近藤ようこ「鋼の娘」も合わせて購入。

PM6.30、サザンシアターでひょうご舞台芸術「芝居 朱鷺雄の城」。山崎正和の書き下ろし新作。

 高名な作家・朱鷺雄の誕生日に招かれた3人の旧知の仲間。政治家、編集者、評論家。ところが主人は一向に姿を見せない。実は朱鷺雄が作家として活躍し始めた頃、朱鷺雄が師事するある作家が風呂場で急死するという事故が起こっている。朱鷺雄の活躍と作家の死。3人はこの過去の符合について語り始める。

 それを陰からうかがう朱鷺雄。彼らの会話を芝居に仕立てていく。
 虚と実が幾重にも重なり、登場人物たちの言葉も入子のように連なって行く。
まるで作者を探す3人の登場人物のように。
 さらに、朱鷺雄の弟子で作家志望の若者と、少女娼婦の2人が、この物語に参入し、5人をめぐる過去と現在の虚実が交錯……。

 腰布を付け、両腕を縛り上げられた裸の辻萬長が弟子に矢を射るよう懇願する冒頭シーンは三島由紀夫の聖セバスチャンの殉教の写真を模したもので、八州朱鷺雄のモデルが三島由紀夫と暗示されているのだが、もちろん、パロディーであって、物語と三島は関係ない。

 久しぶりに見た「これぞ演劇」という緊密な舞台。まず、役者がそろって素晴らしい。勝部演之、水野龍司、田島令子(初日だからか、結構セリフ噛み多し)、宮本裕子、大沢健。そして辻萬長。
いずれも名優ばかり。

 特に勝部演之の重厚な演技がいい。宮本裕子もこれ全身女優といった演技。このオーラは大竹しのぶと同質。芝居に淫している女優だけが放つオーラだ。
 大沢健は日本の俳優の中で、唯一男の色気を感じる役者。ソノ気はないのだけど、大沢健にだけは、妙に惹かれてしまう。

 で、辻萬長。確かにうまい。名優ではある。が、セリフ回しが、いつも同じに聞こえるのは自分だけか。今回のような「モダンな」作家を演じていても、たとえば、こまつ座の「雨」の主人公、金物拾いの徳のセリフに聞こえてしまう。
 勝部演之の芝居と比べれば明らかに一本調子なんだよなぁ。いや、辻萬長は確かに名優なんだけど……。

休憩10分。8.45終演。
10.00帰宅。

 逮捕されたNHK大津放送局記者・笠松裕史の直接容疑は6月5日の放火未遂容疑。11月5日の事情聴取で自供したというが、その間の5カ月間、捜査本部は何をしていたのか。滋賀県警は8件の放火事件が起こった5月15日に笠松を重要参考人として事情聴取している。6月5日も捜査員が笠松を尾行し、その直後にダンボール箱から火の手が上がったことを確認している。

 しかし、なぜか笠松は逮捕されず、「泳がされたまま」、半年後の自供による逮捕。
 あまりにも不自然。

 6月5日の翌日、6月6日はNHKが受信料不払い対策のために「信頼回復活動」をスタートさせた日。もし、この日に「NHK記者が放火容疑で逮捕」となれば、NHKの打撃は計り知れない。地方では警察とNHKの関係は密接で、県警がNHK職員を逮捕する際は、警視庁にお伺いを立てる慣例があるという。

 馴れ合い……というよりも、この事件のウラには警察とNHKと政治家の疑惑のトライアングルがある……と考えるのがフツーの庶民感覚。
11月7日(月)雨のち晴れ

 午前5時、窓の外は真っ暗で雨にけぶっている。冷えるので、ハイネックの薄手のセーターで会社へ。
 ところが、お昼近くには気温が上昇。暑い。
 まだ半袖Tシャツの人もいるし、今年は冬の訪れが遅い。
 昨年はこの時期、すでに花粉症が出ていたのだが、今年は、花粉症も遅いようで、今日の朝、クシャミが止まらず、鼻炎用カプセルでしのぐ。

 午後、頭痛がするので、仮眠室で小一時間横になる。

 PM6.30帰宅。


 興味をひかれるブログのひとつに、U氏のブログがあるが、11月7日付にこんな記述があった。

「(興味深いというのは)仏リベラシオン紙の "Le capitalisme n'a pas la cote chez les Franc,ais" (フランスでは資本主義は人気がない)という11月4日付けの記事です。冒頭で "Entre le capital et les Franc,ais, c'est le grand de'samour." と報じています。同紙が10月末に行なった世論調査によると、フランス人の3人に2人が資本主義を否定し、過半数(51%)が社会主義を支持しているとのこと。(小泉内閣の採る)新自由主義経済が斥けられ、41%が「資本主義は搾取だ」と考え、45%が「資本主義は少数による富の蓄積だ」と考えているとされています。多くの人が資本主義が貧富の格差を拡大させていると認識しているようです」
「日本の(特に若年層の)失業率が二桁台に達するころ、これらの結果とほぼ同一な数値を私たちは目にするだろうと私は考えます」

 こうU氏は書くが、果たして、日本の若者が自分たちの姿を正視できるかどうか……。

 一方、昨6日、日比谷野外音楽堂で「戦争と民営化=労組破壊にたち向かう労働者の国際的団結を!」を合言葉に全国労働者総決起集会が開かれ、主催者発表で4600人が参加したという。興味深いのは、韓国の韓国民主労総ソウル地域本部本部長、アメリカ航空整備士労働組合ローカル9委員長ほか、日米韓の三国労働者代表が一堂に会したこと。

「社会的サービスの民営化によって資本は人の命を奪っている。資本の競売にかけられているものは何なのかを考えよ。二大政党はともに資本家のための二大政党なのである」(アメリカ国際港湾倉庫労働組合ローカル10執行委員長 ジャック・ヘイマン)=この項、安藤文隆氏のHPより。

 資本がグローバル化を進めるなら、労働者もグローバルに団結すべきなのだと訴えるアメリカ労働者。日米韓の軍事同盟下の労働者たちの連帯。その意味で、画期的な集会といえよう。


11月6日(日)晴れのち大雨

 7.00起床。寝不足で頭が朦朧。

 8.15、躰道稽古へ。8.50、K駅着。いつもはここで私鉄に乗り換えるのだが、遅刻するのがイヤなので、タクシーで体育館へ。9.00ジャスト到着。ところが……。今日は指導者会議で指導の先生たちがいない。子供を入れて10人足らず。タクシー代がもったいなかった。

 人数が少ない分、Nさんと正午まで、みっちり稽古。そのうち、何人か遅れて現れ、道場に次第に活気が。

 風邪が抜けず、どうしようか悩んだのだが、稽古を始めてしまえば、風邪などどこに行ったのやら。心地よい汗。体を動かすことがこんなに楽しいこととは。

 PM2、帰宅して録画した「コンバット」を見始めるが、睡魔に襲われ、2時間ほど仮眠。
 夕方からスコールのような雨。その雨の中を打ち上げ花火のような音。まさか……? いったい何の音なのか。前のマンションなら、最上階のベランダから町が見渡せたが……。
11月5日(土)晴れ

 PM1、銀座。ル テアトル銀座で「ダブリンの鐘つきカビ人間」。後藤ひろひと得意のファンタジー・コメディー。2年前に水野真紀主演で初演した作品。

 奇病が蔓延する奇妙な町に迷い込んだカップル。彼らが幻視する町の過去。「カビ人間」と呼ばれる心優しき異形の徒(片桐仁)と、思っていることと言葉が逆になってしまう女のコ(中越典子)の悲恋の物語。若松武史が「高血圧病の村人」、「娘の老親」役の二役で初演に続き出演。独特のボディー・パフォーマンス健在。
 土屋アンナが初舞台とは思えぬ肝の座った演技。さすがは「ヤンキー・白百合イチゴ」。舞台でも魅力的。

 PM3.15終演。会社に戻って後片付け。中井英夫の日記に出てくる「不唱和少年」の記述に心動かされ、N井さんにメモ書き送信。

PM5.30、渋谷。センター街の蕎麦屋で鴨南蛮うどん997円。
 シアターコクーン前の喫茶ルームでケーキ&コーヒー。途中から急に花粉症状態。駅前の薬局に戻り、鼻炎用カプセルを買うも症状ピタリと治まり不使用。東急ビルに戻ると、再び鼻水が……。ビルの周辺に何か原因となる木でもあるのか?

 PM7、シアターコクーンで「調教師」。唐十郎の小説の舞台化作品を内藤裕敬が演出。謎の男・辻に椎名桔平、美少女・モモに黒木メイサ、少年・マサヤ役窪塚俊介、保険所員・田口は萩原聖人、先生の木野花。

 水を怖がる犬が現れたというウワサが流れた下町の焼き鳥屋を舞台に繰り広げられるナゾと耽美の迷宮世界。舞台転換が役者たち総出の盆回しというのが内藤らしい。

 窪塚俊介が実にいい芝居。水に沈んでいくモモと田口の幻想シーンが美しい。カーテンコールで椎名桔平が両手を、折ったヒザに付けて挨拶する姿は、新宿梁山泊仕込みか。

 萩原の事務所のB代氏に挨拶。飲み仲間、草野球仲間だったというK下清さんとは、「ずいぶん会ってないね」とのこと。

 休憩時間に元白水社のU本氏と立話。鎮座まします唐氏をはじめ、七字、登園、西堂、小田島氏ら、客席は初日らしい顔ぶれ。

 9・15終演。RUPのH本、I間さんに挨拶。

 外に出て、同級会の件でSクンに電話。朝、電話したら不在だったので再度の電話。
 中学時代の同級生は、同じ関東周辺に住んでいても、帰省したとき以外は、交流がほとんどないわけで、突然の電話に、この時世、家人らが警戒するのは当然か。マンション投資やら不動産売買とか大豆相場とか、いろんな怪しい勧誘電話が来るものなぁ。

「おぉ、やっぱり○○か。同級生から電話と聞いて、そうじゃないかと思ったんだけど」

 久しぶりのSの声。もしかしたら、10年ぶりくらい? でも、小さな町の幼なじみ。ついこの前会ったような感覚。再会を約して電話を置く。

 PM10、遅くなったのでまっすぐ家に帰ろうと渋谷駅のホームへ。しかし、I川氏に電話するとSザーが出て「顔だけ出してよ」というので、タクシーで笹塚のI川氏宅へ。今日は夕方から小宴会開催中。A湖夫妻ら天井桟敷の仲間たち。

 他劇団から「寺山は劇団員を役者としてでなく、オブジェとしか扱わなかった」と批判的に言われるが、天井桟敷の人々ほど仲間意識があり、友情厚い人々はないのではなかろうか。

 九條さんのパーティーでもそうだったが、解散して25年も経つというのに、今でも当時の劇団員が即座に集う。家庭に縁薄く、ついに自分の子供を持つことのなかった寺山修司にとって、天井桟敷という劇団は擬似家族であり、その劇団員は今でも寺山さんの永遠の子供たちなのだ。主宰者が亡くなれば散り散りばらばらが世の常。しかし、寺山修司は作品だけでなく無数の子どもたちを遺している。

 PM11・30、1時間ほどの楽しい語らい。辞去して家路に。
 終電はW駅止まり。そこからタクシー。引っ越してからタクシーで帰ったのは初めて。半年ぶりか。1・30帰宅。

 
11月4日(金)晴れ

 PM3.30、京橋の試写室で「ファイナル・カット」。

 舞台は近未来。アラン・ハックマン(ロビン・ウィリアムズ)は業界屈指の「ZOE」(ゾーイ)編集者(カッター)だ。ゾーイとは、赤ん坊の脳に埋め込まれ たICチップで、その人の全人生を記録したもの。故人のゾーイを取り出し、葬儀のセレモニーで、リメモリーと呼ばれる記憶を編集した映像を流すのセレブの 流行になっていた。故人にとって不都合な記憶は消去も可。つまり都合のいい人生をデッチあげるのが優秀なカッターの条件。アランは、卓抜した技術を持ち、 富裕層を顧客としている。

 しかし、ゾーイ創設者の一人が亡くなり、彼のリメモリーを依頼されたアランの周りでは、ゾーイに反対するグループが暗躍し始める。

 一方、アランには、幼年時期に、町を訪れた見知らぬ少年の死に自分が関わっていたというトラウマを引きずっている。しかし、偶然、他人の記憶の中に、その少年が成長した姿を見たことから、幼少期の記憶を探ることに……。

 脳に記憶チップを埋め込んでその人の全人生を記録する、というアイデアは、SF小説にありがちなテーマ。映画としては、そのアイデアをいかに、サスペンスフルに使うか、というのが眼目。その点、この映画はロビン・ウィリアムスが主演するほどの映画とは思えない。脚本・監督は20代の無名の若者とのこと。いきなり、こんな映画を撮らせるとはプロデューサーも太っ腹。

 「ゾーイ編集者の掟」といのがあって、
第一条=カッターはゾーイ記憶映像の売買に関与してはならない。
第二条=カッターはゾーイ記憶チップを持つことは許されない。
 というのがそれ。

 ゾーイチップをカッターが持っていたなら、そのカッターは、他人のチップの記憶を自分の中に溜め込んでいくわけで、合わせ鏡が永遠に自分の姿を映し続けるのと同じ。

 というわけで、後半はサスペンスタッチの展開になるのだが、「おいおおい、まさかこれで終わりじゃないよな」というラストシーンには呆然。

 ひねりも何もあったもんじゃない。予想された展開と、中途半端なオチ。自主映画ならまだしも、これは……。来年公開。全編を覆うダークなムードに感応する人にはいいかも。



 PM7、六本木・俳優座劇場で木山事務所「妖精たちの砦」(福田善之・作・作詞・演出)。初日通信の小森くんと並びの席。あれやこれや四方山話。


 舞台は戦後の焼け跡。家や家族を失った戦災孤児たちは年長のタロー(坂元健児)を中心にグループを作り、盗みや売春婦の客引きをしていた。娼婦のリーダーはリリー。

 ある日、知的障害のある少女おスズ(池田有希子)が復員兵の元教師=先生(本田次布)を連れて来る。先生は、いつの間にか、孤児たちの仲間とし て居ついてしまう。彼は子供たちに乞われるまま、ピーターパンの話を聞かせるのだった。ピーターパンごっこを始める子供たち。タローだけは暗い顔でそれを 見る。「俺たちは子どものままでいるって誓った。大人たちの戦争に巻き込まれ、劫火を逃げまどった俺たちには大人と違う未来が待っているはずだ……」
 しかし、時は移り、タローたちも成長する。
 新興のマーケット振興会と戦前やくざの山岡組の間で立ち回ってきたタローを庇うため、スズは殺される。
「自由だの独立だのって言っても、結局はもっと大きなものの下につくことさ」
 リリーに難詰されるタロー。
 こうして、かつての子供たちの共同体は無残に崩壊していく。

 娼婦に恋慕する進駐軍の日系将校マイクは憲法草案に関わったGHQ民政局員のうちの一人。彼が憲法に託す戦後日本の平和と希望。

 新憲法がわずか60日で策定されたのは、ソ連に介入させまいとするアメリカの思惑があったことなど、憲法制定時の秘話。

「あと10年もしないうちに天皇制はなくなるよ」
 新憲法について語るマイクに対し、教師が真顔でこう感想を述べるシーンも。

 やくざの抗争に巻き込まれたタローに、米ソ二大陣営の間で右往左往する日本の姿を重ね合わせ、マッカーサーの「日本人は12歳」発言をとらえて、成長しない子供たち=ピーターパンの物語に戦後日本の希望と未来を映す福田善之。
 戦後60年目の「憲法の危機」を視野に入れているのだが、その志は観客に届いたかどうか……。

 9.15終演後、初日乾杯。木山事務所の初日乾杯に出るのは初めて?
 福田善之氏と初めて話す。ずっと聞こうと思っていた佐々木昭一郎、寺山修司との関係を尋ねてみる。「寺山はいい人だったね。個人的に2人だけで会う事はなかったけど、カミさんをラジオドラマに出してくれたり、当時のラジオドラマの仲間として、結構付き合いがあったんだ。佐々木さんともずいぶん会ってないね。本当はこういう芝居を見てもらいたいんだけどね」

 池田有希子と立話してから家路に。11.30帰宅。

 中井英夫「中井英夫戦中日記 彼方より 完全版」、車谷長吉「贋世捨人」が届く。注文してわずか二日。早い!

 さっそく読み始める。

 まず気になっていた「おかあさま」の記述。1943年9月15日の日記にその記述はあった。
 9月12日に母が亡くなる。家人が不在の間の脳塞栓症による孤独死。中井英夫の嘆きと悲しみは「十億万土の彼方にともについていこう」と後追い自殺を考えるほど深く激しい。

 後悔と悲しみのため、この日の日記の後半は「お母様お母様お母様お母様お母様お母様お母様お母様お母様お母様お母様おかあさまおかあさまおかあさまおかあさまおかあさまおかあさまおかあさまおかあさまおかあさまオカアサマオカアサマオカアサマオカアサマオカアサマオカアサマオカアサマオカアサマオカアサマ」と、数ページに渡って母を呼び続けている。

 当然ながら「書けば書くほど恋しくなる」の記述はない。

 この日記が、寺山修司の「東京」に影響を与えたとは思えない。

 考えてみれば、多感な青春期に「○子○子○子○子○子……」とノートに自分の好きな女の子の名前を書き連ねなかった経験のない人はいないだろう。中井英夫の「お母さん」もそのひとつ。

 「東京東京東京東京……東京 書けば書くほど恋しくなる」。この全体を引き取る「書けば書くほど〜」の部分は、やはり寺山修司ならではの一瞬を切り取る言葉の魔術だろう。

 それにしても、1943年10月8日から1945年8月11日までの中井英夫の日記のなんという迫力(敗戦の日、中井は昏睡状態にあり日記をつけていない。もし、意識があったら何と記したか興味深い)。

 22歳で応召され、市ヶ谷の大本営参謀本部で情報教育係を勤めながら書かれたこの日記には、呪詛ともいえる徹底した反軍・反戦の言葉が書き連ねてある。

 しかし、中井によれば、反戦の気風は意外に学生たちに強く、「友人の山崎春成は壮行会の席上、黎明断じて遠からず 首が飛んでも死ぬものか、と書き残しているほどだ」という。

 だが、戦後、友人らと再会した中井はその中の一人が戦時中に「大東亜戦争開始ニ関スル勅語」を暗唱させられた後、上官がいなくなると「ああ、早く大東亜戦争終結ニ関スル勅語を読みてえな」と感想を言っていたと述べる。そのような不謹慎な発言は当時の学生の間では当たり前のことで、誰もとがめだてする者はいなかったという。

 戦後、再会した友人に、そのことを話すと、その友人は「まさか、オレはあの戦争で立派に死ぬはずだったのだからそんなことは言うはずがない」と気色ばんだという。

「20数年の歳月は、いつしか本音と建前をすり替え、彼は自分で時の指導者の望んだ理想像を自分に課したらしい」

 戦時中は誰もが忠君愛国に凝り固まっていたなどというのはウソっぱち。中井英夫は敗戦直後、私物検査があったために、日記の中にあった天皇への呪詛の言葉、2ページを破り捨てたという。

 軍需産業と軍国主義の解体を切望し、「すべての神社仏閣はただ博物館の中にのみ残されるべき」と説く「精神革命起案草書」を書く一方で、最愛の母の死に限りなく慟哭し、自分のセクシュアリティーに言及する。

 戦後60年、再び戦争への道を歩み始めるこの国で、永遠の不服従を綴った60年前の「日記」はいまなお有効であり、もしかしたら、これから起こる言論封殺の時代のひとつの象徴として読み取ってもいいのではないだろうか。


 1944年10月3日の日記。

「新しい小学校の三階。校庭では体操の時間で二百名ぐらいの女の子男の子が騒ぎ立ててゐる。水色、赤、黄、華やかな彩りのいきものが、この二三日、兵器ばかりいじくってゐた眼にいとほしい。集って、あしぶみして、歌を唄い出す、「予科練」を「七つ釦は桜に碇」を。ふいに先生の鋭い声がする。じつと指さされてゐる、一人の子が。
−−あの子はうたっていない。

 その子よ、わづかにめぐみ出した嫌悪の心を、ひとりしずかにつちかふがよい。やがて咲く不幸の花にいくたび涙させられることはあつても、そこにこそ詩の故郷はあるのだから。そこにこそおまへが、詩人の名を得られるのだから。

 このさはやかに晴れわたつた秋のひとひ、空には飛行機雲がいくすぢか糸をひいてゐる。賑かに、邪気もなく(?)群れてゐるみんなの中でたつたひとり、歌をうたわなかつた子供、万歳。

 あの子はうたってゐない、その声にたじろいではならぬ。
ヘイ、おかしくつてうたへません、ト。
わたしはひとりでゐたいのです、ト。
必要ならばいつでも列を離れてしまへ。

 教師に指さされながらも、「予科練の歌」を歌わない一人の子ども。その子どもに衷心から共感を寄せる軍人・中井英夫。
 戦争中はすべて一色などというの後世の作り話。

 小泉の時代というのが限りない虚構なのと同じ。歴史はいつでもウソをつく。「歌わない子ども」の視線を忘れてはいけない。



 11月3日(木)晴れ

 11.30起床。風邪抜けず、ノドに違和感、だるさ。

 起き抜けに、鈴木邦男のHP日記を読んでいたら、車谷長吉の「贋世捨人」のことが書いてあった。月刊誌「現代の眼」の編集者であった車谷長吉の「現代の眼」の日々。さっそくアマゾンで注文。中井英夫の「中井英夫戦中日記 彼方より 完全版」も合わせて注文。こういう迅速性はネット書店のいいところ。

 寺山修司の詩の中で「東京東京東京東京……東京 書けば書くほど恋しくなる」というのがあるが、これは高取英氏によれば、ハイティーン詩人の詩が元になっているという。しかし、「完全版」の中で、中井英夫は「お母さんお母さんお母さんお母さん……お母さん」と2ページに渡って「お母さん」の言葉を綴り、最後に「呼べば呼ぶほど恋しくなる」と結んでいる(らしい、未読なので)。つまり、寺山修司の「東京」の元うたは中井英夫なのでは?というのが、私の推論。
 さて、現物を見ないとわからないが、どうだろう。

 今日のビデオ。「仁義なき戦い 完結編」。菅原文太、やっぱりこの頃の精悍な顔がいい。藤純子の仁侠映画の看板の上で惨死する櫻木健一。死ぬのはいつも若者たち。「夜の大捜査線」。若き日のロッド・スタイガー、ウォーレン・オーツの名演。

 PICASA2のバージョンアップ版・日本語版を更新。これこそ最強の画像管理ソフト。

 夜、割り箸で輪ゴム鉄砲を作り、子供と銃撃ごっこ。疲れる〜。
11月2日(水)晴れ

 代替出社。
 連休の谷間とあって、社内閑散。午後、社内報の打ち合わせ。
 
「ダブリンの鐘つきカビ人間」の予定がずれたため、夕方以降の予定なし。
 PM7帰宅。家族団らん。
 PM11.30、「フレンチ・コネクション」を見終わってから就寝。
11月1日(火)晴れ

 体がだるく、朝起きるのがつらい。今年の風邪は長引きそう。

 PM5、三軒茶屋。TSUTAYAでCD物色。試聴器が増えたため、試聴盤を聴くだけで時間が潰せる。

 向かいのBOOK・TSUTAYAでKAWADEムックの「GS!」(2002年発売)とロック画報「野坂昭如特集」(2004年12月発売)を購入。

「GS!」の橋本淳のインタビュー記事が面白い。
橋本淳といえば、「モナリザの微笑」「君だけに愛を」「ブルー・シャトウ」「長い髪の少女」などのGS名曲に欠かさない作詞家の一人。いしだあゆみの「ブルーライト・ヨコハマ」も懐かしい。橋本淳・筒見京平コンビは青学の同窓生で、2人が作った歌の根底に「賛美歌」があったというのは初めて知った。

 青学時代、筒見は賛美歌の時間に伴奏のオルガンを弾いていたそうで、GS、例えば、ブルーコメッツの「青い瞳」「草原の輝き」「青い渚」などは、青学コンビが賛美歌をイメージして作った曲なのだという。

 GSと賛美歌。そういえば、60年代の青春歌謡にも「チャペルに続く白い道♪」と歌った曲があったし、ペギー葉山の「学生時代」などはモロ、教会のイメージ。GS後期のタイガース「美しき愛の掟」(なかにし礼・作詞)に至っては殉教のイメージを全面に出した名曲。「僕は君のために重い罪を犯し 鎖につながれても かまいはしない♪」

 フーム、GSと賛美歌、その出発点はもしかしたら、橋本淳なのかもしれない。

「青い瞳」がイーデス・ハンソンをモデルにした曲だったというのも初耳。60年に文楽人形の遣い手と結婚したハンソンさんに新しい時代の希望の象徴を見出し、それを歌にしたのが「青い瞳」なのだとか。へえーの二乗。

 さらに、GSブームは2年で終わった背景に触れ、「今のようにデジタル録音でない時代は、一曲仕上げるために気の遠くなるような練習を積み上げないといけないわけです。たった一人が間違えただけで全部やり直しになってしまう。もともと技術的に高いグループほどより完成度を求める。その結果、グループの中で一番レベルの低い人が間違えたり、ついていけなかったりする。そこから仲間割れが生じてくる」

 フーム、GS退潮の遠因にアナログ時代の演奏レベルの格差があった、とは橋本淳ならではの卓見。

「ブームの最後にはレベルの低いグループが続出して、悪化が良貨を駆逐した、とう面もある。一方で、GSブームに反感を持っていた旧体制の連中がこれ幸いと、GS駆逐に奔走したという面もある」

 橋本淳がキングレコードに入社した当時、まさに演歌全盛期。美空ひばりがレコード会社に到着すると玄関から社内まで赤い絨毯が敷かれた。何の気なしに、その絨毯を踏んでしまった橋本淳は叱責され、始末書を書かされたという。

 GSの時代をピカソにたとえて「青の時代」という橋本淳。それは、新しい未来につなげる希望の時代の象徴だった。「青の時代」があってこそ、よくも悪くもその後の「アーティストの時代」があるのだ、と。

 PM7、世田谷パブリックシアターで「偶然の音楽」。白井晃がポール・オースターの小説を元に台本・構成・演出した作品。白井のポール・オースター作品は「ムーン・パレス」以来2本目。小説から舞台を立ち上げるというのは非常に困難な作業だ。2カ月間というワークショップ・稽古を通しての舞台創造が見事に結実した好舞台となった。

 妻に去られたナッシュ(仲村トオル)に、突然、行方知れずだった父親から遺産が転がり込む。その遺産で新車の赤いサーブを買ったナッシュはすべてを捨てて目的のない放浪の旅に出る。クラシック音楽を聴きながら、まる一年アメリカ全土を走り回り、“13カ月目に入って3日目”に、謎の若者ポッツィ(小栗旬)と出会う。“望みのないものにしか興味の持てない”男ナッシュは、この博打の天才ポッツィに出会って、自分の旅を終わらせようとする。宝くじで一躍大富豪となった2人の男を相手に、ポッツィと共にポーカーで一山当てようと目論んだのだ。しかし、2人を待っていたのは、シジフォスのように毎日石を運ぶだけの生活だった……。(HP抜粋)

 ほとんどセットのない素舞台。照明と音楽で登場人物の心象風景を描き出すスタイリッシュな白井晃の演出。脚本のない、ゼロからスタートさせ、よくぞここまで見事な舞台を創造する、白井の分析・演出力に感嘆する。

 物語後半は富豪の屋敷で延々と続く石運びを繰り返すナッシュとポッツィの日常が描かれる。9週間分の日当と引き替えに、娼婦(山田麻衣子)との慰安の一夜もあるのだが、脱出したはずのポッツィは消息不明。……絶望の日々。

 やがて、満期となり、シャバに出たナッシュを待っていたのは、「白い光に飛び込んで行く避けられない自分の衝動」。

 小栗旬がうまい。躍動感ある演技。山田麻衣子もコケティッシュな娼婦役を好演し魅力的。が、仲村トオルの演技には疑問符。ほとんど感情を表さない棒読みのようなセリフ。これは演出意図なのか? 後半の重要なシーンでも、この棒読みセリフは変わらない。
 主人公ナッシュの虚無的な内面を表現したものなのか……。よくわからん。

 9.15終演。遊◎器械オフィスの馬場さんに挨拶して家路に。

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