3月31日(金)晴れ

 早めに帰宅で家族団らん。
3月30日(木)晴れ


 1700、三六協定のための社員総会。

 1800、信濃町。駅前の本屋に入って時間つぶし。アエラ臨時増刊の「あれは、ロックな春だった」を買う。780円。岡林、拓郎、陽水、エンケン、高田渡、ユーミンに中島みゆきまで60年代から70年代のフォークブームを中心に、21世紀まで連綿と続く「時代の歌」を特集したもの。フォークジャンボリーの裏面史、URCレコード総括、陽水の「氷の世界」を語る星勝、多賀英典などのインタビューなど、中身は結構濃い。もう一冊、NHKの「知を知る」。4月の特集「美輪明宏の語る寺山修司」。


 レジで会計をしていると、2人の中年男性が立て続けに、池〇大作の著書をまとめ買い。さすがは城下町の御用達書店。

 16.30、定食屋でさんま定食1000円。

19.00、文学座アトリエで文学座アトリエの会「エスペラント」(作=青木豪、演出=坂口芳貞)。

 舞台は東北にある旅館。東京の私立高校の生徒たちが修学旅行でやって来ている。
 消灯時間が過ぎ、教師たちは生徒が脱走しないように見張りをするやら、翌日のミーティングに備えるやらで廊下を行ったり来たり。

 この高校の卒業生である数学教師・星は、中学の時の家庭教師・笹木の紹介で中途採用されて来たが、笹木の評判は教師たちの間であまり芳しくないようだ。

 その理由を探るうちに、かつて、自分の母親の不倫に笹木が関係あったのではという疑念が浮かび上がる。

 不審な行動を取る一組の男女生徒、1人では眠れないアメリカからの帰国子女、学生時代にエスペラント研究会に所属していた旅館の女将、都会からUターンし、旅館を継ごうとしている娘、高齢のなじみ客、ツアー添乗員、そして星先生と長すぎた春にいらだちを見せる女教師……。さまざまな人間模様がロビーで交差する。

 多数の登場人物を、それぞれ個性豊かに描き、なおかつ、セリフにまったく無駄がない。どの登場人物のどのセリフも芝居の中で有機的に結びつき、「捨て」のセリフがない。これは驚異的なこと。

 どんなに才能豊かな劇作家でも、時間稼ぎのための「ムダ」なセリフは混入する。というか、そんなセリフだけで出来上がった「やっつけ」芝居も多い。それなのに、青木豪のこの芝居の完成度はまさに奇跡的。

 ここで起こる「事件」といえば、男湯にあった乙女の像が湯船に倒れていたり、ロビーのねぶたのハリボテの紙が破られたり、一見して、些細な事件。しかし、そんな些細な出来事が終幕になって意外な様相を見せる。主人公の教師の長年のわだかまりが、一つの焦点を結んでいくのもまたスリリング。そして、ロビーに額装してある宮沢賢治のエスペラント語の詩にまつわる謎が芝居のテーマと絶妙にリンクする。「何も起こらない」修学旅行の一夜が大きなうねりになって客席に押し寄せる。このダイナミズム。こんなに素晴らしい脚本は滅多にお目にかかれない。

 作者、青木豪は、個人ユニット、劇団グリングを活動拠点に、「巧みな状況設定の中で、日常会話から浮かび上がる人間関係を細やかに捉えた作品で定評がある」というが、これほど「言葉」を大事にした作家は稀。モデルとなる土地を実際に訪れて取材、完成までに三十数稿も推敲するというのだから、この完成度はその成果だろう。

 劇中で使われる賢治のエスペラント詩は「企てと無」。「……身なり正しいこどもたちが ごう慢にながめている……太陽は入道雲の中にかくれ 川の氷は白く光りはじめた……ぼくの弓により   視線は凍っている…… 子供らは晴れ着にて 気高く眺める」

 賢治が訳詩をつけなかったため、今でも解釈に大きなナゾが残るという。

 1時間40分。これほど充実した時間を送ったのは久しぶり。
2200帰宅。

3月29日(水)晴れ

 フランスでは新雇用促進策「初期雇用契約」に反対する学生・市民300万人がデモ。

 初めての平日ストは公共機関や一般企業の組合員も加わり、フランス全土が機能マヒする事態に。悪政に対して「ノン」を突きつけるフランス国民。憲法を遵守する義務を負う国会議員が憲法改正、軍国化に血道をあげ、それに対して異議申し立てもしない日本人、消費税が15%になろうがデモひとつ起こらない日本人。不法建築、BSE、直接命にかかわることでも他人事として、すぐに忘れてしまう日本人。とてもマトモな国とは思えない。

 しかし、かつてこの国も国民の怒りが渦巻いた時代があった。
 国会の周りを33万人の市民が取り巻いた60年安保。学費値上げ反対闘争、ベトナム反戦で全国に燎原の火のように広がった70年安保の学生運動。

 買ったばかりの高石友也のCDの中の「一人の手」を聞くと、当時のコンサート会場の熱気に隔世の感を抱いてしまう。

「一人じゃ断ち切れない 鎖は断ち切れない でも、みんなの力でなら きっとできる その日がくる」

 みんなが、もう一つの別の明日を夢見ていたあの時代。アナクロといわれようが、チャイルディッシュといわれようが、世界はいつかは変わる、と信じたい。そう思わなければこんな世界はつまらない。

19.30、アマゾンに注文した高石友也のフォークアルバム 第1集、3集、そして「決定版!日本の労働歌ベスト がんばろう」が届く。

 60年安保世代には懐かしい……のだろうが、初めて聴く歌が多い。やはりワルシャワ労働者の歌(ワルシャワ労働歌)を聴くと、空気が入る。

「暴虐の雲光を覆い 敵の嵐は荒れ狂う ひるまず進め我らの友よ 敵の鉄鎖を打ち砕け」

 70年代の傑作漫画「男組」で、流全次郎が「国家」相手に壮絶な討ち死にを遂げるラストシーンで流れたワルシャワ労働歌。

 いまどき革命歌なんて、カッコ悪い。でも、カッコ悪いことはなんてカッコいいんだろう……?

 昼、思い立って高校同窓会のHP作り。3年前にひながた作って、そのままほっぽり放しだった。改めてコンテンツを練り直し、会報のバックナンバーを見ながらコツコツと。夕方ほぼ完成。

 鈴木英夫監督「悪の階段」を見る。4000万円強盗犯4人組。犯行が成功し、リーダー(山崎努)の指示で、足がつかないよう、半年間は現金を保管しようとするが……。山崎努の愛人、団令子のなぞめいた表情がいい。疑心暗鬼の末に自滅していく男たちを操るがごとく一人笑みを浮かべる女。

 やはり鈴木英夫監督はいい。今の時代の映画のように、あからさまな性描写がなくても、ゾクゾクするようなエロスがにじみ出る。加東大介、西村晃、久保明、久保菜穂子と、ため息の出るような布陣。
3月28日(火)晴れ

 16.30、下北沢。
T取氏に4コママンガの有望株について電話。
 ヴィレッジヴァンガードでお香の台とスティックお香を。
 19.00、本多劇場でTEAM発砲・BI・ZIN「テングメン」(きだつよし作・演出)。女性客でほぼ満席。「明るいヒーローもの」で人気の劇団が、ちょっぴり「18禁」の艶笑コメディーに挑戦。

 夜な夜な江戸の町に出没、さびしい女に愛を与えるテングメン=天狗面(森貞文則)。その正体は、仕事にあぶれ、小遣い稼ぎの忍者の末裔。彼がホレているのは遊女のうさぎ(小林愛)。しかし、彼女の前ではからきし役立たずのテングメン。

 一方、テングメンを追いかける岡っ引・猿蔵(西ノ園達大)は元遊女の恋女房みえ(井上晴美)と新婚だが、なぜかまだ夫婦の契りはない。夫(田口治)がかまってくれないため、テングメンの力を借りる女房とら(武藤晃子)。三つのカップルと、大名の跡継ぎ騒動を絡めて描かれるアクションコメディー。さすがに、「18禁」セリフも多く、いつもの発砲とは一味違う展開。さぞ客席にも違和感が……と思いきや、笑いの絶えないこと。この程度のエロスは今の女性客にとってはフツーなのか。

 大詰めで、主宰のきだつよしがアクションから、役どころまで、オイシイところを全部かっさらっていくといのはいつものパターン。普通、劇団外での仕事も増え、内部の役者も育てば、自分はどっしりと後ろに控えるものだが、ほかの誰よりも自分を最大限に目立たせるきだつよし。稚気というべきか役者根性というべきか。

21.00終演。本編1時間50分。カーテンコール10分。

 途中、北千住駅の本屋で「9条どうでしょう」を買う。25日に発売されたというので、本屋に行くたび、探したのだがなかなか見つからなかったのだ。ここでも片隅にひっそりと置いてあった。毎日新聞、宣伝してるのか。

 内田樹、小田島隆、町山智浩、平川克美の共著。
 いずれもひと筋縄ではいかない「ヒネクレ者」の憲法論。これは心して読まなければ。
 ちなみに、75年頃、赤羽の喫茶店「アテネ」で、アルバイトをしたが、まだ高校生だった小田島隆もバイトで入ってきて、一緒にマージャンしたり、深夜の赤羽公園で夜が白むまで語り明かしたものだ。あれから30数年。月日の流れははやい。

22.00帰宅。
3月27日(月)晴れ


 1800帰宅。今朝撮っておいたNHK・BSの懐かしの映画劇場を観る。
 鈴木英夫監督1956年の作品「彼奴を逃すな」。

 線路沿いの商店街で洋裁とラジオ修理のつましい店を出している夫婦(木村功と津島恵子)。ある日、向かいの不動産屋の主人が殺される。その犯人とおぼしき男を夫は目撃したが、妻が妊娠中とあって事件に関わることを恐れ、警察の追及にもウソをつく。ところが同一犯が、夫婦と同じアパートに住むタクシー運転手をも巻き添えに殺す事件を起こす。思い余った夫は警察に出向き、モンタージュ作成に協力するが……。

 いやあ、この時代の映画ってホントに面白いですね。1956年当時、蒸気機関車が町並みを走り、道路は砂利道。その町並みも懐かしいし、木村功と津島恵子の夫婦の初々しさ。特に津島恵子の美しさと品の良さといったら、「昭和」の美風をそのまま体現している。こんな若妻、今はどこを探してもいない。

 物語も実にサスペンスフルで、ラスト15分の犯人との対峙は絶妙。「フライトプラン」など軽く吹き飛ばすほどの緊迫感。昨今の映画監督に鈴木英夫のツメの垢を飲ませてやりたいくらい。
 やはり、サスペンスは50年代に限る。
3月26日(日)晴れ

 09.30起床。家人の母が卒業祝いのために訪ねてくるので、躰道はお休み。これで1カ月休み。すっかり体が元に戻ってしまった。
0930、青森の伯母から電話。礼状の返礼。上機嫌。本の後書きを読んで「久しぶりに昔を思い出した。そういえば、〇〇は旭町で生まれたんだもののぉ」と。弘前の叔母に電話。こちらも上機嫌。いつか子供の頃に行った弘前城を訪ねてみたいものだ。

1100、義母訪問。

 昨日、録音したTBSラジオ「博士の愛した数式」をダビングがてら聴く。今、流行のようになっている「記憶の蓄積ができない病気」がメディアに載ったのは90年ごろ、毎日新聞の社会面のベタ記事。それをモチーフにした初めての作品は離風霊船の芝居。NHKのFMドラマ「雪だるまの詩」もそう。

 それから、いくつかバリエーションが生まれ、この「博士の愛した数式」に結びつく。
 作者・小川洋子の「妊娠カレンダー」はFMシアターでラジオドラマになっている。「雪だるまの詩」を聴いて参考にした可能性はある。聴き応えのあるいい作品。倉持裕が脚本。

 1540、久しぶりに競馬の馬券を購入。高松宮記念。畠山吉厩舎の二頭出し、マイネルアルビオン、シンボリルグランから、人気のオレハマツテルゼに流したが、残念ながらハズレ。

3月25日(土)晴れ

 お昼、仕事を抜けて銀座マリオン新館へ。映画「サウンド・オブ・サンダー」。ブラッドベリの短編を映画化したもの。タイムマシンで太古に旅した現代人がわずか1・5cの「何か」を持ち帰ったために、現代社会に進化の波が押し寄せ……というSFX大作。とにかく予告編が大迫力なので、初日観劇。予告編が突出してデキがいいと、本編はたいしたことがない、というのがままあり、弱冠の不安。で、やはりその不安が的中。予告編だけで十分の映画。

1530、会社に戻り、月曜の仕事に着手。

18.00、阿佐ヶ谷。江戸竹で寒ぶりの刺身定食1000円。

 前から気になっていたパールセンターの古本屋「ブック・ギルド」をのぞいてみる。時間がないので、軽く探索。さすが阿佐ヶ谷。欲しい本が出てくるものだ。東京キッドブラザース「さくらんぼ漂流記」(71年初版、750円 講談社)→2100円。堀川とんこう著「ずっとドラマを作ってきた」(新潮社、99年 1400円)→730円。

19.00、吉祥寺。吉祥寺シアターでラドママプロデュースVol5「欲望という名の電車」(脚色・構成・演出=ノゾエ征爾)。

 ブランチに早稲田小劇場、劇団旧眞空艦の杉浦千鶴子。スタンリーに下総源太郎。ステラは町田マリー、ミッチェル=久保酎吉、ユーニス=渡会久美子という布陣。
 開幕、電車から降りてくるブランチ。杉浦初見。これがブランチなの?という違和感は次第に薄れ、奇怪なラドママの劇世界へ。
 新劇風に始まったセリフ劇は電車セット前での舞踏風ダンス&歌に移り、セット転換で、ステラの安アパートへ。

 そこで繰り広げられる世にも奇妙な「欲望という名の電車」。演技の肩を脱臼したような不安と孤独と猥雑の舞台。見るほどに引き込まれ、2時間半は瞬く間に。杉浦のアングラ演技に魅了。下総、町田、渡会も健闘。久保もどっぷりと懐かしい匂いのする舞台に同化。客席に水谷龍二の顔。

 21.40、ベルロードの客引きをすり抜けて駅へ。吉祥寺シアター、夜の帰りは女性客には不安かも。

 帰りの電車で半分読了。自分の好きなテレビドラマの多くが堀川とんこう氏のプロデュース、演出作品であることを改めて認識。「岸辺のアルバム」はもとより、75年の「裏切りの明日」、そして名作「トルコ嬢モモコシリーズ」「ポルノ女優小夜子シリーズ」。

 37年生まれの堀川氏がTBSに入社したのが61年。60年安保の余燼さめやらぬ頃。報道志向だった堀川氏がドラマ志望になったキッカケになったのが「dA」という社内同人誌。テレビの「革命」を目指す若き日の今野勉、実相寺昭雄、村木良彦らも参加していたという。ヌーベルバーグ(新しい波)を模索する先輩たちへの親近感からドラマ班へ。

 この本が書かれたのが98年。オウム真理教によるサリン事件の後。TBSは坂本弁護士のインタビューテープ事件で揺れている頃。「テレビというメディアについて様々な思うところがる」時期だ。

 堀川氏が入社し、組合執行部にいた時期はTBS闘争と呼ばれる一連の大争議の時期。

 その闘争のきっかけになったのは、1つは成田事件。成田闘争の取材班のマイクロバスが反対派集会に参加する農婦7人を便乗させたことで政府・自民党がTBSを激しく非難。TBSは担当記者、報道局幹部の処分をせざるを得なかったという事件。

 2つ目は村木良彦ドキュメンタリー「わたしのトゥィギー」「わたしの火山」が難解とされ、萩元晴彦の「あなたは……」(寺山修司も参画)、「日の丸」が政治的に偏向していると問題視された事件。この「事件」がきっかけで、村木、萩元はTBSを退社、日本初のテレビ制作会社「テレビマンユニオン」を設立することになる。


 そして3つ目は、報道番組「ニュースコープ」のキャスター・田英夫のベトナム戦争現地取材「ハノイ・田英夫の証言」が政府の圧力によって田英夫キャスターの解任へと発展した事件。

 68年に起きた3つの事件は史上空前の100日間にわたるTBS闘争につながるわけだが、堀川とんこうは当時まだ入社7年。その闘争の渦中にいながら、テレビとは何かという根源的な問いに対する答えを模索し続けたという。

 堀川とんこうの真摯な性格がよく現れているのは、次の個所。

 78年に手がけ、視聴率35%という大成功を収めた番組。三浦友和、山口百恵共演の「風が燃える」への言及だ。

 「しかし、この作品は私の仕事の中で唯一、気持ちの座りの悪い作品だ。それは伊藤博文の伝記だからである。(中略)やはり間違っても美化することがあってはいけない人だというのが、私の(伊藤博文への)評価なのだ。たかがドラマではないかとと思いもするが、そのドラマを一生の仕事にした自分にとって、この不誠実は小さなことであるはずがない。人は笑うだろうが、この仕事は心のなかの小さな傷になって残った」

「ヒトラーを賛美する映画であっても、表現者は、与えられた仕事として製作すべきなのか」

 自分の関わった作品に対して、このような真摯な言及ができる堀川とんこう。わが身を客観化できる、真のジャーナリストというべきだろう。

23.00帰宅。 
3月24日(金)晴れ

 18.00、笹塚へ。

 開演前に食事をしようと駅前をグルグル徘徊。「7人のこぶたラーメン」なるラーメン屋さんを発見。おいしそうな店は入った瞬間わかる。これはイケそう。基本はとんこつのようだが、しょうゆ味も。

 かつおダシ風味のこぶたラーメンを注文。これがすこぶる美味。最近の創作ラーメン店は店構えとネーミングだけで中身の伴わない店が多いが、ここは外観も中身も充実。尾を引きそうな味。

 19.00、燐光群「フィリピン・ベッドタイム・ストーリーズ2」。ベッドを舞台にした、日比のコラボレーションによる舞台。

「アスワン 〜フィリピン吸血鬼の誕生〜」(作=ロディ・ヴェラ)はフィリピンに伝わる吸血鬼伝説を元にしたもの。森の奥深くで一人の女と出会った男。彼と女は交わり、女は妊娠する。しかし、男は女を捨てて妻子のいる町に戻る。女から生まれた胎児は母の血を吸い、肉体をむさぼり、生き延びていく。それは母親の生まれたときの再現でもあった。

 シーツ一枚の小道具で胎児の誕生、母の肉体の断裂などを多彩に演じたフィリピン版に比べて、群読の趣きの日本版。視覚を満足させる演劇的な舞台という点ではフィリピン優勢勝ち。
 続く、「それで裸になったつもり?」(作=リザ・マグトト)は、ホテルの一室で、大学の教授と教え子がコスプレする艶笑譚。開演前に、小学生連れの家族が客席に何組かいたので、そちらが気になってしまう。あからさまな性描写は18禁。件の小学生一家がどんな顔で見ているのか、考えると、居心地が良くない。
 これも、フィリピン版がすっきり。俳優の演技も素晴らしい。女学生役を演じた女優が面白い。

「フィリピンパブで幸せを」(作=内田春菊)は日比の合同公演。フィリピンパブで出会った美女と一夜と共にした日本人の若者。目が覚めると件の美女の家。それも恐ろしいほどの豪邸。美女に見初められ、結婚してほしいと懇願される。腕のいい医師である父親、三人の妹も結婚に大賛成。日本に帰れば保育園の保育士。さてどうする。なぜ、彼に白羽の矢が立ったのか……。これまた抱腹絶倒の艶笑コメディー。

 若者を演じた俳優もひょうひょうとした味で好感がもてるが、ここでもフィリピンカンパニーの「うまさ」が目立つ。

 2時間30分。二つの作品を日本・フィリピンで競作して見せたのは面白い試みだが、上演時間が長すぎる。

 2300帰宅。

 永田議員のニセメールをめぐる衆院懲罰委員会は、仲介者の実名を永田が明らかにしただの、「自分のけじめは政治活動に全力をあげること」だのと、くだらない茶番劇。これこそ税金の無駄遣い。軽薄な議員がハメられただけの話。ここまで大騒ぎする話じゃない。

 それを問題にするなら、「大量破壊兵器の存在」というアメリカ・ブッシュ大統領の「ガセ情報」を鵜呑みにして、イラク侵略に手を貸したコイズミ首相の罪のほうが重い。

 ありもしない「大量破壊兵器」情報に乗っかったために、自衛隊をイラクに派兵し、国民の血税を砂漠にばら撒き、平和憲法を骨抜きにした。罪万死に値する。

 マサチューセッツ工科大のノーム・チョモスキー教授は「米英のイラク攻撃はニュルンベルク裁判で断罪された侵略行為と同じ。戦争犯罪だ」と断言している。その米英に追随したニッポンも同罪だ。いつから日本はこんな「品格のない国」になったのか。どこが「武士道」の国だというのか。


 一方で、米・海兵隊のグアム移転にかかる総費用100億ドルのうち75億ドル(8800億円)を日本に負担するようブッシュが小泉に働きかけ、小泉も了承。移転にかかる費用とは名ばかりで、隊員や家族の住宅、訓練施設、港湾整備費まで含まれているという。「引っ越し代だけじゃなく家具や生活費まで出せ」と言ってるのと同じ。国民からは血税吸い上げ、米国に献上。ニッポンはアメリカの貯金箱か。


 昨年11月時点では、日本の負担は3200億円といっていたのに、4カ月後には8800億円に膨張。ナメられているというか、こんなヤツラこそ売国奴と言う。
 WBCといっても、世界で野球が盛んなのはアメリカとその「属国」だけ。「世界一」に浮かれてるうちに、タンスの貯金通帳を盗まれてちゃどうしようもない。

 そんな絶望的なニッポンで、唯一まともなニュースが北陸電力・志賀原発の運転差し止め訴訟で原告側の完全勝訴。「電力側の想定を超えた地震で原発に事故が起こり、住民が被爆する具体的可能性がある」という金沢地裁の判決はきわめて真っ当。

 電力側の御用学者は「新幹線も地震の断層の上に走っている。原発といえど完璧を求めるべきではない」などと、ムチャクチャな反論。新幹線と原発を一緒にする「すり替え」は「包丁も使いようで凶器になる。注意して運転すれば原発は安全だ」とのたまった女性評論家と同じレベル。

 バカな御用学者や評論家につける薬はない。
 金沢地裁の井戸謙一裁判長の英知と、権力におもねることのない勇気に心から賛意と敬意。
3月23日(木)快晴

07.00起床。
09.00小学校卒業式。

 式次第の「国歌斉唱」をの文字を見るといつも暗澹とした気分になる。1999年の国旗・国歌法施行を受けて「君が代斉唱」から”晴れて”「国歌斉唱」になった、その底意が透けて見えて居心地が悪い。「上一人を讃える国歌」を戴くのは奴隷国家以外のなにものでもない。だから、君が代は歌わない。

 市長、市議会議長の祝辞も不用。代読で型どおりの祝辞を述べるだけなら時間の無駄。それよりも、転勤した担任の先生方の祝電披露の方が数倍、生徒たちの心に響く。

 卒業式のハイライトは卒業生と在校生(5年)の群読とコーラスの掛け合い。壇上に卒業生。椅子席を隔てて、向かい合うように並んだ5年生が、一人ひとり、惜別と旅立ちの思いを語り、歌う。小学生たちの合唱を聞くと無条件に胸が締めつけられるような感動を覚えるのはなぜだろう。
 遠い日への憧憬。
 子供の頃、合唱団が好きだった。音羽ゆりかご会とか児童合唱団とか……大人になる一歩手前の少年少女の合唱曲。はかない一瞬の輝きを感じてしまうからなのか。

 1230終了。在校生の作るアーチをくぐりぬける母子たち。ざわついた記念撮影も終えて学校を後に。

 13.00、子供の同級生の母子3組と合同で食事会。 同じ中学に進むからか、卒業といっても子供たちはいたってクール。食事を終えると、一人抜け、二人抜け……。

14.30帰宅。
 昼ビールを飲んだからか、またしても睡魔に襲われ、気がつくと18.00。



3月22日(水)晴れ

 明日の小学校卒業式出席のため休みを交代し出勤。

 世間は王ジャパン世界一で浮かれまくっているが、我が社の同僚には天邪鬼が多い。

「なぜ、韓国に2回も負けたのに決勝リーグに出場して優勝できるのか。アメリカ流のリーグ制に問題があるのは歴然。もし、韓国と立場が逆だったら、今頃日本中は反韓の嵐が吹きまくって収拾つかないことになっていただろう。勝って嬉しいのはわかるけど、制度の不備に救われたのだから、日本選手はもう少し謙虚さが必要。普段はクールを装うイチローが”ヤバイっす”なんて言うのはちょっと……。ゴジラ松井の方がよほど大人」

 優勝直後に行われたテレビの人気投票ではイチロー200票余に対して松井600票余とその差は歴然。イチロー人気が沸騰するかと思いきや、ファンはちゃんと見ている。

 王ジャパンは「勝って兜の緒を締めよ」の武士道精神を見習って欲しいもの。「実るほど頭の下がる稲穂かな」の方がいいか? 
 こんなことを言うとまた「非国民」呼ばわりされるんだろうけど。

 1530〜1630、代議員会。

 17.30帰宅。18.30〜17.15、歯医者で左奥歯の治療。今回で終了。

 帰り、「ヴィレッジヴァンガード」で本や雑貨を物色。

 20.00、夕張の叔母から電話。先日の回忌の引き物のお礼。

 話好きの叔母の電話はついつい長くなる。昔気質の人だから、電話代を心配して、いったん切って掛け直し。自分が幼稚園の頃まで叔母も実家にいたので、よく遊んでもらったものだ。
 戦争中のこと、私の生まれた時の事……話題はさまざま。ひとつだけ、初めて聞く話があった。
 それは父のこと。

「あんたのお父さんは、尋常小学校を出て、すぐに山で仕事をすることになったの。下にきょうだいが多いからね。その後、森林鉄道が引かれ、トロッコが走るようになって、じきにディーゼル機関車になったけど、当時は冬場、山から丸太を運び出すのにソリを使ってたんだよ。
 ソリといっても、丸太を積むソリだから馬ソリみたいに大きなヤツ。それを操ってふもとまで運ぶんだけど、ワイヤーでくくりつけた丸太を背にしてソリを操るのは大変な技術がいるのさ。ヘタすりゃ、沢に落ちたり、丸太に潰されたり、そりゃあ危険この上ない仕事。実際、何人かが丸太を運ぶ途中、命を落としてるからね。それを、あんたのお父さんは、「名人」「山の神」って呼ばれるくらい、上手だった。度胸もあったんだろうね。一回もケガしたことないし、えらいもんだよ」

 子供の頃、土曜になると、ディーゼル機関車に丸太を満載して山から下りて来る父を手を振って迎えるのが慣わしだった。機関車にも乗せてもらったことがある。あれは1950年代末。それより以前、私が生まれる前は、森林鉄道もなく、ソリで山から木を運んでいたのだ。

 まだ二十歳そこそこの父。雪を蹴って猛スピードで斜面を走る丸太ソリ。足を踏ん張り、ロープでソリを操る父のその勇姿を想像すると胸が熱くなる。そこに自分が会ったことのない若い父がいる。

 口数少なく、自慢話などもってのほか。ましてや他人の悪口を言ったのを聞いたことがない。もっともっと父といろんな話をするべきだった……。


3月21日(火)晴れ 休日

 0700起床。ゴミ出し。
二度寝しようと思ったが、休日に限って目がさえてしまい、結局、昼まで日記のまとめ書きに費やす。
 WBCの決勝を見るも、途中で猛烈な睡魔に襲われ、ベッドに倒れこむ。気がつくと1600。
 夜まで回忌の礼状書き。

3月20日(月)晴れ

 カスタネット休日の初日。翌日が休みなので気分上々。仕事もサクサクと終えて、1600退社。新宿へ。

 タワーレコードで「ナイガヤガラトライアングルVol1」。学生の時にこのアルバムを聴いてから大瀧詠一にはまったのだった。前回CD化されたのを持っていたはずだが……。まあいいか。

 1900、スペースゼロで月影十番勝負ファイナル「サソリックス 約束」(千葉雅子・作、池田成志・演出)。高田聖子のプロデュース企画で始まった公演も10作目。これで一応の区切り。

 主人公の名前は村田奈美子。「女囚サソリ」の主人公は松島ナミだったか。その「サソリ」の黒づくめ、黒のつば広帽子で登場する奈美=高田聖子。自分を陥れた男を探して日本列島を北から南へのロードムービーならぬロードステージ。千葉雅子らしい乾いたハードボイルドタッチの物語。木野花、伊勢志摩、池谷のぶえ、加藤啓、そして千葉と池田も出演。人間の心の闇をひりひりとしたタッチで描く千葉の脚本を成志が軽妙に演出。こういった笑いのセンスは好き。

 21.30終演。RUPのI間さんと立ち話。

「今日は以前、〇〇さんに取材してもらった山本カナコさんが来ていたので、珍しい顔合わせだと思って……。これから聖子ちゃんがどう展開していくか。小劇場で今まで通りやるか、それとも大劇場か、考えているんですけど……」
 すっかり風格のある女優になった高田聖子。87年、新幹線が東京公演を始めた頃、彼女と羽野アキの取材をしたことがあるが、一方は狂言師夫人、一方も結婚して女優業。あれから20年近く。月日の経つのは早いものだ。もしかしたら関東の一般メディアで高田聖子を初めて紹介したのは自分だったかもしれない。先見の明あり?

 2300帰宅。

3月19日(日)晴れ 強風

 08.35道場着。今日は躰道昇級・昇段試験。
 小学生、大学生を中心に約90人の受審者。
 自分は今回はパス。息子の付き添い。

 法事や学校の卒業式練習でほとんど稽古ができなかったのでどうなるのかと気をもんでいたが、無事に審査終了。帰りに本屋でレコードコレクター誌購入。「ナイヤガラ・トライアングルVol1発売特集」。そうか、ナイヤガラトライアングルが30th記念で再発か。大瀧詠一を聴き始めた原点。あのレコードからすべてはスタートした。

 12.30、北朝霞の和食店で従姉の娘さんSちゃんと会食。春から就職。母が生きている頃はまだ小学生だった子が大学を終えて就職。昔は上京するのに、途中駅「野辺地」から12時間もかかったという話をすると、「新幹線はなかったんですか」

 彼女の感覚では、東北新幹線は「生まれたときからあった」みたい。調べてみると確かに1982年開通。彼女が生まれた年か?

 東北新幹線が開通したのはつい最近のような気がしてしまう自分。世代間のギャップか。


 14.00、彼女と別れて電車で30分後には家に……のはずが、なんと西浦和の手前の荒川陸橋付近で電車がストップ。強風による制限を検知したとのことで、全線ストップ。陸橋の上は危険なので、通過してから止めたとの放送。確かに止まっていても車体はゆらゆら。これで走ったら大惨事になる可能性も。

 1時間近く停車したまま。携えた佐原健二の「素晴らしき特撮人生」をほとんど読み終えてしまう。行間からにじみ出る佐原健二の育ちの良さと人柄の良さ。40年以上たっても桜井浩子、西條康彦のウルトラQ仲間と人もうらやむような温かい交友を続けているのは、彼の温厚篤実な性格によるものではないか。

 この本を読んで佐原健二という役者を見直した。それにしても佐原健二といい桜井浩子さんといい、石田信之さんといい、特撮出身の俳優は皆いい人ばかり。

 15.30、南浦和まで電車は動くが、再いストップ、風の勢いもおさまりそうもない。やむなく電車を降りてタクシーに乗り換え。

 道路も強風のため、クルマがハンドルを取られるのでどのクルマもそろりそろりとスピード控えめ。が、タクシーの運転手は猛スピード。途中、急ブレーキ。言わんこっちゃない、風で吹き飛ばされた植木鉢が飛んできて前のクルマに当たりそうになったのだ。危うくシートに頭をぶつけそうになる。こんな日に乱暴運転にぶつかるなんてついてない。

 16.30、帰宅。

3月18日(土)晴れ

 ビルの内壁塗り変え工事で業者が入り、雑然。
17.30まで会社に滞在。


18.00、銀座・博品館劇場で「ミス・サイコン(再婚)」(原作=大谷美智浩)。

 「再婚したい!」と掛け声だけは勇ましいが、いざとなると尻込みしてしまうバツイチの臨床心理士、高嶺希美(香樹たつき)。妹・礼子(成瀬こうき)がつけたあだ名は「ミス再婚」。舞台は礼子と彼女の友人俊介(新納慎也)が働く他国籍和風薬膳料理店。希美の癒しの店でもある。

 ある日、そこに韓国IT企業の御曹司(パク・トンハ)がやってくる。のっとり屋の標的にされているが、ボンボンの自分は役員たちに相手にされていないと嘆く。臨床心理士として、彼の悩みに回答を与えた希美の効あって、企業は買収を免れ、希美に会社顧問の誘いが……。一方、買収の仕掛け人後藤慶太(平澤智)は希美の手腕を買い、自分と組むことを提案する。二人の男の間で揺れる希美。 そんな希美に怪しげな占い師(安崎求)は「幸せ恐怖症」から抜け出すべきだとアドバイスする。しかし、その占い師の正体は……。

 「負け犬」だの「勝ち組」だのと、人間を選別して誇りと希望を奪うような現実社会に対して、ちょっぴり皮肉をこめて描く辛口のコメディー・ミュージカル。

 宝塚出身の香樹、成瀬からは独特のオーラ。殊に成瀬はのびやかな肢体と豊かな表現力が際立つ。

 今の社会で女が自立することのなんと困難なことか。しかし、その困難さへのエールを惜しみなく送る謝珠栄(演出・振付)。彼女自身へのエールでもあるのだろう。
 休憩15分をはさんで2時間30分。

 休憩時間にロビー謝さんと立話。ミュージカルを見に来るお客さんの9割は若い女性。でも、男性、特に中高年が劇場に来る時代になれば、少しは世の中が変わるんじゃないか……というような話を。
 キッドブラザースのシアター365時代のことに水を向けると、
「私も一番好きなのは”タック”のように若者の熱い思いを描いたものなんです。キッドブラザースの芝居のようなね」
 明るく気さくな謝さん。同世代の匂いを感じてしまう。

 隣席が音楽評論家・S川昌久氏だったので、氏とおしゃべり。
「最近は舞台を見るのもおっくうになることもあって、今日も起きたら、なんだか気が失せてしまい、予定していた1本を見逃してしまいました。明日は日比谷公会堂でジャズライブ。これは行かなくちゃいけないなぁ……」

 物腰穏やかな瀬川氏。ジャズ、ミュージカル黎明期からの評論家であり、生き字引のような方。「T取くんが今度大きなホールで芝居をやるんだってね」と情報も早い。

 21.30、謝さん、制作の飯塚さんに挨拶して家路に。
3月17日(金)晴れ

 仕事を早めに終えて銀座へ。

14.00、銀座みゆき館でNLT「一人二役」(演出=釜紹人)。

「罠」で知られるサスペンス・コメディーの名手、ロベール・トマの推理劇。

 伯父の財産を相続したフランソワーズ(伊東弘美)。彼女は魅力的な男リシャール(佐藤淳)と出会い、結婚する。しかし、夫は新婚早々、酒とギャンブルにおぼれ、妻に暴力を振るう。たまりかねた妻は離婚を決意する。そのために、双子の弟だという、夫とソックリの男を利用するのだが……。

 NLT得意の軽いタッチのコメディー。タイトルから中身を推察できるところが惜しい。二転三転のどんでん返しも、今ならテレビのサスペンス劇場でもやらない古典的な手口。古色蒼然はいたしかたない。休憩15分をはさんで2時間。

16.00終演。制作のO澤さんと立話。

 旭屋書店に寄って佐原健二著「素晴らしき特撮人生」(小学館 1600円)を買う。

17.00、東西線経由で阿佐ヶ谷。事故で三鷹直通電車はストップ。

 駅を降りてそのまま、北口、五叉路方向へ。この前、S村さんと会った時、取り壊し間近と言っていたので、確かめるために昔住んでいたアパートへ。

 路地を抜けて、アパート前の空き地に立ち入ると、目の前にS村さんの顔。アパート前にうずたかく積まれた私物を片付けているところ。

「よぉ!」

 手を挙げて笑いかけるS村さん。まるで昨日別れたばかりのように、前置きもなしに、そのまま立話。いきなり「秋田明大は……山本義隆は……吉本隆明は……」と彼ら全共闘世代にとっての共通分母が飛び出してくる。時間が止まっているわけではなく、「民主党はMLの連中が……」と最近の話題もチラと顔をのぞかせる。

「もうすぐ引っ越すよ。残ってるのは3人だけ。奥の部屋の男は漫画家志望だけど、北海道に帰るって言ってるし」

「夜中に二階の部屋のドアがあく音がするんだってさ。空き部屋は釘を打ち付けてるのに。みんな聞いてるって言うんだよ。不思議な話だろう。○○クンが出て行った後、ここに越してきた人の中には、白血病で死んだ人もいるし、もう1人、ご老人だったけど亡くなってる。オレはそんな話、信じないけどよ」

 取り止めもない話に終止符を打って、18.00、駅へ。定食屋が休みなので、仕方なしに回転寿司で夕食。

18.30、中野へ。

 廃業した映画館「光座」でMODE「唐版 俳優修業」。

 アスベストむき出しの天井・壁。漏水するトイレ。昔日の栄華の面影はない映画館。

 出し物は状況劇場77年初演の「俳優修業」。松本修が初めて見た状況劇場の公演は「蛇姫様」で、これはその半年後に上演された作品。前者の華麗なロマンチジズムあふれる作品とは打って変わった沈鬱な作品。

 三理塚闘争で機動隊のガス銃水平発射により虐殺された東山薫さんの事件をモチーフにしている。唐十郎作品の中で、政治性を前面に出した作品は珍しい。この時期の唐十郎の心境の変化がうかがわれる。

「自分の中の”うしろめたさ”への問題提起だったのかもしれない」と、飲み会で酔いに任せて唐さんは語っていたが、真実は29年前の唐十郎でなければわからない。

 ガス弾で直撃された頭蓋骨の陥没した形に「ヒトデ」の形を見いだし、銀紙の灰皿、紅はこべならぬ紅しょうがをメタファーする。俳優修業の女性警察官・さくらんぼ、シェークスピアを擬制する鈴木忠志、ナゾの刑事……。すべてが混沌とする、猥雑な虚構の空間。唐作品に付き物の、終幕カタルシスもないままの唖然呆然の1時間半。

 客席に品川徹の顔も。

 終演後、丸井のそばの居酒屋で初日乾杯。

 唐十郎、S伯隆幸、E森盛夫、N堂行人、M井秀美、T瀬久男氏らも。例によって、にこやかかつパワフルに乾杯の音頭を取った唐さん。ビールから焼酎ロックに切り替え、1時間後には酩酊状態。

 22時過ぎ、唐さんの提案で居合わせた錚々たる評論家、演劇人に混じって挨拶するハメに。汗顔の至り。
 高田恵篤と雑談。7月の岸田理生作品演出のことなど。英才の誉れ高い長男シンザンは早大2年とか。

 23.00、名残惜しいが終電に遅れないように、E森氏らとお先に失礼。
0.30帰宅。疲労困憊だが、楽しいお酒で気分は上々。
3月16日(木)晴れ

 16.00、K記念病院で鍼。ベッドの中で「花岡ちゃんの夏休み」を読む。メガネの大学生・花岡数子の日常を通して描かれる70年代当時の等身大の女の子の悩める青春。やはり清原なつのの傑作にふさわしい。

 夜寝る前に布団の中に入ってから本を読むのは父の影響か。山仕事を終えて、夜はねそべって総合雑誌を読みふけっていた父。兄弟姉妹を支えるため長男として早くからきつい労働に従事し続けた父。生まれる時代と家庭環境が違っていたら、きっと別な人生を送ったことだろう。

 早めに就寝……と思ったが、寝付かれず、夜半、ようやくまどろみの中。このところ、夢見がいいので眠るのが楽しみ。
3月15日(水)晴れ

 10.00起床。

 14.00、池袋へ。池袋小劇場で劇団No.PLANの旗揚げ公演「落書き」。
 躰道の道場仲間、日芸1年のM路夕里さんが出演しているので激励に。開演5分前に駆け込んで席に着くと、後ろから「○○さん」と声をかけられる。振り向くとK地さん。学校帰りで女子高の制服。躰道着姿しか見たことがないので、思わずドキリ。

 舞台は3話オムニバス。コント風、シリアス風、最後は役者と作家のコラボレーション。1人だけ、目を引く男優がいたので後で聞いたら、女性だとか。どう見ても男にしか見えない。

 終演後、1階出口でM路さん、K地さんと立話。K地さんは4月からカナダに交換留学生として留学するため、躰道は休会。来年帰国してもう一度高校3年をやり直すのだとか。何事にも意欲的な若者は輝いて見える。駅まで肩を並べて歩くが、ちょっとアブナイ関係に見られたりして。

 17.00帰宅。ピアノの調律中。
18.00、A賀歯科医へ。先週採った奥歯の型がうまく仕上がらなかったようで、再度採り直し。

19.00帰宅。法事の「後片付け」をしているうちに就寝時間。
3月14日(火)晴れ

 ここ数年見たことがないような甘美な夢。まるでフェリーニの「8 1/2 のように過ぎ去った日々が立ち上がってくる。目覚めても消えない甘くはかない陶酔感。あの人たちは今……。

 7.00出社。

 19.00、新宿。紀伊國屋ホールで「ハゲレット」。鈴木聡脚本、山田和也演出。前売り完売で当日券に行列ができるほどの盛況。

 ハムレットが若ハゲに悩む若者だったら……という設定。しかし、この設定が本筋と深くリンクするわけではない。ただ単に、設定としてあるだけ。いわば、「つかみ」に過ぎない。
 パロディーというわけでもなく、ハムレットの物語がそのまま喜劇的に進行するだけ。
 いってみれば、「よくわかる 図解ハムレット」。難しい小説をマンガ化し、わかりやすく解説した参考書と思えばいい。

「ローゼングランツとギルデンスターン」や「フォーティンブラス」などの「分かり難い登場人物」を分かりやすくに解説。
 客席は終始笑いが絶えないが、どう対応していいか……。試みはわかるのだが……。

 終演後、M新聞の高橋さんとトップスでビールを傾ける。
「この前のラッパ屋公演が面白かっただけに残念ですね」とT橋さん。確かに……。

 山形出身のT橋さん。実家はすでになく、お墓をどうするか……など、自分と同じ悩み。ひょんなことから、故斎藤正治氏のことなどが話題に。放蕩無頼の映画評論家であり、寺山修司の映画の俳優としても知られた斎藤さん。酒を止められても病院から看護婦さん同伴でゴールデン街に参上したとか。キネマ旬報のワイセツ裁判では最後まで「ワイセツなぜ悪い」の論陣を張った。しかし、まさに火宅の人。遺族が頑なに葬儀・告別式を拒絶し、遺骨もしばらくの間、M田政男さんの家に置かれた。亡くなって何年になるだろう。

 23.00、山手線、池袋でT橋さんと別れて家路に。
3月13日(月)雪その後吹雪(青森)


 07.00起床。09.00チェックアウト。
 本家に挨拶に行くと、すでに弘前と東京の叔母夫婦は叔父に送られて帰ったという。行き違い。
 親戚を一巡りして、実家に。従姉が見送りに。慌しい帰省。それも自分の家にはほとんど滞在できず。この家の時間はわずかに動いただけ。それでも、久しぶりに孫たちの顔を見てお墓の下の父母も喜んだだろう。

 11.00出発。晴天だった空模様が木野部峠を越えるあたりから崩れ出し、粉雪が猛吹雪に。前方視界ほとんどゼロ。そろりそろりとクルマを走らせ、なんとかむつ市に到着。その頃にはタイヤが雪に埋もれるほど大雪。父の葬儀の帰りもこうだった。

 今回も、息子が「ぼたん雪ってどんな雪?」と言うので、なんとか、ぼたん雪を見せようと思っていたら、ちょうど回忌の途中でふわふわとぼたん雪。「これがそうだよ」と、柔らかい空からの便りを見せたのだった。
 おまけにサラサラの粉雪も。孫のために、父母が見せてくれたのだろうか。

 まさかりプラザで食事。友人のBに会いに行くもちょうど不在。電話するとこれから会議とのこと。残念。明神町の親戚・K上さん宅に行きお焼香。祖父の妹である大叔母が亡くなって10数年。高校時代にお世話になったものだ。

 レンタカーを返し、駅舎に行くと、大湊14.05発の電車は強風のため、25分遅れで出発。そのために接続列車の変更を余儀なくされる。大湊線はよくあることというが、後続新幹線に乗り継ぎ、帰宅時間がずれるのが痛い。

 予定より1時間遅れで、新幹線は大宮に到着。帰宅は21.00。お風呂に入るのもそこそこに、親戚に「今着いたから」と報告電話。
 何はともあれ、無事に回忌が終わった。胸のつかえがひとつ消えた。

 2200就寝。

 12日に投開票された米空母艦載機移転の賛否を問う岩国市住民投票は60%に迫る投票率で、9割が「反対」に投票。賛成派のボイコット戦術は失敗し、逆に9割という大差の反対票を生み出すことになった。民意は明らか。電車の高架下の騒音と同じレベルの騒音を容認せよというのならまず自分がその騒音を体験してみるがいい。確定票=反対43433、賛成5369、無効879。

 この岩国住民投票で積極的に反対活動をしたのが、かつてのアイドル・デュオ「じゅんとネネ」のネネさん。
 エコロジストの立場から89年に八丈島町長選に立候補したことは記憶に新しいが、行動するアーチストとして今も活動中とはうれしい。

「昔はアメリカがカッコいいと思っていたけど今は戦争放棄の憲法を持つ日本に誇りが持てる」とネネさん。

「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」

 憲法第9条の条文から歌い出し、「愛の時代が来るよ/人々の心が/優しさと喜びに/あふれたそんな時代が来るよ」とオリジナル詞で続ける「サヨナラ戦争」を自主制作し、岩国でも歌ったという。

 私が中学時代にデビューした「じゅん&ネネ」。ヒット曲「愛するってこわい」もいいけど「水色の世界」も好きだった。

 じゅんは20年以上前、勤務先の近くの喫茶店、その名も「じゅん」のママを長いことやっていた。中学時代のアイドルが注文を取りにテーブルに来る。和服姿のじゅんを間近に見てときめいたものだった。
 その後、店をたたんで結婚・育児生活に入ったと聞いていたが、最近夫君が亡くなったとか。人生はさまざま……。
 それにしても、70年安保世代であるネネが、「おばさん」になり今は「反戦」「環境」を訴え、しなやかに歌っているのを見るとやけに嬉しくなる。
3月12日(日)小雪5℃

 0630起床。眠い。

 07.30朝食。10.00から法事だが、「早めに来ないとだめだよ」と親戚に言われていたので、食事もそこそこにお寺へ。

08.00、すでに伯母たちが寺の台所で祭壇に供えるためのだんご作り。今日はお寺の「当番日」ということで、傍らでは檀家の人たちが、忙しそうにこれまただんご作り。
 本堂には伯母が手配した立派な祭壇が設えてある。自宅から持っていった位牌をその一番上に据える。

 墓掃除など、立ち働いているうちに親戚が集まり、和尚さんが別件で洋次があるため、時間よりやや早めに法要が始まる。

 今回は身内だけということで、20数人の親戚が参列してくれる。わざわざ東京から足を運んだ叔母も。母の十三回忌、父の三回忌。このように親戚を招いて回忌法要を行うのはおそらく最後。10年後は家族だけの法要となるだろう。

 お墓参りの後は、お寺で会食。13.00まで。久しぶりにおばたちと話をする。しかし、法事の席を見れば、男の方が寿命が短いということがよくわかる。

父方の伯母・叔母5人で夫が存命なのは2人だけ。母方の伯母もつい先ごろ連れ合いを亡くしたばかり。母の兄も亡くなっており、こうしてみると、男というのは長生きできない運命のようだ。もちろん、男が年上ということを抜きにしても、やはり夫婦のうち夫は早くに亡くなる。

 後片付けをした後、本家に行き、叔父夫婦と茶飲み話。本来ならば、「本家」は長男である父が継いでいるはずだが、母が病気がちだったため、田畑仕事もできず、つまるところ「家」を守ることができず、父は、やむなく、弟に家督を譲ったのだった。私が小学5年の時だった。

 父と母が家を出た後、おばあちゃん子だった私は、そのまま祖父母と暮らしていたのだが、ある日、母たちが間借りしている伯母の家の納戸に遊びに行ったとき、ふと、母が可哀想になったのか、その日を境に、私も父母とともに暮らすようになった。
 母は喜んだが、祖父母は寂しかっただろう。

 祖母は針仕事の時、いつも、私に「針のみんずとおし」(針の穴通し)を頼んでいたので、祖母のために、糸を通した針を何十本も作って置いてきた。

 祖父は「何曜日に何のドラマがあるのか」をいつも私に聞いていたので、古新聞(新聞を取っているわけではなく、どこかの家からもらった古新聞だった)の番組表を1週間分切り取り、どの曜日にどの番組があるのかという「番組表」を作って置いてきた。

 生まれた家である祖父母の住む家から父母が間借りしている狭い納戸へ。家を新築するまで、その納戸に住んでいた。ここで暮らした1年間は自分にとって楽しい記憶として今も懐かしく思い出される。

 なんといっても、1人っ子の自分にきょうだいができたのだ。2人の従兄は年が離れていたが、モジュラー電蓄を改造して二階と1階をインターホンのようにつないだりしていたM兄、「子供の科学」ももしかしたら、ここで知ったのかもしれない。

 ひとつ下のS子とはきょうだいのように遊んだ。3つ上のA子は中学生だったので、英語で「きよしこの夜」や「ジングルベル」を教わった。彼女が読んでいる「月刊平凡」、みつはしちかこの「チッチとサリー」も初めて読んだ。モジュラーステレオで北島三郎の「なみだ船」や橋幸夫、三田明も聴いた。生まれて初めての「他人」との同居で学んだことは大きい。
 家が完成し、引っ越しするとき、嬉しさと同時に従姉たちと別れる寂しさが強かった。
 その従姉たちが今、父母の回忌で一生懸命に立ち働いてくれる。あれから40年近い年月が経つ。いとこたちとの絆は今も深い。

 夕方、宿泊先の保養センターに戻り、夕食。その後、従姉のS子夫婦と娘が訪ねてきて、部屋でミニ酒宴。さんざめく笑い。楽しいひととき。泊まっているのは一組だけのようなので、話し声が廊下まで響いても大丈夫。その後、北海道の大学を卒業した息子を迎えに行った従姉のA子一家が来て、またまた酒宴。2300までこの上ない楽しい時間を過ごす。本当に自分は親戚に恵まれている。

 2330就寝。明け方04.00、家内と娘は温泉へ。女は元気だ。

 全国原発6基で計46本の制御棒のひび割れが判明。制御棒に問題が見つかるのは世界でも例がないという。原発運転のアクセル兼ブレーキである制御棒。
 例によって事業者は「制御棒が折れることはなく、機能に問題はない」と言ってるが、ブレーキなしで時速200キロのスピードで高速道路を走り「障害物がないから危険性はない」と言ってるようなもの。破局が近づいていたとしても、その瞬間まで誰も気付きはしない。
3月11日(土)晴れ


 08.05大宮発の新幹線で北上。八戸から「きらきらみちのく号」に乗り換え、下北まで直行。2両目の指定席は畳の和室風。靴を脱いでスリッパに履き替えることができる。

 途中で後方から三味線の音が……空耳かと思ったら、毎週土曜日は2両目の一角で津軽三味線の出前コンサートがあるのだとか。弘前から来たという二人の津軽三味線の音が車内に響く。ほかの車両からも乗客が集まってくるが、乗客数は20人弱とややさびしい。
 体調の悪い人が乗っていたらベンベンという三味線の音は迷惑ものだろうが、そのへんは東北人らしいおおらかさ。耳にヘッドホンを入れた若者も、それを外して生の津軽三味線に耳を傾ける。20分弱のミニライブ。

 海沿いを走る電車から釜臥山が見えてくると、いよいよ田名部。我が家に戻ってきたという感慨に襲われる。雪を戴いた釜臥山の姿。高校3年間住んだだけの町だが、思い出深い町。この釜臥山も遠足で中腹まで上ったことがある。

 終点・大湊駅で降りて、レンタカーで田名部へ。いつものように、まさかりプラザで昼食。ちょっと値は張るものの、ここで「みそ貝焼き定食」を食べるのが楽しみ。子供の頃は「みそがやき」と言ってたが、この頃は当て字なのか、もともとそう呼んでいたのか「味噌貝焼き」のネーミング。ホタテ貝の上で、イカやネギ、ホタテを味噌と卵で閉じて食す。なんともいえないふるさとの味。

 15.00、わが町に到着。まずは宿泊する海峡保養センターにチェックイン。その後、車を走らせ、実家へ。鍵を開けて裏口から家に入る。日めくりカレンダーは2年前の日付。時間が止まった家。その瞬間にコチコチと時間が動き出す。この先、この家の時間はどれだけ進むのだろうか。

 親戚を一回りして、保養センターに戻ったのが18.30。夕食19.30。海の幸づくしの豪華なお膳にびっくり。
 明日の法事のことも考えて、早めに就寝。


 反骨のジャーナリスト・茶本繁正氏が、がんのため死去。76歳。再び戦前の過ちを繰り返さないよう、厳しい眼差しで今のジャーナリズムを叱咤していた。特殊潜航艇の生き残りであり、戦争の悲惨さを身をもって知る最後の世代。「万が一、徴兵制ということにでもなったら、身体を張っても阻止してやる」と語っていたという。
 また1人、日本は「品格のある」ジャーナリストを失った。合掌。
3月10日(金)雨

 急に寒くなったためか体調いまいち。朝から腰が痛むのは、微熱があるせいだと夕方検温して判明する。熱があるとすぐに腰に来る。

 内科医に寄って、風邪薬と花粉症の薬を出してもらう。
18.00帰宅。明日は帰省。寒いだろうなぁ、田舎は。

3月9日(木)晴れ

 なぜか風邪が長引いてる。おまけに花粉症も出始めて……。合わせ技一本負け。

16.20、K記念病院。今日からK泉さんという美人の鍼灸師さん。なんとなく心が弾むとは現金な……。親切丁寧な施術。よかった。

18.00、江古田へ。洋食店でスタミナ定食610円。マスコミでよく紹介される店らしいが、野菜がどっさりで、ちょっと分量が多すぎる。学生向けか。
 食べ残した年配のオジサンが「おいしいけど、ちょっと先を急ぐから」と店に気遣い。

 その後、昔ながらのコーヒーショップでカフェオレ。

 宮崎学の「突破者異聞 鉄」を読み終えてしまう。

 焼け跡闇市から裸一貫でヤクザ社会にのし上がった高山登久太郎の半生。もちろん、評伝であるからヤクザを美化している部分はあるものの、在日韓国人としての出自を隠すことなく、日本有数のヤクザ組織の頂点に上り詰めた男の侠気は伝わってくる。

 引退しても、自分が提訴した暴力団対策法裁判を続け、権力への異議申し立てをした高山。山口組は取り下げ、他の裁判も敗訴が続いた中で孤立無援の闘い。普通なら「イチ抜けた」となるものを、骨の髄まで昔気質のヤクザなのだ。


「やっぱりな、悪の温床と言われても”任侠”の社会というのは5百年の歴史があるしやな、伝統があるんや。そやから任侠に生きる者として、信と義を忘れたらいかんと。こん中で我々は闘いをしていかなあかんと。勝ち負けは別や。やることに意義があるし、一石を投じたとうことがやな、意義があるわけや。やっぱりこれは最後までやらなあかんことやしね。それにこういうことやらへんかったらな、権力は目が覚めんて。何でも自分らが好きなことしてたら、ものがまかり通ると思うてね、世の中の人々を冒涜したらあかんわ」


 高山が予言したように、暴力団対策法以降のヤクザ社会は地下にもぐり、より凶悪に利潤を求めるようになり、マフィア化した。犯罪検挙率は20lを割り、警察力は弱まり、警察内部は腐敗し始めた。

 2002年1月、高山が亡くなる前の年、故田岡文子さんの17回忌に参列した高山は、ある感慨を持ったという。
 それは、時代の流れによって、ヤクザ社会が大きく変わったこと、そのヤクザという共同体の真髄を求めて裁判を闘い続ける自分とは何者なのか。もはや自分の生きたヤクザ社会は幻ではないのか……という砂をかむような感慨。

 晩年は毎朝、逢坂山のウォーキングを欠かさなかったという。この本が出版されたときにはまだ健在だった高山登久太郎。律儀にホームページで市民に理解を訴えかけていたことも知らなかったが、亡くなる1週間前まで更新されていた。愚直なまでのエネルギー。

「しかしこの戦いは、権力という体制と、それに付随し、弱者を踏み台にして安穏と生きようとする者が存在する以上、未来永劫、終焉を見ることはないと存じます」

 長男・山義友希氏の挨拶文のように、高山の生きた証はこの先も消えることがない。

19.00、ストアハウスで龍昇企画「こころ」。

 漱石の名作を舞台化したもので、私、先生、先生の妻などを数人で交代で演じる。演じるというよりも、リーディングの趣き。明治のインテリの苦悩は果たして現在の俳優が表現できるのか、が疑問。言葉をなぞってみても、肉体が伴わない。今の若いタレントが昭和初期の人々を演じる違和感と同じ。言葉と肉体は密接不可分。

 その意味で、「先生」を演じた俳優が終始、シニカルで不機嫌な演技をしていたのが気にかかった。そこには明治人の誠実さが感じられない。現代人の表層的なペシミズムにしか見えないのだ。もはや明治はおろか、昭和初期の人々さえ、役者は演じられない時代ではないのか。「三丁目の夕日」がいい例。あの映画に登場した俳優には昭和の匂いがまったく感じられなかった。肉体的にも精神的にも。

21.00終演。体調もよくないので龍氏や黒木さんに挨拶もせずに家路に。
3月8日(水)晴れ

 娘の高校卒業式で大宮まで。
 9.00到着。時代が変わっても変わらない式次第。県知事の祝電披露なんかいらないのに。
 粛々と進んだ卒業式。やはり、「蛍の光」でややウルウル。様々な意見はあるけど、「仰げば尊し」は歌って欲しい。教師は反面教師であってもいい。

 閉会の辞の後は卒業生退場。一組ずつ退場するのだが、その時、在校生・教職員に向かって全員が「ありがとうございました!」と元気に叫ぶその姿にたまらず涙。卒業式で一番いいシーン。在校生の間を縫って退場する卒業生たち。涙、笑顔、すまし顔……さまざま。それでいい。

 しかし……。娘の卒業式か……。自分の卒業式がついこの前のように思えるのに。30年以上が過ぎたのに、自分は今でも時々高校時代を生きている。

16.00帰宅。そのまま歯科医へ。左の奥歯の治療。麻酔を多めに使ったので、顔半分マヒ。夕食は麻酔が切れてから。この前は麻酔でマヒしていたため、自分で自分の唇に噛みキズをつけていたのに気付かずあとで仰天したものだ。


「花岡ちゃんの夏休み」「警鐘2」、「忘れかけたら初心にかえる」(高山義友希著)届く。
中身を読むと、高山氏は巨大宗教の会員のよう。ちょっと鼻白んでしまう。
3月8日(火)晴れ

 15.00、渋谷。
パルコ劇場で「血闘! 高田馬場」。三谷幸喜が市川染五郎のために書き下ろしたオリジナル歌舞伎。

 1694年(元禄7年)2月11日、決闘の策略にはまったおじ・菅野六郎左衛門を救うため、酒飲み浪人・中山(堀部)安兵衛が決闘場所に駆けつけ、助太刀するおなじみの忠臣蔵外伝。

 何もない素舞台なので、どうなるのだろうと思ったら、セットは舞台袖から運び込まれ、盆舞台を使ってすばやく交換。染五郎、亀治郎、中村勘太郎の三人の人気役者も二役三役を早変わり。スピーディーな世話物歌舞伎。
 スペクタクル性は希薄だが、いかにも三谷らしい知的歌舞伎。
 2時間10分。

 17.30、下北沢へ移動。
「千草」でさんま焼き定食850円。ディスクユニオンで「ゴールデンスタンダード集 1」。1955〜1965年に発売された日本人歌手による洋楽カヴァーのコンピ盤。聴いたことのない曲ばかり。

19.00、ザ・スズナリで、演劇企画集団THE・ガジラ「ひかりごけ」。1954年に発表された武田泰淳の小説が原作。

 第二次大戦末期、日本軍暁部隊所属の徴用船が、暁部隊の廻航命令により北海道根室港を発ったが、翌4日、知床岬沖合で大シケに遭い、消息を絶つ。その2カ月後、知床から16`離れた羅臼の人家に一人の男が助けを求める。不明の船の船長だ。7人の船員のうち、彼だけが生き延びたという。しかし、発見されたリンゴ箱からは人間一体の骨と皮が……。「人肉食」という人間の極限の闇をテーマにした舞台。

 中央に「渡り廊下」のように舞台を設え、客席はそれを挟んで二方向から。
 役者は舞台脇の「穴」から登場。舞台は洞窟という設定。

 鐘下辰男得意の、極限下の人間の心理と行動。
 闇の中で繰り広げられる船員たちの人肉食をめぐる葛藤。舞台中央で「熊鍋」を火にかけながら対座する若松武史と千葉哲也。現在から過去、過去から未来へと重層的に場面は切り替わり、人間の生と死にまつわるタブーがリアルに立ち上がる。松田洋治が汚れ役をやるのは珍しい。品川徹はさすがの存在感。
 21.00終演。
 M好氏と駅まで。
 ポツドールの「夢の城」の話題。
3月7日(月)晴れ

 午後、早めに仕事を切り上げ、氷川台へ。

 従兄のSさんの家。田舎から伯母が出てきているので、横浜の叔母夫婦が遊びに行っている。途中から合流。
 裸一貫から建設会社を興し、今は順風満帆な従兄。先日、亡くなった伯父が認知症になる前にその成功を見せてあげたかったに違いない。親孝行したいときに親は……。

18.00、「レッドロブスター」で食事会。話も弾み、ついビールを何杯もお代わり。
21.00、家路に。

 偶然、HPで見かけたバーチャル書庫「ブックログ」が面白く、amazonの中古店、マーケットプレイスを行き来しているうちに、偶然にも清原なつの「花岡ちゃんの夏休み」の出品を見つける。1980円。即注文。これは奇跡的。この26年間、古書店を探し回り、ついに手に入れることができなかった幻のマンガ。それが、万分の一の偶然で見つかったのだ。ほんの一瞬遅かったら売れていたはずだし、なによりも出品者に恵まれた。これは1万の値がついても惜しくない。


3月5日(日)晴れ

 風邪のため躰道稽古休み。代わりに子供は家人が送迎。


 だいぶ調子が良くなったのでビデオでも……と思ったが、撮りためたテレビ番組がハードディスクを圧迫するので、DVDに焼き込み。日がな一日、その作業に追われ、結局一本も見られず。

 アマゾンで注文した高山登久太郎著「警鐘」が届いたので目を通す。発行元はぴいぷる社。内外タイムス社主の恩田貢が社長を兼ねた出版社。毀誉褒貶の激しい出版界のフィクサーが版元を引き受けたとはいかにも剛毅な。
 その恩田氏もすでに故人。

「暴対新法が狙っているのはヤクザだけではなく、原発反対の市民団体や、新左翼、政党関係者まで広範囲に渡る。この法律は人権侵害だけではなく、結社の自由をも侵す。新法による被害は私らヤクザだけじゃなく、善良なる市民にも及ぶおそれがある。ならば、市民運動家たちの人権も自分らの手で守らなければ……と、これが新左翼などとの連帯の動機だ」と序文で述べる高山。

 むろん、「日本も軍隊を作って愛国心を持たなければ」と言う高山と新左翼諸党派は思想信条の大きな違いがあっただろう。それでも、91年の暴力団新法をめぐる新左翼・ヤクザ共闘の意義は大きかったといえる。

 この本が出版されたのは91年、新法施行の日。それから高山が病に倒れ、亡くなるまで、山口組が提訴を取り下げ、他の組の裁判も敗訴するなど、会津小鉄会というよりも、高山自身の孤立無援の闘いになったわけだからそれに耐えた高山登久太郎氏は並みのヤクザではない。

 その根底にあったのは、終生、韓国籍を守り、在日としての誇りと尊厳を持ち続けた高山氏の「任侠道」なのだろう。
 遠藤誠、高山登久太郎、立場は違っても反権力で結びついた絆の太さ。戦争の傷を負いながら敗戦の中からはい上がった男たち。もう、高山氏のようなヤクザは出てこない。



3月5日(土)晴れ


 相変わらず風邪で気力なし。

 仕事を片付けて1400、中野へ。中野ポケットで紅王国「不治病(フジノヤマイ)2006」。入口で劇評家の三好氏、主宰の野中友博氏と立話。

 AIDSをメタファーに、永劫の時を生きる不死者「吸血鬼」の孤独を描いた物語。「耽美派劇団」に共通するモノトーンの舞台旋律。言い換えれば起伏を押さえた演出。自分の美意識にどっぷりと漬かってしまうのではなく、全体を俯瞰する視線が欲しい。

16.10終演。制作のK氏に挨拶して駅へ急ぐ。

16.30、下北沢。回転寿司で軽く腹ごしらえ。

17.00、本多劇場で加藤健一事務所「エキスポ」。中島淳彦作品を久世龍之介が演出。カトケンが和製コメディーを上演するのは珍しい。独特の中島ワールドをどんな風に料理するのか興味津々だったが、これがドンピシャ、うまくはまって終始笑いの絶えない好舞台に。


 1970年、大阪では万博が華々しく開催され、一方では70年安保をめぐる騒乱が全国で繰り広げられていた時代。

 舞台は九州・宮崎。海と山に囲まれた静かな田舎町。この町の大場家は通夜・お葬式の真っ最中。テレビのニュースを見ながら、「お父ちゃん、人類の進歩と調和げな……」の言葉を遺してぽっくり逝った母親。

 突然の母の死で残された家族たちが右往左往。そんなところに、長女の別れた夫で、東京で作曲家を目指している山下が、ひょっこり現れる。おまけに通夜の席には何やら挙動不審な客も……。

「太陽の塔」に象徴されるように、日本中の誰もが明るい未来を信じて懸命に生きようとしていた時代を背景に、ある家族の葬儀のドタバタをペーソスたっぷりに描いたコメディー。

 道学先生のオリジナル版を初演、再演とも見ているため、役者の顔がオリジナル版の俳優と重なって見えてしまうのが難点といえば難点。しかし、道学先生版を見たときにはあまりピンとこなかった「人類の進歩と調和げな……」の言葉の意味が、今回は希望の向こうにある「静かな哀しみ」としてクッキリと描写され、なるほど……と感心。ちょっとした演出の違いで、見えなかったものが見えてくる場合がある。
 その意味で久世演出は中島作品の理解の一助として好演出だったといえる。

 いつにもまして役者のアンサンブルが抜群。中でも長男の嫁役の富本牧子が図抜けてうまい。外波山文明も一人異質な雰囲気になるかと思いきや、きっちり場に溶け込んでいるし、老け役・有福正志も相変わらずひょうひょうとした演技。新井康弘も加藤健一に伍して達者。加藤忍は役の幅が広がり、芝居にも貫禄が出てきた。「子供っぽさを表現したい」と言ってた高橋麻理は悩める年ごろの女のコを好演。長髪を後ろに束ねた畠中洋はおぼつかない手でギター弾き語り。ここだけミュージカル?

 1時間50分。心地よい笑いに客席が温まるちょうどいい時間。

 18.50終演。楽屋に行って高橋さんに挨拶。彼女の酒豪ぶりを見たかったが、風邪が抜けきっていないので役者にうつしては大変。飲み会はまたいつか。N島さん、A部さんに挨拶して本多を後に。

 ヴィレッジヴァンガードをちょっとのぞいてから、スズナリ下の古本屋へ。「山口小夜子の魅力学」(文化出版局 83年1200円)→800円。吉田秋生「白泉社カードギャラリー」220円。清原なつの「真珠とり」(りぼんコミックス360円)→400円。悪役商会「悪役になろうぜ」(カッパブックス650円)→1000円。秋山満「COMの青春」(平凡社1500円)→640円。

 電車の中で「COMの青春」斜め読み。元「COM」編集者の見た「知られざる手塚治虫の素顔」。100人いれば100人の見た手塚治虫がいる。寺山修司もそう。天才に限らず、人は相手によって様々な顔を持つもの。すべてはその人の一面に過ぎない。本人は気付いていないかもしれないが、時として見せる著者の独りよがりな態度に閉口。優秀な編集者であったのだろうけど。

 22.00帰宅。
3月3日(金)晴れ

 久世光彦氏死去。70歳。先月の佐々木守氏といい、70年代の偉大な才能が消えてしまう。痛恨の極み。75年頃、文芸坐地下の「ひょっこりひょうたん島」特集を見に来ている久世氏とすれ違ったことがあった。妙齢の美女を連れて、上下オシャレなジーンズ姿で。あの頃、久世氏はまだ40代か。

 風邪で体がだるい。午後早めに帰宅。グローブ座の「カブク」は結局パス。残念。
 ローン減税申告が中途半端なので、タクシーで税務署へ。提出手続きを終えて電車で帰宅。

 たかが風邪でも、人間、体調がすぐれないと気が滅入る。夜も早々に就寝。

3月2日(木)曇り時々雨

 風邪で不調。体がダルく、ノドが痛い。
 芝居をキャンセル。K記念病院の鍼もキャンセル。

 1430、退社。
 旅行代理店に寄って、11日の切符の手配。家族4人でレンタカー込みで11万5000円。

 16.00、帰宅し、昔のビデオをダビング。1991年に放送された報道特集。暴力団対策法問題で、新左翼とヤクザが共闘した時期。

 亡くなった遠藤誠弁護士、四代目会津小鉄会の高山登久太郎会長の顔。

 よくテレビに登場した白髪に長いモミアゲの高山会長にはなぜか暴力団会長という強面のイメージではなく、昔ながらの「任侠」の男を感じ、「好き」な人物だった。どうしているのだろうと、ネットで検索したら、2003年にがんで亡くなっていた。

 本名・姜外秀(カン・ウェス)。在日コリアンで民団中央本部中央委員という肩書もあったという。宮崎学の「突破者異聞 鉄」は高山の人生を描いたもの。

 91年の暴対法以降、高山の警察権力との裁判を通した闘いは持続し、最後は孤立無援の闘いになった。ヤクザが警察にたてついたら潰される。高山登久太郎は生まれついての反骨の人だったのだろう。創価学会と警察、二大権力を敵に回して闘った任侠の男・高山登久太郎。こんな潔いヤクザがいたとは。旧いビデオを見直すと、思わぬ発見をするものだ。
3月1日(水)雨

 相変わらず不調。しかし、日にちがない。午後から税務署に行って、住宅譲渡・売買の確定申告。係員のレクチャーを受けながら、1時間半かけて、なんとか終了。2千数百万円の売却損があるため、去年の税金がまるまる戻ってくる。これは大きい。
 しかし、風邪に加えて花粉症でボロボロ。ほとんど意識朦朧。

15.30帰宅。歯医者はキャンセル。
 21.00就寝。

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