4月30日(日)晴れ

 09.00〜12.00、躰道稽古。気温が高く、汗が滴り落ちる。すぐにノドが乾くし、これからの季節は稽古も大変。

 帰宅して映画「任侠東海道」を見る。千恵蔵が清水次郎長を演じるシリーズの1作。歌右衛門は吉良の仁吉役。恩義のある神戸の長吉の縄張り奪還のために、義兄・安濃徳と袂を分かつ吉良の仁吉。女房きくに三下り半をつきつける有名なシーンなど、講談でおなじみの「荒神山の決闘」、吉良の仁吉の「義理と人情」の物語。

 ウーン。やっぱりこの時代の東映時代劇は面白い。月形龍之介の悪役ぶりもいい。

 小学生の頃はすでに、娯楽の中心は映画からテレビに移り、TBS「水戸黄門」の初代黄門様を演じていた月形龍之介。その印象が強いため、映画で悪役を演じている月形龍之介には違和感すら感じる。

 それにしても、TBSはなぜ「水戸黄門」の初代を東野英治郎とするのか今もって不可解。
  月形龍之介の子息も「初代は親父だ」と慨嘆していたが、局の都合で月形黄門を「なかったもの」にするのは勝手過ぎるのでは。
 30分番組が1時間枠になった時点で「別の番組になった」といわれればその通りだけど、同じTBS、連続性はある。
 毎週見ていた月形龍之介黄門様が、東野英治郎に代わったときの違和感は何十年たっても消えることはない。品のいい黄門様が一転して百姓顔の黄門様になったのだから、10歳くらいの子供にとっては結構ショックだったのだ。
公式には初代は「東野黄門」だろうが、これは捏造された放送史。あくまでも初代は月形龍之介だ。


 しかし……休日になると、なぜかダラダラと過ごしてしまう。時間がもったいないのに……。今日も今日とて、思考停止のまま就寝時間。
4月29日(土)晴れ

 祝日。来年から「昭和の日」に。「今上天皇の誕生日」としての意味を失った4月29日をなんとかして昭和天皇を記念する日として意味づけたい勢力が3度目の国会法案提出で成立させた法律だけに、昭和天皇賛美色を薄めた「昭和の日」という表現に。本当は「昭和天皇記念日」としたかったのだろうが、姑息といえば姑息な表現。可哀想なのは、ワンクッションのために作られ、5月4日に移動する「みどりの日」。天皇によって環境が追いやられた格好。この国の姿を象徴している。

 午後から家人と買い物に。

 夕方帰宅し、録画しておいた「任侠中仙道」を見る。東映時代劇全盛時代のオールスター映画。片岡千恵蔵、市川歌右衛門、月形龍之介、大友柳太郎などキラ星のごときスターたち。大川橋蔵、中村錦之助など、まだヒヨッコに見えるところが周囲の顔ぶれのスゴさ。国定忠治の窮状を清水次郎長が救う……という、ありえない設定だが、この絢爛豪華な時代劇の前には時代考証も無意味。ひたすらチャンバラ映画の面白さを味わうだけで十分。

 時代劇全盛の1950年代。この映画も祖父母が見たのかもしれない。人口約4000。生まれ故郷の小さな町に3軒の映画館があった50年代。映画が娯楽の王様だった時代……。
4月28日(金)晴れ


 社内の一部部署ではすでに大型連休のムード蔓延。「勝手にしやがれ」だ。

15.20、予定を早めてもらい、K記念病院で鍼。
17.00、東大駒場前へ。

 駒場エミナースのレストランで打ち合わせ中のシーザー、T取氏に合流。「新・人生万才」の件で相談。

 18.30、エミナースホールで万有引力「草迷宮」。フランスのオムニバス映画の1本として作られた作品を舞台化したものだと思い込んでいたが、実は、J.A.シーザーコンサートのために、寺山修司が作った19枚の台本を元にしたもので、映画はその後に作られたものだとのこと。
 86年にシードホールで初演されているが、今回はそのバージョンアップ版。亡き母の歌っていた手まり歌のナゾを求めて旅をする青年の地獄めぐりの物語が、シーザーの音楽と、万有引力俳優陣のコラボレーションで独特の極彩色絵巻として描かれる。

 約1時間30分。

 隣に座った20代の男の子が、上演中もチラシをパラパラめくったり、ためつすがめつ眺めたり、やたら落ち着かない。時々こういう人がいる。舞台を見ないでパンフレットばかり見ているおばさんとか。視界に入ると目障りでしょうがないので、たまらず注意。しゅんとなって、チラシを手元に置いたが、習慣になってるのか、時々、もぞもぞと手をチラシに伸ばそうとして、ハッと気がついて手を引っ込めたり。その気配でまた舞台に集中できない。
 せっかくの「草迷宮」も隣の男のおかげで半分台無し。

 終演後、O澤さん、とりふね舞踏舎の三上さんらと下北沢に移動。白木屋でプレ打ち上げ。バラシがあるので、劇団員は深夜から朝までコース。シーザーは途中から合流。

 和光大の学生、Y君、大学院生、K藤絵里さんに現在形の寺山修司のことを問うも、周囲の騒々しさで意思疎通に難。新入生コンパが行われている白木屋の喧騒では会話成立せず。

 名古屋の「国際寺山修司学会」は本格的な寺山研究組織になる模様。寺山修司が「アカデミックに研究」される。没後23年。寺山修司の詩と思想は常に現在進行形であらねばならない、という「寺山原理主義」にこだわれば、寺山修司とアカデミスムの組み合わせは、「なんだかなあ」なのだが……。

 しかし、これから寺山修司を知らない世代が増えていくであろう時代に、せめて寺山修司の全体像を「研究」することもあながち、「反寺山的営為」ではないのかとも思ったりするわけで……。
 昔は、寺山修司の記念館が作られることや展覧会が行われることにさえ、「寺山修司的ではない」と「嫌悪」していた時期があったが……。それならお前は何を、と問われれば返す言葉はない……か。

23.00、終電に間に合うように家路に。


4月27日(木)晴れ

 17.00、青山劇場で「アニー」。昨年も開演時間を間違えて、結局見られず。今年こそは、と思ったが、大事なイベントがあったことを失念。残念ながら一幕で帰らなければならない。

 物語の舞台は1933年、大恐慌直後のニューヨーク。主人公アニーは、どんなにつらくても、夢と希望を失わない、明るく元気な女の子。生まれてすぐに自分を捨てた両親がいつか必ず迎えにきてくれると信じて、孤児院で暮らす赤毛の女の子。ある日、アニーは両親を探し出すために、手がかりの置き手紙とロケットを手に、孤児院を脱走。しかし、思いもよらない大富豪ウォーバックス氏(目黒祐樹)とその秘書グレース(岩崎良美)との出会い。夢のように楽しい日々。ところが、そんなアニーに悪意を持って近づく人物が……。

 ルースター役はタップの本間憲一。子役たちとの集団タップダンスもピタリと決まって、素晴らしいデキ。博品館劇場の「SHOES ON!」を想起する。孤児院の院長ハニガン役は辺見マリ。彼女を見ると、どうしても、ヒット曲「経験」の「やめて〜」の声が聞こえてくるわけだが、意外に30数年たっても、若々しい姿。目黒祐樹も懐かしい。

 豪華なセット、ダンス、歌唱のレベルの高さ。どれをとっても、超一級の舞台。一幕で帰るのは心残りだが、仕方ない。

19.00帰宅。家族と落ち合い、華屋与平衛で夕食。
4月26日(水)晴れ

 就寝中からノドに痛みがあり、輾転反側。

 07.30、起きてゴミ出し。 08.50、近くの内科医へ。花粉症の薬と痛み止めを。

 0930、録画しておいた「関の弥太っぺ」(1963年東映)を見る。名匠・山下耕作の股旅ものの最高傑作であり、日本映画史上に残る名作。

 若くいなせな渡世人・弥太郎(中村錦之助)は旅の途中、川に落ちて溺れた娘を助ける。その父親(大坂志郎)はワケありの様子。金銭のもつれから、渡世人・森助(木村功)に斬られた父親の最期の頼みを引き受け、娘を旅籠(実は娘の母親の実家)まで送る弥太郎。
 彼は娘を送り届けたばかりか、自分の生き別れの妹のために肌身離さず身につけていた、なけなしの45両まで添え、名も告げずに立ち去る。


 それから10年、美しく成長した娘・お小夜(十朱幸代)は自分を助けてくれた恩人を捜し求めている。一方、弥太郎は妹が女郎屋で病死したことを知り、そのためにか、ヤクザの用心棒として荒んだ生活をしていた。弥太郎と再会した森助は、風の噂に、お小夜のことを知り、礼金欲しさに自分がその男と名乗り出る。そして、お小夜に横恋慕し、夫婦になることを強要する。そこに、弥太郎が現れ……。


 長谷川伸の股旅ものといえば、「瞼の母」もそうだが、主人公の心には生き別れになった母や妹へのせつない思いが満ちている。

 父を亡くした娘を生家(その時点では弥太郎にはわからない)に届け、娘と別れるとき、弥太郎が慰めにこう言う。

「世の中には、悲しいこと、辛ぇことが沢山ある。だけど忘れるこった。忘れて日が暮れりゃ明日になる。……ああ、明日も天気か」

 10年後、荒んだ暮らしの果てに、すっかり面立ちも変わった弥太郎のことを、お小夜は気付かない。 

 しかし、花咲き乱れる垣根越しに、最期の別れを告げようとする弥太郎が再び、このセリフを口にする。

「じゃあ、私の兄さんになってください。これからこの家にずっと一緒にいてください」
 恩人だと気づかずお小夜が言う。
 
 しかし、弥太郎は、
「それはできねえ相談だ。あっしは暮れ六つに用事がある体。もうすぐ御免をこうむります。

「大事な御用なんですか。それなら、せめて今晩だけ。御用が終わったら、このまま、うちにいてください」 

「お嬢さん、ありがとう。しかし、あっしは、どこの旅先で白刃が障子越しに突き出るかわからねえ体でござんす。おうちにご迷惑にかかります。さあ、もう行かなきゃならねぇ」

「旅人さん、どうかお名前をお聞かせくださいまし」

「渡り鳥にゃあ、名前はありません」

「じゃあ、あなたさまはこれから……」

「妹のところへ行くかもしれない。そいつはたったひとつの望みでござんす」

「そうですか。お妹さんがうらやましい」
 
 弥太郎の妹がもやはこの世の人ではないことを知らないお小夜のつぶやき。

「お小夜さん、このシャバには悲しいこと、辛ぇことが沢山ある。だが、忘れるこった、忘れて日が暮れりゃ明日になる」

「旅人さん」

「……ああ。明日も天気か」


 このとき、初めて、お小夜は恩人が弥太郎だと気づくのだ。セリフで、それと気付かせる。うまい。ここでもう、ビデオを見ながら滂沱の涙。

 お小夜は後を追うが、弥太郎は、物陰に隠れ、お小夜を見送る。
「瞼の母」と同じシーン。

 弥太郎はこの後、単身、ヤクザの親分子分が待ち受ける決闘場へと歩を進める。映画は暮れ六ツの鐘の音と、弥太郎の遠ざかる後姿が重なりエンドマーク。

 流麗な映像、音楽、役者の情感あふれる演技。どれを取っても日本映画の最高傑作の名にふさわしい。これから先、おそらく何度となく、この映画を観ながら涙することだろう。

「私も、もうすぐ、妹の所に行くはずです」

 74年に藤竜也が歌ってヒット、その後映画化もされた「花一輪」は、今思えば、この「関の弥太っぺ」が元ネタだったのか。
 32年目の発見。

 続いて、昨夜録画の新番組「大岡越前」を見る。ハイビジョン映像で見る時代劇はクリアすぎてセットであることが歴然。おもちゃのような映像。しかも、始まって5分で結末も展開も分かってしまう。新聞の紹介記事では「視聴者もだれが犯人なのか推理する面白さがある」などと書いてあったのでどれほどのドラマかと思いきや、陳腐を絵に描いたような脚本。こんなドラマばかり見せられていたら、日本の視聴者の「脳力」が低下するのは当たり前。

 1600〜1830、仮眠。ノドの痛みと熱っぽさで、いささか不調。



4月25日(火)晴れ

 朝、ノドに痛み。風邪か?

 1400、会議室でIT時代の拡販戦略についてK氏からレクチャー。

 先日来、相談を受けている「人生万才!」復活の件でT取氏に電話。京都で講義中。


1800、北千住の商店街を散策。小料理屋で夕食を。刺身がおいしい。それにご飯のおいしいこと。こんなにおいしいご飯はめったにお目にかかれない。思わず銘柄を聞くと、「田舎から特別に送ってもらってるお米なんですよ」と女将さん。

19.00、シアター1010で「秘密の花園」。

 新宿梁山泊の受付は渡会さん。プロデューサーの高橋さんに挨拶。

「PANTAさん、いいですよ。ここ2、3日で変わりました。三田佳子も”PANTAさん、すごくよくなったわ”って言ってます。存在感がすごいですからね」と高橋さん。

 RUPの花本さんも「最初はセリフと動きがかみ合わなくて、ぎこちなかったけど、ここにきて俄然よくなりましたよ」と。

 東京下町・日暮里を舞台に、なぞめいた姉妹と、奇態な男たちが繰り広げる、ロマンチシズムあふれる妄想の詩劇。十貫寺梅軒扮する「時の番人」が1本の糸を介して松田洋治と相対する冒頭から、めくるめく唐ワールドへ。

 舞台は中央に古びた木造アパートの部屋と上手に汚い共同便所のセット。下手にはスロープ。人の出入りがわかるように、ドア前に空間。

 なんといっても三田佳子が素晴らしい。一幕では「いちよ」(一葉)なる女性を、ニ幕で「もろは」(双葉)という別の女性を演じるわけで、その演じ分けはさすがの演技派。緑魔子へのあてがきだったためか、一幕では、なにやら「緑魔子」ふうのセリフ回し。それがニ幕では、一転して凛とした女性に。膨大なセリフ、それも唐十郎独特のセリフをよく自家薬籠中の物にした……。女優魂偉大なり。

 松田洋治は言わずもがな、大澄賢也も健闘。唐十郎の娘、大鶴美仁音も可愛いバレリーナ姿でオルゴールから登場。客席から暖かい視線。

 幕間にロビーで演出の三枝健起氏と立話。金久美子の葬儀のときに初めて会って以来だが、「よく憶えてますよ」と三枝氏。何度会っても、憶えてもらえない人もたまにいるけど、三枝氏にそう言われると嬉しいものだ。

 血色のいい引き締まった顔、運動選手のように全身バネのような体躯。誰かに似ているな、と思ったら佐々木昭一郎氏。NHK(出身)の演出家という共通項か。

「本多劇場のこけら落としの時は用事があって一幕で帰っちゃったんですよ」と三枝氏。唐作品は7本ドラマ化しているが、「ドラマと違って、いっぱいセットですからね、どう見せるか、難しいです」

 さて、二幕中盤からいよいよPANTA登場。大丈夫だろうか、セリフ飛ばさないだろうかと、我が事のようにドキドキ。しかし、その心配は登場5秒で完膚なきまでに粉砕されてしまった。
 ドクター・ノグチ役。蓬髪、右目の黒いアイパッチ、ド派手な金ラメ衣装。見た目もインパクトあるが、そのセリフ回しの良さはとても初舞台とは思えない。しかも、体をくねらせる妖しい動きは百戦錬磨の役者のもの。その場を一瞬にして自分のものにしてしまう磁力はさすが。


 一人で観客に相対するミュージシャンにとって、客つかみはお手の物なのか。 いやはやビックリ。ここまでPANTAがやるとは思ってもみなかった。

 同じようなアングラ・キャラで登場している大久保鷹、金守珍に伍して引けをとらない……どころか完全に食っている。百戦錬磨のジャパニーズ・ロックのカリスマはダテじゃない。これなら役者としてもイケル。

 声がいい。滑舌がいい、体が柔らかい。キャラが立つ。
 ミュージシャンPANTAから役者PANTAへ。その変貌と成果の瞬間に立ち会えてこれほど嬉しいことはない。

22.00、終演。客席で南河内万歳一座の内藤裕敬に会ったので立話。昨日上京して明日帰阪するのだとか。公演は下旬から。「相変わらずいいガタイしてますね」と内藤。「今度、腕相撲やりましょう」と、笑いながら応答。

 楽屋に行ってPANTA、金守珍らと立話。金ちゃんは肉離れを起こし、足にテーピング。「もう大丈夫です」とは言うが、坂道を自転車で上るシーンもあり、大変そう。軽口を言い合うPANTAと金ちゃん。同じ舞台に立った仲間は戦友のようなものだ。気の置けない仲間が増えていく。役者はうらやましい。

22.15、花本さんに見送られ退出。家路に。30分で自宅に帰れるのだから、シアター1010は埼玉東部住民には嬉しい施設。
4月24日(月)晴れ後雨

 山手線で線路が盛り上がり、走行異常。全線ストップし、乗客は電車から降りて線路伝いに歩いているというニュース。

 午後、郵便局でM井豊昭氏宛てに書籍を。

 その帰り、田舎の従姉に電話。数日前、隣町の漁師がウニ篭漁の最中に誤って海に落ち、そのまま行方不明になっているが、いまだに遺体は上がっていないという。昨日まで海も荒れていたので、遠くに流されたのだろうか。海難事故は忘れた頃にやってくる。板子一枚下は地獄。漁師の家族はそんな地獄と背中合わせを生きている。


 17.00、銀座で差し入れ用のワインを一本。

 18.00、阿佐ヶ谷。夕食は「江戸竹」で刺身定食を、と思っが、店の前に張り紙。「店主療養のためしばらく営業休止します」
 残念。

19.00、名曲喫茶「ヴィオロン」で「GEMMD SHAFT 歌と朗読のやりたい放題ヤッホー!!」と題した朗読会。

 このところ、舞台から遠ざかっている元新宿梁山泊の石井ひとみが自らプロデュースした30人限定のミニ朗読会。

 昔はどの町にもあった名曲喫茶だが、阿佐ヶ谷はここだけか。荻窪には「ミニヨン」があるけど。コーヒーを飲みながら、クラシックに耳を傾ける、ゆったりとした時間の過ごし方はもはや時代遅れなのか。

 巨大なスピーカーとアンティークな置物。いかにも昔からの名曲喫茶。

 客は村松恭子ほか十数人。
 出演者は井上直美(元梁山泊)、大串真一郎(元壱組)、鈴木規依示。演奏は紫竹好之(尺八、朗読)、田中俊光(ピアノ)。

 演目は金子光晴の詩から「愛情56」「愛情38」、ブーベの恋人、アラバールの「祈り」(曲はチョップスティックス)、「灰色の瞳」(大串のギター、歌)、アルフォンス・オレの「奇妙な死」、「レモン哀歌」、「不実女の嘆き」など。

「あすなろ物語」の中の冴子のシーンも朗読。「井上靖の三部作は大好きなんです」と石井。岡崎京子の「1分間」は、句読のない詩をいかにして表現するか苦心したようだが、その意気込みだけはわかるものの、結果に反映していない。この部分はカットしてもよさそう。

 全部で1時間10分。一番の聴きものは「祈り」。井上直美と大串の掛け合いは昔のFMラジオ「2人の部屋」を聴いているよう。井上の声の演技が素晴らしい。

 役者と鼻を突き合せるような小さな空間でのパフォーマンスは客と演者の間の親和感が増す。文化のバロメーターとは、このような朗読会が増えることかもしれない。それぞれの地域に根ざした朗読会が行われれば……文化と芸術の発信になる。

20.15、外で客出しをする石井と立話。なんだかんだと、20年近い付き合いになるわけだ。開店休業中の石井にもっと舞台の声がかかればいいのだが。

20.25、新宿で山手線に乗り換えようとしたが、事故の影響で、ホームは人があふれ、電車に乗るどころの騒ぎではない。総武線、秋葉原経由で家路に。
21.50帰宅。
4月23日(日)晴れ

 0900〜1200、躰道稽古。新学期が始まったせいか、子供たちの人数が極端に少ない。学生たちも。

 基本稽古でヘトヘトになった後、「活命の法形」稽古。5月18日に試験があるので、今から間に合うように稽古しなければ。なんとか流れは把握。


  帰りの車中でI内先生、H崎先生、T橋先生と談笑。
 故祝嶺正献氏の話に。元天井桟敷のメンバーが集まれば自然と寺山修司の思い出話になるのと同様、躰道の「門下生」が話題にするのは、躰道創始者の祝嶺正献氏。

 玄制流空手の創始者でありながら、その玄制流を離れ、躰道を創始した祝嶺氏。空手界からも脱退したその真意はどこにあるのか。

 そのまま、空手界に留まれば、一大流派として、それなりの名声を獲得しただろうに、新たな転進を遂げた祝嶺氏。
 そこに、常に新たな地平を切り開いた寺山修司と重なるものを見る。

 若い頃の祝嶺正献氏と大山倍達はライバル関係にあり、新宿と池袋、それぞれ山手線に道場を構え、新宿の玄制流道場の周りに極真空手の入門ビラが貼られると、すかざず、池袋の極真道場の周囲に玄制流のビラが貼られたという。まるで天井桟敷と状況劇場?

 政治手腕は大山の方が上手で、その後の極真空手の盛栄につながるわけだが、実際に2人が戦ったとしたら、さてどうだろう。

「人間は、動かない牛とは違う」と大山を挑発したという祝嶺氏。しかし、この挑発に大山が乗ることはなかった。

 2001年、早すぎた祝嶺正献氏の死により、創始者が不在となった躰道は新武道の一流派としての地位に留まらざるを得ない状況ではある。もし、祝嶺正献最高師範が健在であれば、その独自性ゆえに、おそらく躰道は今よりもはるかにポピュラーで大衆に浸透した武道になっただろう。

「空手が世界に広まれば、体躯の大きな外国人が勝つのは目に見えている。そうではない、”小よく大を制す”武道にしなければならない」と語っていたという祝嶺正献氏。空手道の未来を見据えていたのだ。

 対面した相手の頭上を飛び越えて、相手の背面に降り立ったという伝説を持つ祝嶺正献の並外れた体術。映画「トム・ヤム・クン」を見終わったら、”もしかしたらそれもあったかも”と思ってしまう。人間の運動能力の限界を超える人はいる。

 ……などと、すっかり躰道の擁護者になっている私。


 1300、帰宅。稽古の途中から、花粉症が出始め、それが次第にひどくなり、ほとんど病気状態に。

 それでもなんとか、高校同窓会HPの掲示板をスタート。土曜のうちに、「指とま」登録の300人余りの同窓生にメールで開設を通知したので、タイミングを見計らって掲示板開設。このタイミングが難しい。
 掲示板も最初が肝心だから。

 HPをアップした後、耐え切れず、16.30まで熟睡。花粉症がさらにひどくなり、ほとんど半死半生。

 夕方、無理やり起きて、OPAまでTシャツ買いに。薬を飲んだのに、それでも花粉症は治まらない。なんというひどい一日。

4月22日(土)晴れ

 16.20、銀座シネパトスで映画「トム・ヤム・クン」。見るつもりはなかったが、なんとなくカン働き。しかし、思った通り大傑作。

「7人のマッハ」など、タイ映画はノーCG、ノーワイヤー。生身の役者が見せる圧倒的な肉体アクショアンが身上。その意味でも最上級のアクションだし、物語の盛り上げ方が素晴らしい。

 タイの山奥で、王家に献上する象を育てている象使いの一族の末裔・ジャー。彼が子供の頃から育てている象の親子が国際密輸団に盗まれてしまう。怒ったジャーは組織の本拠地シドニー単身乗り込み、地元のタイ人警察官と共に組織を壊滅させる。

 物語は単純明快だが、ジャーの怒りが次第に高まり、クライマックスでその怒りが頂点に達する、その怒りの見せ場が素晴らしい。ラストシーンには思わず涙。これをして映画的傑作といわず何を言うべきか。
 欧米的CG、VFXなど、軽く吹き飛ばすタイ映画の大迫力。これは間違いなく今年のアクション映画のベストワンだ。

 19.30、新宿。タイニイ・アリスで劇団鹿殺しの「サロメ」。
 前から気になってはいた劇団だが、今回うまく日程が合って初見参。

 初日、狭いアリスの客席が若い観客で満席。

 オープニング、半裸の男優陣のダンス&シャウト。単なるアングラもどき? と、半ば引き加減の自分。しかし、開演5分で、彼らのセンスのよさを確信。猥雑さまで緻密に計算された演出の抜群のセンス。これはただ者ではない。

 最近、といっても10年前か。河原雅彦の「ハイレグジーザス」を初めて見たときに感じた「心地よいショック」以来の「感動」。

 「サロメ」とはいっても、舞台は2050年のニッポン。戦争で人口は3分の1に減り、外国から移民が急増。ニッポン人が少数民族として差別されている時代。お城に住む国王も、長男に位を譲り引退。その長男も弟に帝位を奪われている。
 そんなハチャメチャな時代。転校生の丸メガネの女子高生=王の娘サロメと、預言者「ヨカマン」との愛憎渦巻くアングラ活劇ミュージカル。

 主宰者兼主演は女優・菜月チョビ。路上パフォーマンスで鍛えた客つかみはさすが。歌も抜群にうまい。

 関西から満を持して上京、独自の展開を狙っている劇団だけに、芯がしっかりしている。久しぶりに若手劇団の中で、ときめきを感じる劇団に出会った。
 この「鹿殺し」、間違いなく「売れる」。

21.40終演。2時間弱の上演時間も苦にならないのは、演出の緩急のよさ。

 23.30帰宅。

 「鹿殺し」の余韻さめやらず。高校同窓会HPに設置する掲示板探しで深夜2時まで。


4月21日(金)晴れ

 19.00、神楽坂。シアターIWATOで黒テント「西埠頭」。作者は「ロベルト・ズコッコ」のベルナール=マリ・コルテス。おびただしい言葉の群れに果敢に挑む役者たち。難解ではあるが、ハードボイルドでカッコイイ。

 4月20日(木)晴れ

 さすがに睡眠不足は辛い。

 1620、お茶の水。K記念病院で鍼。美人女医のK泉さんに鍼を打たれている途中で、意識朦朧。深い眠りに。

 18.00、家人と待ち合わせ、夕食の買い物に付き合い19.00帰宅。
 夕食、お風呂と、久しぶりにゆったり気分。今日は早めに寝よう。
4月19日(水)晴れ

 午前中、高校同窓会HPの更新。あれこれとコンテンツを作る。この、HPの作り始めの時期が一番楽しい。

 午後から買い物につきあい、町をぶらぶら。Tシャツ2枚購入。

16.00、昨夜録画した「私のこだわり人物伝」第3回を見る。「ハハ地獄」。

 そうか、美輪さんが怒っていたのはこのことか、と納得。思わせぶりで大仰な福島泰樹のナレーション。これじゃ美輪さんが怒るのも無理はないか。福島さんもよかれと思ってやってるんだろうけど。

20.20、溜池山王へ。

 女性だけの宣伝会社「L・H」からワインパーティーのお誘い。高級マンションの一室にある「L・H」。2000スタートということで、すでに先着の参加者で大賑わい。「毎年、内輪だけでやっていたんですけど、今年は何人かお誘いしたので……」と代表のHさん。

 演劇雑誌の編集者・ライター、通信社・新聞社の記者、劇場の宣伝担当、演劇スタッフら30人余り。A・ダンカンのS木さんも初参加とのこと。「4月からフリーでやることになりました」と笑顔。
 総勢14人の女性社員がかいがいしく働き、参加者に気配りを。1900まで仕事をしていたとかで、舞台転換よろしく、30分で社内をパーティー会場に。女性スタッフをまとめるHさんの手腕見事。

 明〇座のKさん、時〇通信のSさん、俳優の中川〇教さんらと談笑。
 23.00、まだおしゃべりの輪は続くが、一足先に退席。

 24・10帰宅。
4月18日(火)晴れ

18.00、銀座。

 山野楽器でminkの新譜「4Love」と「青いうた」のサントラ盤購入。

 18.30、ルテアトル銀座で美輪明宏の「愛の讃歌」。オフィス・ミワのK井さんが、「あちこちからチケットをなんとかしてと言われるので大変で……」と言うくらい、今美輪明宏の舞台は切符入手困難なプラチナチケット。パルコよりも広いセゾンではあるが焼け石に水状態。客席は若い女性を中心に、熱烈な美輪ファンでびっしり。
 エディット・ピアフの生涯を描いた歌入り芝居。美輪明宏でなければ成立しない、絢爛豪華な舞台。

三幕休憩各15分で2210終演。

休憩時間にK井氏と立話。
今放送中のNHK「私のこだわり人物伝」について、美輪さん「編集がひどいわよ。あのナレーションはいったい何!」と憤懣やるかたない様子とのこと。
 そんなにひどい編集だったかな?

 2330帰宅。
4月17日(月)晴れ

 朝から頭痛。何だろう。風邪か。
 昨日、冷え込んだ夜の町を自転車でお使いに行ったせい?


1800帰宅。

 帰りの電車の中で届いたばかりの快楽亭ブラックの「放送禁止落語大全」(洋泉社 1700円)を読む。その猛毒たるや超ド級。下ネタはまだいい。しかし、それプラス皇室ネタの凄まじさ。これこそ「タブーなき笑い」。その昔、高円寺の飲み屋「唐変木」で、たまに顔を会わせたブラック師匠。その頃は立川レーガンと名乗っていたか。映画好きのエロ落語家としか見ていなかったが、この本のアナーキーで破滅的な「反皇室」ネタには、思わず腰が引けるほど。

 ビートたけしを「猛毒」と持ち上げる人がいるけど、ブラック師匠の毒には遠く及ばない。しょせん、たけしなどは、権力側に追従する茶坊主のようなもの。「権力」が畏怖するような笑いなどできるはずもない。弱いものイジメを「毒」と勘違いしているだけ。その点、ブラック師匠の肝の座ったこと。彼こそホンモノの破滅型。長生きできるかブラック師匠……。

 頭痛がおさまったので、高校同窓会HPの更新を。つくづく貧乏性なんだな。こんなことばっかりやって……。

4月16日(日)晴れ

 0900〜1200、躰道稽古。子供たちと交じって強めの基本稽古。昨夜のお酒が滝のような汗に。さすがに終わったら疲労でグッタリ。

1400、家族で回転寿司「北海道」へ。高級回転寿司とのことで、一皿平均300円。本マグロ1カン680円。ネタはまあまあ。

16.00、BSの再放送「赤秋 仲代達矢」を見る。隆巴こと宮崎恭子さんを亡くして9年、72歳の仲代が民藝との合同公演「ドライビング・ミス・デイジー」で役者としての新しい可能性に挑む様子を追うドキュメンタリー。

 盟友であり、妻である宮崎に先立たれた心の喪失感と、老いによる不安。名優・仲代達矢の日常風景から浮かび上がる孤独と憂愁。セリフ覚えが悪くなった仲代が、自室の壁一面に手書きのセリフを張り出し、懐中電灯で一つずつ、そのセリフを確認していく様子は鬼気迫るものがある。凄まじい役者魂。

「赤秋」とは、宮崎恭子の造語で、「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」の人生の四季に「赤秋」という、「真っ赤に燃え立つ秋」を加えたいとの願い。線香花火がぽとりと落ちる前の真っ赤な玉、芝居の最終章の直前をいうのだとか。「それが終わったら静かに死を迎える」

 見ごたえのある映像にひきつけられ最後まで見てしまう。

 次いで66年の東宝映画「お嫁においで」を見る。
 シナリオ=松山善三、監督=本多猪四郎の青春歌謡映画。

 加山雄三は「若大将シリーズ」も見ていないし、昔からさしたる興味もなかった。といより、プチブル臭が鼻について好きになれなかった。
 しかし、意外に加山雄三の出る映画は面白い。「兄貴の恋人」もそうだが、この時代の東宝青春映画は実によくできている。

 ヨットの設計技師であり、造船会社の社長の息子である須山(加山雄三)が、ひょんなきっかけで、ホテルのウエイトレス・露木昌子(沢井桂子)に恋をする。兄思いの妹・葉子(内藤洋子、可愛い!)の指南でプロポーズへ一直線。しかし、分不相応と親の反対。彼女を好きなタクシ運転手・野呂(黒沢年男)。そして黒沢に思いを寄せる魚屋の娘など、恋の糸がもつれ合う。
 しかし、最後は……。

昌子「素敵なクルマに乗せてもらったり、ハンドバッグや靴をいただいたり、おいしいご飯を一緒に食べたりしたき、私は”ああ、これが幸福なんだ”って思いました。でも、もしこれだけが幸福なら、私は須山さんに出会わなければ、一生幸福を知らないで終わることになりますわね。幸福ってそんなもんじゃない。幸福はお金のある人も、お金のない人も、健康な人も、病気の人も、どんな人でも平等に持つことができるんだと思うんです」

昌子「結局、一人ひとりが自分でつかんだ幸福でなければ、本当の幸福ではないんだと思います。もし須山さんと結婚したら、私はきっと甘えるだけで精一杯で、何もできないつまらない女になってしまうと思うんです」


 昌子が須山との別れを決意するシーン。

 なんと真摯で、やさしく、のびやかな青春。昌子役の沢井桂子はほとんど記憶にないのだが、清純派女優のひとり。気品があり、実に素敵な女優さん。この時代に同世代だったらきっと好きになっていただろうなぁ。

 こういう60年代の青春映画を見ると、昨今のぐちゃぐちゃ・ドロドロの恋愛ドラマなど、消えてなくなれ!と思ってしまう。グロテスクな恋愛中毒ドラマが若者の恋愛を貶めている。ああ、いやだいやだ。こんな時代。
4月15日(土)晴れ


 

16.00まで会社。

17.00、観覧車に乗りたいというMと後楽園遊園地で。30数年前に時計の針が巻き戻し。23.00まで穏やかで楽しい時間を。
4月14日(金)晴れ

 朝、会社に入る直前、iPodで「ワルシャワ労働歌」を流す。気合いが入る。

 夕方、駅を降りて「ブラザー軒」を聴きながら家路につく。高田渡が亡くなって1年。Ipodに入っているのは佐藤GWAN博の「ブラザー軒」。聴くたびに涙ぐみそうになる。


東一番丁、ブラザー軒

硝子簾がキラキラ波うち

あたりいちめん

氷を噛む音

死んだおやじが入って来る

死んだ妹をつれて

氷水喰べに

ぼくのわきへ

色あせたメリンスの着物

おできいっぱいつけた妹

ミルクセーキの音に

びっくりしながら

細い脛(すね)だして

細い脛だして

椅子にずり上がる

椅子にずり上がる

外は濃藍色のたなばたの夜

肥ったおやじは小さい妹をながめ

満足気に氷を噛み

ひげを拭く

妹は匙ですくう

白い氷のかけら

ぼくも噛む

白い氷のかけら

ふたりには声がない

ふたりにはぼくが見えない

おやじはひげを拭く

妹は氷をこぼす

簾はキラキラ

風鈴の音

あたりいちめん

氷を噛む音

死者ふたり、つれだって帰る

ぼくの前を

小さい妹がさきに立ち

おやじはゆったりと

ふたりには声がない

ふたりには声がない

ふたりにはぼくが見えない

ふたりにはぼくが見えない

東一番丁、ブラザー軒

たなばたの夜

キラキラ波うつ

硝子簾の、向うの闇に


 幽明界を異にした家族。
 異界にある父と妹。その姿は「ぼく」には見えるが、二人には「ぼく」は見えない。

 映画「異人たちとの夏」をふと思い出す。死んだ父と母と出会う男。彼には父と母が見えた。父と母も息子が見えた。しかし、この「ブラザー軒」の「見えない」哀切。こちら側は見えても、向こう側はこちらが見えない。

 青森の実家を思う。
死んだ父と母は、やはりあの家で暮らしているのかもしれない。私が生まれる前の、若い父と母の姿で。2人の笑顔。ただ、父と母には私が見えないだけ……。



 仕事が立て込み、15.00の「秘密の花園」ゲネプロはパス。

18.00、新宿。豚児がLANの通信ゲームをやりたいと言うが、その概要がわからないのでさくらやゲーム館でレクチャー。無線LANでなければ、不可能とのこと。光ケーブルでダイレクトにパソコンに接続している環境では、新たに無線LANを購入しなければならない。ゲームのために、不要な機器を購入するのは不経済。

19.00、紀伊國屋ホールで「びっくり箱」。中島淳彦が向田邦子の作品を脚本化し、福島三郎が演出する。そして余貴美子の主演。なんという豪華な夢の競演。中島、福島はもっとも好きな家&演出家。見る前から期待と、これで面白くなかったらどうしようという不安が交差。

 舞台は昭和の終わり頃、地方のある町。父を早くに亡くし、女手ひとつで育てられた姉妹。母が2人に言い聞かし続けた夫の条件は「きちんとした学歴、いばって名刺の出せる職業、十分な収入……」。しかし、母が亡くなり、上京した妹が見初めたのは学歴も定職もない、アルバイトでヒーローもののアトラクションに出ている夢見がちな男。一方、実家を守る姉もまた山師のような男と深い仲になり、半同棲状態。
 折りしも、田舎の姉の隣家ではお葬式が行われている。姉にあることを告げるために、男を連れて帰省した妹は姉のヒモ男と出くわし……。

 品のいい笑いは中島淳彦・福島コンビならでは。ほどよく醸成されたお酒を飲むように味わい深い。
 ただし、沢口靖子、永島敏行の演技はどうも……。舞台経験は豊富なはずの沢口だが、どうしてそんなにヘタなの、と突っ込みを入れたくなるほど。永島も固い。
 孤軍奮闘の余貴美子。

 というわけで、完全燃焼というわけにはいかない舞台だったが、もちろん水準は超えている。

 ただし、一つだけ、重大な欠陥に気付いて、舞台を見ていても、そのことが頭から離れない。それは、妹の体調のこと。ネタばれになるから多くは語れないが、その体調で、あのシーンはないだろう、しかも、姉がそのことを知りながら、そんなことをするか……という展開。
 奥歯にものがはさまった言い方だが、舞台は月末まで。未見の人に失礼なのにで、ここまで。中島淳彦らしからぬ、女性心理の機微への書き込み不足。

 終演後、K谷氏への挨拶もそこそこに家路に。


4月13日(木)晴れ

 郵政公社、時間外サービス 9月以降、順次廃止の方針(毎日新聞朝刊)

 日本郵政公社は12日、郵便局の窓口取扱時間外に郵便物の受け渡しなどを行う「時間外サービス」を今年9月以降、順次廃止する方針を明らかにした。07年10月の民営化に向けて郵便局の集配業務を効率化するのが目的で、年間で100億円の経費削減効果があるとみているが、窓口取扱時間に郵便局になかなか行けないサラリーマンなどは不便を強いられることになりそうだ。

 それ見たことか。民営化されれば、効率優先になるのは理の当然。この分では、過疎地の郵便局が消えるのも時間の問題だ。

 教育基本法改正、愛国心の表記、自公が合意 与党検討会(毎日新聞朝刊)
 自民、公明両党は12日、教育基本法改正に関する検討会を開き、同法改正の焦点となっていた「愛国心」の表記について「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」とすることで合意した。

 はじめに「愛国心」ありきで、表現をどう変えようが、中身は同じ。「教育基本法」に「愛国心」をうたえば、「愛国心」教育にそぐわない教師は失格となる。国歌斉唱で起立しない教師は一掃される。それが狙い。

 A・ビアスの「悪魔の辞典」によれば、「愛国心」とは「ならず者の最後の拠りどころ」となる。

 エセ改革を推進して、国民の財産をアメリカに売り渡そうとしている「売国奴」=「ならずもの」の説く「愛国心」の中身など知れたもの。



 朝日新聞調査によれば、患者からの未収金は1病院当たり3300万円。この3年で1000万円増という。足立区では2世帯に1世帯が就学援助を受けている。

 その一方で、経済界が中心になって設立した「海陽中等教育学校」は初年度納入金350万円もかかる超富裕校。この教育格差。
 いずれ、このエリート校の卒業生が日本の支配層に連なっていくわけだ。


 貯蓄ゼロ世帯は23.8%と1963年の調査以来最悪を記録。ところが、貯蓄保有世帯の平均額は01年=1439万円→05年1544万円。つまり、一部の富裕層が増えているに過ぎない。

 富裕と貧困。強者と弱者の格差は広がるばかり。

 普通はこんな社会・政治に対して異議申し立てをするのが若者の役目。フランスの学生・労働者は自分の生活と未来をかけて闘っている。

 ところが、日本の若者ときたら、為政者に抗議するどころか、逆にコイズミに代表される保守政治家に媚へつらい、右傾化の推進役を担っている。

 ドイツだろうがフランスだろうが、アナーキーでパンクな若者の攻撃の矛先は右翼・保守派。それが日本では、「落ちこぼれ」が体制を擁護し、右傾化に拍手喝采している。戦場に行くのは、そして体制の手足に使われるのは彼らなのに。このマンガチックな光景。ネットに氾濫するウヨク言説もこういった若者が中心。自分で自分をむち打つSM愛好家の群れ。まさに悲惨な喜劇。

 16.20、お茶の水、K記念病院。電車の中で、昨日買った横山秀夫「第三の時効」を。
 18.00帰宅。家族との団欒でアッという間の就寝時間。
4月12日(水)晴れ

 ゴミ出しのために0700起床。1100〜1300仮眠。

 夕方、急に思い立って部屋の片付け&掃除。

 終わった後、お風呂に入り、ゆったり気分で、昨日録画した岸恵子主演のドラマ「嘘をつく死体」(アガサ・クリスティー原作)を見るが、あまりにも軽薄な映像に、途中で見る気を失ってしまう。どうしてミステリーといえば最近は「トリック」とか「古畑任三郎」調の演出になるのか。「(笑い)」が多すぎる。せっかくの岸恵子も台無し。

 黒木和雄監督死去の報。小川紳介に続き、岩波映画出身の映画監督の死。まだ75歳。やりたいことはたくさんあっただろう。

「日本の悪霊」「龍馬暗殺」、そして「祭りの準備」……。世代的にはどうしても昔の映画を思い浮かべてしまう。最近は井上ひさしの「父と暮らせば」に続いて、松田正隆の戯曲「紙屋悦子の青春」を元にした映画の公開が予定されていた。

「TOMORROW/明日」「父と暮らせば」「紙屋悦子の青春」……限りなく右傾化する時代の流れに抗するため、最近は戦争を直接的なテーマにした映画が多かった。

 それも戦場ではなく日常が舞台。それは「戦争の本当の恐ろしさは戦場ではなく、真綿で首を絞められるような日常生活にある」からだと話していたという。
「9条を変えたら憲法は死滅する」
 映画を通して護憲の大切さを訴え続けた黒木監督。その早過ぎる死に合掌。
4月11日(火)雨

 フランスでは、学生と労組の大規模デモ、ストライキによって、新雇用法「初期雇用契約」(CPE)が事実上撤回された。シラク大統領とドピルパン首相の完敗といえる。

 翻ってわがニッポン。政府御用達のテレビ・新聞が政府広報の役割を果たし、労組も無力、学生のデモなどハナから期待できない。

 国民が政府の政策や法案を監視し、不当であればこれに抗議する。さすが近代民主主義発祥の地フランス。民主国家の国民として当たり前のことをやっているだけ。政と官の言うことには唯々諾々と従う奴隷国家ニッポンの国民から見れば、なんともうらやましい。

 それにしても……。最重要課題には頬かむり。俗耳に入りやすい「拉致問題」で目くらまし。政府広報のテレビの罪は重い。


1900、中野・ポケット。モダンスイマーズ「ゆきてかえらず〜稲上荘の寄るべない日々」。蓬莱竜太の作・演出。

 舞台は東京のはずれにある古木造アパート稲上荘。かつてカルト的な人気を博した映画監督が後進のために建てたアパートで、今はその息子(八十田勇一)が管理人をしている。その一室に一人の男が住んでいる。学生時代に、このアパートを根城に、自主映画を撮り、プロデビュー後は監督賞に輝いた鳴海宗太郎。しかし、その後鳴かず飛ばず。今ではAV監督をしながら、ほとんど引きこもり状態。それも、アパートの取り壊しが始まるあと数日で終わる……。

 物語は鳴海の学生時代から現在までを回想する形で進む。学生時代の鳴海役は古山憲太郎。現在の鳴海は六角精児。似ても似つかない2人なのが笑える。

 使い走りをしていた俳優志望の男はいつしかテレビの人気俳優になり、映画仲間は大手映画会社の助監督に。監督賞を取ったとき転がり込んできた女優の卵は、鳴海と同棲し始める。同じアパートに住む一組のカップルのエピソードも平行して描かれる。

 オーソドックスな物語から立ち上がる、それぞれの人生。そして、希望を予感させる終幕。丹念に人物像を書き込む蓬莱竜太の筆さばきは老成した作家のよう。若手でこのように堅実な脚本を書けるのは稀有な存在。演出も着実。

 今や演劇界の「栄光」を一身に浴びつつある蓬莱竜太。鳴海に託した栄光と悲惨はもう一人の自分自身なのだろうか。

 客席には水谷龍二、大谷亮介、朝倉伸二、中西良太らの顔。開演前に扉座のO田さんとおしゃべり。
 20.55終演。

4月10日(月)晴れ時々雨

 息詰まるような朝の仕事がひとヤマ越えた午前9時40分に飲むコーヒーの味は格別。

 つつがなく一日の仕事を終えて17.00帰宅。

 時間があり過ぎると逆に何もやる気が起こらないという不合理。帰宅後はたっぷり時間があるのに、結局ダラダラと過ごしてしまう。あれもこれも、やらなきゃいけないことは山ほどあるのに。

22.30就寝。
4月9日(日)晴れ

  全身黒尽くめの若者が町中に現れ、手にした機関銃で人々を狙い撃ちする。銃弾はBB弾を強力にしたヤツ。死にはしないが当たると大ケガをする。黒い集団はどんどん増えていき、どこに逃げても追いかけてくる。廃ビルに追い詰められ、逃げ惑う自分と仲間。恐ろしくて悲鳴を上げそうになる。イヤな夢。

 もう一つ。田舎の実家の玄関を開けたら、家中に工事作業員がゴロゴロ寝転がっている夢。この謎解きは簡単。原発工事が始まるので、実家を宿舎に貸してくれと、電源開発から親戚を通じて依頼があったのだ。もちろん断ったが、それが夢に現れたというわけ。

 しかし、夢とはいえ、黒い集団に追いかけられるのは恐ろしかった……。この絵解きは……。たぶん、憲法第9条改悪が既定事実になり、それを追認する国民が圧倒的多数になりつつあるという潜在意識の危機感の現われなのだろう。憲法擁護WEBでの「憲法改正賛成多数」というアンケート結果の悪夢がまさに悪夢を呼んだのか。


09.30〜12.00、躰道稽古。豚児は体調悪く、稽古着に着替える間もなく早退。

「活命の法形」がようやく通しでできるようになる。まだ途中、考えながらだが。これが体で覚えるにはまだまだ。帰りはH崎先生の車で、北朝霞まで。I内先生、T橋先生も同乗。

 13.00帰宅。この頃、稽古の後は昼寝タイム。日曜の朝寝ができないのがつらい。16.00まで仮眠。
 起床後はPANTA氏の原稿書き。
 その後、岡林のCDをiPodに入れて一日は終わり。
4月8日(土)晴れ一時雨

 14.00、北千住。シアター1010で「秘密の花園」稽古中のPANTA氏の取材。台本を見たら長ゼリフ。それも舌をかみそうなセリフ。「まだ、時々つっかえるんだよね」とPANTA。大丈夫? R・U・Pの花本さんも来ていたので立話。稽古場では金守珍、大久保鷹が絡みの自主稽古中。金ちゃん「初演の本多公演の時は六平(直政)と水をまいてた」とか。
 15・30から通し稽古とのことだが、残念ながらその前に退出。

1600、鶴瀬駅着。
 従姉の娘のSちゃんのマンション立ち退きの件で不動産会社の社員と話し合い。相手は海千山千のプロ。言い逃れされたら困るので、事前に不動産業をしている高校時代の友人に相談し、理論武装。が、あっけなく自分たちの非を全面的に認めたので拍子抜け。

 17.30、会社に戻るため電車に乗るも、時間切れ。池袋で乗り換え、六本木へ。

19.00、俳優座劇場で木山事務所「出番を待ちながら」。かつての栄光を抱えて慈善ホームに入居した老女優たちの生活を、ユーモラスかつ哀愁をおびて描いた名匠ノエル・カワードの傑作。南風洋子、松下砂稚子、加藤土代子、北村昌子ほか、それぞれ劇団の大ベテラン女優が一堂に会して繰り広げる人間模様の濃密さ。平均年齢70歳?

 こんなにもすばらしく年齢を重ねた女優たちの演技の見事さを見るだけで感動的。木山事務所久々のヒット。末木利文も丹念な演出。

 21.30終演。青年座の魏涼子がいたので声をかける。夫君の壇臣幸と一緒。「文学座の松下砂稚子さんの楽屋見舞い」とか。

 23.00帰宅。
 長い一日。さすがにグッタリ。

4月7日(金)晴れ

 18.00、池袋。タワーレコードで岡林信康の「1973−1974」を購入。

 19.00、東京芸術劇場中ホールでアトリエ・ダンカンプロデュース志村一座「志村魂」。子供の頃、ドリフターズは見ていたが、大人になってからはテレビのコントは嫌い。志村けんも興味なし。が、第一部の「バカ殿様コント」には思わず肩をゆすって大笑い。ダチョウ倶楽部、池田成志、山口もえ、及川奈央、多岐川裕美、地井武男。出演者は超豪華。きちんと練られたコントは面白い。

 第二部は志村が挑む松竹新喜劇「一姫二太郎三かぼちゃ」。ウーン、やはり藤山寛美は偉大。志村けんはどうしてもコントに走ってしまい、演技に集中力がない。藤山寛美の「ぬくもり」が懐かしい。

 幕間にM新聞T橋さんと立話。パンフを作っている「はたはた」の武村氏とも。

 22.00終演。帰り際、T橋さんと一緒に、「る・ひまわり」の吉田さんと、公演の感想などを。
 23.00帰宅。

  従姉の娘のSちゃんから緊急電話。なんでも、突然、管理会社から今住んでるマンションの退去を求められたという。不動産担当者の不手際が原因とのこと。明日、善後策を検討することに。
 00.30就寝。
4月6日(木)晴れ

 19.00、千石。三百人劇場で昴「チャリング・クロス街84番地」(原作=ヘレーン・ハンフ。訳=江藤淳、潤色=吉岩正晴、演出=松本永実子)。

 イギリス文学と古本が大好きなヘレーン・ハンフは、ある日新聞の広告で見つけたロンドンの古書専門店マークス社に本の注文の手紙を送る。
 「このリストのうち一冊につき5ドルを超えないもので在庫がありましたらお送り下さい」
手紙を受け取ったマークス社のフランク・ドエルは、注文のうち3分の2は揃えられたという丁寧な手紙と本を返送する。こうして二人の手紙のやりとりが始まった。まじめで礼儀正しいイギリス紳士のフランクも、ヘレーンの打ち解けたユーモア溢れる手紙に次第に特別な親しみを抱くようになり、彼女からの手紙を心待ちにさえするようになる。一方のヘレーンも、フランクからの航空便にあこがれのロンドンへの想いをつのらせる。本の注文とそれに対する返事というやりとりから、やがて海を隔てた二人の間に心の交流が生まれていく…。(HPあらすじ)



 長い年月にわたる書簡のやり取りを舞台化するだけなので、それをどのように演出し、役者がどうこたえるかが舞台の成否のすべて。牛山茂はもちろんのこと、ヘレーン・ハンフを演じた望木祐子の存在感が素晴らしい。彼女抜きでは成立しないと思わせる舞台。地味だが、心に迫る。

 22.00まで。
4月5日(水)雨

 0700起床。ゴミ出しを終えて再度布団の中。4月から、燃えるゴミの日が水曜と土曜に変更。せっかくの休みの日に朝寝ができない。

 09.30起床。
 お昼は家族でダイエーで。帰宅して鈴木英夫監督の「その場所に女ありて」を見る。

 広告代理店「西銀広告」の営業ウーマンである矢田律子(司葉子)は、老舗の製薬会社が発売する新薬の広告予算を探るため、奔走している。その最中、偶然、ライバル代理店の敏腕営業マン坂井(宝田明)と出会い、惹かれるものを感じる。
 坂井は、西銀の製作ディレクター(浜村純)を抱き込み、広告コンペに向けて暗躍を始める。熾烈な競争は2人の関係にも大きな影を落とす。そして、コンペの結果は……。

 うわっ、こんな映画があったとは。1962年。44年前ですよ。キャリアウーマンという言葉ももちろんない時代に、すでに自立する女を描いていた鈴木英夫。司葉子のなんと魅力的なことか。スタイリッシュな映像、外国映画のようにドライで緻密な物語展開。真の意味での「ハードボイルド」というのはまさにこんな映画を言うのだろう。

 しかし、NHKのBsシリーズを見るまで鈴木英夫という監督を知らなかった自分の不明。60年代の日本にこんなすごい監督がいたなんて。昨今の映画の百万倍もうまくてスゴイ。こうなれば、もっと鈴木英夫の映画を見たいものだが。

4月4日(火)晴れ時々雨

 新宿梁山泊と唐十郎の「風のほこり」が単行本発売。金守珍から謹呈本届く。

 19.00、新宿。シアタートップスでグループ虎+現代制作舎「新宿のありふれた夜」(作・演出=高橋征男)。

 佐々木譲の小説を元にした作品で、「われに撃つ用意あり」のタイトルで映画化もされている。舞台は8年ぶりの再演。


 新宿・歌舞伎町のさびれた地下スナック「カシュカシュ」(フランス語で隠れ家の意)。

。マスターは元全共闘の闘士・郷田克彦(近童弐吉)。機動隊と催涙弾に追われて、逃げ込んだこの町に居ついて20年。しかし、老朽化と不況のあおりで、今夜がその最後の夜。

 なじみ客たちで閉店パーティーが行われようしている。そこに、一人の少女(東出宜子)が逃げ込んでくる。メイ・リンと名乗るベトナムのボートピープルであり、ヤクザ組織・桜道会系戸井田組々長の射殺事件に関与しているらしい。そうこうしているうちに、パーティーの客が集まり始める。克彦のかつての同志である安江(伊勢谷能宣)、元恋人・阿礼(白井真木)、大手新聞の記者・文江(西澤綾)、酔いどれ棋士の折部(羽田勝博)ら。そして、克彦の幼なじみで、新宿を根城にするやくざの達治(香川耕二)も。

 店の外は警察とやくざが慌しく動き回り、射殺犯を追っている。「死んだように生きていた」克彦の胸に、再び60年代の炎がよみがえる。ベトナム戦争に出撃するアメリカ軍の燃料輸送列車を止めるために、学生・市民が集結、新宿駅が炎上したあの夜が。

 果たして、少女はこのヤクザ、警察包囲網を抜けて、無事に逃走できるのか。

 と、このように物語だけを追えば、いかにも「ありふれた」お話なのだが、店に集まる客たちが実に個性的。その背後に見え隠れする、それぞれの人生もまた興味深い。

 アングラ演劇の女座長が披露する劇中劇も作品の骨子にマッチ(阿部由輝子の人形ぶりの巧さ!)
 時代遅れの酒場に集う、心に傷を負った人々の描写が実にうまい。実質的な主人公はやくざ役の香川耕二。抜群のハマリ役で、芝居をぐいぐいと引っ張る。時代と心中し、今は「死人」同然の克彦が最後に少女のために立ち上がるシーンを際立たせるために必要なのかもしれないが、全編、自己主張のない克彦の造形はどんなものか。近童弐吉はもう少し感情の動きを前に出してもいいと思うが。

 初めて見た役者で、印象に残ったのが羽田勝博。その昔、「ブーフーウー」の狼君の声を演じ、その後、祖国・北朝鮮に帰り、その地で亡くなったという永山一夫氏と雰囲気がそっくり。実に達者な演技。ラストシーンが彼の演技だというのもうなずける。

 劇中で戯れに歌われるワルシャワ労働歌。作・演出の高橋征男が小説のモデルであり、その後の時代の流れと、活動家の「成れの果て」の描写にリアリティーがあるのも当然。
 「大人のメルヘン」として、最後の大団円は胸のすく思い。

 web「マガジン憲法9条」のアンケートで8割が憲法9条改正に賛成という結果に暗澹たる気分になっていたが、この芝居を見て救われた。10人のうち1人であろうと、仲間がいれば、いつかは何かを動かせるかもしれない。

 21.10終演。制作のT見沢さんに挨拶して家路に。


 
 PANTAさんが唐十郎の「秘密の花園」(演出=三枝健起)に役者として出演するとのこと。ミュージシャンとしてのキャリアもプライドもかなぐり捨て、まさに腹をくくって役者に挑戦しているというPANTA。これは何をおいても駆けつけなければ。
4月3日(月)晴れ

 17.00帰宅。TBS「東京フレンドパーク」は女子アナ特集。バラエティー番組で時間を費やすのはもったないと思いつつ、川田亜子アナに一目ぼれ。彼女見たさで、ついつい10時の番組終了まで見てしまう。「1月17日生まれの山羊座」に親近感。

 2300就寝。
4月2日(日)晴れ 夕方から雨

 07.00起床。躰道稽古へ。約1カ月ぶりの稽古。そんなに間が空くと、体はすっかりなまってしまい、元に戻すのが一苦労。3時間、ほとんど休みなく体を動かし続けたので、終わった後はヘトヘト。ヒザの関節が痛む。

 13.00帰宅。ビデオ編集しているうちに眠くなり、1600まで仮眠。

 16.30、市民会館で上映している「ハリーポッターと炎のゴブレット」を家族で。家族で映画を見ると、たいがいの場合、睡魔に襲われそのまま熟睡……となるのだが、さすがに昼寝をしたばかり、最後まで完走。しかし、シリーズを見ていないため、よくわからない個所も。
19.00終映。外は雨。

20.00、従姉と電話。就職のため、東京に出てきた息子のこと。親というのは、いくつになっても子供が心配。従姉の息子も一人っ子。高校入学から家を離れたのも自分の場合と一緒。親はさびしかろう。

鈴木英夫監督の「非情都市」を見る。スクープのためなら手段を選ばず、そのために社の内外から敬遠されている一匹狼の社会部記者・三宅(三橋達也)が主人公。

 乗っ取り屋として有名な男が面談中に暴漢に射殺される。東都新報の三宅がこの事件追ううち、スクープ記事と引き替えに犯人を匿うことに。しかし、事件は複雑な様相を見せ、東都新聞のメインバンクも関与していることがわかってくる。三宅の記事を握りつぶすデスク。三宅は事件の全貌を記したメモをかつての名記者で、社の方針に反したため、今は酒に溺れる先輩記者に託し、警察に出頭する。だが、その記事も闇に……。
 さらに、犯人隠避の罪名で拘置された三宅に面会したデスクが告げたのは、解雇という無情の宣告だった。

 三橋達也が孤愁を漂わせるアナーキーな記者を好演。司葉子は広告代理店の営業ウーマンで三橋の恋人役。事件の核心を掴むために、恋人を使って敵の暗部を探らせる非情の男。その非情さも、マスコミと資本の構造的な権力の壁にさえぎられ、自滅していく。非情なのはどちらか……。

 これが40年前の映画とは信じられないほどの完璧なサスペンス。
 この40年、映画はどれだけ退化してしまったのかというお手本のような映画だ。今、これだけの水準の映画はまず作れない。
4月1日(土)晴れ

 14.00、ベニサン・ピットでtpt「皆に伝えよ! ソイレント・グリーンは人肉だと」(作・演出=ルネ・ポレシュ)。

 環境破壊と人口過多による深刻な食糧不足を解消するため、「ソイレント・グリーン」と呼ばれる固形食を常食としている近未来の世界。戦慄のラストシーンが話題になったSF映画「ソイレント・グリーン」でC・ヘストン演じる主人公の最後のセリフがこのタイトル。

 この作品をモチーフに日独の俳優・演出家がコラボレーションした舞台。ビデオカメラとマイク・パフォーマンスを駆使し、音楽と多彩な「言説」で構成された超過激な舞台。出演は池田有希子、中川安奈、木内みどり、長谷川……というわけで、期待したのだが、実験色の強い舞台に困惑。

 舞台の中央に東屋風の囲い。そのそばに鹿の剥製。舞台の周囲は幅50センチほどの通路が設えてあり、役者の舞台にもなる。しかし、本当の舞台は、正面にある青いシートで覆われた控え室。ほとんどのシーンがそこで行われる。客席からはまったく見えない控え室。そこを映し出すのが手持ちのビデオカメラ。控え室での役者の様子が客席のモニターに映し出される。

 全編膨大なセリフ。それもマイクに顔を近づけての囁き声。1分に1回は「FUCK」と「クソ」の単語で占められている。ローラースケートを履いた中川安奈、フリルのスカートの池田有希子。スクリーンいっぱいに写し出される顔のアップ。肌の艶、毛穴までハッキリ。木内みどりの年齢があからさまに。これはちょっとかわいそう。

 2時間、このウイスパーボイスと嬌声、狂乱のパーティーが続くわけで、さすがにグッタリ。池田有希子、中川安奈のお気に入り2人でなければ投げ出したいほど。実験のための実験。俳優と演出家にとってはこの上もない愉悦の芝居なのだろうが……。客席の木内みどりファンとおぼしきオバサンたちの当惑した顔。時間が進むにつれ、一様に、場違いな所に来てしまったという居心地の悪さが表情に。

「気に入るといいんだけど……」と受付でK井さんが心配そうに言っていた意味はこれか。確かに、試みとしては面白いのかもしれないけど、舞台が合目的的になっているわけで……。高度な前衛性を持ちながら、エンターテインメント性を失わなかった寺山修司の演劇と比較するのは酷か。

16.00終演。楽屋は寄らず、そのまま駅へ。

17.00、氷川台。従姉の息子のK喜くんが就職のため上京、従兄の家に宿泊するので挨拶に。駅前の石神井川は桜が満開。川沿いを散歩。埼玉のベッドタウンと違って、東京の方が自然が残っている。うらやましい。

 従兄の家で合流し、レッドロブスターへ。従兄のS夫婦、息子のKくん、従妹の娘のSちゃん、K喜くんの6人。田舎言葉が飛び交う楽しい会食。従兄夫婦とは年齢が近いせいもあって、昔の故郷の話に。野山で遊んだ子供の頃。やはり、昔のことをよく知っている。
カシューナッツのような実がつく「ハシバミ」のこと。まだクルマといえばバスと馬車が通るくらい。道路を隔てた家の子供同士で、道路の上で陣取り遊びをしたこと。雪が降ると、「黒岩坂」まで行ってソリやスキーをしたこと。クルマが通らないのだから、大きな坂道は子供の格好の遊び場。
「1000、900」という遊びがあったのも思い出した。

 懐かしい思い出話に花が咲き、お酒も進む。
20.00、S宅に戻り、従兄のM夫妻、娘のMちゃんと合流。22.30まで楽しい時間を過ごす。

 24.00帰宅。

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