| 7月31日(月)快晴 海浜公園プールへ。大変な人出。波のプールで大喜びの豚児。カッと照りつける日差し。あっという間に、体中が日焼け。 帰りに伊藤左千夫記念館へ。しかし、月曜休館。生家を探訪しただけで終わる。古い茅葺屋根の民家。土蔵。「野菊の墓」のイメージそのもの。近くの食虫植物園も開館時間が過ぎてアウト。マムシが出るとの注意書きを横目に、植物群の中を散策。 二日目も無事終了。 7月30日(日)晴れ 0730起床。今日から夏休み。九十九里へ。家族で休暇。 1010出発。途中、衝突事故で渋滞はあったものの正午着。 保養所で着替えをして、海岸へ。日曜とあって、家族連れでにぎわう海岸。海の家もかきいれ時。駐車代500円。温水シャワー使用料1人300円。ほとんどぼったくり商売だ。 1700、いつもの寿司屋「S寿司」へ。クルマを保養所に置いてから娘と、おしゃべりしながら散歩。こんなふう過ぎていくのなら……。 7月29日(土)晴れ 1250、T氏から思いも寄らぬ知らせ。すぐにIさんに確認。本当だった。狂喜乱舞。一週間分の疲れが足元から抜けていく。よかった。暗い気持ちが吹き飛び、逆立ちして町を練り歩きたい気分。 1400、トラムで「糸地獄」。岸田理生の作品を高田恵篤が演出。恵篤の演出を見るのは初めて。緻密で奥行きのある演出。音楽の使い方。素晴らしい。恵篤にこんな才能があったとは。美術、セットもお金がかかっていそうな豪華版。 客席に北川登園、小田島雄志、七字英輔ら評論家多数。 終演後、出口で恵篤と立話。 「予算がなくてベニア一枚買うのも苦労したんですよ。でも、安っぽい舞台にしたくなかったから、工夫、工夫ですよ」と。低予算であの立派なセット。旧岸田事務所の4女優が久々の共演をして、鬼気迫る演技を見せている。全員一体となって、岸田理生追悼の最後の作品に取り組んでいる。その成果が如実に現われた好舞台。今年屈指の舞台といっても過言ではない。 1700、帰社し、仕事。 2000帰宅。 天国と地獄を行き来した怒涛の一週間が終わり、明日から夏休み。 7月28日(金)晴れ 14.30、秋葉原。地上に出てケイタイをいじっていると、「〇〇じゃない?」の声。顔を上げると、学生時代の友人N君。「びっくりしたなぁ。こんなところで会うなんて。今、オレ、大阪に単身赴任なんだよ。4月から。今日はたまたま帰ってきてお得意さん回りをしてきたところなんだ」 数年前の同窓会以来か。用事があるとのことで、携帯番号を交換して別れたが、奇遇。 1700、都営線。地下鉄から地上に出ると、サングラスにマスク姿の老若男女が数十人。ぞろぞろと、階段を下りてくる。どこかの党派の集会帰りか。駅周辺ではその集団を私服がカメラで狙い撮り。 バスに乗り、S町2丁目下車。S町銀座商店街へ。途中、回転寿司で夕食。 1730、現場着。 目の前で展開されるイベントにワクワクドキドキ。 ついつい現場を離れがたく、1930からの「南国プールの熱い砂」はキャンセル。 しかし、……今回はトラブルか? 19.00、Iさんと合流。食事をして解散。帰宅は2100。 今日の企画は失敗かと、意気消沈。 7月27日(木)晴れ 1400、駅のホームでS和精吾さんとバッタリ。市場からの帰り。ケガをした足のボルトを抜くために近日中に入院するのだという。「糸地獄」も行けそうにない、と残念そうな様子。茅場町で別れて、大手町へ。気の重い用件。なんとかクリア。 帰社して仕事再開。木曜は通常の二倍の労働をしているわけだが、なんとか午後3時半までにはやり終えて、K記念病院へ。 1800、トップスでK氏と打ち合わせ。 19.00、サザンシアターで劇団1980「ええじゃないか」。今村昌平の映画作品をもとに藤田傳が脚色。新宿梁山泊の金守珍が演出。これで面白くないはずがない。幕末の江戸・両国を舞台に、勤皇・佐幕両派の争闘に巻き込まれた名もなき庶民たちのアナーキーな熱狂の乱舞。徳川幕藩体制も、天皇を錦の御旗にした明治維新も、庶民からみればどっもただの権力をめぐる争い。そのために犠牲になるのはいつでも無辜の民。利用され、ぼろクズのように捨てられる河原者たちの意地が最後に爆発、客席に向って押し寄せる、ええじゃないかの乱舞に滂沱の涙。 隣の席の宇野亜喜良氏も「このホールでやる新劇よりもはるかに面白いですね」と。今秋、下北沢のシネアートンでH島桂さんの一人芝居を企画しているとか。 休憩時間に田之倉氏とカメラマンのS氏と立話。 2120終演。 7月26日(水)晴れ 朝から家人と「浦和美園」へ。複合シネマ館で「パイレーツ・オブ・カリビアン デッドマンズチェスト」を見るため。子供たちは「家にいたほうがいい」と。 田園の中に人工的に作った「浦和美園」駅。最近流行のショッピングモール街。中に入ると、休日の家族連れでいっぱい。こんなに人がいるとは。1800から「太陽のウタ」を見るために来た娘と合流。映画の後は1900までウインドーショッピング。 7月25日(火)晴れ 1630、有楽町。ビックパソコン館で、会社用のデジカメ購入。CANONパワーショット530約1万8000円。型落ちで十分。 1700、下北沢。ヴィレッジヴァンガードで、ミホミホマコト(朝日美穂、もりばやしみほ=hi-posi、川本真琴のコーラス・ユニット)のDVD付CD「ミホミホマコト」購入。 1900〜2100、本多劇場で毛皮族「脳みそぐちゃぐちゃ人間」。このタイトルでは一般紙の掲載基準に引っかかるだろうに、戦略的にはいかがなものか。 いつもの毛皮族よりも露出も少なく、全体的に脱力感。しかし、舞台セットは力が入ってる。巨大なミラーボール。その中から出入りする。ゲストの横町慶子は美の女神にふさわしく妖艶美を放射。外国のグラビア雑誌から抜け出たような抜群のプロポーション。しかし、「ロマンチカ」の時代から何十年たったのか。それでも変わらぬ美貌。 「嫌われ松子の一生」ならぬ「嫌われアッコちゃん」の一生。完全な肉体と完全な魂の止揚? フィナーレはあっさり。粘着性のある江本純子の舞台にしては、いささか拍子抜け。ハデにフィナーレを盛り上げなかったのはなぜ。客席の江森さんとお話。「人生万才始まったね。読んだよ」とニッコリ。 2300帰宅。 7月24日(月)曇り時々雨 右の足の骨折が回復したと思うと、左足の切り傷が気になり出す。左足の切り傷が治ったと思うと、右手の擦り傷が気になり始める。それが直ると、今度は左指のささくれが気になり……。人間というのはどこまでいっても、小さな不安を抱え込むものだ。もっとも、ささくれも切り傷も気にならない太い神経を持つ人もいる。時にうらやましく思うこともあるが、そんな人にはなりたくない。 気がかりが一つ解消。そして、新たな気がかりが……。鋼のような神経が欲しい……か、やっぱり。 15.15、会社の近くの喫茶店でK氏と面会。 18.30、帰宅。外は小雨。 高校の後輩S氏から二作目の小説の出版記念パーティーのお知らせ。処女出版が13年前。あれから様々なことが身の回りに起こった。13年か……。これから先の13年、どうなっているのか……。 7月23日(日)晴れ 心身ともに疲労困憊。躰道稽古も休んでしまう。 家人と買い物。昼食はダイエーで買ったウナギ。今日は土用の丑の日。 「人生万才」、小松杏里氏も浅川マキさんも流山児祥氏も「面白い!」と言ってくれた。 わかる人にはわかる。わからん人にはわからん。それでいい。なんやかやで気落ちしていたが、ほんの一言で人間は元気にもなる。芝居を見て面白かったら「面白い!」と言ってあげたほうが、演出家も役者も喜ぶ。その気持ちがよくわかる。 1430、理容室で整髪。帰りに右翼の街宣車が大音量で軍事歌謡を流しながら通り過ぎる。すかさず、理容院の担当者が「ウオツカ飲んで北方領土返せですか。キムチだって食べてますよ、あの人たち」 そのさりげないつぶやきに微苦笑。なかなか鋭い指摘。 夕方、豚児とテニス。といっても、空き地で真似事。それでも面白い。ささやかな幸福感が人生に必要。小さな小さな極私的幸福で人間は次の日を生きることができる。 7月22日(土)晴れ 電話待ち状態で携帯手放せず。 17.00まで、会社で仕事に没頭。 17.30、秋葉原。田舎から大学のオープンキャンパスのために上京した従妹の娘さんと、従妹と待ち合わせ。せっかくだから、予定していた流山児★事務所の「無頼漢」に連れて行く。ベニサン・ピット。 前の席にI井ひとみ。椿組に行ったときのエピソードを話してくれる。 舞台は、映画「無頼漢」を基にした極彩色のテラヤマ歌舞伎。メリハリのある演出。時々天野天街ワールドが顔をのぞかせる。流山児日記に出てくるレンタルビデオのネタが散りばめられ、2時間は瞬く間。久しぶりの大谷真一の扮する寺山修司の造形が面白い。佃典彦の脚本と流山児祥の演出の勝利。 従妹母娘は歌と踊りにいたく感動。 21.00、出口で流山児氏に挨拶。「人生万才」の掲載氏を渡す。 秋葉原で二人と別れ、家路に。 夜、電話でT氏と善後策を検討。 7月21日(金)雨 疲労もピーク。それに加えて心労も募り、呪わしい一日に。 午後、A川マキさんから電話。「人生万才、いいわね。わたしの知らない寺山さんの世界だわ。これからも楽しみにしてるわ」と。 1700、H駅。1900、三軒茶屋。パブリックシアターで「MANSAI◎解体新書」。野村萬斎の狂言の深層をさぐるシリーズ第9回。書家の武田双雲、生態心理学者の佐々木正人がゲスト。 二人とも場慣れしたもの。やたらと突っ込みを入れる佐々木氏に場内から笑い。「アフォーダンス」なる行動心理の解説、双雲氏の書パフォーマンスなど。2時間20分飽きさせず。 21.20、劇場を出ると、思わぬ展開が待っている。その処理に忙殺され、帰宅は0時。心身ともに疲労困憊。 「過労で自殺」するサラリーマンの心理がよくわかる。 7月20日(木)晴れ 昨日の毎日新聞夕刊に興味深い記事。「CIAが民社党結成を演出?」の見出し。 米国務省が編さん、18日に発行した外交資料によって次のことが判明した。 CIAが1950年代から60年代半ばにかけて、日本の左派勢力弱体化させ、保守政権の安定化を図るために、当時の岸信介、池田勇人両政権下の自民党有力者に対し、秘密資金工作を実施。旧社会党の分裂を狙って50年以降、同党右派を財政支援し、旧民社党の結成を促していた。 小説、映画などで、見聞きするCIAの暗躍・工作だが、国務省がそれを公式に認めたわけだ。 94年にニューヨークタイムズ紙がマッカーサー二世元駐日大使の証言を基に、CIAが自民党に数百万jの資金援助をしていたと報じたことに当時の自民党当局者は「聞いたことがない」としていたという。 それが真っ赤なウソだったことが証明されたわけだ。 日本の政治を裏で操ってきたCIA。イラク侵攻、傀儡政権樹立、秘密工作……今もアメリカのやり方は変わらない。 15.30、K記念病院へ。1年ぶりに診察。ところが、お茶の水駅からニコライ堂坂を下る途中の道に数人の通行人が立ち、ビルを見上げている。不安げな顔。よく見ると、道路にコンクリートの破片が散らばっている。 「たった今、上から落ちてきたんですよ」 と近くにいた女性。 長雨で老朽化したビルの屋上壁面が崩落したのだ。 あと1分早く現場を通りかかっていたら、頭を直撃したかもしれない。 「禍福は糾える縄の如し」 幸福感に酔っているうちに、ほんのちょっとのつまづきで運命が変わることもある。 新装なって、ビルの3階に移転した東洋鍼灸医療センター。K泉先生のいつもの笑顔。 ![]() 17.00、帰りに事故現場を通りかかると、警察車両が終結。ピケ線が張られ、警官たちのものものしい動き。遠巻きに眺める通行人。あれだけの事故でケガ人が出なかったのが不思議。 いったん会社に戻り、18.00、新宿へ。T氏とトップスで打ち合わせ。 19.00、ゴールデン街に誘われるが、バテバテで気力なし。速攻で家路に。 昭和天皇がA級戦犯の合祀に対し、不快感を表していたというメモが日経新聞によってスクープされる。 メモを残したのは富田朝彦宮内庁長官(故人)。 遺族によると、富田氏は昭和天皇との会話を日記や手帳に詳細に記しており、このうち88年4月28日付の手帳に 「A級が合祀され その上 松岡、白取までもが」「松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々(やすやす)と 松平は平和に強い考(え)があったと思うのに 親の心子知らずと思っている だから私(は)あれ以来参拝していない それが私の心だ」などの記述がある。 これによって、公然の事実であった「天皇の靖国神社参拝中止の理由はA急戦犯合祀」が証明された。 しかし、A級戦犯が合祀されようがされまいが、国家の戦意発揚、臣民慰撫の装置である靖国神社問題がA級戦犯問題に矮小化されてはいけない。 メモを公開した日経新聞に右翼と見られる男がイヤガラセの火炎瓶を投げつけたが、それは天皇の大御心をないがしろにするものではないのか、と思うがいかに。 7月19日(水)雨 0730起床。ゴミ出し。 0900、家族でお台場の大江戸温泉物語へ。月末で期限が切れる無料入場券があったので。 品川から無料シャトルバス。1130到着。1730まで温泉三昧。家人が行きたがっていた「ドクター・フィッシュ」。角質を食べるという淡水魚が群れる温泉にみんなが大喜び。雨で平日。客の入りは少なく、館内はどこも待ち時間なし。 1930帰宅。片道1時間半の「長旅」。一人頭1万円の出費は痛いが、まぁ、よしとしよう。 いったん帰宅してから、新聞を買いにコンビニへ。反響轟々。 しかし、この数日は休みなし。疲労がたまりにたまっている。体調を崩さないよう、気をつけなければ。 7月18日(火)雨 朝からしのつく雨。 新企画好評。 15.30〜17.00、代議員会。 終わった後でKB氏に金曜日の様子を説明に。KBさん大喜び。すぐに幹部を招集、火曜日に速報を出すことに。これは極めて異例。 1900、新宿。花園神社で椿組「GS近松商店」。雨がざんざん降り。テントだから客席は大丈夫だが、役者は雨に濡れながらの奮闘。ほぼ満席。クレーンが借景でちらちら。演出かと思いきや、地下鉄工事の現場がすぐそば。近松門左衛門の愛欲・心中ものを現代に置き換えた猥雑な人間模様。片足の不自由な姉に馬渕英俚可、その相手役に岡田義徳。山本亨、藤田記子、下元史朗、清郷流号、水野あや、絵沢萠子と多士済々。 休憩15分で3時間の長丁場。 22.00、終演後、久しぶりに鄭義信に挨拶して帰ろうと、打ち上げに参加。村松恭子・勝田安彦夫妻に挨拶。勝田氏はミュージカル以外に自分のプロデュースではホラー作品を手がけるが、その理由がわかった。子供の頃からドラキュラ=クリストファー・リーのファンであり、わざわざ海外のファンクラブに入会したほどの「オタク」なのだとか。「そのために一生懸命英語を勉強したんですよ」と笑う勝田氏。海外ミュージカルの翻訳・演出の勝田氏とのドラキュラ……どうも結びつかない。 ようやく現われた義信、松本祐子と立話。松本さんはピーターパンの演出の真っ最中。主演の宮路真緒と一緒。 高田聖子に挨拶して家路に。 23.30帰宅。風呂にも入る気力もないほどの疲労感。25.00就寝。 7月17日(月)晴れ時々雨 休日。されど、15.00、阿佐ヶ谷へ。駅でH澤さんと待ち合わせ、Kさんと3人で現場へ。Kさんは30年前の常連さんだったとか。 1700、会社で仕事。休日なのに……。 あまりにも疲労が激しく肩がぱんぱんに凝ってしまったので、上野癒処でマッサージ。 21.00帰宅。連休終了。 7月16日(日)晴れ 10.15の新幹線で大阪へ。維新派の公演「ナツノトビラ」を見るため。 13.30、梅田の梅田芸術劇場(元・梅田コマ劇場)に到着。制作の衛藤さんに挨拶。 元コマ劇場らしく豪華な劇場。ここで維新派が……と思ったら、終演後に会った松本雄吉さんも「うちらには似合わんでしょう」と苦笑い。 夏休み、テレビ漬けの生活を送っていた少女が体験する白日夢。交通事故で死んだ弟の墓参りをするため、街に出た少女を待っていたのは死んだはずの弟と歪んだ幻想。モノクロームの都市を背景に、少年少女の大阪弁ラップで展開するヂャンヂャン☆オペラ。メキシコで初演した作品の凱旋公演であり、日本向けに改変している。 劇場公演ということで、天候に左右されず、演出が細かくなったのはいいが、芸術志向が強まった感が……。洗練されすぎて、猥雑な部分が削ぎ落とされた。結果、予定調和のパフォーマンスに。カーテンコールの「蒸気機関車」のパフォーマンスが維新派らしい迫力で、客席も一気にヒートアップしたことが本編の物足りなさを証明している。 終演後に松本雄吉さんのポストトーク。 近くの公園にロシアひまわりの種を植えたら、それが巨大に成長した、という身の回りの雑事や、メキシコ公演のエピソード。海抜2500bの土地のため、公演途中で高山病になる役者が頻発した。舞台袖に絶えず酸素吸入器を待機させていた……。 客席にマイクが回り、何人か発言したが、ここに関西人のなんと直截的であっけらかんとしてることか。 「あまりにも芸術過ぎてつまらない。昔はもっと面白かったのに」 松本氏に指名された人の発言だが、客席はこの「ホンネ」に同調して拍手。 東京なら、ここまで真正直に言う人はいないだろう。まして、演出家本人を前にして、「つまらなかった」とは口が避けても言えない。へたすりゃ、ケンカ騒ぎだ。 しかし、松本さんも鷹揚。「そうですな、確かにそうかもしれませんな、精進します」とペコリ。 最後に質問した女性は「初めて見たけど、1時間15分が過ぎた頃、私には珍しく途中で眠くなりました。最後のカーテンコールはよかったんですけど」とこれまた、正直な感想。 松本さん、苦笑しながら、「そうでしたか。私も途中で眠くなりましたからね。眠くならないよう、演出のやり方を変えたほうがいいかもしれませんな」 関西人は正直。しかも、本音をぶつけあっても険悪にならない鷹揚さがある。笑いと拍手でポストトーク終わり。 松本氏によれば、故郷の天草公演、そして平城京址での公演も射程に入れているとか。平城京址!「空いてるからええやん。宮内庁なんていうかな」 その公演、ぜひ実現してほしいものだ。 客席にA紙のI村さん。「4月からまたこっちなんです」と。二度目の大阪配属か。東京に戻ったと思っていたのに。サラリーマンはつらい。 「人生万才」を見せたら、「シーザー、高取、天野天街……これは鉄壁の布陣ですね」と。 17.00、衛藤さんに挨拶して会場を後に。 難波界隈を散策した後、新大阪で新幹線乗車。 22.30、東京着。 7月15日(土)晴れ一時雷雨 S氏によれば、「翌日発見」ということがままあった」とか。 ケイタイを横目に、ジリジリとしながらルーティンワーク。 10.15、「発見者から通報あり」のメール。よかった。ホッと一安心。肩の荷が下りる。 1400、世田谷パブリックシアターで「雪の女王」。アンデルセンの童話をモチーフにした1時間5分のパフォーマンス。 雷雨で電車がストップ、開演は10分押し。 客席は子供連れの親たちが多数。しかし、内容は高度で、子供には難しいかも。パフォーマンスのアヤで、時折り子供たちの歓声が。 15.15終演。広報の森さんに挨拶がてら、新連載の宣伝をさりげなく。 1600、帰社。雑用を片付け、市ヶ谷へ。途中、高校時代の友人・Y本俊広に電話。ここ5〜6年会ってないが、すぐに高校時代の寮仲間に戻ることができる。上の娘は嫁ぎ、下の娘は教師だとか。田舎で幸せな生活を送ってる彼を少しうらやましく思う。 17.30、印刷局博物館で高校同窓会東京支部の幹事会。20数人の出席。支部のHPを作ったことなどを報告するも、幹事は60代の高齢者ばかり。インターネットを理解する人は数人だけ。唖然愕然。力が抜ける。 一学年上で、前進座の俳優・益城宏氏の出演する公演「銃口」が8月13日に浅草公会堂で行われる。今日も、この後、関西方面での巡業があるのだとか。役者は忙しい。 民藝の俳優・佐々木梅治氏の妻が大間出身だという話が出たのでびっくり。そういえば、以前、佐々木氏と会ったとき、「神楽坂で妻が小料理屋をやってる」と言っていた。その方が大間出身だったのか。点と点が結びつく。縁とは不思議なもの。 19.45、幹事会解散。タクシーで新宿へ急行。ピットインで浅川マキのライブ。 20.00開演。大晦日公演は満員御礼だが、夏の定期ライブはどうだろう。もし、スカスカだったら……などと心配していたら、杞憂も杞憂。満席で立見がびっしり。マキさん人気健在。もちろん、80年代に池袋文芸座を十重二十重に入場待ち行列が取り囲んだ熱気からみれば、微々たるものだろうが、それでもあふれるばかりの熱気。 客席の大半は20〜30代。世代を超えてマキ人気が受け継がれているのだ。今回はベースに加藤真一を迎え、セシル。モンロー、向井滋春とのセッション。渋谷毅不在が物足りないが、それでも大迫力のステージ。 団塊世代のオジサンに連れられて来ていた20代女性が、その男に60年代アングラのレクチャーをされていたらしく、登場したマキのたたずまいを見て含み笑い。いかにもアングラ然とした雰囲気に笑いがもれたのだろう。しかし、演奏が始まると、笑いは消えて真剣な表情に。それ見たことか。浅川マキはどんなミュージシャンよりも最前衛にいるのだ。 幹事会で飲んだ酒とここ数日の疲労で、立っているのがやっと。2130に一部が終了したのを機に退散。ピットインのS木さんとマキさんに途中退場の非礼を詫びる伝言を。 23.00帰宅。全身疲労でぐったり。風呂に入る気力も起こらずそのままベッドに。 7月14日(金)晴れ 新連載スタート。この日に向けた1カ月余りの道のり。感慨ひとしお……と思いきや、意外に平静。すでに第1回は「過去」のもの……。舞台が初日を迎えたら、すでに次の作品のことに頭が行ってる演出家のようなものか。 10.10、刷り出しを見てミスがないかチェック。 S氏は10.00には「現場」へ。T氏のアシスタント・Hさんも現場周辺で待機。 「意外と早く見つかるかもよ」とA氏、I氏。 しかし、15.00を回っても電話なし。 16.30、会社から「現場」へ。いつもの風景が違うものに見える。駅周辺、現場周辺を歩くも、それらしき動きなし。35度を越す猛暑で、街は蜃気楼。これでは、「町に出よう」とはいかないか。 ザムザの喫茶店で時間つぶし。Hさんと待ち合わせ。フュージョンでバイトしてるのだとか。 ラピュタでは「銀座の恋の物語」上演中。 18.00、喫茶店「華厳」で抹茶フラッペ。30年前、ここによく来たものだが、店のたたずまいは変わった。 20.00、ケイタイにメール。現場周辺にたどり着いた人が二人。愁眉を開く。よかった。これで誰も来なかったらこの企画はオジャンになる可能性もあったわけで……。 帰宅し、続報を待つも、二人は日没リタイヤ。 長い一日だった。 7月13日(木)晴れ 仕事が立て込むので、早めに出社。ルーティンワークに加えて諸々の仕事が重なり、根を詰めて夕方まで。まるで息を止めて水中にもぐり、時々水面に顔を出すようなハードな一日。 夕方、チェック漏れがないかどうか確認。新たな注意事項を加える。「管理された市外劇」はナンセンスだが、勝負は始まったばかり。ここでぽしゃったらおしまい。 17.00、新宿。トップスでT氏と打ち合わせ。2号以降の検討を。 旧友のK松克彦氏からメール。下北半島まで旅行したとか。一方、杉並時代の友人で今は大学講師をしているタクミことS藤久美さんは5月にパラグライダーの墜落事故で全身打撲の大けがを負い、入院中という。病床からのメール。「来週には自宅療養に切り替わるかも」と。 最近音信が途絶えていた旧友たちの近況は悲喜こもごも。 19.30、シアタートップスで「無頼の女房」。中島淳彦作品を堤泰彦が演出。 坂口安吾をモデルにした昭和の破滅型文士の日常を妻、担当編集者、ライバル作家などを絡めて描いたもの。無名塾や青年座の俳優が出演しているが、見知らぬ顔ばかり。知っているのは妻役の裕木奈江だけ。こういう「無名の役者」たちの舞台も珍しい。逆に言えば新鮮。しかし、その男優たちの芝居の固いこと。中島淳彦の作品には向いていない。喜劇なのにクスリともできない。いかに堤泰彦演出で奈江ちゃん奮闘するも、これでは……。 終演後、奈江ちゃんと立話。「ああ、どうも〜。元気そうですね」と笑顔。ギリシャに留学する前に会って以来だから2〜3年ぶり。クリント・イーストウッド監督の映画の撮影も終え、年末の封切を待つばかりとか。「(渡辺)謙さんはすごく頑張っていましたよ。私は小さな役なので……」と謙遜するが、自らハリウッドに売り込む女優としての積極性はなかなか。 22.00、家路に。 7月12日(水)快晴 07.30起床。ゴミ出し。 11.30、中学の授業参観。 授業参観なるものに出たのは初めて。リノリウムの床にスチール製の机・椅子。無機質な校舎でさんざめく子供ら。中学生というよりも小学生の延長。昔の中学生はこんなに幼かっただろうか。平均寿命が延びるに従って、各世代のメジャー上のスケール幅も延びているのかも。子供の時代が引き伸ばされているのだろう。 しかし、子供の頃、この授業参観ってヤツが嫌いだった。親に授業を見られるなんて恥ずかしい。できることなら授業参観に来てほしくなかったものだ。自意識過剰な子供だったんだな。小学校1年の時、学芸会で主役の浦島太郎のおじいさん役が回ってきたが、人前でセリフを言うなんて恥ずかしくてできるわけがない。「もう学校には行かない」と、泣いて、学芸会を下ろしてもらった。今思えば、そんな情けない子供を持った母親が可哀想。もう少し積極的な子供だったら人生変わっていただろうに。 さて、理科の実験で校庭にいる豚児のクラスをしばし見学。わが豚児、顔を見るなり、「早く帰って」 で、次の国語の時間は、20分で退出。自分の子が当てられて答えられなかったらどうしようと、そりゃドキドキもの。授業参観は親の心臓にも悪い。 20.00〜21.30、A川マキさんと電話。東芝EMIの大量リストラの話題から、寺山さんが河北病院に入院する前に医療雑誌「医療と健康」で斯界の名医と対談した時の様子など。以前にも聞いているが、この話はマキさん以外、関係者にはまったく知られていない。T氏の新刊の話をしたら、「平凡社新書? さっそく買いに行くわよ」とマキさん。 深夜、Y木奈江さんからメール。ケイタイの着信光で目が覚めてしまった。「舞台が始まるので見に来て」とのお誘い。 7月11日(火)曇り時々雨 今日から平常勤務。とはいってもたった22分電車の時間が遅くなるだけだが。それでも朝の22分は貴重。 朝、劇作家&演出家のK松杏里氏からメール。演劇系サイトで連載しているコラムで金曜からのプロジェクトの紹介をしてくれるという。ありがたい。 彼とも寺山修司つながり。80年代初頭、いわゆる第二次小劇場ブームが燃え盛った時期。彼の率いる演劇舎螳螂もその渦中で目覚しい活動をしていた。高取英の書き下ろしによる「聖ミカエラ学園漂流記」はその後の耽美・美少女・アングラ演劇の嚆矢となる作品であり、翼をもがれた堕天使ーー美加理の半裸の背中の美しさは今も目に焼きついている。 「ミカエラ」の初演は82年8月。その時、明石スタジオの客席で寺山修司の姿を見たことがあった。最後列の席に座り、食い入るように舞台を見つめていた。杏里によれば「その時の寺山さんの評はいたく手厳しいものだった」とか。 翌年、寺山修司は亡くなり、5年後には「螳螂」も解散する。まだ力が漲っている時期の解散だけに、唐突な印象を受けたが、一つの集団のオトシマエの付けかたとしては杏里流の美意識にかなった潔さだったのだろう。 一粒の麦死なずば……の言葉通り、大鷹明良や美加理のその後の活躍は承知の通り。かんのひとみ、武藤直樹らも第一線で活躍している。 今は1年に一度会うかどうかだが、あれから20数年、同じような年頃の子供を持つ父親になってしまったわけで、別の意味での連帯感を感じてしまうのだ。 それにしても、二人とも寺山修司の年齢をとっくに超えてしまうとは……。 16.30、小雨。思い立ってひばりケ丘へ。作家の向井豊昭氏に会うため。著書を頂いたし、一度お目にかかって話をしたいと思っていたのだったが、ちょうど時間が取れたので、思い立ったが吉日と。 途中、小竹向原で乗り換えミス。そのため、向井氏を駅で待たせてしまった。申し訳ない。 改札前に、遠目でも分かる向井氏の姿。著者近影を見ているためか初めて会った感じがしない。お酒は飲めないという向井氏。なんとなく酒豪のイメージがあったので意外。近所の喫茶店に移動し、おしゃべり。 白のコットンジャケットに、ピンクのシャツ、スラックス。おしゃれでこざっぱりした服装とインテレクチャルな風貌は大学教授風。元中学教師だからそれも当然か。 小一時間、あれやこれやの四方山話。 向井氏は私が小学校に入学した年に新卒教師として赴任してきたのだ。 「もともと北海道に希望を出していたので、青森は滑り止め。だから、途中で辞めるとき、当時の校長には悪いことしたなぁと今でも申し訳なく思っているんですよ」 一学期で退任し、その後は北海道で教師生活を続けてきた。そして定年を前に東京へ。 44年前に田舎の旧い木造校舎の廊下ですれ違ったであろう元教師と、当時の新入生が時を隔てて邂逅する。なんとも不思議な感覚。向井氏は、わずか半年しか滞在しなかった小学校の校歌を今も一部憶えているとのこと。 「舘の上 若草もえて そこに建つ我らが母校〜」。 北海道に渡ってアイヌ文化の研究をし始めたときに、「初めて赴任した小学校が建っていたあの地がまさに”舘”の上だったのか」と得心したのだとか。「舘」とは、中世の城であり、アイヌ民族が外敵の襲来に備え、築いた要塞のこと。今、奥戸小学校がある位置には、その昔、砦塁シャコツと呼ばれる「舘」が形成され、掘割、湿地で囲まれた50b四方の本廓があったのだという。 下北地方に残る「舘」の地名はこの城砦の跡地と思われる。 向井氏の文学に大きな影響を与えたのが、ベケットらヌーヴォーロマンであり、80年代演劇であったという。「北海道から東京に出てきた当時よく見た演劇、それが原点でもある」と。なるほど、「時空を自在に往還」「脱・物語」「メタ文学」。それはまさしく80年代演劇の特徴でもある。 高校演劇にも強い関心を示し、全国大会にも足を運ぶとか。 劇場を仮眠室代わりにしている御高齢の演劇評論家を遇するのなら、向井氏のような作家に今の演劇を見てもらった方がはるかに益になるだろう。 19.00、喫茶店の閉店時間を機に、向井氏と別れ、家路に。 先日wowowで放送した、ジョージ・ハリスン & フレンズ「バングラデシュコンサート」(71年)の回顧番組を見る。 その後のロックチャリティーコンサートのさきがけとなったイベント。賛同したディラン、クラプトン、レオン・ラッセル、リンゴ・スターらの若々しい姿。そして、現在のコメント。60年代のロックの理想は薬のために死んだ。しかし、音楽による変革、60年代の理想と夢を再びよみがえらせたのがバングラデシュコンサート。ビートルズの中では比較的地味だったジョージ・ハリスンだが、彼の誠意と熱意が実を結んだ奇跡的なイベント。若かりしスーパースターたちの演奏を聴きながら滂沱の涙。 ついで、木下恵介監督の「わが恋せし乙女」を見る。1946年作品。 舞台は浅間山の麓の牧場。捨て子の女の赤ちゃんが牧場主に拾われ、我が子同様にのびのびと育てられる。一家には男児がいる。彼もまた、本当の妹のように、彼女を可愛がる。敗戦後、復員した兄は、美しく成長した妹に強い思慕を抱く。しかし、彼女は戦争で負傷し、片足が不自由な青年を愛していた。 昨今のテレビドラマなら、ドロドロの愛憎劇に仕立て上げるのだろうが、昔の日本人は「抑制」がある。 いつかは我が子と添い遂げさせようと思っていた義母は、実の子供の苦悩を知るが、娘への愛情も忘れない。 「母さんが妹に意見すれば、諦めてボクと結婚するかもしれない。でも、それはまっぴらなんだよ。イヤイヤ夫婦になるくらいなら、いつまでも兄さんと呼んでもらった方がいいんだよ」 「互いに不幸せになるくらいだったら、あいつを他人にやって、幸せになってもらいたんだ」 必死に自分の心と戦う兄。しかし、妹の恋人と会った兄の心は揺れ動く。 苦悩する、涙する。嗚咽する。 それでも、最後は妹の結婚を祝い、身を引くのだ。 センチメンタルと笑うなかれ。このような大時代なラブロマンスが作られ、国民が涙した時代が確かにあったのだ。 原保美が兄役を演じ、清新な印象を残す。牧歌的なムードの中に展開するロマン。その裏側には血のにじむ「抑制」がある。 日本映画から「抑制の美学」が絶えて久しい。 7月10日(月)快晴 W杯きょうで終わり。1カ月間の早出出勤もピリオド。 金曜日に向けて、ゲラのチェック。 1800帰宅。 このところ、郵便を利用することが多いのだが、郵便配事情が目に見えて悪化していることに気付く。 例えば、以前なら都内配達は早ければ翌日には到着していたものが、今は3日たっても届かない。それは偶然ではなく、ここ数週間で何度も経験している。もう着いただろうと思って電話を入れても、「?まだですけど」との答えが頻発。 T氏によれば、「もはや日本の郵便は壊滅してしまった」のだという。リストラで集配人が足りない。士気の低下。コイズミ郵政改革の結果がこの惨状だ。過疎地の郵便局が消えていくのもそんなに先のことではない。郵貯はハゲタカに売り渡し、世界に冠たる「正確・迅速」の国内郵便は壊滅。これのどこが「改革」なのか。 「こんなはずじゃなかった」 敗戦からこのかた、ニッポン人はいつも同じセリフを言う。 7月9日(日)晴れ 0700起床。休もうか、休むまいかと気乗りがしないまま躰道稽古へ。 行ってしまえばOKなのだけど……。 0900〜1200、びっしり集中稽古。暑さで汗が滝のように噴き出す。 12.30、帰りの電車。T橋先生、御トシ70歳。「寝る前に布団の上で腹筋を170回やってる」とか。さすが、武道の達人は違う。見習わなくては。 13.30帰宅。2時間仮眠。夕方また1時間。それでも21.30には就寝。パソコンは豚児のオンラインゲームに占拠され、手つかず。HP更新もままならず。 夜、S氏に電話。最終確認を。 ひし美ゆり子のエッセイ「セブンセブンセブン」を読む。 寺山修司の名前が出てきたのでビックリ。なんでも、昔、ウルトラセブンのアンヌ隊員時代に寺山修司からファンレターをもらったという。しかし、当時は寺山修司のこともよく知らず、そのままファンレターは紛失。「あのファンレターを持っていれば……」と残念に思っているという。 天井桟敷の芝居にも誘われたとか。ひし美ゆり子が寺山修司の作品に出ていたとしたら……。歴史のif。 7月8日(土)晴れ 16.00まで会社で仕事。近くの駅で家人、豚児と待ち合わせ。池袋、東京芸術劇場中ホールで音楽座の「泣かないで」を見るため。 ふと思いついて、家族を会社に連れて行き、一通り、社内を案内する。土曜で社内は閑散。同僚にも紹介。「子供に父親の仕事場を見せるのはいいことだよ」と居合わせたS口さん。 ウーム、自分でも思わぬ展開。どうしてこんな気持ちになったのか。テレビドラマなら、自分の死を予感するサラリーマンの行動だ。 1800〜2100、音楽座「泣かないで」。ほぼ満席。受付でI川さんに挨拶。思わぬ、そしてあたたかい配慮に感謝。 終演後、主演の今津朋子さんに挨拶。 2200帰宅。 7月7日(金)晴れ 14.00、喪服に着替え、代々木八幡へ。青年座座長・森塚敏氏の劇団葬。 劇団前の路上は劇団員総出で整理にあたっている。献花を終え、帰途につく緒形拳氏とすれ違う。息子の直人が青年座の映放部だからだろう。 1300から始まっていたので、主だった参会者は献花を済ませた模様だが、まだ数十人が献花を待っているので末尾に。 20分ほどして、列が動き出す。 普段、稽古場、舞台として使っている青年座劇場。その正面に設えた祭壇に森塚氏の遺影。 ![]() 14.30、献花を済ませ、出口に向かうと、「ありがとうございました」と声をかけられたので振り向くと魏涼子さん。一人ひとりに丁寧に挨拶をしている。 「控えの部屋で献杯を」とすすめられたが、会社に直行。 帰りにもらった略歴を見ると、森塚氏も出演していた93年の「甕 ヤポネシア」が青年座との遅い出会いだったことを思い出す。 この作品を「壮大なる失敗作」と評したのが、青年座とのつきあいの始まり。 制作のM氏が「こんな劇評を書いたのはいったいどんなヤツなんだろう。面白そうだから会ってみよう」と会社まで訪ねてきたのだった。批判的なことを書かれても、それを受け入れる度量の大きさ。 これが青年座の懐の深さであり、自由闊達な創作劇団のおおらかさだ。 同じ頃、四季の「李香蘭」を俎上にのせたら、「四季」からはそれっきり案内状もプッツリ。 批判を許さない傲慢不遜な体質。 青年座の対応とは大違い。そうした、自由で気取らない飄々とした劇団のムードはやはり森塚敏氏の個性に負うところが大きいのだろう。 帰社し、着替えて、仕事再開。 17.40、新宿。トップスでT氏と打ち合わせに。途中、K條さんに電話。「順調」と。 19.15、T氏は劇団の稽古へ。 20.30、帰宅。 7月6日(木)快晴 16.20、K記念病院で鍼。 19.00、三軒茶屋。パブリックシアターで白井晃一人芝居「アンデルセン・プロジェクト」。映像の魔術師といわれる演劇界の鬼才、ロベール・ルパージュの作・演出。 アンデルセンの童話を原作にした「木の精ドリアーデ」のオペラを上演するオペラ座の支配人、オペラの作詞を依頼されたカナダ人作詞家、作詞家が住むアパートで掃除係をつとめるモロッコ人の若者の3人を一人で演じ分けるもので、彼らの人生が交錯する現在と、パリ万博が開催された19世紀後半のパリという2つの時空間を自在に行き来しながら、さまざまなイメージのコラージュを積み重ね、メルヘンの裏に隠されたアンデルセンの真実を浮き彫りにしてゆく。 映像の中に俳優が入っていくシーンはどう見ても仕掛けがわからない。まさにマジック。 アンデルセンだから童話的な展開……になると思いきや、セクシュアリティーをモチーフに、きわどいシーンもあり、かなり実験的な作品。 白井晃健闘もやや太め残りが残念。 22.00帰宅。 「6日夜、首相公邸で自民執行部メンバーと会食した際、北朝鮮のミサイル発射に関し、”自分はついている。プレスリーの所に行っている時にテポドンが撃たれたら格好が悪かった”と語った。これは、出席者の一人が”首相はついてますね”と問いかけたことへの答え。」(以上、毎日新聞) このとき、一緒にメシを食っていたのは武部幹事長、中川政調会長、青木参院議員会長ら。その中の誰かがリークしたのだろうが、コイズミのこの軽〜い発言。冗談にもなってない。つまるところ、自分以外の人間をナメているとしか思えない。 こんな男の支持率がいまだに高水準をキープしているのだから、国民のレベルもバカにされたもの。 手塚治虫の「バンパイヤ」全三巻を読む。40年前の作品とは思えない斬新さ。試しに豚児に読ませたら、「続きは?」と。珍しく興味を持ってくれる。手塚マンガは時代を超えて新しい。しかし、「ファウスト」同様、未完のまま終わったのは残念。 7月5日(水)晴れ 0715起床。ゴミ出し。二度寝。午後、近所に散歩後、また昼寝。 当然のことながら、夜は眠れず。ベッドに横になっても午前2時過ぎまで輾転反側。 北朝鮮のミサイル発射で朝からテレビ、新聞がかまびすしいことこの上ない。 「太平の眠りをさます上喜撰 たった四はいで夜も寝られず」というよりも、 「これでもう、次期総理はMeさ、illと、小躍りしてる安倍感冒。北かミサイル待ってたドン、枕タカくして夜もグッスリ」 といったところか。 7月4日(火)晴れ時々雨 17.00、阿佐ヶ谷。古書店ギルドで手塚治虫の「バンパイヤ」三巻、諸星大二郎「天孫降臨」、ひし美ゆり子「セブンセブンセブン」、村野守美「草笛の季節」@=計2550円。 19.30、中野。ポケットで三田村組「仰げば尊くなし」。 今をときめく蓬莱竜太の作・演出。 ある地方都市。中学校跡地の公民館で、何十年かぶりに中学の同窓会が行われようとしている。過疎化で当時の同級生はわずか十数人。今日集まるのもそのうち6人。東京で、幼い子供を亡くし、傷心の帰郷をした「マドンナ」を慰めようと、学級委員長が企画したもの。 三々五々集まるクラスメートたち。 しかし、そこに、生徒の嫌われ者だった元教師が現われたことから、彼らの苦い過去が明るみに……。 教師は三田村周三。委員長=河西健司(役所勤め)、番長=平良政幸(バツ1で、はやらないレストラン経営)、アパッチ=古屋治男(あやしげな商売に手を出し、失敗)、がり勉=栗原茂(父親の工務店を継いでいる)、元気印の猫娘=高乃麗(農家に嫁ぎそれなりに幸せな暮らし)、マドンナ=麻乃佳世(我が子を池の事故で亡くし、遠因は元教師にあると慰謝料請求)、その妹=加藤亜矢子(姉思いの教師)。 同窓会ものといえば、ありがちな設定とストーリーに流れるのが多いが、さすがに蓬莱竜太、只者ではない。嫌われ教師と、その教え子の間にあった「事件」を掘り返すことによって、単なるノスタルジーものにせず、かつての子供たちの今現在、同時進行中の人生を浮き彫りにする。 秋田幼女事件をさりげなく忍ばせた脚本がうまい。 役者のメンツもいい。大人の芝居というのはこんな芝居をいう。 客席もまた濃い顔ぶれ。水谷龍二、渡辺哲、中西良太etc。 終演後、蓬莱氏の事務所のH川さん、ハバネラのZ野さんに挨拶して家路に。 10日発売の高取英著「寺山修司 過激なる疾走」(平凡社新書)を電車の中で開く。読み進むうち涙ボロボロと流れてやまず。これこそ「寺山修司本」の決定版であり、最良の研究書。 死者が反論できぬことをいいことに、当て推量や悪意で捻じ曲げた研究本が過去に出回ったが、それらをことごとく粉砕する「実見」に基づく評伝書。寺山修司の身近にいて、行動を共にした著者しか知りえない、寺山修司の素顔。 亡くなった寺山修司の母・ハツさんを侮辱する言説が出回っていることに対しても、「友人を自称する人たちへの驚きと軽蔑を禁じえない」と批判を加える。 また、晩年のいわゆる「のぞき騒動」についても、キッチリとした事実経過と、反論をし、「記者会見で明らかに寺山に部が悪かった」と書いた長尾三郎「虚構地獄 寺山修司」に対し、「会見に来てもいなかった人が見てきたように書く意図がわからない。会見では”のぞき”に関しては罪にも問われていないと述べた寺山修司にすべての記者が納得していた」と書く。司会を務めた高取ならではの証言だ。「寺山のぞき事件」はマスコミが面白おかしく捏造した「事件」以外の何ものでもない。 虚構と現実の狭間で歪められた寺山修司の真実に対して、きっちりとオトシマエをつけた一冊。この新書だけに寺山修司の真実があるといっても過言ではない。 22.50帰宅。 向井豊昭氏から自費出版書「怪道をゆく」をいただく。 昨今の文学賞にノミネートされる作家など、出版社の「売らんがため」の商魂に左右されている操り人形。どれもこれもクズとカスばかり。 向井豊昭氏はそんな輩が束になっても弾き飛ばす強靭な文体と意志を持っている。文学賞ごっこにうつつを抜かす「作家」連中は、向井豊昭のツメの垢でも煎じて飲めばいい。この老作家こそ、最前衛を突っ走る現在の寺山修司だ。 2400、ベットに横たわり、「天孫降臨」を読みながらまどろみの中へ。 7月3日(月)晴れ 比較的ラクなルーティンワーク。サクサクと仕事を終えて、午後から試作版兼第一号の最終的な仕上げ。 16.15、上野癒処でマッサージ。この人は避けたいもの……と思っていたAさんに当たってしまう。あまりにも指力が強いのでもみ返しが怖い。それにしても、何人もいるのに、この人にだけは……と思う人に担当されるとはついてない。 19.00帰宅。 青森県高田村(現・青森市)で1952年に起きた婦女暴行致死事件の容疑者として逮捕され、78年の再審で無罪となった青森市の米谷四郎さんが死去。84歳だった。服役後に真犯人が犯行を自供したために再審、無罪となったが、真犯人が名乗りでなければどうなっていたか。冤罪事件ほど恐ろしいものはない。 夜、オンラインゲームに熱中する豚児にパソコンを占拠され、ネット巡回ままならず。 7月2日(日)快晴 二週間ぶりの躰道稽古。 気が重い。体を動かすのが億劫。 足取り重く、武道場へ。 今日は壮年と子供だけ。中間の学生がゼロ。 壮年はI内先生、I川先生、N先生、H崎先生、T橋先生。 「生命の法形」をどう演じるかについて、鳩首会議。単調になりやすい法形だけに、先日の埼玉大会での敗北が気になる模様。 一旦体を動かせば、気の重さも吹き飛ぶ。 「師範でも1カ月稽古をしないと、もう稽古したくなくなる」とI川先生。 確かに運動は習慣だ。二時間でも三時間でもウオーキングできたのに、いったんやめると、10分歩くのさえイヤになる。 滝のような汗。わずか5分の「法形」なのに、3時間の稽古中に、たった5回通しただけで、クタクタ、バテバテ。躰道の「法形」の運動量はハンパじゃない。 帰りの電車の中で、T先生と雑談。70歳近い先生だが、まだ仕事をしている。 昨日の新聞で65歳以上の高齢者が働く割合は世界の中で日本がダントツ一位。なんと「男で33%」。男女平均で22・2%。 アメリカでさえ14.4%。フランスは1・2%。ドイツ2・9%。日本人だけが、「高齢者になっても働かざるを得ない」のだ。 T先生「そりゃ、そうだよ。仕事しなけりゃ食べていけないもの。年金だけで生活できる国じゃないよ」 しかも、医療費や消費税率アップもある。ますます、高齢者が生活しにくい世の中になる。それなのに、誰も文句を言わずに自民党政治を許している。不思議の国ニッポン。 国の借金が雪だるま式に増え続けるのに、軍事費にはアンタッチャブル。年間5兆円が戦艦やミサイルに消えていく。軍事費削減は誰も言い出せない。軍人たちのクーデターが怖いのか。憲法改正され、自衛隊が正式な軍隊になったとしたら、もはや誰も軍隊に口を出せなくなるだろう。 世界に誇る平和憲法を守り、自衛隊を解体すべし。 丸腰になったところで、何も問題はない。もはや軍事で国家を守れると考えるほうが「ドリーマー」なのだ。軍事費5兆円を使えば、世界の子供たちを毎年200万人ずつ日本に招待し、1年間生活してもらうことができる。自分をあたたかく受け入れ、一つ屋根の下で暮らした人々に対し、ミサイルを撃ち込んだり、細菌兵器をばらまくことなどできようもない。人間は悪魔ではないのだ。……そんなことをエコノミストの波頭亮氏が言っていたが、まさに至言。ミサイルを買うよりも、次代を担う世界の子供たちと仲良くしたほうがよほど安全保障だ。融和的人的交流政策。これこそ究極の国家安全保障、世界平和への近道だ。 いたずらに他国を挑発し、ケンカを売るコイズミ身勝手外交など愚の骨頂。頭の中はわらクズだけなのだろう。オズの国に行って知恵の実をもらってきた方がいい。 自衛隊は解体。日米ヤクザ協定廃棄。これしか21世紀を日本が生き残れる道はない。 外では街宣右翼の軍歌。彼らは今上天皇が嫌いなのだろう。自分たちの意のままにならない天皇はもはや天皇ではないと言明する右翼もいる。この国に、本当の右翼はいるのだろうか。こうなったら、民主天皇を担いで、真の右翼革命でもやったほうが国民のためになるか……とT氏の冗談。 昨日の流山児祥氏の日記に出てきた「旧知の若い役者さんの急死」が松本きょうじ氏だと、さきほど知って驚く。去年、加藤健一事務所の地方公演の時に、知人を通して電話をいただいた。そして「煙が目にしみる」の飲み会で、「ランプティ・パンプティ再開はどうですか?」などと話をしたのだった。同じ51歳。信じられない。今は冥福を祈るばかり。合掌。 7月1日(土)曇り時々雨 1400、信濃町。文学座アトリエで「オトコとおとこ」(川村毅・作、高橋正徳・演出)。 満席状態だったが、制作のI藤さんに無理を言って席を確保してもらう。 ある居酒屋でかち合った二組の葬式帰りの客たち。 一組は、航空会社(日の丸航空=JALか)の職員。「遺族会の対応に奔走した」というセリフから、ジャンボ機墜落事故が浮かび上がる。 もう一方は、映画監督。「中東での長い拘束期間を経て帰国、その直後に急死した」という男。モデルは足立正生監督。「幽閉者」の上映を控え、精力的な活動をしているのに、「死亡」させるとは、川村毅も意地が悪い(?) 舞台は居酒屋の二組の弔問客の回想と現在を往還しながら、1960年代から現在(戯曲では2003年)までの二人の男の人生対比させる。 航空会社職員は川村の亡父がモデルだろう。小林勝也が飄々と演じている。60年安保にもノンポリを通し、仕事場の航空会社では地上職員。組合運動にも関心を示さず、第二組合に引き込まれる。日本赤軍のよど号ハイジャックに遭遇し、解放された時には「北帰行」を歌い、マスコミの袋叩きにあう。 一方、もう1人の男は、植松監督(若松孝二)の元で映画修業をし、カンヌ映画祭の帰途にパレスチナに立ち寄り、パレスチナの民族解放闘争に加わる。その後、日本赤軍のスポークスマンとして活動。レバノン刑務所に拘束され、日本に身柄引き渡し。 この二人が人生で交差するのは、「航空会社」を介してという設定。よど号しかり、成田管制塔占拠事件しかり……(実際の関与ではなく、思想としての関与)。 ラストシーンでは、件の居酒屋で二人の男が偶然、席を同じくする。そして、互いの「昭和」を回顧する……というもの。 しかし、若松孝二、唐十郎、大島渚といった人物とおぼしき登場人物の造形で笑いを取るのはいかがなものか。 演出家は78年生まれの26歳。時代の空気を知るはずもない。戯曲がパロディー風になるのは仕方ないのかもしれないが、それをそのまま軽い演出でやられると、全部がパロディーになってしまう。ヘタなくすぐりと、若い役者の度を越えた「やりすぎ」演技に鼻白んでしまう。客を笑わせようとする底意が見え見えなのだ。 休憩10分を挟んで2時間30分。「昭和」の男を描きたかったのかもしれないが、少なくとも、足立正生は天皇制に則った「昭和」は生きていないはず。 1700、釈然としないまま帰社。「真夜中のギター」など、60年代の曲が使われたが、幕間に「さよなら世界夫人よ」が流れたので思わずドッキリ。今朝、PANTAが出てくる夢を見ていたのだ。何の予兆かと思えば、ここだったのか。 1830まで会社で仕事。 20.00帰宅。 |