| 1月31日(水)晴れ 0730、ゴミ出し。 1200、家族で華屋与平衛で昼食。 T市に住むKさんから「サガユウキがテレビに出ている」とメールが来たら、その直後に、O市のEさんから「仕事で浅草に……」のメール。去年の夏の偶然のクロスが……。 午後、オーディオドラマのデータ整理。 1月30日(火)晴れ 柳沢厚労相の「女性は産む機械」発言でワイドショーも一応は大騒ぎ。しかし、早めに収束を図りたいとの自民党の意向を汲んだ構成がミエミエ。「柳沢さんは最後にうまいオチをつければこんなに反発を受けなかったのに」とコメントする女性タレントも。事の重大さに気がついていないというか鈍感というか。芸能人のゴシップ、スキャンダルにはしつこくえげつないコメントをするのに……ワイドショーがこれだから、政治家は安泰だ。 「女性は子供を産む機械」ならば、産めない、または、産まない女性は欠陥品か。さる高貴なお方に嫁ぎながら、男子が誕生しない女性は欠陥品だというのか。そもそも、子供を産む産まないは個人の自由でありプライベートなもの。国民は国家のために生まれてくるのだという為政者の潜在意識があるから、こんな発言になる。子供は国家の礎になるために生まれてくるのではない。ましてや「真意が伝わらない」とはツラの皮が厚い。そういえば、石原慎太郎の「ババア」発言もあった。森前首相も「子供を1人もつくらない女性の面倒を税金でみなさいというのはおかしい」と発言したっけ。自民党の体質がよくわかる。 こんな輩が目指す「美しい国」の正体など知れたもの。こうなれば、「今上天皇は護憲派。ならば、憲法9条を守るためには、民主的天皇を擁立して闘うしかない」という冗談とも本気ともつかない言葉がささやかれるはずだ。 1700、阿佐ヶ谷。「江戸竹」でさんま焼き定食950円。 今朝帰京の途についた従姉のKさんに電話。ちょうど海岸線を走っている途中とか。無事に着いてよかった。 1900、神楽坂。SPACE早稲田で流山児★事務所「浮世混浴鼠小僧次郎吉」。 佐藤信1970年の作品を天野天街が演出。いかにもアングラ全盛期の作品。歌あり踊りありアクションありの革命劇。めまぐるしい転換、天野ワールド独特のリピート、映像。1時間30分はちょうどいい時間。伊藤裕作さんの隣りで観劇。客席に中村哮夫、龍昇、黒木美奈子さんら。終演後の乾杯は失礼してM紙のT橋さんと馬場まで歩き、駅前のビヤホールで軽く一杯……のつもりが、杯を重ね2300までおしゃべり。 2415帰宅。 1月29日(月)晴れ 北海道のYさんからメール。母方のルーツ探しへの返信。珍しい苗字なので比較的、当たりをつけやすかったのだが、どうやら同じルーツのような感触。当主はほぼ同世代。「こちらでもルーツ探しをしていたところです。札幌の方も、もしかして……と訪ねてきたこともあります」と。 古い資料を探しているというので、その結果が楽しみ。 1530退社。氷川台へ。従姉夫婦が明日帰郷するので、挨拶に。 1900帰宅。豚児のテニスラケットを買うためダイエーに。ラケット、ガット張替え、その他で2万4000円。中学の部活も経費がかかる。 1月28日(日)晴れ 今日は躰道のイモ煮会だが欠席。稽古で痛めたヒザの痛みが取れない。階段を上るときに痛みが走り、ゆっくりとしか足を運べない。こういう時に年寄りや障害をもつ人の痛みがわかる。普段、何気なく階段を駆け上がっていることがすごいことのように思えてくる。 それにしても石原慎太郎の傲岸不遜ぶりには呆れる。 赤旗編集部が情報公開で入手した資料によれば、2000年4月から06年12月までの7年間で、石原都知事は交際費を1000万円以上使っていたという その一部はこうだ。 05年4月18日。港区赤坂の高級料亭「赤坂浅田」。幻の焼酎「伊佐美」が1本2万8000円、高級ワインが2本で3万6000円……。しめて37万円。 02年12月2日。老舗の高級料亭「永田町瓢亭」。13人で総額52万円。 05年5月9日。最高級フランス料理店「アピシウス」。1本2万円の赤ワイン、前菜はフォアグラ、アワビのステーキ……。38万円。このほか、すっぽん料理店で20万円などもある。 「交際費」といっても相手は身内。都の銀行である『新銀行東京』の代表執行役、都の参与、長男・伸晃議員らとの会食にまで19万円の税金を使っている。都の交際費の支出基準では、議員や公務員を相手に飲み食いすることは禁じられているはずなのにこのやりたい放題。 「なにが贅沢かといえば、まず福祉」と公言。障害者や福祉を目の敵にしている石原。その一方で、税金を使って贅沢三昧。こいつにつけるクスリはない。 知事本局は「確かに公務員との会食に交際費を支出することは基準に抵触する。しかし、民間人が1人でもいれば、公務員は知事のサポート役という扱いになる」というから開いた口がふさがらない。 この男が都知事でいる限り、都民の税金は石原ファミリーにいいように食いものにされる。 1月26日(土)晴れ 飲みすぎたのか、胃の辺りが重苦しく、夜中に何度も目が覚める。睡眠不足で会社へ。 土曜のスケジュールは楽勝。午後、1時間半ほど仮眠。 ラジオ芸術劇場は1968年を調査中。 1700まで会社。 1730、池袋。タワーレコードでサガユウキ「霙」購入。 ビックカメラでDVDケース980×2。回転寿司・大江戸で夕食1520円。 1900。東京芸術劇場小ホール1で青年座「深川安楽亭」。原作は山本周五郎。映画化された「いのちぼうにふろう」はサスペンスフルな時代劇になっていたが、舞台版は、一膳飯屋「安楽亭」を舞台に、心に闇を持つ無頼の男たち、酒びたりの男の心の空虚、一組の男女の純愛という「人情の機微」に焦点を当てた作品。もちろん、「安楽亭」は抜け荷に手を染める裏稼業の男たちの根城。ギラギラとした目つきの男たち、探索に来た同心の失踪、「仕事人」の親方が放つ血なまぐさい迫力……とスリリングな要素もたっぷりと詰まっている。 それにしても、青年座という劇団の充実ぶりはどうだ。これだけの俳優をそろえられる劇団はほかにない。 「親方」の山本龍二、手代の檀臣幸、雀を可愛がる定七の五十嵐明、そして平尾仁、名取幸政、堀部隆一のベテラン。中でも「男」を演じた横堀悦夫は今までになく、抑えた演技で新境地を切り開いた。自分の欲のために妻子を亡くした男の虚無と絶望。まさに名演。 与平衛役の綱島郷太郎は名優の中でひときわ個性が光る。若い頃の原田芳雄のような、屈折した野獣の目。男の色香というのか、身のこなしもいい。 初演より数段舞台は良くなっている。亡くなった森塚敏氏も泉下で喜んでいることだろう。 2110終演。水谷内氏に挨拶。先日のハガキのお礼。 2230帰宅。 1月25日(金)晴れのち雨 午後、従姉夫婦が上京。結婚式に出席するため。 1500、早めに仕事を切り上げ、氷川台。従兄のマンションへ。 秋に帰省して以来の再会。親戚の中でも一番気の許せる、仲のいいいとこたち。子供の頃の話や田舎のことなど話は尽きない。 近くの焼肉屋で夕食。1900、従姉の息子のKくんも駆けつけ、2100まで。楽しいひととき。小学生の1年余り、間借りし、同じ屋根の下で寝たいとこ。兄弟姉妹のような関係。年齢を重ねるごとに、親しみが増す。 2200、降り始めた雨の中、Kくんと一緒に帰宅の途に。 1月24日(木)晴れ 昨日の「社内・本のバザー」の残りものの山から何冊か手に取る。 宮岸泰治著「女優 山本安英」(影書房)、眉村卓著「新・異世界分岐点」(出版芸術社)、 ヴァシイ章絵著「ワーホリ任侠伝」(講談社)、水波誠著「昆虫―驚異の微小脳」 (中公新書)、草野のりかず著「三角ベース」(秀和システム)。 元昆虫採集少年としては、昆虫ものにはつい手が伸びる。「山本安英」は暇なときに。「三角ベース」は、1950年代のノスタルジー世界を検証。 久々の眉村卓。中学時代に中1コースの附録で読んだ「まぼろしのペンフレンド」が最初だった。しかし、ジュニア小説以降はほとんど読んだ覚えがない。これは昨年出た新刊。電車の中で読むが、ウーン……。テレビゲームの文章化のような味気なさ。今、こんなにつまらない小説を書いていたのか。 ヴァシイ章絵「ワーホリ任侠伝」。「石田衣良、伊集院静、角田光代、重松清、花村満月らが絶賛の小説現代長編新人賞受賞作」の惹句。期待して読んだ分、ガッカリ。平凡なOLがヤクザの息子のイケメン男と恋をするが、男は跡目争いに巻き込まれ殺される。ごたごたが続く日本をあとに、オークランド、フィジーへと旅立ち、最後は恋人を殺したヤクザと全面対決。 六本木、歌舞伎町の性風俗や女の子の好きなブランドを散りばめたポップな小説。でも、読み進むにつれ、なんだこりゃ?の展開。高校生の妄想小説か。 「……なんちゃって」という自己相対のセリフがどこで出てくるのかと思ったら最後まで延々同じ調子。選考委員はいまどきのOLの生態やブランド列挙に韜晦されたとしか思えない。この小説のどこが面白いかまったくわからない。紙芝居の方がまだまし。 1900、青山円形劇場で「えっと、おいらは誰だっけ?」。マイケル・クーニー作品を綾田俊樹が演出・出演。 親父のレイ・クーニーばりのウソと誤解の積み重ねで人間関係の糸がこんがらかっていく笑劇。 長年、間借り人の名前で、失業手当を不正受給していた男が、それを隠そうと、社会保障省に間借り人が死亡したとの電話をする。そこに社会保障省の役人が現われ……。ひとつのウソがウソを呼び、次々と誤解の連鎖が。ま、順当ならば面白いはずなのだが、これがまったく笑えない。一つは、言葉の問題。原作の言葉のシャレを日本語に置き換えても苦しいダジャレにしかならない。テンポはいいが、段取り芝居が見え見え。加藤健一事務所がやったらこなれた舞台になっただろうが、綾田演出でも、カベは大きかった。 岡田達也、あきれるほどうまい。小林隆、さすがはサンシャインボーイズ仕込の間のよさ。峯村リエ、最後にちょこっと出るだけなのに存在感大。土屋裕一、好青年熱演。斎藤歩、初のコメディー。MODEの芝居とは180度転換。一生懸命喜劇を演じている姿はちょっぴり痛々しい。ケーキをほおばるシーンはやりつけないギャグを演じてる新劇俳優のよう。客席に媚びる演技。笑いをとっていても……ウーン。木村靖司、お気に入りの俳優も、今回は見せ場なし。 休憩15分挟み2時間50分。 Y家かおりさん、客席にいた石井K美子さんと立話。 1月24日(水)晴れ 0730、ゴミ出し。1100まで寝なおし。イモリの水替えやら灯油買いなど、雑事。 1800、豚児のことでK中学へ。40分ほど面談。1900帰宅。 昨日買ったアエラ・ムック「手塚治虫文化賞10周年記念 ニッポンのマンガ」をパラパラ。萩尾望都が手塚治虫の「新撰組」のワンシーンへの思い入れを語っている。 私の場合は「スーパー太平記」のワンシーン。向学心のある丁稚に、店の主人が「そんなに字が書きたかったら、その煮え湯に手を入れて書け」と言う。言われた丁稚は煮えたぎったやかんの中に腕を井入れて、指先で手習いの字を書く。その苦悶の表情に驚いた主人は慌てて、「もういい!わかった」と丁稚が手習いをすることを許可する。この丁稚の母親はスリ。主人公が樽で作った戦車を走らせるシーンはいまだに鮮明に覚えている。連載していた雑誌のリアルタイムだから4歳の頃か……。 1月23日(火)晴れ 1700、銀座・山下書店で中野正志著「万世一系のまぼろし」(朝日新書)。 1830、新宿。サザンシアターでこまつ座「私はだれでしょう」。二度の初日延期という演劇史上例のないドタバタ。遅筆堂の名にふさわしい(?)井上ひさしの新作。 1月22日(月)晴れ 1969年のラジオドラマに「兵隊養子」というタイトルのドラマがあった。奇妙なタイトル。 調べてみたら、明治初期に発布された徴兵令を逃れるために、二男三男が他家の養子になったことを言うとか。明治の人にとって、この徴兵令は大ショックな出来事であり、香川・島根・鳥取・岡山の各地で徴兵に反対する一揆が起こった。 徴兵令の中身は、「全国四民男児は二十歳に至る者は尽く兵籍に編入し・・・・」。兵は3年服役(常備軍)で、以後4年間は自宅待機(後備軍)。17歳から40歳迄全員を兵籍に記載すると言う制度。 国民を「天皇の軍隊」に狩り立てるためのもので、これを逃れようとした者は「非国民」として、本人ばかりか親族一党も社会的な制裁を厳しく受けねばならなかった。 この徴兵令に対して民衆の激しい反対が巻起こったのは、ひとつには「徴兵令」の中の、「西人(西洋人)は兵役を血税と謂う。其の生き血を以て国に報いる謂(いわれ)也」と言う部分であったという。この「血税」を、「血を抜き取られる」と解釈した者も続出(戦争で死ぬのだから間違いではないが)、さらに「男子が済むと今度は13歳から25歳迄の未婚女性は捕らえられて樺太に送られる」という噂まで拡がった。 この「血税」への一揆では2万人以上の処罰者が出たという。 この徴兵を逃れる方法は2つあり、戸主・後継ぎには兵役を課せられない。また、当時の金で270円納めた者は兵役が免除された。いつの時代でもカネ持ちは戦争にいかなくてもいいわけだ。 庶民は第一の方法になだれこんだ。つまり、他家の養子になって戸主や世継ぎになること。そうすれば徴兵を逃れられる。これが「徴兵養子」「兵隊養子」。 このように、二男、三男が養子になることが大流行したのだ。 私の曾祖父も他家からの「兵隊養子」だった。母の姉の嫁ぎ先がその曾祖父の実家。つまり、従姉とは「二おやく=親戚」なのだと、昔聞いたことがある。 その「兵隊養子」の詳しい実態を今日初めて知ったのだった。ラジオドラマで知る歴史。 1700帰宅。 宮崎県知事にそのまんま東当選。既成政党候補を破っての当選に、マスコミの狂騒。しかし、そのまんま東に確固とした政治的信念があるでなし、どちらかといえば保守的な人物。背後に怪しげな政治団体がついているという噂もある。早晩、保守政界に取り込まれることは必至。スキャンダルで崩壊するだろう。 1月21日(日)晴れ 0900~1200、躰道稽古。 集まりが悪く、最初は5~6人。0930、子供たちも集まりだして15~16人。この頃、遅刻が多い。 1300帰宅。途中で浦沢直樹の「プルートゥ」4巻を。しかし、物語は遅々として進まず。この分だと何十巻になるか。 110ギガのパソコン、HDが残り3ギガちょっと。これでは早晩パンクしてしまう。どこで容量を食っているのか。フリーソフトのSCANNERをインストールして調べたら、びっくり。なんと、ラジオドラマをカセットから録音し、CDにダビングしようと、以前録りためたオーディオファイルが50ギガ以上も録音ソフトのフォールダーにあったのだ。すっかり忘れていた。WAVEファイルや特殊な拡張子なので、外からは見えなかったのだ。さすがは「SCANNER」便利。 さっそく、ファイルを整理。あっという間に35ギガのスペースができる。よかった……。 午後、「花より男子」新シリーズを夕方までかけて見通す。パワー衰えず!抜群の面白さ。 1月20日(土)晴れ 夕方まで会社。午後からは縮刷版と首っ引き。偶然、1969年4月5日の朝日新聞ラジオ・テレビ面にこんなコラムを見つける。 「4月から始まった新番組・奈良和モーニングショー(NETテレビ=現テレビ朝日)の司会者たちは、どこか端正で、若さの息吹も感じられ、うまく伸ばせば成長株になりそうだ。そこで、今のうちに苦言を呈しておこう。3日はキャスターの一人、石原慎太郎氏が大学新入生たちを相手に話し合ったが、自分の意見を強く押し付けているのが目立った。『高校で社会科学を習った?チャンチャラおかしいよ』『君たちの代表でなくて結構だ。ボクを推すものがいるんだから……』と、20歳そこそこの学生たちをやっつけてみても何の意味もない。キャスターは相手の意見を十分に聞いた上で自分の意見を述べるべきではないだろうか。問題意識を持っている学生たちと石原氏、両方の意見を聞いて、はじめて対立がはっきりするのだ。双方の対立点を視聴者に明らかにして見せ、その上で問題を理解できるように、巧みにカギを与えること。それが数百万を対象にしているテレビキャスターの才能というものだろう。これはおよそ論争といえるような内容ではなかった。それにも関わらず、放送の最中に「慎太郎、若者を斬る」という字幕が現れた。斬られたのはむしろ石原氏だったが、斬るなどという発想そのものがもう古い」 38年前から石原慎太郎の独善的な体質は変わっていないということだ。 1600~1800、上野。癒処でマッサージ。携帯メールが当たったので半額に。90分コースが4500円。「一等なんてほとんどないんですよ」と店の人。 帰りに、アメ横でシャケトバ1150円。いつもは素通りだけど、試しに「5000円だけど1500円でいいヨ」という冷凍マグロの大トロを買ってみる。どんなものか? 帰宅して誕生日の夕餉。 昨日買った「団塊パンチ」。第二特集は「ちあきなおみ」。夫・郷鍈治の死去後、ぷっつりと芸能界から姿を消した歌姫。さまざまな人がちあきなおみの魅力を語っているが、読むほどに、ちあきなおみのカムバックは二度とないという気がしてくる。この本のインタビュー、構成がそのままちあきなおみが縁を切りたかった芸能界の縮図のようなもの。 わずかに渚ようこ、藤木TDCの文章だけにちあきなおみへの愛が感じられる。ほかは興味本位。郷鍈治の兄、宍戸錠のインタビューなど醜悪そのもの。ちあきなおみへの偏見と意地の悪さが垣間見えて不愉快。それをそのまま載せる編集部は最低。これでは、ちあきなおみが戻りたくないわけだ。もしかしたら、宍戸錠が原因の一つかもしれない。このままちあきなおみは伝説となるだろう。それがいい。 そういえば、89年のちあきなおみの一人ミュージカル「レディ・デイ」、見てるんだよなぁ。あれが最後か……。 1月19日(金)晴れ やや冷え込み感のある一日。 「私には夢がある。貧困のない国、子どもたちが道で物乞いをしなくてもよい国を目指す。富の華やかさはないが尊厳があり幸せな国家を作るのだ」 これは、1月15日、南米エクアドルで大統領に就任したコレア大統領の言葉だ。 就任演説でコレア大統領は、ラテンアメリカ独立解放の父シモン・ボリバルの剣をかざし、「長かった新自由主義の夜が明けつつある」と語ったという。 労働の流動性やアウトソーシング(外部委託=派遣)が雇用の不安定化を招いたこと、そして新自由主義的な経済政策がラテンアメリカでは貧困と格差を増大したことを指摘したのだ。 「人間の労働を単なる商品とすることは許されない」とも語った。(ウニ氏のブログより) 「美しい国」などという意味不明のワンフレーズで国民の目を欺こうとするどこかの国の首相とはその志が違う。 市場原理主義を分かりやすくいえば「弱肉強食」。もっといえば「勝ったもんが善」ということ。「勝てば官軍」「そのためには何でもあり」だから、分かりやすい。しかし、これでは国民の関心は経済至上主義に陥り、民心は荒廃する。国家は労働者を保護するのではなく、競争の渦中に追い込む。格差社会の出現。国営事業の民営化は貧困層の排斥とサービス低下をもたらす。郵政民営化が郵便物の遅配を招いていることがその証左。 自分だけがよければそれでいいという極端な個人主義が蔓延する新自由主義経済。富あるものはさらに栄え、カネのない低所得層は教育にカネをかけられず、その結果、学歴社会の日本では貧乏人の子供は貧乏人というスパイラルに陥る。極貧から這い上がることなど万にひとつの可能性もない。 不二家の偽装事件も耐震偽装もすべては、「新自由主義=市場原理主義」がたどる国家荒廃の結果。その被害をこうむるのはもちろん、国民自身だ。 もっとも、国会議員の事務所費ごまかしなど、日本の場合は新自由主義云々の以前の問題だけど。 あれほど社民の辻本清美をバッシングしたワイドショーは今回の不正疑惑には頬かむり。これでは「マスゴミ」と言われても仕方ない。 一方で、「ハケンの品格」なる政府御用達ドラマがバッコするテレビ業界。労働力を安く囲い込みたい経済界の意向で、ホワイトカラーエグゼンプションなる「残業ゼロ政策」が進められ、正社員ではなく派遣社員を常態化しようとしているこの国の為政者たちにとっては願ってもない広告塔のようなドラマ。派遣はカッコイイなどと若者に刷り込む宣伝番組だろうに。 一度でいいから「富の華やかさはないが尊厳があり幸せな国家を作るのだ」という誇り高い就任宣言をする首相を持ってみたいものだ。 1900~2050、ベニサンピットで「カラフト伯父さん」。鄭義信の作・演出。初演は見逃したが、これは大傑作。久々に胸が高鳴る。 舞台は関西。阪神大震災の時に天井が崩落。そのまま放置されているさびれた鉄工所。 不景気のあおりで、仕事もなく、近所の溶接工場のアルバイトで糊口をしのいでいる徹(岡田義徳)が一人で寝泊りしている。ある日、零細出版社社長の父(ベンガル)と若いストリッパー(冨樫真)が転がり込んでくる。借金取りに追われて逃げ込んできたのだ。 母が別の男と再婚した後も、ふらりと現れる実父を幼かった徹は「カラフト伯父さん」と呼んで慕っていた。カラフト伯父さんとは、宮沢賢治の作品に出てくる「本当のさいわひ」を運んで来る伯父さん。しかし、母の死を看取ることなく、震災の時にも現れなかった父に対し、徹は激しい憎悪を抱くようになっていた。絶望の淵で、ついに徹の前に現れることのなかった「カラフト伯父さん」。堅く閉ざされた徹の心は父を激しく拒絶する……。 脚本、演出、配役、この三者が絶妙に絡み合い、まさに「間然とすることのない舞台」。今まで見た鄭義信の作品の中でもベストの舞台だ。 ベンガルが、いい加減だがどことなく憎めない父親役を飄々と演じれば、冨樫真は蓮っ葉だが純情キラリなところもあるストリッパーを好演。父への屈折した思いを陰影豊かに演じる岡田義徳。この三者の丁々発止の掛け合いが見事。静と動、混沌と希望。実に見事な舞台。 05年の初演を逃がしたことが悔やまれる。間違いなくベスト作品だったはず。 終演後、家でちょっと気がかりなことがあり、鄭義信に挨拶する間もなく、そのまま家路に。 1月18日(木)晴れ あれほど多忙を極めた木曜日がすっかり暇になってしまい、拍子抜け。午後、新聞の縮刷版を繰ってラジオドラマのデータ収集。1970年完了。 従姉から初メール。来週の上京日程など。隣り町の人が岸壁から落ちて海で亡くなったとのこと。こんなローカルなニュースのダイレクトに伝わってくる。 1830、有楽町。国際フォーラムCで「タイタニック ザ・ミュージカル」。映画版とは別もの。曲がどれも素晴らしい。宝田明、浜畑賢吉など実力ある俳優たちが大挙して出演。中でも岡幸二郎の歌唱が圧倒的。一応、松岡充がメインだが、このメンバーの中ではちょっと弱い。ミュージカルの歌唱いまひとつ。休憩20分を挟み、2120まで。終演後、ひまわりの吉田さんと立話。 2230帰宅。歌手・井沢八郎死去のニュース。「あゝ上野駅」はもちろんだが、「男傘」「男船」といった歌が懐かしい。あれは小学生の頃か。集団就職は自分よりもほんの少し年上のあにき・あねきの時代。従兄の家のモジュラープレーヤーで「男船」を聴いたっけ。どんなエラい人の死よりも、井沢八郎のような時代を象徴する歌手の死の方が胸に迫る。 1月17日(水)晴れ 休み。終日家の中。 1月16日(火)晴れ 京都精華大でまんが学科の学生が刺殺。9時過ぎにT取さんに電話すると、「えッ? 知らなかった」 午後には新幹線で京都に向うところ。授業どころではないだろう。 1530~1645、D員会。1700~1930、F新楼で引き継ぎ会。隣りの新喜楽の前にはカメラマンが大勢詰め掛けている。直木賞発表か。 珍しく酔いが回り、会合が終わった後も、誰かと飲みたい、話したい気分。しかし、こんな日に限って誰もいない。 1月15日(月)晴れ マイブームは餅。ガスストーブの上でこんがりキツネ色に焼けた餅のおいしいこと。「何もつけないの?」と家人には言われるが、餅はそのまま食べるのが一番おいしい。 1月14日(日)晴れ 0900~1200、S木市武道連盟の鏡開き。市長、教育長らが出席。30分ほどで終了。去年までは1階の剣道場だったが、今年は畳の柔道場。式終了後、初稽古。 子供たちと一緒に肩慣らしから。倒立前転、馬飛びなどでの競走も。久しぶりの運動でスッキリ。 1330帰宅。家人の買い物につきあい、商店街まで。途中の古書店で結城昌治の長編「魚たちと眠れ」を。100円。 1500、帰宅し、1時間ほど仮眠。クラークの読み止しがもう少しで終わるのに、目を開けていられないほどの睡魔。1700、まだ眠り足りないが、起きてラジオドラマのカセットをデジタル化。 1月13日(土)晴れ 夕方まで会社。午後からは朝日新聞の縮刷版でFM・芸術劇場のデータ抽出。 1800、下北沢。げんこつラーメン。 1900、スズナリ。新宿梁山泊「リュウの歌」。コビヤマ作品最終回。韓国の劇団、演戯団コリペの俳優・演出家による公演。近未来、地上と地下に分かれて暮らす人々。地下では、地上から投げ込まれるゴミが彼等の生活の糧。ある日、一人の赤ん坊が捨てられる……。 個性的で魅力あふれる俳優陣、美しい照明、エネルギッシュな演出。どれもが実に新鮮。韓国語での上演だが、字幕があるので、不自由はない。コビヤマの作品がまったく別のものに見える。戯曲の過剰な叙情も気にならない。見ごたえのある舞台。 20.50、終演後、ロビーでコビヤマ、金、渡会さんらと立話。眠亭で打ち上げというが、明日が早いので今日は失礼して家路に。 1月12日(金)晴れ 正午、る・ひまわりのY田さんから電話。2月公演の件。 1630帰宅。灯油がなくなったので自転車でガソリンスタンドまで。18リットル1350円。1日3リットル消費するから、1日220円弱。電気ストーブよりも安い。ただ、この灯油高のおかげで、石油ファンヒーターを使っている青森の親戚は大打撃とか。 1月11日(木)晴れ ひょんなことから、思いがけず、従妹の息子さんの消息を知る。地方都市で起業しているとか。若く希望にあふれたその姿がまぶしい。これもネット時代の効用か。 1400、K企画のKさんとN村まり子さんとお茶。2月公演の情宣。下北沢に新しくオープンする劇場「楽園」の杮落とし。本多社長が役者に目覚めてしまい稽古場で張り切っているという。下北沢再開発も本多氏が一転して反対に回ったとの情報もある。本多氏が反対派につけば百人力。再開発反対の大きな転機になるかもしれない。下北沢の街は守らなければ。 1620、K記念病院で鍼。このところ耳鳴りが大きい。鍼も1カ月ぶり。首の後ろがカチンカチン。知らず知らずのうちに凝っている。 1800、池袋。タワーレコード、ビックカメラを回って時間つぶし。 1930、シアターグリーン、ボックス・イン・ボックスで劇団鹿殺し「僕を愛ちて。」。今最も期待の持てる劇団。ちょうど、劇団☆新感線が東京に進出した頃、またはハイレグジーザスが出てきたときの勢いと同じような清新なエネルギーがある。今回は、北海道の丹頂鶴を保護する青年と、一人の少女、怪しげな若者たちの不条理で残酷なラブ・サスペンス・コメディー。 役者が皆個性的。舞台の密度が濃い。路上パフォーマンス、ライブ活動で鍛えた強靭な舞台感覚。勢いのあるときは何をやってもブレがない。猥雑、狂気、エロス。丸尾丸一郎と菜月チョビのコンビ最強。 終演後、丸尾と立話。下北沢の小屋は2年先まで予約で埋まっているのでなかなか入り込めないのだとか。惜しい。今こそ、下北でやってほしい劇団なのに。石井愃一氏も楽屋見舞い。どこで接点があるのだろう? 飲み会に誘われるも、この時間では……。2200、劇場を出て帰宅。 1月10日(水)晴れ 休み。終日蟄居。ラジオドラマ整理。 1月9日(火)晴れ 1900、下北沢。新宿梁山泊「月光の騎士」。 コビヤマ洋一の新作。本人にすれば「長年お蔵入りしてた作品」なのだとか。アルツハイマーの老人、その「妻」を名乗る老女、死に損ねた若者。民家の屋根の上で繰り広げられる奇妙な饗宴。長年寝かせたために、逆に今の時代にピッタリの物語に。 コビヤマらしいメルヘンタッチの芝居。「風のほこり」に続いて六平直政が出演。梶村ともみと丁々発止のかけあい。毒不足だが、「風のほこり」ではやや精彩を欠いた六平が復活の兆し。 2030終演。近くのアジアン料理店「かくれん坊」で飲み会。楠野、柴田義之、宮内勝、鎌滝ほか約40人。豪華な料理に舌鼓。20周年ということで、主だった参加者から挨拶。金守珍から指名されて一言。こんなとき、気の利いた挨拶をしたいものだが……。 コビヤマ、櫂作さんらと談笑。楽しい時間は瞬く間。 2330解散。金ちゃん、六平に挨拶して家路に。一ノ瀬めぐみと新宿まで。 2430、帰宅。 1月8日(月)晴れ 休みの日の、なんと早く過ぎることか。終日、ラジオドラマの整理。 2100就寝。 1月7日(日)晴れ 10・00起床。取り急ぎ「マグロ」の後編を見る。自分の身に置き換えて見てしまうためか、途中で何度かグッとくるものがある。漁師だった祖父、叔父、そして母が生きていたら、テレビを見て喜んだだろうに。それが悔しい。 強風で電車ストップ。マンションが揺れるような、こんなに強い風は初めて。子供の頃はこんな風、普通だったのに。電線のビュンビュン鳴る音、家が持ち上がるような振動音。生まれ故郷は強風の町。特に、生まれた家は高台にあり、風をもろに受けた。ゴーゴーという風の音を聴くと、子供の頃の生家が目に浮かぶ。その後、分家して移り住んだ場所は風の当たらない穏やかな地区。町の中でも最も住みやすい場所だった。だから、風の思い出は子供の頃が印象的。風が吹けば停電になる。石油ランプのホヤの帆影。海鳴りと山の風の音。この二つが故郷の音。 午後から50~60年代のラジオドラマを整理。 夜、日活、のら猫ロックシリーズ「ワイルド・ジャンボ」「暴走集団71」を立て続けに見る。 60年代から70年代の若者たちのハチャメチャなエネルギー。組織暴力団をおちょくり、巨大宗教団体のお布施を強奪し、焦燥と混沌の明日なきアナーキーなヒッピー・サイケ集団。梶芽衣子、范文雀、久万里由香のカッコよさ。チイさまなんぞと呼ばれてやに下がってる地井武男なども、まだギラギラした野獣の目つきをしている。 しかし、なんといっても、藤竜也と原田芳雄。この二人だけはいまだに70年代の硝煙の匂いを体にまとっている。 わずか21日の撮影期間。その撮影のスケジュールの合間に役者たちがデモに行く日程が組まれていたというのだから今からは想像もできない時代。 つい夜更かしをして映画に見入ってしまう。 1月6日(土)雨 朝から冷え込み。 1420まで仕事。 1430、銀座・山下書店。 書棚にメアリー・ヒギンズ・クラークの新刊「20年目のクラスメート」を見つけでビックリ。奥付を見たら06年5月! 本屋に行くたびにクラークの新作を探していたのに、いつの間に。いったいクラークはどうしたのか、コーンウエルや新進作家に押されて、新刊が出なくなってしまったのか。あれこれ心配したのに。狂喜乱舞で購入。900円。 1450、銀座。シネカノンで映画「見えない雲」。 チェルノブイリ原発事故の翌年1987年に発表され、西ドイツでベストセラーになった小説をチェルノブイリ事故20周年を記念して映画化したもの。1990年にNHKのラジオドラマとして放送されたので概略は知っているが、どんな映画になったのだろうと思って見に行く。一見地味な映画なのに案外客席は埋まり、100人余りの観客。 表題の「見えない雲」とは放射能を含んだ雲のこと。 原作では主人公・ヤンナーベルタは14才の少女。両親は原子力発電に反対している。事故が起こったとき両親は留守で、仕方なくヤンナーベルタは弟のウリと2人で自転車で避難する。駅に向かう途中、自動車にはねられてウリは死ぬ。動転したヤンナーベルタは彼女を心配してくれる人々の後についてさまよううちに、雨にうたれ被曝する。 映画では主人公は高校3年の女の子ハンナ。幼い弟ウーリーと母親の三人暮らし。冒頭では仲のいいクラスメートの女の子と湖で裸になって泳ぐという瑞々しい青春映画のノリ。転校生で頭脳明晰なエルマーと恋に陥り、試験の最中にホールに呼び出され、初めてのキス。しかし、その瞬間、警報が鳴り響く。ABC事故の警報。Aはアトミック=原子力。ただの訓練警報だと笑う教師と仲間。しかし、すぐに重大事故が発生したのだと気付く。逃げ出す生徒、教師。原発は80㌔離れた場所にある。しかし、放射能を含んだ雲が近づいてくる。当局は住民に避難を強制。道路は車で渋滞。エルマーの家族は自家用機で脱出する。空を見上げる住民の一人が忌々しげにつぶやく。「金持ちはいつだって逃げ足が速いんだ」。 エルマーはハンナとの約束を守り、車で彼女と弟を連れ出そうとハンナの家にたどり着くが、すでにハンナは弟と自転車で脱出、駅に向っていた。 美しい田園地帯が広がるドイツの田舎町。しかし、最初の悲劇はそこで起こる。弟の乗った自転車が、スピードをあげて走る自動車の列にはねられてしまう。 呆然とするハンナに後続のクルマの一家が救いの手を……。しかし、ハンナはこの救い主の家族の幼い子供たちの手を駅の群集の中で離してしまう。エルマーの姿を見つけたと思ったために……。好意でハンナを助けた一家にとってはあまりにも理不尽な出来事。しかし、パニックの中ではなんでも起こる。 冒頭の美しい田園地帯の青春劇から悲惨なパニックに。パニック映画は数々あれど、見えない雲から逃れるために、駅の構内になだれ込む群衆、その心理をも活写した戦慄すべきパニック場面を描いたのはおそらくこの映画しかない。客席までもが凍りつく群集パニックシーン。 物語の後半は被爆したハンナとエルマーの純愛を中心に、事故で被曝した被害者が負う心の傷を丹念に描いていく。 それは、二次被害。つまり、被爆者への差別であり、蔑みだ。一番の仲良しとバスの中で再会したハンナは、彼女から蔑みの目で見られる。降りる場所でもないのに途中下車してしまう友人。 そう、被爆は肉体に重い障害を残すだけでなく、心に深い傷跡を残す。 単なる告発映画ではなく、青春映画としても一級の出来栄え。多くの人の目に触れて欲しい一作。 しかし……。、映画では原発施設から半径5㌔以内は、被爆によって全滅している。50㌔圏内も、数年間、立ち入り禁止。大間原発の半径5㌔といえば、ほぼ大間全域。50㌔県内はむつ市まで。函館まではわずか40㌔。大間原発に重大事故が起これば函館も被災する。函館の住民が大間原発建設に対して、建設阻止訴訟を起こしたのは当然のこと。函館の住民に原告適格があるのは当たり前。あの狭い「ハマナス・ライン」が脱出するクルマで大渋滞になる。半島に逃げ場はない。要は、下北半島は死の半島として閉鎖される。住民はハナから棄民。脱出道路も整備されない原発半島って……。マグロで浮かれてるうちに核半島化は着々と進む。 1900、下北沢で新宿梁山泊「夜の一族」。コビヤマ洋一作品3本を連続上演。 「誰かいますか?生きていますか?」 都会の暗闇に微かに聞こえるモールス信号を追って2人のアルバイト青年がたどる不思議な旅の物語。中島みゆきの「CQ」をモチーフにした作品。今では中島みゆきに気に入られ、「夜会」に俳優として出演する小檜山洋一。縁とは不思議なもの。 1時間20分の小品。三浦伸子絶好調。 終演後、スズナリの下で金守珍が子供を抱いて見送り。もう3歳になったとか。 下の古本屋で結城昌治の「夜の追跡者」「春の悲歌」「目撃者」購入。やはり正統なミステリーサスペンスは読みやすい。 ヴィレッジヴァンガードでは近藤ようこの中世怪異譚「宝の嫁」(ぶんか社1200円)。ディスクユニオンで「クイーン・オブ・ジャパニーズ・ムーヴィー」(HOTWAX 2800円)。野良猫ロックから不良少女魔子シリーズ、恐怖女子高校、やさぐれ姉御伝シリーズまで、梶芽衣子、夏純子、池令子、杉本美樹ほか、70年代やさぐれ女優の写真、ポスター満載。やはり、この時代の女優はすごい。 休日は読みたい本、見たいビデオがいっぱい。 1月5日(金)晴れ イヤでイヤでたまらない初仕事。しかし、いったん会社に出てしまえば、またいつもと変わらぬ日常。すぐになじんでしまう。何年繰り返してきたことか。 1700帰宅。三田村組に行くつもりだったが、FAXし忘れていた。まだお正月気分。芝居に行くのも気が重いからよかったか。 兄による妹バラバラ殺人。被害者は12月6~10日に下北沢、東演パラータで劇団「シラタキ」の「ジャンピンガー」に出演している。いわゆるタレント系。「見なかったか」との問い合わせあるも、年末にそこまではちょっと……。新年早々の猟奇事件。70年代、警察官による女子大生殺しも確か新年早々だったはず。 睡眠不足。今夜の「マグロ」後編はビデオで見るか。 1月4日(木)晴れ 今日で正月休みも終わり。終わる段になってから、あれやこれややり残したことに目が……。もう少し時間を有効に使えばよかった。 それにしても、明日から会社。心底行きたくない。 2100~2325、テレ朝で「マグロ」。渡哲也が戸井の漁師仲間、西田敏行と岸壁でビートルズを唄うシーンが印象的。そうだ、彼らこそビートルズ世代なんだよなぁ。マグロ漁師とビートルズ。ミスマッチ感が微苦笑を誘う。渡哲也なら映画「紅の流れ星」で歌った「今夜は踊ろう」あたりを口ずさんで欲しかった。昔日の渡哲也の茶目っ気が少しだけうかがえたシーン。渡哲也はアウトローが似合う。大都会だも西部警察だのといった権力ではなく、ドブ泥の中で死んでいく、無頼の人斬り五郎が一番似合った男。 2415就寝。 1月3日(水)晴れ 1100起床。 正午、義母を送ってN船橋駅まで。帰りに、書店に寄って学習参考書を立ち読み。中学の数学は新課程であり、陶然、自分の時代とはまったく様変わり。昨日、豚児のメールに送られてきたベクトルの問題は高校の数Bの問題。なんだそりゃ。そこまで進んでいる同級生もいるのか?? 数式も当時はなかった記号が使われている。今の中高生、こんな問題を解いているのか。 こりゃ、豚児にとっては超難問。というより、こんな数学の問題、どうしろっていうのか。勉強しようかなと思って950円出して買ってきたが、家に帰ってひも解き、眺めるうちに断念。 夕方、豚児とゲーム屋へ。昔は正月三が日、開いてる店は焼肉屋だけ。コンビにもなく、正月の食事をどうとるかが都市部の学・若者のテーマだったが、今は正月も関係なし。いつでも開いているスーパー、コンビニ、そしてゲームセンター、ゲーム売り場。群がる子供たち。 大宅壮一が説いたテレビの普及での「一億総白痴化」はゲーム機の普及で完成されようとしている。節度あるゲーム使用、これができれば言うことない。しかし自分の経験、30歳でファミコン・ディスクシステムに狂い、仕事があるのに、徹夜してまでゲームを続け、日がな一日中、ゲーム世界に没頭したという経験から思えば、頭のやわらかい小中学生にゲームを与えるのはサルにナントカを教えるのと同じ。ゲームに淫する小中学生。自分で考えているつもりで、ゲームの作者に踊らされているだけ。電車の中、街角、小学生同士が集まって無言でゲームをやり続けているのは不気味を通り越して恐怖だ。ゲームは18歳以上に限定すべきというファシスト的発想も子供の想像力保護には仕方ないと思ってしまう。あんな面白いものをやったら、7割の子供はそれに淫してしまう。3割が意志強固だとしても。ゲームは次々と刺激をエスカレートさせる。ことゲームに関してはウルトラタカ派と呼ばれても結構。地上から抹殺してもいい。ゲームは人間から「痛み」の想像力を奪う。独占資本の最強の支配ツールがテレビゲームだ。しかも、親から無限にカネを奪いつくす。←……ふぅ。そこかよ。 夜、ラジオドラマの整理。深夜2時就寝。夜更かし慣れして、仕事は大丈夫か。あと一日……。 1月2日(火)晴れ 初夢は田舎の夢。帰省中で、東京に帰るためのバスに乗り込むが、超特急バス。途中下車なしで終点まで行くという。バス停に置いた荷物を取らないと……。慌てて途中下車を叫ぶと、ようやくバスはスピードを緩める。 ……町をさまよっている知人の女性を背負って実家に帰ると玄関から父の姿が半分見える。困ったような父の顔。あれ?そういえばもう死んだはずなのに。 ……高校の寮の玄関に立つ。すでに寮は閉鎖され建物だけがある。玄関から中をのぞくと、小学校の展示会をやっている。詰襟姿の男の子が帰って来たので顔を見ると、高校の寮の仲間・O沢くんとソックリ。そのままスモールサイズにしたような。「もしかして、君はO沢くんと同じ町の出身? 親戚にO沢っていない?」と尋ねると、ミニO沢が笑顔で「その人知らない」と答える。……中に入ると、寮の部屋は見る影もない。廊下だけがそのまま。「ここは毎朝毎夕、俺達が雑巾がけしてピカピカに磨いたものだよ。ホラ、今でもこんなにピカピカ」。触るとツルンと指先が滑る。 初夢にもはやこの世のものではない寮の夢や実家を見るとは……。 1100起床。録画したDVD、旧いラジオドラマの整理。 夜、床に入ってもなかなか寝付けず。読み止しだったトマス・H・クックの「緋色の迷宮」を読み始め、午前2時読了。 米国東部の小さな町。父の破産により、エリートコースの夢は破れたものの、小さな写真屋の経営者として、美しい妻とおとなしい息子の3人で穏やかな生活をおくるエリック。しかし、ある日、息子に少女誘拐の嫌疑がかかる。気が弱く、恥ずかしがり屋の息子。まさかその子が……。疑念は酸のように、家族を腐食させる。今まで信じていたものがガラガラと音を立てて崩れていく。その疑念は自分の父親と兄、聡明でいながら早世した妹との過去の家族の秘密にまで広がっていく。真実は何か……。 いつもながらのクックの乾いた叙情。ミステリーという枠を超えて、深い人間洞察に満ちたその世界は、「純文学」と呼んでもいいだろう。 クックを読み終えてもまだ目がさえて眠れず。旧い日記を持ち出してきて4時まで。 1月1日(月)晴れ 0930起床。幽霊屋敷に迷い込むという恐怖映画ばりの夢を延々と見続けいたので目が覚めると疲労感。初夢でなくてよかった。 何をするというわけでもなく、ただ一日中ボンヤリと。 1530、義母が年始訪問。 1800~2100、テレビの特番「マグロに賭けた男たちスペシャル」を漫然と。そのあと、パソコンに向うも気力なし。中学生の豚児が塾の宿題を持ってくるが、数学の図形、確率問題はまったくわからない。こんなに難しくなったのかと呆然。 2430就寝。 |