5月31日(木)晴れ後雨

 1620、K記念病院で鍼。最近は軽いマッサージもしてくれるので体スッキリ。

 1900、六本木。ヒルズ方向に歩いて5分。ライブスペース「スーパーデラックス」で「暗闇にノーチラス」なるイベント。こんなイベントでもなければ足を踏む入れることもないアークヒルズ。「勝ち組」の町。

 黒雲が空に広がり、今にも雨粒が落ちてきそうな空模様。コンビニで傘を買おうか迷ったが、わざわざ買うほどでもないと思い直し、会場へ。雑居ビルの地下。30分前でもまだ開場せず。しかたなく近くのコーヒーショップでコーヒー+ケーキセット980円。
 5分前に戻ると、入口に蘭さんの姿。昨日の二次会の様子などを立話。開場しているが、遅々として客入れが進まず。なぜだろうと思ったら、入口で参加者の顔を一人ひとりビデオに撮っているのだった。後で素材に使うのだろう。

 奥の席が空いているので、蘭さんと腰掛けて観劇。カメラ片手の偏陸氏も。

 メインの演奏スペースがあり、その下手に「びん博士」によるビン・ツリーの空間。天井に向かって屹立した樹木からビンを吊るした枝葉が生い茂る。ビンはいずれもレトロな手作りビン。オートメーション生産される以前、昭和20年代に作られたビンだという。

 あがた森魚の歌と演奏の間中、床に置かれたビンと樹木に生け花をする和服の女性、その周りではモダンダンスのパフォーマー、白塗りの舞踏手など。
 白い壁にはかわなかのぶひろ氏の映像が投影され、壁画作家が魚拓風の絵を貼り付ける。「歌+音+光+動き+映像」の複合インスタレーション。
暗闇にノーチラス
 観客は約150人。最後はお決まりのアンコール。このようなイベントにはちょっと違和感。というか、あらかじめ決められたアンコールって何?と思ってしまう。今では演劇もあらかじめカーテンコールが組み込まれている。昔と比べてカーテンコールの多いこと。

「私の中にアンコールという概念はない。あらかじめライブに組み込まれたアンコールって何なの」という浅川マキさんのことをふと思ってしまう。

 1930開演で2210終演。翌日が早い勤め人にとってはつらい展開。蘭さんは途中で退場。自転車で来ているとのことで、雨の中、大変そう。

 終わって外に出ると大粒の雨。駅まで駆け足も、
頭からびっしょり。雨に打たれるのは久しぶり。

 2330帰宅。今日こそは早く帰ろうと思ったが、昨日と同じ時間。疲労感。


5月30日(水)雨

 家人の咳がなかなかとまらないので、大事をとって近所の病院へ。初めて行く個人病院。ドアが開けっ放しなので、待合室まで患者と医師の会話が聞こえてくる。昔からの病院にありがちなシステム。個人情報という観点からはこれはいただけない。病歴、症状がほかの患者に筒抜けなのだから。

 もっとも、医師は実に懇切丁寧な対応。むやみに検査したり薬を処方せず、じっくりと患者に、病状の説明と改善の方法を勧告しくれる。普通の医者なら「風邪ですね。薬出しておきましょう」と3分で終わるところを30分以上かけて、生活習慣の改善や、症状緩和のケアなど、丁寧に説明。そんな「赤ひげ」医師ぶりが、逆に疎まれるのか、1時間の間に患者はわずか3人。これで病院がやっていけるのか心配になる。

  1830、赤坂へ。プラドミカドビル1階の「SUBIR Sea Blue Room」で急逝した秋葉なつみさんの追悼と夫の楠野裕司氏を励ます会。

 休日だし、疲れ気味なので1時間くらいで失礼しようと思って行ったのだが、ついつい長居をしてしまい、2200の散会まで。二次会は駅前の居酒屋。入口まで行くが、時刻は2230、これでは翌朝の仕事に響く。市川さん、ひびきみかさん、あがた森魚さんらに別れを告げて1階へ。そこに根本、蘭さんら。「飲んでいこうよ」と、エレベーターに押し込まれ再び5階へ。しかし、やはり時間が遅い。一人、先に失礼して電車に。こんなとき、早朝の仕事がうらめしい。

 会は400人以上が集う盛況。日本とブラジルの親善に尽力し、日本演劇や音楽公演に多大な貢献をした夫妻の交友の広さを物語る参会者の顔ぶれ。役人から大学関係者、演劇・舞踏関係者まで多士済々。九條さん、蘭さん、シーザー、根本、タリ、大沢、市川、三上、田之倉、北川、偏陸、小林拓……といった天井桟敷・万有引力関係、川村毅、平井佳子夫妻、宮内勝etc

 川村毅と偏陸氏の密談に同席。演劇的にはどこよりも早い情報を入手(?)

 54歳という若さで亡くなったなつみさん。裕司さん、御母堂、友人らの胸を打つ弔辞に思わず目頭が熱くなる。
 弔辞の後のパフォーマンスは加藤登紀子さん、あがた森魚さんの歌や大野慶人、ひびきみかなどの舞踏・ダンスが次々と。加藤登紀子は仕事の合間を縫ってかけつけてくれたとのことで、裕司さんの肩を抱き、「百万本のバラ」「黒いオルフェ」、そして「千の風にのって」の3曲を熱唱。あがた森魚も「赤色エレジー」「清怨夜曲」の2曲を。終わった後は、あがたさん、シーザー、根本さんらと記念写真。
 
 しかし、なつみ・裕司氏の交流関係がいかに広いか……。

 54歳は早過ぎる。謹んでご冥福をお祈りしたい。

5月29日(火)晴れ

 松岡自殺から一夜明け、一般紙の論調は「松岡の辞任を引き止めた安倍首相の責任」に焦点。周囲に「もう辞めたい」と漏らしていたという松岡。あれだけ世間の非難を浴びてもカエルの顔にナントカ。厚顔無恥な人……と思っていたが、本人にとっては針のムシロだったのだろう。辞めたくても首相の許可がなければ辞められないのが閣僚。自分の任命責任に問題が波及するのをいやがって松岡をさらし者にした安倍。結果的には、自殺で談合事件その他諸々が闇に葬り去られるとしたら、安倍の「深謀遠慮」ともいえる。

 それにしても、安倍の「慙愧に耐えない」発言のお笑い草。

 当人は「悲しい。胸が張り裂けん思いです」といったつもりで使ったのだろうが、「美しい日本」を目指す、一国の首相が「美しい日本語」に無知というのは、なんとも「慙愧に耐えない」。
 「自分の言動を反省して恥ずかしく思うこと」であり、英訳すれば一目瞭然。be quite [deeply] ashamed of oneself
 「自分自身に深く恥じ入る」わけで、どう言い訳しようとも、安倍がこの言葉の正しい意味を知らずに使ったのは歴然。

 もっとも、過去には作家の柳美里も、出版差し止め訴訟の敗訴会見で「慙愧に耐えない」を使い、失笑を買っているから、誤用されやすい言葉といえる。

「判決は、日本における文芸作品の可能性はもとより、表現の自由を著しく制限するものと言わざるをえず、慙愧にたえません」

 これを素直に読めば、「慙愧に耐えない」を「非情に残念」と同義で使っているのは明白。後になって、「裁判で勝てなかったことは自分にも一因があるのでは」という意味で「慙愧に耐えない」と弁解したというが、屁理屈もいいとこ。作家だって言葉の誤用はある。素直に「間違いでした」といえばよかったのに。

 1800、近所の遊技場で社内交流十柱戯大会。最初はイヤイヤ参加組も競技となると対抗意識が出てきて真剣勝負。終わった後の交流会も終始和やか。なによりもおエライさんたちの晴れ晴れとした表情。スピーチもニコヤカ。今回の企画は大成功。自己スコア151で6位賞品のワインをゲット。

 2200、F氏らとタクシーで帰社。
5月28日(月)晴れ

 がん治療で入院中のZARD・坂井泉水が慶應病院で死亡していたことが明らかに。非常階段から転落、事故死との発表だが……。

 社内騒然をさらに加速させたのが正午近くに明らかになった松岡農水相の自殺。地元後援者の自殺の報があったばかり。緑資源・談合をめぐって逮捕間近を噂された松岡。参院選を控えての松岡逮捕は自民党にとって大きな打撃になるはずだったが……。政界の闇。



 A川マキさんからS田徹氏ががんで亡くなったとの知らせをいただく。去年の暮れのピットインでS田氏の姿があっただろうか。判然としない。30年以上もマキさんのパートナーとして、「音」を作ってきたS田氏。1年に一度しか顔を合わせる事はなかったが、いつも笑顔で接してくれた。ここ数年、会うたびに「もう長くないのよ」と言っていたマキさん。とうとうその日が来たのだ。ご冥福をお祈りしたい。心配なのは、マキさんがこれでガックリと力を落とさないかということ……。「私の音はS田しか作れない」マキさんの口癖。

 1800帰宅。「ハヤシヨシオ的メモリアルクラブ」から嬉しいプレゼント。
 いとこからは殻付ウニがクール便で。嬉しい。

 それにしても慌しい一日だった。



5月27日(日)快晴

 0900躰道稽古。本部総会とあって、幹部クラスが不在。少人数での稽古。
 夏のような暑さで消耗が激しい。
 創刊された「躰道ニュース」が配布される。裏表一枚。ウーム。会報作りの意欲を刺激される。

 1300帰宅。家族で食事。
1615帰宅。

 4時から始まっているNAC5に耳を傾ける。横浜に係留中の氷川丸を題材にしたドキュメントで、PANTA自身によるインタビュー、歌で構成。氷川丸は、従軍看護婦だったPANTAの母親が、外地から日本に帰る時に乗船した病院船。かつてはシアトル・バンクーバーに就航した豪華客船だったが、第二次大戦で軍に徴用されたのだ。
 姉妹船の日枝丸、平安丸が戦没する中で、3度機雷に触雷するも生還を果たした奇跡の船。

 生存者を探し当てて、証言を聞き出すのだが、戦争を直接体験した人たちの証言は衝撃的だ。

 4人の精神病患者が一夜で隔離室から消えた謎の出来事、潜水艦に1週間追尾され、自沈を覚悟したこと、死体は水葬にすると棺おけ作りなどで手間ひまがかかるため、船上で火葬にしたこと……。衝撃的なのは、覚醒剤、ヒロポンなどのほかに、航空燃料を積んでいたため、国際法違反が発覚することを恐れ、いつでも証拠隠滅が図れるように、一発で自沈できる自爆装置を備えていたということ。

 「第二氷川丸」(オランダのオプテンノール号を拿捕した日本海軍が南洋海域で病院船として使用)が、同じく航空燃料を運んでいたことが発覚することを恐れ、敗戦直後の8月19日に、舞鶴沖で秘密裏に自沈させられた事件もある。
 日本がいかに病院船の偽装に神経を使っていたかがわかる。病院船だからこそ攻撃対象にならないのに、積荷が航空燃料では、交戦国の拿捕は避けられない。

 そんな貴重な証言の数々。
 思えば、氷川丸が自沈していればPANTAも生まれていないわけで、「パッチギ!」のプロデューサー、李鳳宇氏の父の脱走と同じで、運命の不思議さを思う。

 念のため、MDに録音していたはずが、失敗。頭の部分を聴けなかったのは残念。

 オークションで手に入れた1959年発行の絵本が届く。寺山修司の詩が載っているのだ。
 その詩は「つきよのうみに いちまいのてがみをながしてやりました」という、有名な詩。しかし、59年版の絵本では、その後発行された詩集に収められている詩とは異なる、一段落分の詩が挟まれている。これは新しい発見?


5月26日(土)快晴

 0630、出社。

 午後、1959年の朝日新聞縮刷版を眺めていたら、「人体改造」なる連載コラムに目が吸い寄せされる。

 なんと、LSDを飲んで絵を描いたらどうなるかという実験を行っているのだ。被験者は、新進画家のT氏。東大精神医学教室の大学院生でもある。友人の精神科医の立会いの元、LSD服用後12時間までの変化をつぶさに観察。記録をとっている。モデルの女性の絵が次第に変化し、中ごろでは獣人化、終盤では超現実的なデッサンが一人歩きする。
 翌朝、目が覚めると、「それまで、描こうとしても描けなかった絵が目の前にある」と衝撃を受けるT氏。

 半世紀前に、こんな「実験」を堂々と新聞に連載していたとはビックリ仰天。

 もう一つ。政治面のコラム。「総裁公選を繰り上げて、一刻も早く政局を安定させたい岸信介首相に新入閣の世耕経企庁長官が「私は反主流派の代表のようにいわれるが、総理の気持ちはよくわかった」と調子を合わせた」とのコラム。
 それから半世紀後、岸の孫の安倍を、世耕の孫・弘成が補佐しているのだから、日本の権力者の構図は何も変わっていない。



 1530、下北沢。森崎偏陸氏の写真展を見るために茶沢通りの常設ギャラリー「ラ・カメラ」へ。
 茶沢通りを三軒茶屋に向かって歩く。フリーマーケットを開いている店、古道具屋、小公園……。どこか懐かしい街の景色。いつもは下北沢といっても、もっぱら本多、スズナリあたりを歩くだけ。少し道を外れただけでこんなに懐かしい風景と出会える。下北再開発になれば、この景色は一変してしまう。70年代的な「自由」の息吹きを感じさせる下北沢の町並み。駅前だけではない、この小さな街の景色が変わるのだ。街の景色を奪う再開発.。中止にしてほしい。

 ギャラリーに着くと、ちょうどK川氏が見に来ていたところ。壁一面の偏陸氏のセルフポートレート。森の中、風景に溶け込んだ偏陸氏のセルフ・ポートレート。ウーム、この発想はいかにも寺山的。10分ほど雑談し、引き上げ。

 1530、表参道駅。青山劇場で「くたばれ!ヤンキース」。

 熱狂的な野球ファンの中年男が悪魔と契約、魂と引き換えに若返り、「強打者ジョー」となって、ワシントン・セネターズに入団。宿敵ヤンキース相手に快進撃。しかし、愛妻家のジョーは、妻と離れていることに耐え切れず、「自分の家」に下宿することに。一方、2人の仲を引き裂くために、若く美しい魔女ローラが送り込まれる。しかし、ローラは次第に純粋なジョーに魅かれて行く。ゲーテの「ファウスト」をモチーフにしたミュージカルで映画化作品も有名。

 初演はボブ・フォッシーの振付の斬新さが話題になったというが、今回は女性振付師ローリー・ワーナー。ダンスシーンの見事さはボブ・フォッシーも舌を巻くほど。特に、大澄賢也と湖月わたるのペアダンスは圧巻の一語。今まで見たことのない振付。
 宝塚退団後初出演になる湖月わたるの魅力が全開。喉を痛めてるのか、ハスキーボイスと呼吸音が気になったが、ダンスは見事。コケティッシュな魅力が全開でカーテンコールもノリノリ。
 矢口真里も元気いっぱいで華のある演技。

 休憩20分を挟んで2時間45分。る・ひまわりのY田さんU都宮さんと立話。ダンスシーンだけでも繰り返し見たいほどの上質ミュージカル。

0930帰宅。

5月25日(金)雨

 パスモにしてからは、1カ月にどれくらい交通費を使っているかが一目瞭然。定期券を除いて、約1万5000円。やはり結構使っているものだ。


 1630、上野。癒処でマッサージ。

 1900、新宿。サザンシアターで劇団青い鳥「天使たちの誘惑 To The Lonley Planet」。天光眞弓、葛西佐紀による新作書き下ろし。

 港のそばの小さなホテル「HAZAMA」。船から降りた女性たちが案内を請う、このホテルがこの世とあの世のハザマ。 “自分が自分である想い” を遺書にしたためる場所。
 姉の後を追ってついてきた妹が言う。「私も一緒に連れてって」
 禁を破って、一晩だけ姉と過ごすことになる妹。失われる過去と、永遠に続く未来。せつなく愛しい時間の川……。

 一世を風靡した青い鳥も創立から33年。旗揚げメンバーも還暦に近い年齢。最年少だった近内仁子もそれなりの年齢に。いわば、シルバー劇団。お客さんも同世代がほとんどのようで、いつもの劇場の年齢層とは趣が違う。
「いくつになっても亡くなった母親のことが恋しくてたまらなくなる」と、葛西佐紀がパンフに書いていたように、死と向き合う舞台は年齢を重ね、より切実になる。
 やや古めかしさを感じさせる前半の演出。しかし、尻上がりに熱気を帯び、最後はやはり青い鳥。久しぶりに見る伊沢磨紀。40代後半になっただろうに、中性的な凛々しさは健在。しかし……サザンシアターの客席が半分しか埋まらないというのも青い鳥の現実か。

 2100終演。

 紀伊國屋書店1階でで買い物。吉田秋生「ラヴァーズ・キス」、坂田靖子「バスカビルの魔物」、高橋葉介「腹話術」。古今東西のミステリ、怪談をさりげなく織り込んだ坂田靖子作品。ネタ元発見にニヤリの楽しみ。ミュージシャンも漫画家もやはり初期の作品が一番優れている。デビュー間もない頃の高橋葉介はまさしく天才的。ブラッドベリ、ラブクラフトを髣髴とさせるSF、恐怖ファンタジーの逸品。そして、吉田秋生のみずみずしくもハードな青春漫画。読み応えのあるマンガばかり。

 叔父からイカ、ナマコ、タコなど獲れたての海産物が届く。懐かしい故郷の味。
5月24日(木)晴れ

 1900、六本木。俳優座劇場で木山事務所「道遠からん」。

 岸田國士が敗戦後の早い時期に書いた戯曲。いつの時代か判然としないが、男性優位の社会が終焉し、女性社会が到来している、ある国のある漁村の出来事。その国では、女性が政治・経済・社会を牛耳っており、男はオシャレしたり、井戸端会議にうつつをぬかしたり、「髪結いの亭主」であれば万事丸く納まっている。その代わり、女は海女として生産活動を行い、一家の主として家計を預かっている。警察も女、村長も女、校長も女。つまり、女尊男卑の世界。
 その漁村で繰り広げられる女と男の恋愛騒動。

 戦時中は大政翼賛会の文化部長として戦争協力、戦後、そのとがで公職追放。パンフの中で七字氏が「今では岸田國士が大政翼賛会に協力したのは自らを文化統制の防波堤にした……」云々と、岸田國士の戦争協力はやむをえなかったと免罪することが通説になっているらしい。そのことはよくわからない。ただ、岸田國士が戦後、日本と日本人に対して、虚無的とも見える複雑な思いを抱いたことはこの芝居を見てもよくわかる。

 天皇制ファシズムから一転して民主主義バンザイの世の中に転換した戦後の日本。しかし、日本人の心性は根本的なところではまったく変わっていないのではないか。「女尊男卑」の未来世界が、しずかにしずかに崩壊していく予感を漂わせながら物語りは幕を閉じる。戦中戦後を通じた自らの体験から、岸田國士は、もはや日本人というものに、深い虚無しか感じていなかった……?

 それにしても、進行するファシズムの防波堤? それが有効なのか疑わしい。「自民の暴走を制御する」という「お題目」の公明党がさらに自民党の暴走を加速させているのと同じで、権力に同衾すれば、権力になる。「この次」の「大政翼賛会」の文化部長になるのは……。


5月23日(水)晴れ

 0730起床。

 昨日修理から戻ったDVDレコーダーを据えつけ。鈴木清順特集をダビング。

 1230、近くのKクリニックへ。先週行った検査発表。結果を聞くまでは不安だったが、完全クリア。頭上の雲が吹き飛ばされ、青空が広がった思い。
 健康でありさえすれば人生の90%は幸せなのだ。

  帰宅すると、体調を崩して学校を休んだ豚児が塾をやめたいと言ってくる。一難去ってまた一難。

1500、Rさんから電話。その後、Mさんと電話でひとしきりお話を。
福島のN本さんから、写真家・楠野裕司氏夫人の秋葉なつみさんが1月に亡くなり、30日に励ます会があるとの知らせ。秋葉さんには暮れの餅つきで何度もお会いしている。まだ若いのに……。

5月22日(火)晴れ

 1530〜1630、会議。

 1930。錦糸町。駅から15分。すみだパークスタジオの敷地にある鈴木興産株式会社2号倉庫内特設劇場で劇団桟敷童子「軍鶏307」。
 開演前に元新劇の編集長・梅本さんとおしゃべり。

 後ろの席から「〇〇さーん」と声をかけられたので振り返ると、I井ひとみとM松恭子。客席には扉座のA馬自由と太田さんの顔も。

 場内満席。開演時間5分押しでスタート。

 物語は敗戦直後の博多港から遠く隔てたある山の中の集落。敗戦のどさくさで望まぬ子供を宿した女たちの駆け込み寺のような病院が舞台。ここに、「めんどりさん」と呼ばれる一人の狂女が匿われている。彼女は戦時中に一人息子を兵隊に取られないよう、模範的な愛国婦人を演じたり、役場の担当者に取り入ったりしたものの、召集令状が舞い込み、息子は応召。帰って来たのは、空の骨箱に英霊の文字が書いた紙だけ。「東條のバカヤロー、天皇のバカヤロー」叫ぶ彼女は狂気の世界に……。

 その彼女が米兵に棒で殴りかかったというので、進駐軍の意を受けた地元ヤクザの手先として復員兵が乗り込んでくる。
 同じ頃、従軍看護婦の興櫓木桜が職を求めて病院にやってくる。
 「めんどりさん」をめぐる、復員兵と、医師、入院患者たちの綱引き。

 戦争という大状況とヤクザに操られる復員兵たちの小状況を絡めて、「殺されるな」「生き延びよ」を一つのテーマにした物語。
 まるで「パッチギ!」と同じテーマ。
 大状況と小状況をリンクさせようとした東憲司の脚本は、やや冗漫で、うまくかみ合わない部分も目立つがその意欲と志は買う。
 広い特設会場。イントレのセットを縦横無尽に動かし、再構築するのは維新派の舞台に似ている。

 得意のスペクタクル演出は想定内とはいえ、やはり大向こうをうならせる。

 約1時間50分。
 カーテンコールの挨拶で鈴木めぐみが涙ぐみながらお詫びの言葉。

 ゲネプロで事故があり、新人の俳優がケガを負った由。先週の木曜日に電話で聞いていたが、詳しいことは今日初めて聞く。

 東によれば、新人はゲネプロ中に、イントレから落下し、頭蓋骨折。警察の事情聴取も受け、「公演中止、劇団解散」も考えたとのこと。しかし、ケガをした役者が、劇団存続を懇願し、ケガも奇跡的に短期間で回復したこともあり、劇団の話し合いで公演中止には至らなかったと。
 劇団員のケガで解散まで考慮に入れるのはどうなのかと思ったが、劇団の制作者に聞けば「劇団の不祥事ということで、それは当然考えるでしょう」とのこと。なるほど、劇団運営とは難しいものだ。


 終演後、石井らと立話。 梅本さんは翌日、定期健診とのことで飲み会は辞退。青年座の森さん、スタッフのN氏、女優の松熊さんと駅に向う途中の中華屋で軽く一杯。ビール付中華1点で500円とやたらと安い店。

 松熊明子さんは青年座の中堅女優。福岡出身。地方公演も多いとのことで、まずはおいしい食べ物の話など。「明太子はやっぱり地元に限ります」とか。
 笑顔が素敵な女優さんで、よく見ると井上真央と似ている。「若いコと似てるといわれるのは嬉しい!」
 女優らしく、男っぽいさばさば気質。気をつかわないで話せるタイプのよう。
 秋の中島作品に出演できればいいが。帰りに、私、去年改名したんです、と。3年前に亡くなった父親の名前をもらって「松熊つる松」にしたのだとか。

 2300、錦糸町駅で別れて地下鉄で家路に。

5月21日(月)晴れ

 1545、仕事を終えて銀座へ。シネカノンで「パッチギ! LOVE&PEACE」。客席は中高年が多く、40人弱の入り。

 今回の舞台は東京・江東区の在日居住区・枝川。アンソンの息子・チャンスが難病・筋ジストロフィーとわかり、その治療のために東京の叔父夫婦の元に身を寄せている。母と妹も一緒。
妹キョンジャはチャンスの闘病費用を稼ぐために芸能界入りを決意する。アンソンは在日のゴッドマザーの助けで、玄界灘を舞台に金塊と米ドルの交換をする非合法の仕事に手をそめる。

 前作が、1968年という、未来に希望があった日本の青春時代なら、今回の舞台1974年は「青春」がたそがれ、世の中が次第に息苦しくなるビニール質のファシズムが台頭してくる時代。
 在日の一家にもその時代が重くのしかかる。
 だから、前作のように、ハチャメチャで突き抜けた青春物語ではなく、トーンはやや陰鬱になる。
 しかし、その底に流れる祈りは同じ。「命」と「戦争」が今回のテーマ。

 芸能界入りしたキョンジャに立ちはだかる「差別の問題」。命の刻限を宣言されたチャンスを必死に守ろうとするアンソン。
 パラレルで描かれるのは、アンソンとキョンジャの父親ジンソンの青春。日本軍に徴兵され、南方の島に逃亡するジンソン。過去の戦争と、キョンジャが出演する現在の戦争映画が交差する。

「戦争を美化する映画はアカン。若者を右ならえさせたいだけ」と石原慎太郎総指揮の「右翼戦争映画」を批判した井筒監督。これほど直接、映画の中で、戦争美化映画を批判しているとは思わなかった。
 これこそ井筒節。
 若者の右傾化には、戦闘的に対抗すべき。

「左翼はいつからこんなにおとなしく、上品になったのか。これからのファシズムに対抗するには、多少汚い手を使ってでもかまわない。スキャンダラスな手段を使ってでも……」と言ったのは佐高信だったか。

 インターネットでは、例によって、ネット右翼・付和雷同小僧たちによる井筒監督批判が検索ページのトップに表示されるよう情報操作が行われている。映画をヒットさせることで、そいつらの鼻をあかせてやりたいものだ。

 沢尻エリカの出演辞退で主役に抜擢された中村ゆりが実に素晴らしい。口元をキュッと結ぶ仕草の可憐なこと。1960年代の日活映画のヒロインのような清楚な面立ち。どことなく芦川いづみにも似てる。一方で、水中騎馬戦では気の強い顔も見せる。久々のヒット。この女優は伸びる。井筒監督の目は確かだ。

 ただ、アンソン役の井坂俊哉の泣きの芝居はツメが甘い。泣き顔が笑ってるように見えるのが難点。

 前作は後半、号泣の連続だったが、今回泣けるのは大詰めのシーンだけ。しかし、これだけ骨太の映画は今の映画界ではなかなか作れない。
 南方に逃亡した朝鮮人のモデルはプロデューサーの李鳳宇氏の父。戦争で死んでいれば李氏もこの世に生まれず、「パッチギ!」も誕生しなかった。「死ぬな。生き延びろ」。それが今回のテーマだ。

 それにしても、慎太郎映画に石橋蓮司が出演しているとは。どんな理屈をつけようとも、戦争を美化する、特攻を美化する映画に出るということは、俳優としてその映画の方向を認めているということ。岸恵子もしかり。日本の特攻隊とイスラムの自爆テロを一緒にするなというが、それこそイスラム差別、特攻美化にほかならない。特攻隊は民間人を巻き込まなかったというが、単に射程がなかっただけではないか。アメリカ本土に向って風船爆弾を飛ばした日本。明らかに民間人をも標的にしている。岸恵子の言い草は情緒右翼と同じ。フランス仕込みのリベラリストも堕ちたものだ。
1900帰宅。
5月20日(日)晴れ

 0900、躰道稽古。10.00〜支部総会。新会長の紹介。まだ30代。しおらしくしてるが、本質的には最右派議員。運営に口出しすることはないだろうが……。

 1300、帰宅。
 家族で昼食。その後、娘が授業で使うというので、Diotに発泡スチロールを買いに。さすがはDoit。なんでも置いてある。1b×1・8bで280円。安いが、持ち帰りが大変。風が強く、運ぶのさえ難儀。電車に乗る前に、ついに風で真っ二つ。

 イモリくんが喜ぶかと思い、金魚草を買いに行ったり、夕方まで大車輪。
5月19日(土)晴れ


 1600まで会社。

 秋葉原でヨドバシカメラを一巡。いまどきのDVDレコーダーがどんなものか見るため。買い物客でごった返す店内。大型テレビのコーナーも大賑わい。50型、62型なんていう巨大テレビ画面を据えつけられる家ってどんな家? 家電製品を物色する買い物客の姿を見ていると、不況だの賃金カットだの、ワーキングプアだの、という現実はどこの国の話と思えてくる。

 1800、三鷹。文化センター星のホールでG2プロデュース「ツグノフの森」。

 大地震による地表移動ですべての境界線が曖昧になってしまい、内乱状態となった近未来の日本。
 眠り続ける「恋人」が昏睡から覚めるのを待つ画家の邸宅に、一度埋めた父の死体を掘り返そうとする兄妹、涙もろいヤクザ……さまざまな人間が集まってくる。「恋人」が眠りから覚めたとき、彼らに何が起こるのか。

 G2作・演出の異色のファンタジー。ラストシーンで、登場人物たちが幻視する巨大な円盤。庭から飛び立つその「薄っぺらな」円盤は、未来への不安の象徴か。笑いを求めて劇場に来たお客さんにとってはキツネにつままれたような舞台?
 主演の片桐仁もいいが、岩橋道子が自分の持ち味を生かして健闘。
 2010終演。
 歩いて三鷹駅まで。
 2200帰宅。

 愛知の立てこもり事件と沖縄の自衛隊出動の関連。

 国家予算で賄われている以上、SATは各県警に所属する形だが、実質的には警察庁が組織している特殊部隊。その警察庁のトップ、漆間巌長官は元愛知県警本部長。安倍首相と昵懇の間柄。過去の北朝鮮がらみの事件を持ち出して、「拉致犯人」を国際手配するなど、安倍の旗振り役を演じている。

 一方、普天間基地移設先の辺野古崎周辺海域の環境調査に海上自衛隊が出動したことの意味。
 自衛隊が治安維持のために出動できるのは、大規模な暴動のときなどの場合に、内閣総理大臣の命令がある場合か知事の要請がある場合に限られている。

 今回の場合、市民が穏健な座り込みや抗議活動を行っているわけで、国家転覆の「暴動」にあたるはずもない。しかも、沖縄県知事は記者団に対し、「何のためにくるのか分からない」と不快感をあらわにしている。知事の要請でもない。

 しかも、自衛官自身が「防衛相の命令に従うしかないが、自衛隊に民間業者のような環境調査の経験はない。海上保安庁が行う警備もできない」と戸惑っている。

 それじゃあ、誰が自衛隊の治安出動を要請したか。直接的には久間防衛相の命令だろうが、自衛隊の「最高司令官」は安倍首相。
 安倍が治安出動を要請したことは間違いない。

 派遣された海自の掃海母艦「ぶんご」には大砲が装備されている。通常、このような海上警備は海上保安庁の役目。それを「大砲」を積んだ自衛艦が出動するとは。

 「最高司令官」たる安倍が自分の力を誇示しているとしか思えない。それに対し、沈黙を続ける大新聞も異常。

 わずかに、毎日新聞だけが「非暴力に徹する平和的な座り込み抗議行動に対して、機動隊などの警察部隊ではなく、いきなり軍隊を投入するというのは先進国ではきわめて異例。この場合、沖縄の世論のみならず、国際世論の反発を引き起こす可能性もある」との記事を載せた。

 愛知・長久手の事件と、沖縄の自衛隊出動。

 一方は、たった一人の粗暴ヤクザ者相手に、29時間も説得を続け、一方は、環境を守るための市民の抗議行動に大砲を備えた掃海母艦を派遣する。二つに相関関係はないというかもしれないが、指揮命令系統は同じ。
 「戦後レジュームからの脱却」といえば聞こえがいいが、要するに「戦前回帰」。もはや「戦前」は飛び越して、「開戦前夜」まで遡ったといってもいい。

 今に「平和」のありがたさが身に沁みてわかる時代が来る。そのときはもう遅いけど。

 健康であるときは健康のありがたさが分からない。病気になってはじめて健康のありがたみがわかる。
 平和憲法が消されたときにはじめて自分たちがいかに平和を享受していたかがわかるだろう。

5月18日(金)晴れ

 昨夕発生した愛知・長久手の篭城事件は、朝になっても膠着状態。
 午後には人質が脱出し、犯人一人だけだというのに、県警はじっと我慢の子。素人考えでは不思議なこと。ほかに手立てはないのか。

 ヤクザ・右翼に甘い警察。まさか、相手が元ヤクザだから、手加減してるというわけでもあるまいし。もし、これがセクトの活動家だったら、躊躇することなく突入・射殺となっていたかも。

 ことさら事件を長引かせているように見える県警。

 うがった見方をすれば、沖縄のキャンプ・シュワブでの米軍普天間飛行場建設調査で、海上自衛隊が反対派市民と対峙していることを過小報道するための陽動ともいえなくもない。

 米軍の「番犬役」として海上自衛隊が前面に出て、直接、沖縄市民と対決するのは、歴史的な事件。「治安出動」といえる。本来なら、新聞の1面トップだ。それが、長久手の事件でかすんでしまった。
 ヤクザ相手に慎重すぎる捜査。不思議といえば不思議。

 0830、犯人が外に出てきて逮捕。


5月17日(木)晴れ

 1430、劇団RのT氏来社。旧知の女優・K木さんを同行。6月公演「サロメ」の情宣。時期が時期だけに「サロメ」とはまた……。

 1620、K記念病院で鍼。
 1800帰宅。

 3選を果たした途端、ゴーマン野郎に戻った石原慎太郎都知事。批判の的だった「豪華海外視察」を解禁したとか。

 今週14日にニューヨークへ出発。都職員10人を引き連れての大名旅行。宿泊先はマンハッタンの5つ星ホテル。4泊6日に、都の予算総額が1900万円

 大都市における二酸化炭素削減プロジェクトを話し合う「第2回世界大都市気候変動サミット」にパネリストとして参加するためというが……。その割には滞在スケジュールがスカスカ。

 到着初日のウエルカムレセプションは体調不良で欠席。滞在2、3日目は日中1、2時間ほどセミナーに出席し、後は夕食会まで予定なし。4日目午前に記者会見を済ませたら、残りは完全にフリータイムという。
 これでは何のために行くのかわからない。

 それにしても。4泊6日で1900万円!

 GWに家族4人で1泊2日10万円(レンタカー込み)が、「こんなに超贅沢な旅行をして、バチが当たらないか」と思ってしまう庶民には想像もつかない出費。石原の場合、全部税金だから、ふところは痛まないし……。ま、選んだ都民はせっせと石原家に税金を献上してくださいな。

 帰宅すると、テレビから緊迫した声。愛知・長久手で元暴力団員による人質・籠城事件が発生。
 犯人に銃撃され、負傷した警官が玄関脇に倒れている様子を延々と映している。救出できず、その後、5時間も放置されたのには首をひねったが、現場の状況が不明では何も言えない。犯人が負傷した警官も「人質」と射程に入れていたのかもしれないし。

 警官救出の際にSAT隊員が被弾し死亡。まだ23歳。赤ん坊が生まれたばかりとか。痛ましい。殉職のリスクが大きいため、SAT隊員は全員独身で長男は外すという規定があるというのはガセか?


 福島の母親惨殺少年が「戦争があれば人殺しができるのに、戦争が起きないから今人を殺してしまおうと思った」と供述したという。
 
5月16日(水)

 0730起床。

 1130、市民便利帳を調べて近所のクリニックに。

 1300帰宅。家人と散歩がてら、駅前のシャレた喫茶店でお茶。

 2週間ほど前からDVDレコーダーがダビングできなくなった。ハードディスクに録画はできるのだからまあいいかと放置しておいたが、もう一台のDVDレコーダーも2〜3日前から同じ症状。録画はできるのに、メディアにダビングできない。これは大ごと。DVDレコーダーがただの録画機になっては、大事な番組が永遠にHDDの中に封印されてしまう。

 ほぼ同時期に買ったパイオニアの機種。「DVR−510HS」と「610−HS」。4年前、出始めの頃だから10数万したのが今は同じ性能で半値。時代はデジタル放送に合わせて衛星放送を録画できる機種にシフトしつつある。だからといって買い換えるのは業腹。
 サポートセンターに電話すると、実に丁寧な応対。「サポートセンターといえば無愛想で迷惑顔」は今は昔か。
「2台もお買い上げいただいたのに、どうも申し訳ありません」と低姿勢。
 しかし、1台につき2万数千円の修理費がかかるという。悩んだあげく、1台だけ修理に出すことに。2台で6万円の修理費を払うなら型落ちを買ったほうがいい。
 それにしても、デジタルものは不具合が出ると、オール・オア・ナッシングだから怖い。120ギガのHDDにため込んだ番組が消えるかもしれないのだからつらい。
「ディスク部分の修理で済めば、HDDは消去さえませんから」とはいうものの、確率は低い。

 こうなると、パソコン関係のクラッシュも気にかかるところ。このところ、立ち上がりが遅く、動作が鈍い。HDDがオシャカになったら目も当てられない。膨大なデータがどうなってしまうのか。
 散髪に行く途中で、「コジマ」に寄り、外付けのHDD400ギガを購入。2万円。ハードディスクも安くなった。
 2カ月ぶりに床屋に行ってサッパリ。
 1830帰宅。

 M・T氏から、思わぬプレゼント。寺山修司が亡くなる前の正月にM氏の奥さんに出した年賀状のコピー。体調がすぐれないにも関わらず、直筆の年賀状を書く寺山さんの律儀さ。

5月15日(火)晴れ

 福島で母親惨殺、頭部を警察に持参した17歳少年の事件発生。しかし、事件そのものよりも、ネットに「こんな事件はもう食傷気味」と書きこむ若者の方が不気味。 



1700、三軒茶屋。
 キャロットタワーの2階書店で、阿刀田高の「脳みその研究」(文春文庫)、とムック本「妖怪人間ベム大全」(双葉社)。


 阿刀田高の短編を読むのは久しぶり。「ナポレオン狂」以来、ほとんどの作品は読んでいたが、最近はとんとご無沙汰。
妖怪人間ベム「妖怪人間ベム」は1968年に放送された作品。何度も再放送されており、世代を超えて根強い人気を誇る怪奇アニメ。

 しかし、リバイバルブームがあっても、この作品に関しては作者に関しても、製作会社に関してもほとんど知られていない。ずっと気になっていたのだが、本書を読んだらそのナゾが解けた。

 その裏には1965年に締結された日韓基本条約があったという。つまり、この条約により、韓国との文化交流が積極的に進められ、その手段として、当時、世界的に認められていた日本のアニメに白羽の矢が立ったというのだ。日本側エージェントが広告代理店「第一企画。主要メンバーは当時、銀座でアニメスタジオを経営していた森川信英氏。

 2001年に行われた講演の要約が掲載されている。

 森川氏は家族もあり、最初固辞するも、説き伏せられ、韓国にアニメ指導するために渡る。

「戦時中、甘粕正彦の元、満映で中国人に動画を教えており、日本軍の中国・朝鮮民族への残虐行為を目の当たりにしていたため、戦後の韓国への償いの気持ちもあった」という。

 こうして、韓国に渡った森川氏らの苦難の末に作られたのが「黄金バット」と「妖怪人間ベム」なのだ。日本から絵コンテやシナリオを空輸し、韓国で作画、着色、セル化する。素人からアニメーターを育てる苦労は並大抵ではなく、時には出来上がった作品をNGにし、自分で一から作ったこともあったという。

 しかし、日韓協力は「ベム」以降頓挫する。日韓協力の美名のもと、実のところ、日本側の狙いは韓国の安い労働力が目当てだったのだ。空輸にかかる費用、途中の紛失事故などを考えると、費用対効果はなく、日本で作ったほうが安く上がる結果になった。

 こうして、韓国側の誠意を裏切る形で、日本に戻った森川氏は以降、再び韓国に渡ることはなかったという。「会社命令とはいえ、一緒にアニメ制作にかけた彼等を見捨てたことで、二度とあわせる顔がなかった」と。そして名もない韓国の人たちの血のにじむような努力から生まれたアニメ「妖怪人間ベム」が今も日本の子供に引き継がれ人気のあることだけが唯一の心の救い……と。

 無国籍風の絵、独特のタッチ、それが実は韓国の無名のアニメーターとの共同作業から生まれたと知って、初めて納得がいった。「戦前の過ちを繰り返さず、平和を守り、差別をなくし、世界中の人々となかよくしてほしい」と語る森川氏は、講演当時82歳。存命なら88歳。

 一本のテレビアニメにまつわる様々なナゾと真実。「ベムの新作DVDのプロモーション」という背景はあるにせよ、このような裏面史を発掘し、一冊の本にしたスタッフの熱意は素晴らしい。旧作26話、新作26話の絵とストーリーも掲載。


 1900〜2035、シアタートラムで「死のバリエーション」。イプセンの再来」と評価が高いノルウェーの鬼才ヨン・フォッセが01年に自国で初演した戯曲をフランスの演出家アントワーヌ・コーベが演出。娘の死を受け入れることができない「年とった男」(長塚京三)と「年とった女」(高橋惠子)、そして、2人が輝いていた時代の「若い男」「若い女」が舞台で交差する。
 照明は落とされ、ほとんど薄明の中で、詩をつぶやくように進む舞台。ウーン……。

 客席で石井ひとみ、高田恵篤と立話。石井は1日から喫茶店で一人芝居をやるとか。演奏家を使うとなると、それなりに費用もかかる。で、「今回は私ひとりなんです……」と。

 永田町までM紙のT橋さんと。先週まで1週間、ニューヨークだったとか。ブロードウエーミュージカル三昧とはうらやましい。


 安倍の人気取り政策ともいうべき「ふるさと納税」。個人が払う住民税の一部を故郷の自治体に納めることができるという。


 個人が払う地方税は、今年6月から課税所得の一律10%に変わる。「ふるさと納税」は、その1割を上限に、故郷や、自分の好きな自治体に納められる制度だ。
 「おお、それはいいんじゃない!」という人もいるかもしれないが、納付先を選択できるのは課税所得のわずか1%。

 07年度の個人住民税の税収は約12兆円。もし全員が1割を故郷に移したとしても1兆2000億円、地方自治体の歳入総額は約83兆円だからコンマ以下のパーセンテージ。しかも、サラリーマンは源泉徴収だから、ふるさと納税するために、税務署に行って申告手続きする人が何人いるか。
 結局、税金を地方に振り分けるための事務処理センターを作って、そこに役人を天下りさせて税金を食い潰すだけ。
 「ふるさと納税」など、議員や役人の新手の税金ちょろまかし手段になるだけだ。
 アホらしい。
5月14日(月)晴れ

 人間ドック。0700出社し、仕事。0900、S国際病院へ。0920に受付だったが、待合室は人でごった返している。コンピューターシステムがダウンし、受付ができないのだという。「復旧の見通しがたたないので、日にちを変える方はお申し出ください」とアナウンス。しかし、時間を作って半日ドックに来た人ばかり。そう簡単にスケジュールは変えられない。事務員に食って掛かる壮年も。こちらは、どうせ仕事の目鼻もついてるし、といたって鷹揚。0940には復旧するが、前が詰まった状態。いつもならスイスイと検査が進むのに、今日はなかなか進まず。最後の胃のX線検査が終わったのが1230。食事をして会社に引き揚げたのが1300。検査結果を聞きに再び病院に戻ったり、慌しい一日。
1600退社。

 国民投票法案成立。この日が戦後日本の転回点になる。「かつて60年に及ぶ平和と(かりそめの)民主主義の時代があった」と、近未来の歴史に記されるだろう。
 
 「有効投票総数の過半数」で憲法が改正される。憲法も安く見られたものだ。

 憲法を変えるというのは国家体制を変えるのと同じこと。アメリカの「憲法修正」とは比較にもならない。それが「有効投票総数の過半数」で決まるとは。しかも、最低投票率の規定もない。会社の社員総会だって、定足数に満たなければ不成立になる。憲法改正ならば、「全国民の過半数」に近い、厳しい有効票数の規定があって当たり前なのに、自民・公明(このヌエ政党が!)のゴリ押し。しかも、公務員・教員の反対運動を禁止するとは。

 「絶望は愚か者の結論」といっても、ここまでコケにされても、お羊ちゃんの国民にはほとほとアイソが尽きる。

 例によって、大新聞は、法律が成立してから、「国民投票法の問題点」を識者に語らせ、マスコミの良識のアリバイ作り。だったら、法が審議されているときに、きちんと報道しろよ、社会面で、といいたくなる。大方の国民は番組欄と社会面しか見ないんだから。近い将来の日本型ファシズム(J・ファシズム?)の責任の一端はマスコミにある。

 さあ、自由にモノが言えるのはあと3年。その後は……。

 それにしても、一番敏感なはずの学生や若者がこうまで無関心とは。未来が絶望の色なら、それはそのまま自分たちに跳ね返ってくる。なのに、攻撃の矛先は、保守派ではなく、「反・保守派」とは。少なくとも、フランスでもアメリカでも、学生や若者は立ち向かうべき「敵」は見失っていない。なのに日本だけが突出して保守的な若者であふれている。自分で自分の体を傷つけているようなもの。ここまでアブノーマルに若者の心を歪ませたのもすべて歴代自民党政権の成果か。権力に調教されて喜ぶSMニッポン。わからん。


5月13日(日)晴れ

 頭痛のため、躰道稽古休み。

 ラジオドラマの整理。作家・湯本香樹実の「カモメの駅から」をデジタル化。湯本香樹実が寺山修司に師事したということは知っていたが、田中未知さんの本の中に、「最期の寺山を支える女たち」の一人として、当時、音大を出たばかりで、ペンネーム、鴨黎歌を使っていた湯本氏の名前が出てくる。そのペンネームから「カモメ」と呼ばれていたという。それを知ると、出世作となった「カモメの駅から」のタイトルも意味深に見える。主人公の少女の名前は「みずえ」。寺山修司の少女向け詩集によく出てくる名前だ。


 昨日の寺山学会。生前は「アカデミズムとは無縁の寺山」と書いたが、思えば、天井桟敷や寺山を囲むのスタッフからは、その後、大学教授が続出しているのだった。榎本了壱、萩原朔美、高取英、安藤紘平、小竹信節……。それに唐十郎まで。それを知ったら、寺山修司は結構、面白がっただろうなぁ。

 田中未知さんの著書によれば、寺山修司の最期の「意思的な」言葉は「あの医者が言うのは、徹底的に熱を下げろということなんだね」だったとのこと。

 4月21日、高熱が出たため、解熱剤を使ったが下痢してしまうため、庭瀬医師に電話して助言を求めたが、あっさりと、再び解熱剤を使うことを指示されたくだり。夜中の2時頃、トイレにたった寺山が、未知の部屋の前に仁王立ちになり、こう言ったのだという。

「あの医者」という口ぶりは寺山らしからぬもの言い。この時点で、庭瀬医師に対する不信感があったことは間違いない。それにしても、「徹底的に熱を下げろ……」とは。

 読み過ごせばそのままだが、「徹底的に熱を下げる」ということは、体温がなくなるということ。「死」を暗示しているとも受け取れる。寺山は「避けがたい死」を予感していたのかもしれない。田中未知さんではないが、返す返すも、この医者と出会わなければ……という悔しい思いに囚われる。まだまだ寺山修司は生きたはずなのに。




 今は生まれた田舎も少子化と過疎化で、小中学校の児童数は40年前の10分の1になっている。
 自分が小学生の頃は、町の人口は8000人。町村合併でできた町ゆえ、新しい町名への帰属意識は薄く、今でも「O〇町」出身と公言するには違和感がある。あくまで、出身はもうひとつの地域名「〇〇」なのだ。その、わが地域も過疎化がすすみ、ついに、幼稚園が「隣り地域」と統合されるとか。生まれたときから、「隣地域」の幼稚園で「隣り地域」の子供たちと過ごせば、たぶん、自分のオリジンが曖昧になるんだろうな、と思ってしまう。知らない人が読んでも意味不明だとは思うが。

 それはおいといて、それでも当時は1学年72人。全校で400人はいたわけだ。「校外班」があって、各町ごとに、当番の家に拍子木が置いてあった。たいていは玄関脇の柱にかけてあったと思う。

 今から思うと、年間を通してやったのか、それとも冬の時期だけだったのか、どうも判然としないが、校外班で「夜回り」をするよう決められていた。夕方6時頃だったか、年長の学年の後から低学年がついていって、「火の用心」をする。

「火の用心!」(カチカチ=拍子木の音)「大人は煙草 子供はマッチ、一家そろって火の用心」(カチカチ)。
「火の用心」(カチカチ)「ポンプ百より用心ひとつ、みなさんお互い火に気をつけましょう」(カチカチ)

 こんな標語を歌いながら町内を練り歩くわけだが、ネットでためしに検索したら「ポンプ百より用心ひとつ」は明治時代に使われはじめた標語なのだとか。「ポンプ」とは馬引き蒸気ポンプ。当時は漠然と、消防ポンプをイメージして、歌っていたが、実は馬引きポンプのことだったとは。ウーム、40年後に知る「夜回り火の用心」の真実。しかし、校外班も火の用心もなくなった田舎の子供たち。磨り減って風格のあったあの拍子木たちはどこにいったのだろう……。



5月12日(土)晴れ

 サクサクと仕事を片付け、1113の新幹線「のぞみ」に飛び乗り名古屋へ。ギリギリセーフだったが、車内はすいており、窓側の席に陣取り、まずは車内販売の幕の内弁当1300円を。iPodで福永武彦の「山のちから」を聴いているうちにうとうとしはじめ、気がつくと名古屋駅。0055。会場までの道順のコピーが見つからず、F谷さんに電話で確認。地下鉄で本山駅まで。駅から10分だが、道を間違え、5分ロス。で、結局、九條さんの講演の終わり頃に会場到着。

 第4回「国際寺山修司学会」。愛知学院大の清水教授の肝いりで創設された「国際学会」。アカデミズムともっとも遠い場所に身を置き、時代を疾走した寺山。自らに冠せられた「研究」や「学会」という言葉に泉下の寺山修司は苦笑しているかもしれないが……。没後24年。「研究」を通じて、寺山を後世に引き継ごうという学者たちの意志と、その情熱には敬服する。

 当日のプログラムは、九條今日子さんの講演、高取英とJ・A・シーザーの対談、榎本了壱・野島直子の「ラカンで読む寺山修司の俳句」。そして、大学関係者らの研究発表。
 
 会場でネット仲間のHさんに声をかけられびっくり。家が近くなのだとか。おみやげまでいただき恐縮。「このあと、能面作りの先生のところに行く」のだとか。見せてもらった幾種類ものノミ。そういえば、ずいぶん長い間、モノを作っていないなぁ。デジタルではなく、手でさわれるモノ作りの楽しさを忘れて久しい。前のマンションに越した頃、有り合せの木片で鳥の巣箱を作ったのは10数年前か。マンション住まいではトンテンやるわけにはいかないし。せめて、木彫りでもしたいものだが。
第4回寺山学会

 高取・シーザーの対談では高取が聞き役になって、シーザーと寺山修司との出会い、音楽を担当したきっかけなど。天井桟敷の凱旋公演「邪宗門」での乱闘事件などにも話が及び、沸くと思いきや、会場は意外と静か。中高年がほとんどで、20代はわずか。やはり「学会」だけに、聴き手の興味は固い話?

 続いての榎本・野島の研究発表。野島氏は1957年生まれ。精神分析のジャック・ラカン研究者であり、寺山の俳句をラカンの「鏡像段階論」などで読み解こうとする。寺山の俳句を作品年代別に整理し、分析する手つきは鮮やか。ただ、俳句の解釈は幾ようにもできる。解釈を変えただけで、理論が根本から崩壊する場合もあるわけで。相変わらずのダジャレを駆使した榎本さんの進行で熱を帯びる会場。

 二人の興味深い発表が終わった後は個別研究発表。帰路につく前に、元万有引力制作の久保さん(お茶の水大大学院)の「毛皮のマリーと60年代」の冒頭部分をシーザーと入口で聞く。

 榎本さんは仕事の関係でT市へ。
 F谷さんに見送られ、タクシーに分乗し、九條さん、山形さん、シーザー、偏陸、高取、私の6人で栄町へ。
 手羽先の「伍味酉」で食事。焼酎「中々」を1本半空けてしまう(残りは新幹線の中で)。この焼酎は「百年の孤独」の原酒なのだとか。寺山修司の「牧羊神」時代の友人・山形さんからは若かりし頃の寺山のエピソードを。初めて耳にする話も。

 1900、名古屋駅。発車数分前の駆け込み。6人分の席を確保し、向かい合わせで飲み会の続き。シーザーは途中で下車、実家へ。
 2100、東京駅で解散。上野で山形氏と別れ、地下鉄へ。
 2200帰宅。飲みすぎたのか頭痛。

 
5月11日(金)晴れ

 昨夜から朝にかけてものすごい強風。風で窓が鳴りっぱなし。電車が止まるかと思ったが、0544、駅は異常なし。通常通りの出社。

 お昼前、机の上に書籍小包。田中未知さんの新刊だ。わざわざ送ってくれたのだ。嬉しい。昨日の続きはこちらで。昼食後、仮眠室で昨夜の続きを読む。小一時間で読了。こんなスピードで読んだ本は久しぶり。最終章の寺山との別れの場面で思わず涙。幸い、隣りのベッドはいびきをかいて寝ている同僚が一人。昼中、仮眠室で本を読んで涙するなど恥ずかしくて。

 未知さんをはじめ、天井桟敷の人たちは本当に寺山修司が大好きだったのだ。
 だからこそ、「劇的な誤診」で命を縮めてしまった寺山の最期は悔やんでも悔やみきれないのは当然だ。「せめて肝硬変で死んで欲しかった」と未知さんが言うのも頷ける。劇団を辞め、仕事の量を減らし、体力を温存しながら、静かにフェイドアウトしていく寺山の姿、を思い浮かべていた未知さん。「あと3年生きたら、肝臓移植の道だってあったはず」と。

 その悔しさは、主治医であった庭瀬氏の「傲慢さ」に向けられる。この医師の特異性は寺山にとって不幸な引き合わせだったとしか言いようがない。もし、違う医師だったら……。過去に対し、もしも、もしもというのは不毛だが、やはり最愛の人の死に対しては「もしも」と思いたくなる。

 3年前、難病の父が亡くなったのは、今考えても医療過誤としか思えない。それまではバイクに乗るほど元気だったのに、飲み薬を変えてから急変。あの劇症はどう考えても投薬ミスだ。静かに静かに生を終えるはずだった父が突然の死に見舞われた、あのときのショック。静かに寺山修司の死を看取る覚悟をしていた田中未知を襲った「劇的誤診」への後悔は、よくわかる。

 「止めろ、痛いじゃないか。ほんとうに怒るよ」

 導尿をやろうと、尿道にカテーテルを挿入したとき、半分体を起こして言ったという寺山。
 
 立ち会っていた高橋ひとみは、この「ほんとうに怒るよ」という寺山の言葉に強く感じるものがあったという。「最後まで人に気をつかって……」と。
 ほとんど意識がなかったはずなのに、「ほんとうに……」などと念を押すあたりがいかにも寺山のやさしさを象徴していたという。そして、この「他人へのやさしさを含んだ言葉」が最期の言葉になった。

 この本を読みながら、かつて見た天井桟敷の舞台を思い出していた。「身毒丸」「レミング」「奴婢訓」「百年の孤独」。晩年の作品のほんのわずかしか見ていないが、生まれて以来、後にも先にもあのような美しく、暴力的で、刺激と想像に満ち満ちた舞台は見たことがない。完璧な舞台があるとしたら、寺山修司の演出した天井桟敷の舞台以外ない。あれから何百何千の舞台を見たことか。しかし、いまだに天井桟敷を超える舞台はない。たぶん、これからもないだろう。

 
 1700帰宅。家人、歯痛と風邪。豚児、父に反発。いやいや塾へ。


5月10日(木)晴れ

 そういえば、もう、田中未知さんの新刊本が出ているはず。ネットで調べたら9日に発売されている。1600、銀座・山下書店で田中未知著「寺山修司と生きて」(新書館)を購入。喫茶店に落ち着くのが待ちきれずに歩きながら読みはじめる。電車の中、六本木のラーメン屋、俳優座裏の喫茶店と読み続け、芝居が始まる前に3分の1を読了。
寺山修司と生きて
 16年余を寺山と過ごし、文字通り、もう一人の「職業寺山修司」だった未知さん。24年間の沈黙を破って初めて寺山修司との日々を書いた。長い沈黙を余儀なくされた分、そのマグマの噴出は凄まじい。自分の思いのたけをここまでストレートに文字にした本はほかに知らない。

 冒頭部分では、「半世紀を経た現在においてさえ、石を投げ、寺山修司を傷つけ壊そうとしているとしか思えない寺山評伝」として、長尾三郎「虚構地獄 寺山修司」、田澤拓也「虚人 寺山修司」、杉山正樹「寺山修司 遊戯の人」を名指しで、徹底的に指弾する。

「私の苛立ちは、何よりも、これらが作品への批判ではなく、寺山修司という人間への非難にジャンプしていることである。まるで、彼らが寺山を人間として貶めようとしているかのようにまで感じられるのだ」、と。

 そして、俳人の鷹羽狩行の「類想を恐れたり避けたりしては句はできない。むしろ、積極的に類想の奥にひそむ人間共通の感情に深く突っ込みたい」との言、そして、芥子と草田男の「獺祭忌 明治は遠くなりにけり」「降る雪や 明治は遠くなりにけり」を比較した鷹羽の感想を引きながら、寺山を模倣と決め付ける前3者の欺瞞を突く。

「よく、類想と類句を同じように考え、類句といわれるものの中にも佳句、秀句があるにもかかわらず、類句はすべて悪い・劣ると思いやすいが、それは誤りだろう。類想は避けられぬ場合があり、すべて類想は悪いとはいいきれない。いわゆる類句も、類想から出発して比類のない新しさをたたえるものであれば、その句は立派な創作ではあるまいか」(鷹羽狩行)

 また、自作の句を変え続けた寺山を積極的に評価した飯田龍太の寺山への理解を引き、寺山を「模倣少年」として貶める人々に鉄槌を加える。その引用の鮮やかさは実に痛快。

 帰りの電車、そして、布団に入ってからも、まるでむさぼるように読み続け、午前0時30分、さすがに翌朝の仕事に差支えがあるので本を閉じて目をつむる。眠りに就く前に読んだ「寺山修司の母の章」の苛烈さが頭に残りなかなか寝付けず。母ハツのエキセントリックさは多分に過大に報じられているのだろうと思っていたが、未知さんとハツさんの争闘を知ると、ただただ唖然。初めて読むハツさんの寺山への手紙の激越さには声もない。


 1900〜2115、俳優座劇場で劇団俳優座「リビエールの夏の祭り」。M・デュラスの「かくも長き不在」を基に、吉永仁郎が脚本を、ベテラン俳優・中野誠也が初演出したもの。舞台は浅草に隣接する鳥越。そこで、一人の女性が「リビエール」という喫茶店を営んでいる。彼女は戦時中、夫とここで店を経営していたが、夫は出征。満州で敗戦を迎えるが、いまだに生死は不明。妻は終戦後焼かれなかった店を一人で再開、16年の歳月が流れたのだった。鳥越祭りが近づいたある日、店の近くで夫に似た男を目撃することになる。もしかして夫では……。しかし、男は記憶を失っていた。

 メインの舞台は喫茶店。男の住む川原のあばら家のセットを回り舞台で転換。中野誠也と妻役の川口敦子。そして、彼女に恋する若者の、戦争で引き裂かれた三者の人生がメロドラマ風に展開する。
 中野の初演出だが、暗転で場面の切り替えが繰り返されるのはわずらわしい。やはり演出は難しいものだ。ごく普通に違和感なく舞台が進行していることがどれだけ大変なことなのか。

 幕間に、会社のOB、F氏に吉永さんを紹介される。荻窪の名曲喫茶ミニヨンの常連同士とのこと。

 

 
5月9日(水)晴れ

 スギ花粉のあとのヒノキ花粉にダウン。朝から鼻水止まらず、強い市販薬を服用。それがなかなか効かず、効き始めたのが運悪く舞台が始まる直前。

 休みだが、週末は予定があるので、仕方なく、グローブ座での「血の婚礼」を今日の昼に見ることにする。1400、新大久保。J事務所の持ち物になってからはめったに足を踏み入れることのないグローブ座。

 スタイリッシュで硬質・透明感ある白井晃演出は晩年の寺山修司演出とよく似ている。白井は早大の劇研時代に天井桟敷の「観客席」に出演しているわけで、寺山修司の舞台はよく見ているはず。フランスのシュールレアリズム的な舞台作りは寺山の影響があるのかもしれないが、そのへんは一度確かめたいもの。
 今回は渡辺香津美のフラメンコギターを耳で聴きながら、視覚は明滅する光源のように記憶の底に。せっかく休みに出かけたというのに、薬による睡魔はいかんともしがたい。不覚!

 1550終演。カーテンコールで森山、ソニンのフラメンコダンス。

 帰り、ひまわりのS部さんに挨拶。「はたはた」のT村さんと立話。最近、ダンカン関係のパンフを手がけているのだとか。

1700帰宅。再び花粉症悪化。どうなってるのか……。つらい。

 靖国神社春季例大祭で安倍晋三が「内閣総理大臣」名で「真榊(まさかき)」を奉納していたという。5万円をポケットマネーで出したというが、「内閣総理大臣」の木札をつけているのだから「私人」だと言い張っても無理がある。だから、終始ノーコメント。「思想・信条に関する問題だから」コメントしないとは仰天。君が代・日の丸、従軍慰安婦で「思想・信条」を押し付けてきたのはどこの誰だったか。自分に都合が悪いことにはダンマリを決め込むというのは子供と同じ。それを放っておくマスコミがいるから、つけ上がるのだ。

5月8日(火)晴れ

 1800、新宿。信濃屋で刺身定食1000円。朝日新聞の夕刊に北村和夫氏を悼む文章。えっ、いつ亡くなったの? 6日?知らなかった。まさか……。つい先日、BSの杉村春子特集に出ている北村氏を見たばかり。収録は最近だろう。80歳。杉村春子に言及するたびに涙ぐんでいた姿が印象的だった。心底、杉村春子を慕っていたのだろう。最後に見た舞台は「風の中の蝶たち」だったか。セリフに詰まるシーンが多々あった。役者としてセリフが覚えられないのは辛かったに違いない。世代交代がすすみ、「北村和夫でさえ役がつかなくなった」という話を聞いたのは去年だったか。北村有起哉が役者として花開いたことで思い残すことはなかったかもしれないが……。

1900、紀伊國屋サザンシアターで文学座「ぬけがら」の初日。

 佃典彦の岸田戯曲賞受賞作。不倫がばれ、交通事故を起こし郵便局を首になり、母が急死、追い討ちをかけるように妻に離婚を突きつけられている人生最悪の男。80過ぎの父親と二人暮らしを始めるものの、父は認知症。ある日、オシッコをもらした父親をトイレに押し込める。しばらくして覗いた男が見たものは脱皮した父。なんと80代から20年も若返り、60代の元気な父に変身する。じきに、その父も再び脱皮し、40代に。こうして部屋の中は父の抜け殻と、若い父が増殖していく。

 やがて、年寄りの繰言としてさんざん聞かされた「B29を迎撃する雷電で九死に一生を得た戦争中の話」の時代にまで父は遡る。それこそが今の自分の誕生につながる、母との出会いであり……。冷蔵庫から現われる母親の幻影、ぬけがらたちのフラダンス、葬儀社の女性の「体当たり」勧誘、学生時代の映画研究会の恋人の弔問など、さまざまなエピソードを絡ませながらの展開で、演出的にもダレ場なし。実に密度の濃い芝居空間。現実と幻想の切り替えも絶妙。さすがは松本祐子。ただ、劇場が大きな分、舞台が遠すぎてアトリエ空間の臨場感には及ばない。若松泰弘の牛乳・卵一気飲みで客席から拍手が起こるのがほほえましい。
 2115終演。客席に流山児。青年座の森さんと駅まで。亡くなった北村和夫氏のことなどを話しながら。「去年6月の森塚の葬儀で弔辞を読んでくれたんですけどね……」と。

 アトリエ公演
5月7日(月)晴れ

 いつもより30分早い電車で出勤。0630着。N印刷社の建て替え工事に伴い、今日からシステム変更。「試運転」はトラブル少々。

 1645、新宿。歌舞伎町の映画館で「ゲゲゲの鬼太郎」。前宣伝では面白そう……だったが、これほど期待と現物の落差がある映画は珍しい。

 ウエンツ瑛士の鬼太郎はビジュアル的にはまあまあだが、とりすました顔と芝居。ユーモアに欠けるのが致命的。井上真央も「つくし」の芝居から抜けられず。猫娘・田中麗奈との恋のさや当てでもあるかと思いきや、二人の絡みはなし。一人、大泉洋のねずみ男だけが原作のいかがわしさを体現していて絶妙。室井滋の砂かけ婆あも笑える。しかし、決定的に脚本が面白くない。それをなぞるだけの演出もモタモタ。スピード感ゼロ。途中であくびが出そうなくらい退屈な展開。鬼太郎の毛針攻撃で毛針が出尽くして鬼太郎の頭がツルツツになるというのをユーモアと勘違いしている監督の感覚じゃ、映画がつまらなくなるのは当然か。

 しかも、途中で鬼太郎の髪の毛が風で吹き上げられ、見えないはずの左目がバッチリ見えたのには唖然。鬼太郎の左目は生まれてすぐに墓石にぶつかり失明。その眼窩に目玉おやじが棲んでいるという設定ではなかったか。両目を見せる鬼太郎などありえない。なんじゃこりゃ。期待度100で見終わってマイナス10。
 1845終映。
 次に行く前に腹ごしらえを、と思って入った回転寿司。ネタがやたらと高い。500円皿、600円皿がグルグル。安い皿は注文してくれ、といった態度。これって逆じゃないの?


 0930、シアタートップスで劇団道学先生「あたらしいバカを動かせるのは古いバカじゃないだろう」。

 中島淳彦の旧作を青山勝演出で再演。舞台は1970年代始めの九州の小さな港町。レコード屋主催のフォークフェスティバルに吉田拓郎がやってくるというので町は歓迎ムード一色。ところが、やってきたのは「時代遅れ」のフォーク歌手たち。伝説の大物フォーク歌手(岡林と高石友也?)で、今は音楽事務所を経営する男(青山勝)と文通していた女子高生の「お手柄」が一転して非難の的に。拓郎が来なければ、コンサートは中止になる。そこでとった窮余の策とは……。高校の部室に集まったフォークシンガーたちのおかしくも切ない人間模様。

 いかがわしさを絵に描いたような青山勝の「伝説のフォークシンガー」、カレッジフォーク、デュオの片割れ(=井之上隆志)、津軽の情念歌(=六角精児)、「血まみれのカラスを歌う」反戦デュオ「青いカラス」(=中西俊彦&かんのひとみ)、コンサートの途中で寝てしまう酔っ払いフォークシンガー(=保村大和)。これに、網元(=福島勝美)の息子で東京に出てフォークシンガーになりたいという若者(=安藤理樹)の親子の相克、口うるさい高校の音楽顧問教師(=草野徹)、レコード屋の店主(海堂亙)、役場の職員(東海林寿剛)らが絡んでドタバタの大騒動に。

 タイトルはもちろん、拓郎の広島フォーク村デビューレコード「古いい船を動かせるのは古い水夫じゃないだろう」からきているわけで、中島淳彦のモチーフになったのは、拓郎登場でガラリと変わったフォーク地図。登場人物は、それぞれ三上寛、高田渡、5つの赤い風船、ビリー・バンバン(これだけカレッジフォーク)を髣髴とさせる設定。パロディーにするのは「対象への愛情があるから」とはいうものの、実物を想起させる役どころだけに、なんだかなあ……の思いも。

 そんなこんなを別にすれば、いつものようによくできた中島淳彦の人情青春喜劇。ほどよく笑えてほどよくしんみり。登場人物一人ひとりへのスポットの当て方もうまい。短い時間でそれぞれの見せ場がキッチリあるのだからさすがの手だれ。

 2130終演。客席にアトリエダンカンの池田道彦氏の顔も。Jクリップの上谷氏に挨拶して家路に。「恥ずかしながらグッバイ」は動員いまいちで終わったようだ。


 
5月6日(日)雨

 連休最後の日。雨をいいことに終日蟄居。躰道の稽古も休み。午後になってラジオドラマの整理。

 外に出ないので、録画してもほとんど見る機会のないテレビドラマをだらだらと見てしまう。NHKのBSで深夜に放送した「怪奇大作戦 セカンドファイル」。新作と旧作3本。新作「人喰い樹」は環境破壊をテーマにした作品。環境保護運動が次々と切り崩され、最後の一人となって孤立し、自殺した青年の恨みが「人間を滅ぼし植物と一体化させる花粉ウイルス」を作り出す。60年代から顕在化した環境破壊は21世紀になってもなお止まず、このままでは人類の滅亡が絵空事ではないというのに、転落の道をたどり続ける人類。しかし、こういったテーマでさえ、もはや真摯に受け止める人間がマイノリティーになっているということが不気味。大方は「そんなこと、もういいよ」だろう。

 続いて、アニメ「あしたのジョー」連続放送を4話まで。

5月5日(土)快晴

 0730起床。
芝桜1100、家人と二人、羊山の芝桜を見るために電車で秩父へ。路線情報だと片道約2時間。しかし、所沢からの特急券はすべて売り切れ。各駅停車で秩父まで行くその遠さよ。所沢の駅ホームで偶然、従兄のMさん夫婦と娘のMちゃん一家とばったり。なんと、同じところに行くのだとか。こんな偶然もあるんだ……。半日、Mさんファミリーと芝桜見物をすることに。横瀬駅から徒歩20分。丘陵地帯に忽然と現われたピンク、赤、白などの芝桜カーペット。入場券300円。数万人が押し寄せ、カーペットに群がるアリのよう。帰りは秩父駅まで。1540、Mさん一家と別れて、家路に。さすがに3連チャンは疲れる。体くたくた。1820帰宅。

5月4日(金)快晴


 0900起床。朝風呂に入り、しばし、くつろいでから外出。

 寺山修司の命日墓参。毎年、この日は家族旅行のため、今回久しぶりの参加。

 電車に乗って1時間超。天候に恵まれ、青葉若葉がすがすがしい高尾山。駅前で花を買って、一人、てくてくと坂道を。1140、高乗寺着。
寺山修司
 控え室に大きく「寺山家貸切」の文字。「〇〇ちゃん!」と呼ばれたので振り向くと蘭妖子さん。いつも元気な蘭さん。その笑顔と気遣いに疲れも吹き飛ぶ。そばに、愛犬・ミロを連れた若松武史さん、笹目ちゃんも。テラヤマ新聞の稲葉さんはバスから降りてきたところ。

 まずは寺山さんのお墓参り。今年で24年。墓の前で若い女性に声をかけられたのでよく見ると万有引力の制作をしていたK保さん。「劇団は前回公演で辞めて研究に専念することにしました」とのこと。彼女はお茶の水女子大の大学院生。博士課程に進み、寺山研究を続けるのだとか。なるほど。道理で舞台公演のリリースの文章がしっかりしていたはずだ。

 お墓の前には花と線香。空いていた両側の墓所に真新しい墓石が建立されている。聴診器のイラストが彫ってある墓石はお医者さんのお墓。これから、寺山修司の書誌型墓石のようにユニークな墓石が増えていくのだろう。
 笹目ちゃんの息子・そうクンのヨチヨチ歩きに目を細める九條さんと偏陸。

 控え室に戻り、ビールで「献杯」。白石征、松田政男、田中未知、下馬二五七、林檎童子、三上宥起夫、劇団A☆P☆BーTOKYOの高野美由紀、川上史津子、牧野公昭、日野利彦、マーク・セバスチャン、そして若松一家。午後からはシーザーと小林拓ら万有引力の面々、市川正、福島から根本豊、3時近くに高取英とPANTA、一ノ瀬めぐみ、スギウラユカほか月蝕歌劇団の女優陣。高取さんに同行してきた芸能プロ社長の角川さん。角川氏は九條さんの旧友でK鍋さんとも40年来の付き合いとか。「連休明けにみんなで集まることにしてる」と嬉しそう。

 4時過ぎにお開き。二次会へ。市川E子さんとPANTAのクルマに同乗し、ふもとの蕎麦屋で軽く食事。

 昔、TBSのラジオ版「あしたのジョー」の主題歌を歌っていた(PANTA&HAL時代)ということをPANTAから聞く。あれ? この話は確か前に聞いたような……と思って後から記憶をひっくり返したが、記載がない。どこで聞いたんだろう。やはりPANTA本人からか? 尾藤イサオの歌詞そのままだったとか。一度聴いてみたいものだ。

 PANTAは今、重信房子の書いた詩に曲をつけCD化、近々リリースする予定。「うまいんだよね」という重信メイさんの歌声も聴けるかもしれない。

 蕎麦屋を出て、PANTA、高取組はクルマで都内へ。角川さんは京王線。市川さんと二人で駅前の居酒屋に移動。二次会が続行中。いつもなら早めに抜け出す九條さんが遅くまで付き合っているのにびっくり。シーザー、田中未知さんらと歓談中。

 先日放送された「ホワッツテラヤマ」に関しては当然ながら、皆呆れ顔。適当に線をひっぱってそこに寺山修司を当てはめただけ、と。

「没後5年、10年目くらいまでは、実体験として寺山修司や60年代を肌で知っている世代がテレビ局にもいた。しかし、今それらの世代は現場を離れてしまって久しい。寺山をまったく知らない世代が原典に当たらず、二次情報、三次情報をもとに作れば、ああなるかもしれない」とMさん。
 Sさんは「唐十郎、美輪明宏のインタビューをモンタージュした手法に疑問」と。確かに、別の番組用のインタビューが流用されるのは問題だ。その発言が意図的に曲解される場合も出てくる。「もし番組を唐さんが見ていたら怒るに違いない」とT氏。団塊世代を十羽一からげにし、あたかも寺山修司の扇動で学生運動が始まったかのようなモンタージュも苦笑ものだし……。寺山とその時代を知る人にとっては、あの番組はあまりにも程度がひどすぎたということ。

 下田逸郎の再発CD「遺言歌」に入ってる蘭さんの「念仏子守唄」。蘭さんによれば「天井桟敷のヨーロッパツアーでめちゃめちゃ忙しい時期。譜面を渡されて小一時間で覚えて吹き込んだ歌」なのだとか。当時の天井桟敷で蘭さんは衣装係もしていたからかなり忙しかったようだ。あまりに多忙で、森田童子のコンサートゲストも断り、「代わりに昭和精吾さんが行った」とのこと。天井桟敷の生き字引・蘭さんが知るもうひとつの天井桟敷物語。ぜひ、活字に残してほしい。

 2000、九條さん、田中未知さん、蘭さんが帰るので、一緒に駅まで。3人は京王線。私はJRで家路に。

 しかし、寺山修司は不思議な人だ。没後24年たったいまでも、不在の寺山修司を慕い、人々が集う。当時の関係者のみならず、まだ生まれていなかった世代までひきつける寺山修司の磁場。

早稲田文学 一方で、高橋和巳のように時代の中で鮮烈に生きながら、いまでは時代とともに忘れ去られた文学者もいる。今活躍する文学者の中で果たして没後20年たっても、昨日別れた友と再会するようにその文学や人を語りあうことができる人はいるだろうか。「時々思い出される人ではなく、忘れられない人間になりたい」と記した寺山修司。その思いは今も確かに息づいている。

 帰宅すると、冊子小包。向井豊昭氏から早稲田文学をいただく。4月から新生なった早稲田文学。向井氏の小説が楽しみ。寺山修司の未収録小説「家畜あそび」も掲載されている。白石さんと「まだ寺山作品で単行本未収録の作品はたくさんあるはず」と話したばかりだった。

5月3日(木)晴れ

 0700起床。朝食のおにぎりを買出しにコンビニへ。八百屋のはす向かいにファミリーマートがオープン。店の前に花輪があるということは、開店ホヤホヤ。店員の応対も初々しい……というか、ぎこちない。

 1000、予約しておいたホテルのテニスコートへ。20数面あるが、ほとんど使われていない様子。大型連休にも関わらず、閑散としたテニスコート。家族でテニスに興じるのは初めて。いつもはドライブ、買い物、食事で終わるので、今年は豚児の意見も入れて運動を。2時間、たっぷり汗をかいてスッキリさわやか。豚児とのゲームも4ー3のセット数勝ち。少しは父の威厳が保たれたか?

 1430、幸寿司へ。ここに来る度に行く店。今回は1泊なので昼の食事。それでも4人で食べれば、万札がヒラリと飛んでいく。

 お次はハーブ園。ハーブの中を散歩……よりも女性二人は買い物三昧。ここでも万札ヒラリ〜〜。

 1600、長生村のオーシャンスパ「太陽の里」へ。女性はスパの各種美容マッサージで癒されたいとか。
 入館料2200円。連休とあって大盛況。温泉・スパで身も心もリフレッシュ。エステコーナーも予約がいっぱい。2時間待ちのため、家人の希望で帰りの時間を遅らせることに。カラオケ、ゲーム……と家族サービス。
 エステ、マッサージがいっぱいなので、娘と並んでマッサージチェアに。300円。これが最先端のマッサージチェア。痒いところに手が届くというか、人間工学テクノロジーがすばらしい。手足を包み込み、ギュッと握る感覚はマッサージ師そのもの。ハイテク・マッサージ器に感嘆。これなら300円は安い。

 2030。退館し、家路に。京葉道路でやや渋滞に巻き込まれるも、渋滞時のスピードが50`平均なら渋滞とはいえないか。ストレスもなく、葛西ICから常磐自動車道、外環。

 ところが、外環でまた乗り間違え。仕方なく、一般道に。どうなってるのか……。仕方ないのでナビの指示通りに目的地方向へ。……しかし、恐ろしいことに、ナビの声に従って運転していたら、細い道からいきなり大通りに。そこが外環道の反対車線だと気がついたときは体から血の気がス−ッと引いていくのがわかった。なんと、目の前に信号待ちで停車した車列がズラリ。三車線のクルマがすべてこちらを向いて停車しているのだ。ということは、こちらは車線の反対に停車しているということ。青信号になったら、いっせいにクルマが正面から襲ってくる。Oh My GOD! まるで、戦車隊の前に飛び出した赤ん坊だ。

 あわててハンドルを切り、路肩の退避エリアに。クルマの流れが途絶えたのを見計らってUターン。
 危機を脱するも、PTSD状態。過去に、三台追い抜きをしようとして本線に戻れず、対向車と正面衝突しかけたこともあったし、草の陰に隠れた踏み切りに気付かず、時速100キロで踏み切りを通過したこともあった。今でもその様子を思い出すと心臓がドキドキして汗ばんでしまうほど。雨の日の首都高でワイパーが外れたこともあった。スピードを上げるとエンジンが止まるクルマに当たったことも。100キロを超えたとたんエンジンストップなんて、しゃれにもならないクルマによく乗っていたもんだ。雪の京葉道路でいきなりエンジンが止まったときには死ぬかと思ったっけ。こうして考えると、生きているのがフシギなくらい。
  
 また、新たな「伝説」を作ってしまった。ああ、恐ろしい。

 なんだかんだで、2200帰宅。GSが開いてないので、メーターでガソリン代を払ったら5600円。エッ、4400円で満タン返しにしないくてもいいと言われたのを断ったのが敗因。半分もガソリンを使っていないのに、5000円以上も払わなくてはならないなんて……不条理。





 今日は憲法記念日。朝、フジテレビの「とくダネ!」で高校野球の特待生問題を扱っていたが、その流れで、コメンテーターの三文作家が「高校野球憲章も憲法も今の実態に合わなくなってることでは同じ。時代に合わない憲法は変えるべきだ」と言ったのにはビックリ。特待生問題を引き合いに、改憲をアピールするなど、コメントの逸脱もいいとこ。こんなとき、司会の小倉智昭がたしなめるべきだろうに、そのままスルー。師匠の巨泉が泣くよ。

 毎日新聞の調査で改憲賛成が51%、反対が19%。改憲賛成の理由で一番多いのが「時代に合ってない」「一度も改正されていないから」というもの。次に「アメリカから押し付けられた」「自衛隊の活動と9条に乖離がある」「個人の権利を尊重しすぎている」と続く。
 どれも私にとってはまったく理解できない理由だ。

 「60年改正されていないから改正したほうがいい」とはなんぞや? 人間にも還暦があるから憲法も一巡りしたところで改正を?? 不思議な理由というほかない。人類も二足歩行をして何万年。じゃあそろそろ二足歩行をやめて、ケンケン跳びで歩くことにしよう……ってなもの。

 押し付け憲法論はもっとわからない。戦争に負けて占領下にあった日本が新しい憲法を作り再出発するのは当然のこと。アメリカの占領下にあったからその指導下に憲法発布がすすめられたのは当たり前のことで、憲法草案に関しては、日本の学者・研究者による「憲法研究会」が、開明的な憲法思想を盛り込み、その草案がGHQの憲法草案に影響を与えたことは歴史的事実。

 つまり、憲法の根本精神は日本人が作ったものといえる。「押し付け」という言葉にナショナリズムをくすぐられ、「押し付けなら日本人の手で新たな憲法を」という情緒的な群集心理に陥るニッポン人。権力の意のまま。
「押し付け」というのなら、日米安保がその「押し付け」の最たるもの。日本の中にアメリカの基地があり、騒音、治安の被害は甚大。それなおに、逆にアメリカ軍に毎年莫大な貢物をしていることこそ恥と思わないのだろうか。
 近頃では「年次改革要望書」なる恫喝を突きつけ、内政干渉するアメリカ。郵政民営化などを要求し、それを二つ返事で受け入れ、日本の財産権を売り渡した小泉内閣。350兆円の郵政資産をアメリカに献上したも同然。歴代の自民党政府が、アメリカべったりで、属国扱いなのに、憲法だけは「押し付け」と言い出す矛盾。

 「自衛隊の活動と9条の不戦条項の間に乖離があるから」という理由にいたっては唖然呆然。
 9条が改正されたら、集団的自衛権を認めることになる。

『集団的自衛権』とは、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力を持って阻止する権利」のこと。

 日米安保の枠内にある日本は、イラクであろうがイランであろうが北朝鮮であろうが、アメリカが交戦した瞬間、同盟国として戦争に参加することになる。アメリカの敵を敵として参戦するのだ。逆に言えば、日本も相手国の標的になるということ。日本が直接戦場になるのだ。狭い日本、ゲリラやスパイが横行する。当然、国民の基本的人権を制限する戦時体制になる。その時に邪魔になるのが憲法の人権規定や平和主義。それらを撤廃すればまさに戦前の暗黒時代の再来となる。自民党が、着々と進める「戦時体制」。それはすでに「有事三法」で外堀は埋められた。戦争になったら国民の財産である土地を国が接収できる。戦争ができる体制を着々と進めてあとは本丸の「憲法第9条」を攻め落とせば戦争体制は完成する。気がつけばファシズム国家へ。

「時代に合ってない」などというインチキな設問にイエスと答えて憲法改正に賛成などという51%の国民。来るべき未来はあなた方のおかげで実にすばらしい暗黒世界になりそうでございます。


 

5月2日(水)晴れ

 0730起床。ゴミ出し。
 夕方までラジオドラマの整理。先日放送したNHK・BSの杉村春子特集を半日見てしまう。その徹底した反骨ぶりに感嘆。叙勲を辞退した理由がよくわかる。

 豚児がテニスの試合があるというので、二泊三日を一日短縮。
1930、レンタカー(1万6000円)を借りてきてマンション下に置くも、路上駐車厳しき折、家族の準備が整うまで近所を流し運転。

 2030出発。外環から高速道に移る時点でまたしてもランオーバー。ナビの声に惑わされて、別な方向へ。カーナビがない時には間違えたことがないのに、ナビを信じて指示方向を誤る。なんのこっちゃ。引き返して再び首都高へ。途中、ほとんど渋滞がないまま京葉、東金、九十九里の有料道路と順調なドライブ。が、またしても有料道路で二股に別れた場所で選択ミス。おいおい、いったいどうなってんの? 「人生の分かれ道で選択を誤り続けてきたからしょうがないか」と家人に冗談を言ったら、「どういう意味よ」と叱られてしまう。

 2230、なんとか、保養所に到着。泊まるのはわが家族だけ。部屋の穴あき障子は放置しっぱなし。経費削減とはいえ。ウーン……。

 
 5月1日(火)晴れ

 0700出社。連休の谷間。さくさくと仕事を片付け、1530退社。家路に。


 ニューズウィーク誌、ウォール・ストリート・ジャーナル紙、CNNテレビと全米をカバーする3媒体を指名し単独インタビューに応じた安倍首相だが……。

 ニューズウィーク最新号は、安倍インタビューを掲載しているが、「astaunch nationalist」(筋金入りの国粋主義者)と紹介。従軍慰安婦の写真もデカデカと載せているから、米マスコミ懐柔策は失敗だったようだ。日本のマスコミと違って、米マスコミは辛辣。

 ニューヨーク・タイムズ紙に至っては、「ブッシュと絆を強めようとも、引き続き性奴隷(Sex Slave=従軍慰安婦のこと)問題は安倍につきまとう」(4月29日付)とバッサリ。「性奴隷問題に関する下院決議をかわすという目的を果たせたかどうかは疑わしい」と書く。

 安倍はベセスダ海軍病院でイラク戦争負傷兵を慰問し、アーリントン国立墓地で献花。「日本も自衛隊を派遣しイラク復興に協力している」とアピールした。ところが、その一方で、ブッシュ大統領に「安倍首相とゴルフをしませんか」と持ちかけていたというから、驚き桃の木。唇からシンゾウ。

 その昔、安倍の祖父である岸信介首相とブッシュ大統領の祖父がワシントン郊外のゴルフ場で一緒にプレーしたことがある。祖父同士がプレーしたゴルフ場で、一緒にクラブを握る。「これはマスコミが飛びつく。イケる! 」と思ったに違いない。だがブッシュ大統領はすげなく申し出を断る。「自分はイラク戦争が続いている間はゴルフをしないと決めている」と。

 まさに恥さらし首相。

 そんな安倍なのに、今朝の毎日新聞の世論調査では、内閣支持率が43パーセントで不支持(33パーセント)と逆転したという。その理由が「指導力の発揮」だとか。こんなにまで低レベルな国民だとは、情けなくて涙も出ない。

 このところ、60年代の新聞の縮刷版を調べることが多く、結構新しい発見をすることも多い。まさに温故知新?

 中学生の頃に欠かさず見ていたテレビドラマ「さすらい」(1969年)。天知茂主演。
七人の刑事
 ある財閥系企業に務めるOLがラブホテルの火事で不審死を遂げたことから、事実を追及する兄の「さすらい」が始まる。実は妹は生きており、自ら姿を隠さなければいけない理由があったのだ。様々なナゾが渦巻くミステリーなのだが、妹の勤める会社のトップが鈴木瑞穂ということだけは記憶していた。

 しかし、そのほかに野際陽子や蜷川幸雄、そして影の会長として辰己柳太郎が出演していたことは記憶から完全に欠落していた。物語は、終幕になって、財閥系企業が核物質をひそかに密輸し、それを政府の黒幕が兵器に転用する野望を持っていたことが明らかになる。

 69年という騒然とした時代の放送。当時、奇妙なリアリティーを感じたが、それから40年、政府の首脳が「核武装」を叫ぶ現在、「荒唐無稽」とはいえなくなった。

 その脚本が佐々木守だったということを初めて知った。当時、佐々木守は「七人の刑事」など社会派作品を多く手がける一方、「ウルトラマン」の脚本も書いていたはず。映画評論家の松田政男、映画監督の足立正生とは1968年に映画「略称・連続射殺魔」を制作している。反天皇制を骨子に据えた「ウルトラマン」映画の脚本を書くも当然ながらボツになったという。記憶に残るドラマの書き手が佐々木守だったということを知って感無量。

 上の新聞のコラムは「七人の刑事」の街頭ロケを紹介したもの。この「ふたりだけの銀座」は、フィルムで撮影されたため、消失を免れ、2作だけ現存する「七人の刑事」の一本。吉田日出子が出演していたはず。

 手塚治虫の「悟空の大冒険」も小学生の頃毎週楽しみに見たものだが、パイロット版のキャラクターは大人びていたため(上のキャラクター)、差し替えになったことを初めて知った。1966年の新聞が報じている。これはまったく知らなかったこと。タイトルも「ごくう大冒険」となっている。子供たちの反応調査というのもやってたんだ……。悟空の大冒険

戻る