6月30日(土)曇り時々雨

 1500、下北沢。駅前劇場で東京タンバリン「鉄の纏足」。


 レンタルビデオ店と、近未来の図書館(アルバイトが本を読むことによってその本をコンピューターに入力しているらしい。気が散ると一からやり直し)の二つの時空間をパラレルに描きながら、不条理(というより必然的?)な刺殺事件に至るまでの「物語」が描かれる。

 真ん中に舞台があり、その両サイドに客席。舞台四隅にバスケットボードがあり、客席と舞台を隔てるキャスター付き防護金網が数組。今回は「突然ダンス」ならぬ「突然バスケット」。シーンの合間に役者たちのスピーディーなミニバスケット。
 二つの空間を役者が役を変えて共有するという構成は高井浩子の得意技。
 島野温枝が大胆な水着姿に。彼女の使う方言は下北弁のように聞こえるが、さて……。

 1700終演。帰社し1930まで仕事。同窓会幹事会ににも出られず、新宿で開催された非戦を選ぶ演劇人の会にも行かれず。結局、二兎を追うものは……。
 永井愛さんの憲法9条を題材にしたリーディングを聴きたかったのだが……。J社タレントが混じるとNGになるのはツライところ。今回は?
6月29日(金)雨

 夏日になったり肌寒い雨になったり、気温差が激しいためか、風邪気味。早めに帰宅してのんびり養生。

6月28日(木)晴れ

 1620、K記念病院。久しぶりの鍼。
 秋葉原から信濃町。文学座近くの定食屋でさんま定食。奥まったところになるシャレた喫茶店で1時間時間つぶし。躰道会報のコンテンツを考えてみる。

 1900〜2045、文学座アトリエの会「数字で書かれた物語」、別役実の旧作。サブタイトルが”死なう團顛末記”。「餓死殉教の行」と大書された額のもとにあつまった七人の男女。死ぬことを目的として籠城したかれら は、そのための時間を七人で過ごさなければならない。小さな話はやがて大きくなり、ただの遊びは命がけになって………。「一、二、三、四、五、六、七、 八、九、十………」無限に数字を数え、はっきりしないまま目的へとむかう……(劇団HP)

 1927年、江川桜堂を盟主に創立されたカルト教団「日蓮会」。「不惜身命(ふしゃくしんみょう―身命を惜しまず)」の理念は国家の妨害にあい、やがて、「我が祖国の為めに、死なう 我が主義の為めに、死なう 我が宗教の為めに、死なう 我が盟主の為めに、死なう 我が同志の為めに、死なう」という死を目的とした宗教活動に変質していく。別役実の戯曲はこの死なう団事件の軌跡を丹念に織り込みながら、男女7人の不条理な会話や行動を描いていく。

 

6月27日(水)晴れ

 0730起床。
 お昼、家人とOPAに買い物へ。帰宅後、睡魔に襲われ小一時間午睡。夕刻、目が覚めるも、なんだか体がだるく、またベッドでうつらうつら。ノドの炎症からくる微熱が原因か。

6月26日(火)晴れ時々雨

 0620出社。それでもすでに4人の同僚が先着して仕事に専念。敵わんな〜。

 イラク特措法、教育関連3法案が参院委員会で強行採決された先週火曜日(19日)、テレビ中継に映らない、委員会の「裏」で事件が起きていたという。
 野党議員数人が「外交防衛委員会」「文教科学委員会」の2カ所で不審な行動をしていた男を取り囲んだのだ。

 その現場に居合わせた民主党の高橋千秋参院議員によれば、こうだ。
「委員長席に民主党などの議員が駆け寄り、混乱していた。ところが、別の場所で同僚議員の芝博一さんが誰やら見たことのない人を捕まえて叫んでいます。私は『トノ、殿中でござる』みたいな感じで走りました。その人は、委員長席のすぐ後ろで自民党議員に『立て』『座れ』などの指示をし、委員長のマイク音量を(ヤジでかき消されないように)大きくしたりもしていたのです」

 野党議員が怪しげな男に詰め寄り、「名を名乗れ」「何をしていた」と押し問答。男は渋々、「自民党職員の○○だ」と名乗ったという。
 参院広報課は、「採決を妨害するような行為は別だが、党職員の入室はとくに規制していない」と言うが、議員でもない人が勝手に委員会室に入り、議員に指示や命令をしていいのか。

「党の職員が議事進行するなら、国会議員はいらない。その職員は、『行き過ぎた行為でした』と一応は謝ったが、問題は自民党議員。職員の指令通りに動いて重要法案を決めてしまうとは、あまりに情けない」(高橋議員)
 自民党職員が国会議員を仕切り、採決の可否を「指導」する。不思議な不思議な日本の国会。


 1700、三軒茶屋へ。
 まずは「はとぽっぽ」でさんま定食。キャロットタワーの二階本屋で「まんだらけZENBU」(1500円)。オークションに出品中のマンガ、貸本、原画、プラモなどのカタログ。昔の漫画雑誌の表紙など、眺めているだけで楽しい。しかし、昔の漫画雑誌が数万から百万近い値段!

 引っ越ししなかったら漫画雑誌やプラモ、学習雑誌など保管しただろうな。惜しい。

 子供の頃は貸本屋があったが、大人向けの劇画が多かったから借りに行ったことはほとんどなかったと思う。従姉の家に遊びに行くと、貸本漫画がいっぱい置いてあったので嬉しかったっけ。

「少年ブック」、「日の丸」(版元は集英社!)、「少年画報」「少年」「ぼくら」「漫画王」「冒険王」。よく読んでいた漫画雑誌。「漫画は悪」というのが当時の大人たち一般の考え。明治生まれの祖父母もそうだったから、漫画なんてそう簡単には買ってもらえなかった。買うときも、隣町の本屋に行くのだが、隣町まで約5`。バスなど使わず歩いたものだ。その道路ももうじき消える。すべては記憶の中の風景になってしまう。

 1900〜2200、世田谷パブリックシアターで野村萬斎と白石加代子の「国盗人」。シェイクスピアの「リチャード三世」を翻案し、狂言の手法で描いたもの。

 3時間の長丁場、シェイクスピアものは長いし重いし……と見る前は気が重かったが、幕が上がるとどっこい、野村萬斎の演出はテンポよくメリハリがあり、しかも「笑える」。時間はアッという間に過ぎる。

 残忍で血にまみれた「リチャード三世」の世界をよくぞここまで解体し、「狂言」にしたものだ。自ら悪三郎(リチャード三世)に扮し、残忍狡猾ながら、喜劇性を持つキャラクターを絶妙に造形。白石加代子も4役に挑戦し、見事に演じ切る。文学座の今井朋彦の風格ある演技はため息がでるほど。西欧風・和風・中国風を兼ね備えた独自の美意識で彩られたコシノジュンコの衣装も目を見張る素晴らしさ。悪三郎の「影」を演じるのは元「水と油」の「じゅんじゅん」。これまたすごい動き。

 休憩20分を挟んで3時間だが、体感時間は2時間。それだけ面白い舞台だったということか。
 前の席のU本さんと開演前におしゃべり。田中未知さんの本のことなど。

 2330帰宅。
6月25日(月)晴れ


 0515、娘と二人で駅まで。娘は今日から学校の教育研修で北海道に1週間旅行。バスで羽田に向う娘を見送って会社に。1週間も離れて暮らすのは初めてのこと。子離れできない父親はちょっぴり淋しさが……。

 午後、仕事を切り上げ、原宿・I病院へ。この前の人間ドックで「定期的に検査しておいたほうがいい」と言われたため。1400、受付。外の喫茶店で時間つぶし。1620、診察。問題はないとのことだが、念のため来週生体検査を。1800帰宅。マンションの自転車置き場に放置していたマウンテンバイクをリサイクルショップに持っていく。豚児が欲しいというので買った自転車。4万円近い値段だったのに、たった3カ月でそのまま放置。中学ではもうマウンテンバイクには乗らないのだ。置き場の料金がかさむだけでもったいない。7月から料金改定があるので、二束三文でも引き取ってもらったほうがいいや、などと考えたのだが、まさに二束三文。3カ月しか乗らない新品同様の自転車が500円。確かにチェーンは錆びているし、全体に汚れ感はある。それにしても500円とは。


 給与振込日。住民税が大幅に上がるというので戦々恐々。ところがフタを開けたら……。なぜだ?
つり銭を多くもらった気分。と思ったらああ勘違い。

 北海道の娘とメールのやり取り。便利といえば便利な時代。

 青森にいる中学時代の同級生Gに電話。退院したと聞いたので、手紙でも……と思っていたが、なかなか書けない。電話のほうがいいか、と。声を聴くと、驚いた様子。もしかしたら2年ぶりか? 「今畑の草取りをしているところ」と。目の前に田舎の畑の風景が広がる。子供の頃は、リヤカーのに乗せられて、畑に行ったものだ。粉末ジュースを溶かした一升瓶を持って。大人はメロン炭酸ソーダを好んだが、小学低学年には粉末オレンジジュースがよかった。仕事の合間に飲むジュースのおいしかったこと。菜種の収穫時には子供も大事な戦力。シートの上で菜種の殻を踏み潰して菜種を取る。それをかますに詰める。一連の作業は小学生でも手伝いになったのだ。土の匂いと青葉の香り、山鳥の声……。あの懐かしい風景はどこへ……。

6月24日(日)晴れ時々雨

 0700起床。0900〜1200、躰道稽古。おととい、ストレッチで背中をひねったときに筋を痛めたため、背中の筋がまだパンパンに張っている。無理をしないよう、そろりそろりと稽古。
 稽古後は7月の合宿をテーマにミーティング。0200帰宅。雨に濡れたので風呂に入り、ラジオドラマを聞いているうちに睡魔に襲われ……。

 どうも、休みの日は気力が萎える。

 夜、高校時代の同窓生Tから電話。「今、油絵に凝ってるんだ。水彩は中学・高校で入選したことがあるんだけど、油絵は初めて。それが〇〇で入選しちゃってね」と。高校時代のマドンナMさんに昔の写真を借りて、それをモデルに描くのだとか。いまだに高校時代を引きずるのは……男特有のノスタルジー?女は常に前向きだろうに……。「今度3人で会おうよ」とT。ダシに使われるのもいいか。

 
6月23日(土)晴れ
 
 午後、会社を抜けて銀座で映画「ゾディアック」。2時間40分の長尺だが、見ごたえ十分。扱っているのが未解決事件だけに釈然としないままのエンディング。

1730、退社。

1800、渋谷。駅前の蕎麦屋で山菜うどん。HMVでCD物色。

1900、パルコ劇場で「サムシング・スイート」。作=中谷まゆみ、演出=板垣恭一コンビによる最新作。
 二人の女性の5年間の友情物語。

 明美はケーキ屋を開くのが夢、香織は作家になるのが夢。夏の花火大会の日のある交通事故が元で、香織一人は車椅子に。事故に責任を感じる明美は香織と同居している。明美の恋人と3人同居生活。香織は事故の体験をもとに出版した本が売れて作家の仲間入り。もっとも、今は鳴かず飛ばず。ある日、香織のファンだという青年が訪ねてきたことから、彼女たちの生活に大きな変化が……。

 女友達同士の「友情」とそれぞれの恋人との「四角関係」を軸に、事故の日から5年後の時効の日までを描いたドラマ。最近はやりの露悪的な人間関係ドラマを書こうとしたのか。後味のいい芝居ではない。パルコにしては後方客席がガラガラ。辺見えみり、星野真里コンビでは客を呼べない?
2100終演。

 それにしても、昔だったら「身もフタもない」話なのに。



6月22日(金)雨

 1500、K川清子さん来社。喫茶店でお茶。所属のT内のぞみが出演する8月公演の話。エネルギッシュな方!
1700帰宅。食後、ギターをポロンと。豚児が文具屋に行ってポインターを買ってくる。学校の先生が使う指示棒。子供の頃、自分も欲しかったっけ。今買うと1000円もしないんだよなぁ。

6月21日(木)晴れ

 旧友・S藤くんの夢を見ていた。白井晃が新作の舞台美術を案内してくれる夢も。


 1700、信濃町。文学座近くの定食屋でさんま定食820円。奥まったところにあるコーヒー屋さんでブレンド640円。
1900、文学座アトリエで文学座アトリエの会「犬が西向きゃ尾は東」。別役実130本目の作品。
満員御礼の客席は中高年がほとんど。隣席の七字さんに挨拶。話題は8月の「授業」のことなど。ちょうど、斜め前に中村まりこさん。父君の故・中村伸郎氏の演目だった。

 小林勝也、角野卓造、田村勝彦、吉野佳子、倉野章子のベテランの共演。倉野と角野夫婦共演は28年ぶりとか。若手の沢田冬樹がベテランに伍して味のある演技。中古の棺おけをリヤカーに乗せたホームレスたちの不条理な会話劇。現在を言い表すためか今風の語彙多数。ベテランの芝居をたっぷりと堪能。2040終演。2200帰宅。

6月20日(水)快晴

 休み。0730起床。いやな夢を見る。友人のEさんをバイクで送っていこうと、二人で車道に出たところにトラックが走ってくる。当然止まるだろうと思って、そのままトラックの方を見つめていたが、トラックは止まらず、そのまま突っ込んでくる。バンパーにぶつかり吹き飛ぶ二人。恐ろしい。夢の中ではどんな危機が迫ったとしても、どこかで回避するもの。それが、今回の夢は、まともにクルマにはねられるのだ。目の前にクルマが迫ったときの恐怖とぶつかった時のショック。「これで死んだ」と思った。イヤな夢を見た。

 1100、中学のテニス大会に豚児が出場するというので応援に。バスで10分の市営運動場。しかし、2回戦で敗退し、着いた時には試合終了。親に見られるのが恥ずかしい年頃。「早く帰って」といわれ早々に引き上げ。

 帰宅し、イモリの水槽洗い、雨ざらしにしていたマウンテンバイクの整備、クリーニング店への毛布出し、夕飯の買い物など、雑事で半日。

 小林毅の「靖国史観」(ちくま新書)が抜群に面白い。

 ちくま新書では高橋哲哉の「靖国問題」が靖国問題を語る上で欠かせないが、小林毅は挑発的に「”靖国問題”は近代人の視点からの哲学書であって、歴史観が欠如している」と書く。「大丈夫かな、この人」と思って読みすすめたら、これが実に面白い。

 極論すれば、「明治維新そのものを疑え」ということ。

 そのために、「国体」「維新」「英霊」という3つのキーワードを掲げ、それぞれのルーツをたどることによって、「靖国神社」が江戸末期の水戸派による国家的トリックであることを証明する。
 極言すれば、本書は明治「維新」によってつくられた近代日本そのものを否定しようとする試みなのだ。
 靖国に祭られている「英霊」とは誰のことか? 誰もが疑わない「国家のための受難者」という常識に対する素朴な疑問から、靖国の源流をたどっていくと、そこに見えてくるのは、内戦の勝者である薩長の立場から近代をとらえた薩長史観ともいうべきものにぶち当たる。その薩長史観の源流は何か。儒教、漢学、朱子学、水戸陽明学などを読み解き、それに迫っていく鮮やかな手腕。

 その結果、「明治維新」そのものが、偏狭なテロリストのイデオロギーではないかという小林史観は司馬遼太郎はじめ左右を問わず多くの人が受容してきた「明治維新」史観を粉砕する。
 
詳しくは本書に譲るとしても、後書きでその片鱗を。

「一人の日本国民として、個人的感情、怨念からこの施設への参拝はできない」
(なぜならば)
「ある人たちが東京裁判を認めないのと同様、(私は)慶喜追討を決めた小御所会議の正統性を認めないからである」

 これは著者一流のレトリックによる「参拝問題」への答えだが、「明治維新」そのものへの疑義を前面に打ち出した「反靖国論」は画期的といえるだろう。

 この本を読むと、今も明治以来連綿と続くこの国の「薩長支配」の闇が見えてくる。小泉純一郎(薩摩系)、安倍晋三(長州系)が目指す、天皇元首の新憲法=「王政復古」の意味も。そして、薩長の系譜から外れる田中角栄、小沢一郎ら朝敵藩出身の首相、実力者の追い落とし、追放の意味も……。

 いや、それにしても、「東京裁判に疑義を唱える人たちは明治維新にも疑義を唱えるべきだ」という胸のすく挑発に拍手。
「長州藩は京都御所に向って発砲したことを謝罪したか」「薩摩藩は江戸市中に放火したことを謝罪したか」「テロとの戦いを標榜する平成の首相は吉田松陰を頌える前に板橋駅前にある近藤勇の鎮魂碑の前で頭をたれるべきであろう。彼はテロリストを取り締まった特殊警察部隊の司令官だったのだ」

 こうした諧謔に「靖国派」はどうこたえるのか……。

 明治維新を相対化した小林毅、62年生まれの45歳。なかなか面白い学者だ


6月19日(火)晴れ

 父と母の夢を見ていた。夏、田舎の家に帰省している。二人ともいつもと変わらないもてなし。しかし、去年の夏に植えた楓の苗木はすっかり枯れている。ずっと気になっていたのだ。東京に戻る日がくる。ふと、そうだった、二人とももうこの世にはいないのだ。これは夢なのだと気づく。突然いいしれない悲しみが湧き起こる。その瞬間、目が覚める。枕もとの時計を見ると午前3時半。いつもより一時間早く寝たのできっちり一時間早く目が覚めたわけだ。体内時計の正確さよ。再び眠りに落ちていつも通り5時に起床。夢の遠因は察しがつく。昨日、家人となにげなく「浅茅が宿」の話をしていたからだろう。自分を待つ「故郷の廃屋」の様子がふと頭をよぎったのだ。

 1530、会議室で委員会。雑談でF氏の退社のことなど。

 1800、秋葉原。書泉で「団塊パンチ」第五号(1200円+税)。小悪魔・加賀まりこの表紙に魅せられて。
「幻妖 山田風太郎 全仕事」(一迅社 1800円+税)も。忍法帖もの、明治ものを中心にビジュアライズ。全作品のキャラクター、作品解説。こうしてみると「捨て作品」は一本もない。あらためて風太郎の天才ぶりを確認。手塚治虫と山田風太郎。戦後日本の二大天才。限りない生への讃歌の裏に潜む深いペシミズム、戦争体験と医学生という共通項。

1900〜2120、ベニサン・ピットで演劇企画集団THE・ガジラ「かげろふ人」。龍馬暗殺を請け負った闇の男たちの決行までの暗闘・内ゲバ劇。同じ題材は過去に何度か上演しているが、今回はリアリズムに重点が置かれているようで、客席に向ってやや八百屋になった舞台(木の床)の上で息詰まる争闘劇が展開する。ろうそくの炎がゆらめく中、登場する男たち。闇の請負人のリーダー若松武史、幹部・千葉哲也、エゾと呼ばれる男・塩野谷正幸、百姓上がりの下郎・河野洋一郎、元締・大久保鷹、龍馬の気に入りの女郎・西山水木。
 しわぶきひとつするのさえはばかれるような緊迫した舞台。疑心、駆け引き、内ゲバ、裏切り……。嘔吐と血しぶき。血ノリの量もハンパじゃない。
 いずれもが一騎当千の役者たち。その芝居を見るだけでも至福。身じろぎもできない2時間20分の濃密な時間。
 

 ガジラ旗揚げ20周年。そのうちの18年を見ていることになる。綿貫さんに挨拶して家路に。

 2300帰宅。
6月18日(月)晴れ

 睡眠時間たっぷり……とはいうものの、いつものペースと違うためか、仕事中に睡魔に襲われ難儀する。

 1800帰宅。

 保守政治というのはどんな苦境に立たされてもそれをプラスに転化する底力を持っている。というか、権力者の持つ権力がいかに強大かということ。

 年金問題で圧倒的な不利に立たされても、当時の厚相・菅直人に責任転嫁するのは見え見えのマンガではあるが、年金問題を逆手に、一気に自民党懸案の「国民総背番号制」に持っていこうと画策するのだから、これには恐れ入る。

 報道によれば、「政府は年金保険料の納付記録漏れ問題への対策として、年金の加入記録を住民基本台帳ネットワークと連携させることによって、住所を移転した人たちの年金記録を照合できるようにする方針を固めた。19日に閣議決定する予定の経済財政運営の基本方針「骨太の方針2007」に盛り込む。また年金、医療、介護の各制度にまたがって国民1人に一つの番号を割り振る社会保障番号を導入した上で、各制度を総合的に利用できるITカードにして国民に配布する方針」

 いやあ、転んでもただで起きないというか、権力の狡猾さを見事に体現している。「国民総背番号制」じゃないか。

 こうなると、年金問題というのは、国民葬背番号制への布石の一つだったのではという穿った見方もしたくなる。わざと失点し、それを制度の不備のせいにして、なおかつ、牽強付会、自分の都合のいいように制度を改変する。年金問題を利用して国民総背番号制という最終目的を達成する。自民党に切れ者がいる、というよりも、やはり権力だからこそできる詐欺商法と考えたほうがいい。すぐにバレるウソなのだから。

6月17日(日)快晴

 0800起床。朝食もそこそこに電車で入間市へ。片道1時間ちょっと。駅から武道場まで歩くと30分。足の指に負担をかけないようにタクシーで。840円。

 0800到着。躰道埼玉優勝大会。昨年よりも参加選手が少ないとのこと。大学躰道部の入部者が減っているのが原因。知名度がないことがすべての敗因。

 0930、予選スタート。新人、級位、一般、団体実戦など。人数のせいか、昨年よりも試合のスピードが早い。予定よりも早く、1050からは壮年法形。トーナメントの初戦はT橋五段と対戦。色帯と高段者。試合結果はハナからわかっているが全力を尽くす。
 判定は2−1。おお、それでも審判の一人が旗を揚げてくれた。これは思ってもみなかった。負けても悔いなし。T橋先生、心なしか顔がひきつって……。

 1230まで予選。大会本戦は1330から。正面に張られた日の丸と、開会式の君が代。……こればかりは……。法律で決められてからはどのスポーツセレモニーでも歌うことが強制される君が代。サッカーのテレビ中継がそれに拍車をかけたのだろう。衆人環視の中、口を閉ざして歌わないのは勇気がいる。

 1600、時間通り終了。最後の男子団体実戦でH田先生の華麗な技が観衆を魅了。敵方も思わずほーっとうなった大技。辛口のK藤審判委員長も「あれは素晴らしい技だった」と手放しでほめるほど。残念ながらカメラのファインダーで追っていたので見逃してしまったが、前宙から相手を蹴りにいく大技らしく、ほとんどの選手が初めて見た技のよう。

 閉会式を終えた後、H先生に送られて入間駅へ。そこから電車で家へ。1830帰宅。ここ数日の睡眠不足と疲労でボロボロ。0930、早々と就寝。寝入りばな、子供たちが乱入。「父の日のプレゼント」。

 二階堂黎人「僕らが愛した手塚治虫」。ファンクラブの会長も務めたという作家の二階堂氏の手塚漫画へのオマージュ。手塚治虫漫画を媒介にした自分史ともいえる。しかし……ファンというものの業を見る思い。単行本に収録した際の削除コマや追加コマなど、手塚治虫の編集好き古い蔵書から証明してみたり、「自分の知る手塚マンガ」の秘密を得々と語る。確かに愛情あふれる手塚讃歌。しかし、ウーン、なんだかなぁ。傍から見ると、いわば「オタク」。あまり読んでいて気持ちのいいものではない。私自分も寺山修司に関して、こんな「オタク」なことをやってるのかもしれないと思うと、落込んでしまう。傍が「引く」よなぁ……。
 



6月16日(土)晴れ

 0630出社。
 1400、新宿。紀伊國屋ホールで青年座「悔しい女」。土田英生が01年に青年座に書き下ろした作品。初演は高畑淳子が主演だったが、テレビのバラエティーでブレイクしたためか多忙のようで、今回は那須佐代子の主演で再演。

 とある田舎町の小さな喫茶店が舞台。新幹線を降りて3時間のところにあるという辺鄙な町。近くにはエネルギー研究所、通称エネ研があり、施設で働く転勤族も多いらしい。暇を持て余す主婦2人も常連客。
 その喫茶店の常連で、インターネットで絵本を販売している癒しの絵本作家・高田(小林正寛)のもとに美人で明るい優子(那須佐代子)が嫁いでくる。彼の絵本のファンという優子。高田が2度目、優子が4度目の結婚。店のマスターと常連客の手作り結婚披露パーティーが開かれ、二人の結婚生活は順調に滑り出す。しかし、優子の突出した「個性的な性格」は夫や喫茶店に集う人たちを巻き込み、その波紋を広げていく。

 初演で高畑淳子にあて書きしたという脚本。バラエティー番組で「ヘンなキャラクター」を見せる高畑淳子を下敷きに、かなり浮世離れした性格の女性が描かれていた。常識との微妙なズレ。何に関してもとことん突き詰めていってしまうタイプの女性。みんなが冗談のひとつとして話題にしていた「震えゼミ」を真剣に探しに行ったり、夫と喫茶店のバイト主婦の何気ない会話から不倫を疑うのもその性格の表れ。フツウに見えるけど、どこか予想できない行動をとってしまう女性。その性格が周囲に微妙な波紋を投げかけ、戸惑わせる。
 初演はこの優子と夫、喫茶店の常連客との間に巻き起こる人間関係のほころびに焦点が絞られていたと思ったが、今回はこの喫茶店がある町を取り巻く状況も物語の重要な背景としてほのめかされる。
 たとえば、エネ研。何をしている施設なのか正体不明。「実態を知っているのは町で3人だけ」の施設。その中には動物園もあり、地域のためにに開放している。その動物園では「鼻が二本ある象が生まれた」と笑いながら噂する主婦たち。エネ研の近くの峠では「震えゼミ」なるナゾのセミが生息しているという伝説も。そして、その後、「震えゼミ」は実際に発見されるのだ。

 共同体に適合できない優子の難儀な性格を物語の中心に据えて、笑いに継ぐ笑いの舞台になっているが、あたかも森の中で孤立したかのような喫茶店の中で起こる人々の右往左往は「不安の心象」。水没した日本を背景にした「橋を渡ったら泣け」もそうだが、土田英生の物語には、終末観が仄見える。世界がすでに終わりを告げているのに、日常の中で右往左往している人々。その笑いの裏にある閉塞した状況での無常感。

 残念だったのは、小さな子供2人を連れてきている若いお母さんがいて、上演中に何度も子供がぐずったため一幕目の舞台に集中できなかったこと。休憩時間に劇団が子供たちのお守りをしていたようだが、デリケートな会話劇だけに、気が散っては面白さ半減。

 休憩挟んで2時間20分。
 水谷内さんと先日の「なつみさん追悼会」の立話。

1640、帰社し後片付け。
1830、西新宿。
1930、芸能花伝舎でルームルーデンス「オーケストラ版 サロメ」。
 元淀橋第三小学校を新宿区より芸団協が借り受け運用している芸能文化拠点「芸能花伝舎」。体育館を利用した舞台のため、今回のようにパイプ椅子を並べての客席は後方席がかなり見づらいのが難点。
 主宰の田辺久弥は万有引力出身。音楽や照明の使い方はシーザー譲りか。逆光の中、演者が登場する場面はまるで、「奴婢訓」の奴婢登場シーン。光と闇の使い方がうまい。天井から舞い降りるビニール袋と粉雪のオブジェ、サロメに巻きつく白いロープ、天井桟敷直伝の黒い箱を使ったサロメの舞のスペクタクル。
 ヘロディア役は黒木美奈子。漠然とサロメ役かと思っていたが、そうだよなぁ世代的にもはや母親役なんだよなぁ……。気品のある女王。

  思わぬ収穫はサロメ役の柿澤亜友美(劇団HPに写真あり)。
 登場した瞬間、雷鳴に打たれたように魅了されてしまう。実にキュートな容姿。エロティックなサロメの踊りも見事。声がまたいい。はつらつとした演技で舞台度胸も満点。20歳、これからが楽しみな逸材。ハマっ子で、高校時代にルーデンスのエデュケーションプログラムで参加したとか。
 1時間45分。
 終演後、田辺、黒木さんと立話。飲み会に誘われるも涙を飲んで家路に。

 ウーン、しかし、サロメの抱える首が「キャベツ」というのが実に面白い。キャベツに口付けをし、むしゃぶりつくサロメのエロチシズムに陶然。


 2300帰宅。
6月15日(金)晴れ

 朝のうち雨模様だったのに、すぐにピーカン照りの夏模様。梅雨はどこへ。

 47年前のこの日、日米安保条約改定に反対するデモ隊の一人として国会に突入した東大生・樺美智子さんが国会構内で殺された。

 以下は、高橋和巳編「明日への葬列」より引用。

 地検発表では「人なだれによる圧死」であるが、司法解剖した慶応義塾大学校医学教室・中舘久平教授によれば、「多数の皮下出血があるが、所見に致命傷は見られない。……以上から、窒息死、それも右手による扼死が最も考えられる」としている。故意の扼殺が疑われたわけだ。

 しかし、この中舘教授の死因鑑定書はなぜか公表されず、新聞に発表されたものは「窒息死で、胸腹部の圧迫により起されたものと推定される」とされた。「鼻口部が閉塞された疑いもある。また頭部(首)に扼痕があり、頭部圧迫による窒息死も考えられるが、扼痕の程度から、これにより窒息死を招いたとは考えられない」というのだ。

 これに対し、地検は東大・上野正吉教授に再鑑定を依頼し、「体幹部、特に胸部圧迫によって起こった窒息死」とした。この鑑定が地検の有力な論拠となり、樺美智子の死は「人なだれ」による「圧死」とつながっていく。この発表を受け、6月21日、井野舘哉法相は閣議で「樺美智子は警官が殺したものではない」と報告した。

 だがしかし、その後、新聞記者やカメラマンの撮ったフィルムの中から樺美智子が写った写真が発見された。目撃者も出て来た。それからわかったことは、樺美智子は地検発表による「旧議面東北角付近から植え込みにおよぶいずれかの地点」ではなく、空地後方にあった7d車の右前輪近くの車の下に倒れていたのだった。その写真に写った樺美智子の周囲にはあきらかに学生とは風体の違う男たちが数人いたという。

 樺美智子は当時、東大文学部国史学科4年。全学連主流派といわれたブントの活動家であった。
 朝8時頃、彼女は母に「ゼミに出かける」と言って家を出る。このとき、すでに国会に入るのだと決意していたのだろう。

 午後1時半に東大を出発し、国会に向かう。
 3時頃国会正門前に到着。雨が降り始める。その雨の中を、京大・北小路全学連中執が「国会の周りを歩くだけではだめだ。国会の構内で集会を開き、国民の目を安保と国会に向けよう」と叫んでいる。

 4時半、東大本郷が先頭となってスクラムを組む。
「隊列を組み直せ!女子は危ないから抜けろ!」
 文学部委員長が叫ぶ。

スラックスをはいた樺美智子を含む女子3人だけが先頭の文学部隊列に入り、残りは後方に回る。樺美智子が入ったのは先頭から12、13列目。
 先頭の東大とラストの早大とがつながったまま国会を二周する。しかし、国会への入り口は見つからない。

 そのとき、宣伝カーが「文化人および法政大学の学友に右翼が殴りこみをかけ、重軽傷者が多数出た。しかも、警官はこれを傍観していた」と発表。
 午後6時、怒りにかられた明大、中大、東大が18列にスクラムを組み、南通用門に体当たり。手やペンチで針金をほどきにかかる。

 トラックに乗った背広姿の男が学生たちを挑発する。そのとき、火のついた紙を車の中に投げ込んだ者がいた。学生ではない。
 2台のトラックの斜め後方にいた放水車が前進して放水。学生からも投石が始まる。

 午後7時、道をふさいでいたトラックが引き出され、その隙間から学生たちが構内に入り始める。
 もっとも入りやすい位置に居た東大生が先頭となる。
 おそらく樺美智子もこの先頭集団にいたのだろう。
 このとき、構内に入った学生はわずか700人。国会を十重二十重に取り囲んでいたデモ隊は後続できなかった。

 学生が構内に入ったとき、警官隊は後方に下がる。自然と学生たちは袋のネズミ状態となる。
 7時05分、白い警棒が振られる。
「かかれ!」の叫び声。警官隊が「この野郎!」「叩き殺せ」と罵声を浴びせ、警棒を振り上げて学生に殺到する。

 この様子を裁判の証人として出廷した機動隊隊長らはこう証言する。

証人「警棒抜けと大隊長の声が3bくらいの場所から聞こえた」
弁護人「大隊長の姿は見えたのか」
証人「当時の状況からして大隊長の命令と信じておるんですが……」
証人「警棒外せと命令しました。右の部隊はすでに外していましたから。仕方ないと思いましたので」
証人「増援隊が学生を押し返したとき、後方から”警棒”警棒”という声を聞いた。そのとき「外せと命じた。混乱していて前後の部隊はわからなかった」
弁護人「中隊長としての指揮が十分にとれなかったのか」
被告「はい」
弁護人「全然、掌握できない状態だったのか」
証人「はい」
被告「あなたの隊と学生との間には二重の阻止線があったわけでしょう。学生と直接接触するはずないのに、旗ざおで殴られたから警棒をふるったと報告があったり、部隊がひどく混乱したのはなぜですか」
証人「わたしもわかりません」

 現場で指揮をする機動隊隊長でさえも混乱して把握できなかったというメチャクチャな状況で、警官隊が学生たちに襲い掛かった。

 倒れた学生を固い靴で思い切り蹴飛ばす。無防備な学生たちの頭に力任せに警棒を振り下ろす。頭を割られ、口から血を吐き、血と泥に染まるシャツ。
 そのとき、樺美智子はどこにいたか。

 右でスクラムを組んでいた学友の一人は押し戻された瞬間から彼女を見失う。自ら列の外にはじき出されるが、もみあう群衆におされることはあっても倒れることはなかったという。押し戻される過程で、学友のI氏が旧議面玄関の少し手前で右方向に彼女を見たのが最後の目撃とされている。
 しかし、I氏は樺美智子のすぐ近くにいたにもかかわらず、圧迫から来る重傷を負っていない。

 その10〜15分後に、樺美智子は瀕死の状態で発見されるのだ。そして、救急車で警察病院に向かう途中で息を引きとる。

 「人なだれ」による圧死という当局の発表に対し、いくつもの疑問が提起された。

 1、先頭にいた彼女が警官に接触しないはずがない。2、人なだれというが、ほかに圧死者、重傷者はいない。3、遺留品の定期入れがまったく汚れていない。学生が出入りする通路に落ちていたのなら、踏みつけにされ、汚れているはず。

 その後、構外へ出されたデモ隊は疲れ果て、再突入の力はなかった。ただ国会を取り囲むのみだった。
 ところが16日末明、機動隊は催涙弾を発射し、警棒を持って学生に襲いかかった。このときの様子が、「警官隊による不当暴力です」という島アナウンサーの実況になる。

 この60年安保時の首相が安倍晋三の祖父・岸信介。警察と右翼の支援団体だけではデモ隊を抑えられないと判断し、児玉誉士夫に依頼し、錦政会会長・稲川角二、住吉会会長・磧上義光、テキヤ大連合のリーダー尾津喜之助ら右翼・博徒を暴力装置として「雇い入れ」、デモ隊と対峙させたのは周知の事実。一説には8億円もの資金提供がなされたという。

「今革命を行なうなどというのではないが、明日は行く。働く人たちが本気にさえなれば何でもできるのだと悟ってもらいたいから。私だけがデモに行かねば安心なの? お母さんも理想を持って生きて!」
 死の前夜、母親と交わした樺美智子の会話である。


 権力と対峙した無告の民の死には常に疑惑がつきまとう。

 77年、成田空港建設反対闘争で頭部に機動隊の新型ガス銃の直撃を受けて死亡したノンセクトの支援家・東山薫さんの死因も、国の居直りにより、反対派の投石によるものとされ、長い裁判が闘われた。民事では最高裁でガス銃によるものと確定させた。両親はルーテル教会の敬虔な信者。上の兄が小児マヒだったため、子供の頃から弱者に対しては人一倍優しかったという。

 樺美智子の死が「圧死」だったのか、それとも「腹を突かれ、首に手をかけて扼殺された」ものか、今となっては闇の中だ。

 樺美智子の遺稿「人知れず微笑まん」

誰かが私を笑っている
向こうでもこっちでも
私をあざ笑っている
でもかまわない
私は自分の道を行く
笑っている連中もやはり
各々の道を行くだろう
よく言うじゃないか
「最後に笑うものが最もよく笑うものだ」と
でも私は
いつまでも笑わないだろう
いつまでも笑えないだろう
それでもいいのだ
ただ許されるものなら
最後に
人知れず微笑みたいものだ


 1900、新宿。南口の紀伊國屋で清原なつの「アレックス・タイムトラベル」(早川書房)、二階堂黎人「僕らが愛した手塚治虫」(小学館)。紀伊國屋サザンシアターで劇団1980「下弦の夏」。身寄りのない老人ホーム。一人の老人の死をきっかけに、62年前の夏がよみがえる。戦争を「なかったもの」にする戦後生まれの人々が増殖している今、「戦後」は終わったのかを問いかける。テーマの重さのためか、観客動員は厳しい。終演後、柴田氏と立話。「ブラジル公演にぜひ来てください」と。行きたいのは山々だが……。
6月14日(木)曇りのち雨

 梅雨入り。

1400、南河内万歳一座の内藤氏と制作の奈良さん来社。7月公演「滅裂博士」の情宣。近所の喫茶店でコーヒー。芝居の話から、最後は釣りの話に。「いつか、大間でまぐろ船に乗りたいよね〜」と目を輝かせる釣りバカの内藤氏。

1600、有楽町。映画「300」。CGがここまできたのかという驚くべき映像美。しかし、首が飛び、血がほとばしるのに、痛みを感じることのできない戦史映画。まるでビデオクリップを見ているような。


 1930、赤坂。REDシアターで五十嵐はるみのライブ。主催のJクリップ・上谷さんと立話。芝居だけでなく、音楽のライブも企画していきたいとのこと。五十嵐はるみはお気に入りのジャズシンガー。雨で開演が10分押し。2130まで。息の合ったユニット「ブルースエンジェルス」を従えての熱いライブ。想像したようなクール・ビューティとは違っていかにも大阪人らしいくだけたキャラクターなので、その意外性にびっくり。帰りにCDを買ってサインして貰う。

2300帰宅。どんなにライブがよくても家路が遠くては楽しさ半減。





 12日、国会で取り上げられた「厚生年金記録回顧録」(1986年刊)という本。これには仰天してしまうようなことが堂々と書かれている。

 年金局年金課長だった花澤武夫なる役人が年金制度ができた経緯、背景を語っているのだが、例えばこんな記述。

「この膨大な(年金)資金をどうするか。これをいちばん考えましたね。何十兆円もあるから、一流の銀行だってかなわない。これを厚生年金保険基金とか財団とか言うものをつくって、その理事長というのは、日銀総裁くらいの力がある。そうすると、厚生省の連中がOBになったときの勤め口に困らない。何千人だって大丈夫だ。これは必ず厚生大臣が握るようにしなくてはいけない」

 おいおい、最初から天下り目当てだったのかよ。
 花澤氏はこうも言う。
年金を払うのは先のことだから、今のうちにどんどん使ってしまっても構わない。使ってしまったら先行き困るのではないかという声もあったけれど、そんなことは問題ではない。貨幣価値が変わるから」
 あきれ返って声も出ない。国民が払った年金資金を自分の貯金だと思っている。

 役人たちがさんざん食い物にした年金。最初から国民のために払う気はなかったのだ。データ記載漏れのいい加減さは確信犯としか思えない。これでも国民はまだ羊のようにおとなしくしているのだろうか。
6月13日(水)晴れ

 休日。ノドに違和感があるのはやはり風邪なのか。

 夕方、録画しておいたNHKアーカイブス「今朝の秋」を見る。1987年放送の山田太一ドラマ。笠智衆、杉村春子、加藤嘉、杉浦直樹、倍賞美津子ら演技派の共演。余命3カ月を宣告された夫。すでに離婚の手はずを整えていた妻は最期まで看取ることを決意する。蓼科に住む老父、30年前に別れた母が病院に駆けつける。男と妻、2人の肉親の葛藤……。

 セリフを部分的に記憶しているので、確かに前に見たはずなのに、ほとんどおぼえていない。20年前はまだ30歳とちょっと。がんで逍遙と死にゆく53歳の男の気持ちなどわかろうはずがない。わかったつもりで見ていたはずだ。まだ父も母も元気な頃。自分の両親の死なども想像できなかったのだから。今見ると「死」と向き合う男の気持ちが少しは理解できる。ドラマはやはり年代によってだいぶ見方が変わる。それにしても、杉浦直樹の演技の見事さよ。そして笠智衆、杉村春子、加藤嘉。今は鬼籍に入った3人の演技の素晴らしさ。もう、このようなドラマはNHKでも作れないだろう。ティピカルな題材がなければ山田太一といえど書く場がない日本のテレビ界。あまりにも不毛な……。

 TBSアナウンサー林美雄さんが亡くなってもうじき5年目。彼が毎年、この時期になると深夜放送パックイン・ミュージックで流していたのが「60年安保前夜の記録」という実況中継。日米安保改定反対運動の最中、東大生・樺美智子さんが国会構内で警官隊に虐殺されたのが1960年6月15日。

「警官隊によっていま、首ったまをつかまれております。いま実況放送中でありますが警官隊が私の顔を殴りました。警官が激しく暴力をふるっています。お前何をしてるんだと言っています。これが現状であります。法律も秩序もありません、あるのは警官たちの憎しみのみ!」というラジオ関東(現ラジオ日本)・島碩弥(ひろみ)アナウンサーの叫びは、当時17歳だった林美雄が生涯貫いた「反権力」の原点だったのかもしれない。

 林さんにかわって、今年もその60年安保の実況を流したい。

6月12日(火)晴れ


 1800、下北沢。ヴィレッジヴァンガードをのぞいたあと、本多劇場へ。加藤健一事務所「モスクワからの退却」(作=ウィリアム・ニコルソン、訳=小田島恒志、演出= 鵜山仁) 。

 舞台はイギリス。生真面目で実直な教師のエドワード(加藤健一)は、ある日、長年連れ添った妻アリス(久野綾希子)に突然別れ話を切り出す。とまどい、悩み苦しむアリス。しかし、エドワードの決意は変わらない。彼には新しい恋人もいるという。息子ジェイミー(山本芳樹)は二人の間に挟まれ苦悩する……。

 こう書くと、どこにでもありがちな一組の夫婦の熟年離婚の話になるが、そんな単純な破局ものではない。妻は夫を深く愛し、夫もまた妻を理解しようと務めてきたのだが、「思い」だけでは結婚生活は続いていかない。冒頭の二人の会話がそれを象徴する。長い間、自分を妻に合わせて暮らしてきた夫と、夫が自分と正面から向かい合うことを望みながら、常にすれちがってきた二人。このあたりの二人の会話は絶妙。「そうそう、あるある……」と、つい、うなづいてしまう。英国人が書いたのではなく、日本人の小説家が書いたような、夫婦の機微が絶妙。

 二人の板ばさみにあう息子の気持ちもまた切ない。どちらが悪いわけではない、ただ、二人が出会ったことが間違いだったということを彼自身がよく理解できるのだから。

 「モスクワからの退却」とは、劇中で歴史好きの夫が読んでいるナポレオン遠征の悲劇の本。数十万人の兵士が帰還した時には数千人の生き残りしかいなかったというモスクワ遠征。夫婦もまた、引き返すことのできない深部まで進んだとき、悲劇は大きくなる。

 タイトルからは中身が想像できないし、シリアス劇という触れ込みが宣伝的に失敗だったか、客の入りはいまひとつ。設定はシリアスだが、二人の言葉のすれ違いはなんともおかしく、客席は爆笑につぐ爆笑。単なる「喜劇」より、よほど笑える。

 久野、加藤、山本の三人は自分のパートが終わっても舞台に残り、ほかの登場人物の会話を聞いているという「出ずっぱり」の演出。休憩15分を挟み、2時間20分。ストレートプレイは久しぶりの久野綾希子の演技が素晴らしい。こまやかな情感、夫婦の機微……アメリカ人の劇作家には書けない芝居。

 2230帰宅。

 6月11日(月)晴れ

 人との別れは突然やってくる。これまでいくつの別れを経験しただろうか。

 人と別るる一瞬の 思いつめたる風景は 松のこずえのてっぺんに 海一寸に青みたり 消なば消ぬべき一抹の 海の雲より洩るやらむ 焦点遠きわが耳は 人の嗚咽を空に聞く (佐藤春夫)


 去り行く、唯一の理解者(と、自分で思っている)。突然の衝撃に一日、仕事も手につかず呆然と。

 1630帰宅。

 HPの「今日は何の日」を更新するも、反映せず。ところが、IEで見ると「6月」に変わっている。ファイアーフォックスでは「5月」のまま。ブラウザによって、見え方が違うのはわかるが、更新内容が違うのはナゾ。ありえない?



6月10日(日)雨

 063起床。睡眠不足に酒が少し残っている。しかし、気を引き締め、躰道稽古へ。自分を誉めてあげたい。

0900〜1200、びっしり稽古。翌週が大会とあって、皆真剣。途中でT八段範士の講義。

1300、帰宅。途中、雨で電車が徐行運転。

夕方、2時間ほど仮眠。目が覚めた後、林美雄メモリアルクラブの会報を1号から最新号まで読み通す。

6月9日(土)曇り時々雨

 0630出社。

 1300、日本橋三越へ。どこを見回してもバブリーな雰囲気ぷんぷんの日本橋三越。どこのどなたがここで買い物をするのだろう。どの商品を見ても目の玉が飛び出そうな値札。庶民のデパートではないわな。

 三越劇場で加藤剛主演の俳優座公演「上意討ち 拝領妻始末」。

 原作は滝口康彦の小説「拝領妻始末」。小林正樹監督(脚本=橋本忍、主演=三船敏郎)で1967年に映画化された。この2作を基に金子良次が脚本・演出してもの。

 会津藩の剣の名手、笹原伊三郎(加藤)は、藩主の側室おいちの方(若井なおみ)を、嫡男・与五郎(頼三四郎)の妻に拝領せよと命じられる。かつて、いちは許婚がいたにもかかわらず、側室にされ、菊千代という男の子を産んだが、藩主は、新しい側室に入れあげ、おいちに飽きて暇を出したのだ。
 しかし、伊三郎は、おいちの「お下げ渡し」に難色を示す。

 無骨な剣術士でありながら、養子婿であるため、気の強い妻に頭を悩ませる伊三郎は与五郎には幸せな結婚をしてほしかったのだ。だが藩主の命令は家臣にとって絶対的なもの。断り続けた伊三郎だが、与五郎の決意で、おいちを拝領することになる。

 気の強い女だと思われたおいちは、意外にも心優しく、素直な娘だということがわかる。藩主に対する狼藉も、実はその裏に秘めた女心があった。

 こうして、夫婦となった二人は仲むつまじく、赤ん坊も授かり、幸せな生活を送っていた。気の強い姑も、子供が生まれるとすっかり孫可愛がりするおばあさまに……。
 ところが、藩主の嫡男が急死。おいちの生んだ菊千代が世継ぎとなったことから、生母であるおいちを再び藩主に返上せよとの命令が下る。

 あまりにも理不尽な仕打ち。伊三郎と与五郎は藩主への反逆を決意する。しかし、お家の断絶に恐怖する姑と義弟の画策が……。

 三越劇場公演ということで予断があった。商業演劇=大雑把、ぬるい、客へのおもねり……。その予断を覆す実に緻密な演出と演技。

 加藤剛+頼三四郎の「親子共演」も単なる話題作りではなく、息の合った俳優同士の真剣勝負。端正な演技は父親譲り。
 金子良次の演出も実に端正で緻密。時代考証にも心を砕いていることがよくわかる。

 ニ幕で、嫂(あによめ)に対し、義弟が「姉上、(別室にいないで)こちらに出ておいでなさい!」と迫るや、伊三郎は「無礼者! 笹原家の主たる兄の妻に向って差し出がましい言葉。自分を何だと心得ている!」と一喝する件など、封建社会の掟をきちんと描いている。お茶の間時代劇ならば、嫂と義弟が「じゃれあう」場面は普通かもしれないが、実際の武士社会では、長男が家の後継ぎ。弟は冷や飯食い。他家に養子にでも行かなければただのごくつぶしで終わってしまう。嫂に意見するなどもってのほかだったに違いない。

 姑もまた嫁に対し、いびり放題。それは現代のような陰険なイビリではなく、ごく当たり前の権利としての「嫁のしつけ」だったわけだ。いくら芝居とはいっても、美苗演じる姑・すがの憎々しげな演技には腹の底から怒りがわいてくる。なんだか、昔、テレビの悪役が私生活でも石を投げられたという「テレビ草創期」の視聴者の気持ちがわかるような……。

 物語の結末は小説や映画版とも異なり、意外な展開に。二幕目はもう滂沱の涙。
「お上、理不尽なり!」
 この伊三郎の最後の叫びが胸をつく。

 松岡農水相自殺で、「サムライだった」と石原慎太郎がコメントしたが、片腹痛い。サムライこそ、封建社会の奴隷。すべては藩のため、お家のため。そのためには自らの一命を捨てることをもいとわないのがサムライ。個人としての思考・判断は「利己的」あるいは「自分勝手」な態度であるとして、排除される。
 伊三郎が藩主から嫁を払い下げされることに抵抗しても、それを「殿様のお下げものだから、禄もきっと加増される。弟の養子先もいい家が見つかる」と、妻や親戚は説得す。断ると、「家のことを考えていない、親戚のことも考えろ!」となる。個人の考えは、「家」や「制度」によって疎まれるのだ。

 しかも、今度は「妻を返上しろ」と藩主に命令され、それを拒むとまた、「家」や「親戚」のために、藩主の命令を聞け、「聞かなければ、お前は自分勝手だ」となる。

 サムライが命よりも大切にしたのは「正義」や「尊厳」ではなく、あくまで「お家の体面」と組織への帰属意識だった。
 「水戸黄門」を見て、倫理と正義の時代だなどと勘違いしたらお笑いだ。

 サムライには嫁を選ぶ権利もなく、すべて「家の存続」の「家名」のためお膳立てされた縁組だった。つまり、江戸時代にに自由恋愛で結婚した武士は皆無だという。すべて「家」のための政略・計略的縁組。

 思えば。与五郎の弟・文蔵も哀れといえば哀れ。次男坊に生まれたばかりに、どこかに養子に入らなければ、一生浮かび上がれない。すべて長男至上主義の時代。

 もっとも、権力を世襲する「制度」は時代が変わっても、その根っこは同じ。
 武士社会においては、女は「家を存続させるための子供を産む道具」。女の個人的尊厳など、「制度」の前には無価値だった。

 「世襲を重んじる家」においては、現代でも同じことがいえる。「嫡男」を切望され続ける高貴なる一族。そこには女性の尊厳などあってないようなもの。

 話を戻すと、慎太郎の「サムライ発言」は別の見方をすれば、ごく真っ当な意見ともいえる。彼の言うサムライとは実は「組織の奴隷」。すべてを明らかにすることなく、自分の命をもって、組織の恥部を覆い隠したことは、まさしく「サムライの鑑」といえるからだ。

 だがしかし、「上意討ち」の伊三郎・与五郎親子の「反逆」にこそ、真のサムライ精神を見る人々もいるはず。

 「お上。理不尽なり!」

 太平の世では役に立たない剣術よりも処世術にたけた官僚たちが出世する。主人公の伊三郎・与五郎親子の憤死はその腐った武士社会への異議申し立てであり、武士を捨てた彼らこそが「真の武士」になったという逆説。

 それにしても、加藤剛はいい。昔出演していたテレビドラマ「三匹の侍」の鮮やかな剣さばきは健在。
 大詰めの立ち回りも迫力ある。

 俳優座の底力を見せた舞台。休憩25分を挟み2時間30分。

1600、いったん帰社し、朝日新聞1965年の縮刷版と首っ引き。

1730、荻窪へ。タウンセブンの屋上に行ってみる。17年前、ここに住んでいる頃、生まれたばかりの娘を連れてよく遊びに来たものだ。それ以来、初めて。当時の遊具がそのまま。17年前とまったく変わっていない。百貨店の屋上スペースは採算が合わないため閉鎖されるケースが多いが、ここは当時のまま。懐かしい光景。

 ついでに、自分が住んでいたビルへ。ここも変わったいない。向かいのラーメン屋「三ちゃん」もそのまま。線路を隔てた商店街も散策。なんと、昔のままのレコード屋。CDも少しは置いてあるが、中古レコードの店は健在。いまどき売れるのだろうかと思ってしまうが……。

 荻窪といえばラーメン。久しぶりに春木屋のラーメンを食す。やはり老舗の味。スープも程よい旨みとこく。一滴も残さず飲み干す。

 1830、阿佐ヶ谷。ザムザ阿佐ヶ谷で劇団A☆P☆B−TOKYOの「青ひげ公の城」。ザムザの喫茶で川上史津子と遭遇。昨日は180人も入れたとか。「さすが、寺山作品の人気はすごい」と。
 土曜日夜とあって、今日はそこそこの入り。当日・前売り・招待に関わらず、1列に並ばせるという受付の手際悪し。時間がかかりすぎ。

 舞台は、戯曲の構造がよく理解できるようなメリハリのある演出。それを彩る6人の花嫁が個性的。久々の斉藤レイとマメ山田の絡みのシーンが面白い。万有引力の井内俊一は根本豊のやった舞台監督役。アドリブがきく役者というのはそういないわけで、口跡もなめらか、柔軟性のある井内は根本の後継者として最適。コプラの役でもよかっただろうけど、舞監役は井内以外にできる人がいるか……。少女役はこもだまり。違和感なく溶け込んでいる。さすがは女優。

 「青ひげ」の中でもっとも官能的なのが第四の妻の舞踏シーン。高橋理通子という舞踏者がなかなか魅力的。それを統べるのがシーザーの曲。過去の未使用曲とかで、初めて聴く合唱曲が何曲か。

 2200終演。外で女優の阿部由輝子ちゃんと立話。ブログは覗いているが、会うのは久しぶり。初めて会ったのはずいぶん昔だと思ったが、相変わらずの美形。秋にグループ虎の新作に出演するとのこと。女優として、もっと活躍してほしいものだ。

 駅の近くの居酒屋でシーザー、小林拓、大島睦子、井内俊一と飲み会。明日は躰道稽古。大会前の最後の稽古だから休まず行かなくちゃ。電車があるうちに……と思っていたが、飲み始めたら、「ま、いいか。稽古もいいけど、シーザーたちとのお酒も楽しいし……」と久しぶりのタクシー帰りを覚悟。
 その通り、1200の閉店まで飲んでしまう。

 二次会に繰り出す井内、拓らと別れ、シーザーと新宿まで一緒。駅でこちらに会釈する二人連れ。第四の妻役の高橋さん、衣装係役の平澤さん。シーザーに挨拶したかったのだろうが、代わって、電車が来るまでしばしおしゃべり。北海道から来たとか。

 蕨駅で電車は終わり。タクシーに乗り換え。2530帰宅。飲みすぎて頭痛。
6月8日(金)晴れ

 新たにコンピューター入力していない1430万件の年金番号が出てきた社保庁。これじゃ、1年で年金番号を調査・照会することなど、地球が止まったって不可能。住所が変わった人を追跡調査するだけでも膨大な時間がかかる。

 その社保庁、歴代長官7人が天下りで9億3000万円の所得を得ていたという報道がされたが、それには天下り先で業績に応じて上乗せする「能力給」は含まれていない。社保庁からの退職金、今現在在職中の天下り先からの報酬も含まれていない。それを考えると、さらに膨れ上がる。少なく見積もっても退職後に2億円をポッポに入れてることになる。つまり、サラリーマンの生涯賃金分は稼いでいる計算になる。

 真面目に働いても給料が上がらない・少ないという「ワーキングプア」が日本でも問題になってるが、その人たちから見たら、何十回生まれ変わっても一生手にできないお金を、涼しい顔してふところに入れてることになる。バカバカしくって仕事ができるか、と思ったとしても当然だ。「不労所得」は返還してもらいたいものだ。


 その社保庁。国民の年金(厚生年金、国民年金)を管理・運用して作った、壮大な無駄遣い「グリーンピア」を二束三文で払い下げたのは周知の通りだが、一方で、共済年金(国家公務員の給料から天引き)は財務大臣の認可法人「国家公務員共済組合連合会」(KKR)によって運用されてきた。そのKKRによって全国の47の豪華宿泊施設、35ヵ所の病院が作られた。それなのに、グリーンピアと違ってバブルがはじけても一円の損失も出ていないという。なぜか。グリーンピアは「投資」だったが、共済年金の施設は「融資」の形をとったからだという。利息は入るは破綻してもカネは還ってくる。

 つまり、民間の金は、あわよくば儲かるようにと投資しながら、自分たちのカネ(社保庁職員は共済組合)は絶対に損しないように、慎重に運用していたということ。他人の財布のカネは遣い放題、自分の財布の紐は固く締めてるようなもの。まったく恐れ入った話。


 「コムスン」も同様。デタラメ経営で介護老人を食い物にした悪徳業者。介護点数を増やすために一人で9人の認知症老人全員のトイレの付き添いをしたように「夜間歩行介助」のウソ報告を書き込んだり、医者と計らって、軽い症状なのに認知症と認定したり、雇用していない幽霊ヘルパーを登録したり……。それで年間800億円のボロ儲け。介護保険料は年間4兆円。国民はその半分2兆円を介護保険料として徴収されている。国民の介護保険料がコムスンに流れたのだ。

 社保庁もコムスンも手口は同じ。要は、国がどでかい強制募金箱を作って、国民がその箱に税金やら介護保険料やら医療費やら、たっぷりと注ぎ込んだのを見計らって、ドロボーが横からその募金箱に手を突っ込んでカネを掠め取る。ほとんど詐欺同然。労せずして国民から集金できるんだからオイシイ話。ドロボーたちが山分けしてほくそえんでいるのに、人のいい国民はドロボーに追い銭、ドロボーに都合のいいような法律を次々と成立させているという構図。カネだけではなく、今度は命まで差し上げましょうというのが憲法9条改正。やってられないわな……。


 昼過ぎ、観世栄夫さん死去の報。大腸がんだったという。79歳。つい最近、交通事故で長年のマネジャーを亡くし、自身も重傷を負ったと報じられていた。死去はあまりにも突然。北村和夫、鈴木光枝、そして観世栄夫。演劇界の重鎮が相次いで亡くなっていく。一つの時代の終わりなのか。

1700、帰宅。途中駅で雑誌「月刊空手道」を参考のために購入。3カ月で180度開脚……きょうからストレッチやろうかな。

6月7日(木)晴れ

 蒸し暑さのためか昨夜は寝苦しく、何度も目が覚め輾転反側。ノドに違和感があるのは風邪の兆候か。

 テレコ1800帰宅。オークションで入手したテープレコーダーが届く。思ったとおり、マジックアイ付き。昔の機械はデザインも丸っこく、ぬくもりがある。
 ヘッド、ピンチローラーを清掃。見ているだけで楽しくなる。汚い中古品を大事そうに手入れする姿を見て、あきれている家人。ウーム、女にはわからんか。
ジョス・ストーン
 最近のお気に入りはJOSS STONE。初めて聞いたとき、ジャニス・ジョプリンそっくりなので、びっくり。まだ20歳。聴くほどにジャニスの再来という思いが強くなる。

 パソコンの壁紙を、「フォノジェニコ」のイラストに。このイラストもお気に入り。
フォノジェニコ

 国民の知らないところで着々と進む国家による国民の監視体制。

 6日、共産党の志位和夫委員長が国会内で記者会見を行い、「陸上自衛隊の情報保全隊(約900人)が、自衛隊の活動に批判的な市民団体のほか政党、労組、ジャーナリスト、宗教団体などの動向を監視し、それをまとめた「内部文書」を入手したとのこと。


「監視対象」は、イラクへの自衛隊派遣に反対する集会やデモなどの関連だけで全国41都道府県の289団体・個人に上り、高校生も含まれている。

 
 少しでも自民党政権に異を唱えそうな国民を片っ端から調べ上げる。まさに戦前の「特高警察」を自衛隊が代行してるようなもの。

 毎日新聞の記事で自衛隊派遣に疑義をさしはさんだもの、また、映画監督の山田洋次氏が自衛隊のイラク派遣に際して、「黄色いハンカチ」を自衛隊支援運動に使われたことを批判したことが「市民レベルでの自衛隊応援・支持の動きを、有名人の名声を利用し封じ込めようとする企図があると思われる」と記述。ジャーナリストの高野孟氏、社民党の福島瑞穂党首など反自衛隊とみられる人物の演説や講演内容まで調べ上げていた。

 中には、「自衛隊の騒音で困っている」と電話で苦情を言っただけの一般人の氏名や住所まで上層部に報告していた。つまり、あらゆる国民が監視対象だ。当然、イラク派遣に反対するネットのHPも調査の対象(別働隊かもしれないが)。自公政権に批判的な「きっこのブログ」の主宰者の身元なども調べ上げられているかもしれない。


 そもそも情報保全隊は隊員による機密情報漏洩を調査、阻止するため03年3月に発足した組織。自衛隊内部を調査するのではなく、国民全員を監視するのは明らかに趣旨に反する。

 集会の模様も盗撮しており、肖像権、プライバシー権に抵触している。
 塩崎官房長官は「法律にのっとって行われる調査活動や情報収集は当然、受け入れられるべき」と平然としているのだから開いた口がふさがらない。

 内部文書には、年金問題や消費税、医療費負担増への反対者など、自衛隊と関係のない団体活動の記載もあったという。これほど綿密な調査票を作っている以上、自衛隊員による尾行や盗聴といった犯罪行抜きには考えられない

 これではまるで戦前の特高警察の復活だ。それが自衛隊という軍隊による「復活」というのは恐怖以外の何ものでもない。この問題をマスコミ、国民がスルーしたら、それこそ権力はやりたい放題。マスコミの良識と勇気が試されている。



 さて、「消えた年金」問題。

 歴代社保庁長官の責任問題が噴出しているが、なかでも正木馨氏(76)は、手書きの年金台帳の破棄を命じ、照合作業を困難にしたA級戦犯だ。
 反省するどころか、マスコミに問題を追及されても、「ボクには責任はありませんよ。現場の監督者がしっかりやらなきゃねえ〜」と他人事。
 それもそのはず、巨額の生涯賃金を得て、悠々自適の生活なのだから他人の年金問題など眼中にない。

 東大法学部を卒業後、旧厚生省に入省。85年8月に社保庁長官のポストに就き、翌年5月に退官。その後、天下りを繰り返し、国会で明かされた退官後の報酬・退職金は3億6600万円

「(退職金は)そのくらいありますか。あまり気にしないですからねえ」と言ったとか。

 サラリーマンの生涯賃金が2億5000万円といわれるのに、この官僚の生涯賃金は8億円を超えるという。


「正木氏が退官した02年の俸給表に基づいて試算すると、厚生省時代の合計給与は4億1193万円。退官前に務めた社保庁長官は事務次官に次ぐランクの10号俸、月給は124万円。わずか9カ月間の着任だが、この給与が退職金に反映されるため、退職金は7890万円になる。さらに最低3回の天下り後は、毎月100万円近い給与を得ていた計算になる。この生活が16年間も続いたうえ、天下るたびに1億円前後の退職金を手にしている。これらを合計すると、正木氏の生涯賃金はゆうに8億円を超える」(元特殊法人労連事務局長でジャーナリストの堤和馬氏)。

 我々は汗水たらして働いて、この先年金がもらえるかどうか、だ。それなのに庶民の年金が宙に浮いた原因を作ったヤツのふところに8億円!

 正木氏の住居は田園調布駅から徒歩3分の超一等地の豪邸の延べ床面積275平方b、不動産価値は、土地建物を合わせて約4億5000万円という。

 これらの資産は全部国民の税金から出たものだ。政木氏以外にもこんな官僚が何人もいるというのだから、恐れ入る。
 国の借金は年々増え続けているのに、政治家と官僚だけが肥え太る。

 マトモな神経の持ち主なら、外山恒一じゃないけど、「こんな国はぶっ壊すしかない」。


6月6日(水)晴れ


 0730起床。
1500、歯科の定期チェック。歯石などのケアで7250円。健保法改正した小泉のせいでこんなにバカ高い料金を取られてしまう。

 イモリの水槽の水換え、娘の自転車にカギの取り付け、部屋の大掃除などで一日はアッという間に。


6月5日(火)晴れ

 1700、新宿。バッグのショルダー受けが壊れてしまったので、紀伊國屋向かいのカバン屋へ。ショルダーのみならず、バッグの中もボロボロ。この機会に新調することに。ここ十数年、この店で買った同じ型のバッグを使い続けている。大判の書類も入るので重宝。2万8000円。

 長野屋で刺身定食1000円。話好きの店のおばさんが「植木好きですか? 私、生き物がダメなのよ。植物も。お客さんにたまに植木を貰うんだけど、枯らしちゃうのが怖くて」と話しかけてくるので、しばし話相手に。
フォノジェニコ
 食後はタワーレコードへ。試聴コーナーで新譜をじっくりと聴き比べ。「フォノジェニコ」の「オレンジの砂」を購入。

1900、スペース雑遊で燐光群「『放埒の人』はなぜ『花嫁の指輪』に改題されたか あるいはなぜ私は引っ越しのさい沢野ひとしの本を見失ったか」。原作者の沢野ひとしは本の雑誌でおなじみのイラストレーター&作家。長いタイトル、沢野ひとしの本も読んだことがない。どんな内容なのか見当も付かないまま、客席へ。小田島先生、岩波先生ら評論家数人。初めての劇場。キャパ110人ほどの小さなスペースで、奥行きはある。

 さて、舞台。これがとてつもなく面白い。沢野をモデルにした一代記。大河ドラマだ。少年期から青年期、そして老年まで、一人の男の「放埓な」生き方が絶妙に活写。多人数で役を代わる代わる演じることで、スピーディーでメリハリのある舞台になった。「ドキュメント芝居」を何本か手がけてきた坂手洋二の手法が結実、2時間30分の時間をまったく感じさせないスリリングな展開。見事!の一言。沢野と関わる女性たち。女優陣が充実。宮島千栄一人でも眼福なのに、愛人役を演じた秋葉ヨリエの艶技がまた素晴らしい。
川中健次郎、猪熊恒和、大西孝洋らメインの男優陣も総出演。これだけの出演者がそろえられるのは燐光群ならでは。
 いやそれにしても、めちゃくちゃ面白い舞台だった。

 終演後、外で坂手と立話。ワイドショーのコメンテーター、秋公演、蜷川芝居の脚本……と今年もフル回転。軸のぶれない数少ない硬派の芝居人だけに頑張って欲しいもの。

 帰宅するとテープレコーダーが届いている。電源を入れて稼動させてみる。真空管のもつあたたかさ。

6月4日(月)晴れ


 朝日新聞の世論調査で、ついに安倍内閣の支持率が30%に。不支持率は49%。支持率だけを見ればもはや政権末期の様相。
 ゴミ拾いパフォーマンスも渋谷街頭演説もスポーツ紙に「安倍パフォーマンス不発」と書かれる始末。大甘のスポーツ紙にさえ、おちょくられるようじゃ安倍の終わりも見えてきた。小学生が拾って差し出した棒ッきれを「ゴミ袋に入らない」と受け取りを渋るなんて、機転の利かない男。お坊ちゃまクンなんだな〜。それに、安倍が拾う場所のゴミを掃除したからと、再びゴミ袋の中身をぶちまけさせられた小学生たちは、どう思うのだろう。それが「道徳的」なこと? 道徳とか徳育を口にする連中の正体はこんなもの。

 厳重な海上保安庁の警戒をくぐり抜け、なぜか「北朝鮮」からの脱北者が日本に漂着するという不思議な「事件」も安倍の窮地を救う神風にはならなかったようで……。

 で、消えた年金。何が「消えた」のか、実はよくわからなかったので、以下は自分自身のためのメモ。

 まず、「消えた年金」とは、1997年、公的年金の加入者全員に「基礎年金番号」を割り当て、加入記録を一元的に管理することにしたことに伴って生じたもの。これは、厚生、国民、共済の各年金ごとの記録を1つにまとめるとともに、姓名、生年月日、性別をそれまでの手書きの台帳による記録からオンライン化したもので、今回の「事件」はミスを誘発する構造的な「人災」といえる。

 社保庁の調査結果によれば、2006年6月1日現在で、保険料の納付記録がないことによる年金の支給漏れが5095万1103件もあることがわかった。

 このうち、すでに受給年齢に達し、かつ存命している加入者で記録の失われているのは、計1866万7317件。この内訳は、国民年金(65〜79歳)366万7662件、厚生年金(60〜79歳)1499万9655件。さらに生年月日不明の記録も30万1841件あったという。

 つまり、掛け金を払ったものの、年金が支払われていないケースが相当数あるということ。

 これだからオンライン化は危険が伴う。

 今、カセットテープの劣化対策としてをMP3などのデータに変換しているが、元のカセットも大事に保管している。データはなんらかの原因ですっ飛んでしまうかもしれないが、少なくともアナログのテープは劣化しても聞くことはできる。


 さて、この「消えた年金記録」がなぜ生じたかというと、原簿をデータ化する際の入力ミス。名前を読み間違えて入力したケースが多いという。

 そのほかにこんな場合は自分の記録が宙に浮いているかもしれないので要注意。


 1.転職経験がある
 2.転勤経験がある→管轄の社会保険事務所が変わり記録が欠落。
 3.結婚で姓が変わった→別人とみなされている。
 4.オレンジ色の年金手帳が複数ある→オレンジ色のは、基礎年金番号で一元化されていない年金手帳。名寄せされていない可能性もある。


 1997年に始まった電算入力は10年間かかって名寄せをして、それでも5000万件の名寄せが宙に浮いたわけだ。安倍が泥縄で作った「年金時効撤廃特例法」は調査に10億の予算をつけたというが、5000万件の不明者にハガキを出して、心当たりがないか」聞いただけで、25億円のハガキ代がかかる。「1年でやります」なんて、できるわけがない。

 しかも、「空白部分の年金は領収証がなくても支払う」「銀行通帳の出金記録や、元雇用主の証言などがあれば」とは!

 一見、国民に「やさしい」特例法と勘違いするムキもあるが、詐欺の温床になるのは明らか。
 いまでも、障害者年金、生活保護を食い物にしているヤクザがいる。特例法は暴力団の新たな資金源となる恐れもある。

 もちろん、その筋の人間とは祖父の時代からジッコンの安倍。ヤクザにやさしい年金詐欺のススメのようなもの。消えた年金は1年分で3万円の支給が受けられる。3年分で9万、30年分で90万円。詐欺犯にはおいしい話だ。

 すでに、社会保険労務士の間では、以前から「もらい忘れ年金」の発掘という仕事が一つのジャンルとして確立するくらい多く発生していた問題だという。

「消えた年金番号」は97年のコンピューター化開始時から問題になっていた。それを、そのままほったらかしにしてきたのは社保庁の怠慢だ。早くに手を打っていれば、5000万件の不明分が出るわけはない。

 国民の中には、本来もらえる年金をもらえないまま亡くなった人もいるだろう。

 銀行が預金者の名前を間違えて、そのために口座が宙に浮いたとしたら大問題だ。しかも、銀行が「自分の口座だという証拠を見せろ」などと居直ったとしたら、暴動が起こりかねない。

 それをやってるのが社保庁。ふざけてるのは、当の責任者である歴代の社保庁長官が、大学教授に転じた一人を除き、全員、所管の公益法人に天下り、今も年収2000万円近い報酬を手にしているということ。

 基礎年金番号を導入した佐々木典夫氏は、退官後に医薬品副作用被害救済・研究振興調査機構の理事長に就任。4年間務めて高額の退職金を手にすると、今度は現在の天下り先船員保険会会長に就いている。

 長官当時に年金記録のオンライン化を始め、手書き台帳記録からの入力ミスが相次ぎながら、放置した正木馨元長官は、4つの天下り先を渡り歩き、退職金を含め約3億円もの報酬を手にしている。年金記録漏れ問題の張本人が、今でも甘い汁を吸い続けている。

 社保庁といえば、年金保険料1953億円を投じたグリーンピアが廃止された問題もあった。巨額の保険料を投じて作ったハコモノを最後はたったの48億円で売り払ったのはどこのだれだったか。

「役人天国」という言葉が、この歳になってはじめて実感する。庶民が汗水たらして働いて、ようやく雀の涙の年金をもらおうとしたら、「名前がない」「払えない」とは。そのシステムを作り、運用にミスが多発するのを知っていながら、放置したおエライさんたちが自分たちの年金はもとより、天下りを繰り返して自分の懐を潤す。
 北方謙三版「水滸伝」ではないが、腐った国を変えるのは、その国を打ち倒し、新たな国を作るほかない。

 
1500、「理生さんを偲ぶ会」の宗方氏と諏訪部氏来社。「アバンギャルド 理生」の情宣。今年から岸田理生の戯曲を素材に、さまざまな集団・劇団が上演するという。戯曲そのままでなく、テキストとして解体・再生してもいいとのこと。大阪のhmp「Rio」、ユニットRの「吸血鬼」など。

1630帰宅。夕食後、川口ファクトリーで行われる快飛行家スミス公演「月の舟」へ。状況劇場出身の奈佐健臣の一人芝居。

1930、川口元郷駅から5分。キューポラのある町・川口の廃工場を使った公演。稼動中の工場の敷地の一角。「サミット」と超高層マンションを遠望する住宅地。夕暮れ、閑散とした町。

 工場の階段を上がった二階が会場。15分前に開場。薄闇の中に男が一人。椅子に座ったまま身じろぎもしない。奈佐健臣だ。観客は15人ほど。
 鉄の町・月船町を舞台にした幻想譚。母を捜して歩く朔丸、謎の旅券売り、影男、眉子、三日月女……。降り続く雨で錆付いた町から楽園に向けて住民を連れ出してくれる舟があるという噂。母を捜す男、月船町で唯一の女・眉子。赤く燃える鉄、真っ赤な果実、心臓……。耽美なキーワードが散りばめられた詩劇一人芝居。
 状況劇場出身らしく、最後に紅テント譲りの大仕掛け。舞台後方の幕が上がると、そこには船の舳先がビルの外に向って突き出している。月船の出発。遠くにマンションの灯り。

 2040終演。2115帰宅。劇場と自宅がこんなに近ければ電車移動のストレスがない。
 

6月3日(日)晴れ

 0900〜1200.躰道稽古。
 この頃、体が運動を欲している。相変わらず左足親指が痛いものの、気合い十分。稽古にも熱が入る。いつもなら途中で疲労困憊になるが、今日は稽古量が物足りないと感じるくらい体が充実。

 1300帰宅。一風呂浴びてサッパリした後、ベッドで横になりながら、根本豊氏のラジオ番組の録音をまとめ聴き。
 1700、娘のピアノででたらめ演奏。現代音楽? 単音を弾きながら、思いついた詩をくちずさむ。これが結構楽しい。そのあとはギターをかき鳴らし、拓郎の初期の歌を狂ったように歌い始める。近所迷惑顧みず。時折り襲い掛かるこの衝動。これがストレスの発散になっているのかも。


 夜、九條さんと電話。67年のアサヒグラフの話題に。当時の担当記者「木下さん」が、先日、古希の会で同席した木下秀男氏だと教えられ、なるほどと頷く。木下氏は後に週刊朝日編集長、アサヒグラフ編集長を歴任した実力派。さすがに早くから寺山の才能を見抜く慧眼の持ち主。編集者としての力量が違うわけだ。

6月2日(土)晴れ

 0630出社。1600退社。池袋へ。

 東京芸術劇場前の広場はチャリティーライブが開催中。町興し物産展も出店し、広場は人でごった返し。演奏中のカントリーグループの演奏にしばし耳を傾ける。バンドマスターが「SMAPの稲垣クンのお父さんです」と紹介すると長身痩躯、サングラスの男性が登場。会場は中高年がほとんどのためか稲垣クンのお父さんといわれてもほとんど反応なし。稲垣パパは「おおキャロル」など2曲歌って退場。

 1730〜2020、中ホールで音楽座ミュージカル「アイ・ラブ・坊っちゃん」。入口で石川さんに挨拶。

 夏目漱石が小説「坊っちゃん」を書くまでの11日間をモチーフにしたもの。親友・正岡子規の死に打ちのめされながらも、子規を「山嵐」として、坊っちゃんの心の友として小説の中で復活させる漱石。漱石の心象風景と、小説の中の坊っちゃんの冒険をパラレルで描く。

 「野球好き」で知られ、「野球」の言葉の生みの親でもある子規。「キャッチボールの基本は相手が捕りやすいように、胸元に投げること」というセリフもおそらく子規が出典か。思い出したが、寺山修司は天井桟敷チームで劇団員に「キャッチボールは相手の胸元に投げることが基本だ」と必ず言っていたとか。映画「田園に死す」の中で流れる寺山作詞の「桜暗黒方丈記」の歌詞は、

天に鈴ふる巡礼や 地には母なる淫売や
赤き血しほのひなげしは家の地獄に咲きつぐや
柱時計の恐山 われは不幸の子なりけり
死んでください お母さん死んでください 
お母さん地獄極楽呼子鳥 桜暗黒方丈記

 正岡子規は脊椎カリエスの診断を受けたあと、郷里・松山の墓参を思い出し、次の詩を作った。


学問いまだ成らざるに 病魔はげしく我を攻む
何事も過去に成らざりき 未来も成ることなかるべし
父上許したまひてよ われは不幸の子なりけり』

 寺山の「東京巡礼歌」(作詞=竹永茂生)には「父上許したまひてよ 母上許したまひてよ われは不幸の子なりけり」とある。
 子規の詩の借用。病魔に侵された子規。キャッチボールの喩えといい、「不幸の子なりけり」といい、
寺山がいかに子規を読み込んでいたかということだろう。


 オークションで古いオープンリールテープレコーダーを2台も落札してしまう。

 いまや音響機器も録画機器もすべてブラックボックス化してしまい、まったく味気ない。中身が見えないのだから。

 中学の時に初めて買ってもらったのが5号テープまでしか聞けない小さなテープレコーダー。スタンダード社製のレコーダー。当時いくらだったのだろう。5000円くらいしたのか。公民館に来た家電製品の展示即売で父が買ってくれたのだった。当時の5000円は大金。サラリーマンの給料だって4〜5万円の時代ではなかったか。買ってもらった日は枕元に置いて寝た。夢から覚めたら消えているのではないかと。テープレコーダーなど夢の時代だった。あのオープンリールレコーダーがあったから、電子機器に興味を持ったし、音楽にも興味が深まった。高校に入学してからは放送部に入ったのもその影響だろう。マイクロフォン、アンプの修理、ハンダ付けもした。贅沢な機械だったテレコを買ってくれた父には感謝しても感謝しきれない。なんと、自分は親の恩を受けていることか。

 いまでも、オープンリールのテレコを見ると胸が締め付けられるような、せつない感傷に陥る。祖母の歌や声を録音したテープは、家の建て替えのどさくさでなくなってしまったが、それでも高校時代に録音したテープはまだ実家に残っている。中身はありきたりの音楽テープだが、いつか再生してみたいと思ってきた。もうボロボロかもしれないが。


 そんなわけで、つい、テレコを落札したのだった。ジャンク扱いで安いため、つい2台も買ってしまったが、レトロな味わいのあるテレコはそばにおいておくだけでも心が和む。もう欲しい物はない……かな。
 


6月1日(金)晴れ

 疲労がたまっているのか、悪夢にうなされる。人を殺めたのか、目の前に死体。その死体を懸命に隠そうとしている。しかし、どこに行っても、死体はついてくる。恐怖と不安。「夢であってくれ!」と叫んだところで目が覚める。午前4時。しばらく動悸がおさまらず。


 0630出社。
 1600退社。


 帰宅するとオークションで落札した「子供の科学」が届いている。小学生の頃に発行された号。懐かしい。広告のマブチモーター「モーちゃんとター坊」のイラスト、ミザールの望遠鏡、顕微鏡(欲しかった!!)……。マブチモーターは200円くらいだったか。木で作ったボートにスクリューとマブチモーターを取り付けて川を走らせたり、プラモデルの自動車の動力にしたり、マグネットモーターの絵を見ると、胸がしめつけられる。子供の頃は科学の子だったのだ。実験と工作が大好きで、モノを組み立てたり作ることが大好きな子供。どこに行ってしまったのか……。

 古い雑誌を手にするとき、つい、読者のページに目がいってしまう。もしかしたら、知ってる人がいるのでは、その後、名前を上げた人がいるのでは……と。

 今回の1962年の「子供の科学」で、なんとビックリ仰天。知ってる名前を見つけた! 「読者の声」の入選カットに「青池保子(中二)」の名前。住所は下関。これは「エロイカより愛をこめて」の漫画家・青池保子ではないか。年譜を見ると、青池保子は1963年にデビューしている。15歳でのデビュー。「子供の科学」への投稿は在学中の貴重な作品というわけだ。

 古い雑誌の中に、思わぬ発見があるものだ。

  寺山修司の特集のあるアサヒグラフ1967年6月23日号をオークションで手に入れる。
まだ天井桟敷旗揚げ間もない頃。寺山修司に目をつけた編集者の感覚が鋭い。インタビュー形式なので、寺山も、質問に対し、韜晦することなく、ダイレクトに答えている。
 「独創性がない。切り張り細工だ」という外野の批判に対してこう答える。

「一般にオリジナリティーへの盲信があるんだね。だが、言葉というのは数千年の手垢で汚れてきたものだ。その言葉を磨いたところでたいしたことはない。手垢のついた言葉をレンガのように積み上げて摩天楼ができるのだ。チェロやバイオリン自体は新しいものではないが、その音を構成してシンフォニーは作られる。つまり、ものとものががぶつかるときに、新しい現実が引き出される。青森県のせむし男では、浪花節とモダニスムが出会うことによってまったく違うものが生まれた。そうやって日本人の傷口をさらけ出すのだ」

 自分に対する「模倣批判」を斬りかえす明快な答え。
「ゲバラは政治のゲリラだが、ボクは情念のゲリラだ」とも。

 木下なる取材記者の締めの言葉が鋭い。


「貧しさ、生活保護を受けての闘病生活をくぐりぬけ、あらゆる分野で活躍するこの男は、まさに現代の英雄アサデンコウ(ダービー馬だが名血ではない)である。だが、彼は詩壇で、文壇で、演劇界で、王座を目指すことはないだろう。ゲリラは一つの戦いを終えると新たな戦場へ向う。正面切って正規軍と戦うには非力である。だが、新たな分野に侵入し、巧みな戦術で正規軍を十分に翻弄する力を持っている。彼にとって戦場は無数である」

 さまざまな分野を転戦し、決して正規軍の長になろうとしなかった寺山修司。その精神は言葉を武器にしたゲリラだった。それを見抜いた記者の慧眼にも感じ入る。


 なつみさん追悼会で市川氏から手渡された天井桟敷1980年6月のニューヨーク、ラ・ママ公演のドキュメントを見る。仄聞するに学生の卒論ビデオとか。

 撮影者が学生ということもあってか遠慮なし。楽屋裏までズカズカとカメラがはいっていく。そのためか、テレビで見る寺山修司とはまた別の「素の寺山修司」を見ることができる。昔、テレビ番組で見た軽妙なトーク、相手の挑発を絶妙に斬りかえす言葉の魔術師という寺山ではなく、無防備な表情の寺山。もちろん、学生の質問に答える寺山は「寺山修司」に戻っているのだが。それにしても、寺山修司の若いこと。この時44歳。その頃ははるかに年上で、老成した大人に思えたが、今見ると、なんとも若い。もちろん、自分がその当時の寺山よりもはるかに年上になったということなのだろうけど。あまりにも「若い」寺山修司の姿に胸がいっぱいになる。もっともっと生きて、もっともっと面白いことをやりたかっただろうに……。

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