7月31日(火)快晴

 1415、「今近くに来てます」とT取さん。一ノ瀬さんと情宣の途中。時間がないが、顔だけでもと思い、駅近くのドトールで。自民惨敗の話など。PANTAさんがライブのアンコールで骨折したという。勢い余って機材に足を引っ掛けたのか。今はギブス姿とか。ツアー、紀伊國屋ホールは大丈夫か。

1500、原宿。I病院。1カ月前からの予約。細胞検査。夏風邪でまだセキが出るのでそれが心配。針を刺すわけだから危なくないか。今日は取り消しにしようかなどと受付で相談すると、せっかく予約したのだからと言われ、検査室へ。検査を終えた一人のおばさんが「検査の後、肩まで痛くて」と顔をしかめまがら看護士さんに訴えている。別のおばさん2人は互いの病気について「インターネットで調べたんだけど、検査で失敗した人もいて……」と深刻な話。うわぁ、この雰囲気は……。不安になって検査をやめて帰ろうかと思ったくらい。が、自分の番に回ってくると、なんのことはない、検査時間わずか1分。針を刺している時間も10秒足らず。結果は1週間後。

 会社に戻ろうかと思ったが、電車でいったん日比谷まで帰りながら再び反対ホームへ。そのまま下北沢まで。高架化に伴う工事で、相変わらず駅前は鉄板で覆われている。
 ヴィレッジヴァンガードでCD試聴。時間はたっぷりあるので1時間余も店内散策。レゲエのコンピアルバム「TASTE OF HONEY MIX」(1500円)を。ラバーズを集めたアルバムで19曲すべてよし。ほかにも欲しいのがあったが、散財は戒め。

 書店の演劇コーナーの主流は松尾スズキ、宮藤官九郎ら。寺山も、唐も、蜷川も片隅に。これも時代か。
 「千草」でさんま定食800円。ショップでTシャツ1枚1995円。ディスクユニオンでCD物色。すっかりインディーズに特化したユニオン、店内も雑然。

 1930、スズナリでハートランド「プカプカ漂流記」。中島淳彦の作・演出。イエスの方舟事件をモデルにした女性信者たちのおかしくもせつない人間模様。隣席が青年座のS雲氏。ロビーで立話。今日は11月の青年座公演の打ち合わせとか。2130、終演後、ロビーにいた中島淳彦氏に挨拶。

7月30日(月)晴れ

 0430起床。0500に駅に行くとシャッターが閉まったまま。始発は0510。知らなかった。そんなに遅いなんて。0600出社。すでに熱気渦巻いている。

 それにしても自民の凋落の激しさ。37議席とは。むろん、それが民主に流れただけで、保守層安泰の基本構図は変わらず。

 安倍の敗戦の弁には驚きを通り越して「この人、大丈夫かな」とアタマの中を心配したくなる。続投だと。「改革を進めることが自分の役目」だと。祖父のDNAか。岸信介。60年安保で、国会を65万人もの学生・市民が取り囲んでも、「自分には声なき声が聞こえる」(反対しているのは一部の国民だけだ)とうそぶいた岸信介同様、安倍も「私には声なき声が聞こえる」と思っているのだろうか。チャイルディッシュ=お子ちゃまという言葉は安倍のためにある。


 小田実氏亡くなる。機関車のようにエネルギッシュで「殺そうとしたって死なない」印象の小田さんだったが、胃がんの末期で、春からすでに死を覚悟していたという。それを知ったのは1カ月前。「残り1カ月」の宣告は悲しいまでに正確だった。ベ平連=ベトナムに平和を市民連合。高校時代、田舎にも「べ平連」があり、コンサート、集会に行ったこともあった。上京して、Yゼミナールの講師として一度は授業を受けたことがあったかもしれない。70年代はさまざまな自主講座、集会で話を聴く機会も多かった。

 無念だっただろう、この時代に死を迎えるなんて。平和憲法こそが小田実の世代の希望の象徴。それを消さないように遺志を引き継ぐのが遺されたものの務め。明晰な論理で保守派有象無象の詭弁を論破する姿が見られないのはさびしい。合掌。

 1700帰宅。

 
7月29日(日)快晴

 明け方、目が覚める。ノドに違和感。熱っぽくもあり、大事をとって躰道稽古は休み。明日の仕事に影響しないよう……。0800、いったん起きて、朝食をとり、風邪薬を飲んで昼近くまで睡眠。


 午後、豚児とワンダーGOOへ。空模様があやしいと思っていたら案の定、一天にわかにかき曇り、雷雨に。しばらく足止め。帰宅して家人と投票所へ。この雨で投票率が鈍るか?

 オークションで手に入れた1967年の「子供の科学」をながめていたら、読者投稿欄に見たことのある名前。住所を見るとやはり間違いない。旧知のライター、金丸弘美氏だ。中3のときの投稿。青池保子といい、金丸弘美氏といい、栴檀は双葉より……?

 金丸氏とは十数年前によく劇場で出会ったものだが、今は幅広く活動しているようだ。

 豚児がワンダーGOOに駐車した自転車にカギをつけたまま置いたため、そのカギを誰かが持ち去ったらしい。おかげで半日、カギをめぐって右往左往。夜7時まで尾を引く。たった一個のカギが……。

 夜、開票速報。さて、どうなるか……。

 2330まで開票速報を眺める。社民、9条ネットは数字出ず。二大保守に挟撃され、軒並み沈む。



 
7月28日(土)快晴

 0630出社。

 1245、福島の根本豊さんから電話。収録中のFMラジオに電話出演し、8月のおすすめ芝居を5分間。夏風邪でノドの調子がいまいち。そういえば前回も風邪ひきだった。

1500、北千住。シアター1010で「ジェネレーションズ」第二弾。2月の公演が好評だったのでシリーズ化。60〜90年代のミュージカルのヒットナンバーを実力派のアーティストが歌い上げる。 出演は石原慎一、鈴木ほのか、TSUKASA、tekkan、土居裕子、籐子、中山眞美、野沢聡、平澤由美、本間憲一、真織由季、山形ユキオ。MCは石原慎一。前回は二部に分けたが、休憩なしの2時間。どれもが一級品。特に中山眞美の「ワン・ナイト・オンリー」が圧巻。

 1710終演。北千住駅で高校同窓会のS畑さんと待ち合わせ。K楽器店へ。同窓会会報の取材。三味線、琴の小売り、メンテナンスを40年近く行っている17期上のKさんにあれこれお話をうかがう。初めて知ることばかり。三味線に猫の革が用いられていることは知られているが、その三味線の革に4つの穴が開いていることは初めて聞く話。それが猫の乳腺の穴なのだとか。そこから裂けはしないのかとの疑問に、「自然とはよくできていますね。不思議と、その穴から裂けることはないんです」とのこと。犬より猫の方が値段が高いのは「猫だと一匹で1枚しか取れないから」だという。犬は大きなものでは5枚とか。犬猫好きの方にとっては耳をふさぎたくなる話かも。

 小一時間で取材は終わり、3人で近所のもんじゃ焼きへ。ところが、Kさんは自分の行きつけの店にも関わらず、もんじゃは初めてなのだとか。S畑さんも「もんじゃは食べるの初めて」。私も「もんじゃは食わず嫌いで」初めて。3人とも初めてもんじゃを食べるというのだから笑ってしまう。 一時間ほど飲んで家路に。今日は隅田川の花火。帰宅して早めの就寝。

7月27日(金)快晴

 真夏のような暑さ。午前、開票の打ち合わせ。
1700帰宅。

 Tさん「自民39」の予想。ほんとかな? ブログでノンポリの劇作家K氏まで「自民党には投票しない」と書いている。言わずもがなの宣言。ノンポリまで反自民の動き。こりゃ、もしかすると自民惨敗は現実に?

 ただし、民主躍進でも政治の流れは大きくは変わらない。改憲派もいる民主は第二自民党。自民惨敗なら、一本釣りされて、自民右派に合流する輩も出てくる。自民ハト派が民主左派と合流する場合も。どっちにしても政界は再編される。二大政党に挟撃されて社民が埋没。憲法9条派にとっては不利な展開。天木直人氏の9条ネットも頑張ってほしいがこのままでは……。

 夜、家人は近所の主婦たちと飲み会。子供は塾とデート。久しぶりに一人の夜。

 お盆が近いせいか、ふとした瞬間に田舎のことを思い浮かべてしまう。子供の頃の午睡。団扇で風を送ってくれる母の膝元でいつの間にか寝入ってしまった夏の午後。あれは幼稚園の頃か。家の中を吹きぬける心地よい風。夜、真っ暗闇の田んぼで無数のホタルが点滅する。

 闇は自然や創造主への畏敬の念を増幅させる。
 都会には闇がない。だから自然を軽んじる。わずかに残されたのは劇場の闇だけ。劇場が好きなのは、その闇が好きだからかもしれない。暗闇への親和。

 夜、I田信之さんから電話。夕張まつりの件でお礼の電話。義理堅い。自伝本9月出版に向けて制作中という。


 
7月26日(木)晴れ

 寝冷えをしたのか、風邪気味。セキが出る。夏風邪は長引く。気をつけなくては。鍼はキャンセル。1700退社。

7月25日(水)快晴

 中越沖地震で「崩壊」した柏崎原発の内部映像公開。しかし、公開できない映像が裏にごっそりあるに違いない。

 今になって「放射能が怖い」という人たちのカマトトぶり。原発からは海中に、大気中に、常に微量の放射能が放出される。微量だから人体に影響がない、などと強弁するのは御用学者のみ。自然界に存在しない放射線が人体に影響しないはずがない。「ここまでなら大丈夫」という、いわゆる放射線の「敷居値」など当てになるものか。

 ハッキリしていることは人類は原発災害で終焉を迎えるということ。今回の柏崎原発被災が奇跡的に重大事故に至らなかったからいいようなもの、大事故になっていたら、放射能雲は関東上空まで達する。晩発性の放射能障害、がん、白血病で関東全域の住民はバタバタと死亡。地獄絵が現出する。もちろん、原発半径20`内は急性放射性障害で全滅。

 この期に及んでも、「放射能で局地的に住民が死んでも、原発を止め、火力発電所などに切り替えることで人類全体が(地球温暖化で)徐々に破滅に向うよりマシだ」と言ってのける狂人もいるのだから、どこまでおめでたいのか。


 夜、新宿梁山泊のM浦さんに電話。「和解」の具体的な内容を聞くため。上演権がどこにあるか確定するまでTさんの作品上演は見合わせるとのこと。今回の仮処分申請では平田O氏が「参考意見」を述べただけで、ほかには意見陳述した人はいないという。二人の間に入るのは難しい。

 山田太一ドラマ「遠い国から来た男」を見る。

半世紀近く前、フィアンセの典子を日本に残し、海外単身赴任中に政治闘争に加担した末に投獄された商社マンの雄作。彼の同期入社・卓己と典子は中米にいる雄作を救い出そうと奔走するがコンタクトさえ取れなかった。その後、複雑な思いのなか典子は卓己と結婚した。その典子に一目会いたい、と雄作は意を決して日本に降り立った。平穏と惰性に包まれた卓己と典子夫婦が一瞬にしてざわめき立つ。この二人にとって雄作は心に封印し、二度と言葉にしてはならない存在だった。(作品HP)

 過去を抱える三人の男女の心のヒダをとらえた山田太一の真骨頂。久しぶりにオトナのドラマを見た。
 仲代達矢、栗原小巻、杉浦直樹の三人のベテランに伍してツアーコンダクターに扮する高野志穂が実にいい。しかし、栗原小巻が「ばーば」(おばあちゃん)と呼ばれる日が来るなんて。イメージはいつまでも青春映画のスター。元フィアンセと46年ぶりに再会する前に、1日の猶予をもらう彼女。その1日で洋服を選び、美容室に行く。男は「”明日”でもいいのになぜ”あさって”会うことになるのか腑に落ちない表情。男には女の気持ちはわからない。

 46年の空白を埋めた二人。範子は唐突に、雄作と南米の地で暮らすという宣言をする。驚く夫。もちろん、それは現実には移されず、雄作が乗った飛行機をクルマの中から見送ることになるのだが……。

 熟年離婚があるのだから、元フィアンセと海外で余生を送るというのもありか?とも思えるが、山田太一の描きたかったことは「寓意」なのだろう。

典子の言う「あと20年もあればなんだってできるわ」との宣言。

 女性の平均寿命が85歳なら、確かにあと20年、人生は残されている。それを余生として不完全燃焼するよりも、生きたいように生きる。夫は「残りの人生が20年しかないのに今から冒険するなんて」と、妻を危ぶむが、妻は「20年もあれば、なんだってできる」と思うもの……なのか。

 男は定年を迎えると、つい、残りの人生を余生と考えてしまうもの。それに対して強烈な一撃を加えた典子。もちろん、行動には移さなかったのだが。このあたりの女の強さは確かに身近でも仄聞する。

 見終わって勇気が出るというか、元気が出るというか、久しぶりに山田太一のドラマで満足したような気がする。
 それは、このドラマの主人公たちへの思い入れができる世代だからかもしれない。
 もし、自分が20歳で、このドラマを見たとしたら、感想はまったく違ったものになるだろう。
 「男を追いかけていく女」にリアリティーを感じたかもしれない。うだうだと過去のノスタルジーにひたる老年たちにいらだちを感じるかもしれない。ドラマは世代を映す鏡。


 それにしても、こんなドラマがゴールデンタイムで放送されるのが奇跡的と思えるのはテレビの退廃を表わしている。愚にもつかないコメディーやら恋愛ごっこのドラマばかり。合成食品ばかり食べて、味覚がマヒするように、現代人は心まで貧しくなってしまったのか。もっとオトナのドラマを!


7月24日(火)快晴

 真夏日のような一日。梅雨は明けたか?
 夕方、三軒茶屋へ。

 トラムで野田MAP「BEE」。あまりにも評判がいいので、オークションで手に入れたチケットで鑑賞。日本版の秋山菜津子を見てみたかったが、しょうがない。今はロンドン版続演中。

 野田秀樹を含む登場人物4人で多人数の役を演じ分けていく。筒井康隆の原作とあって、ブラックで不条理なこと。
 自分の家族が脱獄犯によって人質に取られていることをマスコミと警察に知らされたサラリーマンが、逆にその脱獄犯の妻と子供を人質にとって立てこもる。
 事件に群がるワイドショーリポーターや無能な警察を揶揄する冒頭シーンから始まって、脱獄犯の妻と子供の指を1本ずつ切り落とし、犯人に届けるサラリーマンの悲しい狂気が延々と続く。70分の舞台の後半はひたすらダークでやりきれない陰鬱さで覆われていく。

 9・11テロとその報復の連鎖という「暴力」の支配に対する野田秀樹の「言葉」による問題提起。
 指を和箸で表現するなど、視覚的痛みは軽減されるが、その際限のない暴力の連鎖は重いリアリティーを観客に突きつける。このように明確なテーマを持ったシンプルな舞台は日本では上演されることが少ない。海外向け公演だから可能になったことか。

 上野・癒処で久しぶりにマッサージ。体全体がボロボロ。
2100帰宅。

7月23日(月)晴れ

 夜中、2時間おきに目が覚めてしまう。深い眠りに入ったと思うと、もう夜明け。寝不足感の残るまま会社へ。

 1700帰宅。

 TBSラジオで特別番組「TABOO SONGS〜封印歌謡大全」。いわゆる「放送禁止歌謡曲」の特集。元ネタは石橋春海の「封印歌謡大全」。途中から聴いたので、岡林信康の「手紙」などにどんなコメントがつけられていたかわからないが、森達也の「放送禁止歌」が歌と差別と権力に重きを置いたのとはだいぶ趣旨が違っているようだ。

 司会の「ライムスター」宇多丸と石橋の「軽い」コメントにも隔靴掻痒。「ラジオにジャーナリズム」は、いまやないものねだりか。

 昭和天皇の下血を連想させるとの「配慮」で紅白歌合戦最有力にもかかわらずメディアでの放送自主規制、ついで紅白落選という不幸な運命をたどった村上幸子の「不如帰」には胸が痛む。
 歌詞中に「血を吐く…」という形容の表現があったが、1988年当時、下血・吐血を繰り返していた昭和天皇を気遣った演歌業界と放送局は、「不如帰」の放送を自粛したという。

 長い下積みからようやく陽の目を見ようとした矢先の「不運」。村上幸子は翌年、急性リンパ腫で亡くなる。奇しくも放送日の翌日が彼女の命日だった。天皇への過剰な「気遣い」が生んだ「放送禁止歌」。

「今この時期にぴったりの歌」と、番組のラストに流したタイマーズ=忌野清志郎の「サマータイムブルース」の毒には快哉。原発を皮肉ったために原発メーカーの東芝(EMI)が発売中止にした曲。

「放送禁止」の実質は「自主規制」ということが眼目。世の中は「禁止」にしなくても「自主規制」で物事は進んでいくということだ。「君が代斉唱」「日の丸掲揚」しかり。「法」で強制しなくても、お上の目が怖いから、周囲の目があるから、自主規制する。
 戦時中の「治安維持法」には死刑がなかったというが、死刑にせずとも獄中で死ぬこと、死なすことが可能だったから「死刑」の文言を入れなかっただけのこと。これも根本は同じか。


 就寝時にはカエルの合唱が部屋を包む。昔買ったNHK自然のアルバムのCD。夏が近づくとバーチャルでもいいから、田んぼのカエルの声が聴きたくなる。それが、睡眠導入薬代わり。
7月22日(日)晴れ

 0900〜1200、躰道稽古。
会報配布。
1230、元道場の仲間で、アメリカに赴任中のSさん一家が一時帰国したので、その歓迎ランチ。30人近くが参加。1400まで。

7月21日(土)晴れ

 0630出社。12時間会社に居つづけ、さすがに疲労困憊。2000帰宅。

7月20日(金)晴れ

1900、俳優座劇場で劇団NLT「佐賀のがばいばあちゃん」。島田洋七のベストセラー自伝の舞台化。脚本が「グリング」の青木豪ということで、期待したが、最後まで淡々とした筆致。原作付きという制約が響いたか。ばあちゃん役は阿知波悟美。美人女優もいつの間にかおばあちゃん役に違和感がなくなるのだから、歳月の流れは……。

 21.10、終演後、客席の島田洋七が紹介され舞台に。泣きはらしたように目が真っ赤。「この芝居そのまんまなんですわ。カミさんと駆け落ちみたいにして東京に出て来たのも、俳優座に願書出そうと思って受付まで来たのも……」
 その俳優座劇場で自分の半生記が上演されたことで感無量の面持ち。劇団NLTと俳優座と俳優座劇場を混同しているのはご愛嬌。
 帰り、制作のOさんと立話。2230帰宅。

7月19日(木)晴れ

 1800帰宅。

 娘が見ていた「余命1ヶ月の花嫁」の録画を途中から一緒に見る。乳がんのため余命一カ月と宣言された長島千恵さんの最後の一カ月を密着取材したドキュメンタリー。
「生きてるって奇跡だよね。東京の空気がどんなに汚れていてもいいから、外の空気が吸いたい。外の風が気持ちいいって、知ってた?」
 病室の千恵さんの言葉。亡くなる直前まで、明るくけなげにふるまった彼女の姿に胸がつまる。

「生きてるって奇跡だよね」
 
  
 その奇跡を誰かに、とりわけ、国家などに取り上げられてたまるものか。


 あぁ弟よ君を泣く 君死にたまうこと勿れ
 末(すえ)に生まれし君なれば 親の情けは勝りしも
 親は刃を握らせて 人を殺せと教えしや
 人を殺して死ねよとて 二十四迄育てしや
 堺の街のあきびとの 旧家を誇るあるじにて
 親の名を継ぐ君なれば 君死にたまうこと勿れ
 旅順の城は滅ぶとも 滅びずとても何事か
 君知るべきやあきびとの 家の掟に無かりけり
 君死にたまうこと勿れ すめらみことは戦いに
 おほみずからは出(いで)まさね かたみに人の血を流し
 獣の道に死ねよとは 死ぬるを人の誉れとは
 大みこころの深ければ 元より如何でおぼされむ
 暖簾の蔭に伏して泣く あえかに若き新妻を
 君忘するるや思へるや 十月(とつき)も添はで別れたる
 乙女心を思い見よ この世ひとりの君らで
 あぁまた誰を頼むべき 君死にたまうこと勿れ

与謝野晶子「君死にたまふこと勿れ」  


 オークションで落札した1932年発行の「子供の科学」を読む。戦前の子供の知的レベルの高さにびっくり。電気の特集、宇宙の特集等、高度に専門的な科学知識がぎっしり詰まって、今でも読み応え十分。「2050年に初めて人類が宇宙旅行に出かける」という様子をリポートした読み物もかなり科学的なポイントを押さえている。

 通信販売コーナーでは1950年代に流行した「エジソンバンド」の前身「メモリーバンド」の広告が出ているのが笑える。2円。
 エジソンバンドは頭に金属製のバンドを巻くだけで勉強の能率がはかどるという触れ込みで、大ブームになったグッズ。子供の頃、近所のおにいさんが持っていた記憶がある。

 それにしても、この年齢になっても顕微鏡や天体望遠鏡の広告を見るとワクワクしてしまう。
 子供の頃、真っ暗な星空を見上げて宇宙の果てを想像していた。あの頃は、田舎の夜は真っ暗だったのだ。懐中電灯がなければ外は歩けなかったのだから。



7月18日(水)雨

 この前、友人から聞いた話。


「何?盆に帰ってこないって!」
 贈ったお中元の返礼でかかってきた電話。義理の伯母の機嫌のいい声が、”盆には帰れない”で一瞬で不快感あらわな声になったとか。

 仕事や子供の学校の関係で、友人がお盆に帰れないのは仕方がないこと。
 どうやら、親戚として、不在の甥に代わって、義兄のお墓参りやお寺参りの面倒をみなければならないのがシャクにさわるらしい。
 父母がいないのに、お寺参りや墓参りのことで親戚に気をつかうとは思わなかった、とその友人。

 要するに、ほかの親戚の手前、義兄の墓参とそれに付随する諸々のお寺の行事をやらざるをえないというのが腹立たしいのだろう。

「あんたらは都会にいて、ここに住んでいないのに家も墓もあるために、それの面倒を一番近い自分が見なきゃいけないんだ」と言われているのか。情けない。
 父母が亡くなるとはこういうことか。
 どうすりゃいいっていうの。無理してお墓参りしてくれなくてもいい。そういいたいが、どこで世話になるかもしれない。ましてや親戚。母が亡くなったあと、父もそう思って我慢してきたのだろう。それが亡くなったあとも、とやかく言われるとは。心ない人もいるもんだ。

 「つくづく、田舎の人間関係は難しい」とその友人。
 同感。
7月17日(火)雨

 1900、新宿。花園神社で田村孝裕・作演出「花火、舞い散る」。恒例、椿組の野外劇。

 花火師一家とそれを取り巻く人間模様を描いたもの。長男と父、腕のいい姉と6代目を期待される弟の葛藤。久しぶりに野外劇らしい野外劇。花火の場面をどうするのかと思ったが、確かに花園神社の真上に尺玉が上がった。そう思わせる演出。田村孝裕の脚本うまい。いつもの椿組の役者も見違えるようにいきいきとして見える。外波山文明も重要な役どころ。

 ガヤで小松明人くんが出演。つい姿を追ってしまう。友人・小松杏里の息子。娘と同じ年のはずだから19歳。ひょろりと手足が長く、目はお父さん似?
 終演後に話しかけようとしたが見つからず。

 2時間10分。客席にO路恵美とマネジャーのH本さん。笑顔で手を振って挨拶。鄭義信と少し立話。今日も裁判所に行ってきたとか。判決はあと1週間。どちらも大切な友人だけに、今回の騒ぎは心が痛む。
 2230、会社に寄って少し作業。2400帰宅。
7月16日(月)曇り時々雨

 合宿二日目。0700起床。寝不足と酒で頭痛。
朝食バイキング。0900武道場集合。外に出て3`ランニング。公園に一列に並び、海に向って千本突き。
 道場に戻って稽古。
 1200、ロビーで昼食弁当。施設を稽古場として利用しているというミュージカルグループの人たちと歓談。
 1400、恒例のスイカ割り。1430、解散。
 1500、会社に寄ってから家路に。1730帰宅。
7月15日(日)雨

 台風接近の中、1000、新木場集合。東京スポーツ館で躰道合宿。傘も飛ばされそうな雨と風。
 午前中のランニングは中止で、熱帯植物園見学からスタート。夢の島。ゴミ焼却の熱を利用しているとか。
 その後、武道場に移動し、夕方まで稽古。ホテルにチェックインし、食後は再び武道場へ。全員参加でゲーム。
 夜はそれぞれ部屋で飲み会。壮年組の酒盛りは2400で終了。5人部屋の自室では若手が飲み会。運動部あがりが多いので、まるで学生のノリ。さすがについていけない。先に休むも話し声で眠れず。解散は4時?
7月14日(土)雨

 1500、南河内万歳一座公演「滅裂博士」。ここで大ポカ。会場を間違え、トップスへ。ところがトップスは壱組印上演中。あれ?どこだっけ。スズナリでもないし……。Mさんに電話して確かめて貰うと、東京芸術劇場小ホール1ではないか。あわてて池袋に向うが、すでに20分経過。南河内のNさん、ごめんなさい。というわけで1時間45分の芝居の冒頭20分を見逃してしまった。客席には河野洋一郎と荒谷清水。
 地上げで、そこだけ取り残された病院で繰り広げられる医者と患者たちの奇妙な世界。自分の首を手にして動き回る医者、幽体離脱する少女……。

1700、帰社し仕事の続き。
1930帰宅。


7月13日(金)雨

 1930、京王線八幡山。高井戸陸橋そばの特設テントで野戦乃月海筆子公演「変幻 痂殼(かさぶた)城」。
 ものみな低きに流れ、志よりいくばくかのカネと名声の時代。70年代風にいうならば、「今も辺境最深部を転戦し続ける」桜井大造とその一党こそ最後のアングラと呼ぶにふさわしい。

 権力と直接対峙した70年代「曲馬館」時代から、「風の旅団」、「野戦の月」、そして、台湾演劇人との合同体「野戦乃月海筆子」へ。函館生まれの桜井には、大逆事件に悲憤し、「テロリスト」へのシンパシーをうたった石川啄木の血脈が流れているのかもしれない。

 今回は4月の台湾公演、9月予定の中国公演と同じ台本を使用。
 サンシと呼ばれる虫が60日に一度体内から這い出し、天帝にその人間の悪行を密告しに行くという「庚申信仰」をモチーフに、都市貧民街にうごめく奇怪な住人たちの蜂起と革命を描いたもの。

 蓑虫のように吊るされた役者の登場するシーンからしてすでにアナーキーで猥雑なテント芝居の熱気漂う。今回は俳優陣が一新、スピーディーでよどみない展開。ヒロイン・つくしのりこ、森美音子など女優陣も充実。途中で電源が落ち、テント内が真っ暗になったときなど、懐中電灯を持って走りこんできた森美音子の当意即妙のアドリブで、演出だったの?と観客に思わせるのはさすがに野外で鍛えた百戦錬磨の兵たち。

 2時間10分の至福。

 役者たちが手に手に松明を持って水たまりに立ち並ぶラストシーンはいつ見ても鳥肌がたつほど興奮する。火と水。始原の記憶を呼び覚ますのか。

「近所の住民からの圧力」のため、テントでの打ち上げはなし。帰りに桜井さんに挨拶。北京公演が無事に遂行されるといいが。捕まらないように……。

7月12日(木)雨

 1900、銀座。ル・テアトル銀座で「ザ・ヒットパレード」。戦後の芸能界で一時代を築いた渡辺プロダクションの創業者・渡辺晋と妻・美佐の夫婦愛を中心に、ザ・ピーナツ誕生秘話などを織り交ぜ、クレイジー・キャッツからタイガース、キャンディーズまで40曲以上を歌い踊るミュージカル。

 ジャズマンだった晋と日本女子大生だった美佐との出会い、ロカビリー、GS、ニューミュージック……時代の変遷とともに移り変わる音楽地図。それをくぐり抜け、エンターテインメントの時代を作り続けてきたナベプロ。藍綬褒章授賞式での「セプテンバー・レイン」の演奏エピソードなどは、渡辺晋の人柄がしのばれる。最後までジャズマンだったということ。

 宮川彬の音楽と山田和也の演出、そしてなによりも鈴木聡の脚本がいい。成功譚ではなく人間ドラマ。

 進駐軍キャンプ時代からの渡辺夫妻の友人役で升毅と北村岳子。巨大化していくナベプロに自分の居所をなくし、会社を去っていく二人。藍綬褒章授賞式で久々の再会。しかし、政界、財界の重鎮、キラ星のごときスターたちに囲まれた別世界の晋夫妻に話しかけることができない。華やかな輪の外でかつての友人の成功を祝う二人。そこに、晋と美佐が駆け寄り……。

 美佐役は戸田恵子。いまや舞台にテレビに映画に引っ張りだこ。週刊誌のトップ記事になるのはスターの証拠。おいそれと楽屋見舞いに行ける女優ではなくなってしまった。「何にも変わっちゃいないわよ」と言うかもしれないけど……。舞台を見ながら、つい戸田恵子と渡辺晋の姿が重なってしまった。
 戸田さん、少し声に疲れが見える。主役を張るプレッシャーか。ベテランの体調管理だから大丈夫だろうけど、少し心配。


 ザ・ピーナッツ役は堀内敬子と瀬戸カトリーヌ。今回の舞台の裏の主役はこの二人といっても過言ではない。とにかく抜群の歌唱力。堀内敬子の歌のうまさはおそらく日本一。その彼女とデュエットするカトリーヌ。これが息もぴったり、ハーモニーも絶妙。この二人の歌謡ショーだけで元は取れる。高音域など、ピーナッツそっくり。

 エンターテインメントとして最上のデキ。晋役の原田泰造もいい。
 ラストシーンはあのテレビ番組のあのラストシーンへのオマージュ。思わず「おお、こう来たか」とうなってしまった。鈴木聡の手腕に脱帽。2200、「スターダスト」のメロディーの余韻が残る劇場を後にして、家路に。
 宣伝の吉田さん、ダンカンの池田さん、制作の鈴木さんらに挨拶。
7月11日(水)曇り

 休日。以前アマゾンで買ったディズニー映画「黒ひげ大旋風」を見る。公開された1967年はまだ小学生。映画館がなかったから学習雑誌のプレビュー記事を読んで想像するだけだった。40年ぶりの対面。今のCGやVFX映像から見ればチャチな特撮だろうけど、こんな映画のほうが安心する。教師役のスザンヌ・プレシェットはいかにもハリウッド女優という清楚で可憐なたたずまい。今の映画にないものはこんな女優さんだよなあ。……と、画像検索したら40年後のスザンヌ・プレシェットの姿が。時間の流れは残酷。やはり、昔の恋はそのままに……。

7月10日(火)雨


 午後、20分ほど昼寝。これくらいが体にはちょうどいいらしい。

 夕方、新聞の縮刷で「夜の停車駅」のデータを調べる。ネットで検索してもデータらしきものは引っかからない。ならば、自分で。80年5月から83年までNHK・FMで放送した音楽番組。初代のナレーションは江守徹。冒頭は蒸気機関車の停車する音。詩の朗読の後、ラフマニノフのヴォカリーズが流れる。20本以上テープがあるので、放送日を確定するためにも正確なデータが必要。

1620、お茶の水。K記念病院で鍼。美人のK先生、風邪とのことでマスク姿。
1730、阿佐ヶ谷。「江戸竹」で刺身3点盛900円。

 食後、小雨の中を散歩。昔住んでいたF荘へ。先日訪れた生麦のアパートも取り壊されていたので、なんとなく胸騒ぎ。F荘のある敷地に入ると、様子が違う。草木が生い茂り、アパートを包むように樹木の枝が……。一見して無住の建物。人の気配どころか、草木が人を寄せ付けない。ついこの前、ここに住むSさんと立話をしたばかりなのに。「もうじき取り壊しになるよ。立ち退きを迫られてるしね」そう言っていたSさん。そうか。あれから半年は経つのか。玄関脇の電力メーターの配線が外され、玄関は打ち付けられている。Sさんはどこに行ったのだろうか。

 自分が住んでいたのは30年前。しかし、Sさんはそれより10年以上前から住んでいたようだ。大学闘争時のある事件の被告として裁判を闘いながら。

 猪瀬某のように、副都知事だかなんだか知らないが、権力のコバンザメになり下がる元全共闘もいれば、その人生の大半を運動の負の遺産を背負い続けて過ごす元学生もいる。無常。

1930〜2140、中野。MOMOでくろいぬパレード「特急小江戸 近松心中膝栗毛」。
劇団初見。たまたまぽっかり時間が空いたので、どんな劇団かと思ったのだが……。

 負債を抱えて解散寸前の大衆演劇の家族と劇団員の恋模様などを織り交ぜて描く「ホームドラマ」。
 ウーン、最後にそれらしきテーマで締めくくればなんとなく演劇っぽくなるというのはいかがなものか。コメディーをうたっている割にはクスリともできず。役者の自己陶酔がちょっと……。メインの配役は他劇団の役者。終始潤んだ瞳のこんどうえみこ、誰かに似てると思ったら、松田美由紀。

 10周年記念チラシに村井秀美さんのコメント。硬派の村井さんが見ている劇団だから、そんなにひどいはずはないだろうに。今回のは特別? ちょっと期待はずれ。

 2300帰宅。



7月9日(月)晴れ

 事務所経費疑惑の赤木議員。肉親にウソをつかせるのは、果たして「道徳的」といえるのでしょうか?安倍サン。
 
 1800帰宅。このところ、新しい会報作りに燃えている。わずか30部余りの会報なのに、いかに見せるかを考えていると時間が経つのを忘れる。一文の得にもならないし、逆に時間と労力と経費がかかるばかりなのに。生来のボランティアスピリット? 単なるお祭り好き?



7月8日(日)晴れ

 0900〜1200、躰道稽古。Y先生に会報のダミーを見せ、原稿を募る。

1300帰宅。

 居間の蛍光灯が切れたのでコジマまで。スリム管だから、専門の電器店にしか置いてないのだ。3本セットで3380円。約3年間使ったのだが耐用年数は結構長い。1日約3円?


「退職勧奨で都教育庁が「子の障害」も例示した文書を通知」(毎日新聞朝刊)

 校長らの勧めに応じて教職員を早期退職すれば退職金を割り増す制度をめぐり、東京都教育庁が退職を勧めるケースとして、「子の障害」などを例示した文書を市区町村教委や都立高校などに通知していることが分かった。厚生労働省は職業と家庭の両立を目的とする育児介護休業法の趣旨に照らし「好ましくない」と指摘し、学校現場や識者からは「介護を抱え全時間出勤できない教員は不要ということか」と疑問の声が上がっている。

 通知では、対象の教職員に退職を勧める理由として「疾病」「介護・育児」を挙げている。Q&Aでは「育児」の具体例として、「3歳以上の子供の場合で、育児を手伝ってくれる家族等がおらず、本人が育児を行わなくてはならない場合」「子に先天的、後天的な障害がある等、育児に特段の事情がある場合」と明記した。
 通知について、厚労省は「育児介護休業法は、家族の役割として育児や介護を円滑に果たすことを基本理念として示している。育児や介護を理由に退職を勧めるのは、法の趣旨に照らして好ましくない」と指摘する。

 また、日本が95年に批准した国際労働機関(ILO)の「家族的責任を有する男女労働者の機会および待遇の均等に関する条約」は、「家族的責任自体は雇用の終了の妥当な理由とはならない」と規定。厚労省は、この規定に違反する疑いも指摘している。

都教育庁職員課は「例示した理由で退職を強制・強要することはありえない」と話した。



 いやはや、石原都知事に牛耳られた都の教育庁は、君が代・日の丸の強制だけでは飽き足らず、今度は「障害を持つ子供の親(教職員)には早期退職勧告ができる」制度を作るところまで来てしまった。
「子供に障害があるなら、早く仕事を辞めなさい」とは!

 要するに、家庭に事情がある教職員は、介護のための休暇を取ったり、何かあれば家庭を優先させるから、そんな人は教育現場に不必要だ、とでもいうのか。

 暴虐の雲が光を覆い悪鬼が専断する都庁。七人の侍に頼むか、ゴルゴ13に頼むかしたほうがいい……のかも。
7月7日(土)晴れ

 田舎では「七日盆」。父母の墓には従妹たちがお参りしてくれるという。「遠くの親戚より……」というが、遠くても心を通わせてくれる親戚もいる。足を向けて寝られない。

 1430、横浜へ。ここ2年ほどご無沙汰していて気になっていた伯母の所へ。30数年前、この工業地帯に自分は住んでいた。すぐそばに宇崎竜童の借家があった。
「港のヨーコ」が売れる前。

 まだ幼かった従妹の兄妹も今では二児のお父さんお母さんに。この前訪ねたときにはまだあった昔住んでいたアパートは取り壊され、更地に。当時から古い木造アパートだったからそれも当然か。

 従妹のKちゃんと伯母、叔父の3人で1時間ちょっと歓談。十代の時に一緒に暮らしていたわけで、従妹は妹のようなもの。今でも「お兄ちゃん」といってくれるのが嬉しい。帰りはわざわざ駅まで送ってくれる。ひとりっ子でも、自分にはたくさんの兄弟姉妹がいる。

 1700、帰社し1800まで仕事の続き。
1900帰宅。
7月6日(金)晴れ

 お昼前、Aマキさんから電話。今朝、バイク便で手紙を届けてくれたのだった。いつもながらの丁寧な文章。

1500、I田信之夫人のHさんと、ミュージシャンのM氏とお茶。8月に夕張で夏祭りをやるとか。プロモーションに難儀してるようだ。

 夕方、I田さんから電話。自伝がいよいよ9月発売で動き始めたという。よかった。

1730帰宅。途中の古本屋で北方版「水滸伝」の4巻から7巻まで。いつもなら何のためらいもなく新刊を買うところだが……。本を古本屋で安く買うという「倹約」に走るとは考えもしなかった。どこが「成長」だ。安倍! 庶民はますます生活苦しいぞ。

 毎日新聞夕刊の連載企画「おちおち死んではいられない」、今日は詩人のまど・みちおさん(98歳)が登場。「ぞうさん」「一ねんせいに なったら」の作詞者としてもおなじみ。飄々とした人柄のようだが、06年に作った詩のひとつはこうだ。

小さな島 をめぐって/日本の国と 隣りの国とが/またまた やり始めた/オレの土地だワシの土地だと(略)持ち主は地球だ/いやいや地球がその中に住まわせて頂いている宇宙が/正真正銘の持ち主だ/その宏大無辺の神さまのお住まいで/人殺しごっこなど天罰てきめん/どっちの国もこっちの国も/あとかたなしさ/あっというまのあっけらかんさ(「あっけらかんさ」より)

 98歳の今も子供の心を失わず、広大無辺の宇宙の果てから地球を見ている、まどさん。みんなが毎日1分間、宇宙の果てを想像できる心を持てたら……。


7月5日(木)晴れ

 1610、新宿で「ダイハード4.0」。冒頭、ブルース・ウォリス扮するジョン・マクレーンがカーステレオで聴いているCCRの曲が流れると、ハッカー青年が「何これ、古臭い60年代のオヤジロツクだろう。聴いてらんないよ」というシーンに思わず、「CCRを古臭いといわれちゃうんだ」と嘆息。カントリー・ロックだからかな?
 で、本編、息をもつかせぬスピード。しかし、映画が終わるまでにマクレーンは百回は死んでるな。満腹。

 1830終映。コンビニで買ったおにぎりを映画館のロビーで食べてから、シアター・トップスへ。

1900、壱組印「やや黄色い熱をおびた旅人」。原田宗典の原作を大谷亮介が演出。草野徹演じる主人公の作家が、日本からエリトリア、ユーゴスラビア、カンボジア、タイと世界の紛争地域を経巡るドキュメント・音楽劇。全員が数役を早代わり、口笛、手拍子、民族楽器を使った演奏。いかにも大谷亮介の演出。テーマが世界の紛争地域をめぐる「戦争と平和」とあって、全体に重苦しいのは仕方ない。桟敷童子の板垣桃子が奮戦。

2105終演。プリエールのA本さんに挨拶して家路に。

 2200帰宅。向井さんから本を届く。「下北の民族 あれこれ」(立花勇著)。以前、山子の風習をコピーしてもらった本。ほかにも下北の風習が研究・収録されている。これは嬉しい。そういえば、子供の頃に食べた下北のモチ「豆シトギ」は今でも作っているのだろうか。




7月4日(水)雨

 朝からしのつく雨。
0730起床。憤怒の表情の母の夢を見て夜中に目がさめる。生きているときも見たことがない怒りの表情。いったい何の暗示か。

 正午、家人と買い物、食事。

 午後、学資保険を払いに郵便局へ。その帰りに、古書店に。古い雑誌が置いてあるので、つい長い時間店内に留まってしまう。70年代の「スクリーン」。そういえば、高校に入った頃読んでいたっけ。「ロードショー」派か「スクリーン」派。中学時代は「時代」派か「コース」派。パンチ派かプレイボーイ派もあったが、こちらは「平凡パンチ」が消えてからはライバルのプレイボーイも覇気がなくなり、硬派から軟派一辺倒に変身、凋落の一途。ライバルの存在というのはいかに大切か。
 
 そのプレイボーイのグラビアに三井マリアの名前があったので思わず買ってしまった。日活ロマンポルノの名作、曽根中生監督の「わたしのSEX白書 絶頂度」で主演した三井マリア。「内ゲバで死んだ若者にどんな意義があるか」という硬派な座談会も。司会は評論家・赤塚行雄。元気だった頃。同じ頃の平凡パンチは「アングラで活躍する女たち」として、演劇団の赤星エミと北村魚のインタビューが。赤星エミは知らないが、魚さんは今も活躍中。この頃まだ26歳?
 
 1963年の少女フレンドをながめていたら、絵物語のモデルが太地喜和子。この頃20歳。モデル名のクレジットもないから文学座研究生時代のアルバイトだったのだろう。古い雑誌の中に思わぬ発見をするものだ。
 古書5冊で1550円の出費。


「もうこの先、長い人生じゃないんだから、嫌いな人や肌の合わない人たちとは極力付き合わず、気の合う仲間たちとだけ話をしていたい」と、誰かが言ってたが、その気持ちもわからないではない。気の合わない人と無理して付き合うのはストレスになる。会社でもそう。
 しかし、「考え方が違う」というだけで、敬遠していいものか……。歴史認識が違うだけで、話す限りにおいて「いい人」もいる。しかし……。回りくどい言い方はやめよう。「日の丸掲揚・君が代斉唱」は日本人の義務だ、と強調する人たちに「合わせて」つきあっていくのは気が重いということなんだなぁ……。こればかりは折り合いがつかない。

1630、Hクリニックへ。
1700帰宅。豚児の自転車が走行途中でタイヤ脱落。急激なパンクでタイヤそのものが外れたらしいが、前代未聞。事故にならずによかった。

7月3日(火)曇り時々雨

 午後1時過ぎ、久間防衛相辞任。昼飯食ってから発表とはフザけた男。しかも、「原爆投下はしょうがない」発言の問題を自覚して責任を取ったのではなく、参院選への影響を「考慮」しての辞任。「別に悪いと思ってない」らしい。
 後任に小池百合子。いかにも安倍の考えそうな目くらまし人事。防衛省という男社会のトップに女性大臣を据えることによってマスコミが飛びつく。その効果で久間発言騒動は相殺される。姑息というか浅はかというか。

 1500、A・マキさんから電話。亡くなったSさんのこと、今度のライブのことなど。1530からD委員会。

1800まで会社。

1930、原宿。リトルモア地下で毛皮族「初夏の軽演劇@リトルモア地下」。1時間ほどの小品を4作品日替わりで上演。今日の演目は「おそばらんかい!」シリーズ。江本純子、上杉清文、高田郁恵の三人のコント芝居。60分という時間がこれほど長く感じたことはない。終わった後もエモジュンのカラオケ大会。追悼・ZARD6曲が待ち受けている。地獄のようなトータル90分。これほど「自分自身」が好きな役者もいない。エモジュン恐るべし。救いは日替わりゲストの澤田育子乱入の10分間だけ。

 2100、疲労感を引きずりながら、会社経由で帰宅。

7月2日(月)雨

 0615出社。同僚3人すでに仕事。早過ぎ!

 1730帰宅。

 サルコジ大統領の率いるフランスの与党UMPの幹部が野党の女性候補に対して女性蔑視の言葉を使ったため問題になっているという。
 仏リベラシオン紙の記事「Patrick Devedjian insulte une elue centriste」。BBCの記事では 「Insult humbles French politician」(侮辱はフランスの政治家を辱める)。

 問題とされているのは「salope」という単語。英訳では「bitch」と表記しているが、「あばずれ」または「売春婦」の意味。

 公党の幹部が女性議員に対して言う言葉ではないのは当然。サルコジ大統領は「そんなふうに女性のこと、他人のことを言うものではない」とたしなめたとのこと。


 翻って、わがニッポン。「レイプするのは元気がいい証拠」と犯罪者をかばった太田誠一、強姦発言の西村眞悟、「子どもを産まない女性を税金で面倒を見るのはおかしい」と言った森喜朗元首相、最近では柳沢厚労相の「産む機械」発言。

 単に「汚い言葉」を使っただけで、大問題となるフランスに比べて、ニッポン自民党集団はその確信犯的な発言の多さの異様ぶり。しかも、何度繰り返されようと、「問題ない」と、首相がかばってくれるし、国民もすぐ忘れる。
 少なくとも、発言の主をたしなめるサルコジ大統領の方が、まだマシというもの。

「原爆が落とされたから北海道がソ連に占領されずにすんだ。原爆投下はしょうがない」などという久間発言はこれらの延長線上にある。「どうせ謝れば済む」「マスコミの追及も一過性のもの」そう思ってるに違いない。国民がナメられているということだ。少しでも想像力のある人間ならば口にするべき言葉ではない。戦争による人間の死を数字としてしか考えない「軍人」の発想だ。議員として不適切な発言というよりも人間として最低の発言だろう。

 天皇の決断が遅かったから長崎に原爆が落とされたというのは歴史を学ぶものの常識であり、天皇制という「国体護持」にこだわったために死ななくてもいい国民が死んだというのは常識以前のはなし。

 もしも、魂魄というものがあるのなら、劫火で焼かれ、生き延びた後も地獄の苦しみを味わって死んでいった無数の戦死者、原爆被爆者はよみがえって、恨みをもって国会を取り囲むべきだ。……などと死者に助けを求める前に、今生きている人間がそれをやるべきなのだが。

 7月1日(日)曇り時々雨

 0900〜1100、躰道稽古。城西大会と重なり、Y先生らは審判としてそちらに参加。I先生の真剣を相手の演武があるのだった。見た買ったのに……残念。

 早めに稽古を終えて帰宅。シャワーを浴びて身支度。1400、有楽町。従妹と、娘さんYちゃんと待ち合わせ。彼女たちを連れて、赤坂のシアターVアカサカへ。WAKUプロデュース「マジック」。TARAKOの作・演出・出演。
 声優になりたいというYちゃんだが、声優は「声」だけだと思っているフシがあるので、基本的には芝居ができないとだめなんだということを理解してもらうため。
 芝居を見るのは初めてとか。「面白かった」とニッコリ。将来、自分が目指すものがあるのはいいこと。

 有楽町で別れて家路に。1830帰宅。稽古の疲労が取れず、頭痛も。夜、9時過ぎには就寝。

 原発建設の進行により、昔から白砂青松の地として地域の人々の生活の場であり癒しの場であった白砂海岸線が通行止めに。啄木の「東海の小島の磯の白砂に」の詩のモチーフとなった場所ではないかとの説もある海岸。国と企業の買収で父祖の地は消えた。祖父が生きていたらこの惨状をどう思っただろうか。明治生まれの一徹な祖父。「しょうがない」とは言わなかっただろう。父祖の地を売り渡し、あまつさえ、その上に人類史上最悪の物質・放射能を吐き出し続ける建屋を作らせてしまった今の住民。原発が立つその場所は平安時代から馬の産地として有名だった南部九牧の最終地。放牧地が悪夢の建物になろうとは。百遍死んだとしても祖先に申し訳が立たない。

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