8月31日(金)晴れ時々小雨


 午前中、お墓参り。

 午後から小雨がパラつく。息子と鮎釣りに。といっても上流ではなく河口の群れ鮎が目当て。同級生のSの釣具店で毛ばりを買う。2本900円。ちょうど昼休みで帰宅したSと立話。「岸壁に行けば大きなアジが釣れる」といわれたが、まずは鮎釣り。もう絶滅寸前の「ヘアネット」を使った鮎掬い。生産中止のネットをSが持っているとのことで1枚分けてもらう。ネットと毛ばりの二本立て。

 が、しかし……。小雨ぱらつく中、群れる鮎に毛ばりを投じても見向きもしない。今年の鮎は大型で、岩魚も交じっている。やむなく、ネットに切り替えるも、こちらも音沙汰なし。河口なのでクサフグが飛び込んでくるのが業腹。
 水も冷たく、根をあげた息子と早々に引き上げ。
 せめて1匹でも釣り上げて夕食のおかずにしたかったのだが。

 夕方、本屋に行きたいというので、隣町へ。最北端で記念撮影。気温は下がり、寒くて震えるほど。しかし、夕焼けが美しい。群青色の海とオレンジの夕やけ、空の蒼さと雲の翳り。こんなにきれいな風景なのに……。
8月30日(木)快晴

 親戚のお墓参り。その後、仏ヶ浦へ。家人も訪れるのは初めてとか。今までは帰省するとお盆の仕度や家族の世話でほとんど観光らしい観光をしていなかったという。言われてみれば、確かに毎年のお盆帰省では外出もままならなかっただろう。不憫に思う。

仏ケ浦 仏ヶ浦は海岸線に立ち並ぶ奇岩奇勝の地。クルマで40分。途中のつづら折の坂道が同乗者にとってはキツイのだが。

 晴れ渡った空。青空に白い雲。この陳腐な形容以外に言葉が見つからない。今まで何気なく見てきた田舎の風景。改めて、よく見るとなんと素晴らしい風景なのか。空はあくまでも青く、雲はあくまでも白い。一幅の絵画を見るような美しいコントラスト。この風景をごく当たり前のこととして見過ごしてきた自分。生まれ故郷の風景はこんなにも美しかったのだ。

 駐車場には長距離バイク野郎や観光客のクルマが数台。
 長い階段を降りると目の前に奇勝が広がる。
 巨岩の隙間に入り込んだり、潮溜まりの小魚を覗きこむ息子。写メール三昧の家人と娘。故郷の夏をそれなりに満喫してくれて嬉しい。

 帰りのつづら折り道はもうイヤとのことで、遊覧船で一足先に家族は帰し、一人、クルマで佐井まで。アルサスで買物。この時間、食堂は夕方までお休み。親切にわざわざ早く開けてくれた「道」という店で食事。
 夕方帰宅。従姉夫婦が訪ねてきてくれる。従妹夫婦も。2100過ぎまでみんなで歓談。楽しいひととき。
8月29日(水)快晴

 0630起床。
 有線放送が「今朝3時半頃、黒いシートをかぶせた不審な小型船が海峡を航海していたのを見た人は組合までお知らせください」

 不審船? 密漁船なのか。こんな放送を聴くのは初めて。平和な田舎町も物騒な世の中の動きと無関係ではいられない。


 0800、家族が新幹線に乗る時間。大丈夫なのか?と心配していたら、それが見事に的中。出発間際の大トラブル発生。仕方なく、予定より早く迎えに出ることに。
 1100、T市着。Tおばさんの家に行くと不在。しばらく待つと、「歯医者に行ってきた」というTおばさんが帰宅する。案内され、K子おばさんの位牌を預かるTさんの家に。微笑む遺影に手を合わせる。家族のいないK子おばさんは弟のTさんが菩提を弔うことになったそうだ。庭の草むしりをしていたTさん夫婦。「ここに位牌があるから、いつでも来てくださいね」
 父とは従弟にあたるTさん。父の葬儀以来か。

 時間がないので、すぐに辞去。クルマでN駅まで。近いようでいて結構遠い。途中にある「青森牧場」の看板が別の名前に書き変わっている。閉鎖したというのは本当だったのか。

 1300、駅に到着。3日ぶりの家族との再会。
 滞在日数が少ないので、なるべくスケジュールは緊密に。

三途の川 帰路、恐山に立ち寄る。子供たちも10年ぶりくらいか。下の子はほとんど記憶にないという。
 シーズンからズレているので観光バスが1台だけ。三途の川の赤い太鼓橋の下の川に、黒っぽい魚の群れ。川面を覆うその魚。数万匹はいるだろう。pH 3.5という強い酸性水の中で適応してきた恐山のウグイに違いない。
 火山石のように白っぽい川底が透けて見える「死の川」にビッシリと泳ぐウグイの群れは異様な光景。
「あれは死んだ人なのかも」と家人。確かに、死者の群れのように見えなくもない。霊場で釣りをする人もいるはずがなく、繁殖し放題なのだろうけど。

 巨大地蔵拝観料500円を払って参拝。1時間あまりの地獄めぐりの旅。供養のために小石を積み上げる参拝客。
 子供の霊を慰める風車があちらこちらでクルクル回る。「これで遊んで、ここに居なさい。こちら(現世)に還ってきてはいけません」という意味があるんだ、と訳知り顔の観光客。

 荒涼とした大自然の中に浮かび上がる人工の大きな地蔵。このシュールな風景。


 一隅にある地蔵堂の中に入ると、そこはまさに「死の気配」が充満している。

 亡くなった家族の遺影や衣類、人形、履物などが所狭しと陳列、収納されている。若くして亡くなった女性のためなのだろう、純白の花嫁人形がひときわ目をひく。その人形に込められた思念に、めまいがしそうになる。死者への「思い」が充満している場所。荒涼とした外界の地獄の風景よりも、このお堂の中に充満する「死者」への「思い」の濃密さに圧倒されてしまった。

 16.45、地獄めぐりを終えて山門まで戻ると、すでにみやげもの店は閉店。「5時まで開いてますからね」と言ったにも関わらず、0450には店じまいして下山してしまったみやげもの店のおばさんたち。このあたり「下北感覚」なのか。役所では5時の退庁時間になると、ほとんどの人がササッといなくなるというし。

 家に到着は1830。干してあった布団を取り込み、墓参り。

2000〜2100、中学時代の同級生Gの家に。今年の3月に入院し、心配したが今は顔の色艶もいい。同級のMと二人、仕事前にコンブ漁にも出てるとか。
 週に1度、クルマで片道4時間かけて青森の病院まで通っているというが、体に負担が掛かりそう。ただ、バス、鉄道を乗り継ぐともっと時間がかかる。交通の便の悪さがネックだ。生まれたばかりの孫が1歳。孫……そんなトシになるのか。小中学時代のワルガキが……。


8月28日(火)快晴

 関東と変わらず、夜は寝苦しいほどの暑さ。「こんなに暑い夏は聞いたことがない」と地元の人も驚くほど。
 0600、早朝から漁協の有線放送で海草価格のお知らせを流している。漁をする家庭は4時過ぎには起き出し、5時からのコンブ漁。早朝から有線放送というのも「早過ぎる」という感覚ではないのだろうけど……。
朝8時は「私の青空」のテーマ曲、夕方6時には「ムーンリバー」が有線放送で流れる。なぜ「ムーンリバー」なのかはナゾ。

 お昼、最北端の食堂でいちごラーメン900円。普通の塩ラーメンにウニを乗せただけのシンプルさ。関西方面から来たらしい老親と息子らしい観光客が一組。店の主人が流暢な(?)共通語で二人に観光案内。カンナクズみたいにペラペラとよくしゃべる。いかにも「私も昔は都会で鳴らしたものです」という口ぶり。こういう人を地元では「いいふりこき」「いきながり」という。悪い人ではないがちょっと鼻白む。

 午後、本家に行ったついでに、再び金剛院正信の墓へ。丘から望む海峡。この風景もいつか変わってしまうのだろう。

 電話機受けの引き出しにあった父の手帳を発見。細かに毎日の気象、風の向きやその日の予定をメモしてある。以前見たのは89年。これは87年。10月27日の欄を見ると、「女の子が生まれたとの電話。おめでとう」の文字。長女誕生の日だ。12月10日は「山の神の鳥居立て」の記述。去年見た鳥居はこの日立てられたのだ。9月27日、「舞茸、13`の大物採る」。写真に残っている大きな舞茸の株はこの日採ったもの。営林署で団交、地本(オルグ)の文字も。6月20日、「〇〇より父の日のシャツ送られてくる」に思わず目頭が熱くなる。一緒にいてやることのできなかった親不孝者の後悔……。


 帰宅して雑事。夕方、友人Dさんが訪ねてきてくれる。帰京2年目。あれやこれやの積もる話。気がつくと時計の針は2300。
8月27日(月)快晴

 オープンリール朝からペンキ塗りの続き。暑さと疲労で、午後の昼寝が夕方まで延長。
 オークションで買ったオープンリールのテレコで昔のテープを聴いてみようと、約30年ぶりにテープセット。ヘッドの磨耗・サビのため、ノイズが大きく、使いものにならず。残念。このアナログ感覚がいいのだけど。

 昼、親戚回り。

 友人のM田さんから帰省前に出された宿題「金剛院正信の墓」のナゾ解明。町史に載っていた300年前の昔話。金剛院正信という不思議な法力を持った修験者が村人に奇跡をもたらしたという話。村人の病を治し、嵐の中で遭難しそうな小船を磯に引き寄せたり、あるいは空飛ぶカモメを呪文で落としたという。その金剛院の墓の写真が町史には載っているのだが、場所が特定できない。どこにあるのでしょう?というのがM田さんの問い。
金剛院正信の墓
 その写真をどこかで見たような気がしていたのだが、自分の生家のすぐ近くの「赤坂」という坂の上にあるのを発見したのだ。

 子供の頃から、その墓石を「これは一体なんだろう」と思っていた。崖の上にあり、一見して普通のお墓ではない。記憶の片隅にそのナゾの墓石がずっと残っていて、ここ数年、帰省したら、あの墓石を見に行ってみようと考えていたところだった。しかし、地形も変わり、両サイドが高い崖で、雪が降るとその急斜面をソリで滑走したものだが、今はその崖も片方は切り崩され跡形もない。

 ただ、海側の崖は残っており、その上に、昔からの小さな墓石があった。不動明王を刻んだ石と墓石のペア。その墓石の文字をたどると、「金剛院正信」の文字。やはり、ここだった!
 半世紀前からくすぶっていた「あの墓はいったい何?」という疑問が氷解した瞬間。
 町史には「大間」とあるから、まぎらわしい。まったく別の場所だったのだ。金剛院正信

 このことをM田さんに携帯で速攻連絡。伯父の家で夕食時に話すと、「昔は正月になると、あの墓に注連縄を届けたものだ」という。地元の人でも、その縁起を知らない人が多いという。「春日神社の神官の末裔が管理している」のだとか。なるほど、説明はつく。

 思わぬ発見に小躍りする自分。父ならそんな話もよく知っていただろうに……。

 夕食後、伯母の家に。従兄と酒を酌み交わす。気がつくと深夜0時。こんなに長い時間、従兄と話をしたことはなかった。

 彼は原発には賛成の立場だが、「本工事は大手ゼネコンがやるから、地元の建設会社は準備工事だけ。それも、建設が決定したら手のひらを返したように、地元業者には冷たい。請け負えば請け負うだけ赤字になるようなもの。バカらしくてやってられない」

 だまされた……とは言わなかったが、同じようなもの。散々オイシイ話で地元に利益誘導すると見せかけておいて、最後は大手ゼネコンだけが儲けを吸い上げる。仕事やれば赤字になっても、地元業者は受け入れざるを得ない。仕事つなぎのために。
 私からすれば、だます方も悪いが、だまされたほうも悪い。

 コンブ漁をしている伯父がこう言った。

「去年、コンブ漁の時、コンブを上げたら泥がびっしりついて、海で洗わないと干せないくらい。調べたら、原発建設工事のトラックが海に何十台も土砂を不法投棄していた」

 コンブ漁は町の人の一年の収入の大きな比重を占める。不法投棄は漁業補償協定違反以前の「不法行為」であり、漁協が電源開発に補償金を要求するのは当然のこと。

 最初の要求額30億が結果的に3億7000万円になったのだが、間に入った町長が5000万円上乗せして手を打ったというのも、おかしな話。最初から原発会社と漁協組合長と町長の裏取引があったと思われてもしょうがない。

 都市部なら街宣右翼が出てきてその十倍の補償金を引き出しているはず。もっとも、カネ取り右翼は原発のお先棒を担ぐだろうが。

 口を開けば美しい国だの伝統を守れだのと言う「右翼」や「国家主義者」たち。美しい海浜や伝統ある父祖の土地を放射能垂れ流しの原発の下に埋めてしまうことが「美しい」ことなのか。神社の御神木を引き抜いてスカスカの公園にしてしまうのが「敬神」なのか。冗談じゃない。国民が安心して生活できる環境を守り、古来の伝統を守り、美しい日本の自然を守る。これだけでも私の方がよほど「正しい右翼」の資格があると思うが……(笑い)

8月26日(日)快晴

 O宮発0802の新幹線で北上。1119、八戸からは「きらきらみちのく号」。大湊駅1310着。

 関東とほとんど変わりがない暑さ。駅前でレンタカーに乗り換え、田名部方面へ。まず、昨年亡くなった父の従妹・K子おばさんの家に。隣りのS藤さんは不在。K子おばさんの家の前には子供用自転車や砂場道具などが雑然と置いてあり、子供のいる家族が住んでいる様子。子供のいなかった独り暮らしのK子おばさんの家はいつ行ってもきちんと片付けられ、端正なたたずまいの家だったが、まるで別の家のよう。家の主が変わると家まで変わってしまう。二階の書斎にあった乱歩全集はどうなっただろう。高校に入学したとき、母と一緒にK子おばさんの家に初めてお邪魔したが、手持ち無沙汰で、二階にあった乱歩全集を手に取り、ついつい読みふけってしまったものだ。

 S藤さんの家に手土産を置いて、Bzの事務所へ。が、彼も不在。吉幾三のライブコンサートがあり、後援会として、文化会館に詰めているとのこと。
 田名部を離れ、一路、我が家へ。

 午後2時過ぎ、まだピーカン照り。木野部峠でも29度!
 約一時間で生まれた町へ。

 耐震設計の再検討のため、工事が延びた原発。しかし、すでに白砂海岸は封鎖。一般車両は迂回道路を使わなければならない。いつもなら右手に海峡を臨みながら走らせるクルマも、これからは山道を走ることに。国家と私企業に海と海岸線を売り渡したわが町。父祖が守ってきた土地を売ったツケはいつか必ず来る。見えない海をにらみながら、この町への愛憎がふつふつとたぎってくる。

 数分で我が家に到着。ついこの前来たばかりという感覚なのだが、もう1年たっているのだ。今回、従妹夫婦が温水ボイラーを取り替えてくれたり、掃除をしてくれたので、風通しもよく、ムンとする臭気もない。仏壇を開けて、線香を立ててから、墓参り。ちょうど、住職の娘が友人らと境内でバーベキューをやっていたので、檀家料の支払い。1年で3万3600円。昨年未納だったので2年分6万7200円。お寺に払うお金もバカにならない。もし、自分が死んだらどうなるのか。子供たちにそんな負担を強いるのは忍びない。お墓を維持するのも大変だ。……などと独りごち。

 
 一通り、家の中を掃除。まだ陽も高いのでベランダのペンキ塗りをすることに。ペンキがはげてボロボロなのが気になっていたのだ。今年の帰省の最重要課題。ベランダのペンキ塗り。

 で、車を駆って、「つるや」へ。油性ペンキ道具一式。花壇のブロック380円×5個。父母が丹精込めて育てた松や一位の木が伐られたことがいまだに口惜しい。わずかに残っている庭の木を守らなければ。不在をいいことに、貸した軒下のみならず「母屋を取られる」ことになったら父母に申し訳ない。

 夕刻までペンキ塗り。中腰になって立ち働いたので、終わると筋肉痛と腰痛。とりあえずは片方のベランダのみ。ペンキの色も仕上がりを見ないと色合いがよくわからない。違う色のペンキを買い直ししたり、てんてこ舞い。

 夕食は従姉の家でお呼ばれ。田舎に帰っても気持ちよく過ごせるのは従姉や親戚のおかげ。特に従姉夫婦には足を向けては寝られない。実の姉弟のように気遣ってくれるのだから。隣家の従妹夫婦も合流し、歓談。

 2000帰宅。
 実家に泊まる初日は緊張してしまう。まだ家もなじんでくれないのか、どうにも心細いのだ。夜も7時を過ぎると、あたりは真っ暗。出歩く人もいなければ街灯もほとんどないから、街は闇に包まれる。1階の電灯をつけっぱなしにして2階で寝るのだが、落ち着かないんだな、これが。いくつになっても、夜の闇は怖い。
 

8月25日(土)晴れ

1400、新宿。シアタートップスでジェットラグ・プロデュース「夢顔」。桟敷童子の東憲司作・演出。劇団での大仕掛けや壮大なロマンもいいが、今回のような人間の機微を描いた小品にも味わいがある。改めてその才能を見直す。

1545終演。隣りの紀伊國屋ホールへ。月蝕のマチネ。終わりの約45分間をロビーのモニターで見る。寺山役の役者が暗転で転倒。額を切り、脳震盪を起こしたという。救急車を呼ぼうかという騒ぎになるも、そのまま続行。モニターで見る限りはセリフも大丈夫。
 サジェスチョンした中井英夫の演出を変更した模様。終演後のロビーには九條さん、偏陸、大澤さん、ささめといった桟敷組。青森から来た京武さんは用事があるとのことで早々に引き揚げたとのこと。
近所の喫茶店でお茶。元一水会の鈴木邦男、大久保鷹、高取、山崎哲の顔ぶれ。

 1900、清澄白河で林美雄メモリアルクラブのオフ会。10人ほどの会員と初顔合わせ。二次会は中川梨絵さんの店。行きたかったが、翌朝のことを考えて脱落。2230帰宅。町は祭りの余韻。

8月24日(木)晴れ

 1400、中野。ポケットで劇団PATHOS PACKの旗揚げ公演「VACANCY? NO VACANCY!」。


 宇梶剛士が金井良信、平野貴大らと旗揚げした劇団。その昔、「打々芝居」というプロデュース劇団を主宰(その後「damin」に移行)していた宇梶。マスコミでブレイクし、社会人野球の監督などに活躍の場を広げても、芝居への情熱は衰えることはない。赤字必至の小劇団を旗揚げするその心意気やよし。今回は、渡辺えり子譲りの現実と幻想が交錯する「反戦」四畳半劇。
 しかし、芝居がうまく転がらず同じところで足踏み。やや低調。客席は3割の入り。
 15.35終演。

 ふと、躰道本部が近所にあることを思い出し、躰道概論を買うため、電話すると、すぐ目の前のビルの2階。電話に出た女性は、大会などでよく見かけるスタッフ。先方も自分を知っているようで、「○〇支部のの○○さんですよね。社会人大会でお名前は……。この前、会報も拝見しました」と。おっと、情報が行き届いている? びっくり。

 新宿に移動。紀伊國屋ホールへ。1600、ちょうどゲネプロの終わり。高取さんとシーザーが演出席に。
 月蝕歌劇団は初めての紀伊國屋ホール。シーザーは「レミング」以来、24年ぶりの紀伊國屋ホール。そのときはまだ寺山さんは生きていたのだ。そして、今、「寺山修司の生涯」を舞台化する。不思議なめぐり合わせ。
 ダメ出しを見ながらそんな感慨に……。

 PANTAはギプスは小さくなったもののまだ松葉杖。ロビーで大久保鷹さんらと談笑。カーテンコールで「毛皮のマリー……ではなく、ケガのマリー」とPANTAを紹介したいという鷹さん。アドリブは罰金。ウケ狙いの衝動を楽日まで抑えられるか。

 客入れの6.30まで、ロビーで観察。珍しく、K鍋社長が出席のFAXを寄こしたというので、康芳夫氏と入口で待機するも、ついに現れず。

 高取さんの交友関係の広さを表すように客席には異色の顔ぶれ。平岡正明、林静一、秋山祐徳太子、故梶原一騎夫人の高森篤子、元ブント叛旗派の三上(味岡)氏etc。評論家では、扇田昭彦、高橋豊、江森盛夫、七字英輔、西堂行人etc

 月蝕得意の暗転からスタート。
 紀伊國屋ホールはマッチが使えないため、懐中電灯を使っての「大滅亡」口上。これは残念。マッチするその炎のゆらめきこそ寺山修司なのに……。
 約2時間15分。開演時間が押したので2125終演。

 終演後、「銅鑼」で乾杯。康さん、林静一氏らが先行。次いで、高森さん、梁山泊の三浦伸子さん、大久保鷹、高橋さん、江森さん。

 鷹さんは旗揚げ当初の天井桟敷を見ているという。「天井桟敷の芝居は好きだったよ。あの頃、役者が劇団を自由に移動できる制度があればいい、なんて考えていたんだ」と。紅テントの申し子のような大久保鷹がそんなことを考えていたとは。なかなか面白い発想だ。今日は紅、明日は黒、その次は桟敷……。

 天井桟敷と状況劇場の乱闘事件の時には、鷹さんも乱闘に加わって拘置所入り。「2階がオレたち状況組で、1階に寺山さんが入ってた。2階に上がるとき、下から寺山さんがニヤッと笑って手を上げてね。唐(十郎)さんにとっては兄貴分だし、そんな寺山さんがかっこよく見えたね」

 高森さんからは、梶原一騎の意外な面を。近所で火事が起こり、類焼するかもしれないと、みんなが逃げようとしていても、泰然として締め切りの原稿を書いていたとか。毛布が見当たらないので、家に戻ったらその毛布で原稿用紙をくるんでいた……など。1950年代の「チャンピオン太」の後、しばらく不遇時代が続き、講談社の雑誌一誌だけの注文しかなかった。それでも、えらそうにふんぞり返っていたとか。「有名になって、お金が入ってふんぞり返るのではなく、貧乏なときも変わらず、傲岸不遜な態度でしたから。その点は首尾一貫していて、えらいですよね」と夫人。

 2330、終電に間に合うように、江森さんと先に失礼する。

「花売車どこまで押せど母貧し」
 この寺山の俳句を、「はなばいしゃ どこまで……」と役者が読んだので、オヤッと首をひねったのだが、”はなうりぐるま”では五七五からはみ出してしまう。しかし、「はなばいしゃ」はないだろうと、しばし、論議。さて、寺山さんはどう読ませたのか? ナゾひとつ。

 今回の舞台。寺山修司の生涯を描きながら、彼の舞台作品の登場人物、(明智探偵、少年探偵団、毛皮のマリーetc)を交差することによって、寺山論を演劇化している。言い換えれば、高取史観による寺山論。
 長崎萌(現・平良千春)がメフィストとして、寺山修司の命と引き替えに魂を奪うというシーンはもちろん「ファウスト」であり、月蝕歌劇団が上演した手塚治虫版ファウストをパロディーにしたもの。その芝居に出ていた長崎萌が演じるのは二重のパロディー。

「みんなが行ってしまったら この世で最後の煙草を吸おう……」という天井桟敷最後の公演「レミング」の主題歌「世界の涯てへ連れてって」の合唱に思わず涙。

 しかし、不満なのは、寺山の晩年を演じた役者の造形。スタイリッシュで、颯爽としていた寺山が、「母親の影に怯える情けない中年男」にしか見えない。カッコ悪いのだ。寺山さんはめちゃくちゃカッコよかった。これだけは不満。実在する人物を演じるのは難しいが、あまりにもデフォルメしすぎて、その人物像が破壊されるのはどんなものか。「編集長」こと中井英夫を演じたのはスギウラユカ。それはないだろう、というデフォルメぶり。山田太一もそう。中井に関していえば、ホモクセクシュルであることのみがクローズアップされる。クネクネと身をよじらせるのは……。生前の中井氏は寺山同様、スタイリッシュで毅然としていた。パターン化された演技はこの場合、抑制してほしかったと思うのだ。

 

 2430帰宅。睡眠時間がない……。


8月22日(水)快晴
 今日もまた猛暑日。

 テレビの据え付けを機に、部屋の大掃除。真空管テレコなどは田舎に発送。到着指定ができるのが嬉しい。夕方には一通り片付く。本とビデオ、こればかりは場所を取ってどうしようもない。一部はレンタルの物置に。

 夕刻、家人に付き添い、歯科医に。帰省の切符を手配。レンタカー6日間で4万円弱。

 2000、M井さんからのメールで今日の朝日新聞夕刊に佐々木昭一郎氏が「新作を撮る」という記事が載っているとの知らせ。それが本当なら重大事件。慌てて夕刊を求めてコンビニをハシゴするがどこにもない。一般紙の夕刊がコンビニでいかに少ないか。携帯を忘れたので、公衆電話から家に電話して、朝日の専売所の電話を聞く。で、教えられた販売所に自転車で駆けつけると、販売所は無人。電話しようと公衆電話をを探すも、なかなか見つからず。ようやく見つけて電話すると「すみません、二階にいたので気がつかなくて」。で、販売店に再び急行。ようやく夕刊を一部手に入れることができる。

 しかし、今の時代、新聞の夕刊を一部手に入れるのにこんなに苦労するとは。まず、携帯の普及で公衆電話が姿を消しつつあるのも、今回の敗因。便利になったようで、実は一歩外れると不便極まりない。
 肝心の記事は、佐々木さん一流のリップサービス? しかし、主役に「早稲田の女学生」という具体的な記述。もし、実現すれば、事件だ。

 田舎で地震があったとのテレビ速報があったので、従妹に電話。ついでに、ボイラーの件、プロパンガスの件をお願いする。地震は「気がつかなかった」とか。

8月21日(火)快晴

 1600退社。芝居を見に行くまでの時間待ちが長すぎる。秋葉原で下車し、「書泉」に。

 あまりにも暑すぎて読書意欲も湧かないのだが、じっくりと時間をかけて1階から6階まで店内を巡る。ペット本、オーディオ本、格闘技本、映画本など、普段は通り過ぎるコーナーまで丹念に。

 女優・新屋英子の「私の履歴書 身世打鈴」(解放出版)を見つけたので立ち読み。自身の幼年期の写真や長女・鶉野樹里の子供の頃の写真など図版多し。反差別と反権力に半生を捧げ、一点のブレもない女優の生き方。買おうかと思ったが、アマゾンの中古書だといくらだろうと、ついネット値段を考えてしまう。安く買えたらそっちが……。これじゃあ本も売れないよなあ。

 結局1階のムック、雑誌本のコーナーで、三國連太郎著「生きざま死にざま」(KKロングセラーズ)、「蘇る封印映像 幻の特撮&アニメ徹底ガイド」(三才ブックス)を。自分のルーツが被差別部落にあることを公表し、死ぬまで求道の旅を続ける三國連太郎の半生記。被差別の苦悩を背負っていたためか、徹底して国家やそれに付随する権力を憎んだという父親。たまに東京見物に来ても靖国神社には見向きもせず、軍人に与えられた従軍記章を後生大事にしまいこんでおくどころか、犬の首輪代わりにしていたという。そんな気骨のある父親も、最後まで自分の出自を息子に語る事はなかった。最後の死の床で、涙ながらに声なき声で訴えたものは何だったか。被差別が三國連太郎の反権力の原点。84歳。久しぶりに「異母兄弟」を見ようか。34歳の時に、老け役をするために、上の前歯を麻酔なしですべて抜いたという、その映画。ちょうど、今日、BSで放送したのだった。


  本屋を出て、地下鉄に乗り継ぎ、森下へ。ラーメン屋で中華丼780円。

 お茶でも飲もうかとベニサンに喫茶店に向って歩くと、自販機前で自分を呼ぶ声。誰かと思いきや流山児氏。そうか、ベニサンスタジオで「オッペケペ」の稽古中か。「今日はこれから振付やりますから」というので、稽古場見学。久しぶりの町田マリー、塩野谷さん。総勢30人弱の集団劇。振付シーンも大迫力。6・45まで見学。山口小夜子さんの急死の話をすると流山児氏知らなかったようで驚いた顔。「そりゃあ、信(佐藤)さん、ショックだろう。(観世栄夫さんといい)立て続けに大事な人が亡くなるんだから……」と。佐藤信演出、二期会の11月オペラ「天国と地獄」の衣裳を山口小夜子さんが担当していたとのこと。

1900、ベニサンピットで「ここからの距離―The Distance from Here」。アメリカの作家、ニール・ラビュートの脚本を千葉哲也が演出。

 父親が誰ともわからない赤ん坊を育てる少女。その血のつながらない母と兄、母の愛人。16歳の少年たちの無軌道な怒りと絶望。舞台を覆う濃密な性と暴力。いかにも千葉哲也らしい匂いが漂う。

 千葉、植野葉子以外は無名の若者たち。主演のダリルを演じた土田祐太、小谷真一、そして小林夏子が不安定な若者群像を体当たりで演じていてすがすがしい。中でもダンサー出身の香子は注目株。

2時間10分。駅までT橋豊さんと。「ビールでも飲んでいきませんか」と誘われるが、「ハゲタカ」が待っている。3回目も見逃すわけにはいかない。録画もいっぱいで、リアルタイムで見るしかない。冷たいビール断念。T橋さんも苦笑。地下鉄で別れて一散に家まで。2210到着。なんとか間に合った……。

 注文した液晶テレビが届く。

8月20日(月)快晴夕方雨

 午後、田舎の漁協に電話。帰省の際に漁業権の相続を、と思ったのだが、「住所が当地でなければ相続できない」との返事。去年は、「将来的に不都合があるといけにあるから今のうちに相続を」と言っていたのに、この「手のひら返し」。確かに、田舎に居住しない者に漁業権があるというのも不自然かと思うが、相続権とは別問題。
 しかも、担当者のその言葉のウラに何か不審なものが感じられる。

 思うに、原発の補償金が新たに分配されることが決まったので、なるべく「部外者」はオミットしようという意図があるのでは。こちとら、補償金など眼中にない。ただ、父祖の漁業権を、消滅させたくないということだけ。いつかは田舎に戻るかもしれない。その時に、漁業権があれば海草採りだってできるわけで。万が一「補償金目当ての相続」と思われたとしたら心外この上ない。

 故郷とのつながりがまたひとつ断ち切られたような空漠とした気持ち……。

 昔録画した大映映画「夜の蝶」(1957年)を見る。
 京マチ子と山本富士子の二大スターの共演。銀座の高級バーの女将と、京都から進出してきたバーの女将の過去とメンツをかけたすさまじいバトル。もちろん、当世風の品格のないバトルではないが。伝説の文壇バー「おそめ」をモデルにしたものとか。船越英二、川崎敬三、芥川比呂志 小沢栄太郎、山村聡、中村伸郎……錚々たる名優もみんな若い。名匠・吉村公三郎監督の流麗なタッチ。

 1957年といえば生まれたばかり。当然ながら、山本富士子などは、日本一の美人女優として喧伝されているのを仄聞しただけ。自分にとってははるかに年上で、長じてからも「おばさん女優」としてしか見ていなかったのだが、今見ると、撮影時は今の自分よりも年下なわけで、「なんてきれいな女優さん」と陶然としてしまう。この不思議な感覚。子供の頃の教師がある日自分より「年下」になり、「当時の教師の気持ちが手に取るようにわかった瞬間」のようなもの?

 それにしても、昔の映画は品格がある。ものみな安きに流される現代から見れば……。

 山口小夜子さん急死の報に驚愕。自宅で倒れているのを訪ねてきた友人が発見したという。すでに死後2〜3日。急性肺炎というが、一人暮らしだったための悲劇。つい1カ月くらい前に新宿のスペースゼロの客席で姿を見かけたばかり。相変わらずの美しさ。死の影などあるわけはない。寺山修司の舞台「中国の不思議な役人」、映画「上海異人娼館」でもその妖しい魅力が際立った。切れ長の目、独特の化粧、ファッション界だけでなく、70年代の日本の美の象徴だった。美人薄命とはいうが……。
 

8月19日(日)快晴

 きょうもまた猛暑。0900〜1200、躰道稽古。子供は3人。残りは壮年組。この時期、壮年の出席率は抜群。9月の社会人大会の団体戦入賞を目指して稽古三昧。スポーツドリンク2リットルはあっという間。

 1300帰宅。昼食は家族で「華屋与平衛」。
 家に帰ると、昼のビールのせいか睡魔に襲われ、前後不覚。気がつくと1900.おっと、半日がフイに。

 今日からアンコール放送される「ハゲタカ」を見てから就寝。なるほど見ごたえのあるドラマ。
 麿赤兒の息子の大森南朋。親としてはこんないい俳優に育ってくれて嬉しいだろうなぁ。……などと、最近では息子と父親の関係につい目がいってしまう。わが豚児、10年先は……。


8月18日(土)快晴

 ついに大井競馬まで中止に。混乱いつまで続く。

1500、日生劇場で文学座「若草物語」。南北戦争時代、従軍牧師として不在の父親に代わり、マーチ家の四人姉妹メグ、ジョー、ベス、エイミーをいつくしみ育てる母。裕福ではなくとも明るく仲睦まじく暮らす家族の姿。降りかかるさまざまな試練が彼女たちを「リトル・ウィメン」(原題)と成長させていく。実は恥ずかしながら、この名作を読んだことがない。今回舞台を見て初めて全体像を掴んだ次第。

 作者のルイーザ・メイ・オルコットの父は宗教的にも社会的にも急進的な考え方の持ち主であり、いわば、元祖「インテリ、ヒッピー、ベジタリアン」。超絶主義(自然や心理などの神的概念は人間の魂に内在すると考える思想)を信奉し、教育改革に身を捧げる生涯を送ったという。しかし、そのような理想主義がアメリカ社会に受け入れることは不可能。

 何もない丘陵地に「フルートランズ」という実験的な家族共同体を立ち上げ、水と野菜、パン、果実のみの食事で一日中、耕作にいそしみ、日没とともに休む禁欲的な生活が続けられた。しかし、プライバシーもなく、男性中心の生活は1年ももたずに崩壊したという。70年代の東京キッドブラザーズの「さくらんぼ共和国」の実験と似ていなくもないか。

 その父親の影響を受けたオルコットもまた、女性の参政権を説くリベラリストであり、奴隷制度にも反対の立場を取った。

 舞台は、作者を投影した二女ジョーの目を通して、4姉妹と家族の物語が綴られる。ジョーを演じた佐藤麻衣子がはつらつとした演技。ベス役の尾崎愛もまた、薄幸の少女の造形がぴったり。会場には時折り子供たちの嬌声が響くが、子供の頃に、このような簡潔で清新な舞台を見せるのは情操教育にもなるだろう。意味はわからなくても後できっといい想い出になる。


1730、終演。15分の休憩を挟んで2時間30分。隣りの江森さんと開演前におしゃべり。「松田さん、最近見ないね」と。


 1830帰宅。マンションの自治会の会合。夏祭りの打ち合わせ。が、当日は出席できないので、早々に引き上げ。

8月17日(金)快晴

 JRAの土日開催中止で大混乱。馬インフルエンザで競馬開催が中止になるのは36年ぶり。終日社内混乱。あおりを食って1700まで待機。

 パソコンのモニターをテレビ代わりに利用していたが、コンバーターがいかれてしまい、やむなく液晶テレビを買うことに。15インチで2万5000円。ついでに、放置していたDVDレコーダーも修理に出す。こちらは修理代2万6400円。物入りなこと……。

8月16日(木)猛暑日

 40度を超す猛暑。外出すると血液が沸騰しそう。

 午後、仮眠室で昼寝。
 K下清さんの奥さんに電話。雑誌社からの中継。
 1700、銀座・山下書店で横山秀夫「真相」。次いで、書店の隣りの回転寿司へ。夏場のためか、めちゃくちゃシャリに塩をきかせていて、酢の味などない。塩メシ? ひどい店。
 1730、渋谷。HMVでCD物色。
 1800、元のジアンジアン跡の喫茶店へ。ルノワールから新しい店に衣替え。

 1900、パルコ劇場で「LOVE30 Vol2」。

 宮田慶子演出で、3人の気鋭の作家が書き下ろし。男女のカップル3組のオムニバスドラマ。

 一組目は内田滋+純名りさ「北向きの女」(青木豪・作)。2人は不動産会社の先輩後輩の関係。先輩女子社員は社長と不倫しているらしい。2人きりの彼らに微妙な雰囲気が……。

「アルゼンチンにて」(作=赤堀雅秋、鈴木砂羽+尾美としのり)は田舎の高校同窓会の2次会、カラオケボックスで2人きりになった元恋人同士を描いたもの。カメラマンになる夢をもってこの町を出て行った男。彼について行けなかった女。10年の時間を取り戻そうとする男と女。絶え間なく降り続く外の雨のように、別れた男と女の心理を。

「箪笥の行方」(作=田村孝裕、小西美帆+羽場裕一)は3年間の同棲を解消し、引っ越しの最中の2人。タンスの所有権をめぐって小さな諍いが……。女心に鈍感な四十男を羽場が絶妙に演じて、3作の中でもっとも軽やかでシャレたお話。小西美帆は、「こんな恋人がいたら……」と思わせるちょっぴり気が強いけど、明るく楽しい女の子を好演。
 3作品で1時間45分。これくらいがちょうどいい。

 青木、赤堀、田村ーーこの3人は私生活でも仲がいいとか。力を抜かず、きちんと3人の個性と力量を出した佳作。この手のオムニバスにしては珍しく充実していた。

 JR経由で帰宅の途。約1時間。

8月15日(水)猛暑

 昨夜、友だちの家に遊びに行った豚児が朝帰ってくる。初めての外泊。中学生にとっては冒険のひとつ。
 さて、自分の中学時代はどうだったんだろう。

 私の一番古い日記は9歳の時の日記。学習雑誌か漫画誌で「暗号で日記を書こう」という記事に刺激されたのか、暗号で日記を書いている。それを解読すると、

10月17日、雨。
家なき子について。物語を書いた人。エクトール・マロー。フランスの小説家。1830年5月20日、下セーヌ県のラ・ブーユに生まれる。1907年7月19日、セーヌ県フォントネー・スー・ボアで79歳で死。この物語を読んで深く感動した。

10月 日 がんくつ王を読んで感動した。

 これじゃ読書の感想文?


 小学校3年生の頃。1週間に1度貸し出しのある学校の図書館が開くのを待ちきれず、職員室に行って、担当の西村先生(当時は、おばあちゃん先生だと思っていたけど、定年前だからまだ50代の先生だったんだ!)にカギを借りて図書室を開けたものだ。そんなに蔵書の多くない図書館の物語本は、じきにすべて読んでしまった。伝記ものは好きじゃなく、東欧、ギリシャ神話など世界各国の民話・物語が大好き。都会のように大きな図書館があったなら、あの頃の自分ならきっと毎日でも通って読み尽くしたかもしれない。

 都会の子供がうらやましかった。科学の実験で使う溶液やフラスコ、ビーカー、そんなのを売ってるデパートがあるでなし。中一の時、組み立て式の天体望遠鏡をようやく買った時には、三脚を手作りした。学校の理科室にある天体望遠鏡の三脚をモデルに見よう見真似で、裏の小屋にある木材の切れッ端を使って。そう、昔は、モノがない分、自分で作ったのだった。今流行のブートキャンプではないが、ブルワーカーなる体力増強器具が爆発的に流行った頃も、1万円(確かそんな値段)なんて払えるわけはなく、木と洗濯ロープを使ってブルワーカー自作。伸縮しなくてもやる気さえあれば「ブルワーカー」になる。結構、いい運動になったような気がするけど……。


 電車の中でも携帯や電子ゲームに夢中の今の中学生たち。
 自分はどうだったんだろう。

12歳(小学6年)の時の日記。

7月30日(日)晴れ
 夏休みに入った。今日はコンブの赤葉切りで忙しかった。夏休みに入り気が抜けたせいか勉強に身が入らなかった。夏休みの宿題は計画通り進んでいる。

7月31日(月)晴れ
 午前9時より午後3時まで〇〇でブラスバンドの講習会。今日も〇〇から帰り、すぐコンブの赤葉切り。午後9時まで。それより11時まで勉強。

8月1日(火)雨
 今日もまたコンブの赤葉切り。3日までなので、これを書かないことにした。今日からラジオ体操。体操終了後、盆踊りの練習。

8月3日(木)晴れ
 昨日でコンブが終わったので今日はおおいに遊んだ。ライトプレーンを飛ばしにみんなで中学校のグラウンドに行った。11時解散。
8月4日(金)晴れ

 朝、ラジオ体操の時、〇〇とケンカをした。が、すぐ仲良くなった。昼、水泳ぎに行った。まだ泳げない僕を〇〇たちが指導してきれた。おかげで犬かきくらいはできるようになった。その時の喜びは忘れられない。

8月9日(水)晴れのちくもり
 コンブ干し。夜、コンブの赤葉切りを一時間。あすから勉強に身を入れようと思う。あと14日で夏休み終わり。計画的に生活をおくろう。宇宙大戦争を見た。12チャンネル、3時35分から。


 今でもそうだが、コンブ漁は各家庭の1年の大きな収入源。漁師でなくても、漁業権があれば、夏はコンブ漁に出た。コンブ漁は一家総出で行う夏の風物詩。子供たちもまた貴重な労働力になる。

 私も祖父、父と一緒に海に出て、手伝った。小学生が何を手伝うかといえば、まず、採って来たコンブを海岸の石場に干す。それが乾くと夕方に取り入れる。それを繰り返し、ある程度コンブが乾燥したら、コンブの端で赤く変色している「赤葉」を切り落とすのだ。何千枚もあるコンブの赤葉切りは重労働。
 それ以外にも、実際に父親たちと沖に出て、海の仕事を手伝うことも多い。


 私の父は、漁師ではないので「チャッカ」と呼ばれる大きな船ではなく、小さな「磯舟」でコンブ漁をしていた。それに一緒に乗り込み、「けやせ」と呼ばれる櫂操りをするのだ。父の指示に従って船を操り、コンブの繁茂する場所に移動する。おかげで、体はたくましくなったが、船酔いだけはつらかった。ときにはゲーゲー吐きながら必死に櫂を操る。朝4時台に起きて、5時半出航。9時に操業停止。朝、天候が悪いと「今日はコンブ漁が中止。よかった」と心底思ったものだ。天候を見て、見合わせは、漁協に白と黒の「半黒」と呼ばれる旗が上がる。ゴーサインは赤旗。操業停止は黒旗。黒旗を掲げた船が船団の中を駆けて来るのを見るとホッとした。これで陸に帰れる……と。陸に上がって、水を浴びて牛乳とパンを食べてそれから学校へ。1時限の途中から。当時のコンブ漁と生徒の遅刻は県教育委員会で問題になっていたが……。

 ことほどさように子供の頃の夏の思い出はコンブ漁一色。それが田舎を離れるまで続いた。だからコンブを見ると、今でもコンブ漁の長い夏を思い出してしまい、切ない気持ちに襲われる。

 今思えば、自分を大学まであげるのに、両親はどんなに苦労しただろう。父の採ったコンブ一枚一枚が自分の今の生命につながっているのだ。つらいとか苦しいといったらバチが当たる。

 お盆もきょうで終わり。こんなことをふと思ってしまったのも、お盆で帰ってきている父母の魂がそばにいるためかもしれない。

 お盆には帰れないが、もう少ししたら……。
8月14日(火)快晴

 猛暑。パソコンで最北端のライブ映像を見ると、大勢の観光・帰省客。里心を刺激される。

 1900、北千住。シアター1010で「しとやかな獣」。川島雄三の映画作品を高平哲郎が演出。脚本=新藤兼人。開演前に隣席の七字英輔氏とおしゃべり。母親が九州出身で、4歳まで九州で育った七字さんは朝鮮戦争の時に東京に出てきたのだという。色々調べたが、七字という苗字は水戸にしかない、という話。高校時代に、「反大学」を叫ぶ高校生たちを糾合した早熟の天才・七字さん。「川島雄三が大好きで、彼が亡くなったとき、葬儀に行きたくて行きたくて……」と。

 この「しとやかな獣」は川島雄三の代表作。登場人物はみな小悪党ばかり。娘を小説家の愛人にしてそのお手当てで優雅な暮らしをしている夫婦。しかも、芸能プロダクションに勤める息子に横領させ、そのカネをも巻き上げている。芸能プロの美人経理も不正を働き、みんなが銭に群がる悪党。その悪党達の右往左往をコミカルに、シニカルに描いたのは川島雄三の映画。

 しかし、舞台は惨憺たるもの。舞台のかなり後方に1960年代の団地の一室のセットが組まれ、そのセットに反響してセリフにエコーがかかり、ほとんど風呂場の芝居。少し声のトーンを落とすと、プロンプターの声と聞き間違えそうなくらい。セリフが聞こえないというのは致命的。それに輪をかけて、演出が平板。テンポは遅い、間延びしている、リズムがない。ほとんど舞台として成立しない。高平哲郎の演出は何度か見ているが、いつも同じ。間延びしていて舞台に躍動感がない。宝塚出身の真琴つばさ(会社の経理担当)はそのまんま、宝塚の男役口調。作り声が聞き苦しい。それぞれの演技もバラバラ。唯一、愛人役の山田まりやだけが生き生きとした演技で場を救っている。

 わけのわからない暗転や紗幕の上げ下げもわずらわしい。客席は終始静まり返り、時折り、条件反射的に笑いが漏れるだけ。なんという低調な舞台。2100終演。きっちり2時間。

2130帰宅。今頃、田舎はお盆の賑わいが残っているだろう。
 



8月13日(月)快晴

 外に出ると熱射病になりそうな暑さ。

 1600、4Fで重大発表。恐れていたことが。この日が来るのは覚悟していたが……。

 1700、池袋。「ウインザー」で豚児の欲しがっていたヨネックスのテニスキャップを購入。案外、テニス帽というのはショップに置いてないものだ。都内の有名店舗を探してようやく見つけたのだから。「在庫がなくて、取り寄せになります。お盆時期なのでメーカーは休み。20日過ぎには……」との返答を何軒聞いたか。

 1800、代々木。「代々木庵」で高校同窓会の「幹部会」。幹事会の「世代交代」の話。組織はどこでも抱える問題。いつかはバトンタッチしなければ。会社ではバトンを渡すほうだが、同窓会ではバトンを受け取る方?

 寝不足気味なので、早めに退散したかったが、結局2130まで。バテバテで帰宅。2400就寝。

 明け方、またしても、枕元に響くセミの声で目が覚める。マンションの壁を林の木の枝と勘違いするセミや哀れ。

 Y木奈江ちゃんにリメール。


8月12日(日)快晴

 0900〜1245、躰道稽古。さすがにお盆前とあって人数は少ない。子供は1人だけ。一番多いのは壮年組の5人。窓を開けても風は入らず。暑さとの闘い。

 1300、帰宅。仮眠。
 田舎に帰った友人からの写メールに望郷の念募る。明日からお盆。一年に一度のハレの日。今、そこに居合わせない自分。

 
 テレビで100bのヨーヨーが可能かどうか、という子供の夢を実現する番組を家族で見る。どうして外国まで行って実験するの? という話になった時、「100bの断崖が日本にはないから」と、みんなが言ってるそばから、ふと、いつもの同僚と交わす冗談のつもりで、「スタッフが海外旅行したいからだよ」と言ったとたん、豚児がキッとなって「薄汚い……」と一言。子供の夢を叶える番組を愚弄したと受け取ったらしい。オトナの考えは汚い……か。中2の豚児の純真さに驚くと同時に嬉しくなる。成績なんかどうでもいい。そんな純な気持ちを持ち続けてくれれば。


8月11日(土)快晴

 ついうっかり浅草行きの各駅に乗ったら、熟睡してしまい、気がつくとはるかにオーバーラン。引き返して乗り換えたり、結局、早めに家を出ても意味なし。0710出社。

1400、ベニサン・ピットでシンクロナイズ・プロデュース「おしっこ」(作・演出=久次米健太郎)。タイトルは谷川俊太郎の同名詩からの引用。きわものめいたタイトルだが、今年見た舞台の中でも屈指の好舞台。

 退屈な日常から抜けだそうと、家族の反対を押し切り、恋人とも別れ、海外へ向かった「自分探し」の青年。だが、彼が到着したのは銃弾飛び交う中東の戦地。わけもわからずさまよう彼が出会うのは……。
 一人の青年の心の旅を通して、「現代」を映し出すナンセンスでシニカルな物語。パフォーマンスや歌、ダンスを取り入れた「脱・物語」。よどみない演出、役者の演技、これほどレベルの高い舞台は久しぶり。野田秀樹の「Bee」の上を行ってる。久次米健太郎は関西の演出家らしいが、名前を聞くのは初めて。演劇界は広い。こんな演出家がいたとは。

 ちなみに谷川俊太郎の詩は以下の通り。

おしっこ

 谷川俊太郎

大統領がおしっこしてる

おしっこしながら考えている
戦争なんかしたくないんだ

石油がたっぷりありさえすれば

テロリストもおしっこしてる

おしっこしながら考えている

自爆なんかしたくないんだ

恋人残して死にたくないもの

兵隊さんもおしっこしてる

おしっこしながら考えている

殺すのっていやなもんだぜ

殺されるのはもっといやだが

男の子もおしっこしてる

おしっこしながら考えている

マシンガンを撃ってみたいな

きっと気持ちがすっきりするから


武器商人がおしっこしてる

おしっこしながら考えている

銃がなければ平和は守れぬ

金がなければ自由も買えぬ


道で野良犬おしっこしてる

おしっこしながら考えている

敵もいなけりや味方もいない

ただの命を生きているだけ

1545終演。1時間45分。今の演劇界では「短い上演時間」。しかし観客に自分たちの思いを伝えるには十分な時間なのだ。

 地下鉄で岩本町=秋葉原。書店で500円ビデオを4本。「まぼろし探偵」のDVD1巻2巻、「怪奇十三夜」、緑魔子主演の回と南久美子・高城丈二主演の回を。ヨドバシでDVDケース購入。相変わらずごった返す店内。大画面テレビを買える人たちって……。

1800、帰宅。

8月10日(金)快晴

 1540、新宿・歌舞伎町。コマ劇場で「すけだち」上演中の看板を横目に、「トランスフォーマー」を観るため映画館へ。「すけだち」は商業演劇に青田刈りされた「劇団鹿殺し」の丸尾丸一郎+菜月チョビの脚本を岡村俊一が演出している。評判がよくないのはアイドル松浦亜弥を主演にしたイージーさもあるだろうが、少し人気が出るとジャニーズ事務所や商業演劇用に小劇団の才能を青田刈りする制作会社の責任もある。もう少し稲穂が出るまで待てばいいのに、青いうちから刈り取ってダメにする。

「トランスフォーマー」はVFXがすごいというだけの映画。予断なしで見たが、元がアニメだかマンガなので、あれあれ……という展開。しかし、映画の特撮も行き着いた感じ。満腹感。

1730、映画館を出て、歌舞伎町から新大久保方面へ。東京に来て35年、新宿から新大久保まで歩いたのは初めて。こんなに近いとは。いつも「点」を移動するだけだから、「面」がわからない。
 新大久保の裏通りを歩くことはめったにないので、ここが「異国」になっているのを実感。ハングル文字が軒を連ね、焼け跡闇市のような「立ちんぼ」までいる。エネルギッシュな町。

 1830、ライブハウス「Naked Loft」。1900からPANTAと菊池琢己のユニット「響」のライブ。企画アルバム「オリーブの樹の下で」の発売を記念してのツアー途上。アルバムは東京拘置所内の重信房子とPANATAの交流から生まれたもの。重信房子の書いた詩を補作し、PANTAが歌う。「母への花束」「ライラのバラード 英語詞」は重信メイが歌っている。

 1900からだし、オールスタンディングだろうと思って30分前に会場に入るとすでに大勢の観客。3分の2が椅子席で、すでに満席。後から来たお客さんは椅子の後ろでスタンディング。事務所の森さんにサンプル盤とパンフレットを頂く。

1900、PANTA登場。ギプス、松葉杖姿。名古屋公演で、アンコールの際、暗闇の中、階段から足を踏み外したという理由説明に会場から笑いが。

 ギター2本のアコースティック主体ライブだが、ツアーを経て、2人の息もピッタリ。まずはエレキギターを駆って「P.I.S.S.」から。デュオとは思えない迫力。「プラハからの手紙」「ネフードの風」など旧譜を交えて2時間10分たっぷりのライブ。アンコールは松葉杖を考慮して「バーチャル」で。寺山修司詞の「時代はサーカスの背中に乗って」など。

 今回のアルバムはややフォーク、あるいはフォーク・ロック調の歌が多い。「手紙」のメロディーライン、リズムなど、伊勢正三の「22歳の別れ」風。長編「ライラのバラード」は聴き応え十分。

「ロックは怒りだ!」を思い出させたのは「七月のムスターファ」。イラク戦争の時、フセインの2人の息子、ウダイ氏、クサイ氏が米空挺部隊に急襲され、射殺されたが、そのとき、ボディーガードと共に2人のそばにいたのがクサイ氏の息子で14歳のムスターファ。3人が射殺された後も1時間にわたって米兵と銃撃戦を繰り広げたのだ。「否定でも肯定でもない、14歳の少年がたった一人でアメリカと対峙した事実。それを知ってほしい」とPANTA。実は私も知らなかった。我が豚児と同じ歳。もしも、豚児が……と思うと、叩きつけるような哀切きわまる歌を聴きながら、目頭が熱くなる。

 2210、さすがに2時間以上のスタンディングで腰が……。楽屋に行ってPANTAに挨拶。明朝、飛行機で公演地の青森に行くという。ギプスは今月いっぱい。23日からの月蝕公演は台本を書き換えての出演。「来週からは芝居の稽古に集中ですよ」とか。

 2330帰宅。

8月9日(木)快晴

 ネットで買った「下北と都井」が届く。1962年の出版。著者は戸川幸夫。動物文学の戸川氏がこんな本を出していたとは。昔、どこかで聞いたような記憶があるが、実物を手にしたのは初めて。本州の北端と南端の岬の記録。

 未舗装の道、屋根石の民家。懐かしい風景。子供の頃の写真はだいたいが人物中心。町の様子を写した写真はあまり見たことがない。時間を飛び越え、幼年期の風景に入り込む。
8月8日(水)快晴

 昨日出したメールにY木奈江さんからリメール。もうアメリカに帰っているとのこと。

 オークションで落札した「下北半島町村誌」上下巻が届く。しかし……大間町史は載ってないない。なぜだ? ざっと読むと気になる個所。一時、先住民・蝦夷何人かに対して幕藩が扶養金を与えていたが、それが解除され、その中の一人はO戸村に移住したとも書いてある。その人物は「長松」と称したとか。先祖に「長松」の名前はあるが、それはだいぶ時代を下っている。同名異人だろうが……。古文書に新しい発見があるかもしれない。

 吉永小百合の映画を二本見る。「いつでも夢を」「ガラスの中の少女」。

「いつでも夢を」はこんな映画。

 主人公は定時制高校に通う看護婦・ひかる(吉永小百合=太陽のように明るくはつらつとした少女で愛称ピカちゃん)と、彼女に思いを寄せる2人の青年との恋を主軸に、貧しさの中でも必死に生きる青春群像を描いたもの。ひかるに恋する一人は、同じ定時制高校に通う勝利(浜田光夫)。父は蒸発、内職する母親と弟の3人暮らし。貧しさから抜け出そうと、昼は町工場で働き、夜は定時制高校で勉強。卒業したら大きな物産会社に入るのが夢。もう一人は長距離トラック運転手の留次(橋幸夫)。偶然出会ったひかるに一目ぼれ。勝利と恋の鞘当てを演じることになる。

 と書けば、なんだ普通の恋愛映画かと思うのだが、映画が封切られたのは1963年。まだ、戦後が色濃く残る時代。さらに、戦後民主主義が葉を付け始める頃でもある。ライバル2人も「民主的に=公平にいこうじゃないか。出し抜きはやめようぜ」と互いをけん制する。しかし、高度経済成長前、まだまだ庶民は貧しい。荒川の土手付近には長屋が立ち並び、遠景に工場街の煙。格差は厳然と存在する。
 映画の冒頭は荒川の貧しい長屋を背景に、河川敷でゴルフに興ずる中・上流階級の人たちの姿。この冒頭の貧富の差のショットが映画のテーマを現わしている。

 成績でも素行でもなんら問題はないのに、商社の試験に落ちてしまった勝利の気持ちを代弁し、担任教師が会社と掛け合うと、会社側の答えは「定時制の生徒は社会ズレしているからね。うちはやっぱりまっさらな生徒を取りたいんですよ」との答え。「一足先に社会に出て、仕事でもまれながら、真面目に勉学に励むこと」が、企業の論理では、「汚れがついている、社会ズレしている。そんな人間に組合運動でもやられちゃ困ると」なるのだ。

 ヤケになって世間を憎む勝利。3人の友情はどうなるのか……。
 この時期の日活映画はまさしく戦後民主主義を具現化しようという意欲にあふれていた。ひかるの友人(松原智恵子)も、働きながら学校に通っているが、肺病に冒され、身の不運を嘆く。貧困と社会矛盾。そして、それを乗り越えて新しい社会を築こうという希望。なんと、日活青春映画は階級闘争映画だったのだ。

 定時制の授業を終えて下校する生徒たちが帰り道で歌う「寒い朝」。
 子供の頃から耳に親しんできた橋幸夫と吉永小百合のこの歌が実はこんな場面で使われていたのだと気づかされ、胸がいっぱいになる。
「北風吹きぬく 寒い朝も 心ひとつで 暖かくなる 清らかに咲いた 可憐な花を みどりの髪に かざして今日も ああ 北風の中に 聞こうよ春を」

 貧しく清らな若者たちの社会の風に立ち向かう希望の歌だったとは。
 それにしても、吉永小百合の可憐なこと。
 1945年生まれの吉永小百合こそ戦後民主主義の体現者だということに気づかされる。
 吉永小百合の姿勢は一貫している。軸がブレることはない。原爆詩の朗読を続け、反戦・反核運動をライフワークとする吉永小百合。その底流には「キューポラのある町」から続く「戦後民主主義の子」が息づいている。ここ何十年かはさして気にも留めていなかったが、なんと吉永小百合は素晴らしい女優なのか。
 「ガラスの中の少女」は、大学教授の娘(父親は戦死し、母が再婚)と、貧しい職工(浜田光夫)との純愛を描いたもので、大人の偏見と無理解が純潔のままの死を選ばせる。15歳の吉永小百合のなんと可憐なこと。こんなに純粋無垢な高校生は21世紀には絶滅して、いない。


8月7日(火)快晴

 真夜中2時過ぎまでセミの大合唱。セミが夜中まで鳴くというのは異常ではないのか?

 1500、新宿。スペースゼロで「ケンコー全裸系水泳部ウミショー」。南明奈、矢吹春奈、愛川ゆず季、秦みずほ、安藤成子、川村あんなといったアイドルたち(全然知らないけど)が水着姿で舞台のプールに飛び込む……とか。脚本・演出は政岡泰志。ハイレグジーザスの常連で今は動物電気の主宰。なにか面白いことをやってくれるだろうと期待しつつ観劇。しかし……。学芸会以下という表現がこれほど似合う舞台もない。アイドルをうまく使ってそれなりに魅せるのはラサール石井が得意だが、政岡には片鱗もなし。ダラダラと登場人物のセリフが垂れ流しになるだけ。脚本構成ゼロ。かといって役者の当意即妙のアドリブがあるわけでもなし。客席はシーンと静まり返ったまま。わずかに小林健一が笑いを取るだけ。それも微苦笑。密室芸人を野外ステージに立たせるようなもので、動物電気とアイドルショーは水と油。こんなに低調で退屈なのに、休憩15分で2時間35分。長すぎる。客はアイドルオタクと芸能プロのマネジャーら関係者、そして出演者の家族。南明奈がトップアイドルのようだが、矢吹春奈の方が女優として長続きしそう。
柳田久美子ムネヒロ
南口タワーレコードで、柳田久美子「青春の輝き」、女性レゲエボーカリストMUNEHIROの「LIMITED」。スタンプカードを出したら「4日前に期限が切れてます」だと。ショック。しばらタワーで買ってなかったか?


 1900、渋谷。シアターコクーンで地球ゴージャズ「ささやき色のあの日たち」(作・演出・出演=岸谷五朗)。いつなのかどこなのかわからない、茫漠とした空間で二人の男が出会う。いつしか、彼らは自分が愛した女の話をし始める。二人の愛した二人の女。4人は人生の中で交差していた……。

 わかりやすいエンターテインメントを目指してきた地球ゴージャスにしては、時空を交差させたり、時間を往還させたり、構成が重層的でいままでにない冒険。もちろん、歌・ダンス・殺陣などを駆使したエンターテインメント性は十分。実に細かいところまで計算し、伏線を張っている脚本。岸谷五朗のコメディーセンスはかなりなもの。北村一樹も舞台初にしては落ち着いた芝居。

 驚いたのは山口紗弥加の歌のうまいこと。それもギンギンのロックボーカル。生バンドをバックにセクシーに力強く歌い上げるのだから、すごすぎる。そんな才能があったとは知らなかった。須藤理彩は出産明けの出演。コメディーリリーフとして、岸谷に伍す演技。大好きな岡千絵とSHUNのダンスシーンは体が震えるほど。さすがはダンス界の実力派同士。負けじと岸谷のダンス。これが43歳とは思えない体の切れ。いやあ、いい舞台を見せてもらった。同じエンターテインメントでもウミショーとは天と地の開き。2105終演。上演時間もちょうどいい。
2230帰宅。どうも掲示板が不調。仕方なく、新しい掲示板を設置。


8月6日(月)快晴

 実に鮮明な夢を見ていた。どこか郊外の駅。帰りの電車がない。さて、どうしようか、時刻ももう夜十時……。早く帰って眠りたい。早く……。夢の中で「ゆっくりと夢を見たい」と思っている。こんなはっきりとした「胡蝶の夢」は初めて。


4月に亡くなった作家、カート・ヴォネガットの遺作エッセイにこんな一節がある。

「善が、悪に勝てないこともない。勝利は全て組織力の問題だ。もし、天使というようなものが存在するなら、せめてマフィア程度の組織力を持つ必要はある」
「いま、この地球上でもっとも大きな権力を持っているのはブッシュ=陰毛、ディック(ディック・チェイニー)=男根、コロン(コリン・パウエル)=尻の3人だ。何がいやだといって、こんな世界で生きることほどいやなことはない」

「天使がマフィア並みの組織力を得れば悪に勝てなくもない」という言葉は切実だ。

 悪は自己の利害のために、即座に組織化し、肥大化する。しかし、善=天使はどうだ。己の正当性にこだわり、共闘の道を閉ざす。その結果、各個撃破され消滅する。今こそ「憲法第9条」のみを一致点に、すべての「天使」が共闘できないものか。

 安倍首相が辞めないのは右翼勢力の「安倍を使って9条改正を成立させる」との圧力があるからだという。ほとんど狂気の領域に近づいている操り人形首相の拠り所は極右勢力のみ。その要請に応えるのを自分の使命と信じ込んでいる。それを後押しする「母」=岸信介の娘。歴史の裏にうごめく魑魅魍魎たちによる政局の停滞……なんという不幸。


 1500、原宿。I病院で検査結果。「良性です」とのことでホッとする。診察待ちをしている2時間で「拳風夙夜」を読了。鈴木隆の「けんかえれじい」を髣髴とさせる、少年成長文学の傑作。惜しい。これがたった1巻で終わったとは。

 1900帰宅。昨夜、豚児の自転車の後輪タイヤが脱落。大きな事故にならなかったからいいようなもの、わずか2カ月で2回目とは。これは重大な欠陥ではないか。




「反米嫌日戦線」さんのブログから引用。

日本が戦争に巻き込まれたら、戦争に行くか?>>
行く
どうしてですか?>>日本を守るため。

自分の大切な人が戦争に行かなくてはならなくなったら、どうしますか?
千人針で、無事を祈りつつ、自分も行く。(中1 男 熊本県)


●戦争に行くか
「戦争には行かない」という意見が結構多いようですが、私はもしかしたら行くかもしれません。
国を守るため、大切な人を守るため、まぁ理由は分かりませんが、行くとなったら行くでしょうね。
だって国にいても、戦場にいても、どっちにしろ苦しむことには変わりはないのだし。
戦争がどんなものだか、考えたり本を読んだりするよりも、実際行っちゃったほうがよく分かるように思いませんか? (中3 女 神奈川県)


60年間中
 民間人が訓練もなくグータラすごしている国戦争を長時間経験していない国経験した人は老人の今です。それに戦力を増強する事ができない今この日本こそかもの国はないです、訓練もしていないから銃もろくにうてない。戦争が怖いからって敵前逃亡する兵士が増え負けるのは目に見えています。攻め込まれてもおかしくはないです(嘘のジョウホウを流され続けて恨まれるというかわいそうな国でもありますし)
 戦争に行くかって言われたら行きます
そりゃ…愛国心でしょうね

この国が好きです第2次世界大戦でこの国を守ってくれた英雄がいたこの国がすきです

戦争はいけないっていうけど所詮は口だけ、争いは絶えず続く
それに9条改正に(言い方が悪いですが…)無知な方が多いです
前にはデモ流してる人いましたし?
ちょっとは調べてからいって欲しいものです…
そんな攻め込まれるようなことするわけもないじゃないですか (中2 男 愛知県)


もし戦争に巻き込まれたら、私は戦争に行く派です。
みなさんの意見を読んでいて「行きたくない」って方が沢山いるんだな、という印象でした。
もちろんみんな死にたくはないだろうし、私だってできれば死にたくはありません。当然ですよね。
でも私はこの国を守りたい、とも思うんです。

「戦争には行きたくない。死にたくない。」と言う人達を守るために。守るために、戦います。私自身がこの世界で生きていて幸せだと思うから、今の生活を大切にしている人達の幸せを壊したくないと思います。
私の側に居る人も、一生会うことのない人も大切だから。
その為に他国の人の命を奪うのは哀しいけれど・・・
それでも攻められれば、守るために抵抗はします。

だから「戦争に行きたくない。死にたくない。」って言う人が居ることは大切なことだと思います。それはつまり「この世界で生きていたい。」ってことでしょう?
そういう人を守るために戦う人はいるんだと思います。少なくとも私はそうです。 (中3 女 東京都)


>>もし日本が戦争に巻き込まれたら、戦争に行く?
出来れば行きたくないです。
けど、やっぱ行くかなぁ。。。
大切な人を守るためなら行けそうです。(中2 女 埼玉県)


以上の書き込みはNHK「土曜かきこみTV」からの引用。

 今の小中学生がここまで「愛国者」に洗脳されているとはオドロキを通り越して背筋が寒くなる。教育基本法を改正しなくても、もうこの国の教育は十分戦前に回帰していたのだ。

8月5日(日)快晴

 0900〜1200、躰道稽古。顔写真入りの名簿を作成。配布。

 この暑さのためか参加者は十数人。子供と壮年がほとんど。絶えず水分を補給しないと倒れそう。2リットルも飲んだか。それがすべて汗に。さすがに最後は疲れてボロボロ。

1300、帰宅して昼食の後、ベッドに横になるや熟睡。目が覚めると1830。一日が終わってしまう。

 きょう、I内先生からいただいた、「躰道新聞」、祝嶺正献著「新空手道教範」、大野景範著「拳風夙夜」をざっとながめる。「新空手道教範」は60年代に空手界を席巻した著書。空手の成り立ちから、その精神、平和への希求など、単なる空手技術教範ではなく、祝嶺正献氏の人間の大きさを感じさせる名著。今存命なら、武道界も変わっただろうに。「拳風夙夜」は、その祝嶺正献氏の半生を小説にしたもの。なぜか1巻で立ち消えになったが、実に痛快な武道小説。書き続けてほしかった。大野氏は川内康範の弟子に当たる方とか。

 昨日届いた古本「子供の科学」。1957年の小中学生の科学に対する知識欲の高さに驚嘆する。ラジオの組み立てから、さまざまな電子機器の組み立て図。懐かしさと驚き。

 夜、録画しておいたNHKの「新マチベン」を見る。校長転落死事件の後編。もみあった生徒をかばって身代わりに逮捕された女性教師。発端の学校爆破予告事件(インターネットカフェから他人のアドレスで発信するというありえない設定)にしてもリアリティーゼロだし、ヤンキー先生が自分をかばい続けてくれた校長の転落死で、生徒をかばうという二重構造も図式的。裁判所の法廷の声が外廊下まで聞こえていて、それを聞いて生徒が改心するというのも「なんだかなぁ」。さらにいえば、校長転落は事故であって事件じゃない。前回のホームレス傷害事件もそうだけど、「頭の中で考えた脚本」に過ぎない。井上由美子。そんなに持ち上げてられる作家ではないんじゃないの。こんな単純な「ヒューマニズムドラマ」、昔のNHKドラマなら二流三流。それだけ、脚本家の質も落ちているということだろう。「男たちの旅路」の土曜ドラマも落ちたもんだ。


8月4日(土)快晴

 終日会社で仕事。

1830、世田谷パブリックシアター。こまつ座+SISカンパニー「ロマンス」。
 井上ひさしの新作が無事初日を迎えたのは奇跡的。客席は当然ながら満席。ひとつ置いた左隣の席の老紳士夫妻に井上ひさしさんが話しかけているので、誰かと思ったら大江健三郎氏。芝居の席で大江氏を見るのは珍しい。二幕目からは隣に小島聖。

 チェーホフをめぐる愛と人生の物語。チェーホフ役は、年齢ごとに井上芳雄、生瀬勝久、段田安則、木場勝己が。妹マリヤは松たか子、妻となる主人公オリガを大竹しのぶが。また、劇中のさまざまな役を俳優が早代わりで演じる。2幕休憩15分で3時間10分。

「私の作品をたいくつな詩劇にしたのは、スタニフラフスキー、君のせいだ」
終幕、チェーホフが言うセリフ。「歌あり踊りあり軽業ありのボードビルこそ自分の作品の原点なのだ、それを誰も理解してくれない」と言い切るチェーホフ。スタニフラフスキーの演出するリアリズム演劇とは最後まで相容れなかったチェーホフ。井上ひさしの演劇論ともいえる。
 2145、井上都さんに挨拶して家路に。

8月3日(金)快晴

 1400、KAZEのS崎さん来社。

1600、K川氏との約束あるも、時間ずれ込み、1700、T内のぞみ嬢と2人、来社。

 1800帰宅。関西在住のK氏よりDVD届く。ラジオドラマのナゾの主題歌の件。さっそく視聴。K氏はほぼ同世代。8ミリ映画のモノクロ画面は自分の高校時代にタイムスリップしたように懐かしくもあり、せつなくもある。カメラを向けられ、はにかむ少女たち。「はにかむ」という日本語はもはや死語に近いのかもしれないが、当時の女子高生には、この言葉がよく似合う。

 で、肝心の歌だが、

風薫る4月 桜吹雪の吹雪く中 薄紅にかすんで見える あれがあたしの愛の学校 暗く古びたお便所はあたしの夢の発動装置 エンリコ ガルロネ デローシ あたしを抱いてワルツを踊って エンリコあたしを強く抱いて 抱かれてあたし蝶になる 蝶になる空を飛ぶ 思わずあたしマッチを擦った あたしのマッチのひと擦りに浮かんで消える母さんの顔 ボールに当たって死んだ友達 そしてあたしの暗い笑顔
 風薫る四月 桜ふぶきのふぶく中 オレンジ色にメラメラ燃えるあれがあたしの学校

 林静一+あがた森魚を連想させるアングラフォーク調。ブリキの自発団の銀粉蝶のような歌い方。

 残念ながら聴いたことがない。
 しかし、乗りかかった船。劇作家のT谷信之さんらにメールで問い合わせ。T谷さんならNHKのラジオドラマへの造詣が深い。無沙汰を詫びながつつメール。
 不思議な歌をめぐる冒険の輪が広がる。

8月2日(木)快晴

 1900、池袋。東京芸術劇場小ホール1で「いとこ同志」。坂手洋二の作・演出。まつもと市民芸術館で企画制作された作品であり、今回、公共ホール演劇製作ネットワーク事業の一貫として、全国9カ所の劇場で上演される。

 入口では背広姿の劇場関係者が総出で出迎え見送り。この物々しさはなんだ、と思ったらそういうことだった。小ホールで行われる芝居には珍しく、舞台である列車の客席のセットがきっちりと組まれており、ずいぶんお金がかかっているようだ。
 登場人物は4人。渡辺美佐子+佐野史郎、向井孝成+宮本裕子。
 夜行列車の椅子席に座るサングラスの女。通路を歩いてくる男。無言で女の前の席に座る男。

 女は40年前からいとこを主人公にしたハードボイルド小説を書いている。大学闘争の時代、総括の時代……。いとこは時代の闇にまぎれ、国家の裏で暗躍する。目の前に現れたいとこは実在するのか、それとも幻想か。
 40年の時間を2人の想念が往還する。
 そしてもう1組。女の産んだ娘と、そのいとこの男性の恋愛。
 二組の男女の行き着く終着駅は……。

 時空を往還させながら、ふたつの人生を浮き彫りにしていく。坂手洋二がここ数年試みてきた演劇的実験の成果が表れた作品。渡辺美佐子と佐野史郎のかけあいが秀逸。宮本裕子のエロチシズム漂う演技も。
 ただ、避けて通りたい、やっかいなテーマを含んでいるため、どうにも……。

 2100終演。ポストトークあるも、そのまま家路に。

 開演前に隣席の村井氏と雑談。翠羅臼らのパレスチナ演劇公演の話など。
9月末の公演だが、情宣はいまひとつのよう。
8月1日(水)快晴

 セミの合唱かまびすしいこと。マンションの中廊下にセミが転がっているのを見ると夏だなあと思う。マンションの壁を木立と勘違いするセミやあわれ。

 海辺の岩陰で泳ぐ魚を見ている。足が生えた大きな魚。カゴに入れたツブ貝が逃げ出し、手づかみすると吸い付いてくる。その痛さに目が覚める。ヘンな夢。
 
 午後、K川さんから電話。業界人のパワーに圧倒。自分にはとてもマネできない。
 夕方、散歩がてら、家人の買い物に付き合いダイエーへ。

 ミケランジェロ・アントニオーニ監督死去。ベルイマン監督も。黒テントの福原一臣さんはがんのため。最後の舞台「鉄砲玉」を見なかったことが心残り。青森市出身だったとは知らなかった。阿久悠氏まで。訃報が相次ぐ。
 
 死は誰にでも、ある日突然やってくる。そのあとは……無。この世は生者の目からながめた世界にすぎない。死は世界を消滅させる。死者と生者が融和できる世界とは……。
 

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