9月30日(日)雨

 0900~1200、躰道稽古。ざんざん降りの雨。左足親指の痛み変わらず。この頃は歩くのも億劫になる。

 1300帰宅。家族で外食。1万3000円。
 1500、睡魔に耐え切れず。目が覚めると1730。同窓会原稿、あと3本を待つだけ。あと10日で校了。考えてみると綱渡りのようなことを毎年繰り返しているわけで……。

9月29日(土)雨

 午後から会報作り。1730まで。「言葉」とのジャムセッションのようなもの。いい言葉があれば、ビビッと感応する。手元で自在に変化していく文字列。これが編集の醍醐味。

1900、池袋。サンシャイン劇場で扉座「ドリル魂」。前回と間隔をおかない再演。扉座ミュージカルとして自信の表れか。もっとも、私としては、墨田パークでの試演会に勝るものはないのだが……。

 エアリアルの桧山宏子が体調不良で交代というアクシデントに加え、23日にメイン俳優の犬飼淳治がケガ。サンシャイン公演を降板するという最悪の展開。そのため、カーテンコールで、鈴木里沙は感極まって涙涙。

9月28日(金)晴れ

 1400、菊地氏とN村まり子さんとお茶。パニックシアター10月公演の情宣。劇中ヌードをめぐって3人で大笑い。S病院に再検査に来たというFさんと久しぶりに会う。このところの人事について「絶妙な配置」と半分皮肉?


1830、新大久保。グローブ座で「郵便配達夫の恋」。原作=真柴あずき(演劇集団キャラメルボックス)、原案・脚本=砂本量。演出=吉川徹。中島知子(オセロ)、西川浩幸(演劇集団キャラメルボックス)、逆木圭一郎(劇団☆新感線)、辰巳琢郎。

 祖父が住む故郷の離島に戻った売れないアイドル歌手に届く恋人からの手紙。彼女を気遣い、頻繁に訪れるマネジャー。手紙を配達する郵便局員。4人が織り成す人間模様。現代版「シラノ」。客席は中高年多し。淡々とした筋立て、起伏のない物語展開に、寝息の音があちらこちらから。0830終演。


9月27日(木)晴れ

 1620、K記念病院で鍼。1カ月以上も休んだが、症状はたいして変わらない。鍼の効果は?

 1800帰宅。


9月26日(水)晴れ

 0730起床。同窓会報の原稿を書いてそれを相手にFAX。
 映画を見ようと思ったがその時間もなし。今夕、幹事会だが出席できず。

 
9月25日(火)晴れ

 夕方、同窓会報に着手。まずは全体の当たりから。

 1930、蒲田へ。梅屋敷駅から徒歩15分の住宅地域にある蒲田演劇工場で劇団昴 ザ・サードステージLABO公演「召命」。

 時間が早すぎたので駅前の蕎麦屋で、鴨南蛮うどん850円。近所に喫茶店があるだろうと思ったが、住宅街。何もなし。引き返して「ジョナサン」でハーブティー&ケーキセット661円。
 初めて訪れる街は新鮮。昔住んだ鶴見の下町と同じ雰囲気。やはり、京浜工業地帯だ。

 15分前に劇場に。中央通路を通って中に入ると両サイドに階段客席。笹塚ファクトリーと同じ作り。円形の舞台装置。実験公演にしてはしっかりした装置。
 作者は青森で劇団を主宰する作家・畑澤聖悟(劇団「渡辺源四郎商店」)。演出は河田園子(演劇企画JOKO)。


 物語は近未来(といっても現在でも通じるかもしれない)。
 学校荒廃は進み、求心力を失った文部科学省は、学校における「校長」の職を教職員の互選によって選び出す制度を導入する。学校で起こるまさかの事件、まさかの不祥事の多発で、責任を取る校長が不足しているのだ。

 とある地方都市の公立中学では、自殺した前校長の後任・新校長の役選が始まる。校長室に集まる教師たち。話し合いで決めようとするが誰も手を挙げる人がいない。責任転嫁、諦め、また話し合い……。最後にはクジで選ぼうとまで……。学年主任、ベテラン国語教員、シニカルな若手教員、怖いものナシのおばちゃん教員、新採用の女子教員、高校を卒業して間もない校務員、養護教員、社会人特別雇用制度適応の期間限定教員……。

 8人の教師による白熱した議論は、「十一人の怒れる男」ばりの迫力。現役の教師である畑澤が書く教師同士の会話はリアル。

 冒頭は、娘がピアスを注意されたことで乗り込んできた母親と教師との対決。自分の子どもの責任は棚に上げ、教師にすべての責任を転嫁しようとするクレイマー母親。常識外れの父兄に対応しなければならない今の時代の教師は大変だ。
 壁には、ズラリと殉職した校長の写真。ほとんどが上と下の板ばさみにっての自殺。
 海外派兵の自衛官よりも高い殉職率。

 パンフレットで書いているように、諸星大二郎の漫画「詔命(礎・改題)」と「王の死」を引用した作品。柳田國男の「生贄論」の孫引きだ。
 今の学校では神に捧げる生贄が要求される。誰が生贄になるのか。

 1時間45分。タイトな演出、役者の達者さもあって、アッという間。
 校長互選制。絵空事ではない。もはやそこまで荒廃が進んでいるということ。
「一日に保健室にやってくる半仮病生徒が60人」はおそらく大ゲサな数字ではない。
 はるばる蒲田まで来たが収穫はあった。
9月24日(月)快晴

 二週続けて連休という嬉しさよ。

 巷では、祖父を首相に持つ首相が政権を放り投げた後、祖父が首相の議員と、父が首相の議員が首相の座をかけて争い、父・首相派が勝利。今日は、「前首相」が会見で「辞任の理由は体調」と弁明。アホらしい。
 世襲国会議員は3分1に上るとの調査もある。二世三世の議員に庶民生活がわかるはずがない。明治時代から連綿と続く薩長政治。その薩長閨閥に支配されているニッポン。
 どこぞの国の世襲など笑えるものか。もはや国会議員は江戸時代の藩主と同じ。どこが近代国家なのか……。

 お昼過ぎ、従姉の息子のK君が遊びに来たので家族で歓待。田舎のお寺で作っている「寺ビール」の封を切って試飲。
 K君が帰った後、酔いが回り、しばし熟睡。

 作家・向井豊昭氏から手書き個人誌「MORTOS」創刊号が届く。エスペラント語で「くたばる」という意味とのこと。時流に迎合しない文学の志、反骨の矜持。資本主義文学とは次元が異なる。

9月23日(日)晴れ

 義父の墓参りで房総へ。結婚前にすでに鬼籍に入っており、写真でしか知らない義父。テレビでよくある妻の父との会話というやつを一度はやってみたかった……と最近思う。
 お昼前に着き、タクシーで市営霊園へ。帰りに義母と食事をするという毎年の慣わし。
 1730帰宅。雨模様のため持って行った傘はついに使わず。
 家に戻ると疲れがドッと出る。


 昨日届いた、高校同窓会の原稿と資料を手元に、T森先生に電話。退職した教師たちの会「シルバーラウエの会」の現況などを伺う。親身になって相談にのってくださるT森先生。

 しかし、ラウエの会もまた、在任期の幅が大きくなるにつれ、親睦団体としての存立基盤がゆらいでいるという。同じ高校に在籍しても、在任期が違えば「見知らぬ人同士」。それは、同窓会にもいえること。40年以上も学年期が違えば、同じOBといっても、母校への思い入れも、それぞれが見た風景も違う。運営している先生たちも高齢。「この2、3年が会の存立の曲がり角です」とT森先生。なんとか、会を続けて欲しいものだが……。

9月22日(土)快晴

  嶋岡晨著「虹の断橋」を読了。流山児★事務所「オッペケペ」で塩野谷正幸が演じた自由民権の壮士。「彼に関する資料がまったくない。謎の人物です」という塩野谷さんの言葉がなければ興味をひかれることはなかっただろう。

 土佐藩出身。高知の立志社が生んだ自由民権の壮士であり、革命的扇動家。車夫を組織した「車会党」のリーダー。1884年の自由党の名古屋事件(警官殺害事件)に連座し、13年間の獄中生活。数度の脱獄計画。シャバに出てきた時には世の中は一変。初期自由民権派は日清日露戦争を境に総転向。自身も立憲自由党も除名処分。

 時代に取り残された元革命家はそれでも自分の思想を捨て切れず、新しい思想、社会主義の研究。パリ万博では日本の芸妓一行を引き連れ通訳兼マネジャー役。

 やがて、幸徳秋水らの社会主義、無政府主義に近づいたのも、自分の「時代遅れ」を取り戻そうとしたため。しかし、政府のワナに落ち、大逆事件に連座し死刑判決。

 穏健な「君主共和制」を理想としていた奥宮が大逆罪に連座するわけがない。政府がでっち上げた大逆事件の犠牲者に連なったのは奥宮にとって別の意味で不本意だったのでは。


 それにしても、今日の刑法規範からすれば、「天皇、皇后、皇太子等を狙って危害を加えたり、加えようとする罪」、いわゆる大逆罪の非道さよ。「実行」ではなく、「内面の思想」をもって死刑にすることが堂々と行われていたわけで、まさに恐怖政治。

 しかし、今の「君が代・日の丸」の強制は「思想」を取り締まる法律ともいえるわけで、幸徳秋水の大逆事件から100年たっても日本の底流は変わっていないということか。

 小説には社会主義者、荒畑寒村も登場する。このとき、赤旗事件で獄中になければ、彼もまた大逆事件で死刑になっていたはず。

 1976年、東大・本郷で宇井純氏の招きで講演した荒畑寒村。89歳の高齢にも関わらず、「資本主義は人間を養えないだけでなく、害毒を撒き散らしてきた」と、机を叩き激昂していた姿が昨日のように思い出される。明治の社会主義者にとって、タブーは何もない。今も天皇制の呪縛に身動きできない日本人よりはるかに自由人だった。



 まるで夏に戻ったかのように照りつける太陽。暑い一日。

 1400、銀座・博品館劇場でNLT「マグノリアの花たち」。

 映画化作品は封切時に見に行ったが、途中で寝てしまったか、ほとんど記憶にない。だからきちんと「原作」の舞台を見るのは初めて。
 原作はロバート・ハーリング。糖尿病による合併症で妹を亡くした実体験を元にして初めて書いた戯曲。演出は北沢秀人。

 物語の舞台はルイジアナ州の小さな町の美容室。

 長女シェルビーの結婚式の準備のため、シェルビーと母のマリンが美容室にやってくるが、シェルビーは糖尿病の発作に襲われる。彼女はその病気のため、医者から結婚しても子供を産まないほうがいいと言われていたのだった。しかし、1年後、周囲の反対にもかかわらず、妊娠出産。だが、ある日、シェルビーの病気が悪化する……。
 美容室に集う6人の女同士の友情を通して、人生とは何か、生きるとは何かを訴える上質の人間ドラマ。
 たいくつな舞台かと思ったら、とんでもない。丁々発止のセリフの応酬、個性的な登場人物の造形、会話の妙。すべてが一級品。見逃さずによかった。終幕は思わず涙。NLTの芝居で泣いたのは初めてか?

 出演は木村有里、阿知波悟美、矢代朝子、堀江真理子、真堂藍、藤川恵梨。

 当初予定していた出演者の降板などで、バタバタしたらしいが、舞台を見る限りではこれがベストの選択。中でもシェルビー役の真堂藍(しんどう・らん)はキュートな顔立ち、くるくるとよく変化する表情、スリムな体型、好みの女優のドンピシャど真ん中。昔、「キイハンター」に出ていた大川栄子とそっくり。娘だとしてもおかしくない。岩手出身だから違うだろうけど。

「幸せの背比べ」に出ていたというが、記憶に残っていない。やはり女優はその役に負うところ大。今回のシェルビー役は真堂藍にぴったりの役柄だったようだ。これからの注目株。

 休憩10分挟み2時間半。休憩時間に制作のO澤さん、M紙のT橋さんと立話。O澤さんはバスケットの選手だったとか。「演劇とは無縁だったんですよ」。

 会社に戻り、同窓会報の広告を数点作成。
 1800、下北沢。本多劇場でトム・プロジェクト「夏きたりなば」(作・演出=ふたくちつよし)。

 山本家のある夏の日の週末。主婦、紀子が朝食の後片付けや掃除に余念がない。今日は未だ独身の妹の博美が「大事な人」を連れて来る日なのだ。しかし、何時とも変わらない休日の朝を迎えたこの家の主人正夫や一人娘の早苗はマイペースで紀子をいらだたせる。そんな中、博美が一人でやって来る。いぶかしむ紀子に博美は、実は今日連れて来る人は自分が在宅ケアーで廻っている一人暮らしの老人なのだと打ち明ける。その人に、家族の暖かな雰囲気味合わせたいというのだ。反対する紀子を、博美と早苗、そして正夫も加わって説得し、何故かその老人を正夫の父親に仕立て上げ、家族の一員として迎えようとの計画で盛り上がる。
そして、いよいよその老人がやって来たのだが……。(HPあらすじ)


 紀子には仁科亜季子。どうしてもかつての清純派女優というイメージが強く、母親役は想像できない。考えてみれば、もう54歳。不思議はないのだが、記憶の中の女優はそのまま時間が止まったまま。しかし、30年以上の時間を飛び越えて現われた仁科亜希子は、まさしく舞台女優そのもの。揺れ動く思い、心の機微を細やかに表現。美しく年齢を重ねている。

 青木勇二、小林美江もいい。最近の芝居に必ずといっていいほど登場するケイタイが一度も使われないのも好感が持てる。心にしみるふたくち版「父帰る」。久しぶりに終幕の余韻にひたってしまう。
 1時間50分。
  夕食を食べていなかったので、げんこつラーメンでも……と思ったら、なんと店じまい。代わりに別のラーメン店が。いまはやりの細めんにとんこつスープ。インスタントの味でこの手のラーメン屋は受け付けない。げんこつラーメンはなぜ撤退したのか?
9月21日(金)快晴

 予定を入れてなかったので、早めに帰宅。
 従妹の娘のSちゃんが、「仕事で近くに来たから」と、家に寄ってくれる。豚児二人は塾とデート。Sちゃんと韓国料理の店で食事。2100まで。
9月20日(木)快晴

 1500、下北沢。「劇」小劇場で植吉劇場「松ぼっくり」(作=古屋治男、演出=大岩石)。

 植木職人でもある俳優の高橋広吉が旗揚げしたユニットで、植木屋の親方を主人公にした人情喜劇。

 高橋演じる植木屋の親方は妹とその娘の三人暮らし。妹の旦那は同じ植木職人だったがすでに他界。忘れ形見を実の娘のように育ててきたが、ついにその日がやってくる。「この人と結婚します」という宣言。しかし、娘の相手は韓国人。決意は固く、韓国から父親(三田村周三)が挨拶にやってくる。頑なな親方も、次第に心を開き、相手の父親と意気投合……。

 筋書き通りの人情喜劇。職人たちのちょっとしたトラブルは物語の味付け。想像以上の展開はない。たまには役者の演技だけで見せるフラットな芝居もいいか。高乃麗が気性さっぱり、兄思いの妹役を好演。職人役の竜沢孝和が個性的な演技と風貌で好感。

 1時間35分。ヴィレッジヴァンガードを散策してから家路に。

9月19日(水)晴れ

 依頼した同窓会報の原稿が届く。M市に在住のT久井先生から。退職してから、日大で教鞭を執っていたというT久井先生。今の政治状況にもチクリと異議申し立て。
9月18日(火)晴れ時々雨

居残ってT田さんの紙面作り。
 1800、新宿御苑前。定食屋でほっけ焼定食。

1930、新宿へ。シアターブラッツで新宿芸能社「へそのはなし」。「パッチギ!」「フラガール」の羽原大介が主宰する劇団の公演。


 日本の各地にある「日本の中心」(日本のヘソ)を題材にしたコメディー。発電所が建設され、ダム工事で水没する運命の小さな村。村人は奇想天外な手段で、そのダム工事を中止させようとする。それは、村を「日本のヘソ」として地図に載せること。そのために、国土地理院の役人にあの手この手で陳情作戦を仕掛ける……。

 色仕掛けで、若手の役人を篭絡しようとするのが、村長の娘(福下恵美)。しかし、彼女には幼なじみの恋人がいる。恋の三角関係も絡んで村は大騒ぎ。
 ……と、コテコテの喜劇ではあるが、突然ダンスが始まったり、原発問題を根底にした、偽悪的なセリフの応酬など、いかにも、つかこうへい仕込みの舞台。

 しかし、オープニングがマイケル・ジャクソンの「スリラー」だったり、80年代のダンスミュージックだったり、素材がいかにも古色蒼然。その時期の旬の素材を使うのが小劇場のセオリー。年代落ちの音楽を使う意味がよくわからない。
 物語も「理解はできるし、共感はできる」が、舞台として見た場合に面白みがない。単なるつか芝居の亜流に見えてしまうのだ。
 終演後、福下さんに田舎の地ビールを差し入れ。大のビール好きと言ってたので。
 RUPのH本さんに挨拶して家路に。
9月17日(月)快晴

 休日。気温35度。夏は終わらない。

 一日、だらだらと家で過ごす。

 1900から東京チャンネルで懐メロ特集。この手の番組は昔は敬遠していたが、最近はビールを片手につい見入ってしまう。そして唄う。トシかなぁ?

 中でも「ブルーライト・ヨコハマ」と「夜明けのスキャット」が胸にズンと響く。中学時代、学校から帰って夕方5時にHBC(北海道ラジオ)で、軽快なドラミングと一緒に「HBCトップトウェンエティ!!」」の白馬こうじアナの声。この番組は日本の曲と外国曲のトップ20を紹介していたのだ。一番印象に残っているのは「夜明けのスキャット」が何週もトップ1を獲得したこと。そして「ブルーライト・ヨコハマ」。今夜はノスタルジーに思い切りひたりながらひたすら歌を唄う。未来もすぐに過去になる。たまに過去にひたったっていい。

  ウニ氏のブログで次の記事に興味をひかれる。

 インドネシアで原子力発電所の建設計画が進んでいることに関し、今月初め、地元のイスラム学者らが、原子力発電は、それがもたらす利益よりも核廃棄物などがもたらす災害の可能性のほうが大きく、ハラム(haram=forbidden ムスリムに許されていないもの)である、という宗教見解(ファトワ、fatwa)を出したという。Greenpeace の記事によれば、以下の通り。

「インドネシア政府が中部ジャワのムリア半島で進めている初の原子力発電所建設計画に対し、同国最大のイスラム系団体ナフダトゥール・ウラマー(NU)のジュパラ県支部が9月3日、ムリア原発の建設禁止を宣言しました。NUはインドネシア社会で大きな影響力をもっています。原子力導入を止めるうえで、この宣言はきわめて重要なステップとなるでしょう」

 「利益よりも核廃棄物がもたらす被害のほうが大きい」というムスリムの見解が世界の潮流になれば、世界は変わっていくだろう。さて、日本の仏教界は……。
9月16日(日)快晴

 昨夜は寝たのが1時半。起床0630.睡眠不足。今日は躰道全国社会人優勝大会。

 0800、綾瀬の東京武道館。大船渡市の職員・K野さんがいたので立話。おとといから上京してるとか。
 0815、開門。着替えて準備運動。開会式の練習。
0915予選スタート。まずは団体で出場。稽古の時と同じで、5人の呼吸がなかなか合わない。結果20・5で総合5位。決勝進出かなわず。
 後はほかの試合を見ながら午後の決勝まで。

 1330、開会式。前年度優勝者のトロフィー返還。面映い。

 1450、決定戦。表だけでなく裏も。去年の轍を踏まなければ……。そのプレッシャーがあったのか。ウラの途中で数秒空白。「間違えた!」と思ったのだが、そのまま続行。あとで聞いたら「間違えてなかったよ」と言われたのだが……。負けたと覚悟したが、旗は3本。ホッとしたが、自分の中では満足のいくデキではなかったので喜びもいまひとつ。

 1600閉会式。続いて懇親会。毎年、この懇親会は躰道のよさを実感する。幹部も一般会員も同じ席。堅苦しいことは一切なく、飲んで食べて笑って、懇親を深める。各道場が壇上で余興のバック宙を披露するのもおなじみ。

 最後は出席者68人が残りの67人に67回の堂々巡りの握手をして別れのセレモニー。沖縄の大学教授・T中勇悦氏の巧みな司会がいい。
 K藤師範が「G紙のファンですよ」と嬉しそうに握手。反骨の人・K師範。
 1930、一足先に家路に。

9月15日(土)晴れ

 0630出社。U氏は夏休み、S氏も休み。時間たっぷりで仕事も順調。

紙芝居 1530、銀座スパンアートギャラリー(SAギャラリー)へ。イラストレーター、吉田光彦さんの個展。いつも物静かで、穏やかな笑顔の吉田さん、ファンも多く、展示された原画はあらかた落札されている。吉田さんの絵を一枚は欲しいなと思っていたので、不思議の国のアリスをイメージした絵を買うことに。15枚中の1枚。額付き1万6000円は安い。

 今日は1600と1800の二回、高橋克彦原作の「髑髏鬼」の紙芝居がある。おせんにキャラメル、お茶付きで500円。偏陸氏も見に来る。このところよく会う。
 30人ほどの大人が熱心に紙芝居に見入る図。面白い。

 幼稚園の時に、紙芝居の時間が大好きだった。
 中でも「春のうた」という紙芝居。いろんな虫たちが、思い思いの乗り物に乗ってお花畑に飛んでくる。細かな内容は忘れたが、ソリの手綱を引くような虫たちの乗り物に興味をひかれたのか。

 1630、ギャラリーを辞して中央線に。阿佐ヶ谷で降りて、「江戸竹」で夕食。地元の有閑おじさんおばさんたちが座敷に陣取って宴会中。やかましいのはいいけど、食事中にゲテモノ喰いの話をするのはやめて欲しい。ヘビの生血を飲む話、ゲロの話。自分たちで盛り上がっている。せっかくの刺身定食1000円が台無し。

 1800、三鷹へ。南口から歩いて約20分。ジブリの森美術館の裏手の空き地で紫の梁山泊テント。新宿梁山泊の「風の又三郎2007」。唐十郎プロデュースによる三色テント公演の第一弾。
新宿梁山泊
 開演を待つ人の群れ。約350人。Jクリップの上谷さん、西堂行人氏らと立話。


 今回の「風又」は、近藤結宥花に代わって、主演に沖中咲子。身のこなしがシャープできれいな面立ちもヒロイン役にはうってつけ。演出も無駄な部分をそぎ落とし、スピーディーに。長い・シンドイという印象があったが、今回は休憩2回(各10分)を挟み2時間半(実際には2時間45分だったが)、時間の長さを感じさせない巧みな演出。三幕目の三浦伸子の「ひとり芝居」はいつ見ても大爆笑。伸子は芝居がうまい。

 看護婦その他で出演の大鶴美仁音も堂々の芝居。アドリブを飛ばすなど、さすがは唐十郎のDNA。コビヤマ洋一の怪演に湧く場内。武人会のダンスもこれまでの梁山泊にはないカラー。テント芝居の荒々しさに彩を添える。
 ラストシーンの「飛行」のスペクタクルもこれまでで最高のデキ。「風又」は今回が最上の仕上がりになった。

 終演後、テントで乾杯。梁石日氏が挨拶に続いて音頭。金守珍に浪速の唄う巨人パギやんこと趙博氏を紹介される。マルセ太郎さんに師事し、映画まるごと語り芸を展開しているという。29日に江東区古石場文化センターで舞台があるとのこと。1歳年下。実に真摯で好感が持てる。広島桂は5歳の息子と一緒。話しかけると恥ずかしそうにソッポを向く。父親に似ないでシャイな……。2歳の娘は金ちゃんが抱っこ。

 もっと飲んでいたいが、翌日、試合があるので、コビヤマ、渡会、三浦さんらに挨拶して家路に。
 ジブリの森。いいところだ。近くでは山本有三展。歴史と文化の町。
 いまさらムリだから、生まれ変わることができたならもう一度中央線沿線に住みたいものだ。
9月14日(金)晴れ


 午後、高田馬場へ。行き交う学生たちの姿がまぶしい。恐れることが何もない年代。沿道にはいまはやりの大型カラオケ店などが立ち、街も様変わり。

 早稲田松竹で「善き人のためのソナタ」「ブラックブック」の二本立て。入れ替えなしの二本立てというのは名画座ならでは。女性スタッフが案内、誘導する。客席の椅子もクッションが効き、トイレもきれい。学生時代に通った名画座の面影はない。

 しかし、昔と変わらない、映画好きが訪れる映画館。客席でオシャベリするおばさん二人連れはいないし、ポップコーンの匂いもない。実に快適。こんなに映画館で心地よく映画を見たのは久しぶりだ。最近は映画館に行くたびにイヤーな気分になることが多い。自分の部屋でテレビを見ているような放埓三昧な人の多いこと。これなら家でビデオを見たほうがまだマシと思うことばかり。


 今日は、暗闇に身を沈め、大きなスクリーンで映画を楽しむという至福の時間を過ごせた。この二本立てを教えてくれたハヤシヨシオ的メモリアルクラブのMさんに感謝したい。
善き人のためのソナタ
「善き人のためのソナタ」は、ベルリンの壁崩壊直前の東ドイツが舞台。反体制活動を監視する国家保安省(シュタージ)の内情を暴きながら、国家に翻弄された芸術家たちの苦悩を描いたもの。
 シュタージ局員のヴィスラー(ウルリッヒ・ミューエ)は、劇作家のドライマン(セバンチャン・コッホ)と舞台女優である恋人のクリスタ(マルティナ・ゲデック)が反体制である証拠をつかむように命じられ、ドライマンの住むアパートのあらゆる場所に盗聴器を仕掛けて監視を始める。

 ある日、その盗聴器から聴こえてきたのは、演出家からドライマンに贈られたピアノ曲、「善き人のためにソナタ」だった。「この曲を本気で聴いた者は悪人になれない」という曲。ヴィスラーは、この曲とブレヒトの詩集、そして、ドライマン監視が実は政府高官がクリスタを我が物にしようとする個人的な理由であることを知ったことから、二人に同情と共感を寄せていく。

 ヴィスラー大尉を演じたウルリッヒ・ミューエは、実生活で十数年間、自身の妻に密告され続け、シュタージの監視下にあったという。
 国家に忠誠を誓った堅物の盗聴者が、詩と音楽、そして「恋」により、次第に人間らしさを取り戻していく。……そんな甘い話あるわけがない、と思うかもしれないが、劇中でこんなセリフが出くくる。
 レーニンが「ベートーベンの情熱のソナタを聴いてしまうと、革命を最期までやりおおせることができない」と言った。
 芸術がいかに政治に対して大きな影響を与えるかを示す逸話だろう。
 だから、映画としてはこれでいい。

 反共主義者はこの映画を「自由のない管理共産主義社会の絶望」と呼ぶのかもしれないが、現在のニッポンはどうだ。

 町の隅々に「治安」のための監視カメラが据えつけられ、スーパー・コンビニ・デパートの監視カメラ、磁気乗車券、クレジットカード……。一歩家を出たら、一日のうち監視カメラに映らないで過ごせる人はまず、いない。おまけに住民基本台帳、国民総背番号制……。
 東ドイツのシュタージが鉄のファシズムなら、今の日本はプラスチックの管理社会。やがて鉄の管理社会に移行するのは目に見えている。東ドイツの冷酷な管理社会は他人ごとではない。
 その時、「善き人のためのソナタ」は聴こえてくるのだろうか。

 2本目は「ブラックブック」。オランダ=ドイツ=イギリス=ベルギー共同製作。

 ブラックブック封切時に映画館の予告を見て興味をそそられつつ、つい見逃してしまった。今日は娘の一時帰宅日。ビデオで見られるから、早めに帰ってあげようかなと思ったが、メールしたら「デート中」。意を決して最後まで見てよかった。
 こんなにも起伏に富んだ娯楽作とは思わなかった。


 舞台は1944年、ナチス占領下のオランダ。美しいユダヤ人歌手のラヘルは、一人の男の手引きで、南部へ逃亡する途中、待ち伏せしたドイツ軍により家族を殺されてしまう。レジスタンスに救われたラヘルは、エリスと名を変え、髪をブロンドに染め、レジスタンス運動に参加する。その美貌を武器にスパイとしてドイツ人将校ムンツェに近づいていくが、その優しさに触れ、次第にムンツェを愛するようになってしまう。一方、捕らわれたレジスタンスの仲間を助けるため、ドイツ軍を襲ったレジスタンスは逆に待ち伏せにあってしまう。通報した裏切り者の存在が浮かび上がる。

 二転三転、最後まで裏切り者が誰なのかわからない心憎い脚本。ポール・バーホーベン監督のシャープな演出。2時間24分の長丁場ながら、まったくダレルところなく最後まで一気。いや、すごい充実感。

 ラヘル役のカリス・ファン・ハウテンのキュートなこと。どことなく昔の加賀まりこと似た、こ惑的な表情。ナチスによるユダヤ人迫害という、ありがちなテーマに食傷気味の方にもおすすめ。社会性と娯楽性が一体となった一級エンターテインメント。

 映画の冒頭と最後に、第二次大戦後に国家なきユダヤ人が入植したパレスチナの地が現われる。終わりは第二次中東戦争の爆撃。映画の中ではオランダ人レジスタンスにも軽んじられるユダヤ人。そのユダヤ人が入植した中東にはパレスチナ人が生活していた。彼らを追い出しての国家建設。

 映画ではドイツが敗北した後、ドイツ軍高官が巧妙に罪を逃れ、オランダ軍に取り入り、戦争犯罪の証拠隠滅を図る場面や、熱狂した市民がナチスの協力者を虐待する場面が描かれる。まさしく憎悪の連鎖。
「被害者」のユダヤ人がパレスチナ人を迫害し、今度は、パレスチナ人に憎悪される。憎悪の連鎖の現代史。

「氷の微笑」の監督らしいエロチシズムとサスペンスフルでミステリアスな娯楽大作ながら、バーホーベン監督の眼目は「9.11」以降の米国主導の「憎悪の連鎖」への異議申し立てがあったのでは。ハリウッドの空疎な大作よりもはるかに面白い「ブラックブック」。また映画館で見たいものだ。

 映画が終わり、急いで帰ろうとしていたら、ロビーでM田氏とバッタリ。偶然とは恐ろしい。M留まゆみさんも一緒。イラストライターのM留さん、学生時代から文芸坐のイラストやキネ旬のコラムで読んでいるので、「実物」と会うのは初めてだが、まるで歴史上の人物に会うような不思議な感覚。「善き人のためのソナタ」を見るために来たとか。

 それにしても、やはり名画座はいい。

 2100帰宅。
 久しぶりに会う娘。初めて家を離れての暮らし。感慨があるかと思いきや、ふだんと変わらない……。


9月13日(木)晴れ

 1530~1630、議員会。KBさん最後の挨拶。次回から出席せず。

 1900、赤坂。草月ホールで「戸田恵子 アクトレス」。ロビーに飾られた各界からの豪華な花々。満席の場内。「今日本で一番忙しい女優」……。喜びと同時に一抹のさびしさ。

アクトレス 元アトリエダンカンの鈴木さんに声をかけられたので、開演前に立話。新しく制作事務所を立ち上げたとのこと。受付にはY田由紀子さん。

 第一部はその当時の歌でつづる戸田恵子ストーリー。母の離婚による母娘家庭の生活、自分の2度の離婚も隠すことなく率直に語るところは戸田さんらしい。ユーモアとちょっぴりセンチメンタルな色で着色された半生記。「一番好きな歌」という「里の秋」を歌っている途中、声を詰まらせる場面も。プロとして決して舞台の途中で自分の感情に流されたり、崩れたりすることがなかった戸田さんにしては珍しい。「静かな静かな里の秋 ……ああ、母さんとただ2人 栗の実煮てます囲炉裏端」
 2年前に最愛の母を亡くした戸田さん。母への思いが突然堰を切ったのか。冷静沈着、完ぺき主義者の戸田さんでも、弱さを見せることもあるのだ……。

 共演の4人(麻生かほ里、入絵加奈子、平澤智、斉藤直樹)はいわずと知れたエンンターテイナー。ダンス、歌、コントの大車輪。客席は笑いに継ぐ笑い。

 第二部は新譜「アクトレス」のナンバーを中心にしたショー。真紅のドレスで登場し、お色直しで純白のドレスに。
 中村中の作詞作曲による「強がり」はいい曲。ヒットの予感。これで「紅白」にでも出れば、もう言うことないか。
 アンコール2曲。予定より20分オーバーの2145終演。
 駅までM紙のT橋さんと。

 戸田さんが出ていた「中学生群像」のテーマ音楽が頭の中をかけめぐる。ギターの演奏と、冒頭で流れる「中学生とは、未熟な年齢であるが……」というナレーション。40年前に録音して、テープがあったはずなのに、それもどこかに行ってしまった。NHKには中学生群像のテーマ音源は残っているのだろうか。

9月12日(水)晴れ

 朝、I田信之さんから電話。自著の出版が10月15日に決定したとのこと。

 お昼、家人が「安倍さん辞任したわよ」と。驚いてテレビをつけると、まさしく。

 所信表明を行い、今日から国会で代表質問。その直前に辞任表明とは。2時からの辞任表明記者会見を見るが、記者の質問には対して、たったひとつのことを繰り返すだけ。「局面を打開するため」。何を聞かれても、この繰り返し。

 新学期が始まって、登校日になったものの、自分に課せられた宿題は山積し、どれにも手をつけられない。それなのに、親戚のおじさんには「宿題は済んだよ」と胸を張り、いいとこみせようとする。で、いざ、教室に行こうとしたら足がすくんで入れない小学生のようなもの。

「学校辞めればとりあえず宿題や勉強から逃げられる」という逃避行動以外のなにものでもない。「だれも自分の味方になってくれないし、相手にしてくれない。もー、やーめた」という心境なのだろう。まるで子供がだだをこねているようなもの。最後までお子ちゃま首相だった。これから学級委員長を決めなくてはならない同級生はいいツラの皮。


1800~2000、躰道稽古。大会前の最後の稽古。調整するため。

9月11日(火)雨

 ドイツ北部のテレビ局NDRで番組の女性司会者が、「ナチス支持」の発言をとがめられて解雇されたという外電。

 シュピーゲル紙の英文記事によれば、その発言はこうだ。

"It was a gruesome time with a totally crazy and highly dangerous leader who led the Germans into ruin as we all know. But there was at the time also something good, and that is the values, that is the children, that is the families, that is a togetherness -- it was all abolished, there was nothing left," Herman said.

「みなさんもよく知っての通り、全くきちがいじみて非常に危険な指導者が、ドイツ人に大きな被害をもたらした恐ろしい時代でした。しかし、その時代には、よいこともあったのです。それは価値観です。子どもたちがいて、家族があり、団欒があるという考え。これは(現代において)すべて壊されてしまい、何も残っていません」

 つまり、「ナチスの時代には『家族の絆』という美風があった。いまはそれがなくなってしまった」と言っているわけだ。この司会者、普段から「女は外で仕事するより、家の中で子育てをし、夫の帰りを待つべきだ」という主張をしていた。その信条の延長線上にある発言といえる。

 日本ならこの程度の発言は問題にされるどころか称揚されるかもしれない。親米保守の桜井よしこらのタカ派発言からみればかわいいもの。それでも、この発言を聞いたゲスト陣は次々と番組キャンセルをした。ドイツ国民がいかにナチスに対して敏感かということ。A級戦犯の孫が自分の祖父の犯した戦争犯罪を擁護し、堂々と選挙に出る日本とは大違い。日本人には「反省」という言葉がないといわれてもしょうがない。


 1600、渋谷。シネマヴェーラ渋谷で開催中の「妄執、異形の人々II」。今日は「発狂する唇」と「怪談せむし男」の二本立て。「発狂」は途中から。前にビデオを借りて見たことがあるが途中でギブアップした記憶がある。グロやスプラッタは苦手。「女優霊」の高橋洋の脚本だが、なじめない。三輪ひとみの清純さが救い。根本豊、冬雁子(この頃は存命だったんだ……)らの顔も。「協力=万有引力」とクレジット。

 次いでお目当ての「怪談せむし男」。65年東映作品。監督は佐藤肇。

 悪夢にうなされる妻。電話で夫の発狂死が知らされる。妻は夫が残した別荘へ向かい、死因をつきとめようとするのだが……。

 何がすごいって、キャストが錚々たる顔ぶれ。「せむし男」と兄の男爵の二役で西村晃、妻・楠侑子、義兄が加藤武、夫の同僚=江原真二郎、弓恵子、葉山葉子、春川ますみ、桑原幸子etc

 桑原幸子は「プレイガール」の少し前か。気のふれた役で、まだ少女の面影を残している。

 西村晃の演技はもちろんだが、屋敷の前を通りかかって「守護霊のお告げで邪悪な霊を祓いに来た」という霊媒師が鈴木光枝。白目をむいて、絶叫する迫真の演技。どんな役でも全身全霊。さすがに名優は違う。

 戦時中の生体実験や将校による略奪が物語の背景になっており、洋館を舞台にした荘重な怪奇作だが、そのホラーテイストは今見ても色褪せない。肌の露出はほとんどないにも関わらず、ふとした女優のしぐさが妙に艶かしく見えるのも新鮮。
 しかし、どの俳優も、「つい昨日テレビで見たような……」気がするのは、不思議な感覚。映画の中の俳優は歳をとらないからか。

 1830終映。回転寿司で腹ごしらえしてから新宿へ。

1930、スペースゼロで劇団鹿殺し「殺 ROCK ME! ~サロメ」。
 
 オープニングのロックボーカル、ハデなパフォーマンス、センスのいい笑い……ハイレグジーザスといよりも劇団☆新感線のラインか。客席には井上ひでのり。
 日替わりゲストは花組芝居の植本潤。さすがに役者が一枚上手。華がある、しゃべりはうまい、当意即妙のアドリブがきく。ポッと出の役者は足元にも及ばない。

 2時間15分。隣りの招待客は途中で退席。合わなかったのか。
 終演後、Me&HerのY家さんに声をかけられる。秋は演舞場とか。傘がないというD井美和子さんと駅まで。11月から海外研修とのこと。
2300帰宅。



9月10日(月)晴れ時々雨

 1630帰宅。同窓会報の寄稿者を募るため、M市在住の元教師Y先生に電話。アドバイスをいただく。その情報をもとに、何人かの教師に電話。斎藤作治先生、高森先生ほか快諾。この時期は毎年、同窓会報編集という一年のイベントが待っている。今年はいいものを作りたい。


 以下は、ウニ氏のブログからの引用による、「民間人の戦争犠牲者の記録」。

Documents received from the Department of the Army in response to ACLU Freedom of Information Act Request - これがアメリカの人権団体 American Civil Liberties Union (ACLU) が9月4日に公開したリスト。イラクおよびアフガニスタンでアメリカ軍(陸軍)が民間人を殺傷した諸事件に関する軍の捜査記録、軍法会議の記録など。情報公開法に基づく請求により開示されたものだ。

 情報公開に応じたのは陸軍だけだった模様。悪名高い海兵隊や傭兵の事件は対象外。

「兵士たちが、まだだれも撃つ機会がないと不満を述べていたところ、中尉[名前部分は伏字]が『じゃあ、殺させてやるよ』と言い、彼らは何の理由もなくお婆さんとお爺さんを殺しました」などという文も見えるという。

 戦争は古代も近代も人を殺すことが最終目的。その手段や状況が違うだけ。62年間、日本が他国の国民を直接殺さなかったというのがどれほど素晴らしいことか。

 公開に関する詳細は、報道資料 "ACLU Releases U.S. Army Documents That Depict American Troops' Involvement in Civilian Casualties in Iraq and Afghanistan"
 英語に堪能な方はどうぞ。


9月9日(日)快晴

 0900~1200、躰道稽古。大会1週間前の強化稽古。わずか10分の演技だが、何年やっても完成とはいかない。躰道は奥が深い。

 電車の中でiPod。心地よいレゲエのサウンドの後に突然、お経。「プレイリスト」に混入した模様。しかし、これが実に効果的。レゲエ→お経→R&B→お経……。まるで曲間のMC。不思議な効果。お経とポップサウンドは合う。

1300帰宅。シャワーを浴びて、部屋の片付けでも……と思っていたが、ベッドにゴロリと横になったとたん睡魔に襲われ1700まで。疲れてるのか。
 
ふだん騒々しい娘のいない家は火の気が消えたよう。いつか、娘が家を出て行く日がやってくる。その心構えのためのトレーニングなのかも。

 流山児★事務所「オッペケペ」に登場する中年壮士・奥宮健之(おくのみや・けんし)のことが気にかかり、ネットで検索すると自由民権運動の泰斗・色川大吉氏ほかが言及している。絲屋寿雄著「奥宮健之 ──自由民権から社会主義へ」が古書で出回っているので注文。翌日には届く。これがネットのいいところ。「ほとんど資料がないんです」と、奥宮役の塩野谷さんは言っていたが、評伝、全集など、結構資料は残されている。

「大逆事件」に連座し、幸徳秋水の後、三番目に絞首刑にされた奥宮。刑死しながらも、政府のスパイではなかったかと噂される謎の多い人物。自由民権運動家であり、その主張を読むと、天皇制を否定した幸徳秋水らと違って、「君主制共和主義」ともいうべき民本主義君主観から逃れることのできなかったようだ。「大逆事件」に連座する人物とは思えない。

 それはさておき、明治人の教育、教養、知識欲の高さには驚嘆する。23歳のときに、奥宮はすでに、英学、漢学、洋算に精通し、私学校でこんな教材を使って一人で教えているのだ。

 グードリッチ英国史、ホーセット経済史、ギゾー開化史、ゼボン論理学、ベイン修身論、ミル経済書、ベンサム立法論、グードリッチ羅馬(ローマ)史etc

 中でもベンサムの「最大多数の最大幸福」が奥宮の終生の史想のバックボーンになった。

 翻って、今の日本はどうだ。政府はお子ちゃま仲良し内閣。マンガが好きだからという理由でオタクに人気のある政治家。理想も思想もない、ハシにも棒にもかからない議員たち。明治の知識人から見たら赤子のようなものだ。嗚呼。


9月8日(土)快晴

 0630出社。夕方まで仕事。すっかり元のペースに戻ってしまう。翌日分であっても、目の前に仕事があると、つい手を出してしまう。結果的にハードな一日に。損な性分。

 きょうから娘が研修合宿。12日間も家を空けるのは生まれて初めて。

 1700、飯田橋。「トリノ」で高校同窓会幹事会。総会前の最後の打ち合わせ。店のオーナーはO間出身。幹事会にもなにかと便宜をはかってくれる。

 寮生時代の先輩・Sさん。長男で、両親は高齢。最近、こちらに両親を呼んだが、半年で引き揚げてしまったとか。田舎で暮らしてきた人には都会暮らしはたいくつなのだろう。Sさんの心配は、高齢の両親のこと。お墓のことも現実に考えなくてはいけない……と。
 で、しばしお墓談義。たまたま出席していた20期の方が霊園関係の仕事をしているとかで、その方面は詳しい。

 今まで「永代供養」を誤解していた。最初に供養料を払えば、永久にお墓が存続するものだとばかり思っていたが、「代が途切れるとその時点でお墓は打ち切られ、お墓は更地に、お骨は無縁仏に移される」のだとか。知らなかった。

 自分の場合も、毎年檀家料を払い続ける限りは、お墓を使えるが、それが途絶えたら寺にお墓を返さなければならないということか。

 これは予想外。漠然と、「誰も訪う人がなくてもお墓は永遠に続くもの」だとばかり思っていた。

 自分が死んで、両親のお墓に入り、そのあと、800㌔離れた都会に住む子供たちがお墓参りに来なくても、ずっと両親の元で、お墓にいられるものだとばかり思っていたのだった。

 まさか、「檀家費その他」が途切れたらお墓を追い出されるとは思ってもみなかった。
 確かに、そんなお墓ばかりではお寺を維持できないだろうが。


 最近、アメリカの富豪が自分のお墓参りを毎月欠かさずやることを条件に莫大な遺産を親族に贈ったというニュースを聞いたような気がするが、「なんで自分が死んだ後のお墓参りを気にするのだろう」と、理解できなかったのだが、いざ、自分の身に置き換えると、その富豪の心配もわかるような気がする。


 10代で70年安保の洗礼を受け、「宗教」的なものには長い間、拒絶感があった。特に、現実問題と向き合わず、葬祭宗教と化した日本の多くの宗派には。それが、その「葬祭宗教」をめぐる葛藤がわが身に降りかかるとは。

 母が亡くなりその9年後に父が。父の建てた立派なお墓と仏壇。「こんな立派なのを作ってしまって……」と、父の親族の一人が苦虫を噛み潰したようにつぶやいたことがあった。その意味を初めて知ることになる。

 お墓とは、その土地に住み続けることを前提にしたもの。両親から受け継いだお墓は自分の子らに引き継ぐことができるかといえば……。


 母のために父が作った立派なお墓。せめて33回忌が終わるまでは存続させたいもの。こうしてみると、仏教の「33回忌で一区切り。それ以降は供養を打ち切ることも可」という法事のしきたりには理由があったのだ。「故人の供養はその故人を知る親族の一世代で行う」という。


 金剛院正信から始まって「親鸞」の三國連太郎、「輪廻」の美輪明宏と、そして同窓会のお墓談義と、このところ続いた抹香臭い流れ。
 「死」と向き合う年齢になったということか。


 二次会は神楽坂の「樽八」。佐々木梅治さんは不在。女将は「トリノ」のオーナーの妹。

 S畑、Y田、Y田容子、W林、H田、Tヶ崎の7人で2230まで。故郷談義やいろんな話に花が咲く。捨てられた犬猫20匹余を飼育しているというY田さんのボランティア活動には驚くばかり。「犬猫は、人間の子供と同じ。接する心が伝わるんです」。月々のえさ代5万円。旅行など家を空けることも家族で調整しているという。とてもまねはできない。飄々としたY田氏がそんなことをしているとは初めて知る。

 2330帰宅。
9月7日(金)雨

 電車が動くか心配だったが、ダイヤの乱れはあるものの通常運転。0630出社。

 朝のうちは風雨。午後には台風一過で気温上昇。

 1900、中野富士見町にある稽古場へ。駅から15分。「パッチギ!」の脚本家・羽原大介さんが主宰する新宿芸能社の稽古中。旧知の制作会社社員・H本さんに頼まれ、グラビア・タレントの福下恵美ちゃんに突入。一人では危険と思ったか、羽原氏が同席。まるで娘をかばう父親(?)

 14日から始まる「へそのはなし」で初舞台の福下ちゃん、気さくで明るい23歳。この舞台がきっかけで「女優」に目覚めるか。

 2000帰宅。

9月6日(木)雨 台風

 1630、ソニーMAのW辺氏とH井氏来社。精神分析医をマネジメントすることになったとかで、その情宣。

 1800、銀座。山野楽器。音楽CDを物色していたが、ふと目についた宗教CDを手にとってみる。各宗派のお経CD。普段なら絶対見向きもしないのに、昨今の流れから、ついつい興味にかられ、買ってしまう。「浄土宗」のお経CD。さて、「のうまく さらば たった ぎゃてい」は、入っているか。

1830、ル テアトル銀座で「美輪明宏音楽会<愛>」。


 第一部は叙情歌を、第二部はシャンソン。

「春はお芝居、秋はコンサート。その間に講演活動をして、この腐った日本をどうにかしたいと訴えてきました。今年、ようやくその活動が参院選で実を結びまして……(笑い)。でも、まだ衆院選がありますわよ」
「日本の兵隊が、どうして玉砕を選んだり、捕虜になることを恐れたか。それは、内地に残された家族や親戚のことを思ってなのです。捕虜になった身内を持ったら村八分にされます。日本の兵隊は勇猛で死を恐れなかったのではなく、ムラ社会の中で家族が迫害されないように死を選んだだけ」

 歌の合間に、ぽんぽんと飛び出す、戦争とファシズムへの憤り。

「男と女、女と女、男と男……愛に区別はない。それを許さない社会の犠牲になって死んでいった友人の無念を思う」とも。

  差別と貧困の自身の半生。美輪明宏を「最後の戦後民主主義者」と言ったのは誰だったか。再び軍靴の響きが聞こえてくる今の時代を呪う美輪明宏の反骨の魂に共感する。

 終演後、川上史津子と立話。石森史郎氏が二人芝居を書いてくれたとのこと。「いつ」上演できるか……」と川上。最近は落語もやってるようだ。

 偶然会った森崎偏陸氏と一緒に楽屋へ。江原氏ほか訪問客が多く、面会まで20分以上かかってしまう。

 楽屋の美輪さん。「なんだか年をとる度に、不思議とパワーアップしていくみたい」とにっこり。確かに、声量といいトークといい絶好調。

 2220、駅へ。台風で傘が折れるほどの強風。途中、信号故障や強風注意で何度かストップ。23.30ようやく帰宅。

9月5日(水)晴れのち雨

 0700起床。ゴミ出し。
帰省時の日記をまとめ書き。

 0600、修理を終えたDVDレコーダーの作品をDVDにダビング。途中で、その映像の強さに惹かれて、そのまま見始めてしまった番組がある。森昌子が母親役で出ている金曜プレステージ「お母さん ぼくが生まれてごめんなさい」(7月放送)。家にいてもドラマを見ることはめったにないのに、引き込まれてしまったのは、障碍児問題を扱いながら、極力「あざとさ」を排し、淡々とした筆致で描いた演出と、脚本のよさ、福田沙紀、伊藤かずえ、鶴見辰吾らの演技に負うところ多し。脳性マヒの少年を演じた渡辺直樹の演技はまさに神技。森昌子も演技を超えた演技。単なるお涙頂戴ものではない。15歳で死亡した一人の若者の生きた証がここにある。こらえきれずに何度も嗚咽。

「ごめんなさいね おかあさん/ごめんなさいね おかあさん/ぼくが生まれて ごめんなさい/ぼくを背負う かあさんの 細いうなじに ぼくはいう/ぼくさえ 生まれなかったら かあさんの しらがもなかったろうね/大きくなった このぼくを背負って歩く 悲しみも 「かたわな子だね」とふりかえるつめたい視線に 泣くことも/ぼくさえ 生まれなかったら」

 原詩に忠実に「かたわ」という「差別表現」もあえて使う、その製作姿勢はいい。


 
9月4日(火)快晴

 元の、人間だった自分を忘れてすっかり虎になってしまったかのように日常生活を駆け回っている自分……。

1400、渋谷パルコ劇場でシアターナインス「シェイクスピアソナタ」。地方公演中のある一座の座長と彼を取り巻く人々の心理と生理を描く岩松了の新作。複雑な人間関係、説明なしの脱・物語。玄人筋にはウケるだろうが、松本幸四郎目当ての一般のお客さんはとまどうばかり。パルコで、幸四郎が岩松了をやるというのはかなりの冒険。客の入りも伸びていないというし……。伊藤蘭、高橋克実、緒川たまき、松本紀保ほか。

 江森さんと駅まで。「ぼくは岩松が大好きだから。でも、幸四郎ファンはどうなんだろう?」と。

1800、森下。中華屋で肉ニラライス。

1900、ベニサン・ピットで流山児★事務所「オッペケペ」。急逝した観世栄夫新劇セレクション第一弾。観世栄夫演出・出演の予定だったが、それもかなわず。

 明治・大正を背景に、オッペケペ節で一世を風靡した川上音二郎をモデルにした革命と敗北の物語。1962年、60年安保の敗北と挫折を群像ミュージカル「真田風雲録」に託した福田善之。その第二弾として書かれた群像劇。

 川上、マダム貞奴、幸徳秋水らをモデルにしているが、ニヒリストとして暗躍、革命を扇動する奥中欽治のみが異質。塩野谷正幸演じる奥中は奥宮健之という大逆事件に連座し、三番目に絞首刑にされた人物がモデル。劇中では、すでに旬を過ぎ、過去の栄光で身過ぎ世過ぎしている策謀家として描かれる。例によって役作りに凝る塩野谷、足が不自由だという設定で、普通なら杖をついて登場するところを、足に木枠をはめてガツッガツッと音をさせながらの登場。

 オッペケペで権力を風刺し、革命を唱えるも、次第に権力に取り込まれ、日清日露戦争を機に、戦意高揚劇を上演するようになり右転落していく音二郎。ラストシーンは狂言回し役の愛甲辰也が、オッペケペ節で戦争劇に乱入していく。劇中劇の観客が入り乱れての狂喜乱舞。

 劇中で繰り返される東洋大日本国国憲案。明治15年に奥中らが参画して作った憲法草案。ついに陽の目を見ることはなかったが、その第70条は
「政府国憲に違反スルトキハ日本人民ハ之に従ワザルコトヲ得」
第71条「政府官吏圧制ヲ為ストキハ日本人民ハ之ヲ排斥スルコトヲ得」

72条「政府恣ニ国憲ニ背キ人民ノ自由権利ヲ残害シ建国ノ趣旨ヲ妨グル時ハ日本人民ハ之ヲ覆滅シ新政府ヲ建設スルヲ得」

 要約すれば、70条は「時の政府が憲法に違反する行為を行ったときは国民はそれに従わなくてもいい」。71条「政府及び官僚が不正な政治を行い、国民を圧迫するときは国民は政府・官僚を排斥できる。
72条「政府が憲法に背いて国民の自由や権利を奪う時、国民は政府を転覆させ、新しい政府をつくることができる」ということ。
 つまり「革命権」があるという条文。大正時代の憲法草案の革新的なこと。


 この大正の憲法草案と対比するかのように現代の日本国憲法前文が最後に群読される。ただし、ノイズと映像で、コラージュ。

 塩野谷氏はこの憲法朗読に最後まで抵抗したという。「政治でできないことを演劇でやっているのだ。これまでやってきたのはなんだったのか。政治に演劇が負けてはいけない」と。その弁も理解できるが、流山児の思いもわかる。大正時代の革命的な憲法草案と最後に現代の憲法前文の格調高い言葉を対比させることで、現代の状況をあぶりだすこともまた一つの演出。

 9時25分終演。2時間25分。

 天野天街、東憲司、若杉宏二らと立話。若杉ジュニアは11カ月。「もう歩いてますよ、成長が早いみたいですね」と笑顔。奥さんの七瀬なつみは新国立で芝居。「ぼくも今度演舞場。二人とも仕事してます」。
「夢顔」がよかった東くんとミツバチ談義。「最近異常気象なのか、西洋ミツバチでも逃去が頻繁にあるそうです」と。ある日一斉にハチが巣から逃げ出す「逃去」はニホンミツバチだけというのが定説だったが。

 帰り際、名古屋のH藤さんと遭遇。待ち合わせがあるらしく急いでいた様子。立話もできず。残念。

 2130。喫茶室で初日乾杯。町田マリー、柿丸美智恵、制作の柳生氏らと立話。10月公演の台本はまだゼロとか。あと1カ月……。塩野谷さんと芝居の話をじっくりと。

 2200、退出時間なので引き上げ。
9月3日(月)快晴

 0630出社。まだ心は仮面をかぶっている。軽い抑うつ状態。同僚とのいつものジョークのジャブの応酬で次第に気持ちが晴れていく。毎年のこと。午後には回復するだろう。

 1700退社。笹塚ファクトリーで燐光群+フィリピン国際交流プログラム「白髪の房」(作=ルネ・O・ヴィラヌエヴァ、演出=竹内一郎)、「現代能楽集 三人姉妹」(作=坂手洋二、演出=内藤裕敬)。

 休み明けの頭には「白髪の房」のセリフはほとんど届かず。前席のSさんもこっくりと居眠り。「三人姉妹」は刺激的で面白い。真夜中、戦火を逃れ、無人の劇場に迷い込んだ兵士たち。そこで上演される「三人姉妹」を演じる女優たち。彼女たちは幽界の者なのか、それとも、兵士たちが……。内藤裕敬の演出は猥雑さを抑え、幽玄美を醸しだす。

2100終演。電車の中で同僚とバッタリ。珍しい。
9月2日(日)快晴

 田舎から帰ってきた自分はまだ細胞の半分は田舎のまま。田舎で過ごした1週間でハラリと落とした、警戒、ねたみ、欲望、利己、見得といった自己防衛のトゲが再び体のあちこちから生えて来て、また都会に適応していくのがわかる。「山月記」の、虎になった李徴のように、田舎での自分と都会での自分が葛藤し、次第に都会の自分に変身していく。自己分裂だ。ただの観光旅行とは違う、田舎にいるのはもう一人の別の自分なのか。細胞がキシミをあげて、都会に適合しようとしている。いつものこと。あと2日もすれば、「田舎の自分」はすっかり忘れるだろう。しかし、この葛藤。たった15年、人生のほんのトバ口を過ごしただけの故郷をなぜこれほど恋慕うのか、あるいは憎むのか。


 0900~1200、躰道稽古。半面は審査会場に。そのため、今日の出席は壮年6人と一般2人だけ。
 稽古をしているうちに、徐々に心も日常に回帰してくる。

 1300帰宅。1週間分の新聞をまとめ読み。相変わらず殺伐とした世の中。
9月1日(土)快晴

 0600起床。0900、コンブ漁を終えたS吉叔父さんがカニやイカを詰めた発泡スチロール箱をバイクに積んで持ってきてくれる。親戚からいただいたおみやげで宅急便もかなりの数に。ありがたいことだ。もちろん、すべては今までの父母の人徳のおかげなのだが。

 0930、戸締りをして家を出る。後は従妹の旦那さんのKさんが水道や電気周りを見てくれる。これもありがたいこと。

 順番に親戚の家をまわって挨拶。最後はS吉伯父さん。母の兄弟の中でもとりわけ気持ちが優しく涙もろい。子供の頃はよく「勉強ばかりしてもだめだぞ。学校卒業したら実家に帰って親孝行しなけりゃな」と言われ、反発したものだが、それは伯父さんの両親を気遣う優しさから出た言葉。今にしてその諫言の重さがわかる。

 1200、M市到着。まさかりプラザで食事。時間があるのでノンビリしていたが、斜向かいに「来さまい館」なる郷土資料館ができたのに行ったことがなかった。時計を見ると列車の時間ギリギリ。あわただしく館内をくぐり抜け、O湊駅へ。給油するための時間もギリギリ。Bzのところに寄ろうと思ったが断念。
 今年こそは中学の恩師H先生の所にもお邪魔しようと思ったがそれもアウト。高校の元教頭先生も97歳。お元気ならば会って行こうと思ったのに……。予定はほとんどダメに。

 1415、O湊発の列車で帰京の途に。
途中何事もなく、1930、帰宅。

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