| 10月30日(水)晴れ 0730起床。ゴミ出し。 録画した「ロビンとマリアン」(76年)を観ているうちに睡魔に襲われベッドに。1300まで。昨夜は早めに寝たにも関わらず、よく眠る。 青森のT先生から丁寧な手紙と自作の漢詩集が届く。97歳のT先生、文字に乱れもなく、お元気そう。大間を詠った漢詩に少し引っかかりを感じたが、まぁ仕方ないことか。 買い物ついでに近所の古書店をのぞいてみる。「家の光」や「婦人画報」など、雑誌類が豊富。 100円本の中から、柴田翔「われら戦友たち」、八切止夫「家康は二人いた」を。ほかに石森章太郎「窓」(サンリオ)「あかんべえ天使」(P・PRESS)、ますむらひろし「銀河鉄道の夜」(朝日ソノラマ)、「マンガ雨月物語」(河出書房)、寺山修司「思想への望郷」(76年 旺土社刊)。しめて2800円。 柴田翔の本がゾッキ本に混じり、風雨にさらされているのは切ない。 母校の中学が統廃合されるという噂の真偽を確かめるために中学の同級生に電話したのが2週間ほど前。幸いなことに、廃校にはならない見通し。 小学校校舎は建て替えになる模様。わずか30年かそこらで老朽化とは、現代の建築技術もあてにならない。私が小学校時代に使っていた旧校舎など、今でも使用に耐えるのに。その旧校舎(今現在、資料室として併設してある)がどうなるのか。役場に勤める同級生に聞くと、「国の補助金で建て替えするので、旧校舎の保存はよほど重要な建築物でない限り、取り壊されることになる」とのこと。 黒光りする廊下、父母の代からあったであろう木造教室。それが取り壊しになる。なんとか保存できないものか。 全国的に木造校舎の保存運動が起こっているのに。 こんな事を言っても、「県外者の遠吠え」。「地元にいない人間が何を言う」となる。 しかし、わが町の小学校は、明治時代に、自主的に村民の寄付を募って作ったものという。隣町の校舎は翌年、県の予算で作られた。それだけに村民の学校への愛着は大きい。 子供の頃、小学校の運動会は村総出の大行事だった。子供がいない家でも、運動会となれば、みんな学校のグラウンドに集まり応援した。 それが当たり前のことだと思っていたのだが、下北地域の中でも珍しいことのようだ。 なぜ、村の人たちがそれほどまでに小学校に愛着を持つのか。それこそ「自分たちで作った学校」という意識があるからだろう。 過疎化が進み、教育も効率化……などという安易な視点で地域の培った「教育の歴史」をないがしろにすれば、地域も教育も荒廃する。 なんとか、あの旧校舎を保存できないものか。 10月29日(月)晴れ 最近のニュースで気になったこと。 「第2次大戦中に対独レジスタンスに身を投じた17 歳のフランス人少年が、ナチスに銃殺される直前に死の覚悟を家族に書き残した手紙を、サルコジ仏大統領が高校で朗読するように指示。教育現場から「歴史の政治利用だ」などと反発が噴出し、従わない教員が続出する騒ぎになった。 レジスタンス活動家だったギ・モケは、1941年10月22日に仲間26人と銃殺される直前、「僕の人生は短かったが、後悔していない」などと手紙に書いた。サルコジ大統領は愛国精神の象徴として5月の大統領就任時にギ・モケをたたえ、命日の22日に高校で手紙を朗読するよう命じた。」(以上asahi.com) フランスの教員組合は教師に対し、「歴史の統制」や、死に関する手紙の内容が生徒に与える影響などを理由に、朗読に参加しないように呼びかけた。野党・社会党は「大統領の個人的で一方的な決定が無意味な論争と分断を生みだした」と批判。モケが射殺された仏西部のシャトーブリアンで22日に5000人の記念集会を開催した共産党のビュフェ全国書記は「来年はこの日が、なぜモケらが抵抗したか、生徒たちが理解できるように、市民参加型のフォーラムという形になるようにしていきたい」と語った。日本に置き換えれば、自民党政権が、戦時中に虐殺された小林多喜二の詩を命日に朗読するよう強制するようなことか? ちょっと例えが思いつかないけど……。 「左派層の支持を取り付けるための懐柔策」は、日本ではまず考えられない。 しかし、何よりも問題なのは、ギ・モケ少年の「遺書」の背景であるナチズムへの抵抗、人種差別的イデオロギーへの闘いの故に銃殺されたという歴史観がまったく抜け落ちているということ。遺書だけを取り出して読めば、そこには「愛国的行動によって殺された少年」だけが浮かび上がる。これではギ・モケ少年は浮かばれない。遺書の朗読は歴史背景を抜きにしてはまったく別の政治意図に利用されかねない。教職員、野党、社会党・共産党が反対するのも当然だろう。 遺書の文言だけを取り出せば、そこには死に臨む若者の純粋さだけが浮かび上がる。それは「特攻隊の遺書」と同じ位相になるのだ。まさに「愛国者の手紙」に移し変えられてしまう恐れがある。 ギイ・モケの母校の記念式典に大統領が来るという予定を聞いた高校生とOBたちは抗議デモを企画し、教師陣にあてて手紙を書いた。 「……あなたがたの中には、国家の命令に従うのが公務員の義務だと思う人がいるかもしれません(そして、それがいちばん楽でしょう)が、私たちが従うべき唯一のものは、自分自身の良心です。あなたがた教師は、手本としてそれを私たちに示すべきです。時には、より高い理想のために命令に背くことが必要とされるのです」 カルノ高校の教師たちはこれに答えて総会を開き、大統領と教育省の命令を拒否する声明を可決した。いわく、「この命令には国家の道徳を構築しようとする意図が明白であり、教師はその代弁者の役割を担わされる。全国の子どもたちを、議論の余地のない融合的な内省をとおして一体化させ、そうしなければ『反愛国的精神』とみなされる、専横的な命令である」(リベラシオン紙、ピエール・マルセル記者) 「サルコジ大統領は以前から、奴隷制や植民地支配などフランス史の汚点を直視しようとする歴史学者や市民の動きに対して「悔悛の必要はない」と発言し、植民地帝国時代へのノスタルジーを持ち続ける保守層に媚びた言動が多い。大統領戦で「68年五月革命の遺産を清算する」と主張した彼は、40年以上も時代を遡ったような強権的な保守・反動思考に、メディアが流布するスター崇拝と下品な拝金主義を融合させた「大衆テレビ時代のポピュリズム」政治を進めている」(レイバーネット) サルコジはいってみれば安倍元首相と同類なわけだ。なるほど、それならば、日本のサルコジが強制するのは、小林多喜二ではなく、やはり「特攻隊員の遺書」になるのだろう。 そうなったとしたら、日本の高校生、教職員が「私たちが従うべき唯一のものは、自分自身の良心であり、時には、より高い理想のために命令に背くことが必要とされるのです」と主張した場合、それに呼応する国民はどれだけいるのか……。フランスと日本、彼我の差は大きい。 写真はphilippe leroyer 氏がFlickrで公開しているもの。 1800帰宅。 「犯人に告ぐ」一気に読了。しかし、これが各ミステリ投票の人気1位? 同じ作者の「虚貌」「火の粉」の方がはるかに面白かったけど。 10月28日(日)晴れ 0900〜1200、躰道稽古。ヒザが痛むのでセーブしながらと思ったが、始めるといつもどおりのハードさ。ダメ出しを受けながら「活命の法形」を。 1300帰宅。食事をしてベッドに横になり、小説を読むも睡魔に襲われ1630まで。上階の部屋から聴こえてくるジャズのレコードが半覚醒の頭に響く。 10月27日(土)台風 0640出社。粛々と仕事。 1400、風雨の中、シアタートラムへ。る・ばる「片づけたい女たち」(作=永井愛、演出=木野花)。 今回で3演目。幕が上がると舞台は一面のゴミの山。ダンボール、ゴミ袋が散乱。台所は汚れた食器があふれている。観客から一斉に驚きの声が漏れるのは毎度のこと。次に、そのゴミを前にして下手で立ち尽くす二人の女性(田岡美也子、松金よね子)が視線に入ってくる導入部が巧み。 部屋の主は二人の高校時代からの親友。次第に明らかになるのだが、彼女は前任者を追い落とし、会社で昇進したにも関わらず、なぜか引きこもり、膨大なゴミと暮らすようになったのだ。彼女に何が起こったのか。新年会を開くべく、ゴミと格闘するうち、中年女性3人の過去と現在が交差、彼女たちが抱える「心の闇」が浮かび上がる。 50代の女性3人。実年齢の女優たちが演じる、それぞれの家庭での悩みや人生のつまづき、過去へのこだわりがリアル。同世代として身につまされる。 しかし、人生の希望をはらんだ終幕は爽やか。いつまでも色褪せないエバーグリーンな戯曲。 終演後、永井さんがロビーにいたので立話。1年間の充電期間中とのことだが、実際は何かと忙しいようだ。 制作の有本さんに案内され、楽屋へ。松金、田岡、岡本、木野花さんに挨拶。「る・ばる」は旗揚げから見ているが、3人にこうした形で会うのは初めて。実に丁寧な応対。田岡、岡本さんは日活ロマンポルノの女優さんとしてスクリーンを通して、松金さんはテレビのブラウン管を通して。いわば、3人は自分にとって舞台人というよりも「芸能人」というイメージなので、にこやかな笑顔でお礼を言われるのは不思議な感じ。 ロビーに戻り、永井さんに挨拶して下北沢へ。雨風は強くなり、もはや暴風雨。 定食屋で子持ちカレイ定食。 結婚したMさんに何かお祝いをしたいので、青森のDさんに電話。ありきたりなものよりヒバ製品がいいかな、と。幸い、ギフト用のセットも新設するところとか。 ヴィレッジヴァンガードでCDを試聴。本を物色。1800、本多劇場で加藤健一事務所「コミックポテンシャル」(作=あらん・エイクボーン、演出=加藤健一)。再演。 近未来のテレビ局のスタジオ。連続ドラマの収録中だが、演じているのはみんなロボット。近未来では、人間が作った完璧なプログラムによって、ロボット達が俳優の仕事をしているのだ。かつて、コメディー映画の監督として活躍していた、ディレクターのチャンドラー(加藤健一)は、今日もロボットを相手にやる気のない演出。そこに、チャンドラーの大ファンで、脚本家志望の青年・アダム(蟹江一平)が訪れ、ふとしたはずみでロボット女優のジェシー(加藤忍)に恋心を抱いてしまう。感情を持ったロボットは廃棄の運命。二人の恋の逃避行が始まり……。 蟹江一平は蟹江敬三の息子で青年座のホープ。今日は姉の栗田桃子が見に来ていたが、彼女は文学座の女優。明日は蟹江パパが見に来るとのこと。 一平くんは生真面目な青年役はお似合い。が、ちょっとカタイかな。加藤忍は少しやせたようで心配。もっとも、コメディエンヌぶりに磨きがかかったようで生き生きとロボット女優を演じている。 カトケンの演出も手馴れたもの。何箇所か「悪ノリ」もあるものの、うまくまとめていた。 西山水木は久しぶりのコメディー。元々はEDメタリックシターだからコメディーはお手のものだろうが、EDを解散後はシリアス芝居が多く、最近もガジラの縛られ、殴られの超ハードな役。コメディエンヌのイメージからはるかに遠ざかってしまった。ホントはロボット振りも西山水木が先駆者。コメディエンヌとしての彼女もまた見てみたいものだが。今回はパイを顔にぶつけられる役ではあっても、コメディーセンスを発揮するには至らず。 大好きな小山萌さん、今回は彼女にとってはちょっと役不足かな。いつか彼女主演の舞台を見てみたいものだ。 2040、終演後、楽屋に行って忍ちゃん、水木さん、カトケンさんに挨拶。 急いで家路に。今日は娘の誕生日。 10月26日(金)雨 1620、S加の映画館で「パーフェクト・ストレンジャー」を見る。まったくの予備知識なし。 議員のスクープを握りつぶされて会社を辞めた敏腕新聞記者のロウィーナ(ハル・ベリー)。彼女はある夜、幼馴染のグレースから広告業界の大物ハリソン・ヒル(ブルース・ウイリス)の不倫スキャンダルの話を聞く。その数日後、グレースは変死体となって発見されてしまう。 ミステリアスな導入部。しかし、その後の展開はどうにも……。 「パーフェクトストレンジャー」とはネット社会において、完璧に他人になりすますことを指すというが、反則だよなぁ、これ。 学生時代の友人Mさんから結婚通知。女優から弁護士に転身。「社会派」として活躍するMさん。人生のパートナーと出会えてよかった。 10月25日(木)晴れ 早めに仕事を終えて、銀座シネパトスへ。長崎俊一監督の「黒帯 Kuro−Obi」。 時代は昭和初期。古来の伝統空手を未来に伝えるための継承の証しである師の「黒帯」をめぐって三人の弟子たち、それぞれの生き方を描いたもの。 空手道場を接収し、娼館を作ろうと暗躍する憲兵隊隊長。空手道場の弟子の一人・義龍は師の教え「空手は争うためにあらず」を頑なに守り、理不尽な権力に対しても、決して自分から攻めることはしない。一方、より強い相手を求めて次々と道場破りをし、憲兵隊の軍事訓練の教官を務める野心家・大観。そして、腕を負傷したため、一歩退き、二人を見守る長英。 ケガをした義龍を助けた農民の娘が借金のカタに軍の御用業者に連れ去られたことから、義龍と大観の因縁の対決が……。 師の教えを守り、じっと耐え忍ぶ義龍は往年のやくざ映画の高倉健か。「もういいだろう、我慢しなくても」と途中で何度ももどかしさを感じるくらいその「忍耐」は長い。憲兵隊隊長役の大和田信也の憎々しげな顔。 古来の伝統空手が軍事的に有用な殺傷技術だけを残して解体され、その伝統を踏みにじられたのが明治維新から第二次世界大戦にかけて。 この映画はその歴史を踏まえている。古来、権力から武器を奪われた琉球民族が素手で身を守るために研鑽を重ねたのが沖縄空手。それを、再び国家が戦争のために利用する。この二重の略奪。 劇映画としても面白いが、なんといっても、主役が実際の空手家であり、そのアクションシーンは息をのむすさまじさ。義龍役は八木明人。剛柔流空手の継承者であり、現在、国際明武館剛柔流空手道連盟館長。大観役の中達也は松涛館空手の総本部師範。二人の対決はホンモノだけが持つ迫力。その速さ、重厚さ。 劇場を出ると自分が黒帯5段くらいになったような錯覚。まるで70年代、やくざ映画を見て映画館を出た若者がみんな健さんや菅原文太になっていたようなもの。 時間が早いので、本屋に。 朝日文庫「ぜんぶ手塚治虫!」、雫井脩介「犯人に告ぐ」。 手塚治虫が亡くなってもう18年。ナチス時代を背景にした「アドルフに告ぐ」について「私が戦争体験者として、第二次世界大戦の記憶を記録しておきたかったためでもありますが、なによりも、現在の社会不安の根本原因が戦争勃発への不安であり、それにもかかわらず状況がそのほうへ流されていることへの絶望に対する私のメッセージとして描いてみたかったのです」 この講演録「未来人へのメッセージ」が書かれたのは86年。それから21年。手塚治虫が予言したように、世界はいまだ戦争が絶えず、不戦を誓ったはずの日本が他国の戦争に加担している状況。この世界を、そして「9・11」を手塚治虫はどう描いただろう。 手塚が謳歌した戦後民主主義。それを否定し、再び戦前体制に逆行させようとする戦後生まれの首相が登場すると想像しただろうか。 収録されている鉄腕アトム「キリストの目」、「ブラックジャック「土砂降り」、「ゼフィルス」。三つの物語に託された手塚治虫の反戦・平和、人道主義はいつまでも色褪せることなく胸を打つ。もちろん、手塚治虫は多面体であり、「単純なヒューマニストではなかった」だろうが……。 1900〜2100、新宿。シアタートップスで自転車キンクリートSTORE「ツーアウト」。 飯島早苗の作・演出。 舞台は、秋の休日、草野球のグラウンド、三塁側ベンチ。 草野球チーム・ホケッツの監督・秀吉は、何事もなく日々を無難にやり過ごす人生を送りたいと思ってきた。ややこしい問題はすべて先送り。妻や大学受験を控える息子とコミュニケーションが上手く取れていないと自覚はしていても、何らかの対策を取ろうとしてこなかった。 そして、今朝、「妻の家出」という危機的状況に直面することになった。が、あまりの大問題に思考が停止したか、あるいは現実逃避か、秀吉は草野球の試合に来ていた。しかし、もちろん心中は野球どころではない。 試合中の秀吉に、息子・塁治が、「母が家出したのに、草野球かよ!」と、文句をつけに来る。行動力や決断力のない父親・秀吉に、いつもイラついている塁治だが、実は自分も父に似ている気がしていて、尚更に腹を立てている。 そのうえ、なぜか恋愛に悩む、秀吉の会社の女子社員・真坂も現れ……。 監督や登場人物はベンチ内でウロウロ、うだうだするだけ。話の広がりもなく、間延びした2時間。 帰り、上谷氏と立話。 10月24日(水)晴れ 半袖では寒さを感じる。午前中、同窓会報の発送作業。手書きなので、これが意外に時間がかかる。 午後は家人と買い物。帰宅して部屋の片付け。カセットテープのデジタル化作業。 山田風太郎の「わが推理小説零年」を読んでいると、中井英夫の名前が出てくる。「同世界の中の異世界」というエッセイ。「戦中派不戦日記」(山田風太郎)と「彼方より」(中井英夫)。ともに、東京の同じ時代に書かれた日記=記録である。にもかかわらず、中井英夫の徹底した反軍国主義=軍人と戦争を嫌悪する姿勢と風太郎のそれとは大きな隔たりがある。「いまだに悪夢の思想の残滓をどこかに沈着させている私は中井さんを別世界の人のように思う」と自身を評す風太郎。同じ日の同じ天候の下、清冽なる反軍国の視点を持ち続けた中井英夫。風太郎との間に交友はなかったと思うが、さてどうだろう。同じ本の中に、奥宮健之の名前も。小説「地の果ての獄」に関するエッセイ。明治の北海道。広大無辺の大地を走る一本の鉄道。幌内から小樽までの鉄道敷設に使われたのが、「空知集治監」。つまり、労働力を補うために集治監の囚人が使われたのだ。「飲料は川の水。腐敗して飲料に耐えず。もとより凶悪無頼の徒らが、たちまち事故にあい、手足を失う。それでも、「手を失し者教導となり、盲者背後より前者の帯にすがりて、相連なり監房に帰る情景まさに酸鼻」という状況。樺戸集治監と空知集治監の間20キロに道路を作ることを命じられるも、泥湿地帯。囚人たちの人海戦術で進められたが、その難作業は地獄絵図だったという。 政府に囚徒使役の策を具申した太政官大書記官・金子堅太郎は次のような文書を残している。 「彼らはもとより凶暴な悪漢どもでありますから、その苦役の果てに斃れても当然の報いであります。特にただいまのように国庫支出が多大を窮めている事態のもとでは彼らを使役し、その斃死によって人員を減少させることは、むしろ監獄費節約の目的にもかない、一挙両得の政略というべきであります」 官吏というのは昔から発想がこんなものなんでしょうね。 要するに、「罪人は徹底的に労役を課し、死んだら死んだで口減らしになる」というもの。 罪人に限らず、政府のやり方に異議を唱えたり、政府に公害訴訟を起こすような国民には、「抗告抗告で時間を引き延ばし、原告が死ぬのを待つ」。100年たっても官吏たちの意識は変わっていないということ。 国民の税金で一機何百億円もの戦闘機を契約して、リベートやら手数料で何億もの荒稼ぎするヤカラこそ、使役されて「国の礎」になってもらいたいものだ。 だいたい、税金が高いとか、賃金が上がらないという前に、無駄な大型公共事業や軍事費を削ったら国民の税金は10兆円以上もラクになるというのだから、それを見直せばいい。民営化の大合唱に付和雷同した人は今頃ホゾを噛んでも遅い。民営化したとたん、小為替手数料などを大幅値上げした郵政。この先、効率化と合理化はどんどん進む。「郵便ポストはなくなりません」といっても山間僻地はどうなるか知れたモンじゃない。事実、仄聞すれば、局員は今年から一人頭、年賀ハガキ1万枚のノルマがあるらしい。銀行の預金ノルマ並みの締め付けだ。 カセットテープの中に以前ネットで知り合った方からいただいた能登道子の「あと3センチ」があったのでCDに焼く。林美雄が当時プッシュしていた「からす笑えよ」「雪女街をゆく」などが入っているLPからの録音。白季千加子も4曲。ついでに能登道子を検索したら、初アルバムを作ったのが南川泰三さんという作家だと知る。聞き覚えのある名前だと思ったら著書「グッバイ艶」という小説の書評を読んで、気になっていたのだった。過去の作品を見ると、テレビドキュメンタリーで「北限に生きる 下北半島 ニホンザルの12年」というタイトルも。能登道子ー林美雄ー下北半島がつながったわけで、不思議な感慨。どこかで輪はつながる……。 10月23日(火)晴れ 1年間の給与が決まる日。 「若い人には手厚く、ある年齢以上の層は一丁上がり」というのが昨今の方針とか。能力も意欲もない連中が若いというだけで手厚い保護を受けるというのは盗人に追い銭だと思うが、自分が世間の常識からズレているのか。不思議。 1545、銀座シネパトスで「バタフライエフェクト2」。自動車事故で死んだ恋人を生き返らせるために、何度も過去を遡るが、そのたびに事態は悪化していく。前作と比べてもあまりのご都合主義に辟易。ラストシーンはいかにもアメリカ映画のステロタイプ。唖然。時間の無駄だった。 1900、ベニサン・ピットでtpt「スペインの芝居」(アスミナ・レザ作、天願大介演出)。 スペインのある作家が書いたという芝居を演じる5人の俳優達。彼らが演じる「スペインの芝居」は、熟年の母親と、女優である二人の娘との愛憎相半ばする関係、そして母親と中年の不動産管理人との恋、そして二人の女優と男たちとの危うい関係についての物語である。だがその芝居の合間合間に、彼らは「俳優自身」に戻り、彼らが演じつつある芝居について、演劇について、俳優という存在について、作者と作品との関係などについて問いかけ、虚と実とが交錯するそのストーリーのあわいから、「愛」についての狂おしい問いかけが浮かび上がる。 俳優が劇中劇を演じつつ俳優論を戦わせる。鰐淵晴子はいくつになったのか。老いは隠せないが、さすがに芝居は重厚。中嶋しゅうも。宝塚の男役だった月船さららは抜群のプロポーションで官能的な女優役を。実力派ぞろいのなかでも毬谷友子の演技巧者ぶりはピカイチ。ラストシーン、ピアノに向いメンデルスゾーンを弾く毬谷。いかにも女優らしい女優。 今回は入口から真正面に舞台。一瞬、不思議な感覚。普段使う入口をずらしていたのだった。 流山児氏が見に来ていたので立話。オールドバンチ2は来週あたりから立ち稽古とか。 2200終演。休憩15分を挟み3時間。 10月22日(月)晴れ ウニ氏のブログで知った「秘密の学校」に心が躍る。 英ガーディアン紙の記事によれば、ドイツのブレーメンで、州政府の教育方針に飽き足らない親たちが過去30年間にわたって秘密の学校を運営してきたことが明るみに出たという。この学校は左翼的な親たちが始めたもので、年齢の異なった生徒たちが同じ教室で学び、男女は別教室。楽しく学べることが主眼で、卒業生たちは偽造された卒業証明書を手に中等教育に進み、多くは大学を出て立派な社会人になっているという。 教育委員会などは、「学校」の存在を認識していたことを否定しているが、「学校」は過去に警察による立ち入り調査を受けたりもしていたという。「おそらくは、多くの人々の無言の善意に守られてきたのだろう」とウニ氏。 上級校への進学を目的とした「塾」とは志向が違う「もう一つの学校」。 国家による臣民教育よりよほどマシかも。 寝すぎたためか、逆に体がだるい。会社に行くとノドが痛む。扁桃腺が真っ赤。風邪か。急に寒くなったので体調も低下気味。イソジンでうがい。帰りにはすっかり回復。1700帰宅。 高校の元教師がある会報紙で「定年になって嬉しいのは、これからはイヤな人とは付き合わずに済む、好きな人とだけ交友できること」と書いていた。知人のフリー記者も「60歳近くなったら、もう好きな人としか会いたくない。残りの人生を嫌いな人間とのつまらない葛藤で過ごしたくない」と言っていた。聞いた時は、随分後ろ向きな……と思ったものだが、今はその気持ちがよくわかる。どう転んでも分かり合えない人間、虫の好かない人間とうのは身の回りには少なからずいる。いちいちそういった連中とのくだらないせめぎあいに神経をすり減らすのは時間の無駄。人生のロスだ。バカは相手にしない。そう決めよう……と思ったりして。 10日で上野にあった癒処が閉店し、秋葉原店と統合。正統派のマッサージ店も過当競争か。 このところ肩が凝るということがなかったのでしばらく足が遠ざかっていたが、連日の睡眠不足、疲労の蓄積で、ひどい肩こり状態。初めて秋葉原店へ。60分、全身マッサージで気分爽快。自分で気づかないうちに疲れがたまっていたようだ。 10月21日(日)晴れ 疲労蓄積。おまけに土曜午前の不快さがよみがえり、目覚めが良くない。躰道稽古もパスしようかと思ったが、自分を奮い立たせ、1時間遅れで参加。久しぶりに6人勢ぞろい。動き始めるとすぐに汗びっしょりに。 1200終了。その後、1300から居酒屋でH田さんの結婚お祝い会。にぎやかに1700まで。二日間お酒漬け。帰宅後、早めに就寝。8時間睡眠取れそう。 10月20日(土)晴れ 同窓会総会。仕事もサクサクと……。で、順調に一日が過ぎるはずが、思わぬ伏兵。 世渡り上手なら、頭の上を嵐が吹きすぎるのを待つか、面従腹背、後ろを向いてペロッと舌を出すのだろうが、こちとら、生憎父親譲りの世渡り下手。ここ数ヶ月我慢した理不尽な言いがかりについ堪忍袋の緒が切れる。相手が自分の生殺与奪権を握るおエライさんであるにも関わらず真正面から激突。ああ、なんでこうも世渡りが下手なのか。父の一本気な性格をそのまま継いでしまったか。わが息子も似たところがある。サラリーマンの世界にはなじめないかも。 というわけで、マグマの噴出後の不快な気分のまま、同窓会場の亀戸へ。 駅の改札を出たところで総会最年少のNさんとバッタリ。去年も「同伴」出席したっけ。今年は同期の友人を誘っての参加とのこと。 Nさんと歩きながら話が弾むうち、胸の内の群雲が次第に霧消。ゲンキンな。 会場は旧平安閣。去年までの会場とは大違い。吹き抜け天井にシャンデリア、まさしく「豪華」な宴会場。音響関係も選任の担当者。こちらの要望通りの音を出してくれるので大助かり。今年から式次第は簡素化。挨拶も少なく短めに。その分、懇親会の時間を長く。 校歌斉唱の清々しさよ。このところ、何かにつけて強制される「君が代」に心を煩わされていたので、今日は久しぶりに「歌いたい歌」を声を張り上げて歌う。「歌いたくない歌は歌わない」、これ当然。 1300〜1530。最後は「高校三年生」の合唱。 二次会は駅近くのスナック2軒を貸し切り。40人近く流れたが、入りきれず河岸を変えた期も。ただ、カラオケスナックだったのが誤算。年配の人たちの歌のうまいこと。こればかりはいつもビックリする。田舎のオジサンオバサンはやたらと歌がうまいのだ。 同期のM浦さん、M上さんとゆっくり話をする暇がなかったので、二次会を抜け出し、二人と近所の喫茶店でしばしおしゃべり。老親のこと、子どもの教育、「老後」の心配……いつからかそんな話をする年代になった。再び看護士として働き始めたというM浦さん。いつもしっとりとした和装のM上さん。高校時代ははるかに遠く……。記憶の中ではつい昨日の事なのに。 二人が帰った後、二次会に残っていた最年少グループを誘って三次会へ。13期が陣取っているサクラ水産。 42期のNさん、K谷くん、そして仕事を早めに切り上げて駆けつけたという鍼灸士のT辺くん。一回り以上年下の彼ら。ノリはやはりいまどきの若者。「高校の先輩たちと一緒に飲む機会があるなんて思ってもみなかった」と何度も繰り返すK谷くん。ワイワイにぎやかにオシャベリに花が咲く。13期はすでに解散。4人で居残って飲むが、さすがに翌日のことを考えてここで解散。2230。この後、42期は四次会に行ったとか。若さが違う。 10月19日(金)雨 1830、新国立劇場中劇場でギリシャ悲劇シリーズ「たとえば野に咲く花のように−アンドロマケ」(作=鄭義信、演出=鈴木裕美)。 1951年夏、とある港町のさびれたダンスホール。戦争で失った婚約者を想いながら働く朝鮮人、安満喜。そこへ先頃オープンしたライバル店を経営する安部康雄が訪れる。戦地から還った経験から「生きる」ことへのわだかまりを抱いていた康雄は、「同じ目」をした満喜に夢中になり店に通い詰めるが、満喜は頑として受けつけない。一方、康雄の婚約者あかねは、心変わりした康雄を憎悪しながらも、恋心を断ち切れずにいる。そんなあかねを、康雄を恩人と慕う直也が見守っていたのだが……。 ギリシャ悲劇を日本に置き換えることは可能か……といえば、やはりムリがある。そのことを前提にした脚本。家族劇としては秀逸。江森さんと電車で途中まで。 10月18日(木)晴れ マチネでパニックシアターを見ようと思っていたが、仕事の関係で時間がなくパス。 1930、東中野。芝居砦でProject Nyx第2回公演「かもめ或いは寺山修司の少女論2007」開演前に隣りの喫茶室で久しぶりの鎌滝、コビヤマ氏らとおしゃべり。 2030終演。正味50分の芝居。終演後は再び喫茶室で打ち上げ。 カルメンマキの「かもめ」「私は風」、森田童子「春爛漫」など選曲は金守珍と広島かつら。「私は風」は金ちゃんのお気に入りで「流行った当時毎日聴いてた」とか。 寺山修司を唐派の金守珍が演出する……これも時間の流れ。ただ、演出過剰で想像力の余地がないのが難点。このホンなら、二人芝居+人形で十分。 2300帰宅。 寺山修司の「名言集」の中で一箇所間違いと思われる部分があったので帰宅後、T取さんに電話して確認。宇野さんの台本の誤植がそのままになっていたようだ。一字違いでも意味は180度違う。その旨メール。即日修正されたようだ。 10月17日(水)晴れ 0730起床。うだうだと半日。どうして休みの日はこんな過ごし方しかできないのか。BSで放送した池部良+岸恵子の「雪国」を見る。原作を読んだのは昔々。しかし、川端文学ってこんなに隠微だったのか。日活ロマンポルノで育った世代から見ても池部、岸の恋情には淫猥さを感じてしまう。こんな大人の世界、高校生くらいにはわからなかったはずだ。 1630、喪服に着替え、神楽坂の箪笥市民センターへ。1800から同窓会幹事のH瀬氏の通夜。会場に着くとS畑会長、Y田さんら数人の同窓会関係者の顔。会葬者はそれほど多くないのは高齢であることと、生まれ故郷、育った故郷が別々で、しかも遠方だからだろう。わが身に置き換えるとその寂しさがひとしお。「死ぬならば、ふるさとに行きて死なむと思う」と詠ったのは啄木だった。 今にして思えば、父と母を見送ったのが、故郷であったのがせめてもの慰め。大勢の友人、知人、親戚に見守られながら旅立つこと。それが人生最期の幸せなのかもしれない。根無し草になってしまった自分には死に場所がどこであっても変わりはしないのだが……。 遺影で微笑むH瀬氏。つい数週間前に電話で言葉を交わしたばかりなのに。会報の文章が絶筆とは。 S畑氏らと精進落としの席につき、しばし雑談。2000帰宅。 10月16日(火)曇り時々雨 昼過ぎ、会社の近所で火事があったとのことで、窓を開けると煙の臭い。空ではヘリが数機。しかし、救急車・消防車のサイレンもなく、緊迫感はなし。火元はだいぶ離れているようだが、それでも数`一帯は焦げた臭いが充満している。火事で逃げ送れて死亡というニュースを聞くたび、「もっと早く逃げられないのか」と思ったりするが、こんな遠くまでもすさまじい臭いが襲ってくるということは、火元近くの惨状はいかばかりか。煙に巻かれてしまうのも無理はない。 しかし、この燃え焦げた臭い、なんとなく昔の風呂場のよう。子供の頃、風呂は薪で焚くいわゆる五右衛門風呂。薪が燃える煙と臭いの中、風呂に入っていたわけで、煙が目にしみたものだ。なるべくしゃがんで低い位置にいないと煙がしみた。その時の光景が浮かぶ。臭いや味覚は記憶を呼び覚ます。 1530〜1730、D議員会。新しい役員による第一回。 1800、三軒茶屋。雨に濡れた舗道。「はとぽっぽ」でサンマ定食840円。TSUTAYAでmammySino「Mother Voice」,JAMOSA「STAND UP」。JAMOSAは試聴もせずジャケット買い。試聴するとどうしても好きな声しか買わない。さて、このシンガーの声質は? 1900〜2200、パブリックシアターで「三文オペラ」。白井晃演出は、4階建てのイントレ構造舞台。上下を移動する俳優はかなりハード。銀粉蝶などの壮年世代は鉄骨から落ちないかとハラハラ。 盗賊団のボス、メッキー・メッサーは街で出会ったポリーを見初め、早速、結婚式を挙げてしまう。ところがポリーは、メッキーと対立する貧民街の総元締・ピーチャムの一人娘だった。腹を立てたピーチャムは娼婦たちをそそのかし、メッキーを逮捕させようと画策する。それに気づいたメッキーは先回りして逃げ出すものの、昔の情婦ジェニーの裏切りによって警察に捕まってしまう。 監獄に入れられたメッキーが、面会に訪れたポリーと、親友である警視総監ブラウンの娘、前の恋人のルーシーの口論を利用して、まんまと脱獄に成功すると、ピーチャムの怒りはついに爆発し……。 その名の通りオペラ形式だから3時間の長丁場も、退屈することなくあっという間に過ぎ去る。メッキー役の吉田栄作、ポーリーの篠原ともえ、ジェニーのROLLYの三主役が抜群。特にROLLYの素晴らしさ。円形劇場の恒例ライブでもクルトヴァイルの曲を歌っているROLLY、今回は全曲に歌詞。歌はうまいし味わいがある。 電光掲示板を使って場面をや背景を説明する白井演出もまずまず。 21世紀の三文オペラは7500円オペラと、かなり高額だが、女性客で超満席。 終演後のポストトークは扇田さんほか評論家諸氏は帰ってしまったが、それでも大多数の観客は居残って約30分のトークに聴き入っていた。どうせ明日は休みだし……と思ってポストトークを見ていたら終わったのが2300。帰宅は2430。電車の中で睡魔に襲われ家路は意識朦朧。 10月15日(月)晴れ 1830、銀座。ル テアトル銀座でパルコプロデュース、黒柳徹子主演海外コメディー第21作「リグレッツ・オンリー〜万障お繰り合わせの上お越しください〜」。 ポール・ラドニックの作品を高橋昌也が演出。 ニューヨークの社交界の女王ティビー(黒柳)は五番街の豪華なペントハウスに住み、夫のジャック(古谷一行)は敏腕弁護士で、結婚を控えた娘のスペンサー(石田ひかり)も弁護士だ。世界的なデザイナーの親友ハンク(大森博史)らとパーティーに興じる日々だったが、大統領の依頼でジャックが婚姻法の保守的な「改正」に取り組むことに。反発した同性愛者のハンクがゲイの仲間にストライキを呼びかけ、街は大混乱に陥る。 セレブということで、セットも衣裳もかなり豪華。風変わりなメイドが場のカンフル剤のように、奇矯なギャグで登場。 ゲイのストライキという設定はアリストパネスのギリシャ喜劇「女の平和」だろう。ゲイ役の大森は特にオネエ言葉を使うでも身をくねらせるなどのステロタイプの演技をしないのがいい。 テレビで見る限り滑舌がいいと思われている黒柳だが、このところの出演舞台を見ていると口の開きが悪いのか妙にベタベタし、セリフが不明瞭。老化に伴うものと思われるが周囲はおそらく誰も進言できないのだろう。 設定では古谷や大森と同年齢だろうが、どう見ても祖母。美輪明宏が若い女性を演じるのとは意味が違う。あまりにもかけ離れた役年齢では違和感だけが残る。 2055終演。 10月14日(日)晴れ 0900〜1200躰道稽古。人数も揃い、基本技をみっちりと。疲れを知らないH崎先生、ほとんど休憩なしでぶっ通し。帰宅して1時半ほど昼寝。全身疲労でくたくた。こんなに運動したのは久しぶり。 帰宅途中で高校同窓会のS会長から電話。今朝ほど、3期のH瀬さんが急死したとの報せ。今度の会報にも寄稿してくださった。卒業以来毎年欠かさず行っているという3期生会のことがその内容。自分が同窓会の中興の祖であるという自負もあり、ちょっぴりうるさ型で、一部には煙たがられていたが、毎年、総会で会報を手にすると、「あなた、よくこんなに素晴らしい会報を作ってくれますね。いつもほかの同窓会にも自慢するんですよ、うちはこんなすごい会報を作っているんだぞって」。にこやかに話しかけてくれたH瀬さん。評価してくれる人がいるのは嬉しいこと。そのH瀬さんの毎年の励ましも聞くことができなくなる。どうぞ安らかに。合掌 夕方、中学の同級生名簿を3時間かけて新たに入力。エクセルの表作りを参照しながら。なるほど、エクセルは奥が深い。 13日(土)晴れ お昼過ぎ、携帯に見知らぬ電話の着信。折り返すと、中学の同級生だったK池F子さん。電話番号は田舎の友人から聞いたとのこと。今自分が住んでいる町の近所に同じく同級生のE子さんが住んでいると聞いたので、彼女に連絡を取りたいと言う。K池さんの住所は同級生名簿にも載っていない。多分、卒業して以来会っていないはず。40年ぶりなのに電話口の向こうとこちら、そんな時間の経過を感じさせるものはほとんどない。小学校から9年間、田舎の同級生同士というのは不思議なもの。名前を聞いただけ中学の時の顔が浮かんでくるのも不思議。 1400、下北沢。本多劇場で毛皮族「おこめ」。初日とあって客席満杯。 しかし……あきれ果てて声もない。強姦魔・小平義雄をモチーフにしたという犯罪劇の触れ込みだが、最初から最後までとッ散らかり放題。一貫性がない。というか、何を表現したのかがわからない。実もフタもない殺人・強姦の連続で客席は冷えていく。せめて河原雅彦のような演劇的レイプを見習って欲しいもの。トレードマークのニプレス姿も封印。申し訳程度に一度だけ披露しただけ。 別に裸がどうのという問題ではないが、封印したなら、きちんと芝居で勝負しなければ。看板女優の町田マリーが孤軍奮闘。どんなホンでも自分の芝居を貫き通すマリーは偉い。女優の鑑だ。 第二部にいたっては呆れるのを通り越してただ唖然。おそらくビデオで見たのであろう007シリーズのシーンをつないだだけ。小道具に頼っただけで、あまりにも中身のない舞台に怒りさえ覚える。「ブレイク」前にあったアナーキーさと潔い猥雑さはどこに行ったのか。ただただ江本純子の自己満足の世界としか思えない。初心に戻ったほうがいい。 ヴィレッジヴァンガードで諸星大二郎の「海神記」上巻を。2000円。 1740、タクシーで三軒茶屋へ。事務所で石田信之さんと約束。毛皮族が3時間の長丁場になったのでずれ込んでしまう。 用事を済ませ、二人で居酒屋へ。できあがったばかりの著書を肴に、9時まであれこれ話をしながら飲み会。楽しいひととき。 2200帰宅。 12日(金)晴れ 会報校了。予定より一日早い。ホッと一息。あとは虚脱感。 何もない日は早めに帰宅。BSで録画した池部良主演版の「若い人」を見る。若い高校教師に憧れる女生徒。夜、教師の下宿で二人きりになるなんて今の時代では考えられない。昔のほうがはるかに大らかだったのか。 10月11日(木)晴れ 赤坂REDシアターで真心一座 身も心も 第二章「流れ姉妹 ザ・グレートハンティング」(作=千葉雅子、演出=河原雅彦)。 2年前の第一回公演の続編。母を殺したと思い込む姉妹(村岡希美・千葉雅子)の別れ別れの放浪の旅。日活アクション映画と幻の名盤解放同盟を合わせたようなB級テイストの芝居。 狭いREDシアターの舞台でどう見せるのかと思ったが、河原演出は小道具大道具を縦横に使い、4人の「ガヤ」(小林顕作、政岡泰志、伊達暁、信川清順)が一人で十数役を早代わり。これ以上はないゼイタクな舞台となった。ゲストラバーは相島一之。ゲストレイパーが高田聖子。妹に思慕を持ち続ける看守役で坂田聡。前回は闘牛で今回はワニ。登場するハンティング対象も大掛かり。さらりと流すのかと思いきや、「濃い」ことこの上ない。劇中で「無頼」のテーマ曲が流れたときにはビックリ仰天。いったい誰がこの曲を知っていたのか。 ドサ回りの座長に扮した高田聖子の男役のすばらしさ。空中布団での凌辱シーンは抱腹絶倒。さすが高田聖子。思えば20年前、劇団☆新感線は鳳ルミが看板女優。彼女が結婚引退して羽野アキ・高田聖子の二枚看板になったのだが、人気では羽野が上。それが羽野の不運な「引退」でいまや高田聖子は新感線の看板というより、日本の演劇界の名女優に。歳月の流れの早さ。 いったん会社に戻り、雑事&会報仕上げ。1800、荻窪へ。区役所の出張所は夜7時まで開設している。娘の戸籍抄本を取りに。今でも本籍は杉並区。もういい加減、現住所に移動してもいいのだろうけど……。 1930、吉祥寺へ。吉祥寺シアターでTHE・ガジラ「ヘル」。スエヒロケイスケの脚本を鐘下辰男が演出。四谷怪談の元ネタである「四谷雑談」を現代風にリミックスした作品。舞台は風俗店の地下ボイラー室。「イワ」という自身の出生の秘密を持つ少年と、宅悦、イワの母「お岩」ら、欲と金の亡者たちが繰り広げる地獄絵図。血、水、大音響……いつもの極限的鐘下世界。……が、睡眠不足で時々意識が遠ざかり、集中できず。 隣りにうずめ劇場のぺーター・ゲスナー氏。村井さんが紹介してくれたので開演前におしゃべり。今、千川の劇場の芸術監督。2月のこけら落としに向けて活動中とか。しょっぱなは永井愛の「時の物置」、第二弾はスペインの戯曲「モバイル」。 アフタートークはペーターさんと鐘下。電車の時間が気になったが、知り合った手前、村井さんと居残ってトークを見ることに。「イワが星の王子さまに見えた」「ビニールの浴室は母の胎内」。さすがに面白い視点。 2200終了。薬局でグルコサミンを買い、家路に。関節痛にグルコサミンとは前から聞く話しだが、PANTAさんもグルコサミンで指の関節が改善したとのこと。なんといっても体験者の薦めが一番。 10月10日(水)曇り iPodでネットラジオを聴いている。これじゃCDが売れなくなるはずだ。タダでワールドワイドな曲が聴けるのだから。 会報の最後の仕上げ。 夕方、I田さんの原稿書き。 10月9日(火)晴れ 映画でも見ているような鮮明な夢を見ていた。こんな夢は久しぶり。田舎に帰省している。家族は都合で来られない。それに対して忸怩たる思いがある。町は昆布の出荷で忙しそう。各家の前に昆布の束。 実家の二階で掃除機をかけていると、現われた父が険しい顔で言う。「自分のリハビリのために部屋の掃除をしているのだから、掃除はしないでくれ」と。さらに、「自分が辛いときに家にいなくて、今さら帰ってきても仕様がない」と。今そこにいるような、はっきりとした夢。父の顔も真正面から見える。こんなに怒った父の顔を見るのは初めてだ。 母は……。体が辛いのか、部屋の隅でひっそりと座っている。その姿があまりにも可哀想で、そばに近寄り肩を抱きしめる。涙がとめどなく流れる。母も泣いている。嗚呼、生きているとき、こうして母を抱いてあげたことがあっただろうか。一度も抱いてあげたことはなかったはずだ。夢の中で抱きしめてもどうしようもない。なんという親不孝な子だったのか。目に焼き付いた父母の顔。 なぜ、こんな夢をみたのか。 1830、六本木。俳優座劇場で俳優座「豚と真珠湾 幻の八重山共和国」。敗戦後、日本に見捨てられた八重山。地元民はどこにも所属しない共和国を宣言する。8日後、アメリカ軍が上陸する。幻となった八重山共和国の顛末を背景に、ある一家族とそこに出入りする人々の姿を通して日本とアメリカ、ハワイ、台湾、中国、そして琉球・八重山を描いた斎藤憐の新作。3時間弱だが、飽きさせず。沖縄本島ともまた異なる文化、自然、気質の八重山。複雑な戦後問題を手つき鮮やかに描く脚本と佐藤信の演出。大塚道子、中野誠也、可知靖之、長浜奈津子といったベテランから若手まで絶妙の配分。 10月8日(月)雨 1週間に6本の芝居。その間に会報編集。さすがにグッタリ。寝不足で疲労感。0700に起床。あまり寝すぎても腰を痛める。外は雨。こんな日はゆっくりと……。が、やるべきことが山ほど。せっかくの連休も……。 1500、小雨の中、理髪店へ。帰宅して家人と買い物。スニーカーみ雨がしみるようになったのでABCマートで新しい靴を。携帯にI田信之さんから着信。「今日、新宿ロフトプラスワンでトークイベントがあるので……」。残念ながらオーバーワーク。ほんとは行きたかったのだが。 [october 6 is Ecological Debt Day] 10月6日から地球は「Ecological Debt Day」に突入したそうです。 「生態系債務の日」=「環境赤字日」とは、地球が1年に作り出すことができる資源総量を超えてしまった日を指す。 これから暮れまで、木を切れば、そのぶんはどうあがいても森林が再生するのが間に合わず、地球の砂漠化は進行する。魚を捕れば、そのぶんだけ海から魚が減っていく。これから森を伐り、魚を捕れば、それは来年以降に使う予定の資源を前借することになる。 人類が大晦日より前にその年の所得を使い尽くしてしまうようになったのは1987年だそうで、その年の生態系債務の日は12月19日。それ以降、債務開始日は年々早くなり、人類は20年間で2か月以上早くその日を迎えることになった。このまま加速度的に進めば、100年も経たないうちに、赤字デーは限りなく1月に近づく。そうなったらどうなるか。生態系は借金を待ってくれない。膨大な負債を抱えて地球は滅亡する。いや、地球はというより人類か。最大の債務者は人類なのだから。地球はいつまでも債務を待ってはくれない。健全な家計に持っていかなければ人類倒産は目前。 乱獲、伐採。すべて人類の傲慢によるもの。「だって、もう20年前の生活に戻りたくないんだもん」などとブータレている先進国の人間よ。20年どころか、早晩、100年前の生活に戻ってしまうよ。 10月7日(日)快晴 0900〜1200、躰道稽古。Y田先生、H崎、N先生ほか、体協の要請で市の運動会に借り出され不在。子どもたちも運動会が多く、少人数の稽古。新人のM本さんに運足八法の稽古をつけるなどしたため、人がいない分稽古量多し。終了30分前にはヘトヘト。 1315帰宅。急いでシャワーを浴び、身支度を整えて電車に飛び乗り日暮里へ。1445到着。 日暮里サニーホールで遊行舎+山頭火全国フォーラム「うしろ姿や、山頭火」(村上護・作、白石征・演出)。 最後段でビデオを撮ってるシーザーの隣りに座って鑑賞。 漂泊の俳人・山頭火。その生と死。すべてを捨て去った山頭火がたった一つ肌身離さなかったのは10歳の時に井戸に身投げした母の位牌。井戸から引き上げられた母の青白い死に顔が山頭火の生涯の虚無の原点となった。白石演出はその山頭火の「孤独」に焦点を当てたもの。 漂泊すなわち行乞。小学校を首席で卒業、早稲田大学を退学してからは酒造場を営み、荻原井泉水に師事。俗事にまみれた果ての放浪。 生涯無一物になりきるということがどのようなことか。 山頭火にとっての旅は自分のさびしさをまぎらわすための旅でもあったのだろう。 酒もまた同じ。意識がなくなるまで酒を飲み続けたという山頭火。女を買い、借金をし……。聖と俗にまみれ、俳句を作り続けた山頭火。逆光で浮かび上がる旅立ちのラストシーンに胸打たれる。 山頭火を演じた井内俊一が実に端正で味のある演技。万有引力の役者の中でも持ち場の広い俳優だが、このような「新劇」的な舞台でもその柔軟な演技は際立つ。離風霊船時代の高橋克実の自在な演技と同じ。フィールドの違う舞台でも大成するだろう。それは小林拓も同じ。いいプロデューサーがつけば二人ともすぐにマスコミの寵児となるだけの資質を持っている。 1700終演。ロビーでシーザー、九條さん、井内氏と談笑。後片付けで白石さんはバタバタ。昨日は全国各地から集合した山頭火フォーラムの会員の貸切状態。「本番中にも関わらず、カメラのフラッシュをたいた人が何人もいた」そうで、おじさんおばさんによる「ファンの集い」にシーザーもお手上げ。ホテルに泊り込んでの観劇とは豪勢。 後ろのソファから「まだまだ山頭火のように無一物にはなれないよなぁ」という会員同士の会話。山頭火を愛し、山頭火の生活に憧れる……か。 白石さんに挨拶して九條さんと二人で駅へ。電車の中であれこれお話。 1830帰宅。寝不足のため、テレビで映画を見る気力もない。会報のゲラをチェックし手直し。 林美雄パックの音源を聴きながら2200就寝。「歌う銀幕スター夢の狂宴」で深作欣二監督が赤とんぼを歌っている。歌詞を忘れた深作に菅原文太が助け舟。もう一人後から加わったのは誰だろう。あれから30年。林さんも深作監督も泉下の人となってしまった。記憶だけが残る。 9月6日(土)晴れ 0630出社。 1400、東池袋。新劇場「あうるすぽっと」で木山事務所「駅 ターミナル」。 堤春恵の書き下ろしを末木利文が演出。 前作「最終目的地は日本」では、在日外国人の指紋押捺拒否裁判を闘った在日韓国人三世のピアニスト崔聖愛(チェ・ソンエ)の半生を題材に、日韓の間で「自分の国」を問いつづける一人のピアニストの真摯な生き方を描いた。今回は、その韓国で蛇蝎のごとく嫌われている伊藤博文を主人公に、明治国家がたどる「国境」への道程と、別な意味で「国境」を越えようとした津田梅子の葛藤を描いたもの。 明治初めの「岩倉使節団」でともに海を渡った2人。7歳の津田梅子、後の津田塾大創始者。そして伊藤博文。富国強兵をを目指す指導者と、米国で教育を受け、自立を模索した女性。史実的にも関係の深かった二人の40年に及ぶ愛憎を、2人が乗り合わせた列車の中を舞台につづる。劇中で語られる、トックビル著「アメリカン・デモクラシー」が重要な役割を果たす。 その第10章は、アメリカの白人至上主義について書かれている。いわく「白人は他の人種に対してまるで人間が動物のように対するように扱うと言わざるを得ない。白人は自分たちの都合のよいように他の人種を使い、相手が自分たちの言うことを聞かなければ相手を滅ぼしてしまう」。南北戦争の26年前に書かれたこの本がその後のアメリカを予言している。 ネイティブアメリカン(インディアン)を滅ぼし、居留地に閉じ込め、アメリカ大陸を征服したアメリカ人は、ベトナム、イラクで民族を滅ぼそうとする。 この本が伊藤と津田の間を往還するのだが、伊藤は白人と同じように、朝鮮を併合し、一方、津田は自由で進歩的な教育活動に身を捧げる。 二人の列車は別々な国境を目指し、その線路は離れていく。 舞台は終始列車の中。時間は過去と未来を往還する。 川上音二郎・貞奴も登場する。しかし、演出がいかにも平板。題材は面白いが人間が立ち上がってこない。久世星佳の凛とした演技はよし。外山誠ニもいかにも政治家的な発声と雰囲気。 演出さえよければ……。 1700終演。江森さんに地図を描いてもらい、吉祥寺へ。 1800、南口から自然動物園方面へ。見覚えのある風景。懐かしい。荻窪に住んでいる頃、赤ん坊だった娘を連れてよく遊びに来たものだ。動物園でベビーカーを引いた松田優作夫人のみゆきさんを見たことも。あのベビーカーの中にいた赤ん坊は松田翔太だったのか、それとも長女の夕姫か。 そんなことを考えながら歩く吉祥寺の街。アンティークショップ、オシャレな小物屋、カフェ。ここだけは70年代の西海岸。夢のカリフォルニア。武蔵野の面影を残す古木、自然林。 できることならもう一度この街に住みたいと切に思う。住む場所によって人生は変わる。歴史のある街で子どもたちを育ててあげたかった。 天から1億円でも降ってこないものか。 蕎麦屋で鴨南蛮うどん1150円。新そばの時期にうどんでもないだろうが、そばよりうどんが好き。子供の頃、祖母が蕎麦を打って蕎麦きりにしてくれたっけ。今、田舎で蕎麦を作っている家はあるのだろうか。 自然文化園のちょうど向いあたりの林の中にテントが見えたので近づくと横断幕にパレスチナ文字。パレスチナ・キャラバンの「アザリアのピノキオ」公演。 ![]() 受付で制作の長井さんに挨拶。 開演前に腰を落ち着けようと、すぐそばのカフェ「Cafe du Lievre」へ。森の中に現われた待合室のような小さなカフェ。 この店の売り物はそば粉クレープ「ガレット」。うどんを食べたばかりだが、つい、初めてのものに挑戦したくなる。フレッシュトマトとキノコのガレットとラズベリーの果実ティーで1350円。 ガレットは25a四方の大きさでチーズたっぷり。食べがいがある。これだけで夕食は十分だった。 食べ終えるとすぐに開演時間。15分前からパレード。協力者である村井さんの顔。3度目とか。穏やかな笑顔でパレード、そして野外での実演を見守る。 ![]() テント入口前で15分間の前口上、物語の導入部。元野戦の月の伊牟田耕児、発見の会の西村仁の道化師コンビが盛り上げる。人形遣い・黒谷都、そして義足の団長・大久保鷹、白塗りの舞踏手二人。日本の俳優とパレスチナの俳優のコラボレーション。 翠羅臼の作・演出はことさらパレスチナ問題を主題に取り上げるのではなく、人間に化身したピノキオ人形(パレスチナの少年。可愛い!)や、かつて人形劇団として巡演した団長などを狂言回しに、パレスチナの地と日本の地に通底するロマンを描いたもの。 テント、アングラ、パレスチナ。客席には野戦の月のメンバーも数人。「伊牟田!」の掛け声と「鷹!」の掛け声が交差する。黒谷都はいかにもアングラの華といった艶やかで風情のある立ち姿。美貌が際立つ。 2120終演。帰りかけたら高取さんの姿を発見。テントで鷹さんと立話中。三坂さん、F田美加さんと一緒 。帰りに4人で喫茶店でお茶。明日は白石さんの芝居に行くつもりとか。 2230、駅で解散。 110月5日(金)晴れ 夕方、会報編集。 1800、三鷹。駅を出ようとしたら雨。仕方なく、コンビニで傘500円。会社のロッカーに傘ばかりたまっていく。 途中の定食屋でホッケ定食。席について窓から外を眺めるとスコールのような雨。傘を買ってよかった……と思ったら店を出る頃には晴れ渡り、傘も不要に。 1930、星のホールでモダンスイマーズ「楽園」。開演前に江森さんと立話。三田村、扉座の高橋麻理の顔も。 舞台は廃屋となったビルの地下室。その秘密基地で一緒に遊んでいる4人の若者。警察官の制服を着た男がガキ大将のようにふるまい、ほかの3人に指図する。トレーニングパンツの男、フリーター風の男……。身なりは大人だが、中身は12歳。つまり、舞台の時間は20年前。大人がそのままの姿で12歳を演じるという不思議な空間。 そのうち秘密基地に一人の女が現われる、見かけは太ったおばさん。片足を引きずっている。でも、彼女は12歳で、「やせっぽっち」の少女なのだ。 エスカレートするイジメ、少女はふとしたはずみでそのイジメに巻き込まれる。 蓬莱竜太の新作は大人が大人のまま12歳を演じるという奇想の芝居。この手法で思い出すのが、漫画家・高野文子の「絶対安全剃刀」の中の小品「田辺のつる」。82歳の老女を高野文子はおかっぱ頭の少女として描く。その不条理。 蓬莱竜太のこの作品も不条理さをはらむ。途中で少年達の20年後の未来を字幕に写す。「拳銃マニアが高じて警察官になる。いつか発砲の機会を待っている」 などと。 少女の未来が足を引きずるおばさんとなったのはなぜか……。切れ味のいい短編を読んだような味わい。1時間20分。神野さんに初日乾杯を誘われるも、睡眠時間足らず。ちょうど滑り込んできたバスに飛び乗り駅へ。2200帰宅。 10月4日(木)晴れ 1620、K記念病院で鍼。今日は丁寧なマッサージから。日曜に痛めた左肩の筋肉がパンパンに張って痛い。鍼を打ち終わった時には眠りの中に。 1730、西巣鴨。交差点そばのラーメン屋でしょうゆラーメン。今風のインスタントダシかとおもいきや、ちゃんと煮込んだスープ。結構おいしい。 それから「オールディーズ」という名の喫茶&バーへ。壁にはCCRやビートルズ、「アメリカングラフィティ」のポスター。その名の通り、オールディーズの店。コーヒーとケーキ。 会報のゲラを眺めながらレイアウト再考。 PM7、にしすがも創造舎で「Tingel GRIMM ティンゲル・グリム-眠れぬ森のおどけ奇譚」。受付は秋元さん。20年来の友人。ホッと心が和む。開演前に外で10分ほどの紙芝居。それが終わって、中で舞台。旧校舎の体育館。テントのように天井まで布が被い、ここが体育館とは想像できない。天井から吊るされた宇野亜喜良のロバのオブジェ。写実的でありながら、どこかエイリアンのH・R・ギーガーのような不気味さも。 音楽劇ということで、音楽隊も登場するグリム題材の物語。白雪姫、ハリネズミハンスなど、グリムから取り出した数編の物語を材料に、大人のためのちょっと残酷なストーリー。それぞれ同時並行で語りながら、最後で結末をつけるという手法。串田和義、高泉淳子、朝比奈尚之、市川実和子など、錚々たる顔ぶれ。 ただ、少し演出が高テクニックだったためか、退屈し途中で退席する中高年が二組。 約2時間。 宇野亜喜良さんのポストカード、エコバックなど欲しいものがいっぱい。宇野亜喜良美術館があったら一日ながめていたいほど宇野亜喜良の作品は好き。芝居のチラシ・ポスターなど多作。若手の要請に出し惜しみしないのもいい。 秋元さんに見送られ家路に。 高取さんとシーザーの3人でどこかのひなびた町を歩いている。道路の脇に流水路。古本屋。マンホールのような小さなフタを開けると、油紙に包まれた古本。そこに隠していたのか。……ヘンな夢。 10月3日(水)晴れ 0730起床。会報の編集。夕方、リチャード・フライシャーの「フォートブロックの決斗」を観ているうちに耐えられないほどの睡魔に襲われ小一時間仮眠。イモリの水槽洗い、金魚草買い。 この頃、就寝前のBGM、「青春の蹉跌」のテーマと「フォロー・ミー」のテーマ。TBS「パックインミュージック」の林美雄さんのテーマ曲。あの懐かしい声が曲間から聞こえてくるような気がする。「フォロー・ミー」しばらく見てないな。ミア・ファーローとトポル。DVD化されてないとは残念。 不意打ちのように街角から森田童子の歌声が流れてくると、いい知れぬ切ない感情に胸が押しつぶされそうになる。 夜、満員電車の中で、故郷の海を幻視している自分。電車の窓に映る海原。父と母の顔。自分のすべてを包み込んでくれる存在。今、それを希求しているのか。 舛添厚労相が「市町村は社会保険庁よりもっと信用ならない」と発言。これに対し、年金保険料の横領が確認されていない自治体市長が抗議。それに対し、舛添は「小人(しょうじん)のざれ言に付き合っている暇はない」と発言。「頭からバカ市長と言われるのは嫌でしょう。だから、小人(しょうじん)って言った。その温かみだけは感じて下さいよ。教養の問題、教養」「文句があるなら地方交付税を1円ももらわないで言っていただきたい」とさらなる発言。 もともとバカな男だがここまでバカとは。居丈高にモノ言えば愚民が拍手喝采するものだから、ますます居丈高になる。 かつて三島由紀夫との対決で三島を圧倒した東大全共闘の天才・芥正彦は舛添を評して「卑怯者」と呼んだ。 69年の東大安田講堂陥落前に、舛添はトンズラし、パリに渡った。拠って立つものが危なくなるとさっさと遁走する。常に権力にすり寄る舛添の原点は安田講堂からのトンズラにある。 卑怯卑劣な男。「小人」という言葉は謙遜語。それを相手を見下す用法で使うとは教養がないのは当然ながら品格もない。こんな大臣をありがたがって押し頂いている国民。似たもの同士か。 10月2日(火)雨 会報原稿ほぼ出揃い、半分は完成。 1630、三軒茶屋。I田信之さんと事務所で落ち合い、小一時間打ち合わせ。 1800、半蔵門線−都営新宿線を乗り継ぎ森下へ。中華屋さんで中華丼。 1900、ベニサンピットでtpt「PIAF」(作=パム・ジェムス、訳=常田景子、演出=亘理裕子)。「わたしの幸せは10分とつづかない。わたしは求めて歌いつづける」……街娼から歌手へ、悲惨と栄光と挫折を繰り返した歌手エディット・ピアフの波乱の生涯。元宝塚トップの安奈淳が「ウソくさい羽飾りのステージ」ではなく、汚泥にまみれたピアフを熱演。実年齢の素顔をさらけ出し、汚い言葉をわめき散らす。会場の半分を埋めた宝塚ファンにとっては予想外の舞台か。開演前にぺちゃくちゃおしゃべりしていたオバサマ族が休憩時間には毒気を抜かれたようにシュンとしている。まさか、安奈淳がここまで汚れ役をやるとは思わなかったのだろう。 演出は正攻法だが、粗さが少々。新人演出家ということで、安奈淳の体当たりの芝居を引き出せたのは僥倖。 最後に歌う「愛の賛歌」は岩谷時子訳ではなく山川啓介訳詞のバージョン。ほぼ原詞に近い訳で、舞台を見終わった後で聞くと震えがくるほど素晴らしい。「どんなに他人にののしられようと、あなたがのぞむなら、祖国も友達もみんな裏切ってみせるわ」 美輪明宏が常々、岩谷訳の「あなたの燃える手で〜という意味不明な訳詞はピアフに対する冒涜」と言ってるが、確かに山川訳の方がはるかにいい。休憩15分をはさみ3時間。門井さんに挨拶して家路に。 10月1日(月)雨 Tシャツの上にジージャンで出社。朝夕、めっきりと肌寒くなり、夏から秋へ一足飛び。 夏の疲れか、眠りが深くなり目覚めが辛い。電車に乗ると乗り換え駅をはるかにオーバーラン。引き返すわけにもいかずそのまま直進。で、大回りをして会社へ。いつもより30分も遅く到着。一日の始まりでつまづいた気分。 1700帰宅。 社長の引っ越しの手伝いをしている。二階に上ると、そこは宝の山。真崎守のB4版単行本が何冊も、こんな本があったかな、と思う少女漫画、貸本漫画の数々。……ヘンな夢を見ていた。 |