11月30日(金)晴れ

 PANTAさんが激賞していた映画「暗殺リトビネンコ事件」の最終試写会の日だが、残念ながら会社の社員総会と重なってしまって行かれず。
 1700から総会。新代議員の選出。今回で御役ご免。もう二度と代議員になることはないだろう。月1の会議のわずらわしさとサヨナラ。

 1800、銀座。木屋でホタテ丼950円。ビックカメラを散策し、最新のパソコンを見た後、1900、東京国際フォーラムCで「テイクフライト」。

「宮本亜門が、ニューヨーク・ブロードウェイの第一線クリエイティブ・チームと共に創り上げる、東京発→ブロードウェイ行ミュージカル」との触れ込み。

 作曲は、ミュージカル「ビッグ」のデイヴィッド・シャイヤ、作詞はリチャード・モルトビーJr.。脚本は「太平洋序曲」、「アサシンズ」のジョン・ワイドマン。
 キャストは天海祐希、城田優、池田成志、橋本じゅん、ラサール石井、小市慢太郎、坂元健児、今拓哉、花山佳子、杉村理加、治田敦ほか。
 というわけで、スタッフ、キャストは世界級の豪華版。

 が……。宮本亜門も「こんなはずじゃなかった」と歯噛みしているかもしれないひどいデキ。あまりにも曲が複雑すぎるのだ。半音階が多く、それに歌唱がついていけない。天海祐希でさえ耳を覆いたくなる調子っぱずれ(としか聴こえない)。ほかは推して知るべし。悪い冗談としか思えない。まるでミュージカルのパロディー。
 一幕終わりのスローナンバーでようやく「聴ける」歌になるのだが、それまでに観客の耳はボロボロ。
 二幕を通して一番受けたのが橋本・池田コンビ(ライト兄弟)の「お笑い」シーンとは情けない。
 狂言回しのラサール石井(リリエンタール)も、歌では荷が重すぎる。世界初の女性飛行士・アメリア・イアハートの愛と挑戦を主軸に、リンドバーグ、ライト兄弟の大空にかける夢を並列で追うという構成も単純すぎる。
 壮大な失敗作としかいいようがない。坂元健児の独唱の完璧さがせめてもの救い。
 それにしても曲が難しすぎ!! これじゃ日本の俳優は歌えない。

2145終演。


11月29日(木)晴れ

 1420、K記念病院で鍼。終わったのが1515。速攻で駅へ。六本木駅の売店でチョコレートを買い、口に放り込む。少しは空腹をごまかせるだろう。


1800からインボイス劇場(仮設の専用劇場)でブルーマングループのプレビュー公演。招待客、「セレブ客」も多いとあって、ものものしい受付態勢。開演に間に合うように大急ぎで駆けつけたのに、セレブ系招待客の取材どが押して、なかなか始まらず。

 会場にはTRF、山本耕史、倖田來未、ELTらの顔ぶれ。

 1830、ようやくスタート。顔を真っ青に塗った(ラバー?)3人のブルーマンのドラミングに始まり、マシュマロ投げ、煙突のような配管を使った演奏(目からウロコ!)など息つく暇もないパフォーマンスの連続。これは想像以上の面白さ。客いじりも割とスマート。見に来ていたタレントのコが舞台に上げられたが、事前のヤラセではない。塗料まみれになりながら笑顔を絶やさない、さすがはタレント。名前は知らないが……。

 ネットカフェ(サイバー・カフェ)、竹コプターのシーンは日本版のオリジナル。目を見張ったのが、立体アニメーション。入場したときから、舞台左右に円筒形の水槽が置いてあり、その周りに金属の彫像が取り囲んでいたので、何かと思ったら、これが未來の「立体アニメ」。回転するとストロボの点滅によって、その彫像がダンスをするのだ。アニメーションはあくまでも平面。しかし、初めて見る立体アニメ。ホログラムとも違う、まさに未来系アニメ?

 2010終演。ごった返す人波をかき分け、る・ひまわりのY田さんに先導されながら、パーティー会場へ。M紙のT橋さん、E森さん、N経紙のK野さん、七字さんらと歓談。ひまわりの美女軍団は総出で会場接待。林さんとも久しぶり。ブルーマンにちなみ、ブルーのカクテル、ブルーのあんこ餅が用意され、主催のオエライさんたちの挨拶続々。

 ニューヨークでブルーマンを見てきたというT橋さんいわく「キャパ200のオフブロードウェーだからこその密室性・緊密性が面白いのに、キャパ900の日本の劇場ではいまひとつ」

 確かに、オリジナルは小さな会場でのパフォーマンス。それゆえのドキドキ・ハラハラ、塗料が飛んでくるのでは、客いじりで自分が当たるのでは……といったスリル感は薄い。が、広い会場でも、その面白さは十分に伝わってくる。原始の息吹ともいうべきドラミング、狂熱のリズム、手持ちカメラを使った仕掛けなど、随所に観客サービス。入り口でもらった白い紙テープは熱狂的なブルーマンファンの象徴らしい。それを頭に巻いたりするのだとか。
カルト映画「ロッキーホラーショー」の新聞紙と同じか。

 2100、パーティー終了。T橋さんらと六本木駅へ。飲んだ白ワインが効いたのか、寄り道したい気分でもあるが、翌日のことを考えて、それぞれの下車駅で解散。2230帰宅。

 注文した中公新書「山伏 入峰・修行・呪法」(和歌森太郎著)が届く。

11月28日(水)晴れ

 ここ2、3日で外気はすっかり冬の気温に。
 0730起床。ゴミ出し。この数日を振り返り、CDを聴きながら、日誌を書いてるうちにお昼過ぎに。で、午後3時過ぎになぜか睡魔に襲われ、仮眠……というパターンが定着してしまった。
 うーん、こんな休日の過ごし方でいいのか。

 ジョス・ストーンのデュエットだけを集めた「アルバム」の「クライ・ベビー」を聴くと、まさしくジャニス・ジョプリンの再来。こうなれば、ジャニスの未完の曲「ブルースに葬られ」をジョス・ストーンが歌ってくれないものか。

11月27日(火)晴れ

 仕事を終えて早稲田へ。「オールド・バンチ」の稽古をしているパラダイス一座=流山児組を見学に。稽古は5時からということで、その前に早大演劇博物館で開催中の「演劇集団THE・ガジラ展」へ。

 常設の現代演劇のコーナーでは寺山修司の天井桟敷ポスターなど。68年の大きなラインナップポスターがある。「書を捨てよーー」に始まり、「大山デブ子」で終わるラインナップの中に、「電子機器を使った天井桟敷のコンピューターアート」の文字。40年前にすでに寺山さんはコンピューター演劇を考えていたのか。実際に上演した記録はないので、おそらくラインナップだけかもしれないが、ポスターの中で躍る「コンピューター」の文字に軽い驚き。さすがは寺山修司。
早稲田演劇博物館
 演博の前にたむろする学生たち。早稲田祭の準備か。暮色濃くなる構内を散策。旧商学部周辺に巨大なビルを建築中。新しい学館になるのだろう。取り壊された旧学館の地下はK派の拠点だったが、立て看板禁止、ビラ配り禁止という学校当局の締め付けでセクト活動はおろか、一般学生の問題提起も難しい状況。それでも構内のあちらこちらに当局を糾弾するビラや自衛隊の給油活動を批判するアジビラが散見する。まだ少しは骨のある学生がいるのか。
 かつての薄汚れた法学部の建物もこぎれいになり、ガラス張りのラウンジで歓談する学生たち。隔世の感。

 オールドバンチ一通り構内を散策した後、神楽坂方向へ歩を進める。流山児★事務所の拠点「SPACE早稲田」で「続・オールド・バンチ」の稽古中。流山児氏に持参した還暦祝いを渡し、30分ほど稽古を見学。戌井市郎、岩淵達治、瓜生正美、肝付兼太、中村哮夫、本多一夫。平均年齢80歳の「役者」たちを見ているだけで顔がほころぶ。歌のシーンを見ただけだが、第一弾に匹敵する面白さを予感。町田マリーちゃんは3月に外部出演、夏は椿組の野外劇とのこと。
 休憩に入ったところで、流山児氏に挨拶して引き上げ。

 1800、新宿。庄屋で焼き魚定食880円。革のブルゾンでいいものはないかと「KAWANO」ほか散策するも、めぼしいものなし。

1900、紀伊國屋ホールでトム・プロジェクト「僕と彼と娘のいる場所」(作・演出=鄭義信)。

 須藤理彩、和田聰宏、石丸謙二郎の三人芝居。閉館を間近にした名画座が舞台。館主とその娘、浮気が元でケンカ中の娘の夫、そして父娘が「彼」と呼ぶもう1人……の4人のドラマ。石丸謙二郎熱演。須藤理彩好演。しかし、「彼」をめぐる物語は唐突な印象を受けるほど通俗的。鄭義信にしては練り上げが足らず。肩透かしを食ったよう。同時期の新国立「ギリシャ悲劇」に気力が分散したか。1時間30分。
 客席で、ふたくちつよし夫妻を見かけたので夫人に声をかける。いつもメールや電話でのやり取り。ご対面は初めて。次回作は6月のトムプロジェクト公演とのこと。

 芝居が終わっても2030。まだ宵の口。M紙のT橋さんと二人で「じゃあ、軽く一杯」とトップス・バーへ。軽く一杯のはずが、杯を重ね、5杯6杯……。気がつくと2330。3時間もしゃべっていたことになる。

 山形出身のT橋さん。決して饒舌ではない二人が言葉を選び選び映画や芝居、メデイアの将来、田舎のことなどをあれこれ。田舎の話になると、「ぼくはルンペンプロレタリアート、根無し草だから」と笑うT橋さん。もはや生まれた土地に、親族の痕跡もないとのことで、土着性にこだわってしまう自分とはまた別の思いがあるのだろう。紅テント旗揚げ前の唐十郎の公演も見ているし、天井桟敷は旗揚げから見ているT橋さん。「田舎では子供の頃から映画ばかり見ていましたから。東宝、新東宝、日活……おそらく封切作品はほとんど見ていると思います」
 映画少年だった頃の話になると目を輝かせる。
 最後の一杯を飲んで家路に。2450帰宅。
11月26日(月)晴れ

 早めに帰宅し、DVDを一本。何にしようか迷った挙句、デビッド・リーン監督の「逢引き」に。20代のときに名画座で見て以来か。リメイク版「恋に落ちて」のヒットで「金妻ブーム」になったのだったか? いわゆる不倫映画。
 20代の時には、主人公ローラ(シリア・ジョンソン)とアレック(トレバー・ハワード)の切ない大人の愛にばかり目が行ったが、今見ると、ソファでクロスワードをやりながら、妻の「心の旅路」を待つ夫の切なさもわかるような気がする。今の時代、プラトニックな大人の恋愛は非現実的と退けられてしまうのだろうか。
11月25日(日)晴れ

 さすがに睡眠不足で朝の目覚めがよくない。1時間遅れで躰道稽古へ。

 来週受審するK林さん、M本さんが重点稽古。
 今日はH崎先生から初めて実戦の手ほどきを受ける。「法形」とは別の楽しさ、面白さで心ウキウキ。

 1200終了後、暮れの武道大会の打ち合わせミーティング1300まで。H崎先生は武道大会で「体の法形」をやるとのこと。躰道初期の法形だが、あまりにも空手に近いため、封印された法形。禁じ手のため、いまでは数人しか演じることができないというダイナミックで力強い法形。これはビデオにとっておかなければ。
 1400帰宅。家人と娘は成人式の前撮影で留守。食事をし、録画した「ゴルゴ13 九竜の首」を見ようと思ったが、千葉真一のメイクに苦笑。今から見るとあまりにも稚拙。途中で切り上げ、パソコン前に座ったが、睡魔に襲われ、仮眠のつもりが夕方まで。結局、今日は躰道稽古だけで一日が終わる。嗚呼。

 アマゾンで注文した柴五郎の評伝「守城の人」(村上兵衛著)が届く。注文後2日。早い。
11月24日(土)晴れ

 1400、三軒茶屋。シアタートラムで「失踪者」。

 初演は「アメリカ」のタイトルだったが、今回は原題に戻しての上演。アメリカに渡ったカフカの心象風景をその後のカフカ作品とリンクさせながら妖しく不条理な劇に。通常の客席と舞台を逆転させ、入口通路を舞台に。そのためもあってか客入れが終わらないと舞台が始まらない。入口の予定表を見たら終演は17時35分。しまった。これでは1800からのグローブ座「欲望という名の電車」に間に合わない。おまけに10分押し。どう急いでも間に合うわけがない。休憩時間に制作の鈴木さんに電話して事情を説明し、遅刻する非礼を詫びる。

 陰鬱でありながら祝祭的なダンスが彩る不可思議な舞台。しかし……3時間35分は長い。

 終演後、挨拶もそこそこに急いで駅へ。松本さんに「〇〇さんは芝居がつまらなかったら話もしないでそのまま帰っちゃう」と以前、言われたことがあったので、誤解されたか。

 渋谷駅では山手線が事故の影響で遅延。新大久保、グローブ座に到着は1815。駅の売店で買ったバウンドケーキを劇場前の空き地で立ち食い。受付にいた吉田さんに案内され慌しく客席へ。

 今回でこの作品を封印するという篠井英介。50歳。女形でブランチを演じる限界を感じたのか。ブランチ=ヴィヴィアン・リー、スタンレー=マーロン・ブランドという映画版の印象が強く、どうしても女形の演じるブランチには感情移入できず。
 今回、スタンレーを演じる北村有起哉はスタンレーを当たり役にした北村和夫の息子。ほかの舞台ではそんなに感じなかったが、この舞台では父親と声がそっくり。父の舞台は見ていないというから、DNAとは恐ろしい。まるで北村和夫がそこにいるような……。

 これも長くて休憩15分で3時間10分。休憩時間に吉田さん、鈴木さんと立話。評論家の1人がやはりトラムで観劇し、途中で抜け出してきたとか。M紙のTさんは「前もって長いことを聞いていたのでスケジュール調整した」とのこと。

 終演後、急いで池袋へ。2130、ネット仲間のNさん、Rさん、Hさんの3人が1900から会食中。途中から参加し2300まで。Nさんは来年8月、丸木位里美術館で展示会を行う由。さっそく来年のカレンダーをチェック。
 2400帰宅。
11月23日(金)晴れ

 0730起床。
1000、レンタカーで会社まで。距離にすればわずか10数キロなのに、道が混雑。ノロノロ運転で先に進まず。1時間半もかかってしまう。田舎道なら15分の距離だ。

 30年近く会社にいると、本やら資料がたまる。それらを引き上げようと思いながら実行に移せなかったが、思うところあって会社に置いた私物をすべて引き上げることにする。
 正午に到着。すでに他部署の数人が仕事中。「休日出勤」に何事かと不審顔。

 持って行ったダンボール5つでは全く足りない。社内にあるダンボールをかき集めると10箱近く。こんなにモノがあったのかとわれながらびっくり。

 それらをクルマの荷台に積んで戻り道。帰りは40分くらい。運んだ荷物はそのままレンタル倉庫へ。時間のあるときにゆっくり整理しよう……。ま、なかなか難しいが。

 レンタカーがある時に家の不用品も倉庫に移そう、というわけで、暮れに一足早く、部屋の大掃除。
 せっかくの連休はこうして雑事で費えてしまう。、気力体力バテバテ。
 DVDの一本でも見ればよかったのに……。

11月22日(木)晴れ

 休日。

 正午からK市で社の先輩の告別式。定年になったばかりなのに、あまりにも早過ぎるYさんの死。寝耳に水の訃報。ついこの前まで元気そうな顔を見せていたのに。通夜と違い、告別式はつらい。棺に蓋をするときの遺族の泣き声、呼び掛け。嗚咽しながら気丈に喪主挨拶をする夫人。それを見るのがつらすぎる。
 親族以外はほとんどが会社の同僚の参列。訃報を聞いてもほとんど実感がなかったが、棺の中のYさんの顔を見ると悲しみがこみ上げてくる。いい人だったのに。
 死ぬのはいつも他人。この世の風景を見続けているのはいつでも生者。

 1500帰宅。雑事に追われ、2200就寝。

11月21日(水)晴れ

 金曜日が祝日のため、仕事のシフト変更。木曜日と休日を交換。

 午後、社内報仕上げ。1600、新宿で映画「ボーン・アルティメイタム」。記憶を失くした暗殺者がマット・ディモン。三部作の完結編とは知らなかった。見てびっくり。これ見よがしな監督のカメラワークと編集センス。はいはい、確かにカメラワークすごいです。でも、それだけ。映画としてはまったく感興湧かず。

 吉祥寺駅前1900、吉祥寺シアターで桟敷童子「しゃんしゃん影法師」。神隠しの村を舞台に、幼い頃に妹を神隠しで失った青年と、母親を失くした少年の心の交流。猥雑なだけでなく、細やかな感性が行き交う物語。荒削りな面もあるが、このような哀切極まる舞台を作る東憲司の才能を改めて見直す。

 2120終演。
 久しぶりに田舎のKさんに電話したら23日が伯父の三回忌だという。まったく偶然。知らずに過ごせば不義理になるところだった。これも虫の報せというやつか?

吉祥寺駅前はクリスマスイルミネーション。

11月20日(火)晴れ

 1900、下北沢。本多劇場で青年座「あおげばとうとし」。中島淳彦の書下ろしを黒岩亮が演出。1972年の宮崎県日南の小さな町の小学校が舞台。大阪万博の2年後、高度経済成長による時代の変化の波が田舎町にも押し寄せ、それは子供たちの日常にも微妙な影響を落としていた。


 舞台となるのは学校の職員室。登場人物は11人の教師と児童の父母が2人。そしてこの学校の卒業生でもある婦人警官が1人。彼らが翻弄され、その突飛な行動に右往左往する1人の児童。親は町でただ1軒のラブホテルを経営している。学校にゴム製品を持ち込んで女教師をからかったり、ホテルに行った女教師の名前を学級新聞に書き込んだり、いたずらの繰り返し。彼をめぐる教師たちの悪戦苦闘ぶりを通して、教育とは何か、教師とはなにか……が描かれる。

 無気力を絵に描いたような「公務員教師」であり、孫の誕生を待ちわびる老教師、時間外にも「仰げばとうとし」の歌唱指導にいそしむ熱血教師、失言ばかりの体育教師、不治の病で入院中の夫の病状が気がかりな教頭。何事にも自信がもてない新米教師……。教師たちそれぞれの個性の描き分けはいいが、戯曲としては盛り上がりに欠ける。あれっ、これで終わるの?といった幕切れ。ほのぼの、淡々とした笑いは中島作品の特長だが、展開は消化不良気味。
11月19日(月)晴れ

 早めに帰宅。録画した「猿の惑星」を見る。お恥ずかしい話だが、見るのは初めて。ラストシーンが喧伝されていたので、見た気になっていたが、そうか、こんな映画だったのかと拍子抜け。下北半島ならば、おそらく恐山の社が半分埋もれているのだろうか。


11月18日(日)晴れ

 朝、パソコンを立ち上げ、きっこのブログを見たら、今日、正午から日比谷野音で六ヶ所村の核燃再処理工場に反対する集会があることを知る。午後から新木場で躰道全国優勝大会。その前にのぞいてみようと思い立ち、電車で日比谷へ。

 電車の中で「ある明治人の記録 柴五郎の遺書」(中公新書)の続き読む。会津陥落の時に10歳だった柴五郎、薩長に蹂躙され、祖母、母、姉妹が自刃。その痛恨の思いの個所で滂沱の涙。電車の中にも関わらず涙止まらず。

 菊1130。日比谷公園。野音に向う途中で菊の大会が開かれていたので、一通り見て回る。大輪の菊、盆栽の菊、様々な菊がずらり。
 正午、「NO NUKES MORE HEARTS」集会。
 野音の客席はまだ300人程度。イラク戦争反対集会の時は5万人のデモ隊であふれた野音。北の果ての六ヶ所村は関心の範囲外なのか。入口で「角砂糖5個分で日本は全滅」というコピーが踊るパンフをもらう。
 角砂糖大のプルトニウム5つですべての日本人は死亡するのだ。六ヶ所の問題は辺地の問題ではない。北の果てで放射能が漏れれば、それは全世界に拡散する。

 日比谷まず、YAEの歌からスタート。次いで司会による、集会の目的の確認。
 次にアフリカン・打楽器バンドが「趣旨に賛同してアンプラグドで演奏します」と、情熱的なアフリカンビート。途中から吉本多香美が参入し、エネルギッシュなアフリカンダンスを披露。曲が終わった後、息を切らせながら「このダンスをアフリカの部族の女性は70歳になってもできる。汚染されない空気、汚染されない食べ物と水。それがエネルギーの源泉なのです。地球を、人間の将来を汚染する核燃、原発に反対しましょう」と発言。会場から拍手。ただの美人女優だと思ってたが、気骨のある人。改めて見直す。
 次はピーター・バラカン、SUGIZO、中西俊夫(ミュージシャン)のトーク。反原発に一番熱心なのがSUGIZOらしい。一見して耽美バンドのボーカル風だが、心は硬派。中西さんも「原発は無駄。アイスランドは水素エネルギーで賄ってる。なぜ、代替エネルギーの開発に力を注がないのか」と、温厚な顔に似合わぬ厳しい発言。バラカン氏の硬骨ぶりは知っての通り。「半減期2万4000年のプルトニウムをどう管理するのか。推進する政府・電力会社は狂気の沙汰としか思えない」と。約15分間のトーク。

 その次はブラックフラワーの演奏。その前に、急遽、川田龍平議員と福島みずほ社民党党首が登場し、反核燃、反原発のアピール。川田氏の遊説風口調が気になる。やはり選挙を戦うと、そうなってしまうのか。みずほ女史は元気いっぱい。話に緩急があり、ツボも押さえている。さすがはベテラン。

 この時点で1330。会場も次第に人が集まり、約1000人。1440のデモにも参加したかったが、残念。後ろ髪引かれる思いで、野音を後にする。続々と参加者が入ってきていたので最終的には2000~3000人規模の集会か。
躰道大会
 日比谷から有楽町まで徒歩。JR有楽町駅前の工事がいつの間にか完成しており、すっかり様変わり。道路は広場に。元の風景が想像できなくなる。

 地下鉄有楽町線で新木場へ。東京BumBで躰道大会。1430到着。1800まで。


11月16日(土)晴れ

 地下鉄乗り換えの時に、なんとなく予感が働き、書店に寄ると、コーディ・マクファディンの新刊「戦慄」が出ている。さっそく上下二巻購入。

 1500、新宿。スペース107でミスタースリムカンパニーの「ミッドナイト・コーリング」。創立32年目のロックンロール劇団の今も昔も変わらない汗と涙の青春ロックンロール劇。おそらくいまどきの若者向きではないのかもしれない。70年代にこだわる主宰者・深水龍作のそのガンコさに共感。
 バーガー屋を舞台に、若者たちの恋と涙の青春。シンプルな舞台、並んだマイクスタンドの前でシャウト。「ろくでなしのサム」「ルイジアンナ」といったオールディーズナンバー。変わらぬスリム・ミュージカル。ゲストにジョー山中。龍作との軽いトークの後で一曲。フラワートラベリンバンドの活動も再開しているとか。
 終演後、客席を見渡すと結構年齢層が高い。しかし、今日のように、赤ん坊と幼稚園児を連れてきて客席で泣くは騒ぐは……を許すヤンママは論外。注意しないスタッフはどうかしてる。
1700終演。
1730、庄屋で焼き魚定食850円。

 1830、サザンシアターでこまつ座「志ん生と円生」。
 慰問に来たものの、ソ連侵攻、関東軍逃亡、封鎖された中国・大連に居残った志ん生(角野卓造)と円生(辻萬長)二人がたどる地獄巡りを井上ひさし得意の歌入り芝居で。

 最後の場は難民に炊き出しをする修道所。二人をキリストの降臨と思い込む4人の修道女とのやり取りが笑いを誘う。池田有希子のソロがないのが残念。ほかに、塩田朋子、森奈みはる、ひらたよーこ。

 終演後、池田有希子に楽屋見舞い。「URASUJI」の稽古も同時進行とか。それが終わると「ガールフレンズ」。「27万人が登録している」という、ポッドキャスト「i morley」のパーソナリティーもやってるとのことで、相変わらず元気いっぱい。

11月16日(金)晴れ

 1900、新宿。シアタートップスで劇団道学先生「デンキ島 白い家編」。蓬莱竜太の作・演出。
 モダンスイマーズで上演されてきた、ある小さな島を舞台にした「デンキ島」シリーズの最新作。

 本土から島に乗り込み、何事か企む青龍会のヤクザ藤島(井之上隆志)と、幼なじみの漁師・坂本(山本亨)の対立を軸に、高校時代に坂本に憧れ、今は藤島の情夫となっているナオカ(三鴨絵里子)、同じく同級生の巡査(青山勝)、坂本が匿う中年女(かんのひとみ)など、様々な人間の相克が描かれる。白い家=カサブランカ、つまり、ボギーの世界を描きたかったようで、劇中歌も石原裕次郎に、「夜霧のブルース」(歌はディック・ミネではなく宇崎竜童)など。

 坂本の過去、親の死、遺された船への放火、やくざから逃げてきたわけあり女、デキの悪いヤクザの息子、気弱な巡査……。人物も様々。いつもの道学先生の飄々とした作風からすればちょっとハード。もちろん、中島淳彦と蓬莱竜太はまったく別の世界。道学先生の冒険か。ちょっと痛々しく見えてしまう。
 役者は小劇場の豪華版。ほかの配役は次の通り。
 蒲田哲(青龍会のヤクザ)、水内清光(同)、古山憲太郎(売れっ子俳優)、山口森広(レオのマネージャー)、東海林寿剛(漁師)、福島勝美(居酒屋の親父)、江原里実(娘)。
 2050終演。

 いのうえひでのり氏が見に来ていたので、帰りに声をかけ、15年前の切抜きを手渡し。当時、ゴローシリーズでトップスで公演中だった劇団☆新感線。まだ動員3000人の時代。高田聖子も大学を卒業したばかり。その彼女の取材記事のコピー。自分には先見の明があったか。

11月15日(木)晴れ

 1620、K記念病院で鍼。

 1800、三軒茶屋。定食屋「はとぽっぽ」なぜか満席。仕方なく、キャロットタワーのTSUTAYAと書店で時間つぶししてから再戦。さんま定食。

 1900、シアタートラムで「審判」。カフカ作品に情熱を傾ける松本修の新作。ある日、理由もわからないまま逮捕された銀行員、ヨーゼフKの不安の心象風景。

 石井ひとみ、高田恵篤、福士惠二ら昔馴染みの友人が出演。めくるめく不条理な世界をスタイリッシュでシャープに演出する松本。陶然とするその「舞台美」。が、直前に飲んだアレルギー薬が効き始めたためか、次第に意識混濁。必死に舞台を見つめているはずが、時々フッと掻き消える。ああ、なんたること。こんなにも自分好みの舞台が展開しているのに……。半覚醒状態。休憩後も同じ。情けない。2215終演。約3時間。
この舞台はもう一度見たいものだが……。

 アマゾンの古書店に注文した中公新書「ある明治人の記録 会津人 柴五郎の遺書」(石光真人編著=中公新書)が届いたのでさっそく読み始める。2日で届くのだからネットの便利さよ。

 きっかけは「斗南藩」の呼称に関する説を検証するため、何かヒントはないものかと思ったのだが、一読して雷鳴に打たれたようなショックを受ける。

柴五郎に関しても、ほとんど予備知識なし。会津藩士の子で、後に陸軍大将になった人としか知らず。仇敵・薩長の軍隊に入り、出世した俗物ではないかと軽侮すらしていたのだ。
 ところが、晩年に書かれたこの記録、それも公表することを前提とせず、祖父母姉妹の眠る菩提寺に納めるために書かれた記録からは俗物どころか、「最後の武士」たる高潔な柴五郎の人柄がにじみ出て、実に魅力的な人物と思える。ただの武張った軍人ではない。

 文章は文語体で読み易く、新書版を読み通すのにそれほど時間はいらない。
 というよりも、その中身の衝撃、事実に魅かれ、読み進むのがもどかしいほど。

 会津から移封された斗南藩の武士たちの生活がいかに過酷だったか。
「筆舌に尽くせない苦難だった」と、文字で書けばただこれだけ。しかし、この本を読めば、その過酷さがどのようなものか、手に取るようにわかる。

 まだ10歳の少年が、真冬でも草履がなく裸足で野山を歩き、凍った水を汲む。夜は布団などあるでなし、むしろをかけて寝るしかない。風雨も防ぎようがない掘っ立て小屋。夜通し火を焚かなければ凍死してしまう。まさに「乞食以下の生活」。

「この境遇が、お家復興を許された寛大なる恩典なりや、生き残れる藩士たち一同、江戸の収容所にありしとき、会津に対する変らざる聖慮の賜物なりと、泣いて悦びしは、このことなりしか。何たることぞ。はばからず申せば、この様はお家復興にあらず、恩典にもあらず、まこと流罪にほかならず。挙藩流罪という史上かつてなき極刑にあらざるか」

 この怨嗟の叫びも当然といえる。
 自分たちが選んだ藩領地ではないかと反駁するムキもあるだろうが、候補地であった旧領地・猪苗代は、狭い上、領民の一揆が多発し、落剥の藩ではそれを収めることが不可能、しかも旧領では藩士の士気も下がる。それよりも、広大な下北の大地に未來を託すことを選んだ会津藩士の心情も理解できる。それを自業自得といえるか。よしんば、そうだとしても、昨日まで武士だった人々への過酷な運命には同情を禁じえない。

 食べるものもなく、野草をすり潰し精製したでんぷんをすする。栄養不良で、五郎少年の頭髪は抜け落ちる。
 ある日、死んだ犬の肉をもらい、何日か食べ続けたが、塩もなく、ただ煮ただけの肉は味もない。途中で体が受け付けなくなり、吐き気を催す。人間、いくら空腹でも毎日同じものを食べ続けると、こんな状態になるものだというのは、自分もよくわかる。上京した10代のころのアパート生活。おかずを買うお金がなく、三食、ご飯と味噌汁だけですごしたら、三日目くらいにどうしても味噌汁が飲めない。吐き気さえ覚えた。
 犬の肉でも食えるだけマシと思うのは酷なこと。
 この犬の肉を吐きそうになった五郎に対し、父・佐多蔵は厳然と諭す。
「戦場にありて兵糧なければ、犬猫なりともこれを食らいて戦うものぞ。会津の武士ども餓死して果てたるよと、薩長の下郎どもに笑わるるは、のちの世までの恥辱なり。ここは戦場なるぞ! 会津の国辱そそぐまでは戦場なるぞ!」

 この薩長への恨み骨髄は柴五郎が薩長の軍隊に入り、陸軍大将になっても終生変わらなかっただろう。むろん、そのことは存命の時には周囲に明かさなかっただろうが。

 斗南時代に勉学することができず、そのため、漢学、日本史などは得意ではなく、逆に、陸軍幼年学校のフランス人教師による教育でフランス語、英語など外国語は堪能だったという。明治政府は最初はフランス式の軍隊にするべく、フランス人教師を雇い、フランス語で授業を行った。しかし、その後、ドイツ軍に切り替えるわけだが、一期生の五郎はフランス式の軍事思考だったといえる。後に、義和団事件で北京に篭城するときも、彼の語学と沈着冷静な態度が外国人武官たちの精神的作戦的支柱となったのもうなずける。

 映画「北京の55日」の元となった「北京籠城」をまとめ上げたピーター・フレミングは本の中でこう記述している。

 戦略上の最重要地点である王府では、日本兵が守備のバックボーンであり、頭脳であった。日本軍を指揮した柴中佐は、籠城中のどの士官よりも勇敢で経験もあったばかりか、誰からも好かれ、尊敬された。

 当時、日本人とつきあう欧米人はほとんどいなかったが、この籠城を通してそれが変わった。日本人の姿が模範生として、みなの目に映るようになった。
 日本人の勇気、信頼性、そして明朗さは、籠城者一同の賞賛の的となった。籠城に関する数多い記録の中で、直接的にも間接的にも、一言の非難も浴びていないのは、日本人だけである。


 中国の市民を略奪、虐待しないよう厳命したともいう。
 これをして「秩序正しい日本兵」「規律を乱す中国・朝鮮人」などと牽強付会、捻じ曲げて右翼的言説に利用するネット右翼もいるが、笑止千万。百年たっても彼らには柴五郎の真情は理会できない。

 第二次大戦の日本軍の蛮行は中国に親しんでいた柴五郎にとっては痛恨事だったと想像できる。緒戦の1942年に、すでに「日本は負ける」と言い切ったという。柴五郎がただの軍人ではなかった証左。
 さらに、略奪・蛮行の日本軍や、戦犯を巧妙に逃れ進駐軍に取り入った連中と違い、すでに85歳の高齢ながら、敗戦の報を聞くや、短刀で割腹自殺を図っている。その傷が元で12月に死亡するのだが、けだし、幕末に生を受け、艱難辛苦を耐えて時代を生きた柴五郎ならではの壮烈な晩年といえる。右翼、チンピラ、ネットウヨらにマネできるか。

 以下は柴五郎の「遺書」(編者がつけたタイトル)の巻頭に掲げられた血涙の辞。

「血涙の辞」


 いくたびか筆とれども、胸塞がり涙さきだちて綴るにたえず、むなしく年を過ごして齢(よわい)すでに八十路(やそじ)を越えたり。
 多摩河畔の草舎に隠棲すること久しく、巷間に出ずることまれなり。
 粗衣老躯を包むにたり、草木余生を養うにあまる。
 ありがたきことなれど、故郷の山河を偲び、過ぎし日を想えば心安からず、老残の身の迷いならんと自ら叱咤すれど、懊悩流涕(おうのうりゅうてい)やむことなし。
 父母兄弟姉妹ことごとく地下にありて、余ひとりこの世に残され、語れども答えず、嘆きても慰むるものなし。
 四季の風月雪花常のごとく訪れ、多摩の流水樹間に輝きて絶えることなきも、非業の最期を遂げられたる祖母、母、姉妹の面影まぶたに浮びて余を招くがごとく、懐かしむがごとく、また老衰孤独の余をあわれむがごとし。
 時移りて薩長の狼藉者も、今は苔むす墓石のもとに眠りてすでに久し。
 恨みても甲斐なき繰言なれど、ああ、いまは恨むにあらず、怒るにあらず、ただ口惜しきことかぎりなく、心を悟道に託すること能わざるなり。
 過ぎてはや久しきことなるかな、七十有余年の昔なり。
 郷土会津にありて余が十歳のおり、幕府すでに大政奉還を奏上し、藩公また京都守護職を辞して、会津城下に謹慎せらる。
 新しき時代の静かに開かるるよと教えられしに、いかなることのありしか、子供心にわからぬまま、朝敵よ賊軍よと汚名を着せられ、会津藩民言語に絶する狼藉を被りたること、脳裏に刻まれて消えず。
 薩長の兵ども城下に殺到せりと聞き、たまたま叔父の家に仮寓せる余は、小刀を腰に帯び、戦火を逃れきたる難民の群れをかきわけつつ、豪雨の中を走りて北御山の峠にいたれば、鶴ヶ城は黒煙に包まれて見えず、城下は一望火の海にて、銃砲声耳を聾(ろう)するばかりなり。


「いずれの小旦那か、いずこに行かるるぞ、城下は見らるるとおり火焔に包まれ、郭内など入るべくもなし、引き返されよ。」と口々に諌む。


 そのころすでに自宅にて自害し果てたる祖母、母、姉妹のもとに馳せ行かんとせるも能わず、余は路傍に身を投げ、地を叩き、草をむしりて泣きさけびしこと、昨日のごとく想わる。
 落城後、俘虜となり、下北半島の火山灰地に移封されてのちは、着のみ着のまま、日々の糧にも窮し、伏するに褥(しとね)なく、耕すに鍬(くわ)なく、まこと乞食にも劣る有様にて、草の根を噛み、氷点下二十度の寒風に蓆(むしろ)を張りて生きながらえし辛酸の年月、いつしか歴史の流れに消え失せて、いまは知る人もまれとなれり。
 悲運なりし地下の祖母、母、姉妹の霊前に伏して思慕の情やるかたなく、この一文を献ずるは血を吐く思いなり。


 
薩長に傾いた司馬遼太郎の明治史観など木っ端微塵に打ち砕く柴五郎の「遺書」。これをこそ近代史の教科書にすべきだろう。
 しかし、これほどの人物が巷間ほとんど誰にも知られずにきたなんて……。
 いかにも東北人、明治人らしい。驕らず語らず。
 祖父もそうだった。無口で厳しく、寝るまで田や畑で仕事。納屋で藁を編む祖父の姿が今も目に浮かぶ。しかし孫には優しい面をのぞかせた。竹筒で水鉄砲を作ってくれたのは幼稚園のときだったか。
 ある日、なぞなぞ遊びをしていて、祖父にも昔のなぞなぞを聞いてみたら、明治時代の謎かけを教えてくれた。「口に土あり、日に串、木に公、蔭に草なし」これ何だ。
 答えは吉田松陰。小学校1年で、蔭という字を知らず、持っていた辞書を見たら「影」という字しか載っていなかったので、「蔭って昔の字じゃないの?」と言ったら、「そうか……」と笑っていた。「公」という字を「おおやけ」と読むことを知ったのはこの祖父の謎かけから。だから、学校の国語の時間に「公」という字が出てきたとき、「おおやけ」と読めたのは私だけだった。
 昔のなぞなぞはこんなだった。
「なんじょ(謎)たでろ(立てろ)、立った弁慶」
「風呂敷とかけて明日の天気と解く その答えはあけてみないとわからない」

 なぞなぞ遊びといえば、「使うとき使わないで使わない時使うのな~んだ」「風呂のふた」というやり方しか知らなかったので、祖父母、父母から聞く昔のなぞなぞには違和感を覚えたものだ。今思えば、囲炉裏を囲んでジジが孫に語るナゾかけ遊びの光景はなんとも懐かしくほほえましい。



11月14日(水)晴れ

 0730起床。ゴミ出し。


 昨夜読了した森勇男氏の「南部霊場恐山 由来と伝説」の中で、気になった個所がある。それは、斗南藩名の由来。戊辰戦争で敗れた会津藩が下北半島に移封されてできたのが斗南藩であるが、その読み方は当初「となんはん」であったという。明治2年11月3日、太政官日誌に「松平容大を陸奥三万石に移封」と明記してあることから、これが斗南藩の誕生であるが、翌明治3年5月15日付けの廃藩置県によって、斗南藩は廃止さ新政府から「斗南藩知事」に任命される。この時点で「となん」が「となみ」に変わってしまったのだと。

 本来、斗南は「となん」であり「となみ」とは読まない。「当時の新政府には山川浩をはじめとする会津の立藩精神を理解するような人物も学問にも優れた人物がいなかったのがトナンをトナミと棒読みしてしまったのだろう」と森氏。

 つまり、誤読がそのまま藩名になってしまったというのだ。

 「斗南」の由来は2つある。一つは、「北斗以南皆帝州」という漢詩から取られたという説。北斗七星の輝く土地より南は、たとえ北の果てであってもすべて帝を戴いた国の領土であることに変わりはない、という意味。

 二つ目は、「南斗6星」を意味しているというもの。南斗6星は射手座の中央部にある星だが、射手座は隣にあるさそり座に矢を放とうとしているように見えることから、「射手座(斗南藩)がさそり座(薩長)に弓を引いている」、つまり薩長に受けた恥辱への恨みの象徴という説。

 また、「斗南一人(となんのいちにん)」という言葉があり、「北斗七星の南にいるただ一人の人、すなわち「天下第一の人」の意味。これは唐書の「狄仁傑伝」に現れる表現。

 同じように、図南(となん)という言葉もある。「図南の翼」とか「図南の志」という表現で「大きな志」あるいは、大事業を計画することを言う。
 その出典が荘子の「逍遥遊遍 第一」。


「北冥有魚、其名為鯤、鯤之大、不知其幾千里也、化而為鳥、其名為鵬、鵬之背、不知其幾千里也、怒而飛、其翼若垂天之雲、是鳥也、海運則將徙於南冥、南冥者天池也……」


 北の果ての海に魚有り、其の名を鯤(こん)という。鯤の大きさは幾千里あるかわからない。それが鳥に変身した。その名を鵬(ほう)という。鵬の背もこれまた幾千里あるかわからず、怒りて飛べばその翼は天に垂れ広がった雲のようである。この鳥、海が動くとき南冥(南の果ての海)へと飛翔する。南冥とはいわば天の池である。

 中略

「而後乃今將圖南」(しかる後、今やまさに南へと図らんとする=南へ向わんとする)

「荘子」においては鵬、すなわち伝説の鳥「鳳凰」が南冥(南の果て=世界の果て)の海へと向かい飛び立つ様を「圖南」と称している。これらをふまえ、圖南とはかようにも雄大なる大冒険、大事業を計ることを意味する。「図南」はもともと「斗南」と書かれていたものであろう……と。(この項、HP図南の書参考」

 要するに、「斗南=トナン」には「大望ある人、天下第一の人」という意味がある。しかし、無学な薩長政府が漢字の読みを知らず「となみ」と棒読みしたことから「となみ」が定着したのでは、というのが森氏の説。また森氏は「その天下第一の人、の意味を知っていたため、薩長が、わざとトナミと誤読させた」とも述べる。

 浅田次郎の「壬生義士伝」で「斗南藩」に「トナンハン」とルビがふってあったので、浅田次郎はなんとモノ知らず、取材不足とあざけったものだが、もしかしたら「トナンハン」をめぐる諸説に精通していたのか。……まさか。

 しかし、斗南藩士たちは「トナミ」の読みに納得したのだろうか、という疑問も残る。「トナン」のままだったら、母校の校歌も「トナンの土のしたわしく♪」となる。
 慣れ親しんだ「となみ」という語感も、薩長によって捻じ曲げられたのが真実だとしたら、ちょっと残念。

「となみ藩」か「となん藩」か。
 故郷のことでも、知ってるようで知らないことがいっぱいあるものだ。

 1150~1430、家人と「ALWAYS 続 三丁目の夕日」を見に映画館へ。

 県民の日で学校は休校。そのため、映画館も親子連れが。しかし、最前列に陣取った小学高学年を頭にしたちびっ子愚連隊の傍若無人に腹が立ち映画どころの騒ぎではない。上映中に立ち上がって「影絵」をするわ、映画の中の登場人物のセリフに鸚鵡返しで言い返したり、感動シーンで「見たくねえよこんな映画」と叫んだり、連れ立って何度も内外を往復したり……。後ろの大人が注意してもすぐに元通り。ぺちゃくちゃおしゃべり。たまりかねた中年の客の「馬鹿野郎!」の声が館内に響く。

 せっかくの「ノスタルジー映画」が殺気立った雰囲気で台無し。ケイタイの着信音が鳴り響くし、ガサガサ音を立てて食べ物を出し入れしたり……だから映画館で映画を見るのがイヤになる。飲食しながら映画を見たら集中できないだろうに。売り上げのために場内持込みを許す映画館。いまや最悪の空間。

 1500、歯科医の定期ケア。自費なので7350円。混合診療問題で、来年からさらに値上がりするという。カネがないとおちおち病院にも行けない。これもアメリカに倣いのグローバル化?
11月13日(火)晴れ


 1500~1700、今期最後のD議員会。どうでもいいことでダラダラと牛のよだれのような会議は大嫌い。ようやくお役ご免でスッキリ。もう再び会社のD議員を務めることはないだろう。

 珍しく芝居の予定がないので早めに帰宅。
 YOU TUBEで懐かしの60年代歌謡曲を見ていたら、次々と懐かしい映像の連鎖が止まらず、2300まで見続けてしまう。
 69年、いしだあゆみの「ブルーライトヨコハマ」は中学時代。一番懐かしく思われる時代。
高校1年は天地真理。寮にはテレビがなかったので、わざわざ週末「真理ちゃんと一緒」なるバラエティーを見るために実家に帰ったものだ。定期入れにも入っていた天地真理の写真。この頃は可愛かったのに今は見る影もなし。世は無常。
 パソコンで過去にトリップできるというのはなんとすごい時代か。
 
 手塚治虫が1989年に石ノ森章太郎と対談した時に、こんな発言をしている。
「出版産業そのものが崩壊するというアクシデントが起こる可能性がある。もっと違うメディアが世界を席巻する。テレビなんかは時代遅れで、もっと違うメディア。そうすると出版なんていうのは、つまり活字文化とか印刷文化というのは自己崩壊してしまう。そういうことも起こりうると思うんです」(漫画超進化論 河出書房新社)

 今日のインターネット社会をすでに予言している。むろん、インターネットの前身であるアーパンネットは1969年に開発され、軍事的に利用されていたとはいえ、対談はウインドウズ95によって民間のインターネット利用に弾みがつく6年前のこと。対談の中にもインターネットという言葉はなく、手塚治虫独自の未来を見通す眼力でネット社会を、そして活字文化の衰退を予測していたのだろう。その予感はズバリ的中し、手塚治虫が予想したように、新しいメディアが世界を席巻している。まさに天才の予言だ。

 この時代に手塚治虫が生きていたらどんな漫画を描いたか。ネットをどのように利用したか。考えても詮無いことだが、手塚治虫の生きている2007年を見てみたかった。

11月12日(月)曇り

 寝る前に恐山の本を読んだためか、母の夢を見ていた。長い夢。目が覚めたらすっかり忘れたが、最後にタクシーに乗せて母を見送った場面だけを覚えていた。行く先を告げて、タクシーの運転手に先にお金を渡したのは、この世の人ではない母はお金を持っていないだろうと思ったのと、運転手も困るだろうと思ったから……。タクシーに乗って母はどこまで行ったのだろう……。

 1530、銀座の試写室で映画「エンドゲーム 大統領最期の日」。アメリカ大統領が一人の男によって暗殺される。事件を探る女性新聞記者が接触した関係者は次々と謎の死を遂げる。記者とシークレットサービスが事件の背後にある真実を暴いていく。96分のうち90分は緊張感あふれる演出でアドレナリン全開。が、最後の6分間は……。

 1800帰宅。

 物欲……。
 8歳の時、欲しかったものはホチキス、アルコールランプ、試験管、ビーカー。10歳の時は無線、Uコン、ラジコン。19歳の時に欲しかったのはステレオ、コーヒーカップ、コーヒーサイフォン、トレーニングシューズ、ティーポット、レコード……。今思えばたいしたものではない。さて、今、何が欲しいか? デパートに行っても買いたいものはない。強いて言えば、大音量でCDが聴けるオーディオルーム。子供の頃に読んだ学習雑誌、漫画をもう一度見たいというのもある。が、……取り立てて欲しいと切望するものがなくなった。
 海外旅行も面倒。でも、できればカストロが生きているうちにキューバを見てみたい。それくらいか。お金があれば、田舎の家を建て替えて図書室を作るというのが一番やりたいことかな。

 先日、大学時代の友人、O山さんから結婚通知が届いたので、何かプレゼントしたいと思い、ヒバ製品を送ることに決め、Dさんに労をとってもらった。そろそろ届いた頃だなと思い、電話すると「届きました。ありがとう」という嬉しそうな声。返信メールを送ったというが、古いアドレスだったようで未着。こんなとき、電子メールは行き違いが生じるなど不便な面もある。女優から弁護士に華麗な転身をし、社会派弁護士として活躍するO山さん。相手は同業者。どうぞ、お幸せに。

11月11日(日)雨

 0900~1200、躰道稽古。全国大会前とあってか、八段範士、T道、谷先生が来て稽古の指導。子供たちも、いつもの「先生」たちでさえ緊張する「大先生」の指導に大緊張。

 1430、東中野。満天星でプロジェクトNYX「動物園物語」。オールビーの不条理劇を松田洋治と広島光で。約1時間。終演後、金守珍、村井さんで立話。村井さんとは1週間に3回は会ってる。村井さんは1954年から芝居を見ているとか。演劇界の生き字引。

 1700帰宅。3日で5本の観劇。さすがにキツイ。


 帰宅すると、高校時代のY先生からFAX。同窓会報で追悼文を掲載したT先生の奥さんから、会報を仏壇に供えたいので、一部送ってほしいと依頼されたとのこと。取り急ぎ、T先生の奥さんに電話すると、電話に出た奥さんは沈うつでやや不機嫌そうな声。あれ?と思ったが、不機嫌なのではなく、嗚咽を抑えている声だったのだ。消え入るような声。語尾は震え、泣き出しそうになるのを必死で抑えている。T先生が亡くなったのは4月。半年以上たっても悲しみは癒えていない。いかに、夫を亡くした悲しみが大きかったか。その気持ちはよくわかる。

 

11月10日(土)雨

 1400、下北沢。スズナリで劇団鳥獣戯画「春でもないのに」。客席超満員。生活に追われ、仕事に追われ、定年間近の団塊世代のサラリーマン。ある日、一本の電話がかかってくる。それは高校時代の友人からの電話。フォークソングのバンドの仲間ががんで余命いくばくもないという。ある事件で心ならずもケンカ別れをしてそれっきりの仲間。病室で三人が再会することになるが……。

 「カリフォルニア・ドリーミン」につづく団塊世代のノスタルジードラマ。ただ、「カリフォルニア」に比べるといまいち。ただし、涙腺を直撃する反則技に涙・鼻水ぼろぼろ。
 終演後、石丸、知念さんに挨拶。舞台で親子三人共演というのは幸せな……。
 時間があるので、下の古書店でじっくり物色。結城昌治「森の石松が殺された夜」「始末屋卯三郎暗闇草紙」、山田風太郎「姦の忍法帖」、山川方夫「海岸公園」、森勇男「南部霊場恐山 由来と伝説」、しめて3200円。結城昌治、風太郎とも未読の作品。山川方夫などは、今でも文庫は出てるのだろうか。

 1900、笹塚ファクトリーで万有引力「螺旋階段」。満席。いつもより客入れに時間がかかってしまう。榎本さん、市川さんら。九條さんは風邪でキャンセル。

 寺山修司の「疫病流行記」(ワークショップ版)やアルトーの演劇論をモチーフにした作品。いつもより役者の体にもシーザーの演出にも切れがある。15日間しか稽古期間がなかったというが、中身は充実。「包帯の川」はいつ見ても全身の血が沸騰するほどの興奮。小林拓がすばらしくカッコいい。井内は根本豊二代目が板について、客いじりのうまいこと。こういう舞台を見るとシーザーと同時代に生まれてよかったと思う。今の演劇界でシーザー演出に代わる演出ができる人はいない。唯一無二。シーザーでなければできない世界。誰もシーザーの身代わりはできない。伊野尾さんは堂々たる女優ぶり。風格さえ出てきた。最後のモノローグシーンのすばらしさよ。

 終演後、飲み会。シーザーは風邪気味。アジアンクラックレーベルから出た万有引力のCDを「社長」からいただく。2300、お先に失礼して家路に。

11月9日(金)晴れ

サルメ 1400、池袋。シアターグリーンBIG TREE THEATERでトーキョーお座敷レビューサルメ公演「夜艶怪談」。前回公演ですっかりファンになってしまったので、無理して時間調整。エレベーターに乗る段階で、コスチュームの役者がディズニーランド風の客入れ。一瞬エレベーターが真っ暗、でドッキリ。
 お座敷レビューの名の通り、和洋折衷(?)のキモノ衣裳で歌い踊る女優たち。いずれがあやめかカキツバタ。目移りするようなあでやかなショー。さびれて倒産しそうなテーマパークを再生しようと、怪談テーマパークにしたら、若い女の霊が取りついて……。ストーリーもきちんと練られ、目が離せない。サービス精神満点。ダンスも歌も一級品。自分好みの直球ど真ん中。休憩10分で約2時間半。

 新宿に移動して、量販店をのぞいたり、トップスでお茶を飲んだり、時間つぶし。
1930、シアタートップスでONEOR8「ゼブラ」(作・演出=田村孝裕)。階段下まで長蛇の列。受付するだけで時間がかかる。客席は超超満席。こんなに客を入れたトップスは初めてかも。
 
 冒頭は、1970年代、テレビの歌番組を見ながら母に甘える4人の娘たち。幸せそうな光景。しかし、「パパは今日も遅いの?」の問いかけに一瞬、母の顔は翳りを帯びる。
 父と母がうまくいってないことが象徴的に描かれるシーン。
 暗転後はそれから二十数年後。子供たちは成長し、長女、四女はすでに結婚。二女は結婚を控え、三女だけが独身で、母を守るように暮らしている。その母は不治の病で入院中。
 ここからが、田村戯曲の真骨頂。母の死を機に噴き出した姉妹の葛藤と心の機微を、それぞれの配偶者、葬儀社の社員、そして幼なじみの文具店の息子など、さまざまな登場人物を介して描いていく。登場人物の個性やその裏にある人生などは、決して説明的にならず、セリフの行間で丹念に描き分ける。父の出奔もそれとなく匂わせるだけ。向田邦子も裸足の細やかな人間ドラマ。

 うーん、しかし、こんなに緻密なドラマだったとは。

 芝居の幕切れ。受話器をを持ったまま、三女が、文具店の息子に向って言う「あんたって、ほんとバカよね……」のセリフ。これは父からの電話に、本当の思いを打ち明けられない自分に向って言った言葉なのだと気づく。初演ではなぜここに気づかなかったのか。たぶん、時々睡魔に襲われていたんだろうな……。
 長女=弘中麻紀(ラッパ屋)、二女=星野園美(石井光三オフィス)、三女=今井千恵、四女=吉田麻起子(双数姉妹)、長女の夫=瓜生和成(東京タンバリン)、四女の夫=冨塚智、二女の婚約者=平野圭、長女の夫の浮気相手=冨田直美、文具店の息子=恩田隆一、母=和田ひろこ、葬儀社社員=野本光一郎、葬儀社社員=津村知与支(モダンスイマーズ)
 今年のベストかも。
11月8日(木)晴れ

 気ぜわしい一日。予約していた鍼も忘れるほどで、ドタキャン。
 さすがに疲労蓄積。気力萎え、プロジェクトnyx「動物園物語」をキャンセルして帰宅。

 佐々木守「ネオンサインと月光仮面」読了。
 「月光仮面」「隠密剣士」「怪傑ハリマオ」「ジャガーの眼」……。子供の頃、胸をときめかせたテレビ草創期の子供向けドラマ。それを作ったのが宣弘社プロダクション。広告代理店なのに、なぜテレビドラマを作る「制作会社」としての顔を持つことになったのか。社長であり、戦後のネオンサイン広告を手がけ、「ネオンの小林」と呼ばれた辣腕広告マン・小林利雄の生き方を通して浮かび上がる「戦後民主主義」。

 「柔道一直線」「ウルトラセブン」「シルバー仮面」「アイアンキング」など宣弘社作品と関係の深かった脚本家・佐々木守さんにとって、小林利雄の人生を調べることは自分の過去を同時に発見すること。思わぬ発見に胸を躍らせる佐々木守の息遣いが伝わってくる。
 初期のテレビドラマの舞台がなぜ東南アジアやモンゴルが多かったのか、小林の戦争体験が関わってくるというのも興味深い。

 それにしても川内康範の作った「憎むな 殺すな 赦しましょう」という月光仮面の「正義の味方憲章」こそ、戦後民主主義を体現するものだった。「右翼・政界の黒幕」と喧伝された川内康範だが、1950年代には、「憎むな 殺すな 赦しましょう」こそ戦争否定の根本精神であり、「未来を担う子供たちにその精神を植えつけたい」と思っていたのだ。
 しかし、今の時代は「憎しみを駆り立て」「敵は殺し」「決して赦さない」ことこそ、「平和と安定」への道となる。なんと貧しい精神の時代になったのか……。
11月7日(水)晴れ

 この時期の演劇公演の多さ。どうやりくりしても見るのが追いつかない。休み返上で吉祥寺へ。PM2、吉祥寺シアターで劇団桟敷童子「博多湾岸台風小僧」。東憲司の作・演出・美術。 

 狂い咲くように真っ赤な彼岸花に囲まれた、ある集落の長屋。差別され、世間から隔絶した人々。ある日、マッチ工場の女工たちがこの集落に逃げてくる。重労働と暴行、虐待の果ての逃走。
 彼女たちを連れ戻そうとする愚連隊、どん底の生活を抜け、アイスキャンデー屋になる夢を見る青年、女工たちを手引きした女、長屋の長老……。さまざまな人々の夢と希望と絶望が入り乱れ、破局へと突き進む。
 弟の亡き姉への思慕、どん底から抜け出そうともがく青年(弟)……という設定は鄭義信の影響が大きいのか。その根底に共通するのは「在日」と「被差別」。

 猥雑でエネルギッシュな役者たちの熱気。今上り調子の劇団だけが持つ自信に満ちた舞台。得意の大仕掛け、屋台崩しも素晴らしい。舞台を被う竹林などのセットはすべて本物の木。劇団員の手作りだけに、その労力を思うと気が遠くなる。嵐で揺れるシーソー舞台、彼岸花の群生の美しさ。美術・照明も素晴らしい。
 1610終演。小松杏里氏と一緒に、東憲司が出てくるのを待って少し立話。石川さゆりの明治座公演の作・演出も手がけるとのこと。活躍のフィールドが広がるのはいいこと。どんな舞台になるのか興味津々。

 帰り、杏里氏と駅の喫茶店でお茶。彼のブログを読んでいるので久しぶりという気はしないのだが、実際に会うのは前々回の椿組のとき以来?

「螳螂」解散から20年。月光舎も開店休業。5年間舞台を離れているので、そろそろ「芝居心」がうずく時期。息子のミント君が先日「役者デビュー」したのも刺激になったか、「芝居……やりたいんだけどね」と。ぜひ、やってほしいものだ。そういえば、ク・ナウカ解散で美加理は充電中とか。美加理の休業ももったいない。

 1800帰宅。途中で、H本さんから電話。O路恵美が来年1月からのTBS昼ドラ(熱血 ニセ家族の後番組)に出演、京都で撮影中とのこと。
 次いで、作家の向井氏に電話。問い合わせのあった「寺山修司のハガキ」についての報告。早稲田文学復刊1号に寺山修司をモチーフにした作品を発表するとのこと。

 向井さんによれば、下風呂にあったというアイヌ集落の地図が青森市の博物館に行かないと見られないなど、下北半島の歴史資料がことごとく散逸しているとのこと。
 下北の資料館がなぜ下北にないのか。下北は中世から、中央の政変と密接に連動する面白い土地なのだが……。
 
11月6日(火)晴れ

 1500、四谷。Rカンパニー12月公演「メトロに乗って」の原作者・A田次郎と出演者を囲む懇親会。メトロを降りたら道に迷い、15分遅刻。茶話会というより記者会見。話が途切れると自分で面白エピソードを話すなどサービス精神は旺盛。しかし、困った。A田次郎の小説は何冊も読んだが、まったく受け付けない。「メトロにーー」もそう。せっかく呼んでくれたI川さんには申し訳ないが、そういうわけで、最後まで居心地が良くないまま。1600終了。

1700、新宿。タワーレコードで奥村愛子「ラヴマッチ」を買う。奥村愛子の音楽はマンネリ……と思っていたが、今回のアルバムはレトロ歌謡曲とは歌唱も一味違うポップソング中心。バラエティーに富んでいる。
「庄屋」で焼き魚定食880円。

 1800、紀伊國屋サザンシアターで文学座「殿様と私」。マキノノゾミの書下ろしを西川信廣が演出。

 時は1886年(明治19年)、東京・麻布鳥居坂の白河義晃子爵邸。当主の白河義晃は急速に西洋化する日本になじめず、酒浸りの日々を送っていた。ある日、外務卿・井上馨の書生と白河家の家令雛田源右衛門の間に一悶着が起きた。雛田は時代遅れのちょん髷をからかわれたばかりか、因循姑息な白河子爵は華族の資格なしと罵倒されたのである。それを聞いた義晃は怒り心頭に発し、これまた時代遅れの討ち入りを決意。しかし、〈白河家を守るには鹿鳴館に乗り込み、見事なダンスを披露して和魂洋才の手本を示すこと〉という息子義知の提言に、お家のためならやむを得ずと渋々承知の義晃。米国人のアンナ・カートライト夫人を指南役に、義晃のダンス修行が始った。さて、その成果は……。(劇団HPより)


 イントロはこんな感じだが、物語は片足が不自由な白河家の娘と鹿鳴館で知り合ったアメリカ人海軍大尉との恋愛事件を軸に、日本人乗組員を見捨てたノルマントン号事件での英米人の日本蔑視問題を絡めながら、日本の近代化に伴うさまざまな「衝突」を基部に据えて展開する。
 張り巡らした伏線が最後に生きてくる、ウエルメイド作家マキノノゾミの面目躍如の一編。この手のウエルメイド劇は苦手だが、ここは素直に拍手。

2120終演。幕間に村井さんと立話。「ピノキオ」の裏話を聞く。
 書店で「小説を書きたい人の本」購入。こんなハウツーもの買うのは初めて。向井さんから送られた奥戸を舞台にした短編に刺激を受けたため。原発の下に埋もれてしまう土地のことを誰かが後世に残さなければ、それは最初から「なかった」場所になってしまう。書けるかどうかはわからないが……。

 11月5日(月)晴れ

 小沢ショックが続く。代表辞任騒動。

 あと数センチでリンゴの実が手に届くのに、わざわざ自分でハシゴを倒して自滅するとは、奇怪な行動。自・民連立に関しては、小沢はたぶんその気になっていたのだろう。しかし、なぜ連立に走ったか不可解。「民主はまだ未熟、選挙に勝てない」自分でそんなことを言い出す党首がいるのだろうか。奇々怪々。探偵小説なら、こんな場合一番得をする人間が犯人と相場が決まっている。得をするのは自民、そしてブッシュ・アメリカ。弱みを握られた小沢がアメリカの謀略に引っかかったという説もあながち荒唐無稽ではない……かも。壊し屋小沢個人の資質だとしたら、安倍と同じ「駄々っ子」に過ぎなかったわけで、そんな政治家を頭に頂く国民は不幸。どっちにしても、自民・民主という双子の兄弟の骨肉の争いに国民は巻き込まれているだけ。「真の野党」がほとんど壊滅状態にあることこそ不幸の中の不幸だろう。

 1700帰宅。帰り道はもう暗い。肌寒さと日暮れの早さは妙に心細さを誘う。心に浮かぶは故郷の我が家。

 ちょっとした用事でK條さんに電話。元気そうな声。三沢の下久保さんが亡くなったとのことで、あさって三沢に弔問とか。

 「アイマイミー、ユーユアユー、ヒーヒズヒム、シーハッハー」。中学の英語教師・S藤先生が教壇でよく絶叫した人称代名詞の変化。「見よ!」はS藤先生が黒板を指示棒で指す時に言う言葉。

 何年たっても教師の口癖は忘れないものだ。挨拶とい漢字を覚えさせるために「むやみだ」=「ム矢ミタ」と教えてくれた高校のE藤先生、キャラメルの紙でおしりを拭く方法を得々と語った古典のM上先生、休んだ先生の代理授業でいつも「ぐっだ」という笑い話を聞かせてくれた小学校のK村先生。……思い出すのはなぜか、そんな先生の「一言」だけ。中学の社会科の先生・I山先生が「岸信介という政治家が安保を強行して日本の民主主義をだめにした」と、授業中に話してくれたことがあったが、岸信介の名前を聞くたびに、そのI山先生の顔を思い出す。先生もまだ20代だったんだろうなぁ。教師は生徒にたった一言を覚えてもらうために先生をしているのかもしれない。その一言が大事なのだな、きっと。


11月4日(日)晴れ

 0900~1200、躰道稽古。途中からT師範の講義。70歳近い年齢でも体は柔らかいし、突き・蹴りの切れがある。痩身の古武士という風情。何度も「躰道は空手とは違う。……それじゃ空手の一流派と同じになってしまう」という言葉が出る。玄制流空手だった時代から門下生として空手を習得していた世代は「強さ」が違う。空手家としての基本ができているから、「躰道」になってから習い始めた人たちとは力量が比較にならない。「競技を主目的とするのではなく、呼吸・運身を基本とした躰道の本質を極めなければ」とT師範。さすが高段者は違う。アドバイスも的確。

 1300帰宅。映画を見に行く予定だったはずが、家人と娘は外出。そのうち、うとうとと……。目が覚めると1700。
「スピカ」読了。試運転を待つ日本最大の原発がテロリストによって乗っ取られてしまう。出動した機動隊400人は壊滅。自衛隊も殲滅される。狂気のテロリストが放射性ガスの放出を予告する。放射能が漏れれば、日本全土はほぼ壊滅する。原発の生みの親である科学者が政府の要請で原発に潜入する……。普通、小説は結末が近づくと、読むのがもったいなくなるものだが、これは読み飛ばし。著者は日本原子力研究所の元職員。細部のリアリティーはある。が、環境保護団体の女性と主人公の恋愛や、日本を牛耳る黒幕の登場など、荒唐無稽の描写が興をそぐ。基本スタンスは「反原発」なのだろうけど……。

2200就寝。

11月3日(土)晴れ

 午後から家人と買い物&散歩。ペットショップで「豆柴犬」に魅かれ、一時間以上も眺める。柴犬の改良とか、5キロくらいまでしか成長しない。30万円とかなりの高額。しかし……可愛い。さて……。

 1700帰宅。
 映画「青い山脈」(1949年版=今井正監督)を見る。前後編3時間。実のところ、石坂洋次郎の原作は読んだことがなかった。「変すい変すい新子さま」など、周辺概略だけで読んだ気になったり、見た気になっていたのだった。だから、単純明快な青春映画だとばかり思っていたのだ。ところが、どっこい、映画は「戦後民主主義」と古い価値観の衝突をユーモアを交えながらも、徹底してシリアスに描いている。見もしないで、見た気分になっていた自分が恥ずかしい。登場人物の造形も一見類型的でありながら、その実、丁寧に陰影がつけられ、現代の映画・テレビのステロタイプに比べたら格段に「人間」が描かれている。 演技や演出は今より劣るかもしれないが、そこには確かな「人間」がいる。芝居も演出も技術も格段に進歩した今の映画が「人間」を描けないのと大きな違い。

 昔、自分が20歳の頃は、原節子を見て「きれい」とは思わなかったが、今見ると確かに「きれい」だと思う。美の価値観は年代と共に変わるもの。新子役の杉葉子は当時の日本人にしては大柄でプロポーション抜群。その後、引退しアメリカ人と結婚したというのもうなずける。
 六助役の池部良、ガンちゃん役の伊豆肇。芝居は下手だが、味がある。和子役の若山セツ子は今でも通じるキュートさ。しかし、彼女はその後、不幸な人生をたどり最後は自殺。一番の芝居巧者は芸者役の木暮実千代。年取ってからの彼女しか知らないので、こんなに美人で芝居がうまかったとは。
 古い映画を見るといろんな発見があるものだ。


 この映画は60年前の作品。しかし、今でも古びていない。昨今の日本映画はこの時代より進歩したのだろうか。技術は進歩しても、中身は紙芝居に近づいていると思うのは自分だけか。

11月2日(金)晴れ時々雨

 突然冬になったように、気温が低くなる。もう半袖Tシャツはおしまいか。
 
1800、与野本町。いつ来ても駅の周辺には何もない。仕方なく、一軒だけあるオーガニック喫茶店でチーズ・ドリアとコーヒー。

1900、さいたま芸術劇場で維新派「ノスタルジア」。
 出だしはいつもの維新派パフォーマンス。少年少女が大阪弁ラップに乗せて動きを制御した振り付けダンス。

 が、今回は次第に物語性を帯びてくる。南米・ブラジルに移住する人々の「物語」。戦前の渡航、現地での苦難、戦中の迫害、そして戦後の再生。

 これほど物語性をクッキリと際立たせた維新派は初めてだ。背景のスクリーンに投影するCG映像、舞台装置も大掛かり。舞台転換の多重性。このところシンプルになっていた舞台美術だが、巨大なジャングルジム、切り立った鉱山のようなセットなど、これでもかというくらいの巨大セットが続々。中でも、「巨人の少年」にはびっくり。3㍍半の背丈の立体人形(それも表情、体型など、ホンモノの少年のよう)が歩き、屈み、手足を起用に動かすのだ。ジャンボマックスなる人形が昔あったが、あれよりも動きは精巧。カーテンコールでよく観察したら、たった一人で操作してるようだ。この人形は維新派公演では初めてかも。その昔、少年王者館との合同公演「高丘親王航海紀」で、足長人形を登場させたが、あれはご愛嬌。今回の人形は実に精密。どうやって動いているのか目をこらしてもわからなかったくらい。

 前回、新国立劇場での公演はシンプルすぎて維新派のスペクタクル性を見せる事はなかったが、今回はスペクタクルという意味では十分な演出。

 もっとも、維新派はやはり野外公演が身上。次回はぜひ奈良の平城京で行ってほしいもの。
 帰り、村井さんと電車の中でおしゃべり。
「洗練されすぎたね」と村井氏。
 帰り道、ヒバ製品のことでDさんに電話。

 帰宅するとテレビのニュース番組は緊迫した映像。第二回目の党首会談が行われ、自民・民主の大連立構想が浮上したとのこと。もっとも、持ち帰った小沢の提議に民主幹部は総スカン。小沢は福田に断りの電話を入れたというが……。

 「大連立」といえば聞こえがいいが、要は大政翼賛会。小選挙区制で二大政党が誕生したときにいつかは保守合同=大政翼賛会の再現があるだろうと危惧していたが、今回はアドバルーンを打ち上げて世論の反応をうかがうのが主眼。憲法改悪を日程に載せたい勢力にとって保守合同は願ったり。それに小沢が乗ったのはなぜか。今回の騒ぎで一番打撃が大きいのは民主党。せっかく政権奪取の目があるのに、国民は「ドン引き」。となると、わざわざ大連立話を小沢が受けた理由がわからない。自ら子飼いを率いて自民に合同、首相に就くという筋書き? 小沢という男の真意がわからん。
11月1日(木)晴れ

 1600、K記念病院で鍼。「お久しぶりです」とK泉先生の笑顔。一見しとやかな美人であるが芯は体育会系というアンバランス。

 1800、下北沢。「千草」が定休日なので、げんこつラーメン跡にできたラーメン店でしょうゆ味を。まずい。もう二度と行くことはない。
 例によってヴィレッジヴァンガードで本とCDのチェック。めぼしいものなし。次いでスズナリ下の古書店へ。ここはいつもユニークな品揃え。が、欲しい物はなし。
 1900。スズナリで燐光群「ワールド・トレード・センター」。「9.11」当日のニューヨークを舞台にした群像劇。舞台はマンハッタンの日本人向け情報誌の編集部。崩壊するWTCという世紀の事件に直面しながら、それぞれが抱える問題と葛藤し続ける編集部員や出入りするカメラマン、芸術家、経営者ら。舞台となった出版社は坂手洋二が足掛け8年社会時評を連載した「OCS NEWS」がモデル。いつもの燐光群のうねるような「緊迫感」を排除した構成と演出。「9・11」の真相・深層を期待すると当て外れかも。

 2100終演。ロビーで伊藤裕作氏に映画監督の廣木隆一氏を紹介される。

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