12月31日(月)晴れ
 
 930起床。体内時計の目覚ましが停止している。二度寝しても三度寝してもなんてことない。朝寝坊できる嬉しさよ。

 が、起床後は今日もまた掃除、片付けで夕方まで休む暇なし。まとめて日記を書こうにも時間が寸断され、落ち着いて席を温める暇がない。この慌しさも今日まで。
 夕方、家族そろって歳取り。子供の頃、この日だけは葡萄液を飲める日。お酒が少しだけ入った葡萄酒を飲むのは中学に入ってからだったか。あの平穏な日々。

12月30日(日)曇り時々雨

 セスナ機の助手席に乗って滑走路を飛び立ち、大空を飛んでいる夢を見ていた。機体が上昇する時の爽快感。着陸はなぜか大阪の路地裏。何の暗示?

 
朝から大掃除に買い出しに大忙し。
 1800、新宿へ。東急ハンズで娘の部屋のコンセントカバーを買い、シアターPOOへ。

 1900、恒例の万有引力餅つき会。この時刻はもう満席だろうと思ったが、案に相違してまだ席はまばら。シーザーと北川登園さん、北川さんが連れてきた6月まで演劇集団風の美術だったAさん、活弁士の山田広野氏ら。あとは劇団員。時間が早いのかと思ったが、そのあとは蘭妖子さんが来ただけ。いつもなら、毎日新聞の高橋さん、松田政男さん、市川さん、SIMIZZYら常連が顔を出すはずなのに、今年はちょっと淋しい餅つき。シーザーも餅をつく指名客が少なく、「どうしたんでしょうね」と首をひねるばかり。

 蘭さんは途中でマキさんのライブを見にピットインへ。帰ってくると「すごい満員。舞台の袖に座って”マキ!”と声をかけたから、わかってくれたかな」と。終演後、残念ながらマキさんは会ってくれなかったとのこと。「いいのよ、マキのことは昔からよく知ってるから。袖から声をかけたのが私だってわかってくれて、ああ、蘭妖子が来てるんだと思ってくれれば」と蘭さん。本当に蘭さんは優しい。決して人を恨んだりしない。

 北川さんからは奴婢訓でイタリアに初めて同行取材した時のエピソードなどを聞く。「鈴木忠志は自分の指示通りあつらえた舞台でなければやらなかったけど、寺山さんはどんな舞台環境でもそれを自分のものにして公演した。ステージドアを使って奴婢が登場するシーンを作ったり、発想が柔軟だったね」「奴婢訓を上演したときの観客の拍手。カーテンコールで15分間拍手が鳴り止まなかった。それでも俳優が出てこないと、客席でじっと待ってる。興奮がおさまらない様子でね」「今はとんでもないものまで海外公演してるけど、あれは恥だね。寺山さんの時代の海外公演とは比較にもならない」

 2300、電車がなくなるのでシーザーに挨拶してお先に失礼。

12月29日(土)雨

 午前中、録画しておいた旧作「怪奇大作戦」を見る。40年の時間が経過しながらもこのシリーズは色褪せない。まさに大人のための特撮ドラマ。実相寺監督の演出、佐々木守脚本は子供向けドラマを超えて文芸ドラマの趣きも。特に京都を舞台にした「京都買います」(佐々木守・脚本)「呪いの壷」(石堂淑朗・脚本)の格調高さに圧倒される。「呪いの壷」には花ノ本寿が主演。60年代に一世を風靡した俳優で日本舞踊の花ノ本流宗家。最近はこんな品格のある俳優はいなくなった。

 1400、赤坂。REDシアターで劇団ギルド+芝居亭「恐竜はやがて鳥になった」(高谷信之脚本・演出)。ネットカフェで生活するネット難民の若者。記憶をなくした一人の青年が自己を取り戻すため、ハムレットの物語をバーチャル体験する。そこに「ファウスト」の登場人物メフィストが現われ、物語に闖入する。
 身の回り5メートルの世界しか興味を示さない今風の若者への檄ともいうべきロマンチシズムに彩られた舞台。無名の若い俳優たちが繰り広げる自己回復の物語の清新さよ。

 休憩10分はさみ2時間30分。客席は出演者の友人知人親戚縁者で満席。
 終演後、高谷さんにDVDを手渡し。名古屋の村井さんから頼まれていた「ナゾの主題歌」の入ったDVD。高谷さんに心当たりがあればいいが。


 1700、駒場。こまばエミナースで制服向上委員会(SKi)ファミリーの「アマゾンに植樹するためのチャリティーイベント」。行動するアイドルグループ「SKiファミリー」。テレビでアイドルしてるノーテンキな女の子たちとは志向が違う。袴姿の寿隊、橋本美香+松尾真冬のDUET。歌唱レベルが高い。普通はライブになると目も当てられないシンガーがたくさんいるが、SKiファミリーはライブでこそ実力を発揮する。寿隊5人の歌に続いてDUET登場。PANTAばりのざっくりとしたカッティングでギターをかき鳴らす「革命なんて知らない」の迫力にびっくり。

 熱帯森林保護団体(RFJ) の南研子氏の講演では、スライドを使い、アマゾンの熱帯雨林問題をわかりやすく解説。なぜアマゾンの熱帯雨林が毎年、四国の面積で消滅してるのか。それは、森林を伐採し、そこを大豆畑にしたり、サトウキビ畑にしていること。また、アルミなど天然資源の鉱脈を掘窄していることなどが大きな原因。大豆は日本などに輸出され(日本の大豆は95%が輸入)、サトウキビはエコ燃料として注目を浴びるバイオマスエタノールに転化される。石油に代わるエコ燃料が、逆に自然を破壊しているという矛盾! まるで二酸化炭素排出しない(?)原発が地球温暖化に有効という壮大なウソと似たような資本の論理。

 さらに、アルミ鉱を掘った跡は地球の死骸のような巨大な穴。それが緑豊かな熱帯雨林の墓場。アルミは日本などに輸出され飲料のアルミ缶になる。今ではどんな辺鄙な村のどんな街道にも張り巡らされた自動販売機。その販売機に使われる電気は毎年天文学的に増えつつある。その自販機が収容するアルミのジュース缶に使われるアルミがアマゾンの雨林を破壊している。


 地球の酸素の3分の1から4分の1がアマゾンの熱帯雨林から放出されているという。いわば、アマゾンは生命の源。動物、なかんずく人間は酸素なしでは生きられない。その酸素の供給源を破壊し続けたらどうなるか。未来の人間は酸素ボンベを背負って生活することになる……というのも絵空事ではなくなる。水だって、わずか30年前までは無尽蔵で安全な水をタダで飲んでいた。それがいまや「安全な水」はお金を出して買う時代。近い将来、安全な空気、酸素濃度が正しい空気が有料にならないとはいえない。空気さえ資本の独占するところとなる。バカバカしい。そんな未来など。

 今のうちに歯止めをかけなければ。


 1845、休憩時間に控え室に行ってPANTAさんに挨拶。今年は恒例のアンチ・クリスマスライブに行くことができなかった。「アンチ派がクリスマス派に乗っ取られそう」と笑うPANTAさん。残念ながら、中川五郎さんのライブの途中で退席。新宿へ。

1930、ピットイン到着。浅川マキ5日間ライブ。先に入り、開場まで後方で待機。開場してお客さんが入り始めてから席に着くという毎年の手順。開場と同時に席は埋まり、ステージにまで客席を作る。あとは立見。このところ20、30代の若い人の比率がグンと跳ね上がり、6・4くらいか。上は70代下は10代。今年は渋谷毅さん不在。ドラムス、セシル・モンローとトロンボーン、向井滋春さんがゲスト奏者。向井さんは去年からチェロも演奏。今年は本格的にチェリストに。

 第一部はアカペラ→セシルのドラムスとのセッション。二部は向井、セシルとセッション。ジャズ、ブルースといったジャンルを超越し、ほとんど「浅川マキ」というジャンルに到達した感のあるライブ。まさに「最前衛」の音楽。二部の途中でサプライズ・ゲスト。エレキベースのボビー・ワトソン。彼を紹介しようと「今日は突然、この方が……」と言った途端、ゆらりと体が傾き、後ろにしりもち。「マキ倒れる」に会場が静まり返る。ピットインの鈴木さんが走って舞台に駆け上がり助け起こす。マキさんの「ヘルプ・ミー」に安堵した場内から一斉に笑いが。単につまづいただけの様子。絶妙な間で「あたしもこれまでステージでコケたミュージシャンを大勢見てきたけど、自分がコケたのはファーストタイム」にドッと湧く客席。「ボビーが来てくれたのでちょっと気持ちが高ぶったのよ」と笑いを誘う。

 頭を打たなかったようでまずは一安心。あとはボビー、セシル、向井のセッション。リハなしぶっつけ本番なので時々向井さんがボビーに耳打ち。ピアノというメロディーセクションが不在でリズム、ベースだけでどうなるかと思ったが、結果オーライ。今年もスリリングで充実したステージに。この分ではあと10年はいける。


 2220、珍しくアンコールに応えて再登場。アカペラで美空ひばりの「悲しき口笛」の二番と三番を。

 いつかまた逢う 指切りで
 笑いながらに 別れたが
 白い小指の いとしさが
 忘れられない さびしさを
 歌に歌って 祈るこころのいじらしさ

 夜のグラスの 酒よりも
 もゆる紅色 色さえも
 恋の花ゆえ 口づけて
 君に捧げた 薔薇の花
 ドラの響きに ゆれて悲しや夢と散る


「昔、寺山さんがレコードをかけて聴かせてくれたけど、いつも二番から。だから私も二番からしか歌えない」と、いつか言っていた。
 アンコールで歌謡曲を歌うのはマキさん流の寺山さんへのオマージュか。

 お客さんが帰った後、控え室を訪ねる。ボビー・ワトソンに「インポータント……」と紹介してくれる。シューマッハがタクシーの運転手に代わって運転したという話に大笑い。中学時代、3年間ソフトボールの選手(ショート)で郡大会2位だったというマキさんは大のスポーツ好き。プロスポーツ、特に野球は詳しい。浅川マキとスポーツ……一見水と油の取り合わせに見えるが、絶対的な音感は野球で鍛えたカンか?
2245、マキさんに別れを告げて家路に。小雨。

12月28日(金)晴れ

 今日で仕事納め。長距離を完走した気分。

 神田明神秋葉原で下車。革製品の防水スプレーを買いにニチワへ。電気街は人人人。その喧騒から少し離れた神田明神下。ついでに初めて神田明神にお参り。急勾配の男坂を登って拝殿へ。将門が祀られた神田明神。さすがに歴史を感じる。

 12月27日(木)晴れ

1620、K記念病院で鍼。K泉先生に年末の挨拶。

1900、下北沢。スズナリで杏子・敦プロデュース「URASUJI 幕末篇」。新しい時代を夢見る純情無垢な青年(ダイヤモンド☆ユカイ)と、その育ての姉(村木よし子)、幕府の衰亡をいいことにアヘンで蓄財する大奥の女官(深沢敦)、その手下の同心(草野徹)、配下の忍者(藤田記子)らの織り成す青春活劇。テンガロンハットのダイヤモンド☆ユカイが清新な演技で好感が持てる。必殺メンバーは杏子、池田有希子、森貞文則、岩ア大と初演と変わらず。ただのハチャメチャ時代劇にならず、一本芯の通った物語になっているのは脚本・演出の松村武の手腕。ディティールが見事。
 草野徹は山田まりやネタの波状攻撃を受けながらも受け流し。さすが。
 終演後、Y田由紀子さんが見に来ていたので一緒に池田有希子に面会。公演は31日まで。新年は3日から。女優業も大変。

 12月26日(水)晴れ

 暮れの大掃除。ガスレンジ周りを集中的に。換気扇は最重要課題。ここを掃除するだけでたっぷり2時間はかかる。ヘドロのような油をそぎ落とすだけでヘトヘト。

12月25日(火)晴れ

 1600、池袋。時間つぶしのため池袋東急でウィル・スミス主演の映画「アイ・アム・レジェンド」。古典的な恐怖SF小説が元になってるが、今の時代に奇妙な現実感がある。なぜ主人公が「ニューヨーク最後の男」になったのか。いつでも「終末」はやってくる。リアルな恐怖。客席のポップコーンの音が次第に消えていく。

1900、東京芸術劇場中ホールで音楽座ミュージカル「メトロに乗って」。原作者の浅田次郎氏も客席に。
席が後方だったので役者の表情見えず。「それは禁じ手だろう」といいたくなるような浅田流の「泣かせ」の物語も気に入らない。寒々とした気分で家路に。


12月24日(月)晴れ

 9時過ぎまで久しぶりに惰眠をむさぼる。二度寝三度寝。取り返しのつかない罪を犯した夢。何の予兆か。犯罪と劇場の交錯。奇妙な現実感。


 昨日から本格的な寒さ。
 年末は気ぜわしい。大掃除、年賀状、1年のまとめ、やるべきことは山ほどあるのにどれも手が付かない。2日も休みがあったのに、のんびりゆっくり気持ちを落ち着かせることができないのだから困ったもの。昼、クリスマス会。午後、豚児と買い物。


 電車の中で密着する高校生カップル。自分が子供の頃は女の子と遊ぶだけで周りからはやされたものだ。男女、席を同じゅうせずの遺風が残ってた?

 もし、男の子と女の子が一緒にいるとこう囃された。
「男とおなごとちょーめんこ もぐにたがれで もぐれんじ ちょしてちょして 泣かせなえ」

 ずいずいずっころばしの歌同様、この俗謡も意味が半分しかわからない。「ちょーめんこ」というのは何? 「もぐ」は婿のこと。「もぐれんじ」は木蓮子? 「梁塵秘抄」に「聖の好むもの 木の節 鹿角 鹿の皮 蓑笠錫杖 木蓮子 火打笥岩屋の苔の衣 」とあり、聖=山伏の大数珠の材料が木蓮子だったらしい。「ちょす」はさわる、いじくるの意味。「あんまりいじくりまわして泣かせるな」という意味だろうけど、「もぐにたがれでもぐれんじ」は何? 「ずいすいずっころばし」もそうだが、往々にして昔の俗謡はセクシャルな意味を帯びるものが多い。そのでんでいけば、「もくれんじ」も微妙だが。

 


12月23日(日)雨のち晴れ

 1030、躰道のイモ煮会。武道場からクルマで公民館へ。子供たちとお母さんたちが協力してヤキそば、けんちん汁作り。雨があがったので2時間後には野外で立食。作った会報を配り好評。そばのお寺は大日如来を祀ってある。14世紀に落武者が建てたお寺とか。
 1430、いったん家に帰り、1700に再びK朝霞駅前の和民で大人だけのの納会。東国大の3年女性主将と1年生も参加。和気藹々の忘年会。若手は体育会ノリ。
 学生から「空手と躰道の違いは?」に石川先生「空手は攻撃を受けて返す。躰道はかわして返す」と。つまり、直線の空手と曲線の躰道の違い。間合いが全く違うので勝負できないと。

 二次会はカラオケ。疲労感があるのでやめようと思ったが、そうはいかじと手を引っ張られ、強制参加。総勢約20人。部屋に入った瞬間すでに歌が始まるという手回しのよさ。普段は謹厳なK先生が人格が変わったように飛び跳ね絶叫する光景はおなじみ。演歌といまどきの歌が交錯し阿鼻叫喚のカラオケ地獄。みんなはじけること。武道系コンパのノリ。
 2300、腰を上げる様子なくこの分では朝まで歌い続けそうなので、電車があるうちにお先に引き上げる。


12月22日(土)雨時々晴れ

 0・45、福島の根本さんがやってるFMラジオ。東京の演劇情報コーナーに電話出演。今回で3回目。少しは慣れたかな? あとで聴いてみなけりゃわからないけど……。

 1600まで会社でのんびりと仕事。
帰宅し、1800〜2000、駅前の居酒屋で従姉の息子のKくんと、娘の3人で飲み会。楽しい語らい。時間はあっという間に過ぎて、Kくんは次の約束の場所へ。

 12月21日(金)晴れ

 1600退社。吉祥寺へ。

 伊勢丹本館の特設会場で展示されているニチワの革製品売り場。ダブルのトレンチタイプがないので次善の策としてシングルタイプを試着。悪くはない。で、即購入。宵闇迫る吉祥寺の町。駅前の商店街は昔の面影なし。スポーツ用品店で豚児のクリスマスプレゼントを買い、食事を……と思ったがなんとなく落ち着かない。で、阿佐ヶ谷へ。やはりここが一番落ち着く。もし自分がボケて徘徊するとしたら、きっと阿佐ヶ谷の町をウロウロするのだろう。

 駅前の新しい北海道ラーメンの店でしょうゆラーメンを。これは失敗。いまはやりのインスタントスープを使っているのか耐えられない味。
 途中、タイヤキを買い、馬橋公園のベンチで食す。住人のいないF荘はまだ取り壊しされずそのまま。過去に迷い込んだかのような変わらぬ風景。

 1800、東中野。芝居砦・満天星で新宿梁山泊「少女都市からの呼び声」(作=唐十郎、演出=金守珍)。兄・田口と、ガラスの子宮を持つ妹・雪子の彷徨。下町路地裏から凍てつく満州の雪原へ。はかなくもろいガラスの少女、オテナの塔……。ラストシーンで5万個のビー玉が天から降ってくるスペクタクル。唐十郎ロマンの原点ともいうべき作品。沖中咲子が雪子役。

 状況劇場の若衆公演からスタートし20年。田中容子、中村祐子、金久美子、石井ひとみ、近藤結宥花……何人もの女優が演じてきた雪子。印象的なのは15年前のスズナリ公演。金久美子の時、ちょうど豚児が生まれる日に芝居を見ていたのだ。
 

 今回はテレビプロデューサーの小沢氏がバイオリン弾きの役で出演。セリフも澱みなく、芸達者ぶりを発揮していた。あとで聞いたら、バイオリンは3、4歳の頃に習ってたという。しかし、最近父親の遺品を整理していたら、「あのまま音楽を続けてほしかった」という日記がみつかった。それを読んで、50数年ぶりにバイオリンを再び習い始めたのだとか。

 終演後、喫茶ルームで飲み会。阿川竜、冨樫真は小沢さんプロデュースの「熱血!ニセ家族」の出演メンバー。乾杯の音頭は堀切直人氏。今回の沖中「雪子」がことのほかお気に入りの様子。隣りのテーブルで沖中さんと私がじっくり腰をすえて話し込んでいたら「主演女優は一人の男とばかり話し込むものじゃない、みんなと平等に話して回るべき」と独禁法違反のイエローカード。
 
 2230まで。

 
12月20日(木)晴れ

 時代劇によく出てくる、ゆすりたかりの小悪党を「ゴマのハエ」だとずっと思い込んでいた。ゴマのような小バエがウンブンまとわりついて悪さをする……のイメージ。が、実は「護摩の灰」だと知ったのは修験道の本を読んでから。修験者は山で修行をし、念を込めて焼いた尊い護摩の灰を里に下りて、人々に分け与えたという。お札や、その灰が護符となった。ところが、インチキ修験者が、そのへんの灰を護摩の灰と称して売ったことから、小悪党、イカサマ師を「護摩の灰」と呼ぶようになったという。

 警察官が霊感商法に関わってボロ儲けの手助けをする昨今の事件。まさに「護摩の灰」の類。しかし、そんな連中には「ゴマの蝿」のほうが似合ってるような気もするが……。

 正月版の割り当て分は終了。今年はすんなりと仕事が運び、休日出勤はなし。
 
1630、K記念病院で鍼の予定をすっかり忘れていた。忙しくなると曜日感覚がなくなる。

12月19日(水)晴れ

 0750起床。ゴミ出し。

 録画した映画「大阪城物語」と「上意討ち 拝領妻始末」を連続で見る。
 映画黄金期の作品は今見ても迫力が違う。三船敏郎の殺陣の重厚さ、鮮やかさ。腰が据わっている。脇役からエキストラに至るまで、役者の身体と顔つきが今の若い俳優のそれとはまったく違う。現代の俳優にはもはや戦国時代の武将を演じることはできないのかもしれない。NHKの大河ドラマなど、50〜60年代の時代劇映画から見れば薄っぺらな紙芝居。砲撃される大阪城を描く円谷英二の特撮も実に緻密。
 「上意討ち」は三越劇場での演劇公演の方が先になってしまったが、その元となった小林正樹監督の映画の、なんと圧倒的なすばらしさ。藩主に下げ渡しされた妻を再び藩の都合で返上することを求められる太平の世の武士社会の非情さ。父親で無骨な武士役の三船敏郎と僚友・仲代達矢の凄惨な殺陣は身震いするほど。

 二本見終わったら眠気に襲われ、気がつくと午後4時。夢うつつでしきりに暮れの大掃除が気になっているその小市民性。
 田舎の親戚から返礼の電話。
12月18日(火)晴れ

 1700、仕事の帰りに秋葉原のレザーショップ「ニチワ」へ。十数年前に買ったコートはもうボロボロ。物欲はないはずなのに、この頃、なぜか新しい革コートがほしくて。駅から10分、革製品で有名な店は路地裏に。買い物客が十数人。
 何着か試着するが、一番気に入ったのがダブルのロングトレンチ。しかし、サイズがMとLだけ。Lだとややきつい。残念。入荷もないという。無念。

 1800、新宿。伊勢丹MENS館へ。全館回るが革コートでいいものが見つからず。どこにでもありそうなのに、探してみると意外にないものだ……。

1830、新宿御苑。
 劇場近くの豚骨ラーメン屋でとんこつラーメン。650円。豚の臭みがあり、まずい。子供の頃、実家で豚を飼っていた時期があるので豚の匂いには敏感なのだ。

 次いで、古本屋で歴史読本「南北朝分裂60年戦争」と松山義雄著「山国の神と人」(未来社 1961年)。木挽きと杣の歴史。

1900、サンモールスタジオで劇団「XQUEST(エクスクエスト)」の「前橋市立南高校演劇部〜嫌われミツバチの一生〜」。SUIの高橋さんからの案内。初めて聞く劇団だが、なぜか心引かれるものが。その予感はピタリ的中。今年見た芝居の中でもピカイチの舞台。


 たった一人しかいない高校演劇部に今年は新入部員が5人参加。卒業公演を打とうとするが……。
 役者はみな初めて見る顔。しかし、芝居は達者、ダンス、演劇的センスが抜群。最初は「どんなものか……」と斜に構えて見ていたが、次第に頬が緩み、中盤からは笑いの連続。芝居を見てこんなに笑ったのは久しぶり。笑いのセンスが自分とピッタリ。つまらないギャグやくすぐりで笑わせるのではなく、きっちりと芝居で笑わせるのだからその実力は相当なもの。アドリブも節度があって好ましい。映像シーンががやや冗漫なのが惜しい。

 しかし、こんなに実力のある役者たちがいたなんて……。と思って、調べたら前身は90年代の劇団「1999QUEST」。SFが得意の劇団で、一度も見たことはなかったが、劇団名を変えて存続していたとは知らなかった。トクナガヒデカツ主宰。今回のキャストは佐藤仁美、市川雅之、伊勢直弘、荻窪えき、清水宗史、塩崎こうせい(うまい!)、大西小西。そしてゲストで真理。このメンバーの名前は覚えておこう。
 2110終演。面白い芝居を見た後は駅に向う途中も自然と頬が緩む。
12月17日(月)晴れ

 「葱買うて枯木の中を帰りけり」(蕪村)

 仕事の帰りに家人に頼まれた白菜やしらたきを買って家路に。夕食は大好きなあんこう鍋。ビールを飲みつつほろ酔い気分。冬は鍋に限る。1位あんこう鍋、2位みずたき、3位すき焼き。

12月16日(日)晴れ

 0900からS市の躰道優勝大会。総勢60人余の参加。結構な賑わい。
午前中予選、午後から優勝大会。団体演武で参加。1530終了。

 Y瀬川駅で電車を待つが、架線にビニールが巻きついたとかで遅延。乗り換えのK朝霞駅でも、また電車遅延。今度は人身事故。暮れになるとこうも人身事故が多くなるのか。年間の自殺者3万人というから、その中には線路に立ち入る人もいるだろう。事故に遭遇する率も高くなるはずだ。

 テレビ埼玉で「下北ツアー」を見る。最後に「電事連」提供の文字。なんだそういうわけか。こうしていつしか下北は電力会社の城下町になり、ものいえば唇寒し……となるのだ。

 12月15日(土)晴れ

 1600、退社。地下鉄で中野まで。総武線に乗り換え、1つ目の東中野に戻ろうとしたが、なかなか電車が来ない。「西船橋で線路内に人が立ち入り……」のアナウンス。30分遅れで電車到着。

 新宿梁山泊の稽古場「芝居砦・満天星」で沖中咲子さんと。時間が遅れたため慌しい取材。
 1800、満天星を辞して新宿へ。

 1900、シアタートップスで扉座「LOVE LOVE LOLVE R36」。大森寿美男、大森美香、鈴木聡、鈴木哲也、千葉雅子、マキノノゾミ、真柴あずき、横内謙介。このメンツが10分ほどの短編を書き下ろし、オムニバスとして上演する。期待したが外れ。「大人の芝居」を意識するとなぜみんなセクシャルな単語とセクシャルなシーンを絡めた芝居になるのか。エロなセリフがあると「大人の芝居」になると考えるのは笑止。しかも鈴木聡の作品を除けば目も当てられない低劣。作家の名前だけの芝居としか言いようがない。2100終演。
12月14日(金)晴れ

 いい人に限って災厄に遭うという理不尽。


 紅白初出場のすぎもとまさとが歌う「吾亦紅」をテレビで初めて聴いた瞬間、椅子から転げ落ちそうになる。心情はわかるが、あまりにも詞が稚拙。昔の歌謡曲は今聴いても格調高い。それだけ作詞家が骨身を削って詞を書いていた。雰囲気だけでイージーな今の歌謡曲。それが受け入れられている。時代の変化はここにも……。


12月13日(木)晴れ

 1620、K記念病院で鍼。

 1800、下北沢。「千草」が休みなので、向いの自然食の店で「鍋焼きうどん定食」1030円。女性客目当ての店のためか、量は少な目。でも、これくらいが丁度いいか……。

 ヴィレッジヴァンガードを一回り。新譜CDで気持ちを動かされるものなし。
 スズナリの下の古書店を覘いてから、スズナリへ。階下で流山児氏が客入れ。

 座席に就こうとしたら、声をかけられたので、見るとO路恵美と事務所社長の橋本さん。O路さんの隣りの席。今、来年からスタートする昼の帯ドラマ撮影で東京と京都を行ったり来たり。芸妓さんの役。ドーランをつけてる時間が長いので、肌が荒れ気味とかで帽子を目深にかぶっての観劇。


 パラダイス一座「続・オールドバンチ 復讐のヒットパレード」(作=佃典彦、演出=流山児祥)。

 主演メンバー6人は去年と同じ。戌井市郎(文学座。現役最長老演出家=91歳)、瓜生正美(青年劇場創始者=83)、肝付兼太(劇団21世紀FOX主宰、声優=72)、中村哮夫(「ラ・マンチャの男」などの演出家=76)、本多一夫(本多劇場グループ総帥=73)、岩淵達治(ドイツ文学者、ブレヒト研究の泰斗=79=映像出演)。観世栄夫さんが健在だったら7人が再結集したのに……。

 去年より1歳年をとったわけで、若い人の1年と違い、平均年齢80歳近い人たちの1年は大変なこと。ところが、なんと、去年よりも皆さんお元気。生き生きとしている。客席の半数を占める20代の観客もヒートアップ。見ているほうも演じるほうも熱い熱い。「こんな芝居世界中を探してもどこにもない」(by流山児祥)。

 幕が開くとそこは1963年の東京。東京オリンピックを翌年に控え、どことなく華やいだ雰囲気。しかし、通称「えんま」が統率する闇の殺し屋集団「日本暗殺者協会」は銭湯で何者かに襲われ、仲間のひとり「こぶら」は撃たれて重傷。……と、この後、場面は44年後の同じ場所。銭湯は老人福祉施設になり、44年前に生き残った殺し屋たちが、何者かの手紙に呼び寄せられ、一人、二人……と現われる。すっかり老人となった彼らを誰が呼んだのか……。

 妹尾河童の舞台美術による銭湯のセットが素晴らしい。それを背景に、登場する老いたる殺し屋たち。
 そのシーンのカッコよさときたら。それぞれ持ち歌を歌いながらの登場。「くちなしの花」「黒いはなびら」「同期の桜」「すみれの花咲く頃」etc。会場は拍手と笑いでセリフが聞こえなくなるほど。本多さんは去年より格段に芝居がうまくなったし、本多さんをフォローする肝付さんの軽妙さ。中村哮夫さんは現役の役者だといっても通じるうまさ、瓜生さんの毅然とした戦中派ぶり、そして戌井さんのかくしゃくとした姿、セリフ。
 1時間40分はアッという間。

 町田マリー、藤井びん、谷宗和ら若手の奮闘も好ましい。ケアマネジャー役の二人、坂井香奈美、石井澄もいい。特に石井の柔軟な芝居は特筆もの。

 映像出演の岩淵先生は闇の外科医、BJ(ブラックジャック)役。特殊メイクに嬉々とした様子。
 中村さんは特技の弓まで披露。
 斯界の大物たちのお遊び芸じゃない。稽古にたっぷり3カ月とっただけの成果が現われている。これこそ芝居の原点だろう。

 難をいえば、後半の選曲をマイナーコードじゃなく、みんなが盛り上がれる歌にしてほしかったのと、物語が昨年、同時期に上演された川村毅の「くろいぬ」に似ていたこと。何者かに呼び集められたスパイ・暗殺者たち。歴史上の事件に彼らが絡んでいた……というふうな。もちろん、デキは天と地ほどもあるが。
 2045終演。
 見に来ていた、ますだいっこうさんと少しお話。第二次演劇団時代から20数年? 先日亡くなった大谷真一さんもその頃、演劇団にいた。最後に流山児の演出「無頼漢」で芝居に出たのは何かの巡り合わせか。「しばらく役者はお休み。今日のように年齢を重ねるまで充電します」といっこうさん。

 終演後のアフタートークも大盛況。ほとんどのお客さんが帰らずに参加する。出席は肝付さん、瓜生さん、流山児さん。最後のセリフを間違えたことでひとしきり肝付さんがサカナに。

 瓜生さんは昔から大酒飲み。「人生で一番飲んだのは、共産党の六全協ショックで田舎に帰り、訪ねてきた土方与志らと36時間飲み続けたこと。一升瓶15〜16本。ビールケース5箱くらい空けた」とか。身体頑健で、10数年前に流山児、坂手洋二と万里の長城に登ったときも、二人を先導してすいすい城壁の上を歩いていたらしい。70才まで劇団のエースピッチャーだったというから体力たるや相当なもの。

 稽古の段階で披露したがカットされたという、肝付さんの声色による、「さる高貴なお方のオリンピック式辞、その長男による国体のお言葉」に大爆笑。肝付さんにこんな隠し芸があったとは。

 劇中で洋弓の腕前を披露した中村さん。それもそのはず、子供の頃から弓を習い、大学まで続けたという。
 黒澤明監督の「蜘蛛巣城」で、三船敏郎演じる殿様が矢ぶすまになる有名なラストシーンがあるが、あのシーンで矢を放ったのが中村さんなのだという。助監督だったが、弓の腕を買われ、三船敏郎に矢を射掛けたのだ。あのシーンは特撮ではなく、ホンモノの矢だったという。三船敏郎が「オレを殺す気か」と怒りまくったのも当然か。

 終わった後、ロビーで中村さんにそのことを聞くと、「黒澤明監督はホンモノの恐怖を撮りたかったんでしょう。3bくらいの距離から、こうやって矢を射ちました。怖かったでしょうね、三船さんは」
 黒澤明の完全主義はホンモノの矢を射る事で三船の恐怖の表情を引き出した。一歩間違えたらほんとに三船は死んでる。いやはや、すごい人たち。

 ロビーでO路恵美が流山児に小声で「私も出たい」と嘆願。即OK。こうして次回2009年2月の出演者が1人決まり……。

 2130、橋本さんとO路恵美と別れて家路に。
12月12日(水)晴れ

 午前中に映画「侍」を見る。岡本喜八監督。桜田門外の変をモチーフに、互いに父と子と知らぬ二人の侍の悲劇的な運命を描いたもの。モノクロ画面から漂う妖気。貸本マンガの世界、平田弘史の世界だ。こんな傑作があったとは。

 お昼、学校から帰って来た娘とランチ。二人きりで外食するのはめったにないこと。
 夕方、「士魂魔道 大竜巻」を見る。稲垣浩監督。大阪冬の陣の後の混乱を背景にした豊臣の残党たちの人間模様。円谷英二の特撮が見もの。物語はちょっともたついてスピード感なし。

 菅江真澄遊覧記(3)届く。

12月11日(火)晴れ

 仕事を終えて有楽町へ。駅前の再開発が終わり、新しいビルが立ち並ぶ。じきに、元の風景がどうだったのか忘れてしまうのだろう。
 その新ビル、愛称「イトシア」の4階にあるシネカノン有楽町2丁目で映画「ある愛の風景」を見る。時間つぶしのため、さほど期待はしていなかったのだが、これが思わぬ拾い物。

 デンマークの女流監督スサンネ・ビアの作品。まったく予備知識なし。宣伝文句では「兄嫁と義弟の葛藤」に重きを置かれていたので、恋愛心理劇なのかと思って見たら、これは……。

 概略は以下の通り。

 父親としても完璧な夫ミカエル、美しい妻サラ、可愛い2人の娘。幸福そのものの一家。しかし、軍人のミカエルがアフガニスタンへ派兵され、撃墜される。突然の訃報によってその幸せな暮らしは一変する。打ちひしがれるサラと娘たちを支えたのは、刑務所帰りで、今までは常に家族のトラブルメーカーだった、ミカエルの弟ヤニックだった。次第にサラとヤニックの間に微妙な感情が芽生える。その矢先、戦死したはずのミカエルが帰還する。しかし、彼が戦場でのある事件によって、心に大きな傷をかかえていた……。

 映画として完璧。俳優の演技、ストーリー展開、語り口、心理描写……ラストシーンの遠景まで実に正統派の映画。子役の演技も素晴らしいの一言。日本では絶対にまねができない。ミカエラ役の俳優の演技は一点の誤謬もない。

 文句なしに今年の映画のベスト。これをハリウッドがリメイクするというのだが、どうせスターを使った甘い砂糖菓子のような厭戦映画になるのだろう。
「イルマーレ」もそうだが、ハリウッド作品になるとみんなハーレクインロマンになってしまう。やはりオリジナルが一番。

 今日はこの1本だけで心が豊かに。ただ、前の人の頭で画面が4分の1も切られてしまう。最近、芝居でもそうだが、座席の前の人の頭で舞台が見えない場合が多い。日本人の体躯は年々向上している。座高も伸びている。今までのデータで座席を作っていると早晩、現実と合わなくなるだろう。

 映画館を出て、銀座スパンアートギャラリーへ。注文した吉田光彦氏の絵が届いたので引き取りに。

 ちょうどアリス幻想展開催中。参加作家は以下の通り。

東逸子/谷川晃一/上田風子/土井典/宇野亜喜良/トレヴァー・ブラウン/大友ヨーコ/勝本みつる/中村宏/金子國義/鳩山郁子/北見隆/ヒロタサトミ/桑原弘明/丸尾末広/酒井駒子/森口裕二/沢渡朔/山本タカト/千之ナイフ/吉田光彦/高橋竜男/四谷シモン/建石修志/和田誠

 どれもがノドから手が出るくらいほしい作品。しかしほとんどが売約済み。宇野さん、山本タカト氏、金子國義氏の作品には特に魅かれる。数万から百万単位の値段。とても手が出る値段じゃない。

 1830、店員が梱包に手間取ってしまい、時計を見るともう時間ギリギリ。出直すことにして、アリスのウサギのごとく駅に急行。

 1910、神楽坂。シアターイワトで黒テント「上海ブギウギ1945」(山元清多=脚本・演出)。

 ハッター先生こと服部良一の上海滞在記をもとに敗戦間近の魔都・上海を舞台にした服部良一メロディー音楽劇。
 観客席をナイトクラブの客席に見立て、役者とバンドマンたちはフロアで演じ、演奏する。
 音楽監督並びに演奏、演技は服部吉次(良次から改名)。良一の二男だ。
 軍人、スパイ、フィクサー、国民党、共産党が入り乱れる上海の魑魅魍魎。カーテンコールの「夜香来」に陶然。


 斎藤晴彦、桐谷夏子、小篠一成ら創立メンバーも健在。演劇センター68/71からオンシアター自由劇場に行った稲葉良子もその素晴らしい歌声を聴かせる。思えば創立40年。二十歳前後の役者ももう還暦。久しぶりに服部、小篠を見たので、その落差にびっくり。見慣れているなら感じないかもしれないが、二人とも年をとった……。もっとも、自分も周りにそう思われているのだろうが……。

 休憩15分を挟み3時間。終演は2230。歌と演奏が主体だから、最後まで飽きることもなく、楽しい時間を過ごすことができたが、3時間の芝居なら7時に始めてほしい。

 劇中で演じられるアメリカ向け謀略放送。その中にこんなCMがあった。
「殺虫、防虫剤はインピレス!」

 えっ! あれはやはり「インピレス」だったのだ。1950年代に家で使っていた殺虫剤。祖母が噴霧していた殺虫剤を確か「インピレス」と呼んでいた。フマキラーが浸透する前のこと。我が家では「インピレス」を使っていたのだ。ネットで調べると、関西の製造会社の製品とか。1931年創業。いまでも、ホウ酸団子に「インピレス」の商標を使っているようだ。


 「自分の記憶違いか」と何十年も胸につかえていた「インピレス」の謎が氷解する。この頃、何十年かぶりで当時の謎が解明されることがいくつかある。過去との遭遇……。

12月10日(月)晴れ

 1700帰宅。BSで連続放送中の三船敏郎特集。映画「戦国無頼」を見る。稲垣浩監督で、井上靖の原作。黒澤明が脚本協力。1952年、これぞ時代劇の醍醐味ともいうべきスケールの大きな作品。


 天正元年、織田信長の大軍に包囲され、浅井長政の小谷城が陥落。その家臣・佐々疾風之介(三船敏郎)、立花十郎太(三國連太郎)、鏡弥平次(市川段四郎)の3人の武士は辛くも落ち延びるが、彼らにはそれぞれ糸で結ばれた奇妙な運命が待っていた……。

 三船敏郎もいいが、容貌魁偉のため、女人を遠ざけようとしながら、その実、女人渇仰に揺れる市川段四郎が実にいい。野性味あふれる盗賊の首領の娘役で山口淑子。この頃は可憐だった……。



 自分のための覚書:故郷の町。小学校に行く道の途中に「たちさか」と呼ばれる急斜面の坂がある。今は切り崩され、比較的勾配が緩やかだが、40年以上前はかなりの急勾配(50度以上?)。坂が立っているので「たちさか(立ち坂)」だとずっと思ってきたが、中世には居城(舘)があった場所。今でも「舘の上」の番地が残っている。ふと、「たちさか」は「舘坂」なのでは?との思いつく。
 舘は「たち」とも読む。舘に通じる坂だから「舘坂」。それなら理屈に合う。
 仮説だが、ありうること。

 同じく、蛇浦道(釜谷道)の「あかさか」も「赤坂」ではなく「閼伽坂」だったとしたらどうか。修験道師・金剛院正信の墓がある。神に供える川の水(閼伽)を供えるために登ってきた坂。「閼伽」坂。……これはちょっと無理がありそう。やはり、岩盤の色が赤いことことから「赤坂」となったのだろう。……などと、歴史の推理をするのは面白い。

 
12月9日(日)晴れ

 0700起床。0900〜1200、躰道稽古。創始者・祝嶺正献氏の誕生日。
 自分も「後輩」に指導する立場に。人に稽古をつけるということは自分の欠点を再発見することでもある。M本さんに「活命の法形」のさわりを指導。

1300、帰宅。YOU TUBEでレノンの「ハッピークリスマス」を聴きながら、涙。誰が作成した映像かしらないが、戦場と、それに巻き込まれた子供たちのコラージュ。最後に「目には目を」が全世界を盲目にする、というガンジーの言葉が映し出される。ガンジーの預言にも関わらず、9・11後の憎悪の連鎖は今も続く。

 1500、家族で華屋与平衛に行き、食事。

12月8日(土)晴れ

 0630出社、

 福島のN本さんから電話。週末の土曜日にFM放送でお勧め芝居の第三回目とのこと。喜んで。

午後、躰道の会報を点検。1700退社。

1800、銀座。ル テアトル銀座で「ライト・イン・ザ・ピアッツァ」。

 1953年、夏。イタリアはフィレンツェを休暇で旅しているアメリカ人のマーガレットとその娘クララ。最初に訪れた広場(ピアッツァ)で突然の風に飛ばさ れたクララの帽子を拾ったのは、地元の青年ファブリツィオだった。運命に導かれるように出会った男女が恋に落ちるのに、そう時間はかからなかった。激しく も純粋に愛し合う二人だったが、英語とイタリア語の言葉の壁、双方の家族の思いなど、いくつもの障害が立ちはだかる。そして誰よりも娘の幸せを願っている はずのマーガレットこそが、なぜか執拗なまでに二人の仲を引き裂こうとする。そこには、娘が抱える、ある秘密をひた隠しにする母の複雑な愛情が秘められて いるのだった――。(HPより)

  テアトル銀座で初めて後方の席に座ったが、舞台の俳優の表情がほとんど見えず。新妻聖子の可憐な容姿も遠目では……。隣りの男が上演中もずっとメモを取ってるので気が散ってしょうがない。どこの記者かライターか。これ見よがしにメモを取り続けるとは初心者マーク? 

 舞台の中央にオーケストラピットがあるという変則なセット。役者が落ちないかハラハラ。

 「テイクフライト」と比べられるのは不本意かもしれないが、こちらは「歌える人が歌のパートを持っている」というごく当たり前のキャスティング。母親役の島田歌穂、娘の新妻聖子、そしてシルビア・グラブ、寿ひずる、鈴木綜馬、小西遼……文句のつけようのない配役。

 中でも難しい曲を歌いこなしたシルビア・グラブはさすが。ほかの人なら調子外れに聴こえるような難解な歌。
 ただ、物語の根底となる「障害を持った女性」という設定がどうにもしっくりこない。幼児期にポニーに蹴られて、そのため12歳から「少女のまま心が成長しない」という娘。彼女を気遣い、「結婚」の文字から娘を遠ざけてきた両親。そのことを知らず、婚約の同意書にサインする娘の筆跡を見た相手の父の驚きよう、リアクション。
 時に、精神の幼さを表出する新妻聖子の演技。時代は1953年。その時代では確かに心に障害を持つ娘との恋愛は難しかっただろうが……。
 05年トニー賞6部門受賞作ではあるが、親娘の秘密……と、最後まで引っ張ったわりには「なんで?」と。

 似てると思ったが、やはり恋人の父親役は久保酎吉。ずっと小劇場畑だったから、このような商業ミュージカルで久保を見るとなんだか不思議な気分。

 2020終演。る・ひまわりの吉田さんと少し立話。


12月7日(金)晴れ

 父の夢。田舎に行って父を東京に連れてこようとしている。電話……取り外してあるのでつながらないと思ったがなぜか通じる。荷物もあるからクルマで行くことに。上機嫌な父。「今、飲んでるから」と。お酒は飲んでも酔った姿は一度も見たことがない。その父が口調もすべらかに一杯気分。「ああ、救われた」と夢の中で思っている。寒くなると脳に刺激が与えられるのかこのところはっきりとした夢ばかり見ている。

 1600、秋葉原「癒処」でマッサージ。ベテランらしいが、時々手抜き。こんな人に当たると、お金を損した気分になる。

1800帰宅。ひろさちや+辰己ヨシヒロ「修験道のはなし」(すずき出版)が届く。

 「怨念の将門」半分まで読みすすめる。各地に伝わる将門伝説の地を訪ね歩き、その地に伝わる将門にまつわる言い伝えをまとめたもの。将門と直接関係のない関東以北の地にある将門伝説は羽黒山系の修験者が広めたものだろう、と著者。将門の信仰した妙見菩薩は北斗七星。将門の7人の影武者もその「7」の数字からきている。房総の一地方では、将門を信奉する村と、将門を呪詛した成田山を信奉する村は今でも仲違いし、両地域では恋愛、婚姻もないのだとか。20年前に書かれた本だから、まさか今はそんなこともないだろうが……。

12月6日(木)晴れ

 1600、池袋。シネリーブルで映画「自虐の詩」。

 終演後、地下鉄、JRを乗り継ぎ、両国へ。1900、シアターXで劇団1980「行路死亡人考」。 受付で石川さんに挨拶。
 食事する時間がなかったので、トイレの脇のソファでパンと牛乳。慌しい。


 モルドバ共和国の演出家、ペトル・ブトカレウが演出。冒頭に登場する提灯行列の美術など、いかにも「ジャパネスク」な演出に、やはり外国人には日本の土着に根ざした戯曲の演出は無理があるのか……と思ったが、舞台が進むにつれ、そんな不安は吹き飛ぶ。

 奥箱根の河原で、ひとりの老人がガソリンをかぶって焼身自殺する。30年前に家族を捨てて蒸発した男だった。遺留品のノートにつづられた途切れ途切れの文字。その文字をたよりに、息子がたどる男の人生。そして、「生きるに値しない」、度し難い日本の現実……。

 キャバレー勤めの女二人の部屋に転がり込んでいた父、行き倒れになった出稼ぎ労働者の死を看取った父、そして、自らの肉体をカネに変える保険金目当ての精神病棟患者たちの地獄を見つめていた父……。

 社会の底辺をはいずってきた父が見た救いようのないニッポン。それを幻視する息子。人間がモノとして扱われ、その命さえもカネに換算される資本・拝金主義にどっぷりと首までつかったニッポン経済大国の闇と光。
「もはやこの国は生きるに値しない」という老人の痛切な遺書が胸に響く。

 両開きの障子を多用した演出も効果的。3時間弱の上演時間も長くは感じない。戯曲を読み込み、その主題を丹念に描くペトル・ブトカレウの手腕はさすが。1日2ドル以下で暮らす人が国民の6割弱を占めるという欧州最貧国のモルドヴァ。しかし、国民には誇りがある。精神の気高さ・豊かさがあるという。
 飽食・拝金・物質至上主義の地獄でのた打ち回る日本と日本人の精神の貧困が、モルドヴァの演出家によってはしなくも露わにされたといえる。

 役者はみな達者だが、看護婦ほかを演じた山田ひとみに注目。劇団カラーとは一味違う「華」がある。
 カーテンコールは例によって柴田さんの独演。場内から「柴田!」の声。もしかして金守珍?
帰りに梁山泊の三浦伸子さんの姿を見るも、睡眠時間確保のため、急いで家路に。
2130終演。

12月5日(水)晴れ

 インフルエンザの予防接種のために病院へ。たっぷり2時間待ち。帰宅して理髪店へ。ここでも2時間。 帰宅時には夕闇が……。
 貴重な休みが雑事で費えてしまう。

 今日、届いた本。「千年の修験 羽黒山伏の世界」(05年=新宿書房)、宮家準「役行者と修験道の歴史」(吉川弘文館)、神山弘著「怨念の将門」(エンタプライズ)。
12月4日(火)晴れ

 オークションで落札した漫画専門誌「ぱふ」の「清原なつの」特集(83年)が届いたので通勤電車の中でパラパラと。

 次いで、アマゾンで注文の宮家準著「修験道」(01年=講談社学術文庫)、片山正和著「出羽三山 山伏の世界」(85年=新人物往来社)が到着。後者は朝日新聞記者・片山氏の入峰ルポ。羽黒山の二派あるうちの仏教系の修験本宗本山荒沢寺の入峰に同道したもの。明治政府の神仏分離策によって、山伏の組織も神社派と仏教派に分裂した。その遺恨は今も残っている。

 明治新政府の神道国教化政策の下で行われた廃仏毀釈運動はタリバンによるバーミヤンの石仏破壊と同じ。為政者の考えることは古今東西変わらないようだ。

 お昼過ぎにA川マキさんから電話。物憂げな電話口の声。大晦日ライブのことをひとしきり。長年のパートナー、S田さんが亡くなったことがマキさんの心境にも大きな影を落としているようだ。ずっとサポートしてきたピアノのS谷毅さんが今年から「降板」する。マキさんのよき理解者であり、リスペクターだったS谷さん。理由は聞いたが……。いつものように六本木の「貴奈」で、と思ったが、「舞台ではメイクでごまかせるけど、S田さんが亡くなったせいもあるのか、外で〇〇さんと会えるような状態じゃないから……」 と。約30分の電話。今年がターニングポイントになるのかもしれない。

1300、寝不足続きで、頭がフラフラ。仮眠室で2時間睡眠。

1600、原宿・I病院へ薬をもらいに。2時間、待合室で順番を待つ間に、「出羽三山・山伏の世界」ほぼ読了。
1800、青山通りにおいしそうなシチューうどんの店「千吉」があったのでそこで食事。実に美味。

1830、青山円形劇場で「ア・ラ・カルト」。受付後方に元遊◎機械の馬場さんとI井久美子さんが待機。にこにこ笑顔。陰山泰のマネジメントを光三オフィスがやることになったとか。馬場さんも古巣の俳優を再びマネジメントすることに。よかったよかった。円形劇場のO島尚子さんとも長い付き合い。1月は中西俊博さん、3月はROLLYの制作とか。

 さて19年目の「ア・ラ・カルト」。ゲストは筒井道隆。茫洋とした雰囲気は地なのか、白井晃、高泉淳子、陰山泰の3人の中に入っても違和感なく溶け込んでしまう。イケてるOL、もじゃもじゃ頭の高橋と典子さん、ギター弾きの古賀、老婆……と、いつもの高泉淳子の七変化。今年は少女・葉月と、離婚した父の会話はなく、その代わり、元夫婦に贈る葉月のプレゼントにほのぼの。封印されたグリム童話「アイゼンヒュッテル王」を持ち出したのは、「ティンゲル・グリム」の流れか。

 陰山泰のカルロス、白井のペギー富岡も健在。ここ数年、急に増えた花束渡しで、今年は控えの3人が花束係。客席には筒井道隆に手渡したい女性客もいて、それを牽制して客席を沸かせる白井。

 今回は筒井と高泉の長すぎたカップルのお話がメイン。蕎麦屋とお酒のCMプランナーのやり取りが笑いと共感を誘う。筒井は一曲「フライミー・トゥ・ザ・ムーン」を日本語詞で歌うシーンも。おせじにもうまいとはいえないが、聴いてるうちにふんわりと心があたたかくなる。人柄の良さが伝わってくる歌い方。

 フリートークでも、高泉の「筒井康隆さんの息子さんと間違われませんか」に茫洋と応対。高泉さんは、筒井康隆が、デビュー下頃の筒井道隆に、「オレの名前を利用してる役者がいる」と激怒した事件を知らないのだろうか。道隆にとってはあまり気分のいい話題ではないだろうけど、自然体で答える道隆に好感。この役者は本当に朴訥な人なんだろうな。

 休憩時間のワインサービスは今年から有料に。キリンのワイン部門がメルシャンに統合されたとかで、劇中のコマーシャルも「メルシャン」を連呼。

 2145終演。3時間15分。
 青山通りはクリスマスイルミネーション。
12月3日(月)晴れ

 1600、仕事を終えて浅草へ。映画館街でやってる三本立て映画の一本でも見ようかと思ったが、時間が合わないので断念。その分、浅草寺界隈をゆったりと散策。修験道に凝ってるせいか、境内にある中世に建てられたという板碑などについつい見入ってしまう。

 商店街の中高年向け洋品店のディスプレーを見ると、つい「これは母が好きそうな洋服だな」「連れてきて見せたら喜ぶだろうな」と思ってしまう。聞きかじりのうんちくを父と語りあうのも面白い……などと思っている。詮無いことなのに……。

 浅草に父と母を案内したことはあっただろうかと記憶をたどる。あったとしても一度くらいしかなかったか。何度でも連れてきてあげたかった。

 「かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて誰を探しにくる村祭り」(寺山修司)

 幽明境を異にした父と母。自分は生きている限り、いつまでも鬼のまま。かくれんぼの呪縛を解く事はできないのだろう。


 そんなことを考えていたら、普段はめったにしないことなのに、線香(100円)を買って香炉にくべる。本堂の参拝では蝋燭を2本買い、燭台に手向ける。若い頃は宗教的儀礼を軽侮したものだが……。

 隣りの子連れの若い女性は居並ぶ菩薩像に向ってポンポンとかしわ手を打っている。そういえば、子供の頃、親戚の伯父さんが正月に年始参りに来たとき仏壇の前で大きくかしわ手を打って周囲に笑われたことがあった。ま、神仏習合時代が長かったから、日本人にとっては神も仏も同じ。目くじらを立てるのも大人気ないか。

 仲見世で精密な犬のキーホルダーを見つけたので子供のお土産に1個買う。850円。

1730、浅草公会堂で沢竜二の恒例「全国座長大会」。今年は1日だけの公演。年々観客も少なくなり、2日公演では会場費がかさむのか。

 昼1時公演、そして夜の回。1階席は3分の2の入り。ほとんどが50〜60代の女性。贔屓の役者目当てだろう。連れ立って見に来ているグループも。

 全国ドサ回り座長の顔ぶれは以下の通り。

 南条隆、橘菊太郎、三咲てつや、南條龍法、三河家桃太郎、沢錦四郎、南條光貴、三波みどり、橘大五郎、伊達隆義、小林直行、梅沢菊太郎、木内竜喜、夏樹、春樹、橘良二、若奈鈴乃助、若葉しげる、岡本茉利、丹下セツ子、松浪加熾。

 まずは「舞ショー」でスタート。それぞれの座長が歌謡・演歌で得意の舞踊を。いわゆるドサ芝居独特の髪型と決めのポーズ。流れるような舞いは武道の身のこなしと同じ。馴染みのおばさんファンが座長の胸元に万札を差し込む光景も、不況を反映してか、キャッシュよりも商品券が目立つ。
 夏樹・春樹兄弟の艶っぽさときたら、もう……。そのケはないのに、思わずときめいてしまうほど。おばさん連中が血道をあげるのもわかる。

 続いて芝居「平手と座頭の市」。沢が数十年前、初対面で大喧嘩したものの、すぐに意気投合し、亡くなるまで親交のあったという勝新太郎へのオマージュ。
 時は天保。代官に妻と兄弟を殺され、自分も目を切られて失明した市太郎。生まれたばかりの赤ん坊も、後顧の憂いなく、殺されようとするが、心優しい子分の手で保護され生き延びる。月日が流れ、風の噂に我が子が生きていることを聞き、貧しい長屋にやってくる。そこには胸を患った育ての親と、可愛い盛りの子供の姿が……。

 もう一つの物語、平手造酒を加えての大立ち回りにやんやの喝采。義理と人情のドサ芝居ここにあり。
 67歳の沢竜二、さすがに激しい立ち回りはできないが、そこは大ベテランの風格で圧倒。稽古も口立てでほとんど本番勝負だろうが、さすがに全国座長たち、息もぴったり。
 第二部は再び歌謡ショー。美空ひばりの歌にのせて舞い踊る座長たち。

菊太郎
 人気のバロメーター、万札攻勢はここで本領発揮。橘菊太郎が登場すると、10人以上も舞台下に控えてプレゼント攻勢。ほとんどが現金。それも万札10枚を翼に広げたものが次々と着物の衿に。その光景に客席からどよめき。この不況の世の中、万札の扇ができるなんて。見ていると、万札の扇をプレゼントするのは同じ人たち。1人に限らず、別の役者にも贈ってる。すごい財力。たった3分で百万円ものご祝儀が出るのだから人気役者はやめられない。
 5時半から始まってほとんど休憩もなく3時間半。フィナーレは2100。帰りに沢さんに挨拶。来年もオン・ブロードウェイ、コクーン公演などスケジュールがびっしりとか。

 早く帰るつもりが、結局2200。
12月2日(日)晴れ 1000、躰道稽古へ。今日は審査のため、終わり次第稽古。早く終わると思ったが、時間が延びて……。結局30分しか稽古ができず。

1300帰宅。家族で外食。
 帰宅後、映画「蜘蛛巣城」を見る。中村哮夫さんが矢を射ったというのは助監督としてか?

 和歌森太郎「山伏」、抜群の面白さで通読。村山修一「山伏の歴史」を並行して読みつつ、書棚の小松和彦「日本の呪い」に手を伸ばす。小松本も村山、和歌森の著書が参考文献だった。
 しかし、思いがけないマイブーム「山伏 修験道」。これから正月にかけて古書三昧か。
12月1日(土)晴れ

 0630出社。
1400、博品館劇場で「ねえ、夜は誰のためにあるの?」(作=マイケル・ウェラー、演出=竹邑類)。

 結婚して子供のいる女性、リンディー(絵麻緒ゆう)が昔の恋人、アダム(水谷あつし)をホテルの自分の部屋に食事に招く。アダムにも家族がいる。誤解から別れた2人の10年ぶりに再会は、再び熱い情熱を呼び覚ます。同時に、2人の日常生活という壁も立ちふさがる。何度かの逢瀬。そして……。

 いわゆる不倫の愛をコミカルに描く二人芝居……と思ったが、単なるライトコメディーではなく、結構ハード。笑いでごまかせる男女の不倫物語ではなく、人生そのものを描こうとしたのマイケル・ウェラーの脚本が素晴らしい。絵麻緒ゆうが実に魅力的。水谷あつしもスマートな芝居で好感。
 きわどいセリフ、セクシャルなシーン。2人の精神的な葛藤、人生の機微。人と人の出会い、結婚、そして愛とはなんぞや……。
 
 休憩15分挟み2時間15分。

 1830、信濃町。文学座アトリエで森本薫の2作品「かどで」(演出=森さゆ里)「華々しき一族」(演出=戌井市郎)。

「かどで」は50分ほどの短編。「華々しき−−」は約2時間。 杉村春子の当たり役だった諏訪役を稲野和子が演じる。

 老映画監督と新進舞踊家の諏訪。夫婦には、それぞれ連れ子がいる。欝気味の長男と活発な次女、しとやかな長女。また将来を嘱望されている映画監督・須貝もこの家に同居している。いずれ、須貝に、姉妹のどちらかを嫁がせようというのが両親の思惑。しかし、それぞれに思う相手が錯綜する。その愛情関係のもつれが家族の心理に大きな変化をもたらしていく。

 森本薫が25歳で書いたこの脚本の完成度ときたら……。次第に高まっていく家族間の心理劇は今見ても実に新鮮。これまでどんな風に演出されてきたか知らないが、戌井演出のそこはかとないユーモアがいい。
 役者では須貝役の押切英希が抜群の演技力。声よしマスクよし体全体から漂う野性味と色香がいい。大好きな原田芳雄系統。

2140終演。

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