| 1月31日(木)晴れ 定年退職するKさんの送別会。本人の希望で大げさな送別パーティーはやめて、居酒屋の二階で30人余りのささやかな会。しかし、実にいい会になった。瞬間湯沸かし器といわれるほどすぐに大声で相手を罵倒するKさんだったが、決して尾を引かなかったのは人柄のせい。直属の部下である女性二人の涙ながらの送別の辞がKさんのそれを物語る。本当ならば会社に残って後進の指導にあたってほしい人だが、残ってほしい人に限って潔い辞め方をする。全共闘世代がまた一人社を去る。残念。 1930終了。 2015、赤坂へ。制作・宣伝会社「H」の林さん主催のワインパーティー。一昨年参加して2度目。三越で買ったチーズの詰め合わせを持参。 デスクを取っ払って立食にした会場には40人余りの「業界人」。M紙のTさん、俳優のN川晃教さんらも。今年はライブ中心で舞台はお休みというN川さん、「最近ずっと出ずっぱりだったので、舞台が休めるのは実はとっても嬉しいんです」と笑顔。カメラマンよろしくサーバーショットで会場内をパチリ。月刊誌でフォトエッセイを連載してるのだとか。 その月刊誌「TOP STAGE」の編集者氏と立話。ジャニーズ、宝塚をメインにしたコンセプトが当たり、かなりの部数が出ているとのこと。舞台もジャニーズに席巻され……。 2230、宴もたけなわだが、T橋さんと一緒にお先に失礼して家路に。 1月30日(水)晴れ 13回目の母の命日。いまも記憶の一部を封印している。いつになったらすべてを受け入れることができるのか。時計は止まったまま。 相模原の米軍総合補給廠で、米兵が通りかかった自転車の主婦に銃口を向けたと夕刊が報道。フェンス越しとはいえ、銃口を向けられた恐怖はいかばかりか。 ペンタゴン前の「フラワー・パワー」の写真から41年後の日本の現実。 「フラワー・パワー」がピュリッツア賞の次点だった1967年に受賞したのがジャック・Rソーネル(AP通信)が撮った、ジェイムズ・メレディス銃撃直後の写真。 時を遡り、1962年、メレディスは当時28歳。米空軍に所属し、日本の立川基地で3年間勤務していたこともある。ミシシッピ大学に黒人として初めて入学したが、ミシシッピ州の州知事はじめ、法曹、政界、経済界は黒人の入学を阻止するべく連邦政府と対決する。しかし、J・F・ケネディ大統領、ロバート・ケネディ司法長官は、「教育機関の人種差別は違憲である」という最高裁判決を後押しし、ミシシッピ州知事に罰金通告。メレディス入学を要請する。しかし、南部諸州から集まったKKKやレッドネックと呼ばれる下層労働者はショットガンやライフルで武装し、ミシシッピ大学に集結する。5000人もの群集が大学を取り囲み、120人余の連邦執行官と対峙。暴動は軍隊の導入で深夜に終結。死者3人、重軽傷者227人という混乱の中で、一人の黒人が大学構内に入ることを許される。 南部諸州の州知事は連邦政府のことを歯牙にもかけず、ましてやケネディ大統領に対しては「コミュニスト」、「nigger lover」と侮辱した。ケネディ暗殺は時間の問題だったのだ。 黒人一人が入学することで、州知事らが南北戦争の復讐を誓うというアナクロ。いかに黒人差別が激しく根深かかったという証拠。 そのメレディスが1966年に決行したのが「恐怖への行進」。仲間4人とともに、メンフィスからミシシッピ州ジャクスンまでの約220マイル(約354`)を行進しようというもの。 アフリカ探検隊の帽子にアフリカ土産の杖という姿で行進を始めたメレディスは行進を開始して2日目、ミシシッピの州境から16マイルのHernandoという町にさしかかった時、待ち伏せしていた白人の散弾銃の標的となる。発射された3発は鹿撃ち用散弾。すぐにメンフィスの病院に担ぎ込まれ一命を取り留める。この直後に撮られた写真がピュリッツア賞受賞作だ。 この後、「恐怖への行進」は続けられ、参加した黒人たちは200人以上にも膨れ上がり、行進ルート周辺の黒人住民に選挙権登録を呼びかけ、選挙権登録者を増やしていく。 グレナダ南西部のグリーンウッドでは警察と町当局がグルになり、行進参加者を逮捕。保釈で出て来た黒人公民権運動活動家、Stokely Carmichaelは600人以上の聴衆にこう演説する。 「オレが逮捕されたのはこれで27回目だ。もう留置場に行く気はない。もう留置場には行かないぞ!」 そして、"We want black power!"と5回叫ぶ。 「今後、何が欲しいんだと聞かれたら、どう答えるか分ってるだろう?何が欲しい?」 聴衆は"Black power!"と応じ、これが何度も何度も繰り返されたという。 この日の出来事がマスコミによって全米に伝播し、「ブラックパワー」は黒人の合言葉となる。そして、「ブラックパンサー」などの過激な武装集団を生むきっかけとなる。 たった一人の黒人の入学を拒んだ人種差別主義者たちは、そのことにより、すべての黒人の反撃を食らうことになる。 その主人公の1人、メレディスの銃撃写真がピュリッツア賞に輝いたとしても不思議ではない。 1月29日(火)曇り時々雨 1800、下北沢。ヴィレッジヴァンガードで「火の鳥 公式ガイドブック」(ナツメ社 1500円)。ありそうでなかった本。単行本未収録の「火の鳥 休憩」の再録がうれしい。 自然食の店で玄米モチ入り鍋焼きうどん。高取さんにメールすると、大学は春休み。今日は阿佐ヶ谷のロフトAで平岡正明氏らとトークライブがあるとのこと。 1900、楽園であさひ座旗揚げ公演「しあわせな日々」。ベケットの不条理劇を岡田照男が演出。出演は水野ゆふと内田龍磨。 1961年ニューヨーク初演。 炎天下の荒野のまんなか、土まんじゅうのてっぺんに、中年女性ウイニーが一幕では腰まで、二幕では首まで埋まっている。けたましい目覚まし時計の音で起こされたウイニーは、一幕では鞄から愛着の品をとりだして身だしなみを整えたり、思い出にふけったりする。土まんじゅうのすそから這いでてきた夫ウイリーが背を向けて新聞を読んでいると、ウイニーは彼にときどき話しかける。 二幕のウイニーは喋ることしかできない。やがて土に埋もれていく不安におびえながら、ときどき夫に声をかけるが返事がない。ようやく四つん這いのウイリーが姿を現すと、ウイニーは喜び歌う。しかし、ウイリーが伸ばした手の先の地面にはウイニーが大事にしている拳銃がある。堀真理子著「ベケット巡礼」より 休憩なしで1幕2幕を通し。1時間30分。ほとんどしゃべりっぱなしの水野。一人舞台といってもいい。土の中に埋まっているため動きもほとんどなく、セリフだけの芝居。観客も集中力勝負。 次第に体が土の下に引き込まれていく主人公の姿は何の寓意か。見る人それぞれの価値観と人生観によって異なるのだろうが。今ならさしずめグローバリズムに絡めとられた人々か。 2035終演。 2130、阿佐ヶ谷へ。初めてのロフトA。 「ジャズ、歌謡曲、映画、演劇、政治、革命……?を語ろう」と題したトークイベント。すでに7時からスタートしている。 壇上では平岡正明、高取英、味岡修(戦旗派・三上治)が鼎談。しかし、高取氏はほとんど発言せず、もっぱら平岡、味岡の隘路に陥ったような議論がじくじくと展開するだけ。まったくといっていいほど盛り上がらない。観客もわずか十数人。 そのうち面白くなるだろうと思っていたら、そのまま最後まで。若松孝二監督の新作「実録連合赤軍」に関しても、平岡氏は終始、金嬉老を引き合いに出して論を進めるのみ。客席から「いっそ、連合赤軍事件を美化し、肯定した映画を作った方が今の若者へのアジテーションになるし、待望されているのでは」という挑発にも、論点がかみ合わず。味岡氏もモゴモゴ……。 「左翼」の政治論への隘路に辟易。どうして今の若者たちが左翼ではなく右翼に流れ込むのかがわかる。 タコツボ左翼に魅力を感じるはずがない。 せめて竹中労でも健在なれば……。 わが三大アジテーターは羽仁五郎、鈴木武樹、竹中労。別格で寺山修司。大衆の心をグイとつかみ、直接行動に訴える。ぐちぐち紙の上で言ってもしょうがない。「突っ込め!」ーー背中を押す強烈な言葉があればいい。 頭の回転の速さと切り返しの鋭さでは松田政男さん。 羽仁、鈴木、竹中、寺山が不在で、それに代わるカリスマがいないというのが今の若者の不幸だ。右翼言辞は垂れ流すだけで誰でもカリスマになれるが、左翼はそうはいかない。 2230、尻切れトンボのまま終了。高取さんに橋本克彦、末井昭、平岡さんらを紹介される。錚々たるメンツなのに……。 小雨。なんとか日付が変わる前に自宅に滑り込みセーフ。 ![]() ウニ氏のブログ「壊れる前に……」で、写真家バーニー・ボストン さんの死を知る。この写真は、1967年10月22日、米国防省(ペンタゴン)前で行われた反戦集会でのワンシーン。自分に突きつけられた憲兵隊の銃口にカーネーションの花を挿しているデモ隊の青年の姿を撮ったもの。”Flower Power” と題された写真はその年のピュリッツア賞の次点になった。花を挿しているのはニューヨークから来たジョージ・ハリスという18歳の俳優の卵。彼は80年代の初めにエイズで亡くなったという。 1960年代、アメリカ国内では公民権運動に端を発した反体制・反戦運動が盛んになる。1967年にはサンフランシスコのゴールデンゲイトパークに3万人にも及ぶ若者が集まった。彼らはアレン・ギンズバーグの朗読に耳を傾け、ジャニス・ジョプリンやグレイトフル・デッドの音楽を聞きながらドラッグの幻想に酔った。「愛と自由と平和」。花で身を飾ったヒッピーたちは「フラワー・チルドレン」と呼ばれた。この年、ママス&パパスのジョン・フィリップスが作り、スコット・マッケンジーが歌った「花のサンフランシスコ」が日本でも大ヒットした。原題は「San Francisco (Be Sure To Wear Some Flowers In Your Hair)」「サンフランシスコに行くのなら、髪に花を挿して行くといい」 If you're going to San Francisco Be sure to wear some flowers in your hair If you're going to San Francisco You're gonna meet some gentle people there For those who come to San Francisco Summertime will be a love-in there In the streets of San Francisco Gentle people with flowers in their hair All across the nation such a strange vibration People in motion There's a whole generation with a new explanation People in motion people in motion For those who come to San Francisco Be sure to wear some flowers in your hair If you come to San Francisco Summertime will be a love-in there If you come to San Francisco Summertime will be a love-in there 1967年はフラワームーブメントの始まりといわれる。「武器ではなく花を」。心優しいヒッピーたちによるベトナム戦争への反対意志表示。 ペンタゴン前のこの写真はその象徴といえる。 喜納昌吉が80年にヒットさせた「花」はフラワームーブメントの再生といえるだろう。 たった1枚の写真が世界を変えることもある。ベトナム反戦は世界に飛び火し、アメリカは敗北する。 写真の中の若者も、それを撮ったカメラマンもこの世からは消えた。しかし、写真はいつまでも人々の記憶に残る。銃ではなく花を。地雷ではなく花を。 1月28日(月)晴れ 1600、浅草に寄って名画座で深作欣二監督「恐喝こそわが人生」。何十年ぶりか。 「チンピラにはチンピラのやり方がある。相手が誰であろうと、きっちりオトシマエをつけようじゃないか」 キャバレーのボーイからはい上がった一匹狼の恐喝屋が、仲間の死をきっかけに、政財界を揺るがすスキャンダルに斬り込んで行くが……。 松方弘樹、室田日出男、ジョー山中、佐藤友美。ギラギラした若者たちのアナーキーなエネルギーの奔出。藤原審爾の原作を深作欣二らしい切り口で活写する。運河に浮かぶドブネズミが示唆する無残な青春の死。 「場末の映画館」らしく、時々足元を大きなネズミが何匹も横切る。観客は二十数人。奇声を発する老人、ぶつぶつ大きな声で独り言を言うホームレス風。絵に描いたようなオタク青年、なぜか掃き溜めに鶴のような美形が一人……スクリーンの中の猥雑さが逆照射されるように、映画館もかなり猥雑でアナーキー。 ただ、古いフィルムのため、切れたところを張り合わせての上映だろう。コマ落としのような個所が何度も。興がそがれる。 三本立ての1本だけで家路に。 夜、8ミリビデオのダビングをしていたら、93年の「題名のない音楽会」が出てくる。寺山修司と小泉文夫特集だ。こんなビデオがあったのをすっかり忘れていた。 亡くなる2年前に出演した際の寺山修司の姿。「打ち合わせではかなり疲労し、具合が悪い様子だったのに、本番では見違えるように生き生きとしていた」と黛氏。天井桟敷館でのワークショップの模様も。みんな若い。 「一種の天才であり、奇をてらった前衛などではないホンモノの前衛でした」と司会の黛敏郎。保守派の巨頭だったインテリ右翼・黛敏郎。寺山修司の才能は左右を分かたず、誰からも認められ、愛された。黛もこの放送の4年後に鬼籍に入ったのだった。 1月27日(日)晴れ 0900、躰道稽古。基本をみっちり。1200終了。その後、昼食を挟んで1300から1600までミーティング。長い! 帰宅1700。1日が終わってしまう。 1月26日(土)晴れ 1400、銀座・博品館劇場でNLT「ジゼルと粋な子供たち」(作=ランソワ・カンポ、演出=グレッグ・デール) パリの高級アパートに住むジゼル。夫を亡くし、今はジョルジュの愛人。ある日、ジョルジュは「妻と別れてジゼルと結婚する」宣言。しかし、誰も知らないはずの愛の巣に、妻、娘、息子、果ては義母までが次々とやってくる。そして、みんながジゼルの魅力の虜になっていく……。 ブールバール劇40年のNLT。賀原夏子が亡くなって17年だが、その精神は川端槇二、木村有里によってしっかりと受け継がれ、根付いている。日本人が海外の喜劇を演じる「肉体」を体現する二人。違和感のない翻訳コメディーはさすが。客演の一色彩子がまた素晴らしい。昔、流山児★事務所の「マクベス」などに出演したこともあったが、年齢を重ね、魅力がさらにアップ。愛人だけでなく、その家族をも虜にしてしまうおおらかさと美貌を兼ね備えた役を自然に演じている。 フランスでは60年の初演で、日本は今回が初演。48年前の戯曲だが、まったく古びていない。テンポのよさ、会話の妙、演出も適切。昨年亡くなった和田誠一氏の翻訳も品があって実にいい。この手の物語はともすれば品性を欠落した会話劇になりかねない。しかし、和田氏の翻訳がありがちなセクシャル単語を避けているのは好感が持てる。娘が初体験したことを「男の人とおつきあいしちゃった」と訳していることにも現われている。近頃のストレートすぎる性的会話にはうんざりなので、こういう芝居にはホッとする。まさしく上質なコメディー。NLTの舞台で「うまい!」と思ったのは久しぶりかも。 休憩10分挟み1620まで。 連日の遅い帰宅で睡眠不足。1930からのトラムでの公演はキャンセル。 帰り道、浅草に寄って初めて演芸ホールへ。隣りの東洋館は開場を待って若いお客が何重にも列を作っている。お笑いのライブだそうで、50人近い出演者はいまどきの若手芸人。中でもスマイリーキクチなる芸人が人気なのだとか。満員で当日券も出ない東洋館に比べて、演芸ホールは1階席はほぼ満席だが2階関は余裕あり。落語、紙切り、三味線は高齢者向きか。といっても、川柳川柳の漫談のようなとっちらかった芸が受けているよう。そんな芸はテレビで十分。正統な古典落語の方がいい。1900まで。 76年頃に録音した市民集会での荒畑寒村のテープ。これは東大自主講座ではなく、どこか別な所での講演。司会者が誰だったかも記憶にない。今から30年以上前の記録。「菅野スガは決して美人じゃなかったが、一種の妖気が漂っていた」と話している。 1月25日(金)晴れ 1900、世田谷パブリックシアターでガジラ「新・雨月物語」。映画の川口松太郎脚本版を基にしたというが、鐘下辰男らしく、まつろわぬ民「土蜘蛛伝説」をベースに改変。雑兵たちの大将「月雲=土蜘蛛」役で若松武史。北村有起哉、山本亨、月影瞳、石村みか、さとうこうじ、近童弐吉、加地竜也と個性派が顔をそろえるも、顔の見えない集団劇。せっかくの顔ぶれが無個性に。この舞台構成ならあまりにももったいない役者の使い方。 2110終演。例によってカーテンコールなしの終わり方。綿貫さんに挨拶して家路に。 1月24日(木)晴れ 1600、お茶の水。K記念病院で鍼。1800、東中野。駅前で焼魚定食。 1900、レパートリーシアターKAZEで辻由美子の一人芝居「ピカソの女たち」 (作=ブライアン・マキャベラ、演出=ペトル・ヴトカレウ)。客席は北川さんはじめ劇評家多数。一般客の年齢層もかなり高い。天才画家ピカソの最初の妻となったバレリーナ、オルガ・コクロヴァの語るピカソとの生活。鬼気迫る辻の演技が圧巻。1時間10分。8時過ぎに芝居が終わるというのはめったにないこと。初日乾杯は遠慮して早めの帰宅。 山田まりやちゃん、草野徹結婚報告に祝福の嵐。こんなに手放しで周囲が祝福するカップルはめったにいない。芸能界で最も性格がいいまりやちゃんならでは。津軽衆の草野くんは果報者。 1月23日(水)雪 朝から粉雪。降るそばから地面に吸い込まれていくので積もる見込みはない。それでもなんとなく雪と聞いただけで心が躍る。 この前、掲示板で話題になったとき作った俳句。 かくれんぼ角巻の中に鬼二人 船を待つ角巻の中の薄紅 角巻で隠す涙に海かもめ 角巻の母を見上げて雪明り 角巻が包む夜空の北斗星 角巻の吐息横切る終列車 俳句なんぞ作ったことはないが結構面白い……。 最近、巷で流れる噂で、もし実現すれば今年最大のビッグニュースになるであろう「噂の真相」復刊。長い間続いた欠落感。それは「噂の真相」のようなメディアの不在だ。権威と権力を震撼させる雑誌よ再び。 午後、ソニーサービスステーションから修理が終わったHi8デッキが届けられる。2万5150円。高い修理代だが仕方ない。 さっそく、ダンボールの中の8ミリテープを引っ掻き回し、めぼしいテープからダビング。「EXテレビ」の原田良芳雄特集(90年頃?)をダビングしていたら、途中からなぜか黛敏郎の顔が。何かの解説。モーリス・ベジャールが三島由紀夫にインスパイアされて作った作品「M」の初演舞台中継だ。へぇー、こんな番組を録画していたんだ。しかもまだ見ていない。昨年11月にモーリス・ベジャールも三島のいる世界に旅立ってしまった。今となっては貴重な映像かもしれない。 次に、ラベルに「過去に旅した女」とあったので、よかった8ミリでも録画していたんだと思ってテープを回すとほかの番組が上書きされている。「ある日どこかで」と並ぶタイムトラベルものの嚆矢。過去にテレビで2、3回放送しただけで、いまでは幻の作品。ベータテープにもとってるはずだがそれが見つからない。貴重なドラマなので、「上書き」にはガッカリ。 「ある日どこかで」連想で「ある日渚で」を思い出し、オークションを見ると結構EPレコードが出回っている。70年頃のフォークソングで朝香ふみえと中島文雄のデュエットが初々しかった。 メインは女性(カッコ)は男性。 とてもきれいな海ね(きれいだね) 大きな船が通るわ いつでもいつでも そばに居てね どこへもどこへも 行かないでね(当たり前さ) とてもきれいな海ね(とってもきれいだね) 大きな船が通るわ とても可愛いと言って(可愛いよ) もっと心を込めて(とっても可愛い) とても静かな夜ね(静かだね) あんなに星が光るわ いつでもいつでも 愛してるわ どこまでもどこまでも ついて行くわ(仲良くね) とても静かな夜ね(とっても静かだね) あんなに星が光るわ あなたがとても好きよ(ありがとう) だから私を愛して(条件付き?) とても素敵な人ね(誰が) 知ってるクセにいじわる(ごめんなさい) さよならなんて言わないでね お願いだから約束してね(約束する) とても可愛い人ね(またァ) あなたの目の前の人(鏡見たら?) 「愛してる」って言って(愛してるよ) 私が嫌いなのね(愛してるったら) とても幸せなのよ(僕もだよ) 2人の幸せなのね(そうだね) あなたはあなたは私のもの 私は私は私のもの(ふん、ひどいや) とてもきれいな海ね(君の方がもっときれいだよ) え?なんて言ったの?(……知ってるくせに。いじわる) ごめんなさい 「おはなし」「今日も夢みる」と同系列の歌。高校時代、こんな絵に書いたような少女趣味の恋愛に憧れていたのだった。嗚呼。 1月22日(火)晴れ 1550、新宿。バルト9で「ナショナルトレジャー リンカーン暗殺者の日記」。フリーメーソンの始祖ともいうべきテンプル騎士団の秘宝をめぐるアドベンチャーアクション。リンカーン暗殺、秘宝、バッキンガム宮殿、ラシュモア山……といかにもアメリカ人が好きそうな設定。後半はお定まりの洞窟アドベンチャー。ディズニーが新しいアトラクションにしようと作った映画と考えればそれなりに楽しめるが、ステロタイプな展開に思わずあくびをかみ殺してしまう。 1930、中野。光座で劇団桟敷童子「泥花」。客席に梅本さん、江森さん、水谷内さんらの顔。 1950年代、炭鉱の町を舞台にした姉妹弟3人の物語。労働争議、落盤事故、石炭の没落……。孤児が夢見る泥の中に咲くという美しい花。それは死への憧憬。炭鉱町の住民の猥雑なエネルギーと、姉妹弟のナイーブな内面をリリカルに描く東憲司渾身の舞台。池下重大演じる活動家・道郎は炭鉱争議で命を落としたという東の祖父がモデルか。 2125終演。江森さん、梅本さんと駅まで道々芝居の話などを。 その後、待ち合わせした従姉の息子のH志くんと駅前の居酒屋へ。会うのは何年ぶりか。だいぶ体重を落としたらしくスマートに変身。2330まで四方山話。 いつもなら西日暮里から地下鉄経由で帰るものを、なぜか埼京線で武蔵浦和へ。ところが武蔵野線は終電が早い。久々のタクシー帰り。 1月21日(月)晴れ つつがなく一日が終わり、夕方早めに帰宅。 同級生のS子とも連絡が取れたので久々にクラス会でもやろうか……。 燃料使途の検証、明記せず 米が日本の要求拒否 「新テロ対策特別措置法に基づく海上自衛隊のインド洋での給油活動について、日本政府が要求した使途の検証の明文化を米政府が拒み、給油に関する取り決め文書である日米の交換公文に盛り込まれないことが分かった。米側は「作戦行動に影響を及ぼし、現場の負担になる。決して受け入れられない」とはねつけた。複数の日米関係筋が19日、明らかにした」(20日共同通信) お城の殿様に恐る恐る差し出した年貢米の削減願いを突っ返された代官のようなものか。米国の意のままに燃料を差し出す国のどこが「美しい国」なのか。二言目には「国家に誇りを」を叫ぶ人たちがなぜ怒らないか不思議でしょうがない。 「補給の対象になる艦船でありますが、これについては海上阻止活動にかかわる船である、そういうふうに限る、そして補給することがその海上阻止活動に資するようになる、そういうふうになるということを明確にするような交換公文を相手方政府とこれから交渉してまいりたいと、こういうふうに思っております」(1月10日の高村外務大臣の国会答弁=参議院外交防衛委員会) 「私としては、再議決され再開されたからそれでめでたしということでは全くなくて、この議論を通じて明らかになった課題に対して、我々防衛省として本当にこれを真摯に受け止め、反映をさせていかなければならないと思っております。従いまして、転用の問題も指摘をされ、私どもとして合衆国の協力も得て、あるいは他国の協力も得て、誠心誠意転用はないということをお示しをしてきたのですけれども、これから先にそれを制度的にきちんと担保しなければいけないでしょう。あるいは補給の取り違え事案というものもありました。これは省内の体制というものをきちんとしていかなければならないと思っております」(石破防衛大臣=1月11日の記者会見) つい、2週間前にこう言っていた大臣たち。国民の反対を押し切ってまで再開されようとしている自衛隊による米軍艦への補給活動。それには燃料等の使途限定の明示化と検証手段の確保、説明責任が「交換条件」だったはず。 1月20日の中日新聞によれば、 「関係筋によると、日米の外交、防衛当局は、対テロ新法案が国会に提出された昨年10月から調整に着手した。日本側は提供した燃料の転用疑惑を踏まえ、対テロ新法の目的を明記するよう要求。米側は当初、目的外使用の禁止が明示されていなかった旧テロ対策特措法に基づく交換公文と同じ文言を主張した。 日本側はその後、使途の検証ができるよう「日米両政府は法律の目的に合致することを担保するため、必要な調整を行う」との表現を盛り込むよう求めたが、米側は「艦船のタンクは空にならないため、給油量と、目的を限定した消費量を完全に合致させるのは不可能」と拒否。日本側が譲らなければ、海自の給油を受けないこともやむを得ないとけん制した。 既に日米両政府は、海上阻止活動に参加する有志連合部隊が拠点を置くバーレーンで、事前に海自の現地連絡官と米軍が艦船の任務や給油量に関する文書を交わすことで基本合意している。だが交換公文に使途検証を明記できないことで、転用防止の実効性を確保できないとの見方が強まりそうだ」 とか。 つまり、昨年10月から日米間では裏交渉があり、1月の高村、石破大臣の発言は、アメリカが交換公文(書簡=往簡と返簡=によって国際法上の権利義務関係を設定する約束)に使途検証を明記するつもりのないことを知っていた疑いがある。 それなのに「交渉してまいりたい」だの「誠心誠意転用がないように制度的にきちんと担保したい」などと、よく言うよ。 アメリカのいいなりになって国民に向ってウソを言ったのと同じ。こういう輩をこそ国賊と言う。(ウニ氏のブログ参照) 1月20日(日)晴れ 0900〜1200、躰道稽古。師範大会開催のため、教えるのはH崎先生だけ。子供たちも6、7人とさびしい初日。おまけに稽古中に右親指を突き指、H崎先生と交差して足が額に直撃。帰宅して「誕生会」。一眠りして夕方眼が覚めると、突き指したところがズキズキと痛む。ちょっと仕事に支障が出そう。 1月19日(土)晴れ 1330、両国。シアターXで京楽座「ブルーストッキングの女たち」。宮本研の名作を中西和久が演出。大正デモクラシーの時代を駆け抜けた大杉栄と伊藤野枝を中心に、新劇に情熱を燃やした島村抱月、松井須磨子。社会運動に命をかけた荒畑寒村、女性解放を唱える「青鞜社」の平塚らいてう、後に大杉、伊藤との三角関係に悩む神近市子……。 大正期に躍動した青春群像。 福島から上京した伊藤野枝が「青鞜社」の門をたたく大正元年から、関東大震災直後に野枝が大杉栄とともに憲兵隊・甘粕大尉に虐殺される大正12年までが描かれる。が、二人とともに拉致された6歳の甥・橘宗一の虐殺については戯曲は省略している。 甘粕の独断犯行については異説もあり、陸軍上層部が深く関与していたとの説もある。その後、甘粕が大赦で秘密裏に釈放され、満州事変に関わったことを見れば、最初から裏取引があったとも考えられる。 大杉・野枝虐殺事件には謎もあるが、戯曲は大杉の娘・魔子への慈愛に満ちた手紙で幕を閉じる。 劇中でひょうきんな振る舞いをする荒畑寒村。実際はどうだったのか。最晩年に見た東大自主講座での寒村翁は若い頃を髣髴とさせる鋭い眼光で、机をこぶしで叩き、腐敗した資本主義社会を弾劾していたが……。 休憩挟み3時間。1640終演。 下北沢に移動。 ヴィレッジヴァンガードで諸星大二郎の「壁男」を。スズナリの下の古書店で結城昌治「赤い霧」上下巻。1050円。絶版本は高い。 1930、駅前劇場で劇団鹿殺し「百千万(ももちま)」。勢いのある劇団だけに満席御礼で、立見がズラリと並ぶ大盛況。 福井の原発事故後に生まれた「エンゲキ」という名の先天異常の子供が母を求めてたどる地獄めぐりの旅。 ヤバイ題材、猥雑でアナーキーな展開。一見、アングラ風だが、その裏にはストリートライブで鍛えたポップでスタイリッシュな顔が。想像力を奪われた「エンゲキ」が出会う人々によって次第に自己変革していく。真面目に「演劇」を問うている。丸尾丸一郎、菜月チョビ、才人二人のコンビの今後の展開が楽しみ。 終演後、着替え中の丸尾丸氏に挨拶して家路に。 駅前でこのところ流行はマンガ本を読み聞かせる男。紙芝居屋の今版? 不思議。 月蝕の稽古は永福町。高取さんに会おうと思ったが、時間がないのでパス。 1月18日(金)晴れ 1600、日比谷スカラ座で「アース」。地上最強の肉食獣・ホッキョクグマ、最大の哺乳類・ザトウクジラ。極寒の地で暮らす二つの命が風前の灯火となっている。氷が融ける前に前に猟場にたどり着かなければ餓死してしまうホッキョクグマたち。しかし、温暖化により年々、氷の張る期間は短くなっている。エサであるアザラシの狩猟期間が少なくなってるために彼らの体重は激減している。このままでは2030年にホッキョクグマは絶滅するという。 多種多様な生命が息づく奇跡の星・地球。ホッキョクグマの姿は未来の人間の姿であるのは間違いない。 ホオジロザメがアザラシを捕食する瞬間をとらえた驚異のシーン、山の桜が開花していく様子をハイスピードで見せる幻想美、アフリカの砂漠で水を求めて旅する象の群れ……映画館で見てこその圧倒的な迫力。 1805終映。銀座の回転寿司で軽くおなかを満たし、六本木へ。 1830、俳優座劇場で劇団俳優座「赤ひげ」。中野誠也、内田夕夜の共演で山本周五郎の名作を。さぞや俳優座らしい重厚な舞台になるのだろうと思いきや、その勘違い演出に肩透かし。 主演の二人の葛藤に踏み込まず、エピソードを追ってるだけ。そのため、場面転換が多すぎて、地明かりでモノを片づける黒子たちの登場が煩わしい。上手でモノローグの登場人物にサス(スポット)が当たっている間に下手で小道具をはけて場面転換、同様に、下手で登場人物がサスの下でモノローグしてる間に上手で場面転換。この繰り返し。背景に絶えず流れるマイルス・デイビスの「死刑台のエレベーター」もわずらわしい。徹頭徹尾リフレイン。効果音ではなく、ただのBGMだ。演出に芸がない。休憩を挟み3時間。役者が真面目に演技しているだけに演出の無策は痛々しい。思えば俳優座ですぐに思い浮かぶ演出家はいない。 文学座、青年座のように個性的な演出家を輩出している劇団と比べて、俳優座に進取の精神が欠けるように思うのは自分だけか。 隣席でメモを取る演芸評論家のT氏。この人の隣りに座ると視界に入るペンの動きで舞台に集中できないのでイライラする。しかし、カーテンコールで腕組みしたまま拍手をしなかったT氏。エラソーにと思ったが、意外と鑑賞眼はあるのかも。 2130終演。 1月17日(木)快晴 朝、道路が濡れていたので雨でも降ったのかと思ったら夜半に雪が舞ったという。周囲を観察すれば駐車場のクルマの屋根に雪が積もっているが見えたかもしれないがまだ暗い早朝、気づかないまま会社へ。同僚に言われて初めて雪が降ったことを知る。 英ガーディアン紙によれば、スペイン連立与党のひとつ、カタロニア社会党(Partit dels Socialistes de Catalunya = PSC)が、社会主義の香りのする香水を発売したとのこと(この項、ウニ氏のブログより)。 それによれば、香りは地中海のハーブやフルーツ(特にベルガモット・オレンジや白茶)、ベースに「東洋の香り」が混ざり合ったもので、「信頼・平等・進歩」と、無駄のなさを感じさせる社会主義の価値観を表わしたものだという。 さすがは、粋なカタローニャの政党。 翻って、資本主義の香りはさしずめ、コンビニで毎日大量に廃棄される弁当のすえた匂いか。 日本人が廃棄したり、必要以上に消費している食糧を合わせると年間3000万トンに上る。 その内訳は コンビニ(11%) スーパー(8%) メーカー(5%) 一般家庭(7・7%) 外食産業(5・1%) この合計が1800万トン。加えて1200万トンを日本人は必要以上に消費しているという。 食糧輸入が6000万トン。つまり、半分を無駄に捨てていることになる。 資本主義の香りは、コンビニで捨てられる弁当のすえた匂いというのもオーバーじゃない。 どこが「もったいない」の国か! 1月16日(水)快晴 0700起床。午後、散歩。古物ショップに立ち寄り、以前目星をつけておいたオープンリールデッキを試聴。が、結果は×。ノイズが大きい。巻き戻しがきかない。残念。 昨日買った電源コードで8ミリデッキを試すも電源入らず。コードの断線ではなかった。ソニーに電話すると出張修理。しかし、簡単には直らず、持ち帰り。後で電話がきたが、修理代2万3000円。高い! 次々にフォーマットを変えて、そのツケは消費者に回されるのに、その修理費のバカ高いこと。「もう」製造していないし、部品も少ないので……」と言われても。ベータ、8ミリ、Hi8ミリ……。何度泣かされてきたか。 劇作家の高谷信之さんがブログの中で、ユビキタス社会についてこう危惧を述べている。 「博物館に行き、物(例えば古い弥生の壷)に携帯電話のようなものをかざすと、その壷の発見された場所や発見した時、使われていた時代、発見者等そのものに付随した様々な情報を取り出すことが出来るのである。 それ自体は素晴らしい事だが、その壷を見て弥生の人の生活や心情に思いを馳せるという感性の部分はどこへ押しやられてしまうのか? 例えば極端な話、レンブラントの絵を見に行ったとする。その場合レンブラントの情報に関係なく、彼の絵に感動する人は居るかもしれない。 そして極端な場合、その作者がレンブラントだろうが、ベラスケスだろうが、名前など知りたくも無いけれど、一枚の絵に感動し、己の人生をやり直そうと思う人だってあるかもしれない。 そうした人にとって情報はいらない。ある感情に訴えかけてくる感動だけが大切なのだ。感動は必ずしも全て、情報を必要とはしない。 あらゆる情報は必ずしもあらゆる人にあらゆる場所で必要ではない。 あらゆる人にあらゆる時にあらゆる場所でというのがユビキタスであるとしたら、そこで奪われていく感受性の事が心配になるのは俺だけの杞憂なのだろうか……。 同感。情報化社会というが、実は情報に踊らされているだけの大衆。大事な感性、感覚を失いつつあるのではないか。……といいながら、自分もまた「情報」の渦を制御できず、日々、情報の波を漂っている。ラジオドラマ、過去のビデオの整理をすることに拘泥し、それが合目的的になっている。作品そのものを見失っているのでは……と反省。 1月15日(火)晴れ 1600、秋葉原。ビデオデッキの電源コードが断線したようなので同じ仕様のコードを買うため。無数にあるアキバの小売店の中で、コード類を扱っている専門店があったのでそこで購入298円。ヨドバシでは、紛失したデジカメのケースを。2500円と純正品は結構高い。 1730、阿佐ヶ谷。回転すしで夕食。駅前の喫茶店でカフェオレ。Mさんと電話のやり取り。善き人は救われるべき。 1900、中野。ザ・ポケットで三田村組「天井」。 寝たきり老人(三田村周三)。彼の介護をするヘルパー(麻丘めぐみ)に心を動かされる。「いつかオーロラを見に行きましょう」 その翌日、突然半身不随の身に異変が。親を邪険にする息子夫婦、結婚を控えた娘、老人の居室の床下に不審な現金を隠す警官二人。ヘルパーの夫で酒乱の男(福本伸一)。そして、ときおり訪れる謎の若い男女。すべては老人の見た幻想なのか? 「回転する夜」同様、虚実が入り組んだ構造。しかし、蓬莱竜太にしてはつかみ所のない脚本ではある。同時代アイドルの麻丘めぐみが小劇場の舞台に立っているというのは感慨深い。客席にいたミー&ハーの山家さんに挨拶して劇場を後にする。 蓬莱作品は1時間半というちょうどいい短さ。このまままっすぐ家に帰るのはもったいない。 ふと、足は高円寺に。20年以上前、毎晩のように通ったスナック「唐変木」。引っ越してからは足が遠くなり、ここ何年も顔を出していない。20代の後半はほとんど生活の中心だったのに。仕事が終わってから立ち寄り、毎日朝まで飲み明かし、最後は桃太郎寿司で解散。東京レッズなる草野球チームも立ち上げたっけ。ふいに、ママのむっちゃんの顔が見たくなる。 高円寺の駅もだいぶ変わり、仲通り商店街もこぎれいな店が増えた。もしかしたら「唐変木」もなくなっていたりして……。と一抹の不安。しかし、店は健在。細い路地を体を横にして通り、その向こうの黒びかりするドア。なんとなく敷居が高くてこのまま引き返そうと思ったが、意を決してドアを開けると、「いらっしゃい」のむっちゃんの声。変わっていない。店もそのまま。いまどき新宿のゴールデン街に行ったとしてもこんな店はめったにない。黒い壁、木の椅子、狭いトイレ、カウンターの中に張った模造紙のメニュー。まさしく60年代のアングラスナックそのもの。ここだけ時間が止まっている。 久しぶりという気がせず、つい昨日までこの店に通っていたのではと思うほどの親和感。今の常連客が3人。もう1人は6、7年ぶりとか。 「今日はおかしな日だね。何年ぶり……という人ばかり」「何かあるんじゃない?」などと冗談めかした会話が飛び交う。店の隅に積み上げられたアルバムには30年以上の客の想い出が詰まっている。20数年前の自分の姿も「あの頃のまま」。懐かしい顔、顔、顔。小さな店なのにいろんなドラマがあった。「〇〇はK談社の苦情処理、〇〇はアメリカでカメラマン、映画監督の〇〇は今はプロデューサー、〇〇は結婚して××に住んでる。みんな40過ぎてから結婚して……」 アルバムの中にはハチャメチャな青春がびっしり。 偶然、カウンターに座った3人の若いお客さんは同じ大学。結婚を控えた女性、会社を辞めて教師を目指す青年。 四方山話をしているうちに終電が近づく。再訪を約して家路に。まるでタイムスリップしたような時間に酩酊。30年、何も変わらない店がいまどきあるか? 不思議な感覚に心が弾む。変わらないことがいいことだってある。 1月14日(月)快晴 成人の日。ふと、部屋の隅でほこりを被ってるビデオテープを再生してみる。8ミリ、HI8、そしてデジタルテープ……。何度かフォーマットが変わったため、昔の8ミリビデオはダンボールの中。デジタルムービーに変えたのは00年ごろか。 撮りっ放しのテープをDVDレコーダーにつなぎ、再生・録画。20歳の娘は10歳。14歳の息子は4歳。10年という年月は大人にとってはさほどの変化をもたらさないが、子供にとっては大きい。この機会にDVDに変換しておこうかと思い立ち、作業に取り掛かる。しかし、膨大なテープ。おまけに普通の8ミリテープ、Hi8も何百とある。カセットテープのラジオドラマだってまだまだ。これじゃ死ぬまでかかっても終わらないかも。 1月13日(日)晴れ 風強し 0700起床。成人式の着付けに行く娘の荷物係。着付サロンは早朝から大わらわ。娘の同級生の顔も何人か。幼稚園の時代から知ってる子供たちが皆白鳥に。 帰宅して仮眠後、再び呼び出し。着付け完了。風が強いので短い距離だがタクシーで帰宅。 娘の晴れ着姿を見ながら、両親のことを想う。生きていたらどんなにか喜んだだろう。一目でいいから見せてあげたかった。 成人式……。自分が二十歳の時は灰色の時代。成人式があったことさえ知らない。 敗戦の年に生まれた吉永小百合が最近の新聞記事で「戦後の歴史は私の人生そのもの。戦後生まれであることを誇りに思う。もし日本が他国で戦争をすることがあれば”戦後”という言葉は消えてしまう。絶対にそうさせてはいけない」という意味のことを語っていた。 吉永小百合の二十歳の記念に作られたラジオドラマで寺山修司が書いた詩。 「一歳、私のバラックの上の空はなんだかとても頼りなさそうでした」 ………… 「七歳、小学校の運動場の屋根に 私はツバメの巣を見つけました。そのことは誰にも言いませんでした…」 ………… 「二十歳、私はただ”質問”になりたいと思っていたのです。いつでも、なぜ?と問うことのできる質問。決して年老いることのない、みずみずしい問いかけに…。そしてわたしの気持ちは、いまでもかわりません。私は二十歳。私の名前は、吉永小百合です」 二十歳の吉永小百合の声が記録されたテープは現存しないが、みずみずしい詩と精神は今も吉永小百合の心の中にある。 「独りであること、未熟であること、それが私の二十歳の原点である」(高野悦子「二十歳の原点」) 「ぼくは二十歳だった。それが人生で一番美しい年齢だなどと誰にも言わせはしない」(ポール・ニザン「アデン アラビア」) 「水のほとりに立てば 心なぐさむ 我がうらぶれの姿さえ やさしげに浮かみいずるを」(原口統三「二十歳のエチュード」) 二十歳というとこの3つの言葉を思い出す。 二十歳で鉄道自殺した高野悦子。第二次世界大戦で戦死した元フランス共産党員のポール・ニザン、二十歳を前に入水した原口統三。 別離の時とはまことにある 朝がきたら 友よ 君らは僕の名を忘れて立ち去るだろう 原口統三 原口に傾倒し、1949年、17歳で命を絶った長澤延子の詩はこう続く。 友よ 私が死んだからとて墓参りなんかに来ないでくれ 花を供えたり涙を流したりして 私の深い眠りを動揺させないでくれ 私の墓は何の係累も無い丘の上にたてて せめて空気だけは清浄にしておいてもらいたいのだ 旅人の訪れもまばらな 高い山の上に 私の墓はひとつ立ち 名も知らない高山花に包まれ 触れることもない深雪におおわれる ただ冬になったときだけ眼をさまそう ちぎれそうに吹きすさぶ 風の平手打ちに誘われて めざめた魂が高原を走りまわるのだ 友よ 私が死んだからとて 悲しんだり哀れんだりすることは無用なのだ 私にひとかけらの友情らしいものでも 抱いてくれるのなら それはただ私を忘れて立ち去ることだ 世の中に別れを告げた私が 生きる人々のうちに なお映像としてとどまることは耐えられない 私の墓を いくたびいくたび過ぎる春秋の中で 人々の歩みと やがては 忘れられた勝鬨さえ聞くことが出来るだろう 友よ その時こそ私の魂は歓喜に満ち その時こそ私が死ぬときなのだ 墓の中の魂は春にめざめ 再びの別れを その墓に告げるときなのだ 友よ その時こそ忘却の中で 大きな旗を 大空に向かって打ちふってくれ その逞しい腕のつづく限り 私に向かって打ちふってくれ 友よ 別離の時とはまことにある 朝がきたら− 君らは私の名を忘れて立ち去るだろう (遺稿集「友よ 私が 死んだからとて」) 今から60年前の詩。 一見、「千の風になって」を彷彿とさせるけど、あのセンチメンタリズムと対極にある「決意」の詩を17歳が書いたなんて……。「青春」という言葉があった時代。 こんなことを書き連ねていたら、「戦後青春の死」という言葉が水底から立ち上がるあぶくのように目の前に現われる。 「恋と革命」に悩みプロバリン150錠を飲んで自殺した「意志表示」の岸上大作(享年21)。 「ぼくは恋と革命のために生きるんだ!とおもった。すべてがひとりの女へのシュプレヒコールに過ぎなかった。そのシュプレヒコールが冷たく拒否されたのはシュプレヒコールそのものが出発点から間違っていたのだ。……」 60年安保闘争で警官に虐殺された樺美智子(享年22)、彼女の死に触発され、中核派の活動家として65年の羽田闘争などを闘いながら、高校時代の同級生で恋人であった中原素子が対立するセクトであったことから、「ああ、生きることはかくも厳しく闘うことなのか。かくも激しく分断されることなのか。それ故の確かさよ」という言葉を残し、プロバリン300錠を服用し自殺した奥浩平(享年21)。その手に握り締められていたピンクのカーネーションが痛ましい。花言葉は「あなたを熱愛します」 1964年、部落差別に抗議し自殺した福島まり子(享年19)。 樺美智子に続く戦後学生運動の二人目の犠牲者となった山崎博昭(享年21)。佐藤首相の南ベトナム訪問を阻止するために1967年10月8日、羽田闘争で機動隊により虐殺。 「僕には勇気がないということは分かっています。……僕は本質的には日和見なのですよ。勇気をもって一方を否定すれば他方からの攻撃。要するに僕は生きていく資格がないのです。弱い人間なのです」 「山谷、釜ヶ崎の仲間たちよ!黙ってのたれ死ぬな! 未来は無産大衆のものであり、最後の勝利は闘う労働者のものである。確信をもって前進せよ!」の言葉を残し、焼身自殺した船本洲治(享年29)。 理想と、現実の闘いの狭間で死を余儀なくされたおびただしい戦後青春の死。 1月12日(土)曇り時々雨 1400、シアタートラムでKAKUTA「目を見て嘘をつけ」(作・演出=桑原裕子)。ゲストは筒井真理子と内海賢二。日本蕎麦屋を舞台に、家族や幼なじみらが織り成す人間ドラマ。性同一障害に悩む長男(筒井)と父親(内海)の葛藤、息子夫婦の離婚問題など、もつれた糸の行方を2時間5分でまとめあげる手腕はさすが。まるで橋田壽賀子劇場。しかし、そのうまさは、作為の匂いを感じさせ、どこか浅田次郎の小説と共通する。うまさは認めるが、自分の好みではない。 1610終演。 帰りの電車の中で米村圭伍著「真田手毬唄」を4分の3まで。題名に惹かれて、箸休めのつもりで買ったのだが、これが案に相違して、くいくい読ませる。 「花のようなる秀頼さまを、鬼のようなる真田が連れて、のきものいたり鹿児島へ……」 この手毬唄に導かれるように、大阪城で死んだはずの豊臣秀頼と、真田大助、そして、秀頼を探す一人の男、勇魚大五郎の物語が幕を開ける。 秀頼が生きていた、というだけでなく、鹿児島に落ちたと見せかけて実は……という虚実のかけひきがまず面白い。しかし、著者の面目躍如は、170年後に、まだ秀頼を探す旅が続いており、初代から数えて7代目。秀頼も大五郎、大助もそれぞれ7代目になりながら、豊臣再興を策動しているという壮大ウソ、ホラ話。 登場人物の名前に託した謎かけ、史実の援用など、ただのウソ話ではなく、本当にありえたかもしれないホラ話が実に楽しい。 この著者の本を読むのは初めて。立川文庫のような「ですます調」の文体は最初違和感をおぼえたが、講談を聞いてると思えばそれもまた格別。 1930、マンション自治会の幹事会の最終回。結局出席できたのは3回だけ。申し訳ないが、土曜夜開催ではやむをえない。 1月11日(金)晴れ 母の夢を見ていた。トイレから出てきた娘の顔の横に浮かび上がった母の顔。まるでホログラムのように鮮明。毎年、この時期は命日が近づくことで無意識のうちに母が夢に現われるのだろう。 1600、新宿。ジョイシネマでロバート・ゼメキス監督の「ベオウルフ」。壮大なファンタジーではあるが、心躍らず。 1800、阿佐ヶ谷。げんこつラーメンを食べようと思ったら、店がない。下北沢のげんこつラーメンも閉店したが、もしかしたらすべての店が閉店? あの独特の味は、周期的に食欲を誘うのだが……。ネットで調べると倒産したとのこと。あのスープが味わえないとは残念。 1900、中野。ザ・ポケットでシンクロナイズ・プロデュース「約束」(作・演出=久次米健太郎)。 阪神・淡路大震災から13年。教師を辞め、タクシー運転手に転職した父。圧死した息子の形見の青い自転車を赤く塗り変え、公園で自転車の練習してる。そんな夫を心配そうに見守る妻。13年前のその日、寝た位置によって明暗を分けた親友は、約束通り、亡き友人の姉と結納を交わし、式の日が近づいている。 一方で、家庭教師だった姉が受け持った転校生の女子高校生と、弟の過去の物語が現在と交差しながら進んでいく。 震災によって深い喪失感を抱えたまま生きてきた人々の鎮魂と再生の物語。 俳優たちが10本ほどのポールをオブジェとして使用。それが効果をあげている。 現在と過去が終盤になって交差し、それぞれを照射する。高校生の弟と転校生の女の子、文化祭での「イン・マイ・ライフ」の演奏。 結婚式場のトイレでむせび泣く教師……。 二つの物語が交差する終幕で思わず滂沱の涙。左端の席の女性からも嗚咽の声。右端は木場勝己氏。 前作「おしっこ」でその実力のほどはわかったが、今回の舞台で久次米健太郎の演出の確かさを再確認する。プロフィールを見ると、久次米が師事したのは秋浜悟史、山崎正和、中上健二といった顔ぶれ。前衛とオーソドックスがない交ぜになった演出はそのためか。これからの要注目作家&演出家。 1月10日(木)晴れ このところよくお邪魔する同郷のT田さんのブログを読むと、忘れかけていた子供の頃の記憶がよみがえる。 T田さんは一回り年上だからもちろん、自分よりも町の「歴史」に詳しい。「歴史」というより、「生活」=文化だ。今から半世紀前の郷里の人々の暮らしがどんなだったか。 資料として残るのは、いつ水道が引かれたとか、電気がついたとか、学校ができたとか「大きな歴史」。しかし、「小さな歴史」=村の人たちの日常、住居構造、子供の遊び、青年団、処女会といった青年たちの共同体……などは、記録に残らない。同時代を過ごした人々の記憶の中にあるだけ。それをおぼえている人たちが消えていけば記憶も消え去る。 お正月の子供たちの遊び−− モチで作ったせんべいを針で刺して、それが抜けないように口まで持ってきたらそれを食べる権利がもらえる。薪ストーブの脇腹にモチを押し付けて滑らせ、カンナくずのようなペラペラの「チリチリ」を作って食べたこと。薪ストーブの隣りにつないである湯沸かし器で茹でりんごを作ったこと、その煙突にはハリガネが巻いてあって、湯沸しの湯を汲む柄杓がぶら下がっていたこと、たいていの家には明かり取りの天窓があり、土間にはその天窓を開け閉めする綱がぶら下がっていたこと、床下には土が盛られ、そこに大根やジャガイモが保存されていたこと、どこの家にも「とり」と呼ばれる土の通り道があり、その「とり」の隅っこに穴を穿ってガライシコ(おはじき)をしたこと……思い出せば限りなく出てくる昔の生活。 しかし、それをおぼえている世代はおそらく自分たちの世代が最後だろう。 大きな歴史ではなく、小さな歴史。自分たちの生活と文化を記録しておくことが急務なのでは。 1800帰宅。会社の新年会はパス。暮れの忘年会もパスした。もともと社の行事やらなにやらには参加したくないクチだが、最近とみにその傾向が強まっている。一部で時代を共有した団塊世代が次々に引退し、酒の席でもなんとなく分かり合える世代がいないというのが大きな理由か。何のためのこの仕事をしてるのかわからないような若い世代が多すぎる。 1月9日(水)晴れ マルセ太郎がよく言ってた「やってはいけない3大タブー」は1、相手が観ていない映画の話、2、自分の親戚の自慢話、3、夢の話。が、あえて記せば、今朝見た夢は現実のように鮮明。 Yさんが持ってきてくれたふすまに貼る紙に漢文の返り点のよな文字が書いてある。その文字にはいわれがあって、その昔、安房郡の殿様がなにかの失政を犯し、公儀から御取り潰しになる。その後、再興が許されたのだが、その際、家紋は武士の武の文字を書くときに、最初に筆を下ろした時の一点を紋所にしろという命令。その字がまるで記号のレ点のような字。しかも、その文字に毛羽立ったような形を付け加えろという無理難題。殿様は抵抗するが将軍の命令とあっては仕方ない。が、大きな唐紙の前に立った殿様は、その文字を背にして刀で自害してしまう。その姿が影のように唐紙に残っている。そんな不気味な紙をYさんが持ってきたので、それを返そうとするのだが、家人とYさんがずっとおしゃべりをしていて、話の間に割って入れない。このままではYさんは帰ってしまう。その前にこの不気味な唐紙を返さなきゃ……とジリジリしている夢。 ま、しょせんは夢で、目が覚めたら細部は忘れてしまった。それにしても、論理的ではっきりした夢だった……。 お昼、学資保険の払い込みで郵便局まで。そのあと、家人と散歩。家人がよく行くというレトロ雑貨の店に入ってみる。一般の人が200人ほど出品している常設の店。バラエティーに富んだ骨董の数々に時間を忘れて見入ってしまう。中国輸入の三国志トランプの絵がきれいなので思わず購入。2000円。 石ノ森章太郎のさるとびえっちゃん絵皿1000円。ペコちゃん人形8コ入りで3500円。カメラも多数。ペンタックスEEなど今でももちろん使えて5000円ほど。 中学生の頃、カメラを持っているのは同級生のY田くんだけ。カメラが欲しかったがついに買うことはできず、会社勤めをしてから初めてキャノンの一眼レフを買ったときの喜び。わずか20数年前のこと。今は使い捨てカメラにデジカメの時代。あんなに憧れたカメラの価値はどんどん下がるばかり。でも、ショーケースの中の中古カメラのフォルムを見るだけでなんとなく嬉しくなる。 併設の喫茶室で100円コーヒーを飲んで帰宅。 夕食後、有名人の介護をテーマにしたバラエティー番組を。なんだかこの頃、テレビづいている……。 1月8日(火)晴れ ぽっかり空いた火曜の夕方。「ぴあ」を開いたらちょうど時間ぎりぎりの映画があったので有楽座まで直行。「エイリアンVSプレデター2」。このところ、ずっしりとした重い映画ばかり見ていたので、たまには無心で見られる娯楽作を……と思ったのだが、あまりにもタマが悪すぎた。なんだこりゃ。次回作への長い予告編のような映画。以前のアメリカ映画なら子供と赤ん坊は決して殺さなかっただろうに、いまや無差別虐殺。「良識」のタガが外れたのは全世界的傾向か。あまりにもつまらないC級映画。同じ設定で何度も稼ごうという貧乏臭さが鼻につく。 1800帰宅。電車の中で幼なじみのEさんからメール。「今、ニュートーキョーで新年会やるところ」。なんと、有楽座のビル。接近遭遇していたのだった。 住所変更などで戻ってきてしまった年賀状を改めて書き直し、投函。 2100、娘を迎えに駅まで。帰り道、暮れに別れたばかりの娘の元カレと遭遇。挨拶を交わしたが、なんとも……。自分も20数年前に、同じようなシチュエーションがあるが、あの時、父親としては複雑な思いだったんだろうなあ……。 夜、娘と一緒に「踊る!さんま御殿」を見てしまう。娘のお目当ては山本裕典。自分は高嶋政弘、シルビア・グラブ夫婦のトークが見たくて。で、結局録画したのを夜中まで全編。バラエティー番組を通して見たのは初めて。ゲストの発言でその場が険悪に流れそうになるところを引き戻すさんまの話術はさすが。 2530就寝。 1月7日(月)晴れ 早めに帰宅。テレビで映画「ホテル・ルワンダ」を見る。 南アフリカ。フツ族とツチ族の「内戦」の最中、旧宗主国ベルギー資本の四星ホテルに1200人以上の避難民を匿い、助けた実在のホテルマンを描いた作品。100万人以上が虐殺されたというフツ族軍、民兵による暴虐に戦慄をおぼえる。統制されない民兵の殺戮は目をそむけたくなるほど。ニック・ノルティ扮する国連平和維持軍の大佐でさえ命の危険にさらされるのだから。この大量虐殺に西側の大国は動かない。当時のアメリカはソマリア内戦に介入し、失敗。自信を失っているとはいえ、介入しても「(資源など)何も得るものがない」というのが本音だろう。 映画の冒頭でアメリカ人カメラマンがバーの黒人女性2人に、非礼を詫びながら「あなたはフツ族?ツチ族?」と問うシーンがある。「どちらも区別がつかない」と頭を振るのだが、白人にとって、黒人の鼻の形や肌の色の微妙な差異などわかろうはずがない。日本人、韓国人、中国人を見分けるのが不可能なように。 しかし、もし、地球外生命体があるならば、彼らにとって、黒人であろうが白人であろうが黄色人種であろうが、そんなことは「人間」の一言で済んでしまうに違いない。黒人の間で、部族間の対立が大量虐殺に結びつくように、経済的な差異や身体的な差異は差別を生み、種の抹殺を呼ぶ。小は隣町同士の境界線争いから、大は民族的対立まで、人間というのは常に対立を生む。UFOがいるとかなんとか国会で愚にもつかない論争をするお気楽議員たち。UFOがいて、地球外生命体があると考えるなら、「だから人間は地球人として、すべての対立を乗り越えようじゃないか」と言うべきだろう。UFOをミサイル防衛、軍備増強のために利用しようとする右翼議員の底意は愚かしい。 夜、Mさんから電話。Dさんの手術は成功とのこと。まずは一安心。 1月6日(日)快晴 0730起床。マンションの大修繕が始まるのでベランダを整理しなければならない。昨日は室外機の撤去を電器店に依頼。 しかし、ベランダの床材を外すのは素人では無理。特注の輸入硬材で作った床で重さは1トン近い。それを分割して保存するには建材用のノコでなければ不可能。特注で作ってもらったH山さんに来てもらって作業。床をはがす前に植木鉢をどけたら、下からトカゲ形の紙切れが……と思ったらホンモノのトカゲ。ペチャンコで尻尾がちぎれ干からびたミイラのよう。しばらくしたら動き出したので生きていると判明。冬眠中だった模様。1階の花壇に連れてって逃がしてあげる。 約2時間で作業完了。部屋の中には床材の山。マンションの修繕が終わるまでは仕方ない。 躰道の稽古のない日曜日。時間を持て余し気味。去年の観劇データを作ったり、HPを更新。 2045、風呂に入っている途中ではたと気づき、大急ぎで上がり、NAC5で始まったPANTAの新番組「レジェンド・オブ・ロック」を途中から聴き始める。週一の番組。来週は頭から聴かなくちゃ。 NHKの日めくりタイムトラベル。今夜は「新春スペシャル昭和の大ブームを解剖」と題し、昭和38年「高速道路・自動車ブーム」、昭和43年「熱き闘い日大全共闘」、昭和42年「グループサウンズ」、昭和47年「東洋一・高島平団地」、昭和62年「テレビゲーム」、昭和57年「福島のニコニコ共和国」昭和52年「スーパーカー・カラオケ」を特集。 新聞予告で「日大闘争」の文字を見たのでどんな切り口で取り上げられるのか、興味半分で視聴。どうせ中途半端な良識で批判的に見せるのだろうと思ったが、以外にまともな切り口。日大闘争がなぜ起こったのか、その原因となった使途不明金問題をきちんと批判的に取り上げていた。 日大闘争の記録フイルムを流しながらのナレーションも学生側に同情的なニュアンス。NHKにしては珍しくマトモ。学生運動を取り上げる番組にありがちな斜に構えた切り口ではない。プレゼンターは大鶴義丹。余計なコメントもなし。証言者の元日大全共闘学生も山岳部、元応援団など、ノンポリ学生から闘争に参加した人たち。その回顧には説得力がある。「バカな日大生でもよく闘った」と卑下する言葉はたぶん今の若者にはわからないだろうが。 使途不明金をめぐる闘争の高揚、大衆団交での勝利、一転して国家の介入、全共闘敗北までわかりやすい解説。その映像の迫真性、当時の学生たちの真剣な表情がスタジオにいる若者の心にも届いたのか、各時代の「ブーム」の中で何が一番印象に残ったかという問いに対し、平成生まれの若者のほとんどが「68年の全共闘」と答えたのには驚いた。40年前の若者たちの闘いが今の若者に強い衝撃を与え、シンパシーをもたらしたとは。 アイドルの女の子が「自分が何かをしなければいけないという当時の若者の正義感に胸を打たれた」「学生運動をテロと同じに見ていたけど、そうじゃないんだということに初めて気づかされた」「あの時代に生まれていたら自分も同じことをしかたも……」 40年たったのにいまだにテレビは学生運動をきちんと真正面から取り上げることがない。多くは浅間山荘事件を否定的に取り上げるだけ。十代の女性タレントが全共闘とテロリズムを同列で見なすはずだ。その意味で、今夜の「日めくり」は良識的だったということか。 もちろん映像は当時の雰囲気の一端のみ。体育会系と番組では呼称していたが、当時の右翼学生は抜き身の日本刀で全共闘学生を襲うといった凶暴。線路際に追い詰められ電車にひかれ重傷を負った学生もいる。命がけだからこそヘルメット、角材で武装した。その切迫感はスタジオの若者には伝わらないだろう。 1月5日(土)快晴 0630出社。先出しの仕事を終えているため、暇を持て余し、翌週の仕事まで着手。午後までゆったりとマイペース。 1500退社。渋谷へ。1600、東急bunkamuraの喫茶室でカフェオレ。一杯780円と高い。 1620、ユーロスペースで映画「暗殺 リトビネンコ事件」。試写を見たPANTAさんから強く勧められていた映画。 リトビネンコ氏については、元ロシア情報部員で、イギリスに亡命後、お茶に混入したポロニウム210により放射線被爆。世界に配信された写真ーー頭髪が抜け落ちた幽鬼のような病室での姿ーーが強く印象に残っている。漠然とその背景にプーチン政権の暗躍があることくらいしか知らなかった。 しかし、監督のアンドレイ・ネクラーソフは毒殺事件のはるか以前からリトビネンコ氏に注目。ドキュメンタリーの対象として接触を図り、10年近く撮影し続けていたのだ。 そのきっかけは98年にリトビネンコ氏が所属するFSB(ロシア連邦保安庁)の上司の汚職、暗殺指令など、組織の腐敗をリトビネンコ氏がテレビで告発したこと。それ以来、フィルムを回し続け、インタビューし、交流が続いてきた。そのフィルムや関係者の証言、テレビのニュース映像などを編集したものが本作。 一言で言えば、これは死をかけて正義を貫こうとした一人の男と、その男を信じて伴走した盟友による遺書といえる。 なぜリトビネンコが殺されなければならなかったのか。ソ連解体後のロシアは今どうなっているのか。チェチェン紛争とは何なのか。真実とは、正義とは……。それらの疑問にすべて答えたドキュメンタリーだ。 元諜報部員、どうせ背後にあるのはカネ絡みの謀略。亡命スパイの矮小事件に過ぎないのでは……などいう事前の思い込みはことごとく覆され、2時間弱の映像は今あるロシアの現実と闇を目の前に突きつける。これこそドキュメンタリー。 証言者として登場するジャーナリスト、アンナ・ボリトコフスカヤがネクラーソフ監督のインタビューの日、「大スクープ」として発表した、爆破事件への政府の関与が、国民の無関心の前に葬り去られる様子が痛々しい。スクープを掲載した独立系新聞「ガゼータ」を街の売店で探す監督。しかし、どの売店も「置いてない」「売っていない」。ロシア黄金のペン賞、世界人権報道賞などを受賞したアンナでさえ、国民の無関心の前にはなす術もない。「無関心」こそファシズム台頭を許す諸悪の根源なのは世界共通。 映画の中で知的な笑顔を見せていた気丈なアンナも2006年に何者かに射殺される。プーチン政権に批判的なジャーナリストの多くが不審な死を遂げている。 映像は正直だ。時に、映す対象の心の奥さえはっきりと見せてくれる。 映画を見れば、誰もが若い頃のジョン・ボイト似のリトビネンコの正義感を真摯に受け止めるだろう。人間の目は正直だ。リトビネンコの目の輝き、真摯な態度は私心がないことを証明するに十分。 また、死に臨んで、ギリシャ正教会の敬虔な信者だったリトビネンコがイスラムに帰宗したという父親の証言も胸に迫る。身をもってキリスト教とイスラムを共存・和解すること。 映像が正直に人を映すならば、リトビネンコ暗殺の容疑者、ルゴボイ(元KGB)の目の落ち着きのなさ、暗殺を否定する論拠の脆弱性はどうだ。木で鼻をくくったような証言は自らの犯罪を認めているのと同じ。 去年2007年12月のロシア下院選挙で当選したという報道には驚いた。イギリス当局が身柄引き渡しを求めているにも関わらず、ロシアは拒否。議員になったことで、不逮捕特権が強固となり、もはや英国引渡しは不可能。それを狙った立候補・当選ともいえる。これほどあからさまなプーチン政権。 しかし、ルゴボイもいつ自分が消されるか、それを想定して保険をかけているのだろう。きっとどこかにプーチンの陰謀を証言するテープを隠しているに違いない。謀略に手を染めたものは、必ず謀略で殺される。いつかルゴボイの不審死が報道されるだろう。 それにしても、白井晃に似たアンドレイ・ネクラーソフ監督の勇気よ。58年生まれ。タルコフスキー監督の助手として「サクリファイス」を完成させた実績もある。 映画の冒頭では、自宅が何者かによってあらん限りの破壊を受け、呆然とするシーンもある。リトビネンコ事件で英国政府の聴取を受けたが、「十分に話せたとはいえない。これが私の証言だ」と語る。 なぜ、多くの証言者が殺されなければならないか。それはFSB長官だったプーチンの出自と無関係とは思えない。暗殺と謀略のプロ。 「劇場占拠事件の犯人の一人が今プーチン政権で働いている」「99年のモスクワアパート爆破事件はFSBの謀略」「しかしそれ以上に悲惨なのはデモも抗議もない。世間は無関心ってこと」 リトビネンコらの「反乱」に国民がもう少し耳を傾けていたら……。ロシアだけの問題ではない。国民の無関心が政権を支えているのはどこかの国も同じ。無関心が国民を最後には地獄に突き落とすだろう。 1830終映。 1930、三軒茶屋。シアタートラムで若手劇団連続公演ニューイヤーステージ。今日は劇団柿食う客「サバンナの掟」(作・演出=中屋敷法仁)。 過酷な競争社会を生きるすべて人々に贈る弱肉強食&全滅必至の超ド級スペクタル!!妄想エンターテイメント真骨頂 というのが惹句。これが旗揚げ公演の再演とか。とうことはこの作品を見れば劇団がわかるということ。 すみません、開演10分で劇場を出たくなりました。15分目に、前の席に座っていた初老の俳優とおぼしき男性が決然と立ち上がり退席しました。私はさすがに満席の間を縫って退席するのは憚れるし、主宰者に申し訳ないのでじっとガマン。1時間40分の難行苦行に耐え続けました。女優陣は若く可愛い。男優陣も演技は悪くない。しかし、「2ちゃんねる」の書き込みを耳元でがなられているような悪趣味で偽悪的な舞台は見るに耐えず。初見でさよなら。これがハイパー芝居というならエンゲキは終わってる。悪趣味コントの羅列のような古臭いエンゲキとしか思えない。 2115終演。客席に扇田昭彦氏がいたので挨拶。立ち上がる様子がないので、あれ?ポストパフォーマンスも見るのかな?と思いながら、キャスト表を見ると、「扇田森也」の名前。扇田さんの子息は「ヒンドゥー五千回」の扇田拓也。もうひとり息子がいたのかな?などと思いながら家路に。扇田森也は長身で端正な芝居をしていたが……。 従姉の息子のKくんが帰省の帰りに立ち寄ってくれたとのこと。気遣いに感謝。 1月4日(金)快晴 0520、いつもより早い電車で会社へ。電車はガラガラ。3分の2の乗車率。 会社もほとんどの部署が休み。お昼、ランチの寿司を買うついでにぶらりと市場方面まで散歩。新年の人出多数。1400、早めに退社。帰宅。灯油を買いに行ったり、なんやかやと雑事で半日は終わる。 そういえば、この頃、家族でトランプをやらなくなった。以前は正月になればトランプでいろんなゲームをやったものだが……。 1月3日(木)快晴 きょうもまた青空と無風のおだやかな日和。 午後、義母が帰った後、家族そろって華屋で食事。 夕方から映画「日本のいちばん長い日」(岡本喜八監督)を見始めるが、途中で何度も中断。「TSUTAYAに一緒に行こう」「夕食だよ」「灯油がない」etc。で、結局見終わったのが9時過ぎ。ポツダム宣言受諾をめぐって、宮城占拠事件を起こした陸軍将校ら戦争遂行強硬派の妄動を描いた傑作。これほどの豪華なキャストはもう二度と見られない。良し悪しは別にして、ジャニーズ顔の現代若者に戦争映画はもはや不可能。それにしても、「一死大罪を謝す」の阿南陸軍大臣が反乱軍鎮圧を待たずに自刃したのは……? 軍は常にクーデターの危険をはらむもの。二度の暗殺の危機を切り抜けた鈴木貫太郎首相が「軍人は政治に関わるべきでない」と言ったのもむべなるかな。モノクロの画面の迫力に圧倒される。日本映画はこんなにもすごかった。 寝しなに「戦慄」後半を読み進めるも、目がさえ、深夜読了。毎年、仕事始めの前夜は寝付かれない。 1月2日(水)快晴 0900起床。 やや風邪気味? 娘と買い物から帰ると、吐き気がするので風邪薬を飲んで布団の中。3時間も熟睡。 パソコンは豚児らに占拠。仕方なしに、読みさしのジリアン・ホフマンの「戦慄」下巻を。上巻を読んでる途中でそのあまりの残忍な描写に辟易。ミステリといいながら、これほど胸のむかつきをおぼえる物語とは。「両親の死」の場面はついに読み飛ばし。文字を追う勇気がない。それほど描写が凄まじい。 あと1日で休みも終わり。 1月1日(火)快晴 北関東は雪の予報にも関わらず、朝から快晴。からりと晴れ渡ったお正月日和。 早めに起きて、若水ならぬ水道の水を汲んで仏壇へ。伝統とか祭事とか旧弊の遺物を毛嫌いしていた自分が……と苦笑。 午後からタクシーで近所の神社へ。狭い境内は人であふれんばかり。それをかき分けるように、黒いスーツに白ネクタイ、いかにもその筋らしき一団が境内を闊歩。神社脇の狭い道を二台のベンツが入ってくると、小走りに先導、「はい、道空けてください!」と数人が通行人を露払い。クルマには女性と赤ん坊。厄除けに来たのだろう。映画のワンシーンのような椿事に周囲も戸惑い顔。 おみくじは小吉。 ここは全国の神社を勧請しているので、神社回りをするだけで小銭が消えていく。 以前、工事中だった場所には南洋神社なる神社が勧請されている。かつて旧日本軍がパラオに立てた神社であり、侵略と殖民地主義の象徴。たしか「パッチギ!2」にも出てきた神社だ。南方の地元民を鎮撫しようとした帝国主義の象徴。こんな神社が再建されていたとは。自ら犯した戦争の過ちを反省することなく再びの戦争を企図する人々の戦意の象徴。道々の神社とは性格を異にするこのような神社には詣でる気持ちはさらさらなし。 1600、義母と義妹が年始に訪れる。 夜まで録り溜めたDVDの整理。寝しなに、岡本喜八監督の「赤毛」を見る。 錦の御旗を掲げる薩長の官軍に利用され、ぼろクズのように捨てられた赤報隊・相良総三。その赤報隊をモチーフに、貧農出身の男(三船敏郎)が生まれ故郷の村で遭遇する官軍・幕軍の衝突騒動を描いたエンターテインメント。相良から「赤毛」を借りて、村民を鎮撫しようとする三船敏郎の豪快さと滑稽さが共存する男のキャラクターが抜群に面白い。「葵が菊に代わるだけさ」と、ニヒルにうそぶく剣士(高橋悦史)がまたいい。日和見主義の代官(伊藤雄之助)、謎の手代(岸田森)、女郎(岩下志麻)……信じるものに裏切られ、最後はぼろくずのように死んでいく登場人物たち。そのアナーキーさよ。終幕のええじゃないかの大乱舞。官軍も幕軍も権力を象徴する存在。しかし、その権力の狭間で死んでいった無辜の民、草莽の視線で維新の茶番と欺瞞を描ききった岡本喜八の反権力。三船敏郎の渾身の演技を見ながら滂沱の涙。100点。 |