| 8月31日(日)晴れのち雨 ピーカン照り。昨日までの雨模様はどこへやら。真夏の天気。 1400、東池袋。あうるすぽっとで「冬物語」。ルーマニアの国際シェイクピアフェスティバルに招待され、評判を博した作品の日本「劇場版」公演。 様式美とリアリズム演技の融合。どこか栗田芳弘の演出作品と似ていると思ったら、演出・出演が当人だった。今回は事前にリリースを見ずに観劇。 休憩時間に江森さん、七字さんらと立話。七字さんはルーマニア公演の立役者。 1635終演。 外は雨。あんなにピーカン照りが……。 御徒町の「癒処」でマッサージ。時間がなくて60分。慣れない枕と不規則な睡眠時間のために、田舎では体がカチンカチン。久しぶりのマッサージで生き返る。 1920、阿佐谷。月蝕歌劇団「邪宗門」にセーフ。寺山修司の初期戯曲。山太郎と母親、孝女白菊と耳なし芳一、長じて刑事になった一寸法師、挑発する鞍馬天狗、ナゾの角兵衛獅子……芝居と芝居、現実と幻想が二重三重の入れ子構造メタ演劇。寺山修司の演劇の原点だろう。永遠の叙情。 40年前の作品なのに、いまだに新鮮さを失わない。シーザーの音楽も。東京巡礼歌、和讃、聴いてるうちに高揚してくる呪術ロック。ラストのマッチを擦りながらの名乗りにもいつもながらの興奮。 2130終演。出産を終えた一ノ瀬が見に来ていたのでお話。 その後、居酒屋に移動して打ち上げ。 PANTAさん、アニメ監督氏、漫画家のタマゴ嬢ら。 カムイ外伝から話題が広がり、懐マンガネタで盛り上がり。気がつくと午前0時過ぎ。PANTAさんが送ってくださり、無事帰還。 8月30日(土)雨 最後まで雨が続く。 0700起床。お墓参り。部屋の片付け。親戚回り。Dさんに電話すると、ちょうど行き違いで、今むつ市から大間に向かっているという。途中の道ですれ違い。 正午、高校の教頭だった田中先生宅を訪問。98歳。まだかくしゃくとしており、手製の漢詩をいただく。 午後、Bzと喫茶店で四方山話。地域活性化、向井さんの話etc 話し込んで、気がつくと13:45。あわてて出発。1505、野辺地到着。ガソリン給油ぎりぎりセーフ。1522、急行乗車。帰京の途に。 1840、大宮着。関東も雨。 8月29日(金)雨 佐井・アルサスでS野温枝さんのお母さんと立話。同級生の妹。子供の頃そのままなのですぐにわかる。故郷の人たちは皆気のいい人ばかり。 その帰り、小学時代の恩師・M野先生とばったり。「80歳になりましたよ。あなたは才能がある人だから……頑張りなさい」と。 午後は近所のT田さんの家にお邪魔。クルマで山の新道を案内してもらう。「おしゃれ浜」が子供の頃によく行った親戚の浜だということを初めて知る。従妹に尋ねると、「昔、Y谷の祖母が、ご馳走作ってお供えしたもの」だとか。 貴重な証言。 T田さんと別れた後、家の中の整理。父が亡くなってそのままになっていた押入れや物入れを整理。汗だくになって暗くなるまで。 Dさんに誘われた「わいどの木」の飲み会もキャンセル。最後の日はこうして慌しく過ぎる。 時間が合わず、とうとう最後になってしまったG朗の家に行き、仏前に線香を手向ける。生前と同じように、同級生のMが家族同様に酒を飲従妹夫婦に誘われ、夕食を。 N崎信之に電話し、伊能忠敬の碑の話を。 8月28日(木)雨 正午、むつ市まさかりプラザで食事。家族を送って野辺地まで。 その帰り、龍本寺の麻屋さんを訪ね、歓談。霊能師・Kさんのことなどが話題。 次いで、中学時代の恩師・H田先生のお宅に。番地さえ分かればカーナビが連れていってくれるので大助かり。娘で、高校の後輩Mさんが足をケガして療養中。中学時代に突然行方不明になった同級生のK池くんの当時の足取りを初めて聞く。K池くんのことは気にかかっていたが……。あれから40年、今どうしているか。 1800、H先生のお宅を辞し、家路に。大畑に差し掛かったあたりから急に霧がかかり、木野部峠は一寸先も見えないほどの濃霧。まるで、よくある怪奇映画のよう。ヘッドライトをハイビームにしないと道の先が見えない。前にも後ろにもクルマの影なし。夜道に一台だけなので、心細さもひとしお。白い霧に包まれ、まるで幽界に続く道を走っているかのよう。まるで映画の一場面だ。 1930、自宅に到着。地元でも8月の末になって、こんな海霧が出るのは聞いた事がないという。ゲリラ豪雨、濃霧。異常気象もついに……。 8月27日(水)晴れ 「深浦加奈子、がんで死去」というテレビ報道に思わず「エッ」と声を出してしまう。最後に会ったのは去年の椿組のときだったか。打ち上げの客席で次の自主公演の話をしていたっけ。ドラマの役柄とは反対に、普段は相手に気をつかう優しさのある人。はにかんだような笑顔は育ちのよさゆえ。48歳。あまりにも若すぎる。 佐井で昼食。イカ定食1400円。取れたての新鮮なイカが結構な量。 かもしかラインを抜けて川内町、脇野沢へ。曲がりくねった山道。舗装されているので運転はラクだが、こんな縦貫道が野生の動物の脅威になるのだろう。熊、猿が里に下りてくるのはやはり人間のせい。 天然記念物・北限のサルで有名な脇野沢も初めて訪れる場所。下北生まれの下北知らずか。 野猿公園は捕獲した猿50頭ほどを飼育しており、ここもシーズンオフとあって、人影なし。入場券を買ってもそれを検札する人もいない。 帰りは道の駅で一休み。例によって家人は大量の土産物購入。 来たときとは別のルート「海峡ライン」で北上。仏ケ浦を経由して帰着。途中の山道で霧に包まれ、一瞬ドキリ。 8月26日(火)雨 0900チェックアウト。帰り道、薬研温泉へ。薬研に行くのは初めて。地元なのに、行ったことのないところばかり。帰省の時期はお盆で、外出もままならず。ついつい名所旧跡を訪れる機会を逃してきた。 雨中の奥薬研。ほかに人の姿もなく、混浴野天風呂「かっぱの湯」に家人、娘の3人でつかり、いい旅夢気分。澄んだ森の空気、緑の中で天然温泉につかっていると、日々、生き馬の目を抜くような仕事に忙殺されている生活があることなど想像もできない。 帰りたくないなぁと思ってしまうのだ。 お昼、実家に到着。お墓の掃除、お参り、家の掃除と一通り。 8月25日(月)晴れ 0915の新幹線で北上。 野辺地でレンタカー。むつ市に入って、そのまま尻屋崎へ。気温19度。夏というより晩秋の肌寒さ。ここに来るのも10年ぶりか。公園として整備されており、以前来たときとは様変わり。 シーズンオフ入りで、ほとんど行き交うクルマもなし。突然目の前に馬の群れ。寒立馬だ。対向車線の観光バスも停車し、観光客が降りてきて記念撮影。驚いて逃げるでもなし、悠然と目の前を通り過ぎる馬たち。南北朝の昔から軍馬の生産地だった「南部九牧」の日本古来の馬と外来馬の交配で改良されてきた農用馬。粗食に耐え、雪の中で行き抜く寒立馬。ずんぐりむっくりな体型は日本古来の馬の名残り。 戦国時代の武将が乗った馬はきっとこんな背の低い日本馬だったのだろう。テレビの時代劇での颯爽とした武士の馬上姿はサラブレッドあってこそ。胴長短足の日本人には同体型の馬が似合っていたか。 思わず身をすくめるほどの寒さ。公園の閉門時間1545前に退却。 プラザホテルに宿泊。まさかりプラザと同じ場所かと思いきや、市中心部から外れた場所。勘違い。 1700過ぎにBzが迎えに来てくれて、「二合半」へ。知る人ぞ知るといった小さな小料理屋さんで、旨いものがたくさん。これぞ下北の味。大満足で、二軒目のライブハウスへ。 マスターの顔に見覚えが……と思ったら、高校時代、地元バンドを率いていたTさん。むつ湾スピードウェイのオープニングイベントの思い出などがよみがえる。よくよく見ると、多少髪に白いものが混じってはいるが、昔のTさんの面影はそのまま。ずっとロック一筋だったんだ。誰もが途中で夢を捨てるのに……なんだか胸が熱くなる。広い店内にはキーボードやドラムスも設置。祭りも終わり、町は閑散。店も貸しきり状態だったので、Tさんのドラムスでカラオケ三昧。Bzのドラムスを聴くのも久しぶり。30数年前にタイムスリップしたような、なんとも言えない喜びが体の奥からあふれてくる。 「一郎の店が隣りにあるんだ」というので次に移動。 中に入ると壁にレゲエ・ライブのポスターやステッカー。DJブースもある本格的な店。高校時代の後輩・川島一郎氏が経営者。といよりも、Tシャツにジーパンの、高校時代、浪人時代と変わらない一郎がそこにいた。「エーッ、先輩! ビックリだよ!」とカウンターの後ろから飛び出してくる彼。その昔とまったく変わらないきらきらした目にジーンとくる。ここにも「夢」を追い続けている昔の仲間がいた。 何代も続いた商家を閉じるのは決心がいっただろうが、それも時代の流れ。生まれ故郷で新しい道を模索している彼らに乾杯。 「変わらない」っていうことがこれほど素晴らしいことだとは。40年近くも時が過ぎればみんな変わる。生活に埋没し、生活に疲れてしまう。 それなのに、自分の好きな道を今でも歩いている高校時代の「仲間たち」。 感慨・感激……そして感謝。 外は雨だが、心の中は青空。来てよかった。 カラオケで歌っているとき、オフの画面に流れたトピックス。なんと、「きょう25日はサマークリスマス。TBSアナウンサーの林美雄さんが夏にもクリスマスをやろうじゃないかと始めた日です」。画面下に流れる文字にびっくり。きょう、東京ではハヤシヨシオメモリアルクラブのオフ会が行われているのだ。カラオケ画面に「林美雄」の文字が流れるとは! 8月24日(日)雨 0900。これから会社のことを考えずにすむ1週間が始まる。開放感にひたりつつの目覚め。 帰省の準備。いつもながら前の日になってからバタバタ。午後買い物に。雨で阿波踊りも台無し。編み笠姿の粋な女性が行き交うも、雨に濡れて大変そう。 ダイエーのイベントスペースで行われている阿波踊りコンテスト。流し踊りではなく、舞台踊りなので、構成が演劇的。振り付けも凝っていて見ごたえあり。阿波踊りも奥が深い。 8月23日(土)雨 せっかくの南越谷の阿波踊りなのに、雨でかわいそう。20数年前に始まった新しい祭りもすっかり定着し、今では50万人を超える観衆が近隣から集まる。豚児らにとっては友だちと集える愛着のある祭りなのだろう。 1400、新宿ミラクルシアターで鴨リンピック「青木さん家の奥さんU」(内藤裕敬作、荒谷清水演出)。 客席でチラシを見ていたら、「〇〇さん」と声をかけられたので、顔を上げるとレクラム舎のM坂和歌子さん。「鈴木(一功)は今富良野演劇祭に一人芝居持っていってるんです」と。二人の子育て中で、芝居は来年までお休み。次いで、M浦伸子が。「会って何時間かしかたってませんね」と。K藤結宥花、O中咲子も現われ笑顔で挨拶。が、どうもいつもと様子が違う。なんか変だな、と思いながら開演時間。 台本が書けないまま、小道具のビールケースを残して失踪した作・演出家。取り残された女優4人がそのビールケースを使った即興劇に挑む……。 初演の男版には意表を衝かれて笑い転げたものだが、あれから20年?女性版を見るのは初めて。昨日は3時間しか寝てないので時々意識が遠のくも完走。 終演後、鴨鈴女と荒谷清水に挨拶。K藤結宥花は4年前にこの公演に出演しているので鴨鈴女と四方山話。 O中咲子と話をしているうちに、思いがけない話を聞く。びっくり仰天。なるほど彼女たちに元気がない理由はそれだったのか。 まさかこんな日が来るとは。 これからどうなるのか……。 お茶でも飲んで、と思っていたが、そんな気分でもないだろうと退散。 1800、そぼ降る雨の赤坂。ACTシアターで音楽座ミュージカル「七つの人形の恋物語」。 初日とあってか、1400キャパの劇場が超満席。 受付で石川さんに挨拶。 客席の熱気が舞台にも投影したのか、いつも以上に熱い舞台。 原作はポール・ギャリコ。田舎から出てきた一人の少女が都会で挫折。川に飛び込もうとするところを人形に助けられる。人形の一座の主・人形使いは戦争孤児で心に深い傷を負っている。少女と7体の人形たちの交流、少女と人形使いの被虐的な関係、意志を持ち始める人形たち……。三者の関係が複雑な展開をみせ……。 少女役の宮崎祥子、人形使いキャプテン・コックと人形の二役を演じる広田勇二が素晴らしい歌唱。ジジ役の野田久美子、デュクロ博士役の藤田将範がまた圧倒的な歌唱。 こんなに気迫のこもった舞台はめったにない。 休憩20分を挟んで3時間。 終演後、TBSのカフェで初日パーティー。ポール・ギャリコ夫人もかけつけて片言の日本語で「カンパイ」の挨拶。舞台化権を獲得するのに19年もかかったというだけあって初日を終えた石川さんはじめ音楽座スタッフは万感の思いだろう。 会場には音楽座ファンクラブの人たちも。大盛況で身動きとれないほど。 七字さん、江森さんらと立話。 2200、終了・解散。 音楽座解散から12年。よくぞここまで復活したと感慨しきり。 8月22日(金)快晴 NHK・FM「夜の停車駅」のデータをまとめるため、1981年の毎日新聞縮刷版を見ていたら、偶然「津山三十人殺し」の活字が目に飛び込む。著者の筑波昭が初めてペンネームで書いた作品という紹介コラム。虫眼鏡でなければ見えないような縮刷版の活字なのに、人間の意識とは不思議なもの。膨大な「東北太平記」の中から即座に「奥戸」の活字が目に飛び込んできたときも、不思議な感慨にとらわれたが、逆に言えば、日常は漫然と過ごしてないけない、意識すれば何かにぶち当たるということか。 1500、会社の近くのY売旅行社に行って帰省のキップの手配。美形の窓口が2人。しかし、駅名も満足に読めないは、路線を探すのに戸惑うは、それで旅行代理店の担当者なの?というヤル気のなさに呆れて、引き上げ。地元・K谷の東武トラベルへ。笑顔で応対、テキパキと日程表を作ってくれる女性スタッフたち。読売と大違い。 大湊からのレンタカーは全車使用中とのことで野辺地からレンタカー。1時間余計にクルマを運転しなきゃいけない。これは痛い。 1800、阿佐谷。 ザムザ阿佐谷で月蝕歌劇団「津山三十人殺し幻視行」。 ラピュタの喫茶室にPANTAさんと高取さんが談笑中。PANTAさんは崔洋一監督の映画「カムイ外伝」の撮影で千葉の鋸山に行ってきたとか。松山ケンイチ主演のこの映画、菊池凛子の負傷降板で大幅に撮影が遅れている。PANTAさんは絵師の役。 「追忍」の読み方で大笑い。 茨城ひたちなか市で行われた「ROCK IN JAPAN FES2008」に秋葉原事件に感化された無差別殺人予告があった事件のことをPANTAさんに尋ねると、当日やはり出演者にも影響があったようで、ロッカーにあるまじき「さる自粛」(笑い)をしたそうな。 今回の芝居は「津山三十人殺し」、いわゆる「八墓村事件」をモチーフにしたもの。これは、1938年、日中戦争を背景に、祖母と姉だけの貧困家庭に育ち、学業優秀でありながら、結核を患ったために兵隊検査に不合格。自らを用なき者と絶望した男・都井睦雄が祖母を道連れに、村人30人を殺害した未曾有の大量殺人事件。 物語は、睦雄を慈しむ姉、睦雄が憧れたという女・阿部定の生涯を絡めながら進行する。 同じ時期にドイツで起こった大量殺人事件「ワーグナー事件」もまた、村落社会の中で孤立した文学青年が起こした事件だ。詩と性、戦争の時代という共通項。 高取さんの注目したのも、この詩と性と国家による大量殺戮の時代における大量殺人だったのか。 睦雄が執筆した小説の主人公3人が睦雄の運命を変えるべく時空(?)を飛び超えるのは、「金色夜叉の逆襲」で、巌谷小波の小説「こがね丸」の主人公が立ち上がったのと同じ構図であり、日本軍が大量殺人鬼を戦地に送り出そうと策動するのは、「ネオ・ファウスト 地獄変」で全共闘一派が60年安保の国会にタイムスリップする構図の相似形。 20世紀が始まったばかりのシベリアに20歳の革命的楽観論主義者がいた。彼は20世紀に期待をかける。しかし、この20世紀は憎しみと殺戮、飢餓と流血をもたらしただけだった。血まみれの20世紀は若者に怒号する。「降伏せよ、哀れな夢想者。お前が長い間待っていた20世紀。お前の「未来」であるこの私がやってきたのだ」。「いや」と卑下することを知らない楽観論者は応える。「お前は、お前はただの現在に過ぎない」 「お前はただの現在に過ぎない」と言ったのはトロツキー。 高取英は好んで歴史を転覆させようとする。その根底にはこの「お前はただの現在に過ぎないのだ」というトロツキーの言葉が横たわっているのだろうか。寺山修司がよく引用した「実際に起こらなかったことも、歴史のうちである」という言葉。たかが歴史、目をつぶれば世界は消滅する。ならば「ありうるべき歴史」に果敢に挑む高取英の営為にロマンチシズムと悲哀を見るのは当然か。 2130終演。 「あるぽらん」で飲み会。PANTAさん、一水会顧問・鈴木邦男さん、三坂さんら。鈴木邦男さんが躰道を見たことがあるというのでびっくり。さすがは合気道4段、柔道2段の格闘家。 2300、解散。帰りしな、入れ代わりで黒色綺譚の赤澤ムック登場。高取さんに紹介されるも黒色綺譚は未見。今度見に行かなくちゃ。 で、帰ろうと思ったら、声をかけられたので振り返るとA元啓移子さんと梁山泊のM浦伸子ちゃん。A元さんは阿佐谷に引っ越してきて、その引っ越し祝いとのこと。電車の時間がないので後ろ髪引かれる思いで家路に。 8月21日(木)晴れのち雷雨 1600、上野でマッサージ。至福の2時間。帰りに雷雨。 帰宅後はテレビで五輪ソフトの決勝戦観戦。日本・アメリカの見ごたえのある試合に満足。 8月20日(水)快晴 1830、銀座。ル・テアトル銀座byPARCOで21世紀歌舞伎組「新・水滸伝」(作・演出=横内謙介、原案・美術・演出=市川猿之助)。 結成から20年。03年に猿之助が病に倒れたため、今回の公演も10年ぶりの新作。 長大な物語をどのように2時間に収めるのかと心配したが、さすがは物語作家・横内謙介。朝廷軍の剣術師範でありながら、奸臣・高 (こうきゅう)の讒言で都を追われた林冲の、ぬけがらのような心が梁山泊の好漢との交流によって再生するまでを主軸に、朝廷軍の美貌の戦士・青華に懸想する梁山泊の王英の純愛を絡めながら、歌舞伎らしい活劇として描く。林冲に右近、青華に笑也、お夜叉に春猿。晁蓋役には金田龍之介。 手馴れた演出と様式美で2時間弱はアッという間。 1830終演。 8月19日(火)快晴 1830、銀座・博品館劇場で「シャウト!」(翻訳・訳詞・演出=菅野こうめい) ロンドン発、アメリカ・オフブロードウェイでもヒットしたミュージカル。 ![]() グラマラスでスタイリッシュなブルーガール。 結婚相手を探し求めるオレンジガール。 誰とでもすぐにやっちゃうグリーンガール。 ちょっと変人のレッドガール。 そしてイギリス人なのにどこかアメリカチックなイエローガール。 独特な個性を持った5人が、女性として強く生きることへのヒントを人気雑誌「Shout!」から得ながら自分らしさを探していく。 彼女たちが最後に手にするのはハッピーエンド!?それとも……。 60年代ポップスがなんと32曲! ペトゥラ・クラーク、ダスティ・スプリングフィールド、シラ・ブラック、サンディ・ショウ、ルル、ナンシー・シナトラetc まさに黄金の60年代ポップス・オンパレード。見ていて自然と体が揺れる、リズムを取ってしまう、歌いたくなる。ファッションも美術も60年代フレイバー。 紫吹淳、樹里咲穂、岡千絵、入絵加奈子、森口博子の5人の実力派が歌い、踊るのだから、これはもう目福耳福。特に紫吹淳、樹里咲穂の二人はタッパもあり、60年代ファッション誌から抜け出してきたよう。オーラ全開で驚くほどの歌のうまさ。樹里咲穂のソロときたら、もう肌が泡立つほど。 終演後もウキウキ気分が抜けず、駅に向かう途中、思わず「恋のダウンタウン」を口ずさんでしまう。iPodのオールディーズを聴きながら家路に。2130帰宅。 8月18日(月)快晴 0900起床。 夕方、豚児とテニスをやるため、S公園のテニスコートへ。自転車が1台足らず、タクシーで。1900〜2000、テニス。帰り、仕事帰りの娘と落ち合い、3人でがってん寿司へ。お代は1万円。タクシーでテニス行き帰り、食事で結構家族サービスも高くつく。2200帰宅。 朝、向井夫人よりいただいた蔵書を整理。目録は以下の通り。 1.小熊秀雄童話集(創風社 ) 2.小熊秀雄詩集(創風社) 3.小熊秀雄詩撰「星の光りのように」小熊秀雄賞市民実行委員会 4.「アイゴーの海 浮島丸事件 下北からの証言」(下北の地域文化研究所) 5.真下五一著「啄木 その愛と死」(三笠書房) 6.川崎むつを著「石川啄木と青森県」(こころざし出版社・青森文学会発行) 7.川並秀雄著「啄木秘話」(冬樹社) 8.阿部たつを著「啄木と函館」(幻洋社) 9.小熊秀雄詩集(思潮社) 10.笹澤魯洋著下北半嶋史 11.笹澤魯洋「宇曽利百話」 12.森勇男「下北半島の歴史と芸能」 13.森勇男「下北の海運と文化」 14.聞書青森の食事(農山漁村文化協会) 15.笹澤魯洋「大畑町誌」 16.青森県文化財保護協会編「東北太平記」 17.楠正弘著「下北の宗教」(未来社) 18.川並秀雄著「石川啄木新研究」(冬樹社) 19.田中益三・河合修共編「小熊秀雄とその時代」(せらび書房) 20.森嘉兵衛「南部藩百姓一揆の研究」(法政大学出版局) 21.下北文化誌編集委員会編「下北文化誌」 22.松田弘洲著「青森県地名の謎」(津軽共和国文庫) 23.菅江真澄遊覧記2(平凡社) 24.菅江真澄遊覧記3(平凡社) 25.富岡一郎著「下北地方史話」 26.森山泰太郎・北彰介「青森の伝説」(角川書店) 27.下北の歴史と文化を語る会編「下北半島の歴史と民俗」(伝統と現代社) 28.九学会連合下北調査委員会「下北 自然・文化・社会」(平凡社) 29.目良卓著「啄木と苜蓿社の同人達」(武蔵野書房) 30.岡田一二三著「みちのく南部の方言」(伊吉書院) 8月17日(日)快晴 0900起床。1530、赤坂へ。REDシアターで高山広の一人芝居「ねずぶり」。上谷氏が「すごく面白いんです」というので初観劇。名前だけは知っていたが、見るのは初めて。 前説からググッと引き込まれ、本編は2時間30分の長編ながら、緩みのない構成と演技でアッという間。 こんなにすごい役者だったのか。高山広。今までの食わず嫌いが惜しい。 今作は罠にかかったネズミとゴキブリをめぐって展開する壮大なスペクタクル・ヒューマン劇。「エッ、そう来るか」の連続。劇場で声を出して笑うのは久しぶり。笑った末に、最後は思わず落涙。コミカル、シリアス、切り替えの早さは練熟の役者。ウーム、高山広はすごい。どこか共通の世代を感じると思ったが意外に若い。手塚治虫へのオマージュ芝居もあるらしく、その根底のヒューマニズムは手塚治虫の子供の一人か。 1840終演。常連客らしき人たちが「2時間で終わるはずないと思ったよ」の声。アドリブと熱演で時間オーバーは普通らしい。 外は雨。久しぶりの江森さん。「あなた、初めて見たの? うーん、初めてなら面白かったでしょう。でもね……」 以前から見続けている江森さんにとってどうも今回の舞台は不満そう。 「20分くらいの短編でもぐっとくるものがあるんです」と上谷さん。ねずぶりを見るのは初めてとか。 確かに冗漫な部分はあるがそれが高山広の持ち味では……などと初見の自分は思ってしまうのだが。 TBS前はお台場に対抗しての夏祭り。テレビ局もイベント屋にならなければ生き残れないのか。 2000帰宅。 8月16日(土)晴れのち雨 1600まで会社。 1700、森下。食堂も喫茶店もどこもお盆休み。コンビニでおにぎりを買って公園で。あたりを散歩するも時間つぶしにならず。目の前に下町の銭湯が。「弁天湯」。時間はたっぷりある。銭湯で汗を流すのも一興。450円プラスタオル・石鹸代250円。 銭湯に入るのはたぶん30年ぶり。銭湯代なんて70円くらいだったはず。 お客さんも数人。広い銭湯は気分爽快。ゆっくりくつろいで、何度も入浴。銭湯はいい。 「裸のまま番台の方に出ないでください」の張り紙。これはちょっと無粋? 風呂上り、涼んでさっぱりしてからベニサンへ。 TPT67「モリエール作『ミザントロオプ』(手塚とおる演出)。岸田研二、濱崎茜、河合杏奈、植野葉子ほか。モリエールの「人間嫌い」を辰野隆(ゆたか)の訳で。現代語とはいっても古めかしい文語調のセリフのため、役者が噛むこと度々。膨大なセリフを弾丸のように吐き続けることで手一杯。客席までは伝わらず。 2110終演。 M紙T橋さんと駅に。途中で「軽く飲んでいきましょう」と居酒屋で一杯。新国立騒動のことなど四方山話。「あと1本飲んでから」と盃を重ねて気がつくと2300。終電前に滑り込みセーフ。 8月15日(金)快晴 1830、サザンシアターでこまつ座「闇に咲く花」。 進駐軍の占領下で、今日を生き抜くために人びとは闇の売り買いに必死だった。親を亡くし、子を亡くし、夫を亡くし、友を亡くした人びとが、世の中の新しい枠組みの中で、無我夢中に生きていた。 ひとり息子の健太郎を戦地に失った愛敬稲荷神社の神主牛木公麿も、今では近くに住む五人の未亡人たちと寄り合って、闇米の調達に奔走している。 誰もがあの戦争を忘れ始めていた夏。思いもかけず、死んだはずの健太郎が愛敬神社にひょっこりと帰還する。境内に笑顔が弾け、人びとは再会を喜び合う。しかしその喜びもつかの間、健太郎の背後には、巨きな黒い影がしのびよっていた……。 全てを忘れかけていた人びとのもとへ、「生きていた英霊」牛木健太郎が贈り届けた、これは忘れてはならない「記憶」の物語。(劇団HP) 初演は21年前。何度も再演を見ているのに、今回の舞台ほど胸に迫るものはなかった。同じ戯曲なのに、なぜか。 初日乾杯で演出の栗山民也氏が「こんなにも素晴らしい作品だったと改めて気づかされた。前回の再演から7年。その間に日本という国が堕落していった証左でもある」と語っていたが、同感。今の時代の空気が恐ろしいまでに戦前に逆行しているため、戯曲の問題意識が浮き彫りになるからだろう。 たとえば北京オリンピック。この1年で反中国意識がどれほど日本国民にはびこったか。ギョーザ事件や商品の欠陥問題を機に、反中国プロパガンダがマスコミを席巻し、その「成果」がオリンピックでダメ押しされた。いわゆる「口パク事件」「開会式映像事件」への過剰な反発。 日本人の間には反中国意識が蔓延。戦前の中国蔑視もかくやの反中国感情が日本を覆っている。 こうした時代の空気は、いびつな愛国心を醸成する。 「闇に咲く花」は自分の犯した過ちを忘却の彼方に押しやる「健忘症」の日本人を鋭く批判した作品であり、「健忘症」から生還した野球青年がC級戦犯として処刑されるという不条理を重ね合わせることによって、永遠に責任を取ることのない真の戦争責任者を断罪する。 舞台が「愛敬神社」という小さな神社というのも戯曲の要。庶民の心の拠りどころとして泣き笑いを共にしてきた道々の神社が、やがてそれらを統べる「大神社」に組み込まれ、国家神道として戦争を煽り、靖国神社へとつながっていった。それは果たして神社といえるのか。 「父さん、ついこのあいだ起こったことを忘れちゃだめだ、忘れたふりしちゃ、なおいけない」 敗戦を機に健忘症になった日本人はいまだに忘れたふりをし続け、あろうことか、すべてを「なかったこと」にしようとしている。 世の中がひどい時代になるにつれ、相対的に井上ひさしの戯曲のまっとうな主張が浮き彫りになる。 過去の再演の中でももっとも心に響く作品となった。 辻萬長、浅野雅博、小林隆、石田圭祐ら安定した俳優陣。特筆ものは石母田史朗。青年座の俳優で、MODEにも出演しているが、そんなに目立つ役者ではなかった。それが今回の舞台は水を得た魚のよう。こんなに素晴らしい役者だったとは。この作品が石母田の転機になるのは間違いない。 2130。終演後、初日乾杯。M紙T橋さんは福田善之氏に誘われ始まる前に退出。「あなたと話をするのが好きなんだよ」と福田氏。後で聞いたら、23時まで飲んでいたとか。 演出の栗山氏、井上ひさし氏(スモーカーなので、煙草が吸えるロビーの端に立っていた)、小田島氏の順で挨拶。井上氏は、国立俳優養成所の第一期生たちにエールを。小田島氏は客席では爆睡していたようだが、五輪のメダルにひっかけ、「無闇に咲く花」のダジャレで〆。 休憩時間に瀬川氏と立話。この前の円形劇場の高泉敦子の芝居のことなど。馬場さんは遊◎機械に行く前、こまつ座の手伝いをしていたのだとか。それは初耳。 青年座の水谷内氏、増子倭文江さん。井上都さんに聞くと、今回は栗山氏の意向で意図的に新劇系の役者で座組したとのこと。それは正解だった。 8月14日(木)快晴 1600、疲労困憊。上野でマッサージ。1900帰宅。 8月13日(水)快晴 いつもはお盆の時期は空席が目立つ電車だが、今年は結構乗客が多い。不況で帰省客減? 90キロ級で泉選手の出番。1回戦はなんとか辛勝したが2回戦で一本負け。マグロTシャツ空振り。 行こう行こうと思いながら時間が合わず、気になっていた向井豊昭さんの弔問。ようやく今日、仕事を終えてからひばりが丘の向井宅へ。駅からタクシー。 「MORTOS」で見たことのある自宅風景。出迎えてくださった夫人は左腕に白い包帯。1週間ほど前に転倒して骨折したとのこと。「看取ってひと段落してからだったのが不幸中の幸いです」と笑顔。 居間のソファーは向井さんが最期にベッド代わりにして闘病していたもの。手術や延命治療はせず、医師が訪問診察していたという。 小さな庭に咲く花々。 亡くなる前、庭のユリを眺めながら、「あのユリが散ったときに自分は死ぬだろう」と言っていた向井さん、台風でユリが散った朝、しみじみと「ああ、もうじきだ」とつぶやき、その言葉の通り、1週間後に亡くなった。 パソコンを置いてあった机の上には仏壇が。亡くなった後、パソコンはご子息が引き取り、別の部屋にあった仏壇を据えたのだとか。祖父の手作りの仏壇とのこと。その祖父は詩人であり、名を向井永太郎という。大畑の庄屋の家に生まれ、札幌に移住。明治40年、石川啄木を札幌に呼び寄せ職を斡旋したのはこの向井永太郎だ。向井の下宿にしばらくの間、啄木は同居していた。 しんしとして幅廣き町の 秋の夜の 玉蜀黍の焼くるにほひよ 札幌にある啄木の歌碑の詩。 向井さんの祖母(永太郎夫人イチ)は啄木の思い出を孫によく語ったという。 「外出から帰ってきた石川さんが、わたし達の部屋に入って来てね、『お土産を買ってきましたよ。』て言うんだよ。『石川さん、玉蜀黍でしょう。』わたしがそう言うと、『奥さん、よく分かりましたねっ』て驚くのさ。『だって、ぷんぷん匂いがしますものっ。』って言ったら、石川さん笑ってね、羊羹色の紋付羽織のたもとから、玉蜀黍を出すんだよ。」(向井豊昭著「無名の凧」)」 このエピソードを聞くのは初めて。というより、向井さんの祖父が詩人で、啄木の友人だったということも初めて知った。 その後、啄木と向井永太郎は不幸な決別をするのだが、それはまた別の話。 仏壇の中で微笑む向井さん、そして祖父母。26歳で亡くなった向井さんの母親の着物姿の写真。現代的な美人であり、父を知らない向井さんにとって母の面影は、生涯この写真の中にしかなかったのだろう。 「天涯孤独」の向井少年の魂の成長は詩人であった祖父と慈愛に満ちた祖母に負う所が大きかったに違いない。60歳を前に上京し、文学を志したのは、祖父の血によるものだろう。 知れば知るほど向井さんに聞きたいことが次から次へと湧いてくる。 書架には資料、書籍がびっしり。 「古本屋に引き取ってもらうより、所縁の人に差し上げたほうが向井も喜ぶでしょう。ご入用の本があったら差し上げますので」という夫人の厚意で書棚から多数の本をいただく。 「会津関係の本、アイヌ関係の本はまた別の方が所望していますので」ということで、下北関係の本をダンボール1箱分もいただく。 入手困難な「東北太平記」や「下北半島の歴史と民族」、そして小熊秀雄の著作など。 1830、コンビニで本を宅急便で送り、家路に。 8月12日(火)晴れ 1900、パルコ劇場で「ウーマン・イン・ブラック」。今回で6演目の再演。 5演目を見たのが、まるでつい昨日のように思われるが、5年前のこと。年齢とともに時間が縮んでいく。 観客のいない劇場で、2人の男、中年の弁護士キップスと若い俳優が、過去に体験した世にも恐ろしい出来事を、劇中劇の形を借りて再現していく。俳優は若き日のキップスを、弁護士は彼が出会った人々演じながら…。 音と照明、小道具。徐々に迫ってくる恐怖。何度も見てわかっているはずなのに、その場面では思わず椅子から腰を浮かしてしまう。夏は心理ホラーに限る。斎藤晴彦、上川隆也コンビは本場ロンドン公演も控えており、英国人向けのちょっとしたボディーアクションも。 2130終演。山家さんに挨拶。 8月11日(月)快晴 休日。なんやかんやの雑用三昧。 8月10日(日)快晴 今日から躰道はしばらくお休み。右足が完治するまでの辛抱。 1000、朝霞台到着。Hさん夫妻と東松山の丸木位里美術館まで一緒に行く予定で待ち合わせていたのだが、Hさんのお母さんが急病のため、一人で電車で現地へ。急行で35分、意外に近い。森林公園で下車し、タクシーで1500円ほど。 6日から自作を展示しているNさんの個展を見るのが目的だったが、初めて見る丸木夫妻の「原爆の図」屏風絵ほかに圧倒される。教科書やテレビなどで見知っているとはいえ、実物の持つ迫力はまったく別物。しかも、丸木俊さんの絵本の原画の素晴らしさに驚嘆する。 「丸木=原爆図=反戦」という固定観念でしか、丸木夫妻をとらえていなかった自分を恥じる。二人とも美術家としてとてつもない才能があった方なのだ。しかも、丸木原爆図に描かれる人物描写はバロン吉元の絵とよく似ている。つまり、バロンに代表される劇画の原点は原爆の図ではないか。バロン吉元→大友克洋と続く双葉社劇画の原点は丸木位里ではないか。見事なデッサン力も共通している。 こんなことを思うのは自分だけかもしれないが。 ちょうど尋ねてきたM紙・富山支局の女丈夫A山さん夫妻を交え、外のテラスで歓談。 下の河原では若いグループがキャンプ。 河原に降りていく途中、ハグロトンボがヒラヒラ。オニヤンマ、シオカラトンボもスイスイ。 子供の頃、オニヤンマは憧れの的。思わず見入ってしまう。と、ハグロトンボにオニヤンマが突撃、口にくわえてアッという間に空高く飛翔。食物連鎖、自然の摂理。 写真はNさんの平和展「命のたからを見つめて」。天に向かって咆哮する、あるいは祈りを捧げる人々。入場者減で、丸木美術館存続が危機に陥った時期もあり、今も楽観は許されない。しかし、今回初めて訪れてわかったが、この美術館は国民にとってのかけがえのない財産。永遠に残すべきものがここにある。 1330、Nさんに駅まで送られ家路に。電車の中で、A夫妻と少しお話。どの地方でもそうだが、地方紙が圧倒的なシェアを誇り、K紙25万部に対し、A紙でさえ1万部ほど、M紙にいたっては……。政治家と地方紙が牛耳る地方行政。「日本に民主主義はあるのか」と。 S駅で夫妻と別れ、家路に。 1600、家族と華屋で会食。 8月9日(土)晴れ オリンピックもまだ緒戦で静か。 1500、日生劇場で「トムは真夜中の庭で」。文学座制作による、日生劇場恒例国際ファミリーフェスティバル作品。 弟のはしかが治るまで叔母の家に預けられたトムが経験するミステリアスで甘酸っぱい幻想劇。 真夜中、玄関ホールの古い大時計が「13時」を打つ。「そんなばかな」とトムが階下に降りると、ふだんは閉まっているドアの向こうに美しい庭が見える。そこでトムは一人の少女ハティと出会う。 一幕目は寝不足と疲労のため睡魔に襲われ、集中できず。ニ幕目はしっかりと観劇。一幕がおぼろだったのが惜しいほど素敵な舞台。ファミリー向けだからといって決して子供におもねたりしない高瀬久男の演出が素晴らしい。 見ているうちに無性に映画「ある日どこかで」が見たくなる。時空の迷宮をさまよう恋。イギリス人ならだれでも知っているというこの小説が元になっているのかもしれない。 バーソロミュー夫人役の倉野章子はさすがの名演。 休憩時間にM紙のT橋さんと立話。7日の朝刊・記者の目で新国立劇場の芸術監督問題をリポートしているとのこと。このところ、バタバタしていて見逃した。「我ながらよくまとめたと思います」とT橋さん。帰って読まなくちゃ。 1720終演。下北沢へ。 予定していたワークショップに行けなくなったというS野さんを誘って本多劇場へ。流山児★事務所「由比正雪 半面美人の巻」。 状況劇場68年の作品。以来、40年ぶりの上演。 時は三代将軍家光の時代。大川端の夜鷹に拾われた赤ん坊は由比正雪と名づけられる。「正しき雪に比ぶるものありやなしや」 一方、島原の乱の後、江戸で幕府転覆を図る浪人・由比正雪、丸橋忠弥、金井半兵衛ら。切り結ぶ相手は隻眼・柳生十兵衛。 果たして由比正雪とは何者なのか。半面を覆う不気味な男の正体は……。 初演の68年はまさに世界は革命の真っ只中。由比正雪の後、花園神社を追われた状況劇場は新宿西口公園で機動隊に取り囲まれての上演決行。ぼやかした学生運動のフィルムを流し、時代背景をそれとなく示唆。 原城陥落=島原の乱は60年安保の挫折であり、68年の由比正雪はその復讐戦。「弁証法的青春劇」と唐さんは言ってたが、まさにこの時期の状況劇場は革命劇を意識していたのだろう。 過剰なセリフは特権的肉体と相まって舞台に昇華されるが、08年の由比正雪を具現化する特権的肉体は……。 そのため、延々と続くディスカッション劇に見えてしまう。唐十郎のセリフを咀嚼する肉体が稀少なのだ。 が……、終わってみればそれもよしの由比正雪。最後に富士山から雲が晴れる舞台美術が見事。 終演後、大久保鷹さんに、昔PANTAさんと撮った写真を手渡し。唐さんが「鍛えてるね〜」と肩を叩いてくるのでびっくり。「飲みに行こうよ」と言われるが、S野さんと先約があるので近くの和風居酒屋へ。二人で日本酒をくいくい。世代が違うのに田舎が同じだと共通の知人が何人も。おしゃべりに花が咲く。2315終電が近いので解散。 「ふるさと」に行くと、流山児組の打ち上げもちょうど終了。「唐さんがずっと探してましたよ」と塩野谷さん。「仕事があって会社に戻ったと言っておいたからね」大久保鷹さん。唐さんが……。それは悪いことをしてしまった。 帰りの下北沢ホームで中村まり子さんとばったり。作・演出の舞台が終わっての帰り道。新宿まで話しながら移動。「訳者や演出よりも女優として使って欲しい。私は女優であり続けたい」と。 蕨で降りて久々のタクシー帰り。0130帰宅。 8月8日(金)快晴 オリンピックの日々の前哨戦。意外と静かな一日。 1600退社。日劇で「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」。 前作から19年ぶり。新作を見たのはついこの前だと思っていたので時間の流れの速さにびっくり。10年20年なんて瞬く間だ。 いつもながらのインディの冒険譚。しかし、ハリソン・フォードも見るからに高齢。アクションシーンは吹き替えだろうが、ハラハラしてしまう。19年前なら驚異的だったであろう特撮映像も、今は見慣れてしまい、どうせデジタル処理だろう……とさしたる感興もない。特撮が行き着いた先が無感動とは。スペクタクルに心動かされることがなくなるというのは皮肉な話。 カレン・アレンとの友情、最後に、冒険の象徴である帽子を「次代」に渡さず自分で拾い上げるインディの気骨を表わす粋なラストシーン。もうインディは二度と戻らないだろう。 1930、赤坂。REDシアターで「夏の夜の夢」。上谷氏ご推薦の演出家・西沢栄治(JAM SESSION)の演出はスピーディーでポップ。 シェイクスピアと聞いて二の足を踏んだが、上演時間も1時間30分。たっぷりやれば3時間は越える「夏の夜の夢」を、コンパクトに、しかもキュートにまとめあげる手腕は立派。役者も自在な演技で好感が持てる。ハートランドの江原里実がヘレナ役で好演。予備知識なしで見たので、「随分似てる役者だな」と思っていたら本人だった。 2100終演。上谷、有本、西沢氏らと立話。若いが風格を感じさせる西沢、これから急成長する演出家だろう。次回は「四谷怪談」とのこと。 8月7日(木)晴れ 1620、K記念病院で鍼。ビル工事中とあって騒音がひどい。 足首の痛みが再発。階段の上り下りがキツイので地元の接骨院へ。 「アキレス腱周囲炎ですね。早期に固定しておけば直りが早かったのに、慢性化しているかもしれません。腱が伸びているとなかなか……」 内科系ならちょっと具合が悪いと病院に行くのに、足や手のケガはおざなりにしてしまう。結果、重症化する。後悔先に立たず。もっとも、今回のケガはちゃんと病院に行ったにもかかわらず、医者の方が症状を軽視していた嫌いがある。もっと早く別の病院に行けばよかった。 これでは9月の社会人大会も断念か。 1800帰宅。親戚の送ってくれたカレイを焼いて夕食。 8月6日(水)雷雨 雷雨続く。天変地異の前触れか。こんな天候の不順は初めて。 1800、森下町。中華屋で肉ニラ定食900円。 1900、ベニサンピットでシンクロナイズ・プロデュース「夏の路地」。 中上健次の「岬」「枯木灘をモチーフにしたもので、中上とは生前に交流があったという久次米健太郎の作・演出。 一人の若者を主人公に、「四角い」回り舞台上で繰り広げられる、複雑にもつれあう家族の糸。自殺した兄、失踪した父、異父姉妹、売春、近親相姦……。中上文学を詰め込んだ舞台はハード。俳優・スタッフの熱意は感じるが、あまりにも重過ぎる。 休憩10分挟んで2時間10分。 8月5日(火)雷雨 昨夜から雷雨。 1630、御徒町。久しぶりのK嶋さんとのおしゃべりに癒される。1900帰宅。 8月4日(月)晴れ 1500、歯医者。抜いた歯周辺の観察。問題なし。「今後の治療は次回にでも」と若い医者。インプラントを勧めるのだろうけど。 田中忠三郎著「下北 忘れえぬ人々」、小松左京「高砂幻戯」「夜が明けたら」ほか。 8月3日(日)雨のち晴れ=青森 0715起床。外は雨。これはもしかしたら新高さんの時以来、屋内でのライブになるか……。 朝食を終えてロビーで新聞を広げると、赤塚不二夫死去の報。スポニチは1面を使って大々的に。赤塚不二夫の業績を考えればこれは当たり前。二段見出しの、ほとんどベタ記事扱いのスポーツ紙もあったが、このスポーツ紙の見識を疑う。 ホテルの主人が「寺山記念館までどうやって行くんですか?」と聞いてくる。このホテルでも宿泊客の中で、行きたいという人がたまにいるというが、アクセスが悪く断念することが多いとか。「夏場はバス便があるけど、シーズンオフは何もないですからね。郊外にポツリポツリとある施設のために、市がバスを出す予算はないし、困ったものです」 初めて知ったのだが、記念館のさらに遠方には斗南藩記念観光村があるのだとか。しかし、ここもアクセスが悪く、地元でも敬遠されているとのこと。時間があればぜひ行ってみたい場所ではあるが……。 0900、シティホテルのロビーに集合。エミさん、麻屋さん。朝寝のM上さんはコーヒーを朝食代わりに。それぞれ分乗し、記念館へ。孝四郎さんのクルマに偏陸、九條さんと同乗。 赤塚不二夫さんと親しかった九條さんは訃報にやや気落ち気味。「昔、赤塚さんが”寺山さんの劇団にタモリを出してくれないか”ってよく言ってたの。まだタモリが九州から出てきたばかりで、やることないし、赤塚さんが気遣って彼を舞台に出したかったのね」 タモリが天井桟敷の舞台に出ていたら……。 そういえば、初期のタモリのモノマネは寺山修司だったし、「身毒丸」の冒頭のシーンをたまにパロディーにしていた。たぶん、赤塚不二夫に連れられて、天井桟敷を見ていたのだろう。 10分ほどで記念館到着。雨も上がり、日差しが強い。これなら屋外ステージは大丈夫。 エミさん、M上さんは初めて見る記念館に大はしゃぎ。見学者が来る前に、記念館の展示室を一通り見てまわる。小竹信節コンセプトの展示室のユニークさに二人とも大感激。「これなら一日見てても飽きないよね」と。 まだ時間がたっぷりあるので、歌碑までの遊歩道を麻屋さんとエミさん、M上さんの4人でそぞろ歩き。 手入れされた遊歩道、大空を舞う鷲、ウグイスの声、トンボ、沼の浮島に咲く睡蓮の赤と白の花、小川原湖の景色……。森の中は空気も澄み、森林浴気分。「自然が大好き。よく山に籠るんですよ」とM上さん。前回公演の時も、セリフを入れるために籠ったのだとか。歩きながら寺山さんのことなど、さまざまな話を。 1030、音響のセッティングが終わり、音合わせ。今年はいつになく若い女性が多い。ステージにM上さんが現われたとたん、前列の椅子席に大勢のファンが駆け寄り、スタンバイモード。本番4時間前なのに。さすが人気俳優。音合わせが終わった後は、しじみラーメンツアー。M上、麻屋、偏陸、そして麻屋さんの家族と。打ち上げでしじみラーメンというのが定番だが、M上さんは八戸のラジオ局に出演とのことで、本番が終わると早々に引き上げる予定。そのため、しじみラーメンを前倒し。 1230、食事を終えて、記念館に引き上げ。入れ替わりに来た友人のKさんと残ってしばらくおしゃべり。 1400、大澤さんの司会で、第一部は九條・三上博史対談。「草迷宮」オーディションのエピソード、「青ひげ公の城」での舞台出演秘話など。 「あの頃はまだ15歳で、自分の子供みたいに思ってたから、今でもヒロシって呼んでしまうけど、ファンの方、許してね」と九條さん。 次いで、第二部はメインイベントの「朗読ライブ」。青を基調にしたドレス姿のエミ・エレオノーラさんが登場すると会場からどよめき。グラマラスなエミさんの肢体は遠目でも見栄えがする。 三上さんとエミさんの音楽のコラボ。寺山さんの短歌、そして「アメリカよ」の朗読。口跡鮮やな朗読の響きが青空に吸い込まれていく。 約40分。最後にエミさんのシンセに逢わせて即興の歌。これが素晴らしい。 1515、第二部が終了し、控え室へ。M上さんはFM八戸の塚原氏が迎えに来ているので、CDのサインを終えると、名残惜しそうに引き上げ。駐車場で別れの握手。短い時間でも、濃密な交流だったような……。 演劇プロデューサーのN村文重さんが見に来ていたのでびっくり。「飲み屋でチラシ見て面白そうなので今朝、新幹線で飛んできました」とか。フットワークの軽いこと。 1600、第三部の小中学生の俳句、寺山賞受賞式が終わり、全日程終了。荷物をまとめて、近所のやすらぎ荘で打ち上げ。N村さん、Kさんも一緒。北川さん、青森の舞踏家・福士正一さん、三上寛のドキュメントを撮っているスイス生まれの監督、居合いの達人など、さまざま。 帰りの飛行機の時間があるので、1時間ちょっとの慌しい会。 最後はしじみラーメンか冷やし中華で締め。 記念撮影の後、解散。Kさんのクルマで駅まで。N村さんは一泊していくというので、米軍基地そばのホテルまで送っていくことに。 1734、三沢駅から特急に。偏陸さんも一緒だったが車両が違うので帰りは別々。2330帰宅。 8月2日(土)快晴 0600出社。U氏は忌引き、Kくん夏休み、ほかに2人が休暇のため、部署は史上最も少人数。それをカバーするために、仕事量の膨大なこと。ヘトヘト。 1500、上野から新幹線。途中、O澤さんから電話。「三上さんたちは空路で1840に着くから、1900にロビー集合」 1800、八戸・三沢間は地震の影響でスピードを落としての運転。通常15分も、特急も普通電車と同じ20分で運行。 三沢に着くと雨。明日のイベントが心配。 1835、Kさんから取って貰ったビジネスホテル「ビッグ・ウエスト」にチェックイン。シティホテルはここから徒歩で2分。集合時間にはシティホテルへ。 ロビーにO澤氏、偏陸氏。次いで麻屋さん、九條さん登場。空路組は笹目氏、M上博史氏、エミ・エレオノーラさん。 寺山孝四郎夫妻も合流し、いつもの中華飯店で夕食。麻屋さん持参の南極の氷で作った紹興酒のおいしいこと。 2100まで、笑いの絶えない会食。 いったんお開きとなり、三上、エミ、笹目、麻屋、偏陸氏らと二次会の店を求めて夜の三沢をさすらい。米兵がたむろする店は避けて、エミさんの嗅覚で一軒のプールバーへ。そこで日本酒浦霞一升瓶をドンとテーブルに置いて飲むこと飲むこと。みなさん強い。「毎晩飲んでます」とM氏、1週間に3回は渋谷のS堂に通っているというエミさん。S目氏がオーナーと知ってびっくり。 わいわいと賑やかな酒宴は0時を回って、翌日のイベントに備えて解散。 相手に対する細かな気遣いと優しさ、ジャーナリスティックな感性があるM上氏、一見、気難しげなイメージとまったく逆の気さくで豪放なエミさん。二人ともまるで古くから知ってる友人のような、懐かしいような……不思議な感覚。 |