| 9月30日(火)雨時々晴れ 午後、急遽帰宅。あてずっぽうで電話した市立病院が当たり。タクシーで駆けつけると、意外に元気な様子。 ただし、これから1週間入院。人間、どこに不幸が転がっているかわからない。夜までに家と病院を2回往復。 9月29日(月)雨 1500、歯医者へ。その後、TSUTAYAにDVD返却。休日の時間は無為に過ぎる。 9月28日(日)晴れ 午後から、家人、娘の3人で来月新しくオープするショッピングモールのプレオープンへ。 東洋一を謳うだけあって、その広大さは予想以上。半日ではとても全部は見られない。客足もすさまじい。おそらく50万人は来ていただろう。若い女性向けのショップの店員は皆、モデル並みの容姿とスタイル。各ショップから総動員? 1800、さすがに歩き疲れで腰は痛くなるわ、人酔いするわで、疲れ果て、タクシー帰宅。 夜、ベータのダビング。83年頃の「トゥナイト」。ラジオニッポンの社長に就任するや、ロックやアイドル歌手の歌を自局から追放、あまつさえ、右翼言論人を糾合し、左翼批判キャンペーンを行った遠山景久に田原総一郎が斬り込む。いかにも右翼の巨魁然とした遠山。インタビュー途中、持参した他局の深夜放送の録音テープを流し、あけすけな性の話題を放送する深夜放送の堕落ぶりを批判する。共産党から転向した言論人らしく、紳士然としたたたずまいの中に鋭い眼光。まさか、これから10年後、会長の座を追われるとは思わなかっただろう。 9月27日(土)晴れ 1300、仕事を早めに切り上げ、歌舞伎座の前で待ち合わせ。シティーヌードルで海老ワンタンヌードル、梅しらすヌードルを。その後、丸の内ルーブルで「最後の初恋」。ペアで映画を見るなんて何十年ぶりか。映画もリチャード・ギア&ダイアン・レインの純愛もの。人生の最終コーナーを曲がった二人の男女が小さな町で本当の愛に出会ってしまう。いまどき珍しい大人の純愛。「イルマーレ」もそうだったが、舞台となる海の中のコテージが素晴らしい。 映画の後はカラオケルーム。2時間はアッという間。後ろ髪引かれる思いで、一人吉祥寺へ。 1930〜2130、「おーい、幾太郎」。ロビーで中村さんに挨拶。 幾太郎とは、「善の研究」で有名な明治の哲学者・西田幾多郎のこと。物語は明治36年の金沢を舞台に、若き日の西田幾多郎の家族の哀歓を描いたヒューマンドラマ。 金沢発の芝居であり、西田幾多郎のことを誰もが知っているという前提で書かれた戯曲だから、導入部から何か違和感がある。たとえば、井上ひさしの評伝劇ならば、よく知られた作家を主人公にしながらも、その時代背景や人物の苦悩に普遍性があるのに、この作品は「地方の偉人」をモチーフにしながら、それが西田幾多郎である必然性がない。無名の一家族に起こる悲喜劇でもいいわけで。要するに「地域演劇」。地域演劇に普遍性をもたせるのは難しい。最後まで舞台に入り込めず。 2300帰宅。 9月26日(金)晴れ 中山成彬国土交通相は25日、報道各社とのインタビューで、成田空港建設への反対闘争について「ごね得というか、戦後教育が悪かったと思う」と批判した。外国人観光客の誘致策には「日本は随分内向きな、単一民族といいますかね、あんまり世界と(交流が)ないので内向きになりがち」と発言。しかし数時間後に、いずれの発言も「誤解を招く表現であったので撤回します」とのコメントを発表した。(新聞各紙) これほど程度の低い人間が大臣として入閣しているのだから、麻生新内閣のデタラメぶりが分かろうというものだ。 成田空港建設反対運動の先頭に立ったのは、明治生まれの農民たちだ。戦後入植・開墾し、ようやく肥沃な農地に育て上げた土地を、何の相談もなしに、頭ごなしに「ここに空港を作る。土地を明け渡しなさい」と言われたら、誰だって怒る。立ち上がる。 その農民に連帯し、闘ったのは学生たち。 しかし、あくまでも反対運動の中枢は農民だった。反対同盟委員長・戸村一作氏は1909年(明治42年)生まれの、生っ粋の明治男。 何でも戦後教育のせいにし、日教組批判をすれば、大向こうの喝采を浴びると思って、自分の無知蒙昧ぶりをさらけだした中山成彬国交相。バカにつける薬はない。 成田闘争は横暴な国家権力に対し、立ち上がった明治の農民たちの一揆なのだ。戦後教育云々とはこじつけもいいとこ。片腹痛い。 1600、上野でマッサージ。帰りに右足の痛みが久々に消えて階段を下りるときに違和感がない。快哉を叫ぶたいほど。 1830帰宅。とはいっても、長時間歩いていると、やはり痛みがぶり返す。慢性化しているのか……。 家人は友人と食事会。豚児は今日オープンした巨大ショッピングモールへ。 K松さんからメール。Mさんから相談を受けていた件。すぐに、Mさんに返事を。 9月25日(木)晴れ 1630帰宅。 小泉政界引退。「自民党をぶっ壊す」といいながら、その実日本という社会をぶっ壊し続け、構造改革の名の元に、郵政売り渡し、弱肉強食の格差社会を作った男が、しれっと自分の息子を後継に指名して引退だと。後は野となれ山となれ。知ったこっちゃない……か。小泉のおかげで日本は死屍累々。無念の死を余儀なくされた国民の恨みはこの男に安らかな眠りを与えないだろう。 灯りを消してベッドの中で、iPODに入れた林美雄パックの録音を聴く。こんなふうに蒲団の中で深夜放送を聴くのは何十年ぶりか。30年前の9月、林パックの最終回。PANTA、遠藤賢司、鈴木慶一、石川セリ、清志郎、チャボ、白竜らの声。ミスタースリムの連中も。タイムスリップしたかのよう。安手のSF小説なら、こうして30年前の深夜放送を聴きながら眠った朝に目が覚めると、30年前にタイムスリップしているだろう。それにしても、今聴いても、不本意な最終回の無念さが伝わってくる。林美雄が亡くなってもう6年。 人生の多感な時期に彼のような「兄貴」の放送を聴く事ができて、本当によかった。たかが深夜放送というなかれ。当時の中高校生は深夜放送から多くのものを学んだのだ。深夜放送はもう一つの人生案内。映画、演劇、本、政治……今の自分の半分は林美雄が教えてくれたもので成り立っているのだとつくづく思う。 9月24日(水)快晴 ジュリーこと沢田研二の歌う「我が窮状」が話題になっている。きっかけは朝日新聞の「ひと」欄とのこと。 「還暦に憲法への思いを歌う 沢田研二さん」のタイトルで、「60歳になったら、言いたいことをコソッと言うのもいいかな、と。いま憲法は、改憲の動きの前でまさに『窮状』にあるでしょう。言葉に出さないが9条を守りたいと願っている人たちに、私も同じ願いですよというサインを送りたい」というジュリーのコメントを紹介している。 「我が窮状」 作詞:沢田 研二、作曲:大野 克夫 麗しの国 日本に生まれ 誇りも感じているが 忌まわしい時代に 遡るのは 賢明じゃない 英霊の涙に変えて 授かった宝だ この窮状 救うために 声なき声よ集え 我が窮状 守りきれたら 残す未来輝くよ 麗しの国 日本の核が 歯車を狂わせたんだ 老いたるは無力を気骨に変えて 礎石となろうぜ 諦めは取り返せない 過ちを招くだけ この窮状 救いたいよ 声に集め歌おう 我が窮状 守れないなら 真の平和ありえない この窮状 救えるのは静かに通る言葉 我が窮状 守りきりたい 許し合い 信じよう ジュリーがこれほど明確に憲法9条改悪の動きに対して反対の意思表示をしたとは!驚きを通り越して感動のあまり、涙ぐんでしまった。 「平和への関心は昔から強い。ある時、バンド仲間と戦争の話になり、一人が喧嘩(けんか)にたとえて言った。「攻められたら、守るだろう』 いや、一対一の喧嘩と、国と国の戦争は違う。そう思い至ったときに『少しプチッとはじけた』。戦争には、望まない人まで巻き込まれる。」 「これまでも『9条を守ろう』という文化人らの意見広告やアピールに時々、目立たないように賛同してきた。大声で呼びかける柄じゃない。」 欧米なら、映画俳優や歌手が自分の政治信条を明らかにするのは常識だが、島国ニッポンは、有名人が少しでも政治的発言をすればすぐさまパージされてしまう。おそらくネットウヨたちの格好の標的になるだろうが、そんなことでめげるはずはない。 そうだ、ジュリーも団塊の世代だったのだ。GSスターから国民的スーパースターへ。およそ政治的な行動とは無縁の人だと思っていたが……。思いもよらないジュリーの援護射撃に護憲派も奮起しなければ。それにしても、ジュリーの反骨! 自分の身の回り10bの世界にしか興味がない若者たちに、このスーパースターのツメのあかを煎じて飲ませたい。 1900〜2100、青年座劇場で「ジョバンニノの父への旅」(別役実・作、伊藤大・演出)。 9月23日(火)晴れ 夏に戻ったような暑さ。毎年、夏が延びて、秋が後退している。10月に行われる同窓会の服装も厚手のジャケットだったのが、このところ、ジャケットも必要ないくらい、気温が高い。日本の四季が確実に変わっている。 朝、30年前によく遊んだ後輩のRの夢をみていた。帰宅し、いつものように窓際の机に座ると、微妙にモノの位置が違う。誰かが動かした気配。ふと振り向くとベッドの上にRの姿。窓が開いていた。「そうか、あの窓から入ったのか」 昔は、友人たちが尋ねてくると、家主が不在でも勝手に開いてる窓から入り込んでステレオを聴いていたものだ。なんだ、今でもそうなんだ……と思っている。青春の残滓。久しぶりに見るRの顔。もちろん昔のまま。帰省したとき、「そういえばRはどうしてる?」「消息不明のままだよ。どこかの海に沈められてるのかも……」という会話をBzと交わしたのが心に引っかかっていたのだ。消息不明のR、どこでどうしているのか。 0430起床。 林美雄さんのパックインミュージックを一日聴いていた。ネットの仲間からもらった音源。初めて聴くものばかり。タモリはまだミスタータモリと紹介され、4カ国麻雀や北京放送のモノマネ芸をしている時代。 街が変われば、そこに何が建っていたのか思い出せなくなるものだが、タモリも「ミスタータモリ」と呼ばれていたことなどすっかり忘れていた。アメリカ、ベトナム、中国、韓国ーー4カ国麻雀の最後に登場するのはオリジナルでは日本の天皇だったが、録音されたパック祭りでは美濃部都知事になっている。自粛したのか? 30年前のほうが今よりはるかに菊タブーはなかったのだが、さすがにTBSでの放送には自主規制かかったか。 ユーミンと石川セリの仲のよさ。当時、リアルタイムで聴いた伝説の井上陽水、拓郎のセリ・ユーミン突撃も30年ぶりに聴く。まるで昨日のことのよう。今聴くと、井上陽水がセリに熱を上げている様子が手に取るようにわかる。時間を超えて、過去がよみがえる。当時の自分の部屋の中、空気、匂いさえせつなく胸に迫ってくる。過去はいつも新しく、未来は常に懐かしい。 9月22日(月)曇り時々雨 1000起床。午後、家人と散歩。歯医者、雑用で夕方まで。休み2日目はアッという間に終わってしまう。TSUTAYAでチャーリー・パーカー、アート・ペッパー。映画「ライラの冒険」「大いなる陰謀」「ヘアスプレー」。さて、すべて見られるのか? 9月21日(日)雨 休みなのにいつものように4時半に目が覚めてしまい、「きょうは休みだった」と胸をなでおろすも、そうなると逆に目がさえてしまう。起きて昨夜ダビングしっぱなしのDVDレコーダーチェック。小一時間雑事。で、再びベッドへ。この贅沢さがたまらない。2度寝の快楽よ。夏なのに目が覚めるとあたり一面雪で覆われている夢をみていた。 午後、家族で外食。1630、その足で新宿へ。1800からタイニィアリスで故土井美和子さんのお別れ会。 1805、アリスに到着すると、会は始まったばかり。雨で、しかも日曜の夕方にも関わらず、会場にはあふれんばかりの参会者。約100人。略歴紹介、演劇博物館館長のお別れの言葉、献花と続き、献杯の挨拶は野田秀樹。6月にロンドン留学した土井さんと一緒に芝居を見たり、これからの演劇のことを話し合ったりしたという。今の演劇状況に強い危機感を持っていた土井さん。野田秀樹も思いは同じ。 ![]() 胃がんは3年以上前に発見され、その時点ですでに全身転移し、手術不能。余命半年と宣告されたというから、今まで元気に活動できたのは奇跡としかいいようがない。8月6日に入院。本人は腸閉塞の治療が済めばまた退院できると思い、13日までノートパソコンで原稿を書いていたという。亡くなる15日も、親族の人と面会。その人の見守る中、静かに息を引き取った。苦しむことなく、眠るような最期だったという。せめてもの慰めだ。 「娘は最後まで演劇とともに生きた。悔いはなかったでしょう」と大阪に住む医師である父親。妹も医者。知らなかったが、土井さんは医者の家系だったのだ。しかし、本人は医者になることは拒否し、早大文学部に進学、演劇の道を歩んだ。 遺影の後ろのスクリーンに映し出される子供時代から学生時代の土井さん。知り合ったのは、ここ十数年ほどだから、昔の土井さんの写真を見るのは初めて。宝塚に憧れて、ミュージカル研究会に入り、振付、そして演劇ジャーナリストへ。会場で「スカート姿の土井さんを見たことがなかったから、こんな土井さんを見るのは初めて」と誰かが言っていたとおり、いつもボーイッシュな姿の土井さんとは別人のように、子供の頃の可愛らしい笑顔、学生時代の女の子らしい写真に新鮮な驚き。この写真をネタにからかってあげようと思っても土井さんはいない。56歳。あまりにも早すぎる。演劇と共に生き、最後まで演劇を愛し続けた土井さん。合掌。 会場には久しぶりに会う友人・知人の顔。山田ちよさん、米屋尚子さんは芝居探検隊仲間。中野区役所の鈴木さん、TSミュージカルの飯塚さんと謝珠栄さん、加藤健一事務所の阿部さん、福井貴一氏etc 山田ちよさんはTVKで演劇情報のコーナーを持つとか。 H英樹氏とS木聡氏が話しこんでいるので、二人の接点は何かと思いきや、早大劇研の先輩・後輩の仲。「大学を卒業して、いったん芝居の足を洗ったのも林さんの存在があったから。あの芝居に賭ける林さんの姿を見ていたら、自分には芝居を続ける資格がないと思った。しばらくしてサラリーマン新劇喇叭屋と名乗ったのも、林さんに会ったとき、”サラリーマン”というエクスキューズがほしかったから」 意外な告白。 「本当は芝居も転形劇場のようなストイックな芝居が好きなんです」とも。 「腹黒弁天町の劇評、よくおぼえてますよ。自分の芝居に自信が持てなくて、先行きが分からないとき、誉めてくれたのはとても嬉しかった。今もそうだけど、僕はいつも自信がなくて……」 20年前のちょっとした劇評をおぼえてくれていたとは。そして「自信がない」とは、これまた意外な……。「朝ドラなど、ほとんど検閲のようなもの。芝居の世界も動員=経済がまずありきで、どんどん息苦しくなってます。自分の劇団ではやりたいことをやってますが、外部の作品は……」 自信満々、ある意味で傲岸不遜なイメージがあったS木さんだが、話してみると、それはまったくの誤解。考えてみれば、20年前から劇団と付き合いはあるものの、代表のS木さんとはきちんと話をしたことはなかった。20年目でこのような話ができたのは土井さんの引き合わせかもしれない。 2000、遅れて来た小宮孝泰さんの焼香を待って散会。野田・謝さんグループに挨拶をして家路に。 9月20日(土)曇り 不要とされた合本をとりあえず2冊引き取る。漠然と手を伸ばした1冊は偶然にも83年5月の号。パラリとめくると寺山修司の顔が……。不思議。 1900帰宅。めったにない3連休。夜更かししても、思い切りお酒を飲んでも大丈夫。こんな日に限って何の予定もないのだから、もったいない。夜中まで音楽聴いたりネットサーフィンしたり。 9月19日(金)雨 台風接近。 1830、ル テアトル銀座で「双頭の鷲」。ロビーは各界から贈られた胡蝶蘭の山。 終演2220。休憩15分を2回挟んでほぼ4時間。長い……。大詰めで出演者の一人がセリフを忘れて絶句。プロンプの声が響いたのは美輪演劇で初めて。 休憩時間にK井さんと立話。来年は毛皮のマリー。先日、偏陸さんと蘭さんが見に来たとのこと。11日から俳優座劇場で偏陸演出の毛皮のマリーがあるのだ。K井さんから、美輪さんの新刊の初版部数を聞いてビックリ。なるほど各出版社の依頼が殺到するわけだ。美輪さんだけは出版不況に関係なし。 9月18日(木)晴れ 日野てる子死去の報。60年代に活躍した歌手。まだ63歳か。子供の頃にテレビで見た歌手は自分よりはるかに年上だというイメージがあり、彼女もとっくに70歳を超えていると思っていたが。 「きれいな月が海を照らし、たたずむ影が頬を濡らす……」 「夏の日の想い出」は100万枚の大ヒット。60年代の中ごろ、叔母の結婚式のために上京した祖父母が、記念に日劇で見たのが日野てる子ショーだった。その頃は、彼女もまだ20代だったのか。祖父母が生で見た、最初で最後のテレビスター歌手。「テレビで見るより背が小さかった」と言ってたっけ。 1620、久々のK記念病院。内・外装工事も完了し、ピカピカの医院内。 1800、渋谷。HMVでCD視聴。 このところ、何カ月も新譜を買ってない。食指が動くアーチストがいないのだ。「今日もダメかな」と思いながら、視聴コーナーへ。 よさそうなのはジャケットを見ただけで、だいたいピンと来る。来た! 阪詰美紗子。美人じゃないのがいい。アタリ。声質といい曲想といい、ズバリ好み。「オンナゴコロ」と「恋の誕生日」。クリスタル・ケイやBoAに楽曲を提供している実力派とか。なるほど。 次いで、沖縄出身のデュオ、やなわらばーのカバーアルバム「凪唄」と、柴田淳の新譜「愛をする人」。2曲目の「お父さんより」の出だしを聴いただけで、おもわず涙腺が……。 4枚で7000円ちょっとの出費。久々の満足感。 1900、パルコ劇場で「竹内まりやソングミュージカル 本気でオンリーユー」 空席も若干あるが、ほぼ満席。女性客に混じって、ちょっと場違いな感じの男のコたちは松浦亜弥目当ての追っかけたち。 物語は、自動車メーカーの広報部で働く知可子(松浦亜弥)を主人公に、良妻賢母を夢見る資産家令嬢(映美くらら)、美貌を武器に男たちの間を渡り歩く彩子(ANZA)、不倫問題を抱えながら、仕事に全力を捧げるキャリアウーマン和恵(マルシア)、恋にあこがれるオヤジOL令子(尾藤桃子)らの恋模様を描いたもの。別れた恋人が自分の友人と交際していることを知った知可子の複雑な思い、その前に現れたカメラマン助手との新たな恋……。 竹内まりやの歌と唯川恵の小説「キスよりせつなく」が絶妙に交差し、まるでミュージカルのためのオリジナル・ソングのよう。 「ユーミンソング・ミュージカル」が質の高いカラオケ・ミュージカルだとしたら、この「本気でオンリーユー」は、脚本の高須晶子が全力で立ち向かった本格派ミュージカル。演出の大根仁もいい。歌と小説のコラボレーションが成功した稀有な舞台だ。 そしてなによりも松浦亜弥がすばらしい。キュートなルックスに加え、歌が抜群にうまい。恋に悩む女のコの感情の機微をうまく表現し、舞台経験がほとんどないにも関わらず、舞台上からオーラを放射しっ放し。 松浦亜弥ってこんなにいい歌手だったのか。 いっぺんでファンになってしまったぞ。 休憩15分をはさみ2時間50分だが、長さを感じさせない心地よい時間。こんなミュージカルなら毎日でも通いたいものだ。なんとも幸せな時間。 22000終演。 9月17日(水)晴れ 1800帰宅。 9月16日(火)晴れ 1600、御徒町でマッサージ。 1900、森下・ベニサン・ピットでガジラ「ゆらゆら」。 満席。隣りの席のKさんと開演前におしゃべり。 近々、唐さんの「ベンガルの虎」を予定しているとか。 猟奇殺人事件の被告の家族と精神鑑定医、そのその妄想の中の殺人者が暗闘する、鐘下辰男得意のハードな人間ドラマ。 冒頭、犯人の父親役の高田恵篤が、舞台上手に設えたビリヤード台ほどもある白木の台の上でフィッシングバッグから取り出した生きのいいタイの頭を包丁でバッサリ。三枚におろしてしまう。舞台上で、ピチピチと跳ねる大きなタイを調理するのを見たのは初めて。血なまぐさい猟奇殺人事件のお話だけに、客席に戦慄が走る。 味覚の麻痺した精神鑑定医(小林勝也)。彼の頭の中で勝手にうごめく殺人者(若松武史)。陰惨で救いのない物語に一条の光となるのが市原悦子の演技。百洗練磨の男優陣を相手に横綱相撲。心に闇を抱え、次第に狂気に侵されていく母親を見事に演じ切る。 客席はいつものガジラの客層と異なる高齢者多数。市原ファンだ。 普段見たことのない、ガジラの超ハード芝居をどう見たか。このところ演出の常となっている嘔吐シーンに顔を覆うおばさんも。 終演後、楽屋見舞い。若松武史と立話。初日に、大滅亡で肋骨を痛めたとか。Kさんも「ボクもあれをやって肋骨にひびが入ったことがあるんです」と。ヒジがわき腹に入るらしい。 「大滅亡」がそんなに恐ろしいパフォーマンスだったとは……。 恵篤、有薗芳記、加地竜也らは飲み会に。さすがに飲みに行く気力なく、駅で別れて家路に。 9月15日(月)晴れ のんびり休日。ベータビデオをダビング。NHKの単発ドラマや「逃亡者」などの連続ドラマ、松田優作の「探偵物語」など。「オールナイトフジ」の録画も結構ある。番組でAV紹介しているおかわりシスターズ・山崎美貴が文学座で中堅女優として活躍しているのを見ると隔世の感。 9月14日(日)快晴 0930、レンタカーで出発。途中、少し渋滞があったものの、高速道路なすいすい。定刻どおり義母の家に到着。お墓参り。1800、ショッピングモールに寄って帰宅。 0時就寝。 9月13日(土)晴れ 1400、サザンシアターで青年劇場「藪の中から龍之介」。 恐慌。震災。デモクラシー。自由と抑圧。 「戦後」にして「戦前」 そして「将来に対する漠然とした不安」 今は大正。 芥川龍之介が死んだ日、彼の生み出した登場人物たちが集まった。 ――死んでるよな? ――死んでますね。 ――死んでねえよな? ――死んでませんね。 藪の中からひょっこり顔を出したのは…? (劇団HP) これまで「古臭い新劇」と敬遠して青年劇場を見る機会がほとんどなかったことが悔やまれる。前回の「呉将軍の足の爪」もそうだが、古臭いどころか、演出も役者も時代の先を行ってる。今回の作者・篠原久美子の才能も素晴らしい。演出・原田一樹も昔見た芝居の演出に興味が持てなかったので敬遠していたが、なんと、いい演出家ではないか。自分の不明を恥じるばかり。 龍之介を演じた北直樹は岸田森に似たニヒルな顔立ち。いい俳優だ。石原敬の美術も斬新。 なによりも、芥川龍之介にこれまでと別な角度からスポットを当て、まったく新しい龍之介像を提示した脚本が素晴らしい。 「陰鬱な芸術至上主義者」のイメージで語られ、「社会意識が低く、勃興したプロレタリア文学などの時代意ついていけず自殺した」と評される龍之介。しかし、それは違う、というのが舞台の眼目。 実際、龍之介は少年時代から社会主義に強い関心があり、ロシア革命に関する文献もかなり読み込んでいる。 1921年の中国視察旅行でも、官憲の検閲をかいくぐりながら見聞記を残している。帰国後に書いた「桃太郎」は、日本の侵略と強制連行をシニカルに批判している。関東大震災では自ら自警団に加わりながら、朝鮮人虐殺を目撃し「殺戮を喜ぶとは何ごとか」と批判している。 こうしてみると、芥川龍之介という作家は、実はかなり社会意識の高い作家だったのではないか。時代が時代なら「左翼作家」と呼ばれてもいい。 もちろん、「芸術至上主義者」と「現実主義者」を分離する見方のほうがおかしいわけで、耽美・幻想作家とされる中井英夫こそ、日本という権力国家を呪詛し続けた「非国民」の作家であることを思えば、芥川龍之介の遺書にある「唯ぼんやりした不安」も単純な厭世感とは別の様相を呈する。 教員向けの演説草稿に「明日の道徳」というものがあり、「前時代=明治時代は封建時代の忠義に死ぬための道徳だった。今日の道徳は大正デモクラシーという個人主義。そうすると、明日の道徳は、さらに進化した道徳になると思うかもしれないが、道徳とはいつも前の時代の反動。つまり、明日(昭和)の時代の道徳は封建時代への揺り戻しがあるかもしれない」と芥川は書く。 「明日の道徳は今日の道徳の反動」という芥川龍之介の自説はアイロニーに満ちている。龍之介にとって「明日の道徳」は再び明治の道徳の復活と考えたのだとしたら、「漠然とした不安」には別の意味が加わる。 教育基本法改悪など、一連の道徳教育も、まさに今日の道徳の反動。今の時代もまた「うすぼんやりとした将来の不安」を抱えている。 舞台は、龍之介の作品の登場人物、あるいは日常に関わった人々が龍之介の人生を巻き戻し、その真実を見守るという構成。 芥川龍之介にはほとんど興味がなかったが、舞台を見終えて、改めて作品を読みたくなった。演劇にはこんな作用もある。 1700終演。 綾瀬の東京武道館で明日の社会人大会の準備をしているので、優勝杯を預けてこようと思い、時計とにらめっこしながら、綾瀬へ。1800。ちょうどI内先生がいたので、手渡し。「足のケガが長引いて大変ですね。大事にしてください」とI内先生。 さあ、これから渋谷に引き返してパルコ劇場で松浦亜弥の竹内まりやソングミュージカルだ、と喜び勇んで電車へ……。が、ケイタイに着信。「今日は6時開演で、もう始まりますが……」とる・ひまわりのT田さんからのメッセージ。 エッ!しまった。時間を間違えた。1900開演、ぎりぎりセーフだと考えていたのに。 開演時間を間違えるなんて。ショック。躰道の大会も日にちを勘違い。そのために優勝杯を運んできたのに、今度はパルコの時間を勘違い。 なんという大ボケ。 気落ちしたまま家路に。 9月12日(金)晴れ ああ、勘違い。15日が躰道社会人大会だと思っていたのに、念のため確認したら14日だった! いかん、義父のお墓参りの予定を入れていた。翌日、大会に行って応援、去年の優勝杯を返還しようと思っていたのに。愕然。いまさら変更はできないし。 1700、阿佐ヶ谷。江戸竹で刺身定食。ぶらりと5丁目へ。F士見荘は蔦に埋もれて健在。 1900、吉祥寺シアターで文学座アトリエの会「ミセス・サヴェッジ」(上村聡史演出) タイトルから中身はうかがえない。しんねりむっつりした文学ものだったらどうしようかと、あらかじめ予防線を張って観劇に臨んだが、あにはからん、最近文学座でこんなに笑ったのは久しぶり。 第二次世界大戦終戦から5年後。アメリカ・マサチューセッツ州にある療養施設「ザ・クロイスターズ」に新しい入所者としてエセル・P・サヴェッジが3人の継子と共にやって来た。エセルは夫の亡きあと【メモリアル基金】を設立し、サヴェッジ家の財産を彼女の思いのままに次から次へと消費するのであった。その彼女の行動を阻止するために、3人の子供たちはエセルをここへ連れてきたのであった。平穏な「クロイスターズ」の入所者たちはエセルを歓迎する。彼らの個性や人生に触れたエセルは、自分の【メモリアル基金】への価値観をあらためて確信する。夢を諦めきれない、バカらしいけれど秘められた才能を持つっている、失敗を恐れず挑もうとする、そんな人々に援助の手をさしのべることがエセルのこれからの人生であり、愛する亡き夫も感謝してくれるはず。 サヴェッジ家の財産をめぐるエセルと子供たちの駆け引き、クロイスターズの住人たちをも巻き込んで展開される上を下への財産争奪戦の末、待っていたものは…。(HPより) 強欲な3人の子供は継母を精神病院に入院させ、財産を我が物にしようとするものの、一枚上手の継母はすでに財産を社債に変えて、どこかに隠してしまう。隠された社債をめぐって、精神病院の中で繰り広げられる継母と3人の子供(上院議員、判事、淫蕩な放蕩娘)のバトル。そして、その継母に厚意を寄せる入院患者たち。彼らひとり一人の性格や、なぜ精神に変調をきたしたのかも、きちんと描かれる。社債はお約束どおり、あるモノの中に隠されているのだが、それをあっさり、子供らに渡し、戦いを終えようとした継母だが、この後、思いもよらぬ出来事が……。 最後まで目の離せない、まさによくできた戯曲。3人の子供たちも悪漢ではあるがどこか憎めない人間らしさがある。登場人物すべてが人間らしい優しさに満ちていながら、心に傷を負っている。ミセス・サヴェッジの最後の決断の余韻がいつまでも残る名作。 患者たちの天衣無縫な行動と哀惜。どこか「まぼろしの市街戦」と共通する。戯曲は1950年の作。「まぼろしの市街戦」は1966年。影響はあったのかもしれない。 開演前にN村まり子さんとおしゃべり。帰りは江森さんと駅まで。「ベニサンとトップスが閉館するのは寂しいね」と。 「マンガ夜話」の続きを見る。どこまでいってもオチャラケ。悪口雑言の数々。「男組」を取り上げた意味がわからん。番組消去。 9月11日(木)晴れ時々雨 1500、目黒ウッディシアターで「枕草子が好き!」。「グループ る・ばる」の3人、田岡美也子、岡本麗、松金よね子が、ほかのプロデュース公演に招かれての舞台。「枕草子」をモチーフに、朗読、芝居、トーク、雅楽の演奏などさまざまな切り口で清少納言に迫る。 清少納言を現代のブロガーと見て、3人がパソコンの前で、言葉を打ち出す冒頭。ま、これは予想できる演出。想定外は雅楽の演奏。間近で篳篥(ひちりき) 笙(しょう)、横笛の合奏を見たのは初めて。 なんとも雅な1時間30分。終演後、「稽古不足で……」と申し訳なさそうな田岡さんと松金さん。確かにおぼつかない朗読に、セリフもカミカミ。が、3人のぬくもりのある舞台は好印象。 演出は生田萬。終演後にしばし立話。 ブリキの自発団休止の後、「世界遺産」などのテレビドキュメントで活躍していたが、「また、儲からない芝居の世界に戻ってきました」と苦笑い。今は平田オリザの後任で「キラリ☆ふじみ」の芸術監督。「オリザさんの果たした演劇的功績は大きい」「小劇場の劇団が消滅していく中、キラリ☆ふじみを俳優が集う演劇センターに育てていきたい」と熱い。 「今、芸術監督は色んなことがあるけどね」と、北村想の辞任、新国立劇場騒動などを念頭にした冗談を。 今日の芝居のラストシーンは映像と実像の融合。3人の平安女房が女優の肉体から遊離し、壁に消えていく幽玄なシーン。枕草子の言葉の切れ端がスクリーンの上方から降ってくる。「天野天街の映像みたい」と思ったら、やはり「そう、わかりました? 天野くんをリスペクトしてるんですよ」と生田さん。 O路恵美と事務所社長のH本さんが見に来ていたので、帰りに喫茶店でお茶を。5月に病を得て手術したというH本さん。まったく知らなかった。術後の経過も良好そうでよかった。以前よりもさらにほっそりとなったO路さん、来年のR山児★事務所の芝居に出るとのこと。やや線の細いところが気になるが、頑張って欲しいもの。 1815、上野へ。癒しの2時間。 2100帰宅。 9月10日(水)晴れ 寝不足もいいとこ。目の下にクマ。なんとか乗り切って帰宅。 寝不足で頭朦朧。 昨夜録画したNHKのマンガ夜話を見る。「男組」の特集。しかし、思い入れがあるのは格闘家の角田だけ。大槻も夏目もいしかわじゅんも、岡田斗司夫も興味ないのがありあり。絵柄の変化や池上遼一の個人史など、どうでもいいことばかりをクチャクチャ。 「男組」が新左翼への挽歌であり、最終的には主人公・流全次郎が暴力による革命を志向したという側面を無視し、瑣末な笑いネタで終止。最悪な展開。NHKが暴力革命を肯定するマンガを賛美するとは思わないが、まさか、こんな取り上げ方をされるとは。最低最悪な番組。いっそのこと、取り上げなければよかったのに。 流全次郎が影の総理=権力に単騎で突入するラストシーンに流れるワルシャワ労働歌。あれが「男組」のテーマなのだ。 暴虐の雲 光を覆い 敵の嵐は 吹きすさぶ 怯まず進め 我らが友よ 敵の鉄鎖をうち砕け 自由の火柱輝かしく 頭上高く燃え立ちぬ 今や最後の闘いに勝利の旗はひらめかん 起て 同胞(はらから)よ ゆけ闘いに 聖なる血にまみれよ 砦の上に我らが世界 築き固めよ勇ましく 腹が立ったので途中で番組を見るのをやめて、早めに就寝。 9月9日(火)快晴 あまりにもハードな一日。夕方には首と肩がパンパンに。予約でいっぱいだったが、その隙間を縫って御徒町へ。1時間だけのマッサージ。 1900、新宿。サザンシアターで「WINDS OF GOD」。今井雅之が20年前に初演。ライフワーウにしている特攻隊芝居。食わず嫌いで今まで見ずに来たが、見ないで批判もできない。 というわけで、20年目の初観劇。 結果的には、「そんなに反動的な芝居ではない」。漫才師コンビが事故にあい、過去にタイムスリップ。そこは1945年8月、敗戦間近の日本。彼らが「再生」したのは出撃をひかえた特攻隊員。敗戦の日が近づくにつれ、次第に彼らの中の「特攻隊員」の意識が目覚め……。 熱い男、今井がカーテンコールで絶叫する。「アイ・ホープ ノー・モア・ウォー」 反戦芝居としてみれば、見られなくもない。が、芝居の流れと別の「演説」で、「日本は西側の一員。西側の国が侵略されれば共に戦うべき」、パンフでは「親殺し、無差別殺人は戦後教育が諸悪の根源」「卒業式で日の丸掲揚・君が代斉唱に反対するのはiいかがなものか」といった右翼的言辞。 どうも、今井のメンタリティーはそっちにありそう。沖縄、ハワイでこの芝居を上演したというが、その底意はカムフラージュされている。だから、芝居としては可もなく不可もない。 ウーン、意図がよくわからん。真に「ノーモア・ウォー」なのか。 で、二言目には「戦後教育批判」が右派の定番だが、今回の芝居のスポンサーのひとつは西酒造。三笠フーズの汚染米事件で被害を被った焼酎メーカー。三笠フーズの社長は73歳。戦中教育を受けた人物ではないか。徳育・道徳教育を受けた人間が人間の健康に害のある米を違法に流して儲ける。どこが戦前の道徳教育なのか。戦後教育を否定する輩の矛盾を見たり枯れ尾花。 2150終演。30分押し。東京楽日とあって、アドリブも多く、カーテンコールも長いため。 2300帰宅。芝居を見る前に飲んだカフェインドリンクの効き目が持続。眠れない。1時、2時、3時……ようやくウトウトしたと思ったら、もう起床時間。ドリンク効き過ぎ……。 9月8日(月)晴れ 終日、部屋の片付け。Iさんに出産祝いの絵本を送付。 9月7日(日)晴れのち雨 0800起床。その後、1400まで二度寝。 午後からスニーカーを買いにABCマートへ。雨。 帰宅し、部屋の整理。 青い部屋で行われるエミ・エレオノーラさんゲストの「ご存知浅草貴婦人会」のライブに行きたかったのだが、体力の限界。断念。 9月6日(土)快晴 1825出社。平常どおりの仕事。 11時過ぎ、M上さんからケイタイに電話。昨夜、ケイタイに電話をしたのだが出ず。「ゆうべの電話はたぶん〇〇さんだと思って」と。山中湖にある友人の別荘で訳詩がてらオフを楽しんでいるとのこと。「この前、大間までバイクでツーリングする青年の番組を見ていたら、下北はいいなあと思って……」 帰省の時の話やら、しばらく四方山話。 1500、大隈講堂で流山児★事務所「狂人教育」。びっくりするほどの観客数。1階がほぼ満席で2階も。1000人弱か。無料公演とはいっても、これだけの集客はたいしたもの。 入口で九條さんと立話。高取さんがいたので一緒に自販機まで飲料の買い出し。喫煙所で流山児と銀粉蝶。銀さんとは久しぶり。藤井びん、龍昇と、まるで演劇団同窓会。 寺山修司が人形劇として書いた「狂人教育」を流山児祥が演出。今回は日中のコラボレーション。人形を演じた中国の女優たちが素晴らしい。今回の芝居の成功は彼女たちの存在に負う所が大きい。セリフが中国語というのもミソ。字幕によって逆に、戯曲の構造がスッキリと見えてくるのだ。 中国の女優たちの動きのしなやかさ、セリフ術の巧みさ。こんなに洗練された流山児芝居も珍しい。 終演後、大久保鷹さん、三坂知絵子さんらと立話。 九條さん、偏陸さん、元天井桟敷のスタッフで今は早大教授の安藤紘平さん、愛知学院大の清水教授の5人でお茶。元の学食があった場所にオシャレなカフェバー。隔世の感。 60年代、寺山さんが飯倉片町の「スペイン村」に居を構えた頃、速攻でそこを舞台に映画撮影を始めたというエピソード、メイ牛山さんの居宅を借りてトマトケチャップ皇帝の撮影をしたときの苦心譚、恐山の本堂での撮影エピソードなど、記録には残らないけど、ディティールが面白い背景話を聞いて大笑い。 1830、駅で解散。九條さんと飯田橋で別れ、トリノへ。高校同窓会幹事会。5時からスタートなので、2時間経過。30人弱の参加者で、すでに会議は終わり宴会の最中。会報の打ち合わせ少々。 今朝、同僚から聞いた「函館・大間フェリー廃止」のニュースは地元では相当のショック。なのに、むつ市出身者の多い幹事会では、「大変だね」とはいうものの、他人事。 やはり、下北半島の北通り地区は、市中央部にとっては「他人」なのか。口にするのもはばかられる暴言も聞いたが、酒席のことと、ここは隠忍自重。地域間の温度差はいたしかない。 2000解散。 新宿へ。月蝕の打ち上げが魚民で。一次会も終盤。大入りを配っている最中。イラストレーターの吉田光彦さん、阿部能丸らと歓談。 二次会はいつものドラ。ざんざん降りの雨の中、笹生愛美と相合傘。PANTAさんと京都の早川さんが九段のイベントから先乗り。早川さんは新雑誌「BOKUDEN」編集長。表紙は松岡正剛氏。オールカラーの季刊誌で、結構贅沢な作り。40代〜団塊世代向けの雑誌か。 2300、電車がなくなるので一足先に失礼。竹ノ塚止まりでタクシー帰宅。2530。 9月5日(金)快晴 1530、癒処でマッサージ。この癒しの時間の幸福。 1830、赤坂。ACTシアターで赤坂歌舞伎。勘三郎の「狐狸狐狸ばなし」、勘太郎、七之助の「棒しばり」。休憩20分をはさんで2時間30分。分かりやすい話なので普段歌舞伎を見ないOLも「面白〜い」と歓声。「棒しばり」の兄弟競演。伝統芸の芸伝習の厳しさに感嘆。二人の動きの素晴らしさ。肉体の鍛錬の見事さは武道の真髄にも通じる。井之上隆志がひとり、歌舞伎役者に交じって健闘。 2200帰宅。 9月4日(木)快晴 目覚ましが鳴ったのに気が付かないほど熟睡。睡眠不足がたたったか、あやうく電車を逃すところ。目覚めて15分で食事、洗顔を済ませて会社へ。 1730、同僚N君の送別会。 同年齢のN君はまだ独身。故郷にいる母親の面倒をみるため退職を決意したとのこと。80代の母親に残された時間は少ない。定年までまだまだあるが、その残された時間を共有する選択をしたN君に敬意。誰もができることではない。 2100帰宅。 ベータテープに「おしん」が入っていたのでなんでこんなのを録画したのだろうと思いつつ、流し見すると、大学の友人、O山さんの顔。卒業後、しばらくは女優業に専念していた彼女。そうか、「おしん」にも出ていたのだったか。すっかり忘れていた。今は弁護士として活躍するO山さん。さっそくメールすると「もう忘れた過去のことよ」との返事。……そうかな。 9月3日(水)快晴 ネットの演劇ニュースのバックナンバーを見ていたら、思いもよらない活字が飛び込んでくる。「演劇ジャーナリスト・土井美和子さん死去」。 エッ!ウソだろ。日付を見ると8月15日。こまつ座を見に行った日だ。土井さんの姿を見かけたような気がしたが、あれは幻だったのか。亡くなったことは まったく知らなかった。劇場で会えばいつも話しかけてくれ、自主公演の宣伝などを頼まれたこともあった。キッドブラザースに在籍していた土井さんから、さ くらんぼ共和国の話を聞いたこともある。相手と話すときの含羞をにじませる笑顔が目に浮かぶ。まさか、亡くなっていたとは。56歳。まだこれからなのに。 若すぎて、身近すぎて実感が沸いてこない。 1700、阿佐谷。待ち合わせまで少し時間があるのでフラリと銭湯へ。ここに住んでいたとき、一度は入ったことがあったか。阿佐谷・玉の湯。石鹸、タオル込みで670円。時間が早いのでお年寄りたちが数人。汗を流してサッパリと。 1745、駅でK嶋さんと落ちあい、南口の喫茶店で軽く食事。 1900、ザムザ阿佐谷へ。NON GATE THEATRE旗揚げ20周年公演『劇輪。』 高山広の「おキモチワールド」最新作。 混み合うかと思いきや、観客20数人。この前の赤坂REDシアターの熱気はどこへ。 しかし、観客は少なくても手抜きなしの2時間。 ショートコントに大笑い。国土交通省のタクシー問題をパロディーにしたシリアスコントは、なぜ タクシー接待が違法・脱法行為なのかをわかりやすく見せてくれる社会派劇。テルテル坊主コントに大笑い、花火セットのセンコー花火にほろり。二度目だと、 だいたい「おキモチ」ワールドが見えてくる。 K嶋さんも笑いのツボは一緒のようで、最後まで楽しく見られた様子。 ただ、冗漫な部分がかなりあり、そこを整理すれば、もっと面白くなる。「ライター・ディレクター・アクター」の欠点は、自分の芝居を客観視できないということ。 編集者のいない小説家のようなもので、どうしても書きたいこと、演じたいことがどんどん長くなる。 2130、ちょうど2時間。 近所の居酒屋で軽く飲んで……と思ったが、話が弾み、ついつい長居を。最寄り駅まで送って行って、自宅には最終電車一つ前。0045帰宅。 9月2日(火)晴れ 久しぶりの出社。1週間も休みがあると、会社に行くのがイヤになる。いつもより早めに起きて、自分を叱咤、なんとか出勤の途に。ま、行ってしまえばいつもどおりの生活が始まるのだけど。よりによって、福田辞任会見の翌日とは。 が、意外に平穏無事な一日。「引っ越し」で会社の中は大事に。ダンボールの山。 1600〜1830、亀有リリオホールで舞台創造研究所の「かな手本忠臣蔵」。大芝居(大劇場で権威に守られて行われる歌舞伎)ではなく、地域に根ざした小芝居を復権させようとスタート・模索してきた歌舞伎公演の本格始動。伊吹吾郎、竜小太郎、仁科仁美、立花志十郎、林家正雀、沢竜二ほかの出演。 歌舞伎を本来の庶民の手に取り戻そうという試みで、歌舞伎俳優以外のキャスト。第一幕「道行旅路花聟」、第二幕「祇園一力茶屋の場」、第三幕「小田原本陣の場」。 歌舞伎役者の口跡とはまた違う庶民感覚の歌舞伎が体にすんなり入ってくる。ただ、プレビューとはいえ、客席は20人ほど。ちとさびしい。 1900帰宅。日が落ちてもセミの声とスズムシの声が響き渡る。夏と秋が合唱。やはり日本の四季がおかしくなってる。 ベータで84年のドラマ「激愛 三月までの」を見る。草刈正雄と三田寛子の純愛物語。草刈正雄に思いを寄せる中原理恵がいじらしい。そうだ、思い出した。このドラマにハマっていたのだった。懐かしさで胸がいっぱい。 ベータをレコーダーに接続すると、音声デシベルが低い。調べると、レコーダーにデシベルを調整する設定があるのだ。ネット検索で判明。しかも、コードの接触も不良。そのままDVDに落とさず、調べてよかった。 9月1日(月)晴れ 0800起床。 実家から持ってきたベータテープをDVD焼き。82年頃のアフタヌーンショーでは中山千夏、八代英太、美濃部亮吉の3参院議員が政府の拘束式比例代表制施行に異議申し立てをしている。ばばこういちの鋭い質問も健在。まだこの時期のテレビにはジャーナリズムが存在した。 午後、歯医者。その後、P理容室でカット。接骨院で治療。1930帰宅。 2100過ぎ、福田辞任の速報。とうとう政権投げ出し。 |