| 11月30日(日)晴れ 休日。 11月29日(土)晴れ 正午、会社の引越し作業が始まるので早々に引き上げ。 1400、森下へ。ベニサン周辺の飲食店はすべてお休み。喫茶店で休もうと思ったのに、公園でおにぎりを食べるはめに。 劇団桟敷童子「黄金の猿」。戦火の続く半島から海を越えて渡って来た一族の衰亡を描く伝綺ロマン。差別され虐げられる一族は半島人、被差別民の象徴。 ベニサンピットの空間に張り巡らされた丸太と細工木。滝の奔流、水を張った水槽舞台。梁山泊「人魚伝説」もかくやの大量の水を使ったスペクタクル。 ゲストの山本亘が老爺の役とは時代の変遷を感じてしまうが若い俳優に交じってダイナミックな動きはさすが。 ただし、大掛かりな舞台装置だけに目が行ってしまうというのも劇団の不幸か。 約2時間。 2000、新宿。歌舞伎町「FACE」で「グラヴィティ ライブ VOL3」。キャパ500のライブスペースが満席。柳橋さやか嬢がてきぱきと会場整理。 シルビア・グラブ、林希、蘭香レアの3人によるユニットの歌とダンスのライブ。 一部は昭和歌謡とポップス、二部はミュージカルナンバー。 まずはなんちゃって着物姿の三人が登場。「りんご追分」を。 客席にせり出した花道に蘭香レア。お約束どおり、その着物を剥ぎ取ると、黒のキャミソール、ピンクチェックのミニスカート、黒のブーツ。スレンダーな蘭香レアにぴったりのコスチューム。この妖艶さといったら! 目がレアに釘づけ。なんと素晴らしいプロポーション! この後、「蘇州夜曲」から「東京の屋根の下で」までナツメロオンパレード。レアが浅川マキの「夜が明けたら」を歌ったのにはびっくり。 ほかの2人に比べて歌唱力はイマイチだが、セクシー度はダントツ。「キューティーハニー」ならぬ「キューティーレア」はまさにドンピシャ。 いやはや、ライブが始まったとたん、レアにばかり目が行ってしまい、シルビア、林希さんごめんなさい。 二部のミュージカル・ジャズパートの後はカーテンコール。ポルノグラフィティの新藤晴一に作ってもらったオリジナル曲「グラヴィティ」を。サプライス・ゲストのDJ TAKU MAXによる新曲も。 2時間半はアッという間。終演後、化粧落としの3人待ちのファン・関係者でロビーはごった返し。10分後に出てきたシルビアとレアに挨拶して家路に。 11月27日(木)晴れ 円形劇場で「ア・ラ・カルト」の予定だったが、疲労でキャンセル。年末のお楽しみが露と消える。 11月26日(水)晴れ 1830、新宿・紀伊國屋サザンシターでこまつ座「太鼓たたいて笛ふいて」(井上ひさし・作、栗山民也・演出) こまつ座得意の音楽評伝劇再演。今回は「放浪記」の林芙美子。 一幕は、流行作家としての地位を確立し、日中戦争においては従軍作家として南方戦線や満州、南京に派遣され、戦意高揚の記事を書く林芙美子の得意満面な姿を。 ニ幕は、一転し、戦争末期。芙美子は南方戦線から帰還した後、突然、「この戦争はきれいに負けなくては」と言い出し、当局の監視対象となる。 そして終戦後、再び作品を依頼された芙美子は、戦争未亡人や傷痍軍人など戦争で傷ついた人々をモチーフに、鎮魂と祈りの作品を生み出していく。さながら、命を削る芙美子のもうひとつの壮絶な「戦争」の始まり。 もちろん、芙美子役の大竹しのぶの入魂の演技は当然のことながら、共演者とのアンサンブルの素晴らしさこそ特筆すべきだろう。木場勝己、梅沢昌代、神野三鈴、阿南健治、山崎一。特に亡くなった松本きょうじに代わって初出演の山崎一が懸命に舞台に取り組んでいる姿が好ましい。「パラノイヤ百貨店」から20年。役者は時代とともに成長していく。 「責任なんか取れやしないとわかっているけど、他人の家へ上がり込んで自分のわがままを押し通そうとするのを太鼓でたたえたわたし、自分たちだけで世界の地図を勝手に塗り替えようとするのを笛で囃した林芙美子……。その笛と太鼓で戦争未亡人が出た、復員兵が出た、戦災孤児が出た。だから書かなきゃならないの、この腕が折れるまで、この心臓が裂け切れるまで。その人たちの悔しさを、その人たちにせめてものお詫びをするために……」 太鼓叩いて笛吹いて、国家政策に協力した文化人が取るべき責任。その答がここにある。 11月25日(火)晴れ 0800起床。ホテルで朝食後、道後温泉へ。時間がないのでカラスの行水。 市電で松山駅へ。そこからタクシーで空港へ。 松山市内の信号の待ち時間が長いこと。運転手さんに聞くと「ここの人は皆、のんびりしてますからね」と。東京の1・5倍は長い。気が短い人は松山には住めない。 1145、無事発着に間に合い、機上の人に。空港の検問所は不愉快。テロ警戒とはいうが、あんな人権侵害に近い扱いを受けてまで飛行機には乗りたくない。 1600帰宅。 とりあえず、コレとかコレ。雰囲気だけでも。 11月24日(月)雨 市街劇「人力飛行機ソロモン 松山篇」当日。 天気予報が当たってしまい、朝、起きると雨。 市街劇に雨は大敵。これは残念なこと……。 正午にスタートなので、その前に、再び松山城へ。雨のためリフトは中止。ゴンドラで移動。 松山城の天守閣内部も彦根城と同じく急勾配の階段。お城の天守閣はみなそうなのか。そういえば、昔の実家の階段も急勾配だったが……。 松山城を下りて大街道の信号待ちをしているとPANTAさんとバッタリ。正午からソロモンの「プロローグ」。 急いで市役所に移動し、地図と正岡子規のお面をもらい、路面電車に飛び乗り再び大街道へ。 正午、松山市一帯で同時多発的に展開する「市街劇人力飛行機ソロモン」のスタート。移動演劇、固定演劇など、約50の演劇が同時多発。 まず、市の目抜き通り、「大街道」でのプロローグ。 トレーラーの荷台から緋色の布が商店街のアーケードをのびていく。それは飛び立つ人力飛行機の滑走路か。シーザーの反復音楽。白塗りに黒の衣裳の役者たちが「絨毯」の上を静かに進んでいく。先頭は一人の若者と、老理髪師(下馬ニ五七)、従者の女性(蘭妖子)。 アーケードに集まり、劇を見守る市民。誰もが目の前で展開する、「見たことのない演劇」に驚嘆の面持ち。 自転車泥棒、郵便配達夫の受難……少女。 約30分のプロローグの後、役者は一瞬のうちに街に溶け込み、四方に散って行く。呆然と佇む市民。 アーケードで九條さん、笹目さんと立話をしていると、60代のおばさん二人連れが、「関係者の方ですか?」と話しかけてくる。 「私たち、広島から観光に来てこの後すぐに帰るんですけど、素晴らしいものをみせてもらいました。もう大感激です。こんなすごいのを見たのは初めて。嬉しくて嬉しくて」 プロローグのパフォーマンスを見て度肝を抜かれたそうで、思わず関係者らしき人に話しかけたのだとか。 こういう反応はうれしい。 それにしても九條さんを「関係者」と見破った眼力もすごい。 榎本了壱さん一行と合流し、番長小学校へ。愛知学院大教授で寺山学会の清水先生は授業を休校して参加。大きなカートを引きずっての移動。 これは71年にオランダで行われた人力飛行機ソロモンでシーザーが役者として出演したひとつのエピソード。 九條さんが宿泊している全日空ホテルのロビーをショートカットし、大街道からロープウェー街道を北上。「赤煉瓦」での「注文の多い料理店」はすでに観客が殺到し、入れず。ロープウェー前の「時計仕掛けの浪曲師」へ。 ここで九條さんらとはぐれてしまい、一人で市内を放浪。ジャズ喫茶「イン・グレッジ」に行くと、蘭さんライブ「惜春鳥」は時間前。一本道を北上し、六角堂へ。降り始めた雨は次第に雨足が強くなり、六角堂前には傘をさした観客が十数人。月蝕歌劇団の「便所のマリア」「南京の基督」。 なかなか始まらず、再び「惜春鳥」へ。しかし、すでに店内満席。外もいっぱいで中見えず。しかも、音響の不具合で開始が遅れている様子。後で聞いたら、場つなぎに九條さんがMCをやったとか。 六角堂に戻り、女郎劇「南京の基督」を。雨強く、女優たちもずぶぬれ、三坂、天正、笹生、紫乃原、あおい。PANTAもカメラ撮影。 昼食は近所の蕎麦屋で。 円光寺での子規劇へ。途中、移動中のデリシャス・スイートスと遭遇。 円光寺に着くと、すでに終了。残念。 市電を使い、再びジャズ喫茶へ。1530、詩劇「思想への望郷」。会場は20人も入れば満員。そこにぎゅうぎゅうに押し込み、30人ほど。暗転の際の光り漏れがあるので目張りで開演遅れ。PANTAさんは予告どおりセーラー服で登場。雄姿をパチリ。詩劇そのものが40分くらいもあるので終演が1630。 急いでタクシーを止めてエピローグの市民会館へ。 1630集合厳守だったが、入場待ちの人が大勢。高取さんと楽屋口からホールへ。 まだ最終チェックに余念がないシーザー。 「月蝕さん入りました」で、エピローグスタート。 客席はアッという間に埋まり、1800のキャパがある大ホールの8割、1500人は入ったか。 シーザー得意の群集劇「思想への離陸」。小林拓のモノローグから始まり、オペラ歌手の絶唱、息を飲む壮大な群舞。 めくるめくとはまさにこの舞台。シーザーでしかできない群集劇。シーザーこそ日本の演出家の至宝。 そして、役者にいざなわれ、最終地。人力飛行機ソロモンの発進地へ。 隣接した球場跡地は降り続く雨でぬかるみ、傘をさした観客が見守る中、ピラミッド・イントレの最上段に立った下馬ニ五七のモノローグが始まる。ピラミッドの下には100人もの役者。なんと壮大な雨中の絵巻。 感動的な幕切れ。 1900、シーザーの音楽が静かに流れる中、溶暗する役者たち。劇が終わってもまだ雨に佇む観客たち。 九條さんらと番町の公民館に行くと、俳優たちが着替えと片付け。万有引力の役者はこれから会場の撤収作業。 近くの小料理屋で個別に打ち上げ。九條、蘭、笹目、偏陸、榎本、まことクラブグループに参加。まことグループのメンバーらと親しく交歓。伊藤キム氏から分かれたグループとのこと。知らなかった。 盛り上がり大会で2300まで。 11月23日(日)晴れ 1345の羽田発の松山行きANA。往復+2泊3日朝食つきで3万6000円。航空運賃がメチャ安。 出発前にM上さんにメールすると「私もあしたからハワイです」と。 飛行機で移動するのは数年ぶり、函館に温泉主義ストーンズで行って以来か。以前は帰省のたびに飛行機を使っていたのに、航空機事故多発して以来、苦手に。 1530、松山空港到着。 タクシーで20分で市内に。宿泊のホテルサンルートにチェックイン。 1600、松山城へ。市内を走るチンチン電車が移動に便利だが、土地鑑がないのでまずはタクシーで。 PANTAさんにメールすると、ちょうど松山城にいるとのこと。 天守閣は1630で締め切りだが、リフトに乗って城郭へ。天守閣から降りてきたPANTAさんとバッタリ。高取さんも茶屋に。急ぎ足で天守閣前まで駆け上がり、ひと通りお城の概観を見て回る。 1650、茶屋でPANTAさん、高取さん、高取さんの助手・Yさんと落ち合い、市内散策。「赤煉瓦」という喫茶店は昭和初期の看板、柱時計などのレトロな内装。 官僚殺傷事件の犯人が出頭してきたことについて3人であれこれ推理を。 次いで、ホテルチェックインの前の和食店で夕食。魚料理が美味。値段もいいが。 2000、PANTAさんのクルマで市民会館前の旧球場跡地へ。今回の市街劇の最終地。人力飛行機とピラミッド型のイントレ。本会場でリハの予定だったが、舞台美術設置が手間取り、先にこの場所でのリハ……が、こちらも中止。闇の中で蘭さん、下馬ニ五七さん、笹目さんと邂逅。 会館大ホールでは九條さんとも。その後、再び球場跡地でリハ。 夜ともなると温暖な松山も冷え込む。 2200、「ホテルチェックイン」のロビーでは月蝕歌劇団の打ち合わせ。解散後、PANTAさんと翌日の移動コースをシミュレーション。一方通行が多いため、実際に移動してみないと所要時間がわからない。 2400、サンルートまで送っていただき、就寝。 11月22日(土)晴れ 正午から会社の引越し作業。 1800、コマ劇場で「サムライ7」。岡村俊一演出。黒澤明の「七人の侍」をアニメ化した作品をさらに舞台化したもの。未来の機械都市が舞台。基本筋は映画と同じ。 劇のほとんどが殺陣シーン。劇団☆新感線の殺陣シーンを見ているようなもの。岡村も新感線出身だからか。 コマほぼ満席。閉館が迫り、日ごとに活況を呈しているのは皮肉。 11月21日(金)晴れ 1330、俳優座劇場で劇団俳優座「春立ちぬ」。ふたくちつよしの作品を亀井光子が演出。 高校3年生の時に受けたいじめが原因で引きこもりがちとなっている長男。そのために、「いじめ」という言葉に過敏になっていた松浦家。 そこに今度は、次女がいじめの加害者として訴えられる、という事態が巻き起こる。さらに母親の職場でのいじめも絡んで、気がつけば松浦家には、いじめ問題が集中してしまう。 その家族を見つめる同居の大叔母。実は彼女には誰にも知られてはいけない戦争中の悲惨な体験があった。 家庭、職場での「イジメ」をモチーフに、イジメの大親玉「国家」を撃つ、ふたくち流の骨太叙情劇。 主人公役の桂ゆめがはつらつとした演技。 1830、紀伊國屋ホールで青年座「MOTHER」 明治42年から大正2年、大逆事件をはさむ2年間を時代背景に、啄木、白秋、佐藤春夫ら、与謝野家に集った若き日の文人たちの青春を描いた集団劇。 与謝野晶子にキムラ緑子、与謝野鉄幹に山路和弘。 これもまたマキノノゾミ得意の「よくできた青春劇」。首尾一貫すぎるのが難点か。約3時間。 11月20日(木)晴れ 1700、ひばりヶ丘の向井さん宅へ。 「ほとんどの蔵書を処分しましたが、まだかなりの本が残っています。ご入用の本があったらぜひお持ち帰りください」と奥様。 縁者の見舞いのため帰省し、一昨日帰京したばかりとか。「青森の寂れようは驚くばかりですね。浅虫温泉など、昔は駅を下りると旅館の番頭さんたちが大勢旗を持ってお客さんを呼び込んでいたものですけど、今は町に人の姿がないんです」 浅虫温泉でさえそうなのか。小学校の修学旅行の定番だった浅虫温泉水族館。 青森の「アスパム」も閑散としている由。 小一時間、話をしながら、向井さんの蔵書を整理。下北関連の古書を三十冊ほどいただく。 人が亡くなれば蔵書は家族の負担になる。自分もいつかは……。人生は空しい。 向井さんが生きていたら、麻生マンガ太郎首相のことを何と言っただろうか。 国の最高権力者が中学生程度の漢字すらまともに読めない無知蒙昧とは。 日中交流行事で「これだけ『はんざつ』(正しくは頻繁(ひんぱん))に両首脳が往来したのは過去に例がない」と挨拶。 さらに四川大地震についても「『みぞゆう』(未曾有=みぞう)の自然災害」と。 7日の参院本会議でも、自らの歴史認識を問われ、政府見解を「踏襲する」と言うべきを「ふしゅうする」と答弁して笑われた。 基本的な学力がない。素養がない。昔の子供はマンガを通して漢字の読み方をおぼえたものだが、今のマンガにはルビはない? 11月19日(水)晴れ 1700、浜松町。「グラヴィティ」の稽古場へ。シルビア・グラブと蘭香レアさんが応対。林希さんは不幸があって帰省中。フランクなシルビアと30代になって大人の魅力全開の蘭香さん。「青ひげ公」の時は「一番ふっくらしていた時期」とか。スリムで艶のある美貌。今はペットのワンちゃん一筋?約1時間インタビュー。 1730、中野に移動。タンバリンの女優・S野さんと駅で待ち合わせ。軽く食事を済ませて光座へ。 1900〜2145、新転位・21の「シャケと軍手」。秋田・連続児童殺害事件をモチーフにした山崎哲の犯罪フィールドノート最新作。母(畠山鈴香)=石川真希、その愛人=佐野史郎、弟=飴屋法水。 車椅子の父=十貫寺梅軒。 タイトルの「シャケ」は川を遡上してくる魚の象徴。可愛がっている姪に弟が語り聞かせるのが太宰治の「魚服記」。その水と魚への思いが事件の複線となる。もちろんフィクションではあるが。 軍手は畠山が殺害時に使ったもの。弟のセリフ「東北の作家は若くして亡くなるのが多い。太宰も寺山修司も。寺山は確か……46歳」。唐突に挿入される寺山修司。ま、47歳が正しいのだが。そういえば、寺山には太宰の「魚服記」ならぬ「蝶服記」という作品がある。 「魚服記」を通して、彩香ちゃんの死を神話化しようとする山崎哲の鎮魂の芝居。2時間30分、休憩なしはさすがにつらいものがあるが、久々に歯ごたえのある芝居を堪能した。こんなふうにガツンと観客にゆさぶりをかける芝居は絶滅種なのだろうか。 石川真希、佐野史郎、飴屋法水、十貫寺梅軒、そして作・演出の山崎哲。みんな状況劇場の出身者。 しかし、今回はなんといっても石川真希の、まるで鈴香が乗り移ったかのような演技がすごい。元恋人役の佐野史郎もタジタジ。 飴屋は役者として見るのは初めてか。実に端正な芝居。東京グランギニョルから20数年? 伝説の中の伝説の男は意外とナイーブに見える。 終演が遅いのでS野さんと新宿で別れて家路に。 11月20日(木)晴れ 11月18日(火)晴れ 1530、御徒町でアロママッサージ。 11月17日(月)晴れ 夕方、理容室。岩手出身の女性スタッフS藤さんとおしゃべり。アッという間の1時間半。 1830、市民会館で小林旭ショー。割引チケットが市内のあちこちの店に置いてあったのでそれを持って2500円の席に。小学生低学年の頃、母が懇意にしていたY形先生の奥さん一家に連れられて隣町の会館に旅芝居の一座を見に行った。後年、母に尋ねたら、そのことをまったくおぼえていなかったが。母は行かなかったのだろうか。 で、その旅芝居一座の歌謡ショーで歌っていたのが「自動車ショー歌」。小林旭の歌だ。「あの娘をペットにしたくって、ニッサンするのはパッカード♪」と、クルマの名前を織り込んだナンセンスソング。楽しくて面白くて、家に帰ってから何度も歌った。といっても、テープレコーダーがあるわけじゃないし、レコードもあるわけじゃなし。耳で聞いた歌を何度も何度も繰り返し覚えたのだ。昔の子供は結構音感がよかったのか。 旅芝居というのも初めての体験で、カゴに乗った女博徒が反対向きになると、半身がもろ肌脱ぎになっていたり、ちょっとエロティックな演出もあり、オトナ向けの芝居だった。しかし、この旅芝居の猥雑さ、楽しさが自分に与えた影響は大きかった。 上京してからアングラ・サイケの猥雑アングラ演劇にハマったのはおそらく小学生の時に初めて見た旅芝居の刷り込みが大きいのだろう。「初めて見たのがシェイクスピア劇」という人たちとそこが大きな違い。 小林旭。ディナーショーなら数万円。しかし、地方の市民会館で2500円。なんだか淋しい。もっとも、客席は超満員。ほとんどが60代以降。 MCと歌。MCでは先の暴力団組長との同席ゴルフの顛末を面白おかしく弁明。ファンだけの場だと思ってか……。 2時間足らずの歌謡ショーに客席も満足。 11月16日(日)晴れ お昼は家族で回転寿司へ。午後、ラジオドラマのデータ整理。MDから転送。 そばでは娘が保育園の園児のために、白地の絵に色付け作業。豚児は期末試験前でようやく重い腰を上げるも……。 アマゾンに注文したエヴァ・カシディのCDは海外からの発送なので結構時間がかかったが、1週間ほど前に到着。YOU TUBEで流れている曲とは異なるアルバム曲が聴かせる。 11月15日(土)晴れ 正午で会社の配線関係は切断。それを機に退出。下北沢へ。 1400、スズナリで劇団鳥獣戯画「ダンシング・オールオでい・クラブ」。 シリーズ第一作「カリフォルニア・ドリーミン」のような団塊世代の胸にひびくハートウォームな物語を期待したのだが、さにあらず。「ヒッチコック劇場」ふうのコミカルな殺人事件ミュージカル。オールディーズとダンスでつないでいくも、必然性薄し。いわば、好きなカラオケをメドレーしているようなもの。 50代が集う村のスナック「朝日のあたる家」。そこへ風体の怪しい旅の男が登場。店の客にも大盤振る舞いの乱痴気騒ぎ。そのうち、常連が山から採ってきたキノコを独り占め。男に主人が料金を要求すると、1枚の宝くじを……。「2億円をお前らにくれてやる」と。 逃走した食い逃げ男は翌日、死体となって発見される。 男を殺したのは誰か? 店の常連客にはそれぞれ身におぼえが……。 ……といった軽喜劇ミステリー。知念正文にしては、やっつけ仕事のような薄味芝居。まるでナツメロ・カラオケ大会のよう。これはいただけない。 舞台で踊る知念、石丸。さすがに年齢による衰えは隠せない。その間に挟まれ、一粒種のユニコのキレのあるダンス。いつかくるであろう世代交代の図にせつない思い 1600終演。 大急ぎでビッグサイトへ。好評のまな板を追加注文。ネーム入りのマイ箸も。 1730。銀座に引き返し、BLDギャラリーへ。1800から田中未知さんが編んだ「写真屋・寺山修司 摩訶不思議なファインダー」のレセプションパーティー。 寺山修司の美的な才能は写真にも発揮されている。 ふつうなら<真>を写すのが写真というものなのに、寺山は人間の、わざとらしさ、虚構、仮面、修辞、空々しさといった<虚>に惹かれて写真を撮りつづけた。限りなく「私」から遠ざかっていく人々――「変わることのない彼らの微笑みは、永遠の百年の中の死を生きてゆくのである」(田中未知) 寺山修司の写真は永遠に新しい。 天井桟敷関係者多数。竹永茂生、高橋咲、福士恵一、安藤紘平、蘭妖子、三上寛、サルバドール・タリ……。小椋佳、高橋ひとみも。高校時代に一番聴いたのは小椋佳のアルバム「雨」だった。気後れしてしまい、話をすることができなかったのが残念。 その後、高取さんと近くの喫茶店でお茶。 持っていた中井英夫著「幻戯」を見せる。寺山修司を題材にした「炎の種子」という戯曲風短編を書いていたのを高取さんも知らなかったようだ。 三島由紀夫の自決日が「仮面の告白」の寄稿日と同じであることをいち早く見抜いたのが中井英夫だが、その中井英夫が亡くなった日が「虚無への供物」の物語の開始日」であるのも不思議な符合。 1900、高取さんは稽古へ。1930、上野の居酒屋でDさん、Mさんの打ち上げに参加。二日連続で3人の飲み会。小一時間で帰ろうと思ったが、居心地よく、また終電ぎりぎりまで盃を重ねることに。 11月14日(金)晴れ 引っ越し準備で社内はダンボールの山。 1600、ビッグサイトへ。「農林水産祭・実りのフェスティバル」に友人Dさんの木工店が出品しているので、久々の再会と激励に。閉館20分前に到着。慌しく各県の特産物を見て回り、ジャムなどを購入。家人に頼まれていたので、Dさんのまな板を。Mさん手彫りのネーム入り。これが嬉しい。 1800、上野に移動して居酒屋「北海道」で飲み会。久しぶりのリユニオンに話が弾み、帰宅は午前0時過ぎ。アルコールと睡眠不足でさすがにぐったり。 11月13日(木)晴れ 昨日の毎日新聞夕刊「特集ワイド:憲法改正論にまで踏み込む前航空幕僚長 『田母神論文』の危うさ」で遠藤拓記者が「これまでの制服組による問題発言とは根本的に異なる、不穏な空気も漂う」と田母神「事件」を検証。 その中で、今回の騒動を「政治が何もしてないかのように言うなら旧陸軍将校によるクーデター『2・26事件』(1936年)と何も変わらない」(本紙11月1日付朝刊)とした石破前防衛相のコメントをひき、「日本の現代史上最大のクーデター事件と同列の視座で語っているところに、石破さんの強い危機感がにじむ」と書く。 石破も同じ穴のムジナと思うが、その石破でさえ、そんな懸念を表明するのだから、今回の事件がどんなに衝撃的だったか。 作家、半藤一利さんのベストセラー「昭和史 1926−1945」(平凡社)。33(昭和8)年に大阪で起きた兵隊の交通違反をめぐって警察と軍が激しく対立した「ゴーストップ事件」を論じた個所で、半藤さんはこう記す。<日本は決して一気に軍国主義化したのではなく、この昭和八年ぐらいまでは少なくとも軍と四つに組んで大相撲を取るだけのことができたといえます。ただし、軍にたてついて大勝負をかけた事件はこれをもって最後となり……軍が「ノー」と言ったことはできない国家になりはじめる> 軍部が力を持ち始める時代、それが暗黒時代の幕開けであるのは歴史が証明している。 <今のこの国に“いつか来た道”の再現を拒む力は残っているか。問いは田母神氏ではなく、私たちに突きつけられている> 田母神事件に正面から切り込んだ遠藤記者の勇気。 1620、K記念病院で鍼。その後、革製品の「ニチワ」で革ジャン物色。 11月12日(水)晴れ 毎日新聞一面トップは「裁判員制度:「控訴審は1審尊重」の大見出し。 最高裁司法研修所は11日、来年5月に始まる裁判員制度の下での控訴審の在り方について研究報告の骨子をまとめた。「国民の視点、感覚、経験が反映された結果をできる限り尊重する必要がある」と指摘し、1審の判断を重視すべきだと提言している。 裁判員の参加は1審だけで、控訴審は従来通りプロの裁判官だけで審理される。1審判決を破棄して差し戻せば再び裁判員を選び直すなど国民の負担も大きく、高裁の裁判官は頭を悩ませていた。司法研修所の研究報告は全国の裁判官が審理を進める参考にしており、日本の3審制の在り方にも大きな影響を与えそうだ。報告書では、「1審判決の内容に誤りがないかどうかを記録に照らして事後的に審査する」という控訴審本来の位置付けを明確にし、より徹底すべきだとした。 要するに、裁判員制度がスタートした場合、裁判員裁判に関して、一審の判決を尊重せよ、高裁の控訴審は事実認定に誤りがない限り、一審の判決に従うべき、というもの。 裁判員制度の矛盾を糊塗しようという不合理な提言にほかならない。 これでは控訴審がまったく意味のないものになってしまう。 裁判員制度で裁くのは殺人・放火などの重大犯罪。死刑判決も視野に入れた裁判であり、慎重に慎重を重ねるべきだろう。 それを、一審でこんな判決が出ました。控訴審で覆したら、国民参加で審議した意味がなくなります。だから控訴審はなるべく一審判決に従ってください。……これでは三審制度そのものが崩壊してしまう。 冤罪事件「八海事件」では「まだ最高裁がある!」と無実の死刑囚が叫んだが、裁判員制度では、その叫びも空しく響く。 公害裁判などの住民訴訟では、住民勝訴の一審、二審判決をないがしろにし、「国家の味方」をするのは最高裁。それが、こと下々の刑事事件については「一審の判決に従うように」とはご都合主義。ちゃんちゃらおかしい。国家の意を受けて裁判制度をいじっているうちに、自身の存在理由をなくしかねない事態になることに気づくべきだろう。 1830、新宿。紀伊國屋ホールで青年座「赤シャツ」。夏目漱石「坊っちゃん」の登場人物「赤シャツ」の目から見たもう一つの「明治」。坊っちゃんの磊落さ、山嵐の豪胆さの陰で、異母弟の葛藤や、生来のコンプレックスに悶々とする悩める知識人・赤シャツ像に焦点をあてたもの。 思いを寄せる芸者・小鈴との純愛、「私は戦争に反対です。この世の中から戦争というものがなくなればいい」と涙ながらに叫ぶ赤シャツ。 単純痛快な坊っちゃんの裏側にある世間と世界の非情。 休憩時間に声をかけられたので見るとH島桂さん。来年2月にザムザで「星の王子さま」の公演を行うとのことで、出演者の顔ぶれがスゴイ。渚ようこ、蘭妖子、中山ラビ、そしてフラワー・メグ。フラワー・メグなんて名前を聞いたのは何十年ぶりか。調べたら、71年からわずか1年ほどしか活動していない。モデル、カバーガール。鮮烈な印象があるのは時代のせいか。こんな顔ぶれはめったにない。期待しよう。 2130終演。家路に。栗原美和子著「太郎が恋をする頃までには……」(玄冬舎)読了。被差別部落問題を題材にした小説。というより、ほぼ事実に近い私小説。小説という形をとっているため、あえてハッピーエンドとせず、ある希望の象徴を示唆して物語は終わる。 11月11日(火)晴れ 田母神元空幕長参考人招致。 予想通り、ヤブをつついてヘビを恐れたのか与党も野党も腰が引けた質問。図に乗った田母神は「自衛官に言論の自由はないのか」「(平和)憲法を改正すべき」と言いたい放題。空自のトップが国会で「改憲」を主張するなど前代未聞ではないか。文民統制が崩壊したといってもいい。軍人が勝手な行動をとればどうなるか。今は「言葉」だが次は「軍事」。 軍人の身勝手な発言を抑止できない国会は自衛隊の軍門に下ったといってもいい。民間の懸賞論文に自説を発表し、国会でそれを繰り返す。なにが「発言の自由がない」だ。国民、なかんずく国会議員、そして自衛官に憲法遵守の義務が課せられるのは、それらの人間が憲法を破棄し、国家を転覆させる最短位置にいるからだ。世界有数の軍事力を持つ自衛隊がクーデターを起こしたらどうなるか火を見るより明らか。日本は戦前の軍閥の時代に逆戻りだ。 社民党議員の質問に対し、足を組んだままにらみすえる田母神。規律を重んじるはずの軍人のこの非礼な態度。 この連中の規律というのはやくざと同じように、「カタチ」だけ。「いざとなれば自衛隊にはクーデターの用意がある」と腹の中では思っているのだろう。 2008年11月12日のこの参考人招致が後世の歴史家にどう記述されるか。 戦後政治の大きなターニングポイントになった、と記述されたとしても不思議ではない。 1540、御徒町でマッサージ。 1900、新宿。シアタートップスで道学先生「ザブザブ波止場」(作=中島淳彦、演出=青山勝)。 1970年頃の宮崎・日南の漁師町を舞台に、荒くれの漁師と漁協の事務員、男にだらしない人妻らが織り成すペーソスコメディー。どうという展開はないのに、登場人物のディティールが絶妙に書き分けられ、終始笑いの絶えない佳品。 井之上隆志(警官)は相変わらずやりたい放題。それが嫌味にならないのがいい。雨蘭咲木子(人妻)はちょっと背が高すぎて和服姿が似合わないが、テアトルエコー所属だけに笑いの呼吸は心得ている。旅館の若旦那役の草野徹、喜劇は堂に入ったもの。時々親分・大谷亮介そっくりの芝居になる。福島勝美は出てくるだけでその風格に安心する。文学座の斎藤志郎(刑事)は「ミセス・サヴェッジ」で見せたコメディーセンス抜群の存在感。おかまの漁師・朝倉伸二の不気味さも愛嬌に。かんのひとみの伸び伸びした芝居も道学先生には欠かせない。 ……と一人ひとりの役者を紹介したいくらい。個性的な役者の個性的な演技。それを統べる青山勝。役者としてもいい味。劇団離風霊船の高橋克実と同じ柔軟性。次にブレイクするのは青山か。 2100終演。 出口で中島さんに挨拶して家路に。 11月10日(月)晴れ 月曜日は映画館が半額デー。レイクタウンの映画館で「レッドクリフ」を。 えてしてカネをかけた大作には凡作が多いものだが、これはなかなかどうして。「三国志」の世界を見事に活写。戦いのシーンの迫力はもとより、ヒーローたちの内面の陰影もきちんと描かれている。CGの使い方も自然で無理がない。久しぶりに血沸き肉躍る映画。これは第二部が待ち遠しい。 11月9日(日)晴れ 0800起床。0900、レンタカー(6時間8600円)で会社へ。目の前まで行きながら一方通行のカベに妨げられなかなか到着できず。1030着。 会社の「引越し」に伴って資料を大量廃棄。朝日新聞の縮刷版もすべて廃棄するという。もったいない。それなら自分が引き取る。というわけで、1950年から1965年までの15年間(66年以降はラジオドラマのデータを抽出している)の縮刷版を引き取るために休日出勤。 ひとくちに15年分といっても、棚にある分にはそんなに分量を感じなかったが、いざ、梱包すると大変な量。紐でゆわえて運び出すだけで1時間。 1300、家に戻り、レンタル倉庫へ。もうほとんどスペースがない。無理やり場所を作って縮刷版を積み上げる。 貴重な資料。これをもとに、いつか戦後ラジオドラマのデータベースをまとめたいものだが……。 11月8日(土)晴れ 1300、ベニサン・ピットでtpt「広い世界のほとりに」(サイモン・スティーヴンズ作、千葉哲也演出)。 はじめて彼女を家に泊めようとしている兄。兄の彼女に夢中になる変わり者の弟。 どこか気持ちの通じ合わない父と母。酒に溺れる祖父と、人生を変えたいと願う祖母。 家族のかたちを一変させた、ある出来事。 家族三世代の九ヶ月の物語。(HPから) 三世代というが、祖父母が安奈淳と真那胡敬二。父母が大沼百合子と千葉哲也。実年齢的に大差ないので関係を把握するのにちょっととまどいが。千葉の演出は実に丁寧。食卓上に自転車(息子の事故死の象徴)が降下してくるトリッキーな演出も含めて端正な演出。息子の恋人で、パンキッシュな役の小林夏子が魅力的。 休憩15分を挟み2時間40分。 1900、井の頭公園西園。時間がないので三鷹からタクシー。野戦之月海筆子「ヤポニアオペレッタ 阿Q転生」(作・演出=桜井大造)。 魯迅描く窮民・阿Qの断末魔の叫びを、中国・朝鮮・沖縄・台湾−−アジアの虐殺の歴史に重ね合わせ、飛び散った阿Qの身体を敗戦直後のGHQ統治下の日本に復活させる。土中に埋められたまま転生することなく宙ぶらりんの少年少女の魂を狂言回しに、アジアの窮民を地獄めぐり。後半に登場する腐乱死体=全身をアジア各国の数だけの死体で縫合されたフランケンシュタイン=桜井大造の「妖怪人間ベム」的悲哀。ここにも731部隊が登場する。 テント上方の梁を使って役者が登場したり、水を噴き上げたり、いつもながらのスペクタクルなテント芝居。ただ、今回は公園内での芝居ということで火が使えない。ガソリンの匂いがない。民衆の怒りと焦がす魂の象徴としての炎がない。カーテンコールの松明の炎がない。これは、野戦之月ファンにとって、ナントカを入れないコーヒーのようなもの。あの松明こそが、観客のカタルシスなのに……。 舞台は桜井大造の知性と野性が渾然となった「どこにもない」作品。まさしく辺境最深部を疾走する愉快・痛快・奇々怪々の大アングラ劇。今回は特に若手女優陣が大活躍。ここしばらく役者の新陳代謝がなかったが、珍しく、「若い・可愛い」の女優たちが参加。「受付をしてくれたり、前からスタッフだったコたち」というが、桜井の厳しいシゴキによく耐えて、その可憐な花を咲かせた。キャスト表がないので名前はわからないが、天使の2人、そして少女の3人の若い女の子たちが実にキュート。彼女たちの会話に入り込めず、フランケン=桜井がタジタジになるシーンは爆笑もの。 これまでの野戦にはない華やかさがあって思わず和んでしまう。 森美音子のモノローグの説得力、バイクに乗って突っ込んでくるヒロイン・つくしのりこの凛とした表情、すっかり大人になったリュウセイオー龍の舞踏、母・ばらちづこの絶叫。役者陣の充実。 3時間の長丁場。さすがに夜は冷える。風がテントを翻すたびに、背中を冷気が這い登る。トイレも近くなるのは仕方ない。途中、何度も観客が中座。 しかし、その寒さに抗してテントの役者の芝居は熱い。それにしても、これほどまでに「火」を封じ込めてしまう日本の文化制度とはなんだ。公園からテント芝居を締め出し、安全圏に囲い込む。しかし、火は使えずとも、役者たちの胸に炎は煌々と燃える。 来年11月、同じ場所でまた野戦之月を見られるだけでよしとしなければ。 終演後、少し居残って桜井さんと森さんと立話。北京にも運動体・海筆子が誕生。台湾海筆子は今回参加せずとのこと。桜井大造。かつての「アングラ」が「オーバーグラウンド」で芸術監督やったりアカデミックな現場にいるのに、今もマージナルな窮民革命の現場を闘い続けている。この志。世が世なら、日本演劇界の頂点に君臨する大インテリゲンチャにして大俳優。 それにしても、29歳、23歳……0歳。〇歳にして子孫繁栄の桜井氏のエネルギーに感動。見習うことはできないが……。 渋谷3人不当逮捕事件で署名をしていた森さんはアクティブな女優さん。「3人は釈放されました。彼らもいつも芝居を見に来てくれているんですよ」と。 2300、三鷹駅から武蔵野線経由で帰宅。約1時間。 田母神俊雄前航空幕僚長が政府見解に反する歴史認識などの主張を投稿した懸賞論文に応募した航空自衛官が当初発表から16人増え、合計94人に上ることが 7日、分かった。新たに判明した応募者は全国各地の救難隊などの所属で、上司への報告などの手続きは内規通りされていたという。(8日・毎日新聞) 要するに、田母神は「自分と同じ思想」を幹部自衛官に強制していたわけで、憲法を真っ向から否定する言論クーデター事件といえる。 1963年に第二次朝鮮戦争を想定して自衛隊統合幕僚会議がシミュレーションした軍事作戦研究「三矢事件」にも匹敵する大事件だ。それなのに、国民の反応の鈍いこと。 町役場の職員が休日に政党のビラを配って「公務員法違反」などと大騒ぎするくせに、世界有数の軍事組織である自衛隊の大幹部が第二次大戦の日本の戦争責任を否定する論文を発表し、あまつさえ、部下にも同じ趣旨の論文を提出させる。まかり間違えば自衛隊クーデターにつながりかねない事件だ。 二昔前なら確実に首相のクビは飛んでいる。それを定年扱いにして臭いものにフタとは。トンデモ国家のトンデモ事件。 11月7日(金)晴れ 0445起床。睡眠2時間。お酒も抜けきれず、最悪な状態。0630出社。睡眠不足だけならまだしもお酒が残っているので頭痛・吐き気。そんな状態でなんとか仕事を続行。バファリン飲んだらそれでも頭痛はおさまり、0900には普段通りの状態に。体力衰えず? 1600、御徒町でマッサージ。ボロ雑巾のような体が回復していく。 1900帰宅。睡眠不足を補うため早目の就寝。泥のような眠り。 筑紫哲也氏死去。朝日新聞、朝日ジャーナル、週刊金曜日……「良心的左翼」の死に、まるでハイエナのように群がる2ちゃんねらーとネットうよくたち。死者を鞭打ち、腐臭を放つその言説。筑紫哲也の言論がそれほど彼らには脅威だったということか。 11月6日(木) 1400、会社を抜けて、Sシティホールで行われている豚児の合唱コンクールへ。これが最後のイベント。家族に不義理している身としては行かずばなるまい。 ちょうどプログラムは豚児の学年。1組から4組まで。女子生徒の前説があって、それから合唱。中学生、まだ初々しい。 1600、会社に戻る途中で携帯メール。Mさんから夕食のお誘い。急遽、予定を変更してMさん宅へ。三越で焼酎とツマミを仕入れて電車に。 初めて訪問するMさんのマンション。150平米はあり、以前、新婚時代の某有名俳優が住んでいたという由緒ある部屋。壁をぶち抜き、レンガ壁むき出しのロフト空間のような居間。「モノにはこだわらない。本も読めば捨ててしまう」というMさんの美意識がうかがえる、シンプルでソリッドな、まさにアーティストの居住空間。 手作りの餃子とビール、焼酎でゆったりとした時間を。2330まで。 電車が途中駅止まり。タクシー帰宅で2500。風呂に入って寝たのが2600。 11月5日(水) 更迭された田母神空幕長。定年扱いで退職金も6000万円以上。いい気なもの。 それにしても、なんであんな稚拙な論文が民間会社の懸賞論文で「最優秀賞」を受賞できたのか。 田母神と論文を募集したアパグループの元谷外志雄代表とはズブズブの関係なのだ。 昨年8月に石川・小松基地で、主力戦闘機「F15イーグル」に元谷が搭乗したが、この搭乗を許可していたのも田母神。 小松基地にF15が配備された85年以降、民間人の搭乗は初めてという。もちろんジェット燃料はすべて税金。この搭乗決裁をしたのは、空幕長だった田母神だった。 この2人、田母神が小松基地を所管する「第6航空団司令」に任命された98年以来の仲。 アパグループのHPを見ればわかるが、その中には『小松基地金沢友の会』という支援組織のコンテンツがあり、まるで右翼結社のHPかと見まごう 国粋主義言辞が垂れ流し。2人は思想的にもズブズブの仲であるのは自明。今年4月に元谷が「このままでは日本は中国の属国となる」と主張する著書を出版。その記念パーティーに田母神氏は映画「トップガン」のテーマに乗って制服姿で入場した。 こんな2人の仲を考えれば、懸賞論文最優秀賞はデキレース。いや、合法的な「贈与」と勘ぐられてもしょうがない。 しかし、こんな男が自衛隊のトップクラスなんだから、ほかは推して知るべし。軍隊は常にクーデターの危険を内包している。 そのうち「ガタガタ言うとクーデター起こして非国民は全員射殺だ」となりかねない。 1830、紀伊國屋ホールで青年座「フユヒコ」。寺田寅彦をモデルにした、「よくできたホームドラマ」。 休憩15分を挟み2時間30分。 昨日につづき、客席にM井さん。「昨日の芝居は青き美しきアジアだね」と。思い出した。そうだった。 11月4日(火)晴れ 小室哲哉逮捕。毎日新聞一面トップ。一般紙が……珍しい。 1600、御徒町でマッサージ。 1900、田原町でステージ円「孤独から一番遠い場所」(作=鄭義信、演出=森新太郎)。 鄭義信得意の追憶と追想の物語。現代と過去の戦争の時代が往還。戦争で片足をなくした男、盲目の女、迷い込んできた二人の逃亡者はスタインベックの「二十日鼠と人間」のジョージとレニーか。 すべてを見つめた少年が成年となって現在の時点から過去を追憶するという構成は新宿梁山泊時代に何度か試みている。戦争の体験者と戦後のサラリーマンを並立させるには、もう2008年では遅すぎる。だからバブルの時代に設定。というか、元となった自作の戯曲がその時代に書かれたもの。サラリーマンの会話など、一部はその戯曲をなぞっている。パチンコで遊ぶのに「500円」というのは、いかに20年前でも安すぎる。そのことを当時の上演後に指摘したことを思い出す。 舞台に水が張られ、役者たちが水しぶきをあげながらその中で格闘する。全編これ「水」の芝居。まさに梁山泊そのもの。主演の朴 ?美は声優としても活躍中の美形。凛とした表情がいい。休憩10分はさんで2時間20分。 2130、開演前に留守電が入っていたので音楽座・I川さんに電話。珍しく切迫した声。「小室哲哉さんが逮捕されて朝から電話が鳴りっぱなしで……」 そうだ、音楽座の12月本公演「マドモアゼル・モーツァルト」は小室哲哉の音楽だった。再演とはいえ、小室の名前を前面に出しているため、今回の逮捕騒動で手を引く「スポンサー」が続出しているのだという。ポスター、チラシ、パンフの刷り直し、テレビCMの取り直し……。損害は大きい。とんだ、トバッチリ。気の毒に。せっかく音楽座ミュージカルの再出発も軌道に乗っていたのに。なんとか、公演が成功するよう祈りたい。 11月3日(月)晴れ 0900起床。二度寝して午後まで。休みの日の贅沢。 躰道の夢。長いこと稽古に行けず、なんとなく周りと軋轢……の夢。 午後から豚児と買い物。誕生日プレゼントにケイタイの機種変更がしたいと。auショップに行ってビックリ。なんでケイタイごときが3万も4万もするのか。話せればいい、メールできればいいじゃないか。なんで、そんなに本体が高いわけ? そんな感慨をもつ世代はすでに化石か? しかし、敵もさるもの。買いやすいように、分割払いのほうが割安設定。これだと、0円で機種変更ができる。借金経済時代の借金家計か。 11月2日(日)晴れ 久しぶりに躰道の稽古に行った夢。恐る恐る法形を。しかし、足首に痛みが……という夢。 終日、ラジオドラマの整理。連続モノを一本にまとめたり。これが結構手間が掛かる。 フランク永井死去。自殺騒動から23年。ついに回復しないまま旅立ってしまった。 吉田正の「12の宝石」をiPodに入れて聴いてるからか、夜、家路をたどる時の定番は「東京ナイトクラブ」。石原裕次郎と八代亜紀のカバーなのだが。久しぶりに松尾和子とのデュエットをyoutubeで聴いて冥福を祈る。みんな故人になっていく。 11月1日(土)晴れ 田母神俊雄航空幕僚長更迭。 日本の中国侵略も朝鮮併合もみんな「大東亜共栄」のための「思いやり」だった。朝鮮人も中国人も日本に感謝すべきだ。日本は悪くなかった、アメリカに騙されたのだ……などという論文が民間企業の最優秀賞を受賞するんだから、もはやこの国は末期的。大新聞は「過去の政府見解と違う」と書くのが精いっぱい。そもそも、日本の過去の侵略や植民地支配を正当化する誇大妄狂の論文が現職の自衛隊トップによって発表されたこと自体が異常であって、ヒトラーはユダヤ人の大量虐殺を行わなかった、とドイツの国防トップが言ったらどうなるのか。「空幕長は気が狂ってるのでは」となぜ書けない。 しかし、たかだか60歳の「戦争を知らない男」が、「先の戦争で日本は正しかった」とはよく言えたもの。 それをもてはやすネットウヨ。 「こいつらまとめて戦場に送って戦争の悲惨さを味あわせてやりたい」 憤激のあまりそう言いたくなるが、それではこいつらと同類になってしまうからやめよう。 田母神俊という男は、イラクへの自衛隊派遣をめぐる司法の違憲判断に「そんなの関係ねえ」と言い放った人物。確信犯だ。 アドバルーンを上げて、国民の反発を徐々になくしていく。国が右傾化するというのはそういうことだ。 あと20年、いや、このままでいけば10年で日本の軍国主義は完全に復権する。そのとき犠牲になるのは、今しきりに国家主義を煽っている貧困層=プア・ヤング。自分で自分の首を絞めている。こいつらみんな、ドMか。 1700、下北沢。 古書店で1950年代のラジオドラマの脚本を見つける。「屏風の女」「三人の若い俳優」などを収録している。1500円。この古書店の値は結構高い。手塚治虫の単行本もかなり割高。欲しかったが断念。 ヴィレッジヴァンガードでROCOの「China Heaven」を買う。細野晴臣の「北京ダック」、ユーミンの「Chinese Soup」などのカバー。キュートなボーカルが心地よい。 NEWSでTシャツ。ついで、路上で売ってるアロマ線香を500円で。 1800、「劇」小劇場でパニックシアター「ダ・ヴィンチは正しかった!」(作=ローラン・トポール、演出=中村まり子)。20年前の旗揚げ公演の再演。客席にはその時のゲスト、山谷初男の姿も。 パリ郊外にある警察幹部の別荘。そこを訪れた部下夫妻。ところが、別荘のトイレが故障し、配管修理工を呼んでもなかなか来ない。お腹をこわした部下は顔面蒼白。その夜、食卓に並べられたディナーのフタを取るとそこには臭気漂う……が。やがて、家の中には、「ウ〇コ」が蔓延していく。警視夫妻、部下夫妻、家庭教師、知的障害のある息子……。犯人は誰なのか。 全編、これスカトロ、幼児性愛、美食、暴力、そして殺人の波状攻撃。 まさに、エロスとタナトスのフランス的風刺喜劇。 フェリーニ、パゾリーニもかくやの変態的舞台。 しかし、この手の風刺喜劇はソフィスティケートされた演出でなければただの悪趣味になってしまう。出演者も美人女優でなければ、グロテスクな中にエロスも昇華しない。しかも、おしりを出したり、ウ〇コを出したり、写実的な演出。女性の猥談が男のそれより数倍えげつないといわれるが、女性演出のスカトロ・性愛の演出も同様に、かなり品がない。品がないのが芝居の要諦だとしても、演劇的な品のなさの方が際立ってしまうのだ。 見ていて「そこまでやらなくても」と思うシーンが多々。 唯一、最後の2分間に登場する永六輔に救われる思い。おいしい役どころではあるが、そのセリフ回しの妙が舞台全体を救っていた。 1930終演。出口で声をかけられたので振り向くと、元万有の制作・B場さん。海津くんはしばらく舞台はないとのこと。そういえば、去年の海パン刑事以来見ていないような気が……。 2100帰宅。 |