12月31日(水)晴れ

 0800起床。長い夢を見ていた。空港に行くとカタパルト。そこに体をくくりつけ、そのまま空中に発射して目的地に向かうのが昨今の航空界の常識とか。納得している自分。誰だか思い出せない人とのロマンス。目覚めてもしばらく陶然とする甘美な夢の記憶。

 1500、理容室へ。岩手出身の若手S藤さん担当。ラッキー。

 掲示板に刺激され、寺山修司のCMをYOU TUBEにアップ。初挑戦。音声がメインだから、ビルダーのウエブビデオ作成機能を使って簡単に制作。ただ、アップにはかなりの時間がかかるようだ。
12月30日(火)快晴


 午前中、大掃除。
1600、御徒町でマッサージ。上野近辺のにぎわいもいまひとつの年の暮れ。

1900、新宿。万有引力の餅つき忘年会。毎年、これで一年の締めくくり。
ちょうどシーザーが大島さんを通して電話を寄こしたところ。着信=ドアオープンのタイミングの良さ。
 シーザー、根本さん、小林拓、M紙のT橋さんらの席に合流。ひとしきり入院騒ぎの話題。

 活弁の山田広野氏の顔も。M田政男さん、大野さん、蘭妖子さんと続々入場。スクリーンには松山の市街劇のビデオ。
 今年もT橋さんと餅つき。このところ、腰の調子がいまいちだったが、餅つきは好調。
 T橋さんM田さんらは早めに退席。いつもより、参加者が少なめ。郡山、松山があったのに。

 遅れてきたAPB−TOKYOの浅野、高野さんらは浅川マキさんのライブ帰りとか。2330、終電で帰宅。
12月29日(月)快晴


 朝から晩まで、一日中大掃除。
オープンリール、カセット、MD、8ミリ、Hi8、ベータ、VHS……フォーマットの異なる音声、ビデオのデータがいっぱい。
 そのうち、今のDVDもブルーレイにとって代わられるのだろう。技術の進歩は大事な「記録」を時代遅れにする。というか、そのたびにメディアを書き換えないといけないのは大変。メーカーは責任とって欲しい。

 古いカセットテープに録音した音楽。廉価なCDで再発された音源ばかり。捨ててしまってもいいのだが、なかなか捨てられない。昔はカセットラベルを作るのに力を注いだものだ。「レコパル」の附録のカセットラベル、自作のラベルなど思い出のカセットの数々。今みたいにWAVだのMPGだの、データ保存すればいいというのも味気ない。

12月28日(日)晴れ


 いつごろからお正月がお正月らしく感じられなくなったのだろう。

 上京した70年代半ば、東京は正月になるとほとんどの店が休みとなり、一人暮らしの学生は大いに困ったものだ。外食もできず、冷蔵庫はまだ高根の花。買いだめもできない。東京の正月はまず「食べる」ことが悩みだった。それが今やコンビニの時代。飲食店も開いている。食べることに苦労したなんて昔話。
 逆に言えば、お正月が特別な日ではなくなったということ。
 田舎に帰省することでもなければ日常の延長に過ぎない。街からお正月らしさが消えるのも当然か。

 起き抜けに、昨夜録画した「ジュリー祭り」を見る。沢田研二60歳。東京ドームに3万2000人の観客。ほとんどが彼と同世代だろう。41年間、第一線で活躍することの奇跡。

「銀河のロマンス」「君をのせて」「時の過ぎ行くままに」がマイベスト3かな。

 ユーチューブで「君をのせて」を聴いてみる。次いで、じゅんとネネの「水色の世界」。これは40年ぶりに聴く歌。中学時代、「平凡」派と「明星」派があったが、自分は「平凡」派。ピンキーとキラーズの附録ポスターを部屋の壁に張っていたっけ。「水色の世界」も大好きだったが、半分忘れかけていることに愕然とする。思い出させてくれたユーチューブ。便利な世の中。

 午後、大掃除。部屋の片付け、窓拭き。途中、パンをかじっただけで、1900頃まで。さすがに疲れる。



12月27日(土)晴れ

仕事納め。部署全員で昼食。

1350、銀座シネパトスで「ノン子36歳」を観る。新聞の評判がいいので期待。坂井真紀の吹っ切れたような「汚れ役」、それに輪をかけた鶴見辰吾のダメ男演技は見もの。テイストとしては日活ロマンポルノだ。

 1930、新宿ピットインで浅川マキライブ。69年から39年間、途切れることなく続いてきた暮れの5日間ライブ。今年はチケットの売れ行きも好調で、立ち見がでる盛況。客層も20代から60代まで幅広い。
 前の席の女性客の会話を聞くともなしに聞いてると、「千歳空港が雪で……来られないかと思った……」
 わざわざ北海道から駆けつけた模様。マキさんによれば「沖縄から来てくれる方もいるのよ」とのこと。

 2000、時間を押すことなく、マキ登場。 アカペラで6〜7曲、セシル・モンローを呼び入れて、ドラムスとのセッションでまた5〜6曲。そして、向井滋春(トロンボーン&チェロ)、植松孝雄(サックス)、渋谷毅(シンセ&ピアノ)の順で登場し、「暗い眼をした女優」「心隠して」などのセッション。途中、椅子に座り、煙草を吸いながら男たちのセッションに耳を傾けるマキ。いつもながらの光景。
 休憩15分ほど。第二部は渋谷毅のピアノとマキの歌。そして再び向井、セシル、植松のセッション。向井滋春は途中でチェロを演奏。なんと贅沢でスリリングな2時間。

 アンコールに応えて出てきたマキさん、野球小僧(?)を一節アカペラで口ずさみ、「またね」。
 終演後、楽屋を訪ねると、昔からのなじみだという京都の人が先乗り。有馬記念の予想など。元東芝のミキサー氏も。
 向井氏は夫人を亡くしたばかりという。あれやこれや話しながら2310。
 ピットインの鈴木氏からオリジナルのコースターをいただく。
 1年はアッという間。暮れの定番をひとつ終え、あとは30日の万有引力餅つきを残すだけ。


12月26日(金)晴れ

 気温5度と結構な冷え込み。

 冬休み目前で、少々気分はハイ。お昼は築地の場内へ。「かきラーメン」の行列に並んでいたら、途中で売り切れ。すぐに隣の店の列に移動。運良くすぐに案内される。ここが有名な「かとう」とか。
 メニューにあった「あんこう汁」を注文。知らなかったが、これがこの店で一番の人気らしい。1800円。あんこう汁は、大ぶりのあん肝も入り、なかなかの美味。ただし、味は濃い目であんこうの味がいまひとつ伝わってこない。一番おいしい皮も少な目。これなら自分で作るあんこう鍋の方がいい。

 同郷の女優・S野さんがバイトしている中目黒の「藤巻激城」。トムヤムクン風ラーメンが1杯3000円と1万円。1万円はさすがに手が出ないが、3000円のラーメンは一度は食べてみたい。年明けにでもトライしてみよう。
 1600、御徒町でマッサージ。Kさんの父君とは気が合いそう。1900帰宅。
12月25日(木)晴れ

 アメリカでは手塚治虫のジャングル大帝がディズニーの「ライオンキング」のパクリだと思われているとか。アメリカでの「ジャングル大帝」テレビ放映が「ライオンキング」公開より遅かったために、そう思われたようだ。冗談じゃない。「ジャングル大帝」の方が半世紀も早いのだ。

「ライオンキング」公開の時、手塚治虫の僚友、愛弟子の漫画家たちがディズニーに抗議しようと立ち上がったが、遺族は「手塚が敬愛するディズニーに影響を与えたとしたら天国の手塚も本望でしょう」と矛を収めてしまった。

 あのとき、せめて抗議の声を上げていれば、今になってこんな悔しい思いをしなくてすんだものを。

 設定といい、キャラクターといい、あれは明らかにディズニーのパクリだ。それは手塚治虫がディズニーから多くのことを学んだというのとは次元が違う。モチーフにするのと、そのままマネるのは大違い。

 日本人はパクリに寛容だとナメたディズニーはその後「A.I」という疑惑映画を作った。これも手塚の「アトム」のパクリ。原作がブライン・オールデイスの「スーパートイズ」で、これは69年の作品。アトムの影響は明らかだ。キューブリックが映画化に固執したというが、「2001年宇宙の旅」以前に、キューブリックは手塚治虫をハリウッドに招聘したが、手塚は多忙のため実現しなかった。その経緯を考えれば、キューブリックが志向した「A・I」が「アトム」であってもおかしくない。元ネタが「ピノキオ」であっても、それはモチーフ。

 そして今また性懲りもなく「ウォーリー」。予告編を観ただけで手塚治虫の「火の鳥」に登場する孤独なロボット「ロビタ」のパクリだとわかる。ナメたまねする。手塚治虫が心血注いで描いたライフワークを盗んで恥じないディズニー。すべては「ライオンキング」事件の不手際からきている。あのとき、手塚の遺族が毅然とした対応をしていれば、こんなにも、手塚を冒涜されることはなかったのに。
 手塚治虫が生きていたら「ディズニーを尊敬していたから、パクられて光栄」と言っただろうか。

 かつて、「W3(ワンダースリー)」盗作事件に対して、手塚は雑誌連載中止、他誌での続行という強行手段をとった。ディズニーのパクリに対して、果たして、日本的な「なあなあ」で終わらせただろうか。

 アメリカで「ジャングル大帝」が「ライオンキング」のパクリという評価を受けているなど、あまりにもヒドイ話。ボタンの掛け違いは後々まで問題を残す。
 もう一回言う。「ライオンキング」が「ジャングル大帝」のパクリなのだよ、外道・ディズニー。
12月24日(水)快晴

 午後から豚児の学校個別相談。書類不備で再戦。休暇を取って行ったのに、なんたるちぁ。

 町はクリスマス・イブの賑わい。しかし、心なしか例年に比べて人出は少なめ。不況の影?

 1630帰宅。
 ネッ友のKさんの好意で渡哲也の「東京流れ者」別バージョンを聴くことができた。
 渡哲也の歌アルバムなどには通常入っているのは、次の歌詞の「東京流れ者」だ。
1番
 何処で生きても 流れ者
  どうせさすらい ひとり身の
  明日は何処やら 風に聞け
  可愛いあの娘の 胸に聞け
  ああ 東京流れ者
2番
流れはてない 旅に出て
  いつかわすれた 東京の
  泣いてくれるな 夜の雨
  男いのちは 赤く散る
  ああ 東京流れ者

作詞 川内和子、採譜・補作曲 叶弦大)

 しかし、昔、TBSの林美雄さんが深夜放送「パックイン・ミュージック」でよく流していたのは別のバージョン。めったに流さなかったが、当時録音し損ったので、自分にとっては幻の歌。風呂の中で歌うベスト10.それが、「日活映画スター大集合」というCDに入っているのを教えてくれたのはKさん。

 おそらく35年ぶりに聴く「東京流れ者」だ。
歌詞は以下の通り。

1番
黒いジャンパーに 赤いバラ きざな服装(なり)して ゴロ巻いて
渋谷新宿池袋  風もしみます 日の暮れは
 ああ 東京流れ者
2番
弱い犬ほど 吠えまする
俺は黙って 闇の中
御用のある時ゃ 呼んどくれ
きっとお役に 立ちまする
 ああ 東京流れ者
3番
二十三区を はみ出して
いつか武蔵野吉祥寺
たった五尺の この体
どこに置場も ござんせん
  ああ 東京流れ者

(作詞=高月ことば、作曲=不祥、編曲=山倉たかし


 ようやく聴くことができた、もうひとつの「東京流れ者」。林さんが亡くなる1年ほど前に、新宿で偶然お会いした時、この曲のことを書いたメモを渡したのだった。返事はないまま、林さんは旅立った。
 それから7年。感無量。

 渡哲也には日活時代に「関東幹部会」「無頼」シリーズという永遠のアドレッセンス映画がある。池袋・文芸坐の5本立てオールナイトで見た渡哲也の哀愁と凄み。
 「無頼」シリーズを超える映画はない。
 最高のクリスマス・プレゼントに感謝。
12月23日(火)快晴

 0900起床。

 正午、娘と2人でレイクタウンへ。クリスマスプレゼントを買うため。ウン万円のブランド財布。自分はこんな財布一生買うことはないだろうなぁ…と思いつつ、自分の靴を新調1万9800円。散々探して気に入った靴がなく、最後にふらりと入った靴店で、いいなと思ったのがwhoop'-de-doo'の靴。なんだ、やはり好みの靴というのはいつも同じ。

 3時間ほどのデートの締めはプリクラコーナー。進化し続けるプリクラに異邦人気分。

1700、初台へ。”オタク・チアガールミュージカル”と銘打った「中野ブロンディーズ」。今年3月に初演したばかりの作品の再演。主役は杉本有美からAKINAにバトンタッチ。黒木マリナ、森咲樹、りりあん、小林由佳など主要メンバーはそのまま。

 中野ブロードウェイのオタク向け本屋の常連客である少女(AKINA)が店の閉店に心を痛め、チアリーディング大会での入賞を交換条件に閉店撤回を約束させる。ネットで呼びかけた仲間は、ゴスロリ、ギャル、ゲーム、メイド、戦隊もの……と多種多様なオタクたち。果たして彼女たちに過酷なチアリーディングのトレーニングは耐えられるか……。仲間割れやら、脱落、挫折と山あり谷あり。
 初演よりも歌も増え、台本も緻密に。単なるアイドル・ミュージカルではなく、青春ドラマとして脚本、演出ともに見ごたえ十分。

 最後のチアリーディング・シーンは、出演者の稽古の成果がはっきり現われる真剣勝負。アイドルたちの芝居での成長ぶりが物語に反映され、爽やかな余韻が残る。
 美少女アイドルが出演するとあって、開演前には客席のあちこちから、おっかけたちが大声で声援。一種異様な雰囲気。

 出演者の中では、チアイーディング部の部長役の長谷川桃が抜群の好感度。色香あり、芝居はうまい、歌もうまい。
 1900終演。
「出演者がハイタッチでお客様を見送りします」のアナウンス。ロビーがおたくでいっぱいになる前に退散。

 2055、「何でも鑑定団」に下北、佐井村登場。江戸時代、北前船の中継基地として栄えた下北半島には、さまざまな「お宝」が眠っている。出品されたのは江戸時代初期の屏風絵や伊万里焼など。屏風絵など見事なもので、700万円の値も。でも、こんな家宝に値はつけられるもんじゃない。


12月22日(月)雨

 昨日とはうって変わって雨模様。気温が下がり、しのつく氷雨。

 先日、入院している間に、叔母のつれあいSさんが亡くなった。昔は羽振りのいい建設会社の経営者だった。1960年以前には我が家にテレビが入ったが、それもSさんのの力添えがあったからだろう。まだ、テレビがある家に町の人たちが見に集まった時代。当時としては大きな16インチのテレビは自慢だった。三菱電機製で左右にスピーカーがあり、前面のフタを開けると「STEREO」の文字が見えた。もちろん、ステレオ放送などはるか先のことだから、輸出用だったのかもしれない。叔母の住んでいたのは三沢の近くだったから。

 辺鄙な田舎に生まれても自分がテレビ草創期の番組をよく記憶しているのは、そのテレビのおかげ。
 人は知らぬ間に、多くの人から影響を受けている。もしかしたら、亡くなったSさんこそ自分にとって大恩人ではないか。冥福を祈りたい。

 半日かけて年賀状書き。いつもなら土壇場で追い込まれるのに、今年はまだ余裕?

 夕方、田舎で漁師をしている従弟から宅配便。今年からマグロのはえ縄漁を始めたそうで、何本か水揚げしたとのこと。その中から正月用に親戚に贈っているという。昨夜はテレビ東京で年末恒例の「マグロに賭ける男たち」のスペシャル番組が放送されていた。翌日、マグロが届くとは!

 夕食、マグロの大トロを食べてみる。なんて美味な大間マグロ!
 幸せ。でも、子供たちは興味なし。バチ当たりな。大間マグロの大トロなんてめったに食べられるもんじゃないのに……。

12月21日(日)晴れ

 0730起床。躰道の年内最終稽古だと思って仕度。家を出て携帯でM本さんに電話すると、「稽古納めは水曜日で、きょうは芋煮会と、大人の飲み会ですよ」との返事。ガーン、足の調子も良かったので、みんなと稽古納めができると思ったのに、なんたる不覚。

 1200、新宿へ。気温20度というポカポカ陽気。新宿の東口は歩行者天国。まるで春先のような気温に、30数年前、上京した頃を思い出す。冬から春への季節の移り目が一番感傷的になるのは、長い春を何度か迎えたからだろう。別れと出会い。春は特別な季節。

 ……などと、季節外れなことを思いながら、シアター・トップスへ。
 夫婦印プロデュース「月夜の告白」。菅原大吉と竹内都の夫婦による二人芝居。作・演出は水谷龍二。
 とある郊外の小さな公園で待ち合わせた男女。お見合いパーティーで知り合ったのだが、お互い憎からず思っているのに、言い出せない。会うたびごとにトラブル発生。「気持ちはあるのに、いつもこんなことじゃ、二人はもともとうまくいかないのかも」というカップルの、ペーソスあふれる物語。

 ベンチ1つと公園の植え込みだけのシンプルな美術。二人の頭上に輝く大きな三日月。
 菅原は文具メーカーの社員でややオタク、竹内は婚期をのがした薬剤師という設定。夫婦だけに息の合ったセリフの応酬。気ぜわしい暮れのひととき、心が「ほっこり」とする舞台はなによりの贈り物。

 今朝、電話すると、「〇〇さん、見に来ないねと、昨日うわさしてたんですよ」と制作の石井K美子さん。入院のことを話すと驚いた様子。
 客席には青山勝の顔も。ほぼ満席。来年は地方公演もあるとか。菅原大吉は昔から大好きな役者。小劇場の役者が売れて食えるようになるのはいいこと。
1430終演。
 外はクリスマス前の華やいだ光景。ひとりで歩く街ではない。

1700帰宅。
12月20日(土)晴れ

 土曜日にも関わらず部内全員居残って年末年始の追い込み。
1630、一足先に仕事を終え、池袋へ。いつも行くうどん屋で鍋焼きうどん1200円。

1800、東京芸術劇場中ホールで音楽座ミュージカル「マドモアゼル・モーツァルト」。
「大変でしたね。ご生還おめでとうございます」と受付でI川さん。

 「マドモアゼル・モーツァルト」は12年ぶりの再演。つまり、オリジナルカンパニー解散から12年ということ。客席とステージが一体になって涙で終えた解散公演。月日の経つのは早いものだ。

 原作は福山庸治のマンガ。モーツァルトは女だった、という仮説の上に、父親、妻コンスタンツェ、そしてサリエリとの確執、愛憎を描いたもの。

 今回、タイトルロールのモーツァルトを演じたのは高野菜々。19歳。コンスタンツェ役の安彦佳津美とともに大抜擢。心に闇を抱えながら、底抜けに明るい モーツァルトをよく演じていた。ただし、歌唱力は安彦が上。体型的にも「少年っぽい」ので、もう少し絞ったほうがいいのでは。安彦は高野と配役が逆になっ てもおかしくはない。

 再演ものはどうしても前の配役が脳裏に残っているので、それを打ち消すのが一苦労。舞台を浮遊する土居裕子の幻。

 それにしても、「不祥事」による解散公演といい、今回の小室哲哉(音楽提供)の逮捕によるスポンサー降板騒動といい、音楽座にとっては「厄」がつきまとう演目。無料の豪華パンフも、今回はスポンサー離れでやや「縮小」。
 客席は多少空席もあったが、まずまずの入り。カーテンコールの温かい拍手が出演者・スタッフへのはなむけ。
 休憩15分を挟み2時間40分。
 I川さんに挨拶して家路に。

12月19日(金)晴れ


 1600、御徒町でマッサージ。2週間ぶり。Kさんのお父さんの写真展も無事終わり、来年は東京で開催されるとか。

 1900、品川ステラボールで話題作「夢をかなえるゾウ」の舞台化作品。

 ライブ会場。素舞台の上に一面が階段状の白いセットが三台。それを移動して組み合わせ、様々なシーンの背景に。スタッフが移動役でひっきりなしにでてくるので結構目障り。

 象のガネーシャ役は小松政夫。やるだろうと思ったら案の定、持ちギャグ連発。ミスマッチ。
 芝居、というよりスケッチのようなものとダンスパフォーマンスのコラボ レーション。夢をかなえるための第一カ条「靴を磨きなさい」ではタップの群舞。うーん、分かりやすいというか、なんだか学芸会を見ているような…。演出は奈良橋陽子。映像に見覚えがあると思ったら、奥秀太郎。「黒猫」と同じ。振付は香瑠鼓。迫力ある群舞など、見るべきところも。

 それにしてもこんな人生訓に毛がはえたような本がバカ売れする時代って…病む人が多いのか。

 中学生の時に学習雑誌で「自分に自信をなくしたとき」に読む五箇条の英語というのがあった。その中の1つを今も覚えている。
「Count Your Success」
自分の過去を振り返れば、きっと成功したこと、いいことだっていくつかあるはず。それを思って自身を取り戻せということ。この言葉に何度救われたことか。中学、高校生はコンプレックス通過点。
「周りに感謝しなさい」という宗教的講話より、こんな実用的な処世訓の方がまだまし。

 開演前にミスタースリムカンパニーのY本明子さんと立ち話。出演してるパフォーマ−の一人が友人とか。彼女もいつまでも若々しい。初めて会った時から20年は経ってるのに…。

 終演後、速攻で帰宅の途に。2300着。

12月18日(木)晴れ

 お昼、Y氏に誘われ市場に。目と鼻の先なのにめったに場内まで行く事はない。お昼で賑わう市場の食堂。しかし、午後1時で閉店。仕方なく、場外の店で遅い昼食。

1730、下北沢。PANTAさんと待ち合わせ。ローディーの某君が勤めているというエスニック料理の店でカレー&ナン。おまけでカエルの唐揚げ。美味。

1900、本多劇場で竹中直人の匙かげん「三人の女」。

 「チェルフィッチュ」主宰・岡田利規の脚本。岩松了作品を上演してきた竹中直人がいかにも好みそうな「知的不条理劇」。一応、チェーホフの「三人姉妹」をモチーフにしているというが、さして意味はなさそう。
 冬の山荘(?)を舞台に、男とその妻、妻の姉妹、出入りする男たちが繰り広げる会話劇。
 とはいうものの、その会話に「コミュニケーション」が付帯しているわけではない。各人が勝手にしゃべり、自己完結している。状況説明も、人物関係も一切説明なし。どこから、どう舞台に入っていいものか、戸惑う観客。

 説明過剰の新劇もつまらないが、ハナから世界を閉じたような「高尚」な芝居も困りもの。どこをどう楽しめばいいのか。ま、長年見続けていれば、「役者を見る」のがこの手の芝居の楽しみ方とわかるが……。

 出ずっぱりの中嶋朋子と竹中直人。後半登場の荻野目慶子。その、戯曲との格闘ぶりが舞台の収穫。視覚的には美しいシーンが随所に。しかし、言葉を大切にする作家が「礼を逸する」と表現したり、「直截(ちょくせつ)を「ちょくさい」と読ませるのはいかがなものか。

 偶然、見に来ていた同僚のM氏いわく「高尚過ぎて……芸術は下々にはわかりません」と。1年に1回見るか見ないかの演劇体験がこの作品だったのは彼にとって受難か。「あの芝居、どこが面白かったのか教えてくれませんか」と真剣な表情で問う彼。

 終演後、楽屋を訪ね、荻野目さん、竹中さんに挨拶。その後、PANTAさん、O野目さんと近所の小料理屋で歓談。芝居、音楽、美術と話尽きず。
 メニューにあった「むかご」を注文。これはナガイモ畑で山のように落ちていた「イモノコ」ではないか。子供の頃、畑でこのむかごをザルいっぱいに拾って茹でて食べていた。それが今は結構高級食材? O野目さんも「むかご」を知らなかったが、珍しいものなのか。

 タクシーで新宿まで。そこで解散。病み上がりではあるけど、楽しさに時を忘れ、最終電車で帰宅。1400就寝。

12月17日(水)晴れ

 久しぶりの出勤。昨夜は早めにベッドにもぐりこんだのに、途中で何度も目が覚めてしまう。おかげでやや寝不足。

 自分ではもう体調回復と思っても、まだ腹部に違和感。仕事をしていても背中が痛む。やはり、入院生活の「疲れ」が残っている。文学座「日陰者に照る月」キャンセルして早めの帰宅。

12月16日(火)晴れ

 明け方、父の夢を見た。母の夢はめったに見ないのに、なぜか父の夢はよく見る。
母の死後、長いこと独りにしておいたという罪の意識があるためだろう。

 午後、掃除をしようと洗面所の下の洗剤を探していたら、ダンボールの中に何かの充電器。見過ごすところだった。ふと、思いついて押入れに眠っている シェーバーを取り出して充電器に挿してみる。ぴったしカンカン。亡くなる直前、父に買ってあげたシェーバーの充電器だ。葬儀の後、どこかに紛れてしまい、 年月が過ぎ、シェーバーは使われないまま押入れに眠っていた。父の夢。そして数年ぶりに見つかった充電器。偶然とはいえ、不思議。

1週間の入院で体重は4`減の67・5。体脂肪率17。体年齢はなんと今までの最高記録。実年齢より8歳若い! これで、単純に喜んでいる私って……。

12月15日(月)晴れ

 昨夜は退院の嬉しさで興奮したのかなかなか寝付かれず、夜半、看護士さんに睡眠導入剤をもらうはめに。6人部屋で、イビキの音がうるさいこともあるが。

 いつものように看護士さんの呼びかけで0700起床。

 朝食後、退院の手続き。後片付けをして1000、退院。
 病院の窓から富士山がくっくり見える。気持ちも晴れ晴れ。

 不思議なもので、看護士さんたちとも別れがたく、せつない気持ち。わずか一週間の交流なのだが。
 1030、1週間ぶりの帰宅。

 オークションで落札したテープレコーダーが届いている。誠実な出品者で、梱包も丁寧なら物件も美品。さてこれで何をしようというわけではないが、オープンリールのテレコを見るだけで心が和む。部屋はまた狭くなるが。
 来年の夏、帰省したら部屋にあるテープを持ってこよう。そして、このテレコで聴くのだ。
 
12月14日(日)晴れ

 午後、福永武彦の「忘却の河」を読む。「風のかたみ」ともども、福永武彦を読むのは初めて。ラジオドラマ「山のちから」は未完の小説をドラマ化したもので、中世伝奇小説的な色合いが濃い作品だった。「風のかたみ」も「神州天馬侠」のような「少年少女小説」を想像していたら、後半、思わぬ転調。登場人物たちが次々と死に追いやられていく。ここに至って、「生と死」の福永節を知ることになる。

 連作長編「忘却の河」は見事な傑作小説。構成・語り口・テーマ……凡百の作家が裸足で逃げ出す上手さ。こんな名作をこれまで知らなかったとはなんたる不覚。



 普段でもテレビを見ることはめったにないが、入院の無聊を慰めるにはテレビが一番。それもニュースやスポーツ番組がいい。夜は柔道の嘉納杯に釘付け。女子柔道が抜群に面白い。途中で消灯、最後まで見られなかったのが残念。


12月13日(土)

 朝の日テレ「ウェークアップ! ぷらす」を見ていたら裁判員制度が特集されていたので思わず身を乗り出す。

 賛成派の甲南大学教授をゲストに丁々発止の議論…と思いきや、まともな議論ができるのは反対派の河上弁護士だけ(保守的と思われる川上氏が反対派とは意外)。


 要は出演しているコメンテーターは誰も裁判員制度の中身を知らない。浅野宮城県知事でさえ、(裁判員制度は)窃盗などの軽微な犯罪からスタートさせるべきという一般論を述べるのが精一杯。加藤タキなどは原則賛成といいながらその実何もわかってない。知識ゼロなのが明らか。その日和見姿勢は泉下の母親・加藤シズエが泣くよ。

 読売テレビの解説員某にいたっては「もっと議論を尽くしてからスタートさせれば良かったのに」と他人事。議論を放棄して政府方針を追認したのは誰だっちゅーの。
 裁判員制度に関する番組をどこのテレビ局が作ったか。法律ができてからようやく言い訳がましいアリバイ作りをするマスコミ。厚顔無恥もいいところ。

 司会の辛坊治郎はさすがに裁判員制度を勉強したようで的確な進行。初めて見たが頭の回転もよく、なかなか硬派なジャーナリストのよう。

 ただ、番組のスタンスは好感が持てる。今日の番組を見る限り、視聴者の軍配は裁判員制度反対派に上がると見た。そのように方向付けた「ウェーク」に拍手。
ただ、もう少し具体的に中身に突っ込まないと、隔靴掻痒。裁判員制度が非道な人権侵害制度だという具体的な例をあげて掘り下げて欲しい。

午後、「レントゲンを見たら、もう大丈夫そうですから月曜日にでも退院しましょうか」と副担当の女医さん。
 宝塚の男役のようなキリリとした面立ち、廊下を歩くときの颯爽とした身のこなし。外科の医師の中でもそのカッコよさが際立つ。いるんだなぁ、こんな女医さん。


 看護士さんに点滴管を外してもらって自由の身。あとは退院を待つだけ。この開放感。

 それにしても、看護士さんたちがみんな綺麗。小劇場の看板を張れそうな人ばかり。しかも、よく気がつくし、かいがいしい。夜勤はきついだろうが、皆さん笑顔で勤勉。白衣の天使とはよくいったものだ。

 退院の日が決まったので、久しぶりにA.マキさんに電話。暮れのライブのこと。弾む声。30分近くあれこれ。
12月12日(金)

 熱が下がったので午前中、お風呂をつかわせてもらう。一人30分。受付簿を見るとほとんど空欄。

 4日ぶりのお風呂。看護士さんに点滴の管を外しでもらい、水に濡れないように腕をラッピング。
 ゆっくりとお湯につかり、シャンプーをする。お風呂がこんなに気持ちのいいものとは。人間の幸せはこんなにも単純でささやか。

 今日から三分粥。少量のジャガイモサラダ、刻みリンゴ。それが例えようのない旨さ。世の中にこんなおいしいものがあるなんて。

 昨日あたりから、空腹感が出てきた。
 テレビを見てると、なんとまあ食べ物が画面に登場するのかといまさらながらびっくり。おいしそうな食べ物のCMが出ると思わずスイッチを切ってしまう。

 そんな中での久しぶりの食事。味のないおかゆでさえ、いいようのない甘み。

 人間は安全な食べ物と雨露をしのげる住まいがあればそれで十分。限りある地球の自然を破壊し、資源を枯渇させ廃棄物を出し続けて何の未来があるというのか。
「三丁目の夕日」の時代の人情と1970年代の生活水準で十分だ。本当に体が求めている時に食べるご飯の美味しさ。どんな美食もかなわない。

 最悪の事態を迎える前に、踏みとどまって、ある程度の生活水準にしたって文句言うのはセレブだけ。。人間は自分が考えているより、もっとシンプルな生き物だ。
12月11日(木)

 入院3日目。寝たり起きたりで時間の感覚がない。お腹の痛みも消え、レントゲン写真を見た限りでは順調に回復しているという。

 すぐに退院とはいかないがひとまず安心。入院することなど思いもしなかったので、少し体が楽になると仕事のことが気になる。音楽座のI川さんに電話し事情を話し、Sさんに連絡をとってもらうことに。危機を脱するとまた世の中の些事にとらわれる。人間って…。
 電話は制限されているが、携帯メールでの連絡はなんとかセーフ。
12月10日(水)

「死ぬかと思った」ほどの痛みは少し和らぐもまだまだ体から抜け出てはくれない。
 病院の時間の流れに慣れず、意識も肉体もばらばらに引き裂かれだようだ。
12月9日(火)晴れ

「おそらく腸閉塞です。胆石の手術後の癒着が原因の場合が多いので、胆石の手術をしているのなら、それが原因かもしれません。執刀したD医大にデータがあるでしょうから、そちらに転院したほうがいいでしょう」

 厄介払いのように宣言する当直医。仕方なく、午前10時過ぎ、D医大へ。受付時間は終わっていたが、家人の説得で受付了承。ただ、一般受付なので待ち時間が長い。2時間以上も待合室の長椅子に座り、痛みに耐える。
 この後、検査、医師の診察、入院手続きと進むも意識朦朧。ただひたすら痛みに耐えるだけ。胆石の痛みは座薬で治まったが、この痛みは座薬も効かない。

 空いてるのは6人部屋。点滴管につながれた生活のスタート。
 一日目、痛みで朝までまんじりともできず。しかも尿意が1時間ごとにあるも、ほとんど排尿なし。朝までトイレとの往復。ふと、父の最期を思い出す。「原因不明の炎症が腸周辺に起こって」と医者は説明したが、単純な腸閉塞だったのではないか。今も急転直下の父の最期の日々には不信感が残る。




12月8日(月)晴れ

 午後、歯医者へ。定期的なチェック。費用8500円。高い! 小泉改革前は保険がきいたのに。

 夕方、部屋の整理。
 向井豊昭氏の奥様からいただいた資料本は以下の通り。

「日本風俗史事典」(日本風俗史学会編 弘文堂)
「日本城郭大系2 青森・岩手・秋田」(新人物往来社)
「東北地方方言辞典」(桜楓社版)
「下北・神仏との出会いの里」(平川出版社)
「青森県の漁具」(青森県立郷土館)
「下北のイタコ物語」(森勇男 北の街社)
「講座方言学4 北海道・東北地方の方言」(国書刊行会)
「下北近・現代史略年表 明治・大正篇」(鳴海健太郎編)
「ツガル語の謎」(松田弘洲 ツガル共和国文庫)
「東北方言集」(篠崎昇)
「下北民衆史略年表 江戸時代篇」(鳴海健太郎)
「下北半島主要文献目録」(鳴海健太郎)
「日本の民族 青森」(森山泰太郎 第一法規)
「霊場恐山と下北の民俗」(森勇男 北の街社)
「霊場恐山物語」(森勇男 浪岡書店)
「下北半島」(青森県立郷土館)
下北・渡島と津軽海峡」(浪川健治編 吉川弘文館)
「下北半島の民間信仰」(高松敬吉著 伝統と現代社)

 いずれも貴重な資料ばかり。ありがたい。


 朝から左のわき腹に痛みがあり、「どこかでぶつけたかひねったかな?」と思ったが、よく筋を痛めるのでそれだろうと、そのまま気にもせずいた。

 夜10時過ぎ、風呂から上がり、寝支度を整え、ベッドに横になると突然左脇に痛みが。
「あれ? 何だろう。またひねったかな」
 が、痛みはどんどん大きくなるばかり。尋常じゃない激痛。寝たばかりの家人を起こして問答する間もなく、「これは救急車呼ぶしかない」

 その間にも痛みは増し、わき腹をえぐられるような痛み。うめき声しか出ない。
 救急車を待つ時間の長いこと。玄関にうずくまっていると、救急隊員の声。
 担架で搬送され、外に止めた救急車で問診。それから、受け入れ先の病院に連絡。手術中であったり、担当科の医師が不在であったり、なかなか見つからない様子。

 よく患者を搬入した救急車がマンションの前で長い時間止まっているのを見るが、あれは搬送先の病院を探していたのかと初めて合点がいく。

 痛みで意識は朦朧。搬送先の病院が見つかるまでの長いこと。「1時間待つことになりますが、いいですか」と救急隊の隊長。
 どこでもいいから早く病院に行かなくては。

 タクシーで15分ほどの市立病院も救急車なら10分。
 担架から下りて車椅子。痛みは限界。血液検査、尿検査。それから医師の診察まで長いこと。当直医が来たのは午前零時。
 このへんから、ほとんど意識朦朧で医者との会話も覚えていない。
 痛み止めを注射してもいっこうに痛みは治まらず、座薬を用いても効かず。家人をひとまず家に帰し、痛みに耐えながら朝まで。



12月7日(日)晴れ

 午後から新木場へ。
 第42回全日本躰道選手権大会が東京スポーツ会館(Bumb)で開催。半年も稽古を休んでいるのでせめて応援に。

 1330着。大会はスタートしたばかり。プログラムを見ると、司会がTAIGAとある。あの躰道お笑い芸人のTAIGAを大会の司会にするとは、本部も結構目先が利く。

 
体育館の4面コートを同時に使って予選、決勝が行われるので、どこを見ていいか迷うところ。しかも、眼鏡を忘れたので、屋内では目が疲れる。
 決勝にH崎先生が残っているので、1階に下りていって激励。「久しぶりですね。稽古に来てくださいよ」と先生。病状を説明。

 壮年組は例年、ほぼ同じメンツが顔をそろえるが、今年は女性が加わり四つ巴。
 これは楽しみ。……と思ったが、そんなにキレがあるわけでもなさそう。

 実戦を見ていると、全国大会といっても、レベルは……。しかし、遠目に見ても千葉の中野の動きは一頭地を抜いている。体のキレはますます磨きがかかったようで、今年も優勝候補か。

 H崎先生は決勝で敗れ、2位。
 1530、決勝戦を待たずに退散。

 一階の練習場では松濤館空手の稽古中。体の大きな外国人がゴロゴロ。
 体格の差を克服するために、祝嶺正献氏が始めた躰道。さて、この連中と戦ったとしたらどうなるか。
第五福竜丸
 帰り道、せっかく来たので、近くにある第五福竜丸の展示場に寄るも、きょうは閉館。外からシャッターをパシャ。

 1800帰宅。

 「全日本躰道選手権大会」のプログラムの巻頭言は二代宗家・祝嶺正献氏のことば。
 中学での武道必修化方針に触れ、「限られた人生の中で、狭義の排他的愛国心ではなく、日本人である私たちが広義の愛国心=「郷土愛」を育むことができるよう、日本国外や地球環境への思いを巡らせる心のゆとりを培う価値観を滋養し、国際社会の平和を希求することに武道教育の最大の目的があるのだと思う」
「相手の自由や動きを端から制する古典的な武術ではなく……」

 躰道がほかの諸武道と違うのは、創立者・祝嶺正献氏の知性に裏付けられているという点だろう。武術が国家と結びついて権力の手先となるのではなく、武術は庶民が権力から自分を守るためにあるという信条。

 2009年8月8日には広島で国際親善試合が行われる。翌9日には世界躰道選手権大会を開催。
躰道世界大会が「国際平和都市・ヒロシマ」で開催される意味は大きい。

 今年の躰道大会がビキニで被爆した第五福竜丸の「遺体」のすぐ近くで開催されたのも何か示唆かもしれない。

 amazonの古書で注文した福永武彦「風のかたみ」が届いたので行き帰りに読む。平安時代の説話集「今昔物語」に題材を取った王朝ロマン小説。旅の僧と笛の名手・次郎信親との出会いから、すでにわくわくどきどきの予感。しかし、下北沢の古書店でこれが1000円。ネットだと130円。送料がかかるとはいえ、ネットのほうが断然安い。

 


11月6日(土)晴れ

 1400、新宿。タイニイアリスで「豚とオートバイ」。韓国の異才・李満喜の作品を元螳螂、現月光舎の小松杏里が演出。
 05年に鐘下辰男演出でリーディング(いかにも鐘下好みの作品?)、06年に杏里演出で、それぞれリーディング公演が行われたというが、両方とも未見。

 まったくの先入観なしで向き合ったため、タイトルのイメージと大きくかけ離れた衝撃的な物語に驚く。

 一人の男のモノローグで舞台は始まる。彼は予備校教師。裕福な家庭に育った教え子の恋人がいる。その恋人に結婚をせがまれているのだが、踏み切ることができない。それは、彼に生涯拭い去ることのできない大きな過去の罪があるから。

 それは子殺し。奇形児として生まれた赤ん坊をその手で扼殺し、受刑中に、妻もまた自殺を遂げる。その妻の自殺の真相を知ることで、彼の心の傷は大きく開いていくのだ。

 舞台は原罪を抱えた男の心の変遷を過去と現在を交差させながら丁寧に描いていく。

 舞台下手にレコードが乗った真っ白なターンテーブル。中央に紗幕が下り、ドラムスのセット。渡辺ハンキン浩二が生演奏。
暗く思いテーマだが、主演の結城俊和の誠実な演技と、恋人役・姫宮智美のコケティッシュな演技が舞台の流れを作り、緊迫した中にも清涼感漂う舞台となった。
タイトルは「種付けのオス豚を、今ではオートバイの荷台に乗せてメスのところに運んでいく。オートバイに乗せられたオス豚は、大騒ぎして喜ぶ」という寓話に拠っている。

「奇形児」は韓国軍事政権による光州事件などを象徴しているという。「与えられた過酷な運命」。それに対して人間はどう生きるのか。

 劇中で引用される聖書の言葉。
子供が障碍をもって生まれたことに対し、イエス・キリストはこう答える。
「それは自分の罪でも父母の罪でもない。ただ、神があの者を通じて“みわざ”を示されるためだ」

 国民の3割がキリスト教信者である韓国ならではの宗教観が垣間見える戯曲。

 裁判のシーンで「愛するがゆえに殺した」と陳述する被告人に「それなら、障害を抱えて生きる子供たちの父母には愛がないのか」と問い詰める検察の言葉の重さ。

 人間の罪業、愛、生と性にきちんと向き合い、格闘した好戯曲。それを具現化した演出の小松杏里の手腕にも拍手。約2時間、実に密度の濃い時間。
初日ということもあって超満席。

 惜しむらくは、隣りの大学生グループの一人が、時々ケイタイを取り出して時刻を確かめるなど、そわそわと落ち着かなかったこと。ふだん芝居を見ない人は態度ですぐわかる。三度目で注意したが、集中力が途切れ、不愉快。

 吉田光彦さん夫妻がいたので挨拶。ポストパフォーマンスがあるとのことだが、杏里さんに挨拶して池袋へ。

 1630、池袋。南口でKさんと待ち合わせ。風邪気味とかで、マスク姿のKさん。中ホールの喫茶店で軽く食事。
1800、TSミュージカルファンデーション「AKURO」(演出・振付=謝 珠栄、脚本=大谷美智浩)


大和朝廷が平安京へ遷都して間もない延暦21年(802年)。朝廷による討伐に抵抗し続け、「悪路王」と恐れられていた陸奥(みちのく)の蝦夷(えみし)の長・アテルイが、ついに征夷大将軍・坂上田村麻呂に降伏、斬首される。勝者である朝廷側が「御伽草子」で語り継いだごとく、そして今も教科書で教わる歴史のように、これにて“鬼”退治は一件落着・・・・果たしてそうなのだろうか?  いや、敗者となり“人間”としての誇りすら奪われた罪なき蝦夷たちの怒りと哀しみの炎が消え去ることは、その後も決してなかったのだ・・・・。
迎えた延暦23年。平定した蝦夷を監督するため、都から若き軍人・安倍高麿(あべのたかまろ)が胆沢城(いさわじょう)に赴任してくる。敬愛する田村麻呂から授かった、蝦夷の隠れ里「鉄の谷」の探索という極秘任務を遂行すべく勇む高麿は、どこからともなく現れた“謎の若者”に導かれ、ついに目的の地へとたどり着く。だがそこで待ち受けていてのは、大和による侵略で無惨なまでに虐げられ続けた蝦夷が語る衝撃的な真実だった。(HPより)


 自ら日本の中の異分子として抑圧される側の視点で日本の歴史を見てきた謝珠栄が、勝者の歴史を敗者の視点で捉えた作品。
 その底流にある、敗者=被抑圧者への限りない共感と、矛盾への怒り。


「国は土地ではない。そこに暮らす人たちの心なのだ。理不尽な力の弾圧でどうして民の心が動こうぞ」


「上に立つものが道を誤ればこの世は地獄と化す。何もかも他人まかせにしていれば知らず知らず地獄への道を突き進む」

 まるで現在の政治状況を皮肉ったかのようなセリフであるが、実はどんな時代にも通じる真理。
 「AKURO」を通して訴えるのは、パレスチナ、チベット、アイヌ、ロマ、インディアン……世界中で今も繰り広げられている被抑圧民への共感と連帯。

 謀略のために次々と死んでいく蝦夷の若者たちの凄惨な死に万感の思い。

 2030終演。楽屋で謝さんに挨拶。「本当は東北で公演したいんですけど、なかなか演劇鑑賞会が厳しくて……」
 このような舞台こそ東北を巡演してほしい。受け入れない演劇鑑賞会とは何ぞ。

 東口に回り、モツ鍋料理店でKさんと2300まで。奥尻島直送の魚介類がおいしい。
 終電で帰宅。

12月5日(金)晴れ

 1600、御徒町でマッサージ。

1900、シアタートップスで南河内万歳一座「夏ざんしょ!」(作・演出=内藤裕敬)

 トップス最後の南河内。幕が開くと、舞台いっぱいに数十人の役者がひしめき合うトップスでの独特のシーンも見納め。

 今回は荒谷清水が復帰。おでんの屋台から、秘宝求めてのひと夏の冒険ファンタジーを体現。鴨鈴女、藤田辰也、三浦隆志ほか役者陣も充実。今回は客演陣も強力。や乃えいじ(PM/飛ぶ教室)、友寄有司(海亀の産卵)、阪上洋光(いちびり一家)。
 「入門編」と内藤が言うとおり、エンターテインメントとして、抜群の面白さ。

 2145終演。時間が遅いので内藤に挨拶できないまま家路に。

 途中、路上アーティストのペインティング作品に見入ってしまう。カラースプレーで見る間に絵を仕上げていく。すごい。


12月4日(木)晴れ

 1400、池袋芸術劇場小ホール2で文学座「口紅〜ルージュ」(サタケミキオ・作、高瀬久男・演出)。

 東京セレソンの主宰者・宅間孝行(サタケミキオ)が文学座に書き下ろした作品。近頃では「花より男子」の脚本家としても注目を集めているサタケだけに、物語作りは上手い。テーマも「感動的」。その意味でサタケは新劇にピッタリ。

 老舗の銭湯を舞台に、ナゾの男、詐欺師らが繰り広げるハートウォームな物語。小悪人も登場するのだが、登場人物の誰もが好人物という、笑いと涙の人情喜劇。

 戦後の焼け跡時代の銭湯と、現在の寂れた銭湯を往還しながら、銭湯に庶民の希望を見てきた男の夢と挫折と希望を描く。風呂屋の大将役は小林勝也。ふらりと現われたナゾの男が渡辺徹。自身の企画らしく、キャストに注ぐ温かなまなざしが印象的。文学座若手とのアンサンブルも絶妙。

 1時間50分。

 急いで電車に乗り家路に。1730から中学で三者面談。
 豚児とタクシーで急行。面談は15分ほどで終了。
 「このところ頑張っているようで、他の先生方も驚いてます」とか。誉められて悪い気はしない。というか、親にとって子供が誉められることがこんなに嬉しいことだとは。さて、自分は……。

 故向井豊昭氏の蔵書だった森勇男著「霊場恐山物語」を読んでいる。

 その中で、約80ページにわたって詳述されているのが「東北太平記」。

 1456年、室町時代の北辺の地・下北半島を舞台に、後醍醐天皇の孫・良尹王らの南朝復興策謀の実行者となった蠣崎蔵人の反乱と鎮圧を描いたもので、史実かどうか判然としないが、歴史好きにはこたえられない書。もちろん、概略は知っていたが、口語訳がないため、この本で初めて田村麻呂の遠征から始まる詳細な「東北太平記」を知った。めちゃくちゃ面白い。なぜ、口語訳がないのか不思議でならない。
 15世紀の下北半島を舞台にした、血湧き肉躍る歴史絵巻。一人の山伏を主人公にした長編小説が書けそう。しかし、こんなにも面白い歴史書なのに、なぜ青森県民は放っておくのだろう。宝の山なのに。


 

12月3日(水)晴れ

 1500、新国立劇場小劇場で「黒猫」。映像作家・奥秀太郎の作・演出・映像。

 ポーの原作をもとに、舞台と映像を融合させたもの。映像の猫と舞台の女優のコラボレーション、舞台全面に投影した映像の迫力など、視覚的に面白い趣向。ただ、舞台はトリッキーな演出だけではもたない。手塚とおるもその演劇的「遊び」を封印され、やりにくそう。主演は藤谷文子。キャストで見たことのある外国人だと思ったら、ハイレグ・ジーザスのリン・ボブディだった。
 お気に入りの町田マリーが見られただけでもいいか。

 前田美波里が客席に。

1800、下北沢へ。
 タウンホール前の古書店をのぞいてみる。福永武彦の「風のかたみ」新潮文庫が1000円。高い。いったいにこの古書店は値付けが高すぎる。読みたかったのだが、ネット古書店を調べてから出直してもいい。

1900、スズナリで燐光群「戦争と市民」。渡辺美佐子主演。燐光群劇団員総出演。

 開演前の客入れの音楽はPANTAの曲。たぶん坂手はHAL時代の「マラッカ」をスズナリに響かせたかったのだろう。

 舞台は、歴史ある捕鯨基地の港町・鯨丸市。鯨料理の食堂を営むヒサコ(渡辺美佐子)は偶然発見された防空壕跡に立ち入ると、そこには少女時代のもうひとりの自分が……。よみがえる空襲の記憶。
 折しも市長選の前哨戦。「北の国」のミサイル実験や国際的な反捕鯨運動、原発建設計画が町の人々を押し包んでいる。ヒサコは防防空壕を戦争博物館にしようと訴え、市長選に立つ……。

 例によって、坂手洋二の関心あるテーマは多岐にわたり、舞台は「言いたい事が山ほどある」セリフで埋め尽くされる。戦争、原発、捕鯨etc
 過剰とも思えるセリフの応酬。
 が、いいたいことは三点。
「戦争・原発には反対。歴史ある漁民の鯨捕りは認めよ」
 珍しく、分かりやすい主張。はしょってもいいのではと思う空襲シーンを丁寧に描くのも、作品のキーポイントだからか。その焦土作戦を提案した米軍・カーチス・ルメイ将軍に戦後、日本が勲一等旭日大綬章を授与したこともきっちりと付け加える。1964年、時の責任者は佐藤栄作総理、小泉純也防衛庁長官(小泉純一郎の父)。

 坂手作品にしてはいくぶん啓蒙的な色彩が強い。が、考えてみたら、トンデモ自衛隊幹部が「日本は侵略者ではなかった」と発言し、それが多数者の共感を得る時代なのだから、この程度の「啓蒙」が必要な時代なのかもしれない。

 2時間40分。坂手の姿が見えないので、そのまま家路に。

12月2日(火)晴れ

 1900、パルコ劇場で三谷幸喜「グットナイト スリイプタイト」。戸田恵子と中井貴一の2人芝居。
 さして期待してはいなかったのだが、これが予想に反してしみじみと胸に迫る珠玉の作品。

 一組の夫婦の過去と現在をいくつかの年代で切り取ったものをバラバラに並べ変えた構成が巧み。
 戸田恵子は新婚時代から、夫婦仲が冷め切った別れの日まで20数年の時間の流れの中の妻を演じ分けるのだが、これが素晴らしい。純粋無垢でキャピキャピの娘と、人生の酸いも甘いも噛み分けた50代の女性を瞬時の切り替えるのだ。その演技力、表現力。

 その点、中井貴一演じる夫は新婚から別れまでほとんど変わらない。それが離婚の一因といえるのだろう。夢ばかり見つめている作曲家の夫。何も知らない無垢な若妻から、次第に才覚を現し、英会話スクール、古美術品の売買……実務で人生を切り拓いていく妻。

 三谷幸喜らしく、笑いのツボも見事。
 新婚旅行で行ったタヒチの思い出、2人がペットとして買うケヅメリクガメのエピソード……。
 最後の日、2人の想い出の木箱が開いたときに物語のすべてがその木箱に優しく包まれる。その中に入っていたのは……。

 これこそ大人のための永遠の愛の物語。

 おそらく戸田恵子の体験の一部は織り込まれている。この作品は三谷幸喜の戸田恵子の再出発へのオマージュなのだろう。人生の一区切り。

 三谷幸喜の術中にはまったともいえるが、ここは素直に万雷の拍手を送りたい。

12月1日(月)晴れ

 0445、休みなのにいったん目が覚める。体に染み付いてる仕事時計。で、二度寝して0830に起床。
 17日から更新していなかった日記をとりあえず松山市外劇あたりまで思い出しながら記録。

 0600、新宿へ。コマ劇場で「愛と青春の宝塚」。初日前のプレビュー公演。

 コマ前に人だかり。タクシーから降りてきたのは前田美波里。シャッターを切る報道陣。プレビュー公演ならではの有名人ご到着光景。

 ファンクラブに関係者でほぼ満席。大石静脚本、鈴木裕美演出。小劇場出身の2人がコマ劇場で、その閉館最後の公演を取り仕切る。20数年前、こんな日が来るのを想像しただろうか。

 芝居そのものはテレビ版の舞台化であり、戦中の宝塚の受難を通して平和の尊さを訴えるもの。

 宝塚歌劇団でトップを張る嶺野白雪を主人公に、彼女が思いを寄せる脚本家、後に世代交代を告げる役回りとなる落剥の少女、白雪に憧れる予科生らの青春群像が描かれる。

 劇中に登場するオサム少年は宝塚が大好きで、将来は漫画家になるか医者になるか悩んでいる。もちろん手塚治虫がモデル。
 清く正しく美しく。繰り返し歌われる宝塚のモットー。しかし、戦争の時代は宝塚を不要なものとして劇場閉鎖。タカラジェンヌは大日本国防婦人会に編入され、慰問団として満州など国外の戦地を渡り歩く。そして敗戦……。

 Wキャストで今日は紫吹淳、彩輝なお、星奈優里、紫城るいの編成。男優は石井一孝、本間憲一、佐藤アツヒロ。石井の芝居・歌のうまさは一頭地を抜いている。佐藤は歌が弱い。

 終幕後、オマケとしてミニレビュー。着替えのために5〜6分間幕が下りたが、場つなぎや演出でスムーズにレビューのフィナーレに持っていけないものか。後ろの席のオバサンたちも「あのままじゃ、ちょっとさびしいわよね」と、モンペ姿のままのカーテンコールに不満げな様子。

 やはり、フィナーレはゴージャスなレビューを見たいもの。
 
 1940終演。休憩20分挟み約3時間20分。

 それにしても、年配の客のマナーの悪さには辟易。隣に座った、どこかの大会社の会長ふうのおじいさんはエンブレムのジャケットにアスコットタイのオシャレな服装だが、上演中にケイタイを開いて時間を確かめるわ、パンフを広げるは落ち着かない。しまいにはガサゴソとチョコレートの包みを開けてチョコを口に運ぶ。ニ幕でも同じことをするので、仕方なく注意したが、今度は前の席の70代オヤジが胸ポケットからケイタイ取り出し、メールを読み始める。まったくマナー以前の問題。時計を気にするなら見に来るなといいたいが、きっとスポンサー筋のおエライさんなんだろう。

 2100帰宅。

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