| 1月31日(土)雨 1400、代々木公園、青年座劇場で「少年山荘」(作=尾崎太郎、演出=伊藤大)。日本劇団協議会創作推奨公演。作品は、平成18年度文化庁舞台芸術創作奨励賞佳作受賞作品『おちゃらか山荘』より。 物語は竹久夢二のアトリエ、通称「少年山荘」を舞台に、夢二、その息子・不二彦(チコ)、戦争で頭を負傷した男、新しいモデルの女・ゆき江、画商、舞い戻ったモデル「お葉」らの人間模様を描いたもの。 ……舞台劇としてまったく感興わかず。夢二役の檀臣幸ほか熱演はわかるが、何を表現したいのかさっぱり伝わってこない。 1900、新宿。シアタートップスで、自転車キンクリートSTORE「29時」(作・演出=飯島早苗)。 アパートの一室で、ブラインド越しに隣家のお笑いタレントの部屋を盗撮しているフリーライター。部屋の主は40代半ばのアニメーション作家。机の上には血まみれのウェディングケーキのミニチュア。 そこに訪れた子持ち男、デリヘル男……。夜中から明け方にかけての夢とも現実ともつかない妄想合戦。 フリーライターは青年座の横堀悦夫、40代の”痛い女”、アニメーション作家は歌川椎子。 これまた何の感興も呼ばない。意味のないセリフの洪水が目の前を通り過ぎていくだけ。 客席にO笹吉雄氏。Y本健一氏。ピクリとも頬の筋肉動かず。2時間15分。 2230帰宅。 風邪気味で咳が少し。 1月30日(金)雨 1700、ホテルニューオータニで朝日舞台芸術賞の授賞式。早めに着いたらエントランスでM新聞のT橋さんとバッタリ。芙蓉の間へ。開会まで四方山話。 1740、開会。グランプリは「焼肉ドラゴン」。今年の演劇賞を総なめ。それも当然。去年観た中でダントツの舞台成果だった。平幹二朗、松本雄吉のアーティスト賞受賞も順当。今年から新設の舞踏賞は新潟りゅーとぴあ専属カンパニー「NOISM 08」。 寺山修司賞は「父と暮らせば」の栗田桃子。秋元松代賞は市村正親。 毎年思うのだが、寺山修司賞の性格づけが曖昧。「将来が嘱望される新鋭で清新さあふれる個人・団体」とはいうものの、これまでの受賞者を見れば、藤原竜也、近藤良平、尾上菊之助、市川亀治郎、北村有起哉、そして栗田桃子。……基準がわからない。 単なる「新人賞」ではないのか。 寺山修司の名前を冠する賞ならば、前衛性、革新性こそが要諦。演劇そのものを問い続けた寺山、小市民的日常を撃ち、演劇による社会変革を目指した寺山。 受賞するならばそんな個人・団体が受賞すべきだろう。もっとも、そんな先鋭的な劇団・個人には「受賞」そのものが似つかわしくないわけで……。寺山修司賞 そのものが二律背反を内包する。 しかし、寺山修司の名前を冠するなら、最低限、その名に値する人に与えられるべき。選考委員の怠慢としか言いようがない。 自分が選考委員ならば、寺山修司賞に値するのは演出家・白井晃であり、団体なら維新派。 このままでは賞が意味をなさなくなる。 危機感を持ったのは秋元松代賞もそう。プレゼンターが「ひとこと、言いたい」として「秋元松代の名前を冠した賞が、秋元からどんどん離れていってしまっている」と賞そのものに苦言を呈したこと。 会場に一瞬緊張感。「……だから、市村さんにぜひ秋元の戯曲に出演してほしい」と締めたので、市村もホッとした表情だったが、今日の授賞式での「本音」に同感する人も多かったに違いない。 市村正親の受賞理由は「キーン」と「ラ・カージュ・オ・フォール」の演技に対して。これのどこが秋元松代と結びつくのかわからない。土俗性と伝綺性、情念と反骨。その秋元松代の世界と名のある海外戯曲……結びつかない。 寺山なり秋元なり、個人の名前が冠する賞は受賞した本人が喜ぶものでなくては、そして周囲も納得するものではならない。該当者なしでもいいではないか。無理にハメこむから齟齬が出る。 もらった方がとまどうような受賞方式はやめたほうがいい。これまでの寺山賞で心から喜んでいるのは北村有起哉くらいではないか……とは自分の独断と偏見。 スピーチの素晴らしさでは平幹二朗。さすがは名優。 授賞式の後は会場を移して祝賀会。 鄭義信に祝福を。初めて会ってから20年以上か。2月は、こんにゃく座オペラの作・演出。脚本家として売れっ子だから、稼ごうと思えばいくらでも稼げる だろうに、頼まれればいやといえず、お金にならない芝居ばかり引き受けてしまう。「映画で稼いで、それを、芝居に使っている」と笑う鄭義信。受賞ラッシュ で賞金数百万円。「焼肉パーティーでもやりたいですね」と。 こまつ座の瀬川さんが栗田桃子を紹介してくれる。今年は文学座の「ゆれる車の音」巡演がびっしりなので、来年あたり再演するとか。 松本雄吉さんに挨拶。「この人はどこに行っても見に来てくれるんですわ」と笑顔。今村氏の劇評に言及していたが、やはり劇評は気になるものなのか。ドラゴン組は別の店に移動。ワカの息子・力君もドラゴン組。芝居も二世の時代。 2000お開き。 九條さん、白石さん、大澤さん、偏陸さん、田之倉先生と近くの店で2130まで。 「寺山修司著作集全5巻」(クインテッセンス出版)が1月から刊行とのこと。チラシのデザインは東学。 http://www.quint-j.co.jp/web/terayama/index.php amazonで注文した「1978・3・26 NARITA―管制塔を占拠し、開港を阻止したオヤジたちの証言」が届く。 1978年3月26日、三里塚空港の開港を阻止した16人の活動家の証言集。 05年、元被告たちが、裁判で請求された賠償金1億300万円をカンパで集め、法務省と国土交通省にたたきつけたことは記憶に新しい。 31年前のその日、どこで事件を知ったのだったか。古今の反対闘争の成果に対し、あれほど快哉を叫んだことはなかった。22人のモグラ部隊が数万人の機 動隊の隙をついて、排水溝をつたい、管制塔を占拠する。その成功は綿密に立てられた計画と、警備のアナという偶然の産物によるもの。そして、その陰には、 9ゲートに突入した陽動部隊メンバーの死がある。 多少、第4インターの自慢話的な部分が混じるが、「3・26」を成功させたのは、彼らであるし、カンパが1億300万円集まったというのは、成田空港反対闘争が間違いではなかったという証拠でもある。 「うれしかっただよ。三里塚公園で集会の途中、大勝利した、空港を占拠したって知らせあったの。もう大変な拍手だった。夜、テレビでみたの。高いところ壊 した青年、にっこり笑って出てただよ。青年たちの心、農民の心と変わりねえべえ、変わらないどころか、神様だよ。いくら反対同盟がんばっても、あんだけの ことできやしねえ。 よね婆さん生きてたらどんなに喜んだかと思って、集会終わったらすぐ、よね婆さんの墓へとんでいっただよ。東峰の共同墓地の真ん中に いるだよ。死ぬまでいい目にあわなかったもんな。せっせと働いて、畑も家も公団にとられちまっただよ。で、掌合わせてよね婆さんにいっただよ。青年がえら いことしてくれたぞ、飛行機とめてくれたぞ、大勝利だって」(染谷のばあさんのことば) =本の帯より。 1月29日(木)晴れ 1600、秋葉原でマッサージ。 1900、池袋。サンシャイン劇場。 久しぶりのサンシャイン劇場は改装したようで、床も椅子もリニューアル。 メジャーリーグ「宋家の三姉妹」(台本=笹部博、演出=栗田芳宏)。 孔子の子孫の財閥と結婚し、中国一の金持ちになった長女・宋靄齢。中国革命の祖・孫文と結婚し、後に革命の精神的支柱になった次女・宋慶齢。蒋介石と結 婚し、政治の表舞台で活躍した三女・宋美齢。中国の名士チャーリー宋の娘として生まれた三姉妹があの世で再会し、互いの人生を振り返る……。 物語の時代背景など、すべて字幕で説明。しかし、字幕が暗いため、見づらい。一所懸命文字を追おうとすると、目が疲れてそのうち睡魔に……。 しかし、三女優の熱気に押されて、すぐに回復。 見どころは、三人の長ゼリフ。1人20分ほどのモノローグなのだが、舞台後方に字幕でそのセリフが投影される。そのため、間違えたら観客にはすぐに分かってしまう。このスリリングな仕掛け。安奈淳、安寿ミラ、森ほさちの順で滔々とうたいあげる長ゼリフ。 いずれも宝塚・花組元トップ女優。まさにガチンコ勝負。60代、40代、30代……それぞれの年輪に合った流麗、華麗なモノローグ対決。意図的かどうか、森ほさちの時には、字幕の流れがついてこれないほど、セリフが早い。若い印? それぞれのモノローグが終わるたびに客席から大きな拍手。 背景に流れるのは京胡演奏者・呉汝俊(ウールーチン)の音楽。カーテンコールでは、このすばらしい演奏をじっくりと聴かせてくれる。昨日は二胡、今日は京胡。連チャンで中国音楽を堪能。ちなみに、京胡の方がニ胡より音域が高いのだとか。 2115終演。見に来ていた上谷氏に挨拶して家路に。 ここまで続けば、もう単なるミスというより、頭の程度がこれだけなんだと知れてしまう。ASO首相のこと。 28日の施政方針演説で、「新しい世界をつくるためにどのように貢献(こうけん)すべきか」で、「貢献」を「こうこん」。「新しい秩序づくりにも参画(さんかく)しなければなりません」の「参画」を「さんが」と読み間違え。 「我が国はなお不十分」の「我が国」を「わがこく」、「日本らしいソフトパワーを生かす」を「ソフトパター」。???ゴルフに行きたいっすか? 中川昭一財務相も財政演説で「金融危機の渦中」の「渦中」(かちゅう)を「うずちゅう」。いくらなんでも、ここまで続けば、単なるバカとしかいいようがない。 秘書官も「まさかここまでフリガナは必要ないだろう」と首相の知性を過大評価したようで……。 J事務所のタレントの台本のように、演説草稿は全部フリナガつきにしたほうがいいかも。 1月28日(水)晴れ 1300にPTさんと待ち合わせ。下北沢ザ・スズナリで上演中の杏子+深沢敦プロデュース「URASUJIV 寵愛 大陸篇」へ。 シリーズ三作目。今回は清朝末期の中国が舞台。 西太后暗殺に失敗し、日本に逃れてきた改革派姉妹(明星真由美と倉科かな)の妹・梁風玲(倉科)に恋をした仕事人「URASUJI」のカンヂ(岩崎 大)。光緒帝の手下にさらわれた風玲を追い求めて、杏ねえさん(杏子)、おゆき(池田有希子)、ヤス(森貞文則)らと大陸へ。待ち受けるのは清朝の権力を 握る西太后(深沢敦)と、その傀儡・光緒帝(西村直人)。そして西太后追い落としに暗躍する袁世凱将軍(河野洋一郎)。 権力闘争に巻き込まれたURASUJI軍団の運命は……。そして、今回の殺しの請負相手は誰? シリーズ3作目とあって、裏稼業メンバーの呼吸はピッタリ。物語の途中でいきなりマイク片手に歌と踊りが始まるミュージカル・パロディー絶好調。好色時 代劇と銘打つように、ちょっぴりお色気を織り込んだエンターテインメント。倉科カナもキュート。池田有希子は相変わらず元気いっぱいで、歌もダンスもピカ イチ。 二胡の生演奏は土屋玲子。チャイナ服のよく似合うスレンダー美女。 スピーディーな演出とよく練られた脚本は松村武。清朝末期の時代背景がうまく織り込まれていた。この時代は複雑怪奇で分かりにくいのだが……。 明星真由美、河野洋一郎もさすが、ベテランの味。 儲け役は草野徹。URASUJI軍団を乗せる海賊船の船長役。ワンポイント・リリーフで観客の笑いを一手に。親分の大谷亮介ばりのコスプレが楽しい。 2時間10分はアッという間。 1615、終演後、ロビーで池田有希子、草野徹と立話。池田有希子は本番を縫って、「ザ・ヒットパレード」の稽古中とか。 「途中参加で、5日くらいしか稽古しなかったんで……」と草野。次回は商業演劇出演。 帰り道、N村まりこさんに声をかけられ立話。新劇場「711」の帰りとか。「711」の由来を聞いて苦笑。 パスタの店でPtさんと食事。気がつくと1900。楽しい時間はアッという間に過ぎるもの。 2100帰宅。 人種的偏見を科学的に減少させられる可能性を示した研究が新たに発表されたという。 白人の被験者を対象に、よく似た黒人男性の顔を見分ける訓練を行なったところ、無意識の偏見を測定するテストにおいて、被験者たちの人種的寛容度が向上したというのだ。 詳しくはコチラを。http://wiredvision.jp/news/200901/2009012223.html 実験方法は、さまざまな顔を被験者に見せて、肯定的あるいは否定的な言葉と関連づける反応時間を計測する。たとえば、もし被験者が、否定的な言葉を黒人 やマイノリティの顔と関連づけるのにかかる時間が、白人の顔と関連づける場合よりも短かったら、その人は偏見を抱いているとみなされる。 たとえば、黒人の顔写真を見せた後で「汚い」とか「貧しい」「暗い」といった単語を見せ、その単語に反応する時間が短ければ短いほどその人は「差別意識(潜在的にでも)」を持っていることになる。 しかし、見せられたアフリカ系アメリカ人の顔が同一人物か別人かを見分ける訓練をした後、同じ実験を行なうと、アフリカ系アメリカ人の顔を見た後、よい意味を持つ語を判別するのに要する時間が著しく短くなっていた。つまり、違う人種への悪い印象が改善されたと言える。 相手を個人として尊重すれば偏見や差別はなくなっていく、というもの。 かつて「鬼」と呼ばれたものが、漂着した外国人であったか、または異なる民族への恐れだったのかわからないが、恐怖や不快感は理解不能なものに対して生ずるものなのだろう。 実験結果が普遍性を持つものかどうかわからないが、少なくとも、差別や偏見を解消するには「理解」こそが一番の近道であることは確かだろう。 1月27日(火)晴れ 1900、下北沢・本多劇場で「パンク侍 斬られて候」。 町田康の小説を舞台化したものだが、まさにパンクな舞台。脚本・演出、そして主演の山内圭哉が八面六臂の活躍。 大菩薩峠の冒頭シーンのパロディーから、「腹ふり党」の顛末まで、圧倒的なスピード感で疾走する。原作に対して真正面から格闘しているのがいい。観客に変 に妥協しないのも好感がもてる。バカなことをみんなが真面目に演じている。これが一番。コメディーで一番つまらないのは、ふざけて中途半端にやること。そ んなものは全然笑えない。 このパンク侍、華も名もある役者が全員、真剣にバカなことに取り組んでいる。宇梶剛士の猿、大谷亮介の教組、小島聖の信者etc 侍同士の対決がいきな り映像に切り替わったりする。その映像も凝った作り。天野天街も顔負け。縦横無尽、パンクな笑い。久しぶりに腹の底からクックと笑った2時間45分。 「間」も絶妙。美術もかなり凝った作り。こんな途方もない演出ができる山内圭哉、実にクレバーな俳優。 23・30帰宅。 1月26日(月) 昨日かおとといだったか、バラエティー番組で、東南アジアの小さな村に行って水力発電機を設置、それで電気を起こして見せて村人の驚く顔、「喜ぶ顔」を映 していたが、あれこそ善意の押し売り。電気がなくても不便だと思わない人々がいるということに思いが至らない。夜になれば暗くなってみんなが寝静まる。電 灯をともして夜をなくしてしまうというのは「文明人」の思い上がり。しかも、たった一つの水力発電機を村に残して、どうなるのか。日本人の思い上がりを見 るようで不愉快だった。 中学時代は科学少年だった。毎日、午後5時半から始まるNHK教育の「みんなの科学」を心待ちしにしていた。電子回路を組み立てたりする「楽しい実験室」、みんなで考える「なぜだろう」、科学する心を養う素晴らしい番組だった。 しかし、科学が必ずしも人々の幸福に資することはないということに気がついたのは高校生になってから。激しい変革の季節に遭遇してからだった。 1967年、この番組がいかに科学少年の心を弾ませたか。 1月25日(日)晴れ 半年ぶりに躰道の稽古に。0800に起床したので、1時間遅れで参加。 果たして稽古ができるのか。足の捻挫の後遺症で階段の降下時に痛みが走る。そんな状態で運動、それも武道の稽古が可能なのか。もうケガから9カ月。慢性化しているということは、完全には治らないということ。 1000に到着し、稽古着に着替え。帯を締める時に、余りが長い。ということは腹囲が減少したということか。 恐る恐る準備体操。半年の間に知らない顔も増え、中学生たちは受験で姿なし。 「勢命の法形」を演じてみる。左右に動くとき、足が痛まないか。大丈夫。よかった。うっすらと汗。激しい動きでなくても、汗ばんでくる。体が温まる。「活命の法形」。動きが激しくなる。足は……大丈夫。 正午まで。もう、稽古ができないかと半分覚悟していたが、まだ大丈夫のよう。うれしい。 1330帰宅。家人と娘は巨大ショッピングモールへ。夜9時まで帰らず。 アーカイブス整理。 夕方、メタル棚を分解して組み立て直し。本が倒れないようにサイドバーを購入したのだが、これが「内付け」のバー。「外付け」だと思って買ったので、組み立て直しを余儀なくされる。 終わった後は日本酒と白子で晩酌。この頃、日本酒に凝ってる。 動画アップは手塚治虫の訃報を伝えるワイドショー。89年2月9日だから、もう20年も経つのか。ふと思い立ってアップしようと思ったのだが、偶然、命日が近づいていたのだった。坪田直子の音声をアップしたときも、偶然彼女の誕生日近くだった。不思議……。 1月24日(土)晴れ 1300、青山劇場で「オアシスと砂漠」(作=飯塚健、上演脚本=丑尾健太郎、演出=茅野イサム) 出演が鎌苅健太、上山竜司(RUN&GUN)、市瀬秀和ほか、いわゆるアイドルタレント。 中身は、そのまんま「ウエストサイドストーリー」。ひねりもなし。群舞×、歌×。 あまりにも見どころがない。せめてハコが小さかったら密度のある芝居になっ たかもしれないけど、いかんせん青山劇場では広すぎて、スカスカ。酒井敏也孤軍奮闘。ラストシーンは「幻想」なのだろうが、わかりにくいか……。 秋葉原でマッサージ。担当Aさんの技術が素晴らしい。100%満足。足首の捻挫の不具合への対処も教えてもらう。 1830、赤坂。ACTシアターで「リチャード三世」。 いのうえひでのり演出+古田新太主演。 舞台は11年ぶりという安田成美が大健闘。シェイクスピア劇に真正面から挑み、「笑い」の要素を剥ぎ取ったいのうえ演出もいい。 配管パイプむき出し、テレビ受像機がいくつも並べられた近未来の地下室のような舞台セット。登場人物も60年代のサイケ風衣裳。バッキンガム公など、髪型がまさにバッキンガムの衛兵。 古田リチャードはもっとデフォルメしたいでたちかと思いきや、顔面半分に朱をさしているものの意外とメイクもフツウ。 で、いのうえシェイクスピア。美術、衣裳は奇抜だが、演出は正攻法。長ゼリフもそのまま。出ずっぱりの古田、よくぞここまでセリフが入ったかと驚嘆。スピーディーな演出ではあるが、休憩20分をはさんで3時間30分。 安田成美、榎木孝明、大森博史、三田和代、銀粉蝶、 久世星佳、天宮良、山本亨、 増沢望、久保酎吉、若松武史など豪華キャストの中で、ひときわ輝いていたのは銀粉蝶と若松武史。 それぞれ長ゼリフたっぷり。銀粉蝶など、準主役といってもいいほどの扱い。それに応えて往年の「最後のアングラ女優」の華と毒が満開。これは銀粉蝶のた めの舞台といってもいいくらいの存在感。若松武史もその華と毒を撒き散らし、いのうえシェイクスピアの中に異彩を放っていた。この二人の芝居を見るだけで も満足。 2200終演。カーテンコール1回だけでそそくさと席を立つ観客。さすがに赤坂2200は遅い。 1月23日(金)晴れ きょうは「ふたくちつよし」デー。 1400から、新宿サザンシアターで劇団民藝「霞晴れたら」(作=ふたくちつよし、演出=中島裕一郎)。 昼公演ということもあるのか、客席の年齢層の高さに驚く。9割以上が自分よりも上。60代、70代の男女半々。普段見る芝居の客席なら、まず自分は「上の世代」に属するわけだが、新劇の客層の高齢化を見る思い。 物語は、ある地方病院に入院する女同士の4人部屋を舞台に、それぞれの抱える人生の断面を描いたコメディー。 母親との仲がしっくりいっていない若い女の子、浮気した夫を許せない妻、「でき婚」した息子の初孫のためにせっせと靴下を編む、「子離れ」できない母親、嫁とぎくしゃくしている義母……。それぞれ4世代の女の人生模様。 病室から火葬場が見え、煙突から時々、霞のように人の死が空に上っていく。 生と死の隣り合わせ。おせっかいで根性曲がりの老婆、元気いっぱいの看護士、彼女いアゴでこき使われる新米の男性看護士。さまざまな人生が病室で交差し、最後は、それぞれが新しい人生に踏み出していく。さわやかな余韻を残す幕切れ。ふたくちつよしの温かな眼差し。 人生は芝居のようには割り切れるものではない。が、せめて芝居の世界だからこそ、こんな優しさがあってもいい。 1900、森下町。ベニサン・ピットでトム・プロジェクト「かもめ来るころ 松下竜一と洋子」 こちらは、ふたくちつよしの作・演出。 「豆腐屋の四季」で作家デビューした松下竜一と、彼を支え続けた妻・洋子の半生を描いたもの。 子供の頃から成績優秀だったが、母の死で大学進学を断念。豆腐屋を継ぐも、勉学への思いは断ち切れず、配達の行き帰りに作る短歌がひそかな生きがいに。 自費出版した「豆腐屋の四季」が大手出版社の目に止まり、ベストセラーに。ドラマ化もされ、講演依頼も増えるが、その後、豊前火力発電所建設反対運動に飛 び込んでいったため、次第に周囲から孤立していく。九州電力という「地域の神」相手に孤軍奮闘。闘わなければ安穏とした人生が送れただろう。 松下竜一を突き動かしたのは、弱者への限りない共感と理解。自ら幼い日に高熱で右目を失明し、終生、多発性肺嚢胞症という病気と闘った松下。弱者の心は手に取るようにわかる。海と鳥を愛し、ふるさとの自然を愛した松下竜一。 火力発電所反対運動のほかに、冤罪事件、基地反対闘争などにも積極的に関わった。 「世間の人は自分に模範的な青年というレッテルを貼りたがる。それは、今、全国で反戦運動をしている学生たちと比べて、彼らを貶めるための方便に違いない」 「豆腐屋の四季」で脚光を浴びたときに、松下がつぶやく言葉だ。 激越な反対運動に身を投じた松下に周囲の目は冷たい。それでも彼が孤立しなかったのは妻・洋子の支えがあったからこそ。「売れないビンボー作家」と伴走し続けた妻の愛情。 「便利という言葉が使われる前には不便という言葉はなかったんじゃないか」とのセリフに思わずハッとする。 世の中が「便利」になっていけばいくほど「不便」も増えていく。その便利さを維持するために、人間は自然を破壊し、自らの首を絞めていく。 たかだか数年前、トイレに温水洗浄器がなくても誰が不便と思っただろうか。今はなければ不便と感じる。しかし、それ以前には、洋式の便座があればそれを便利と思っていた。子供の頃など、便所は家の外の掘っ立て小屋。それを誰が不便だと思っただろう。 水道が引かれる前は川の水を汲んで水瓶にためていた。それが当たり前の時代に「不便」という言葉はない。 「便利さへの限りない追求と欲望」による人類の破局はいずれ訪れる。 今のうちに、人間に必要な真の「環境」を守らなければ……。松下のとなえた「環境権」は人類を破局から救うための唯一の権利といえる。 高橋長英と斉藤とも子の二人芝居を見ながらそんな思いがふつふつとわきあがっていた。 二人とも好演。名優・高橋長英のユーモアを湛えた演技。松下を支えた妻・洋子さんはこんな人なんだろうと思わせる斉藤とも子のふんわりとした温かさの中にある芯の強さの演技。それぞれが絶品。ベニサン・ピットの最終回にふさわしい舞台だった。 1時間45分。二口夫人に挨拶して家路に。 1月22日(木)晴れ 社内の座席配置替えで、向かいの席だったSさんが遠くの席に移動。逆に離れた席のKクンが隣の席に。これだけで日常の人間関係が変わってしまう。たかだか 距離にして2bも離れていないのに、Sさんと言葉を交わすことは稀になってしまった。バカばっかり言っていたのに。逆に、疎遠だったKクンに親近感が。 「情が移る」というのは、人と人の間の距離関係によるものが大きいのか。「去る者日々に疎し」ともいうし。 部署が違うと、同じ社員同士でも親しく話すということはめったにない。日常で会話をするのは自分の周りの人間だけ。入社して20数年、わずか200人足らずの会社なのに、口をきいたことのない人もいる。 もっとも、親しく話していても、相手のことが本当にわかっているのかも疑わしい。まして、同僚が自分のことを本当にわかってるのかも疑問。会社というの は建て前で付き合わないと身が持たないところ。自分自身をさらけ出していたら、お互い疲れてしまう。だから、気の置けない友人というのは外部にしか存在し ない。一日9時間以上も一緒にいる同僚よりも、1月に一度しか会わない友人のほうが、自分のことを理解してることもある。 昔のCMアップ。毎日芸術賞を受賞した菊五郎の若かりし頃。この娘が将来フランス人と結婚するとは夢想だにしなかっただろう。 1月21日(水)晴れ 「就中、唯々諾々、揶揄、畢竟、叱咤激励、中興の祖、窶し、朝令暮改、愚弄、合従連衡、乾坤一擲、面目躍如」 麻生首相が「月刊文藝春秋」に寄せた手記に出てくる「漢字熟語」とか。民主・石井議員の「あなたが書いたとは思えない」という質問に麻生首相答えていわく、「みなさんが読みづらいのは”身を窶し(やつし)”くらいではないか。あとは皆さん、普通に読める」。 ホンマかいな。案の定、石井質問が終わった途端、「政策遂行」を「せいさくついこう」、「窮状」を「しゅうじょう」と読み違えた麻生首相。やはり、おバカは隠せない。アメリカはオバマ大統領誕生で、日本はオバカ首相とは……。 「橋のない川」の住井すゑさんと野坂昭如の対談をアップ。「ポケット憲法」を持ち歩くという住井すゑさん。亡くなって12年もたつのか。野坂昭如も若い。 1月20日(火)晴れ ネットで情報を得た。で、見たくてたまらず 1530、日比谷シャンテシネで「戦場のレクイエム」を。 1948年の中国・国共内戦を背景にした映画。国民党と共産党の血で血を洗う民族同士の戦いの凄ま じさ。映画というよりもドキュメンタリー。その迫力たるや、「プライベートライアン」の上をいってる。戦闘シーンを見るだけでも戦場の虚しさ、凄惨 さがダイレクトに伝わってくる。後半は、全滅した部隊の名誉の回復をかけて孤独な闘いを続ける主人公の執念が丹念に描かれる。 映画は史実をもとにしたものという。歴史に埋もれていった人々の無念は無数にあるだろう。人民軍に誤謬なし、を批判的に描いた映画といえるか。 主人公の連隊長が竹中直人にそっくり。 1800〜2130、銀座のてんぷら屋「しのはる」で会食。楽しいひととき。 16年前の「題名のない音楽会」をアップ。「奇をてらった前衛ではなく、真の前衛であった」と黛敏郎。左右両翼から慕われた寺山修司。偉大なり。 1月19日(月) 0800起床。休みの日だからゆっくり寝ていればいいのに、片付け虫がうずき、朝からせっせと部屋の整理。 ついでに、古いビデオ映像を整理。1983年のワイドショーで小劇場演劇の特集。 銀粉蝶、生田萬、川村毅に深浦加奈子、そして、無名だった片桐はいり……。二昔前、みんな若かった。 夜、家族でバースデー。冗談で言った「抱き枕」を本当にプレゼントされる。 1月18日(日)晴れ この前の「東大落城」−−どことなく違和感があって、ビデオを見直したらその理由がわかった。安田講堂で果敢に闘った学生たちの応援部隊のヘルメットに「中核派」の文 字がないのだ。「ML」や「反帝学評」のヘルメットは比較的忠実に再現されているのに、「白ヘル」だけがない。というか、白ヘルになぜか「全共闘」の文 字。ありえない。白ヘルといえば中核派。白に「中核」の文字がなければウソだ。 消滅したセクトと違って今も活動する中核派の「宣伝」「戦意高揚」になるのを嫌ってテレビ局が自主規制したのだろう。敵前逃亡した革マルと違って、最後ま で闘った「中核派」をネグるのは歴史の改ざんというもの。テレビから抹殺された中核派。「東大落城」のインチキがバレた。 右翼には「サヨクの宣伝」と、左翼からは「公安警察戦意高揚ドラマ」と酷評される。制作者の苦衷も察する。 ただ、群衆の中で浜田晃扮する群集の中の老人が、機動隊に向かって叫ぶシーンは感動的だった。 「みなさん、東大法学部を見なさい。敗戦直後、教授どもは、したり顔で天皇退位すべしと唱えたが、その天皇を利用してあの忌々しい戦争をやったのは誰か! 東大法学部出身の官僚や軍閥・政治家どもだったではないか。全共闘学生たちが、あれほどまで痛めつけられても頑張っているのは、その東大のエゴをぶっ壊 すための目的だから、私は大賛成だ!」 同じ時代、状況劇場は新宿西口公園で機動隊と対峙していた。 1月17日(土)晴れ 安田講堂落城から40年目にあたる「記念」の年だからか、今日もNHKで「安田講堂落城〜“あの日”から40年 学生たちのその後〜」なる番組が放送された。 昭和44年1月18日、大学紛争のさなか、学生たちが立てこもった安田講堂の封鎖解除が始まった。8500人の機動隊による激しい放水と数千発に上る催涙弾が浴びせられた末に、安田講堂は翌日落城。350人以上が逮捕されたのである。 東大医学部のインターン制問題に端を発した東大闘争とは何だったのか? NHKアーカイブスには、この闘争に関わった学生の10年後を追った番組「おとこ東大どこへ行く〜10年目の東大全共闘〜」が残されている。学生運動から 抜け出せずその後の生き方を悩み苦しむ人、運動から遠のき地域医療に生きがいを見つける人・・・ 若者たちのそれぞれの生き様が記録されている。 それからさらに30年。日本が大きく変貌していく中で、彼らはこの40年間をどのように生きてきたのだろうか? 彼らの40年を通して、「あの時代とはいったい何だったのか」、「彼らの残したものは何だったのか」を検証する。 今井澄・安田講堂防衛隊長は医師となり、地域医療の改善に取り組むも2002年に逝去。戦友として弔辞を述べる山本義隆・全共闘議長の映像。物理学の泰斗として有名だが、全共闘運動に関して頑なに沈黙を守り続ける山本義隆の声を初めて聞いた。 山本義隆が東大全共闘のカリスマなら、もう一人のカリスマは日大全共闘議長・秋田明大。郷里の広島で自動車整備工場を営んでいるが、「ほとんど仕事がな い」状態。今は中国人の妻と、5歳の息子の3人暮らし。昔、漏れ伝え聞いたところでは、最初の妻と離婚した後、かなり荒んだ生活をしていたというが、今は 比較的、落ち着いているように見える。しかし、還暦を過ぎた男が、わがままいっぱいの5歳の息子に手を焼く姿は、どことなく哀愁を感じる。全共闘運動に関 して、一時期はまったく口を閉ざしていたが、今はかつての仲間との交流も復活し、少しずつだが、社会的な運動へのコミットも、し始めてる。 が、インタビューに答えて、「全共闘議長にならなかったら、今頃は海の上で船長になっていたかもしれない。いや、機関長かな。そしたら、給料もいっぱいもらって、左団扇で暮らせたかもしれない……」 冗談とも本気ともつかないその淋しげな横顔。「生活」の疲労が付きまとう。 不正と矛盾に対して闘った男たちの40年後。 三里塚に移住し、その後、政府と「和解」した元東大全共闘活動家、山谷で活動し、今も死刑廃止運動に取り組む東大全共闘活動家。「三島由紀夫との討論」で名を馳せた芥正彦は、今も演劇活動を続けている。総じて「苦悩」する東大。 しかし、先ごろ、「バリケードの中の青春」を再発売した日大全共闘は今も元気いっぱい。安田講堂支援のために神田カルチェラタンで闘った日大全共闘の元 闘士が当時の街を歩きながら追想する。その姿の若々しさ。そして元気のよさ。今も「ことあらば駆けつけん」と意気揚々の還暦日大全共闘。この明快さ、「単 純さ」こそ、大衆運動の源泉なのだ。 NHKのこのドキュメンタリーでは、日大全共闘の「明快さ」が浮いてしまった感がある。今度は、ぜひ「日大全共闘40年目の真実」を作って欲しいものだ。 元闘士たちの「明快さ」の裏にあった恐怖体制下の日大。構内で日本刀を振りかざす右翼・ヤクザと対峙し、絶えず生命の危険にさらされた日大全共闘の真実を。 「東大闘争」を「学生の甘え」と揶揄するムキは権力と対峙することの怖さとリスクを知らない。 東大助手共闘の最首悟氏(現・和光大名誉教授)の人生に胸を打たれる。学生に共感し、助手共闘として闘ったために、助手→助教授→教授のコースを外さ れ、定年までの40年間、助手のまま。「目で殺すという言葉があるけど、私など何度殺されたかわからない」という迫害。それでも東大に残って水俣問題な ど、さまざまな公害・市民運動に参加した。その遠因のひとつは三番目の娘さんが重い障害をもって生まれたからということを初めて知る。「生活していかな きゃならないし…」。おだやかで優しげな目。その人生の裏側を貫く東大闘争の光と影。 殺された学生、自ら死を選んだ学生、重い障害を負った学生、人生を棒に振った学生……。60年代以降の学生運動には累々たる屍が横たわる。「革命ごっこ」と揶揄し、バーチャルなネット世界で悪罵を投げつけるだけの輩こそ「ごっこ」世界の安住者。 1900、新宿。紀伊國屋ホールでラッパ屋「ブラジル」。鈴木聡も多忙。役者も全員揃うのが大変。で、1年に1回のラッパ屋公演。 今回は12年ぶりに開催したある大学軽音楽サークルのOB会を舞台にしたもの。場所は千葉の海岸近くのボサノバ・ライブ民宿。創立者で、音楽業界に身を置く大先輩の還暦祝いが名目。 OBたち、一人ひとり舞台に登場する、その見せ方がいい。役者それぞれに愛情のこもったあて書き。螳螂時代からの知人・武藤直樹が今回は出番も多く、スポットが当たる役。これは嬉しい。 不倫関係、離婚・再婚組、倦怠期、夫の生き方に不満の妻、CD一発屋の売れないシンガー……OBたち、それぞれの人生が、嵐の夜に交錯する。 いやあ、素晴らしい。鈴木聡の脚本・演出。役者の会話の間が絶妙。セリフとその行間にある人生がひしひしと伝わってくる。2時間20分はアッという間。 これこそが集団劇だ。 こんないい芝居を見たとは心も弾む。見送りの鈴木聡氏や山家さんと立話。 帰りの電車もウキウキ気分。こんな時に限って、一杯飲んで話す相手がいない。2230帰宅。 1月16日(金)晴れ 1700、早めに帰宅。毎日4時半に起きて仕事してるのだからバチは当たらない。 夜、テレビのチャンネルを回すと、どの局もお笑い芸人が主導するバラエティー。 ゲンナリ。 テレビ草創期からのテレビっ子で、60〜70年代のバラエティー番組は大好きだったが、漫才ブームの頃から始まった低劣化がテレビをダメにした。 今のおバカを売りにしたバラエティーはその愚劣・低劣の到達点か。 一国の首相がマトモに漢字も読めない国には、この低俗バラエティーはお似合いかもしれないが。 1月15日(木)晴れ 昨日の「安田講堂落城」に関するブログを読むと、若い世代には「何で闘ったのかわからない。お金が欲しかったの?」などという感想があったりする。 40年経って、日本を、そして世界を取り巻く状況が昔よりはるかに悪くなっているのに、こんなノー天気なことしか言えない若者って……。社会の矛盾も欺 瞞も変わっていない。人間の命より、カネ儲けの方が大事な企業、私腹をこやす政治家、虎視眈々と軍国主義復活を狙う産軍複合体。グローバリズム資本主義が世界を覆い、格差自分たちを取り巻く環境は 悪化している。「個」が「公」に侵食され、がんじがらめになったビニール質のファシズムの時代。40年前に岡林信康が「あんたの言ってる自由なんてブタ箱 の中の自由さ」と歌った、そのブタ箱の中の自由に安穏として、刑務所の中にいることさえ気づかないおめでたい若者。 目の前にある現実の不正に対して立ち上がったのは学生たちだけではない。市民も同調した。学生だけが突出していたわけではない。 理屈ではなく熱情。それが全共闘の時代の背景。 あらかじめ去勢されたブタには「理会」できないのかもしれないが。 1月14日(水)晴れ 1900、新宿・シアタートップスでHIGH LIFE「アケミ」。青年座の俳優5人で結成(2人はその後退団)したユニットの第二回公演。 作・演出は福島三郎。 最近は中・大劇場に活動の場を移した感のある福島。原点の小劇場に書き下ろした作品。これは期待せずばなるまい。 出演者の綱島郷太郎がはしのえみと結婚したばかりとあって、どことなく華やいだ雰囲気。客席も芸能プロ関係者多し。ただし、芝居を見るのは慣れていないらしく、上演中の暗闇の中でケイタイを取り出しメール確認するなど、マナー悪し。 物語の舞台は、大晦日から元日にかけての、ある小さな喫茶店。若いマスター(蟹江一平)が1人。大晦日にも関わらず営業中。そこに訪れる男性客たち。ど こに行くあてもない彼らがご執心なのはケイタイの出会い系サイト。その中からアケミという名前の女と会うことに。目印は赤い上着と破魔矢。 元日(普通は休みだろう)に再び集まった男たち。彼らがそれぞれ赤い上着と破魔矢。そこに、客の1人を探しに男が飛び込んでくる。彼だけはほかの3人と異質。本来なら、お伊勢参りをしているはずなのだが、なぜ遠く離れた東京に現れたのか……。 ハートウォームなコメディーであり、物語のオチは想像できるが、アウトラインは面白い。ただ、この手の会話劇には、有機的な会話のうねりが必要。到達点はいいが、途中経過は散漫な会話劇でしかなく、芝居としての面白さはほとんどなし。 ズラリそろった役者がもったいない。 小林正寛、蟹江一平、猪野学、綱島郷太郎、鈴木浩介。いずれも個性・実力ともピカ一。このヌルさがいいという人もいるかもしれないが、福島三郎はもっとイイ本が書けるはず。 1時間50分。ゲストの「6番目の客」は相島一之。「アケミ」は村松えり。村松英子の娘とか。 新宿駅に向かう途中、メールチェックすると、PANTAさんから。日テレの「東大落城」を見てるとか。そんな放送があるのは知らなかった。すぐに家にメールして録画を頼む。 2200帰宅。 録画した「東大落城 安田講堂36時間の攻防 40年目の真実」を見る。前半は録画されず。後半1時間のみ。 まったく予断なしに見たが、ドキュメント映像とロケ映像をモンタージュしたドラマは結構迫力がある。ドキュメンタリーはカメラの視点をどこに置くかで対 象者への思いが表現されるが、今回のドラマはありがちな機動隊からの視線よりも学生側からの視線に比重が割かれていたように見えたがどうだろう。後半しか 見ていないのでなんともいえないが。 ただ、役者たちの肉体は60年代の若者に比べてひ弱。インターの歌声もか細い。 そんな瑣末なことが目に付いてしまう。 当事者のインタビューが挿入されるが、その中に佐々淳行の顔。これは佐々の著書が元なのか?とすれば、「突入せよ!」と同じ、佐々流自慢史観ドラマか。 「今の若者にあんなふうに世の不正を正そうとする青年らしい熱があればいいのだが」とか言ってるが、よく言うよ、だ。 1969年1月19日、14歳の誕生日。テレビで、安田講堂の攻防戦を見ながら、心の中で学生たちへ声援を送っていた。 世の中の不正や矛盾に目覚める年頃。ラジオの深夜放送で岡林信康の「手紙」や「チューリップのアップリケ」が流れ、新谷のり子の「フランシーヌの場合」 がヒットチャートで上位に入り、毎日のようにラジオ、テレビで流れていた。若者向けラジオ番組ではベトナム戦争についての討論が行われ、テレビのワイド ショーでは三里塚の農民・学生と政府・空港公団が激しくやりあっていた。熱い熱い日々。 1969年12月30日の「今年の十大ニュース」のエンディングはこの安田講堂攻防戦の映像にかぶせて拓郎が歌う「今日までそして明日から」だったのをよく覚えている。 このオトシマエをつけるため大学に行こうと思っていたのだった。 1月13日(火)晴れ ガザ侵攻に関し、8日、国連は即時停戦を求める安保理決議を採択。アメリカは拒否権は発動しない一方で、採択を棄権した。一方で、米国務省のマコーマック報道官は9日の記者会見で「戦闘終結の必要条件はハマスによるロケット弾攻撃の停止だ」と語った。 つまり、「アメリカはイスラエル軍のガザ攻撃継続を容認する」と言ったわけだ。 それにしても、イスラエルのガザ侵攻はひどい。銃を突きつけ、住民を避難場所へ集めておいて、その建物へ砲撃する。これを虐殺と言わずに何を虐殺という のか。60年前にナチス・ドイツが行ったホロコーストを自ら再現するとは、まさに狂気の所業。それを正当化するイスラエル政府が世界の批難を受けるのは当 たり前だ。 しかし、パレスチナ問題の元をたどれば、英国の二股外交が原因。一方に国家を、一方に独立を約束し、いいように操ったわけだから。戦後はユダヤ資本のア メリカによるパレスチナ問題介入。米国の「海外援助」の3分の1はイスラエルへの軍事援助だという。富める国が富める国に援助? それはもはや「援助」と は呼ばない。 イスラエル軍による虐殺の一番の被害者はパレスチナの子供たち。映像の時代といいながら、政府に都合の悪い映像を流さないテレビ局も同罪。 1月12日(月)晴れ フジテレビがリリースしたドラマ「若者たち」のDVD BOXが届いたのでさっそく見る。 日本と世界の市井の若者たちが「コラージュ」されるタイトルバックに胸が熱くなる。そうだ、中学時代に大好きだったのだ、このドラマが。 貧しい長屋暮らしの5人きょうだいの青春群像を通して、日本の社会が抱えるさまざまな問題を提起する。自分もちょうど、社会問題や世の中の矛盾に目覚める年代だった。時代もそんな時代だった。 長男・太郎(田中邦衛)は建築現場で下請けの設計技士。 次男・次郎(橋本功)はトラック運転手。三男・三郎(山本圭)は大学生。長女・オリエ(佐藤オリエ)は片道1時間かけて漁協に勤め、家では家事全般を引き 受けている。末吉(松山省二)は浪人中。きょうだいの父と母はすでに亡くなっている。 5人が肩寄せながら暮らす長屋の光景も、町並みも今の時代から見れば、もはや「大過去」であり、そこで繰り広げられる言葉のやり取りはたまらなく懐かしい。 第一話は、運転手の次郎が仕事に行く途中でたまたま事故現場に遭遇。事故で入院した女性の子供二人を家に連れてきたことから起こる波紋を主軸にしたもの。 「入院費を払えるかどうかわからない、行き倒れの女など、受け入れられない」とうそぶく医者の言動など、時代は変わっても、本質は変わっていない。 食卓がメチャクチャになるほどの兄弟喧嘩のシーンは「若者たち」では当たり前。 兄弟の中で唯一のインテリ、三郎の冷徹とも思える言葉と態度。これは山本圭の真骨頂。 こんなに熱いドラマは今はもうない。 途中で涙ボロボロ。 ドラマを見て泣くなんて絶えてない事。60年代のドラマは素晴らしい。 全34話。韓国で起こった事件の影響で放送中止になった33話も収録。これから楽しみに見よう。 http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/081015/tnr0810150922002-n1.htm 1月11日(日)晴れ 新年一回目の躰道稽古に行くつもりが、夜更かしし過ぎて目が覚めると10時。 午後は家人の買い物付き合い。 夕食時に、買ったばかりの日本酒四合瓶のほとんどを空けてしまう。以前は日本酒を飲むことなど考えられなかったのに。母の好きだった干し柿を食べるようになったり、嗜好は年齢と共に変化していく。 いい加減酔いが回った後は、古い日記帳を引っ張り出して「わが病 古びし恋を嘆くこと」。30年前の恋の記憶を悔やんでいる。なんという感傷癖。 酔いが回るにつれ、iPODに入った歌謡曲を放歌吟唱。こんな心境には拓郎の「外は白い雪の夜」が定番。ふだんは聴かないのに、拓郎の歌が心の憂さの救いになるとは。10代に聴いた歌手の歌は一生モノなのか。 1月10日(土)晴れ 1430、新宿御苑。サンモールスタジオで三田村組「動員挿話」。新国立劇場での深津篤史演出は見ていないので、これが初めて見る「動員挿話」。 舞台は明治37年。日露戦争に出征する陸軍少佐の家。少佐は馬丁を戦地に連れて行こうとするが、馬丁の妻は執拗に反対する。「戦場に行った夫が生きているか死んでいるかわからないことが耐えられない」というのだ。 気の弱い馬丁は煩悶する。世間体や少佐への恩義、そして妻への愛情の葛藤。そのため、一度は「行かない」と口にしたものの、態度を二転三転させる。だが、やはり「行く」と決め、身支度を整えている間に、妻は井戸に身を投げてしまう。 初演は1927年(昭和2年)。当時の劇評は、この妻の行動に対し「偏執狂」「性格破綻者」と悪し様にののしるものが多数だったとか。戦争の足音が聞こ えてくる時代。今なら「反戦劇」とも受け取られる戯曲ではあるが、芝居も時代によって180度受け止め方が違うものだ。昭和2年といえば、大正デモクラ シーの余韻がある時代ではないか。それでも、劇評は国家主義を称揚している。 作者の岸田國士の観点は、反戦というよりも、国家と対峙する個の確立に重きがあったという。 そう考えると、岸田國士がその後、大政翼賛会の文化部長を務め、戦争に協力していったのも矛盾はない。 そういった経過を無視すれば、やはり、この戯曲は今の時代から見れば「反戦劇」の色彩が濃密。 妻のセリフに「胸に勲章をぶら下げた偉い大将さんたちなら、戦争に行っても甲斐があろうっていうものじゃありませんか。後ろから剣を抜いて指揮してればい いのだし。でも、あんたみたいに、馬の後ろから地べたを駆けていくような馬丁が、敵に撃たれて死んだ後、神さまに祀られたってどんな意味があろう」 これは立派な戦争批判ではないのか。 三田村周三は駆け出しの演劇青年の頃、この戯曲に出演したかったが、70年安保のデモで声を潰して、それが叶わなかったとのこと。半世紀ぶりのリベンジ 公演。主役の馬丁にも将校にも年齢が合わなくなり、今回は従卒・太田役。馬丁・友吉は息子の保倉大朔。少佐=古屋治男、夫人=高乃麗、妻・数代=栗田かお り。 60分と時間が短いのも嬉しい。制作の上田さんに挨拶して引き上げる。 次の予定まで時間があるので、秋葉原でマッサージ。愛想のない担当者に不安をおぼえたが、これが実にツボを押さえた絶妙な指圧。技量は容姿でも態度でもない。 1830、六本木、俳優座劇場で劇団俳優座「村岡伊平治伝」。秋元松代1960年の戯曲。 九州島原生まれの村岡伊平治は大志を抱き天津へ渡る。明治20年、 伊平治はイギリス人の妾になっているかつての恋人・しお子に出会い、「一緒に日本へ帰ろう」と約束する。しかし日本領事館からその人柄を見込まれた伊平治 は上原陸軍中尉の満州密偵旅行の供に無理やり連れて行かれてしまう。半年の視察から戻って伊平治が受け取ったのは「忠君愛国」の教訓と一枚の日章旗しかな かった。 一年後、伊平治はアモイで部下を集めて日本から売られてきた女たちを助け出したが、日本へ帰る船は出ず、女たちは増えていくばかりだった。殴り込みをかけ られ、金も底を尽き、追い詰められた伊平治の頭にひらめいたのは上原中尉の教訓だった。この女たちを売り飛ばして南洋開発の人柱になろう!国家発展の露払 いを務めよう!と。 伊平治はシンガポールへと渡る―。 実直、朴訥な青年が、忠君愛国の精神を叩き込まれ、中国、東南アジア諸国を転々、理髪、行商、通訳等々、色々様々な職業を経た後、国家発展の為の人柱になろうとし、結果、女衒として、のし上がっていく。 戯曲の完成度は言を待たないが、安川修一の演出もまた、まさしく「間然するところない」舞台を作り上げた。そしてなによりも、主演の小山力也ほか若手俳優陣の充実。 真ん中に2階から通じる階段がある白木造りの舞台。正面には日の丸と明治天皇の「御真影」。 天皇と国家の御為に、東南アジアに娼館を広めていく伊平治。彼が雇い、少女たちをかどわかす前科者たち。その「悪」を正当化させる村岡の論理がすさまじい。 「諸君のような真人間でない人間が真人間になるためには、もう一度悪事を働き、法律を破り、警察を出し抜いてそのウラをかき、犯罪を犯すことによって、真人間になることができるのだ」 この奇怪千万な論理で、「国家発展の露払い」をした村岡が、視察に来た伊藤博文の前で国家への忠君報告の大演説をするのが戯曲終章の名場面。 しかし、この村岡の演説を伊藤博文は両脇に抱えた美娼婦といちゃつくのに夢中で聞いてはいない。 「畏れ多くも陛下を父上と思うておるこの伊平治に、なんぞひと言おっしゃってください!」 ご真影に向かって叫ぶ伊平治。 自身を天皇制絶対国家の人柱と信じて悪事を重ねてきた村岡の悲痛な叫びは虚空に消えていく。 重厚な秋元松代の戯曲を見事に演出した安川修一の技量。久々に骨太の芝居を堪能。 パンフに書かれた安川氏の言葉は率直。奥歯にモノがはさまったような言い方しかしない最近の演劇人の中で好感がもてる。 「日本と日本人、国と国家体制、天皇と天皇を軸とした民族国家の成立。それは蛇行しながら大正、昭和、そして平成へと、日清、日露戦争、満州事変から15 年戦争、そして大東亜戦争、日本の敗戦という破局を迎えての今は大休止である。日本最大組織、制服組の時代錯誤的な発言、今日の政治家の中にも同じ思想を 持つ者も多く見受けられる。とは、大休止ではないのか?」 田母神発言に、満腔の怒りを込める安川氏。気骨のある演出家。 休憩15分を挟み2時間45分。 1月9日(金)晴れ 会社の新年会はパスして、銀座で待ち合わせ、Kさんと中目黒へ。1杯3000円の「藤巻激城」のラーメンを体験するため。 朝からの雨風が強まり、冷え込みも厳しい。「上島珈琲」で暖を取り、駅から15分、入り組んだ路地を経巡ってようやく目的地へ。土地鑑のあるKさんと一 緒でなければすんなりとはたどり着けない。入口は古城の城門の趣。階段を上るとコンクリ打ちっぱなしの80年代風オシャレな内装。地下にはビリヤード台、 ダーツが。壁には、S野さんの書ともう一人の女の子の写真のコラボレーション展。 予約は6時からなので、それまではソファー席で待機。高級料亭にまぎれ込んだおのぼりさんのような気分。完全予約制なのでスタート時間も正確。「15分 遅刻した段階でキャンセルと見なされる」とか。少し遅れて入ってきた男性客は馴染みらしく、オーナーと親しく言葉を交わしている。 カウンター前の肘掛け椅子に着席。時間を見計らってカウンターの中でオーナーシェフが手際よく調理を始める。ラーメンを食べにきたというよりも新手のパフォーマンスを見に来たという雰囲気。初見の劇団の芝居を観るような期待と不安。 「味は赤・白・黒がありますが、まずは赤から味わっていただきます」ということで、今回は「赤」ラーメン。 出来上がったラーメンからはココナッツやセロリが溶け込んだトムヤムクン風の甘酸っぱい香りが漂う。最後は残ったスープを小盛りのご飯にかけてお茶漬け。わさびとの相性もいい。これなら3000円もむべなるかな。 その後、タクシーで渋谷の和風ダイニングに移動。2時間余りのおしゃべり。 もっとも今日は聞き役。 3000円ラーメンの出来上がりを待つ間にKさんから幸せの二重奏の報告があったのだ。そういえば、この頃、全体にふっくらとした感じ。思いがけない展開に、ラーメンの甘い味もちょっぴりホロ苦い味わいに。 帰りの電車の中、頭の中でリフレインするのは吉田拓郎の「花嫁になる君に」。 「指がふれたら ポツンと落ちてしまった 椿の花みたいに おそらく観念したんだね 君はいつものように 電話に僕を呼び出し 僕を笑わせた後で その宣言をしたのだった お料理を習うのもまんざら捨てたもんじゃないよ……」 母親になる君に感謝と祝福を……。 1月8日(木)晴れ 1620、1カ月ぶりの耳鳴り鍼治療。気をきかせて足首にも打ってくれるのだが、帰り道、痛みが……。せっかくここ数週間、調子が良かったのに……。鍼の影響とは思いたくないが。 帰宅すると、お正月にネットで注文したスチールラックが届いている。ルミナス製の頑丈なやつ。食事もそこそこに、さっそく組み立て。息子Wくんの机を彼 の部屋に移動した分、そこにスペースが空いたので格好の「収納スペース」ができたというわけ。本とCD、DVDが積み重なり、モノの置き場もない部屋が片 付いていく。素晴らしい。3b近い高さ。天井は突っ張り構造で耐震性も抜群。 1月7日(水)晴れ 関係者にとって青天の霹靂だったベニサン・ピット閉鎖。演劇界に大きな足跡を残したtptはベニサンという根拠地を離れてどこに漂着するのか。ベニサンでの最後の作品「メアリー・スチュワート」を観るために新大橋へ。夕食はいつもの中華屋さんで肉野菜定食900円。 ベニサンでのtpt最後の作品は「ウルリーケ メアリースチュアート」。 ノーベル賞受賞作家エルフリーデ・イェリネクが06年に発表した作品。シラーの「メアリースチュアート」に登場するメアリーとエリザベスの対立を、 1960〜70年代にドイツで活動した「バーダーア・マインホフグループ」(後にドイツ赤軍)の2人の女性、ウルリーケ・マインホフとグードルン・エンス リンに置き換えた物語だという。 そのまま上演すれば3時間超となる戯曲。しかも、物語性のない長大かつ難解なモノローグ劇。どんな風に上演するのかと思ったら、川村毅はこれに日本の連合赤軍事件を織り込んだ。 しかし、その結果、日本の部分だけがポンチ絵のように周りから浮き上がるという奇怪な構造に。 詩の中に週刊誌記事が紛れ込んだような。 植垣康博や塩見孝也、若松孝二らが実名で登場する「ロフト・トーク」の場面、連合赤軍事件で最も悲惨な遠山美枝子の総括シーンの挿入など、どのような意味があるのかよくわからない。 原作の長大なセリフがほとんど頭に入ってこない分、「具象化」されたシーンの印象が強く残るのは当然か。後味の悪さだけが残る。 以前から気になっていた濱崎茜がいい。大沼百合子との演技バトルが見もの。ダブルキャストで今日は手塚とおるの出演。カメレオンのような変幻自在の演技はさすがだが、昭和天皇のパロディーシーンはやや気後れ気味。 ラストはお決まりの「巨大な鉄球」シーン。 終演後、門井Eさんに挨拶して家路に。 ベニサン・ピットという空間がなくなるのは日本の演劇界にとって大きな痛手。毎回、ベニサンでしかできない、その舞台美術を楽しみにしてきた観客もいるはず。なんとか残すことはできないものか。 1月6日(火)晴れ 昨日までは夜更かし・朝寝坊の生活が、今日からは早朝4時半起きの生活に。 そんな生活「信じられない」のだが、動き出してしまえば、何のことはない。またもとの生活。 仕事も普通にこなし、1600から御徒町でマッサージ。時間が押してしまい、1900のベニサン間に合わず。キャンセルし帰宅。 1月5日(月)晴れ 9連休。長い休暇もおしまい。 明日から早朝出勤だと考えると気が重い。 天井桟敷解散を報じるテレビワイドショーをアップ。ユーチューブ、色々問題あるだろうけど、貴重な映像を死蔵させたくない。 1月4日(日)晴れ 午後から初詣。 4日目ともなれば神社の参拝も一段落するのか、いつもと比べて人出も少なめ。破魔矢、お守りに並ぶ列も少ない。バイトの巫女さんたちも手持ち無沙汰。不況だと神社に人が押し寄せるというが、神頼みも限界? 寺山修司葬儀の映像をアップ。いつも冷静沈着な美輪さんが、インタビューに応えて涙する姿を見るたび、胸がしめつけられる。何十年たっても悲しみと喪失感は変わらない。 1月3日(土)快晴 80年代初期のドラマ「夏に恋する女たち」「冬化粧の女たち」「離婚ともだち」「擬装結婚」といったトレンディードラマのはしりをよく見ていた。田村正和、藤竜也、原田芳雄、大原麗子、佐藤友美、津川雅彦、浅野温子、沖直美、山本陽子……。 当時30代の俳優たち。マンションもファッションもクルマも自由な恋愛も……自分にとっては別世界ともいうべきオトナの世界。 いつか、そんな世界が自分にも身近になるのだろうかと憧れながら、そんな時代をはるかに通り過ぎてしまった。今見ても当時のドラマは自由で活気があってなんともいえない雰囲気。 いいよなぁ、田村正和、藤竜也、原田芳雄。 ベータテープに録りためたドラマの数々を見ると、なんと自分はドラマ好きのテレビッ子だったのかと思う。今や一年に一本通してみるドラマがあるかどうか。 保存しているテープのラベルと中身がまったく違っている場合があるので油断ならない。 おそらく、後から重ね録りしたのだろう。佐々木昭一郎「川(リバー)」のラベルがあったので「最近の綺麗な映像があるから廃棄してもいいだろう」と思って念のためチェックしたらなんと、81年放送の「向田邦子追悼ドラマ・寒橋」が入っていた。 おそらく不慮の事故で亡くなった向田邦子の死後、すぐに放送されたものだろう。自分で録画しながらすっかり忘れていた。1971年に放送した作品の再放送。藤純子、森雅之、松橋登、賀原夏子らが出演している。βVでの録画(VHSの3倍速)だが、さすがにβの映像はきれい。これは掘り出し物。よくぞこんなドラマを録画していたと自分を誉めてあげたい。 1月2日(金)晴れ ラベルのないまま放置してあったDVDやCDを整理。次いで、保管してあったDVDを分野ごとに整理。そのため、レイクタウンの中にある「さくらや」まで行って大量保管できるDVDケースを買ってくる。往復で1時間もかからないのだから便利。お正月のレイクタウンは人出も多く、華やいだ雰囲気。 整理している途中で、ずっと探していたTVドラマ「過去へ旅した女」を発見。DVD化もされていないし、アメリカでもVHSでしか発売されていない貴重なドラマ。ネットで検索するとまさしく「幻のドラマ」扱い。 「ある日どこかで」と並ぶタイムトラベルものの傑作との評価。 せっかくだから一場面をユーチューブにアップ。 夕方、従姉の息子Kくんが田舎からの帰路に立ち寄ってくれて、一緒に夕食。楽しいひととき。彼が子供の頃、母と父が可愛がっていた。母が亡くなって13年。二人の仏前に供えものをするKくんの成長した姿に泉下の父母も喜んでいることだろう。 Kくんが帰った後、日本酒が回り、早々にベッドに。 1月1日(木)快晴 たっぷりある時間を使ってカセット、ベータテープなどを同時進行でデジタル化。 ベータテープに録画した83年放送のNHK芸術劇場「寺山修司の劇的世界」を久しぶりに見る。死後、何度か再放送されているが、オリジナル放送を見るのは随分久しぶり。冒頭、三浦雅士氏が沈痛な面持ちで寺山修司の急死についてコメントしている。 放送は5月29日だから、寺山さんの死から3週間。呆然自失といった態の三浦氏。 「これから未来に展開していく寺山修司の世界を語るのではなく、その業績を振り返る番組になってしまったことが残念だ」と。 市街劇「人力飛行機ソロモン」紹介にかなりの時間を費やしている。こんなに長かったか。 ベータデッキをオークションで手に入れたのは、古いテープ、その中でも「6羽のかもめ」と「淋しいのはお前だけじゃない」を見たかったから。幸い、「淋しいのはーー」は全話そろっていたが、「6羽のかもめ」は最終回を含めて約10話。全話の3分の1。それでも満足。 70年代のドラマは質が違う。市川森一脚本の「淋しいのはーー」は連続ドラマとしての完成度は古今東西ナンバーワン。これ以上の作品は生まれない。 倉本聰の「6羽のかもめ」も、また素晴らしい作品。 ふと、思い立って検索すると、なんとフジテレビ50周年記念のアーカイブドラマリリースのひとつとして「6羽のかもめ」がDVDで発売されるという。なんという偶然。 値段はそれなりにするが、これはもう即買いしなくては。おまけに「若者たち」も同じシリーズでDVD化されているという。在日朝鮮人の差別問題を描いたため放送中止になった回も収録している。フジテレビの英断に拍手。 「淋しいのはーー」も綺麗な映像で見たい。ウーン、あれもこれも見たい・欲しい。嬉しいリリースラッシュだが、淋しいのはお前だけじゃなくフトコロも……。 |