森田童子・幻の劇中歌 1983年夏、高円寺・明石スタジオで演劇舎螳螂が上演した「少年極光都市」。作者は高取英(現・月蝕歌劇団主宰)。演出は小松杏里(現・月光舎主宰)。ポスターは魔夜峰央。出演は美加理、大鷹明良、元天井桟敷の高橋咲ほか。舞台美術は吉田光彦。そして音楽が森田童子。 この中で、森田童子は3曲提供している。 「蒼い病院」(作詞=高取英、作曲=森田童子) 「葬送歌」(作詞=高取英+森田童子、作曲=森田童子) 「病室は七色の」(作詞=高取英+森田童子、作曲=森田童子) 詞と採譜は著作権上、詳しく紹介できないが、「朝露がボクを濡らして地の果てでボクが目覚める」という詞(「病室は七色の」)はやはり森田童子の世界だろう。 このうちの1曲は歌詞を変えて、童子のアルバムに収録されているという。それが何かは調査中。 その後、犬のしっぽさんのHPに寄せられたstingrayさんにより、蒼い病院」は「夜想曲」の中の「ぼくは16角形」の詩を変えた物だと判明しました。 |
美加理の背中に、高取英の形而上学を見た 森田童子 「聖ミカエラ学園漂流記」の美加理に、高取英の形而上学を観た。「僕たち少年十字軍の背中には天使の羽根がついていると大人たちは言った。けれど、僕の背中を見ろ。天使の羽根は、奴隷商人の手でもがれてしまったんだ。」と少年十字軍を演じた少女美加理がその時、衣裳を引き裂いて素肌の背中を惜し気もなく客席にみせつけた。それは少年の背中に似た、まさに少女美加理の素肌の背中だった。そして、高取英の形而上学を美加理の背中に見たと私は思った。 「聖ミカエラ学園漂流記」の高取英の劇作法は、拙い少年少女の肉声を惜りることによって、高取英の女々しい反逆の試みは、確かに不思議な説得力を持ち得た。そして、より知って欲しいのは、舞台の袖から薄い色眼鏡越しに少女たちを見つめる高取英の熱い視線である。生真面目で純粋な高取英はともすると気恥ずかしい、反逆と革命という言葉を拙い少年少女たちの肉体を惜りて語ろうとする。その行為は、私の好きなトーマスマンの「ベニスに死す」における少年を追う薄化粧をした初老の作家アッシェンバッハに似ている。 現代の劇作家が陥りやすい図式の劇作法を越えて、狂おしいほどの高取英の少年少女嗜好がより純化された時、私は白ら薄化粧をした高取英と小松杏里が暗黒の中から青い鳥のチルチルミチルになって舞台の上に登場するのではないかと恐れながらも待っているのである。その時こそ、高取英は「生真面目」さと「気恥かしさ」とを自ら越えるはずである。似非政治映画作家大島渚のコックローチSの茶番を否定するのは、冷汗をかくほどの気恥ずかしさを内包した高取英のコックローチSであるべきである。演劇舎螳螂の座長である怪優小松杏里が「聖ミカエラ学園漂流記」で天草四郎に、猿之助よろしく早変わりを演じる艶やかさは梅沢一座の梅沢兄を思わせ、美しさを越え、ピカレスクの世界を創り出す。赤毛の小松杏里は、はるか天草四郎を越え、いかがわしい新興宗教の教組をも越え、性悪な母親を飲み込んだ美少年KURABUのマスター小松杏里自身なのだ。 赤毛の怪優小松杏里は倒錯に倒錯を重ね、性悪な母親の胎内に回帰するべく地獄めぐりを続ける永遠の少年なのである。 私は、高取英と小松杏里の「少年極光都市」に、ありえない反逆や革命を、少女雑誌の涙と愛の冒険の物語を借りて、甘美な、そして切ないロマンとして、せめて再び、暗黒の中から浮かび上がってくるはずの少年少女たちに拍手を送ろう。 芝居は切ない女の嘘に似ているのだから……。 (もりた どうじ・楽師) |
1983年12月1、2、3。9〜11日の6日間、「地下劇場の王様 森田童子ねじ式C 狼少年」と題して行われたライブのちらしと半券。イラストは丸尾末広。 同時上映は「森田童子 黒色テント記録映画」。このフィルムは今どこにあるのだろう。 |