8月11日(土)晴れ

 AM8起床。昼、島木材に行くと、「旗振り」が終わった後。たらこサンが来ていたので3人で某プロジェクトの打ち合わせ。高校の後輩・むっちも合流。のどかな午後、缶コーヒー飲みながら3時頃までワイワイと話がはずむ。

 たらこサンを家まで送った帰り道、大間と奥戸(私の生まれた町)の堺にある白砂海岸でクルマを止める。すでにこの海岸は電源開発なる企業が買い占め、フェンスが張り巡らされている。今は工事は中断しており、殺風景な土くれが広がっているばかり。

丘
 その名の通り、子供の頃は白い砂が広がっていたまさに白砂青松の海岸だったが、今は海にはテトラボットが積まれ、見る影もない。奥戸と大間は今は同じ町だが、別々の村が合併してできた町だけに、昔から仲が悪かった。町堺の白砂海岸で2つの町の小学生同士の決闘が行われたのも今は昔のお話。真っ赤なハマナスが咲き乱れ、紅のユリが風にそよいでいた海岸は、あと何年かすれば巨大なコンクリート塊の下になってしまう。

 まだいくらか残っている海岸線をフィルムに収めようと、高台に上るため、クルマを降りて歩き始める。

 子供の頃、お盆が近づくと、仏壇に飾るハマナスを採りに来たり、この辺は子供たちの遊び場。勝手知ったる庭のようなもの。その昔、鎌倉時代には、広大な牧場が広がり、駿馬の生産地として青森県の9つの「牧」(馬生産地)だった場所だ。いくら企業が買収したからといって、まだ「父祖の土地」という意識があった。子供の頃、白砂海岸には私の家の船小屋もあったし、懐かしい記憶の場所なのだ。

 しかし、そんな感傷はすぐに断ち切られた。高台に通じる砂利道にプレハブのゲートが建ち、ガードマンがこちらを見ている。「なんだ、知り合いのOさんじゃないか」。その人は、子供の頃からよく知っている同じ町の人。

「どうも、お久しぶりです。その丘から海岸の写真を撮りたいんですけど」と言うと、「ご存知でしょうけどここから先は電源開発の土地で、立ち入り禁止なんです」と木で鼻をくくったような返答。ふだん、ほがらかで、お祭りには欠かせない好人物なのに、まるで、杓子定規なもの言い。わずか10メートル道を入って、白砂海岸を撮るだけなのに……。「ここからずっと向こうに行くと、そこは一般の方の土地ですから、そこに移動してください」
 表情を変えないOさん。とりつく島もない。彼の仕事とはそういうことなのだ。後に、従姉のダンナさんが「写真撮るなら直接電源開発に言えばいくらでも撮らせてくれると思うよ」と言ってくれたが、そういうことじゃない…。

 確かに、ここはもう一企業の土地になったかもしれない。しかし、私たちの父祖の土地だったのだ。土地は売り渡したかもしれないが、この土地で漁をし、畑を耕し、馬を養い、苦労した父祖の魂や記憶まで売り渡したわけではない。
 
小奥戸
  悄然と、クルマに戻り、そこから町寄りに50メートルほど走り、クルマを止めて、民家の裏山を上る。背より高い茂みの中を歩いたので、半ズボンの足は野バラのトゲにひっかけられ、血だらけになる。
 しかし、その丘の上からは当然のことながら、反対側の白砂海岸は見えない。やむなく、見渡した海岸にレンズを向ける。
 家に帰ると、血だらけの手足を見て、みんなびっくり。「バカなことやるもんだ」と父。

 風呂場で足を洗い、傷の手当て。何やってんだか……。

 まだ日が高いので、子供を連れて近くの神社に行く。今年初めてだ。いつもなら、真っ先に訪れる場所。いかにも鎮守の森といった風情で、子供の頃は境内の狛犬に乗ったり、神社の縁の下にもぐりこんだり、よく遊んだ。森閑とした神社に一人で来ると、なんだか荘厳なたたずまいで、畏怖感さえおぼえたものだ。しかし、去年の夏の帰省時には、そのあまりの変貌ぶりにがく然としたのだった。

 神社は小高い森にある。長い石段を上がると、参道があり、周りは樹齢を重ねた木々と竹薮。その向うに本殿がひかえている。以前は今よりもっと前方にあったのだが、1960年代前半の大火の際、今の場所に移動した。この神社のロケーションは下北の中でもピカ一といっていい。境内から町が一望のもとに見渡せる。

 その森が無残に切り払われ、笹は根絶やし。神社本殿が丸裸にされたのを見たときにはショックだった。しかも、狛犬のそばにあった大きなオンコの木がなくなっていたのを見た時には体から力が抜け、その夜眠れなかったほど。オンコというのは東北・北海道地方の呼び名で、イチイの木が正式名称。昔、貴族のシャクを作ったので「一位」と呼ばれる。

 毎年、赤い実がなると、子供達は我先に木に登り、その実を食べたものだ。子供の頃すでに大きな古木だったから、かなりの樹齢だろう。それが、無残に切り倒されたのだ。

  なんでも、神社の裏手を防災公園にする工事が進められているのだという。神社の境内を見通し良くするため、樹木が切られ、下草が刈り払われたのだとか。それも、県の職員がやってきて、独自に工事を進めたのだという。事前に神社の氏子たちの協議はなかったのだろうか。いくら県有地とはいえ、「鎮守の森」ではないか。腑に落ちない。
 だいたい、近年はがけ崩れ防止のための斜面補強とやらで、どこもかしこも無機質なコンクリートが山の斜面を覆っている。なんという景観の悪さ。

 shamen樹木に勝る斜面補強はない。せいぜい数メートルのコンクリ補強より、樹木の根の張り方がはるかに斜面を補強していたはずだ。何百年も地すべりなどなかったのに、一部のがけ崩れを名目に木をひっこ抜き、山を、丘をコンクリートで固める愚かさ。土建業者が儲けるだけ。取り返しのつかないことをしているのではないか。

 神社の境内でそんなことを思った。

 去年より工事は進み、神社の森の斜面からはコンクリートの斜面階段がはるか下の道まで続いている。立木が少なくなって海風も強いだろうに。

 思い出の場所がまたひとつなくなる。都市からジャズスポット、小さな劇場など、アンダーグラウンドな「闇」の場所が消えつつある今、鎮守の森という「闇」まで姿を消すのは、何かの符合か。都市も地方も均質化が進んでいる。

 父に神社のことを話すと「あれはやり過ぎだ」と珍しく意見が一致する。神楽のメンバーである従妹のダンナさんも「神社に重みがなくなった」とポツリ。

お盆の飾り 家に帰って、お盆の飾りつけ。煎餅やハマナス、インゲン、フ菓子などを糸でつなぎ合わせ、仏壇の前に下げるのだが、不ぞろいになってはいけないので、作るのが結構難しい。本当はお盆の前の日に下げるのだが、「忘れないうちに作っておけ」とせっかちな父。
 2日前に吊るすという異例の展開。


 そういえば、祭りに欠かせない白い砂も今年から消える。天狗行列の道順に点々と白い砂を置くのが祭りの慣わし。それが、今年から、「塩」で代用してくれと回覧がまわった。

 表向きは「クルマがスリップして危険だから」との理由だが、今まで何十年もやってきて問題はなかったし、クルマが増えたからといって、スリップするほど大量の砂を撒くわけではない。要は、白砂海岸が閉鎖され、白い砂を取ってくることが出来なくなったから、塩で代用しろ、というのがホントの話だろう。伝統の神事さえ変える巨大開発って何だ? 変わりゆく故郷…。
 

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