2001年11月〜12月
「くるみ割り人形@赤坂ACTシアター(12月25日〜2002年1月14日)

原作=辻信太郎。脚本原案=宮本亜門、橋本邦彦。脚本=鈴木哲也。演出=宮本亜門。音楽=マイケル・ジョン・ラキューザ。
 出演=中山エミリ(クララ)、田中聖(フルッツ)、コタニキンヤ(近衛兵隊長)、橋本さとし(ドロッセルマイヤー)、宮崎優子(マリー姫)、麻倉未稀(母)、沢竜二(王様)ほか。


 サンリオ・辻信太郎の人形アニメをもとにした舞台で、「世界初のミュージカル化」が惹句。
 ニューヨークのダウンタウンに住む姉弟クララとフリッツは母親と3人暮らし。2人は飲んだくれの母に反発し、行き場のない閉塞感から悪ガキ連中とつるんで街の人たちに迷惑をかけてばかりいる。
 ある日、叔父のドロッセルマイヤーの勤めるおもちゃ屋に遊びに行くが、「夢と愛と冒険」の物語として叔父が愛する「くるみ割り人形」も愛らしい人形たちも2人には興味の対象外。「もっと刺激がほしい」という2人は叔父の案内で不思議な世界へと旅立つ。
 そこには溺愛されて育ったために本当の愛を知らないお姫様マリー、賢帝を装いながら、その裏側に魔王の顔をもつ王様、勇者でありながら自分に自信がもてない近衛兵の隊長、ねずみにされる順番を待つ民衆が住んでいた。

 マリーにかけられた呪いを解いたフリッツとクララはいつしか王国の物語の迷宮をさまようことになる。しかし、刺激を求めるフリッツは物語の終息に近づくと、さらなる刺激を求める。「こんなのつまんない。もっと刺激を!」
 ついには、王の本性を誘い出し、絶体絶命の危機に陥るのだが……。

 主人公を孤独で傷つきやすい現代の子供たちに設定したため、単なる夢と冒険のファンタジーではなく、本当の自分とな何か、本当の愛とは何かという哲学的な主題と向き合う好舞台となった。

 中山エミリはこれが初舞台とは思えない堂々とした演技と歌。田中聖もちょっと世をすねた現代っ子を好演。一番安定した力を見せたのはマリー姫役の宮崎優子。宝塚出身ということで、歌はまさに宝塚ふう。しかし、コケティッシュでチャーミングな演技、ハプニングにも余裕で対応する実力は舞台に華やかさと「幅」を持たせた。沢竜二もさすがの大ベテラン。ミュージカルにもピッタリはまった。劇団☆新感線出身の橋本さとしは普段の柄じゃない役に挑戦。役者として一回り大きくなったようだ。コタニキンヤはやや線が細いが、これは役の上で仕方ない。麻倉未稀が母親役とは時の流れを感じる。すっかり役者の顔になっている。

 歌、ダンス、主題と大舞台のミュージカルにしてはきめ細かな演出。大人も子供も満足の一編。休憩挟んで3時間。(★★)2001.12.30
「X−COW XICOカフェイン/036ウォーター」@アイピット目白)(12月19〜23日)
 作=スエヒロケイスケ(tsumazuki no ishi)。
演出=松本きょうじ。
出演=松本きょうじ、井沢希旨子、ぽん、林伊織、寺十吾、井関佳子(フルミニ3)

 その部屋は独居老人を預かる福祉施設、あるいは企業舎弟の事務所、その両方なのか判然としない。しかも、登場人物も松本きょうじ演じるサエグサヨシローは絶えずイライラを自分の息子=娘?(井沢希旨子)にぶつけている。新入りのアルバイトは先輩の従業員に翻弄され、オサム(寺十吾)というピンポンばかりやってる男が舞台を横切る。何の状況説明もないまま固有名詞が連呼され、めまぐるしく場面は転換する。

 そんな居心地の悪い舞台に不愉快さが頂点に達する頃、タイミングよく、人物設定、場面設定がほぐれていく。息子は性転換して女になる途中らしいし、ハブテルという老人が宝くじを当て、その金を持ったまま行方不明だということがわかる。しかし、それとてホントかどうか。大金を地雷に変えて、東京の工事現場にばらまいていく妄想・幻想は現代の「檸檬」なのか。
 終わってみれば、居心地の悪さが、なぜか懐かしい気分になる不思議な舞台。スエヒロケイスケって案外才能あるのかも。(★★)2001.12.21
二兎社20周年記念公演「日暮町風土記」世田谷パブリックシアター・シアタートラム(12月13日〜27日)

作・演出=永井愛。
出演=渡辺美佐子、高橋長英、浅野和之、大西多摩恵、酒向芳、駒塚由衣、小山萌子、辰巳蒼、島川直、須藤幹子。


 日暮町海と山に囲まれた小さな町・日暮町。歴史のある古い町並みに惹かれ、東京から移住してきた波子は地元で町並み保存会を作り活動している。しかし、江戸時代から続く地域のシンボル和菓子屋「大黒屋」が時代の流れに抗しきれず、ついに取り壊しを決める。2日後には更地になるというので、主人に翻意するよう談判にやってくる。彼女は塾の先生をしており、大黒屋の主人とも以前から懇意。しかし、度重なる訪問に、大黒屋夫婦は居留守を決め込むが、めげない波子は大黒屋に乗りこみ、保存を訴える。

 そこに東京から来たという素性の知れぬ旅の男、山倉が現れ、彼の機転で解体作業は1週間延ばされることになる。その間に、屋敷の採寸をするのだったが……。
 解体と保存をめぐる攻防、波子と山倉のオトナの恋、町並クラブの美人メンバーをめぐる若者の恋の三角関係、過疎化、後継者問題など地方が抱えるさまざまな問題を背景に描かれる人間喜劇。

 管理教育に反対し、自分の教育理念を貫きながら、夫が”体罰教師”だったことが許せず離婚した過去を持つ元教師という役を渡辺美佐子が好演。出演者一人ひとりの役柄を決して疎かにせず、細かな個性を描き分ける永井愛の作劇術は感嘆の一語。休憩10分を挟んで3時間20分。(★★★★)2001.12.13
劇団☆新感線チャンピオンまつり「直撃!ドラゴンロック3 轟天VSエイリアン」@赤坂ACTシアター(12月7日〜18日)

作・演出=いのうえひでのり。
出演=橋本じゅん、高田聖子、池田成志、小手伸也、村木よし子、インディ高橋、粟根まこと、新谷真弓、山本カナコ、川原正嗣、吉田メタル、保坂エマ、河野まさと、杉本恵美、磯野慎吾、逆木圭一郎、右近健一、タイソン大屋、山乃はるか、前田悟、村木仁、山本貴永、緒方由美ほか。


聖子最高!
 ”リスペクト千葉真一”の橋本じゅんが極太眉メイクでカンフーの達人に扮して活躍する轟天シリーズ3作目にして最終作。今回は地球に接近する彗星探査のために宇宙自衛隊に拉致され、宇宙船「うまなみ」でナゾの彗星の降り立つも、パンダ姿のエイリアンに襲われ、窮地に陥るが…というハチャメチャな展開。宇宙自衛隊の隊長が高田聖子。ブラックジャックばりのメイクで登場する医師、ドクター・ジャッキー黒井に池田成志。

 冒頭、山中の秘湯でのぞきをする轟天のシーン。どうも舞台が時事ネタとリンクしてしまうのが新感線の常みたいで、今回は田代まさしののぞき事件とバッティングしてしまった。さすがにいのうえひでのりは即座にセリフを変えて、事件を取り込んでいた。当意即妙に笑いのツボを抑えるテクニックはさすが。

 CGを駆使し、映像と宙乗りと組み合わせたのはこの前の「大江戸ロケット」と同じ。劇中ではさらにそれを進化させ、敵からの脱出行を映像と舞台を絶妙に組み合わせたスペクタクルにしている。うまい!さすがのいのうえ演出。しかし、舞台はいまいち笑えない。「ドラゴンロック2」では豊富なギャグと役者のキャラで最初から最後まで笑い転げたものだが、今回はところどころクスリとするくらい。芝居の流れも引っ張りすぎで、1幕の終わりでようやく「起」から「承」に移ったようなもの。意味もなく長すぎる。

 そうはいっても、これだけバカバカしい舞台を大真面目にやってくれるのは新感線くらいなもの。いのうえひでのりの笑いのセンスは大好き。「笑い」の価値観を共有できるのは世代的に彼あたりまでだろうか。低調とはいっても、新感線の笑いほど安心して見ていられるものはない。癒し系なんて似合わない言葉かもしれないが、ただのドタバタじゃない、センスのよさがキラリと光るいのうえ演出こそ、本当の意味の癒し系なのかもしれない。コメディエンヌとしての高田聖子も最高。なんだかんだ言ってもやっぱり劇団☆新感線はいい。山本カナコ、杉本恵美、保坂エマ、新谷真弓ーーいのうえひでのりの女優のタイプもGood。休憩20分はさみ3時間5分。(★★)2001.12.12
pt「ブルールーム」@ベニサン・ピット(12月5日〜2002年1月15日)

作=デヴィッド・ヘアー。
演出=デヴィッド・ルヴォー。
出演=内野聖陽、秋山菜津子。


 予断なしに見たら、フランス映画「輪舞」に似ているので、あとでパンフを読んだらやはり「輪舞」をもとにした舞台だった。パートナーを変えながら、恋の連鎖が繰り広げられる男と女の官能のスケッチ。映画と違うのは舞台を現代に置き換え、性愛を前面に打ち出したこと。内野と秋山はそれぞれ5役、10のシーンを演じる。それはベッドルームであったり、台所、あるいは道端…。そして舞台が暗転になるたびに舞台の上後方に設えられ電光掲示板に「3分」「9分」「45分」「2時間」と行為の時間が表示される。そのつど客席かブルールームら笑いがもれる。それぞれの情景の連鎖は次の通り。

少女と彼女に誘われたタクシー運転手→そのタクシー運転手の次の相手はホームステイ留学生。→留学生と学生→学生と人妻→人妻と政治家→政治家とモデル→モデルと劇作家→劇作家と女優→女優と高貴な男→高貴な男と少女。これで恋の輪舞が一巡。

 舞台はそれぞれの性愛の情景をリアルに描写する。まるで自分がその場に居合わせたような、息苦しさ、緊張が客席を覆う。そういった緊張をほぐすように、随所に笑いが織り込まれる。

 たとえば、劇作家は自分が有名であると思っているがモデルはまったく演劇に興味を持っていない。したがって彼の顔も知らない。それなのに、一生懸命、顔を身分を隠そうとする劇作家。

「君は演劇を見ないの」「そうね、オペラ座の怪人なら見たわ」「ボクは演劇って言ったんだけど」「……」

 1921年のベルリンでの上演ではワイセツ罪の嫌疑で俳優たちが6日間の取調べを受けたという。また、1998年にはニコール・キッドマン主演で上演され、センセーションを巻き起こした。ことほどさように、俳優二人のセクシャルなシーンは迫真性がある。

 ”脱がせのルヴォー”は前にも「テレーズ・ラカン」で若村麻由美を後ろ向きではあるが、全裸にしたことがあるが、今回もまた、内野、秋山とも一糸まとわぬオールヌード。薄明かりの中の秋山のヌードは神々しいまでの輝きを放つ。しかし、決してスキャンダラスな性愛劇ではなく、その裏側には人間の愛と孤独が横たわってる。二人の体当たりの演技に二重マル。においたつような秋山の妖艶さにさらにマルを。約2時間。(★★★)2001.12.11
遊◎機械/全自動シアター「ア・ラ・カルト@青山円形劇場(12月7〜26日)
 構成=白井晃。演出=吉澤耕一。台詞=高泉淳子。音楽監督=中西俊博。
出演=白井晃、高泉淳子、陰山泰、大谷亮介。


 音楽と芝居をドッキングさせた年末恒例のステージも13年目。11年目からは円形舞台の真ん中にレストランのテーブルを設え、客席を増やしたにもかかわらず、23ステージ×350席が発売とともに完売してしまう人気。その人気の秘密はバイオリンの中西俊博グループのシャレた演奏と白井、高泉コンビのドッキングという魅力的な異化効果に負うものだ。

 クリスマスの夜、小さなレストランを舞台に、別れて暮らす子供とひと時を過ごす父親、不釣合いなデコボコカップル、年老いた夫婦などの人間模様がスケッチされる。今年は、病院の受付嬢と患者の秘めた恋という設定も登場。患者がお役所の窓口係なために、お互い、窓がないと話せないというネタを展開していく。白井、高泉はそれぞれ、ペギー富岡、サラリーマンの高橋サンというキャラクターが持ちネタになっていて、それぞれのキャラに固定ファンもついている。

 それにしても、二人ともうまい。子供から老女まで七変化の高泉など、歌のうまさもクロウト裸足。老女と、「キャバレー」の衣装で歌う踊り子の艶っぽさの落差に驚嘆。大谷亮介もいつもなら、どこの芝居に出ても「浮いてしまう」のに、今回はしっくり。ウクレレの腕前はさすがのオンシアター自由劇場出身。暮れの忙しさにかまけて、しばらく見ていなかったが、こんなに楽しめるステージだったとは。あらためて白井、高泉コンビの力量に感服。休憩20分をはさみ3時間。(★★★)2001.12.08
G2プロデュース「天才脚本家@全労済ホール/スペース・ゼロ(25〜12月9日)
 作=後藤ひろひと。演出=G2。
 出演=関秀人(立身出世劇場)、川下大洋(Piper)、三上市朗(M.O.P)、河居綾子(Mother)、野田晋一(リリパット・アーミー)、久保田浩(遊気舎)、山内圭哉(リリパット・アーミー)、腹筋善之介、神野美紀(離風霊船)、高倉良文(Mother)、コング桑田(リリパット・アーミー)、後藤ひろひと(Piper)。


 関西系人気役者が総登場のハイパー演劇。やらせ専門のテレビディレクターと、政府の意向を受けて、事件をもみ消すエージェントの攻防を描いたもの。つまり、事実をでっちあげる連中と、事実を消し去るイレイサーを対立軸にしたコメディー。発想は面白いが、出演者一人ひとりの個性を見せようとするため、挟雑物が多く、全体の流れがストップしてしまうシーンが多い。腹筋善之介だからパワーマイムをやらせなきゃいけないというわけでもないだろう。久保田浩の「羽曳野の伊藤」は別だが。久保田浩が登場するだけで笑いがこみあげてくる。久保田浩の自然体演技は天才的。2時間15分。(★★)2001.12.08
燐光群+グッドフェローズプロデュース「白鯨@下北沢ザ・スズナリ)(11月29日〜12月9日)
 原作=ハーメン・メルヴィル。
構成・演出=リアン・イングルスルード。
芸術監督=坂手洋二。


出演=錦部高寿、相澤明子、川中健次郎、中山マリ、猪熊恒和、千田ひろし、丸岡祥宏、樋尾麻衣子、宇賀神範子、滝口修央、向井孝成、吉田智久、内海常葉、宮島千栄、工藤清美、桐畑理佳ほか。

 演出のリアンはSCOTに7年間在籍し、俳優として海外ツアーも経験している。全編に漂う様式美への傾倒はなるほど、鈴木忠志の影響が大きいわけだ。大きな布一枚が海原に変化し、ロープが船となる。和太鼓は巨大な白鯨の鼓動となる。
 青年イシュマイルと復讐に燃えるエイハブ船長の行動と心理を軸に、白鯨が象徴する自然への畏敬と文明の衝突が描かれる。エイハブ船長が白鯨モビーディックと運命を共にする最終シーンまで様式美に満ちた舞台が展開する。セットなし、シンプルな舞台の上で役者たちがその役柄をスライドさせていく。

 今回は日本版ということだが、後半、舞台脇でステテコ姿の日本人夫婦(川中、中山)が金魚鉢を愛でるシーンは意味不明。しかも客席後方からだと見えにくく、何をしているのかわかりづらい。約2時間。(★★)2001.12.06
フブロードウェイ・ミュージカル「GODSPELL@ル・テアトル銀座(4日〜16日)

作曲・作詞=スティーブン・シュワルツ
脚本=ジョン・マイケル・テベラク
翻訳・訳詞・演出=青井陽治
出演=キリスト:山本耕史、ユダ:大沢樹生、堀内敬子、真矢武、真織由季、藤本隆宏、林田和久、西野誠、K−CO、渡辺健、渡辺大、Mami、宮川浩


 
 1971年初演。新約聖書の『マタイ福音書』をモチーフに、キリストの半生を描いたロックミュージカル。2000回を超えるロングラン公演を記録し、『デイ・バイ・デイ』をはじめとするヒット曲も多数出た。初演がニューヨーク、ラ・ママ。つまり日本のロックミュージカルの草分け、東京キッドブラザースのニューヨーク公演とほぼ場所、時を同じくしているわけだ。当時の怒れる若者たちの理想主義的なムーブメントと歩調を合わせ、出演者たちが思い思いの服装で出演。ヒッピー版「ジーザス・クライスト・スーパースター」といえる。

 舞台正面には色彩豊かなジャングルジムがそびえていく。それはまるでバベルの塔。開演前からその塔の上にはヒッピーたちがたむろしている。彼らはキリストの使徒となる若者たち。やがて、キリスト役の山本耕史が立ちあがり、人々の慢心と社会の腐敗を糾弾していく。

 典型的な70年代ロックミュージカルであり、観客もまた共犯者として舞台に上げられ、連帯を呼びかけられる。客席に入り、通路を走りまわる俳優たち。

 しかし……。テアトル銀座は大き過ぎる。本来ならキャパ100足らずのオフオフを想定したミュージカル。ハコが大きすぎて印象が散漫。しかも主演の山本耕史がキリストに見えない。不摂生なのではないか。近くで見るとタッパもあり堂々とした役者なのだが、遠目ではコロコロと太ったとっちゃん坊や。ガラじゃない。かえってユダ役の大沢樹生の方がキリストに見える。こりゃ、ミスキャストだ。人気があるらしいけど、カーテンコールの投げやりな態度といい、どうも山本耕史という役者には謙虚さがない。それだけで減点1。ガヤの中ではKーCOの存在感が光る。
 それにしても今のこの時代に70年代の理想主義的なミュージカルとはなんという皮肉。

「悪人に手向かうな。もし、誰かがあなたの右の頬を殴るなら、左の頬も向けてやりなさい」(マタイ5章・復讐)
「あなたたちの敵を愛せよ、そしてあなたたちを迫害する者のために祈れ」(マタイ5章・愛敵)

嗚呼、アメリカ!

 休憩20分込みで2時間40分。(★★)2001.12.04
ひょうご舞台芸術第24回公演「ペギーからお電話!?」@銀座・博品館劇場(11月29日〜12月9日)

作=アラン・プレイター。翻訳=小田島恒志。演出=鵜山仁。
出演=草笛光子(ペギー)、野村祐人(サイモン)、平栗あつみ(テッサ)、篠塚勝(フィリップ)、津嘉山正種(ヘンリー)


 舞台は1960年代のロンドン。主人公はらつ腕の戯曲エージェント、ペギー。作家とプロデューサーをとりもつ戯曲の代理人だ。彼女のオフィスには自作の上演を希望する劇作家たちの作品が積み上げられ、依頼電話がひっきりなし。そこに新人作家サイモンが処女作の感想を求めて訪ねてくる。しかし、ペギーはとりとめのない話ばかり。そこに売れっ子作家や落ち目の作家が訪れ……。

 戯曲エージェントという職業は日本では耳慣れないが、作家を育てるプロデューサー的側面もあるようだ。2幕では才能の枯渇を感じた作家ヘンリーがペギーに自分の「解雇」を懇願する場面ある。ペギーの作品批評は鋭く、誰に対しても容赦ない。毒舌を吐きながらも作家たちへの情愛を秘めたペギーを草笛光子が好演。

 「誕生・成長・死・再生」−−劇中のペギーのセリフのように、新人作家たちの成長を見守ってきたペギーは「死」を看取り、また新たな誕生と伴走する。ヘンリー役の津嘉山正種はさすがの演技巧者。説得力ある演技で場の空気を圧倒する。

 オーソン・ウェルズやアラン・エイクボーンなど著名な作家たちの生き様や演劇界の内幕もユーアたっぷりに描写。演出も過不足無く堅調。ただ、セクシャルな用語や「差別」用語の連発が耳につく。原作通りなのだろうが、表現の意味を考えてしまう。休憩15分入れて2時間30分。(★★★)2001.11.29
星屑の会「ストロベリーハウス@世田谷パブリックシアター(11月21日〜29日)
 
 作・演出=水谷龍二。出演=ラサール石井、小宮孝泰、渡辺哲、でんでん、三田村周三、清水宏、菅原大吉、築出静夫、朝倉伸二、江端英久、柏進、星野園美、福島まり子、李丹、松永玲子、麿赤兒。

 今回で3年間の休養期間に入る星屑の会公演。さて、そのフェアウェルステージは……。
 小劇場から商業演劇までいまや大モテの水谷龍二だけに多忙を極め、実家である「星屑の会」公演は3年間のお休み。ラストステージはオールスターキャストに加えゲストも多彩。ただし、今回は脚本の面白さというよりも、役者の個性で見せる集団劇の趣きが強かった。
 外国人留学生たちが住むアパート「ストロベリーハウス」。そこには12人の外国人留学生たちが住んでいる。中国人留学生(ラサール石井)は恋人(李丹)から、結婚して一緒に中国に帰ろうと迫られているが、まだ日本に未練があり、返事を一日延ばしにしている。

 一方、ブルネイの富豪留学生(でんでん)は日本人の恋人(松永玲子)を連れてきてみんなに紹介する。周囲は二人の年齢の違いに結婚サギではないかと心配し、忠告するのだが彼は一笑に付す。家主であり留学生たちから慕われている老人(麿赤兒)の判断を仰ごうと、彼女の父親(三田村周三)を引き合わせる。だが、二人の老人の間には戦争という暗い過去が横たわっていた…。

 渡辺哲のロシア人、小宮孝泰のインド人、朝倉伸二のモンゴル人、江端英久のトルコ人と、まさにピッタリの役どころ。全員が真剣に「里の秋」を合唱するシーンにはなぜかホロリ。おそらく叙情歌に涙し、小津安二郎、黒澤明の映画を愛する日本人はもはや外国人留学生たちの中にしか見出せないのかもしれない。劇中のアジア人留学生たちは実は古き良き時代の日本人なのだろう。

 予想されたとおりの展開とはいえ、ディティールがしっかりしているから大いに笑え、時にホロリとする。やや大味だが、それでも、このメンバーでこの芝居。テレビなら百年かかってもできない上質な笑いだ。ネパール人・清水宏と韓国人・菅原大吉のかけあいの面白さ、ヘンなインド人になりきっている小宮孝泰の役者バカぶり、まるで異質な空間に身を置いた麿赤兒の意外に似合うコミカルな役ーーどれもが一級品。3年後の「アローナイツ」再結成を見るまでは死ねないな、などと太宰ふうの感想で締めくくったりして…。(★★★)2001.11.27
自転車キンクリートSTORE「第17捕虜収容所」@紀伊國サザンシター(16日〜25日)
 
作=DONALD BEVAN/EDMUND TRZCINSKI。台本=飯島早苗。演出=鈴木裕美。
出演=川原和久、高橋克実、京晋佑、山本亨、樋渡真司、藤本浩二、浅野雅博、小村裕次郎、田鍋謙一郎、五十嵐明、岡田正、大石継太

捕虜 ビリー・ワイルダー監督の映画でも有名だが、もともとは舞台劇。第二次世界大戦下のドイツ軍捕虜収容所。捕らわれたアメリカ軍軍曹たちが脱走を図るが、計画が漏れて失敗に終わる。敵のスパイはだれか……。

 スパイが誰かは途中で観客に呈示されるが、劇中の男たちは最後まで疑心暗鬼を繰り広げるというミステリー劇のお手本。このところ、大劇場での演出も手掛け、アブラののってる鈴木裕美演出は手堅い。ただし、キーマンとなる京晋佑は発声に無理があり、ちょっと弱い。高橋克実が「安全部長」というニックネームなのは「ショムニ」ネタなのだろうが、楽屋オチでいただけない。まあ、2時間30分を飽きさせない手腕は認めるが……。

山本亨が足をケガしたらしく松葉杖。まったく精彩ない役なので、ホントにこれが山本亨なのかと配役表を見直してしまった。役者は役と演出だ。(★★)2001.11.24
ピンクアメーバ「リュウグウノツカイ@中野ポケット(11月21日〜25日)
 
作・演出=永元絵里子。出演=植村裕子、関剛、工藤剛、与田侑佳、秋月リエ」、京本千恵美ほか。

 劇団離風霊船→ストレイ・ドッグと、いわゆる小劇場第三世代の劇団を渡り歩いてきた永元絵里子には当然ながら彼ら第三世代の影響が大きい。つまり、今では少数派になりつつある猥雑なアングラ性+物語=ロマンの復権の展開がそう。その永元のユニット「ピンクアメーバ」(ネーミングがイマイチだが)の新作はまさにロマンの香りに満ちたスリリングな好舞台となった。

 舞台はある地方の海辺。この辺一帯を巨大なアミューズメント施設にする計画が進められているが、たった1人、鈴子だけが土地の売却を拒んでいた。彼女は海で夫を亡くし、その日から心を閉ざしたまま。1人娘の「みすず」にさえ心を開こうとしない。そんな彼女のところに、売却を迫る弟夫婦や工事会社の連中が押しかけてくる。ある日、彼女の分身である不思議な少女チリンとパリンが現れ……。新しく再生するために幻想の海底を経めぐる心の旅路。

 ダンスシーンの迫力、物語の起伏、役者の練熟、演出の確かさーーどれをとっても水準以上。正直いって永元絵里子にこんな才能があるとは思わなかった。異色のパントマイマー・京本千恵美の絶妙パフォーマンスは忘年会芸に使えそう。役者で要チェックは秋月リエ(パリン)と与田侑佳。秋月は永元と似たアイドル顔、与田はこれから大化けしそうな力を秘めている。これからが楽しみ。(★★★)2001.11.24
青年座「悔しい女」@下北沢・本多劇場(11月17日〜25日)

 作=土田英生。演出=宮田慶子。出演=高畑淳子(笠原優子)、檀臣幸(ダン・トモユキ=高田悟)。ほかに佐藤祐四、松川真也、津田眞澄、五味多恵子、椿真由美、山野史人、蟹江一平。


 とにかく冒頭から終幕まで笑いの渦。それも大爆笑というよりもクスクス、ウフフフという小さな笑いがさざなみのように広がり、劇場全体が幸福な笑いに包まれる、まさにこれぞ喜劇の醍醐味といった舞台。といっても、いわゆる「コメディー」「喜劇」の類ではない、もっと人間関係の機微や日常の中の微妙な会話のすれ違いから生まれる笑いであり、言葉にしたり台本を読んだりしても、たぶん「フーン」と思うだけ。実際に役者の会話のやり取りを見ないとその面白さは半減してしまうに違いない。

 これまで、土田作品は主宰劇団「MONO」や文学座などで上演してきたが、この青年座との出会いが最上の出会いとなった。役者のうまさ、演出の確かさ、これが一体にならないと土田の戯曲の面白さは絶対に伝わってこない。今まで見た土田作品は確かに面白いのだが、今ひとつピンとこなかった。それは戯曲を血肉化する作業の過程でホントの面白さが殺ぎ落とされていたのではと思う。

 舞台はある地方の小さな町。癒しの絵本をインターネットで販売する高田はファンだという優子と知り合い、結婚し、一緒に暮らし始める。美人で明るい優子には3度の離婚歴がある。高田もバツ1。喫茶店のマスターのはからいで、ささやかな結婚パーティーが開かれ、高田の高校時代の友人、喫茶店の常連が集まる。しかし、一見、フツーに見える優子だが、どうもどこかヘンで…。

 一所懸命生きようとすればするほど周りを惑乱させ、わずらわしい存在になっていく優子を高畑淳子が好演。相手の好意と誠意を受け止めながらも次第に相手の無邪気な「誠実さ」に追い詰められていく男を演じる檀も最良の演技。「今日は何があったの? 誰としゃべったの? どんな人なの? 何の話をしたの?」と常に相手に「言葉」を求める優子。彼女の”フツーでないおかしさ”に翻弄される周囲。
 優子の性格は例えばこの終幕近くのセリフでわかる。

「幼稚園のとき、パンダのぬいぐるみを先生に見せたら”可愛いね。また見せてね”と言われたので、次の日も、その次の日も先生に見せたの。1カ月したら、先生が”ありがとう、でももういいわ”って言うの。でも、次の日にまた見せに行ったら、怒ったような顔で”もういいって言ったでしょう”って言うの。それで、ショックを受けて1カ月幼稚園を休んだの。そうしたら、先生が訪ねてきて”パンダ可愛いね”って。だから次の日、また先生にパンダを見せに行って……」
 
 世間と折り合いのつけられない優子はオトナになっても、変わらず、一生懸命生きようとすればするほど周りを混乱させる。この4度目の結婚もやがて破綻。しかし…。
 ホン、演出、役者――三者が絶妙に絡んだときに生まれる奇跡的な舞台。ナマの舞台でしか味わえない幸福な時間。始まって5分で引き込まれ、この暖かな時間がずっと続いて欲しいと思ったほど。フィールドワークで地方に来ているクールな大学院生役の蟹江一平は蟹江敬三の息子だったか? メリハリのある演技が光る。これほど面白い、しかも再現不可能な舞台は久しぶり。(★★★★)2001.11.22
文学座「秋の蛍」@新宿紀伊国屋ホール(11月14日〜22日)
 
作=鄭義信。演出=松本祐子。
出演=石橋徹郎(井上タモツ)、坂口芳貞(井上修平)、若松泰弘(井上文平)、大滝寛(吉田サトシ)、名越志保(小林マスミ)、声の出演=沢田冬樹。


 1998年にNHK芸術劇場で「スタジオ演劇」として放映された作品で、さびれた貸しボート屋を舞台に、都会の孤独の中で身を寄せ合う人々の姿を描いたもの。

 9歳の時に父に捨てられたタモツは、父の兄・修平に引き取られ、場末の貸しボート屋を手伝ってきた。30歳の誕生日を前に、彼はイラだちを募らせている。というのも、最近、父・文平の幽霊が自分にまとわりついて離れないから。父は、ちょうど今のタモツと同じ年で死んだのだ。最後まで父を恨んでいたタモツは時折現れ、過去を詫びる父の幻影に対し反発する。

 そんなある日、一人の女がふらりと現れ、そのまま居ついてしまう。彼女は妊娠しており、タモツはその子の父を修平だと勘ぐる。会社が倒産し、帰る場所のなくなった元証券マンもまたタモツたちの家に転がり込んでくる。孤独な魂たちの奇妙な生活…。

 演出の松本祐子はユーモアを交えながら、傷を抱えた人々の内面を描いていく。ただ、1時間半の小品では松本祐子本来の「粘り」が生かされなかったのでは。もう少し濃密な人間ドラマの方が彼女の資質に合っているように思えるが。(★★)2001.11.20
演劇実験室万有引力「引力の法則@神奈川・杜のホールはしもと(16〜18日)

 作=寺山修司。演出・音楽=J・A・シーザー。出演=根本豊、伊野尾理枝、井内俊一、小林桂太、小林拓、村田弘美ほか。

 1976年に麻布天井桟敷館のオープニング公演として観客限定で行われたワークショップ演劇を25年ぶりに再構成したもの。
 モチーフは1人の男の蒸発と少年工員の発見した新彗星、そして盲目の少女の星との対話――この一見無関係な3つの事象を形而上学的に考察、さらに演劇的に肉体化しようとする試み。つまり、ラジオドラマ「コメット・イケヤ」の肉体化と言える。

 今では作家、俳優、スタッフが長い時間をかけて一つの作品を自由創作していくワークショップ形式が当たり前になったが、「ワークショップ」という言葉さえまだ日本になかった時代、いち早く寺山修司と天井桟敷はワークショップを導入していたわけで、その先見性には驚かされる。

 このワークショップで培ったさまざまな肉体表現が後の傑作「奴婢訓」などにつながっていくのだ。
 剃髪し白塗りした異形の男たちの跳梁、風に翻る少女たちの哄笑。一瞬たりとも観客を飽きさせないシーザー演出。「人間犬」もこのワークショップから生まれたという。「(サルバドール)タリの人間犬のスゴみといったら鳥肌ものだった」と蘭妖子さん。

 小さな空間で展開したワークショップを広い劇場でスペクタクル性豊かにやることで、印象がやや散漫になった感があるが、もともとシーザーの演出は空間を選ばない。広い空間を生かし、ぐいぐいと客の意識を引っ張り込む。
 シーザーこそが寺山修司の演劇的嫡子であり、寺山演劇の演出者として唯一無二の存在であることは言うを待たない。その演出と音楽は世界中の前衛の”最前衛”にあるといっても過言ではない。シーザーの同時代人である幸せをつくづく思う。

 終幕、観客を舞台に上げて、自分の住んでいる町の地図に画鋲で印をつけさせる。途切れることなく舞台に続く観客。見る間に地図は画鋲で埋められていく。自己存在証明の旅の終り。巨大な地図上に印されたアイディンティティー=夜光塗料が闇の中に浮かび上がる。それはまるで宇宙に横たわる銀河系。思わず会場からため息が漏れる美しいシーン。

 ただし、後半の器械体操のような集団舞踏シーンには天井桟敷特有の「肉体の抑制」が感じられず、寺山修司の美学とは異なるように思うのだが……。

 ともあれ、シーザーは天才だ。いつの日か、蜷川某の演出するマガイモノではなく、シーザーの演出するホンモノの「身毒丸」を見たいと切に思う。(★★★)2001.11.16
パルコ+ミー&ハーコーポレーション「サクラパパオー」@パルコ劇場)(11月15〜27日)

 作・演出=鈴木聡。出演=櫻井淳子、羽場裕一、若松武史、角替和枝、小林隆、福本伸一、おかやまはじめ、小林愛。競馬実況放送=杉本清アナ。場内アナウンス=神野美紀。

 ウエルメイドな芝居を目指すラッパ屋の鈴木聡がパルコ劇場で自分の作品を初演出した。三谷幸喜を手始めに、福島三郎ら上質のコメディー作家に触手を伸ばしているパルコの新展開に鈴木聡が乗っかったカタチ。
 しかし、その最初の作品に「サクラパパオー」とはちょっと解せない。
 数ある鈴木作品の中で、飛びぬけて傑作というのならわかるけど、何年か前のラッパ屋での再演を見た限りでは、とりたてて新味のある作品ではなく、どちらかといえば凡庸な作品だった。
 競馬場を舞台に、登場する人物だれもが1本の糸で結ばれていて、思わぬ結末が……というのがこの手の人間錯綜ドラマの醍醐味だが、単に作者のご都合で人間関係が設定されているだけで、その糸に必然性が希薄。

 公費800万円を使い込み、きょうのレースで勝って補填しなければ人生転落というエリート公務員(羽場)、そのエリートが使い込みをする原因となったヘレンというナゾの美人(櫻井)。ヘレンと以前関係のあった会社社長(故人)の妻(角替)、婚約者にギャンブル好きを心配されている男(福本)もヘレンと一夜を過ごしたことがあるらしい。そして、怪しげな予想屋(若松)ーーひとクセもふたクセもある連中ばかり。

 ここで、物語に飛躍があれば面白い舞台になるんだけど、行き詰まったあげくに無理やり展開をデッチあげたという印象しか持てない最後のオチ。未見の人には「ネタばれ」になるので書けないけど、切れ味のある鈴木にしてはどうにも消化不良の幕切れ。
 ミニスカートに皮のブーツ、毛皮のコートで登場する櫻井淳子は髪も栗色のショートヘアで、「ショムニ」のイメージとは大違い。コケティッシュな魅力を振りまき、コメディエンヌとしての才能もある。

 しかし……。結局クスリッと笑えたのは若松武史、角替和枝らベテラン勢の個人技=肉体芸を披露する場面のみ。
 配役も、もともとが当て書きだから仕方ないといえばそれまでだが、「ああ、これはラッパ屋のあの役者に当てた役だな」と容易に想像がつく按配。プロデュース公演なのに、意外性がない。
 ラッパ屋での鈴木聡の才能は買うが、今回はバツ。大好きな福本伸一、おかやまはじめもいまいち精彩を欠く。それにしてもTEAM・発砲B−ZINの小林愛、最近売れっ子だ。以前から目をつけていたが、先見の明あった?      (★)2001.11.15
ウジェーヌ・イヨネスコ劇場「ゴドーを待ちながら@六行会ホール(11月13日〜15日)

 作=サミュエル・ベケット。演出=ペトル・ヴトカレウ、ミハイ・フス。
出演=ペトツ・ヴトカレウ(エストラゴン)、ヴィタリエ・ドゥルチェフ(ウラジーミル)、ヴァレリウ・パホミ(ポッツオ)、ゲオルゲ・ピエトゥラル(ラッキー)、アンジェラ・ソキルカ(男の子)ほか。



 夕暮れ時、舞台中央に一本の木、ウラジーミルとエストラゴンの二人が連れを待っている。二人は長い旅の末にこの田舎道にさしかかったのだが、待ち合わせたはずのゴドーは一向に現れない。そこに首に縄をつけられたラッキーと、その主人らしきポッツォが通りかかる。やがて日が沈み、現れた少年は「今日は来られないけど、ゴドーさんは明日はきっと来ます」と伝言する。しかし、その次の日もまた…。

 おなじみベケットの不条理演劇の古典は日本でも何度となく上演されて続けている。でも、不条理劇にこだわったあげく、たいくつで難解なものになりがち。
ゴドー
 ところが、モルドバ共和国の「ゴドー」は顔に白塗り、道化芝居のように、あの手この手で観客を楽しませる。ときおり飛び出す日本語も実に適切で、バニーガールの乱入、相撲模写など観客サービスも。初演を見た人に言わせれば、「客いじり」が過剰だったとのことだが、イヤミにならない程度の「客いじり」だったと思う。

 エストラゴン役のペトル・ヴトカレウ以外は再演に際して配役総取っ替えだという。それだけ体力的に過酷な芝居なのだとか。ペトルは1960年生まれだから41歳。道化芸も堂にいったもので、どこか万有引力のベテラン俳優・根本豊を想起させる。

 前回公演の時はボスニア紛争、チェチェン紛争で「ゴドー」の背景には戦火があった。今回もテロ・報復戦争という時代状況。ひたすら「ゴドー」を待ち続ける二人が、田舎道の木の下にうずくまり、身を寄せ合うシーンは人間存在の悲しみを象徴しているかのようだ。ピンク・フロイドの曲も効果的。休憩入れて3時間(初演より30分短縮)。一瞬たりとも飽きさせない舞台だった。

「ゴドー=Godot」とは何か。「GOD=神」であるとも言われるが、もはやこの世界に神など存在しないとしたら、二人はいったい誰を待ち続けるのか…。(★★★)2001.11.12
MODE「ワーニャ伯父さん@世田谷パブリックシアター・シアタートラム)(11月9日〜18日、)

作=A・チェーホフ。台本・演出・出演=松本修。出演=美保純、黒木美奈子、大崎由利子、井口千寿瑠、八木昌子、品川徹、真名古敬二、小嶋尚樹、宮澤大地。

 演出の松本修は学年が1つ下。札幌生まれで、弘前大を卒業。大間にも友人がいると聞いたことがある。MODE旗揚げ前からのつきあいだから10数年になる。一度だけ稽古場を覗いたことがあるけど、役者に対して怒声・罵声の嵐吹きまくり思わずビビったことも。今はどうか知らないが……。
「MODEはオトナに観てもらいたい MODEはコドモには観てもらいたくない」という旗揚げ当時のコピーが久々にチラシの片隅に記されていた。

 MODEの芝居は官能的だ。それは即物的なエロスではなく、オトナの官能。たとえば退職した老大学教授(品川徹)の後妻エレーナ(美保純)が舞台を横切るだけで放射される頽廃的でエロティックなオンナの匂い、次代の主役となるであろう使用人たちが主人の目を盗んで邸宅のダイニングテーブルの上、居間のソファで繰り広げる痴態。それらのエロチシズムは決して下品にならず、オシャレの香りさえする。
 今回は松本修がタイトルロールのワーニャ伯父さんを自ら演じており、これが実にいい。この役は彼しかできないのでは、と思わせるほどうまい。老教授の後妻エレーナへの滑稽な思慕、同じくエレーナを密かに思う医者・アーストロフへの嫉妬。役者に復帰したほうがいいんじゃないの、松本さん。
 今回は別のテキストをもぐりこませたり、現代に置き換えたりしない正統チェーホフ劇。意外なことに、それが今までのチェーホフ劇よりも刺激的な舞台となったわけで、今までの試行錯誤が花開いたといえるかも。それにしても美保純エロティック! いい舞台女優になりそうな予感。休憩10分はさみ2時間40分。2001.11.10
(★★★)
「フレンズ」@ル・テアトル銀座(11月9〜11日)。
脚本=飯島早苗。原案・演出=長谷川康夫。音楽=崎谷健次郎。出演=七瀬なつみ、斎藤由貴。

 前に外国の翻訳劇でインターネットを使った芝居を観たことがあるけど、これは長谷川康夫のオリジナル。
 舞台後方に大スクリーンがあり、パソコンの画面が映し出される。その前に机が2つ、離して並べられ、向かって右が篠塚はるか(斎藤由貴)、左が小林栗子(七瀬なつみ)。そして二人の中間後方にミュージシャンの崎谷健次郎がキーボードで演奏する。この崎谷健次郎の歌うテーマソング「LOVE IS …BEAUTIFUL」がメロウで心地よい。

 さて、栗子(くりこと書いて、りつこと読む。なんでこんな名前にしたのよ、と冒頭で嘆く栗子)とはるかは夕張郡栗山町の高校同級生。30代。といっても在学中、特に親しくしていたわけではなく、栗子がもらった年賀状にはるかのメールアドレスが書いてあったので、たまたまメールしただけの間柄。はるかは北大を卒業して広告代理店に勤めているが、引っ込み思案なタイプで男性にもオクテ。一方の栗子は卒業後、東京の専門学校を出て、それなりに都会生活になじみ、明るくオシャレな子。

 メールのやり取りを通して、高校時代とは違う関係を築いていく二人。あるとき、はるかの付き合っている恋人が東京に研修旅行に行くので、栗子に東京案内を頼むというメール。ところが、それをきっかけに栗子とその恋人が交際を深めていく。気がついた時には、優等生のはるかはカヤの外。それでも、二人を祝福するはるか。メールのやり取りもそこでおしまいに。
 しかし、2カ月後、はるかから「彼にどうしても伝えたいことがあるの」というメールが栗子に届く。とっくに別れた二人なのに、なぜ?といぶかる栗子。その「伝えたい」という、はるかの用件は何なのか。すべてが明らかになったとき、はるかと栗子の新しく旅立ちがそこにあった。

 ありがちな話だけど、30代の女が偶然、メールを通して友人関係を築いていくというのは、まさに今風。七瀬のあっけらかんとしたキャラクター、マジメな優等生の斎藤由貴もキャラぴったり。朗読劇というので、もっと地味なものかと思ったが、結構動きはあるし、崎谷健次郎の音楽もうまくマッチしていて、申し分のない仕上がり。見終わった後、栗山町に行きたくなってしまった。2時間20分。 (★★★)2001.11.10