演劇の最大の魅力は「一回性」にある。「生身の人間がやるのだから、二度と同じステージにはならない」という狭義の意味もあるが、その場に立ち会う観客も含めた舞台空間の関係性創出。それはひとつの「事件」と呼んでもいいだろう。「一夜限り」の同時体験。それは音楽や映画のようにCD化、ビデオ化され拡大再生産されることがない(最近は演劇のテレビ中継、ビデオ化はあるが、それは素材を写しているだけ)。

  拡大再生産がきかないから資本の論理とは相容れない。3000余りある劇団の中で、芝居だけで食えているのはほんのひとにぎりの劇団だけ。満席が何日続こうが、収支はよくてトントン。

  それはともかく、カネのことを考えたら引き合わないのが芝居。だからこそ面白いともいえる。はなから採算を度外視して観客に対して目いっぱいのサービスをする「娯楽」がほかにあるだろうか。暗闇に身を沈め、演劇という名の「自由」を見つめる。いつしか客席は舞台と同化していく。体験した芝居を記録にとどめるのも、いわば演劇行為の一部であり礼儀であるのでは……
などと、カタイこと言ってるけど、母方の祖父は芝居が大好きで、若い頃、旅芝居がかかっている芝居小屋に入りびたりだったというから、私の芝居好きはそのDNAの系譜かもしれない。
  
 
初めて芝居を観たのが小学生の時。隣町にやってきた旅芝居の一座だった。お決まりの股旅芝居に歌謡ショー。小林旭の「自動車ショー歌」を劇中で歌っていたので、家に帰ってから、歌詞を採録しておぼえた。言っておくけど、当時だって小林旭は「昔の歌」だった。高校生の時には、巡回劇団の芝居を講堂で見せられた。無人島に漂着したブルジョア婦人と下僕の関係が次第に逆転していく。アジプロ演劇のようなもの。しかし、日本人なのにカツラにつけひげ、つけ鼻。違和感があって興味もてず。

 上京して、色んなイベントを見に行くと、決まって芝居のチラシが入っていた。73年、梶芽衣子ショーのときは、開場を待つ列に、若い人が「櫻社」の「盲導犬」のチラシを配っていた。桃井かおりが婦警役。しかし、アングラ芝居は怖いというイメージがあって、観ずに終わった。観ておけばよかった…。

 初めて観たのが、天井桟敷。次いで、状況劇場。黒テント、東京キッドブラザース、ミスタースリムカンパニー。これで人生を変えられたのだった…。