天井桟敷血風録(抄)

 72年の渋谷公会堂「邪宗門」公演事件。「邪宗門」は黒衣に扮した役者たちが観客を挑発し、演劇と日常の逆転を謀りながら観客のアイディンティティーを問う挑発劇。公演前から三原四郎率いる劇団日本などが公演潰しを宣言し、渋谷公会堂周辺は異様な雰囲気が漂っていた。

「2階に状況劇場、演劇団、劇団日本が陣取ったと聞いている。丸井から公会堂まで客の列が続き、入りきれない客が入り口で火をたいて騒いでいた。ガラスの扉は割られるし、「劇を壊しに行く」という電話があったこともあって、寺山さん以下、みんな護身用のナイフをしのばせていた。客入れの段階で客同士の乱闘・小競り合いは始まるし、鞍馬天狗の衣装を身にまとった昭和精吾が「静かにしろ!」と一喝すると、興奮した客が舞台に上がってくるやマイクをもぎ取って演説を始める。しかし、女優がそいつを舞台下に突き落とす。男は二度と上がってこなかった。日本刀を持った男も乱入したが黒衣によって舞台袖に連行されていく。観客も役者も異常な熱気で舞台に臨んでいた時代だった。

 ユーゴの「邪宗門」でも、女優が客席に引きずり込まれ、止めようとした黒衣と客が乱闘になった。加勢しようとしたら、寺山さんが「シーザー、演奏を続けろ。演奏がなければただのケンカになってしまう」と言う。演奏を止めてしまえばただの日常になってしまう。演奏が続く限り、それは演劇の一部に取り込まれるのだということなんだ。

井上陽水と共演?

「70年頃、銀座のクラブで弾き語りの仕事をしないかという話があって、行くと、看板に「アンドレ・カンドレとJ・A・シーザー」と書いてある。アンドレ氏はビートルズナンバーばかり歌った。きれいな声でね。私はオリジナルの暗〜い歌。客席に星勝がいてアンドレ氏と打ち合わせをしてる。その直後に、アンドレ氏が井上陽水としてデビューするわけです。

 寺山さんは私を第二のカルメン・マキとして売り出そうとしていたようだ。CBSソニーからデビューし、新譜の視聴会があり、私ともう一人の新人歌手が広報に呼ばれた。レコードをかけて聞き比べするわけだ。私は「すべての人が死んで行く時に」「首吊りの木」の2曲。もう一人の新人は「空に太陽がある限り」という歌。翌日、ソニーに行くと、その新人・にしきのあきらの等身大のポスターがあったけど、私のは……」

 内田裕也、ジョー山中の「フラワートラヴェリンバンド」と天井桟敷が共演した後楽園ホールの「ブラブラ男爵」騒動など70〜80年代のエピソードもたっぷり詰まったシーザー青春史。読みどころ、見どころ満載!