寺山修司・断章 |
「てがみ」 寺山修司 つきよのうみに いちまいの てがみをながして やりました つきのひかりに てらされて てがみはあおく なるでしょう ひとがさかなと よぶものは みんな だれかの てがみです 講談社の絵本(昭和34年発行)にある寺山修司の「さかな」と題された詩は、この「てがみ」の原型。 つきよのうみに いちまいの てがみをながして やりました いつか どこかで ともだちのいない こどもが よむように つきのひかりに てらされて てがみはあおく なるでしょう ひとがさかなと よぶものは みんな だれかの てがみです 推敲でその後二行目が削除されたのでしょう。 2009年1月12日・想 |
テレビによるファルス「Q」への批評 「テレビドラマ誌」(1960年12月号) |
人間をネズミに変えるということ、それは人間を殺してしまうということと同じではない。新聞の解説が云っているように、この話を核兵器の恐怖と重ね合わせて考えることに私は反対である。このドラマのラストに出てくる唖の子と水素爆弾の話は、空虚な大義名分づけとしか思えない。しかも、残念なことに、このドラマ全体が、同様に空虚な大義名分づけに追われていて、無限の可能性とエネルギーを秘めている折角の着想を卑小なものにしてしまっている。 人間とネズミ、この相容れぬ二つのイメージの衝突の、おそろしい程の即物性にこそ、すべてを賭けるべきだったのに、製作スタッフはお手軽な社会性とやらを加味するのに忙しく、おかげでネズミはネズミ本来の生命のもつおそろしさ不気味さを失い、ただの愛玩動物、ただの人間のうつろな比喩と化してしまった。 このドラマをミュージカル風に仕立てることの必然性もまた私には理解出来ない。ネズミの大群のバックに歌われるQの歌、ナンセンスな踊りと共に歌われるあなたと小鳥の歌など、ドラマの着想の警抜さを、ファンタジイという不要な云訳で逆に非現実的にしてしまった。 最初のアイデアを、月並みな二元論にしか発展させえなかった想像力の貧しさは、諷刺を底の浅いものにし、笑いを月並みにし、恋人たちの風情を説明的なものにした。主人公田中邦衛の新鮮なパーソナリティだけがせめてもの発見であり、救いであった。 画面のテンポ、ネズミのフィルムのリズミカルなモンタージュなど、それなりの迫力はあるのだが、ドラマの前半からネズミの大群が出てくるようでは、後の方の無数のネズミのイメージが生きてこないし、筋立てとしても、主人公が最初から無差別に人間をネズミに変えていたのかどうかも曖昧で、彼が一体被害者なのか加害者なのかがはっきりしない。デモ学生と警官隊を無差別にネズミにするそのモーティブも納得がゆかない。ファルスにはファルスなりの、明確な論理があるはずだ。 分かりやすい作品を作ろうという態度は分かる。だが、意味ありげな無意味よりも、無意味の意味をつきつめてゆくことも、これからのテレビの任務ではないのか。ストーリイももちろん大切だが、もっとイメージそのもののもつ力を信頼するべきだ。 演出家と作家は相互に妥協しすぎた。作曲家は職人としての義務を果たした。ネズミの中には死んだ奴もいるだろう。謹んで冥福を祈る。(谷川俊太郎) 脚本=寺山修司 音楽=山本直純 演出=石川甫 DP=岩西浩 カメラ=種村陽亜、石橋四郎、川瀬雄二、有田将明 デザイン=小林 夫、坂上健司、森健一 出演=田中邦衛、藤原鎌足、九條映子、山崎努、磯部玉枝、吉田孝司、加藤武、吉行和子、沢村国太郎、殿山泰司、松村達雄、神永万義、森伊千雄、小幡章、円谷一。KRT10月31日放送。 |
「俳優養成は林業と同じですよ」よ倉本聡さん。自ら主宰する富良野塾の東京進出についてインタビューした時、倉本さんはこういう言い方で俳優教育の難しさを話してくれた。(中略) その言葉を聞きながら、かつて故寺山修司さんが主宰する天井桟敷のオーディションを取材した際、寺山さんにしかられたことを思い出した。 というのも、オーディション参加者のレベルが僕のような素人目に見ても低すぎて、寺山さんに「みんなちょっとひどすぎますね」と生意気にも言ってしまったのだ。その時、いつもは温厚な寺山さんも顔色を変え、「君ね、今の状態で判断しちゃいけないよ。僕はこの子たちがこれからどのくらい成長していくか可能性を考えながら見ているんだから」と、長い目で見ることの必要性を説いてくれた。 寺山さんの天井桟敷からは多くの優秀な人が巣立っていった。今また倉本さんを師とする富良野塾からどんな人材が育つのか。倉本さんの言葉で、大いに楽しみになった。(尚) (1988年11月18日付日刊スポーツ・コラム青い鳥) 人の才能を見抜く達人であった寺山修司。綺羅、星のごとき人材が天井桟敷から生まれたのもむべなるかな。 |
(前略) 小道迷子「しょうじょ探偵団」(新潮社)は、一種の超現実的な夢を描いたような不思議な作品だ。「少女探偵事務所」のドアがギイッと開き、奇妙な依頼人が奇妙な事件を持ち込んでくる。(中略)。 これが作者が折々にふれた本や美術展から連想を自由に広げた、いわば漫画版読書案内であるとわかる。桐生操「やんごとなき姫君たちのトイレ」から、ロレンス・ダレル「トゥンク」「ヌンクァム」まで。寺山修司に内田百閨Bオルダス・ハクスレーにユイスマンス。シャーロック・ホームズに東海道中膝栗毛。落語に競馬にその他もろもろ。その関心のエッセー的自由さが、本編の隠し味となっている。(後略) (1996年3月2日付朝日新聞 村上知彦”漫画のカルテ”より) 小道迷子のマンガは好きだったが、これは未読。寺山修司に関心があったとは知らなかった。 |
観客をいかにひきつけるか。演劇人は、そのことに腐心する。いや、演劇に限らない。他の芸能にしても、スポーツにしても同じことだ。いい舞台を、いいプレーを、と皆努力する(中略)▼演劇の世界では、早くから、観客を巻き込むいろいろな試みがあった。たとえば、寺山修司の「天井桟敷(てんじようさじき)」が、一九七〇年代に上演した市街劇がそうだった。観客は、地図を片手に、街を歩き回り、「舞台」を探す。それは、銭湯の中だったり、民家の軒先だったりした。最近では、英国の「ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー」が「ジュリアス・シーザー」の公演で、観客に群衆を演じさせた。(中略)▼こうした例は枚挙にいとまない。舞台と観客席がくっきりと仕切られている近代劇への批判だろう。そういう仕組みを揺さぶろうという実験である。寺山は、これを「観客との相互創造」と形容した。(中略) ▼さて、議会制民主主義という劇場の「俳優たち」は、観客をどう思っているのだろうか。むしろ議会という舞台から遠ざけようとしているのではないか。税金という超高額の入場料を払っている観客を、である。 (1996年3月18日付朝日新聞「天声人語」より) 観客参加型演劇を引き合いに日本における議会制民主主義の未熟さを憂慮する、いかにも「朝日」らしい単純な提言。 |
(前略) 私はその寺山の短歌が好きだった。たとえば「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」。 ところがのちに、富澤赤黄男の句集『天の狼』を見ていたら、「一本のマッチをすれば湖は霧」という俳句があって愕然(がくぜん)とした。その後、あれこれ短歌史や俳諧史を読むようになって、寺山が「模倣や剽窃(ひょうせつ)によって詩歌をつくっている」という非難の集中していた時期が昭和30年代にあったことを知った。 最近、この寺山模倣主義について、ノンフィクションライターの田澤拓也氏が『虚人 寺山修司伝』(文芸春秋)でふたたびとりあげている それにしても寺山の「模倣」はたいへんうまい。赤黄男がマッチと湖の霧を結びつけたイメージに、「身捨つるほどの祖国」を植えこんだのは、やはり寺山の技である。 かつて古代ギリシャでは「ミメシス(模倣)・アナロギア(類推)・パロディア(諧謔=かいぎゃく)」という三つの方法が重視されたものだったが、寺山はその秘術をまことにみごとに体得していたようなのである。いったい表現とは何なのか。 情報のオリジナリティーとは何なのか。いままた考えこんでしまっている。 (1996年8月23日付朝日新聞「オリジナリティーとは何なのか 松岡正剛”情報のツボ”」より) これも、「虚人 寺山修司」を引いたエッセイ。いくぶん、寺山にシンパシーを感じながら、松岡正剛の言はやや歯切れが悪い。 |
「(前略)いま千葉県の川村記念美術館で作品展が開かれている米国の彫刻家、ジョージ・シーガルの作品をまね、「著作権侵害だ」と指摘される日本の画家もいる。寺山修司の俳句、短歌に、他からの模倣があると告発する『虚人 寺山修司伝』も今年、出版された。それぞれ、フィールドも違えば事情も異なる。「盗用」なのか「引用」なのかは意見の分かれるところだろう」(抜粋)(1996年12月14日付朝日新聞、近藤康太郎氏署名記事「似ていることは悪か」より) たまたま近藤氏が取材した一連の取材対象者に「盗作」が指摘された芸術家が続いた。時代小説家・神坂次郎氏は短編集「千人斬り」の中に、松本清張氏の「おのれの顔」とまったく同じ、あるいは似た文章がいくつかあった。 現代日本の創作キルト界を代表する作家・高橋恵子氏の作品がある出版物のデザインと似ていた。 米国の彫刻家・ジョージ・シーガルの作品をまねて、「著作権侵害」だと指摘された日本人画家もいた。 そして、寺山修司作品の「模倣性」に言及する人たち。 近藤氏はむろん、安易な盗用なら指弾されて当然だと断ずるが、「似ていることは絶対悪か」と”似ていることを告発する人々の視点に疑問を呈する。 その上で、フランスの哲学者ミシェル・フーコーが指摘した、「16世紀までの西欧では、類似というものが知を構築してきた」(『言葉と物』)を引用する。「昔、人は世界を、”似ている”という視点から読み解いていた。人間の顔と天空の星は似ている、植物は動物と似ている(中略)……という具合である」と。「そうした類似関係は際限なく指摘できるという意味において「過剰」だ。同時に、砂のように安定しないから、「貧困」な世界の見方でもあるーーフーコーは、そう批判した」。 類似性を嫌うミュージシャンを例に、「果たして、チャック・ベリーに似ていないロッカーなんているのだろうか」とつぶやき、こう締めくくる。 「世界の類似性ばかりを探し求めた十六世紀の知のありようが「過剰で貧困」だったのと同じように、わずかばかりの“オリジナリティー”を声高に称揚する視線も、「過剰で貧困」になりはしないのか。そう、思うのである」と。 寺山修司の「模倣性」を声高に指摘する人々の、”貧困なる精神”への痛撃なカウンターともとれるが、いかがなものだろう。(2001.02.23記) |
「ブーフーウー」終了後、荻さんはフリーになり、「天井桟敷」を旗揚げしたばかりの寺山修司に誘われて何本か舞台に出演している。 「茶髪どころか、7色に髪の毛を染めてね。『ブーフーウー』からアングラでしょ。周りはびっくりしたと思います。でも、従兄の荻昌弘(映画評論家=故人)は“あなたは新劇の枠に納まっている女優じゃない。頑張りなさい”って励ましてくれました」 (日刊ゲンダイ「あの人は今」1998/10/16) NHKの人形芝居「ブーフーウー」のおねえさんだった荻c子(おぎ・いくこ)さんの回想。文学座の女優だった荻さんは作家・飯沢匡氏に請われ、「ブーフーウー」に出演。ちなみにブーは大山のぶ代、フーは三輪勝恵、ウーは黒柳徹子がそれぞれ声を担当した。 番組終了後、荻さんは天井桟敷旗揚げ直後の舞台に出演した。「星の王子さま」がそれ。よく紹介される「星の王子さま」スチール写真の片方が荻さんだ。「荻さんには、その後、仕事のことでもお世話になりました」(元天井桟敷の女優・蘭妖子さん)というように、寺山が亡くなるまで交流は続いた。 「ブーフーウー」の裏話として、初代のオオカミくんの着ぐるみの中に入っていたのが故・高橋悦史さん。演劇青年で、スタジオの隅でぶつぶつつぶやくようにセリフを覚えていたり、「健康のためにはこれがいいんです」とレモンを丸かじりしていた。しかし、本人はこの「ブーフーウー」時代のことには、決して触れようとしなかったという。 |
「後で結(言)うのは福助の頭ってヨ……俺ァ、ちっとも後悔してねえぜ……ナリブーって強え馬がいて、人間サマの欲の間違いと勝手な思惑に踊らされて辛い戦いに挑んだって思い出は死ぬまで俺は覚えてるサ…「…男には負けるとわかってる戦いにも挑まなきゃいけない時があるってことヨ」。墓の下から寺山修司が出てきたんじゃないかってセリフ。ことさらくわえ煙草でしかめっ面する健坊だが、絵にはなっている」(1996/05/27 日刊ゲンダイ 塩崎利雄「止まり木ブルース」より) 博打で身を持ち崩し、一家離散ーーかつて競馬につきまとった暗いイメージを払拭し、夢とロマンの新風を吹きこんだのが寺山修司だった。 JRA(中央競馬会)は最大の恩人・寺山にもっと敬意を表するべきだ、「寺山記念」レースを創設してもバチは当たらないとだれかが言ってたが、まさにその通り。同時進行馬券小説という斬新な手法を編み出したのも寺山である。Vシネマ「極道記者シリーズ」で有名な塩崎利雄のこの小説も、その系譜につながる。 品川の極道・健坊とその取り巻きがバー「再会」を舞台に繰り広げるギャンブル小説。毎週毎週、スッテンテンになりながらも、昔世話したヤクザで今は金持ちの堅気の衆とか、ひひ爺に嫁いだ昔の女ーーどこからかカネを調達して賭け続ける健坊。「負けるとわかってて」は、故障明け、しかも1200メートルの距離適正に不安を指摘されながら、馬主か厩舎事情で高松宮杯に出場を余儀なくされた怪物ナリタブライアンに賭け、華々しく散った健坊の意地を指す。 「本当に不幸なのは貧乏ではなく、人として必要とされず、忘れられた人……」 なんてうろ覚えのマザー語録を披露する。 「あぁ……そう言えば、寺山修司の本にも似たようなのがあった。確か、一番不幸なのは捨てられた女ではなく、忘れられた女……なんてフレーズが、ネエあったよネ」 よしゃあいいのに、横から変なチャチを入れたサブ。気高い説法してた健坊にいきなり強烈な拳骨食らって泣きべそかいてる。(1997/09/29 日刊ゲンダイ 「止まり木ブルース」より) これも健坊語録。正確には寺山修司ではなくマリー・ローランサンの詩「鎮静剤」。「……よるべない女よりもっと憐れなのは病気の女です。病気の女よりもっと憐れなのは死んだ女です。死んだ女よりもっと憐れなのは忘れられた女です」と続く。 |