ロッキード事件
=「およげ!たいやきくん」「北の宿から」
=村上龍「限りなく透明に近いブルー」
10.10 具志堅用高、WBA世界J・フライチャンプに
10.29 山形・酒田市大火
12.21 ジャンボ宝くじ発売(1等1000万円4本)に客殺到し福岡、松本で死者
郵便料金値上げ「ハガキ20円、封書50円」
キース・ジャレット
ソロコンサート
キース・ジャレット
1976年11月14日
中野サンプラザ
「どうしたの? この頃、全然大学に出て来ないじゃないの」

  たまにはパチンコでひと儲けしてステレオの針でも買おうかと思って座ったはいいが、すぐに資金は底をつき、パチンコ屋を出て、自転車引き引き、アパートに帰る途中で、呼び止められた。振り向くと花柄のワンピースを着たMが微笑んでいる。
 
 思いもよらぬMの出現に一瞬、言葉に詰まった。「いや、その…」
一緒にいた彼女の日曜学校の教え子である高校生たちが、興味深そうに2人を見比べる。
「今日、キース・ジャレットのコンサートがあるんだけど」
「エッ?チケット手に入ったの?」
 人気があるため入手が困難だとジャズ好きの友人Yに聞いていた。
 
「そう。それで、…クン、キースが好きだって聞いてたから、一緒にどうかな、って学内をずっと探してたんだけど、見つからなくて…」
「…だれかにあげたの?」
「お姉さんと行くことにしたわ。興味がないっていうけど、無理言って」
「そうか…」
「でも、…クンとここで会ったし、よかったらこれから行かない?」
 というわけで、クラス一の才媛M嬢と一緒に2時間余りを陶然と過ごしたキース・ジャレットの思い出。
 しかし、この後、喫茶店で、「実はね、私、好きな人がいて…」と切り出され、その人の話をずっと聞かされる悲惨な展開になろうとは夢にも思っていなかった。Mは卒業後、女優を経て弁護士となるのだが…。


※キース・ジャレットは「ケルン・コンサート」の2枚組アルバムで一躍名をはせたジャズ・ピアニスト。
EAST WEST’76
イーストウエスト76
11月6日
中野サンプラザ
サンプラザの大ホールは超満員。4時30分に始まったが前座バンドが続く。7時20分頃、ようやくティンパン・ファミリー登場。大貫妙子、細野晴臣、鈴木茂、林立夫、久保田麻琴、荒井由実(松任谷由実)、松任谷正隆etc。今から考えるとすごいメンバー。このセッションはすごかった。
群論’76

群論76
1976年10月16日
目黒公会堂
講談社「働く記者の会」主催の「群論76」に行く。
 祐天寺駅を降りて会場に向かう。すでに100人ほどが列を作っている。5・30ぴったりに始まる。
かぜ耕士氏の司会。ソンコ・マージュさんのギターから始まり、中山ラビ、のこいのこ、四人囃子、タモリ、高信太郎、林美雄、長谷川和彦、中上健次、長谷川きよしとプログラム続く。

 中上健次は松尾和子の「再会」を歌い、拍手喝采。長谷川きよしは2人のミュージシャンがサポートにつき、歌と演奏のすばらしさで客席を盛り上げる。のこいのこさんの歌を聴いたのは初めて。歌唱力抜群。もともと歌手でありCMソングを歌っているとか。なるほど納得。

 タモリは伝説の「四カ国マージャン」を実演。中国人と韓国人とベトナム人とアメリカ人がマージャンをしているという設定。ベトナム人のツモ切りが遅いので、中国人がイライラして「早くやれ」とせっつく。それでものんびりとツモ切りするベトナム人。ついにたまりかねて中国人がパイを捨てると、韓国人が「ロン」。アメリカ人はブツブツ言い、中国人は「チョンボ」と食ってかかる。収拾がつかなくなったその瞬間、昭和天皇が現れて…。という筋立て。各国人の特徴、天皇の形態模写はそれこそ腹の皮がよじれるほど、面白いのだが、右翼を刺激するということで、その後、このネタは封印され、幻の密室芸として、今に至る。タモリもこの頃が一番面白かった。

 ラストは宇崎竜童が登場、会場はロックコンサートの熱気。予定より遅れて9・30終演。
地下鉄「本郷3丁目」駅からの切符

1976年10月12日
1976年10月13日
本郷3丁目
12日は東大で公害原論(宇井純氏主宰)に参加。

 荒畑寒村翁(今ではもはや歴史上の人物か)がゲスト。講堂は立錐の余地がないほど学生、一般人が集まる。「これが公の席に出る最後になるでしょう」と89歳の寒村翁。杖をつきながら、宇井氏に支えられ登壇。  
 
 「この前、水俣に行ってきた。一人の娘さんが握手を求めてきたが、その手はこんなふうに曲がっていた。15、16歳にしか見えなかったけど、本当は21歳の胎児性水俣病患者だそうです。早稲田のナントカという教授は”公害企業を告発するより、我々の心を直していかなければならないと言っていた。なるほど、それももっともな話かもしれない。しかし、どうして、生まれた時から、犠牲を負わなければならない人間と、得をする人間の二つがあるんですか。資本主義社会は人間を養えないだけでなく、害毒を撒き散らしてきたのです!」
 ドンッと机をたたきながら、寒村翁の熱を帯びた言葉は続く。

「来年は90歳になるけど、ボクはもうこんな世の中、おさらばしたいよ。GNP世界2位とかいって、飛行機でハワイまで田舎のじいさん、ばあさんが行ける時代だ。昔より文化的だ。でも、昔は文明的じゃなかったか? 母親の乳にPCBは入っていなかったし、髪の毛に水銀は見つからなかった。安心してモノが食べられたんですよ」

 途中から「苦界浄土」の作者・石牟礼道子さんも加わる。水俣で共同生活をしている学生の中に水俣病と同じ症状が現れたという話に、会場から笑いが漏れる。それを見て顔を曇らせる寒村翁。どこにでも場違いな連中はいる。
それにしても齢89歳の寒村翁のまだ枯れない激情ぶり。大正デモクラシーを体現する姿に感服。

 13日は松本清張氏が登壇。天皇制、遊牧民信仰、柳田国男、北一輝と話が広がっていく。
 14日は羽仁五郎氏。演題は「歴史の中の大学」。面白かったのは「自分は決して人の名前をおぼえない」という話。戦時中の官憲の拷問に対する防衛本能のようなもの、と笑う。つまり、仲間の名前を知っていれば、苛烈な拷問に人間の肉体は弱いものだから、すぐに吐いてしまう。しかし、知らなければ、吐きたくても吐けない、というもの。笑い話のようだが、プイグの「蜘蛛女のキス」を思い浮かべると、なるほど、とうなずけなくもない。

※3人ともすでに鬼籍に入られたが、この3日間の公開講座は今でも鮮烈な印象がある。
カーニバル「長谷川和彦ノンストップ8時間走れ!カントク」
長谷川和彦
1976年10月10日
大手町・日経ホール
  1時に着くと会場はすでに超満員。カチンコの音とともにスタート。司会は林美雄。1部「青春の蹉跌」(脚本=長谷川和彦)を上映した後、第2部は監督ゆかりの人たちが登場。予定されていた今村昌平、藤田敏八監督は「復讐するは我にあり」の映画化権をめぐって対立していたので、双方顔合わせならず欠席。
 
「キネマ旬報」編集長・白井佳夫氏が「青春の殺人者」出演者を紹介。高橋明、地井武男、内田良平、白川和子、小松方正、水谷豊。そして客席から原田美枝子が登場。まだ高校生。ジーンズにTシャツ姿が初々しい。
 
 藤竜也、原田芳雄、山科ゆり、久世光彦、中上健次、村上龍、山谷初男、高橋長英なども顔出し。酔っ払った宮下順子が客席からヤジを飛ばすなど、ハプニングの連続。トーク、音楽、ケンカなんでもありの8時間はアッという間に過ぎる。