毒入りコーラ事件、マイルドセブン発売、北海道有珠山噴火、王貞治756号
=ペッパー警部、津軽海峡冬景色
映画=「人間の証明」「幸せの黄色いジハンカチ」「八甲田山」「ロッキー」「自由の幻想」「ローマに散る」
群論77
豊島公会堂
PM5・30〜9・15
群論77
10 月22日(土)
主催が「働く記者の会」から「講談社記者会」に変わる。今年で4回目だが、年々、お祭り的な要素が大きくなって「論」が隠れてしまった。最初の頃は、詩人・金子光晴の自作詩朗読、大島渚、野坂昭如、五木寛之、永六輔、鈴木いずみらの激論バトルがあったが、今は学園祭の見世物興行のようなもの。
 今回も中上健次の歌、村上龍のドラム演奏、平岡正明の空手模範試合とつまらないメニューばかり。いったいどうなったのか?
 終演後、テアトル池袋に行き、オールナイト映画。
黒木和雄の「日本の悪霊」、若松孝二「天使の恍惚」、大島渚「夏の妹」、実相寺昭雄「無常」を見る。朝、帰宅。
赤塚不二夫の「ギャグゲリラ バカ田大ギャグ祭」
9月18日(日)
 高田馬場で友人と雀球をした後、彼らと別れて、渋谷・東横劇場へ。 案に相違して客の入りは3分の1程度。
オープニングは日劇ダンシングチームの華やかなラインダンス。続いて東京ヴォードヴィルショーのコント。メインゲスト由利徹の登場で盛り上がる。下落合警察署の署長という設定で、「サムの息子殺人事件」をめぐるドタバタコメディーを。中島葵、小島美ゆきが花を添える。
 友川かずき、三上寛、タモリ、坂田明がゲストで持ちネタを披露。
 幕間にロビーに出ると林美雄、久世光彦、中山千夏の顔。由利徹の芸にすっかり魅せられてしまった。スゴイ芸人だ。
巨人ー大洋戦
8月31日(水)
6・30、後楽園球場にナイターを観に行く。 大リーグタイ記録の755号に王手がかかったこの日、後楽園球場は超満員。5万人が詰めかけた。1回裏、一塁に土井を置いて、「三番、ファースト王」のアナウンスとともに王が打席に。大洋・三浦はボールが2つ先行。「勝負しろ」というスタンドのヤジが球場を揺るがせる。ボールカウント1−3から王のバットが一閃、打球はライトスタンドへと吸い込まれていった。以上は、新聞記事の抜粋。
 私が着く直前に王の755号が出てしまったらしい。王の打席になると、ドッという歓声が上がる。フォアボールにでもしようものなら、すさまじいヤジ。「帰れ、帰れ」コール。9時。王の最後の打席が終わると観客が潮を引くように帰り始める。その流れに乗って帰路につく。
大瀧詠一・ナイアガラツアー
ナイアガラツアー6月20日
渋谷公会堂
 大瀧詠一のレコードはすべて集めていた。伊藤銀次、山下達郎と組んだ「ナイアガラ・トライアングルvol1」は特にお気に入り。この中の「遅すぎた別れ」を何度繰り返して聴いたことか。このライブも熱気にあふれたものになった。「コイの滝のぼり」では忍者が綱渡りするし、「福生ストラット」で福生の切符やサインボールをプレゼント。シリア・ポールと大瀧詠一のデュエットも。最後は客席の通路を通って、着物姿の布谷文夫が「ナイアガラ音頭」を歌いながら登場。大盛り上がりライブとなった。
革新自由連合マニフェスト77
6月1日・渋谷公会堂
PM3〜9
 
[企画委員会メンバー]

愛川欣也、赤塚不二夫、赤塚行雄、秋山ちえ子、阿佐田哲也、秋葉克巳、、いずみたく、石川弘義、五木寛之、宇井純宇都宮徳馬、永六輔、小沢昭一、大島渚、大西信行、大橋巨泉、荻昌弘加藤康一、加藤武、加藤登紀子、上村一夫神吉拓郎、北沢洋子、キノトール久野収、黒田征太郎、高史明、小松方正、小室等、佐藤允彦、佐藤嘉尚、ジョージ秋山、司馬遼太郎、下重暁子、白井佳夫、新谷のり子、鈴木武樹、鈴木均、妹尾河童、高石とも也、高畠通敏滝田ゆう、立木義浩、龍村仁、田辺聖子、田原総一郎、俵萌子、手塚治虫、中村とうよう、中山千夏、野坂昭如、はらたいら、ばばこういち、花柳幻舟、羽仁五郎マキノ雅弘、前田武彦、美輪明宏、八代英太、山口はるみ、山田宗睦、山藤章二、吉川勇一、吉武輝子、渡辺貞夫、和田誠ほか。
       太字=故人
早すぎた市民運動

 「革新自由連合」は雑誌「話の特集」の矢崎泰久、中山千夏、ばばこういちを中心にして結成された市民参加の政治運動。画期的な会になるはずだったが、数年後に雲散霧消。有名人先導型で、主役の市民の底辺が広がらなかったのが一つの原因で、もう一つは右派メディアからの徹底的な無視、異端視で一般的な市民権を得られなかったこと。

 この日、冒頭の3人の挨拶の後、俵萌子、横山ノック、吉武輝子、中村武志、栗原令二らが登場。
 ティーチ・インに入る段階で、加藤登紀子から「革自連」の性格について、痛烈な批判が出される。それを受けて大島渚らが積極的な発言。そんなわけで、1部は大混乱。加藤登紀子は「誰でも300円を払えば会員になれるのなら、幽霊会員を認めるわけで、実態のない組織になってしまう。もし、三里塚闘争についての見解が分かれたら会として、どのように、まとめるのか」
というもの。
 混乱のまま三上寛、佐渡山豊、中川五郎、白竜のライブへ。

  2部は6・30から。

 青島幸男と大橋巨泉が登場。組織嫌いの巨泉がわざわざ出向いてきたことに会場がどよめく。渡辺貞夫の演奏を受けて、「20年前は新進テナー奏者と新進ジャズ評論家が、今は芸術祭大賞受賞者と競馬評論家になって…」と笑わせる。

 鈴木武樹続く鈴木武樹は例によってでかい声で「天皇制廃止と日本連邦共和国成立」を叫び大喝采。巨泉、青島も武樹の激越さに真っ青。

 次に演壇に立った羽仁五郎は「今のすばらしい発言をしてくれた君、君だよ鈴木武樹クン、ぜひ参院選挙に立候補してくれ」と発言。会場は「武樹コール」が鳴り止まず。青ざめた表情で演壇に戻った鈴木武樹は「今、収録しているクイズダービーの件が調整できれば…」と言明。会場は一気にヒートアップ。

 花柳幻舟が登壇。「私は旅役者の子として、朝鮮人、部落民と同じように差別されてきました。恋をしている時以外、生まれてから一度だって楽しい思いをしたことがありません。同じ人間なのに、どうして”いい血”と”悪い血”があるのですか。天皇も私も流れているのは同じ血。鈴木武樹は私に「天皇制廃止は言わず、共和国建設のことを言えとアドバイスしてくれました。でも、腐った土台をそのままにして、新しい建物は作れません。4年前に右翼によって刺された傷がまだわき腹にあります。私を守ってくれる人は、羽仁五郎しかいません。でも、77歳の五郎に私を守りきれるはずはありません。だから、今度の選挙に私は出ません…」
 
  羽仁五郎が「巨泉クン、キミも出なきゃダメだ」と呼びかけるも、事態を察知した巨泉はすでに会場を後にしていた。逃げ足速いぞ、巨泉。

 ※鈴木武樹氏はこの年の参院選に出馬するも落選。それから間もなく胃がんが悪化して死去。まだ43歳だった。いまだ彼のようなすごいアジテーターは現れない。「朝まで生テレビ」を見るたびに彼が生きていたら、と思う…。
革新自由連合77
赤塚不二夫の
ステージギャグゲリラ
友人Yと一緒に、池袋・文芸坐で「ファミリープロット」「さらば愛しき女よ」を見る。その後、渋谷公会堂に行き「ステージギャグゲリラ」を見る。

 司会は小野やすし。まず、江波杏子が壷振りのお銀に扮して舞台に登場、壷振りを実演。続いて安藤昇が着流しで現れ、場内大喝采。
 その後、野坂昭如が「マリリンモンロー、ノーリターン」を熱唱。黒柳徹子トリオ・ザ・パンチマルセ太郎のパントマイム、タモリの天皇形態模写なぎら健壱の放送禁止歌、中島葵と若松孝二監督によるポルノ撮影実演。ステージ上で脱ぐ中島葵の度胸にびっくりドッキリ。圧巻は唐十郎率いる状況劇場による歌と踊り。ザ・ピーナッツの「恋のフーガ」に合わせて、異形の役者たちが歌い踊るすさまじいエネルギーに呆然自失。
 ※中島葵は映画スター森雅之の娘。つまり、作家・有島武郎の孫。父との確執は有名だが、黒テント、日活ロマンポルノなどで活躍し、その後、芥正彦と劇団「ホモ・フィクタス」を結成するも、若くして亡くなった。
赤塚不二夫
1977年3月8日
キネマ旬報1976年度ベスト・テン表彰式 ※この年、映画雑誌「キネマ旬報」編集長の白井佳夫氏が竹中労氏の「日本映画縦断」連載問題を理由に上森社長により解任。読者・執筆陣が猛反発し、この日の授賞式は不穏な空気が漂っていた。上森は大物総会屋といわれ、ロッキード事件でも名前が挙がり、白井解任もそこに遠因があるのではと囁かれていた。

  1部は本年度ベストワンの「青春の殺人者」が上映され、次いで5時30分から表彰式。司会は新編集長の黒井和男氏。最初に上森子鐵社長が挨拶に立つ。 しかし、だれかの大きな咳払いを合図に客席のあちらこちらからヤジと怒号が上森に浴びせ掛けられた。「総会屋!」「読者を無視するな!」「白井さんを出せ!」。

 思わぬハプニングに、上森の声は震え、顔面蒼白。

「これはキネ旬だけの式ではない。日本映画界の重要なイベントだ。キミらに妨害される筋合いはない!」

 さすがに総会屋、大音声で反撃。しかし、ヤジは司会の黒井にも投げられる。「オマエはそんなにまでして編集長になりたいのか!」
  黒井はかつて編集長の白井と「ビアンコ・エ・ネーロ」(白と黒)と呼ばれ、仲良く連載を持った仲。ステージ上に並んで座る受賞者はジッと成り行きを見守っている。原田美枝子はさすがに顔が青ざめている。

 社長の挨拶は怒号でかき消されあえなく降板。次は長谷川和彦監督の挨拶。ひと際大きな拍手が起こる。次いで原田美枝子、水谷豊。「傷だらけの天使」のキャラクターそのままのナイーブな挨拶に場内大拍手。

 脚本家の田村猛氏は「もしも私の同志・大島渚の愛のコリーダが日本映画として受賞対象になったなら、文句なく彼の映画がベストワンに選ばれただろう」と挨拶。満場の喝采を浴びる。
 ※「愛のコリーダ」は配給の関係からフランス映画扱いだった。

 そしてラスト。読者賞を受賞した落合恵子、矢崎泰久、山藤章二の3氏が登場。キネ旬執筆を拒否したはずの3人がなぜ? と思ったらナゾが解けた。矢崎がポケットから小型のテレコを取り出し、スイッチを入れる。すると、「みなさん、日本映画の本当の面白さをご存知ですか…」
 そう、白井佳夫の声。「私が社を辞めた真相。そのことに言及した3人の連載「シネプラ」がボツにされ、辛うじてキネ旬に何かが起こったことを感じ取れるような形で掲載されました。……。それではまた土曜夜10時半にテレビで会いましょう」

  3人がテープをしまい、退出するとあわただしく黒井が閉会宣言。場内が明るくなると、目の前に映画評論家の斎藤正治氏が目を赤くして立っていた。斎藤氏はその後、にっかつロマンポルノ裁判で「ワイセツなぜ悪い」と、大島渚監督と共闘するのだが、病を得て、間もなく他界する。

  これほど荒れた授賞式はかつて見たことがない。読者、執筆者、編集者の三者が同じ夢を見ていた時代。そしてその幸福な時代の終わりを告げるセレモニーでもあった。
青春の殺人者
千代田劇場
1977年2月9日

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