夢の島少女・幻の10分
夢の島少女 佐々木昭一郎氏は映像作家として華々しい戦果をあげている。国内外の赫々(かくかく)たる賞がそれを物語っている。が、「夢の島少女」だけはなぜか無冠である。  

 遡れば、1971年の「マザー」「さすらい」でそれぞれモンテカルロTV祭金賞、芸術祭大賞を受賞しながら3年間の沈黙。そして、74年の「夢の島少女」で復活するものの、76年の「紅い花」まで2年間のブランク。さらに、80年の「四季・ユートピアノ」まで約3年間のブランクを強いられている。

 なぜ、佐々木昭一郎氏は「迫害」されたのか。つい、「迫害」という言葉を使ってしまったが、「紅い花」でエミー賞をとったディレクターがそれから3年の間、ファーストからサードまでのアシスタントディレクターを黙々と務めたことは「迫害」以外のなにものでもないと私は思う。

「お茶汲みなど雑用もこなしました。アシスタントだから当然ですけど……」と本人は回想するが、この間の苦渋はいかほどだったか、想像に難くない。

 この件に関しては、佐々木氏自身ふれてほしくないことだと思うので、「佐々木作品に時代が追いついていなかった」と言うにとどめておきたい。当時のメディアの評論家たちに佐々木作品を評価する器量も先見性も”勇気”もなかったということも確かである。

 ”内外”からの無理解と「攻撃」によって、「夢の島少女」は芸術祭賞で無冠に終わり、海外TV賞への出品を断念する。放送時には10分間のカットも要請された。少年が大人を襲撃するシーン。やや唐突に見えるのも当然で、実はあのシーンの前に、伏線となるべきシーンがあったという。幻の10分間。

 無冠の「夢の島少女」であるが、出品していれば間違いなく、国際的な賞は受賞していたはずなのだ。それを阻んだのは、いつの時代にも暗躍する「政治」と「嫉妬」である。しかし、それらが、時代を超越した佐々木作品の強靭さに敗北するのは必然である。