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平成4年12月12日 最愛の祖母、交通事故で即死。享年71歳。
僕は小さな頃から祖母と祖父と弟と4人暮らしでした。両親は歩いて5分の所に住んでいました。別に特別な理由はありません。両親もいつもばあちゃんちには来てましたけど。
「なぜ、HIROは一緒に親と住んでないと?」
「しらん。けど、たまに泊まりにも行くよ。」
なんて友達と会話してました。今思えば不思議な家族でしたね。
僕のばあちゃんの名前はササ子。身長130センチくらい、口の左下にほくろがあって、色白で肌がつるつる。酒を全然飲めません。酒かすを食べただけで顔が真っ赤になる有り様でした。
僕ら兄弟がまだ小学生の時のこと。朝食で、ばあちゃんはパンを食べながら牛乳を飲んでいました。
飲み出した瞬間、僕と弟が「ぶ〜〜」とか「にょ〜ん」とか言って思いきり変な顔をして笑わせます。いっとき間が開いてから「ぶ〜〜〜」ばあちゃんは思いきりテーブルの上に牛乳を吹き出すのです。テーブルは牛乳まみれ。
「たいがいにせんね、バカんじょうそろってから」(いい加減にせんか、バカばっかり揃ってから。)
と言いながら、牛乳を拭く。暫くしてまた牛乳を飲む・・・・・「ぶ〜〜〜」今度は何も言ってないのに自分で勝手に牛乳を吹き出す始末。
「思い出したろうが」
僕が小学校5年の時、少年野球の悪ガキたち数人で、家の近所のマーくんちの崖を登ったり降りたりしてました。すると僕がちょうど登ろうとした時、古い石で出来た雨樋が落ちてきて、下の大きな溝に僕の足ごとその石樋が挟まりました。
落ちる時に石樋で頭を切ったのでしょうね。僕は頭から血がどんどん出てきてパンツまで血まみれでした。おまけに左足が完全に石樋に挟まれて動くことが出来ません。痛いのなんのって。ワンワン泣いてました。すぐ、事件を聞き付けた近所のおじさん達が二人がかりでその石樋をのけようと力をいれますがびくともしません。頭からの血は凄かったけど、とにかく足が痛かったのを憶えています。
ばあちゃんが現場にやって来たのはそれから5分くらいしてでしょうか。マ−くんのおばちゃんが連絡したのでしょう。「なんしよんね!こんバカが!」そう言っておもむろに石樋を1人で持ち上げだしたんです。
「こんちくちょう!動かんがねー。この!」泣きながらすごい顔で持ち上げてました。顔を真っ赤にして。その時・・・ホントに笑われるかもしれません。嘘だと言われるかもしれません。信じない人は信じなくて結構ですが・・・何と、何と石樋がとても軽くなったんです。僕の気持ちがばあちゃんの姿をみてそうさせたんでしょうか?
本当なんです。
近所のおじさん達は「ばあちゃん、ダメダメ腰が悪くなるだけばい」
そうしてる内におじさんの助っ人が1人と救急隊員が来て大人5人がかりでその石樋を動かしました。
すぐに母親が勤めている町の外科病院に運ばれました。頭を3針。口を3針縫いました。でも最悪だと皆が思っていた足の怪我は運良くすごい青じみが出来ているだけで骨も折れてませんでした。家に帰ってからばあちゃんが言いました。「このバカ、わたしが持ち上げたら泣き止んだわ」。知っていたんです。石が軽くなったことを。
生まれて初めて「火事場のクソ力」と言うのを肌で体感しました。
僕が中学の時、ばあちゃんと大げんかしました。原因は些細な事だと思いますが、僕はその頃、たぶんばあちゃんをナメていたのかな。汚い暴言を吐き、ばあちゃんを泣かせました。その後も物にあたり散らかして自分の部屋に閉じこもりました。僕も悪いとは思いながら謝るような事はしませんでした。すると1時間程してばあちゃんが僕の部屋に入って来て温かいココアを持ってきてくれました。「飲んで寝なさい。」それだけ言って1階におりて行こうとしました。
急に自分が恥ずかしくなってきて「さっきは・・ごめん」と小さい声で言ってしまいました。するとばあちゃんはニコッとして「この極つぶしが!」とだけ言って降りていきました。
高校になってMakiと付き合い出して初めて女の子を家に連れてきました。ばあちゃんにも紹介しました。
HIRO 「今、付き合いよう人。Maki」
Maki 「初めまして」
ばあちゃん 「わがままやろ〜この極つぶしは」(口癖だった)
Maki 「ははは、ちょっとだけ・・」などと話しながら初対面の日は終った。
ばあちゃんは毎朝散歩をしていた。朝5時に起きて6時くらいから一時間くらい。いつも決まったコースを歩く。小学校のまわりを廻って市場の中を通り、酒屋の横を通って帰ってくる。朝食の時は決まって「あ〜気持ちええー。今朝も歩いてきたよ」が口癖でした。
優しくて邪念の一切ない、たまに口は悪いけど、僕からみても完璧な方でした。小学校の時は戦争時代の話やじいちゃんと結婚してからの苦労話など耳にたこができるくらい聞かされたもんです。
僕が高校3年になったある日の日曜日。僕は今までやったことも無いのに試験勉強をやりに友達の学生寮に行きました。ばあちゃんに「ほな、行って来るわ」「ホント勉強するんじゃろねー」「当たり前やろ」とたわいのない会話をして。それが朝の10時くらいでした。それから友達が10時10分に僕の家に電話しました。
友達 「HIRO君、もう家をでました?」
ばあちゃん 「さっき出ましたよ。」
この言葉がばあちゃんの最後の言葉となった。
その後、買い物に出かけたばあちゃんは、八百屋の少し手前のいつもの散歩のコースである酒屋の前で、信号が青になったのを確認して横断歩道を渡りました。そこは見晴らしの悪い三叉路。背の小さなばあちゃんが見えなかったのだろうか?信号は確かにどちらも青。後でばあちゃんの後ろで信号待ちをしていた女性の方が一部始終を見ていて震えながら警察に証言してくれました。
相手は10tトラック。ばあちゃんをひいた後もしばらく気付かずに30メートルくらい引きずっていったらしい。内臓破裂で即死・・・そのまま引きずられた・・・。いま、書いていてもつらい。涙が出て来そうだよ・・・でも、交通事故の悲惨さを伝えたいから最後まで書こう。
僕がそれを知ったのは何とそれから4時間もたった後だった。友達の車で送ってもらって家の玄関をみると「忌中」の2文字・・・一瞬頭が真っ白になった。家の中では大声で泣き声がする。僕は震えながらドアを開けた。すると母親が「どこ行っとったんね。電話もせんでから!ばあちゃんが死んだんよ。」と言って泣き崩れた。奥を見るとMakiも両親と来ていた。TVのニュースをみて来たらしい。「なんしよったと〜」とMakiも大泣きする。
僕は足が震えるのを堪えながら棺の中のばあちゃんの顔を覗いた。「ほんと、ばあちゃんだ」横で弟が狂ったように泣いてる。何故か、涙が出なかった。僕はふらふらと自分の部屋に戻った。部屋でだんだんと正気に戻り出した時、部屋にMakiが入って来た。立ったまんま声を殺して泣いている。僕はMakiにしがみつき大声を上げて泣いた。泣いた。泣いた。そしてとても悔しかった。
その晩はばあちゃんの棺の中の顔を撫でながらみんなで泣きました。顔が冷たいから余計に涙が止まりません。ロウソクの火が消えないようにみんなで変わり交代でばあちゃんの守をしました。じいちゃんもずっと起きてました。
次の日、葬式にばあちゃんをひいたトラックの運転手が奥さんと参列しました。顔をみると訳分からなくなりそうだったので下を向いてました。運転手は足を震わせながら線香をあげて「本当に申し訳ありませんでした。」と土下座をしました。ばあちゃんが悪くないだけに親戚の者は声のかけようがありませんでしたが、母親は「来て頂いてどうもありがとうございました。」と泣きながら言った。
僕が家族代表で殴る役をすればいいのかと本気でその時は思ってました。僕達兄弟には母親同然でしたから。まだ気持ちも子供だったし。でも、夫婦そろって泣きながら土下座をしてその頭をタタミから離そうとはしませんでした。その姿をみると、皆、何も言えませんでした。
葬式の次の日、刑事さんから事情聴取をされました。ばあちゃんが着ていた衣類を黒いビニール袋に入れて持って来ました。「本人の物か確かめてください。」と刑事さん。「私は見きらん。」と母親。親父も黙っています。弟もむこう向いてます。「HIRO、確認してくれんね」と母親。事故の内容を聞いていたからそれを確認するっていうのがどう言う事かすぐに分かりました。中を見て愕然としました。
これは公開しているHPですからここだけは省略します。やっとの事でポケットの中から財布を出して、中のレシートとかをだしました。身内にこんな事させるなんて酷な話でした。みんな涙がボロボロとでました。その服はまだばあちゃんのいつもの匂いが残っていました。
その時に刑事さんに聞いたんですが、加害者の運転手は25年間無事故無違反だったようです。四十九日も一周忌も運転手は夫婦そろってお参りにきました。一周忌の時は加害者の旦那さんは病気をしたらしく杖をついて、顔も別人のように痩せていました。その時になってやっと気付いたんです。交通死亡事故とはどちらもが被害者なのではないかと。もう、年月がたったから言える言葉かもしれません。
運転手も家庭があり、妻がいて、子供がいて、会社があって。平和に暮らしていました。事故を起こすまでは。それが本当にたった一回の事故でこんなに生活が変わってしまう。恐らく心労からであろう病気までして。70歳のばあちゃんと現役の運転手。命の重さに変わりはないが、僕は今、ばあちゃんより運転手の方が不憫に思う。自分も家族を持ち、子供を持った今、本当にそう思う。だってばあちゃんは幸せの中で死んでいったから。それも一瞬で。
みなさんにこんな湿っぽい話をしたのは、誰にでも起こりうる交通事故。これをバカにしないでほしいと思って書きました。
高速道路で車やバイクをかっ飛ばす。暗がりの雨の中、スピードを出す。僕も必ず経験のある事。けれど、交通事故を起こす方、起こされる方、どちらも人生が変わります。交通事故に加害者はいません。どちらも被害者だと思います。
追伸 ばあちゃん
ずっと書きたかったこのページ。やっと書きました。元気にしてますか?突然いなくなってびっくりしましたよ。Makiとはまだうまくいってます。亡くなった前の夜、Makiと僕とばあちゃんとじいちゃんの4人で食べたおでん、いまでも思い出します。また、逢いたいですね。ばあちゃん♪
(2000年11月更新分) |