洗心寺沿革


坊 守 開山上人


五十周年を顧みて
   
   昭和十三年十一月十三日、洗心寺は開山玉置哲浄上人によって、現在の大阪市東成区
      大今里南1−7−9に建立されました。開山上人は新西国観音霊場第二十番札所、立
      木山の高弟で、当時の厳しい修行の後、早朝より毎日決まった時間に托鉢され、大阪
      に出て当寺を開き、道心堅固、求道の情熱に燃える青年僧の姿は、往時を物語る人々
      の胸に深く刻み込まれて、今でも昔話の一つになっています。

      信者は次第に増え、万事行き届いた教化は新しい創意工夫に満ち、万人の認めるとこ
      ろとなりました。第二次大戦の戦火は免れましたが、度重なる激務に年若く四十歳に
      して、ついに病に倒れ歩行困難な身と成られました。

      洗心寺は開山上人の一建立で、境内地は僅か百坪余りでしたが、現在では長い伝統の
      由緒ある大阪市内二百ヶ寺の寺院に互して、准別格の堂々たる寺格を得て活躍できる
      ようになりました。開山上人は、浄土一宗への数々の功績により、「僧正」の位を贈ら
      れ浄土宗門の僧侶として得がたい名誉を与えられました。

      時は流れ、寄る年波と病には如何ともし難く後継者に恵まれず、寺門の興隆も危機に
      陥り将来の展望も盛者必衰の理の如く、関係者一同の心配する所となりました。幸い、
      開山上人修行の地、立木さんの近く、前に住職を勤められた前住地の浄光寺より青年
      僧を後継者に迎えました。現住職第四世清譽俊明上人です。

      若さと教化に対する持ち前の行動力は檀信徒始め有縁の方々の信頼を集め物心両面に
      の渡る多くの協力者も現れ、大阪教区寺院内の役職もご奉仕するなど大変忙しい毎日
      です。昭和五十三年度には大阪教区五百ヶ寺の中より選抜されて京都知恩院法然上人
      御忌法要の御導師を務められ、重ねて昭和五十五年度の唱導師と、一躍洗心寺の名は
      広く知られるようになりました。それ以来知恩院のおてつぎ信行奉仕団、成人式、
      八十歳高齢者招待、夏のおてつぎ子供奉仕団などの行事に参加するようになりました。

      毎月第二土曜日午後七時からの「洗心修養会」も定着し、本年第十七回目を迎える「お
      寺で祝う七五三」の行事も近隣の方々から人気を博しています。また、その後、新たに
      寺務所大仏殿、第一駐車場、第二駐車場、庫裏の拡張等を行う事が出来ました。
      これ一重に、日ごろ檀信徒皆様方のご支援ご協力の賜物と深く感謝致しております。
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