私たちは毎日、阿弥陀様やご先祖様を拝むとき必ず合掌礼拝をします。どうして合掌
なのでしょう。合掌するということは、阿弥陀様やご先祖さまを心から敬い、正しい
人間であるとともに、幸せな日々が過せるようにお願いするという気持ちを表すもの
です。合掌の仕方は、左右の掌(手のひら)と十本の指を揃えて伸ばし指と指の間は
離さずにピッタと合わせます。自然に素直に両手を合わせると、手首がみぞおちのあ
たりにくるものです。昔から右の手は阿弥陀さま、左の手は凡夫を表し合掌する事に
よって、阿弥陀さまと私たちが1つになるといわれているのです。この両掌を合わせ
る合掌は、元々仏教の発祥の地であるインドの礼法なのです。インドの人々は右手を
清浄、左手を不浄として使い分け両手を合わせる事によって人間の中に有る浄と不浄
を超えた真実の心が現れると信じられてきたのです。他に右掌は悟りの世界を表し、
左掌は迷いの世界を表すとも云われています。
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「右ほとけ 左われぞと 合わす手の 中ぞゆかしき 南無の一声」 |
と云う歌が有ります。合掌する姿こそ、阿弥陀さまに帰依し救われる姿であるといえ
ます。ですから合掌は平和の象徴でもあるといえるでしょう。また、両掌のしわを合
わせる事から幸せの表象だとも云われます。合掌は仏の姿を表す一つのサインです。
仏像の中には、合掌している姿のものも多く有ります。 仏像や仏画は偶像では有り
ません。お釈迦様がお悟りになられた純粋な人間性の象徴なのです。 今から約二千
五百年も前の大昔にお釈迦様は、この純粋な人間性を自分だけではなく、誰でも必ず
持っているものであり、ただそれに気づかないだけだという事実を発見されました。
この純粋な人間性を仏性(仏の心)というのです。たとえどんな人間であっても、こ
の純粋な人間性つまり仏性が秘められているのですから、それを拝みなさいと私たち
にお教えになられているのです。自分のなかに秘められている純粋な人間性を自覚し
阿弥陀さまやご先祖様を敬い合掌礼拝することが本当の救いであり、心の安らぎであ
るように思います。浄土宗は、私たちが阿弥陀さまを拝むとともに、それ以前から阿
弥陀さまが私たちを拝んでいて下さる宗派なのです。
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