「本当はあたしが……。」 作:セル



 ――バンッ!

 激しく叩きつけられたような、耳の奥にまで重く響く荒々しい音。

 彼はあたしの目の前からいなくなった。――消えてしまった。

 すぐさまあたしは捻った足を引きずり、駆け寄った。

「ねェ、どうしてッ!」

 あたしは半ば叫ぶようにして呼び掛ける。しかし、返ってくるのは微かなうめき声だけ。

 ねぇ、どうして返事もしてくれないの? 酷いよ……こんなの酷すぎる。

 あたしは運命を呪った。

 それはあたしの不注意から起きた事故。

 なんで彼が……。

 転んでしまったせい……あたしが転んでしまったせいで彼が……。

 あの時の彼は速かった。とても速く、あたしを……なんでそんなことを!

 悔やんでも悔やみきれない。恨んでも恨みきれない。その想いだけがあたしの心を支配する。

「どうして先にいってしまうのッ!?」

 こらえきれずに込み上げてくる。奥歯を噛み締め我慢するが、涙は溢れてくる。あたしはただその場に座り込むことしか出来ない。彼は目の前にいるはずなのに、とても遠く、あたしには届かない遠い場所にいるような気がしてくる。

 ああ、あたしは無力だ……。

 あたしには何の力もない。時間を戻す力もなければ、彼を動かす力もない。何も出来ないただの人間だ。

 そうであることが普通なのに、今のあたしはただの人間であることを恨んでさえいた。

 ――でも、そんなこと考えていても仕方がない。

 あたしは思い直した。

 だってそうじゃないか。いくら悔やんだところでどうにもならない。そんなことは分かってる。なら、出来ることをしよう。無力なあたしでも、出来ることはあるはずだから。

 今のあたしに出来ること……それは彼に呼び掛けることぐらい。あたしでもそれくらいなら出来るのだ。それで、もしかしたら最悪の事態を免れるかもしれない!

 最後の力を振り絞って、あたしは叫んだ。









「早く出てよッ! 漏れちゃうよォッ!」

 彼のトイレはとんでもなく長いのだった。







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