魔術師は言った。この世を私の極楽京、酒池肉林の地にしてやる、と。

 そして魔術師はその下準備を始めたのだ。


 ――全人類女性化計画を。



「恋する男と魔術師の夢。」作:セル



 魔術師はある男を見ていた。

 その男の名を圭介という。容姿も半ばほど、強いて言うならぱっとしない、といった印象を受けるただの高校生だ。

 圭介は魔術師の視線に気づくことも無く、ただ空を仰いでいた。

「ああ、真奈美ちゃんに会いたいなあ」

 まるで空には恋しい人がいるかのように、虚ろな視線で空に浮かぶ雲を眺め呟く。

 魔術師は男を見ていた。

 男を――圭介を知っていた。

 魔術師は知っている。圭介が真奈美に恋をしていることを。

 人の心を読む力があった。――否、人の願いを見る力があった。

 ――そして、叶える力もあった。

 圭介を眺めているだけだった魔術師はゆらりと揺れ、すぅと空気に溶けるようにしてその場を去っていった。









 圭介はある女を見ていた。

 その女の名を真奈美という。容姿端麗、人当たりが良く、欠点など何一つ見当たらない。そう圭介は思っている。

 圭介はいつも真奈美を見ていた。大好きだった。真奈美のためなら何でも出来る。そう断言できるほど、圭介は真奈美に惚れ込んでいた。

 それはある日のことだった。

 圭介がいつものように真奈美のことを思い浮かべながらベッドに寝転がり、自分の部屋の天井を眺めていた。

 圭介は、この時間が好きだった。真奈美を見ている時間の次ぐらいに。

 誰にも邪魔されない。誰も入り込むことの無い自分の世界で、自分だけの真奈美を思い描くことが出来る。

 真奈美が話しかけてくる。真奈美が笑いかけてくる。それを想像するだけで圭介の胸はいっぱいになり、幸せになれる。

 そんな幸せな時間を邪魔する異変が起きた。天井が揺れ始めたのだ。

 圭介は、初め地震だと思った。しかし地震の揺れとは明らかに違ったのだ。

 ――揺れているのは圭介の視界だった。

 眩暈ではない。視界だけが揺れに揺れ、しかし圭介は「揺れている」としか思えない光景。揺れる、ということ以外、何の影響も無い。

 ぐらぐらと絶え間無い揺れがおさまった後、ふっ、と圭介の意識は落ちていった。









 魔術師は圭介の願いを叶えた。

 圭介が思い描いていた願望――真奈美を自分だけのものにすることだった。

 独占欲。正にそれだった。

 誰一人として真奈美に触れさせたくない――触れさせない。真奈美は僕だけのものだ。他の誰でもない。僕だけのものだ。

 魔術師は圭介の欲望を、ありのままに感受していた。

 ――だから叶えてやったのだ。真奈美を誰にも触れさせないよう、他の誰のものにもしないよう、圭介を――真奈美にしてやった。

 真奈美は圭介のものになった。

 圭介は真奈美になった。

 魔術師は、圭介の願いを叶えた。









 確かに願っていた。

 圭介は、確かに真奈美を自分のものにしたかった。自分だけものにしたかった。

 ――その願いは叶った。自分が真奈美になることによって。

 初め、圭介は驚いていた。当然の反応だった。

 慌てふためき、周りの視線など気にせず、確かめるかのように胸を揉んだ。股間をまたさぐった。

 完全に真奈美のものだった。――否、真奈美のものだという確証は無かったが、傍にあったショーウィンドウに映る自分の姿を見て確信したのだ。

 自分は真奈美になったのだと。

 確かに圭介は願っていた。

 自分の部屋で、自分だけの世界で真奈美を独り占めしているとき、現実でも独り占めしたいと思った。

 しかし、これでは……。

 突然起きた異様な状況に、圭介はただ状況を把握するので精一杯だった。

 圭介の傍にいた――否、傍に現れた魔術師はくすりと口元を歪め、圭介に優しく語りかけた。

「こんにちは、お嬢さん」









 真に通る、まるで脳に直接送り込まれているのではないとか錯覚してしまいそうな声だった。

 しかし、そんな魔術師の言葉なんて圭介は聞いていなかった。――聞こうとさえしていなかった。

 圭介の思考は、自然と口に漏れていた。

「何故……何故こんなことに!?」

 魔術師はその言葉に戸惑った。こんなこと、一度たりともありえなかったからだ。

「何故……何故……!」

 既に真奈美と化した圭介の声は高く、そして真奈美特有の透き通りような美声だった。

 圭介は傍に立っていた魔術師に気づき――原因を悟ったかのように魔術師にずんずんと近づいた。

「お前だろ、僕を真奈美ちゃんにしてしまったのは!」

「あ、ああ……」

 魔術師は驚いた。こんな風に魔術師に詰め寄る人間なんて、初めてだった。

 今までの人間は魔術師に恋をしてしまうだけだった。

 魔術師の力によって“間接的にでも”願いを叶えてもらったものは、皆魔術師に恋をする。魔術師の魔力にはそんな力があった。

 ――しかし、この圭介は違った。こうして魔術師を真に見据えているのに、恋をするどころかむしろ怒りをあらわにしていた。

 そんな……願いを叶えた人間は私に惚れるはずでは……。もしかして、こいつには私の魔法が……。

「まさか私が読み違えたとでも言うのか!?」

 失敗など信じられない。今まで何百という人間を――男を女に変え、惚れさせてきたのだ。こんなこと、ありえない!

 魔術師は興奮していた。

 圭介も興奮していた。

「ふざけるな! 元に戻せ!」

 ずん、と圭介は魔術師に詰め寄り、胸倉を掴んだ。圭介の――真奈美の細い指が魔術師に威圧感を与える。

 そんな……そんなはずでは……!

 混乱する魔術師に向け、圭介は大声で言い放った。


「どうして妹の三波ちゃんじゃないんだ!?」


 ……は?

「どうして妹の三波ちゃんではなく、姉の真奈美ちゃんに……これでは真奈美ちゃんを僕のものにする意味が無いではないか! 僕が欲しかったのは真奈美ちゃんの体ではない、真奈美ちゃん自身だ! 故に僕がなりたかったのは三波ちゃん! 真奈美ちゃんの妹である彼女になれれば僕は真奈美ちゃんに近づける! そして妹という立場で甘えに甘えて、いずれは真奈美ちゃんと百合でレズなラブラブの関係に……なのに……なのにお前は!!」

 圭介は酷く興奮していた。

 魔術師は酷く冷めていた。

「ああ、もう! どうしてくれる! 何でお前は僕の願いを読み違えた! ああ! どうせなら悪魔にでも魂を売って叶えてもらうべきだった! これでは真奈美ちゃんが僕のものにならないではないか! ええい、こうなれば今からでも悪魔召喚術を勉強して……」

 蔑む圭介は恐ろしく顔を真っ赤にしていた。

 蔑まれる魔術師は恐ろしく引いていた。

「…………いや、でも待てよ? 真奈美ちゃんになれたってことは、僕は今三波ちゃんの姉ということだ。当然三波ちゃんは真奈美ちゃんの妹。つまり同じ血を引いてるわけで……ふふ、そうか。君は僕に未来系でチャンスをくれたんだね! 同じ血を引いている三波ちゃんはいずれ真奈美ちゃんのように美人になる。僕の理想の人になる。三波ちゃんはまだ子供だ。だから今のうちに姉の立場を利用して躾けておけば……ぐふふふ。これはなかなか百合でレズなラブラブの関係に……ぐふふふふふふふふ」

 そして“願いの叶った”圭介はニヤけた笑みを恍惚とした表情に変え、魔術師を惚れ惚れと見た。

「魔術師さまぁ〜♡」




 圭介が元の体に戻り、魔術師が次のターゲットに狙いを変えたのはそれからすぐのことだった。


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