「A Child 〜夏の出来事〜」作:セル



※注意。この作品は天才ビット君という番組に投稿した作品です。番組を知らなくても読めますが、知っているとより楽しめると思われますので、ご注意ください。

 僕はセイコー。

 十二歳。まだ小学六年生。もうすぐ中学校に上がることになるけど、今は小学校の生活を悠々自適に楽しんでいる。

 突拍子に申し訳ないけど、今、僕は苦しいんだ。どうしても。

 自分じゃどうにも出来ないんだ。あの娘を見ると、苦しくて。苦しくて。

 その娘は、僕と同じクラス。席は、僕の席より二つ前の右斜め。その延長上に黒板があるから、どうしてもその娘が僕の視界の中に入ってしまう。

 何でだろう。僕はその娘を見ると苦しくなるんだ。

 何でだろう。僕はその娘を見ると嬉しくなるんだ。

 何でだろう。僕はその娘を見ると楽しくなるんだ。

 不思議で、苦しくて、嬉しくて、楽しくて。

 そんな曖昧な毎日を過ごすのが、僕にとって当たり前になっていたんだ。

 毎日その娘を見て、一喜一憂して。授業を受けるのさえ楽しくなってきて。

 そんなある日だった。

「あのね」

 その娘は言った。

 突然、屋上に呼び出されたんだ。

 四時間目、机から教科書を出そうとしたら、手紙が入ってた。

『昼休み、屋上で待ってます。セリナより』

 その娘――セリナちゃんからの手紙だった。

 僕は心を踊らせた。だって、屋上に呼び出すなんて、告白しかないじゃないか。

 そうに決まってる。

 授業中、集中出来るはずなんてなかった。

 ワクワクしながら授業を終え、セリナちゃんが教室から出て行ったのを見て、僕もその後を追った。

 屋上の隅。掃除がちゃんとされていなくて、土ぼこりが溜まっていた。

 そこで、僕たちは向き合っていた。

 セリナちゃんがフェンス側。僕が内側。

 夏の太陽に熱された、肺が焼けるような熱さの風さえも僕をワクワクさせた。

 僕は、セリナちゃんが続けるのを待った。

 どれくらい経ったか分からない。ついにセリナちゃんが口を開いた。が、それは僕の予想を裏切るものだった。

「セイコーくん、もうやめて」

「えっ……」

 僕は思わず聞き返した。

「あたし、知ってるんだよ? セイコーくんがあたしのこと、好きなの」

 好き……。そう、好きだったんだ。

 僕は、初めて分かった。

 そう、この気持ち。僕は、僕はセリナちゃんのことが好きだったんだ。

 あんなに苦しいのも、あんなに嬉しいのも、あんなに楽しいのも。全部、全部セリナちゃんのことが好きだったからなんだ。

 やっと分かった。嬉しかった。しかも、それを教えてくれたのがセリナちゃんだと思うと、より嬉しくなった。

 でも、セリナちゃんは、とても悲しい目をしていた。

 何で? 僕が、セリナちゃんのことが好きで。セリナちゃんも告白してくれるんだよね? だったら、何で?

 セリナちゃんは、俯きながら続けた。

「だからね、セイコーくん、やめてほしいの。あたしのことを好きになるの」

「………………?」

 僕は、何も返せなかった。

 言葉の意味は、分かった、と思う。でも、でも、それを受け付けてはくれなかった。

 やめて…………何を?

 好き…………うん。

 やめて…………だから何を?

 好きになるのを…………そうか。

 そうか。セリナちゃんは僕が嫌いで。僕はセリナちゃんのことが好きだけど、でも、セリナちゃんは嫌いで。

 そうか、そうか。僕、迷惑だったんだ。

「ごめんね、セリナちゃん」

 考えるのと同時に、口に出していた。

「僕、迷惑だったんだね……」

 ぐっと、強くズボンを握った。

 セリナちゃんは黙ってる。

「僕、嫌われてたんだね……」

 指が、壊れそうなくらいに、強く握った。

 まだ、セリナちゃんは黙ってる。

「僕……ごめんね……っ」

 もう、我慢出来なかった。

 僕は、駆け出していた。

 どこへ行くでもなく。どこに向かうでもなく。ただ、あそこから逃げたかった。

 ただ、涙を見せちゃうと、また、嫌われるからって。





 あの日から、もう一ヶ月が経った。

 僕は、もう落ち着けていた。

 初めは辛くて、苦しくて、嫌で嫌で。学校にも来たくなかった。でも、もう少しで夏休みだからって、僕は頑張ってた。

 ついに、夏休みが来た。

 友達と一緒にプールに入ったり、虫を捕まえに森に行ったり、川で魚釣りをしたり。

 楽しかった。

 嫌な思い出は、もう薄れた。辛くない、って言ったら嘘になるけど、でも、楽にはなってきた。

 そんなある日。友達と山に入ったときのこと。

「あれ!」

 友達が叫ぶようにして言った。

 どこかを指差している。僕は、その指の先を目で追った。

 そこにあった――いや、いたのは人だった。

 白いワンピースを着た、僕と同い年くらいの少女。その少女が道端に、うつ伏せに倒れていたんだ。

 ヤバイ――! 僕たちは直感的にそう感じた。

 僕たちは慌てて駆け寄った。

 意識があるかどうか確かめるため、僕はその少女の身体を揺すった。

「大丈夫っ?」

 声もかける。

 友達は携帯電話で救急車を呼んでいた。たまたま電波があったから良かった。

 僕はもう一声かける。

「大丈夫っ?」

 大きく揺する。

「うっ……」

 少女が呻いた。

 良かった。どうやら生きてはいるみたい。ほっと胸を撫で下ろした。

 でも、まだ安心していい状況ではなかった。

 この間学校で習ったばっかりだけど、たしか、真夏の炎天下の中にいると日射病とか熱射病になるらしい。身体の水分が奪われて、時には命さえも奪う可能性もある。

 僕は、急いで腰にぶら下げていた水筒から水を飲ませようと、少女を仰向けにした。

 ――セリナちゃんだった。

 何でセリナちゃんがここにいるんだ? 何でセリナちゃんがここで倒れてるんだ? 何で――

 いや、そんな場合じゃない。事は一刻を争った。

 僕は、水筒を傾けて水の飲ませる。しっかり、とはいかないけど、少しずつ飲んでくれた。

 時折、「お父さん……」と呟いていた。

 それから救急隊員さんが来たのは、すぐだった。





 ぴーぴーと、雀の鳴き声が聞こえる。

 視界は真っ暗だ。いや、目を閉じているんだ。

 僕はゆっくり目を開ける。朝の日差しが眩しい。

 ここはどこだ……? 白い壁に、白い天井。白い机に、白いベッド。そこに寝てるのは、パジャマを着たセリナちゃん……?

 あ、そうだ。確かセリナちゃんを病院まで送って、なんとかセリナちゃんは助かったんだ。

 でも、僕はセリナちゃんの傍を離れようとはしないで、お医者さんや友達の反対を押し切って看病してたんだっけ。

 自分がパイプ椅子に座っていることを確認する。長い間座っていたせいか、腰が痛くなっていた。

 伸びをしようと顔を上げたら、セリナちゃんは上半身を起こし、僕を見ていた。

「わ、ご、ごめんっ……」

 そうだ。僕はセリナちゃんに嫌われてたんだ。なのに、僕は無理やりセリナちゃんの看病をしちゃって……。

「ごめん、セリナちゃん……」

 もう一度謝った。

 ああ、何でこんな迷惑なことをしてしまったんだろう、僕は……。セリナちゃんは、僕のことが嫌いなのに。

 でも返ってきたのは、セリナちゃんの苦笑だった。

「セイコーくん、変。なんで看病してくれた人が謝るの?」

「そ、そうだけど……」

 だけど、嫌いな人に看病してもらったりしたら気分が悪いだろう。

 そのことを伝える前に、セリナちゃんが続けた。

「謝るのは、あたしの方だよ……。あんな酷いこと言ったのに、セイコーくんはここまでしてくれて……」

 ごめんね、とセリナちゃんは謝った。

「べ、別に当然のことだし、それに嫌いな人に――」

 看病されて嫌だよね、と言おうとしたけど、またセリナちゃんが言葉を遮った。

「別に、セイコーくんは嫌いじゃないよ?」

「えっ……」

 僕は思わず聞き返した。

 嫌い、じゃないの? えっ……でも、この間の屋上の話は……?

 いろいろな疑問が僕の頭の中を駆け巡った。でも、その結論が出る前にセリナちゃんが続けた。

「あたしね……」

 セリナちゃんは顔を俯け、呟くようにして話し始めた。

「お父さんに、お母さんに嫌われてるんだ……」

 今にも消え入りそうで、本当に肩に触れただけでも消えてしまいそうに、セリナちゃんがか弱く見えた。

 小さく肩をすぼめ、シーツを握り締めている。

「お父さん、お母さん、あたしのことが嫌いで、嫌いで……もう産まなきゃよかった、だって。いっそ死んでくれればいいのに、だって。言われちゃった。お父さんは、仕事で疲れて帰ってくると、あたしを殴って、楽になるの。お母さんは、ご近所付き合いで疲れると、あたしを殴って、楽になるの。それでね、昨日は山の中に置いていかれたの」

「そんなの酷いよっ」

 僕は思わず声を大きくした。

 それに驚いたのか、セリナちゃんが僕を見た。その目には、涙が流れていた。

「でもね、」

 セリナちゃんはまた顔を俯ける。

「仕様がないと、思うんだ……。あたし、駄目な娘だから……。いなくても、いい娘だから……」

 セリナちゃんは、より一層シーツを強く握り締めた。

「お父さんたち、来なかったでしょ?」

「うん……」

 僕は頷いた。

「あたし、嫌われてるから……」

 握り締めていたシーツに、二つのシミが広がった。それが三つ、四つに増えていく。

 セリナちゃんは、苦しんでるんだ。僕が感じた、好きになった苦しみよりも、ずっと、ずっと辛い苦しみに。嬉しくも、楽しくもなれない苦しみに。

 僕の苦しみとは、比べ物にならないくらいの苦しみだったんだ。

「親にさえ嫌われてるあたしなんか、好きになってもらう資格なんて、ないの。セイコーくんがあたしのことを好きだって分かったとき、とっても嬉しかったんだ。でも、それじゃいけない、って思ったの」

 セリナちゃんは、僕を見た。

「愛されちゃいけない人は、どんな人にも愛されちゃいけないんだって……」

 綺麗な顔で。僕が好きになった顔で。その顔には涙が溢れていて。とても、目を合わせてなんかいられなかった。顔を俯けた。

 セリナちゃんの、嗚咽の混じった弱々しい声だけが聞こえる。

「セイコーくん、ごめんねっ。愛されちゃいけないあたしを、好きになっちゃったばっかりにっ、辛い目に遭わせちゃってっ……」

「そんなことないっ!」

 僕は叫ぶようにして言った。声は、裏返ってた。

 膝の上で拳を握り締め、自分でも可笑しいくらいに震えていた。でも、そんなことに構っていられなかった。

「そんなことないよ! 愛されちゃいけない人なんて、いるわけない!」

 僕もセリナちゃんを真っ直ぐ見る。

 涙で、視界が歪んだ。

「愛されちゃいけない人でも、僕がその人を好きになった! だから、愛されちゃいけないなんて、ことは絶対ない!」

「変だよ、セイコーくん……」

「変でもいいっ!」

 自分でも耳が痛くなるくらいに、叫んだ。白い部屋に、僕の声が響き渡る。

 セリナちゃんが愛されちゃいけないってことなんて、絶対にないんだ!

 本当は、愛されてもいいはずなんだ!

 たまたまセリナちゃんの両親が、そう言っただけなんだ!

 違う違う違う違う!

 セリナちゃんの言ってることは、全部違う!!

「僕はセリナちゃんが好きなんだ! だから、それがいけないなんてことはないんだ!」

 一瞬、セリナちゃんの顔が歪んだ。次の瞬間には、セリナちゃんは声を上げて泣き出した。

 僕もつられて泣いた。

 どれくらい経ったか、セリナちゃんが話し始めた。

「じゃあ、セイコーくん、お願いしてもいい?」

 僕は、無言で頷いた。

「あたしみたいに、嫌われる人のいない世界を創って。誰もが同じに、誰もが愛されて、誰もが尊重される。決して、嫌われない世界を創って欲しいの」

 セリナちゃんみたいに、苦しむ人のいない世界。

 一体、どんな世界がセリナちゃんの理想に近づけるか分からない。でも、それでも――

「僕、頑張るよ」

 大きく、頷いた。







 それからしばらく。

 セリナちゃんの両親は、虐待の罪で警察に捕まった。病院でセリナちゃんの身体を検査したときに、あちこちからあざが見つかったらしい。

 そして、セリナちゃんは施設に送られた。

 親戚も、両親に親しかった友人もいなかったセリナちゃんは施設に引き取られることになったのだ。

 もちろん、僕はそれに反対した。

 施設に送るくらいなら、僕と一緒に暮らそう、と。

 でも、それは叶うことはなかった。

 うちは兄弟が多くて一緒に暮らせるほどの余裕なんてないし、僕はまだ小学生だから二人でなんて暮らせない。

 泣く泣く諦めたけど、話を聞けば、施設の人たちはとても明るくて楽しい人たちだという。それなら良かった。

 引越しの前日、僕たちは何も話せなかったけど、でも、お互いにニッコリ笑い合えた。

 寂しくない、って言ったら嘘になるけど、でも、セリナちゃんが楽になったみたいで、良かった。

 あの日からしばらく経つけど、未だに僕はセリナちゃんの理想の世界を、どう創ったらいいかなんて分からない。

 どうすればみんなが幸せになれて、嫌われる人がいなくて、愛される世界を創れるのか。

 とてもじゃないけど、思いつかなかった。

 でも、その方法なら見つけた――

「ここが、ビットランドか……」

 そう、このビットランドでみんなと創っていけばいいんだ。

 僕の思いつかなかったアイディアを、みんなで一緒に考えて、よりよい世界を創っていける。



 そう、セリナちゃんが目指した世界に近づけるんだ――


戻る