――ここは、どこだ?

 何もない空間。何も存在がなく、故に存在が大きい世界。

 ふわふわと、浮いてることさえ忘れるような、俺の存在。

 そこには俺しか存在せず、故に俺は浮いている。

 世界は――白。

 世界は――黒。

 思えばどんな色にでも見えてくる。故に無。

 俺には肉体がなく、故に浮いている。

 ――嗚呼、俺、死んだんだな。

 予感ではない、確証。

 何もしなくても時間が過ぎ、何かしても時間が過ぎない世界。

 無と有が交差し、故に生まれるものなど何もない。

 俺は、ただ浮いていた。



「記憶」作:セル



 気が付くと、世界は黒かった。

 曖昧な、変わる黒ではない。どんなに意識しても、黒は黒で、故に何も見えなかった。

 それが目を閉じてることに気が付くと、すぐさま目を開く。差し込んできた眩いだけの光に顔をしかめながら、俺は状況を整理する。

 俺は死んだ。そう、死んだ。故に無空間にいたはずなのに、なぜこうして光を感じている?

 意識が途切れたわけでもなく、かといって覚えてるわけでもなく、俺は突然光を与えられた。……しかし、生きている感じはしない。

 ――体が軽い。

 いや、軽いなんてものじゃない。重さ、そのものを感じない軽さ。故に無。

 なんなんだ……?

「ふむ、やっと終わったわい」

 まだ眩しい光の中に、ふと、年老いた男の声が前方から聞こえてきた。

「あわわ……ご、ごめんなさいっ」

 また、同じ前方から女――いや、少女の声が聞こえる。この二人でなにやら話しているようだ。

「まったく。どうして“パートナー候補”を呼び出すだけでここまで……」

「すいませんっ、すいませんっ! 私が不出来なばっかりに……」

「そんなことなど、もうよいわ。とっとと“契約”を済ませるのじゃ」

「は、はいっ!」

 “契約”……?

 そんな俺の疑問を他所に、コツコツと足音が俺に迫ってくる。

「あ、あの……」

 どうやら少女が俺に話しかけているようだ。おどおどしているのは、緊張しているからか?

「わ、私のぱ、パートナーになってくださいっ」

 光の中に、いつの間にか手があった。白く、細い手。少しでも力の入れ方を間違えたらポッキリといってしまいそうな、そんな脆い手。それが、俺に向かって差し出されている。

 光しか感じない俺の視界に、突然“出てきた”手。しかし、その手に俺は驚きはしなかった。むしろ、それを見て安堵さえしている。

 理由は分からない。でも、不思議と心がポカポカしてきた。

 ――温かい。

 何がなんだかまったく分からないが……まぁいいだろう。

 俺はその手を、しっかり握り締めた――







「えっ……えぇぇぇえええぇえええええッ!?」

 見事にビブラートを効かせまくった、悲鳴に似た声で叫ぶ、目の前にいる少女。口をあんぐりと開けた姿は阿呆みたいだ。そのキーンと俺の“あるはずのない頭”に響きような声に、思わず俺は顔をしかめた。

 この少女、先ほどの自己紹介から「マリナ」という名前らしいことは分かった。まぁ、俺は“応えることなど出来なかったが”。

 このホールみたいな部屋にはよく響く声だった。目覚めたての俺にはちときつい。

「なっ、なななっ、ななな……ッ!?」

 口をパクパクと、腕は上下に振り、足はしどろもどろに動いて。この少女を挙動不審といわなければ何をそういうのだろう、とかそんなことを思いながら、俺はその少女を見ていた。

 白い着物に、それを中に入れているかなり高めの位置まで上げられている赤い袴。シンプルな衣装だけに、その白と赤のコントラストの強さが際立つものだった。巫女衣装、だったか? たしかそんなん。

 髪は色素薄めの茶髪で、その髪を高めの位置で結わえている。だが、どうも髪が短いようであまり似合った感じではない。ぴょこんと立ってる髪の毛が、どうにもパイナップルみたいだ。

 顔の方は……まぁ可愛いっちゃ可愛いけど、綺麗とは呼べない顔。

 うん、まぁ……合格点?

「な、何で記憶がないんですかッ!?」

 自分のことを言われてるんだが、妙に他人事のように聞いている俺はなんなのだろうか。

「不思議じゃのう……」

 慌てふためいて、もううざったいくらいに喚いている少女とは正反対に、こっちもこっちでうざったいくらい落ち着きをはらっている、白の着物と白の袴を着ている、白髪の老人。

 頭の低い位置で髪を結わえ、その背中まで伸びた長ったらしい白髪と、これまた思いっきり伸ばしまくってる髭のおかげか、なにやら威厳がある老人だった。

「か、“神主”さまぁ……わ、私、何かミスしたんでしょうか……?」

 怒鳴ったり泣きそうな顔になったり、本当に忙しいやつだ。情緒不安定なのか、それともただのバカなのか。

「むぅ……確かに不手際はいたるところに、数え切れないほどあったが……」

「うわーんっ」

 やっぱりうざいやつ。

「とりあえず、契約は終わったみたいじゃからのぅ。後はお前さんがやるしか――」

「わ、私には無理ですぅ! ただでさえ落ちこぼれなのにぃ〜!」

 そうか、こいつは落ちこぼれなのか。

「大丈夫じゃて。どんだけドジで間抜けなお前さんでも、一応は一人前の“巫女”なんじゃなからな」

 思いっきりバカにされていながらも、それでもその言葉を聞いてほっとしたような顔をしてるこいつはやっぱりバカなのだろうか。

「わ、分かりましたよぉ……。私、頑張ります……」

「よくぞ申した。――では、早速お前さんと、こやつの部屋を案内するかのぅ」

「ど、同室ですかッ!? 異性なのにッ!?」

「もちろんじゃ。お前さんたちは“パートナー”じゃからのぅ。異性も同性も、相手が“死んでいる”時点で関係ない」

「そ、そんなぁ……」

 ……俺をとことん無視した挙句に置いてけぼりにしたこいつらは、やっぱり俺を置いていくような勢いでスタスタと部屋を出て行ったので、俺は仕方なしに“ふわふわと”ついていった。









「ここがお前さんたちの部屋じゃ。あとは宜しく頼むぞ、マリナ」

 白髪の髭ジジィはそう言ったあと、もう本当に薄情なほど、競歩並みのスピードでこのぼろっこい部屋を後にしていった。

 この少女――マリナは部屋に用意されていた、この部屋にとってもよく似合うぼろぼろのベットに腰掛けたまま俯いて、時折肩を震えさせている。まぁ泣いてるんだろう。

 たまに漏れるつぶやきに「私のバカ……」とか聞こえてくるので、結構な自己嫌悪に陥っているようだ。どんなバカなことをしたんだか知る由もないが。

 俺は、というと何がなにやらさっぱりなので、ただ“ふわふわと”マリナのそばに“浮いていた”。

 しばらくして、やっとマリナが泣き止んだかと思うと突然、“浮いている”を見上げざまにこう言い放ってきた。

「こ、これからよろしくお願いしますッ!」

「お、おう……」

 なんだか迫力に負けて返事してしまったが、やっぱり何がなんだかさっぱりだ。

「それでっ、あ、あなたのお名前はなん“だった”んですかっ?」

 言葉を噛むのは癖なのか、それとも緊張してるだけなのか。どちらにしても初々しい感じがする少女だ。

「“知らん”」

 本当に覚えていない。まるっきりすっからかんだ。

「知らんって…………えと、あと……じゃ、じゃあ……」

 じゃあ。と言った割には次の言葉が思いつかないらしく、しどろもどろになったあと、諦めたようにうなだれて言った。

「じゃあ、名前は何がいいですか?」

「俺が決めていいのか?」

「当たり前ですよ。名前が分からないのですから決めるのは当然ですし、それに法律上でもそれは許可されています」

 法律がね〜。

「そんなことも覚えてないんですか? ……えぇと、何条かは忘れましたけど、確か、『十五歳以上の男女は自身の名前を改名する権利を有す』って書いてあったと思います。これは世界共通法規なので、どこの国でも適応されてるはずですけど……」

「そうなのか」

「そうなんです。名前というのは言霊の力を最も有する言葉であるからして、それを自身が決めた名前にすることによって潜在能力の向上を測ろうとするための法案なんです」

「お前、難しいこと知ってるんだな」

「えっ、あ、ありがとうございますっ」

 照れ臭そうに頭をかきながらペコリと頭を下げるところを見ると、あまり褒められ慣れていないようだ。落ちこぼれオーラ満々だな。

 この、部屋の隅に蜘蛛の巣が無料オプションでついてくるような部屋に移動中、老人の話と俺の状況から察するに、どうも俺は“幽霊”みたいだ。でも足もあるし、服も……まぁなぜかぼろっこい服だけど、しっかり着てるし、浮いてる以外には見分けがつきそうにない。まぁ触ったりすれば抜けたりするんだろうが。

 俺はこの落ちこぼれマリナに“召喚”された“幽霊”。故に“パートナー”だそうで、その“パートナー”とは人生のパートナーという意味とは違う意味のパートナーみたいだ。

 う〜ん。よく分からん。

 “召喚”っていうからには、俺は異世界から連れてこられたものかと思ったりもしたが、よくよく考えてみれば俺には自分の名前さえ分からないほどに記憶がない。故に異世界説よりは記憶喪失説のほうが有力みたいだ。

「名前、何にします?」

 一通り照れ終わったのか、マリナが言う。急にそんなこと言われてもなぁ……。

「お前は何がいい?」

「わ、私ですかっ?」

 そんな返答など予想だにしていなかったみたいで一気にきょどるマリナ。可愛いっちゃ可愛いが、いい加減うざかったりもする。

「えと、じゃあ……」

 マリナが人差し指を立てる。

「幽霊さんだから『ユーレイ』さん!」

「……ふざけてるんだな」

「ご、ごめんなさい……」

 本当にふざけて言うやつには見えないが、でも内容がふざけてるのでちょっとムカついた。

 さて、名前をどうするか……?

 部屋をてきとーに見渡してみる。見当たるものといえば、今マリナが座っているベットと、薄汚れすぎてもはやそれが模様なのではないかと疑ってしまうくらい汚れた壁に、その天井隅に張っている蜘蛛の巣。

 蜘蛛の巣………………網状…………ネット……。

「じゃあ――『ネット』で頼む」









「いいですか?」

 ピンッと人差し指を天に向けて伸ばして、マリナは言う。

「世の中には“モンスター”と呼ばれる世にも恐ろしい獣さんたちがいるのです。中にはゲルのようにべとべとした固形でないもの。頭にツノを生やしたもの。火を吐くもの。様々ですが、その異様な容姿から“モンスター”と呼ばれている生物たち」

 ごほんっと教授宜しく咳払いをするマリナ。

「詳しい生態についてはよく分かっていませんが、このモンスターは人を敵視しているらしく、それ故に私たちはこのモンスターたちと戦わなければいけません。このモンスターたちは私たちよりも遥かに力が強く、普通の人じゃ太刀打ちできません。むしろ返り討ちです」

 うぅわぁやぁらぁれぇたぁ。などとどうでもよすぎるモーションを混ぜるマリナ。

「そのモンスターたちに抗う方法。それにはいくつかあり、最もポピュラーなのが“武器を使うもの”たちです。それぞれ好きな武器、それこそ剣やら斧やらハンマーやら、中にはスコップとか使って“物理的”にモンスターにダメージを与えて倒す人たちのことです」

 続いては〜。定型句のように述べるマリナ。

「他には兵器を使ったり魔法を使ったりする人もいるんですが……まぁ今は関係ないですね。――えと、最後に、私たち“巫女”がいます」

「巫女が戦うのか?」

「正確には“巫女のパートナー幽霊”が戦うんです」

 俺が戦うのか。

「巫女という名のものたちは幽霊を現世に“具現化する力”を持っており、小石などを媒介にして幽霊の生前の姿そのままに具現化させ、戦うのです。ちなみに何を媒介にしてもよいので、主にヘアピンやヘアゴムを具現化させる場合が多い」

 俺はヘアゴムになるのか。

「その際にパートナー幽霊が“物質的に死んだ場合”、巫女がその代償としてダメージを受けることになります。そのダメージ量は巫女の実力により軽減され、そのため、巫女の力が強ければ強いほど、加速度的にどんどん全体としてのレベルが上がります」

 つまり巫女次第なのか。

「……と、この現代世界史実用教科書には書いてあります」

 マリナはさっきから俺に読み聞かせていた本を閉じると、乱雑にベットの上へと放り投げた。

「本を読むのは疲れるです……」

 だから落ちこぼれなんだろうな。

 一気に色々言われて混乱しつつはあるが、とりあえず俺がするべきことはその“モンスター”とやらと戦うのだろう。まったく、面倒極まりないことだ。他力本願とはこのこと。ちょっと不公平じゃないか? 俺は死んでまで戦うのに。

 俺が戦う――つまり俺を戦える体にしなければいけないわけで、巫女は、その霊を具現化する力を持っていると言った。

 ――ふむ、これは面白そうだ。

「試しにやってみろ」

「ふぇっ、な、何がですかッ?」

 小汚いベットの上ですっかり休憩モード全開だったマリナが、やっぱり軽くきょどる。こいつはきょどるしか能が無いのか。

「具現化ってやつだ」

「あっ、は、はいっ。ただいま――」

 マリナはそう言うと、ぴょこんとベットから飛び起きる。勢い余って転びかけた辺りにドジさ加減を垣間見た。

「えー、ごほんっ。いきますよー」

 マリナは自身のヘアゴムを手に取り、目の前にその拳を突き出す。その際に結わえていた髪が解けたが、どちらかというと俺はこっちの髪型の方が似合うと思う。意外と髪が綺麗なことに驚いた。

 手からヘアゴムが放たれた。いや、正確には手から離したというべきなのだろうが――見た目すごい。ヘアゴムが手から落ちるやいなや、それがふわぁと宙に浮く。淡く後光をさしている。

 微動だにしない浮きをしているヘアゴムに向け、マリナが両手を差し伸べた。

 光が集約する。

 ヘアゴムに。マリナに。

 それはまるでこの部屋の光がその一点に集まるかのような光景で、“目に見える光”が弧を描き、集まる。

 そんな光景を上からふわふわと浮きながら見ていた俺だが、気がつけば俺は“地に立っていた”。

 目の前にはマリナがいて、俺は、その汚らしい部屋の床に“足をつけていた”。

「終わりましたー」

 ふーっと心底疲れたように、またベットに座り込むマリナ。さらっとした髪がなびくのを見て、また綺麗だなと思った。

 手を、見つめる。見た目、何も変わっちゃいない。でも……重い。

 ――体が重い。

 腕を上げるのにも力が必要で、上げれば重力を感じる。

 確かに足は床に着き、何度踏みつけても抜けず、頑張っても浮けない。

 ――まるで生きてるみてぇだ!

「……すげぇな」

 呟きが漏れる。

「お前、本当すげぇな!」

「えっ、あ、ありがとうございます」

 がっとマリナの肩を掴む。

「お前本当すげぇよ! よくこんなことが出来るな!」

「そっ、それくらい、巫女なら誰でも出来ますよ」

「でもすげぇよ!」

 すげぇ!

 俺、生きてる!

 浮かない!

 生きてる!

 すげぇ!

「でも……」

 マリナが呟く。

「他の人はもっと早く具現化できるし、私より綺麗な光だし……」

「ンなことねぇよ!」

 肩をバシバシ叩いてやる。

「出来ることさえすげぇんだから、それに優劣なんてねぇ!」

「えっ、でも……」

「お前は気にしすぎだ! もっと自信持て、自信を!」

 こいつはこんなすげぇこと出来んのに、どうしてそんなに自信がねぇんだ? 勿体ないじゃねぇか!

「あ、ありがとうございます。ネットさん……」


「大変ですッ!!」


 突然部屋に飛び込んできた、くぐもった銀色をした鎧を着ている兵士らしき人物が叫ぶ。

「モンスター襲来ですッ!!」









「おお。こいつはすげぇな……」

 俺は光景を目の前にして、ふと呟いた。

「そんな不謹慎なこと言っちゃダメですよ!」

 確かに不謹慎なのだろうが、でもすごいことはすごい。

 ――町が燃えている。

 木でできた家は燃え、石でできたものはことごとく廃墟と化している。

 俺たちのいた建物は町から離れていたおかげで、被害はなかった。が、町に着てみればこの有様である。

『敵はゴブリン』

 兵士はそう言っていた。

 マリナの話によると、ゴブリンというのは人型のモンスターのことで、皮膚は赤く、身長は人の半分程度で、頭にツノを生やしている。そのツノの数で強さが決まっているようで、今回は中級レベルの三本ヅノ。主に石を加工した原始的な武器を使い、時折魔法を使うものもいるという。

「数は、ざっと五百超! 恐らく、先日のゴブリン討伐の報復かと思われます!」

「ご、五百もですかッ!!」

「えぇ、こんなにも残っているとは思ってもみなかったことで……」

「ネットさんッ!!」

 マリナが必死の形相で俺の腕を掴む。

「あなたも町の防衛に参加してください!」

「ああ。それはもちろんだが、俺はどうやって戦えば?」

 俺は武器なんて持ち合わせていない。そりゃあもちろん幽霊だったわけだし。

「え、えっと、ネットさんは生前、どんな職業……って覚えてないんでしたッ!!」

 うわぁと勝手に頭を抱え込むマリナ。一人で勝手にやってろ。

「じゃ、じゃあどんな武器を使いたいですかッ?」

「俺に魔法とかは使えないのか?」

「記憶がないんだから使い方も知らないに決まってるじゃないですかッ!」

 ああ。確かにそうだ。

「武器には何があるんだ?」

「何でそんなに悠長なんですか! ――えぇと、オーソドックスなのでは剣とかあるみたいです。ね? 兵士さん」

「はい! 短剣から長剣、細剣から太剣まで様々な剣をパートナーさま用に用意してございます!」

 こちらです! とやや走り気味に兵士が移動するので、俺たちもすぐ後を追うと、そこには倉庫らしき建物がそびえ立っていた。運よく、そこに被害はない。

「こちらからお選びください! 私は防衛に行かなくてはいけないので、後はご自由に!」

 シタッと敬礼した兵士は、その重そうな鎧をガシャガシャいわせながらその場を去った。遠くから「鍵はしっかり閉めてくださいねー!」と言っていた辺り、この倉庫は重要なのだろう。そりゃあ武器庫だし。

「ネットさん、早く!」

 マリナが急かすので、俺もそれに影響されてか慌てて倉庫の中に入る。

 そこには、数多くの武器があった。剣はもちろんのこと、斧、鉄球、鈍器に銃器、何に使うのか鞭やロウソクもあった。

 そこに、ひときわ目に付く武器を、俺は発見した。

 別段特別な感じのしない短剣。埃で薄汚れた、素材は骨だろうか。柄の部分に僅かな装飾があるだけで、至ってシンプルな短剣。

 それに、俺は惹かれた。

 何も俺はこういう武器が好きなわけではない。でも、惹かれた。故に、俺はそれを選ぶ。

 手に持つ感触。軽くて、そして切れ味もなかなかよさそうだ。骨素材特有の、毒を仕込む等の細工はなされていないみたいだが……まぁ大丈夫だろう。その分、短剣として鍛えられているみたいだからな。

 同じタイプがもう一本あったので、それも持つ。


 ――ピキ。


 何かが、割れた気がした。

 しかし、周囲を見ても何も割れてなどおらず、持った短剣にも傷一つ無い。マリナがただ俺の行動を不思議そうに見ているだけだった。

「どうかしたんですか?」

「い、いや……なんでもない」

 ……なんでもない、と思う。



 ――ザ……ザザ…………

 真っ赤な手だ。

 手の色さえも、見えない。

 黒くて、真っ赤な。その手。

 悲しむわけでもなく。

 嘆くわけでもなく。

 見た。――無。

 ――ザザ…………ザ……



 …………?

「えと……ネットさん、二刀流ですか?」

「あ、あぁ……まぁ気分的に」

「どんな気分ですかっ?」

 いや、どんな気分だか俺さえ知らないが。

 とにかく、俺たちはすぐにその倉庫を後にし、町のほうへを駆けていった。もちろん鍵はしっかり閉めて。









 町の中心部まで行くと、それはもう酷い有様だった。

 ゴブリンと対峙するもの。攻撃を受けるもの。ゴブリンを殺すもの。それらから逃げ惑うもの。

 人が、ゴブリンが、町にごった返していた。

 ぞくっと、背中に感覚が走る。

 ――嗚呼。

 燃え上がる炎のむっとした熱気を肌に感じながら、俺はその戦場へと向かう。

 マリナは俺の後ろに、身を守るようにして隠れている。

 巫女とはいっても、彼女らはただ幽霊を具現化するのみで、自身の戦闘手段を持っていない。中には魔法も平行して学ぶものもいるようだが、それはごく稀な例。ほとんどのものは巫女としての素質しかなく、魔法を覚えられるものはいない。

 だから俺が守る。

 本来なら岩陰などに隠れるとのことだが、今の状況だけに、それはむしろ危ないだろう。

 今最も優先してすべきことはマリナを安全なところ――仲間が集まっているところまで運ぶこと。この町の中心部には城があり、大半の巫女がそこに集結しているため、そこの防御は厚い。

「城はこっちであってるのか?」

「はいっ、大丈夫なはずですっ」

 瓦礫に足を取られないよう――というかマリナが転ばないように瓦礫を足で蹴飛ばしているのだが――気をつけながら、なるべく早足でその方向へと向かう。

「ギシャァァァアアア」

 おっと、ゴブリンのお出ましだ。

 数は三体。それぞれ木の棒の先に石を取り付けた、槍のような武器を持っている。対して俺は短剣と、その攻撃範囲は狭い。ちっ……やりづれぇ……。

「マリナ、下がってろ!」

「は、はいっ」

 後ろから遠ざかる足音。遠くまで下がったな。

 よし、これである程度の動きは自由になった。後ろにいるマリナに敵がいったりしないか心配ではあるが、早々にこいつらを片付ければ問題ないだろう。

 ベルトに引っ掛けていた短剣を二本手に取る。

 軽い剣だ。おかげで、“久しぶり”でもうまく使えそうだ。

 逆手に持つ。―― 一気に攻める!

 大きく一歩を踏み出し、まずは相手の懐を狙う。

 敵の背が低いだけにやりづらいが、まぁ問題ない。なるべく腰を低くしてやつらの体格に合わせる。

 驚いている先頭のやつに向け、剣を振り切る!

 ――殺った。

 緑色の液体が噴き出す。

 次――ッ!

 一気に陣形の崩れた二体の間に入り込み、両手に持った剣で、振り斬る!

 フシューという液体の吹き出る音。

 ――……終わり。

 また、殺した。何も、感じないのに。

 短剣を再び腰のベルトに引っ掛け、大きく伸びをする。意外と緑色の返り血を浴びた気がするが、まぁどうでもいい。



 ――ザ……ザザ…………

 ――さすがだな! これであいつらも終わりだ!

 ――お前に勝てるやつなんて、ぜってぇいねぇよ!

 ――さっすがカース副長!

 ――ザザ…………ザ……



 …………。

「もういいぞ」

「は、はいっ!」

 振り向けば、マリナは小股に、足元の肉片を気にしながら駆け寄ってきていた。

「つ、強いんですね! ネットさんって!」

 なにやら興奮している様子で言う。

 そうか? 別に相手がただのゴブリンだったからで、これくらいなら全然余裕だ。

「すごいです! すごいです! 私、こんなに強いパートナー持ったのなんて初めてです!」

「他にも持ったことありそうな口ぶりだな」

「はいっ。まず、熟練の“旅団”付きの幽霊さん。あと初心者育成に秀でた幽霊さんとなったことがありますっ!」

 なんか一種の仕事みたいだな、それ。

「で、ネットさんが三番目でっ、私の初めてのパートナーさんですっ!」

「パートナーは他の二人ともなったんじゃないのか?」

「いえ、あくまで仮のパートナーですので、私が卒業したらすぐにその人たちは別の人に憑くことになりますっ」

「ふ〜ん、そうなのか」

「そうなんですっ」

 そういうものなのか。まぁそんなことより、

「早く城に行こうぜ」

「はいっ」









 結論から言えば、俺たち、人が勝利を収めた。

 もちろんのごとく被害は大きかったが、幸い死者は出なかったようだ。まぁ当然と負傷者はかなりいたが。

 この戦いで最も多くの戦果を上げたのが、カレンとかいう名の巫女と、そのパートナーのマユという女幽霊らしい。まぁどうでもいいことだ。

 ここで驚いたのが、そいつらが殺したゴブリンの数。

 その場でしっかり数えるわけにはいかないのでざっとした数だが……五十。ゴブリンを、五十体。この国には百といる巫女や二百以上もの兵士、そして五十といる魔法使いたちを差し置いてのこの数。恐ろしいことこの上ない。前線に配備されていたか、または狩り速度が早いのだろう。

 ちなみに、このカレンというのは、マリナの憧れの巫女らしい。

「すごいですよね、カレンさんってっ」

 俺が召喚されてから早一ヶ月。俺たちが住む部屋にもやっとこさ装飾の類が増えて、掃除もされ、それなりに見れる部屋にはなってきた。まぁ女らしい部屋になっているのは主にマリナしか使わないので別にいいことだが。

 そういえばここ一週間、ずっとカレンの話ばっかり聞かされている。しかしてマリナはカレンと親しいわけではないらしい。ただの憧れの存在、というわけだ。

「今日もね、巫女たちの間で実践演習があったんだけど、放たれたモンスターをあっという間に倒しちゃったんですよ? すごいと思いません? こう、ズパーンってっ」

 まるで大きな剣でも振るかのようにモーションを交える。

「はいはい」

 こういう話も、いい加減聞き飽きた。

「なんですか、そのナゲヤリな返事……。カレンさんに失礼ですよ〜」

 あの白髪の髭ジジィから支給されたボロッちい机に座りながらぷりぷり怒ってるマリナ。机の上に本を一切置いていないのはマリナらしい。

 対して俺は、暇にふわふわとベットの上に浮きながら寝転がる。寝転がるのは気分というだけで、別にどんな体勢だろうが実際は何の関係もない。

 初めて具現化されたときは興奮したが、よくよく考えてみればこっちの幽霊体の方がずっと楽である。

 まず疲れない。歩かなくていい。自由気まま。

 だから普段はこうして幽霊体でいて、どうやら他の幽霊も俺と同じようにしているらしい。

「それよりお前は見てるだけなのか? 演習には俺も必要だっていうのに、俺はずっと家にいたし」

「い、いいんですっ。私はどうせ不出来な巫女ですから、カレンさんにみっともないところを見せたくないんです。落ちこぼれですし……」

 出た、マリナの自己嫌悪。いい加減うざったくて仕方ない。

「ならよ、」

 俺が言う。

「また“旅団”に行って修行すればいいじゃねぇか」

 旅団、というのは巫女が修行するための組織のことで、主に国ごとに一つ、または二つ程度の団体が作られている。

 巫女は“聖地”と呼ばれる特殊な修行場でしか実力を高めることが出来ず、しかも同じ修行場での修行は一度しか効果がない。故に旅団という団体が必要になってくるのだ。

 聖地は世界のあちこちに点在しており、現在確認されているだけで十二箇所ある。そこまでより安全に巫女を運ぶのが、旅団という団体の役割。

 巫女はその聖地に何箇所行ったかによって実力が決まり、それによる個人差は誤差と呼べる程度にしかない。

 それでは、何が巫女の実力を分けるかというと、主にそのパートナー幽霊の実力と、巫女の精神力の問題である。

 パートナー幽霊の実力はもちろんのこと、精神力が必要なのは具現化のスピードにおいて、だ。

 幽霊の具現化には相当の精神力を使う。故により強い、より高い精神集中力によってそのスピードを早くすることが出来、それによってより迅速に戦闘にあたることが出来る。

 つまり実力の向上は聖地で、巫女のレベルは精神力によって決まるといっても過言ではない。パートナー幽霊の実力は、また別の話。

 ……確かこんなことを、この間“パートナー教育係”ってやつが言っていた。覚えてる俺はたいしたもんだ。

「旅団はもう旅立っちゃいましたよ……。次に行けるのは、来年か、再来年か……」

 はぁ……こいつときたら……。

「お前はただ決断力がないだけなの。聖地に行くぐらい、一人でも行けるだろうが」

 そう、旅団というのは巫女を“安全”に聖地に運ぶための団体であって、別に個人で行けないわけじゃない。現に個人で修行しに行ってる巫女だって何人もいる。ただこいつは、度胸が足りないだけだ。

「ほら、こっから南東にある“最南端の寺院”ならお前まだ行ってないって言っただろ? あそこなら簡単じゃねぇか」

 “最南端の寺院”。現在発見されている聖地の中で最も南にある聖地で、そこは昔寺院が建っていたことから名づけられた名前なのだそうだ。

 聖地の難易度は北に行けば行くほど難易度が難しい傾向にあり、故にそこは最も簡単な聖地とされている。

 この国では三箇所の聖地を巡ることで一人前とされ、大半の巫女は近場の聖地を三箇所巡っただけで国に帰ってくる。マリナもそのうちの一人だ。

 だから、その寺院に行けば強くなることが出来る。

「で、でも……」

 ああもう、こいつときたら……。

「何でお前は行きたがらないんだ? お前の大好きなカレンは六箇所巡ったからあそこまで強いんだろ? だったらお前もせめて四箇所ぐらい行っとけよ。お前まだ、三巡りだろ?」

「そ、そうですけど……でも、それはカレンさんが才能あったからで、私なんかじゃ聖地にも辿り着けないかもしれなくて……」

 クソじれってぇ……。

「だったらずっと憧れてろよ。ずっとずっと永遠に死ぬまで」

「そ、そんな言い方ないじゃないですかっ!」

「『でも』『でも』。お前は一体どうしたいんだよ?」

「うっ……」

 ああうぜぇ。なんつー面倒なやつだ。どうせ後押しでもしてやらなきゃ行かないだろうと思って協力してやってるって言うのによ。

「あのな――」

「ネットはおるかね?」

 俺がまだまだマリナに言ってやろうとすると、それを遮るような形であの白髪の髭ジジィが部屋に入ってきた。プライバシーも何もあったもんじゃない。

「きゃあッ!」

 別に着替え中だったとかでもないのに、驚いて軽く悲鳴を上げるマリナ。女の子ぶりやがって。

「どうした、腐れ白髪の髭ジジィ?」

「お前さんの口の悪さは相変わらずみたいじゃな」

 この腐れジジィとはよく会う。まぁよく会うとはいっても仲は全然よくないので、ただすれ違って挨拶をくれてやるだけだが。

「それはジジィが腐りかかってるから腐れなだけだ」

 マリナの反応に俺どころか驚かしたジジィさえも無反応だったので、それにぐうたれたマリナの顔が見えたが、まぁこの無闇に頭の固い嬢ちゃんは無視だ。

「で、何の用だ?」

「ああ。ちょっとお前さんに話しておきたいことがあってな」

 話?

「ちょっとこっちに来てくれ」

「あ、あのっ、神主さまっ」

「どうした?」

 部屋を出ようとしていたジジィが振り向く。

「私はどうすれば……?」

「マリナは部屋にいてよい。用があるのはネットだけじゃからの」

 俺だけなのか。

 ジジィがマリナの頷いたのを認めると、俺はジジィの案内で、俺が召喚された部屋に連れてこられた。









「懐かしい部屋じゃろう? ここは滅多なことがない限り入れんからのぅ」

 なんだよ、それ。腐れジジィの無駄話に付き合ってるほど俺は暇こいてねぇよ。

「話って何だ?」

「うむ」

 ジジィはホールの中央まで行って、初めて振り向いた。

 神妙な面持ちをしている。

 そんな顔を見て、不思議と恐怖心に似たものを覚えた。

「お前さん、実は記憶があるのじゃろ?」

 ……こいつ、突然何を言い出すかと思えば。

「俺には記憶なんかねぇよ。それは何度も話しただろ」

「いやのぅ。お前さんの行動、記憶がないにしては不思議なことがあるのじゃ」

 不思議なこと?

「お前さん、ゴブリン襲来のとき、防衛に参加したそうじゃな?」

「ああ」

 なんでまた一ヶ月も前のことを?

「そのときの戦いぶり、近くで見ていた兵士の話によるとな、とてもじゃないがパートナーなり立ての幽霊には見えなかったそうなのじゃ」

「……何が言いたい?」

「つまり、お前さんは何らかの理由で記憶がないと偽っている。その真偽を問いたいだけじゃ」

「なぜ今になって?」

「わしも色々と忙しくてのぅ。ゴブリン襲来のときに受けた被害の修復に忙しかったんじゃ」

「これまた神主さまが直々に?」

 この腐れジジィこと神主は、この国でなかなかの地位を築いてるらしい。ジジィに粗暴な口を利くたびにマリナに怒られた。「これでも偉い方なんですよ!」と。

「色々とあってのぅ。――お前さんのことも調べなくちゃならぬし」

 俺のことを、か。これまたたいそうなことで。

「言っとくが、俺は本当に何も覚えちゃいない。あのとき戦えたのだって、俺自身驚いてたんだ」

 嘘は……ない。

 本当に、あのときはまるで体が勝手に動き出したまでの話だ。今もう一度やってみろと言われて、やれる自信はない。

 ……本当に、思い出せない。

「嘘では、ないのだな?」

「ああ」

 頷く。正直、何で疑われてるのかさえ見当がつかない。

 そんなことは、絶対にない。

「……なら良いが、もしものときは、お前さんを地獄に逝かすぞ?」

 おーおー、これはまた怖い脅しだ。

「わーってるよ」

 両手をひらひらを振りながら、俺は言った。

 何も知らない。









「大変です神主さまッ!!」

 ホールである程度話がついた頃、一人の兵士がホールに飛び込んできた。その様子は滅茶苦茶慌てふためいて、なおかつ肩を上下に揺らせまくっている。たぶん、相当急いできたんだろう。

「バカもんッ! ここは神聖な場所じゃ! しっかりとした礼儀作法を守って入れと何度も――」

 そんなところでこんな話をしていたのか、俺は。

「そんな場合じゃありません、神主さまッ! “賊”がッ、“賊”がッ!!」

「“賊”、じゃとッ!?」

 “賊”? 何だ、それ?

「いかんッ! 急いで戦闘部隊の召集と民間人の退去命令を出すのじゃッ!」

「ハッ!」

 兵士はシタッと敬礼すると、駆け足で部屋を後にする。

「ジジィ、“賊”ってなんだ?」

「今は説明してる暇などないッ! お前は急いでマリナと共に戦闘部隊に加わるのじゃッ!!」

 すごい剣幕だった。叱られるときの――いや、それ以上の剣幕。当然逆らえるわけがなく、俺はただただ頷いた。

 戦闘部隊は、このホールに集められた。









「なんなんですか、一体?」

 ずらっと並ぶ兵士やら巫女やらでごった返したホール内で、マリナがそっと耳打ちしてくる。

「知らん。“賊”がどうのこうの言ってたぞ?」

「えッ!?」

 マリナがでかい声を上げたおかげで、妙に痛い視線が俺達に突き刺さる。とりあえずそれはマリナの愛想笑いで済ますとして、今は殴れる手でマリナを殴っておく。

「うるせーよ」

「す、すいません……ぞ、“賊”ですかッ?」

「ああ。ってか、そもそも“賊”ってなんだ?」

「あ。そういえばまだネットさんは“賊”と会ったことないんでしたっけ?」

「ああ」

 頷く。

「賊っていうのはですね、」

 ぴょこんと人差し指を立てて説明しだすマリナ。どことなく偉そうだ。

「主に“反国集団”のことを指します。本来の意味は国に属さない集落のことでしたが、その意味が転じて――」

「意味の説明はいらんっ」

「あっ、はい、すいません。――えと、賊、反国集団というのはその名が指すとおり国という組織に反対する組織のことで、いわばテロ集団のようなものです。やや脱線しますが、上等モンスターの中には人語を話すことの出来る種族がいて、そのモンスターたちは人と交渉し、うまいこと陣地を得ているようです。その交渉している人というのが賊。国を憎む彼らと人を憎むモンスターたちの利害関係が一致した結果起きた非常事態です。そして今集められている理由は――」

「その賊がこの国に攻めてきた、でしょ?」

「か、カレンさんっ!」

 気がつけば、隣になにやら神々しい、というか威圧的な存在感を持った、巫女姿のいかにも高飛車な女がいた。なぜに縦ロールだよ。こいつがマリナの憧れるカレンらしい。見た目美人だが、どうも雰囲気というかオーラというか、そんなんが気に食わないやつだ。

 俺が怪訝そうな目で見ているのに対して、マリナときたら恍惚とした表情で、今にも卒倒しそうな勢いだ。うつろに潤んだ瞳で見つめられてるカレンのほうは迷惑そう。

「カレンさんをそんなに見つめちゃダメですッ! カレンさんはボクのものなんですッ!」

 ひょこっとカレンの後ろからマリナとカレンの間に割り込むようにして出てきた、主語をボクという少女。頭のてっぺんで短く結わえられた髪が、この少女の動きに合わせて小刻みに動くのが可愛らしい。マリナの似合わない髪形の比じゃない。

 可愛らしいことには可愛らしいのだが、そんなことよりも断然に目立つのが、この少女が担いでいる、とんでもなくでかい剣だ。

 少女の身の丈よりもでかい。持っているのが少女だからよりでかく見えるんだろうが、それでもでかいことは確か。

 それに、もっと驚くべきは剣の太さ。刃幅が広く、もしかしたら盾にも使えるのではないかというほどに太い。

 少女が担いでいる、というよりもむしろ剣に担がれているような。

「こら、マユ。人前で変な嫉妬心燃やさないの。恥ずかしいじゃない」

 このとんでも少女はマユというらしい。つまり、このカレンとかいう女のパートナーというわけか。

 とんだ凸凹コンビだなぁとか思う。かたやカレンは背が高く高飛車な女なのに、かたやマユはボクっ子かつ妙に百合っけのある巨剣を操る少女。……どんなコンビだよ。

 カレンとマユ。どこかで聞いたような……って、あのゴブリンを五十体も倒したやつらかよ。

 こいつらが? と思う。

 一人は土ぼこりに触れるのでさえ嫌いそうな顔をした高飛車女。一人はまだ母親に甘ええてもおかしくなさそうな乳くせぇガキ。どちらも容姿がいいだけで、とてもじゃないが強そうになんて見えない。

「カレンさんの手、綺麗で素敵です〜」

 カレンに制されるようにして頭の上に乗せられた手の感触を楽しむように頬を緩ませていたマユだったが、時折見える瞳の中に嫉妬の黒い炎が見え隠れしている辺り、相当マリナを敵対視しているのか、はたまたただ独占欲が強いだけなのか。

 どちらにしても、こいつらがこの国最強の巫女だとは思えなかった。どちらかというと物語の主人公に負けて「キーッ、あんな子に負けるなんて悔しーッ!」とか喚いてるキャラのほうが似合っている。

「ごめんなさい、変なところお見せしまして。――で、賊というのは本当なんですの?」

 まったくもって見た目に違わぬ口調だな。

「はいっ、ネットさんが言うには飛び込んできた兵士さんが賊だと言っていたみたいですっ」

 マリナは相当興奮しているみたいだ。顔まで火照って赤くなってきている。まるで恋する乙女じゃないか。まぁマリナに百合っけがあるのかどうかは知ったこっちゃないが。

「ネット……ということは、あなたがネット?」

「ああ、そうだ」

 突然振られたとはいえ、目線がしっかりこっちを向いて言っているので俺に対して言っているんだろう。頷いた。

「へぇ、あなたが“鬼人”のネット……」

 いつの間にそんな通り名がついてるんだ、俺は。

「ゴブリンごときといえど、あなたの戦う姿はまさに鬼。容赦なく斬りつける二本の短剣から繰り出される、まったく隙の無い直線的な攻撃方法。――それは鬼人呼ぶにふさわしい戦いっぷりで、味方であるこちらまでもが恐怖を抱くという……」

 俺はどんなやつだよ。

『えーっ、静粛に!』

 何かの拡声器だろうか。ジジィの拡大された、聞きたくもない声がホール全体に響き渡る。耳を塞いでみようかと思ったが、それじゃあ内容が聞き取れないのでやめておいた。

『噂で広まってることかと思うが――現在! この国に向け賊が進軍していることが分かった!』

 ざわっと一気にざわめきが全体に広がる。「賊が?」「まさか……!」「恐ろしい……」など、それぞれ思い思いに口にしているため、めっさうるさい。

「なぁマリナ」

 肘で小突いて、マリナを呼ぶ。しーっと口に人差し指を当てて「静かに」と言ってきたが、そういうことは周りの、俺よりもずっとうるさいざわめいてるだけの連中にも言ってもらいたい。構わず俺は続ける。

「賊って、そんなに恐ろしいのか? 普通の人とモンスターだろ?」

「そりゃあすごく恐ろしいんですよ。だからこうして緊急時にも関わらず集まってるんじゃないですか」

 いや、緊急時だから集まってるんだと思う。

「モンスター単独、人単独のテロ。それぞれ恐ろしいものではありますけど、それは国の力をもってすればほとんどの場合鎮圧するこちが出来ます。それは、相手が小規模、または統率が取れていない組織だからです。しかし、賊の場合、モンスターと人が合わさった大規模、かつ統率の取れた組織。これ以上恐ろしいものはないですよ」

「そういうものなのか」

「そういうものなんです」

 ふぅん。賊っていうのは、そんなに恐いものなのか。

『今から諸君らには小部隊を組んでもらい、部隊単位で任務に当たってもらうことになる!』

「ちなみに部隊を組むのは、これだけの人数を統率する場合はその方が個人々々に連絡するよりもずっと効率がいいからですよ」

「先回りな回答ありがとう」

「どういたしまして」

 まったく。こいつの返事は素なのか嫌味なのか分からんときがあるな。まぁ嫌味であっても別に大したことじゃないが。

『それぞれ力的レベルを均等に分けた部隊をすでに組んである! よって、今から呼ぶものはホール前方に集まるように!』









 ……で、組んだのが、

「あらあら、宜しくね」

「カレンさんは渡しませんですッ!」

 こいつら凸凹コンビだった。あと巫女の補助として二人ばかり兵士がつくらしいが、それの分担はまだされていない。これから決まるのだそうだ。

「落ちこぼれと天才、いい組み合わせです!」

 なぜか無い胸を張って威張るようにして言うマユ。ひょこひょこ揺れる髪は可愛いが、性格はとにかくうざいみたいだ。特にマリナに対して――というよりはカレンの周りに対して。一時でも可愛いと思ってしまったことを悔やんでおこう。

「ひ、酷い……」

 マリナはマリナで、こんなガキ相手にマジ泣きしかけなくてもいいと思うのだが。

「こらマユッ! ――ごめんなさいね、後でしっかり躾しておきますので……」

「わぁい! 今日はカレンさんの鞭プレイだぁ! あ、でもロウソクも――」

「何言ってるのッ!」

 あ。殴った。

 もしかして武器庫にあった鞭とかはこいつら用だったりするのだろうか?

 そういえば、ちょっと前にマリナが食べていたチョココロネという菓子パンがこの高飛車女の髪型に、どことなく似ている気がする。あ、だからマリナはあんなに幸せそうに菓子パン食ってたのか。カレンの髪をむしゃむしゃと。よく食えたもんだ。

「遅れて申し訳ございません、巫女さまッ!」

 ガシャンガシャンと鎧独特の音を立てて駆け寄ってきた男が二人。どうやら俺達付きの兵士達みたいだ。ビシッと敬礼をしているあたりが格好いい。まぁそれは単に、顔が兜で見えないおかげかもしれないが。

「おせーよ」

「ハッ! 申し訳ございません!」

 別に待って機嫌が悪くなるようなことなど一切無かったのだが、これは面白いだろうと思って言ってみたら予想通りの反応で面白かった。今度、これで遊んでみるか。

「……で、私たちの配属は?」

 カレンが聞く。マリナとマユも頷いて同意していたので、俺まで同意するのは何かなと思ってただその様子を眺めていただけにしておいた。

 兵士がきりっとかしこまって、ハキハキとした口調で述べ始めた。

「神主さまからのご伝達で、我々の部隊の配属は――」









「難易度まーっくすッ!」

 胸の前でXの字に腕を交差してるマユを見て、内心嘆息した。なして難易度が最も難しい門前配属だよ。あのジジィ、今度会ったらブチコロス。

 マリナは惚れぼれとした目でカレンを見つめているだけだし、マユはなぜかはしゃいでいる。本来ならそれらを制してくれるはずのカレンは悠然と笑みを浮かべてるだけだし、二人の兵士は門番宜しく後ろ手に組んで直立不動だし。

 確かにカレンはエリートらしいから門前配属は分かる。でもよ、落ちこぼれのマリナとパートナー経験一ヶ月の俺たちもなぜ門前配属なのか? 同じ部隊だからという理由であれば、もっと適任者がいるんじゃないのか? 俺たちよりもずっと強くて臨機応変に動けそうなやつ。それがただレベルを均等に分けただけという理由であれば、あの腐れジジィを棺おけにぶち込んでやる。

「あっ、忘れてましたっ」

 ぽんっと手を打つマリナ。何を思い出したかと聞いてみれば、巫女服の懐から二つの、なにやら短い棒のほうな物を渡された。よく見てみれば、

「あのときの短剣です」

 なるほど。この形、どこかで見たことあるなと思えば。……別のがよかったな。

「とても使いやすそうでしたので、お願いしてもらっちゃいました」

 えへっと小首をかしげたマリナだったが、別に可愛いわけでもなくどうでもよかった。

 この短剣を持つと、無性に懐かしい感じがしてくる。こう、胸の奥から湧き出るような、なんとも言えない安堵の感情。持ってみれば、手にもしっくりくる。


 ――ピキ。


 ……いい感じだ。

「鬼人ネット。ゴブリン襲来のときに見せた鬼人の如き戦いぶり、見てみたいものですわね」

 この女、ムカツク。


 ――――ッ!?


 ぞっと、何か悪寒のようなものが背筋を走った。

 くる……!!

 何か予感……? そのようなものを感じ取った、刹那!

 ――ヒュッ!!

 そんな風の切る音がしただろうか。

 咄嗟に、俺は身をよじらせながら短剣を振るった。

 ガキィンッ! という音と派手な火花を散らして、ソレは弾かれて地に落ちた。

 アブねぇ……。

 他五人がびっくりして俺を見ている中、俺はその地に落ちたものを手に取る。

 ――矢。

 それも殺傷能力の高い、先端を丁寧に鋼鉄で作ってあるやつ。

「だっ……大丈夫ですかッ!?」

 慌てて駆け寄ってくるマリナ。

「ああ。全然大丈夫だ。それより、また飛んでくるかもしれん、気をつけろ」

「は、はいっ」

 マリナがしっかりと頷いたのを見て、俺は手に持っていた矢を捨てた。

 遅れて四人も俺のそばに寄ってきた。

 一人はピョンコピョンコ跳ねながら。

 一人は優雅に急ぎもせず。

 二人はガシャガシャいわせて。

 ピョンコ跳ねてきたマユは、

「君って凄いんだねッ! 前触れもなく飛んできた矢を打ち落とせるなんて普通の人じゃ出来ないよッ! さっすが鬼人!」

 ちょっとうざい感じの尊敬のまなざしで。

 ガシャガシャうるさい二人は、

「大丈夫でありますかッ!?」

 今更のごとく心配のまなざしで。

 優雅に歩いていたせいで最後に遅れてきたカレンは、

「これが鬼人の力、ねぇ」

 どことなくムカツクまなざしで。

「それにしても、」

 カレンが言う。

「鋼鉄の矢だなんて、相手、相当でかい賊かもね……」

 そうかもしれないな。

 鋼鉄の矢。矢というのは鉄の矢程度でも十分な殺傷能力があるのにも関わらず、より殺傷能力を高めた矢。こんな余計な強化をするよりは剣などに鋼鉄を使った方がマシというくらいの代物で、つまり、これを使ってきたということは当然の如く近距離武器は鋼鉄である可能性が高い。

 まぁなんにせよ、これはまずいことかもしれない。とりあえずすべきことは――

「神主さまに報告してきて頂戴。遠距離で鋼鉄の矢、確認。敵は相当な組織である可能性が高い、と」

「ハッ!」

 ……カレンに先に言われた。こいつ、俺よりも判断能力が高いらしい。ふぅん、やるじゃねぇか。

 カレンに命令された兵士の一人は、急いで門を通り抜けて本部へを走っていった。

「さすがカレンさんっ、的確なご指示に感服ですっ」

 俺のそばに駆け寄ってきていたはずのマリナはといえば、もうそれはそれはお嬢様の付き人のように当然とカレンのそばに駆け寄って、その今にもとろけそうなトロンとした尊敬の眼差しで見つめている。

 無性に吐き気のような感情が湧き出てきた。

 クソ。こんな高飛車女、一瞬でも認めかけちまったのがクソうぜぇ。妙にエリートオーラ振りまきやがってよ。黙って噛ませイヌ役でもやってろ。

 マリナはこいつのどこがいいんだ? ただうぜぇだけじゃねぇか。

「おい、そこの高飛車」

「わ、私のことですのッ!?」

 おっと、自覚はあるらしい。

「お前の戦いぶりも見せてみろよ」

「ね、ネットさんッ! 何言ってるんですかッ!?」

 度肝を抜かれたのか、慌ててぶつかるようにして俺の腕にアタックしてきたマリナ。俺は気にせず続ける。

「俺の実力見て楽しそうにしてんならよ、お前もそれだけすげぇんだろうな?」

 俺の目の前にいる、悠然と構えたムカツク女にガン効かせてやる。

「ふふっ、いいですよ。まぁ本当は私じゃなくて、このマユが戦うんですけれど、ね」

 いつの間にか近くの寄っていたマユの頭を、まるで猫でもあやすように撫でるカレン。その姿は金持ちのクソうざってぇ嬢ちゃんと、その至福に肥えた従順なペットのようだ。見てるだけで胸糞悪い。

「ネットさん、やめてくださいよ!」

 俺の服の袖を引っ張って講義してくるマリナだが、残念だがお前に止められるような状態じゃない。悪いな。ただお前の大好きなカレン嬢ちゃんがムカつくんだよ。

 ああクソ。吐き気がしてくる。

 カレンに撫でられて幸せそうだったマユが、顔を上げて俺を見てきたかと思うと、その小さな口を三日月に歪めた。

「この奇人」

「字が違ぇよッ!!」









「ギシャァァアア!」

 これは悲鳴なのだろうか、それとも仲間に危機を叫ぶ声なのだろうか。そんなことを思いながらも実は興味なく、ただ目の前の四つヅノゴブリンを斬り殺す。

 これで、二十匹目。

 緑色の返り血を至るところに浴びながら、俺は次の標的を見やる。

 ――まだまだ敵がいやがる。

 そりゃあ戦闘場所が門前だけに、敵は全てここに集約してくるはずだ。終わりなど、それこそ一人当たり何百体も殺さなければ見えてこないだろう。

 門前配属の役目は、なるべく多くの敵を倒して陣形を崩しながら、自分の手中に来た敵のみを倒すこと。つまり、倒せるだけ倒して、塀の中に入っていく敵はスルーしろということだ。後は中のやつらが倒すから、と。

 要は敵の戦力を出来る限り奪え、とのことだ。

 だけどよ――ンな面倒な命令きいてられっかよ!

 全部まとめて、ブッコロス――ッ!

 不意をつこうとしたのだろうか、後ろから鋼鉄の剣を持ったゴブリンが斬りかかってきた。

 ――が、甘い!

 すぐさま体を右に流してぎりぎりのところでかわす。

 剣の勢いに持ってかれたゴブリンに向かって素早く踏み込み、ゴブリンの腹を真っ二つにする。

 まったく。鋼鉄の武器を使う相手ほどやりづらい相手はいない。

 骨の剣は圧倒的に鋼鉄の剣よりも硬度が低い。故にまともにぶつかり合えばこっちの剣が折れるに決まっている。

 まぁ、俺は“昔から”骨の短剣を使ってたおかげでかわす能力が身についてるがな。

「ギシャァァ!」

 まったくもってゴブリンはバカだ。襲い掛かるために、わざわざ自分の位置を知らせるような雄叫び上げやがって。

 手に持った槍。その木でできてる柄を狙い―― 一閃!

 ぱっくりと折れたのを僅かに見届けると、すぐに首を斬る。

 ……血なまぐせぇ。

 手を見つめると、そこにはぐっしょりと染み渡るかのようにぬれた、緑色の血。

 ……ッ。

「どうしたんですか? 奇人さんはもう疲れてヘトヘトなんですか?」

 この嫌味ったらしいクソガキが何よりうぜぇ。

 自身の身長に似合わぬ巨剣を用いて、敵を叩き潰す。どうやら、それがこいつの戦闘方法らしい。

 まったくもって力任せな、バカな戦い方だ。これでこの国最強だというのだから、この国は相当腐ってるんだろうな。

 チャキッと手に持った短剣を握りなおす。若干返り血でぬらつくが、まぁこれくらいなんてことない。むしろ、この肌触りが心地よい。

「お前こそどうなんだ? そろそろお前の大好きなカレンに撫で撫でしてほしくなってきてるんじゃないのか?」

「うるさいです、この奇人ッ!」

「黙れよ、このクソガキッ!」

 また一体、ゴブリンから血が噴き出した。

 出来ればこの刃を直接クソガキに向けてやりたいものだ。……まぁそんなこと、俺には出来ない。

 それにしても、と思う。

 それにしても、さっきからゴブリンゴブリンゴブリンゴブリン……ずっとゴブリン。はっきり言って楽すぎる。

 何が賊は恐ろしいだ。四本ヅノといえど、所詮この間の襲撃のパワーアップした程度じゃねぇか。

 クソくだらねぇ。

 ゴブリンの額に、短剣をブッ刺した。

 脳天から血が吹き出る。



 ――ザ……ザザ…………

 ――貴様、我が一族を裏切る気かッ!?

 叫ぶ、汚らしい男の声。

 真っ赤な血。

 泣き叫ぶ、女の声。

 赤子の泣く声も聞こえる。

 俺は刺す。

 胸を刺す。

 足を刺す。

 頭を刺す。

 肉を裂く。

 目の前にいる男を、ブチ殺した。

 次は、あんただ……母さん。

 ――ザザ…………ザ……



 …………ッ!?

 な……んだ、今のは……?

 映像。……いや、どこか違う。眠っていた何かが醒めたような、感覚。

 思い出す……感覚。



 ――ザ……ザザ…………

 ――おう、お前が新人の。

 こいつ、ムカツク。

 ――あぁん? テメェ、俺に逆らうってのか?

 うざってぇ。

 ――……や、やめろ……ッ!! やめてくれ……ッ!! う……裏切り者ッ!!

 枯れたような、きたねぇ声の男。

 テメェなんぞ、仲間になった覚えもねぇ。

 嗚呼、殺してぇ。

 一発じゃ、殺らねぇ。

 じわじわ。じわじわ。

 いたぶるでもねぇ。

 じわじわ。じわじわ。

 ――毒。

 手が、真っ赤に染まる。わずかな返り血で、真っ赤に染まる。

 それは、俺の意識。

 黒々とした、どろっとした液体。

 短剣から垂れ。

 砂漠に、染みた。

 ――お前は、呪いの毒牙(ベノム=カース)だ。

 ――ザザ…………ザ……



 なんだよ……これ……?


 ――――ッ!?


 悪寒――。

 ぞっとくるような、予感めいたもの。

 なにか、来る――ッ!

「――――ッ!!!」

 声とも聞き取れない声。

 それが、地鳴りのようにビリビリと地を震えさせた。

 体を……心を恐怖へと震えさせる。

 ヤバイ――ッ!

 クソッ……なんで俺はこんなに油断してたんだ……! なんでもったいぶらずにとっとと雑魚を片付けてなかった……!

 そうだ、敵はゴブリンだけとは限らない。“アイツ”が来ないとも限らない。

「なっ、なんですか、これはッ!?」

 クソガキが何か喚いてる。

 ちっ……一刻も早く戦場を整えなければ、やつに殺される――!

 続けざまに一体、また一体とゴブリンを肉片と変えていく。

「な、何か来るですかッ!?」

「いいから黙ってゴブリン片付けろッ! 急がねぇと取り返しが付かなくなるぞッ!!」

「はっ、はいですッ!」

 クソッ……早く敵の数を減らしとかねぇと、“アイツ”がきたら……ッ!


「――――ッ!!!」


 ……が、無情にも、“アイツ”は今既に空から舞い降りてきていた。

「あ、アレは……ッ!!」

 クソガキが目を見開いて、“ヤツ”を見上げている。

 ヤツを……見えない床に立っているかのようなヤツを、マユは、俺は見ている。

 スゥ……。

 そんな音さえも心なしにしか聞こえず、ほぼ無音で降り立つ、ヤツ。周りが、風景が止まる。

 ゆっくりと、ゆっくりと滑り降りる――ゴブリンウォーリアー。

 キングに次ぐ強さを持つと言われているゴブリン。頭に生えた巨大なツノ二本と、派手な装飾のなされた防具をつけているのが特徴。

 武道と魔法の両方を会得しており、近遠距離共にやっかいな相手。

 体長は通常ゴブリンの四倍。つまり、人の二倍近い体長を持っており、力、魔法力共にずば抜けている。

「――――ッ!!!」

 地に降り立ったゴブリンウォーリアーが吼える。

 ――刹那!

 その身丈に似合わぬ俊敏さで、俺の目の前に――ッ!

「くッ……!」

 瞬時に両剣で“既に”振り下ろされていた巨大な斧を受け止める――が、

 ――ガィンッ!!

 音を立てて刃は砕け散った。

 戸惑ってなどいられない。

 すぐに右にステップを踏み、スピードの抑えられた振りをかわす。

 そのまま転がった。

「短剣が……折れた……」

 俺ではない。マユが、呟いた。

「何を呆けているッ!? さっさとヤツに攻撃をしろッ!!」

「あっ、は、はいですッ!!」

 気を取り直したか、すぐさまマユが、勢いを殺しきれずにそのまま地へとのめり込ませてしまった斧を抜こうとしているゴブリンウォーリアーに斬りかかる。

 よし、今のうちに武器を……。

「こんちわー」

「……ッ!?」

 人――男が、俺の前にいた。

 男――ほつれてボロボロになった服を乱雑に着こなしている、手には鉄の短剣を。

 しまった――!

 俺は何をしていたんだッ?

 なぜ、なぜゴブリンウォーリアーと一緒に降り立ったこいつを、見逃していた――ッ!?

「あっはっ! すげぇ! 本当に“カースの兄貴”がいらぁ!」

 けらけらと、さもおかしそうに笑う男。――いや、賊!

 武器など、取りに行ってる暇が無い!

 左足と両手を軸に、振り上げた足で回し蹴る。

「おっとっ」

 賊は、まるで軽業師のように軽々とステップを踏みかわすと、小刻みにジャンプをして短剣を構え始めた。

「巫女のパートナーに堕ちたってのも、本当みてぇだな」

 なんだ、こいつは……? まるで俺のことを知ってるかのような口ぶり。

 まさか――いや、でも……。

「テメェ、何者だ?」

「おお! やっぱ記憶喪失って情報も本当かッ! まっさか“カースの兄貴”がここまで堕ちてるとはなぁ、ビックリだぜ」

「カース……だと?」

 まさか、そんな……!

「おう。それがあんたの名前、“砂漠の賊”、副長。“ベノム=カース”!」

 砂漠の賊。

 ベノム=カース。

「砂漠の賊、第二位の実力を持ってたあんたが、まさか毒サソリごときで死んじまうとはな。まったく、あれは失笑ものだったぜ」

 ……ッ!

「近隣の大国にも恐れられるほどの、狂気に歪んだ性格を持つ二刀流使い。呪いの毒牙の名を持つもの。ここまで言えば思い出すか?」

 ケラケラ。ケラケラ。

 男は笑っていた。

 俺を、今の俺を嘲笑う笑みで。

 賊……。

 俺は、賊……。


 ――――ッ!!


 走る悪寒。

 失せる力。

 割れる体。

 噴き出す血。

 真っ赤な鮮血に染められる視界は、俺の間を抜ける斧を見た。

 ――俺は、死んだ。









「…………さん」

 ……浮いてる。

 俺は、浮いてる。

「……ットさん」

 浮いて、死んで、俺は、死んで。

 死んだ。

 死んだ。

 死んだ死んだ。

 死んだんだ……。

「ネットさんッ!!!」

 ――っ!

 俺は、何をしていた?

 そうだ……俺は、元々死んでいる。これ以上、死ぬことなんて、ない。

「すまない、マリナ」

 いつの間にマリナが来ていたのだろう? そばにいるマリナ。

 きっと、俺が無気力に浮いていただけなのを心配してくれたんだろう。その目には、心配のあまりか潤んでいた。

 すまない。俺が死んだばっかりに、お前にも被害が……。

「……大丈夫ですか? ネットさん」

「ああ、大丈夫――」

「そんなわけないわよねぇ」

 カレンも、いつの間にそばに来ていたのだろうか?

「あなた、“一回殺された”んでしょ? 相手、相当強かったか、またはあなたが油断したか……まぁ後者は、鬼人らしからぬ失態ですけれど」

 殺された?

「マリナさんはまだ三巡りのはずですから……あと一、二回死んだら、気絶してしまいますね」

 ああそうだ。俺は、殺された。

 砂漠に住む、たかが一匹の毒サソリに――

「敵、そこまで強かったんですかっ?」

 ――違う!

 俺は、ただゴブリンウォーリアーの斧に斬られて殺されただけだ。

「それなら、一刻も早く神主さまに報告しなければ……」

 “たった一回”、殺されただけだ。

 ただ殺されて、幽霊体に戻って、マリナの元に還されただけだ。ただ、それだけ。

 俺は、ネットで、カースじゃ、ない。

 あんな……殺戮を、無に思うやつなんかじゃない!

 俺は、カースなんか、知らない!

「あんたがカースって、本当ですッ?」

 ――マユッ!

 いつの間に戻ってきていたのだろうか、マユが、俺を見ていた。

 ……軽蔑の目で。

「カースって、あのっ?」

 カレンが即座に反応する。

「あの、この国近辺で最も恐ろしい賊と言われる砂漠の賊副長、ベノム=カースのこと?」

「はいっ、カレンさんっ」

 そこまで、カースは有名なのか。

 だが、俺は知らない。

 俺は、カースなんかじゃ、ない。

 違う……そんなんじゃない。

「ふぅん……何かの事故で死んだとは聞いてたけど、まさかパートナー幽霊の中に紛れていたとはねぇ……」

「まったくです。たかが三巡り巫女の分際のくせに、道理で強すぎると思ったです」

「これは、すぐに神主さまに報告すべきよねぇ」

「はいですっ。しかも、現在交戦中の敵は砂漠の賊。恐らくこのカースが仕組んだことかと思うです。――つまり、裏切り者かと思うです」

 ――裏切り者。

 カレンが見る。

 マユが見る。

 俺を見る。

 俺を、まるで害虫を見るかのような目で、見下す。

 グシャリグシャリと、蝕む。

 違う……。

 違う違う違う違う違う――ッ!!

「うわぁぁぁぁあああッ!!!」

 逃げた。

 出来る限りのスピードをもって、俺は、逃げた。

 感じるはずの風を浴びることなく、

 そこから――

 カースから――


 ――俺は逃げた。













 ネットさんが……カース……?

 カレンさんは、マユちゃんは、そう言っていた。

 砂漠の賊、狂気の副長。

 その実力は賊長をも凌ぐと言われていて、性格も残忍そのもの。

 殺すことにおいて、罪悪感、恐怖、興奮、快感、そのうちのどれを感じるでもなく殺すことが出来るという、あのカース。

 過去、幾度か砂漠の賊に攻められた経験のある我が国でも、壊滅しなかったのはその部隊にカースがいなかったおかげであるとまで言われている。

 カースが使う二本の、骨の短剣。名を双刀のベノムといい、その名の通り毒の短剣。

 骨の短剣というのは毒などの細工がしやすく、カースがよく用いたといわれる。

 ベノム=カース。呪いの毒牙という本人の名が示すとおり、その短剣には恐ろしいまでの効果がある。

 毒が体を蝕み、いずれは死に至らせる。その毒にもがき苦しむ姿は、呪いのよう。

 故に呪いの毒牙。

 故に史上最悪の賊。

 ……私の記憶が正しければ、ベノム=カースはそういう男であったはず。それが……ネットさん?

「カースって……本当ですか?」

 自分でも驚くほどに声がかすれていた。相当、混乱しているのだろうか。

「はい。本当です。確かに賊がそう言っていたです」

 マユちゃんは、大きく頷く。

 でも……私には信じられない。

 こんな嘘、つくことに意味が無いってことくらい、私にも分かる。

 ……分かる。

 でも……信じられない。

「あなたも可哀想にねぇ……」

 カレンさんが、呟くようにして私に話しかけてきた。

 ふと見上げてみれば、そこには私を哀れむような瞳。

「あなたもカースに騙されていたのでしょう。本当に可哀想に……私から神主さまに、新しいパートナーをつけてもらえるように言っておくわ」

 ……やめてください。

 そんな……私を哀れむような目で、私を見ないでください……。

「あらあら、泣いちゃって……やっぱり悔しいのね。騙されたこと」

 ……違う……私は、そんなことで泣いてるんじゃない……。

 違うの……。

「心配しなくても大丈夫よ。巫女のほとんどは、みんな何度かパートナーの入れ替えをしているわ。だからパートナーが変わっても大丈夫。むしろ、ずっと初めてのパートナーといられる人のほうが珍しいのよ」

「カレンさんは、」

「……ん?」

「カレンさんは、ネットさんのこと……カースだとお思いですか?」

「えぇ。マユが嘘をつく必要などどこにもありませんし、それに、三巡りであそこまでの力、むしろカースだと思っていたほうが筋が通りますわ」

 ……確かに、そうかもしれません……。

「では、ネットさんが本当にカースだとしたら……カレンさんはどうなさいますか?」

「そうね……」

 ちょっと考え込むようにして腕を組むカレンさん。しかし、それはすぐ終わり、

「即神主さまに報告。時期を待って地獄に送っていただきますね」

「そう、ですか……」

 やっぱりカレンさんは、正しい。

 素敵だし、強いし、正しい。

 この国の模範的巫女として、カレンさんはいつでも立派だ。

 昔、巫女学校で先生に叱られたとき、いつも「カレンのようになりなさい!」って怒られてた。

 いつの間にか、本心からもカレンさんを慕うようになり、本気で憧れた。

 実践演習でも、いっつもカレンさんばっかり見て、それを真似してみようともして……。


 でも……。


 さっき……「でも」「でも」言ってネットさんに怒られちゃったけど……“でも”、これは譲れない。

「私……行ってきます」

 カレンさんよりも……信じたい。

 あの、口が悪くて、人をすぐ無視してきて、私よりも物を知らない……私のことを考えてくれてる人を、信じたい。













 ――ザ……ザザ…………



 血に染まった、真っ赤な手。


                    どろりとした感触さえも、無。


           人を殺した、真っ赤な手。


                                握られた短剣は、毒が滴る。


  仲間は仲間で、仲間じゃない。


                       親、殺した。


              家族、殺した。


   また、殺した。




                 何も感じず。








        全部、殺した。








 ――ザザ…………ザ……



 ――……何考えてんだ、俺は。

 俺は知らない。

 知らなかったんだ……。

 本当に……何も……。

「なっさけないのぅ」

 ……ッ!?

「ジジィッ!? な、なんでここに……?」

「ここに、と言われても、ただマリナの部屋に来ただけじゃが?」

 そうだ。ここはマリナの部屋だ。何の変哲もない、ただのマリナの部屋。

「お前さん……ネットならここに来ると思ったわい。――もう、蜘蛛の巣はないんじゃな……」

 ふう、と嘆息するジジィ。

「本部の指揮は、いいのか?」

「構わんて。別にわしがいなくても、若いもんがやってくれる」

 ナゲヤリ。

「ジジィ。お前は、知ってたんだろ?」

 ジジィは、黙って頷いた。

 カース。

 自らを“呪い”と名づけた男。

 ベノム。

 自らを“毒牙”と名づけた男。

 家族を殺し、姓を。自分を捨て、名を得た男。

「何で俺を地獄に送らねぇ? ジジィなら、とっくに送れるはずだろう?」

 ふう、と、またジジィは嘆息した。やれやれと言わんばかりの顔である。

「お前さんは、送る必要などないわ」

「俺は、殺戮犯だ。モンスターだろうが人だろうが、手当たり次第に殺しまくった殺戮犯だ」

「お前さんは過去を知らないんじゃないのかのぅ?」

「……は?」

 いや、だってジジィ、お前はさっき知ってたって……。

 俺の次句を阻むように大きく咳払いをする。

「入ってきなさい」

「はい」

 この声は……。

 ジジィの手招きに答えて部屋に入ってきたのは――マリナだった。

「マリナ……お前……」

「ネットさん!」

 いつものマリナらしからぬ、キリッとした目つきだった。

 俺を責めている……?

 ……いや……どこか違う。

 カレンたちが俺を見た、その顔とは。

 マリナは、大きく口を開けて、言葉を紡ぎだした。

「今、門前に出現したゴブリンウォーリアーの対応で戦況が一転しかけています! 急いで戻ってきてください!」

 俺に……戻れ、と?

 なぜ……?

 なぜ……?

 俺は……俺は…………

「カースで……」

「カースなんて、私は知りません! 何ですか、それ? 食べカスの一種ですか?」

「…………は?」

「何うじうじしてるんですか、ネットさん!」

 マリナが見つめる瞳は、真っ直ぐで、そして綺麗だった。

 漆黒とも呼べる、黒々とした瞳。大きいとは言えないが、それでもパッチリとした目。純粋すぎて、見てる俺がおかしくなりそうだ。


 ――パキ。


 割れた。

 何かが割れた。

 何かが……崩れた。



 ――ザ……ザザ…………

 ――あ、あの……。

 光に、包まれている。

 ああ……温かい光だ。

 ――わ、私の

 黒でも、白でも……無でもない。

 ――ぱ、パートナーになってくださいっ。

 綺麗な、光だ……。

 ――ザザ…………ザ……



 …………っ。

「そんなんじゃネットさんまで落ちこぼれ扱いですよ? 落ちこぼれは、私一人で十分です」

 ……はっ。こいつはおかしなことを言う。落ちこぼれは一人で十分だなんて……一人もいないじゃないか。

「そういえば、面白いもの用意したんですよ?」

 にこっと一度笑いかけると、マリナは懐から白い、棒状のものを差し出してきた。見ると、それは一本の、骨の短剣だった。

「これは……?」

「見てのお楽しみです。ちょっとした事情で一本しか用意できなかったんですけど……って、実は用意してくれたの、神主さまなんですけどね」

 ジジィが、か……。見れば誇らしげな顔で、その長い髭を撫でている。

 マリナのほうも、なぜか嬉しそうな、自慢しているかのような顔で俺を見据えている。

 ……はっ! ばっかみてぇ!

 全部が全部、クソ喰らえだ!

「マリナ……行くぞッ!!」

 出来る限りの大声を出す。

「はいっ」

 マリナは、力強く頷いてくれた。

 さぁ、ネット……行くぞ!









「おーおー。戦ってらぁ」

「いいからネットさんも参戦してください!」

 わーってるよ。

 怒るマリナを、軽く手で制す。マリナとて本気で怒ったわけではないようで、すぐにいつもの顔に戻った。

 ありがとな、マリナ。

「その髪型、俺は好きだぞ」

「……えっ?」

 さらさらとなびく髪を横目に見て、俺はすぐに視線を戦場へと向ける。

 とりあえずは状況確認だ。

 戦況は……一言で言うなれば最悪。くそみてぇだ。

 戦場は、既に門前ではない。塀を越え、町に入ってきていた。

 これは幸いか、広く、戦いやすそうな噴水広間で戦っている。もちろんのごとく噴水は木っ端微塵だが。

 見れば、敵はたったの二。ゴブリンウォーリアーと、賊一人。どうやら、周りのザコは殺したみたいだ。

 まったく……“こいつらごとき”になに苦戦してんだか。

「とりあえずお前は後ろで隠れてろ」

「言われなくても〜!」

 って、既にずっと遠くにいるがな!

 ……はっ。なんで俺はあんなやつ……。

「どけッ!」

 逃げ遅れたのだろう。俺の背の半分程度しかないガキがうろついていたので、そいつを突き飛ばして逃がしてやる。

「痛っ! 何するです……って、か、カースッ!?」

 おいおい。逃げ遅れてたんじゃなくて、お前かよ、マユ。そういえばバカでかい剣持ってるし。

「な、なんでお前が……? ま、まさか寝返――」

「邪魔だ、どいてろよクソガキ」

「なっ……!?」

 敵を、真っ直ぐ見据える。

 まずは……賊からだ!

「おやおや、これはこれはカース元副長殿。あんた、一回死んで戻ってくるとは、なかなかしつこい性格してたんだな」

 こいつも俺を標的にするようだ。――ちょうどいい。

 賊は手でゴブリンウォーリアーを制した。どうやら、一対一でやってくれるらしい。これまた光栄なことで。

「はっ! 元副長さんよ〜、あんたの実力見せてくれよ!」

 ……まったく、可哀想なことだ。名前も知らない。“最期の言葉”はそれ。


 これから死ぬっていうのによ――ッ!!


 地を、まるで地を抉るような勢いで蹴り――殺る!

「なっ――ッ!?」

 ――ズシャ。

 …………はい、終わり。

 右手に持つ剣に伝わる手ごたえ。――間違いなく即死。見る必要など、何もない。

 短剣に滴るは、賊の血。そして刃を滑るようにして落ちゆく血は、そのまま“糸”を伝っていく。

 “糸”……?

 そう。“白い糸”が、短剣の先端から伸びていた。

 その“白い糸”は、賊の死体に向かって伸びている。……なるほど。これはいい。

「す……すごいです……」

 おーおー、ガキが何かほざいてらぁ。

 さて……次はっと。

 俺は、その敵を見据えると同時に“既に俺の目の前まで迫っていた巨大な斧”に向かって、剣をやや斜めに構える。

 ガリ……。

 そんな、やや抉れるような音がしただろうか。俺の“真横に振ってきた斧”を横目に見やる。

 刃など、触れることはない。かわすでもなく、ただ受け流してやるだけ。

 斧に向かって伸びる“糸”。……よし、“捕まったな”。

 俺にしたら幸、ゴブリンウォーリアーからしてみれば不幸に斧は地に刃をのめり込ませている。

 はっ、これだからゴブリンはバカなんだよ。

 瞬時――!

 大きく踏み出した一歩と共に敵の腹を斬る。――が、浅い。残るは僅かな傷と“糸”のみ。

 それで充分だ。

 踵を返し、再び踏み出せば、今度は筋肉で大きく盛り上がっている赤い腕を斬る。また、“糸”が張り付く。

「――――ッ!!!」

 人の耳には聞き取ることの出来ない、所詮聞いてもなんら意味の無い悲鳴。

 斧を取ることを諦めたのか、今度は直接拳で殴りかかってきた。

 直線的攻撃。――トロイ。

 ゆっくり、体を左へと流す。

 “目の前を過ぎ行く腕”に、また一閃。

「――――ッ!!?」

 おーおー、慌ててらぁ。腕にからまってる“糸”を振り解こうと必死にもがいて――でも残念。もう“勝敗はついている”。

「すごい……」

 またガキが何か言ってやがる。まぁ、これは俺自身すごいと思わないでもない。

 ゴブリンウォーリアーの腕を、動きを、“白い糸”が巻きつくようにして縛っていた。

 そう。これが、この短剣の細工――“蜘蛛の糸”だ。

 この短剣は攻撃するたびに、その先端から白い、非常にネバネバとした粘着力の強い糸を出す。

 その強度はとても強いらしく、恐らくゴブリンウォーリアーごときの力では千切ることは出来ない。

 ……まぁこれは賊を殺したときに見た糸、マリナと腐れジジィの勿体ぶりを見て推測しただけのことで、それが合ってて助かった。

 もしも普通のただの糸だったら狙って攻撃していた俺がバカみたいである。

 その糸……一閃、一閃。また一閃。

 攻撃するたびに増える糸。

 もがくたびにからむ糸。

 ――糸はからみにからみ、ゴブリンウォーリアーの動きを封じる。これこそ蜘蛛の糸――“ネット”の使い方。

 糸によって動きを封じられたゴブリンウォーリアーが、なおも動こうとしてジタバタともがいている。

「――――ッ!!!」

 動けば動くほどからまっていくのに――なんつうバカだ。見ていて哀れになる。

「ネットさ〜んっ!」

 ふと声のした方を振り向けば、そこには岩陰に隠れていたマリナが、こちらに向かって大きく手を振っていた。遠目からでも、いい笑顔をしていることが分かった。

 俺はそれに答えてやろうと、手を上げた――刹那!


 ――ヴン。


 空気を、世界を揺るがすような音。

 周囲はブレと残像に揺らめき始める。

 なん、だ……?

「危ない――ッ!!」

 そう叫んだのは誰だろうか。

 急いで振り向くと――目の前には巨大な魔方陣。

 ――ゴブリンウォーリアーが発動した、魔法。

 しまっ――



 巨大な炎は、俺に放たれた――









 ……どうして俺は、ミスをしたのだろうか。

 ――ちょっとした油断。

 俺は知っていた。

 ゴブリンウォーリアーが魔法を使えることに。

 どうして俺はそれを懸念しなかった?

 どうして動きを抑えただけで勝利を確信していた?

 どうしてさっさとあいつを殺さなかった?


 ――カースなら……とっくに殺していたはずだ。


 あぁ……悪い、マリナ。二回も死んじまって。

 お前、三巡りだからもう、やばいよな?

 マリナ……お前は強いから、二回死んだくらいじゃ、大丈夫だよな?

 もしも……。

 もしもそのせいで倒れちまったら……ごめんな。


「まったく……何してるですか、この奇人」


 この……声は……?

「マユ……?」

「初めて人の名前を呼んだと思ったら、いきなり人のことを呼び捨てですか、この奇人は」

 なんで……。

 なんでマユは、俺の前にいる……?

 なんで俺は、マリナの元に還っていない……?

「少しは命の恩人に感謝して欲しいものです」

 命の……恩人……?

 あぁ、そうか!

 魔法を受ける直前、マユがその巨大な剣で攻撃を防いでくれたんだ。

「何を呆けているですッ!? さっさとヤツに攻撃しろですッ!! ――なんて、前に言われた奇人のセリフを真似てみたです」

 そう言ってマユは、その幼い顔を笑顔に変えた。

 こいつ、可愛いところもあるんだな。

 ふと、そんなことを思っていた。

「じゃあ、」

 いつの間にしりもちをついていたのだろう? すぐに俺は立ちあがり、マユに言う。

「命の恩人さまの命令に従いますか」

 ぽんっと手を頭に乗せて。

 地に落ちていた短剣を拾い上げて、今もなおもがいている敵に向かう――と、

「あの……」

 マユがどもるようにして話しかけてきた。

「その……裏切り者だとか、言ってごめんなさいです……」

「……あ?」

「えっと……ぼ、ボク……あんまりネットのこと知らないで言っちゃって……でも、ネットは一生懸命敵と戦ってくれてて……ボクも勝てなかった敵も倒してくれて……」

 おーおー、しんみりしてるじゃねぇか。

 頭に乗せた手を、思いっきりぐりぐりしてやる。

「別にお前を怒っちゃいねぇよ。つか、誰が怒ってるって言った?」

「…………っ」

 ったく、これくらいで嬉しそうな顔すんなよ。

「その笑顔、戦いが終わってからお前の大好きなカレンに見せてやれ」

「……そうですね」

 マユは、小さく頷いた。その短い髪の中から見えたのは、ちょっと嬉しそうな顔。

「ネットなんかに笑顔見せるのは勿体ないですっ」

 ……前言撤回。やっぱ、こいつうぜぇ。

「マユ。お前が殺せよ? 俺の武器じゃこいつにとどめはさしづらい」

「当たり前です。誰がネットなんかにいいとこ持っていかせるですか。この手柄は、ボクとカレンさんのものです」

 おーおー、ガキが言うねぇ。

 さて――



「行くぞ――!」













「やっと決心がついたな」

 そう言うのは俺。目の前の、妙に重たそうなどでかいリュックを背負ったマリナに向けて言う。

 目の前にそびえるは、この国の南門。方向が南というだけあって、やや弱そうな造りだ。

 目指すは最南端の寺院。聖地巡りだ。

「はい。これもネットさんのおかげです」

「突然照れ臭いこと言うな。反応し辛いだろうが」

「あははっ、そうですね」

 マリナは、今ヘアゴムをつけていない。なぜかと聞いてみたら、「内緒」だそうだ。まったく、パートナーに内緒はいかんと思う。……まぁいっか。

 さらさらとしたマリナの髪を見て、俺は思う。


 ――綺麗だな。


「聖地巡りに行くこと、お前の大好きなカレンとかには言ってきたのか? あれからお前、カレンと話したりしてるんだろ?」

 前は憧れてただけで話したことは滅多に無いといっていたマリナだが、最近はあのことをきっかけに話すことが増えたらしい。

 その時にマリナを伝えて聞いたのが、俺を裏切り扱いしたことについての謝罪だったが……あの凸凹コンビは、やっぱりコンビだけにどこか似ているんだろう。

「いえ、言ってません」

 マリナは首を横に振る。

「だって聖地巡りに行くのはカレンさんを驚かせるためですもん。初めに宣言とかしたら意味ないじゃないですか。――それに、そこまで大好きじゃないです」

 そうなのか? てっきりマリナはカレンに恋してるもんだと思ってたが。

「前は憧れてましたが、今はちょっと幻滅です。あのとき、ネットさんのことを散々言ってましたから」

「そういうものなのか」

「そういうものなんです」

 まったく。こいつの返答はちょっと困るな。「そうなのか」と言ったら「そうなんです」。いらぬ返答にもほどがある。……まぁいっか。

「それにしても、ネットさんも少しは荷物持ってくださいよ〜。私だけじゃ重すぎです」

「俺は幽霊体だから無理だ。それに、荷物のほとんどはお前のだろうが。そもそも、なんでそんなに持っていくんだよ?」

「そりゃあお着替えとか枕とか……」

 まるでお泊りにでも行くみたいだな。

「もちろん、非常食とかはあるんだろうな?」

「当たり前ですっ。缶詰をたくさん入れておきました」

「……缶切りは?」

「あぁぁぁあああッ!!」

 ……やっぱこいつはバカだ。




 えんど。


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