「眠り人形」
作:セル
――嗚呼、とても眠い。
私は主様に仕える人形。命令とあらば雑用から殺人まで何でもする、ただの動く人形。
そんな人形である私は、五十歳くらいの主様に仕え始めた頃、その主様にこんなことを言われた。
――そなたは真面目すぎる。もっと体を大事にせよ。
私にはどうして主様がそう仰られるのか解らなかった。私は人形。人でなし、代わりなら幾らでも造られる。それなのに、私の主様は“大事にせよ”と仰った。どうしてそう主様が仰ったのか解らない。
でも、当然命令なので、私はそれに従った。部屋の掃除等の仕事は必要最低限にし、出来る限り私のボディが痛まないようにした。埃の多いところに行くときはマスクや白衣などを装着して細部に埃を入らせないようにもしたし、普通ならあまりしないはずの油差しも定期的にやった。
そんな私を、主様は褒めてくれた。偉い、偉い。と。私は無性に嬉しくなった。否、嬉しいというと語弊がある。私のような人形には、擬似感情というものはあるが、それは単なる表面だけの、より人間らしく振舞うために付けられた機能。だから、私のような人形が嬉しいなどと感じるわけが無い。恐らく、主様に命ぜられた任務を果たせた事実をそう誤認してしまっただけだろう。
いつからだろうか。主様は、よく私をお部屋に誘ってくださった。私は紅茶を飲むことは出来ないけれど、でも命令とあらば無理やり飲むことも出来る。しかし主様は“一緒に居てくれるだけでいい”と仰った。これも理由が解からず首を傾げてしまったが、でも命令。私は素直に従った。次の日から、私はある程度の仕事を済ませるとすぐに主様のお部屋に向かうことにした。いつもそこで待ってくださっているのだ。急がないわけにはいかない。そうして日々が流れる。
ゆっくりと過ぎる毎日。主様はゆっくりとした手つきで紅茶とクッキーを召し上がり、私はその傍らで立っている。主様は隣に座るように仰ったが、でも人と人形。幾ら主様の命令とあれど、私はそれを断り、立ち続けた。その時の主様の顔は、哀しそうで嬉しそうだった。やっぱりよく解らない。
某日、主様は私をパーティに誘ってくださいました。そのパーティは、俗にいうお金持ちが集まるもので、とてもではないけれど私のようなものが出席していいようなパーティではなかった。当然私は可動式の首を横に振って断ろうとしたのだが、こればっかりは、と主様の強い要望により仕方なしに出席が決められてしまった。
当日。主様が用意してくださったお洋服を装着し、私は主様より二歩ほど後ろを歩く。心なしか、ご出席の皆様が私を見ているような気がする。やっぱり人形が出席することを疎ましく思ってるのではないかと思ったりもしたが、主様曰く、お前が綺麗だから見ているだけだよ、とのこと。不思議と、顔パーツの熱が強くなった気がした。
その日を境に、主様の命令で私は仕事をしなくてよくなった。前は少しばかりの仕事をしていたが、主様はそれさえもしなくていいと言う。何故かと私が問うと、主様は微笑み返してくれるだけで一向に返答してくださったりはしなかった。でも、それでもいい気がした。
主様の傍らで佇む毎日。そんなある日、主様は私にこう仰った。これからはお前の好きにしていいよ。と。私には不思議でしょうがなかった。何故主様は働くことを目的に造られた私に自由を与えてくださったのか。解らなかった。でも、命令には従いたいと思う。――次の日も、私は自分の意志で主様の傍に居続けた。
毎日主様の傍らで過ぎていく日々。こんな毎日を自然に過ごしている私は、働くことを使命とする人形として欠陥なのかもしれない。そう申し上げてみたら、主様は私を怒鳴った。そんなことはない、お前は立派に生きている、と。そうやって怒鳴ってくれたのは嬉しかった。私の動力炉の部分、人でいうところの心臓が温かくなった気さえした。でも、主様はちょっと違う。私は生きていないから。
主様は私と違って人間。私は壊れることはあっても老いることはない。でも、主様は日々老いていく。私が呑気に主様の隣に居る間に、主様はどんどん歳をとっていく。……気がつけば、主様は歩けない体になってしまっていた。
それでも、私は毎日主様の傍らに居る。命令である以前に、私自身がそうしていたいと思っていた。やっぱり、私は欠陥人形なのかもしれない。
主様は、その老いた、しわが多く刻まれた細い、病的な手を私に伸べてきた。その手はとても弱々しく、ついこの間まで私をリードしてくださった手とは思えない。私は差し伸べられた手を握り締め、そっと耳を傾けた。
――有難う。
何故、人形である私に御礼を言うのだろう? やっぱり、私には解らなかった。でも……その言葉を聞いたとき、私は幸せな気持ちに包まれた。
――嗚呼、眠い。
人形である私は、眠くなることなど一度も無かった。
造られて二十年。主様と過ごして二十年。独り過ごして二十年。
私の世界は途切れることなく一つひとつを刻み、私は生きてきた。
それなのに、今の私は眠い。どうしたことだろうか。
とても、眠い。まぶたが、とても重い。動く体は極一部。歩くことなんて、もう出来ない。
嗚呼、服が乱れてる。直さなくちゃ……。
でも、眠い。いつだったか、主様は私にお前の好きにしていいよ、と仰った。
だから、私は寝てみようと思う。
もう、どうしていいか解らないけれど、解ったこともあった。
今はこう思う。
――主様。
――私の方こそ、有難う御座いました……
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