ビオトープの生命2012(1)
8月17日 サジオモダカ
ビオトープの池では、今年もオモダカの白い花が咲き始めました。(オモダカについては、「ビオトープの生命2011(3)」をご覧ください。倉庫の中に入っています。)
ビオトープでは、オモダカよりも半月以上早く、よく似たサジオモダカが咲きます。オモダカは水田雑草として嫌われてきたのですが、サジオモダカの方は、利尿剤などとして利用されてきました。
オモダカは、矢尻型の特徴的な葉が目を惹きますが、サジオモダカは名前通りのスプーン型の葉の形をしています。同属には、ヘラオモダカという長い葉をしたものがあります。
オモダカとサジオモダカは、よく似た形の花をつけますが、実は花の大きさが全く違うので、見誤ることはあまりないでしょう。オモダカの花冠は1.5〜2cmあるのに対して、サジオモダカでは7〜8mmと半分くらいの大きさです。
オモダカは1本の茎に雌花と雄花を別々につける雌雄異株で、しかも雌花と雄花を時期をずらせて咲かせるという、凝った芸当を見せてくれますが、サジオモダカやヘラオモダカは、一般的な両性花です。中心にめしべがかたまり、おしべ6本がそれを囲みます。
サジオモダカの花は両性花です。 オモダカはまず雌花を咲かせます。この後、茎が上に伸びて、雄花をつけます。
5月12日 桑
夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われてみたのは いつの日か
山の畑の桑の実を 小籠に摘んだは 幻か
誰もが幼い頃に口ずさんだであろう、哀愁を含んだメロディーがよみがえります。
でも、正直なところ、名古屋育ちの私は、桑の実といわれても、どんな味なのか思い出せませんでした。 こちらに来るようになって、一昨年だったか、木になっている実を一粒つまんでみて、結構いける味だなと知りました。その時、実を摘んでいた女将さんたちは、ジャムにして食べると言っていたので、機会があれば、今年は試食してみたいと思っています。
昔は、絹糸を採るために、養蚕が盛んに行われ、蚕の餌にするために桑畑が作られていたということも、知識としては知っていましたが、どうも桑畑の絵も浮かんでこなかったような気がします。こちらに来て、散歩コースに桑がいっぱい植えられているのを観て、やっと桑畑の情景を実感できました。
朝の散歩で、桑畑を歩くと、新緑が芽吹き、何かがぶら下がっています。地味な花はいっぱい見ているので、雄花と雌花であることはすぐに解りました。ここまでは、かなり前から気づいていたのですが、この季節になると、色々な花が咲くので、カメラを向けることも稀であったのは否定できません。果物や野菜をいちいち撮っていられないやという意識もありました。
散歩をしていると、新緑の煌めきが新鮮に感じられたので、カメラを向け、勢いで雄花と雌花も撮影しました。それから、おもむろに桑について調べます。野生種以外のものについては、これが私の普通の順番になります。
養蚕に使われた桑は、養蚕と共に中国から持ち込まれたマグワが主流ですが、日本で自生していたヤマグワを使うこともあったようです。両者を交配して作られた種類もあるようで、同定はなかなか面倒になります。多分マグワだろうという程度で、とどめておきます。
新緑が芽吹く頃、すでに実になりかけた雌花も見当たります。
穂になって垂れ下がる雄花。 小さな雌花。
桑は雌雄異株だが、稀に同株もあると記されていますが、確かにその通りです。わりと珍しいタイプのような気がします。
受精した雌花は実になり、6月上旬には赤くなります。しかし成熟して食べられるようになるのは、黒紫に熟してからです。実は甘く、野鳥だけではなく、子供たちにとっても、美味しいおやつであったことも頷けます。
成熟途中の実。 完熟した実。
5月8日 オキナグサ
ビオトープ周辺で親しくしてもらっている、おばあちゃんの庭を何気なく眺めていて、思いがけない野草の姿を見つけました。紛れもなくオキナグサです。
おばあちゃんとは、普通は畑の方で立ち話をしているので、庭をしげしげと見ることもなかったのです。オキナグサは、現在でも、山野草店などでは売られていますし、西洋オキナグサなども出回っています。しかし、手持ちの文献では、かつては町内でも普通に観られたと書かれています。ひょっとして・・・と思って、訊いてみると、やはり知り合いが野原から採ってきたものをもらって、植えておいたら増えたとのことです。
わざわざ断るまでもないと思いますが、現在でこそ「盗掘」という言葉が広まって、自然のものは、草一本、石一つも採ってはいけないという意識が広まっていますが、少し前までは、山菜を摘むのと同じ感覚で、綺麗なものを見つけたら採ってくるというのは、当たり前の感覚でした。
私利私欲のために、盗むという行為を憎む気持ちは、人一倍強いつもりですが、ありふれたものには値がつきません。ありふれたものが珍しくなってしまったということに、本当の問題があったということに、もっと気づいてもらいたいなと思います。瀕死の状態にあるものに、とどめを刺したのが盗掘なのです。
オキナグサも、この周辺では、おそらく「絶滅」あるいは、それに限りなく近い状態であることは間違いありません。それが、ここに、こういう形で、細々と生き残っているというのも、なんとも皮肉なことです。
書き出したついでに、もう少しだけ追加しておきます。先に、とどめを刺したのは盗掘と書きましたが、色々歩き回ってみた経験からいうと、とどめを刺したのは、「里山の管理」をしなくなったということかもしれないと考えるようになりました。草花というのは、所詮は弱い存在です。定期的に草刈りをやったり、伐採や枝打ちをやったり、積もった落ち葉をかき集めたり・・・という、農耕生活での人間の営みによって、それが好都合であった草花が、本来の実力以上に繁栄したのではないかということです。
農耕が生活を支える中心ではなくなると、次第に、面倒で重労働な作業はされなくなり、枝は伸び放題で地面に届く日差しは減り、下草も伸び放題で、背の低い野草は衰え、落ち葉も深く積もって、発芽障害を起こす、蔓植物などの、そういう環境でも生きていける植物だけが繁茂する・・・という、従来とは異なる連鎖が始まり、多くの植物が死に絶え、その恩恵にあずかっていた多くの小動物が衰退し、生態系の多様性も失われた。「盗掘」がなくなれば、絶滅もなくなるというような、単純で他人任せな発想では、負の連鎖は進むばかりだという気がしてなりません。
さて、オキナグサは日当たりのよい草原に咲く、ちょっと風変わりな外観の多年草です。黒っぽい紫色の花を下向きに咲かせます。キンポウゲ科なので、例によって、花弁に見えるのは萼片です。萼の外側も茎も毛むくじゃらです。いわゆる綺麗で可愛い花というイメージとは、いささか異なるように思うのですが、絶大な人気を誇る有数の花であることは間違いありません。
菅平高原のオキナグサ。2008.05.26撮影。
オキナグサの名は、その果実の姿から名付けられました。白い綿毛が、翁の白髪を連想させたのでしょう。もっとも、こういう外観の果実は、カザグルマなどのキンポウゲ科の植物では、珍しくありません。まあ、名前なんて、大体そんなものです。
これも、特に珍しいほどのものではなさそうですが、太い根をまっすぐ下に伸ばします。日頃は、根まで見る機会がないので、移植する際に掘り起こした全景を載せておきます。
名前の由来となった果実。 地中に伸びる太い根。
植物には、食べられるのを防ぐために、有毒物質を身につけたものもあります。オキナグサも全草にプロトアネモニンやラナンクリンなどを含み、有毒植物になっています。牛や馬は、このことを知っており、食べません。放牧地は日当たりが良いので、オキナグサが繁茂している例が多かったといいます。
私が目指すビオトープ野草園は、かつて、この辺りの山野は、こんな風だったのだろうと思わせるもの(たんなる思い込みかもしれませんが・・・。)なので、おばあちゃんの好意に甘えて、さっそく試験的に移植してみました。やるからには、細々と生き残った遺伝子を、将来につなぎたいと思っていますが、うまくいくかどうか???
4月3日 北限の猿:ニホンザル
市町村合併で、ビオトープと同じ中津川市になった付知峡は、紅葉の名所などの観光地として、この地域では有名です。以前から、時々訪れていた我々は、この周辺でニホンザルを時々見かけていました。最近は、あまり見かけなくなっていたのですが、先日、何年ぶりかで野猿に遭遇しました。どうやら山に餌がなくなったので、里の近くまで出てくるようになったのだなと想像してみました。そして再度の訪問。やはり再度の遭遇。どうやら、推理はそれほど的外れでもなかったようです。前回の遭遇では、人に慣れすぎているようでもなく、危害を加えるようでもありませんでした。なるべく相手を刺激しないように、車内からガラス越しに撮影することにしました。一般的に、野生動物の撮影は、この方法が、相手を警戒させる度合いが少ないようです。
ニホンザルは、日本人にはお馴染みの猿ですが、むしろ外国人に有名な猿のようです。その理由は、主に以下の二点にあるようです。第1は、猿は元々熱帯に住む霊長類というイメージが強いのですが、ニホンザルはヒト以外では、世界で最も北に住む霊長類であるということです。ですから「スノーモンキー」という名前で、動物好きの外国人に愛されています。第2は、人の住む近くで生活することから、文化的な側面が、比較的よく研究されています。有名なところでは、幸島の猿は、サツマイモを洗って食べるという行動が発見され、その後、その行動は群れ全体に広がりました。地獄谷の猿は、温泉に入る猿として、あまりに有名です。あるいは、水に潜って貝を獲る行動も編み出しました。群れの誰かが、新しい行動をし、やがてそれが群れに広がっていくというのは、本能ではなく、文化以外の何者でもありません。
ニホンザルは、アカゲザル・カニクイザル・タイワンザルと近縁の猿で、北海道と沖縄には分布しません。屋久島には、亜種のヤクシマサルが分布します。常緑広葉樹林や落葉広葉樹林に生息し、食性は植物食傾向の強い雑食です。普通は群れを作り、大人のオスの1〜数頭がリーダーとして、統率します。メスは一生、群れから離れませんが、オスは若者になると群れを離れ、別の群れに入ったり、離れザルとなります。
木の芽を食べるニホンザル。
樹上で餌を探すニホンザル。
3月4日 ナズナ:史前帰化植物
厳しい冬もようやく終わりが見えてきました。田んぼの畦や道路脇でも、オオイヌノフグリ・ヒメオドリコソウなどの、どこでも観られる雑草の姿が目立ってきました。これらの花は、ビオトープでももちろん見られますが、踏み固められた荒れ地性の土壌で、その生命力の強さを、より顕著に発揮します。
現在、都会でも普通に観られるこれらの花は、ほとんどが帰化植物です。比較的最近に、外国から持ち込まれ、在来種の植物を追いやって、勢力を拡大した、繁殖力の旺盛な植物です。もっとも、在来種の衰退は、表土が本来のものと置き換えられてしまって、棲むべき環境が少なくなってしまったということに依る部分が大きいのかもしれません。
帰化植物の侵入は、明治維新後に始まったものではありません。それ以前にも、いろいろな形で、いろいろな植物が、意図的に、あるいは意図せずに持ち込まれています。たとえばウメは、ずいぶん日本の文化に重きを占めていますが、本来は中国から持ち込まれたものです。
大和朝廷が日本を統一して、書物を編纂してからの出来事は、どの程度鵜呑みに出来るかはさておき、一応書物で調べることが出来ます。しかし、それ以前の出来事となると、記録が残っていないので、文献で調べることは出来ません。たとえば、稲作の伝来は、間違いなく我が国の歴史の中でも、最重要な出来事ですが、事実を伝える歴史は残っていません。
稲作と一緒に、持ち込まれた文化や生命は一杯あるはずです。しかし、それを記録した文献はありません。それは、有史前の出来事なので、深い霧の中に閉ざされているのです。
そうは言っても、探せばいろいろな手がかりはあり、科学の進歩によって、証明する方法も色々開発されています。
稲の栽培の伝わった時代に、ある程度、人為的な要素も加わって、日本に持ち込まれた植物を「史前帰化植物」と呼びます。食料や薬草として、意図的に持ち込まれたものもあれば、籾などについて、入ってきたものもあるのでしょう。
今回、取り上げたナズナは、ムギ栽培の伝来とともに、渡来した史前帰化植物と考えられています。
ナズナ群落。 背景はヒメオドリコソウ。
ナズナは、アブラナ科の越年草で、春の七草にも数えられる、日本人には馴染み深い野草です。別名のペンペングサとかシャミセングサの名前の方が馴染み深いかもしれません。「ペンペングサも生えない」といえば、何も育たないという意味になるくらい、どんな荒れ地にも育つ丈夫な植物です。
また、民間薬として、各種薬効に優れた薬草としても知られています。このあたりが、日本に持ち込まれた理由なのかもしれません。
秋には発芽し、ロゼットの状態で冬を越します。従って、陽だまりなどでは、冬の間にも咲いている姿を見かけます。最初に咲く花の一つであることは間違いないでしょう。
花弁4,おしべ6,めしべ1の典型的な十字形花。 三味線のバチのような実。
別名の由来は、実が三味線のバチのような形をしていることに依ります。ペンペンは三味線の音であることは、言うまでもないでしょう。アブラナ科の花は、どれも菜の花に似たシンプルな形をしています。
2月20日 アトリ
冬に散歩道を散策していると、比較的よく見かける野鳥の一つがアトリです。 アトリは冬鳥としてシベリア方面から渡来し、越冬します。 渡来直後や渡去直前には、場所によって、数千羽から数万羽の大群が観られることもあります。 ビオトープ付近でも、一昨年に女房が、かなりの群れを偶然目撃したので、私も今年こそ観たいと思っていたのですが、どうやらその夢は実現しなかったようです。
群れの規模は、年によってずいぶん増減するようです。 今年は全般的に野鳥が少なく、アトリの仲間でも、シメとかイカルは、毎年いやというほど観られる場所でも、現れません。アトリも渡来数そのものが少なかったのかもしれません。
例年は、年末の頃から、この付近でも現れていたのですが、今年は2月になって、やっと姿を見かけるようになりました。
食性は、植物食傾向の強い雑食のようです。 木の枝や地面で、果実や種子を食べている姿を見かけます。
橙色が目を引くアトリ。
一昨年、目撃したアトリの群れ。 地面で餌を漁るアトリ。