狂う

照らす

光が

僕を








『満月の晩は狂気の夜だ』

ふと、
いつかだれかがそんなことを言っていたのを思い出す。


犯罪件数が常時より多かったり 交通事故がいつもより増えたり。

やれ引力の関係だ、人の本能だと
憶測ばかり飛び交って、明確な理由は未だわかっていないけれど
そんな言葉が自然に受け入れられるほど 月はヒトに影響を与えてきた。


古来より、多くの伝承とともに畏怖され 崇め奉られてきた月。


曰く
満月を見詰め続けると悪魔に囁かれる
曰く
妊婦が満月の光を浴びると狂った子が生まれる
曰く
満月の夜は魔物が闊歩する
曰く
満月の光を浴びると、バケモノになってしまう


その完璧無比さか 美しさ故か

麗しいハッピーエンドも多々あれど、それを上回る数で語られる狂気の夜。

ホラー映画などに出てくる魔物たちが本性を現すのも
大抵 綺麗な綺麗な満月だった。



満月は人を狂わす。

圧しとどめていた 願望を 欲望を
その光り輝く金の鏡に映して

晒し 溢れださせる
魔の光。


淡く凶悪に
照らす 光。





でもそれなら

(…僕も 狂わされた一人なのかな…)

そんなことを思い浮かべ、僕は一人口元に笑みを刻んだ。

しんと静まり返る深夜の廊下。
艦橋の方へ行けばまだ何人かCICが起きているのだろうけれど
船室…特にエースパイロット達の生活する士官室周辺は既に寝静まり
ポツポツ、等間隔で床を照らす非常灯だけが光源で、あまりに事務的過ぎるその光は
僕に この世に人間なんかいないんじゃないか、という錯覚を起こさせた。

キュ、と小さく無音を切り裂いて 碧をテラテラ反射した床の上を歩く。

黙々と なるだけ用心し、そして目的の部屋の前でゆっくり立ち止まる。
殊更に足音に気を使いながら向きを変え、静かにドアの横に備え付けられたキーボードを押した。

その瞬間
上がった『ピッ』という高音に肩を引きつり、全身の動きが止まる。

僕は数秒間固まったが、耳を澄ましても部屋の住人達の起きた気配がないことを悟り
また恐る恐ると、ボタンに添えた人差し指に力を入れた。

ピッ…ピッ…と無機質な電子音が暗い廊下に響く。

自分が意識するほど他人には聞こえていないのだと知りながらも 胸の辺りが冷たくなる。
…もしこれで、パスワードを入れ間違えた と耳を劈くようなエラー音が鳴り響いたら。
握りしめた左手にじっとり汗を感じ、浅く小さく、僕は呼吸を繰り返す。

一つ一つ緊張しながら押し込む記号は 永遠に終わりが来ないような気がした。


最後の文字を入力し終わって、プレートに蛍光灯と同じ緑で『PASS』という字が点滅した後
シュっという軽い音と共にドアが開いた。
僕はもう一度深呼吸をしてから 大きく足を踏み出す。
着地したブーツには、柔らかな絨毯の感触が伝えられた。

部屋は、暗いと思っていた廊下よりも更に暗く
かろうじて白いシーツの山が判別できる程度だった。

開いた時と同じ静かさで背後の扉が閉まる。

闇が包む。


ひゅうひゅうと微かに住人達の寝息が聞こえた。
それを聞きながら、僕の足はまるで根が生えてしまったかのようにドアの前から動けない。
ここからどうすれば良いのか 、指一本すら上げられず
僕は凍りついた。




(…今ならまだ大丈夫)
僕の胸の奥から そんな声が響いた。

大体、こんなことを考え付いて あまつさえ実行するなんて馬鹿げているんだ。
僕は声を漏らさぬよう自嘲した。


今引き返せば大丈夫。

もう一度廊下に出て いつものように毛布を被って
何もなかったように眠ってしまえば
そしてまた明日 普段と同じように
彼に笑いかけていれば。


其処まで考えて、僕の身は強張る。


(それで…それで どうなる?)


自問。
一体何度繰り返されたかも知らない、自分への言葉。



ここで戻って そしてどうなる?

また同じように笑顔を作って彼に話しかけ
彼と、その『恋人』とのふれあいを見て見ぬ振りをして
感情を押し殺して 夜はまた二人の営みに聞き耳を立てて。


そんな日々がまた戻るだけ。


僕はきつく眼を閉じた。

知覚出来ないほどの暗闇が眼球に広がる。

そしてその真っ暗闇の真ん中に
ポッツリ浮かび上がる
今日の満月。


眼を見張るほど、大きく綺麗に天を支配していた月。



ゆるゆると眼を開け、同時に顔もあげる。
段々暗さに慣れてきたのか、うっすらと部屋がその形を成していた。

(もう、躊躇うことはないだろう?)

僕は唇を一度引き締め、ぎくしゃくと右足を前に出した。
柔らかい毛達は僕の足音を吸収して
耳に付くのは相変わらず彼らの安らかな寝息のみ。

各ベッドに一つずつ山があることに内心安堵して、僕は奥の寝台に近づく。

白い清潔な枕シーツに零れる金が 其処に横になっている人物が
正しく僕の求めていたヒトだということを告げていた。


恐る恐る近づいて 顔の半分まで掛けられた毛布を 腰元までめくる。
まだ肌寒さを残す春の夜気に、彼は「ン…」と小さく声を立てて身をよじった。

僕は小さく溜息を吐く。

まだ青年と呼ぶには躊躇われる端正な顔立ち。
艶かしささえ感じさせる うっすらと汗ばんだ肌。
滑らかに引き締まった腕。
今は閉じられた双眸は透き通ったアメジスト。


いとおしく、僕は 白いアンダーウェアの上に指を這わす。
吐息の漏れる薄く開かれた容の良い唇を
親指で数往復、なで上げた。

もう一度身じろぎする彼。

その様子が可愛らしくて、僕は彼の唇に自分のそれを重ねた。

触れるだけ。
ついばむ様に、何度も何度も。


こんなにも近くに彼が居る。
温かいその肌に触れている。
…『彼』なんかではなく 誰でもない 僕が。

その事実だけで僕は震えた。

気が付けば
両の手を彼の頬に添え
貪るように彼の咥内を蹂躙していた。


「…ん、…ぁ…?」


息継ぐために一瞬離れた唇から、掠れた声が漏れた。
銀色の糸を引きながら 僕は弾かれたように顔を離して彼を凝視した。

トロンと眠たげに開いた紫。
状況を把握できないのか、シパシパ何度も瞬きしながら虚空に視線を彷徨わせ
それから僕に視線を固定し、彼は眉を寄せて呟く。

「…ニコ…ル…?」

名前を呼んだ直後 自分の体勢に気付いたのか、急に彼の瞳に光が宿る。
慌てて身を起こそうとするが、馬乗りになる僕にそれを阻まれ あえなくもう一度シーツに沈んだ。

「・・・なっ!?おま…何やって…!」

艶やかな声を1オクターブ位上げて講義しようとする彼に
僕はやんわり、人差し指を立て その柔らかい唇に押し当てる。
そして自分でも驚くほど穏やかな口調のまま、僕は言った。
まるで さっきまでの恐れと戸惑いなど、始めから微塵もなかったかのように。


「…静かに、ディアッカ。…騒ぐとイザークが起きちゃいますよ?」


瞬間、驚愕に見開かれる瞳。
叫ぼうとした彼の口が、言葉を紡ぎそうな形のまま静止する。

悪戯っぽく僕は笑んだ。
そして悠然と彼を見下ろす。


褐色の肌を
光を取り戻したアメジストを

そして
夜目にもはっきり光を放つ

緩いうねりの金の糸を。


それはまるで
さっき甲板から眺めていた 海の水面にきらきらゆらゆら形を変える
満月の映し身のようで。


(ああ、そうか)

それに気付いた瞬間、僕は唐突に悟る。


(僕は 狂ったんだ)

月に魅せられ、心焦がされ。

その光に 輝きに 美しさに。



そうだ それはきっと

初めて この『満月』を見た瞬間から。




なおも僕を凝視する彼にもう一度微笑みかけ
チョコレート色の首筋に顔をうずめる。

再び降りかかった制止の声を、彼の両手と共に一括りにして。



(…大丈夫)


熱い吐息を弄び、僕は自分に言い聞かせる。

(どんなに狂っても、壊れても大丈夫)

金の髪を梳り
懸命に声を出すまいと噛み締められた唇を舌で抉じ開け
闇を裂く小さな悲鳴を
涙の粒と一緒に舐め取り



(きっと、貴方も僕も…明日には忘れてしまう)


視界の隅に映りこんだ
銀の影を見定めて



自分の 歪んだ口の端を遠くに感じながら



僕は 思う。


(今夜は、満月なんだから)



満月の晩は狂気の夜。


魔を呼び寄せ 気を狂わせ




でも きっと
その夜のことは誰も覚えていない。



だって




狂気は 朝の光にとろけてしまうはずだから。





「…だから 大丈夫」





僕の小さな呟きは
彼の熱に吸い込まれていった。









END?






■合同企画に参加させていただいた作品を使いまわしです(せこい…!!)
壊したくない日常と壊してしまいたい関係…で、
書き始めたはずでした(過去形)
素敵にイヤンでアレソレドレミ♪なニコディアにしたかったですが、これではニコル様ただのド変態ですね…!
夜這いは乙女の夢のはずです。(自信なさげ)