バン、とさほど大きくない4LDKを揺るがすように 玄関が開いた音がした。
俺は作りかけのシチューから目を離し、その方向を見て小さく溜息をつく。
きっとたった今帰ってきた俺の同居人は、物凄く仏頂面に違いない。
予想通り、ヌと音のしそうな威圧感でキッチンに入ってきた彼は、見ててこっちが痛くなるほど眉間に皺を刻んでいた。
「…おかえり、イザーク」
わざとらしい薄笑いを浮かべると、彼は氷のような目線で俺を睨んだ。
…一体なんだって言うんだ、と口に出すより早く、彼は憎々しげに呟いた。

「…ディアッカ…なんなんだ、あの花は…!!」

「…は?」

とりあえず俺は
間抜けな声を出すことしか出来なかった。



→→Little Flower




地球軍とZAFTの間に休戦協定が結ばれ、戦争が終結してから2年。
元歌姫ラクス・クライン嬢やオーブのお姫さん、それからカバーナ議員たちの努力のおかげで
世界は戦争の面影から少しずつ、だが確実に抜け出してきていた。

ラクス・クラインとカガリ・ユラ・アスハの固い握手を交わした会見。
解散された各軍。
次々に判決を下される戦犯ら。
プラントと地球の合同慰霊式典。
そして戦後恒例のベビーラッシュ。

一般の人々の目には、既に争いのない 平和の時代がやってきたと映っている。


しかし、コーディネーターとナチュラルの確執は未だなくなったわけではない。
むしろ地球軍側は協定とはいわれれど、誰から見ても彼らの方が『敗北者』だったことは明らかで
それをわかっているからこそ、戦後処理の扱いについて、ナチュラルに不利なことは例え些細なことでも過剰反応するし
各地に散らばる反コーディネーター派…元ブルーコスモスの連中は、色んなトコでゲリラやテロを起こしてくれている。
ZAFTの方も、未だに核のことを根に持っている奴や、パトリック・ザラに陶酔していた過激派などがいる。
不安の火種は、まだ完璧になくなったわけではない。

だから新政府は『国土防衛』と称してもう一度軍人を召集し
ナチュラル・コーディネーター関係なく軍隊を編成した。
お仕事はもちろん 戦争捨てきれないおバカさんたちの後始末で
どっちかって言うと治安守るって言う意味合いじゃ、軍人より警察って感じかもしれない。

そしてその中には俺とイザークだって入っているわけで
俺たちは半年前、地球へ配属されたのだった。




「…で、一体何の花が気に入らなかったの?」

理由も言わず、何より先に風呂場に飛び込んで、彼が出てきたのは1時間後だった。
よっぽど念入りに身体を洗ったんだろうが、俺お手製シチューを口に運びながら まだイザークは不機嫌な顔をしている。

俺の問いかけに、イザークはスプーンを上げた格好のまま眉をしかめ 答える。

「名前なんて知らん」
「…特徴は?」

にべもないお言葉だが、ここで諦めたり気のない返事をしようなもんならどんな仕打ちが待ってることか、嫌になるほど知っている。
同室暦・同棲暦合わせて既に5年。
よーく学習している俺は、根気強く笑顔で尋ねた。
イザークは半眼で呟く。

「オレンジの、小さな花がたくさん木に咲いていた。プラントでは見たことがない花だ」
「ふーん?」

それのどこが気に食わないんだ、と俺は鶏肉をつつきながら思う。
すると、イザークはキッと目に力を入れて 語調も強く言い放った。

「…そして、恐ろしく香の強い花だった…!今思い出してもまだ鼻腔に匂いがこびりついている気がする!」

きつく眉を寄せ、イザークは鼻を擦る。
そしてその言葉に俺は「ああ」と手を叩く。


「そうか、金木犀のことか」


イザークは怪訝な顔をした。

「なんだ?それは」
「フラグレント・オリーブだよ。この国で秋に咲く木犀科の花のこと」

俺の言葉に、ふーん、とイザークがわかってるんだかわかってないんだかという返事をする。
俺はサラダを口に放り込んで、苦笑した。

確かに最近、金木犀が一斉に咲き始めて 近所で強い香りを放っている。
さっきもイザークが言っていた通り、プラントに金木犀はなく
地球に来て半年目にして、初めて俺たちはあの花の香を嗅いだ。

今日は自分は非番で、一日中家の中で家事をしていたもんだから忘れていたが
自分でもあの花の脇を通る瞬間は、あまりの香りのきつさに頭痛を覚えるほどだ。
潔癖症・神経質で通っている彼にとってはあの呼吸器官から入り、体内に浸透する様な匂いは 拷問に近かっただろう。
だからあんなに長く風呂に入っていたのか、と俺は思わず笑った。
次の瞬間イザークがおどろおどろしい目で睨んだため、咳き込んでごまかしたが。

「フラグレント…なるほどな。
しかし、強い匂いと言っても限度がある。アレは既に兵器だぞ。
なまじ花だと思うから余計に恐ろしい。
あの花の匂いを嗅ぐまで 俺は花の香というのはもっと人畜無害で、人を楽しませるものだと思っていた。
地球軍どもが匂いを兵器とする手段を考え付かなくて本当によかったな」

ぶつくさ言いながらシチューをかっ込むイザークに、今度こそ俺は噴き出した。
イザークが顔をあげ、テーブルの下で足を身構える気配がする。
俺は椅子を引いて、諸手挙げの降参ポーズを作った。
そして取り繕うように言う。

「イザーク、知ってる?」


「金木犀ってさ、毎年同じ日に咲くんだって」


「…何言ってるんだ?貴様は」

イザークは相変わらず顔をしかめたままだが、俺の話に興味を示したのか 足を床につけた音がした。
俺は密かに胸をなでおろす。

「だからね、言葉通りの意味。
何かで読んだんだけど、金木犀って毎年毎年 一日もずれないで同じ日に一斉に咲くんだってさ」
「…同じ日に?」
「そ、例えば9月30日なら、示し合わせたみたいにそこら一帯の金木犀が咲くんだ。次の年も同じ9月30日に。
まだ原因はわかんないらしいんだけど」
「…ふーん…、日の長さでも関係しているだろうか…」

彼の予想に、俺は肩をすくめる。

「かもね、でもロマンチックだと思わない?」
「…何がだ?」

怪訝そうにイザークが俺を見る。
俺は柔らかく微笑んだ。

「いつまでも、変わらないってトコがさ」

イザークは小さく片眉を上げた。


「イザーク覚えてる?半年前のこと」

俺の問いかけに、彼は小さく銀髪を揺らした。





戦争が終わって1年経たずして、俺たちは軍に呼び戻された。
元赤ZAFTということで、配属された隊の風当たりは お世辞にも心地いいものとは言いがたかった。
俺はまだ最後の方はAAと共に居たし、親父だってとりあえず穏便派として名を通していた。

しかし、イザークは違う。

最後の最後までZAFT軍でエースパイロットとして戦い
彼の母であるエザリア議員は最後まで急進派としてパトリック側につき、(幸い議員職解雇・今後の政治不参加というだけで罪は免れたが)戦犯として捕らえられた。
しかもイザークは、最重要参考人となるはずだったクルーゼの下で戦闘を続けたのだ。
そして彼自身も多くのナチュラルを殺した。

そのことを怨んでいる今同僚・昔敵な奴もいて
イザーク自身の態度も祟って隊の雰囲気は最悪なものとなった。

そして結局
彼は地球に降下されることとなった。



『…これで、暫くプラントともお別れだな』

転属が決まった日、イザークは俺に向かってそう言った。
俺はそれを聞いた瞬間、呆然と彼を見てしまった。
イザークはそんな俺に向かって口の端を上げると、わざと「あいつの方が悪いのに」と悪態をついた。
銀髪が赤い夕日を反射した。

イザークがいなくなる。

その事実は漠然としていて、未だ現実味が湧かなかった。
ただ、足元が抜けるような感覚がしていた。

確かに戦時中、離れていることはあった。
敵同士としても戦った。

しかし、それでも

もう離れることはないと思っていたのに。



『…何をしている?ディアッカ』

不意にイザークの声が掛けられる。
俺はいつの間にか床に固定されていた目線を、彼に戻した。

彼は笑っていた。
逆光の中
いつもの、自信に満ち溢れた笑顔で。


『貴様も、勿論来るんだろう?』


その言葉に、俺は目を見開いた。
イザークは白い手を差し伸べる。
それから顎をしゃくって付け足した。


『嫌だといっても聞かないからな。
…俺とお前は、死ぬまで一緒だ』


肩から力が抜ける気がした。
真っ赤に沈む黄昏に、口元が自然に緩んだ。

俺の心は、決まっていたのだから。






「…で、俺も地球降下志願して、そしたら今度はイザークってば寮まで追い出されちゃってさ。
心配して3日おきに様子見に行くうちに、イザークの生活能力のなさが露見しちゃって
今じゃすーっかりただの同棲生活になっちゃったよね〜」
「…煩い、黙れ」

楽しげに語る俺を睨んで、イザークは唸った。
俺は含み笑いをしながら食べ終わった食器を流しにおいてきてから、彼に向き直る。


「でも、嬉しかった」


一緒に来い と言ってくれて
離れない と笑ってくれて

掴んだその手の感触を
まだ俺は忘れていない



「…煩い、黙れ」

イザークはもう一度同じセリフを繰り返すと、あの頃より少し伸びた髪を掻き揚げてソッポを向いた。
俺は微笑んで、その髪を一房梳く。
イザークも俺の頭に手を伸ばした。


「来年も、こうやっていられるといいね」


こうやって 同じ食卓でシチューを食べて
こうやって 花の匂いなんかに論議して
こうやって 互いに手が届きあう距離にいて

こうやって 一緒に居て。




「…ふん、そんなの当たり前だ」

耳元で囁かれる彼の澄んだ声がくすぐったくて、それ以上に言葉が嬉しくて
俺は思わず声をたてた。
その唇を彼のそれに塞がれる。
弄っていた髪から手を離し、ゆっくり互いを抱きしめあう。



これからも変わることなく
いつまでも 一緒だと。




少し開いた窓からは

甘い香りが流れていた。








END









■花の香りが甘けりゃ話も甘い(笑)
イザッカ戦後話です。
本編終わって、二人が生きてるもんだから やっと心置きなく戦後が書けます。
いやもう、絶対この二人は同棲してますよ(笑)
そしてディアッカがおさんどん係で!(決定事項)


金木犀の話は本当らしいです。
毎年毎年一日狂わず同じ日に周辺の花全部咲いて、物凄い香りを撒き散らします。
確かにいい匂いなんですけれども…集団で咲かれると本当に兵器かと(笑)
匂いの種類も、なんだかキンとしてますよね。
ちなみに咲川宅周辺は9月27日でした。
繁殖の上でのメカニズムなんでしょうか。
ツツジなんかもそうだったような気がします。よく覚えてませんが。

でも私は同じ香りの強い花だったら初夏のクチナシのほうが好きです。
あのあま〜い匂いが大好きです。
食べたくなります。(待て)
イザークもきっとクチナシなら許可してくださると思いますよ。
むしろこの花を題材に使ってたら

「お前からクチナシの匂いがする」だのなんだので
18禁になだれ込む気がしま…ゲッホゲッホ!