はやくはやく
あなたにあいたい。
→→あなたに感謝を
血生臭さと硝煙の臭いがその裏路地を支配していた。
未だ朦々と立ち上がる煙と、あちこちにまるで隕石でも落ちたように穴のあいた石畳。
そこには点々と人が倒れ 彼らの身体を苗床に、街灯の灯りにヌラヌラ光る赤い水が川を作り、流れていた。
そんな悲惨な光景に目を留め、叫ぶ人はこの場に居ない。
まだ日の入りだというのに、街は寝静まったように閑静である。
ただこの時間帯に人通りが少ないだけなのか
それとも、この付近の住人は既に 『叫べないモノ』なのか。
ふいに、カラカラと軽快な音を立て この質素な街には似合わぬ豪奢な馬車が現れる。
クロスをあしらったその馬車は、腐臭に引き寄せられるかのように石畳の上を滑り
裏路地へ止まった。
ドアを開け その中から静かに降り立つ数人の影。
1人は倒れている人々のうちの何人かと同じ、まるで個を表すことを拒んでいるかのような 頭髪まですっぽり覆った白いローブ。
2人はそれとは対照的に、闇をとろかした様な漆黒のコートを羽織った 屈強な体格の男性と金髪の男性。
そして最後に、その二人の後を恐る恐るといった様子で付いていく 同じく黒いコートの細身の女性。
おそらくはもう結婚していたってよい歳なのだろうが、きょろきょろと自信なさげに周りを伺う姿と極端に線の細い体つきが
成熟した『女性』というよりも 少女といった印象を与えた。
援護に来たのならば既に手遅れとも言えるこの有様の中
白装束は馬車から軽やかに出ると、倒れている無数の人々 一人一人のそばにしゃがみ、寄り添う。
口に手を当ててみたり瞼を開いてみたり。
否、手遅れであってもいいのだ。誰か一人でも生きていれば。
彼が人々の生死を確認するのを、黒装束の3人はじっと見ている。
その中でも細身の女性は一人胸に手を当て、その光景を凝視している。
白くなるほどきつく握られた指は、小刻みに震えていた。
「…フラウ・ロットー」
白装束の一人が静かに声を上げる。
名を呼ばれた女性は、ビクリと肩を震わせた。
唇を噛締め 二人の黒衣の男性を従えて、こちらを見る白装束の元へ歩み寄る。
彼がしゃがんでいたのは、彼と同じ白いローブの男性だった。
もっとも それが白いローブだったと解るのは、その服の元の形状を知っている者だけだろうが。
仰向けにされた男性の顔は、鼻骨と頬骨が砕かれ己の体液でぐしゃぐしゃになっている。
血に染めぬかれた『布切れ』の下はもっと酷いのだろう、と黒装束の一人が誰に言うとも無く呟いた。
そしてそんな無惨な姿になっても、彼は咽喉の奥で ひゅーひゅーと微かな音を立てていた。
「フラウ・ロットー」
もう一度白いローブの男が言う。
促され、女性は頷いた。
そして震える指を懸命に動かし、胸元の鎖をたどりながらコートの下から真っ黒いぜんまいを一つ 取り出す。
チャラリと音を鳴らして、女性は祈るように そのぜんまいを握り締めた。
途端 世界が音を立てて変わる。
カチリ・コチリ と膜の張られたような空間の中 時計の音が響き渡る。
そしてその音のたびに一つ、また一つと仰向けにされていた男性の身体から形式化されたような時計の図が身体からあふれていき
傷が ふさがってゆく。
そして音が20と鳴らぬうちに、瀕死だった男性は見る影も無かったローブでさえ完全に その身を戻した。
男性はゆっくり目を開け、首をめぐらせてその場の人々 一人一人を見る。
その顔には擦り傷すらない。
しかし、その『奇跡』を起こしたはずの女性の表情は硬い。
「…状況を」
彼に寄り添っていた白装束が静かに言う。
男性は目を瞬かせ、一泊置いてから小さく頷いた。
「状況はすこぶる悪いです。この街に潜伏しているAKUMAは確認できただけでも5体。レベル2が2体居ます。
一体は電撃、もう一体はキャノンが主力の武器です。
しかしながらキャノンの方の素性はわかっています。三番街のクラウディア・シュミット…栗色の髪の女です。こっちがいつもレベル1を引き連れています。
電撃の方は赤毛の若い男としか認識できていませんでしたが、隊長が追いかけていると思います」
「それだけ解れば十分だ。…ご苦労だった」
一気に説明した男性に、白ローブの男性はゆっくり言う。
男性は「いいえ」と満足げに口の端をあげた。
女性は俯き、コートの裾をぐっと握り締めている。
白装束の男は暫く沈黙した後、暗い声で男性に向かって語りかけた。
「では…何か、言い残すことは」
「っそんな!!」
ここで、初めて女性が声を上げた。
絶望的な瞳で白装束を見る。
「そ、そんな…!このままの状態で彼を連れて行けないのですか!?
本部まで帰れればきっと助かります。わ、私頑張ります!頑張りますから…!」
唇を戦慄かせながら、彼女は早口に言った。
しかし白装束はやんわりと首を振る。
「駄目です、フラウ・ロットー。あなたはすぐにこの場を離れて 次の街へ向かっていただきます」
「っでも!」
尚も声を荒げる彼女に、他の黒装束が哀れんだような蔑んだような 感情のない交ぜになった視線を向ける。
すると横たわっていた男性が、緩慢な動作で女性に向かって手を伸ばした。
「ありがとうございます、でも大丈夫です。
怖くないといえば嘘になるけど、俺はもう手遅れですから…貴女のイノセンスをこれ以上割かせる訳には行かない」
にこりと笑みを作ると、彼はいつの間にか彼女の頬を流れていた雫を優しく拭いながら言った。
「じゃあ、代わりと言っては何ですが
いつかウィーンに住んでる弟に俺が就職先で上手くやってるって、伝えてください」
神のご加護を、と呟く彼に 女性はガクガクと壊れたように頷く。
「では行きましょう」
白装束の男の声を合図にそれぞれ立ち上がり 金髪の男が強引に女性の手を引く。
半ば押し込められるように馬車に乗り込んだ女性は、窓に両手を突いて叫んだ。
「きっと、きっと伝えます!だからだから…!!!」
それから先は嗚咽で呑み込まれる。
勢いよく走り出した馬車の衝撃に体重を持っていかれ 彼女はずるずるとへたり込んだ。
裏路地ではコチン!と一際大きな音を最後に 奇妙な膜が弾け
ブ という嫌な音と共に 赤い噴水が再び上がっていた。
ゴトゴト絶え間なく振動を伝える馬車の中で、女性は両の手で顔を覆いしゃっくりをあげる。
最期の彼の笑顔が網膜から離れない。
優しい『ありがとう』という台詞が、鼓膜から消えない。
(違う)
女性は首を振る。
(違うの、私が欲しかった ありがとう はこんなのじゃないの)
人の役に立ちたいと願っていた。
そしてドンくさいだけだった自分が、それだけの力を手に入れることが出来た。
それからたくさん、『ありがとう』を言ってもらえるようになった。
けれどもそれは
常に人の死と 背中合わせの『ありがとう』ばかりで。
「…ちがう、のよぉ…!」
我侭なのだろうか。
感謝の気持ちには変わりないはずのそれを選り好んで拒むことは
只の自分のエゴなのだろうか。
(…でも)
彼のくれた、あの幸福な気持ちとはまるで違う『ありがとう』の数々。
初めて貰えた、優しくて温かな 銀色の少年の言葉とは
「…アレン、くん…っ」
思わず零れた愛しい名前に、また涙が止まらなくなる。
彼が居るから平気だと、大丈夫だと思った この運命。
けれどもそれは 自分が想像していた以上に 苦しいもので。
「アレン君…!」
貴方に逢いたい。
貴方に逢って、その笑顔が見たい。
まだ甲高いその声で、また『大丈夫』といってほしい。
「…じゃないと、じゃないと私…」
いつか、壊れてしまう気がするの。
ガラガラと馬車は土の道をひた走る。
彼女の小さな悲鳴は 星一つ見えない闇の中
冷たい風に舞い飛び、消えていった。
■ミラ→アレン。
戦闘能力のないミランダはこういった準・情報収集係りかもしれない、と思って…
思ったんだけどくらいくらいくらいくらい…!
次はもっと幸せな話を書きます;