周囲には憎むべきものなど存在せず
常に世界は平和だった。
こんな気持ちも知らなかった。

偶然か故意にか、ほんの少しだけ開いていた
あの扉の奥を見なければ。


→臆病者潔癖症



僕、ニコル・アマルフィーはアスランからの言伝をイザークに伝えるべく、ガモフ内をうろついていた。
イザークが彼に異様な敵対心を抱いているという自覚はどうやらアスランの方にもあるらしく、会ってそのまま小一時間もからまれても面白くない とクルーゼ隊の中では比較的中立的立場にある僕に頼んだらしい。
・・・僕もさほど仲が良いとはいえないのだが。
本当はイザークの一番の友人に頼んでしまえば話は早いのだが、こんな時に限って彼はいない。
言伝を言ったらきっと自分が厭味の餌食なんだろうな、と考えて
僕は重いため息をついた。

「あ」
イザークの部屋の明かりが廊下に一筋の線を描いているのが見えた。
(・・・灯台下暗しとはこの事か)
この時間ではまだ自室に戻ってないだろうと踏んで、散々食堂やロビーを探し回ったのが馬鹿のようだった。
次から人を探すときはまず、本人の部屋を訪ねることにしよう。
本日何度目かの嘆息をしながら僕は部屋を覗き込んだ。
そうして 見てしまった。
ほんのちょっと開いた彼の部屋の向こうを。
部屋の主であるイザークと、彼の親友でありもう一人の同僚である ディアッカ・エルスマンの・・・キスを。

僕は呆然とした。
声もかけることを忘れて暫らく見入ってしまった。
なんとなくあの2人が必要以上に仲がいいとは思ってはいたけど、幼馴染だからと聞いて納得していたのに まさかこんな関係だったなんて。
でも不思議とそれを見て嫌悪感は湧かなかった。
2人が一言も言葉を交わしていなかったせいかもしれない。
ただ黙々とひたすらに相手の手や頬に唇を落とすその行為は、僕にはいっそ神聖な儀式のようにさえ見えたのだ。
やがて2人は示し合わせたかのようにキスをやめると、静かに抱きしめあった。
金と銀との糸がディアッカの肩の辺りで絡み合う光景は、本当に綺麗だとボンヤリと感じた。

その瞬間だった。
イザークの水色の瞳がこちらを見たのは。
一瞬、僕は今の自分の状態に居心地の悪さを感じ、目をそらそうとした。
けれど次の彼の表情で動きが止まった。

イザークは笑んでいた。
まるで 僕を嘲るように。

そのときになって初めて僕は急な嘔吐感を覚え、彼の視線から逃れるように
長い廊下を駆け出した。



「ニコル、イザークに昨日のことは伝えてくれたか?」
翌日、開口一番にアスランが訊いてきた。
『お早う』もなしだね と頬が少々引きつりそうになったが、思うに留めておく。
なんだか昨日のあの光景を見てから、妙に些細なことに苛々する。
「・・・お早うございます、アスラン。すみません昨日はイザークが見つからなくて・・・・」
笑顔で嘘を言う。
いつから僕はこんなことができるようになったんだろう?
胸を奥をチクチク良心が刺す。
でも顔に張り付いた笑顔は変わらない。
ネットリ 音がしそう。
実に不快だ。
けれどもアスランはそんな僕の心境に気付かず、「そうか、今日中には宜しく頼む」とだけ言って、無重力空間独特のあの魚が泳ぐような感覚で廊下の端に消えた。

それを確認してから僕はゆっくりと壁にもたれかかった。
「・・・・はあ」
安堵のため息。
なんだか今は誰とも関わりたくない気分だ。
・・・特にイザークと・・・・・ディアッカには。
昨晩もなんだか昨日の2人の姿が瞼の裏にチラついて眠れなかった。寝不足で偏頭痛もする。
きっと今会ったらあまり良くない印象を与えるに違いない。
(一体どうしてしまったんだろう?僕は。)
初めて見た身近な同性愛者に戸惑いを覚えているのだろうか?
あんなに綺麗に感じたのに?
(僕はそんなに器量が狭かったのかな・・・?)
得体の知れない感情に眉をひそめる。

と、その時

「よう、出歯亀」
突如として声をかけられ、肩がビクっと音がしそうなくらい強張った。
「・・・イザーク」
よりにもよって、一番会いたくない人物がこちらを楽しそうに眺めていた。
僕は再び頬が引きつるのを感じながら、無理にそれを笑みの形にする。
「・・・やだなぁ、イザーク。出歯亀は酷いですよ」
「本当のことだろう?」
せせら笑うイザーク。
小首をかしげる動作に、きちんと揃えられた銀髪が纏わりつくように動く。
ああもう、本当に頭が痛い。
彼は普段からよく僕に突っかかるけれど、今日のは特に粘り気を持った喋りのような気がしてならない。
どうやら僕が2人の行為を見てしまったことはよっぽどネタに為ることらしい。
・・・それともただ単に暇なだけか。
「・・・そうですね、いくら驚いていたとはいえ他人の情事をあまりジロジロ眺められてはあまり良い気持ちはしませんよね。ごめんなさい、イザーク。もう決してしませんよ、ああそうだ。この間の戦闘データの提出をしてくれと本部のほうから。では失礼します」
一秒でも早くこの嫌な雰囲気から逃れたくて、僕は会話を切り上げようと笑顔で早口に言い切った。
これで満足だろう、と僕は高飛車な同僚に背を向けた。
しかしイザークはどうやら僕の動きを止めるポイントというものを押さえているらしかった。
僕の背中に向かって小さく、しかしはっきりと聞こえる声で言う。

「そうだ、アレは俺のものだからな」

音を立てて血の気が引くような感覚。
いや、もしかしたら全身をすごい勢いで血が駆け巡ったのかもしれない。
ゆっくり、まるでさび付いたブリキ人形のように首をまわす。
見留めれば、予想通り彼は口元を嘲笑に歪めていた。

「やっと笑顔以外を見せたな」
言われて初めて自分の顔が強張っていた事に気付く。
なぜだかどうしようもない屈辱感を感じた。
僕の渋い顔を見て心底嬉しそうに、イザークが言う。

「聞こえたか?アイツは俺のモノだといったんだ」

その言葉に視界が真っ赤になるような気がして、気がついたら口答えをしていた。
「・・・それは誰のことを言っているんですか?」
その僕の反応に、イザークは器用に片眉だけあげる。
そして、にんまりという形容詞が似合いそうな動作で 哂う。
「ディアッカのことだ、他に誰がいる?」
「彼はモノじゃないでしょう?」
思わず反抗的な口調になる。
知らなかった。
僕もこんな言い方ができたのか。
「いいや、俺のモノだ」
「・・・だから誰が」

「だからニコル、もう奴をモノ欲しそうな目で見るのはやめろ」

絶句する。
(モノ欲しそう?僕が?)

「俺が気付いていないとでも思ったか?」

(そんな目でディアッカを見ていたと?)
頭の中が痛みを伴い、ガンガンと音を立てる。

「解ったならもうアイツに手を出すな」

そんな馬鹿な。ただのイザークの思い込みに決まっている。
(でも)
昨日の光景で
僕は『どちら』ばかりに気をとられていた?

「ディアッカは俺のものだ」

その言葉に弾かれたように顔を上げ
勝ち誇ったような笑みを見る。
そして

「・・・そう思っているのは貴方だけじゃないんですか?」

瞬間、イザークの表情が面白いくらいに凍りついた。

「・・・貴様」
「彼は確かに今は貴方の傍にいる。でも、それがいつまでもというわけではないんじゃないですか?」
口に出してスッとする。そうか、これはずっと僕の胸のうちにあった言葉だ。
「彼だって人間です。自分でいつだって飛立てるんですよ」
もう笑顔も取り繕わない。
僕は噛み付くような口調で言った。

だって僕は
ずっとあの金髪の青年に恋焦がれていたのだ。

イザークは先程までの余裕はどこへといった感じに目を見開き、唸る。
「・・・ニコル」
「それにね、イザーク」
彼が何か言おうとしたがわざと遮り、僕ははっきりと宣言した。


「仮にディアッカが貴方を好きだとしても
僕が彼を見てちゃいけないなんて言われる筋合いはまったく無いんですよ」


イザークの顔が青褪めた。
ああ、なんて滑稽なんだろう。
この人は不安だったのだ。
彼が僕に盗られやしないかと。

「・・・俺にそんな口を利いて、ただで済むと思うなよ。ニコル」
憎々しげにイザークが呟いた。
それを聴いて、僕は作り物の笑顔なんかじゃなくて、心の底から笑った。
「望むところですよ、イザーク」

そして僕は廊下を歩き出した。
今度こそイザークを振り返ることなく。


『臆病者』の炎は まだ燈ったばかり。






■おかしいな。始めはイザーくんが勝利を収めるはずだったのに(笑)
ディアを巡って醜い男の三角関係です。(身も蓋も無い・・・)ニコル覚醒。怖。
気が向いたらまた続きます。