眠ることは嫌いだった。
一人で眠ることが嫌いだった。
父が俺のために用意してくれたベッドは嫌に大きくて
いつも俺は 毛布の波の真ん中で縮こまっていた。
父はいつも帰るのが遅かった。
母はいつもは家にいなかった。
お手伝いさんが帰った後は
俺は一人で暗い廊下に「おやすみ」と言って
一人でノソノソ
大きな布団の海に呑まれた。
胎児のポーズで縮こまった。
目は固く瞑っていた。
部屋の四方の闇を恐れた。
俺は夜が怖かった。
でもお前が来てから夜は変わった。
恐怖は温かなものに変わった。
夜は談笑する時間で
布団はもっとも近くにいられる場所で
闇は二人を包んでくれるものだった。
「アスランの髪は夜色だね」
そう言ってお前は甘く笑った。
そんなことを言ってもらえたのは初めてで
俺は嬉しくて
お前の手を優しく握った。
夜は既に怖いものではなくなっていた。
そしてその後
夜は孤独を呼び覚ますものに変化して
夜は寂しいものに形を変えて
夜は後悔するものになっていた。
お前に褒めてもらった髪をいじくりながら
俺はいつも眠れず天井を見詰めた。
お前がいなくて
寂しくて
悔しくて
哀しくて
怖くなった。
また
夜は恐ろしさを取り戻した。
***
ふと、身体が揺れるのを感じて 目を覚ました。
真っ暗な部屋。
見慣れぬ天井が、ほの白く光って見える。
ぼんやりとそんなことを考えていると
不意に視界に茶色の物体が現れた。
「…えーと、おはよう。アスラン」
茶色は髪だった。
菫色の瞳が、シパシパ瞬きしながらこちらを見ている。
俺は曖昧な返事をしながら時計を見やる。
23:58。
就寝してから、まだ1時間経っていない。
「…どうしたんだ?キラ…」
トイレにでも行きたいのか、と言いかけたが
流石にそれはもう無いだろうと口をつぐむ。
彼は彼で、彼なりのプライドというものがあるだろうし。
対する彼は、ソワソワ首をめぐらせながら「あー」とか「うー」とか言っている。
暗がりでもしっかり解るほど頬が赤い。
…やっぱり本当にトイレなんだろうか。
意を決したように彼は俺を見据える。
背後で、カチっと音がした。
急に彼は満面の笑みになった。
「お誕生日おめでとう!アスラン!」
彼はそう言った。
俺は一瞬、何のことだかわからずに目を瞬かせる。
その俺の様子に、彼はきょとんとした後 呟いた。
「…もしかして、アスラン…覚えてない?」
「え?」
俺はよく事態を飲み込めず、聞き返す。
彼は呆れたように眉を寄せた。
「だってほら、今日は10月29日。アスランの誕生日なんだよ?」
言われて俺は「ああ」と納得する。
そうか、しばらく忙しくて 誕生日なんて存在を忘れていた。
やっと合点がいって頷く俺に、キラは「うわぁ、信じられない」と繰り返す。
「…でも、まぁアスランらしいけどね」
再び顔を赤らめて、彼は恥ずかしそうに呟いた。
俺は苦笑して
「もしかして、それを言うために起こしたのか?」
と尋ねた。
キラは一瞬詰まった後、「ごめん…」という言葉と共に頭を垂れた。
「だって…アスランが何欲しいかなんてわかんなかったし…」
そこでいったん言葉を切って、彼はもっと小さく呟く。
「…世界で一番早く、アスランの誕生日を祝いたかったんだ」
その言葉に、俺は呆けた様に彼を見る。
茶色い頭は俺につむじを向けたまま。
遅れて、胸に甘い気持ちが湧き上がる。
俺は思わず吹き出してしまった。
「な、なんで笑うの!?」
キラが憤慨して顔をあげる。
俺はその彼の手を握った。
何か反論しようとしていたキラの口が、ぴたりと動きを止める。
俺は彼に微笑んだ。
「ありがとう、キラ」
キラはまたもや真っ赤になった。
それが可愛くって 俺はもう一度笑った。
するとふくれっ面をしていた彼も、仕舞いには声を立てて
そのまま二人でベッドのスプリングの上に、勢いをつけて寝転んだ。
大きく、身を伸ばして。
あの頃は恐ろしく広かったベッドは
今ではもう、二人で寝そべるには小さく感じられた。
夜はもう俺にとって
怖いものなんかじゃない。
俺たちはひそひそ楽しい話をしながら お互いの手を握り締める。
茶色の髪を梳きながら、俺は思う。
お前がいてくれるそのことが
俺にとって最高のプレゼント。
終
■企画モノ恒例甘甘編。
砂袋はいずこ。
主人公カップルには幸せになっていただきたいものです。
というわけで
ハッピーバースデイ!アスラン!