かながわ 明神のクス |
2020.11.17再訪問しました
□ 所在地 足柄上郡湯河原町宮下 □ 交通機関 JR・湯河原駅 温泉方面行きバス 五所神社前下車 徒歩15分 |
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五所神社専用註車場 P を利用 木 は道路をはさんだ反対側にある。ほこらは祀ってある。 車公害 に負けるなと祈る。 土肥一族の墓は湯河原・城願寺にまとまっている。 |
2020.11.17
史蹟「明~の楠」 五所神社は、古くは五所大明神神社、または五所大明神と称し、今を去る約千三百有余年天智天皇の御代、加賀の国の住人二見加賀之助重行らの手により、 この地方が開拓されたとき土肥郷の総鎮守として、天照大神はじめ五柱の神霊が鎮座されたと伝えられております。 治承四年(1180)八月、源 頼朝 伊豆より挙兵の時、この地の豪族土肥次郎実平は一族と共にこれを助けて頼朝の軍を土肥の館に導き、石橋山合戦進発の前夜は 社前において盛大な戦勝祈願の護摩の火をたいたと云われています。このとき、実平によって佩刀一刀が奉納され、いまなお社宝として保存されております。 以来、領主、庶民の崇敬特に厚く、長寿長命の神、湯の産主神として今日にいたっております。 昔の神社の境内は広大幽邃で参拝者は前方の千歳川の清流で禊ぎを行い、この「明~の楠」の下を経て神社に参拝しておりました。 正保三年(1646)この樹下の参道をもって当時入谷村と云われたこの地方が宮下、宮上の両村にわかれました。 その頃の参道には数多くの楠の巨木が生い茂っておりましたが、世の移り変わりと共に、今はこの一樹のみが歴史の跡を物語っております。 昭和五四年四月一日 湯河原町指定文化財 クスノキ(くすのき科) 根回り 一五.六メートル 樹齢 八〇〇年 「案内板より」 |